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FLCスタッフエッセイ

2018.01.08 カウンセリング
カウンセリングの窓から~女性の心理的成長のための四つの課題   

              
                                     西 順子

今年度の女性心理学フリートークでは『女はみんな女神』の読書会を行っています。
私自身、『女はみんな女神』との出会いは27年前にさかのぼります。以後、本書は人生のバイブルともいえるような存在となってきました。自分らしさを肯定できると同時に、人生の困難を乗り越えるための知恵を授けてくれたように思います。

今回、このエッセイでは、先月12月の読書会でテーマとなった「錬金術の女神、愛と美の女神アプロディーテー」から「心理学的成長の比喩としてのプシュケーの神話」を紹介したいと思います(『女はみんな女神』326-330頁)。この神話は、「女性が発達させなければならない四つの課題」を表しています。

女性が人生の途中で道に迷い悩むとき、この「四つの課題」は普遍的なものとして、現代の女性にも通じるものがあると思います。神話をイメージするだけでも混沌から抜け出して、知恵と勇気と冷静な落ち着きを得られるように感じます。皆様にとっても、人生の困難を乗り越えて成長するヒントとして何がしか役に立てていただければ幸いです。

■プシュケーの神話とは

『女はみんな女神』の著者ボーレンは「心理学的成長の比喩としてのプシュケーの神話」と題し、女性が心理学的成長するための比喩として重要な象徴的意味を解説しています。

神話にでてくるプシュケーは、エロース(愛の女神アプロディーテーの息子)と再び結ばれることを求めている人間の女性で、何よりも人間関係を大事にして、他の人々に対して本能的あるいは感情的に反応します。プシュケーはエロースと仲直りするために女神アプロディーテに自分を差し出しますが、アプロディーテーはプシュケーを試すために四つの課題を与えました。四つの課題とは、女性が発達させなければならない能力を象徴しています。ではこの四つの能力とは何か、ボーレンの解説と共にその課題をみていきましょう。

■ 課題1~種の選り分け

プロディーテはプシュケーをある部屋に連れていき、うず高く積まれた種の山を見せた。それはトウモロコシ、大麦、キビ、エジプトマメ、レンズマメ、ソラマメの種がごちゃごちゃになったものである。そしてプシュケーに、晩までにそれらの種を種類別に分けなければならないと言いつける。プシュケーはその仕事をこなすことができないように思われたが、アリの一群が彼女を助けにやってきて、種を種類別に分け、それぞれの山に盛り上げた。

重要な決定をしなければならない女性もしばしば、互いに葛藤しあう感情や鎬を削る忠誠心を、まず一つ一つ選り分けなければなりません。「種の選り分け」は内面の仕事であり、女性が自分の内面を正直に見つめ、自分のもろもろの感情、価値観をふるいにかけ、重要でないものから真に重要であるものを選り分けることが求められるのです。

これは混乱した状況にとどまり、事態がはっきりするまで行動しないことを学ぶことであると解説されています。アリとは直観のプロセスの比喩であり、プシュケーがアリを信頼したように、「種の選り分け」のプロセスは、意識的なコントロールを超えて、自分の直観を信じることが大切となります。

例えば、やらなければならない仕事、周りとの人間関係、家族のなかで起こる様々な問題など、「問題が山積み。どこから手をつけていいか」という状況はよく起こることです。
また「やりたいことがたくさんあるけれど、どこからどういう優先順位で手をつけていいか」と思い悩むこともあるでしょう。考える時間もなく、突発的に問題が起こり、巻き込まれることもあるでしょう。あるいは、焦りから慌てて行動に移しても、空回りして消耗し、更に状況が悪化してしまうこともあります。
そんな時、まずは一度立ち止まり、自分の内面を見つめて「種の選り分け」をすることが役に立つことを教えてくれています。

■ 課題2- 黄金の羊毛の獲得

アプロディーテが次にプシュケーに与えた命令は、太陽の恐ろしい牡羊から黄金の羊毛を獲得せよということであった。太陽の牡羊たちは野原にいる巨大で攻撃手で角のあるけだものであり、互いに衝突しあっている。もしプシュケーが彼らのなかに入って、その羊毛を獲得しようとするなら、きっと踏みつぶされるであろう。その仕事ができそうもないと思われたそのとき、またしても、助けがやってきた。今度は緑色をした葦(あし)である。葦は日が沈むまで待つようにとプシュケーに忠告する。その時刻になれば牡羊は散らばって寝るからである。それで彼女は、黄金の羊毛を刈り取ることができた。

象徴的に言えば、黄金の羊毛は力を表しており、それは女性が何かを達成しようとするとき、破壊されずに獲得する必要があるものです。人間関係を大事にするため傷つきやすい女性は、他者たちが権力や地位をめぐって鎬を削っている競争の世界に入っていくとき、そこに含まれるもろもろの危険に気づかないなら、傷つけられるか幻滅し「踏みにじられ」てしまうでしょう。

これは権力を得ながら同情心に富む女性であり続けるという比喩です。プシュケーのような女性が傷つけられずに黄金の羊毛を獲得するためには、観察し、待ち、段階を追って間接的に権力を獲得するのがよいと教えてくれています。

