1. ホーム
  2. FLCスタッフエッセイ

FLCスタッフエッセイ

2012.01.12 コミュニティ
スペインから「フェリース・アニョ・ヌエボ(FELIZ AÑO NUEVO)!」

村本邦子

 2012年のお正月は、スペインのマルベージャで迎えた。映画の中のような太陽がいっぱいの地中海沿岸に泊まったが、年越しを経験するために、大晦日、にぎやかな旧市街のナランホス広場へ出かけた。ステージでは陽気な二人組のおじさんバンドが音楽を奏で(毎年、ここで、35年もやってきたそうだ)、かわいい子どもたちや世代さまざまの恋人たちが楽しそうに踊っている。

 日本では「年越しそば」だが、スペインでは「年越し葡萄」。年明けを告げる午前0時の鐘の音に合わせ、1回ごとに1粒ずつ、計12粒の白葡萄を食べる。鐘は3秒ごとに鳴るので、かなり慌ただしいが、無事に12粒を食べられれば、その1年間を幸福に過ごせるそうだ。みんなには結構難しいようで、スーパーマーケットには、あらかじめ皮をむいたり、種を取ったりしてすぐに呑み込めるように準備した12粒入りの缶詰まで売っている。私には、いたって簡単。皮も種もそのまま食べちゃったらいいだけだ。おいしくはないけど、幸福には代えがたい。

 いよいよ鐘が鳴り、みんなで葡萄をほおばり、あちこちでシャンパンが音を立て、人々は、「フェリース・アニョ・ヌエボ!」と抱き合ってキスする。あちこちに花火が上がる。楽しい年越しだった。一昨年は、エッフェル塔でパリの年越しをしたっけな。フランス人の方がもっと派手などんちゃん騒ぎをしていたような気がする(と言っても、本当のところは、観光客が多いらしいが)。いろいろな国のいろいろな年越しがある。新しい年を迎えるのは、どこでも心躍る楽しいことなのだろう。

 それでも、安心して年を越せない人々はいつの時代、どこの国にもいるはずだ。それを思うと、罪悪感が頭をもたげ始める。とくに今年は、大震災の影響が大きかっただけに、具体的な人々のことを思うと、いたたまれない気持ちにもなる。そして、いつも人に言っていることを自分に言い聞かせる。罪悪感は何の役にも立たない。むしろ現在の自分のありように感謝して、自分にできることを積み重ねよう。昨年は、どうにも無理をしすぎて、調子を崩すことの多い1年だった。今年は、もっと元気に頑張れるよう、年齢相応の工夫が必要だ。そして、祈ること。

 どうか世界中の人々によい年が訪れますように!

(2012年1月)

2012.01.10 トラウマ
トラウマと身体~ソマテイック・エクスペリエンス(SE)と出会って

西 順子

 2012年1月、ソマティック・エクスペリエンス(SE)認定プラクティショナーとしての認定をいただいた。新年早々、認定の連絡がメールで届き、心から「やった~!」と嬉しく、喜びに満たされた。 

 ソマティック・エクスペリエンス(SE)に出会ったのが、2008年。『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』(P・リヴァイン著、雲母書房)の本を、そうそう・・、なるほど・・と興奮する気持ちで読んだことを今でも覚えている。子ども時代の虐待や性暴力被害など、トラウマ臨床に携わるなかで感じてきた<もっとどうすれば回復できるのか>、つまりトラウマの再現によって生じる恐怖、不安を、圧倒されずにどう緩和できるのか、という問いに答えてくれるように感じた。トラウマを「身体」の側面から理解すること、それがトラウマからの回復と癒しの鍵になるということに納得した。ぜひ、このSEを学び臨床に役立てたい・・と志して早3年半。今振り返れば、幸運な出会いに恵まれて、今ここに、辿りつけることができた。無事にここまで来れたことに、感謝の気持ちである。

 3年間のトレーニングで感じたことは、折にふれてエッセイや日記などでも書いてきた。2009年には年報19号『身体の声を聴く-肥大化した心の時代に』のなかで論文としてまとめたが、SEを学ぶなかで、私自身も変化を体験してきた。何より、以前と比べて、自然体で落ち着いていられるようになったことが有り難い。

