1. ホーム
  2. FLCスタッフエッセイ

FLCスタッフエッセイ

2016.05.11 子ども/子育て
お弁当作り雑考 ー 日米での比較

                                        金山あき子

 春ですね。新学期もはじまり、わたしの娘の幼稚園のお弁当作りも、はじまりました。7年間のアメリカ生活から日本に引っ越してきて1年、いろいろな「逆カルチャーショック」を体験してきましたが、日本のお弁当文化もまたそのうちの一つかもしれません。

アメリカで娘をプリスクール(保育園・幼稚園)に行かせていた頃、よく作っていたお弁当といったら、タッパー入りご飯に、茹でたブロッコリー、プチトマト、そこにゆで卵があれば上出来といった、いたって簡素なもの。周りのアメリカ人達のお弁当にこっそり目をやると、これまたシンプル極まりないランチ。ピーナッツバターを挟んだだけのサンドイッチ。スティック野菜(にんじん)とパン。ケサディヤ(メキシコ風の薄焼きチーズパン)。りんごだけ。ジップロックにナッツだけ(!)などなど。自由だな〜。栄養は大丈夫かな?などと少しの心配はありつつも、私はこの、「自由」な弁当作りの雰囲気を、大いに楽しみ(楽をし)ました。特に、周りの母親達は、共働きの人が多く、彼女らの忙しいライフスタイルには合っているようでした。

しかしアメリカではやはり、子ども達の食事と健康が深刻な問題になっていました。多くの小学校でのランチのメニューはピザ、ホットドッグとハンバーガーのオンパレード。子どもたちがスーパーで買うアメリカ版のお弁当箱「ランチャブル」は、ビスケットとクッキー、プロセスハムとチーズ、砂糖が一杯のパックジュースが箱詰めされたもの。こういう状況もあって、アメリカにおける子どもの肥満の割合は増加の一途を辿っており、ランチの内容をヘルシーに工夫することや、子どもたちへの食育の必要性が叫ばれていました。

 

かたや、日本の「お弁当」は、海外でも"Bento"の固有名で通るほど、独自の文化です。運動会の日に見た、日本のお母さんたちの作ったお弁当のおかずのバラエティ、色どりや飾りの美しさには、目を見張るものがありました。帰国後は娘からも、「可愛いパンダのお弁当作って〜」と、かつてなかったリクエストが出るようになり、嬉しい反面、朝の忙しい時間に大変やな〜と複雑な気持ちも湧いてくるところ。「周りと違う」ことをあまり良しとしない日本文化の中では、一定の「クオリティ」を持った弁当を作る事が、お母さん達のプレッシャーになってくることもあるだろうなあ・・と考えさせられました。

そんな折、本屋さんで、「今日も嫌がらせ弁当(三才ブックス)」という本を発見。反抗期の娘の毎日のお弁当に、のりやチーズ、カラフルな食材で、時にブラックな、時に愛情いっぱいなメッセージや絵を描き、弁当の面をまるで切り紙細工のように仕立てながら、母親が娘に愛憎を伝えてゆくやりとりが、写真とともに綴られていました。つくづく、日本人にとってのお弁当は、アートや美的なものにもなり、濃密な感情の表現や、コミュニケーションのツールにもなりうるんだなあ、と再確認。「弁当」という小箱には、色んな思いが詰まっているのだ・・などと、しみじみしながらも、ずぼらな私はといえば、アメリカ式ランチボックスで、思いきり楽をする日もあれば、日本的に気持ちを込めて弁当を作る日もあり、 どちらも捨てがたい。でもどちらでも、あくまで「健康・簡単・楽しめる」弁当作り、という具合を保てるように。自分なりのいい塩梅、中庸を模索している今日このごろです。

2016.04.26 子ども/子育て
子どもたちにとっての喪失体験-出会いと別れの新学期―

福田ちか子

 

 4月は、入園や入学,引っ越しや転勤,クラス替えなどいくつもの新しい出会いの時期である。そして同時にそれは、多くの別れも意味している。身近な大人と離れて過ごすことになったり、仲の良い友だちとクラスが変わったり、卒業や引っ越しで、それまで過ごした親しみのある家屋や風景とさよならする別れもあるかもしれない。そうした喪失の体験は、子どもたちにとってどのようなものか、少し考えてみたい。

 

 子どもたちにとって、喪失体験というのは、日常に遭遇する可能性のあるものであり、また心身のバランスを揺るがす波が起こる出来事でもある。波を乗り越えて前に進む力を身につけることにつながる体験でもあり、バランスを取り切れず、調子を崩したり、喪失による傷つきを深める結果につながるものでもある。

 

 精神分析においては、喪失体験を内的なものと外的なものに分けて捉えている(小此木、1979)。森(2015)は、外的な対象喪失とは、「大事な対象が目の前からほんとうにいなくなってしまう、なくなってしまうことを意味」し、内的な対象喪失とは、「その対象が目の前にあり続ける中で、その対象に対するそれまで抱いていたイメージを失ってしまうこと」としている。

 

 こどもが遭遇する内的な対象喪失とは、大切に思っていた大人や、大切に思っていた友だちか裏切られるような体験や、暴力を受けること、相手の、それまでの信頼を裏切るような行動を見聞きしたときに起きうることであり、例えば、思春期に大人への幻滅を感じることや、被害体験としていじめや、虐待に遭った場合などにも起こりうる。

 

 外的な対象喪失は、例えば、大切にしていたものを無くしたり壊れたりすること、引っ越しや進学、クラス替え等の節目に起こりやすい大切な人と別れや、大切な人との死別、ペットとの死別、両親の離婚などがあげられる。

 

 喪失に伴う感情は、怒りや悲しみなど、一般にはネガティブとされるものであるために、子どもたちは「いつまでも悲しまないで」「早く忘れなさい」「そんな風に思わなくても大丈夫だよ」などと、周囲の大人からポジティブな感情に置き換えるように促される場合や、あるいはその喪失が周囲の大人にとっても大きな体験であり、大人たちの悲しみや、日々忙しく十分に悲しむ時間が取れない大人の焦りに圧倒されて、表現する機会が失われてしまうこともある。

 

 先人の知恵や、さまざまな研究において、喪失体験は、その体験やそれに伴う感情を(言葉や絵、音楽などどのような形でも)表現すること、一緒に分かち合うことが大切とされている。それは喪失の瞬間に受け止めきれなかった悲しみなどの感情を感じなおす過程でもあると言えるだろう。また山本(2015)は、留意点として、現実に関わる営み(日常生活)を行うことの大切さにも言及し、喪失と向き合い表現し分かち合う時間と、喪失と距離を置き日常の現実に取り組む時間の両方を繰り返していくことが大切であると述べている。

 

 森(2015)は、児童文学を引いて、子どもたちの回復力について、ただ距離を取り忘れ去ることが回復なのではなく、悲しみの中に「ずーっと、ずっと、だいすきだよ」などと、対象との間で確かに体験した楽しかった思い出や、良いイメージを見出し、心の中に取り込むことで成長し、その対象との体験を今の記憶に統合しながら過去のものにしていくことができる回復の過程を示している。

 

 いくつもの出会いの裏にいくつもの別れがある新年度、大人にとっても多くの新しいことが始まる忙しい時期でもあるけれど、もしも身近な子どもに、心身のバランスが乱れるサインが見えたとしたら、別れたものを一緒に振り返る時間をもってもらうことが大切な時であるかもしれない。

 

参考・引用文献 

森 省二 2015 絵本・童話・児童文学にみる「別れ」. 児童心理.  Vol.69 金子書房.

