西 順子
女性ライフサイクル研究所では、女性が人生で出会う問題についてご相談を受けていますが、そのなかに「仕事」に関わるテーマも含まれてきます。
思春期・青年期の方とは、「自分とは何者か」を探索しながら将来の進路選択、学校選択、職業選択について、「自分らしい」選択ができるよう一緒に考えていきます。社会人の方とは職場におけるメンタルヘルスの問題から、転職や再就職の選択での悩みまでご相談を受けていますが、人生の節目においては、これまでの人生のプロセスを振り返りながら「何を大切にして、何を優先して、どう生きるか」という人生のテーマも含めて考えていきます。うつ病などで退職を余儀なくされた方にとっては、カウンセリングの目標に「社会復帰」を挙げる方も多く、人生にとって「仕事」は大きな意味をもっていると感じています。
いずれにせよ、「仕事」の選択は、アイデンティティ(自己同一性)と関わる問題であり、「私は何者か」と自分を知ることと関わってきます。
今回は、人生の節目で仕事や働くことについて見直すとき、「自分らしく仕事をする」ことを考える手がかりの一つとして、「キャリア・アンカー」を紹介したいと思います。キャリアとは、長期的な仕事生活の有り方に対して見出す意味づけやパターンのことを言いますが(金井、2002)、「自分らしく仕事をする」ためには、自律的にキャリアを考えてみることが大事と言われます。『キャリア・アンカー~ほんとうの自分の価値を発見する』(以下、本書と略す)から、仕事生活における自分らしさを考えるヒントを提供できればと思います。
■キャリア・アンカーとは
キャリア・アンカーとは、組織心理学者エドガー・シャインによって提唱された概念で、「どうしても犠牲にしたくない、本当の自己を象徴する能力、動機、価値感」のことです。ある人がどんな難しい選択を迫られたときでも放棄することができない自己概念、自己イメージです。
ふつう人々は、どのようなキャリアを歩んでいるときもそのキャリアのなかで広範なニーズを満たそうとします。しかし、これらのニーズが全て同等に重要というのではなく、すべてのニーズをも満たすことができないならば、どのニーズにもっとも優先順位をおいているのかを見極めることが大切になってきます。
「アンカー」とは船の錨(イカリ)のことですが、錨がないと船は流されてしまうように、自分のキャリア・アンカーを知っていないと、外部から与えられる外部誘因(報酬や肩書など)の誘惑に負けて、後になって不満を感じるような就職や転職をしてしまうと言います。「これだと自分らしくない」と感じてしまい不満になってしまうそうです。
よって、仕事に対する指向、動機、価値感、才能についての自覚をより明瞭に理解しておけば、キャリアにまつわる将来の意思決定はもっと容易になり、納得のいくものとなると言います。
■8つのキャリア・アンカー
シャインの研究によれば、キャリア・アンカーには8つのカテゴリーがあることがわかっています。下記に、その8つのアンカーを簡単に紹介しましょう。
①専門・職能別コンピタンス
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、その領域で自分の技能を活用し、そのような技能をより高いレベルまで伸ばしていくことのできる機会を手に入れることです。自分の技能に磨きをかけることで、自分らしさが生まれてきます。また、最重要なものは、仕事が彼らにとって挑戦的であることです。この人たちの関心は、あくまでも仕事の内容(コンテンツ)そのものにあります。
② 全般管理コンピタンス
経営管理そのもの関心をもち、ゼネラル・マネージャー(全般管理職)に求められる能力を身につけているタイプです。このタイプの人たちは組織の段階を上がり、責任ある地位につき、その立場にたって組織全体の方針を決定し、自分の努力によって組織の成果を左右したいという願望をもっています。専門・職能的な人々と違い、専門的な仕事に特化するのはよくないとみます。経営管理にアンカーをもつ人は、重い責任のある仕事を望みます。挑戦的で変化に富み、皆をまとめるような統合的仕事を好みます。
③ 自律・独立
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、仕事の枠組みを自分で決め、仕事を自分のやり方で仕切っていくことです。組織に所属している場合は、いつどのように仕事をするかについて自分の裁量で柔軟に決められる仕事に取り組みたいと思います。自律的な立場を維持するためにならば、あえて昇進や昇格のチャンスを断ることもあるでしょう。自律にアンカーがある人たちは、自分の専門分野の範囲内で明確に線を引き、時間を切って仕事をすることを好みます。
④ 保障・安定
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、会社の雇用保障、あるいはその職種や組織の終身雇用権などです。安全で確実と感じられ、将来の出来事を予測することができ、しかもうまくいっているとゆったりと仕事ができ、そんなキャリアを送りたいという欲求を最優先させるタイプです。保障・安定にアンカーのある人たちは、組織に縛られることを苦にしません。終身雇用権の代償として、進んで会社の指示に従う忠誠心や意欲があります。
⑤ 起業家的創造性