 SEでいうところの「落ち着く」とは、自律神経系が落ち着いてバランスがとれていること、つまり、交感神経系の「楽な活性化」と、副交感神経系の「楽な解放」との継続したサイクルがあることである。それは、呼吸のリズムや深さ、心拍数、筋肉の緊張と弛緩、五感など身体感覚によって感じることができる。私自身まだまだ、活性化しすぎて過度に緊張したり、イライラしたり、動揺したり・・することも多々あるが、そのことに気づくだけでも違うように感じている。神経系が落ち着いているときは、くつろいでリラックスしつつも機敏で、他者ともつながることができ、情緒的に安定していて、さまざまな状況下で適切に対応できる・・と言うから、そんな状態に少しでも長く留まっていたいものだと思う。

 「心と身体がつながっているって、こういうことなんだ」と、自分の身体で実感することで、生きているってすごいことなんだと、生きていることそのものに、有り難く感謝するようにもなった。そして、人間の存在全体に対しても、畏敬の念をもつようになった。身体とつながることで、個の意識を超えて、スピリチュアルなものとつながれるように感じている。本能的な生命の営みによって生かされていること、生かされた命を大切にすることが、私自身にまずできることであると、地に足を着けて、自分の中心にいられるよう意識するようになった。

 身体はトラウマを覚えてはいるが、身体感覚に耳を傾けて、身体に備わる自然治癒力や回復力へとつながることで、解離したままのトラウマ記憶を消化、解放していける可能性が生まれる。それはまた、「人とのつながり」のなかで、安全に感じられてこそ可能となる。 生まれたときから、目と目を合わせるアイコンタクトが、安心してこの世界につながる始まりであるように。

 ハーマンさんの『心的外傷と回復』のなかで、私が一番好きなのは、最後のページ。最後の言葉、「他の人々と共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて憩うことができる。ここにその人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる」は、しみじみと心に響く。誰もが、人々とのつながりのなかで、安全で平和に、日常生活を暮らせるようにと願い、祈りながら、SEで学んだことを、トラウマ臨床に役立てていきたい。

(2012年1月)

2011.12.10 性的虐待
子どもへの性的虐待を考える~臨床的援助と予防と

西 順子

 1992年、女性ライフサイクル研究所では年報2号で「チャイルド・セクシャル・アビューズ」を特集した。チャイルド・セクシュアル・アビューズとは、家庭内で起こるか家庭外で起こるかを問わず、子どもへの性的な虐待(力の濫用)を指している。当時はまだ、「それは病んだ国のことで、日本には性的虐待はない」と言われていた時代であった。

 しかし、子どもへの性的虐待は、私たち自身の問題であると認識し、社会的な働きかけを行ってきた。子どもをもつ母親として性被害から「子どもをどう守れるか」という問題と、性の対象とされてきた女性の問題としてである。

 年報2号は、各社新聞で取り上げられ、全国各地から、購読の注文が届き、あっという間に売り切れとなった。予防啓発活動として、子どもへの防止教育プログラムを開発して防止教育を実施したり、専門家への意識啓発として1990年代は、心理臨床学会で自主シンポジウムを開いたりしてきた。そして、時代は変化し、2000年には児童虐待防止が成立、子どもへの性的虐待も社会的に認知されるようになった。防止法から早10年過ぎたが、子どもの置かれている現実は変わったであろうか。

 子どもへの性的虐待はいまもなお起こっている。ただ、希望を感じるのは、性虐待を子どもが打ち明けたとき、母親がその声を否認せず、受けとめようとしていることである。親に話せないまま、被害の記憶を失っていたり、あるいは、親に話したとしても、否認され、否定されて受けとめてもらえなかったことで、トラウマ反応が大人になってから顕在化することも多いが、今、母親らがしっかりと子どもの現実と向きあおうとしている。

 日頃の臨床のなかで、子どもの性的虐待、性被害の問題と遭遇する。多くが、子どもへの性的虐待が発覚したとき、母親がどうしたらいいかと戸惑い相談に来られる。子どもが母親に被害を打ち明けてのことである。その声を受けとめた母親が、どうしたらよいのかと助言や子どもへのケアを求めている。加害者が顔見知りであることも多く、子どもも母親もその衝撃は大きい。安全感とともに、信頼感を壊される。加害者は子どもが信頼すべき大人の場合もあるし、子どもの場合もある。同じ家族、学校、地域コミュニティのなかで起こった被害に、被害にあった子どものケアはもちろんのこと、今後どう生活していけばよいのか、生活の問題や、人生の問題とも関わってくる。そのなかで、母親たちが、「子どもの安全を守る」のにどうすればよいかと、悩み、葛藤しながら、子どもをケアしようと懸命になっておられる姿を目の当たりにしてきた。

