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FLCスタッフエッセイ

2006.03.12 子ども/子育て
巣立ちの予感・・・

村本邦子

 今年は娘の高校受験だった。無理せずとも、とずっとのんびり構えていたが、11月末に説明会に行った学校がとても気に入って(生徒たちがそれぞれ生き生きしてて、オーラが出ていると)、娘が、いきなり頑張りだした。年末の懇談では、「偏差値10点足りないから無理」と言われたが、とにかく挑戦すると頑張り、見事、合格。我が子ながら、なかなかの根性だ。途中、たまたまテレビに出ていた「挑戦してダメなら納得するが、挑戦せずに諦めたら後悔だけが残る」という言葉に、「ほんまにそうや」と、自分に言い聞かせるように頷いていたことが印象に残っている。本当のところ、とっても不安だったのだろう。

 合格発表の日、娘はワンワン泣きながら、出張先に電話をかけてきた。そして、「今日は、うちの人生で一番いい日」と。自分で決めて、自分で努力して、自分で手に入れた喜び。「ああ、大人への第一歩だ」、親として、頼もしく誇らしく思う一方、自分の心のなかに一抹の寂しさがあることに気づく。これまで、親として、いろんなことをしてやってきたつもりだし、一緒にたくさんの素晴らしい時間を共にしてきたつもりもある。それでも、「人生で一番いい日」は、やっぱり自分の力で獲得したものなのだ。こうやって、子どもたちは、だんだん、親を必要としなくなっていく。

 子どもは未来に眼を向けて生きていくべきだという私のポリシーから言えば、これは喜ばしいことなのだ。先日も、ミュージカルに娘を誘ったら、「うち、忙しい。お父さんと行ったら?」と断られてしまった。「それもそうだな」と思って、夫を誘うことにしたが、私も、そろそろ子離れの準備をしていかなければ。思えば、娘はダイビングのバディだったので、絆は深い(バディは互いの命を預け合うので、必然的に絆が強くなる)。ピアノの連弾も、息子とともに、十年以上、一緒にやってきた。私に頼っていた小さかった子どもたち。年月とともに成長して、だんだん、関係が逆転しつつある。親子というより、良い仲間になりつつあるかも。

 息子とも一緒に暮らすのは、あと1年だ(うちは、高校卒業したら、3匹の子ブタのように、家を出すことにしている)。「ちょっとは料理も覚えな」と台所に立つようにもなった(小さい頃はよく料理もしてくれたが、思春期になって、めっきり台所に立たなくなっていた)。娘も来年は短期留学で家を空ける。その間は夫婦2人きりだ。あと、子どもにしてやれることは、とにかく経済的なバックアップと、本当にいざと言う時の精神的応援だけだろう。最後に、もうひとつ嬉しい娘の言葉。「うち、ほんま、たくさんの人たちに支えられて頑張れたわ~」「ほんまやな。みんなに感謝して、ちゃんと生きな」「うん!」。人生に感謝しながら、しっかりと自分の人生を歩んで行って欲しい。そして、親は、子どもに心配をかけないように。

(2006年3月)

2005.12.12 こころとからだ
アロマとともに・・・

村本邦子


 最近、アロマセラピーの勉強を始めている。何年か前、1日の基礎研修を受けてから、自己流では、これまでも、アロマを楽しんできた。自分なりにオイルを集め、ブレンドもしていたが、もう少し、ちゃんと勉強しようかなと思うようになったのだ。ひとつには、自分自身、過労と加齢の影響か、肩凝りがひどく、体を緩めることができなくなってきたからである。ただ楽しむだけでなく、もう少し積極的な働きかけはできないものかと思うようになった。自分に試して、良さそうならば、リラクセーション関連の講座などでも紹介できるだろう。

