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FLCスタッフエッセイ

2013.05.10 トラウマ
環境とつながる~「今、ここ」にいること

西順子

 今年4月28日~5月3日まで、神戸で開催されたSE(Somatic Experiencing)トレーニングに参加させて頂いた。今回講師のHoskinson先生は、初級トレーニングから神経生理学的知識を教えて下さり、とても学び深かった。神経生理学的基礎を学ぶことで、私たちは「生きもの」であること、「生きている」ということを実感する。

 さて、今回最も印象深く残っているのは、「感覚をとおして環境とつながる」ことである。トラウマとは、「今ここに、いることを不可能にしてしまう」と言われる。なので、解離せずに「今、ここ」にいるためには、感覚を通して環境とつながれるよう、外界のものを意識したり、工夫したりすることが大切となる。特に、外界にある心地よいものとつながることが大切である。

 私自身もまた、外界の心地よいものとつながれる時間を意識したいと思っているが、まず最も心が惹かれるのは、自然である。日中は部屋の中なので、朝が一番自然と触れ合えることに気が付いた。お天気の日の朝の空を見上げるのは心地がよい。胸が拡がり、胸に空気が入る。そして心も広々と開放的な気持ちになる。公園を通ると木々の緑が美しい。最近、公園横の道を通ると、鳥の鳴き声がよく聞こえることに気づいた。鳥の鳴き声に注意を向けていると、さらによく聞こえるようになってくるから不思議だ。陽の光も明るくて、心地よい。そして、朝早くFLC本社に着くと、東側に玄関があるので、ちょうど陽の光が差し込んでいて、すがすがしい。朝少しでも早く起きると、こうして五感で心地よさを感じ、探索できる時間をもてると気づいた。

 本社の面接室のなかは、陽の光が差し込まないのは残念であるが、その代わりに様々な工夫をしている。ランプの温かいオレンジの光、観葉植物、そして絵をいくつか飾っている。好きなものを周りに置くことで私自身、居心地よく過ごすことができる。カウンセリングで来談くださった方々にも、「今、ここ」の場で、少しでも安全に感じて頂くことができればと願っているが、この部屋という環境のなかで、少しでも心地よいと思うものがあれば嬉しい。

 トラウマに圧倒されているとき、心地よいものとつながることは難しくもあるが、日頃から心地よいものと親しむようにすることでレジリエンス(回復力)を高めることができる。突然「引き金」を引いて過去の辛い記憶が出てきたとしても、辛さが少しでも緩和するように、外界に注意を向けることで「今、ここ」に戻ることも可能となる。

 そして環境とつながるために最も大切だと思うのは、安心できる人とのつながりである。人の顔を見て、話をしたり、聞いたり、笑ったり・・と、人がそこにいて、やりとりすることが、安心と信頼をもって環境につながることである。仕事の一つとして、NICU(新生児集中治療室)で赤ちゃんやお母さんと出会うが、赤ちゃんがお母さんに抱っこされるとぴったり泣き止んだり、じーっとお母さんを見る姿に、赤ちゃんはお母さんを通して、この世界(環境)がどんな世界であるかを感じているのだなということを実感している。

 心地よい感覚を探索することをもっと楽しめればいいなと思う。それは「今、ここ」に私は生きているんだという実感、生きる喜びともつながるものである。皆さんにとって、心地よい感覚の経験はどんなものでしょうか。心地よい感覚を探索してみませんか。

 

(2013年5月)

2012.12.10 虐待
子どものトラウマ~2012年を振り返って

西 順子

 あっという間に師走、今年もあと僅かとなった。たまたま毎年12月にエッセイの順番が回ってくるので、12月は一年を振り返ってエッセイを書くことが多い。そこで今年も一年間を振り返ってみたい。

 今年の年明けはいいニュースでスタートした。このことはエッセイでも書いたが(2012年1月「トラウマと身体~SEと出会って」)、1月3日付でトラウマ療法ソマテイック・エクスペリエンス(SE)プラクティショナーとして認定されたメールが届き、後日認定証も届いた。三年間を通してSEという身体志向のトラウマ療法を学び、トラウマ、解離についてより深く理解することができるようになり、カウンセリングに来談される方々の症状の改善、軽減に役立てることができて有難く感じていた。一方で、こうして学べたこと、つまり身体のもつ自然治癒力について、もっと広く人々にも知ってもらい、心身の健康のために、あるいは予防的にも活かせてもらうことができればと願う気持ちだった。