森 さち子 2015 子どもの心を襲うさまざまな喪失体験―その体験を大人が抱えることをめぐって.  Vol.69 金子書房.

小此木啓吾 1979 対象喪失-悲しむということ. 中公新書.

山本 力 2015 子どもの離別と死別-悲しみの心理臨床学. 児童心理. Vol.69 金子書房.

2016.04.04 いのち
語り部バスに参加して

                                          西順子

 2016年3月の連休、何年かぶりに春の旅行に出かけました。子どもが幼い頃は春休みによく家族旅行にいったものでした。
 行き先は、いつか一度行きたいと思っていた宮城県の南三陸町志津川にある南三陸ホテル観洋。以前、コミュニティ心理学会の催しがこのホテルであり、語り部バスがあると聞き、ぜひ行ってみたいと心に残っていました。そして今回、娘2人を誘い旅行として行くことが叶いました。
 バスガイドの職員さんが何度も「ぜひ伝えてほしい」と話されていましたので、少しでも伝えられたらと、見聞きしたこと、感じたことを書きとめておきたいと思います。

 語り部バスとは、「震災を風化させないために」と、自らも被災者となったホテルのスタッフが「語り部」となり当時の様子を伝えながら、南三陸の現状をバスで見学するものです。2012年2月より始まり、毎日バスを運行しています。
 
 南三陸町では東日本大震災当日、震度6弱の揺れと最大20m以上の津波が襲来しました。ホテルは二階まで津波により浸水。ホテルには宿泊客、職員スタッフ、周辺住民あわせて約350名が滞在しており、震災直後から対応されていました。2011年5月からは二次避難所として600名の地元の住民が引っ越して来られ(同年7月24日まで)、共にコミュニティ作りに取り組まれたということです。

 さて語り部バスは朝ホテルを出発して約1時間の行程です。この日は春休みということもあってかバスは二台、しかも満員でした。バスはホテルを出てすぐのところ、周囲は何もないただ土だけが見える場所に止まりました(工事中でトラックがあるだけでした)。土は所々高く盛られ、バスの座席からは見上げるくらいでした。

 「ここには家がありました。店がありました。街がありました。きれいな川が流れていました・・」とガイドさんが教えてくれました。そして、そこにあった小学校の話をしてくれました。より安全なところへと高台へ、そして小高い林へと移動し、寒くて暗い夜を子どもが寝ないようにと、みんなで校歌を歌って夜を明かしたそうです。
 学校があったであろう場所(今は何もなく土が盛られたところ)と、高台にある家、林を見ながら、私は自然災害の厳しい現実に衝撃を受けると同時に悼む気持ちで、ただただガイドさんの話に耳を傾けていました。

 次に移動したのは、すぐ近くにある中学校。時計は、地震が起こった時刻の14時46分過ぎで止まっていました。建物は残っていますが、震災以後、授業は開かれることはなく、この建物は別の施設になるとのこと。子ども達のために卒業式だけはこの学校で開催されたそうです。校庭には駐車場と仮設住宅が建っていました。お話によると、仮設住宅を出られるのは当初1年後と言われていたのが、2年後、3年後・・と言われ、現在に至るとのこと。そして震災から5年たった今、仮設から出られるのは5年後と言われており、今なお厳しい暮らしを強いられているということでした。

 それからバスは街の中心部へと移動。途中、海岸線に沿って線路があり、電車が通っていたそうですが、線路が流されてしまったということでした。「もう一度ここに電車を走らせたい。それが50年後でもいい、もっと先でもいい、ここにもう一度電車を走らせることに意味がある」というようなお話をされていました。念願がかなってやっと開通した線路で、電車から見える景色は本当に素晴らしかったそうです。でも現在、線路の復旧の目途はなく断念されているとのことで、それでもあきらめずに、働きかけていこうという思いに、本当にこの街を愛していること、自分の命を越えて、未来に生きる人々へと希望をつなげたい・・という思いが伝わってきました。 

 街があった中心部に着くと、そこにあるのは盛り土であり、草はらでした。「ここにもたくさんの店があり、家があり、街があった」とお話してくれました。いずれこの盛り土は平らにされ、何年後かには新しく街ができるということでした。

 そして今も鉄骨が当時のまま残っている防災対策庁舎の前でバスは止まりました。最後の最後まで、「高台に避難して下さい」と住民に向けてアナウンスをしていた職員さんのお話をしてくれました。庁舎は三階建で屋上2mを越える津波が押し寄せたのでした。今年4月から工事の関係で、ここには入れなくなるということです。

 ガイドさんが何度も言われていたことは、この震災の体験を伝えて行かなければならない、風化させてはいけない、ということでした。

 55年前、この地域にはチリ地震、津波が起こり、その経験を元に、防災マニュアルが作られ、皆が津波に備えて訓練していたと。でも今回の東日本大震災は、チリ地震を越えるもので、想像を超えるものであったこと、そしてチリ地震以前に起こった震災の記録、記憶はなく、風化してしまっていたこと。過去に起こった経験を活かせなかった、だから、今回の震災の記憶は、後世に伝えていかなければならないこと、風化させないこと・・、そのような思いで、この語り部バスを続けているとお話くださいました。
 

 最後に、現在取り組んでいる「南三陸てん店(てん)まっぷ」のご紹介がありました。南三陸地域に点々としながも元気に営業しているお店を応援するために、地域のお店のマップを作っているとのこと。そのマップを一枚もらいましたが「このマップを片手に「転々」と南三陸をめぐって復興への願いを天まで届けましょう」と書かれていました。お店の方々は、「人と話をする」ということが希望につながるのだと、だからお店に足を運んでほしいと力と願いを込めてお話してくださいました。

 生きていくために「人と話をすること」がとても大切なこと、人とのつながり大切さを心に留めました。残念ながら、お店をめぐる時間はなかったのですが、またいつかぜひ訪れたいと思いました。

 自分たちの街を愛し、街の人々を愛し、この街で未来を生きる人々のことにも思いを寄せながら、震災の記憶、経験を伝えて下ったガイドさん、そして温かく笑顔でもてなしてくれたホテルスタッフの皆さまに感謝いたします。被災された方々が一日も早く安心して日常生活が送れますよう、被災地の復興を心からお祈りいたします。