 また、これは、私の勝手な勘だが、トラウマサバイバー、とくに、DVなど身体的虐待のサバイバーに効果があるような気がする。今のところ、そのような文献や、具体的根拠を見つけたわけではないが、身体感覚は麻痺していても敏感であるから、反応性が高いと思われる。もちろん、本人が好きならの話だけど、サバイバーたちの役に立つかもしれない。でも、アロマには、意外と禁忌が多い。しっかり勉強しておく方が良さそうだと考えたのだ。

 風邪が流行るこの季節に重宝するのは、ティーツリーとユーカリ。ティーツリーは抗菌作用があるから風邪予防に良く、ユーカリは喉や鼻に効き、解熱作用もある。ティッシュに1~2滴たらして部屋に置いても良いが、加湿器にたらすのも良い(最近の加湿器には、アロマオイルを入れるところがあるようだ)。喉が痛い時には、吸入が効果的。洗面器に熱湯を入れ、精油を1~2滴(少ないようなら4滴まで増やす)たらし、頭からバスタオルをかぶって蒸気を吸う(数分から最大10分)。今年はとりわけ寒さが厳しいが、風邪をひきかけては、葛根湯とユーカルで何とか持ち直している。頭痛には、ラベンダー1滴をこめかみに擦り込む。

 手浴と足浴もお勧め。手浴は洗面器に、足浴はバケツにお湯を張り、精油を2~3滴入れて、手や足を浸すというもの。熱めのお湯を使えば、体中がポカポカ暖まるし、肌もしっとりする。私は、リラックス効果の高いカモミールや、ベルガモ、体の芯から温まるサイプレスなどが気に入っている。オイルマッサージの実習はこれからだが、どちらかと言えば、自分でマッサージするより、してもらいたい方だから、マッサージ以外の使用法が自分には合っているかも。
 
 精油は、植物の持つ生命エネルギーの凝縮されたもので、アロマセラピーは、植物のエネルギー、ひいては自然、大地のエネルギーを取り込んでいくセラピーと考えることができるという。なるほど、そんなふうにイメージすれば、効果も倍増するだろう。でも、それだけに、使いすぎは禁物。勉強を始めたばかりの頃、嬉しがってたくさん使いすぎて、「アロマ酔い」になってしまった。どのくらいまで使って良いのだろう?と調べてみると、1日5~6滴までだった。皆さんも使いすぎに気をつけて!それから、百均でも売っているらしいが、体内に取り込むものだから、多少、値が張っても、信頼できる安全なものを購入したい。私のように、自己流で使ってきた方も少なくないかも。誤った使い方や新しい発見など時々、紹介しますね。

(2005年12月)

2005.10.10 カウンセリング
人生の物語を紡ぐ

西 順子

 人生には、人それぞれの物語がある。一人一人のかけがえのない物語。カウンセリングをしていると、ふと、そんなことをしみじみと感じることがある。カウンセリングでの人との出会いは、人生の途中で道に迷ったり、行き詰ったり、先が真っ暗で見えなかったり、あるいは、新たなる決意をされた時に始まることが多い。そこから、カウンセリングの契約が成立すれば、人生のある時間、ある一時期を共にしていく。こんがらがった糸をほぐしたり、編み直したりしながら、その先の物語を紡いでいくのをお手伝いしていくのが私の仕事でもある。そんななかで、人間のもつ力に感銘を受けたり、人間の力を超えたもの~偶然の出来事や人との出会い等~を前にして、理不尽さや悲しみを感じ、あるいは畏敬の念を抱く。

 考えてみれば、人生は、良くも悪くも偶然に左右されていることが多い。誰の元にいつ生まれたか、ということがまず偶然である。自分で選んで生まれてきたわけではない。人生の途中で遭遇する出来事~たとえば、虐待を受けたり、見捨てられたり、大切な人を失ったり、突然の事故や病気であったり、ショックな出来事が起こったり~も、自分ではどうしようもできない出来事である。そんな偶然の出来事、しかも受け入れ難い出来事に遭遇しても、それでも人には生きる意味がある。でも、それを引き受けて生きるということはなんと重く、苦しいことであろうかと思う。

