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FLCスタッフエッセイ

2009.07.10 こころとからだ
身体の声を聴く~身体感覚のリズム

西 順子

 今年の年報のテーマは「身体の声を聴く(仮題)」。今スタッフそれぞれが年報のテーマに取り組んでいる。私自身も、日常生活のなかで、また臨床活動のなかで、近年少しずつ「身体の声を聴く」ことを意識するようになってきた。

 日常生活で身体に注意を向けるようになったきっかけの一つは、4年前のこと。ストレスのせいか体重がどんどん増え、ついに健康診断で「肥満度1」のチェックが入ってしまった。そのころ、体調もよくなかった。身体がしんどくて、どこか悪いのではないかと疑ったが、健康診断で他の異常はない(コレステロール、中性脂肪にはチェックが入っていたが)。慢性疲労だったのか? メンタル面からくるしんどさだったのか? 老化からくる変化か? 原因はよくわからないが、身体のしんどさに不安を感じていた。健康診断の結果を機に、このままではいけないと思い立ち、肥満を解消しよう、生活習慣を変えようと(夜、家で仕事をしたりパソコンに向かっていると、やたらとお菓子を食べてしまう)、ジムに行ってみることにした。以前ジムに入会したこともあったが、その時は挫折した。ただ黙々と走るランニングマシーンがおもしろくなくて、続かなかった。だから今度は、マシーン以外のものでやってみようと、スタジオプログラムに入ってみた。そこではじめてエアロビクスに出会ったのだが、それがとても楽しくて、すっかりはまってしまった。最初の目的はどこかに行き、とにかく楽しいし、上達するのも嬉しくて、一年間は時間を見つけてせっせと通うこととなった。

 中学の頃、一年間だったがモダンバレエを少し習ったこと、20代の頃にも一年くらいジャズダンスを習ったことも思い出し、自分はダンスが好きだったんだ、と懐かしい気持ちになった。しかも、昔は振付を覚えるのが苦手で、ダンスを楽しむまでには至らなかったが、エアロビクスは覚えやすくて、楽しめる。身体を動かす方法にはいろいろあるけれど、私には、音楽のリズムに合わせて楽しく身体を動かせるのが合っているんだと気づいた。夫は、黙々と走るランニングが好きなので、人にはそれぞれ何が合っているかは違うんだ、と納得する。一時の熱は冷めたが、今も週に一回程度は、気分転換にエアロビクスをしているが、楽しくて、好きだからこそ続けられる。

 もちろん、身体を動かすことでの効果もあった。身体面での効果では、肥満が解消されただけでなく、心肺機能は高まり、筋力がついて、駅の階段も一段飛ばしでも軽々と登れるくらい健脚になって、身動きが軽くなった。身体を動かすのが苦にならなくなった。しんどくて、だるいという体調の不調もいつの間にかどこかにいっていた。そして、身体面の効果以上に、精神面での効果もあった。身体を動かすことで心・気分も変化するんだということを発見した。しかし、もし好きではないこと(ランニングなど)を、「身体のため」と嫌々していては効果はなかったのだと思う。好きだし、楽しめたからこそ、効果もあったのだろう。

 特に、何がよかったかというと「身体が喜ぶ」という「心地よさ」を十分に味わえたこと。その「心地よさ」とは、「身体のリズム」を感じることでもあった。エアロビクスでは、徐々に身体を動かして、後半で走ったり飛んだり跳ねたりするが、息が切れてもうこれ以上走るのは苦しい~というところで、ちょうどペースダウンに入る。そして最後はストレッチをしてリラックスして終わる。交換神経が徐々に覚醒し、ピークに達したところで、徐々に緩めてリラックスへと入り、弛緩する。その身体のリズムというか、覚醒からリラックスへと、身体感覚が波のように変化していくのが心地よい。身体が心地よくなると、気分もリラックスする。リラックスしてストレッチしていると、心にしまっていた感情がじわっと出てきたり、涙が出てくることもあった。身体がリラックスして解放されると、心も解放されて涙がでるとは、最初は不思議な感じだった。でも、心と身体は本来一つのものであると考えると、ごく自然なことといえる。

 年報では、トラウマ療法として、身体感覚を使う<ソマティック・エクスペリエンス>を取り上げたいと思っているが、開発者であるリヴァインは、身体感覚の「自然のリズムに同調し、尊重することはトラウマの変容のプロセスの大切な一部」であると言う(※)。