例えば、私はこの神話から、DVから逃れた女性のことを思い浮かべました。
自分の「自由に生きる権利」を守るためには、DV男性から離れるしかないと決意したとき、女性は観察し、待ち、その時を見計らいます。もちろん、女性一人ではなく、そこには葦のように助言し、相談にのってくれるも味方の存在があります。安全に家を出るとき、安全に生きる権利を自分の手に取り戻す重要な一歩を踏み出したといえるでしょう。

■課題3--水晶のフラスコを満たすこと

三番目の課題は、小さな水晶でできたフラスコを禁じられた川の水でそれを満たすことであった。この川は、もっとも高いところに位置する崖のてっぺんにある泉から冥界のもっとも深いところへと滝のように落ち、大地をめぐって再びその泉から現れてくる。プシュケーはその川を見つめていると、フラスコをいっぱいにするという仕事はできそうにもないように思われてきた。今度は、一羽の鷲がやってきて彼女を助けた。

鷲は距離をおいたパースペクティブで風景を見つめ、必要とされているものをつかむために急降下する能力を象徴しています。プシュケーのような女性は個人的なことにあまりにも関わっているために「木ばかりが見えて森が見えない」でいます。
関係を重視する女性にとって、人間関係で何らかの感情的な距離をとることは重要です。そうすることで全体のパターンが見えてきて、重要な細部を取り出し、意味のあるものをつかむことができると教えてくれています。

例をあげるとすると、親子喧嘩や夫婦喧嘩などでお互いに相手のよくないところが見えて、「どうしてそうなの?」と相手を否定したり、批判したり、問い詰めたりするコミュニケーションパターンになり、喧嘩がエスカレートしてしまうことがあります。そういう時は、まずは感情的に距離をとることが必要といえるでしょう。距離をとり、全体がみえれば、何を本当に大切したいのか、大切にしたいものがわかるものです。そして、それを得るためにどんなコミュニケーションをとればよいか見えてくるでしょう。

■課題4 ノー(NO)を言うことの学習

第四の、かつ最後の課題は、ある小さな箱をもって冥界にくだり、それを美の香油で満たしてくることであった。プシュケーはその仕事を死に等しいものと考える。今度は、遠くを見る塔が彼女に忠告を与えた。あわれな人々に出会って彼らから助けを求められても、三回「心を固くして同情心に動かされず」彼らの懇願を無視し、歩み続けなければならない。もしそうしなければ、彼女は永遠に冥界にとどまることになるであろう。

目標を設定して、助けを求められてもそれを固辞することは、人間関係を大事にする女性にとっては-特に困難です。三回ノーを言うことでプシュケーが達成する仕事は、「選択」を行うということです。

多くの女性は人から何かを押し付けられて、自分自身のために何かをすることから注意をそらされています。彼女らはノーを言えるようになるまでは、何を計画しても、また自分にとって一番よいどんなことでもそれを成し遂げることができないと言います。

例えば、もし女性がノーを言えないとどうなるでしょうか。
他者のために自分の時間とエネルギーを費やし、他者の世話したり働き続けると、心身ともに疲弊してしまい、自分のためによいことができないばかりか、心身の不調に陥ってしまうことにもなりかねません。

ここまで、『女はみんな女神』から四つの課題についてみてきました。
最後に、著者ボーレンは次のように言っています。

この四つの課題を通してプシュケーは成熟します。彼女は自分の勇気と決断力が試されるごとに、もろもろの能力と強さを発達させます。しかし、何を獲得するのであれ、彼女の根本的な性質と重要だとみなすものは変わりません。彼女は愛の関係を重視し、そのためにどんな危険をも冒し、そして勝利するのです。


■カウンセリングの窓から

女性が人生の問題について悩むとき、この四つの課題に直面していることも多いのではないでしょうか。自分自身の経験として、カウンセラーとしての経験からも実感します。

カウンセラーとしての経験では、女性がカウンセリングに初めて来談されるとき、混沌とした状況において、何をどこからどうしたらよいか、どう手を付けていいかわからないと混乱していることが多いものです。カウンセリングでは、混沌した状況を整理しながら、もろもろの感情や考え(価値観)、身体の声に耳を傾けながら、大切にしたいものを大切にできるように重要なものを「選り分ける」作業のお手伝いさせていただいています。

また、他者にノーを言うことが課題であることも多いものです。他者の気持ちがわかり愛するがゆえに、よい娘、よい母、よい妻として周囲の期待に応えようとして自分を見失ってしまい、かえって大切にしたいものを犠牲にしてしまうこともあります。
あるいはノーを言うときに、抑えていた感情がいっきに爆発したり、攻撃的になってしまい、他者に伝わらないばかりか自己嫌悪に陥ってしまうこともよくあります。

そんな時、まずは自分の感情について認めることが大切です。感情によい悪いはありません。どんな感情も認められるべきものです。感情を認めることができたなら、その次には、その感情の源(例えばトラウマとなっている過去の未解決の感情・葛藤など)にも目を向けてみることも必要です。カウンセリングでは、感情を認め、理解し、緩和したり消化するお手伝いをしています。

物事の見方、捉え方が変わることで感情が変わることもあります。感情が抱えられるようになり、本当に大切にしたいものを大切にする決意をもてれぱ、現在に焦点をあてて、自分も相手も尊重する自己主張(率直な自己表現)も可能となるでしょう。

