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インフォメーション

1998.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第8号(1998年11月発行)

特集《今、子どもたちの心と社会は》


report08.gif「今時の子どもたちは...」という言い回しは、非難のニュアンスとともにいつの時代にもありましたが、子どもたちの心が見えないのは、それを見ようとしないからですし、子どもたちの声が聴こえないのは、それを聴こうとしないからではないでしょうか。
本特集では、見えにくい子どもたちの心を見ようとし、聴き取りにくい子どもたちの声を聴こうと、現在、様々な立場で子どもの問題と関わっている方々にご執 筆いただき、子どもの視点から子どもの心をみつめ、子どもを取り巻く学校や社会の問題を捉え直しています。ぜひ、ご一読ください。

〈内容〉


1 学校と子どもたち
教育とマインドコントロールの違い
学校内の体罰と子ども
学校について、自分について
中学校でのスクールカウンセラーのまとめから
子ども代表として国連子ども権利委員会に報告して

2 相談に訪れる子どもたち
大好き!!お母さん~小児科相談室で出会う子ども達
思春期外来の子どもたち
子どもが引きこもるとき
思春期相談を通じて思うこと

3 コミュニティーと子どもたち
カナダで学んだ「アドボカシー」と「ピアペアレンティング」
子どもが子どもとして生きるために
保育ルームで出会う子どもたち
吃っているそのままでいい~吃音親子サマーキャンプ

4 大人の生き方と子どもたち
生まれなかった子ども
一人っ子、子どもたちに問う
現代女子高生見聞録~関係性の中で生きる彼女たちの声から
子どもの良心の発達を考える~仲間関係に対するアプローチから

5 社会と子どもたち
非行少年
すぐ「キレる」こども? おとな?~弁護士付添人から見た、少年非行をめぐる近時の状況について
保護することと個を認めること
子どもの性的虐待・搾取~日本の課題


約200頁 1,000円

〈掲載論文〉
今、子どもたちのこころと社会は 村本邦子

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1997.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
中年期の女性の課題

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 ここ数年、私自身、中年期を自覚するようになった。年齢を考えてというよりは、体の変化、子どもとの関係、夫との関係、それから仕事などが、それを感じさせる。
 体のこと。私はもともと元気なタチで、よく食べてよく眠るし、肩凝りとか腰痛とかとは無縁だった。それが、すぐ、体に出るようになった。ストレスが高ま ると、どっと白髪が増える、胃の具合が悪くなる、頭痛がする、眠りにくくなる、肩や背中が凝ってくる。どうやら、これらは私のストレスサインで、「もっと 自分を大事にして暮らしなさい」と赤信号を送ってくれるようだ。ふと、これまで、私は本当に元気だったのか、もしかすると単に鈍感だっただけではないのか とも思えてくる。病気がちの人、病気を抱えながら生きている人たちにとっては当たり前のことなのだろうが、私にとって、これらの体の変調は、老いとしてだ けでなく、年齢とともに、自分の体としっくりやれるようになったこととしても感じられる。
 子どもたちも成長し、物理的な世話はぐっと減った。まだまだ、気にかけなければならない面もあるが、それぞれに、自分の世界を持ち始めている。ある種の 一体感は失われ、子どもたちも、一人の別個の人として生き始めているような気がする。夫との関係も、10年が過ぎ、10年ひと昔と言うけれども、ひとつの 時代を共にしてきた感慨もある。互いに必死ではあったけれどわがままなぶつかりあいを経て、ようやく、少し平和で穏やかな基盤を得たようにも思う。期待、 断念、現実、そして受容と尊重と......
 おかしな話だが、ようやく、本当に仕事をしようという気持ちになったことも大きな変化だ。長いあいだ、私にとって、仕事とは、現実の生活を支える必需品 という意味と、おもしろいことという意味の二つしがなかった。私には、仕事が多分に自己中心的な動機に基づいていたように思うのだ。ところが、こうして仕 事を続けてきて、今では、自分を社会にいかすという意味が付け加えられ、エリクソンのいう「世代性」という概念を意識するようになった。「世代性」とは、 次世代を確立させ、導くことへの関心、自己愛的なあり方から、もっと人類的な次元へと関心を拡げていくことを示している。ようやく、自分が本当に大人に なったような気がする。
 さらに、自分を歴史の流れに位置づけられるようになったのも変化である。子どもの頃、両親の子ども時代や戦争の話を聞いても、それは、おとぎ話のように 現実離れした「昔々、あるところに......」の物語のようなものだった。30年も40年も生きていると、歴史的な大きな出来事もいくつか経験するし、今から 50年前、60年前が、どの位のところにあるのか、大方の見当がつく。歴史の教科書に出てくる出来事が、バラバラの断片としてでなく、自分のいるこの現在 と連続した時間軸にあるのだということが、ようやく実感できるようにもなった。
 同時に、前の世代への思いも沸いてきた。どちらかと言えば、私はこれまでずいぶんと不遜で、誰かからアドバイスをもらってうまくやるより、自分の思うよ うにやって失敗することを好んだ。自分の体で納得しなければ、どうにも満足できなかった。今は、人生の先輩たちから学び、それに連なっていきたいという気 持ちが出てきた。中年期という今回のテーマは、まさに、先輩たちに教わりたいことのひとつである。
 第1章では、各世代の中年期体験を語って頂いた。意図したわけではなかったが、この章の執筆者は、みな何らかの形でカウンセリングに関わっている方々で ある。職業上の豊富な経験に加え、洞察力、分析力などといった点で優れた才を発揮してご自身の体験を語って頂いたので、さすがに読み応えがある。「世代と 中年期」としたが、中年期を終えた人、中年期真っ最中の人、中年期に入ったばかりの人、それから中年期前の人と並べて見ることで、それぞれの中年期の背後 にある時代を感じて頂けたらと思う。個々人の生き方もさることながら、中年期を規定する時代背景は変化していく。中年期という時期ができたのも比較的最近 のことながら、各世代、モデルのないなか模索してきたのだろう。ひとことに中年期と言っても、その時代のもつ社会的、文化的背景を欠かすわけにはいかない ことがよくわかる。
 第2章では、中年期女性が出会う可能性のある個々の課題に焦点を絞ってまとめてみた。中年期も、その入口にいるのか出口に近いのかで、状況はずいぶんと 違うだろう。それでも、一般的には、子ども、夫、親など家族との関係を見直したり、性や体の変化と折り合いをつけるといったことと直面するようだ。それら は、子ども時代の親との関係、思春期や子育てといったこれまでの人生を自分自身がどう生きてきたかの問い直しでもある。
 第1章からもわかるように、中年期が決して特別な時期であるわけでなく、それまでの生の延長にあるわけだが、改めて立ち止まって、「本当にこれでいいのか」と自分に問いかけるのが中年期なのだろうか。いや、ひょっとすると、特別意識せず過ぎていく中年期もあるのだろう。
第3章では、必ずしも中年期と関わりがあるとは言えないさまざまな人生を生きる女性の中年期に焦点をあててみた。シングルにしても、夫の海外赴任にして も、震災や子ども時代のトラウマにしても、本来、決して特殊な問題ではなく、さまざまな形であらゆる女性に関わってくる問題なのだと思う。第1章で佐藤先 生からの指摘もあったが、奥田さんからも、特別中年期を言うことに対する批判が提示されている。私も、特別中年期を言うことで、個々の女性の人生を型には めてしまうことを望んではいない。女性のライフサイクル論が「女の人生表街道」や「まともな女性のあり方」の規範を示すだけなら、単に現状適応を押しつ け、個々の女性を苦しめるだけだろう。でも、これらが、苦しみや悲しみを伴いながらも、多様で柔軟な女性たちの姿として浮かび上がってくるならば、それぞ れの女性が自分のいるところを確認し、人生を選択していく上での励ましのメッセージとなり得るのではないかと思っている。
 第4章では、中年期の女性へのサポートやサービスを提供する女性たちの目に映っているものをまとめて頂いた。執筆者は、それぞれご自身も中年期にある 方々ばかりだ。電話相談、個人面接、サポート・グループ、サイコ・ドラマ、女性学学習と形はいろいろあるが、偏った社会の中にある女性の立場を尊重し、 個々の女性がその偏りに気づいていくなかで、自分自身を問い直す手助けをする、あるいは自己表現を促し、自己評価を高めるという手続きは共通している。
 中年期女性の課題は、外から押しつけられてきた規範と、しらずしらずのうちに取り込んできたそれを見直し、本当に自分にとって必要なものとそうでないも のをより分け、自分の納得いくように自分の人生を立て直すチャンスになるものだと思う。本来、人生とは、いつの時期もそういうことの繰り返しなのだろう が、これからの時代、中年期を生きる者として、ますます自分本意に、自分が何を大切にして生きていこうとしているのかを常に確認しながら選択していきたい と思う。
 最後になりましたが、原稿を頂いた皆さん、いつもFLCの活動を応援してくださる皆さんに、あらためて感謝します。8年のうちにはいろいろなことがあり ましたが、ここまで息長く活動を続け、この仕事を大切に思えることも、皆さんの支えがあってこそです。例年のように表紙とイラストを描いてくれたJunさ んと、今年はパソコン編集を手伝ってくれたいのきえみさんにもお礼を言いたいと思います。今回の年報をすべて女性の手で作り上げたことを誇らしく感じてい ることを付け加えておきます。

『女性ライフサイクル研究』第7号(1997)掲載

1997.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第7号(1997年11月発行)