 カウンセリングでは、子どもとのプレイセラピーや面接のなかで、トラウマ反応を解放できるようにアプローチしているが、同時に母親への心理教育や母が子どもを支えるサポートを提供している。この20年のなかで、トラウマの解放に有効な様々なアプローチが我が国にも紹介されてきているので、トラウマによる心身への反応を緩和していくことが可能となった。もちろん、1人として同じ人はいないので、個々の回復の文脈に即して考えていかなければならない。回復の文脈をどうつくっていくかは、何よりも母親から学ばせて頂くことが多く、母親との協働作業となると言ってもよい。子どもが自分の自信を取り戻し、回復していくとき、そこには母親の並々ならぬ努力と支えがある。母親をエンパワメントしていくことが、子どもの回復の鍵になると実感している。子どもは安全の基地さえあれば、どんどん外へと世界を拡げていくからである。

 子どもが自分の強さ、自信をとり戻し、力強く回復する姿、そしてそれを支える母親の姿に心を打たれる。しかし、子どもが性的に濫用される現実が変わらなければと思う。

 日頃は臨床が仕事ではあるが、まだまだ予防啓発活動、社会への働きかけが必要なことを実感している。被害者はもちろん、加害者をつくらない社会のために、子どもの権利が尊重されるコミュニティでなければと思う。虐待とは、子どもの境界線の侵犯である。私たち誰もが、境界線を尊重される権利をもっている(境界線とは、自分の安全や人格やプライバシーを守るために、「私の体」「私の気持ち」「私は私」という感覚のこと)。まずは大人が子どもの身体的、性的、心理的境界線を尊重していかなければならないと思っている。 

 震災以後、Twitterを始めて、今社会のなかに、性暴力に取り組むさまざまな団体が立ちあがっていることを知った。私自身もまた、予防啓発として自分にできることからと、子どもを性的に濫用されることがなくなるよう、性的虐待は子ども達の身近で起こっていること、その問題意識を伝えていきたいと思う。

※参照: 子どもの性的虐待の予防、発見、ケアに関する文献
「チャイルド・セクシャル・アビューズとは何か」年報2号(1992)、村本著。
「チャイルド・セクシャル・アビューズを子どもの様子から知る指針」年報2号(1992)、村本著。
『子ども虐待の防止力を育てる~子どもの権利とエンパワメント』(2005)村本、西、前村著、三学出版。
『FLC子育てナビ3: 子どもが被害にあったとき』(2001)窪田、村本著、三学出版。

(2011年12月)

2011.10.12 性的虐待
見知らぬ人からの手紙

村本邦子

 「未知の人間からの手紙をお許しください。ただし、先生のご所属もはっきりしないので、これが先生のもとに届くかどうかも定かではありません」と始まる手紙が、おそらくはあちこち回って、私の手元に届いた。

 大学を定年退職したという現在八十歳のフランス文学者を名乗る男性からだった。たまたま、この夏、性的虐待を扱ったNHKの番組に出演したのだが、これを、パートナーと一緒に見たのだと言う。詳しいことはわからないが、その時の状況の描写からは、何か深い思いや背景があるのだろうと感じられた。そして、「もし私がドフトエフスキーであったなら、先生に向かって、全人類の名のもとにお礼を申し上げていたことでしょう。先生がずっとご健在であられることを心から願っております」と結ばれていた。

 最近はマスコミ関係の依頼をほとんど断ってきたが、真面目に制作されている番組は、それだけ人々の胸に届く力を持っているのだろう。いささか大袈裟だという気もするが(文学者らしいというべきか)、それでも、年輩の男性が、私たちの仕事に何がしか感銘を受け、わざわざこうしてエールを送ってくださるというのはとてもありがたいことだと思う。実は、この番組には何通かのお手紙を頂いており、年輩の男性(やはり大学の先生)からのエールが他にもあった。