プシュケーの神話から、女性の人生の課題は個人だけの問題だけではなく普遍的な問題でもあると知ることで、勇気づけられ、心強く感じられるのではないでしょうか。

カウンセリングでは、女性が困難を乗り越えて、自分が大切にしたいものを大切にできるように、人生のある時期を共に寄り添う伴走者となれればと願っています。


【引用文献】
『女はみんな女神』(ジーン・シノダ・ボーレン著、村本詔司+村本邦子訳)新水社。

【関連記事】
2017年9月インフォメーション「女性心理学フリートーク『女はみんな女神』読書会のご案内」
2015年1月FLCエッセイ「カウンセリングの窓から~人生の選択に迷うとき」
2014年11月FLCエッセイ「カウンセリングの窓から~私って誰? 本当の私らしさって?」



2017.05.16 女性の生き方
女性にとって「自分らしい生き方」って?

朴 希沙

女性ライフサイクル研究所で働き始めて、2ヶ月が経ちました。
カウンセリングでは、おひとりおひとりのお話を丁寧に、真摯にうかがっていきたいと思っています。
今回は私の自己紹介と、女性の「自分らしい生き方」について、最近考えていることを書きたいと思います。

昨今、女性の生き方が様々な領域で取り上げられるようになりました。

小説、マンガ、ドラマ、お笑い...私もひとりの20代女性として、女性が男性の「添え物」ではなく「主人公」として登場する様々な物語に心躍らせ、共感し、楽しんでいます。
特に、最近は鳥飼茜作のマンガ『地獄のガールフレンド』をとても面白く読みました。自分らしい生き方・男性との付き合い方について考えたい方にぜひおすすめしたいマンガです。

また私は在住地域で6年間、在日コリアンの方々への心理社会的サポートをするグループを行ってきました。
特に性別を指定したわけではなかったのですが、そこにはなぜか女性たちが多く集まり、毎週のように皆でたくさんの話をしています。

恋愛のこと、仕事のこと、生き方のこと、子どものこと...ひとりで悩んでいたことも、みんなで話すと思わず笑ってしまう時もあり、グループが終わる頃にはいつも、今までとは違った視点で自分や仲間を見ていることに気づきます。

「こうあらねばならない」「こんな私は間違っている」といった「考え」よりも、「私たちは○○したかった、◎◎を求めていた。そのこと自体は、だれにも責められることじゃないんだなあ」という思いが、胸のあたりにじわっと広がります。

また、このグループでは「当事者研究」にも取り組んできました。
「当事者研究」とは、北海道の浦河「べてるの家」で生まれたエンパワーメントアプローチ(自分自身を励まし、助ける方法)のひとつです。
自分が「自分の専門家」となり、自らの抱える生きづらさについて、仲間と共に「研究」します。

つい繰り返してしまう悪循環や、関係のパターン等について、希望する人が自分で研究テーマを決めて、自分自身について、起こっている出来事の状況やパターンを自分なりに研究していきます。
そして各自が研究したものを持ち寄り、お互いにディスカッションしたり、新たな視点で眺めなおしたりします。

こんな風に、わいわいとおしゃべりをしたり客観的に自分自身を見つめなおしたりする活動をグループで行っている中で、気づいたことがあります。

それは多くの人が、社会からの要請(こうあらねばならない)と、自らの欲求(こうしたい!)との間で葛藤するということです。

特に女性の場合、自分の欲求や欲望を我慢することを求められる場面が多いと感じています。

例えば、「もっと他にやってみたいことがあるけれど、周りからなんて言われるか気になってしまう...」「親や親せきに会うたびに、結婚を急かされる...」といった話をよく聞きます。

こんな風に生きてみたい、こんなことをしてみたいという思いを抑えつけたままでいると、いったい自分は何のために生きているのか、何がしたいのかも分からなくなる...そんな経験をされている方がたくさんいると思うようになりました。

それからというもの、私は女性の「自己実現」とは、周りから期待されている「幸せな結婚」をすることや「社会的に成功」するといったことだけではなく、自らの欲求に気づき、それを大切にし、また自分なりのやり方で社会と関わっていくことではないかと思うようになりました。

それは、お仕着せの方法にただ翻弄されるのではなく、試行錯誤しながら自らの人生の主人公になることでもあります。

そしてそのためには、こんがらがっている気持ちを少し整理して、自分の欲求や思い(内的な力)と自分が求められていること(他者からの期待)の両方に気づくことが大切かもしれないと思うようになりました。

「些細なこと」と言われるような悩みであっても、それは自分自身や他の女性、そして世界とつながっていると思います。

そんなことを考えながら、6月より読書会を企画しました。
「自分らしい生き方」って何? と私自身の人生を見つめなおすために、ユング心理学と女性心理学というふたつの視点から書かれた『女はみんな女神』を読んでいきます。ご関心のある方のご参加を、お待ちしております。

女性心理学フリートーク『女はみんな女神』読書会:ご案内ページ

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2015.04.17 女性の生き方
日々の小悩み・イライラに――文庫『週末、森で』ご紹介――

