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FLCスタッフエッセイ

2014.04.23 ライフサイクル
初心忘るべからず

西 順子


 2014年4月1日、新しい体制となった女性ライフサイクル研究所の新年度がスタートした。所長として新年度を迎え、心のなかで反芻している言葉が「初心忘るべからず」。女性ライフサイクル研究所の創業から24年、12年目に法人化という節目を迎え、それからまた丸12年がたった。12年というと干支も十二支を一回りして最初に戻ってくるように、今年は初心に立ち返って研鑽を積んでいければ・・と慎ましやかな気持ちでいる。

 研究所開設の「最初の志」と言えば、創業の精神「社会にひらかれた心理臨床」。「こころ」を女性が置かれている社会的・歴史的文脈から理解し、「女性の視点から女性のサポート」を掲げてスタートした。これからも創業の精神を土台に、研究所に来談くださった方、ホームページを訪問くださった方々が、人や社会と「安全に」つながり、「一人ではない」「自分だけじゃない」と安心できる場を維持し、育てていければと思っている。

 ところで「初心忘るべからず」とは600年前に能を大成した世阿弥の言葉。私が「初心」の本当の意味を知ったのは最近だが、世阿弥の言う初心とは「己の技量の未熟さ」のことだと言う(『風姿花伝』より)。 
 
生には三つの初心があり、まず24,5歳の頃の「若いときの初心」二つ目には24,5から壮年期まで、人生の各時期に「その時々における初心」、そして人生の最後の段階で「老後の初心」がある。老後においてもその年齢に似合ったことを習うのは「老後の初心」で、「老後すら初心と心得れば、以前に学んだすべての能を、後心として、これからのために新たに見直し、そこから学ぶのである」と言う。

  世阿弥の言う「老後」は50歳以後のことで、まさに今の私。「老後の初心を忘れない」という言葉は胸に響く。「生涯を通して常に初心を忘れないで過ごせば、高まる一方の芸のまま最後まで後退することはない」とのこと。これから10年先を見通しながら「己の技量の未熟さ」と向き合い、そこから学ぶ姿勢を忘れないで、日々精進していきたいと改めて思う。

 二つの意味の「初心忘れずべからず」を大切に一歩ずつ進んでいきたいと思いますので、新体制となりました女性ライフサイクル研究所に温かいご支援をいただければありがたいです。今後ともよろしくお願い申し上げます。
                                                                                                            (2014年4月)

2014.03.02 コミュニティ
支えられ、助けられて

西 順子

 先月2月22日に、DV研修の参加者を対象としたフォローアップ・グループを開催。昨年からスタートしたこのグループも、今回からNPOの「支援者 支援プロジェクト」の一つとして活動していくこととなった。被害者支援に携わる支援者同士が、息長くよりよい援助を志していくために、互いに支えあい、エ ンパワーし合えればと願い、「ここへ来れば元気になれる。また明日から頑張ろうと思える、そんな場があればいいな」と、自分たちでそんな場を創っていけれ ばと思ってのことである。

 毎回、ピア・スパービジョンとセルフケアが定例になってきているが、今回もセルフケアとして、アートセラピーを行った。テーマは「サポートしてくれ る人の網の目を創る」。これまで私自身も何度かこのアートワークをしており、援助者研修やセルフケアグループでも使ってきたが、出来上がった時に作品をみ て気づく「ああ、そうかという発見」「つながりの発見」が面白くて気に入っている。

 私たちは人の助けがあって、助けられて何とか暮らしているもの。支えてくれる人、困った時に助けてくれる人など、自分のサポートシステムを振り返り ながら、サポートネット(網の目)をアートで創っていく。サポートしてくれる人を一人一人思い浮かべながら、それをアートに表現していく時間は、自分の内 面と向き合う時間だった。とても心が満たされる時間だった。
 そして、できた作品を見て、それを一緒に鑑賞してくれシェアしてくれる人がいることで、さらに温かい気持ちになった。仲間とシェアすることで、個人の体 験の内側にとどまらず、心が開かれ、人との相互交流が生まれ、心の風通しもよくなる感じがする。そして、グループ体験の醍醐味は何といっても「普遍性体 験」。私一人ではない、ということを実感ざせてくれるし、人とのつながりを感じられることである。