 一方で、人は偶然に助けられながら、この世に縁をつないでいくものだなとも、しみじみと感じる。それは人との出会いであったり、再会であったり、仕事との出会い、生きがいとなるものとの出会いだったりするだろう。そこには、「今、この時」という人生のタイミングというものもあるだろう。

 今日も、カウンセリングでの出会いと別れを通して、人生の物語ということについて思い巡らせた。偶然の積み重ねである人生に意味が見出され、一つの物語となり、ささやかな幸せが訪れたことに立ち会って、人と世界に対して信頼が深まるような、敬虔な気持ちにさせて頂いた。ささやかな幸せとは、自分が今のままでいいと思えること、生きてていいと思えること、生きていることが自然に感じられること、そして人と共に居る場所があり、愛する人・大切な人と一緒に泣いたり笑ったり、気持ちを分かち合えたり共有できること・・などである。

 『心的外傷と回復』の著者ハーマンは、回復を終えたときのことを次のように表現した。「他の人々と共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて、憩うことができる。ここにこの人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる」と。物語を紡ぐのは、まさに生みの苦しみである。人生の苦悩を超え、生みの苦しみを超えて、その人が主人公である物語を紡いでいく、その過程に寄り添えるよう、私自身、切磋琢磨していきたい。

(2005年10月)

2005.08.10 こころとからだ
心の声を信じる

西 順子

 珍しく、今日は早く帰宅できるという日に、ふわっと心の余裕ができて、フラッとレンタルCDショップに寄ってみた。会員の期限が切れていたので、会員登録をしなおす。気に入れば、飽きもせず、ずっと同じCDを聞いているので、一年は借りてなかったかな?
CDアルバム5枚で1,050円に惹かれ、聞いてみたかったアーティストのものを借りてみた。家に帰って、早速聞いてみたが、シングル曲が好きで借りたけど、アルバム全体では自分の好みではないかな・・というものから、結構好きかも・・、というのもあった。そのなかで、歌詞カードを見ていて、へぇーっと思った曲がある。
 それは、平原綾香の「ジュピター」の英語バージョンの歌詞。曲のタイトルは「The Voice」。私はどちらかというと、歌詞よりもメロディーやリズムが先に耳に入るので(音のほうを優先して聴き取るというか)、歌詞は二の次になるのだが、時々、心に残る歌詞に出会うことがある。「ジュピター」の英語バージョンもその一つ。そうそうそうだよね、と共感。よく、「自分のなかにこそ答えがある」というが、どうしていいかわからない時、どう進んでいいかわからない時、「心の声に耳を傾け」、それだけではなく、さらに「心の声を信じる」ことが大事であるという歌詞であった。心の声を信じるとは、何という自己信頼、自己肯定であろうか。そこには、人間の自己治癒力、リジリアンス(回復力、復元力と訳される。危機や逆境を越えてそれに耐えて立ち直る力のこと)が潜在している。「信じる」という言葉が、とても心に響いた。
 前を見ようとしても見えないとき、見ようとすればするほど見えなくて、絶望的になってしまう。でも、目を閉じて、自分の内側に目を向けることで、自分のなかから見えてくるもの、聴こえてくるものがある。
 そんなことを、この歌詞は思い出させてくれた。しかも、ただ「聴く」だけではない、「信じる」ということを。迷い悩み、心がざわつく時こそ、自分には何が必要で、私はどうしたいのか、心の声を信じていきたい。

(2005年8月)