 特に、子どものトラウマにも役立てたいという思いがあった。子どもの未来のために、子どものときによりよいケア、サポートを提供できれば・・と願うが、子どものトラウマの場合は、保護者との関わりが重要であるため、親子へのケアや働きかけをどう進めていけばよいか・・という課題を感じていた。性的被害を受けた子どもと親へのサポート、DVの状況から母子で逃れ、安全となった環境となって子どもに様々な反応や問題行動が起こるとき、子どもと母親に対するサポート、という課題であった。子どもに、保護者に、双方に、それぞれに支援が必要であるため、試行錯誤しながら取り組んできたが、もっと効果的な援助の方法を学べたら・・と思っていたところ、今年の1月半ば、子どものトラウマ治療研修についての案内が届いた。内容を見ると、SEと基礎を同じくしており(脳神経科学を基盤)、身体的な介入プログラムがいろいろ体験できるものだった。これは渡りに船?というか、ちょうどよい機会と、参加させてもらうことにした。昨年も同じ案内が届いていたが、昨年はまだSEを勉強中の身、関心はあるものの時期尚早で現実味がなかった。今年は次の課題に向けて一歩進めるときと現実的に考えることができた。

 そして6月、ボストンのトラウマセンターでの研修は、目から鱗というかとても刺激的だった。感想は日記やエッセイでも書いたが、身体に介入する方法として、トラウマ・ヨガ、子どもへの集団ゲームとドラマセラピー、自己調整セラピー、アートセラピーの演習を体験。どれもユニークで楽しみながら、自分の状態を自分で気づき、「コントロール」というより「調整」できるよう、自分自身の心身の状態とうまくつき合っていく力をつけるものであった。トラウマセンターに通う子どもは、複雑性トラウマ、つまり虐待を受けた子ども達である。子どもに応じて、さまざまな方法を組み合わせて、トラウマを乗り越えられるようエンパワメントする様子がうかがえた。また、子ども達が保護者との愛着の絆を育んでいけるよう保護者をコーチングする手法、親子相互交流療法(PCIT)についてのお話を聴くこともできた。センターでは、子どもと里親さんにPCITが行われていたことも印象的だった。虐待を受けた子ども・家族に、地域全体で関わっていることがうかがえた。施設見学もさせて頂いたが、施設では、虐待を受けて重い情緒障害をもつ子どもたち一人一人に即して目標を決め、目標に添って感情調整のスキルを学ぶなど、段階的に力をつけていけるよう体系立てて治療教育が行われていた。センターや施設のプログラム全体は、ARC理論(愛着・自己調整・能力モデル)に添って組み立てられている。10年前から、介入方法も変わってきたとのことだったが、より効果がある援助が提供できるよう新しい研究の成果が取り入れ、変化してくことは凄いことと圧倒される思いだった。

 この秋には、一年前から関心を持ち学びたいと願っていた子どものためのトラウマ焦点化認知行動療法(TF-CBT) の研修にも参加させて頂くことができた。TF-CBTは、子どもと保護者が一緒に取り組むプログラム。感想は日記にも書いたが、米国から来日下さった講師の先生の情熱には大変感銘をうけ、刺激を受けた。使命感をもって子どものトラウマに取り組んでおられるのが伝わる。私はたまたま、通訳付きロールプレイでお祖母ちゃんの役をすることになり、講師の先生が思春期の子どもの役(孫役)をされたが、ロールプレイでは、先生は思春期の子どもの微妙な感情を的確に表現されていた。これだけ感情移入して演技ができるのは、本当に子どものことをよく知り、理解しているからこそ・・と、先生のロールプレイには思わず涙が出そうになった。

 12月はあと、高知で行われる日本子ども虐待防止学会大会、東京で行われるPCIT(親子相互交流療法)の学術大会に参加する予定である。今年一年、学びたいと願ってきたことに、ご縁がつながって学ぶことができ、感謝の気持ちである。素晴らしい方々との出会いにも感謝。学ばせて頂いたことを消化吸収できるよう、そして子どもや子どもを見守る周囲の大人に還元できるよう、日々の臨床と向き合い、一歩一歩自分にできるところから取り組んでいければと思う。

 もうすぐ一年も終わろうとしています。皆さまがよき新年を迎えられますよう、お祈り申しあげます。

(2012年12月)

2012.01.10 トラウマ
トラウマと身体~ソマテイック・エクスペリエンス(SE)と出会って

西 順子

 2012年1月、ソマティック・エクスペリエンス(SE)認定プラクティショナーとしての認定をいただいた。新年早々、認定の連絡がメールで届き、心から「やった~!」と嬉しく、喜びに満たされた。 

 ソマティック・エクスペリエンス(SE)に出会ったのが、2008年。『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』(P・リヴァイン著、雲母書房)の本を、そうそう・・、なるほど・・と興奮する気持ちで読んだことを今でも覚えている。子ども時代の虐待や性暴力被害など、トラウマ臨床に携わるなかで感じてきた<もっとどうすれば回復できるのか>、つまりトラウマの再現によって生じる恐怖、不安を、圧倒されずにどう緩和できるのか、という問いに答えてくれるように感じた。トラウマを「身体」の側面から理解すること、それがトラウマからの回復と癒しの鍵になるということに納得した。ぜひ、このSEを学び臨床に役立てたい・・と志して早3年半。今振り返れば、幸運な出会いに恵まれて、今ここに、辿りつけることができた。無事にここまで来れたことに、感謝の気持ちである。

