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FLCスタッフエッセイ

2014.06.23 トラウマ
女性のトラウマとセルフケア

西 順子


 女性ライフサイクル研究所では、設立以来、「女性のトラウマと回復」を一つのテーマとして、トラウマ予防、介入、回復支援に取り組んできました。今回ここでは、トラウマからの回復のために必要な情報として、セルフケアの一部を紹介したいと思います。

■トラウマとその影響
 トラウマとは、個人では対処することができないほど衝撃を受けたときにできる〈心の傷〉のことを言います。トラウマとなるような体験は、人から力やコントロールの感覚を奪います。人を無力にし、人とのつながりを断ち切ります。そのため、トラウマに晒されると、自分、他者、世界への安全感、信頼感を失ってしまいます。人々がトラウマ体験の後によく経験する反応には、次のようなものがあります。

 ・恐怖と不安
 ・トラウマを再び体験すること
 ・覚醒が高まること
 ・回避
 ・孤立無援感
 ・怒りと苛立ち
 ・自分を責める、恥ずかしいと思う
 ・悲しむことと落ち込むこと
 ・自己イメージや周りの世界に対する見方の変化
 ・性的関係
 ・アルコールと薬物

PTSD(外傷後ストレス障害)、うつ、不安、身体化など、トラウマ症状となって現れることもあります。いずれも、トラウマに晒された時に後になって生じる「自然な反応」「正常な反応」です。

■セルフケアの必要性
 では、どのようにしてトラウマの影響を軽減し、回復していけるでしょうか。
 トラウマの回復には時間がかかりますが、「安全の確立」「記憶の統合」「再結合」と各段階を追って螺旋階段をあがるように、回復と癒しのプロセスを進みます。
 第一段階の「安全の確立」では、症状を受け入れて、自分自身に共感をもってつながる健康的な方法を身につける必要があります。自分の身体的、精神的、認知的、行動上の必要性に注意を払う事で、自分の人生にもっとコントロールを感じ、トラウマの影響を減らすことができます。「安全の確立」の段階では、自分の心身のニーズを満たし、自分自身を大切に扱うためのセルフケアが必要です。

■セルフケアのヒント
 トラウマによる不安と苦悩をコントロールするために、身体へのセルフケアは欠かせません。下記のなかでどの方法が役立ちそうですか? どれができそうでしょうか? 心理的な問題を扱うためには、まず身体のニーズを満たすことは大切です。一度にすべて行おうとするのではなく、一つか二つ選んで始めてみましょう。

●健康的な食生活を心がけましょう。不健康な食事はストレスレベルを高めます。
●運動はストレスをコントロールするのに大変有効です。運動をすることでよりリラックスした状態    をつくることができます。
●十分な睡眠をとりましょう。そのためには、規則的な日常生活を身につけましょう。決めた時間 に起き、就寝しましょう。寝る前にリラックスできる何かをする習慣を身につけましょう(音楽を聴 く、あたたかいお風呂に入るなど)。
●十分な休養を取りましょう。たとえ眠れないときでも、休養することで力とエネルギーが蓄えられます。
●五感を緩和させましょう。視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚と五感を緩和することで、自分を落ち着かせることができます。例えば、身の回りの自然を見渡す、星をながめる、綺麗な花を一輪買う、音楽を聴く、アロマキャンドルを灯す、食べ物の味をよく味わう、ハーブティを飲む、心地よい椅子にゆったりと座る、犬や猫とじゃれる、マッサージを受ける・・など、心地いい感覚に注意を向けてみましょう。

 身体的なケアのほか、誰か安心できる人に話を聞いてもらう、家事をサポートしてもらう等、ソーシャルサポートを得ることも大切なケアです。自分のニーズに気づき、必要なサポートを求めましょう。
 またセルフケアは、トラウマに晒された本人はもちろんのこと、トラウマに晒された人を支える家族や友人、支援する人にとっても大切です。支援する人自身も「食べること、寝ること、休養すること」など自分のニーズに目を向けましょう。生活のなかに意識的にセルフケアを取れいれることで、不安やストレスの軽減をはかりましょう。