福田ちか子

 「あ~っ、またやっちゃった」「あの人苦手だなぁ...」「あれとあれとこれもしなくっちゃ」などなど、日々のプチストレス。解消する間がなく明日がやってきて、同じことがくり返し続くと、落ち込みモードに突入してぬけだせなくなることもある。そんなときに,そっと背中を押してくれたり,ふっと視野を広げてくれたりするような一冊として,益田ミリさんの『週末、森で(益田ミリ2009 幻冬舎文庫)』を紹介したい。

 この本の主な登場人物は,思いついて森の近くで田舎暮らしをはじめた翻訳家の早川さんと,経理部ひとすじ14年のマユミちゃんと,旅行代理店勤務のせっちゃん。週末になると,マユミちゃんやせっちゃんが早川さんを訪ねては,ハイキングにでかけたりカヤックを楽しんだりして,また都会の暮らしに戻っていく。

 ある日のマユミちゃんは,仕事が忙しくてごきげんななめ。残業の帰り道に,その日がお母さんの誕生日だったことを思い出して,「どうしよう,毎年プレゼントを送ってるのに...」と焦り始める。ちょうどお店は閉まり始める時間帯で,いくつか心当たりのお店に向かうがすでに閉店。宅配か,明日の昼休みにダッシュで買うか...とひとしきり考えて,毎年の贈り物ができなかった自分に落ち込む。

そんなとき先週末に早川さんとカヤックをしたことを思い出す。向こう岸のカモが見たいのに,こいでもなかなか進みたい方角に進めなかったマユミちゃんに,早川さんが教えてくれたコツは「手もとばっかりみないで自分が行きたい場所をみながらこぐと近づけるよ~」だった。ふとそのことばを思い出したマユミちゃんは,ひとまずプレゼントのことは置いておいて,お母さんに電話をかけて「お誕生日おめでとね」と伝えることにした。

 週末,森で過ごした体験が,じんわりと平日をあたためて,マユミちゃんとせっちゃんが,日々のプチストレスをやり過ごす様子が描かれている。

日々のプチストレスがたまったとき,「もっと自分がちゃんと頑張らなくちゃ」と自分を責める方向に偏りすぎることや,「あいつが悪い!!」と相手を責める方向に偏りすぎることは,バランスを崩して落ち込みモードに突入しやすくする。

相手を責めるのでも自分を責めるのでもなくふっと肩の力を抜いて自分の気持ちをながめる,というプチストレスを溜めない極意を,日々の生活の中で活用するアイディアがいっぱい詰まっているところが,とても素敵だと思う。

2015.01.13 カウンセリング
カウンセリングの窓から~人生の選択に迷うとき

西 順子

 人生とは旅のようなもの。ライフサイクルの段階に応じて状況も変わり、質的な変化を求められます。
 
 進学、就職、再就職など、どんな進路に進むのか進まないのか、どんな仕事につくかつかないか・・。
 恋愛、結婚、離婚、再婚など誰といつどんな関係をもつのか持たないのか・・誰と共に人生の旅をするのか・・など。
 人生の変化の節目ではさまざまな選択の「とき」があり、どの「道」を選ぶのか選ばないのか、選択に迫られると言えるでしょう。
  
 人生の節目は危機でもありメンタルヘルスに不調が現れやすいものです。これまでの旅の疲れを休め、エネルギーを充電しつつ、次の人生の方向性を見出すときでもあるでしょう。

 しかし人生の分岐点では、あなたが自分で決断する前に、誰かが「こうすべき」「こうしたほうが、あなたのため」と圧力をかけてくることもあります。

 ではどうやって、自分の人生の「道」を選択し、歩んでいけばいいのでしょう。あなたが本当に納得いくためには、何を指針に選択すればよいのでしょうか。

 人生の「選択」をするときの指針、あるいはヒントとして、ここでは『女はみんな女神』から、著者ボーレンの言葉を紹介したいと思います。

 「人生は自分で選んだのではないさまざまな状況にみちているが、常に決定を行わなければならない瞬間がある。それが結節点となって、物事のなりゆきが決まったり性格が変えられたりする。自分の旅の主人公になるためには、女性は、自分のおこなう選択が決定的に大事だという態度で始めなければならない。あるいは、初めのうちはあたかも大事であるかのように振る舞わなければならない。」(350頁より)

 つまり、自分が行うこと、行わないこと、自分の態度によって自分を決定していくと言います。このことを精神科医であるボーレンは自分の患者さんから教えられたと言っています。

 たとえば、親から見放され、虐待されながら生き延びてきた人々が、自分を虐待した大人のようにならなかったこと、トラウマ的経験は爪痕を残し、無傷ではないけれど、それでも信頼や愛と希望、自分を大切にする気持ちは残っていること。それは「なぜそうなのか」と考えたところ、こうした人々は、子どもの頃、何らかの仕方で自分を恐ろしいドラマの主人公として自分を理解しており、心のなかの神話、空想生活、想像上の友達をもっていたと言います。
 自分をお姫様だと感じて空想生活に逃げ込んだり、戦士だと考えて、どうすれば家から出られるかの計画を練っていたり・・、どのように反応したらよいかを自分で選んでいたのです。自分がどのように扱われているかとは別個に、自分についての感覚を維持したのです。 