                ウミネコが人懐っこく、迎えてくれましたIMG_1191 (2).jpg

2016.03.14 仕事
あなたのキャリア・アンカーは?~シャインに学ぶ「自分らしい仕事生活」とは

西 順子
              

 女性ライフサイクル研究所では、女性が人生で出会う問題についてご相談を受けていますが、そのなかに「仕事」に関わるテーマも含まれてきます。

 思春期・青年期の方とは、「自分とは何者か」を探索しながら将来の進路選択、学校選択、職業選択について、「自分らしい」選択ができるよう一緒に考えていきます。社会人の方とは職場におけるメンタルヘルスの問題から、転職や再就職の選択での悩みまでご相談を受けていますが、人生の節目においては、これまでの人生のプロセスを振り返りながら「何を大切にして、何を優先して、どう生きるか」という人生のテーマも含めて考えていきます。うつ病などで退職を余儀なくされた方にとっては、カウンセリングの目標に「社会復帰」を挙げる方も多く、人生にとって「仕事」は大きな意味をもっていると感じています。
 いずれにせよ、「仕事」の選択は、アイデンティティ(自己同一性)と関わる問題であり、「私は何者か」と自分を知ることと関わってきます。
 
 今回は、人生の節目で仕事や働くことについて見直すとき、「自分らしく仕事をする」ことを考える手がかりの一つとして、「キャリア・アンカー」を紹介したいと思います。キャリアとは、長期的な仕事生活の有り方に対して見出す意味づけやパターンのことを言いますが(金井、2002)、「自分らしく仕事をする」ためには、自律的にキャリアを考えてみることが大事と言われます。『キャリア・アンカー~ほんとうの自分の価値を発見する』(以下、本書と略す)から、仕事生活における自分らしさを考えるヒントを提供できればと思います。
 

■キャリア・アンカーとは

 キャリア・アンカーとは、組織心理学者エドガー・シャインによって提唱された概念で、「どうしても犠牲にしたくない、本当の自己を象徴する能力、動機、価値感」のことです。ある人がどんな難しい選択を迫られたときでも放棄することができない自己概念、自己イメージです。

 ふつう人々は、どのようなキャリアを歩んでいるときもそのキャリアのなかで広範なニーズを満たそうとします。しかし、これらのニーズが全て同等に重要というのではなく、すべてのニーズをも満たすことができないならば、どのニーズにもっとも優先順位をおいているのかを見極めることが大切になってきます。

 「アンカー」とは船の錨(イカリ)のことですが、錨がないと船は流されてしまうように、自分のキャリア・アンカーを知っていないと、外部から与えられる外部誘因(報酬や肩書など)の誘惑に負けて、後になって不満を感じるような就職や転職をしてしまうと言います。「これだと自分らしくない」と感じてしまい不満になってしまうそうです。
 よって、仕事に対する指向、動機、価値感、才能についての自覚をより明瞭に理解しておけば、キャリアにまつわる将来の意思決定はもっと容易になり、納得のいくものとなると言います。


■8つのキャリア・アンカー

シャインの研究によれば、キャリア・アンカーには8つのカテゴリーがあることがわかっています。下記に、その8つのアンカーを簡単に紹介しましょう。

①専門・職能別コンピタンス
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、その領域で自分の技能を活用し、そのような技能をより高いレベルまで伸ばしていくことのできる機会を手に入れることです。自分の技能に磨きをかけることで、自分らしさが生まれてきます。また、最重要なものは、仕事が彼らにとって挑戦的であることです。この人たちの関心は、あくまでも仕事の内容(コンテンツ)そのものにあります。

② 全般管理コンピタンス
経営管理そのもの関心をもち、ゼネラル・マネージャー(全般管理職)に求められる能力を身につけているタイプです。このタイプの人たちは組織の段階を上がり、責任ある地位につき、その立場にたって組織全体の方針を決定し、自分の努力によって組織の成果を左右したいという願望をもっています。専門・職能的な人々と違い、専門的な仕事に特化するのはよくないとみます。経営管理にアンカーをもつ人は、重い責任のある仕事を望みます。挑戦的で変化に富み、皆をまとめるような統合的仕事を好みます。

③ 自律・独立
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、仕事の枠組みを自分で決め、仕事を自分のやり方で仕切っていくことです。組織に所属している場合は、いつどのように仕事をするかについて自分の裁量で柔軟に決められる仕事に取り組みたいと思います。自律的な立場を維持するためにならば、あえて昇進や昇格のチャンスを断ることもあるでしょう。自律にアンカーがある人たちは、自分の専門分野の範囲内で明確に線を引き、時間を切って仕事をすることを好みます。

④ 保障・安定
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、会社の雇用保障、あるいはその職種や組織の終身雇用権などです。安全で確実と感じられ、将来の出来事を予測することができ、しかもうまくいっているとゆったりと仕事ができ、そんなキャリアを送りたいという欲求を最優先させるタイプです。保障・安定にアンカーのある人たちは、組織に縛られることを苦にしません。終身雇用権の代償として、進んで会社の指示に従う忠誠心や意欲があります。

⑤ 起業家的創造性
このタイプの人がどうしてもあきらめたくないことは、障がいを乗り越える能力や意欲をもとに、自分自身の会社や事業を起こす機会です。社会に対して自ら頑張れば、結果として事業を創造することができると証明したいと考えています。創造的な衝動は、新しい組織、製品、サービスの創造に向かいます。起業家タイプが他のアンカーと違うのは、自分が新しく事業を起こすことができるということを、とにかく試してみたいという熱い思いに取りつかれている点です。

⑥ 奉仕・社会貢献
どうしてもあきらめたくないことは、たとえばもっと住みやすい世界をつくる、環境問題を解決する、民族間の調和を図る、他の人々の援助をする、治安を改善する、新製品を開発して病気を治す等、なにか価値のあることを成し遂げる仕事を追い求める機会でしょう。このタイプの人たちは、何らかの形で世の中をもっとよくしたいという欲求に基づいてキャリアを選択します。奉仕にアンカーをおくタイプの人が望んでいる仕事は、自分の価値感にあう方向で影響を与えることが可能な仕事です。

⑦ 純粋な挑戦
自分のキャリアの特徴は、何事にも、誰にでも打ち勝つことができるということを自覚しているところにあるというアンカーの人たちです。彼らにとって「成功」とは、不可能に思えるような障害を克服すること、解決不能と思われてきた問題を解決すること、極めて手ごわい相手に勝つことです。専門・職能にアンカーをおく人たちと違うところは、問題が起こる専門分野ならどこでも挑戦したいというところです。

⑧ 生活様式(ライフスタイル)
このタイプの人のキャリアの条件の一つは、「生活様式(ライフスタイル)全体を調和させることができなければならない」ということです。何よりも柔軟であることを望みます。組織のために働くことに非常に前向きですが、ただし、自分の時間の都合に合わせた働き方が選択できるという条件を求めます。「自分らしさ」とは、特定の職能や組織と関わるよりも、自分のトータルの人生をどう生きているのか、自分がどこに落ち着いて住んでいるのか、家族とどのように接しているのか、といったことと関わってきます。

            
 以上、8つのキャリア・アンカーを紹介しました。皆さんは、どのキャリア・アンカーに馴染みがあり、「そうそう」と共感を覚えたでしょうか。自分のキャリア・アンカーについて洞察を深めることで、キャリア計画や選択をうまくすすめていくことができるとしています。本書では、自己診断用「キャリア指向質問票」を用いて点数をだし、キャリア・アンカーの1位~8位の順位が分かった後、「パートナーをみつけてインタビューしてもらう」ということを勧めています。質問票の結果と過去・現在・未来のキャリアをインタビューをしてもらい十分議論することで、自分の選択の仕方やパターンがわかると言います。