※この号は売り切れました。

特集《中年期の女性の課題》


report07.gif中年期というのは、女性の一生の中でも、これまでの人生を振り返り、この先の人生の生き方を模索する、重要な転換期です。それにも関わらず、今までほとん ど取り上げられることのなかったこのテーマに、本書では、女性の視点から、女性の手で光を当ててみました。中年期女性の心・体・性・夫との関係、親子の問 題、介護、シングル女性など、さまざまな中年期女性のさまざまな側面に目を向けて、取り上げています。
これから中年期に入ろうとする人、現在中年期真っ直中の人、中年期を終えようとしている人にも、自分を見つめ直し、より自分らしく生きるための役立つヒントが満載です。ぜひ、ご一読ください。

〈内容〉


1 世代と中年期
2 中年期女性が出会うもの
3 さまざまな中年期女性
4 中年期女性へのサポートの方法と現場から


〈掲載論文〉
中年期の女性の課題 村本邦子

1996.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
はじめに~セルフヘルプ・グループ

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 女性ライフサイクル研究所(FLC)を始めて、6年がすぎた。まだ小さかった子どもたちを抱えながら、何かしたいという思いに尽き動かされてやっ てきたが、だんだんと、振り返って足跡を辿るほど、ゆとりもでてきたし、遥か遠くまで歩いてきたのだと思う。と同時に、スタッフそれぞれが、自分にとって FLCとは何なのか、自分はいったい何者で、何を求めているのかを、常に考えることを余儀なくされてきた。「自分が好きだからやる」というのが、いつも私 の鉄則だけど、「好きなことをやるためには、それに伴う好きじゃないこともやらなければならない」という鉄則も別にあって、いくぶん疲労を感じてもいる。 それで、今年は、成り行きまかせの無責任な編集を決め込むことにした。
 セルフヘルプという発想は、あまり勉強してこなかったものの、私自身にとっては、ごく自然に身につけてきたことのひとつである気がする。セルフヘルプの 語義には、「自分の力でやっていく」と「自分たちの力でやっていく」のふたつがあるらしいが、自立志向の強い私にとって前者は当たり前のことだったし、自 分の一面でしかないにせよ、外向的なところのある私にとって、仲間を求めるのも半分まで自然なことだった。もう半分が残ったのは、私がそこまで困っていな かったことによるのだろう。それが変わったところから、FLCは生まれた。子どもを産み、育てること、パートナーと向き合うことには、現実的な困難が多々 あったからだ(その意味は、人によって違うかもしれないが、少なくとも私にとって、それはクリエイティブかつチャレンジングである)。
 セルフヘルプ・グループの前提には、人々が困っていることと、孤立していることの二つがあるのだと思う。ごく自然に人々が支えあっている社会ならば、あ えてセルフヘルプ・グループを言う必要はないだろう。したがって、そこで目指されるものはふたつ、ごく自然に支えてはくれない社会に対して、自分たちの生 きにくさを訴えていく側面と、互いに支えあう(愛しあう?)ことで生きやすくしていく側面である。「運動」と「癒し」と言い換えてもいいかもしれない。
 私がそのことを意識するようになったのは、アドリエンヌ・リッチと出会い、女性解放運動の流れに自覚的に繋がるようになってからだ。自分が独立独歩の気 分でいた時には、一対一のサイコセラピーしか思いつかなかったが、自分を社会的歴史的に位置づけたとき(人々と一緒に生きている自分に気づいたとき)、セ ルフヘルプ・グループの力を実感するようになった。
 そういうわけで、今回の特集のきっかけは、「これからは、セルフヘルプ・グループの時代だ、セルフヘルプ・グループについて学びたい」と思ったことにあ る。本来は、セルフヘルプ』グループとは、自然発生的に生まれ、試行錯誤を繰り返しながら形を成すものだろうが、このような時代であるがゆえに、意図的に つくる―初めに、その必要性と意義を感じる人がいて、「仕掛け人」となる―場合もあろう。この特集では、セルフヘルプ・グループの定義をかなり曖昧にした うえで、さまざまなグループや人々の経験と学びを集めることにした。いつものように、「たまたまご縁のあった」方々に執筆をお願いしたが、快く原稿を寄せ て頂き、たくさんの問題提起をしてもらった。
 結論を出すつもりはまったくないが、私自身が興味をもっていることは、1. メンバーシップとリーダーシップのありかた 2. 運動と癒しのバランス 3. 専門家の関わり方(不要論も含め) 4. 経済的にどう成り立たせるのか 5. グループ全体の歩みと成長である。第一部は、まとまった形で原稿を寄せて頂いたものを歴史の長いものから、第二部は、グループ紹介として寄せて頂いたもの をアルファベット順に並べてある。第三部は、せっかくだから、FLCのセルフヘルプ的なありかたも、この際、振り返ってみようということになって後から追 加したものである。
 セルフヘルプ・グループの原則に従って、「書きっぱなし」「読みっぱなし」で、読者の方々にはどのように読んで頂いても構わないが、さまざまなグループ があることを紹介することで、必要に応じて連絡をとってもらえるように、また、さまざまなグループのあり方を参考に、必要に応じて新しいグループをつくっ てもらえるように、そして何より、喜びも苦しみも含めて互いの活動を知り合うことで支えあえるように、そんなセルフヘルプ的な役割を、この雑誌が少しでも 果たせたら嬉しい。
 ここまで活動を続けてこれたのも、FLCの活動に理解を示し、支えてくださっているみなさんのお陰だと感謝している。最後になりましたが、原稿を寄せてくださったみなさん、毎年、表紙とイラストを描いてくださるJUNさんと、読者のみなさんにお礼を言いたいと思います。

『女性ライフサイクル研究』第6号(1996)掲載

1996.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第6号(1996年11月発行)

※この号は売り切れました。

特集《セルフヘルプ・グループ─もうひとつのエンパワメント》


report06.gifセルフヘルプ・グループとは、生きづらさを抱えた者同士が支え合う自助グループのことです。ごく自然に人々が支え合っている社会ならば、あえてセルフヘル プ・グループの必要はないのでしょう。けれどそうではない現実の中で、互いに支えあうことで生きやすくしていく側面や、自然には支えてくれない社会に対し て、自分たちの生きにくさを訴えていく側面などがセルフヘルプ・グループにはあります。それぞれのグループの歴史、活動内容などセルフヘルプ・グループに ついての情報を満載しておりますので、必要に応じて連絡を取って参加してもらえますし、さまざまなグループのあり方を参考に、必要に応じて新しいグループ を作ってもらえたらと思います。ぜひ、ご一読ください。

〈内容〉


性虐待、子ども虐待、アダルトチルドレン、子育て、親の会、女性の会、摂食障害、SIDS、アディクション、吃音、精神障害、HIV、がん等の疾病、殺人事件遺族、夫婦だけの家族...等のグループ