 またボーレンは次のよう言っています。重要な決定をしなければならないとき、特に状況が混沌としているときは、「女性が自分の内面を正直に見つめ、自分のもろもろの感情、価値感や動機をふるいにかけ、重要でないものから重要であるものを選り分けること」(328頁)が大切です。

 たとえば、仕事と家族の問題が重なって鬱になり仕事を辞めたがもう一度仕事につきたいというとき、何を大切にするかによって、さまざまな選択肢があります。 

 家族(例えば子育てや介護)や家庭生活とのバランスがとれる条件で再就職の道を探る・・、
 今は働くよりも、将来的に自立できるようまずは資格をとる勉強から始める・・、
 以前していた仕事の経験を活かせるよう、同じ職種でもう一度働けるところを探す・・
 家族とは離れて自活して暮らせるよう、やりたい仕事よりも条件のよい職を探す・・、
 心身の健康を第一にして、まずはボランティア活動を通して自分の生きがいを見出す・・等、

 長期的なスパンにたって未来を見ながら、何を優先して何をあきらめるのか、優先順位をつけながら、自分にとってもっとも大事なものを理解していくことが必要となるでしょう。

 そのためには、慌てて答えを出さず、まずはじっくりと考えて、自分のペースで決心する事を大切となってきます。人生の選択に迷うとき、あなたにとって大切なものを、自分の心にすんなりと受け入れられるかどうかに基づいて決断することが大切です。
 なぜなら、その結果を引き受けて生きていくことになるのは自分に他ならないからです。
 
 女性ライフサイクル研究所では、人生の道に迷いこみ、暗くて先が見えない時、十字路で立ち止まるとき、自分にかなう「道」を発見できるようお手伝いができればと思っています。必要なときはいつでも、カウンセリングの「場」を訪ねてみてください。

関連記事:
FLCエッセイ「カウンセリングの窓から~私って誰?本当の私らしさって?」
論文「女性の自己実現と心理療法~『血と言葉』を女性の視点から読み直す」
論文「想像力とレジリエンス」
年報「特集:人生の選択に迷うとき~新しいライフサイクルをめぐって」
 『女性ライフサイクル研究』第15号

2014.11.02 カウンセリング
カウンセリングの窓から~私って誰?、本当の私らしさって?


西 順子

 「私って誰?」「本当の私って・・?」「自分のことがわからない」・・など、カウンセリングをお受けするなかで、自分自身についての悩みをよくお聞きします。
 特に青年期は、「自分とは何か」「自分はこれからどう生きていくのか」と自分に問い、考える時期ですので、自分について悩むのは自然なことです。

 エリクソンは、青年期の発達課題は「アイデンティティの確立」として重視しました。「自分とはこういう人間だ」「自分は自分である」とはっきりとした自分を感じ、自分を発見的に知ることで、アイデンティティ(同一性)が形成されるといえるでしょう。

 さらに、アイデンティティ形成は、青年期のみならず一生涯を通じて続く無意識的な発達プロセスです。女性心理学によれば、女性は「個の確立」よりも「関係性」が優先されて発達すると言われます。現代では女性の生き方も多様化しているため、「個の確立」と「関係性」との相互作用の中で、自分らしさを獲得し、人生の段階によってアイデンティティも変容していくと言えるでしょう。

 今回ここでは、「私らしさ」について知るためのツールの一つとして、ギリシァ神話に登場する「7人の女神」を紹介したいと思います。7人の女神は、女性のなかにある「行動や感情に影響を及ぼしている内的な力」「強力な生得的パターン」あるいは「元型」を人格化したものです。
 これを理論化したのは、ユング派でフェミニストの精神科医ジーン・シノダ・ボーレンで、「自分が何者であるのか」について、女性のなかにある内なる力と、文化や家族がどう影響を及ぼすかの両方の視点から、「女神の物語」を通して記述しています。

狩りと月の女神・アルテミス
 短いチュニックをまとい、弓と矢をたずさえ、ニンフを従えて荒野を歩き回る、野生に親しんだ女神です。月の女神でもあることから、光の使者としても表されます。
 アルテミス元型は、女性の自信と独立心を表しています。好奇心旺盛で、自分の狙った目標に集中し、追求していくことに喜びを感じます。犠牲になっている女や幼い者への思いやりがあり、女同士のつながりを大切にします。男性とは対等につきあいます。
  
知恵と工芸の女神・アテーナー
 ゼウスの頭から、完全な大人の姿で飛び出してきたと言われる女神です。美しい戦いの女神として知られ、鎧に身を包んで、都市を守り、知性を支配していました。
 アテーナー元型は、論理的で計画的な性質です。よく物事を考え、感情的な状況のさなかでも冷静でいられます。英雄を好み、自分が見込んだ男性には、その片腕足らんとし、有能な部下(または妻)になります。手先が器用で、タピストリーなど美しく実用的なものを生み出す才能があります。

炉の女神・ヘスティアー
 炉の中で燃えている火の女神。画家や彫刻家によって、描かれたことがない女神です。人間の形で表されたことはありませんが、神聖なものを象徴し、儀式の中で非常に尊敬されていました。家庭や神殿や都市の中心で燃えている炎の中に存在しています。
 ヘスティアー元型は、日常生活になくてはならないものです。一人の人格のなかにヘスティア元型が現れることも同様に大切であり、自分が無傷であり健全だという感覚が生じます。ヘスティアーが求めているのは静かな心の安らぎであり、孤独のうちに見出せます。