■私の場合

 私が、キャリア・アンカーという言葉を知ったのはちょうど10年前。女性ライフサイクル研究所の内部研修で「仕事」がテーマとなったときです。スタッフ各々が自分のキャリア・アンカーについて「キャリア指向質問表」にチェックをして順位を出した後、「仕事」についてワークシートを用いて自己を振り返る時間を持ちました。「仕事と聞いて何を連想するか?」「 子ども時代に仕事に関して家族からどんなメッセージを受け取ってきたか」「仕事とジェンダーに関してどんなメッセージを受け取ってきたか」「年齢と共にその捉え方は変化してきたか」「仕事についてどんな理想を持っているか」・・等について自分を振り返りました。そして、みんなで考えたことやそれぞれの体験を聞きあい、シェアしあいました。

 自分や他者のキャリア・アンカーを知り、人によって「仕事」について大切にしている価値感や欲求が違うのだということがわかり、目からウロコだったことを今も覚えています。人によってそれぞれが大切にしている価値感を元に、どんな職業につくか、どんな職場で働くか、どんな働き方をするか、自分の優先順位によって選択していること、また何に満足し、何は譲れないのか等が違ってくることを理解しました。
 
 ちなみに、私のキャリア・アンカーをみると(当時のプリントを見返すと)、1~3位は、①専門・職能コンピテンス、②自律・独立、③奉仕・社会貢献、でした。
 確かに、この10数年は、臨床家としてクライエントさんによりよい援助を提供できればと①に最も力を入れてきました。2年前、所長となってからは自然と③奉仕・社会貢献を意識するようになりました。でもキャリア・アンカーはあまり変わらないそうですので、なるほど・・と思います。

 そして、私自身のキャリア・アンカーには、子ども時代から「仕事」について見聞きし、経験してきたことが土台にあることに気づきました。それは母がずっと会社員として仕事をしてきたことです。仕事をする母を一つの「たたき台」のようにして、「自分は何がしたいのか、どんな働き方をしたいか」を、子どもの頃から漠然と考えてきたように思います。
 母とはキャリア・アンカーは異なりましたが、今も内的イメージとして印象に残っているのは、
仕事をしている時の母の活き活きしていた笑顔・元気な姿です。仕事をすることへの肯定的なイメージをもってこれたことに感謝したいと思います。

 フロイトは、人生で最も大切なことは「愛することと、働くこと」と言いました。社会・時代の変化のなかで、労働環境は厳しいと言えますが、そうした環境にあっても「自分らしく仕事をすること」を大切にしてほしいと願っています。


参考・引用文献 
『キャリア・アンカー~自分のほんとうの価値を発見しよう』エドガーH.シャイン著、金井壽宏訳、白桃書房。
『働くひとのためのキャリアデザイン』金井壽宏著、PHP新書。

2016.03.13 自然
蒸留水ことはじめ − 3.11の日に


                                    金山 あき子

 

先日、とあるご縁で、フルーツやお花や野草、ハーブ、木くずなどを蒸留し、そこから植物のエッセンスを抽出し、香りのついた水、芳香蒸留水を作るというワークショップに参加してきました。「水を蒸留する」とは、水を熱し、気化させたものを冷まして液化させ、不純な成分を取り除き、水を精製してゆく作業のことのようです。 まずこの日は、ローズマリーの葉と、ジンジャーを、蒸し器のような、手作りの蒸留キットに入れて、芳香のついた蒸留水を作ることに。 抽出されて出来たのは、なんともすっきり、目が覚めるような、ほんのり甘い香りの蒸留水。これを、スプレーボトルなどに入れて、ルームスプレーにしたり、化粧水などにしたり。薬能のあるとされるハーブで作った蒸留水は、ちょっとした消毒、鎮静など、色々な用途に使えるとのこと。何より身近に咲いている草花で作るのがいいよ、と聞いたので、春になって、山歩きをした際には、桜の花や、ヨモギ、松の葉などで蒸留をしたみたいな・・などと色々な実験のアイデアが浮かんでは、ますます春が待ち遠しい気持ちになりました。

 

今回、芳香蒸留の方法を教えてくれた先生は、仙台から来られていたのですが、この先生が手作りの蒸留器を作ることを思いついたきっかけが、5年前の震災時の体験だったとのお話がありました。この蒸留器は、もともとは、震災時の水不足や停電のある状況でも、なんとか自前で安心に飲む水を作りたいという思いから考えられたとのこと。そして、その思いが、月日が経つ中で、好きだったハーブを作ることと合わさり、より色々な「芳香のついた水を作る」というアイデアとつながっていった、とのお話でした。今回はまさに、3月11日に、このワークショップを受けたことに、色々な意味を感じつつ、震災のあった地に、人々に黙とうをささげました。

5年間という月日は、長いのでしょうか、短いのでしょうか。あれから、色々なことが変わり、でもまだ変わらない状況のままのこと、解決していかなくてはいけないことも依然として存在しています。日々の生活の中で、この時の痛み、そしてまだ、続いている痛みを忘れないように・・。帰り道で、カタコトと音をたてる蒸留器を抱きかかえながら、少しでも、自分のできることを考え行動にしていきたい、と思いました。

jouryu.jpg


                 蒸留キット。とても軽く、万が一の際にもさっと持ち運べる大きさ。

2016.01.19 子ども/子育て
思春期の子どもの世界 --通過儀礼と心の成長   

                                    金山 あき子

 

「思春期の子どもの考えていることがわからない」。「反抗的な子どもと、どう関わっていいのかわからない」。といった声は、臨床の場面でも、よく出会います。この時期の子どもの心には、一体何か起こっているのでしょうか。

 

思春期とはまさに、「疾風怒濤(しっぷうどとう)」の時代。子どもの世界から、大人の世界へと進んでゆく大きな変化の時で、その心には大きな嵐が吹き荒れます。

 

古代では、子どもから大人への変化の時期には、「通過儀礼」という儀式がコミュニティの中で行われることで、その嵐の時期を体験し、切り抜けるという知恵がありました。古代における、大人になるための通過儀礼では、様々な困難や「試練」が与えられます。その「試練」には、母親の元から引き離され森の中に連れて行かれ、高い崖から飛び降りたり、断食をして自分の将来のビジョンが見えるまで一人で山に篭ることなどがあり、まさに生死をかけたような危機的体験を乗り越える事で、大人になるとされてきました。しかし、古代のように明確な「通過儀礼」が無い現代では、個人個人が、各々の形で、昔より比較的長い時間をかけて、大人になるための「試練」を体験していると言えます。

 