 私がエアロビクスを通して取り戻せたのは、身体のもつ自然なリズム、身体感覚のリズムだったのかもしれない。自分のリズムに気づきやすくなったのか、日常のなかでは、呼吸のリズムに注意を向けることが多くなった。呼吸のリズムを感じ、そのペースにまかせていると、気持ちも落ち着いていく。リズムが感じれないときは、エアロビクスで身体を動かすことで、覚醒から弛緩へと流れていく身体感覚の心地よさを取り戻しやすい。

 現在、ソマティック・エクスペリエンスのトレーニングを受けている最中であるが、トレーニングが受けられることに感謝して、自分自身が経験し学んだことを、来談されたクライエントさん、周りの人々に還元していければと思っている。身体感覚に気づくことで、「私は生きている」という生の肯定、実感につながるものと確信している。

※『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』
(ピーター・リヴァイン著・藤原千枝子訳、雲母書房)より

(2009年7月)

2009.06.12 ライフサイクル
おさがり

村本邦子

 娘が、私の「おさがり」を愛用してくれる。体型としては、娘の方が細長いけれど、意外に問題なく着れてしまう。そして、だんぜん、娘の方が良く似合う。基本的に、私は、かわいいもの好きだし、年齢の自覚なく、つい若向けを買ってしまうので、当たり前と言えば、当たり前であるが、同じ服を着ても、組み合わせのセンスが違うし、体型や雰囲気も違うので、まったく別物のように見えてしまう。

 私の子ども時代も、生活に余裕がなかったので、服を買ってもらうことはなく、母の手作りか、回ってきた誰かの「おさがり」ばかりだった。と言っても、母が、安いレースやビーズを見つけてきては、かわいく飾りつけしてくれたり、自分で「おさがり」の組み合わせを考えて、ファッションノートを作ったりしていたものだ。要するに、服は、単に着れたらいいというより、楽しむものだった。この姿勢は今も変わらない。

 今で言えば、リサイクルということになろうが、使い古したものに新しい命を与え、誰かから誰かへと受け継いでいくわけだ。考えてみると、子育てや教育にも似たようなことが言えるのではないだろうか。知識であったり、経験であったり、上の世代が獲得してきたものを次の世代に手渡すが、手渡された者は、必ずしも、それをそのまま使うわけではなく、時代や状況に合わせ、新しい自分なりの知恵として活用していく。

 子育てや教育が古い人のコピーになってしまうようなことがある。上の世代が、下の世代を自分の思い通りにしようと期待する場合だ。よかれと思ってには違いないが、これでは、下の世代が上の世代を超えることはできないし、時代の変化に柔軟に対応していくことはできないだろう。私も、だんだん年を取り、上の世代に属することが多くなっていくが、独りよがりにならないよう要注意だと、日々、自戒している。

 「おさがり」をそのままにでなく、新しいものを付け加えたり、組み合わせたりしながら、使う人の個性で、新鮮に蘇らせる。パッと眼には気づかれにくいが、よくよく見れば、他の誰かからもらったものを活かしていることがわかるというのが粋だな・・・と思う。

 よく、「息子しかいなければ母親はいつまでも若々しいままだが、娘がいると母親は早く老ける」と言うが、娘のファッションを見ながら、「こうして私も年を取っていくんだな~」と、それはなんだか嬉しいことのような気がしている。思えば、うちのスタッフたちも、仕事上の私のアイディアややり方の「おさがり」を拾っては、大事に生き返らせてくれているものだ。これっと、とっても幸福なことなのではないだろうか。それでは、私の人生のどの部分は誰の「おさがり」なのかしら?などと考えながら・・・。

(2009年6月)

2009.06.01 カウンセリング
「心」と「身体」をつなぐトラウマケア

西 順子


 ひとの「心」に関心をもち、「その人らしさを大切に、人生を歩むお手伝いができれば」と心理的援助に関わるようになり20年、カウンセリングに携わるようになって約10年がたちます。特に、心の傷つき(トラウマ)のケアに取り組んできましたが、近年、「身体」のもつ力に関心をもつようになりました。PTSD、パニック障害、うつ、心身症など、心身の健康の回復を望んで来談される方のニーズに応えられるようにと、効果があるとされる新しい方法を学ぶなかで、「心」と「身体」の結びつきについて再認識するようになったからです。最近、「身体」にはそもそも自然治癒力が備わっているのだ、という思いを強くしています。