 次の日、できた自分の作品を更にシェアしてもらおうと人に紹介し説明していたところ、ハタと気づいた。私の「サポートの網の目」の作品はピンクを基 調にいろんな色が混じっているものとなったが、それって、自分が愛用しているマフラーとそっくり同じだ! ピンクを基調にしながらも、いろんな色と太さの毛糸が入り混じったマフラー。アートは無意識の表現であり意図して作ったものではないが、私はマフラーにも 支えてもらっているんだな~と感じながら、私自身のサポートネットに感謝し、イメージのもつ力に感じ入った。

 昨日は風邪を引いたのか身体が重く、喉も不快感で、これをほっとくとヤバいと、仕事が終わった後、予約していた鍼灸院に駆け込んだ。風邪気味という ことで、温灸もたくさん置いてくれて、芯から身体が温まる。治療が終わった後は、すっきり爽快。身体のメンテナンスは、鍼灸の先生に支えられ、助けられ、 お世話になっている。終わった後は本当に有り難いな~としみじみと身体で実感。先日はまた、今までに経験がない胃の具合悪さに、はじめて研究所近くの胃腸 科に駆け込んだ。ここでも受付の方がとても親切で、先生も親身になって念の為と「至急」で血液検査に出して下さった。検査の結果は異常はなく、また頂いた 薬もよく効いて、夕方にはすっかりよくなっていた。

 どんな時でも人の支えや助けは必要で、日常にある「不可欠」のことなのだが、それが「当たり前」になってしまい、ついつい気づかないでいることもあ る。でも、弱っているとき、めげているとき、体調不良のとき・・には、そんな「当たり前」となっていることに、どれほど助けられていることか・・と気づか される。
 日々、いろんな人の支えで自分が生きていること、生かされていることに感謝の気持ちを忘れずに、謙虚な気持ちで一日一日を大切に過ごしていきたい。

2014.02.12 コミュニティ
私の庭

村本邦子

 この世界に自分のための庭があるというのは、なんて素敵なことだろう。ある方が手作りしてくださった「邦子ガーデン」というその庭は、かわいい花の鉢植えが置かれた煉瓦で囲われ、木製のアーチの下に置かれたベンチに腰かけると、眼前に美しい海が拡がる。あと2年くらいしたら、ピンクと白の薔薇のアーチになるのだという。周囲には、オリーブ、柊、小手毬なども植えられている。遠いところにあるので、なかなか行けないが、つい最近立ち寄ったら、焚き火で焼き芋を焼いてくださった。

 ちょうど甘夏がなっていたので、収穫して持ち帰り、せっかくなのでマーマレードにすることにした。皮を細かく刻み、圧力鍋で煮て水にさらし、実と一緒にグツグツ煮込む。美しい黄金色で、まるで宝石のよう。ジャムの瓶を煮沸消毒して、全部で8瓶に詰めた。まずは明朝のお楽しみ・・・のはずだったが、どうにも我慢できなくなって、夕飯後というのに、トーストをこんがり焼いて、デザート感覚で食べた。甘みと苦みのハーモニーが何とも言えない奥行を醸し出している。

 普段は狭いマンションで忙しい暮らしを送っているが、老後は、ゆったりと自然に囲まれた庭でお茶を入れたり、本を読んだり、パッチワークや編み物をしたりするのが私の夢だ。近所の子どもたちや動物たちが時々遊びに来てくれるといいな。そう思っていたら、おとぎ話の魔法みたいに、知らないうちに私の庭ができていた。写真を撮って、時折、眺めているが、目を閉じて、あのベンチに座って、陽にあたり風に吹かれている感覚を思い起こすと、何とも言えない優しさと心地よさが全身を包む。

 庭は生きている。植物は、季節を重ね、年月を経るにつれ、その土地、環境に適応しながら成長し、それに合わせ、虫や鳥の住処としてもひらかれていくだろう。庭は、森と違って、手入れする人がいてこそ生きることができる。ふだんは私のいないところに、私の庭がある。私のなかに遠い庭があり、庭のなかに遠い私がいるのだ。思いを込めて手入れしてくださる方に感謝しつつ、そのうち自分で手入れに行かなくちゃ。

(2014年2月)