「自分」というものができてくるにつれ、これまでは自分を守ってくれ、居心地が良かったはずの家族(母親)との世界が、次第に息苦しいもの、居心地の悪いものと感じられます。また、心のより深い層では、「自分とは何者なのか」という、大きなテーマが動き出します。大きな変化の時期ということは、古い自分(子ども時代の自分)の「死」と直面するとさえ言っても過言ではなく、そこには大きな喪失感や、不安感も存在します。思春期特有の不安定な言動は、「親から自立したい」気持ちと「まだ子どもでいたい」という両極を動く気持ち、さらには、「自分とは何者か」という、実存的とも言える大問題と向き合い出していることの表れなのです。

 

私がまだ十代のころ、「魔女の宅急便」の映画が大好きでした。「あのキキみたいに、遠い国に修行に出て、魔女になりたいなあ・・」などと、夢見がちに、主人公の独り立ちの物語を、憧れとドキドキワクワクした気持ちで何度も繰り返し見ていたことを思い出します。物語は、13歳の魔女の血を受けつぐ少女キキが、親元を離れ、新しい街で、空を飛ぶホウキに乗って配達をする仕事をしながら暮らし始めます。キキは街の人々と出会う中で、人生にまつわる喜びだけでなく、悲しみ、鬱屈など、複雑な感情を学んでゆきます。そんな中、ある日母親からもらったホウキでは空を飛べなくなるのです。・・最後には、友人のトンボを助けるため、デッキブラシで飛ぶことで、新たに魔法の力を取り戻す、といったストーリーです。ここには、母と一体であった子ども時代の自分に一度終わりを告げ、試練を乗り越えることで、新しい存在としての自分(自分自身のやり方で魔法を使うこと)を生み出してゆくというテーマが描かれています。今思うと、私自身、ちょうど思春期の自分の課題である親からの自立や、「自分らしさ」を見つけてゆく、という通過儀礼的なテーマを重ねて、この物語から成長への力を得ていたのだろうと思います。

 

思春期の子どもが、日常の言葉では説明のつかないような苛立ちや、不安定さを抱えている時に、小説、アニメやファンタジーなどで表現された「物語」に触れることで、どこか自分の気持ちの「言えない」部分をすくってもらったようにすっとした気持ちになったり、力をもらうことは、多いようです。こうしたイメージに触れることも、通過儀礼の時期を支える一つの資源となることでしょう。

 

また、この時期の子ども達が反抗的になったり、言葉で自分の思っていることをうまく言えず、何を聞かれても、「別に」。「フツー」。と言って、詳しく答えずにすませようとするのは、自分では手に負えない位の、心の中の大きな嵐が背景にはあります。

 

思春期の子どもに接する周囲の大人は、子どもの心の中ではうまく言葉にできないほどの嵐が起こっているということを理解し、その時期をくぐり抜けることが変容・成長へとつながることを信じ、良い「距離」を保ちつつ見守ることが、子どもへの大きなサポートになります。

 

思春期の子どもへの関わり方という点で、当研究所では、思春期の子どもを持つ保護者の方を対象に、子どもとの関わり方について学べるプログラムが、2月8日、22日に開催されます。 ご興味のある方は、ぜひ一度、チェックしてみてください。

詳しくはこちら→「CARE・思春期の子どもをもつ保護者向けワークショップのご案内


 参考文献:好きなのにはワケがある (2013)岩宮恵子 ちくまプリマー新書


<関連記事> 
2016年1月「児童期〜思春期の子どもとのコミュニケーションのヒントに!
2015年8月思春期の子どもの成長を支える〜『バケモノの子』を観て思い巡らしたこと

 

 

 

 

 

2015.12.30 こころとからだ
カナシミのちから(映画インサイド・ヘッドを観て *ネタバレ注意)

福田ちか子

 ディズニーの映画『インサイド・ヘッド(Inside Out)』(今年の7月に公開され、11月には早速DVDのレンタルが開始されている)が、とても面白かった。11歳の女の子ライリーの頭の中が舞台の中心で、感情にそれぞれ、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリという名前がついたキャラクターたちが登場し、ライリーが壁にぶち当たって乗り越えるまでの心の動きが物語になっていた。そのなかで,(物語のネタバレになってしまうけれど)カナシミの感情の大切さについて描かれていたところが,とくに印象深かった。

 

 頭の中の会議では,友だちとの間で嫌なことがあったり,両親に叱られたりと,落ち込むような出来事があると,カナシミやイカリ,ムカムカ,ビビリが騒ぎ出す。すると,リーダーシップをとっているヨロコビが,楽しいことを思い出させたり,好きなことに気持ちを切り替えたりして,いつも明るく楽しいライリーでいられるようにコントロールを利かせていた。友だち,親子,得意なアイスホッケー,それぞれの楽しい思い出によって創られた基地が脳内にあって,そこから次々と楽しい気持ちの素が,生み出される仕組みになっていた。

 

 ところが,親の仕事の都合で引っ越すことになり,環境が大きく変わり,新しい環境に馴染めず,親子のすれ違いが起こり,前思春期まっただなかの多感なライリーは途方もないショックを受けて次々と気持ちが悲しみの感情に染まってしまう。ヨロコビがカナシミに大人しくするように叱り,必死に元通りにしようとするが,これまでに築かれた基地が全て崩れてしまい,これまでヨロコビがしてきたようには制御できなくなってしまう。

 

 ヨロコビは,なんとか(脳内の世界が)元通りになるように頑張ろうと躍起になるのだけれど,一人の力では上手くいかない。感情の他に、ライリーが幼いころに空想の中で作っていたビンボンという、重要なキャラクターの力も借りつつ,最後にヨロコビ自身が悲しみ,カナシミを受け入れることによって,周りの人の温かさに気づいてより一層深みのある感情を手にし,ライリーが立ち直っていく姿が描かれていた。(――重要なビンボンの活躍は,これから映画をみる人のためにここでは触れずにおきます。幼少期にファンタジーを楽しむ力が前思春期を乗り越えるために大切ということが伝わる活躍ぶりでした。)

 

 悲しみはネガティブなイメージが強く,どちらかといえば感じない方が良い感情と捉えられることが多い。身近な人が悲しみを表現しているときや,自分自身が悲しみを感じているとき,ヨロコビがそうしたように,悲しまないように,楽しいことを考えるように,カナシミを無視する対処や,ないがしろにするような対処をとっていることが多いのではないだろうか。 大人から子どもへ,「もう泣かないの」「落ち込んでてもしょうがないでしょ,頑張りなさい」「泣くなんて,~らしくないよ」,大人から大人へ,「頑張って!」「落ち込まないで元気出して!」などなど。 

 

 悲しい気持ちになる状況は少ない方が良いけれど,悲しいと感じたなら,その気持ちは自分の中で無視せず,我慢せず,存在を認めること,相手が悲しんでいるときは,励ますだけではなく悲しみを共有することも忘れてはいけない大切なことである,ということを改めて思い出させてくれる映画だった深い悲しみ,大きすぎる悲しみ,ゆとりがない中での悲しみ......悲しみを認めると,日々を過して行くことが難しいこともあることと思う。でも,少しゆとりができたとき,共有してくれる相手がいるとき,カナシミの存在に目を向ける時間も大切にしたいと感じた。