 トラウマケアに効果が認められている方法には、認知行動療法、EMDRがありますが、フォーカシングや臨床動作法もトラウマケアに使われています。どの方法も、身体にアプローチする側面を含んでいます。
 今年、自然なアプローチ法を用いてトラウマ症状を解決する、新しいトラウマ療法が我が国にも導入されました。ソマティック・エクスペリエンス(身体経験)メソッドです。開発者である医学生物物理学博士・心理学博士ピーター・リヴァインは、「トラウマの癒しの鍵は、強烈な感情より、身体感覚にある」と言います。
 生命体は、脅威にさらされたときに、戦うか、逃げるか、そのどちらもできないときに、凍りつくか、の反応をします。これは生存のために自動的に起こる自然な反応ですが、「凍りつき」によって、PTSD症状のほか、さまざまな心身の症状、衝動的行動が起こります。リヴァインは、この「凍りつき」反応を解放していく方法を見出しました。「凍りつき」を解放していくことで、トラウマによって切り離された、「感覚・イメージ・情動・行動・意味」がつながるのです。
 この方法は、誰もに自然に備わっている「身体感覚への気づき」を使うということで、とても安全であり、エンパワメントの手法だと感じています。

 カウンセリングでは、来談された方のニーズや希望に応じて、従来の「言葉」による心理療法に加えて、「身体感覚」に働きかけるアプローチも取り入れています。「心」と「身体」とのつながりを取り戻すことで、「ありのままの存在」として自分を大切に感じ、生きることの意味を発見していけるものと、実感しています。関心のある方は、カウンセラーにおたずね下さい。

参考文献:
『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』ピーター・リヴァイン著、藤原千枝子訳、雲母書房
『PTSDとトラウマの心理療法~心身統合のアプローチの理論と実践』バベット・チャイルド著、久保隆司訳、創元社

                           (2009年6月発行ニュースレター特集より)

2009.04.10 自然
自然のエネルギーに満たされて~西表島体験

西 順子

 一年程前から、西表島に行ってみたい・・となぜだか心を動かされるようになった。その大自然に心惹かれたことはもちろん、ただ景色を見るだけじゃなく、自然のなかで「体験」することに、ワクワクと気持ちが動かされていた。家族を誘い、昨年末に計画を立て、先月末に、ついに実現することができた。

 シーカヤック漕ぎ、滝を目指すトレッキング、海でシュノーケリングもしたいし・・と思うと、いろいろと調べたり、準備しないといけないことも多かった。仕事で忙しい時にここまでエネルギーをかけて、行く意味はあるのかな・・と、弱気な気持ちになる時もあった。

 でも、実際行って、帰って来てみると、「ほんと行ってよかった!」「またぜひ、行きたい!」に尽きた。「さあ、明日からもがんばるぞ~」と元気になって帰ってきた。西表島に移住された方が主催するツアーを二日間体験したが、島をよく知る方に案内頂けて、西表島の自然を満喫することができた。

 ある一日。マングローブに覆われた川の中をシーカヤックで上流へと漕いでいく。川に入っていくと、やがて車の音も聞こえなくなり、聞こえてくるのは、鳥のさえずりだけ。人は、私たち家族とツアーガイドさん以外誰もいない。海に出た時の風の強さとは一変し、マングローブが防風林代わりとなって、川の中は穏やかで静か。雨が止んで、太陽の光が注がれ、それを喜ぶかのように、気持ちよさそうに、ひらひらと優雅に飛びかう蝶たち。秘境の地で、原始的な自然に包まれていると、人間である自分はなんてちっぽけな存在なのか、と思えてきた。なんてちっぽけな・・と思うと、自分が悩んだり、迷ったりしていることも、なんて些細なことかと思えた。自分がこうして生きているのは、たまたま、ただ自然に生かされているだけなのだと、命に対して敬虔な気持ちになった。私も周りの人たちも、こうして生きているのは、なんと有り難いことなのかと思うと、思わず涙も出そうになった。

 川の上流にたどり着いた後は、カヤックから降りて、トレッキングで滝を目指す。ジャバジャバと川の中を歩いたり、岩場を超えて滝へ。岩場ではすべらないようにと、特に足もとに注意を払って歩き、よじ登る。一瞬「怖い」「もしも・・」と不安がよぎりそうになるが、感じるより先に、足元に神経を集中する。「不安や怖さがよぎるときも、とにかく信じて、地に足をしっかりとつけて、歩むこと」と、トレッキングは、まるで人生の教訓を学ぶかのようだった。信じるとは、「ゆだねる」という感覚であることを実感した。