 戦時性暴力はじめ人道に反する罪、薬害エイズ、原発と戦後日本の建て直しの過ちを思うとき、とても哀しい気持ちになる。父や祖父、曾祖父の世代にもっとちゃんと頑張って欲しかった。女や子どもを保護しようとする男らしさが翻ると、女や子どもを凌辱する力となる。もちろん、男に強さを求める女にだって責任の一端があるし、人命より経済効率優先の価値は日本に限ったことではないけれど。

 先週、南京で行った「歴史のトラウマと和解修復」のセミナーで、祭壇に供える「思い出の品」として、家永三郎さんの写真を持ってきていた女性があった。大学の教え子だったそうである。当時は単位のためだけに授業を取っていたが、ある時、家永先生が学生たちのいい加減な態度に、顔を真っ赤にして怒ったことがあったという。彼女は、「その時はわからなかったけれど、年をとった今、先生の気持ちをこうして受け継いでいます」と語った。「そうだそうだ、心ある先達は、実はあちこちに確かにいたんだ」と思うと、泣けた。

 一方で、教育というのは、その時すぐには手応えが感じられなくても、こうして十年、二十年経ってから芽吹いていくものもあるのだと思った。自分なりには日々、頑張っているつもりでも、無力に感じることは少なくないけれど、後輩や教え子たちが頑張ってくれている姿を見ることは励みだし、たしかに感謝の気持ちに満たされる。つい、世の中の残念で情けない部分に眼が向いてしまうが、上の世代から下の世代へと確かに繋げていかなければならない希望を見失わないようにしなければ。大切なことを確認させてくれた見知らぬ方に感謝して。

(2011年10月)

2011.10.10 トラウマ
市民の力~被災地に心を寄せる人々

西 順子

 東日本大震災から7カ月が過ぎた。春、夏が過ぎ、秋も終わり、もうすぐ冬を迎えようとしている。この間、自分に何ができるのか・・自分なりに模索してきたが、結局は自分を落ち着かせ(過覚醒と無力感との間で揺れていて、やっと落ち着いてきたのが夏頃か)、自分の持ち場の責任を果たすことでやっとのことだった。日常を超えることはできず、日常のなかで「できることを」と思ってまず始めたのが、ツイッターである。

 支援者関係のメーリングリストからツイッターやfacebookを利用して情報交換をし、支援しようとしている人々がいることを知った。大阪にいながらも何かできることがあればと、ツイッターに登録してみることにした。
 ツイッターでは、新聞やテレビでは報道されていない被災地の様子や人々の生の声が聞こえてきた。そして、被災地の支援をしようとしている一般市民の方がこんなにたくさんいるんだということを知った。インターネットを利用して、支援システムができていく様子も、ITに弱い私はただ感嘆するばかりだった。例えば、被災地の経済復興のために、被災地のお店で物を購入して、被災地に届けるという、そんなシステムを作られた方々もいる。しかも、被災地で必要とされているけれど、個人1人では高価で買えないものも、「共同購入」という形で、一口3000円程度で購入できるようになっていた。また、物の支援だけではない、子ども達に遊びや遊び場を提供したりしようというグループもたくさんあった。

 女性の立場から特に印象に残ったのは、女性に<物づくり>の仕事を提供し、支援しようとする取り組みだ。2011年5月に「大槻復興刺し子プロジェクト」が立ちあがった(現在はNPOと有志で運営)。そして、最近知ったのが、<ふんばろう東日本支援プロジェクト>の活動の一つ「ミシンでお仕事プロジェクト」。これも、ミシンを送って被災地の女性達に元気になってもらい、仕事を見つけてもらおうというもの。私もずいぶん昔になるが、若い頃は物づくりが好きだった。手芸、編み物、ミシンで服を作ったり、出来栄えに関係なく、自分のオリジナルを創作するのが楽しかった。なので、手づくり、物づくりの楽しさと、それが仕事になり、収入になるという喜びと、また皆で一緒につくるというコミュニティでの人とのつながり・・が生まれる、そういうシステムづくりを思いつかれ、それを仕事としてシステム化していける人々の知恵が凄いなと思う。

 一方では、表にはでにくい暴力の問題に取り組むため、被災地での女性や子どもへの暴力防止のために活動するグループもある。「震災後の女性・子ども応援プロジェクト」では、暴力防止のための安全・安心カードを作成・配布したり、女性や子ども向けの支援物資を届けてきた。災害直後の暴力予防活動は10月末で終了し、今後は、東日本大震災女性支援ネットワークのチームの一つとして活動していくと言う。