結婚の女神・ヘーラー
 最高神ゼウスの配偶者、正妻として知られています。名前は「偉大なる淑女」を意味します。ギリシァ神話では対照的な二つの側面をもっており、一つは結婚の強力な女神として儀式で崇拝されました。もう一つは、復讐心に満ち、嫉妬深い女として貶められました。
 ヘーラー元型は、喜び、もしくは苦しみを生み出す強力な力です。妻になりたい女性の願望を表しています。パートナーがいないと根本的に何か不完全と感じます。絆を結び、パートナーに誠実となり、一緒に幾多の困難を乗り越えていく力を与えてくれます。

穀物の女神・デーメテール
 娘である乙女ペルセポネーの母親として崇拝されました。冥界のハーデスに誘拐された娘を不眠不休で捜しましたが、ついに失望して一切の女神の仕事をやめてしまったことから、地上の穀物が育たなくなりました。困り果てたゼウスのとりなしによって娘を取り戻すことができました。娘と再会してから、大地に豊穣を回復させました。
 デーメテール元型は、母親元型で、母親になりたいという深い欲求、本能を表しています。他の人を養い育て、寛大な気持ちで与え、世話をやいたりすることに満足を覚えます。育てたいという欲求が拒絶されたり邪魔されるなら、抑うつ状態になります。この元型の養育的側面は母親に限定されず、援助職など職業を通じても表現されます。

乙女、冥界の女王・ペルセポネー
 ハーデスによって地下世界に誘拐された女神です。神話の始まりは、無邪気な少女でしたが、成長してのち、冥界の女王として成熟した姿で描かれています。
 元型としては、永遠の乙女のようで、行動するのではなく他の誰かから働きかけられるのを待っています。従順に行動し、態度が受容的です。また二つの元型パターンとして、乙女から女王に成長するか、心の中で乙女と女王が存在するかになります。春を象徴し、若さ、生命力、新しい成長に向かう潜在力をもっています。

愛と美の女神・アプロディーテー
 誕生と起源には二つの説があります。一つはゼウスと海のニンフとの間に生まれた娘、もう一つは暴力行為の結果として生まれています(「ビーナスの誕生」として描かれています)。アプロデイーテーは錬金術(変容)の女神でもあります。インスピレーションを吹き込んで、変容と創造をもたらす愛の力を象徴しています。
 アプロディーテー元型は、女性の愛、美、性、官能の喜びをとりしきります。誰かに恋し、恋におちるとき、アプロディーテーが存在します。創造的機能、生殖機能の両方を成就させることができます。

 皆さんはどの女神たちに親近感をもたれたでしょうか? どの女神たちが内側にいると感じるでしょうか?
 どの女性の心のなかにも女神がいます。そしてまた、一人の女性のなかにも多くの女神がいます。どの女性も、女神から学び、ありがたく受け入れるべき「女神」から与えられた天賦の才を持っています。魅力、強み、潜在的な力が備わっているのです。
 そしてまた、子ども時代・思春期~成人期(仕事、対男性関係、対女性関係)~中年期~晩年と、人生のライフサイクルに応じて、7人の女神それぞれの人生の物語があります。傷つきと苦しみ、成長のための課題もあります。女神たちの人生の物語から、女神の素晴らしさを知ることはもちろんのこと、女性が苦悩や困難を乗り越える知恵や方法も教えてくれます。
 

 「私ってどういう人間?」「私らしさって?」「私は今どこにいて、これからどこに行くのか?」・・等、人生の道の途中で悩むとき、「女神の物語」を知ることでヒントが得られるかもしれません。自分のなかにある女神元型に気づくことで、「ああそうか」と私であることに納得し、「ありのままの自分でいること」を理解され、肯定され、力づけられたと感じられることでしょう。

 詳しくは、『女はみんな女神』をご覧ください。⇒こちらからダウンロードすることができます。

 なお、今年度は第一日曜日の午前中、『女はみんな女神』の読書会・女性心理学グループを開催しています。関心がある方はぜひご参加ください。⇒グループのご案内 

 女性が、私が私であることを肯定し、自分らしく、自分の人生の主人公となることを願っています。

2014.09.07 ライフサイクル
女性のライフサイクルと仲間

西 順子

 8月最後の日曜日、30年ぶりに大学の友達と再会を果たす。場所は京阪神と中国・四国地方に住む友達との中間地点、神戸三ノ宮。まず開口一番「変わってない~!」「声もしゃべり方も変わってないね~!」と互いに再会を喜び合った。

 ランチは友達お勧めのイタリアン・レストラン。ホテルの17階にあるレストランの窓からは神戸の山が見えてロケーションも最高。見た目も綺麗で美味しい食事を頂きながら、思い出話から近況まで話も弾む。思い出話には、私自身が覚えてなかったり、忘れていたりするエピソード、しかも面白いエピソードに思わず赤面。大笑いしながらも、自分は覚えてなくとも、友達の記憶のなかで私を覚えてくれていることに、ありがたい気持ちになる。自分が覚えている当時の記憶に、友達から聞くエピソードが加わり、当時の自分の姿が多面的になった。人生のある時期を共に過ごしてきた仲間、思い出話を語れる仲間がいることをしみじみと有り難く感じる。