 河口に戻って来ると、この日は大潮の日(潮の干満差の大きい日)とあって、潮が引き、広い砂浜ができている。朝カヤックをスタートした時点から、水面の高さは2メートルほど違っていたかと思う。潮が引いた後の砂浜は小さなカニで埋め尽くされている。こんなに大きな潮の満ち引きがあるのか・・と、自然というより宇宙を感じた。

 ・・「体験する」とは、まさに「体」で「経験する」ことであった。五感で、体全体で感じて、体を使って、自然の生命のなかで、人間の生命を実感させられた。行く前は、こんなに深い体験ができるとは思いもよらなかった。本能のエネルギーを感じ、深い満足感で満たされた。一年前から、なんとなく行きたいと思っていた西表島だったが、自分の無意識が自分に必要なものを求めていたのかと、とても不思議な、納得する気持ちになった。

 命には限りがあるからこそ、生きていることに感謝して、今自分にできることを大事に、明日からもまたがんばっていこう。そんな気持ちになって、今年度がスタートした。次回は、海でシュノーケリングをして海の中の世界も見たいと、いつかまた西表島に行ける日を楽しみにしていたい。

(2009年4月)

2009.01.12 子ども/子育て
子どもたちの巣立ちを迎えて

村本邦子

 今年、息子が成人式を迎える。そして、この春、娘が家を出て、いよいよ夫婦2人の生活となる。あっと言う間の子育てだった。こんな親だったが、本当に良い子たちに育ってくれ、日々、感謝である。

 振り返れば、巣立ちを予感させられる出来事は、ずいぶん前からあった。親が思い込んでいる子どもの顔と違う顔を知ったとき。親をうならせるような鋭い批判をされたとき。家よりも、外の世界に関心が向いて、出て行ってしまうようになったとき。親には想像も及ばない才能やすぐれた性質に気づかされたとき・・・。そのたびに、子どもの姿をしげしげと見直し、敬意をもって見上げ、もはや親が不要になりつつあることに寂しさと安堵、そして誇らしさを感じてきた。

 年末、子育ての総まとめのような形で、『プレ思春期をうまく乗り切る!大人びてきたわが子に戸惑ったとき読む本』をPHPから出版した。ちょうど、お盆休みの頃に、急ピッチで書き上げたものだが、そこに書いた子どもたちの状況にも、大きな変化が生じた。娘の突然の進路変更と、息子が長くつきあってきた彼女との別れである。さまざまな経験をし、いろんなことを味わって、さらにグッと大人になる仕上げをしたような格好である。

 そして、年末、息子はCDデビューを果たし、娘はイベントへの初出場を果たした。2人ともラッパーである。私には馴染みのない世界だが、好きなことに一生懸命、打ち込んでいる子どもたちを応援したくて、早速、息子のCDを買い(どころか、周囲に売って回っている)、娘のイベントに行ってきた(こちらも若い人を誘って)。

 息子のCDを最初に聴いたときは、ちょっとショッキングだった。娘と違って、息子の方は、これまで一度も自分の曲を聴かせてくれなかった。その理由がよくわかった。要するに、すっかり大人の男の世界なのである。そんな顔を母親に見せることを遠慮してきたのだろうか。これまでの私には、どんなに体が大きくなっても、かわいいかわいい小さな子どもだった頃の息子の姿が重なって見えていた。ちょうど、マトリューシカ人形のように、幼かった頃の息子から、小学時代の息子、中学時代の息子・・・と入れ子のように重なっているように思えていたのだ。今回、かわいかった小さな男の子が、「ママ、バイバイ!」と笑いながら手を振って、透明になって天に消えて行ってしまったような気がした。軽い喪失体験だった。

 娘のイベントの方は、「クラブ」というところが生まれて初めてだったので、とにかく若いパワーに圧倒されっぱなしの体験だった。こんな中で、独りで歌おうというチャレンジ精神にまずは脱帽である。初々しく恰好よく、ソロを2曲歌い、最後の曲は、音楽仲間と兄が友情出演した。息子だけ大人で、さすがに迫力あったが、仲間である高校生の男の子たちも何とも素敵な子たちだった。良い仲間に恵まれ、幸せなことだと思う。素晴らしい人間関係を拡げていく力も、この子たちの力だろう。若者たちが愛おしくてたまらなくなった。みんな幸せになって欲しい。