2005.07.12 女性の生き方
大阪のおばちゃんパワー

村本邦子

 めったに行けないのだが、近くのジムへ行くと、いつも「大阪のおばちゃん」パワーに圧倒される。人より元気なはずのこの私でさえ圧倒されるのだから、彼女たちは、相当に明るく、元気で、パワフルなのだ。お金も時間もあるそれなりに余裕のある層なのだろうが、毎日のようにジムに来て、体を鍛え、お風呂でリラックスし、おしゃべりに花を咲かせている。結構、口は悪い。年齢的には、すっかり子育てを終えた50代、60代が多いようだが、元気の何のって。何時間もエアロを踊り、何度も水風呂とサウナを往復して1日過ごしているらしい。さすがに、筋力も柔軟性も驚くべきだ。
 聴き耳を立てているわけではないのだが、サウナの中、大きな声で話しているので、いろんな会話が耳に入ってくる。ジム以外にも、集いあわせて、ゴルフに行ったり、テニスをしたり、エステに行ったり、海外旅行に行ったりしているようだ。時に、入院したり、夫の看病をしたり、鍼灸、病院へ行くこともある。娘の出産、孫の世話、介護などもある。聴いていると、それなりに、人生の紆余曲折も経験しているらしい。それでも、とにかくめっぽう明るい。私が普段おつきあいしている人たちとは、ある意味、別人種なので、人間観察という点では、私にとって、貴重な機会だ。ジムが一種の社交場になっているのだろうが、こんな人たちは、ストレスを溜め込むことなく、カウンセリングなど無縁で、元気に長生きする人たちなのだろうとつくづく感心する。
 いつ頃からか、認知症があるのかなというおばあちゃんが仲間入りしていた。いつもニコニコして、「コンニチワ」と誰彼なく挨拶をしてくれる。体は丈夫なようで、(話によれば)、毎日、長い時間、プールで歩き、その後、やっぱり長い時間、お風呂で過ごす。お風呂では、脱いだ水着とタオル2枚が気になるらしく、片時も離さずにいるが、しばしば、1枚のタオルをどこかに落としては、「タオルがない」と探している。最初のうちは、おばちゃんたちが世話を焼いて、タオルを見つけ、絞ってやっては、「そんなん持って入るからなくすんや。こうやって、ここに置いとき」と、繰り返し棚に置くことを教えていたのだが、どうしても、自分の持ち物を手放したくないらしく、せっかく置いてもらった複数の持ち物をわざわざ手に持ってお風呂に入る。そして、また、1枚どこかに落として探し回る。それでも、なんだかんだ言っては、おばちゃんたちが交互に世話を焼いていた。「暖かいコミュニティって感じで、いいなぁ~」と、ほんわか気分で見ていたものだ。
 たまにしか行かないので、途中経過はよくわからないが、いつ頃からか、世話焼きタイプのおばちゃんたちが、このおばあちゃんに対して、説教口調から、やや罵倒気味に接するようになっていた。たぶん、同じ事の繰り返しにうんざりしてきたのだろう。時間が経過し、次に行った時には、サウナのなかで、このおばあちゃんの状態を何とか窓口を介して家族に伝えて、来ないように言おうという相談だった。「えっー、そんな!」と思って聴いていたが、「病気なんやから、皆から、こんなふうに迷惑がられているのは、かえって気の毒」「私らだって、介護するために、高いお金払って、わざわざここに来ているわけじゃない」。呆れたり、怒ったり、同情したりしながら話し合っていた。確かに、それはそうだ。何だか残念だなぁ。でも、仕方ないよなぁ。私のように、ごく稀にしか来ない客にとっては、微笑ましいだけで、さしたる被害もないが、毎日、世話を焼いている人たちにとっては、そうなるよなぁ。かと言って、大阪のおばちゃんたちは、冷たく知らん顔できる人たちでもないのだ。虐待するまで自己犠牲するタイプでもない。あくまでも問題解決的なのだ。これが健康の秘訣なのだろう。最終的にどうなったかはまだ知らない。
 身近な人たちからは、私は「大阪のおばちゃん」タイプと言われるが、私など、まだまだヒヨッコ。彼女たちのタフさの秘訣を学んで、長生きしたいものだ。

(2005年7月)