 被災者の視点、そして女性や子どもの視点にたち、市民レベルで、さまざまなプロジェクトが立ち上がり、中長期的な支援へとつなげていこうとする努力には、本当に頭が下がる思いである。

 ただ、私にできることは、1人の市民として、自分の枠内で支援物資を購入すること、ツイッターでその情報を他の人にも知らせ、知ってもらうこと。そして、被災地のことに「関心を持ち続けること」。阪神大震災の時は、当初の支援の取り組みの後、関わらなくなってしまった・・という思いが残っている。なので、まずは「関心を寄せること」は続けていきたいと思っている。刺し子で創ったコースターは、研究所の本社で使わせて頂いてるが、直接支援は何もできないけれども、刺し子のコースターを見て触れることで、作られた女性たちのことをふと身近に感じる瞬間がある。
 
 先日、ツイッターで「一度現場を見に来て下さい」と呼びかける支援者の方の声があった。その言葉に、少し心が痛んだ。今もその言葉は心に残っている。実際に見て初めてわかることがたくさんあると思うし、行かなければわからないことがあると思う(それは南京を訪問して実感したこと)。いつか行くことができればいいなと願う。何かのご縁でつながりができれば・・と思いながら、今は一市民としてできることを、細いながらも長く続けていければ・・と思う。被災地に心を寄せる人々、その声を伝えてくれる人々と、細くだけれども長く・・つながっていければと思う。
 
 市民の手で、素敵な素晴らしい取り組みがされています。私が知るのはそのほんの一部ですし、皆さんも既にご存じかもしれませんが、ご紹介させて頂ければと思います。

大槻刺し子プロジェクト http://osp2011.web.fc2.com/index.html

ミシンでお仕事プロジェクト http://fumbaro.org/about/project/machine/

※この他にも、<ふんばろう東日本支援プロジェクト>では、「ハンドメイドプロジェクト」「おたよりプロジェクト」「ふんばろうエンタメ班」など、さまざまなプロジェクトが立ち上がっています。

震災後の女性・子ども応援プロジェクトhttp://ssv311.blogspot.com/2011/10/blog-post_27.html

(2011年10月)

2011.08.10 五感
夏の香り

西順子

 夏本番。毎日暑い日が続いているが、この季節、自然に香り(よい匂い)を求める自分に気づく。心地いい香りをかぐと、すっきりした気分になって、暑さが和らぐような気がするから不思議だ。

  • 柑橘系、ペパーミントなど、すっきりした香り
  • ひのき、ティートリーなど、森林系の香り
  • パッションフルーツ、マンゴー、桃などフルーティーな甘い香り
  • ブルーベリー、ラズベリーなど甘酸っぱい香り
  • ラベンダー、ローズなど、フローラルな甘い香り
  • シナモン、カルダモンなど、スパイシーな香り
  • みょうが、大葉、生姜、にんにくなど、食欲がわく匂い
  • 梅干し、らっきょなど、酢っぱい匂い
  • いれたてのコーヒーの香り、甘いバニラの香り・・・・・などなど

 今、好きな香りは? とピックアップしてみると、「味覚」とつながっているものが結構多いと気づく。朝のパンにつけるジャムはベリー系、食事の合間にペパーミントのガム、生姜飴、シナモンティー、コーヒー、それからバニラアイスクリーム。晩御飯のおかずには、香味野菜を入れたり、食後のフルーツ・・など、日常生活のなかで、自然に好きな香りを選んでいるようだ。

 食べること以外の香りは・・というと、スキンケアと関わっている。蒸し暑く、じめじめして汗臭く、またべとべとなりやいこの時期、入浴剤、シャンプー、石鹸、クリームなど、好きな香りを鼻からスーッと吸い込むと、気分もさっぱり、すっきりしてくる。一日の終わり、寝る前に好きな香りを嗅ぐと、ほっと一息ついて、一日の疲れがとれるようだ。

 ちなみに、ネットで調べてみると、食べるものも、そうでないものも、「香り」には効能があることがわかる。香り(いい匂い)は、実際に、心と身体に良い効果があるようだ。

 ふと、「夏の香りっていうと、何だろう?」と考えてみた。まず、海のイメージが浮かんで、潮の香りを思い出した。今年は海に行く予定はないけれど、「砂浜に青い空に青い海」のイメージが浮かぶと、海を見に行きたくなったな。