2013.12.12 トラウマ
クリスマスカレンダー

村本邦子

 毎年、12月最初の週末に福島で「東日本・家族応援プロジェクト」をやっている。子どもの遊びワークショップのプログラムのひとつに、「クリスマスカレンダーを作ろう」という企画があって、私はこれがことのほか楽しみだ。もともとは、DVシェルター派遣プログラムのひとつとして考えたものだが、大きな画用紙にクリスマスツリーの形を貼って、1から25まで数字を書き、それぞれの数字のうえにキャンディやらチョコレートやらを貼り、全体をモールや綿やビーズでデコレーションしていく。毎日ひとつお菓子を食べながら、クリスマスを数えて待つ、いわゆる「アドベント・カレンダー」である。

 11月の終わりになると、時間を作って、一人いそいそ買い物に出かける。一番重要なグッズがクリスマスのお菓子である。サンタのチョコとか、雪だるまのキャンディとか、ポインセチアのグミだとか。案外、百貨店にはあまり種類がなくて、ロフトやソニープラザ、明治屋など輸入店に良いものが揃っている。それから、一人ひとりにお菓子を分けて配るための袋。こちらは何といっても百均が優秀で、毎年、気の利いた新商品を開発している。子どもたちの喜ぶ顔を思い浮かべながら買い物をしていると、ついつい頬が緩み高揚してしまうので、時々、我に返って、「他人からどう見られているのかしら?」と思うことがある。プログラム前夜、スタッフでワイワイ言いながらお菓子を詰める作業もワクワクものだ。

 今日はその福島でのカレンダーづくり。昨年来てくれた子どもたちが5人も来てくれた。「今年もあるかな?」と待ってくれて、ちらしを見つけて誘い合って来てくれたとのこと。みんな一年分着実に成長している。小さい子たちはダイナミックに、お姉さんたちは丁寧にかわいいカレンダーを作っている。今年は、お母さん方もお誘いして一緒に参加してもらったが、童心に戻って、それぞれ工夫を凝らした素敵なカレンダーづくりに没頭されておられたのが印象的だった。きょうだいで来られている方もあるので、3枚もカレンダーが並んで、12月はきっとお家も賑やかになることだろう。

 今年は、毎年参加してくれている修了生スタッフが、その場で写真を現像できるプリンターを持ってきてくれたので、カレンダーと一緒に写真を撮ってプレゼントした。アンケートには、クリスマスソングを一緒に歌ったりしても楽しいと思うというアイディアも書かれていて、来年はさらにバージョンアップできるかな?十年続けると決めているプロジェクトだ。先行き不安な要因が増える一方の日本だが、この子たちのためにも、これ以上おかしな方向にいかないよう私たち大人が頑張らなければ。最終年の2020年のクリスマスも変わらずワクワク迎えることができますように。

(2013年12月)

2013.12.10 コミュニティ
リーダーシップ~白熱教室に学ぶ

西 順子

 好きなテレビ番組の一つにNHK白熱教室がある。といっても必ずチェックして見ているというほどでもないので、たまたま目に留まったときに途中から見ることになる。今までで面白かったのはスタンフォード大学ティナ・シーリグ先生の楽しくてワクワクするような授業と、コロンビア大学シーナ・アイエンガー先生の「選択」について考えさせられた講義。どの先生も学生たちと対話しながら講義されるのが魅力的。日本語の吹き替え付きで家にいながら素晴らしい授業が聞けるなんて、なんてお得なんだろう~と、自分も学生になった気分で楽しませてもらっている。

 先月、洗濯物を畳みながらたまたまテレビをつけたとき白熱教室が放映されていた。既に二回目の放送だったが、今回は何かな・・と途中から見るも、学生と対話しながら講義をすすめる先生の授業に釘づけになる。講師はハーバード大学ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授で「リーダーシップ」についての特別ワークショップ。ちょうど私自身「リーダーのあり方」というテーマでの研修の講師を控えていたこともあり、興味津々でその後は最終回6回目まで欠かさずにみた。