〈掲載論文〉
はじめに~セルフヘルプ・グループ 村本邦子

1995.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
「こころのケア」と人権と・・・

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 1月17日、私たちの日常に大きな亀裂が生じ、それを埋める作業は今も続く。10ヵ月あまりが過ぎ、改めて振り返ってみると、その作業そのものが 私たちの日常になりつつあることに気づく。2月初めのNOVAの講演で、「地震の前と後とでは、日本の社会は違ったものになる。同じものではあり得な い。」と聞いて、衝撃を受けるとともに、妙に納得したことを思い出す。あの当時、私たちは、失ったものを取り戻したかった。でも、それは、取り返しのつか ないものだった。哀しみも、きっとなくなりはしないのだ。
 復興は、元の状態に戻ることではない。亀裂を埋める作業を通じて、震災の体験をそれぞれが、あるいは日本の社会が十分に生き抜くこと、そうして過去と現在を含みこんだ未来へつなぐことなのだと思う。
 そんなことを考えて、今年は震災の特集を組むことにした。何かに駆り立てられたように動いてきたものの、本当にこれでよかったのか、もっとやるべきこと があったのではないか、これから先、何が必要なのか、一度立ち止まって考えてみなければと思う。震災後の状況は、刻一刻と変化しつつある。ここでまとめら れたことは、この時点でのみ言えることになるかもしれないが、その軌跡を残すことに意味があるのだと思いたい。
 今回の特集のテーマのひとつが、「こころのケア」である。この言葉には、賛否両論あったが、災害後に「こころのケア」がこれだけ話題にされたこと自体、 特記すべきことだろう。知るかぎりでは、大阪YWCAが「こころのケア・ネットワーク」と打ち出したのが、一番早かったのではないかと思うが、震災直後の 新聞案内には、「心の相談」「心のサポート」などの表現で、たくさんの窓口が掲示されている。一方で、本当に「こころ」を大切にすることのできる時代に なったと単純に喜べない実情が目前にあるのも事実である。
 神戸YWCAの通信(『ボランピア通信vol.2』1995年7月20日発行)に「"フェニックス計画"やらで示された『心のケアセンター』には失笑し てしまう。震災で最も痛い痛手をうけた人たちが"心のケア"なしには生きていけないような、最低限の人間らしい生活を保障されない復興計画。」と綴られて いるが、「心のケア」を専門とする身には、深く辛く突き刺さる言葉である。
 一部の臨床心理士の間で「臨床心理士は便所掃除をするか?」が話題になったのは、象徴的だった。私自身は、これに対して非常に不愉快で馬鹿げた議論だと感じてきたが、「便所掃除をすることはこころのケアになるのかどうか」と立て替えて、一応触れておきたいと思う。
 ウィニコット(『赤ちゃんはなぜなくの』『子どもは、なぜあそぶの』星和書店、1986など)は、母親向けに繰り返し、繰り返し、「おむつを替えたり、 お乳をあげたり、抱いてやったり、という世話自体が、赤ちゃんに対する心の世話に等しい」旨語っているが、乳幼児や、今回の震災直後のように、生死を分か つようなプリミティブな状態にあっては、物理的な世話と心理的な世話を区別することは不可能だ。心と体の分裂は、良くも悪くも文明の副産物であり、文明以 前にはあり得なかった。
 「災害直後、いちばん欲しかったのは一枚の暖かな毛布だった」と聞いた。私自身、あの時、子どもたちを安全な場所に避難させて、揺れが収まるのを待つあ いだ、布団を取りに戻った。寒さと恐怖で身が震えたからではあるが、一枚の毛布は暖かさと同時に安心と安全のしるしだったと思う。
 女性や子どもの問題を争っていると、物理的な援助が一番の「こころのケア」だと思われる状況はいくらでもある。震災に限らず、「人権」の保障がなされて いなければいないほど(「文明以前」の状態であればあるほど)、心に限定した働きかけは無意味だ。物質的な援助さえすればよいというものではないことは言 わずもがなであるが、社会の変化なくして、個人の善意は、ほとんどいつも取りこぼされた「人権」保障に届かず、無力感とともに佇む他ない。その場合、おそ らく、共に「いたむ」ことのみが、「こころのケア」に通じるのだろう。
 私は、ひそかに、「こころの」は、「心を対象にした」という意味ではないと考えてきた。日本語の「の」の持つ曖昧さゆえ、半ば無意識に、「こころの言 葉」とか「こころの贈り物」とか「こころの歌」などと並ぶ表現として「こころのケア」が受け入れられたのではないか。敢えて意味づけるならば、「心のこ もった」「真心からでた」「心に響く」などとなろうか。
 そういう意味では、いかなる形のものであれ、ボランティアの存在そのものが「こころのケア」であったと思う。心を対象化したり、被援助者を対象化する発 想は「こころのケア」にふさわしくない。「こころのケア」は相互的なものだ。ボランティアに馳せ参じた者たちは、自らの疼きを癒しに行ったのだと考えれば 合点がいく。
 かくして、心のケアを専門とするものは、その存在自体が矛盾を孕んでいることを自覚しつつ、それでもなおかつそこに留まろうとする意味を考え続けなければならないことになる。
 本書の構成には、今も迷いがある。サブタイトルである女の視点からは、心のケアと人権の問題は分かちがたく結びついているため、明確に整理してまとめることがどうしてもできなかった。もしかすると、非常に読みづらい構成になったのではないかと危惧してもいる。
 第一章では、越智裕輝氏が、『災害と精神療法』と題して、本質的な指摘を行ってくれた。越智氏引用の「例外状態は常態をえぐり出す」には誰もが頷くだろ うが、精神療法について議論された2点について、常態と照らし合わせてわかりやすく解説してある。3点めの「精神科領域に従事する者たちが社会システムの 中でどのような思考システムを個人としてもち得るのか」という問いは、本特集のテーマとも重なる。奪われた命については言うまでもなく、心身ともに大きな 痛手を被ることが、不公正の結果だったとすれば、そこからの回復についても二重、三重と不公正な条件が伴うことになる。精神科領域に従事する者たちが、そ のことに無関心でいられるはずはない。「破局や『最後』は未来に訪れるのではなく、現在にもう繰り込まれ、既に組み込まれていて『現在は完了』している」 のだとすれば、今回えぐり出されたことは、気づかれずに本来過去にすでにあったことだ。都市開発のあり方、建造物の欠陥など、物理的な問題についての反省 は耳にするが、精神面の援助のこれまでのあり方に対する善し悪しには、十分に目を向けられているとは言いがたい。また、あちこちで戦後五十年の総括がなさ れたが、なしてもなしてもなしきれないものが残っているように思われてならない。「災害も戦争もない日常の精神療法と、それらが取り巻く状況の中でも精神 療法に差を設けないところに、むしろ精神療法という一つの方法が人間の苦悩の一端を始めて担えると言い得るのではなかろうか。」の指摘とともに、精神(心 理)療法の可能性を問い直さねばなるまい。
 より専門的な関心のある読者は、越智論文のPTSDに関する註および註補足を参照されたい。Tの略語であるトラウマは、DSM-IV(1994)より 「心的」をはずして「外傷」とのみ訳されるようになった。筆者らにとって、PTSDの概念は、以前より、子どもの虐待、とくに性虐待の後遺症のひとつとし て関わってきたものであるが、その場合、トラウマとは、虐待の形態が身体的、心理的、性的に関わらず、「魂の傷つき」と捉えるのが一番ぴったりくると感じ てきた。生存を脅かされる危機状態は、心身未分化のレベルに食い込む。なお、PTSDの診断について否定的な意見が多く聞かれたが、その有用性について は、久留一郎氏(鹿児島大学)が、PTSDという診断的呼称名が存在しない場合、法廷闘争(保険、労災認定など)において、被害者にとっては症状との因果 関係の説明などで不利な結果を招く危険性があるとして的確な論証を行っている(日本人間性心理学会第14回大会にて)。
 批判の中心は、「昨日まで健康な市民だった者を病気モデルで捉える」ことに対する反発からきていたようだが、これこそ、性虐待のサバイバーたちが訴え続 けてきたことだった。この批判を大規模な範囲で被災者を生んだ今回の震災に限ってあてはめるのでなく、誰もに起こり得る他の災害についてもひろく理解し、 PTSDの概念を否定するより、むしろ、医療モデルそのものを問い直す方向に向ける方がよいのではないか。
 マスレベルの災害と、個人にふりかかる災害の差を考えさせられるエピソードがあった。家が全壊した中学生の話だが、その瞬間に、遮光カーテンの隙間から 閃光が差したので、UFOが来たと思った。恐怖で布団を被り身をひそめたが、布団の上に次々物が落ちてくるのをエイリアンが飛び跳ねていると信じたと言 う。拉致されるのだと凍えたが、状況が収まってからようやく地震とわかり、家族が無事を確かめ合って集まった時、ひとり嬉しそうにニコニコしていたという のだ。地震とわかった途端、「他の人も経験している、自分ひとりの経験じゃなかった」という安堵と歓びが湧き出たという。
 性虐待のサバイバーたちは、まさにこのような体験をしてきた。誰にも信じてもらえず、自分自身事実かどうか不確かな状況を、たったひとり生かされるのだ(サバイバーたちは「死を生きる」と表現する)。今後、人災についても十分に考えていかなければならないと思う。
 越智氏以外の原稿は、何らかの形で心のケアに関わった者が手記という形で印象をまとめてくれたものである。植田昭一氏は元の職場でご一緒していた関係で あり、「震災こころのクリニック」開設の案内のFAXを受け、偶然お名前を発見して驚いたが、原稿を寄せて頂けたご縁を嬉しく思っている。羽下大信氏は、 「カウンセラーズネット・東灘」の経験から、黒木賢一氏は御自身の被災体験からまとめてくださった。羽下氏、黒木氏とは、コラムを寄せてくれた村本詔司氏 代表の人間性心理学会「災害と人間」部会で、3月発足時よりご一緒させて頂いているが、被災地の只中で専門家として、同時にトータルなひとりの人間として きめ細かく配慮の行き届いたケアをなさっており、いつも頭が下がる思いである。
 古澤聖子氏、窪田由紀氏、菅野泰蔵氏は、臨床心理士会のボランティアとして遠方より来られた経験から原稿を寄せて下さった。それぞれ、ひょんなことから 知り合ったのだが、いつも、貴重な角度からの視点を頂き感謝している。井上昌代氏とは、これまでも「小児心身カンファレンス」でご一緒してきたが、2月初 め神戸YWCAで行われたNOVAの講演会で偶然出会い、情報や資料を頂くなど、お世話になった。長谷川浩一氏のことは、大阪YWCAを通じて1月末の時 点でお名前を伺っており、その行動力の速さと規模の大きさに内心驚かされていたが、今回松山で行われた人間性心理学会でお目にかかることができ嬉しく思っ ている。
 第二章は、主に子どもたちのことに絞ってまとめてみた。子どもたちこそ、心のケアが日常生活のレベルでもっとも必要とされる存在かもしれない。実は、震 災の3日前、神戸YWCAで行われた講座に招かれて子連れで出掛けた折りに、隣接する王子動物園に行ったのだが、この特集をまとめる前に、もう一度子ども たちと動物園に行ってみたいと内心思い続けていた。震災後に子どもたちが「動物たちは大丈夫?」と心配していたこともあるが、私自身が何かを確認したかっ たのだと思う。隣でYWCAのボランティアたちが必死の救援活動をしていることを知っているだけに、「動物園に遊びに行くなんて」と後ろめたい思いに苛ま れつつ、先日ついに行ってきた。いつもに比べれば、人気は少なく、動物のいない檻もあったが、人々の希望を託したかのように「赤ちゃん誕生」の表示がたく さんあった。「震災はどうでしたか?」と見知らぬ者同士、自然に会話もあった。火災が多かった地域で、子どもとともにようやく退院したところだという家族 もあり、それぞれがそれぞれの思いを抱えて来ているのを感じた。何だかとても嬉しかった。そう言えば、戦時中、死なざるを得なかった動物たちの悲しいお話 がいくつもあったことを思い出した。子どもや動物に優しい社会は、きっと弱者に優しい社会なのだと思った。
 西澤哲氏とは、これまでも虐待の問題を通じてご一緒し、随分とお世話になってきたが、子どものPTSDとその対応について専門的なことをわかりやすくま とめて下さった。震災以前からPTSDに対する心理療法を行ってきた数少ない治療者の一人でもある。西澤氏はこれらのセラピーをアメリカで学んでこられた が、子どものPTSDに関する理解と取り組みが進むアメリカからの援助活動のひとつとして、次に西順子が「テディベア作戦」を紹介する。PTSDの概念 は、一部の専門家が危惧したような冷たい診断基準としてではなく、暖かいサポートを提供する理論的枠組として使うことができる良い例であると思う。