 しかし、フラッシュバックや回避・麻痺、過覚醒、解離など症状が長引くとき、一人ではうまく対処できないときには早めに専門機関に相談しましょう。
 当研究所では、カウンセリングのほか、グループセラピーとしてセルフケアを学んでいただける場を提供しています。セルフケアの方法がわからない、セルフケアに関心がある・・といった方は、「カウンセリングについて」「グループセラピーのご案内」もご覧ください。少しでも皆さまのお役にたてればと願っています。

参考図書『心的外傷と回復』みすず書房、『不安障害の認知行動療法(3)強迫性障害とPTSD』星和書店、他
※おすすめ図書『女性ライフサイクル研究第9号 特集:女性のトラウマと回復』             

          

 

2014.06.15 コミュニティ
「居場所とは何か」~学会発表のご報告~

                                                        仲野沙也加

 先日、コミュニティ心理学会でポスター発表を行った。学生時代に一番熱心に取り組んだ修士論文を何らかの形でまとめたいと思い、もう一度振り返る作業を行い、発表することとなった。題目は「居場所の概念の検討―「場の居心地」「人の心の拠り所」に着目して―」であった。今回のエッセイでは恥ずかしながら発表させていただいた論文の一部を紹介したい。

 

 修士論文に取り組んだきっかけは、「居場所」支援にかかわったことであった。「居場所」という言葉は、心理臨床や学校現場に関わる人たちをはじめ、私たちの間で随分と馴染みのあるものになってきている。では、そのように関心が高まってきている「居場所」とは何なのであろうか。また私たちは、どのような場所と関係を築き、そこを自らの「居場所」と定め、そこに「居る」のか問題意識を持った。

 人がある場所に「いる」ということは最も当たり前かつ自然で、だからこそ深い意味を持つのではないだろうか。人の「居場所」の選択の背景にはさまざまな要素の組み合わせで移り変わる環境のなかで、その人それぞれの思いを抱きながら、自分の居場所を選択している。しかし自ら「居場所」を選択することが困難な人は、周囲の環境をコントロールすることが難しく、自らの意思を表現する力が十分でない。

 一方で、「居場所」を選択することに困難を感じない人たちは、どのような要因を意識しながら「居場所」を定めているのだろうか。この問いに目を向けることは、「居場所」を選択することに困難を感じている人に対しての生活環境の設定・計画にあたって一定のヒントを与えうるものになるだろう。

  以上のような問いを持って大学生にインタビュー調査を行った。今回の調査から、人は心の拠り所となる・安心感のある、場所・人に対して「居場所」と感じるということが分かった。また、場所については、「自分のあるがままを受け入れてくれる人物」がおり、その人と大切にしている場所が「居場所」になることが分かった。一方で「一人でいる場」も大切であり「居場所」と感じている人が多かった。また、ある関係性(クラスメイト、部活・サークル仲間)について「居場所」と感じる人は、そこに自分が自主的に参加していること、自己肯定感を得られることが大切になってくることが分かった。そして、「居場所」を選択することに困難を感じない人は、いくつかの「居場所」を持っており、それぞれの「居場所」から力をもらい、力を与えていることが分かった。

  「居場所」を選択することに困難を感じる人にとっても一番大切なことはその場を「居心地が良い」と感じることができるかである。支援者はまずはその人にとって「居心地の良さ・安心感」を提供するためになにができるか考え、生活環境を設定する必要がある。その上で、その人が自主性を発揮でき、所属していることを感じるには、何らかの役割を持ち、認め合う関係を築くことが良いのではないかと考える。そのような「居場所」は社会において何か迷いがあった時、力を与えてくれるものになるのではないかと考える。