 ワークショップでは、学生の方々の経験(世界各国から国の次世代を担う方々が学ばれているとのこと)をもとにリアルな現実の問題にどう立ち向かうのか学生らと議論しながらすすめられた。貧困からくる子どもの栄養失調の問題、暴力、女性の人権、病気への差別・・など、取り上げられたテーマは大きな社会問題であるが、大きな問題もまずは自分の足元から自分自身の問題として取り組むということを学ばされた。

 教授は「多くの人がリーダーシップについて全く誤解している。リーダーシップは日々の暮らしの中で誰もが実践できる」と言う。リーダーシップとは、変化する社会、自然界の中で私たちがどう生き延びるのか・・を考えるときに不可欠のものであると考えさせられた。ハイフェッツ教授の話はとても興味深かったのでメモったが、それを元に印象に残った言葉を紹介してみたい。

「何かを変えるときに一番重要なことは変えないものを特定すること」
「変革への原動力は多様性を求めること」
「人は違った視点に触れて学ぶもの。違いが何かを引き起こす」
「複数の人が同時にリーダーシップを発揮できる」
「自分の内側と向き合わなければならない。行動を起こすには忠誠を尽くす人と向き合わなければならない」
「今リーダーシップを発揮するときと、どうやったらわかるのか? リーダーシップは愛する人のためになることをしたい、ということから始まる」     ・・・等。  

 そして講義の最後、学生に伝えられた「数値化の神話」は、私の胸にも温かくしみわたった。「私たちは数値化の世界に住んでいる。数値化は便利なものであり数値化を真実と思ってしまうが、よい行いは数値化することはできないと信じている。一つの命を救うことは世界を救うこと。失敗は善を数値化と思うこと。実践は、人々に対して愛情を注ぐ行動にとどまる。小さな善を行うことを嬉しく思うこと・・」と語られた。リーダーシップの源は、実は愛することなのだということに目からウロコであった。

 日々の臨床のなかで、虐待やDVなど暴力のトラウマを抱えている方々の回復のお手伝いをさせて頂いているが、暴力が根深くある社会の問題に対して何とかできないか・・という思いを抱くことがある。目の前の人と向き合っていても自分にできることは限界があり、社会の問題に対して自分は無力である。でも、自分にできることを大切にしていっていいと励ましてもらえたような気持ちになった。

 リーダーシップとは私にとっては遠い言葉と思っていたが、とても身近な言葉になった。周囲の人を大切に思い、愛することの実践がリーダーシップであり、よりよく生きるということなのだ。

 今年もあと僅かで終わるが、新しい年は少しはリーダーシップを意識して、人と共によりよく生きることを志していきたい。

(2013年12月)

2013.11.30 子ども/子育て
温かい関係性を育む~「具体的にほめる」ことの勧め

                                                                        
                                                                西 順子


 2013年11月10~14日まで、PCIT(親子相互交流療法)を学ぶトレーニングに参加しました(PCIT-Japan主催)。PCITは、子どものこころや行動の問題に対し親子の温かい相互交流を深めることを基盤にして親子に働きかける心理療法です(2013年1月号NLを参照)。 
 PCITの醍醐味は、セラピストから養育者へのライブ・コーチングです。養育者がコーチングを受けながら新しいスキルを学びますが、特に「褒められる」ことで笑顔が増えていき、と同時に親と子のアイコンタクトが増え子どもが活き活きとし、そしてまた子どもの変化に親も勇気づけられ自信をもつようになる・・等、関係性を育む方向に相互交流が起こることが印象的です。今後、必要な方に役立てていただけるようPCITの準備を整えていければと思います。
 
 ここでは、今回学んだPCITの関係性を育むスキルの一つ「具体的にほめる」を紹介しましょう。「嬉しいわ」「ありがとう」「素晴らしいね」・・など人から褒められると誰もが嬉しいものですが、子どもは養育者から具体的に褒められることで「私のことよく見てくれている」という実感が生まれます。子どもは養育者からの「注目」「関心」を必要としているからです。具体的に褒めるとは、「上手にブロックが積めたね、すごいね」「お片付けしてくれて、ありがとう。とっても嬉しいわ」など、子どもの態度や行動に対して前向きな評価を表すことです。具体的に褒めることで、褒められた行動が増えるだけでなく、子どもの自尊心が増し、親子間の肯定的な感情が増して関係の絆が強ります。「私のこと見てくれている!」という温かい眼差しが支えとなり、子どもは自分の内的世界を拡げ(子どもにとっては遊びの世界です)、現実生活のルールも学んでいくでしょう。
 「~してくれて、ありがとう」のワンフレーズであっても、温かい褒め言葉は褒める方も褒められる方も双方に心地よいものです。自然に双方の笑顔、アイコンタクトも増えるでしょう。
 