 「いつでも潔く死ねる」と思っていた若い頃から、子どもが出来て、何があっても死ねないと思った。変な話だが、一人で飛行機に乗る時など、万が一、飛行機が落ちて死んだとしても、幽霊になってでも生き続けるぞと思ったものだ。最近、まったくそんなことを考えなくなった。親がいなくなっても、この子たちは、もう立派に生きていけるだろう。願わくば、長生きをして、大人になった子どもたちと共に過ごす機会をいつまでも楽しみたいものだけど。

(2009年1月)

2008.10.12 五感
おしゃれを楽しむ

村本邦子

 めったに掃除をしない私だが(嫌いとか苦手とかいう意識はないのだけど、どうしても生活の中での優先順位が低い・・・)、なぜか衣替えはこまめにやる。着る物のことを考えるのは大好きで、日本文化の趣ある季節感を重視している(桜の柄の着物は、桜が咲く前のほんの一時期だけしか着ないといった)。「○○の時は、××を着ようっと!」と思っていても、こう不規則に季節が変わると、なかなか計画通りにいかない。それでも、いよいよ秋物の出番だ。

 しかも、先週は雨の日続き。これが嬉しかった。春に、とってもおしゃれな黒いレインブーツを買ったのだけど、はく機会がなかった。月曜は毎週泊りなので、ひどい雨に長靴をはいて行って、火曜に晴れたりなんかすると、興ざめなので、晴れても堂々とはいていれるおしゃれなレインブーツを長く探し求めていた。なかなかなかったが、ついに見つけたのだ。それに、これも長年探し求め、やっと去年、出会えたお気に入りのレインコート。きれいなパープル。これらに身を包み、ルンルン気分で出勤した。お気に入りの雨の日グッズがあると、雨の日が楽しみになる。今のところ、超お気に入りの傘はまだないので、電撃的な出会いを期待しているところだ。

 面接で話を聞いていると、女性たちのなかには、「おしゃれに気を配るのは良いことだ」という価値観と、「おしゃれのことに気をとられているのは恥ずかしく良くないことだ」という価値観があることに気づく。だいたいは、小さい頃に母親や父親から刷り込まれた女性性に関わる価値観だ。私にとっては、良いも悪いもなく、自分が楽しければやったらいいし、面倒くさかったらやめたらいいというだけのこと。その昔、フェミニストの集会で、「屈辱に震えながら、毎朝、口紅を引く」という女性の発言を聞いて、驚いたことがある。私自身、若い頃は、めったにお化粧をしなかったが(第一に面倒だったし、濃い顔立ちなので、ちょっとしただけでかなりケバくなっていたため)、最近は、結構、お化粧も楽しんでいる。年を取って、顔色が悪く暗く見えるが、ちょっと色をさすと華やいだ気分になる。
 
 年齢とともに服装の好みもちょっとずつ変化してるかな。相変わらず、華やかでかわいいものが好きだけど、無地を選ぶことが増えた(昔は絶対に上下無地ということはあり得なかった)。アクセサリーをつけるようになったからだと思う。きれいな色の石物がいい(妹夫婦がジュエリーショップをやってるし)。それに、スーツを着る機会が増えたかも。それでも、相変わらず、「まったく普通」のは避けている。先日、明るいブルーのセーターを買ったが、「これだけだとちょっと地味だから華やかなスカーフでもしないとね!」と言って、お店の人に笑われた。私が地味だと感じていても、外目には派手ということがある。

 もうひとつ、今年、パープルの毛糸のマントを買った。早く寒くな~れ!もともと、ケープやポンチョ類が好きなので、集めているが、ここ数年、流行り気味なんじゃないだろうか。よく見かける気がする。そう言えば、二十数年前に愛用していた黒のマントを長く使っていない。今年は出番があるか!?ン十年前の服まで捨てずに取ってある私。掃除ができないはずだ・・・。と言っても、最近では娘が歓迎してもらってくれる。我が身だけでなく、家のおしゃれも楽しめるようになったらいいのだけど、家にいる時間が短すぎるんだよね~(老後は、着なくなったプリント柄の服の数々でパッチワークを楽しむ計画がある)。

(2008年10月)

2008.10.10 こころとからだ
ワークショップ体験~体とつながる

西 順子

 年に数回、臨床の勉強のために、関心のある研修に出ているが、なかでもワークショップ体験は好きだ。自分が体験し、実感してこそ納得する・・というタイプだからでもある。
 10月は、2日間「第二回21世紀統合医療フォーラム」に参加した。2日間にわたって、さまざまな「からだ」に関わるワークショップが開催されていて、どれもとても面白そう、全部参加してみたいくらいだった。私が選んだのは、中川一郎さんによる「タッピング・タッチ」、藤原千枝子さんによる「ソマティック・エクスペリエンス」、そして藤井里香さんによる「フェルデンクライスメソッド」。この2日間では、新たな刺激を受けてのワクワク感と、体とつながることの心地よさを感じさせてもらった。
 