  発表を終えて、いろんな方から意見を頂いた。多くは「居場所」の多様性ゆえの定義の難しさであった。その人それぞれの「居場所」、「居場所」から得る効果も様々で一見定義を得ることは難しい。しかし、人は大切な場・人・関係性を求め、そこで力を得る、居たいと思う場・人関係性となる。この一番シンプルなところは、通じるものであることを再確認した。

2014.06.07 本/映画
苦手克服のコツ?!ー池田暁子さんの"整理術!"シリーズから

福田ちか子

 

  イラストレーターの池田暁子さんが一念発起して,片付けや貯金,時間の使い方などの自分の苦手を克服していくエッセイ漫画のシリーズがある。その根底にある考え方が,良いなと思う。

  私たちは,自分の苦手なことをどうにかしようとするとき,~しないように頑張ろう,と考えがちだと思う。前向きではあるけれど,この頑張り方は,良い結果がだせなかった時に,「頑張りが足りなかったな~。...あかんなぁ自分。」となりがちなので結構疲れる。少し極端な言い方かもしれないけれど,これは自分自身を否定するふりかえりだ。頑張ってもそう簡単には結果につながらないから自分の中の苦手に分類されるのであって,頑張ってできるなら苦手にはなりにくい。苦手が続く間は,いつまでたっても自分を否定しっぱなしだ。

  池田さんの本では,ここに発想の転換がある。

   例えば,"一日が見えて楽になる!時間整理術!"のあとがきに,{「忘れないようにしなきゃ!」と思ったことは,ほぼ100%忘れる}から「忘れちゃうこと大前提で動く」とある。つまり,自分が苦手なことを,私にはこういうところがある(漫画の例で言うと,必要なことを忘れやすいところがある),と一旦認めて,それについて対策・作戦を考えていく(携帯のリマインダーを使う,明日の自分へ伝言を書く)という発想である。こう考えると,ものごとが望ましい結果にならなかったとき,頑張らなかった自分を責めるのではなく, この作戦が良くなかったと考えることができて、作戦に工夫の余地あり,とか,次に起きないようにするにはどんな作戦があるか,などと前に向かって進むことができる。または,今日は疲れたから作戦を考えるのは今度にしよう,と自分で選んで休息を挟むこともできるだろう。

   この発想は,自分自身が何か解決したいテーマをもっている場合のカウンセリングに通じるところがあるように思う。池田さんの著書のように,自分にはこういうところがある,と発見があって、試行錯誤しながらその対策がみつかっていく時もあれば、煮詰まって停滞状態が長く続くこともある。そんなとき、ちょっと人に相談すると、ふっと視野が開けたりすることがある。そんな風に、煮詰まった思考に風を通したいときの相談に、カウンセリングが役立つことがあると思う。...ちょっと宣伝みたいになってしまった。

  忙しいとき、疲れているときほど、「頑張りが足りなかったな~...自分」となってしまいがちだけれど、せっかく頑張っているのに自分を責める振り返りになってしまうのは、とてももったいないぞ、と思いなおせると素敵だ。

 

参考・引用図書
 池田暁子 2010 一日が見えてラクになる!時間整理術! 株式会社メディアファクトリー

 

2014.05.28 トラウマ
女性のトラウマとライフサイクルの危機~映画『8月の家族たち』を観て考えたこと

西 順子

 「女性が人生(ライフサイクル)で出会う問題について、私たちも共に生きながら考える」、女性ライフサイクル研究所が1990年開設以来、志してきた援助の基本姿勢である。つまり、母娘関係、パートナーとの関係、子育て、暴力被害・・など、女性が人生で出会う問題は他人事ではなく、同じ土壌を生きている「私たち」にとって地続きにある問題であり、普遍的な問題であるとして取り組んできた。それは、女性を対象として見るのではなく、同じ立ち位置に身を置いて、女性の視点に立って感じてみる、ということでもある。

