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FLCスタッフエッセイ

2010.12.10 コミュニティ
2010年を振り返って~女性ライフサイクル研究所設立20周年

西 順子

 あっという間に、今年もあと一カ月。昨年年末もエッセイの順番がまわってきて、一年を振り返って思うことを書いたが、あれから一年、月日のたつのは本当に早い。年々早くなっているような気がするが、自分のエネルギーがうまく使えていることかなと思うと、有り難いことである。

 さて、今年はどんな年だったかな・・と振り返ると、やはり一番大きかったのは、今年は「女性ライフサイクル研究所・設立20周年」の節目だったこと。今年の年明けから、年報20号発行に向けての話し合いが始まったが、年報執筆の作業と並行しながら、この20年を振り返ってきた。

 特に私は、研究所の活動をまとめたいと思ったので、過去の年報を読んでみたり、当時のことを思い出したりしながらだった。ここまで来た道のりを振り返り、「今ここ」にいる地点を確認し、これから先をどう展望していくか、過去・現在・未来を行ったり来たり・・する作業だったように思う。

 秋には、無事に年報20号を発行し、設立20周年イベントも開催し、とても大きな節目となった。20周年イベントの日も、過去・現在・未来を同時に感じる場であった。イベントでも、年報20号でまとめた「研究所20年の歩み」に添って、「20年の活動報告」を発表したが、過去の歴史をたどることで、今にしっかりと根をおろせることを更に実感した。

 しかも、仲間と一緒に、歴史を積み重ね、「今ここ」にいるという有り難さと幸せを実感した。

 さて、これから先はどうしていこうか。今、私がここにいて幸せを感じられるのは、人とのサポーティブな「つながり」や、安全の基地となる「場」があるからこそである。これから先の展望についてはまだ具体化していないが、「もっとこんな場があればいいな」「安全に、人とつながれて、喜びを感じられるような、こんな場を作れたらいいな」と漠然と感じている。私の活動のテーマは「女性と子どものトラウマからの回復」。女性や子どものトラウマからの回復のために、「安全でサポートティブな場」「安全でサポーティブなコミュニティ」を創っていければいいな、拡げていければいいなと、未来への希望をゆっくりと温めていきたい。

 今年の締めくくりのエッセイを書き終えて、昨年はどんなこと書いたかなと、一年前のエッセイを読んでみた。なんと、同じようなことを書いている!思うことはあまり変わってない!? 今年は一歩進んで具体化できるといいな。

(2010年12月)

2010.11.12 ライフサイクル
お弁当の楽しみ

村本邦子

 子育て終了後、出張や夜遅くまで仕事をすることが日常になってしまって、どうしても外食ばかりになる。たまの外食は楽しいものだが、1日3食外食ともなれば、もううんざり。それで、最近は、できるだけお弁当を持っていくことにしている。朝、家から出勤できること、昼、座ってお弁当を食べられることが条件だが、週2~3日は決行できる。まずは、かわいいお弁当グッズを揃えた。和風の二段式弁当箱と、お揃いの組み立て式のお箸。

 メニューであるが、1段目のご飯。白ご飯は愛想がないので、ゆかり、わかめ、シャケ、野沢菜など、混ぜるだけの簡単なものを。時には、じゃこご飯や季節の炊き込みもする。2段目のおかずは野菜中心。頻繁に登場するのは、卵となす。理由は単に私が好きだから。出し巻き卵にすることが多いが、あおさ入りの卵焼きにしたり(伊勢志摩のホテルで食べて以来、気に入ってお気に入りメニューとなった)、細かく刻んだ野菜を入れてオムレツ風にすることもある。ニラやきのこの卵とじもいい。なすは油でいためてしょうが醤油、もしくはだし醤油をからめるか、もしくは甘辛く味付けてしまう。豚肉で巻いたり、ひき肉と一緒にするとまたおいしい。