 保田維久子氏は、保母たちが震災との関係で、子どもたちへの対応を悩んでいるのでアドバイスが欲しいとのこと、2月初め、「子ども情報センター」を介し て知り合った。簡単な情報提供をし、困ったことがあればいつでも相談に応じたい旨伝えたが、アンケートをとられたり、講師として招いて下さった折、保母さ んたちから子どもたちの様子や対応を聞かせて頂き、たくさんのことを学ばせて頂いた。原稿を読んで頂くとわかるように、子どもたちのメッセージを受けとめ ようと心を砕く保母に恵まれた子どもたちは、どれほどの安心を得たことだろうかと思う。
 利根川雅弘氏とも、虐待の問題を通じて以前よりご縁があり、震災後いち早く連絡が取れ、神戸の様子をそのつど知らせて頂いていた。兵庫県臨床心理士会か ら小学校の中に入っていき、グループワークの枠を得て、工夫してプログラムを作った経過を報告してくださった。「将来、被災地を支えるのは今の子供達で す」という最後の一文が胸に響く。
 倉石哲也氏とは、西宮YMCAとのつながりを通じて知り合い、「避難所へのレクリエーションサービス」へは、当研究所のスタッフたちも何度も参加させて 頂いた。避難所の子どもたちに遊びの場を提供すること自体、子どもだけでなく大人に対しての援助でもあるが、YMCAのリーダーたちの持つ力をうまく活か してコーディネートした倉石氏の役割は、専門家の関わり方の重要な可能性を示してくれる。
 前村よう子によるインタビューは、それまでも関わりのあった小学校の教諭を通じて、学校の様子、子どもたちの様子を教えてくれる。NOVAのマニュアル に従ったディブリーフィングが非常に有効であることを確信させてもらったのも、このつながりからである。子どもたちを日常的に支える親や先生方の力、役割 の大きさを考えさせられる。
 この章では、さまざまな形で、子どもたちの日常に働きかけていった専門家たちの姿が見えてくる。教師をはじめ子どもたちと関わるプロである地域のキー パーソンを支える臨床家の役割を、コミュニティ心理学の山本和郎氏(『コミュニティ心理学』東京大学出版、1986)はスーパーバイザーと呼ばず、コンサ ルタントと呼ぶが、このようなシステムをもっと日常的に取り入れていく必要があるだろう。
 第三章は、女性の問題を集めた。一節の「震災を生き抜く女たち」では、震災下の女性たちの姿が見えてくるようなものになったと思う。ファミリーサポート 協会の武田芳子氏とは、これまでよりネットワークとして関わってきたが、「震災を語る会」をはじめ、さすがにこれまでの活動の延長にある適切で自然な活動 を展開されてきた。常に女性の視点に立った活動をなさってこられた先輩として、いつも尊敬の念を抱いている。
 東山千絵氏とは、震災後、電話相談を開設した機関のネットワークで知り合った。相談電話がほとんどかからなかった他の機関と違って、多数の相談を受けた 理由は、「女の心と体の相談」というそのネーミングのうまさにあったと聞いたが、その後、新聞や雑誌を通じて性被害や子どもの虐待などについて訴えてくだ さったことは意味があったと思っている。とくにレイプについては、流言飛語とも言われたが、デマもあったにせよ、すべてを流言飛語と言うことは、実際に あった被害者たちを抑圧する。実は、これは日常の焼き写しである。
 避難所の一人の女性にインタビューを試みてくれた川畑直人氏は、「被災地での臨床心理士の役割を考える会」の代表であり、震災直後より避難所に泊り込ん でボランティア活動を行ってきた。「考える会」のニュースレターは、その都度、情報提供や問題提起など重要な役割を担ってきたと思う。「考える会」のメン バーと共通のテーマを持って再会できたことを嬉しく思っている。避難所の女性の声は、ともに生活してこそ聞くことのできた貴重なインタビューであったと感 謝している。
 吉村薫がインタビューさせて頂いた上伸まさみ氏は、新聞のコラムに始まり、ネットワークの「うみづな」やライターである松野敬子氏を通じて知り合った。 同じく小さな子どもを抱える者として、子どもを亡くした親、親を亡くした子どもをイメージすることは、思考停止に終わるほどの恐怖であるが、それも避けて 通ることのできない残忍な震災の一面である。私たちに語ってくださったことを感謝するとともに、読者と一緒に、ひたすら心を合わせて祈れたらと思うばかり である。
 前村と西による助産婦(毛利氏、赤松氏)へのインタビューは、すでにニュースレターでおこなった「シスターフッド」の特集(『FLCネットワーク NEWS LETTER No.14』、1995年7月)の続きでもあるが、震災を生き抜く女性たちの逞しさ、力強さを感じさせてくれ、励まされる。女性であることを誇らしく感じ る節に出来上がっていたら嬉しい。
 2節は、女であることをさらに掘り下げた時に見えてくる現実が浮き彫りにされている。ふだんよりお世話になっている兵庫県立女性センターから川畑真理子 氏が、女性問題相談の現場からまとめてくださった。弁護士の宮崎陽子氏と岩永恵子氏は、普段からお世話になっている宮地光子氏を通じて紹介していただい た。昨年も原稿を頂いた中野冬美氏とはセクシュアリティの問題を通じてご一緒することが多かったが、今回は、こんな形で原稿を頂き、感謝している。無理に お願いして申し訳なかったが、貴重な問題提起をして頂いたと思っている。
 この節は、震災を通じてよりくつきりと浮かび上がった女性の人権の現実と直面させられ、重苦しい気分や無力感を振り払うことはできないが、女性の問題に 関わるとき、あるいは震災の問題に関わるとき、やはり避けて通れない部分である。震災との心理的距離が近ければ近いほど、その体験を文章化する作業は、痛 みに満ちた時間とエネルギーを費やすものとなろう。コラムを寄せて下さった方々を含め、このような状況で原稿をまとめてくださった皆様に感謝している。こ こで提起されたことが、何らかの形でどこかに根づき、忘れられることなく時間をかけてゆっくりと育ってくれればと願う。
 3節の性の問題は、どうしても取り上げたいテーマだった。性の問題はタブー視されるために、いつもないことにされ、被害にあって泣き寝入りするしかない のが女や子どもであるから。「限界状況が常態をえぐり出す」とすれば、必ずや性被害の問題はあるはずだと思ってきた。非常時には、どうやら人間の良さと悪 さの両面が極端な形で突出するらしい。日常では信じがたく美しい話もあれば、日常では信じがたく醜い話もある。ただし、性の問題をどのような形で取り上げ るかはとても難しい課題だった。他のことにも増してプライバシーが守られなければならず、曖昧な形でしか伝えられないからだ。最終的には、長く若者や女性 の問題に関わってこられた婦人科医である林知恵子氏へのインタビューと、「性を語る会」のメンバーを交えた座談会の報告という形を取った。性を取り上げる ためには、やはり震災以前から性を語る土壌がなければならなかったのだと改めて思う。考えてみれば、あまりにも当たり前すぎることではあるが、災害時、即 座に性の問題に対処できるためには、常日頃から性の問題に対処できる体制を整えておくほかない。
 第四章は、コミュニティと救援サービスについてである。震災後のボランティア活動を通して、YWCAやYMCAなどの機関の働きぶりには本当に感嘆させ られてきた。地域に根ざした救援活動を行った機関は他にもたくさんあったことと思うが、当研究所と関わりのあった部分に限って、是非ともその活動を紹介し たかった。ボランティアのプロだけあって、本当にたくさんのことを教えて頂いたと思う。
 すでに何度も触れてきたように、神戸YWCAとは、4月より東京へ転勤された寺内真子氏を中心に、ここ数年来関わってきた。震災直前に伺ったこともある が、何と言っても特別な思い入れがある。物理的な条件から何もお手伝いできなかったことはとても残念なことだったが、通信物を通して、前田圭子氏、金子・ 神村麻美氏をはじめ神戸YWCA救援センターのメンバーには、たくさんのものを頂いた。今回、金子・神村氏の手記をまとめて紹介させて頂き、それを読者と ともに分かち合うことができたことは本当に嬉しい。『世界』(岩波書店、1995)の10月号で、「阪神復興と人権」という緊急提言がなされたが、金子・ 神村氏の手記と合わせて読むととてもわかりやすい。人権抜きの「こころのケア」、人間抜きの「まちづくり」がいかに空虚であるかよくわかるだろう。
 大阪YWCAは、近所でありながらなかなかお伺いすることもできずにいたが、今回企画してくださったたくさんの講座に参加させて頂き、貴重な情報を頂い た。金香百合氏や鹿野幸枝氏にはいろいろとお世話になった。ボランティアのコーディネートはもちろんのこと、講座の企画という点でも重要な役割を果して下 さったと思う。岡田幸之氏は、とくに「こころのケア・ネットワーク」を中心にまとめてくださったが、キャンプをはじめ、さまざまなイベントに対しても、き め細かな「こころのケア」を意識した新しい取り組みをされたことを聞いている。
 西宮YMCAとは、この震災を通じて、初めてつながらせて頂いた。小さな子どもを抱え、また日常の業務を停止することもできない私たちが動ける条件は、 事務所にいたままできることと、日帰りで行ける範囲の場所に拠点を持つ団体に関わらせていただくことに限られた。混沌とした状況のなか7日目にようやく 入った西宮を歩き続けてたどり着いたのが山口元氏のところだった。西宮YMCAは「ボランティア救援センター」とも呼ばれたそうだが、まさに、私たちも救 援して頂いたと言える。即座に暖かく受入れてくださり、状況に合わせて臨機応変に使ってくださる山口氏の才覚あっての「ボランティア救援センター」であっ たろう。ボランティアに行くと、必ず朝の会があり、仕事の割り振りや注意事項の確認がある。最初期より、スタッフの方が「ぼくたちは、物資をもって心を届 けるのです」と言っていたし、必ず複数で行動すること、自分の身は自分の責任で守るようにと呼びかけていた。また、「150年続いてきたYMCAのボラン ティアの歴史に誇りを持って」とも言われていたが、実際、YMCAのゼッケンをつけて町中を移動すると、必ず「先日は本当にありがとうございました」と頭 を下げてこられる方々がいた。初めは戸惑ったが、YMCAに対する感謝だった。災害後一から新たな関係をつくるのではなく、地域と深い信頼関係のある機関 でボランティアをさせてもらう利点を感じた。お忙しいなか、山口氏から原稿を頂けて嬉しい。きっと、読者の皆さんにも氏のユーモアや人柄が伝わることと思 う。
 精神衛生支援団体は、この震災をきっかけに結成された団体だが、ここからは、やはり、講座と情報提供という形でお世話になった。また、坂本安美氏を通じ て、テディベア作戦のお手伝いをさせて頂けたことは、第二章で西がまとめたように、子どもの問題に関わる当研究所にとっても示唆に満ちた貴重な体験となっ た。
 地域に根ざした救援センターの必要性を感じるなかで、西が女性の救援機関を二箇所取材させていただいた。社会的弱者を目に触れにくい遠方に隔離して、あたかもないものにしてしまうような政策でなく、むしろ、弱者を中心にした街づくりをして欲しいものだと切に願う。
 かなりの紙面を割いて、原稿を寄せて頂いた方々との関係を紹介することになってしまったようだ。読者の方々は、関心のない部分は飛ばし読みなさるだろう なと思いつつ、敢えて、私もしくは当研究所との関わりを詳しく書いてきたのも、きっと、今回の震災を通じて、あらためて人とのつながりやネットワークが持 つ力の大きさを信じるようになったからだと思う。
 常に世界各地で大きな出来事が起こっているのも事実だが、戦争を体験していない世代にとって、歴史的な大惨事がこのように直接わが身にふりかかってきた のは初めてのことだ。そういう意味では、良くも悪くも時代を共有し、それを生き抜く責任をも共有している。震災の経験の違い、立場の違いに関わらず、時代 を共有するものとして、ともに生き抜く他ないのだ。
 未知の人との新たな出会いばかりでなく、既知の人とも新たな出会いに恵まれて、不思議なご縁に感謝の気持ちが沸いてくる。共に生きる仲間として、つながりを大切にしたいと強く思うようになったことは、震災の前と後とで同じではない嬉しい変化のひとつである。
 最後になったが、コラムを書いてくださった皆様と毎年表紙、イラストをデザインしてくれる村本順子さんにも感謝します。