 タッピングタッチは経験したことがあったが、開発者の中川さんから直接教えてもらえるワークショップは初めてなので楽しみにしていた。その日は、とてもいいお天気で、さわやかな風が吹いていた。心地いい音楽を聴きながら、そして、窓から入ってくるさわやかな風と光を感じながら行ったタッピングタッチは、とても心地がよかった。音楽と調和したリズミカルな感じがとてもよかった。中川さんのお話から醸し出される、平和への願いとあいまって、スピリチュアルなものとのつながりが感じられるような経験だった。

 ソマティック・エクスペリエンスは、藤原さんが訳された『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』を、とても納得して読み、興味をもっていたので、特にワクワク楽しみにしていた。日頃フォーカシングを使うこともあり、体の不思議にはとても感銘を受けていたので、もっと奥が知りたいと思っていたところだった。直接お話が聞け、貴重なビデオを見せてもらえたことが、とても嬉しかったし、ありがたく感謝の気持ちだった。少ししか時間がなかったが、疑問に思っていたことを直接質問できて、答えてもらったことも有り難かった。また、いつかぜひ、もっとお話を聞かせていただく機会があれば・・と、またいつかを楽しみにしたい。

 フェルデンクライスメソッドは、スタッフのお勧めで参加した。体に無理をせずに行うゆっくりとしたエクササイズ。「痛気持ちいい」ではなく、体に無理をかけない、楽に行うというのがポイントで、それが目から鱗だった。首のコリ、肩のコリには、「痛気持ちいい」が効くものと思っていた。また、好きなエアロビクスは、エネルギー全開!で身体を動かすのが気持ちよかったが、疲れているときには体に負担をかけることなのかな・・と、ちょっと自分の体を振り返った。このエクササイズは、脳の神経系に働きかけるというのも興味深かった。ワークショップが終わった後は、体が「すっきり、楽」。こんな「すっきり、楽」っていいなと、こんなに楽な感じで毎日を過ごせたら・・と、とても関心をもった。 
 早速エクササイズの本を購入したが、本を読んで実践するまで・・時間がかかりそう。やはり、これは本を読むよりも、実際に体験して体で学ぶのがよさそう。今のところ、肩コリに効くというエクササイズだけは続けていて(これも、今までやってたストレッチとは逆の方法なのが面白い)、そのせいか、少しましなような気もする。
 
 二日間で、体と心がすっきりして、明日からまた頑張ろう~!とエネルギーをもらえるワークショップだった。体の声をよく聴いて、体が楽・心地いいっていう感覚を大事にしていこう。来年は、大阪で開催されるという。楽しみにしたい。

(2008年10月)

2008.08.10 トラウマ
非暴力と平和を願う~その2

西 順子

 前回のエッセイで書いたが、今年、研究所で取り組んできたテーマは「世代を超えて受け継ぐもの」。この7月には、IMAGIN21による「地獄のDECEMBER~哀しみの南京」を観劇し、ドラマセラピストのアルマンド・ボルカスさんによるプレイバックシアター「こころとからだで考える歴史のトラウマ」とワークショップ「アジアの若い世代が継承する戦争体験」に参加させていただいた。以前から参加するのを楽しみにしていたが(どんなふうに自分が感じるのかと)、思っていた以上に、心の奥深くに触れる、密度の濃い四日間だった。
 特に最後の二日間のワークショップが終わった時、心の奥深くが満たされたような、これまでにないものを味わっていた。これをどういう言葉で表現したらいいのかと思ったが、一番ぴったりときたのは「癒し」という言葉だった。魂が癒されるというのはこういうことをいうのだろうか。自分に対して、人に対して、人間に対して「優しい」気持ちになれる自分がいることに気づいた。癒し、それを体験できたのも、この四日間で、人間の心の闇に触れることができたからであろうか。