 子育てを支援する支援者、援助者もまた養育者に対して肯定的な関心をもって、「~を頑張っているね」「よく~しているね」など具体的に褒め言葉を伝えていきたいものです。親子の相互交流が増え、温かい関係性が育つのを応援していければと思います。

                           (2013年11月 ニュースレター:特集より)

2013.10.10 カウンセリング
安全な場所を創る

西 順子

 カウンセリングのなかで、セルフコントロール技法として「安全な場所のイメージを創造する」というイメージを使った方法をよく使う。「その場所にいけば・・安全で穏やかに感じられる場所のイメージを思い描いてください・・」で始まり、イメージと五感で感じながら、トントントン・・とバタフライハグというタッピングをする(EMDR技法の一つ)。想像していただくその安全な場所のイメージは、お一人お一人にとって意味深い、大切なもの。かけがえのないもの。私も一緒にイメージさせて頂きながら、その方のイメージを大切にして、それを十分味わって頂けるようお手伝いしている。

 この技法はイメージだけでも有効だか、絵に描くとさらに癒しをもたらしエンパワーしてくれるものとなる。大阪本社にて月一回全五回で「女性ためのセルフケアグループ」を開催しているが、そのうちの一回が「安全な場所のイメージを創る」というテーマ。安全な場所のイメージを絵に描いていただくものだが、絵に描いているうちにイメージが変化していくのもユニーク。イメージの世界ならいつでもどこでも行ける・・そして感じられるって、イメージの力は素晴らしいなと思う。絵を描いているとき、また絵を見せて頂くときも、その「場」が、とても温かく優しい空気で包まれるように感じられる。その「場」の空気感が私自身もとても好きである。

 さらにグループに参加くださった方々が、このグループの場を「居心地がよい場所」「居場所」と言ってくださる。そのように感じていただけることが本当にありがたく、やっててよかったと安堵感が広がる。またこれからも居場所としてあり続けられるよう、この場を大切にしていこうという思いを新たにする。
 
私がカウンセリングをしている大阪本社の部屋には窓があるが、残念ながら都会の一室のため外の景色は見えない。この窓から空が見えるといいのになぁ・・と思うが、ないものねだりをしても仕方がないので、いろいろと部屋の工夫している。絵や植物を飾ったり・・(結局は自分が気に入ったものになるが)。来談して下さる皆さまが、この部屋で落ち着いて心地よく過ごせるようにと願っているが、「この部屋にくると落ち着きます」「安全に感じる」・・と言っていただくことがある。そう思ってくださり有難いな・・と私自身もほっとする。理想的な部屋ではないが、それでも「心地よい」と来談して下さる皆さまに感謝して、よりよいセッションを提供できるように努力していければと思う。
 
「安全な場所を創る」テーマは私にとってライフワークの一つと言える。カウンセリング、グループと、これからもこの場所を大切に、来談して下さる皆様にとって、安全で、心地よく、居心地のよい場所の一つとなれるよう、これからもこの場を大切にしながら努力していきたい。

(2013年10月)

2013.09.12 トラウマ
中秋の名月

村本邦子

 今年は、中秋の名月を南京で迎えた。今年の中秋節は、中国人にとって、たまたま日中戦争が始まった「国恥の日」に当たる。複雑な思いを抱えながら、セミナーで、幸存者(サバイバー)のお話を聴いた。日中の参加者でシェアリングをしているところに、中国側の受け入れ窓口となってくださっている張連紅先生が、大きな袋に入った月餅を差し入れてくださった。中国では、中秋祭には、家族で集まって月餅を食べる習わしなのだそうだ。「中秋祭に一緒に月餅を食べれば、私たちは家族になります」と。暖かく、ありがたかった。

