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FLCスタッフエッセイ

2017.08.01 自然
ヒヨドリの子育てから・・・

                                          西川昌枝


野鳥の中でも、スズメやツバメはかわいらしいけれども、ヒヨドリは野生的過ぎて愛しく思ったことはありませんでした。少し前までは、、、。初夏から思いがけず身近にヒヨドリがやって来たその日々をここに書かせて頂くことにします。

私は、家の玄関前に少し大振りなオリーブの鉢植えを置いてます。
5月の中頃、ナイロン紐のくずと小枝が落ちていて「おかしいなぁ」と思ったのが始まり。家の周りでピーヨピーヨという鳴き声がよく聞こえるようになり、小枝を口にくわえた灰色のヒヨドリと目が合って「これは何かある」と気付きました。

よーく見てみると、ヒヨドリのペアがたった1.5mほどのそのオリーブの中にこっそり(堂々と?)巣を作りかけていました。びっくり。

すぐ近くで人が出入りするこの落ち着かない場所での営巣は途中で諦めるだろうと思っていましたが、その後もヒヨドリは「ここに決めた」とばかりにせっせ、せっせと枝やナイロンを運んできては巣を熱心に見事に作りあげました。

5月16日巣に卵がひとつ、それから1日1個ずつ増えて4つになり、母鳥がどっかり姿を現して卵を温め始めました。ヒヨドリの度胸たいしたものです。


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この展開にちょっとワクワク。でも人が真横を通ったり(通路だし)、じっと見つめると怖がって飛んでいってしまう。結局人が母鳥の神経を刺激しないよう、静かに距離をとって配慮する生活に変えました。

それから俄然この卵がどうなるか気になり始め、朝夕、窓を細く開けて双眼鏡で巣を覗きました。抱卵するのは母鳥。父鳥は時々けたたましい鳴き声と共に姿を見せましたが、母鳥に代わって巣に入ることもなく、ただ「ちょっと顔見せに来ましたよ」って挨拶程度を済ませ、飛び去るのでした。
たぶん巣で卵の世話をするのは母鳥だけで「なんだか不平等だな」と思いました。

早朝ひとときのお出かけ以外ずっと巣に居て、無表情に見えた母鳥。疲れているように見えた日もありましたが、卵が孵るのを心待ちにしてたのかも。「お母さんは休みなしで大変だね」と労ってあげたかったです。

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6月1日夜、雷雨暴風警報、外は嵐となり細いオリーブは激しく揺れて、今にも倒れるのではないかという有様に、、。植木鉢は毎年台風で倒れる軽量品。ヒヨドリはそんなこと知らなかっただろうに。

母鳥は吹き込む雨風でびしょ濡れ、それでも巣に覆いかぶさって、健気にじっと耐えて卵を守っていました。家の中に植木鉢ごと入れて安全にしてあげたいけれど母鳥に説明できるわけもなく、飛ばされそうな巣をハラハラしながら見守り、雨風が収まるまで眠れませんでした。木も巣も卵も無事で峠を越し、本当にほっとしました。

6月4日、何かちらちら見え、母鳥のお出かけの間にのぞくと雛が4羽誕生していました。つるつるのピンク色の命になってて、とにかく嬉しい。


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雛たちは一斉に口を大きく開けてピィピィと盛んに餌をねだるので、今までお気楽だった父鳥も出番となり、日に何回も餌をくわえて飛来し、父鳥も母鳥も給餌で大忙しです。 

黒い羽毛が生え目が開くとかわいくなり、一日一日賢くなり、雛だけのときは目立たないよう小さくなって眠る、誰に教えてもらったわけでもないのに、幼い雛の生き残る知恵に感心しました。


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ヒヨドリの巣立ちはとてもはやくて、孵化からたった9~10日。そんな短い日数で成長するの?と半信半疑ながら、巣立ちの日を見逃さないようにしたくて指折り数えていたら、その時はきっちりやってきました。


6月13日朝、雛達が巣の中で羽ばたき始め、母鳥が雛の羽繕いするのを見て「いよいよ今日だ」と思ってからほんの数分後、あっという間の巣立ちでした。


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父鳥が餌を巣のふちに置いたらそれが合図なのか雛達が次々巣から枝へ出て、ぱっと親鳥が空に飛び立つ。それを追ってすぐに3羽は頼もしく羽ばたいて飛び出しました。