 これまで、研究所主催のグループも含めて、さまざまなグループに参加してきたが、グループで体験を語り合う中で、女性として、かつての子どもとして、「普遍性」を体験することができた。それは、「私だけじゃない、自分一人ではない」という体験である。しかし、今回の催しでは、私個人というより、家族として、普遍性を体験させてもらうことができた。私自身は、祖父母から戦争体験を聞くことはなく、父母からもほとんど聞くことはなかったため、戦争を身近なこととして実感することなくきてしまったが、今回の催しを通して、根っこのところでつながっているのだと感じられ、私の家族の歴史をも、全体の歴史の文脈に位置づけることができた。家族が孤立するのではなく、社会のつながりのなかに位置づけられるのだと思うと、とても安堵するような気持ちになった。
 つながりを感じることができたのには、ドラマという手法を用いて、からだ=五感を通して表現されていたからだと思う。ドイツで、アジアで、日本で、それぞれの家族が戦争による苦悩と悲しみを背負っていることを「人」を通して知ったが、それぞれの体験は違うものの、苦しみ、痛み、悲しみは、底でつながっているということを、ドラマの表現を通して感じさせてもらった。それは感情が伝わる体験だった。また、家族が背負った戦争のトラウマを自ら引き受けて、受け継ごうとしている方々の勇気と希望に向かう気持ちが、心にすっと染み渡り、敬意と尊敬の気持ちを感じさせていただいた。
 四日間での人と出会い、心とからだで感じた戦争体験を伝えて下さった方々に、感謝の気持ちである。

 もうすぐ終戦記念日を迎える。自分なりに過去の歴史と向き合い、家族とも戦争と平和について話し合う機会を持ちたい。自分が体験して感じさせてもらったことを、次世代の子ども達にも伝えていかなければと思う。 

(2008年8月)

2008.07.12 トラウマ
ドラマの力

村本邦子

 「地獄のDecember~哀しみの南京」を観た。期待を裏切らない舞台だった。前半と後半の二部に分かれ、前半では、ナレーターとともに、新聞記者、ミニー・ヴォートリン、渡辺さんと横井さんの「告白」などの声によって、歴史的事実、舞台の背景が与えられる。後半では、被害者と怨霊の声が、ストーリー性を持って私たちに迫り、「もう一度、生まれ変わりがあるのなら・・・幾重にもかけて・・・この罪と罰を、魂にきざみこみ、懺悔の生を生きてゆけたらと思う・・・。罪人の私、その罪をどう償うのか。地獄こそ、我が住家」と渡辺さんがきっぱりと言い放ち、幕が閉じられる。

 渡辺さん、横井さんにとって、繰り返し舞台を演じることは、トラウマの再演なのだと思った。演劇という形で再演することで、現実の再演を避けることができるし、うまく共感を得ることができれば、トラウマのシナリオは変容していくだろう。一緒に観た人たちの多くが、「最後が重すぎる。地獄には住めない・・・」という感想を漏らしたが、渡辺さんが地獄に住まざるを得ないのは、一人で背負うしかないからだ。私たちが、少しずつでも分かち合うことさえできれば、それはもっと軽くなるはずなのだ。ふと、若者たちの自傷や次々起こるおかしな事件は、歴史のトラウマの現実的な再演なのではないだろうかと思った。舞台の上での再演をみなで分かち合うことができれば、現実の再演は避けられるのではないだろうか。

 よくできた舞台だった。「こころとからだで歴史を考える会」の企画だったが、心と体だけでなく頭も使って向き合うことが求められた。そして、さまざまなところにいるさまざまな人々の視点、絶望と希望、さまざまな感情が惜しみなく散りばめられており、ひとつの事象をたくさんの角度から見つめることのできる構成だった。演劇とは、なんてパワフルなツールだろう。

 二日目の企画は、「プレイバックシアター~こころとからだで考える歴史のトラウマ」。アルマンド・ボルカスさんをファシリテーターとするこのプレイバックシアターは、昨年も経験したが、素晴らしい手法だ。提供されたエピソードから、役者たちが、一人の人の心の中にあるさまざまな感情の声を注意深く聴きとって、それぞれに演じてくれる。あたかも、どの感情も無視されず、聴き取られる権利があるのだと言わんばかりに。人殺しとは、もしかしたら、自分の心のなかの声のどれかを殺すことから始まるのかもしれないと思った。自分の心のなかにあるすべての声を救うために、複数の他者が全身全霊で耳を傾け、共感しようと努力してくれること、そして、それをたくさんの人々に証人として見守ってもらうことは、どんなに大きな力になることか。

 折りしも、この二日の昼間の私の仕事は、毎年やっている芸術教育研究所の保育士研修で、ロールプレイを使うセッションをやった。即興でやってもらう寸劇を通して、現場から上がってきたたくさんの疑問に、私が答えるよりずっと説得力のあるだろう答えが見えてくる。同じ答えが提示されても、与えられた答えよりずっとよく身につくことだろう。
 