2005.04.12 いのち
秘密の世界

村本邦子

 鹿児島の洞窟で、中学生4人が死亡したと報じられた。子どもにとって、いや、大人にとっても、洞窟探検は魅力的だ。洞窟には、表からは見えない秘密の世界が隠されている。私が子どもの頃にも、通学路からほんの少しはずれた所に洞窟があった。今回の事件ほど入り組んだ洞窟ではなかったが、中にはまったく光が入らず、真っ暗闇になるので、片方の穴から入って、もう片方の穴から走って出てくるという肝試しをやっていた記憶がある。今回のニュースで初めて知ったが、本土戦に備え、防空壕の4割が鹿児島に掘られていたのだという。私が遊んでいた洞窟も、いつの頃からか柵が立てられ、いつの間にやら消えてしまったが、国中で、危険だからと組織立てた防空壕調査と穴埋めがあったということを、今回、初めて知った。
 洞窟とは別に、小学校の頃、何年もの間、秘密基地づくりに没頭していた時期がある。近所の山の茂みや竹藪の中に秘密の空間を作り出し、宝物やら何やらを持ち込んで、1日、そこで過ごしたものだ。人と話していたら、「基地ごっこは、ふつう、男の子の遊びで、女の子のは聞いたことないな」と言われたが、いつも私がリーダー格で、女の子の基地だった。いったい、どこから、そんな遊びを思いついて没頭することになったのか、自分でも不思議な気もするが、すでに独立心旺盛だった自分の子ども時代を愛おしく思う。そして、確かに、こういった遊びが私を育ててくれたのだ。
 事件となった洞窟も、大人たちは誰もその存在を知らなかったという。大人の知らない秘密の世界で、子どもたちは大切な時間を過ごすのだ。安全のため、僅かに残った洞窟は、これからも次々と埋められていくだろう。子どもたちの秘密の空間を埋め、奪ってしまう行為は、今の教育を象徴しているようで哀しい。かと言って、わが子が危険な遊びの中で命を落とすことを思えば、やはり、そんな危ないことはしないで欲しいというのが親の本音である。大人の目の届く表の世界のみに育つ子どもたちは、それでも彼らの洞窟をどこかに探し求めることだろう。ネットの世界は、子どもたちにとって、そんな秘密の穴蔵なのかも。まるでイタチごっこのようだ。
 私は、今でも洞窟が好きだ。鍾乳洞やケーブ・ダイビング(海の中の洞窟に入る)には心魅かれる。ひょっとして、FLCも一種の穴蔵なのかも・・・。光をあてれば、物事はよく見えるようになるけれど、あの世への通路は閉ざされてしまうだろう。闇の世界は、目に見えないものをたくさん感じさせ、世界の奥行きを教えてくれるものだ。安全とともに失うもののことにも思いを馳せたいと思うのだ。

(2005年4月)

2005.04.10 いのち
安全といのち

西 順子

 4月25日午前、私はたまたま仕事で塚口にいた。JRで脱線事故があったと聞いたが、その時はまだこれほどの大惨事とは思ってもなかった。でも、上空ではヘリコプターが飛び、物々しい雰囲気だった。昼過ぎに仕事を終えて阪急塚口駅へ。駅では号外が配られていた。その写真を見て、衝撃を受けた。私は朝、阪急を利用して塚口に向ったが、その時間に事故が起こっていたとは。私と同じように、いつもの朝を迎え、仕事や学校に向った方々が・・と思うと、他人事ではないと、いたたまれない気持ちになった。
 どうしてこんなことが起こったのか・・。マスコミの報道によると、いくつかの要因が重なっていると言うが、横転・脱線の直接的原因は、運転士が「1分30秒の遅れ」を取り戻そうとして、スピードを出しすぎたことであるようだ。
 