1羽だけ巣でじっとしていて、もしや置き去りかと心配しましたが、親鳥は何度も戻ってきて、キーキー鳴いて呼びます。出遅れた雛はうまく飛べず落ちながら、それでも外へ飛び出していきました。

みな幼いのに、なんて勇気があるのだろう。いきなり飛び立っていけるなんて。


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翌日までは雛の声がどこか近くからしていましたが、それもなくなり、鳥の姿が消え静まり返って、あるのは空き巣だけ。急に淋しい景色となりました。

頭に浮かぶのは、献身的な母鳥の姿、毅然として飛び立った姿、雛の生命力、、、寂しいのと安心したのが半分半分。
これ、卒母の気分でしょうか。


7月になり、この数日早朝に甲高い鳴き声が聞こえてくるので、「もしかしたらあの子達?」と思えて頬が緩みます。私は「独り立ちしたら遠くまで旅するのかな」と想像して、一緒に空を飛んでいくような気分を味わっています。

ヒヨドリの子育ては、命がけの全力ですがすがしかった。
巣立ったヒヨちゃんたちの命が輝きますように。
ヒヨちゃんたちがこれからもどこかで元気に飛び回っていますように。









2017.07.16 自然
「緑の親指」にあこがれて  − 植物を育てる極意

                                   金山 あき子

 

 私は、植物が好きです。特に、植物の生き生きとした、葉っぱの緑色を見ると、こちらまで元気になるような気がしてきます。

 

ある時、外で緑を見ているだけでは物足りなくなり、猫の額ほどのうちのベランダにも緑をあふれさせたいな・・と思いたち、これまでにも、幾つか鉢植えを買ったり、プランターにお花やハーブ類などの種をたくさん蒔いたりしてきました。

 

英語では、植物を育てる事が上手かったり、園芸の才能がある人のことを「green thumb(緑の親指)を持っている」という言い回しがあるのですが、これが残念なことに、私の親指には、全く緑色がないみたいなのです。

 

実は、種を蒔いては、ある時は日照りで枯らし、ある時は、水のやりすぎで枯らし・・という事を続けてきました。この間、やっとこさ芽が出たパクチーは、「さあそろそろタイ料理ができるな!」と思った矢先、アブラムシに全て先に食べられてしまいました・・。パクチーが、アブラムシに完食されるのも、もう二年目です。悔しかったです。オーガニックで育てるのは、何と大変なことだろうと実感中。

 

今、かろうじてベランダに残っているのは、娘が育てたアサガオと、バジル、しそ、そして、もはや枯れかけのローズマリー。せめて、残ってくれている子たちは、大事に大事に育てようと、この暑い夏を一緒に超える決心しました。

 

そんな中、ふと、自分が小さいころ、近所に住んでいた、とあるおばあちゃんのことを思い出しました。そのおばあちゃんの庭には、ハーブやお花がいつもいい感じに、綺麗に育っているのです。タケノコご飯に入れる木の芽が欲しい時など、「少しわけてください〜」とよくお願いに行っていました。

ある時、おばあちゃんに、「どうやっていつも植物を、うまく育てるの?」と聞いたら、

「いつも、話かけてるからかなあ。『今日も、べっぴんさんね。』とか、『きれいに咲いてくれてありがとう。』とか。そしたら、植物って、本当に声を聞いてくれていて、応えてくれるわよ」。

と、嬉しそうにお話してくれたこと、懐かしく思い出しました。

 

そういえば、近ごろ、植物とゆっくりお話することを、忘れていたなあ。植物だって、生きているいのち。最近はといえば、「そろそろ食べ頃かな〜」という目でばかり見て、自分はずいぶん、よこしまな気持ちが多かった・・と少し反省。

「緑の親指」を持っていたおばあちゃんの知恵を思い出して、反省するとともに、温かい気持ちになりました。そしてもう一度、自分の心に、この知恵を、大切に残したいと思います。緑の親指になる日も近いと信じながら。

2016.10.29 自然
ハーブでリフレッシュ!