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、障がいを乗り越える能力や意欲をもとに、自分自身の会社や事業を起こす機会です。社会に対して自ら頑張れば、結果として事業を創造することができると証明したいと考えています。創造的な衝動は、新しい組織、製品、サービスの創造に向かいます。起業家タイプが他のアンカーと違うのは、自分が新しく事業を起こすことができるということを、とにかく試してみたいという熱い思いに取りつかれている点です。
⑥ 奉仕・社会貢献
どうしてもあきらめたくないことは、たとえばもっと住みやすい世界をつくる、環境問題を解決する、民族間の調和を図る、他の人々の援助をする、治安を改善する、新製品を開発して病気を治す等、なにか価値のあることを成し遂げる仕事を追い求める機会でしょう。このタイプの人たちは、何らかの形で世の中をもっとよくしたいという欲求に基づいてキャリアを選択します。奉仕にアンカーをおくタイプの人が望んでいる仕事は、自分の価値感にあう方向で影響を与えることが可能な仕事です。
⑦ 純粋な挑戦
自分のキャリアの特徴は、何事にも、誰にでも打ち勝つことができるということを自覚しているところにあるというアンカーの人たちです。彼らにとって「成功」とは、不可能に思えるような障害を克服すること、解決不能と思われてきた問題を解決すること、極めて手ごわい相手に勝つことです。専門・職能にアンカーをおく人たちと違うところは、問題が起こる専門分野ならどこでも挑戦したいというところです。
⑧ 生活様式(ライフスタイル)
このタイプの人のキャリアの条件の一つは、「生活様式(ライフスタイル)全体を調和させることができなければならない」ということです。何よりも柔軟であることを望みます。組織のために働くことに非常に前向きですが、ただし、自分の時間の都合に合わせた働き方が選択できるという条件を求めます。「自分らしさ」とは、特定の職能や組織と関わるよりも、自分のトータルの人生をどう生きているのか、自分がどこに落ち着いて住んでいるのか、家族とどのように接しているのか、といったことと関わってきます。
以上、8つのキャリア・アンカーを紹介しました。皆さんは、どのキャリア・アンカーに馴染みがあり、「そうそう」と共感を覚えたでしょうか。自分のキャリア・アンカーについて洞察を深めることで、キャリア計画や選択をうまくすすめていくことができるとしています。本書では、自己診断用「キャリア指向質問票」を用いて点数をだし、キャリア・アンカーの1位~8位の順位が分かった後、「パートナーをみつけてインタビューしてもらう」ということを勧めています。質問票の結果と過去・現在・未来のキャリアをインタビューをしてもらい十分議論することで、自分の選択の仕方やパターンがわかると言います。
■私の場合
私が、キャリア・アンカーという言葉を知ったのはちょうど10年前。女性ライフサイクル研究所の内部研修で「仕事」がテーマとなったときです。スタッフ各々が自分のキャリア・アンカーについて「キャリア指向質問表」にチェックをして順位を出した後、「仕事」についてワークシートを用いて自己を振り返る時間を持ちました。「仕事と聞いて何を連想するか?」「 子ども時代に仕事に関して家族からどんなメッセージを受け取ってきたか」「仕事とジェンダーに関してどんなメッセージを受け取ってきたか」「年齢と共にその捉え方は変化してきたか」「仕事についてどんな理想を持っているか」・・等について自分を振り返りました。そして、みんなで考えたことやそれぞれの体験を聞きあい、シェアしあいました。
自分や他者のキャリア・アンカーを知り、人によって「仕事」について大切にしている価値感や欲求が違うのだということがわかり、目からウロコだったことを今も覚えています。人によってそれぞれが大切にしている価値感を元に、どんな職業につくか、どんな職場で働くか、どんな働き方をするか、自分の優先順位によって選択していること、また何に満足し、何は譲れないのか等が違ってくることを理解しました。
ちなみに、私のキャリア・アンカーをみると(当時のプリントを見返すと)、1~3位は、①専門・職能コンピテンス、②自律・独立、③奉仕・社会貢献、でした。
確かに、この10数年は、臨床家としてクライエントさんによりよい援助を提供できればと①に最も力を入れてきました。2年前、所長となってからは自然と③奉仕・社会貢献を意識するようになりました。でもキャリア・アンカーはあまり変わらないそうですので、なるほど・・と思います。
そして、私自身のキャリア・アンカーには、子ども時代から「仕事」について見聞きし、経験してきたことが土台にあることに気づきました。それは母がずっと会社員として仕事をしてきたことです。仕事をする母を一つの「たたき台」のようにして、「自分は何がしたいのか、どんな働き方をしたいか」を、子どもの頃から漠然と考えてきたように思います。
母とはキャリア・アンカーは異なりましたが、今も内的イメージとして印象に残っているのは、仕事をしている時の母の活き活きしていた笑顔・元気な姿です。仕事をすることへの肯定的なイメージをもってこれたことに感謝したいと思います。
フロイトは、人生で最も大切なことは「愛することと、働くこと」と言いました。社会・時代の変化のなかで、労働環境は厳しいと言えますが、そうした環境にあっても「自分らしく仕事をすること」を大切にしてほしいと願っています。
参考・引用文献
『キャリア・アンカー~自分のほんとうの価値を発見しよう』エドガーH.シャイン著、金井壽宏訳、白桃書房。
『働くひとのためのキャリアデザイン』金井壽宏著、PHP新書。