 つい最近、「時間の遅れ」と安全について考えることがあった。
日ごろ、めったに飛行機に乗ることはないが、先月2回、飛行機に乗る機会があり、たまたま2回とも、離陸・着陸予定時間の「遅れ」があった。一つは、着陸する空港の滑走路が混雑しており、上空で海の上をぐるぐる回ること30分。もう一つは、搭乗する飛行機の到着が遅れて、出発時間が1時間以上遅れた。「遅れます」というアナウンスを聞いた時、普段、電車の定時出発に慣れているので、一瞬困ったなと思った。そのあとの予定が狂うからだ。でも、同乗していた同僚から、飛行機の遅れはよくあることと聞いて、そんなものかと思った。時間の遅れは、安全優先のためであるかと思うと、そのほうが「遅れ」よりもずっといい、と納得できた。私は飛行機が大の苦手なので、遅れてもいいから、とにかく安全に到着してほしい・・と願う気持ちだった。

 「1分30秒の遅れ」、そんなことは安全であることに比べたら、私にとってはどうでもいいこと。「安全であること」は、いのちを守ることであり、何よりも優先されるべきこと。どうして、安全が優先されなかったのか。乗客たちは、いつもとは違う速さに違和感や、怖さを感じていたようだが、運転士にそういう感覚はなかったのか。安全であることの感覚が麻痺していたのではないかと思われる。それは、運転士個人の問題だけではなく、個人に重圧をかけている企業の責任であること、構造的な問題であることが明らかにされつつある。
 いのちの基本である「安全の感覚」を麻痺させるような働き方、そしてそれを強いる経営姿勢を問い直さなければならないと思う。「いのちを優先すること、そのために安全を優先すること、それが何にも代えがたいこと」、そんな当たり前のことを当たり前に優先できる企業、社会であることを望みたい。

(2005年4月)

2004.10.12 コミュニティ
前を向いて歩こう♪♪♪

村本邦子

  大阪YWCAの講座に呼ばれて、交流会に出席。とっても楽しい良い会だった。最初に、ぐるりと一巡、名前とチャームポイントの自己紹介。最初はなぜかこの自己紹介に抵抗を感じた私だったが(自分のチャームポイントなんて考えたことない!)、聞いてるうちに、「へぇ、うまいこと言うもんだ」と感心したり、「そんなことまでチャームポイントとしてアピールできるんだ」と驚いたり。講師挨拶はすでに終わっていたので、安心して、食べ物をたんとお皿にキープしてもりもり食べている最中に急に振られて焦った私は、言い訳がましく、「食べるのが大好きなことかな?」と控えめに言うことしかできなかったが、聞いているうちに、「おいしいものを与えられたら機嫌が良いこと!」と表現すればチャームポイントになったんだと要領をつかんだ。「方向音痴の私!」も結構チャーミングかも。「心も体も豊かなところ!」「このなかで一番最初に生まれたこと!」、なかには、「人に頼まれたら、ノーと言えないこと!」という人までいた。チャームポイントって、必ずしも人に誇れることや美徳とは違って、場合によっては欠点だったり、ちょっと困ったことかもしれないけれど、それでも「何だか憎めないよなぁ~」ということなら良いわけで、人のを聞きながら自己肯定的になれるワークだった。
 それから歌詞カードが配られて、ギターと歌があったのだが、一番最後にみんなで輪になって腕を組んで歌わされた(?)歌、「上を向いて歩こう」の替え歌である「前を向いて歩こう」がとっても良かった。

前をむいて歩こう

1.前を向いて歩こう 涙がこぼれたっていいじゃないか
  思い出す春の日 一人ぼっちじゃない夜

2.前を向いて歩こう にじんだ星をかぞえて
  思い出す夏の日 一人ぼっちじゃない夜
   しあわせは雲の上になんかない しあわせはここにあるのさ

3.前を向いて歩こう 涙がこぼれたっていいじゃないか
  泣きながら歩く 一人ぼっちじゃない夜
   ~ラララ ラララ・・・~ 悲しみは星の影に 悲しみは月の影に