                                                                                             西川 昌枝

自宅のベランダにハーブの鉢やプランターを置いています。「ハーブ」は葉や茎や花や実に芳香を持つ植物の総称です。ガーデニングブームの頃に何気なく選んだハーブと付き合いが長くなるにつれ、だんだん好きになって種類も増やし、今や自分にとってハーブは生活に欠かせない存在になっています。

「本物ってこんなにいい香り、と感激させてくれるフレッシュミント」、「丈夫でしっかり、抜群の香りのローズマリー」、「小さな葉にかわいい花を咲かせ、すがすがしい香りのタイム」、「レモンよりレモンの香りのするレモンマートル」、「実まですばらしい山椒」が私の美味しいハーブたちです。

ハーブはもともと野生の植物ですからとても丈夫で、基本的には肥料などほとんど必要としません。適応力があるので日当たりと水だけでどんどん大きくなります。成長を促すには育ったところをためらわず、まめに切ってやること。そうするとまたそこから伸びるという具合で、ハーブの生命力の強さに驚かされます。たいして手間もかけてないのに育つ健気さに感心して、時々日光が満遍なく当たるよう向きを変えたり、虫がつかないよう雨や風に当てたりしています(過保護にしません)。

そんな緑色のハーブたちの姿、手で触ると漂う香り、飾ったり、食べたり、年中楽しんでいます。生活の中で、ゆっくりティータイムが取れるときは、このフレッシュハーブたちの出番となります。

絵本「ピーターラビット」のなかで、ピーターの具合が悪くなったときにお母さんが作ってあげたのは、かみつれの煎じ薬(カモミールティ)でした。子どもの頃はかみつれが何かも分からなくて、不思議な遠い世界のことでしたが、今ではすっかりハーブティも身近になりました。

一人で静かに頂くハーブティは心の落ち着く緩やかな時間。数人でハーブティを淹れると、いつも予想以上に喜んでもらえてハーブは頼もしい。香りが嗅覚を刺激して語らずにいられなくなるのか、香りの感想を話したり、効能を伝え合ったり、思い出話をしたり、会話も弾みます。先日は研究所の会議の際にレモンマートルのハーブティを淹れたところ、「優しい味で、香りがいい」とほっと一息、皆に楽しんでもらえました。

ハーブティの作り方は、熱いお湯を注いでいい香りが出るまで数分待つだけという手軽さです。ゆったりティータイム以外にも、気分を変えたいとき、高揚してるとき、沈んだとき、寂しいとき、頭痛や喉の痛み等のちょっとした気になる症状をなだめるとき、薬に頼る前にハーブを試してみます。「いま自分はどうなっているのかなぁ」と観察して、好みや体調に合わせてうまく使えば、心と体のケアやリラクゼーションにもなります。「香り」は人の心とも深く結びついているに違いないと感じています。

最近はスーパーでフレッシュハーブを置いてある所も増えました。花屋さんでもいろんなハーブのポットを売っています。まだハーブとお付き合いがないならば、ドライハーブとフレッシュハーブを比べたり、ハーブティを試してみてください(フレッシュハーブがお勧めです)。良さを知ってもらえれば、「ハーブはいいね~」の輪がどんどん広がるだろうなぁと今日も空想しているのでした。

レモンマートル <効能> リラックス、殺菌、消毒 
タイム <効能> 頭痛、気管支炎、去痰、殺菌、消化促進
ローズマリー <効能> 細胞活性、老化防止、精神安定、頭痛、血行促進
ミント <効能> 消化促進、疲労回復、リフレッシュ、殺菌、集中力
参考文献 : 兎兎工房編著 1999 「ハーブ・ハーブ」 永岡書店


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2016.03.13 自然
蒸留水ことはじめ − 3.11の日に


                                    金山 あき子

 

先日、とあるご縁で、フルーツやお花や野草、ハーブ、木くずなどを蒸留し、そこから植物のエッセンスを抽出し、香りのついた水、芳香蒸留水を作るというワークショップに参加してきました。「水を蒸留する」とは、水を熱し、気化させたものを冷まして液化させ、不純な成分を取り除き、水を精製してゆく作業のことのようです。 まずこの日は、ローズマリーの葉と、ジンジャーを、蒸し器のような、手作りの蒸留キットに入れて、芳香のついた蒸留水を作ることに。 抽出されて出来たのは、なんともすっきり、目が覚めるような、ほんのり甘い香りの蒸留水。これを、スプレーボトルなどに入れて、ルームスプレーにしたり、化粧水などにしたり。薬能のあるとされるハーブで作った蒸留水は、ちょっとした消毒、鎮静など、色々な用途に使えるとのこと。何より身近に咲いている草花で作るのがいいよ、と聞いたので、春になって、山歩きをした際には、桜の花や、ヨモギ、松の葉などで蒸留をしたみたいな・・などと色々な実験のアイデアが浮かんでは、ますます春が待ち遠しい気持ちになりました。