2015.12.27 DV
ドメスティック・バイオレンス(DV)家庭で育った子どものトラウマと回復

                                          西 順子

この十数年、筆者は「女性のトラウマと回復」をテーマに臨床に携わってきましたが、女性のメンタルヘルスの問題や生きづらさの根っこに、子ども時代のトラウマが影響していることも少なからずあることを見てきました。

その一つにDV家庭に育ち、暴力を目撃しているトラウマがあります。DV目撃に加えて、子ども自身が直接的に暴力を受けていることもあります。

子どもにとって家庭は、本来、安全で安心できる場所であることが求められますが、DVがあれば家庭が「安全の基地」ではなくなってしまいます。
今回は、DVがもたらす子どもへの影響と回復について、まとめたいと思います。


 DVと子ども虐待

DVにさらされている子どもは、DV現場を目撃する可能性は極めて高く、子どもは親が思っているよりも暴力の存在に気づいていると言われます。その場で直接目撃している場合もあれば、隣の部屋であるいは階下から聞こえる叫び声、相手を侮辱する声、物が壊れる音を、身を固くて緊張しながらじっと聞いています。

内閣府の調査(2014)によりますと、配偶者から暴力を受けたことがある被害者のなかで、子どもがいる人は87%で、子どもへの直接的な被害経験があった人は27.3%となっています。

シェルター入所中の被害母子への調査(2006)によりますと、子どもの暴力目撃率は100%で、各暴力の目撃率は身体的暴力97%、心理的暴力88%、性的暴力20%となりました。子どもの年齢は4~12歳です。

また同調査では、67%の子どもがDV加害者から身体的暴力を受けていました。男子71.9%、女子63.3%で、「殴られたり蹴られたり」「怪我をするかもしれないような物を投げつけられたり」「服を脱がされ、長時間外に放置される」などの直接的な暴力を受けていました。
 
暴力時に子どものとった行動は、母親をかばうために父親に向かって抵抗する、黙ってじっとしている、無視するなどでした。

改正・DV防止法では、DV目撃も子どもへの心理的虐待として位置づけられました。更にDVにさらされる子どもは、直接的に身体的・性的・心理的虐待を受ける大きなリスクもあります。

DV家庭に子どもがいれば、子どもへの虐待として認識し、被害者の安全を考えると同時に、子どもの安全を考える必要があります。


 DVの子どもへの影響

子どもは発達の途上にいます。子どもへの影響は、行動面・情緒面・発達面から身体面まで多岐に渡ります。

海外の研究(バンクロフト、2004)によりますと、DVにさらされる子どもは他の子どもと比べて、仲間に対して攻撃的な行動をとりやすく、一般的に問題行動が多いと言われ、特に男子の場合は顕著です。また、他の子に比べて、友だちと過ごす時間が短い、友だちの身の安全をよく心配する、親友がいないことが多い、友人関係に問題があるなどの特徴が指摘されています。

こうした影響は内面化され、長期的な結果をもたらす場合もあります。例えば、「自分のせいで父親が母親に暴力をふるった」と思い込んで罪悪感を覚えたり、「母親が殴られる原因を再び作ってしまうのではないか」と不安になる子どももいます。子どもの食事、睡眠が暴力のせいで乱されることもあります。

また母親に対する心理的虐待の程度や性質は、子どもの苦痛の度合いを大きく左右する要因であり、子どもの社会的行動や適応面の問題に影響を与えます。母親に対する言葉の暴力がひどいほど、男子が成長したときに暴力を振るう比率は高くなると報告されています。
 
わが国の調査(2006)でも、DV被害男女児ともに、一般対象群よりも「攻撃性」と「不安・抑うつ」において有意に高いと報告されています。攻撃的行動などの問題行動は、DVによる抑うつ症状によるものと考えられると結論づけられています。

DV被害児童は、家庭のなかで起こる慢性的な暴力に対して、自分には何もできない、母親を守ることが出来ないと自分で自分を責めてしまう自責感が強く、あきらめて誰にも相談できないことで、どうすることもできない無力感につながると考えられています。

このように暴力にさらされる子どもは、暴力のない家庭で育つ子どもとは著しく異なる情緒的環境で成長することになるのです。


 DVが家族に及ぼす影響

DVという暴力は、被害者と子どもに深刻な影響を与えます。そして、家族内の人間関係にも影響を及ぼします。

DVは母親の権威をおとしめます。暴力行為を目撃することは、子どもにとって行動面・態度面でのモデルとなり、子どもが周囲から受け取る建設的メッセージよりも強い影響力をもつと言われます。

DVの影響として、子どもが母親を否定的に、侮蔑的に見るようになったり、母親と子どもとの間に距離感や緊張が見られたりします。
母親にとって育児ストレスも大きく、育児ストレスの大きさから身体的暴力を振るう可能性も高くなります。その結果、母子関係が悪化してしまいます。
また暴力がない家庭より、きょうだい間の暴力も多く見られます。暴力により、家族関係が分裂してしまうのです。  

DVにさらされた子どもにみられる症状は、このような家族機能の崩壊に起因するとみられるものも多くあります。

したがって、子どもを支援しようとする専門家に求められるのは、子どもの長期的な回復と福祉のために、DVを目撃したことの情緒的トラウマからの回復を支援するとともに、母親やきょうだいの絆を修復し強化できるように手を貸すことです。


 子どもの回復のための環境づくり

こうした状況にある子どもの予後は、子ども自身のトラウマから立ち直る能力(レジリエンス)と、情緒的回復を促進する環境の有無にかかっています。
ここでは、子どもが回復する環境に必要な要素を紹介したいと思います。
 ※レジリエンスについては、こちらをご参照ください。⇒「レジリエンス~苦境とサバイバル」

身体的および情緒的な安心感が得られる環境

トラウマからの情緒的回復には、何よりも安全な環境で、安心感を得られるようにすることが必要です。とりわけ、恐怖や危険を体験した子どもにとっては極めて重要です。

適切な枠組み、制限、予測のつく環境

DVにさらされるなかでは、子どもは「いつ何が起きるかわからない」という不安を抱いています。したがって離婚や別居後に子どもの情緒的回復を促進するためには、生活に適切な枠組みや制限を加えて、予測のつく環境を整えることが重要です。
規則正しい生活リズム、行事、習慣など、子どもが、毎日の生活が変わらず訪れるという安心感や未来への楽しみ、希望をもつことができるようにすることが大切です。

暴力を振るわない親との絆

愛情をもって子育てをしようとする親との絆は、子どもが両親の対立や親の影響を克服し、元気に生活できるかどうかについて、有力な手がかりとなります。

DVにさらされた後の母子間の絆を強く健全なものとするためには、今は母親が守ってくれると子どもが感じられること、子どもが母親への尊敬を取り戻すこと、周囲の社会環境が自分と母親との密接な結びつきを支援してくれていると子どもが感じられること・・などが必要です。そのため支援者には、母親の子育てを心から支援することが求められます。

大人に対する心配からの解放

DVにさらされる子どもは、自分が母親や父親、きょうだいを自分で守らなければならないという責任感を抱えていることがあります。この負担から子どもを解放するには、大人の生活や問題についてどの程度まで子どもに話すのかを配慮することが必要です。
裁判所や児童保護機関は、母親の回復を促進することに十分配慮し、子どもの心の負担を軽くするよう努めることが求められます。