 焼き野菜も多い。かぼちゃ、れんこん、しいたけ、ピーマン、きのこ、人参など、色とりどりの野菜を一切れずつフライパンで焼くだけ。もやしと細かく刻んだ小松菜とか、青梗菜とえりんぎの組み合わせで炒めたものもおいしい。だいたいはシンプルに塩・胡椒で味付けするが、時には中華風にすることもある。たまにはウィンナーやシーフードも一緒に。サラダ類はあまり多くないが、春菊とツナ、ポテトサラダ、きゅうりとソーセージ、ブロッコリーなどなど。あとは、お弁当の定番と言える焼き鮭、ほうれん草のおひたし、きゅうりと大葉の塩もみ。きゅうりと茗荷にじゃこの組み合わせもおいしいな。

 子どもたちのお弁当を作っていた頃は、必ずと言っていいほど揚げ物が登場したものだが、最近ではめっきり登場しなくなった。何しろ、外食が嫌でお弁当にするのだから、素材を活かしたシンプルなものがいい。それに、時間のない朝だから、10分以内で作れること。朝食を食べながら作るのだ。一人分しか作らないので、煮込みものはしないが、そろそろ寒くなってきたので、晩御飯の残りメニューもこれからは活躍するはず。かぼちゃを焚いたり、筑前煮とか、ロールキャベツとか。具だくさんの混ぜご飯が大好きなので、前夜も家で作れる時にはお弁当の分も作っておけるだろう。

 自分で食べるものを自分で作って食べるというのは良いものだ。自分が好きなものを好きなようにして好きなだけ食べられるのだから。どってことない当たり前のことかもしれないが、今の私にはささやかな楽しみである。

 

(2010年11月)

2010.09.10 こころとからだ
ドキドキとワクワクは、生活のスパイス

西 順子

 子どもが成長し、子育ても終わりに近づいてきていることもあり(家には受験生の娘が一人)、一日のなかで仕事の割合が増えていっている(仕事ができるというのは本当に有り難いことと感謝)。日常生活では家と職場の往復の毎日であるが、つい、生活スタイルはワンパターンになりがちである。しかし、日常生活の中で、ちょっとしたワクワクやドキドキ、つまり新たな発見や刺激といったスパイスがあると、新鮮な気持ちでエネルギーが活性化することに気がついた。

 最近のワクワクとドキドキを思い出すと・・、

 たまたま数か月前に、食材の注文を何週もしそびれていたことから(食材の宅配サービスを利用)、別の会社のサービスも利用してみた。そこでは、有機栽培や減農薬などの安全な食材を提供しているのだが、その野菜や果物、お肉の美味しさにビックリした。素材がおいしいと、凝った料理をしなくても(そもそも凝った料理はできないが)、炒めものは「塩・こしょう」、煮物は「出汁・しょう油・みりん・酒」だけで、とっても美味しく頂ける。今は、野菜ってこんなにおいしかった?という素材のおいしさに、刺激とエネルギーをもらっている。今一番のお気に入りは南瓜。美味しくご飯が食べられるとき、満足感で幸せを感じる。

 それから、身体を動かすことについて。身体を動かしたいと思う時は、お決まりのエアロビクス・プログラムに参加していた。先日、とっても暑い日曜日の昼過ぎ、たまたまエアロビクス・プログラムがなかったため、プール・プログラムに参加してみることにした。水泳は、水着に着替えるのが面倒だし、目や耳、鼻に水が入るのが不快と、あまり好きではなかった。でも、アクアビクスは楽しそうと参加してみたが、その流れで、初級平泳ぎ、初級クロールのレッスンも参加してしまった。水泳を習うのは、20数年ぶり。でも、先生がポイントを上手に教えてくれたおかげで、苦手だった平泳ぎが、とっても気持ちよく感じられた。スイ~スイ~と水のなかで泳ぐ心地よさをちょっとだけ体験することができた。クロールはとてもしんどかったが、シニアの方々がスイスイ泳いでいる姿に凄い~と、もっと泳ぎたくなった。水泳に適した水着がなかったので丁度バーゲン中の水着と耳せんも購入し、いつでもまた参加できるよう準備は整えた。もしも・・水泳が上手くなれば、来年はダイビング教室にも参加できたらいいなと密かに思っている(ここに書いたら密かではない?)。そう考えるだけでワクワクしてくるから不思議だ。