 

今回、芳香蒸留の方法を教えてくれた先生は、仙台から来られていたのですが、この先生が手作りの蒸留器を作ることを思いついたきっかけが、5年前の震災時の体験だったとのお話がありました。この蒸留器は、もともとは、震災時の水不足や停電のある状況でも、なんとか自前で安心に飲む水を作りたいという思いから考えられたとのこと。そして、その思いが、月日が経つ中で、好きだったハーブを作ることと合わさり、より色々な「芳香のついた水を作る」というアイデアとつながっていった、とのお話でした。今回はまさに、3月11日に、このワークショップを受けたことに、色々な意味を感じつつ、震災のあった地に、人々に黙とうをささげました。

5年間という月日は、長いのでしょうか、短いのでしょうか。あれから、色々なことが変わり、でもまだ変わらない状況のままのこと、解決していかなくてはいけないことも依然として存在しています。日々の生活の中で、この時の痛み、そしてまだ、続いている痛みを忘れないように・・。帰り道で、カタコトと音をたてる蒸留器を抱きかかえながら、少しでも、自分のできることを考え行動にしていきたい、と思いました。

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                 蒸留キット。とても軽く、万が一の際にもさっと持ち運べる大きさ。

2015.04.17 女性の生き方
日々の小悩み・イライラに――文庫『週末、森で』ご紹介――

福田ちか子

 「あ~っ、またやっちゃった」「あの人苦手だなぁ...」「あれとあれとこれもしなくっちゃ」などなど、日々のプチストレス。解消する間がなく明日がやってきて、同じことがくり返し続くと、落ち込みモードに突入してぬけだせなくなることもある。そんなときに,そっと背中を押してくれたり,ふっと視野を広げてくれたりするような一冊として,益田ミリさんの『週末、森で(益田ミリ2009 幻冬舎文庫)』を紹介したい。

 この本の主な登場人物は,思いついて森の近くで田舎暮らしをはじめた翻訳家の早川さんと,経理部ひとすじ14年のマユミちゃんと,旅行代理店勤務のせっちゃん。週末になると,マユミちゃんやせっちゃんが早川さんを訪ねては,ハイキングにでかけたりカヤックを楽しんだりして,また都会の暮らしに戻っていく。

 ある日のマユミちゃんは,仕事が忙しくてごきげんななめ。残業の帰り道に,その日がお母さんの誕生日だったことを思い出して,「どうしよう,毎年プレゼントを送ってるのに...」と焦り始める。ちょうどお店は閉まり始める時間帯で,いくつか心当たりのお店に向かうがすでに閉店。宅配か,明日の昼休みにダッシュで買うか...とひとしきり考えて,毎年の贈り物ができなかった自分に落ち込む。

そんなとき先週末に早川さんとカヤックをしたことを思い出す。向こう岸のカモが見たいのに,こいでもなかなか進みたい方角に進めなかったマユミちゃんに,早川さんが教えてくれたコツは「手もとばっかりみないで自分が行きたい場所をみながらこぐと近づけるよ~」だった。ふとそのことばを思い出したマユミちゃんは,ひとまずプレゼントのことは置いておいて,お母さんに電話をかけて「お誕生日おめでとね」と伝えることにした。

 週末,森で過ごした体験が,じんわりと平日をあたためて,マユミちゃんとせっちゃんが,日々のプチストレスをやり過ごす様子が描かれている。

日々のプチストレスがたまったとき,「もっと自分がちゃんと頑張らなくちゃ」と自分を責める方向に偏りすぎることや,「あいつが悪い!!」と相手を責める方向に偏りすぎることは,バランスを崩して落ち込みモードに突入しやすくする。

相手を責めるのでも自分を責めるのでもなくふっと肩の力を抜いて自分の気持ちをながめる,というプチストレスを溜めない極意を,日々の生活の中で活用するアイディアがいっぱい詰まっているところが,とても素敵だと思う。

2013.04.12 自然
カウアイ

村本邦子

 春休み、カウアイ島に行った。カウアイはハワイ諸島の一番北にある東京とか大阪くらいの大きさの丸い島。海底火山によって生まれ豊富な雨に恵まれて、自然による創造の奇跡を思わせる島だ。