4.前を向いて歩こう 涙がこぼれたっていいじゃないか
  思い出す春の日 一人ぼっちじゃない夜
   一人ぼっちじゃない夜 一人ぼっちじゃない夜

 歌詞を見ると字余りになりそうな予感がしたが、実際に歌ってみると、意外とうまくはまるのである。「涙がこぼれたっていいじゃないか」「一人ぼっちじゃない夜」と仲間たちと声を合わせて歌うことで、とっても暖かく励まされた思いがする。世代のせいか、九ちゃんと言えば日航機事故を連想してしんみりした気分になるので、被害者支援、援助者支援の場にふさわしいように感じられ、これを広めたらいいかもと思って紹介してみた(ちなみに、あちこちに歌詞を配って歌ってもコピーライトに問題はないそうである)。

(2004年10月)

2004.10.10 仕事
文化祭の季節に思う

西 順子

 10・11月は体育祭、文化祭の季節。子ども達が、体育祭や文化祭にクラスや仲間と一致団結して、一生懸命取り組んだり、笑ったり泣いたりしている姿は青春そのもので、輝かしい。私も学生時代は体育祭や文化祭が好きだったなぁと昔のことを思い出す。中学・高校時代の人形劇、お芝居、クラスの応援旗づくり、仮装行列、合唱コンクール、大学時代の定例コンサート・・、人と一緒に何かを創りあげること、目標に向かって力を合わすこと・・が結構好きだったなぁと。
 仕事のなかで、時々、そんな懐かしい感覚を思い出すときがある。
 今年前半では、6月末日の日本コミュニティ心理学会第七回大会。私は事務局長を引き受けたが、半年程前からいろんな人達と一緒に準備をすすめていった。こういう機会がなければ一緒に仕事をすることはなかったであろう方々とご一緒させていただいたことは、社会勉強にもなった。無事大会当日を迎えたが、大会の三日間はあっという間に過ぎた。三日目の最終日、盛況のうちに終ろうとしている・・とほっと安堵感と共に後片付けを始めていた時、会場を後にする名前も知らない会員の方々から「いい学会でした。ありがとうございました」「学会らしい学会でした」と暖かい一言をかけていただいた。よかったぁ、とほっと心から嬉しい気持ちになった。人に喜んでもらえたことで、全ての苦労が報われる気持ちだった。
 今年後半では、研究所の仕事として企業研修に取り組んだ。準備から実施まで何ヶ月かかけてスタッフと共に取り組む過程は刺激的であった。
 皆で協力しながら学びあえる過程、何かを創り上げる過程、目標に向う過程は面白い。ただ、学生時代と違うのは、責任が伴うということ、あるいはその責任の重さだ。最後まで責任を負うことで、より自分の体験として根付くことができるのだと思う。その過程は楽なことではないけれど、でも楽しみながら、面白がりながら、仕事をしていければと思う。

(2004年10月)