 それから、この夏は思い切ってボディワークも体験。臨床で身体感覚を使ったアプローチを取り入れていることから、もっと身体感覚について自分自身が学びたいし体験してみたいと、今、ボディワークの一つロルフィングを受けている。ロルフィングを体験してわかったことは、日頃自分自身の身体感覚に注意(意識)を向けるようにしていたつもりだったけれど(呼吸や五感など)、自分が注意を向けていると思っていたのは、ほんの一部に過ぎなかったということ。ロルフィングを受けて、身体感覚に注意を向けて感じられる範囲が拡がった感じがする。例えば、歩いているときに、ちょっと視野の角度を拡げてみたり、脇腹あたりにも意識を向けたり、身体の軸を感じてみることで、「この世界にいる」「この世界に立っている」という感覚がもてる(ロルフィングのコンセプトは、重力との調和だそうだ)。感覚が拡がることで、身体がもっと自由になった感じがする。ロルフィングの効果かどうかはわからないが、寝つきも更によくなった。重力にまかせて寝るのか?理屈はわからないが、とにかくよく眠れるのは有り難い。

 その他にも、読みかけの何冊かの本、好きなテレビ番組など、日々のちょっとしたドキドキとワクワクをあげると、もっとありそうだ。よりよい援助が提供できるよう、まずは生活のなかでのちょっとしたドキドキとワクワク、新しい発見と刺激を楽しみながら、心身のエネルギーを保ち続けられたらと願っている。

(2010年9月)

2010.08.12 五感
古代エジプトの香油

村本邦子

 エジプトへ旅をした。ダイビングがおもな目的だったが、せっかくの機会なので、ピラミッドやスフィンクスも見ておこうと、カイロに滞在した。そこで、エジプトの香油と出会った。エジプトの香水瓶についてはガイドブックで読んでいたが、香油についてはどこにも書かれてなかった。でも、そう言えば、昔、アロマの勉強をした時、古代エジプトの香油について書かれていたっけ。

 パピルス文書(紀元前2800年頃)には、古代エジプトにおける薬草の使用方法が記録されており、神殿で乳香(フランキンセンス)や没薬(ミルラ)を焚き、神に捧げられていた。香油は非常に貴重なものであったため、ファラオたちの墓にも納められ、後の世の盗賊たちは、宝石よりも香油を盗んだそうだ。ミイラを作る時にも香料が使われ、1922年、ツタンカーメン王の墳墓が開かれたときは、3千年以上の時間を超えてなお香りが残っていたというから驚きだ。このツタンカーメンの黄金の玉座には、王妃が王に香油を塗っている場面が描かれているし、クレオパトラがバラ風呂に入り、香油を愛用していたことは有名だ。耳にローズ、手首にジャスミン、おへそにロータスと、体の部位ごとに違う香油をつけていたと聞いた。

 香油屋さんに入ると、香油の名前のリストを渡され、希望のオイルの名前を言うと、たくさんの瓶がずらりと並んだなかから、選び出して試させてくれる。シャネルを初め、有名な香水の原料はエジプトの香油なのだそうだ。エジプトの香油は、水もアルコールも使っていない純粋なエセンシャル・オイルだから、10年は持つという。アロマの勉強では、エセンシャル・オイルの使用期限は1~2年と習ったので、「ほんまかいな?」と疑わしく感じるが、ツタンカーメン王の香油は何千年も薫っていたというのだから、まんざら嘘ではないのかもしれない。あるいは、特殊な製法なのか?ざっと調べてみた限りでは、情報は得られなかった。

 ロータス、パピルス、ライラック、ひまわり、百合・・・、普段、見かけない花のオイルがたくさん並んでいる。もちろん、ローズも。ローズのエッセンシャル・オイルを日本で買えば、倒れそうに高いが(小さな小さな小瓶で万とする)、エジプトでは普通だ。「キー・オブ・ライフ」(エジプトの古書や絵に出てくる円形の取っ手のついた十字。命を表すヒエログリフで神の標識)、「クレオパトラ」「5つの秘密」「砂漠の秘密」などのブレンドも。アロマ好きの私には、どれも魅惑的で甲乙つけがたく、結局、少しずつ12種類ものオイルを買った。