  この春、たまたま映画『8月の家族たち』の取材を受けさせて頂いた。この映画に登場するある家族の三世代の母と娘、それぞれが女性のライフサイクルの段階に応じた危機を経験していた。第一世代の母は老年期の危機、第二世代の娘は中年期の危機、第三世代の孫にあたる娘は思春期の危機にいる。取材では、中年期の視点からコメントさせて頂いたが、ここでは老年期の母親のことについて少し考えてみたい。というのも、メリル・ストリープが演じる母バイオレットの人生を振り返ってみたとき、それは同じ女性として、とても悲しい物語だから。私は痛みを感じ、見過ごすことはできない、いや見過ごしたくはないと思った。

 表面的には毒舌家であり薬物依存症の母であるが、それは女性のトラウマの苦悩と孤立無援感の表現とも考えられた。トラウマを抱えながら自分の生きづらさがどこから来るのかわからず、苦悩の人生を生きたであろう前世代の女性たちのことに思いを馳せた。自分の傷つきを回避して、自分にケアが必要なことに気が付かなければ、前世代のトラウマは次世代へと伝達されていく。次世代が負の遺産をどう正の遺産に変えていけるかは次世代の課題、テーマであるだろうが、前世代は老年期の段階においては、何ができるのであろうか。トラウマから自由になる可能性はあるだろうか。

  以前、「心理的ケアの喪失による女性の人生の危機」(『女性ライフサイクル研究13号』より)について考えたことがあるが、女性の人生の危機は心理的ケアの喪失と関わっていること、女性が人生の危機を乗り越えるためには、その喪失を受け入れて自己をケアしなおしていくことが必要であるとまとめた。そのためには、自分のなかにある渇望(「内なる少女」と言われる他者の愛情・ケアを求める欲求)に耳を傾けて、他者からのケアを受け入れることが必要であるとした。トラウマと回復の観点から言えば、喪失を悼む喪の作業と癒しと希望が必要といえるだろう。

  「家族の物語を紡ぐ~次世代に受け継ぐために」(女性ライフサイクル研究18』より)では、ある家族、中年期の姉妹三名と母親へのインタビューとグループワークを行った。家族が「否認」してきたことと向き合い、それぞれの経験に耳を傾け共有するなかで、互いへの感謝が生まれている。それぞれの体験を持ち寄り家族の歴史を紡ぐ作業であったと言える。老年期にいる母親にとって、子ども時代からの自分の人生を語るという体験は初めてとのことで、一生懸命思い出しながら語ってくれたことが印象に残っている。

  女性ライフサイクル研究所のカウンセリングでは、中年期、青年期の女性から、思春期、学童期・幼児期の子どもまで、ライフサイクルの発達と危機を乗り越えていけるようお手伝いしているが、老年期の女性との出会いもある。老年期は「統合性 対 絶望」の発達の危機にある。統合とは全体性でもあり、自分の生涯を意味あるものとしてまとめ、人生を受け入れることである。トラウマを生き抜いてきた前世代の女性の人生に敬意を表しながら、人生の物語を紡いでいくお手伝いをさせて頂くことができたなら第二世代としても幸いである

2014.04.27 女性の生き方
すーちゃん まいちゃん さわ子さん

仲野沙也加


生きていると少しずつ大変なこともやってくる。でも、家族や友人からのたわいのない連絡、ささやかな日常の一コマでほっとする。そんなことに支えられて心が安心する。遠い未来のために今を決めすぎることはない。今いることが未来に向かっているのだから。
 
友人に勧められて「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」という映画を観た。この映画は、柴咲コウさん、真木よう子さん、寺島しのぶさんが演じる3人の独身女性が主人公の物語。3人それぞれが道を歩む中で悩みにぶつかる。「私が選んできたのは、間違っていたのかな?」それでも彼女たちはちょこっとの幸せを見つけながら今を生きていく。春の温かく柔らかな雰囲気に合う映画だ。上映されたのは、1年くらい前になるためDVDを借りて観た。