 夜、くっきりと美しい満月を見上げて、日本のことを想い、過去を想った。私が子どもの頃、地元では、まだ十五夜の祭りをやっていた。男の子たちが近所の家を回って藁を集め、縄をなう。女の子はそのプロセスに参加しないが、当時は大人のように見えた中高生のお兄さんたちの器用さに目を見張ったものだ。編みあがった縄をクルクル丸めると土俵になり、夜、相撲大会が始まる。男の子たちの相撲大会が終わると(これが公式プログラムだったのか?)、女の子たちも土俵を借りて、相撲大会をやった。それから、クイズ大会をやったり、肝試しをやったりと、この日は子どもたちだけで夜遅くまで遊ぶことが許されていた。この行事がいつ頃まであったかよく覚えていないが(私が中高の頃にはもう消えていたような気がする)、ふと懐かしく思い出すことがある。

 十数年前、海外からのゲストを連れ、下賀茂神社の観月祭に行ったこともあったっけ。篝火を焚いた舞台で豊作を祈願する舞楽を見て、一種の感動を覚えたものだ。美しい月を一緒に眺め、神秘の力を仰ぐことで、たしかに親密性が深まるような気がする。また行ってみたいなと思いながら、そう言えば行けずじまいだ。

 さて、翌日、月餅がディスカウントになるというので(クリスマスケーキのように、7割引とか8割引になるらしい。今年は、中国政府が高価な月餅を贈ってはいけないという「贅沢禁止令」を出したというほど、月餅は高価なものだ)、張連紅先生に頼んでスーパーに連れて行ってもらった。夜が遅かったためか、なんとびっくり、すべての割引月餅は売り切れていて、決してディスカウントしないという有名メーカーの高級月餅しか残っておらず、勧められるまま、大きな袋に入った高級月餅をお土産に買った。翌日、大切に手に持って空港まで帰ったが、そちらに気をとられすぎて、なんと、パソコンをバスに置き忘れてしまった。

 パソコンは、来週、留学生が持って帰ってきてくれるが、ATMでカードが戻ってこず、結局、大金を留学生の家族に借りたりと、今回は、中国人留学生たちに大変お世話になった。もともと十五夜を祝う習慣は中国に由来する。私たちは、歴史を通じて、たくさんの文化を中国から学び、共有しているのだ。中秋の名月が次に満月を迎えるのは8年後だそうだ。どうか平和が続いていきますように。

(2013年9月)

2013.07.10 子ども/子育て
思春期の山を乗り越える

西 順子

 思春期は疾風怒濤の時代と言われる。疾風怒濤はドイツ語「シュトルム・ウント・ドランク」の和訳で「嵐と衝動」を意味するが、思春期は嵐のように感情や衝動が吹き荒れる。話しかけてもブスっとするし何を考えているかわからない、ツンケンして扱いにくい、最近やたらと反抗的・・など、思春期になった子どもの姿に、親や教師、周囲の大人は「子どもが変わってしまった」「どう関わっていいかわからない」と頭を抱えてしまうこともあるだろう。でも、思春期の子どもたちのエネルギーは生きるエネルギー。思春期に「自分とは何か」を確立していく過程で、生体に備わったエネルギーが自然に発現していくことは、すごいことだと思う。

 ただ、「思春期の危機」「思春期の心の闇」と言われるように、子ども自身も苦しみ、葛藤し、悩む時期。この時期、葛藤するさまざまな感情を理解し、どの感情をも否定することなく受けとめられるよう、声なき声に耳を傾けることが必要である。葛藤を回避すれば、感情は消化されないまま抑圧され、あるいは解離され、心の奥に閉じ込められてしまうだろう。そうなると、本当の声はますます聞こえなくなってしまう。

 危機は「機会」でもある。思春期から青年期は、子どもから大人へと脱皮して「自分らしい」アイデンティティーをつくっていく重要な時期。この大切な時期を、コミュニティにいる周囲の大人たちが互いにつながり、見守りあい、子どもたちと向き合い、子どもたちの成長を支えていくことができればと願っている。

 ・・と、日頃感じていることを書いてみた。不登校や摂食障害など思春期の子どものことに関心を持って、早25年が過ぎた。いじめ、性暴力被害、DVの目撃など、トラウマを受けた子どもとも出会うが、時代が変わって子どもたちの遊びや好きな趣味は変わっても、子どもが持っている力、レジリエンス(生き抜く力)が素晴らしいな・・と思うことには変わりはない。誰にも生き抜く力、エネルギーが備わっている。