 何から試そうかな?今日は、ブレンド「谷の百合」を部屋に焚いてみた。意外にもオレンジ系の明るい香りだ。そして、パピルスのコロンを自分に振ってみる。甘さが混じるがどちらかと言えばスッキリした香り。古代エジプト人が紙を作っていたあのパピルスだ。巨大なカヤツリグサをイメージするといい。葉の部分が太陽に似ており(太陽というと丸を思い浮かべるかもしれないが、光線の部分。太陽の神、アテン神の姿も、赤い丸からたくさんの腕を伸ばした形をしている)、茎を切るとピラミッドの形をしているので、とても神聖な植物とされた。

 エジプト旅行の残り香を楽しみながら、また元気に働こう。

(2010年8月)

2010.03.10 子ども/子育て
巣立ちの春

西 順子

 この春、社会人になる20歳の娘が家を出ることになった。この一カ月は、娘の一人暮らしの準備を手伝いながら、物理的にも忙しかったが心も落ち着かないでいた。娘の一人暮らしを自分のことのように感じてしまっているのか、なんだかそわそわ気にかかる。頭では、娘が家を出て一人暮らしするのは喜ばしいこと、親としてはどっしりと構えて、子どもに任せ、陰でそっと自立を応援してあげたいと思うのだが、冷静になれずにあれこれ心配してしまう。でも、それが思いのほか、強い感情で自分の心がこんなに揺れるなんて・・と、自分でもびっくりした。その落ち着かなさ、じっとしていられないような衝動って何だろう・・、自分の心に聴いてみた。すると、現在と重なる過去の出来事が思い出されてきた。

 思い出されてきたのは、親からの自立と依存の間で葛藤していた自分だった。高校を卒業したら家を出たいと切望し、実際大学入学と同時に家を出ることが叶った。大学進学は何を勉強するかよりまずは家を出ることが目的だったくらいだ。新しい世界での体験はいいことばかりではないけれど、自分について気づかせくれ、私をとても成長させてくれた。

 でも、大学卒業のときに実家にまた戻ることになった。一人でやってみたい気持ちと不安な気持ちとの間で揺れながら、残念だけど一人でやれる自信をもてなかった。大学時代は学校があり、友達がいて、自分を守ってくれるものがあったが、社会という大海原に1人で出ていくことに不安を感じていた。結局、親からようやく自立できたのは結婚のときだった。

 娘の一人暮らしの準備を手伝いながら、その当時のことが走馬灯のように思い出され、思わず涙が出てきた。そして、今現在の私と過去の私が対話した。「私は今、自分がしてほしかったことを娘にしてあげているのかな・・」「でも、当時の私は親に何かしてほしいなんて全く思ってもいなかったよ。ただ、自立したくてもできない不甲斐なさ、情けなさ、なにか無力感のようなものを感じてはいたかな」「だからかな。娘には、いいスタートをきってほしい、そんな気持ちが強いよね」・・といった具合に。

 娘への感情には、私の叶わなかった思いを重ねているのかと気づくと、「誰かに自立を応援してほしかったのかな」と、無意識にあったニーズに気づくことができた。誰かが応援してくれているという安心感があれば、一歩踏み出せたのかもしれない。

 そんな私もようやく自立を実感できるようになった。それは自由と責任の感覚であり、今はたくさんの応援もある。未解決だった過去の私の気持ちを思い出して消化しながら、「娘は私とは違うのだから」と娘との間には一線を引いて、陰ながら娘の自立を応援していたいと思った。

 するとなんと今度は、親としての感情、娘との別れへの寂しさがあふれてきた。娘を引きもどしたいような気持になった。生まれたときの赤ちゃんの頃の姿から、思い出が走馬灯のように出てきて、いつまでもいてほしいような気持ちになった。産休明けに子どもを預けたときの、別れの切ない気持ちも重なって出てきた。あのときの切なさと重ねているのかなと気づくと、今の気持ちが落ち着いた。

 いろんな気持ちに大いに揺れた一カ月。あとで振り返れば、笑い話になるようにも思える。私の感情は自分で整理してちゃんと引き受けながら、娘の門出を祝ってあげたい。フレーフレー社会人一年生、陰ながら応援しているよ!

(2010年3月)

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