映画を観終わった後、心がほっこり温まりすっと軽くなった。仕事、恋愛、結婚、出産、子育て、介護...人生の中で直面することであり、それらが必ずしも心から幸せと感じるものでないかもしれない。でも、少しゆっくり深呼吸して周りを見て。日常は意外にもゆるやかに流れている。「今を生きる」それだけで十分素敵なこと。幸せなこと。選択を一つずつ積み重ねていくことが人生でもある。でも、たまにはその選択も時の流れに身を任せるのもいいかもしれない。それも大切な選択。自分のことを大切にしたくなった。「昨年は日常に追われ、ゆっくり過ごす時間も少なかったなぁ。今年はほっこり過ごす時間も大切にしよう。」とゆるやかな決意を抱く。

2014.04.23 ライフサイクル
初心忘るべからず

西 順子


 2014年4月1日、新しい体制となった女性ライフサイクル研究所の新年度がスタートした。所長として新年度を迎え、心のなかで反芻している言葉が「初心忘るべからず」。女性ライフサイクル研究所の創業から24年、12年目に法人化という節目を迎え、それからまた丸12年がたった。12年というと干支も十二支を一回りして最初に戻ってくるように、今年は初心に立ち返って研鑽を積んでいければ・・と慎ましやかな気持ちでいる。

 研究所開設の「最初の志」と言えば、創業の精神「社会にひらかれた心理臨床」。「こころ」を女性が置かれている社会的・歴史的文脈から理解し、「女性の視点から女性のサポート」を掲げてスタートした。これからも創業の精神を土台に、研究所に来談くださった方、ホームページを訪問くださった方々が、人や社会と「安全に」つながり、「一人ではない」「自分だけじゃない」と安心できる場を維持し、育てていければと思っている。

 ところで「初心忘るべからず」とは600年前に能を大成した世阿弥の言葉。私が「初心」の本当の意味を知ったのは最近だが、世阿弥の言う初心とは「己の技量の未熟さ」のことだと言う(『風姿花伝』より)。 
 
生には三つの初心があり、まず24,5歳の頃の「若いときの初心」二つ目には24,5から壮年期まで、人生の各時期に「その時々における初心」、そして人生の最後の段階で「老後の初心」がある。老後においてもその年齢に似合ったことを習うのは「老後の初心」で、「老後すら初心と心得れば、以前に学んだすべての能を、後心として、これからのために新たに見直し、そこから学ぶのである」と言う。

  世阿弥の言う「老後」は50歳以後のことで、まさに今の私。「老後の初心を忘れない」という言葉は胸に響く。「生涯を通して常に初心を忘れないで過ごせば、高まる一方の芸のまま最後まで後退することはない」とのこと。これから10年先を見通しながら「己の技量の未熟さ」と向き合い、そこから学ぶ姿勢を忘れないで、日々精進していきたいと改めて思う。

 二つの意味の「初心忘れずべからず」を大切に一歩ずつ進んでいきたいと思いますので、新体制となりました女性ライフサイクル研究所に温かいご支援をいただければありがたいです。今後ともよろしくお願い申し上げます。
                                                                                                            (2014年4月)

2014.03.02 コミュニティ
支えられ、助けられて

西 順子

 先月2月22日に、DV研修の参加者を対象としたフォローアップ・グループを開催。昨年からスタートしたこのグループも、今回からNPOの「支援者 支援プロジェクト」の一つとして活動していくこととなった。被害者支援に携わる支援者同士が、息長くよりよい援助を志していくために、互いに支えあい、エ ンパワーし合えればと願い、「ここへ来れば元気になれる。また明日から頑張ろうと思える、そんな場があればいいな」と、自分たちでそんな場を創っていけれ ばと思ってのことである。

 毎回、ピア・スパービジョンとセルフケアが定例になってきているが、今回もセルフケアとして、アートセラピーを行った。テーマは「サポートしてくれ る人の網の目を創る」。これまで私自身も何度かこのアートワークをしており、援助者研修やセルフケアグループでも使ってきたが、出来上がった時に作品をみ て気づく「ああ、そうかという発見」「つながりの発見」が面白くて気に入っている。