 私が子どもの頃は・・?と思い浮かべると、真っ先に「蚊取り線香」を思い出した。夏の夜は、やはり蚊取り線香。今や蚊取り線香は使わないが、思い出すと、かすかにその匂いの記憶が思い出される。郷愁を誘う、懐かしい匂いだ。

 「夏の夜」から連想すると、娘たちが幼い頃、両親や妹家族、姪っ子、甥っ子らも皆一緒に、スイカ割りをした時の甘い匂い、花火の匂いを思い出した。かわいい子ども達の歓声と共に。これも懐かしいなぁ。

 この夏は、下の娘と延期になっていた卒業旅行の代わりに、夏休み旅行に行くことにした。どんな「夏の香り」の思い出ができるのか、楽しみにしていよう。

 皆さんは、夏といえばどんな香りが好きですか? 好きな香りで、心身ともにリフレッシュして、暑い夏を乗り切りたいですね。

(2011年8月)

2011.07.12 ライフサイクル
人生の折り返し地点で

村本邦子

 まもなく50歳になる。多くの人は、40歳くらいを折り返し地点と置くようだが、願わくば百年生きたいと願っている私にとっては、50歳が人生の折り返し地点である。「50歳になるのって、どんな感じ?」と娘に聞かれて、「う~ん、なんかいい感じ。円熟?味わい?」と答えたら、「へ~、それって、素敵なことやな~」と言われた。確かに。もちろん、日々いろいろあって、感情的には上がったり下がったり、笑ったり、怒ったり、不安になったり・・・と幾つになっても落ち着きなく気持ちは揺れ動いているのだが、それでも、全体的に自分を眺めてみれば、「ようやく大人になって貫禄でてきたかも!?」と思える。

 年を取って衰えたと思うことはたくさんあるけれど(最近、一番困っているのは、蚊に刺されるとなかなか治らず、2週間ほどもかゆくて、思わず引っ掻いてしまうと、それが今度は傷になって1カ月ほども治らない。虫刺され跡は増える一方で、最近では、常にムヒを携帯している)、それでも、年を取ることに納得、というか満足しているので、50代になることが全然、嫌じゃない。これまで誕生日はあまり気にしてこなかったけど、今年は、何だか格別の思いでもって、わくわく楽しみなのだ。

 一方で、いよいよ砂時計がひっくり返されるというのか、時間が逆行する予感はある。よく言われるように、人生の残り時間を数えるようになるというのに近いと思う。それだけに、残された時間を大切に使いたいという思いは強くなることだろう。人からは、「すでに十分やってきたんじゃないの!?」と言われてしまいそうだが、もっともっと自分本位に生きたいと思う。自分本位の意味は、眼先の利益ということではなくて、自分の人生にとってもっとも価値あるものを優先するということだ。一時的な情に流されたり、しがらみから何かを請け負ったり、断念したりすることなく、どんな状況にあっても、自分にとって何が一番大切なのかを見失わないということだ。

 念のため、言い添えておきたいが、百歳まで到達できなかったとしても、それはそれで、それほど悔いはないような気もする。ずいぶんといろんなことをしてきたし、少なからぬ人たちが何がしか受け取ってくれて、命の継続性のようなものを信じることができるから。前にもどこかに書いたが、昔、国語の教科書に出ていた「ゆずり葉」という詩は、子どもの頃、どうしても好きになれなかったけれど、今となっては、とても共感する。「私たちは次世代に何もかも喜んで譲っていくよ」という詩である。もっとも、原発のことを考えると、決してそんなふうに美しく言えない罪悪感で一杯になるけれども。

 そうは言っても、聖人になる予定は今のところないので、許される限り、人生を愉しむことを追求したい。自分が人生を愉しむことが誰かの何か善いことにつながっていくというような人生後半を送れたら嬉しい。

(2011年7月)