 圧巻はワイメア渓谷。かなり頼りないドライバーではあるが、ひょんなことからジープを借りることになり(もともと日産を予約していたが、レンタカー会社の人に「同じ値段で大きなジープを使ってもいいよ」とあたかも良いことのように勧められて、つい乗ってしまったが、結構、古そうなジープで、本当のところお得な選択だったかどうかは疑問・・・)、行きはサトウキビ畑や牧場が広がるコケアロードを上り、帰りは渓谷の拡がるワイメイア・キャニオン・ドライブを下る。1000メートルほどの標高。登っていくにつれて、世界はドラマチックに変わっていく。中間点にあるワイメイア渓谷の展望台から見える光景は筆舌に尽くしがたく、私の力では描写することができないのだけれど、ちょうどグランドキャニオンの立体が間近に迫る状況を想像してもらうといい。

 そこから先は、だんだんと雲の中に入っていくような感じだ。霧が立ち昇り、カーブを曲がると、突然、晴れる・・・といったことが繰り返される。途中、三か所ほどの展望台に立ち寄りながら北上し(ずっと登っていくというよりは、平坦に広がるてっぺんを移動していく感じ)、終点のプウ・オ・キラ展望台につくと、絶壁の片側にナ・パリ・コーストの海岸線が見える。海抜1,400メートルから真下が見えるので相当に迫力があって、正直言うと怖い。もう一方には幻の湿原、ワイメア渓谷が広がる。深い深い森だ。トレッキングコースがいくらかあって、挑戦したいところだけれど、暗くなる前に山を下りないと運転に自信がないので、少しだけ湿原に入って引き返す。

 キャニオン・ドライブをワイメイアの街に向かって下っていくと、遠く海の向こうにニイハウ島が見える。この島の話がおもしろく、スコットランド出身のエリザベスさんが、「自分たちだけの島」を持ちたいという亡き夫の夢を果たすべく、1864年に、カメハメハ大王から1万ドルとピアノ一台で、島の住民300人つきで島を売ってもらったのだという。現在はロビンソンさん一家が所有している。島ではお金が不要で、150人ほどの島人たちは、ロビンソン家から支給される生活必需品を使っているそうだ。島の文化をそのままにするため、ロビンソン家は島を部外者立ち入り禁止にしていたが、1986年にヘリコプターツアー(ヘリコプターはもともと島の救急用のもの)を始めた。きっと、島の維持にお金がかかるのだろう。最初は、「1万ドルとピアノで島が買えたなんていいな~」と思ったけれど、よく考えてみると、住民つきで島を買うというのが何を意味するのかは謎である。

 もうひとつおもしろかったのは、「カウアイ・メイド」というプログラムで、カウアイ産の材料を使い、カウアイの人々によって、カウアイでつくられている製品の製造業者と小売店で成り立つ。小さな個人商店がカウアイ・メイドのものを手作りして、公認ロゴを使用するのだが、カウアイ・グラノーラ、カウアイ・ソルト、カウアイ・チョコ・・・など、お店に行くと、エプロンをつけてカウアイ・メイドを手作りしているおばちゃんたちが手をとめて売ってくれる。安くはないが、かなり上質だ。カウアイ・グラノーラはとくに気に入って、朝ごはんに食べ、おみやげにも買ってきた。ハワイみやげによくあるマカデミアンナッツ・チョコもあったが、量産のものと比べ、格段においしい。今となっては、もっと買ってきたらよかったと後悔している。

 そしてもちろん、あちこちのビーチのすばらしさ。寝そべってのんびり過ごすには明るく暖かい太陽のふり注ぐポイプビーチが一番で、海を見ながら散歩するには、ロマンチックなノースショアだ。泳ぐにはちょっと寒く(外人たちは泳いでいるけど)、結局ダイビングはしなかったけど、生まれて初めて波乗りをしてみたいと思った。いつかまた行けるといいな。 

(2013年4月)

2011.02.12 自然
朝のジョギング

村本邦子

 何を隠そう、ひょんなことから朝のジョギングを始めた(隠すどころか自慢してる!?)。自分がジョギングするなんて、元旦には思いつきもしなかったことで、新年の抱負にさえ入らなかった。