 私たちは人の助けがあって、助けられて何とか暮らしているもの。支えてくれる人、困った時に助けてくれる人など、自分のサポートシステムを振り返り ながら、サポートネット(網の目)をアートで創っていく。サポートしてくれる人を一人一人思い浮かべながら、それをアートに表現していく時間は、自分の内 面と向き合う時間だった。とても心が満たされる時間だった。
 そして、できた作品を見て、それを一緒に鑑賞してくれシェアしてくれる人がいることで、さらに温かい気持ちになった。仲間とシェアすることで、個人の体 験の内側にとどまらず、心が開かれ、人との相互交流が生まれ、心の風通しもよくなる感じがする。そして、グループ体験の醍醐味は何といっても「普遍性体 験」。私一人ではない、ということを実感ざせてくれるし、人とのつながりを感じられることである。

 次の日、できた自分の作品を更にシェアしてもらおうと人に紹介し説明していたところ、ハタと気づいた。私の「サポートの網の目」の作品はピンクを基 調にいろんな色が混じっているものとなったが、それって、自分が愛用しているマフラーとそっくり同じだ! ピンクを基調にしながらも、いろんな色と太さの毛糸が入り混じったマフラー。アートは無意識の表現であり意図して作ったものではないが、私はマフラーにも 支えてもらっているんだな~と感じながら、私自身のサポートネットに感謝し、イメージのもつ力に感じ入った。

 昨日は風邪を引いたのか身体が重く、喉も不快感で、これをほっとくとヤバいと、仕事が終わった後、予約していた鍼灸院に駆け込んだ。風邪気味という ことで、温灸もたくさん置いてくれて、芯から身体が温まる。治療が終わった後は、すっきり爽快。身体のメンテナンスは、鍼灸の先生に支えられ、助けられ、 お世話になっている。終わった後は本当に有り難いな~としみじみと身体で実感。先日はまた、今までに経験がない胃の具合悪さに、はじめて研究所近くの胃腸 科に駆け込んだ。ここでも受付の方がとても親切で、先生も親身になって念の為と「至急」で血液検査に出して下さった。検査の結果は異常はなく、また頂いた 薬もよく効いて、夕方にはすっかりよくなっていた。

 どんな時でも人の支えや助けは必要で、日常にある「不可欠」のことなのだが、それが「当たり前」になってしまい、ついつい気づかないでいることもあ る。でも、弱っているとき、めげているとき、体調不良のとき・・には、そんな「当たり前」となっていることに、どれほど助けられていることか・・と気づか される。
 日々、いろんな人の支えで自分が生きていること、生かされていることに感謝の気持ちを忘れずに、謙虚な気持ちで一日一日を大切に過ごしていきたい。

2014.02.12 コミュニティ
私の庭

村本邦子

 この世界に自分のための庭があるというのは、なんて素敵なことだろう。ある方が手作りしてくださった「邦子ガーデン」というその庭は、かわいい花の鉢植えが置かれた煉瓦で囲われ、木製のアーチの下に置かれたベンチに腰かけると、眼前に美しい海が拡がる。あと2年くらいしたら、ピンクと白の薔薇のアーチになるのだという。周囲には、オリーブ、柊、小手毬なども植えられている。遠いところにあるので、なかなか行けないが、つい最近立ち寄ったら、焚き火で焼き芋を焼いてくださった。

 ちょうど甘夏がなっていたので、収穫して持ち帰り、せっかくなのでマーマレードにすることにした。皮を細かく刻み、圧力鍋で煮て水にさらし、実と一緒にグツグツ煮込む。美しい黄金色で、まるで宝石のよう。ジャムの瓶を煮沸消毒して、全部で8瓶に詰めた。まずは明朝のお楽しみ・・・のはずだったが、どうにも我慢できなくなって、夕飯後というのに、トーストをこんがり焼いて、デザート感覚で食べた。甘みと苦みのハーモニーが何とも言えない奥行を醸し出している。