DVにさらされた子どもへの影響について理解されるよう、母子が安全に安心して暮らしていける環境が整えられるよう、そして非暴力の教育プログラムが行き届くよう、コミュニティにおけるDV被害者支援の充実を願っています。




 女性ライフサイクル研究所による取り組み

なお、女性ライフサイクル研究所では、DVトラウマへの臨床的援助からコミュニティ支援まで取り組んでいます。できることは限られていますが、できるところからできることに取り組みたいと思っています。関心のある方にご利用いただければ嬉しく思います。


親子の絆を強めるために~CAREプログラム&PCIT

カウンセリングでは、DV別居後に、子どもの問題行動ついて母親からのご相談を受けることがあります。別居直後もあれば生活が落ち着いてきた頃もありますが、特に、子どもがきょうだいや母親に暴言を吐いたりして対応に困る、どう関わったらいいかというご相談がよくあります。

子どもの暴言や暴力など、困った行動に対応するには、その場での対処だけでなく、日常の中での中での関係作りが大切です。

そのようなご相談の場合、母子平行面接で子どもと一緒にカウンセリングにお越しいただくこともあれば、親御さんへコンサルテーションとして助言させていただくこともあります。

昨年からは、子どもとの「絆」を強めることを目的に、CARE心理教育プログラムも導入しています。カウンセリングのなかで、CAREを提供させて頂くこともあれば、ワークショップとしてグループで提供させて頂いています。
※詳しくはこちらをご覧ください。⇒「CARE保護者向けワークショップのご案内

CAREでは、前半と後半で二つのテーマがあり、前半では、子どもとの「絆」を強めるためのコミュニケーションのコツを学び、後半では、一貫性をもった効果的な指示の出し方について学びます。後半の「しつけ」の部分がうまくいくためには、まず前半部分の「絆づくり」が大切になってきます。
 
次年度からは、就学前の子どもと保護者を対象としてPCIT(親子相互交流療法)を提供できればと準備中です。幼い子どもをもつ親御さんに役立てていただけるよう、取り組んでいきたいと思います。

 DVの長期的影響へのトラウマ・ケア

DV・虐待トラウマの長期的影響には、複雑性PTSD、うつ、パニックや強迫など不安障害、解離性障害、対人恐怖などメンタルヘルスの問題から、行動上の問題もあります。デートDVの被害者や加害者になるなど、親密な関係に影響を与えることもあります。

また、DV・虐待による未解決のトラウマがトラウマをよぶ「トラウマの複合」という現象が起こることもあります。例えば、日常的にDVにさらされる生活のなかで子どもは自分の感情を抑圧し、心理的に孤立してしまうことで、家庭内外で他のトラウマ的出来事に遭遇した時(性暴力被害、いじめ被害など)に親に話して助けを求めることが困難になります。そのため被害が長期化したり、適切なケアが受けられずにトラウマが放置されてしまいます。

このようなトラウマの長期的影響に対しては、心理療法として、回復のお手伝いをさせていただければと取り組んでいます。


 安全で安心できるコミュニティづくりとして

DVトラウマの予防啓発活動として、DV研修や一般向け講座を企画・実施しています。今年度は支援者向け「心的外傷と回復」を読む読書会を月一回開催しています。また、講師派遣として各地域に出向かせて頂いています。
 

必要な人に必要な情報を届けると同時に、支援者同士のネットワーク作りも大切にしていきたいと思っています。

[主な参考文献]
内閣府(2014)「配偶者からの暴力に関する調査」
石井朝子他(2006)「家庭内暴力被害者の自立と支援に関する研究」平成18年度厚生労働科学研究報告書
バンクロフト/シルバーマン(2004)『DVにさらされる子どもたち~加害者としての親が家族機能に及ぼす影響」金剛出版。

[関連記事]
2015年11月「DVを受けている女性を支える~なぜ逃げられないかを理解する
2015年07月「DV被害女性を支える~家族、友人、知人として
2006年11月「想像力とレジリエンス
2006年11月「レジリエンス~苦境とサバイバル」 

2015.11.12 DV
DVを受けている女性を支える~なぜ逃れられないのかを理解する

                                           西 順子

毎年11月12~25日(女性に対する暴力撤廃国際日)は「女性に対する暴力をなくす運動」期間です。女性に対する暴力には、夫・パートナーからの暴力、性犯罪、売買春、セクシュアル・ハラスメント、ストーカー行為の他、女児への性的虐待も含まれます(1993年国連総会採択女性への暴力撤廃宣言より) 。

内閣府その他男女共同参画推進本部では2001年より、女性に対する暴力は「女性への人権を侵害するものであり決して許されるべき行為ではない」と、他団体との連携、協力の下、意識啓発活動に取り組んでいます(⇒詳しくはこちら)。

さて、前回エッセイでは「DVを受けている女性を支える~家族、友人、知人として」を書きましたが、今回もDVについてとりあげたいと思います。

DV被害を受けている女性が、辛い状況であるにも関わらず、暴力からなかなか逃げようとしなかったり、逃げてもまた戻ってしまうことがよくあります。なかなか逃げ出そうとしない被害者に周囲や支援者も苛立ち「どうして逃げないの?」「また戻ってしまうの?」と責めてしまうことがありますが、そうなると被害女性はますます孤立していきます。

女性が安全に暴力から脱出するには、他者とのつながりと信頼を保ち続けることが必要です。そのためには、周囲にいる支援者が女性は「なぜ逃げないのか」「逃げてもまた戻るのか」ということを被害者の視点から理解しておくことは重要です。
では女性は「なぜ逃げられない」のでしょうか。理論的枠組みの一つとして、ここでは「パワーとコントロールの車輪」を紹介したいと思います。

□パワーとコントロールの車輪

今から35年前、1980年にミネソタ州ドゥルース市では地域社会の9つの機関が集まり(裁判所や警察、福祉機関など)、DV介入プロジェクト(DAIP)が組織されました。1984年には被害女性たちの声をもと、暴力を理解する理論的枠組みとして「パワーとコントロールの車輪」が作られました。女性たちはなぜ暴力男性の元にとどまるのかについて、それまでの推論に異議を唱えたのです。この車輪が示しているのは、暴力は突発的な出来事でもなければ、積りつもった怒りや欲求不満、傷ついた感情の爆発でもなく、あるパターン化した行動の一部分だということです。
 

この「車輪」によれば、暴力には意図があり、車輪の中心にある「パワーとコントロール」が車輪を動かす原動力となります。車輪の一番外側には身体的暴力と性的暴力があり、内側には8つの心理的暴力があります。

心理的暴力には、①脅し怖がらせる、②情緒的虐待、③孤立させる、④暴力の過小評価/否認/責任転嫁、⑤子どもを利用する、⑥男性の特権を振りかざす、⑦経済的暴力を用いる、⑧強要と脅迫とがあります。身体に触れなくとも、外からは見えにくい心理的暴力によって、被害者は力を奪われ無力になり、服従を強いられていきます。身体的暴力や性的暴力は他の行動の効果を高めるため、恣意的に使われ結果としてパートナーが自立する能力を奪います。   
              『暴力男性の教育プログラム-ドゥルース・モデル』(2004)より