 1月2日、まだ読んでいない村上春樹のエッセイ集を数冊鞄に入れて、飛行機に乗った。たまたま最初に読んだのが、ランニングについてのエッセイ(春樹は相当にシリアスなランナーである)。長距離走は瞑想的であり、女神で言えばアルテミス的である。「そう言えば、昔、私も走っていたことがあったな」と、その感覚を懐かしく思い出していた。奇しくもその夜は中学時代の同窓会。私のなかで、すっかり思春期気分が高まって、「ちょっと走ってみるのもいいかもしれないな」なんて、(その時は)非現実的に思ったのだ。

 そうこうするうちに、年末年始で4キロも体重が増えたことが判明。「ちょっとやばいかなぁ~」と思いながら、周囲にブツブツ言いふらしていると、ある人から「100歳まで生きようという人にとって、中年になってから太るのは用心した方がいいよ」と厳しい指摘を受けた。たしかに・・・。体重なんて気にしないで好きなだけ食べていた若い時とは、もう体が違うのだ。何か運動でも始めた方が良いかな?スイミング、それともジョギング?

 「とりあえず、今の私にどの程度走れるのかしら?」と一度だけジョギングを試してみることにした。大人になってから、どういうわけか、ちょっと走って心拍数が上がると眼が腫れ上がるという怪奇なアレルギーにかかったりしていたので、走るのは実に30年ぶりだ。自分が走るなんて半信半疑・・・、というより九割九分は疑惑のまま走ってみた。やってみると、驚いたことに、結構走れる自分がいたのだ!この調子ならいくらでも走れそうと感じつつ、とりあえずそのくらいにして様子を見守ったが、筋肉痛さえ起こらなかった。毎日、重い荷物を持って文字通り走り回っている今の私の生活スタイルでは、それだけで相当に足腰鍛えていたのかもしれない。

 そんなわけで、平気で10キロ走れてしまう自分にすっかり気を良くして、朝、6時に起きて走っている。年をとってからは若い時のようによく眠れないので、どっちみち早くから眼ざめて、布団の中でダラダラしていたのだ。「朝から走っていたら疲れちゃってお昼、元気がなくなるんじゃないかしら?」と思っていたが、そんなことはない。むしろ、体がしゃんとして元気なくらいだ。これが、「リラクセーション」ではなく、「アクティベーション」の効果なのだろう。

 あっと言う間に1週間が経過し、「これなら続けられそう」と自分を信頼したところで、ジョギング用のシューズとウェア、そして、iPodとNIKE+を導入。ナイキの靴に入れたセンサーとiPodが連動して、ジョギング・データをパソコンに送ってくれるというすぐれもの(最近、ハイテクづいている私だ。と言っても、iPodの電源の入れ方がわかるまでに2週間近くかかってしまったけど)。

 実際に走ってみると、世の中には、走ったり歩いたりしている人々が案外たくさんいることがわかった。みんな、それぞれに黙々とマイペースで、抜かす人、抜かされる人がいても、とくに気にする人はいない。たぶん、選手を除けば、他者と競う人はどこにもいないだろう(あえて言うなら、自分への挑戦があるだけだ)。黙々とそれぞれが自分に向き合う姿は、まったく人生そのもののようで、なんだかすごくいい感じ。だんだんと顔見知りもできるし、しかも、人々のあいだには、なんとな~く、ある種の仲間意識、コミュニティ感覚が感じられる。

 それから自然との出会い。暗いうちに走り始めると、走っている最中に陽が昇り始め、走り終える頃には、すっかり朝が始まっている。ドラマチックな空の色の変化や川の照り返し、鳥の群れやそびえたつ橋の姿、ビルのきらめきと、自分が壮大な自然のドラマの中心にいるような錯覚を覚える。毎日、梅のつぼみが少しずつ膨らんでいく様子にさえ気づくことができることも嬉しい。なぜだかわからないけど、ジョギングしていると自分の体の様子にも敏感に気づくことができる。不思議なものだ。

 というわけで、なかなか毎日というわけには行かないが(6時より早くは起きたくないので、朝、早く家を出なければならない日はパス)、走り始めてもう3週間になるが、自分の変化としては、何と言っても自信が増した(これ以上いらんやろって気がしないでもないけど)。朝6時に起きて10キロ走る自分だと思うと、「何があっても怖くない!」と強気になれる(だって、ちょっと前まで、朝6時に起きて10キロ走れと言われても、そんな怖いこと絶対にできるはずがないと信じていたから)。それから、肩凝りが少しましになって、寒さに強くなった気がする(血流が良くなったんだと思う)。

 いろいろ調べてみると、ジョギングほど脂肪燃焼に効果的なものはないらしい。最初の3か月は変化ないらしいが、3か月を過ぎた頃からメキメキと効果が表れ、体重が減るらしい。春の私はすっかりnice bodyのはず。う~ん、楽しみ!