 普段は狭いマンションで忙しい暮らしを送っているが、老後は、ゆったりと自然に囲まれた庭でお茶を入れたり、本を読んだり、パッチワークや編み物をしたりするのが私の夢だ。近所の子どもたちや動物たちが時々遊びに来てくれるといいな。そう思っていたら、おとぎ話の魔法みたいに、知らないうちに私の庭ができていた。写真を撮って、時折、眺めているが、目を閉じて、あのベンチに座って、陽にあたり風に吹かれている感覚を思い起こすと、何とも言えない優しさと心地よさが全身を包む。

 庭は生きている。植物は、季節を重ね、年月を経るにつれ、その土地、環境に適応しながら成長し、それに合わせ、虫や鳥の住処としてもひらかれていくだろう。庭は、森と違って、手入れする人がいてこそ生きることができる。ふだんは私のいないところに、私の庭がある。私のなかに遠い庭があり、庭のなかに遠い私がいるのだ。思いを込めて手入れしてくださる方に感謝しつつ、そのうち自分で手入れに行かなくちゃ。

(2014年2月)

2013.12.12 トラウマ
クリスマスカレンダー

村本邦子

 毎年、12月最初の週末に福島で「東日本・家族応援プロジェクト」をやっている。子どもの遊びワークショップのプログラムのひとつに、「クリスマスカレンダーを作ろう」という企画があって、私はこれがことのほか楽しみだ。もともとは、DVシェルター派遣プログラムのひとつとして考えたものだが、大きな画用紙にクリスマスツリーの形を貼って、1から25まで数字を書き、それぞれの数字のうえにキャンディやらチョコレートやらを貼り、全体をモールや綿やビーズでデコレーションしていく。毎日ひとつお菓子を食べながら、クリスマスを数えて待つ、いわゆる「アドベント・カレンダー」である。

 11月の終わりになると、時間を作って、一人いそいそ買い物に出かける。一番重要なグッズがクリスマスのお菓子である。サンタのチョコとか、雪だるまのキャンディとか、ポインセチアのグミだとか。案外、百貨店にはあまり種類がなくて、ロフトやソニープラザ、明治屋など輸入店に良いものが揃っている。それから、一人ひとりにお菓子を分けて配るための袋。こちらは何といっても百均が優秀で、毎年、気の利いた新商品を開発している。子どもたちの喜ぶ顔を思い浮かべながら買い物をしていると、ついつい頬が緩み高揚してしまうので、時々、我に返って、「他人からどう見られているのかしら?」と思うことがある。プログラム前夜、スタッフでワイワイ言いながらお菓子を詰める作業もワクワクものだ。

 今日はその福島でのカレンダーづくり。昨年来てくれた子どもたちが5人も来てくれた。「今年もあるかな?」と待ってくれて、ちらしを見つけて誘い合って来てくれたとのこと。みんな一年分着実に成長している。小さい子たちはダイナミックに、お姉さんたちは丁寧にかわいいカレンダーを作っている。今年は、お母さん方もお誘いして一緒に参加してもらったが、童心に戻って、それぞれ工夫を凝らした素敵なカレンダーづくりに没頭されておられたのが印象的だった。きょうだいで来られている方もあるので、3枚もカレンダーが並んで、12月はきっとお家も賑やかになることだろう。

 今年は、毎年参加してくれている修了生スタッフが、その場で写真を現像できるプリンターを持ってきてくれたので、カレンダーと一緒に写真を撮ってプレゼントした。アンケートには、クリスマスソングを一緒に歌ったりしても楽しいと思うというアイディアも書かれていて、来年はさらにバージョンアップできるかな?十年続けると決めているプロジェクトだ。先行き不安な要因が増える一方の日本だが、この子たちのためにも、これ以上おかしな方向にいかないよう私たち大人が頑張らなければ。最終年の2020年のクリスマスも変わらずワクワク迎えることができますように。