『女性ライフサイクル研究』第5号(1995)掲載

1995.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第5号(1995年11月発行)

特集《阪神大震災─女の視点から捉え直す》


report05.gif1995年1月17日、戦争を体験していない世代にとっては、初めての歴史的大惨事の経験ともいえる阪神大震災が起きました。既に数年が経っており、建物 は修復され、表面的には復興が成し遂げられたかのように見え、世間の関心はだんだんと薄くなってきているかのように思われます。しかしながら、個々人の心 のなかでの復興、つまり、震災の経験をどう自分のものとして生き抜くかについては今なお、途上にあると言えます。本書は、あまり取り上げられることのな かった女性、子どもの視点から阪神大震災を捉え直したものであり、この震災を心に留めておくためにも、また援助する側にとっても貴重な1冊であると思いま すので、ぜひ、ご一読ください。

〈内容〉


1 阪神大震災と「心のケア」
災害と精神療法
震災こころのクリニックの試み
失われた者へ捧げる見えない踊り
「心のケア」の語について
スピリチュアリティ(霊性)の目覚め
神戸を訪れての想い
被災地で受けたおもてなし
おばさんの怒り-被災地の女性たち
震災に思ったこと
心のサポート・ミッションの活動

2 震災とこどもたち
子どものPTSDへの治療的接近-ポストトラウマティックプレイを中心に
テディベア作戦の紹介
子どもたちのメッセージが見えていますか?-阪神淡路大震災を経験して、保育所で何ができるのか?
絵によるグループ・ワークを試みて
避難所へのリクレーションサービスを通して
小学校教員から見た子どもたちの日常-インタビューを通して

3 震災と女たち
1.震災を生き抜く女たち
女性の語らいの中から見える阪神大震災
女性のための電話相談を開設して
インタビュー:女性の目から見た震災と避難所
インタビュー:わが子を亡くした痛みを抱いて
インタビュー:助産師に聞く
      被災体験の中で妊産婦として考えたこと
      助産院の夢と助産婦たちのシスターフッド
2.震災と女性の人権
相談現場から見える女性問題
阪神大震災を通じて見えてくる女性の人権
母子家庭のサポートを試みて
3.震災と性
インタビュー:婦人科医の立場から震災下での生と性を語る
座談会-被災地の性を語る

4 コミュニティと救援サービス
神戸の街とともに
大阪YWCA・心のケア・ネットワークの取り組み
西宮YWCAの救援活動
精神衛生支援団体
女性救援サービス機関と震災


B5判、約200頁 1,000円

〈掲載論文〉
「こころのケア」と人権と... 村本邦子

>>朝日新聞1995年12月2日で本書が紹介されました。


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1994.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
表現と「力」