 私自身も思春期の頃を振り返ると、自分らしさを模索して夢を見たり、親との間で自立と依存の葛藤にもがきながらも、自分の未来を切り開きたいなと七転八倒していたことが懐かしく思い出される。その頃の自分が愛おしい。

 娘もまた疾風怒濤の時代を経て、ようやく落ち着いてきたかな・・という今日この頃だが、今思えば、その時期があったからこそ、親として子どもから学び、気づかされ、成長することができた・・と子どもに感謝している。

 思春期の子どもたちに、子どもを支える周囲の大人にもエールを送りながら、子どもが思春期の山を乗り越えて、自分らしい道を発見していけるよう、これからも応援していきたい。

 

(2013年7月)

2013.05.10 トラウマ
環境とつながる~「今、ここ」にいること

西順子

 今年4月28日~5月3日まで、神戸で開催されたSE(Somatic Experiencing)トレーニングに参加させて頂いた。今回講師のHoskinson先生は、初級トレーニングから神経生理学的知識を教えて下さり、とても学び深かった。神経生理学的基礎を学ぶことで、私たちは「生きもの」であること、「生きている」ということを実感する。

 さて、今回最も印象深く残っているのは、「感覚をとおして環境とつながる」ことである。トラウマとは、「今ここに、いることを不可能にしてしまう」と言われる。なので、解離せずに「今、ここ」にいるためには、感覚を通して環境とつながれるよう、外界のものを意識したり、工夫したりすることが大切となる。特に、外界にある心地よいものとつながることが大切である。

 私自身もまた、外界の心地よいものとつながれる時間を意識したいと思っているが、まず最も心が惹かれるのは、自然である。日中は部屋の中なので、朝が一番自然と触れ合えることに気が付いた。お天気の日の朝の空を見上げるのは心地がよい。胸が拡がり、胸に空気が入る。そして心も広々と開放的な気持ちになる。公園を通ると木々の緑が美しい。最近、公園横の道を通ると、鳥の鳴き声がよく聞こえることに気づいた。鳥の鳴き声に注意を向けていると、さらによく聞こえるようになってくるから不思議だ。陽の光も明るくて、心地よい。そして、朝早くFLC本社に着くと、東側に玄関があるので、ちょうど陽の光が差し込んでいて、すがすがしい。朝少しでも早く起きると、こうして五感で心地よさを感じ、探索できる時間をもてると気づいた。

 本社の面接室のなかは、陽の光が差し込まないのは残念であるが、その代わりに様々な工夫をしている。ランプの温かいオレンジの光、観葉植物、そして絵をいくつか飾っている。好きなものを周りに置くことで私自身、居心地よく過ごすことができる。カウンセリングで来談くださった方々にも、「今、ここ」の場で、少しでも安全に感じて頂くことができればと願っているが、この部屋という環境のなかで、少しでも心地よいと思うものがあれば嬉しい。

 トラウマに圧倒されているとき、心地よいものとつながることは難しくもあるが、日頃から心地よいものと親しむようにすることでレジリエンス(回復力)を高めることができる。突然「引き金」を引いて過去の辛い記憶が出てきたとしても、辛さが少しでも緩和するように、外界に注意を向けることで「今、ここ」に戻ることも可能となる。

 そして環境とつながるために最も大切だと思うのは、安心できる人とのつながりである。人の顔を見て、話をしたり、聞いたり、笑ったり・・と、人がそこにいて、やりとりすることが、安心と信頼をもって環境につながることである。仕事の一つとして、NICU(新生児集中治療室)で赤ちゃんやお母さんと出会うが、赤ちゃんがお母さんに抱っこされるとぴったり泣き止んだり、じーっとお母さんを見る姿に、赤ちゃんはお母さんを通して、この世界(環境)がどんな世界であるかを感じているのだなということを実感している。

 心地よい感覚を探索することをもっと楽しめればいいなと思う。それは「今、ここ」に私は生きているんだという実感、生きる喜びともつながるものである。皆さんにとって、心地よい感覚の経験はどんなものでしょうか。心地よい感覚を探索してみませんか。

 

(2013年5月)

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