 3年間のトレーニングで感じたことは、折にふれてエッセイや日記などでも書いてきた。2009年には年報19号『身体の声を聴く-肥大化した心の時代に』のなかで論文としてまとめたが、SEを学ぶなかで、私自身も変化を体験してきた。何より、以前と比べて、自然体で落ち着いていられるようになったことが有り難い。

 SEでいうところの「落ち着く」とは、自律神経系が落ち着いてバランスがとれていること、つまり、交感神経系の「楽な活性化」と、副交感神経系の「楽な解放」との継続したサイクルがあることである。それは、呼吸のリズムや深さ、心拍数、筋肉の緊張と弛緩、五感など身体感覚によって感じることができる。私自身まだまだ、活性化しすぎて過度に緊張したり、イライラしたり、動揺したり・・することも多々あるが、そのことに気づくだけでも違うように感じている。神経系が落ち着いているときは、くつろいでリラックスしつつも機敏で、他者ともつながることができ、情緒的に安定していて、さまざまな状況下で適切に対応できる・・と言うから、そんな状態に少しでも長く留まっていたいものだと思う。

 「心と身体がつながっているって、こういうことなんだ」と、自分の身体で実感することで、生きているってすごいことなんだと、生きていることそのものに、有り難く感謝するようにもなった。そして、人間の存在全体に対しても、畏敬の念をもつようになった。身体とつながることで、個の意識を超えて、スピリチュアルなものとつながれるように感じている。本能的な生命の営みによって生かされていること、生かされた命を大切にすることが、私自身にまずできることであると、地に足を着けて、自分の中心にいられるよう意識するようになった。

 身体はトラウマを覚えてはいるが、身体感覚に耳を傾けて、身体に備わる自然治癒力や回復力へとつながることで、解離したままのトラウマ記憶を消化、解放していける可能性が生まれる。それはまた、「人とのつながり」のなかで、安全に感じられてこそ可能となる。 生まれたときから、目と目を合わせるアイコンタクトが、安心してこの世界につながる始まりであるように。

 ハーマンさんの『心的外傷と回復』のなかで、私が一番好きなのは、最後のページ。最後の言葉、「他の人々と共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて憩うことができる。ここにその人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる」は、しみじみと心に響く。誰もが、人々とのつながりのなかで、安全で平和に、日常生活を暮らせるようにと願い、祈りながら、SEで学んだことを、トラウマ臨床に役立てていきたい。

(2012年1月)

2011.12.10 性的虐待
子どもへの性的虐待を考える~臨床的援助と予防と

西 順子

 1992年、女性ライフサイクル研究所では年報2号で「チャイルド・セクシャル・アビューズ」を特集した。チャイルド・セクシュアル・アビューズとは、家庭内で起こるか家庭外で起こるかを問わず、子どもへの性的な虐待(力の濫用)を指している。当時はまだ、「それは病んだ国のことで、日本には性的虐待はない」と言われていた時代であった。

 しかし、子どもへの性的虐待は、私たち自身の問題であると認識し、社会的な働きかけを行ってきた。子どもをもつ母親として性被害から「子どもをどう守れるか」という問題と、性の対象とされてきた女性の問題としてである。

 年報2号は、各社新聞で取り上げられ、全国各地から、購読の注文が届き、あっという間に売り切れとなった。予防啓発活動として、子どもへの防止教育プログラムを開発して防止教育を実施したり、専門家への意識啓発として1990年代は、心理臨床学会で自主シンポジウムを開いたりしてきた。そして、時代は変化し、2000年には児童虐待防止が成立、子どもへの性的虐待も社会的に認知されるようになった。防止法から早10年過ぎたが、子どもの置かれている現実は変わったであろうか。

 子どもへの性的虐待はいまもなお起こっている。ただ、希望を感じるのは、性虐待を子どもが打ち明けたとき、母親がその声を否認せず、受けとめようとしていることである。親に話せないまま、被害の記憶を失っていたり、あるいは、親に話したとしても、否認され、否定されて受けとめてもらえなかったことで、トラウマ反応が大人になってから顕在化することも多いが、今、母親らがしっかりと子どもの現実と向きあおうとしている。