 話は、大学卒業後から就職、結婚、子育て、家族の生老病死・・などを経て、今取り組んでいる仕事や家族との関わり、そして更年期を迎えての体調のことや目の前に迫っている親の介護にも話が及ぶ。女性の人生30年のライフサイクルを、皆それぞれが生き抜いてきたんだなと、しみじみと愛おしい気持ちになった。そして30年を経ても、その人らしさは変わらず、その人らしく仕事をしたり、活動をしたり、子育てをしたりしていて、マトリョーシカ人形のように、当時の姿と今の姿が重なった。時空を超えて「今、ここ」に一緒にいることが不思議で、とても懐かしくも温かさに満たされた。
 
 大学時代は親許を離れて下宿し自分の人生を歩み出した過渡期、そして今、中年以降の人生をどう生きるかと歩み出す過渡期と、女性のライフサイクルの思春期後期と更年期は共通点が多いことに気づく。過渡期に迷いや悩みはつきものだが、過去・現在・未来と縦軸だったり、家族や人との関わりとの横軸だったりと、縦横に行きつ戻りつしながら時空を超えて話をしていると、普遍的なつながりを感じて、心が楽に自由になれる。それぞれの人生は違っても、女性として、ライフサイクルの段階を共に歩む仲間がいることは心強い。

 楽しいひと時の後、余韻を味わうように女性のライフサイクルについて思い巡らせた。年報創刊号「女性のライフサイクルについての試論」(1991,村本)を読み返す。結論として書かれていた「・・結局のところ、重要なのは、各々が自分の人生を全体との関係のなかでとらえていき、しかも、個人を超えた力や他者とつながりながら、自分の人生を生きていくことである」という言葉に納得。「生かされている」という謙虚な気持ちを忘れずに、他者とのつながりを大切にしながら、自分らしく歩んでいければと思う。

 女性ライフサイクル研究所は伸び伸びと自由に自分の人生を生き、自分とは違った他者をも受け入れ、社会全体がもっといきいきと活気づくことを願って設立された。これからも女性のライフサイクルに寄り添いながら、生命を信頼し、生命の声を大切にする場所であり続けたいと願う。

2014.04.27 女性の生き方
すーちゃん まいちゃん さわ子さん

仲野沙也加


生きていると少しずつ大変なこともやってくる。でも、家族や友人からのたわいのない連絡、ささやかな日常の一コマでほっとする。そんなことに支えられて心が安心する。遠い未来のために今を決めすぎることはない。今いることが未来に向かっているのだから。
 
友人に勧められて「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」という映画を観た。この映画は、柴咲コウさん、真木よう子さん、寺島しのぶさんが演じる3人の独身女性が主人公の物語。3人それぞれが道を歩む中で悩みにぶつかる。「私が選んできたのは、間違っていたのかな?」それでも彼女たちはちょこっとの幸せを見つけながら今を生きていく。春の温かく柔らかな雰囲気に合う映画だ。上映されたのは、1年くらい前になるためDVDを借りて観た。

映画を観終わった後、心がほっこり温まりすっと軽くなった。仕事、恋愛、結婚、出産、子育て、介護...人生の中で直面することであり、それらが必ずしも心から幸せと感じるものでないかもしれない。でも、少しゆっくり深呼吸して周りを見て。日常は意外にもゆるやかに流れている。「今を生きる」それだけで十分素敵なこと。幸せなこと。選択を一つずつ積み重ねていくことが人生でもある。でも、たまにはその選択も時の流れに身を任せるのもいいかもしれない。それも大切な選択。自分のことを大切にしたくなった。「昨年は日常に追われ、ゆっくり過ごす時間も少なかったなぁ。今年はほっこり過ごす時間も大切にしよう。」とゆるやかな決意を抱く。

2006.06.12 女性の生き方
元気の素

村本邦子

 「誰に聞いても、村本さんって、いつも元気だよねって言うね~」と人から言われた。「そう?それ言ってる人たち、自分が元気ないんじゃないの!?」と答えたが、ちょっと考えてから、「だって、好きなことばっかりしてるからね~」と付け足した。すると、「そんなこと言ってる日本人、村本さんぐらいだよね~」と返ってきた。そうか、日本人は好きなことをしない人種なんだ。ふ~ん、そうかもしれない。
 
 私の育った家庭では、「好きなことを一生懸命やるのは良いことだ」という価値観があった。だから、自分の子どもにも、好きなことを一生懸命やろうとしている時には、親が大変な時でも、できる限りの応援をしてきた(つもり)。手抜きの子育てでも、これだけは実践してきたから、きっと子どもたちも元気なのだと思う。

 「うち、毎日、毎日がめっちゃ楽しいねん」と娘が眼を輝かせている。「高校時代って人生で一番楽しい時なんかな?」と言うから、「何言ってるの!お母さんだって、毎日、めっちゃ楽しいで~。大人になっても楽しいで~」と言うと、「そうか~。そうやんな~」と納得していた。
 
 好きなことを一生懸命すること、これは日々を元気に生きるコツだ。もちろん、好きなことを一生懸命やることのなかには、苦労や困難も含まれている。決して楽なことばかりではない。でも、同じ苦労でも、やらされていると思えば耐え難く苦痛だが、自分が好きで選んだことだと思えば、頑張れる。柔道をやっている息子も、高校生活最後の試合前で、練習がきつそうだが、よく頑張っている。全部、自分が選んだことだからだ。

 人生には自分で選べないことも、たくさんある。それでも、ちょっと視野を拡げてみれば、あるいは、柔軟な発想転換ができれば、人生の選択の幅はぐ~んと広くなる。一番、自分を縛っているのは、実は自分自身ということは案外あるものだ。本当は自分で選んでいるのに、つい、人のせいにして、「イヤダ、イヤダ」と言ってしまうことって、あるんじゃないかな~?