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 この年報も4号となり、研究所を開設してまる4年、5年目に入った。何かできたらというささやかな想いで出発したが、ふと気がつくと、活動範囲は 着実に拡がり、方向性もはっきりしてきたように思う。経済的な基盤、日常の運営については、悩みが尽きないけれども、社会に対して発言したり、自分たちの 思いを表現したりする機会は確実に増えた。こうして書いたものが印刷されてばらまかれ、講演や講義などの形で不特定多数の人々に向かって話をする機会を持 つようになると、そこで表現されたものは、私たちが個人レベルで考えたり感じたりするものを越えていくことになる。ある意味で、それは「力」を持つことだ と言えるだろう。
 この「力」は、私にとって脅威である。昔から不特定多数の人と話すのは苦手だった。一対一の関係では、すれ違いや誤解があっても、ある程度までなら取り 返しがつくし、自分の失敗を償うこともできる。もちろん、決して償うことのできない過ちもあるが、それを極力避けるように努力することは少なくとも可能で ある。ところが不特定多数との関係は一方通行で、自分の表現したものがどのような形で相手に届いたのかを確認しようがない。受け手がそれを「よいもの」と して受け取ってくれれば、あるいは何ら影響を及ぼさないものとして受け取ってくれればまだよいが、それによって誰かが傷ついたり、自分が貶められたように 感じたり、何か悪いことのために利用されることだってあるかもしれない。仮にそれを確認できたとて、それらすべて責任を負えるかと言うと、たぶん不可能だ ろう。誰かとの関係で非対称な「力」、一方的な「力」、責任を担いきれない「力」を持たされることは、だから私には恐怖である。
 でも、この「力」に喜びが伴うことがある。それは、たとえば、私の知らないところで誰かが私の表現を受け取り、それを育ててくれたことを知った時。こち らでは誰であるかよくわからないような人が、「あの話を聞いて、あの文章を読んで、とっても心に響くものがあって、私はこんなことをやるようになったんで す」なんて言ってくれると、嬉しくなって胸が躍る。自分の思いを誰かが受けとめてくれて、まったく思いもよらない形で展開してくれるとすれば、自分の思い が自分から離れて新しい生命を持ったことになる。また、たとえば私たちは2年ほど前から、性虐待の防止教育に取り組んできたが、これもさまざまな形であち こちに拡がった。規模としてはもちろん微々たるものではあるが、それでも、自分たちが全国の家を一件一件訪ねて回って話をすることなどできないのに、こん なふうに拡がりを持つという形で、虐待防止について意識を持つ人が一人でも増え、子どもたちが一人でも救われるとすれば、それもやっぱり嬉しい。
 それでも、やっぱり「力」を持つ者がちやほやされる文化の中にあって、「力」を持つことは恐怖だ。「力」を持つと、その周りに虚構が多くなって、「本当 のこと」が見えなくなったり、「大切なもの」を失ったりしやすい。「力」がその人から離れて存在するようになると、人々がその「人」にではなく「力」に群 がってくるようになるからだ。そうすると、その人は否応なく、個人として存在するよりも、「力」の象徴として存在させられるようになる。虚構が大きくなれ ばなるほど、つまり「力」と「人」のズレが大きくなればなるほど、「力」の責任は個人で担いきれないものとなる。「力」を持たされた者が、そのズレに気づ き、それを修正していくことができるのかどうか、私は懐疑的である。それは、とても不幸な事態だと思う。
 そんなことを考えていた頃、マスコミやミニコミで「差別と表現」がテーマになっているのが目に入るようになった。正直、ギクッとした。私はどちらかと言 えば個人主義的に生きてきたので、自分の目の前に差別が見えたら異議申し立てしてきたつもりだが、意識的に学んでいかなければ個人的には知りえない歴史 的、社会的差別には疎かった。遅ればせながら少しずつ勉強するようになったが、まだまだ勉強不足で、そのことにある種の劣等感、罪悪感を持っている。意図 的な差別はもちろん論外だが、こういう文脈にあっては、意図せぬ差別を自分が行う可能性が生じてくる。つまり、個人レベルでは責任のない出来事に対して、 歴史的、社会的存在として自分が投げ込まれたところにたまたまあった責任を担わせられるのである。この「たまたま」投げ込まれたところに差別や抑圧でな く、責任があるというのは、マジョリティであったことを意味している。ここでも、また「力」の問題がつきまとう。マジョリティであることは、意図せぬ 「力」を持たされることである。
 差別と抑圧の構造の変数は数限りなくあるから、人は状況に応じてマジョリティであったりマイノリティであったりするが、その総計から差別構造のどのへん に自分がいるかというアイデンティティが規定される。つまり、自分が社会的弱者であるとか、強者であるとかいった認識が生まれてくる。ところがこの変数に 無自覚でいると、弱者のアイデンティティを持つ者がある時ふと強者の側に回ったり、その逆のことが生じても、それに気づかないということもあるのだ。たと えば、子育てにおいて。子どもを育てるということは、否応なく親として、大人としての「力」を持たされることだ。この事実を認識できない時、虐待が起こ る。虐待が起こる時、ふつう虐待者は被害者意識を抱えており、(それが可能になった時)その埋め合わせに、「力」を行使して衝動的な他者のコントロールを 行い、ひとときの「力」の幻想に酔う。だから、強い抑圧を受け続けてきた者が、状況の変化によっては自分も強者になり得るのだと認識できない時、今度は抑 圧する側に回ることもある。
 こうして「力」のピラミッド構造ができあがる。誰もが多かれ少なかれ、自分より下にいる誰かを踏み台にしているわけだ。この「力」に基づく社会にあって は、ほとんどの場合、人は誰かから抑圧され、同時に誰かを抑圧している。もちろん、だからと言って、その罪が帳消しにされるわけではなかろう。ピラミッド の上層部にいればいるほど、意図せずとも踏みにじっている人々の数は増え、それだけ罪深くもなる。自分の投げ込まれたところにすでにある差別や抑圧、もし くは「力」と責任は、どちらも宿命であるが、その決定的な違いは、前者は選択の余地なく背負わされるのに対して、後者は、それを背負うか否かは自由意志に よる選択が可能であることだ。
 本当の自由は、自分の宿命の無自覚と無関心のなかにはないだろう。逆に、自分の投げ込まれたところにつきまとう宿命の自覚と、そこから解き放たれようと する意志のなかにあるのだと思う。だが、ここでまたしても「力」の問題が足をひっぱる。意志や選択や自由は、「力」を前提にしているからだ。結局のとこ ろ、自由は、自分に対する責任は言わずもがな、他者に対する責任をも内包していることになる。
 このようなところから、本特集を企画することになった。第一章では「表現と自由」一般について論じる。私自身、「表現の自由」という表現は、今や強者の 逃げ口上としてのみ使われるので、あまりに白々しく感じているからこの表現を避けた。「表現の自由」が切迫感を持って響くとすれば、それは非常に危険な状 況であることを意味するだろう。本来、「表現の自由」という言葉は、社会的弱者のためのものだ。目次を見ればお気づきのように、この章の書き手は、当研究 所に関わる者のパートナーである。3組のカップル(越智、西、村本)だが、このメンバーでは、大概は女性陣と男性陣に分かれることになって、何度か議論を した。
 一番難航したテーマは、西晃氏が「抗議する側の倫理」を強調しようとするように私たちには見えたことだった。それは、もちろん大事なことだけれども、そ れを言う以前に抗議を受ける側の倫理を考えるべきだと私は思っている。そのやり取りの中で、図らずも、抗議する側の困難さを体験することになった。私自身 は、いつも編集にあたって、書き手に書いて欲しいことが明確にあるわけではない。自分なりの筋書きはある程度あって出発するにしても、さまざまな書き手 が、期待されたテーマをきっかけに、編者の意図を超えて、新たな表現を展開してくれることを切望しているし、それが喜びでやってきた。だから、一定の結論 に向けて、書き手を力づくでねじ伏せようとは毛頭思っていない。ただ、初めに述べたように、印刷物を出すという意味では、不特定多数の受け手に対して、で きる限り責任を負えるような編集をするよう努力したいとは思っている。ところが、議論を吹っ掛けられる男性陣は、そういったこちらの思いを、「検閲」のよ うに受け取るようだった。
 そもそも編集者としての私には、客観的に言ってたいした「力」はない。財政的にはいつも苦境に立たされているし、世間からは「わけのわからないことを やっているうさんくさいところ」と見られたり、無視されることもしばしばである。ましてや、原稿料が払えるわけでなく、執筆者に対して、どのような「力」 が行使できるのか。そんな中で、西晃氏からおもしろい発言が飛び出した。「僕は、自分より村本さんの方が強者だと思っている。僕なんか吹けば飛ぶような存 在だ。」と言うのだ。私自身を含めて一同、妙に納得したのは事実だが、そこで言われているのは、非常に内面的な(主観的な)「力」だろう。仮に、多額のお 金が必要になったとして、弁護士である彼にはお金を貸してくれる所があるだろうが、私に貸そうというところはまずないだろう。女であり、大きな組織に所属 しているわけでもない私には、哀しいかな、夫の後ろ盾がなければ部屋を借りることすら不可能だったし、クレジット・カードをつくってもらうこともできな かった。社会的信頼、地位といったことでは彼の方が強者であることは間違いない。
 一方で、内面的な「力」、自己主張の強さとか、自尊心とか、議論する力などについて言えば、確かに私の方が強者になるのだろう。私自身は誰かを「力」で ねじ伏せようと意図していなくても、相手が自分自身の内面的な「力」を評価できない時、黙ってしまう、主張せずに従ってしまうという形で、結果的に相手が 抑圧されるということがあったと思う。このような状況では、そもそも対等な議論自体が不可能だろう。初めに述べた「力」に対する恐怖は、私のこういった過 去の苦い体験の積み重ねを引きずったものかもしれない。自己主張しないように奨励されている文化にあって、主張することは、ましてや女として主張すること は、非常にネガティブな結果を引き起こすから。
 「力」にはたくさんの次元が交錯している。客観的に言って、社会的「力」を持つ者がその「力」を認識しない時、意図せぬ抑圧が起こる。たとえば若い頃に は批判精神旺盛で権力に反発し続けてきた者が徐々に評価され、社会的「力」を持たされているのに、それに気づかず、相変わらず自分は一匹狼だ、マイノリ ティだとしか認識できない時。筒井康隆の一件では、彼が自分を「ブラック・ユーモアの作家」と認識しながら、その作品が教科書に載るというギャップなど は、こういう例だろう(彼が差別表現をしたか否かということよりも、その後の姿勢を指す)。
 越智裕輝氏は、表現者の問題とくに社会的「力」を持つ者として、専門家や知識人、文化人と称される人々の倫理的責任について論じるとともに、受け手の問 題についても言及する。つまり、差別とは個性が分化した差異の自覚のないところに生じる全体主義であり、ファシズムや戦争といった事態を避けることができ るためには、表現する者とその受け手の双方の成熟を必要とすると言えるだろう。
 西晃氏は、最終的には、できる限り中立的な立場で、表現と抗議に関して法的にはどう理解されているかをわかりやすく説いてくれた。「国家・社会的利益」 という考え方は、ふだん法的なことから遠い私たちには馴染まない概念であるが、「福祉」と置き換えるとわかりやすい。法的な思考様式や手続きを知ること は、弱者の戦略として有効だが、マッキノンが指摘するように、法の上の「人」が何を指すか、「福祉」が誰のものか問いなおすことから始めねばなるまい (K.A.マッキノン『フェミニズムと表現の自由』、明石書店、1993)。
 「抗議」については、若干の補足を加えたい。自分たちの議論で感じたのは、抗議する側、される側の心理をもっともっと細かく分析する必要があるというこ とだ。それは「抗議する側の倫理」としてではなく、むしろ「抗議する側の戦略」として役立つだろう。たとえば、自分自身、抗議や糾弾を受けるかもしれない 側に立つことをイメージすれば、それに対してネガティブな感情が沸いてくる気持ちもわからなくはない。それは、たとえば、これまで疑いもしなかった価値観 を崩される恐怖(これは強者の論理から言えば、非合理的と思われる論理を押しつけられる恐怖として体験されるだろう)、自分が成してきた様々な表現のう ち、たったひとつの表現でもって自分が置き換えられ、それ以外の自分(個性)は無視されてしまう、極端に言えば、抵抗の余地なく圧倒的な力に抹殺される感 じ(本当はこれらこそ、強者が弱者に押しつけてきたものだったが)などなど。自分の「力」に対する責任を無視して生きていればそれだけ、これらの恐怖は妄 想のように大きく膨れ上がる。
 逆に、抗議や糾弾を行う側に立つならば、問題となった表現に対する修正を求めると同時に、そんな表現が生まれてきた土壌を問い質し、考え直して欲しい、 わかって欲しいという気持ち(これは人として当然の感情であろう)、それに対して抗議や糾弾を受けた側、が上述したような恐怖から、頑なにそれを拒否しよ う、あるいはそれから逃げたり誤魔化そうとするならば、だんだんとその感情は怒りに変わり、攻撃的行動にもなるだろう。さらに極端には、ひとつの差別表現 を成した特定の個人が、差別全体のスケープゴートになるかもしれない。
 抗議される側の恐怖については、「Y氏のセクハラ事件」に関する一連の流れを私なりに見てきた中でも痛感したことだった。身近な人が、その流れをよく知 らないまま、たとえば大越愛子氏らが東福寺に意義申し立てしたことを指して「あれは集団リンチだ」「ヒステリックなこわい女のいじめ」などと言っているの を聞くと、抗議行動が起こった時に、人々がどんな反応をするかよくわかる。私自身は、この事件と直接何の利害関係もないが、新聞報道を注意深く追っていく と、どちらが感情的に支離滅裂な行動をとり、どちらがあくまでも冷静に論理的に行動してきたかがよくわかるし、大越愛子氏がこれまで思想的に深めてきたこ とを、現実につなげて速やかに行動したことなど、研究者としての誠実さだと高く評価してきた。やはり、抗議する側の倫理よりも、受け手の倫理が問題なのだ と痛感する。たとえば、部落解放同盟の糾弾に関しても、発言しているリーダーたちの言っていることは、まったく筋がとおっている(たとえば、山中多美男 『ここが大切!人権啓発』解放出版社、1992)。
 これらの思い込みやすれ違いをどうやったら解きほぐしていくことができるのか、「筋がとおっている」だけでは太刀打ちできない現状をどう変えていけるか、戦略としても今後もっと考えていければと思っている。
 第二章は、「抑圧と表現」とした。正確には、被抑圧者の表現を取り上げたかった。とくに、子どもと女性の問題を取り上げた(子どもに書いてもらったわけ ではないので、大人の立場から、子どもを代弁することになった)。長年、吃音者のセルフ・ヘルプ・グループのリーダーシップをとってきた伊藤伸二氏や、子 どもの心理治療に関わってきた市川緑氏の描写から、抑圧を受ける子どもやその親たちの姿が浮かび上がってくる。抑圧されてきた者が新たな抑圧を生まないた めにも、子どもを取り巻く大人たち、とくに親や教師たちにとって、抑圧からの回復と解放は課題になる。子どもを取り巻く学校や教師の問題についてと、女性 の怒りの表現については、当研究所の前村よう子と西順子が、それぞれ自分の体験を交えて論じた自己表現と自己肯定によるエンパワメントが必要ということに なろうが、精神科医である越智友子氏から「主体を損なわれた者に表現は可能か」という根源的な問題が提示されることになる。一章で村本詔司氏が論じたよう に、そもそも「表現」は、すでに個の確立を前提にした概念だから、主体と客体、あるいは内界と外界という二元論に基づく限り、抑圧によって主体を損なわれ た者にとって、そもそも表現すること自体が不可能になる。行き着く先はまだ漠然としているが、「表現」の概念自体を解体し、二元論を超えていくところから 新たなシステムが生まれてくるのかもしれない。
 第三章は「創作と表現」である。主体があって客体としての表現作品が生まれるという二元論を越えていくためには、主体と客体を切り離して論じることがで きない創造領域について考えてみたいと思った。イラストレーターのY・Aさん、サックスのMASA、劇団『青い鳥』の芹川藍さん、墨絵のおぎようこさんと いったさまざまな表現活動をしている女性たちの姿を紹介することで、創作とその人との深い結びつき(主客の一致)を感じてもらえればと思う。「言葉」の問 題も取り上げてみたいと思ったが、「言葉」による表現につきまとう一致と不一致をとくに「詩」の形で、原祥雄氏と白川比呂樹氏が論じてくれた。原氏は現在 は編集に関わる仕事をされているが、これまでもミニコミ誌の編集や自ら詩、小説を発表されているし、白川氏も詩人として創作活動をしてきた人である。
 第四章は「セクシュアリティにおける表現と自由」とした。表現のことを考える時に欠かせないテーマであると思ったからだ。とくに性の領域においては、女 性はいつも表現の対象であり、主体を持たされずにきた。この喪失を取り返すのは非常に困難である。どうやら、単純にこれまでのパターンを裏返して、女が主 体となりかわれば解決するわけでもなさそうである。それでは一体どうしていけるのか、モデルがないだけに私たちは途方にくれている。この章では、とくに女 性の性に関する誠実かつ気鋭の発言と活動をなさってきたお二人、敦賀美奈子さんと、中野冬美さんの原稿に加えて、座談会を盛り込んだ。一人一人違ったセク シュアリティのあり方を大事にしたいと思ったからである。座談会参加者にとっては、女だけで思う存分セクシュアリティについて語り合う貴重な場だったが、 その場で分かち持たれたことを十分に文字にできたとは残念ながら思えない。セクシュアリティに関して表現する、しかも言葉を使って表現するというのは困難 なことだ。それでも、女が女のためにセクシュアリティについて発言するという試みはまだ始まったばかりだから、多少、無様でもいいじゃないかと思ってい る。他の章の原稿と並べて、それができたことを嬉しく思っている。
 難しいテーマだったが、全体的に奥行きのある質の高い議論ができたのではないかと自負している。いろいろな点で編集は難航したが、編集者としては、結果 として十分に報われた気分である。一緒に最後まで辛抱強くこのテーマに取り組んでくださった執筆者たちに、この場を借りて心から感謝したい。また、名前を 挙げることはできなかったが、座談会に出席してくださった皆さん、快くインタビューに応じてくださった皆さん、「私と表現」に手記を寄せてくださった皆さ んにも感謝したいと思う。これは、当研究所と関わりの深い人たちに「ネットワークから」という形で原稿を寄せてもらったものだが、ひとつの章にまとめるよ りもコラムとして全体に散らす方がよいのではないかと思って、今号はこのような形にしてみた。それぞれの立場から読み応えのある充実した原稿を寄せて頂け て喜んでいる。それからいつも表紙や題字、イラストをデザインしてくれる村本順子さん(私の義姉である)、レイアウトに力を貸してくれた原祥雄さん、いつ もお世話になっている地水社さんにもお礼を言いたいと思う。こうしてボランティアで快く原稿を書いてくださったり、サポートしてくださる方々に支えられて ここまでやってこれたこと、また雑誌やニュースレターを講読して声援をおくってくださるみなさん、さまざまな形で私たちと関わってくださっている皆さんに も、スタッフ一同いつも感謝している。
 内容については、同時に、やはり、まだまだ不十分であることも痛感している。とくに
マイノリティの問題についての議論が十分にできなかったこと、「ポルノとセクシュアリティ」に関してもっと掘り下げて考えていけたらと思うが、今のところ力不足を感じている。先送りの課題としたい。ご批判や感想などいただけたら有り難い。