2011.05.12 カウンセリング
セルフケアのヒント~肯定的な感覚(リソース)を強める

西 順子

 新緑が美しい季節となりました。植物の生命力から、活き活きとした自然のエネルギーを感じます。一方で、連休明けのこの時期はわけもなく憂鬱になったり、焦ったり、疲れが出やすい時期でもあります。新しい環境や生活の変化に適応しようとして、一時的に強いストレス状態に陥っていると言えるでしょう。眠れない、食欲がない、頭痛や腹痛など、ストレス反応が身体に出る方もあるでしょう。強いストレスがかかると、ストレス反応が生じるのは「自然なこと」です。ストレスを何とか乗り越えようとして、心と身体が闘っているのです。ここでは、ストレス反応を和らげるためのセルフケアの一つとして、肯定的な感覚(リソース)を強める方法を紹介しましょう。

 肯定的な感覚にはどんなものがあるでしょうか。例えば、ハーブや花の匂いをかぐ、和ませる音楽や元気の出るエキサイティングな音楽を聴く、公園を散歩する、ペットと遊ぶ、熟した桃やオレンジの味を楽しむ、マッサージを受ける、美しい絵を観に美術館に行く・・等は、直接に感覚とつながり、自分を慰める行動です。

 皆さんは、どんな感覚の経験が好きですか? 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、五感の感覚ごとに、心地よい経験を思い出し、それを行動に移してみましょう。心地いい感覚に意識を向けて、その感覚に留まってみましょう。その感覚を呼吸と一緒に吸いこむようにして感じてみるのも効果的です。実際に行動できないときは、想像力を使うこともできます。心地いい感覚の経験をイメージし、イメージの世界のなかで感じてみましょう。

 ストレスを感じ、心身にさまざまなストレス反応が出ているとき、肯定的な感覚の経験を意識的に取り入れることで、ストレス反応を緩和し、心身の状態を落ち着かせることができます。カウンセリングでは、自分自身のストレス反応について理解し、ストレス反応を緩和させるために身体感覚を用いた方法を使っています。関心のある方はカウンセラーにお尋ねください。
                             
                            (2011年5月発行:ニュースレター特集より)

2011.05.10 こころとからだ
ヨガ入門

西 順子

 ソマティック・エクスペリエンス(SE)トレーニングも今年はいよいよ三年目の最終年。5月連休に札幌で開催されたが、テーマは「統合」。これまで学んだことを統合しながら、症候群のような、より複雑なストレス症状を理解するというものだった。そのアプローチ法はとてもシンプル。シンプルであって奥深かった。今回のトレーニングの講師はブラジルから来て下さったラエル先生。その先生がまたとても素晴らしかった。その先生の安定感と落ち着き、そして日本まで来て下さった熱い思いに胸を打たれた(一週間のトレーニングの間、どんどん日本語が上手になられたが、私たちに直接自分の言葉で伝えようとして下さる姿勢にも頭が下がる思いだった)。そして、まさに心身統合されている先生から、安定化、統合というテーマについて学べたこと、尊敬する先生に出会えたことに心から感謝だった。先生は趣味で合気道をやっているというから、日頃から心身を鍛練しておられるのだろう。今回のトレーニングで、「心身統合」が私のキーワードとなった。

 実習では更に「心と身体はつながっている」ということ、「身体から入ることでの心の変化」を実感。日頃から、自分自身が心身統合の状態を維持したり、バランスを崩したときには心身統合に戻れるようセルフケアすることが大切だということを再認識した。それはリラックス系のセルフケアというより、心身統一としてのセルフケアの必要性を感じた。それには「ヨガがいいよ」とSE仲間から耳にする。朝晩ヨガを続けていて、心身の状態がとてもよくなったと言う。確かに精神的にもいいし身体によさそう、私もやってみようと、まずは身近なところから、ジムのヨガ・プログラムに参加してみることにした。

 そう言えば今年度に入ってから、ジムのスタジオ・レッスンではヨガ・プログラムの時間が増えている。ヨガは人気があるようだ。パワーヨガ、ナチュラルヨガ、ヨガ・・と名称もいろいろ。どう違うかわからないが、とりあえず夜間の時間帯で出られるものに参加。今のところ、パワーヨガが面白くなってきた。とっても心地いい。ヨガのポーズは、ストレッチのようで気持ちいい。筋だけでなく、いろんな関節も動かすが、それがまた気持ちがよいものだ。難しいポーズもあるが、普段動かさないところを動かすと(縮こまっている筋肉を伸ばす、関節を開く等)、後ですっきりするような解放感がある。