2004.08.10 トラウマ
「戦争とトラウマ」を考えて

西 順子

 今年の年報では、「戦争とトラウマ」をテーマとして取り上げることとなった。私は「戦争体験の語り継ぎと次世代」について考えてみたいと、語り継ぎについてのインタビューを行った。6月には、広島を訪問し、平和記念資料館も見学したが、自分が知らなかった原爆の真実を知り、衝撃を受けた。その体験については年報に書いているが、もっと歴史から学ばなければと、今年の夏は戦争に関わるドキュメンタリー番組などを見ている。今回は、その中から印象に残ったことを書いてみたい。
 8月1日、『NHKアーカイブス・ヒロシマの記憶「これがヒロシマだ~原爆の絵アメリカをいく」1982年(昭和57年)』をみた。被爆により全身に大火傷を負った松原美代子さんは、「原爆の絵」を携えて、アメリカ人に原爆の絵を見てもらい、国連に軍縮を訴えるために渡米し、各地を訪問している。原爆の絵は、松原さん自身が書いた絵も含めて広島市民が書いた絵であるが、それは、人間が住む世界とは思えない光景の絵である。「体験を語るのは辛いし、私の話を聞くことは皆さんにとってもきっと辛いことだと思います。でも、過去を振り返ればよりよい未来を築け、同じ過ちを繰り返さないですみます」とゆっくりと英語で、声を絞り出すようにスピーチする松原さんの姿は印象的だった。松原さんはご自身のことを「ヒロシマ・サバイバー」と呼んだが、サバイバーとしての叫びと願いが伝わってきた。
 訪問先での、ハイスクールの学生も印象的だった。「アメリカ人がそんなことをしたの、悲しいわ」という女学生。他人事ではなく、自分の国がしたこと率直に受けとめた。「アメリカ人を憎んでないの?」という質問に「昔は憎んでました。○○さんに出会って(一緒に各地を訪問してくれている方)、アメリカ人でもこういう人がいると思ってからは、アメリカ人ではなく戦争を憎むようになりました」と答えた松原さん。一方で、地域によっては、出演したラジオ番組には抗議と非難の電話が鳴り止まなかった。「日本はアメリカの傘の下に入って、守ってもらっているくせに」「戦後日本は平和が続いてるじゃないか」・・など。それでも、「絵を見てもらえればわかってもらえずはず」と決して希望を失わない松原さんが印象的だった。現在は、70歳を超えたというが、「私に残された時間はあと少ない」と今も年に二回は海外を訪問し、平和を訴えているという。
 8月8日は、読売テレビ『ドキュメント'04「逃亡者の遺言」』をみた。渡辺さんは現在90歳、大阪に住まうが、戦争当時は沖縄の陸軍兵士だった。「もういっぺん久米島にいってね。あんなことあった、こんなことあったということを、辛い思い出、思い出したくないような思い出ですけど、一辺行って、本当に申し訳ありませんでしたということを言いたいんです」と、真実と向き合うために渡辺さんは久米島に向かった。
 沖縄戦末期、米軍が迫ってきており、このままでは殺されると思った渡辺さんは、突撃の数日前に、7人で海に逃亡した。当時は「この地獄から抜け出したい、きれいな海で死にたい」と思ったが、「逃亡した負い目が今でもある。今でも死んだ兵隊に申し訳ないと思っている」という。漂流してたどり着いたのが久米島。久米島では、住民が渡辺さんを温かく迎えてくれ、ない食料を分け、病気の手当てをしてくれた。でも、そこで渡辺さんが見たのは、海軍通信隊の住民虐殺だった。通信隊の疑心暗鬼から、スパイ容疑とみなされたものは即刻処刑されたが、それは4家族20人という。渡辺さんは、同じ時期、同じ島にいながら、通信隊の行動を止めれなかったことに後悔が残ると話す。犠牲者の遺族を尋ねた渡辺さんは、「本当に申し訳ありません。日本の兵隊の1人として、心からお詫び申し上げます」と謝罪された。また、島の高校では、当時のことを語り、若者に向かって「私の遺言として、戦争とはどういうことか、国家とはどういうことか、本当に真剣に考えていただいたら・・と思う」と話された。渡辺さんの「申し訳ない」という言葉に、今も背負う罪悪感、苦しみの重さを感じる。最後に、島の人々に温かく迎え入れられ、涙を流されたことも印象的だった。
 松原さん、渡辺さん、心に深い傷を負いながらも、戦争の被害、戦争の加害の側面に向き合い、人と向き合おうとする人がいることを知った。マスレベルで起こった戦争を、体験した一人の人間として、未来への願いを込めて、語り継いでいこうとしている人がいる。そうした人々の声にもっと耳を傾けていきたいと思う。歴史は繰り返すといわれるが、悲劇が繰り返されないように、歴史の真実から学んでいきたい。
今年11月発行予定の年報14号、ぜひ、1人でも多くの皆さんに読んでいただけたらと願っています。


(2004年8月)

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