『女性ライフサイクル研究』第4号(1994)掲載

1994.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第4号(1994年11月発行)

特集《表現と自由》


report04.gif昨今、犯罪報道をめぐって、表現の「自由」を優先するか、それとも「人権」を優先するかが人々の関心を集めています。何によらず誰かの手によって表現され たことは、その個人を越えて力を持つこととなります。すると、意図するしないにかかわらず、その力は誰かの脅威となり得るのです。本書では、このような力 を持つ「表現」を、様々な角度から再検討しています。例えば、抑圧されている立場の子どもや女性にとって「表現」がどのような意味を持つのか、また、何か を生み出すことと「表現」との関係やセクシャリティの問題などにも言及しています。自分にとっての「表現と自由」について再考するためにも、本書をお薦め します。

〈内容〉


序 表現と力
1 表現と自由
「表現」の諸相と「自由」の度合いについて
表現のあり方と抗議のあり方をめぐって~法的視点から
表現と自由の思想的背景

2 抑圧と表現(子どもと表現/女性と表現)
1.子どもと表現
言語障害と自己表現~自己表現ができる子どもを育てるために
アグレッション(攻撃性)とその表現~子どもの臨床現場から
学校教育における子どもの「表現」と「自由」
2.女性と表現 女性と怒りの表現~怒りの抑圧と解放
女性と表現

3 創作と表現(表現する女たち/詩と言葉)
1.表現する女たち
2.詩とことば
言葉と表現~心の中にないものを言葉にして出してあげるために
表現・と・自由~個人的な体験から

4 セクシャリティにおける表現と自由
カミングアウトの政治学
やおい表現と差別~女のためのポルノグラフィーをときほぐす
覆面座談会:女が語る女のためのセクシャリティ


約160頁 1,000円

〈掲載論文〉
表現と力 村本邦子


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1993.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
特集 ダイエットから摂食障害まで 特集にあたって

村本 邦子

 摂食障害をテーマにして一度考えてみたいと思いながら数年が過ぎた。これが興味深い現代の奇病で あると思うからではなく、これはまさに「私たちの病」であると感じているからである。本特集の執筆者たちは、皆、我が国にも摂食障害が顕著に増加した高度 経済成長期とともに大きくなり、痩せ礼賛の風潮が強まるなか、ダイエット本やダイエット食品、シェイプ・アップ器具に取り巻かれた環境を生きてきた。そう いう私たちにとって、「ダイエット中よ」という会話は日常茶飯事だし、拒食、過食、嘔吐、下剤を使っての浄化すら、異常と言うよりはむしろ馴染みのあるも のだった。FLCワークショップで体やセクシュアリティについて語り合うと、自分も若い時は摂食障害だったという女性が少なからずいる。医療機関の世話に なった女性もいれば、健康を害するほど極端な行動は年齢を重ねていつのまにか消えたという女性もいる。現在もなお、摂食をめぐって苦しんでいる女性もい る。執筆者のうち数名も、過去に何らかの形で摂食障害を経験している。大袈裟だと言われるだろうか?「かつて摂食障害だった」と語る女性たちを、何らかの 相談機関にかかった経歴を持っていなければ専門家は軽く見がちであるが、実際にDSM III-Rの診断基準を満たしている場合も多い。