例えば、「いつまた爆発するかわからない」と恐怖から顔色や機嫌を伺い生活するうちに、「自分がどうしたいか」「何を望んでいるか」等わからなくなり、主体性が奪われていくのです。

ハーマンは「逃走を防ぐ障壁は通常目に見えない障壁」と言います。繰り返し、暴力が反復されるなかで、恐怖と孤立無援感を感じ、「他者との関係における自己」という感覚が奪われると説明しています。

□つながりを保ち続けること

では、周囲の家族、支援者はどう対応すればいいでしょうか。
私は、「つながり」を保ち続けることが大事だと思っています。それは、何かあったらいつでも駆け込める場所や、何かあれば相談できる人、助けを求められる人との「つながり」です。温かいお茶を飲みながら、たわいないお喋りを楽しんだり、一緒に笑える人でもあるでしょう。切れそうな糸であったとしても他者との「絆」を保ち続けられることがとても大切だと思います。

DVを受けている女性と共に過ごすとき、その時間を大切にしていただきたいと願います。その時間が少しでも安心できる時間であればあるほど、自分自身のことを考える余裕も生まれてくるのではないかと思います。自分自身のことも大切にしていいと思えるかもしれません。
そして、いざ女性が「逃れたい」と助けを求めたときには、タイミングをはずさずに、脱出することができればと思います。

女性が保護を求めたのにも関わらず、うまく支援につながらずチャンスを逃してしまうこともあります。そういうことが決してないよう、一人でも多くの人によって、DV被害を受けている女性が理解され、よりよい支援につながることができればと願っています。

□小さな一歩から

1994年、米国のベルリンという小さな町のサバイバーによる集まりから始まったインターナショナル・パープルリボン・プロジェクト(IPRP) があります。国際的な女性への暴力根絶を訴えるキャンペーンです。現在、40カ国以上に知られ、国際的なネットワークに発展しています。
このキャンペーンには、誰でも、一人でも参加することができます。紫色のリボンを購入して身に着けたり、車につける等、小さな努力から始めることができます。

私もこの二週間、パープルリボンを身につけてみたいと思います。


[参考文献]
『暴力男性の教育プログラム-ドゥルース・モデル』(2004)エレン・ベス、マイケル・ペイマー著、波田あい子訳、誠信書房。
『心的外傷と回復』(1999)ジュディス・ハーマン著、中井久夫訳、みすず書房。


[関連記事]
FLCスタッフエッセイ「DVを受けている女性を支える~家族・友人・知人として」
所長のブログ「トラウマと回復~援助関係について学ぶ」

                 今日はパープルリボンにちなんだ
               年に一度のパープル・ライトアップ、綺麗でした! 
                        はじめての通天閣より

IMG_0680 (2).jpg
                全国のライトアップ実施予定施設は⇒こちら

2015.11.10 子ども/子育て
出産や子育てを語ること−子への否定的感情を語る−『たのしく、出産』を読んで

                                             金山 あき子

 

筆者は5歳の娘の子育て中。つくづく「子育てって大変だなあ。」と、思い知らされることも多い今日この頃です。そんな中、村本邦子(当研究所の顧問です)著の、『たのしく、出産』という本を読んで、自分の出産について思い出し励まされたり、「子育てとは?」ということについて改めてふりかえる機会があったので、今回はこの本について少し書いてみたいと思います。

 

この本は、まずは著者の出産体験のレポートから始まります。とても生き生きと、普段は表ではあまり語られることのない、妊娠・出産という女の「秘められた」体験が、なまなましく語られてゆくうち、読む者は思わずハッと息を飲んだり、ほろりとしたり・・。著者が、第一子を自宅で出産をすることを決心してから、自宅出産して子育てが始まり、第二子を出産するまでの軌跡が、鮮やかに、情緒豊かに描かれてゆきます。

 

読み進めるうちに、「人が自然に出産・子育てするとは?」「病院で出産することの意味は?」など、出産にまつわる「当たり前」がどんどんゆらいできて、現代の出産システムへの色々な問いも生まれてきます。

また、著者が子育てをすすめる中で、自らの子どもへの気持ちや関係の変化についても、つぶさに描写されてゆきます。その中でも、私は特にこんな語りが心に残りました。

 

著者が二人目の子どもを妊娠中、身重で思い通りに動いてくれない母に、息子がイライラしはじめた頃のこと。「子どもが産まれてから、子どもの存在を疎ましく感じるようになったのも、息子のそんな感情の変化(イライラ)に出くわしてからだ。ある母親は、産まれてすぐから、我が子を疎ましいと感じる自分に気づく。またある母親は、もっと大きくなってから、(中略)初めてそんな自分の(子が疎ましいという)感情を知る」。「とにかく、遅かれ早かれ、女たちは、母として存在しながら、母親らしからぬ部分を持っている自分に気づく。それは、周囲にどう非難されようと、否定できない事実である。」「でも私は、こう思うのだ。本当に、母親が子どもをかわいいとしか思わないとすれば、子どもは成長する必要もないじゃないかと。(中略) ところが、世間や男や心理学者はこういう。「母親とは、子どもを愛してやまない存在であるはずだ。でも、子どもの自立を阻んではいけない」と。そんなのは、あまりに虫のよすぎる話じゃないか。母親だって、ただの人間だ」。さらに、著者はこう言います。「産んだ女が今、語らねばならないのは、子どもに対する否定的感情ではないか」。と。

 

子どもが愛おしく、かけがえのない大切な存在だと思う肯定的な気持ちと、子どもが疎ましい、イライラするというような、否定的な気持ちは、本来、同じだけ存在するものでしょう。我が国では、とくに「母性愛神話」という、「母は、子どもを無償に無条件に愛する存在であるべき」願望が強いと言われます。こうした背景もあって、子への否定的な気持ちは、タブーとして、見つめにくく、より語られにくいものとなっています。しかしこの否定的な側面を、単に「良くないもの」として抑圧してしまうことは、心のバランスに偏りを起こすでしょう。子どもに対する、両価的(アンビバレント)な感情を、みつめてゆくことで、よりバランスのとれた子育てになってゆくと思われます。といっても、それはそう一朝一夕に簡単にできるものではないのかもしれません。ただ、「子が疎ましい」「子が憎い」といった、子への否定的な感情の部分も、「母なるもの」の自然な姿なのだ、と思うだけで、十分解放される部分があるかもしれません。

 

育児(子育て)=育自(自分育て)とは良く言いますが、確かに子育ては、子どもを育てると同時に、自分の心をみつめ、育ててゆく一つの機会になることができます。そのことを、日々娘との関わりに試行錯誤している自分にも言い聞かせながら、ひとまずは、この機会を大切に歩んで行こうと思いなおすこととします。

 

 

引用・参考文献:『たのしく、出産』(1992) 村本邦子編著 新水社 

 

<前のページへ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

お問い合わせ・ご予約

© FLC,. All Rights Reserved.