 自分の人生を主体的に生きること。環境を好ましいものにするために努力を惜しまない。でも、今すぐ手に入らないものに固執しない。今、やれることのなかから、自分にとって最善のものを選んでいく。とってもエネルギーがいることだけど、これが元気の素だ。

(2006年6月)

2005.07.12 女性の生き方
大阪のおばちゃんパワー

村本邦子

 めったに行けないのだが、近くのジムへ行くと、いつも「大阪のおばちゃん」パワーに圧倒される。人より元気なはずのこの私でさえ圧倒されるのだから、彼女たちは、相当に明るく、元気で、パワフルなのだ。お金も時間もあるそれなりに余裕のある層なのだろうが、毎日のようにジムに来て、体を鍛え、お風呂でリラックスし、おしゃべりに花を咲かせている。結構、口は悪い。年齢的には、すっかり子育てを終えた50代、60代が多いようだが、元気の何のって。何時間もエアロを踊り、何度も水風呂とサウナを往復して1日過ごしているらしい。さすがに、筋力も柔軟性も驚くべきだ。
 聴き耳を立てているわけではないのだが、サウナの中、大きな声で話しているので、いろんな会話が耳に入ってくる。ジム以外にも、集いあわせて、ゴルフに行ったり、テニスをしたり、エステに行ったり、海外旅行に行ったりしているようだ。時に、入院したり、夫の看病をしたり、鍼灸、病院へ行くこともある。娘の出産、孫の世話、介護などもある。聴いていると、それなりに、人生の紆余曲折も経験しているらしい。それでも、とにかくめっぽう明るい。私が普段おつきあいしている人たちとは、ある意味、別人種なので、人間観察という点では、私にとって、貴重な機会だ。ジムが一種の社交場になっているのだろうが、こんな人たちは、ストレスを溜め込むことなく、カウンセリングなど無縁で、元気に長生きする人たちなのだろうとつくづく感心する。
 いつ頃からか、認知症があるのかなというおばあちゃんが仲間入りしていた。いつもニコニコして、「コンニチワ」と誰彼なく挨拶をしてくれる。体は丈夫なようで、(話によれば)、毎日、長い時間、プールで歩き、その後、やっぱり長い時間、お風呂で過ごす。お風呂では、脱いだ水着とタオル2枚が気になるらしく、片時も離さずにいるが、しばしば、1枚のタオルをどこかに落としては、「タオルがない」と探している。最初のうちは、おばちゃんたちが世話を焼いて、タオルを見つけ、絞ってやっては、「そんなん持って入るからなくすんや。こうやって、ここに置いとき」と、繰り返し棚に置くことを教えていたのだが、どうしても、自分の持ち物を手放したくないらしく、せっかく置いてもらった複数の持ち物をわざわざ手に持ってお風呂に入る。そして、また、1枚どこかに落として探し回る。それでも、なんだかんだ言っては、おばちゃんたちが交互に世話を焼いていた。「暖かいコミュニティって感じで、いいなぁ~」と、ほんわか気分で見ていたものだ。
 たまにしか行かないので、途中経過はよくわからないが、いつ頃からか、世話焼きタイプのおばちゃんたちが、このおばあちゃんに対して、説教口調から、やや罵倒気味に接するようになっていた。たぶん、同じ事の繰り返しにうんざりしてきたのだろう。時間が経過し、次に行った時には、サウナのなかで、このおばあちゃんの状態を何とか窓口を介して家族に伝えて、来ないように言おうという相談だった。「えっー、そんな!」と思って聴いていたが、「病気なんやから、皆から、こんなふうに迷惑がられているのは、かえって気の毒」「私らだって、介護するために、高いお金払って、わざわざここに来ているわけじゃない」。呆れたり、怒ったり、同情したりしながら話し合っていた。確かに、それはそうだ。何だか残念だなぁ。でも、仕方ないよなぁ。私のように、ごく稀にしか来ない客にとっては、微笑ましいだけで、さしたる被害もないが、毎日、世話を焼いている人たちにとっては、そうなるよなぁ。かと言って、大阪のおばちゃんたちは、冷たく知らん顔できる人たちでもないのだ。虐待するまで自己犠牲するタイプでもない。あくまでも問題解決的なのだ。これが健康の秘訣なのだろう。最終的にどうなったかはまだ知らない。
 身近な人たちからは、私は「大阪のおばちゃん」タイプと言われるが、私など、まだまだヒヨッコ。彼女たちのタフさの秘訣を学んで、長生きしたいものだ。

(2005年7月)

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