 美しくありたい、スタイル良くなりたいというありふれた願望から、健康を害し、生命を危険にさら すほどの病的な状態にいたるまで全般をテーマにしたが、私たちがこれらの背景にある原因がひとつだと考えているわけでは決してない。D.M.シュウォー ツ、M.G.トンプソン、C.L.ジョンソンは「神経性食思不振症は数ある病因の、最終的な共通経路である」と言っているが、これに賛成である。P.Y. アイゼンドラスは、本紙の論文を「もつれ」(Entanglements)と題しているが、まさに私たちの体こそ、数々の要因がもつれあう場所として選ば れるのである。それは何故か考えてみたかった。つまり、本特集は、摂食障害の背後にある個人の問題をさぐることが主眼ではなく(個々のケースにはさまざま な要因が絡んでいるだろう)、なぜそれらの問題が最終的に摂食障害という形を取るかという点に重点が置かれている。

 大雑把ながら摂食障害に関する文献を集めてみて、とくに医療や心理の専門誌に取り上げられている ものには、社会文化的側面に関しての考察が乏しい(考察はあってもそれが必ずしも治療に反映しない)という印象をまず受けたが、アメリカではフェミニズム の理論をも含めて、社会文化的側面に関する目配りがきいており、翻訳されたもののなかにすぐれた文献をいくつか見いだした。また、我が国でも、生野らによ る患者と家族の会、斉藤らによるセルフヘルプ・グループの実績は注目に値する。勉強するにつれて、今さら若輩である私たちが摂食障害について何か言おうと することが恥ずかしくもなってきた。しかしながら、初めに述べたような理由で、私たち自身も自分たちの問題として、これについて一度考えてみたかったので ある。

 数人の執筆者が触れているが、摂食障害の女性に治療者として関わりながらも、一方では「痩せてい る方が確かに美しい」と客観的に(と言うよりは現代文化の基準で)クライエントに価値判断を下している自分に気づいたり、私たち自身がふだん容貌にとらわ れていることに気づいてはっとする瞬間がある。女を容貌やスタイルで判断するのは、何も男に限ったことではない。この社会に生きる者として、私たち自身が 否応なく社会の価値観に取り込んでしまっていることを自覚することには、いつも痛みがつきまとう。私たちにとって、ひょっとすると、この特集の試み自体が セルフヘルプの意味を持っていたのかもしれない。

 光栄なことに、本年度はフェミニストでありユング派の分析家であるP.Y.アイゼンドラスによる 寄稿論文を掲載することができた。彼女は現在、主に摂食障害に専門的に関わっている。我が国ではまだまだ、精神療法の専門家とフェミニスト・セラピストと が相入れない状況であるが、専門性とフェミニズムが必ずしも反目しあうものではないということを知ることで、おおいに勇気づけられる。執筆者たちは、伝統 的な理論からも、フェミニズムの理論からも学ぶべきところは貪欲に学びたいと考えている。

 アイゼンドラス以外の執筆者たちは、この特集を書く準備として、何度か研究会を開き、また書いた ものについて互いにコメントしあった。家族療法を始め、馴染みのなかった治療法を学んだことはよい勉強になったが、身体摂食を伴うような治療法については 批判的である。アイゼンドラスやオーバックらのフェミニスト・セラピーについても勉強した。一回は、国立京都病院の臨床心理士で摂食障害を長年にわたって 経験してきた中村このゆさんのお話を聞いた。たくさんの症例を経験しておられること、とくに重症の摂食障害を扱ってこられたことから、外来では経験できな い事例について聞くことができた。中村さんたちは、近く摂食障害についての本を出版するそうである。

 市川と河合は現場で摂食障害のクライエントを多く抱えており、医療チームのなかの臨床心理士とし て、主として一対一の面接による治療を行っている。市川は小児科で心理療法のケースをあげて、コントロールという視点から論じている。摂食障害の子どもた ちは感受性が強く、他者の欲求や気持ちに過敏に反応し、結果として自分の欲求を抑え込んでしまういわゆる「いい子」であると言われるが、症状を通じて家族 をコントロールし、新しいあり方を探るという指摘は興味深い。年齢が低ければ低いほど、子どもを取り巻く環境、カルチャーとしての家族は大きな意味を持っ てくる。家族療法が効果をあげているのもそれゆえだが、家族というサブカルチャーにある「女の子」の意味を書換え、その力動を変えることが治療的に働くと 考えられるだろう。この場合、入院がひとつの枠組みとして機能していることにも注目したい。

 河合はそれよりも年齢がやや高めのケース、黒川内科で試みてきた「体重制限療法」を用いた外来治 療の症例を提示している。この場合の枠組みは、入院ではなく、入院を回避するための制限体重である。河合が「枠」を、この社会で女性に与えられた枠組みに 準えていることは興味深い。それが固定し融通性を失って問題が生じているわけだが、治療者とのギャングエイジ的なかかわりを通じて、与えられた枠組みを自 分なりに調整し修正していくことを学んでいく。あとは、社会のなかで自分に与えられた枠をどの程度受入れ、どの程度修正していくかという応用問題である。 この場合、ギャングエイジと言われているものは、P.Y.アイゼンドラスの言うところのピア・グループに等しいと思われるが、これもひとつのサブ・カル チャーと考えることができる。

 以上は臨床の場から見た摂食障害であったが、次は、もう少し一般的に見た摂食障害の問題を論じて いる。私たちは基本的に摂食障害を文化の病と捉えているが、ここでは、その文化を支え、また支えられている女性たちの心理に焦点を当ててみる。西は、主に 食と母娘関係について考察する。歴史的に言って、「食」と「母」が密接に結びついてきたこと、家族が役割分業をするようになって、母と娘の関係が複雑な意 味と絡みを含んでいることから、母が「娘なるもの」に囚われ、娘が「母なるもの」(食)に囚われていくさまを記述し、またどうやってそこから解放され得る かを示唆している。

 村本は主に女性と性について論じる。摂食障害は、自分の肉体や性を受け入れられないことと密接に 関係しているが、摂食障害の問題を抱えるか否かにかかわらず、一般的に言って、この社会では、女性たちが性を含む自分の体というものを受け入れることがど んなに困難であるか、一般の女性の声を拾いながら見ていく。とくに体の変化が著しく、摂食障害が起こりやすい思春期を中心に、その前後、女性たちが、現実 としてどのような心理的発達をしていくのかをたどりながら、摂食障害との関連を考えてみる。

 ここではさらに視野を広げて、文化のコンテクストに目を向ける。石原はまず、摂食障害と特別な関 わりを持たない一般女性と男性に、女性の体型についてのインタビューを試みているが、そこには、女性、男性ともに取り込んでしまっている理想の体型と現実 が二重にくっきりと浮かび上がってくる。次に、「ダイエット」という言葉や「痩身=美」という等式が人々の意識に刻み込まれていく過程を出版物の流れとと もに追っていく。スタイルのコントロールが西洋化のひとつとして我が国に取り入れられ、初めは医者たち専門家によって健康法として広められたが、80年代 になるとダイエットがファッションと一体になって、さらに大衆化していく。このような価値観を広めることに一役買った専門家やマスコミの責任が大きいこと が改めてよくわかるが、裏返せば、この社会を変えていくために専門家やマスコミは大きな力を持っており、これを生かすも殺すもひとりひとりの「意識覚醒」 次第なのだということである。文化に対する無力感、消極的現状維持の姿勢を問いなおしたいものだ。

 越智は摂食障害を文化の病として、とくに「倒錯と嗜癖」という観点から切り込む。現代文明の根底 には、一般的に「パワーへの限りない欲求」と無力無能な「内なる赤ん坊」が表裏一体となってあるが、とくに痩身がパワーと結びつく女性にあっては、これが 「受動的パワーによる完全な世界(他者)支配」という倒錯した形で表現されやすい。この場合、「保護する治療者」と「か弱い患者」という治療構造において は病理が強化されるばかりであり、むしろ患者その人こそが場を構成する重要な一員として機能する構造が必要である。摂食障害は従来の治療構造を超え、セル フヘルプ・グループ、あるいは治療者が治療者として機能しなくなるようなバラドクシカルな治療の場でこそ癒されるものであるという指摘は非常に重要であ る。市川・河合論文でも見るように、治療場面においても、治療者/クライエントという二者関係にではなく、治療者/クライエントを包む場、カルチャーとい う拡がりのある視点を持っていなければならないのである。

 本特集では、このように、摂食障害を特殊な人々の病気としてではなく、正常な人々と「陸続きにある"行動の偏異"」(越智)として、その陸自体を調べてみようとする試みであり、同時にその地質を変えるエッセンスの一滴にでもなればと不遜にも願っている。

文献

R.アイケンバウム、S.オーバック(1988)『フェミニスト・セラピー』(長田妙子、長田光展訳)新水社。
R.S.W.エメット編(1991)『神経性食思不振症と過食症』(S.W.エメット編、篠木・根岸訳)星和書店。
S.オーバック(1992)『拒食症』(鈴木二郎他訳)新曜社。
生野照子、新野三四子(1993)『拒食症・過食症とは-その背景と治療』芽ばえ社。
伊藤比呂美、斉藤学(1992)『明るく拒食、ゲンキに過食』平凡社。

『女性ライフサイクル研究』第3号(1993)掲載

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