(2013年12月)

2013.12.10 コミュニティ
リーダーシップ~白熱教室に学ぶ

西 順子

 好きなテレビ番組の一つにNHK白熱教室がある。といっても必ずチェックして見ているというほどでもないので、たまたま目に留まったときに途中から見ることになる。今までで面白かったのはスタンフォード大学ティナ・シーリグ先生の楽しくてワクワクするような授業と、コロンビア大学シーナ・アイエンガー先生の「選択」について考えさせられた講義。どの先生も学生たちと対話しながら講義されるのが魅力的。日本語の吹き替え付きで家にいながら素晴らしい授業が聞けるなんて、なんてお得なんだろう~と、自分も学生になった気分で楽しませてもらっている。

 先月、洗濯物を畳みながらたまたまテレビをつけたとき白熱教室が放映されていた。既に二回目の放送だったが、今回は何かな・・と途中から見るも、学生と対話しながら講義をすすめる先生の授業に釘づけになる。講師はハーバード大学ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授で「リーダーシップ」についての特別ワークショップ。ちょうど私自身「リーダーのあり方」というテーマでの研修の講師を控えていたこともあり、興味津々でその後は最終回6回目まで欠かさずにみた。

 ワークショップでは、学生の方々の経験(世界各国から国の次世代を担う方々が学ばれているとのこと)をもとにリアルな現実の問題にどう立ち向かうのか学生らと議論しながらすすめられた。貧困からくる子どもの栄養失調の問題、暴力、女性の人権、病気への差別・・など、取り上げられたテーマは大きな社会問題であるが、大きな問題もまずは自分の足元から自分自身の問題として取り組むということを学ばされた。

 教授は「多くの人がリーダーシップについて全く誤解している。リーダーシップは日々の暮らしの中で誰もが実践できる」と言う。リーダーシップとは、変化する社会、自然界の中で私たちがどう生き延びるのか・・を考えるときに不可欠のものであると考えさせられた。ハイフェッツ教授の話はとても興味深かったのでメモったが、それを元に印象に残った言葉を紹介してみたい。

「何かを変えるときに一番重要なことは変えないものを特定すること」
「変革への原動力は多様性を求めること」
「人は違った視点に触れて学ぶもの。違いが何かを引き起こす」
「複数の人が同時にリーダーシップを発揮できる」
「自分の内側と向き合わなければならない。行動を起こすには忠誠を尽くす人と向き合わなければならない」
「今リーダーシップを発揮するときと、どうやったらわかるのか? リーダーシップは愛する人のためになることをしたい、ということから始まる」     ・・・等。  

 そして講義の最後、学生に伝えられた「数値化の神話」は、私の胸にも温かくしみわたった。「私たちは数値化の世界に住んでいる。数値化は便利なものであり数値化を真実と思ってしまうが、よい行いは数値化することはできないと信じている。一つの命を救うことは世界を救うこと。失敗は善を数値化と思うこと。実践は、人々に対して愛情を注ぐ行動にとどまる。小さな善を行うことを嬉しく思うこと・・」と語られた。リーダーシップの源は、実は愛することなのだということに目からウロコであった。

 日々の臨床のなかで、虐待やDVなど暴力のトラウマを抱えている方々の回復のお手伝いをさせて頂いているが、暴力が根深くある社会の問題に対して何とかできないか・・という思いを抱くことがある。目の前の人と向き合っていても自分にできることは限界があり、社会の問題に対して自分は無力である。でも、自分にできることを大切にしていっていいと励ましてもらえたような気持ちになった。

 リーダーシップとは私にとっては遠い言葉と思っていたが、とても身近な言葉になった。周囲の人を大切に思い、愛することの実践がリーダーシップであり、よりよく生きるということなのだ。

 今年もあと僅かで終わるが、新しい年は少しはリーダーシップを意識して、人と共によりよく生きることを志していきたい。

(2013年12月)

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