 お手軽なものではなくて、本格的な?ヨガってどんなものかと興味をもって、友達お薦めのアイアンガーヨガ教室の体験レッスンにも行ってみた。はやり本格的! じっくり90分間、ヨガのポーズに集中する。アイアンガーヨガの特徴は、丁寧なアライメント(正しい姿勢)のアサナ(ポーズ)にあるらしい。確かに、じっくりと呼吸と共にアライメントのポーズに集中するが、まさに心身統一の、静かな時間だった。慣れないポーズは、痛かったりもしたが、終わった後は心地よい疲れ。そのあととても眠くなったのは不思議だった(ヨガで副交感神経が優位になったのか・・)。

 ヨガのなかでも、ヨガ療法とされるものは代替医療として取れ入れられつつあるから、とても心身の健康のためによいのだろう。今のところ「心地いい」「落ち着く」という実感しかないが、続けていくと心身への効果が期待できるのだろう(冷え症もなおるかも)。

 心と身体の声に耳を傾けながら、心身統一するためのセルフケアの時間をつくっていけるといいなと思う。

(2011年5月)

2011.04.12 五感
ホームベーカリー

村本邦子

 しつこいぐらいにあちこちでアピールし続けているが、今、ホームベーカリーが素晴らしい。これを発明した人はなんてすごいんだろうと惚れ惚れしてしまう(炊飯器もすごいと思うけど)。私が使っているのは、パナソニックのSD-BMS102。その日の気分で粉の調合をして、タイマーをセットしておけば、翌朝には焼き立てほやほやのパンが食べられる。準備にかかる時間はたったの5分。

 朝食はずっとパン派だった。海外でいろんなパンを食べるチャンスがあるが、トーストは日本のが一番だと思っている(もちろん、ドイツやフランスのパンは大好きだが、基本的においしくないところが多い)。バターだけでも十分おいしいが、ジャムやサラダ(ポテトサラダや卵サラダなど)をのせると一層おいしい。仕事帰りに通りがかるあちこちのおいしいパン屋さんで食パンを買って帰るという生活を長年続けていたが、今年になってホームベーカリーを買ってからは、ほぼ百パーセントこれだ。

 基本は白パンかフランス食パンだが、ライ麦パンや全粒粉パンにしたり、くるみやレーズン、オレンジピールなどを焼き込んだりもする。分量を量って入れるだけなので、本当に5分で準備できてしまうのだ。もちろん、手のかけ用はいろいろある。途中でいろんなものを入れたり、混ぜたり、取りだして形を変えたりすることで、アンパンとかメロンパンとか、デニッシュやクロワッサンだって出来る。どこかの食べ放題みたいに、ほうれん草や人参、わかめやゴボウやゴマなど和風食パンだって自由自在だ。でも、今のところ、私は5分でタイマーセットできるものしかやっていない。それで十分なのだ。

 感動するのは、私たちが寝ているあいだに、この小さな調理機器が、5時間ほどもかけて、混ぜる、寝かす、練る、発酵させる、焼くという作業をやってくれるということだ。カタカタカタカタ、ペタンペタンと、時々、働く音が聞こえるのも何だか可愛い。まるでセンダックの真夜中の台所みたいではないか。パナソニックのHPにある「西洋の食卓に根付いた日本の技~ホームベーカリー5話」(http://panasonic.co.jp/ism/bakery/vol01/index.html)というのも、ほんわかしていてなかなか良い。ホームベーカリーを開発し、海外に売り出した人々の物語だ。今では、14か国で使用されているらしいが、何事にも数々の人知れぬ苦労があるものだ。

 焼き立てパンの香りで目覚め、おいしいパンとコーヒーで満たされて、1日が始まる(ついでながら、朝、世界各地のコーヒーを取り入れるのも楽しみだ。今のお気に入りは、練乳いりベトナムコーヒー)。毎日、朝食が楽しみというのは幸せなことだ。ホームベーカリーの素晴らしさを周囲に熱く説いて回る私だが、なぜか今のところ、自分も買ってホームベーカリーを始めたという声は一人も聞かない。別にパナソニックの回し者ではないが、この幸せを分かち合いたいのだけど・・・。みなさんにお勧めです!

(2011年4月)

<前のページへ 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

お問い合わせ・ご予約

© FLC,. All Rights Reserved.