(2011年2月)

2009.04.10 自然
自然のエネルギーに満たされて~西表島体験

西 順子

 一年程前から、西表島に行ってみたい・・となぜだか心を動かされるようになった。その大自然に心惹かれたことはもちろん、ただ景色を見るだけじゃなく、自然のなかで「体験」することに、ワクワクと気持ちが動かされていた。家族を誘い、昨年末に計画を立て、先月末に、ついに実現することができた。

 シーカヤック漕ぎ、滝を目指すトレッキング、海でシュノーケリングもしたいし・・と思うと、いろいろと調べたり、準備しないといけないことも多かった。仕事で忙しい時にここまでエネルギーをかけて、行く意味はあるのかな・・と、弱気な気持ちになる時もあった。

 でも、実際行って、帰って来てみると、「ほんと行ってよかった!」「またぜひ、行きたい!」に尽きた。「さあ、明日からもがんばるぞ~」と元気になって帰ってきた。西表島に移住された方が主催するツアーを二日間体験したが、島をよく知る方に案内頂けて、西表島の自然を満喫することができた。

 ある一日。マングローブに覆われた川の中をシーカヤックで上流へと漕いでいく。川に入っていくと、やがて車の音も聞こえなくなり、聞こえてくるのは、鳥のさえずりだけ。人は、私たち家族とツアーガイドさん以外誰もいない。海に出た時の風の強さとは一変し、マングローブが防風林代わりとなって、川の中は穏やかで静か。雨が止んで、太陽の光が注がれ、それを喜ぶかのように、気持ちよさそうに、ひらひらと優雅に飛びかう蝶たち。秘境の地で、原始的な自然に包まれていると、人間である自分はなんてちっぽけな存在なのか、と思えてきた。なんてちっぽけな・・と思うと、自分が悩んだり、迷ったりしていることも、なんて些細なことかと思えた。自分がこうして生きているのは、たまたま、ただ自然に生かされているだけなのだと、命に対して敬虔な気持ちになった。私も周りの人たちも、こうして生きているのは、なんと有り難いことなのかと思うと、思わず涙も出そうになった。

 川の上流にたどり着いた後は、カヤックから降りて、トレッキングで滝を目指す。ジャバジャバと川の中を歩いたり、岩場を超えて滝へ。岩場ではすべらないようにと、特に足もとに注意を払って歩き、よじ登る。一瞬「怖い」「もしも・・」と不安がよぎりそうになるが、感じるより先に、足元に神経を集中する。「不安や怖さがよぎるときも、とにかく信じて、地に足をしっかりとつけて、歩むこと」と、トレッキングは、まるで人生の教訓を学ぶかのようだった。信じるとは、「ゆだねる」という感覚であることを実感した。

 河口に戻って来ると、この日は大潮の日(潮の干満差の大きい日)とあって、潮が引き、広い砂浜ができている。朝カヤックをスタートした時点から、水面の高さは2メートルほど違っていたかと思う。潮が引いた後の砂浜は小さなカニで埋め尽くされている。こんなに大きな潮の満ち引きがあるのか・・と、自然というより宇宙を感じた。

 ・・「体験する」とは、まさに「体」で「経験する」ことであった。五感で、体全体で感じて、体を使って、自然の生命のなかで、人間の生命を実感させられた。行く前は、こんなに深い体験ができるとは思いもよらなかった。本能のエネルギーを感じ、深い満足感で満たされた。一年前から、なんとなく行きたいと思っていた西表島だったが、自分の無意識が自分に必要なものを求めていたのかと、とても不思議な、納得する気持ちになった。

 命には限りがあるからこそ、生きていることに感謝して、今自分にできることを大事に、明日からもまたがんばっていこう。そんな気持ちになって、今年度がスタートした。次回は、海でシュノーケリングをして海の中の世界も見たいと、いつかまた西表島に行ける日を楽しみにしていたい。

(2009年4月)

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