 三日目、四日目の企画は、「過去を共有し、未来を築くワークショップ~アジアの戦後世代が継承する戦争体験」で、少人数のクローズトグループだった。ここで初めて、見るだけでなく、自分の感情を演じてもらう、自分が相手の感情を演じてみるということを経験した。自分の体験を受け取ってくれた相手が、懸命にそれを表現しようとしてくれる体験は、これまで経験したことのない不思議な感じだった。私はいつでも自分の感情のすべてに責任を持つ努力をし続けてきたが、その責任を手放す感じ。おもしろいことに、手放すことから見えてくるものがある。逆に、相手の感情を聴き取る努力をしたあと、体が演じるままに任せるというのも面白かった。プレイバックで見たときには、どうしてそんなことができるのか不思議だったが、意外とできるかもしれないと思えた経験でもあった。

 これまでも、多少はドラマセラピーを経験している。ひとつの有効な方法だとは思ってきたが、私自身に関しては、とくにドラマの力を借りなくても、自分の気持ちを扱うのに不自由を感じてはこなかった。ただし、この歴史のトラウマ、つまり個のレベルを超えた集合的トラウマを扱うには、ドラマの力がとても役に立つのだと感じた。今さらドラマセラピストにまではなれないが、部分的にちょこちょこ取り入れることはできるかも。そして、自分ももっともっと人の助けを借りていこうと思った。

(2008年7月)

2008.05.10 トラウマ
非暴力と平和を願う

西 順子

 今年の年報のテーマは、「世代を超えて受け継ぐもの」。このテーマについて取り組むために課題図書を読んだり(『ザ・レイプ・オブ・南京』『沈黙という名の遺産』など)、親の歴史を聴くインタビューを行ってきた。自分自身の歴史をも振り返り、受け継いだものを内省するなかで、負の遺産が今では正の遺産となっていることに気づかせてもらった。年報執筆に向けて取り組みながら、個人レベル、マスレベルで世代を超えて受け継ぐものについて思い巡らす今日この頃であるが、そんななか、4月にたまたま二つのミュージカルを観劇した。
 一つは、劇団四季の「ウエストサイド物語」。もともとミュージカルが好きだし、特にパワフルなダンスが好きなので、楽しみにしていたのだが、観劇しおわって、感動したというのかエネルギーを感じて心と身体が震えるようだった。社会の貧困と差別、憎しみと暴力、平和を求める闘いと願い。歌やダンスを通して表現されるものには、負のエネルギーと正のエネルギーとが渦巻いていた。差別、虐待、暴力、その連鎖を断ち切ろうとして生き抜こうとした若者の姿に、現代にも通じる非暴力への願い、祈りを感じた。平和とは人を愛することであると感じた。
 もう一つは、夫に誘われて、内容は知らずにたまたま行くことになった、大阪・憲法ミュージカル2008実行委員会主催の「ロラ・マシン物語」。このミュージカルはフィリピンで従軍慰安婦にされたトマサ・サリノグさんという実在の人物をモデルにしたもので、大阪では若手弁護士らが企画し、公募で集まった市民100人が演じている。物語では、戦時性暴力による深い苦しみと悲しみ、それを生き抜き、超えて生きようとする人間の尊厳をかけた正義を求める闘いが描かれていた。主人公、そして民衆のエネルギーが渦巻く舞台、平和を求める願いに、魂が揺さぶられるようだった。感動とともに、同じ過ちを繰り返してはいけないこと、人間の尊厳を奪うことがあってはならないこと、真実と向き合うことが大切なこと・・を伝えてくださった、トマサ・サリノグさん、出演された市民の方々、このミュージカルを創った方々、企画された方々に感謝したい気持ちとなった。

 二つのミュージカルを観劇して、暴力へと向かう負のエネルギーと、非暴力と平和を求める正のエネルギーが拮抗するなかで、その渦を超える正のエネルギーを感じとった。正のエネルギーは、「生」のエネルギーでもある。負の遺産と向き合うことで、負のエネルギーを非暴力と平和を求めるエネルギーに変容させていくことができるのではないだろうか。まずは私にできるところから、一人一人の人間の「歴史」の真実と向き合っていきたいと思う。 
 7月には、ドラマセラピストの方の平和教育ワークショップとプレイバックシアターに参加する予定であるが、ここでもまたどんな体験ができるのか、とても楽しみである。

(2008年5月)

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