 日頃の臨床のなかで、子どもの性的虐待、性被害の問題と遭遇する。多くが、子どもへの性的虐待が発覚したとき、母親がどうしたらいいかと戸惑い相談に来られる。子どもが母親に被害を打ち明けてのことである。その声を受けとめた母親が、どうしたらよいのかと助言や子どもへのケアを求めている。加害者が顔見知りであることも多く、子どもも母親もその衝撃は大きい。安全感とともに、信頼感を壊される。加害者は子どもが信頼すべき大人の場合もあるし、子どもの場合もある。同じ家族、学校、地域コミュニティのなかで起こった被害に、被害にあった子どものケアはもちろんのこと、今後どう生活していけばよいのか、生活の問題や、人生の問題とも関わってくる。そのなかで、母親たちが、「子どもの安全を守る」のにどうすればよいかと、悩み、葛藤しながら、子どもをケアしようと懸命になっておられる姿を目の当たりにしてきた。

 カウンセリングでは、子どもとのプレイセラピーや面接のなかで、トラウマ反応を解放できるようにアプローチしているが、同時に母親への心理教育や母が子どもを支えるサポートを提供している。この20年のなかで、トラウマの解放に有効な様々なアプローチが我が国にも紹介されてきているので、トラウマによる心身への反応を緩和していくことが可能となった。もちろん、1人として同じ人はいないので、個々の回復の文脈に即して考えていかなければならない。回復の文脈をどうつくっていくかは、何よりも母親から学ばせて頂くことが多く、母親との協働作業となると言ってもよい。子どもが自分の自信を取り戻し、回復していくとき、そこには母親の並々ならぬ努力と支えがある。母親をエンパワメントしていくことが、子どもの回復の鍵になると実感している。子どもは安全の基地さえあれば、どんどん外へと世界を拡げていくからである。

 子どもが自分の強さ、自信をとり戻し、力強く回復する姿、そしてそれを支える母親の姿に心を打たれる。しかし、子どもが性的に濫用される現実が変わらなければと思う。

 日頃は臨床が仕事ではあるが、まだまだ予防啓発活動、社会への働きかけが必要なことを実感している。被害者はもちろん、加害者をつくらない社会のために、子どもの権利が尊重されるコミュニティでなければと思う。虐待とは、子どもの境界線の侵犯である。私たち誰もが、境界線を尊重される権利をもっている(境界線とは、自分の安全や人格やプライバシーを守るために、「私の体」「私の気持ち」「私は私」という感覚のこと)。まずは大人が子どもの身体的、性的、心理的境界線を尊重していかなければならないと思っている。 

 震災以後、Twitterを始めて、今社会のなかに、性暴力に取り組むさまざまな団体が立ちあがっていることを知った。私自身もまた、予防啓発として自分にできることからと、子どもを性的に濫用されることがなくなるよう、性的虐待は子ども達の身近で起こっていること、その問題意識を伝えていきたいと思う。

※参照: 子どもの性的虐待の予防、発見、ケアに関する文献
「チャイルド・セクシャル・アビューズとは何か」年報2号(1992)、村本著。
「チャイルド・セクシャル・アビューズを子どもの様子から知る指針」年報2号(1992)、村本著。
『子ども虐待の防止力を育てる~子どもの権利とエンパワメント』(2005)村本、西、前村著、三学出版。
『FLC子育てナビ3: 子どもが被害にあったとき』(2001)窪田、村本著、三学出版。

(2011年12月)

2011.10.10 トラウマ
市民の力~被災地に心を寄せる人々

西 順子

 東日本大震災から7カ月が過ぎた。春、夏が過ぎ、秋も終わり、もうすぐ冬を迎えようとしている。この間、自分に何ができるのか・・自分なりに模索してきたが、結局は自分を落ち着かせ(過覚醒と無力感との間で揺れていて、やっと落ち着いてきたのが夏頃か)、自分の持ち場の責任を果たすことでやっとのことだった。日常を超えることはできず、日常のなかで「できることを」と思ってまず始めたのが、ツイッターである。

 支援者関係のメーリングリストからツイッターやfacebookを利用して情報交換をし、支援しようとしている人々がいることを知った。大阪にいながらも何かできることがあればと、ツイッターに登録してみることにした。
 ツイッターでは、新聞やテレビでは報道されていない被災地の様子や人々の生の声が聞こえてきた。そして、被災地の支援をしようとしている一般市民の方がこんなにたくさんいるんだということを知った。インターネットを利用して、支援システムができていく様子も、ITに弱い私はただ感嘆するばかりだった。例えば、被災地の経済復興のために、被災地のお店で物を購入して、被災地に届けるという、そんなシステムを作られた方々もいる。しかも、被災地で必要とされているけれど、個人1人では高価で買えないものも、「共同購入」という形で、一口3000円程度で購入できるようになっていた。また、物の支援だけではない、子ども達に遊びや遊び場を提供したりしようというグループもたくさんあった。

 女性の立場から特に印象に残ったのは、女性に<物づくり>の仕事を提供し、支援しようとする取り組みだ。2011年5月に「大槻復興刺し子プロジェクト」が立ちあがった(現在はNPOと有志で運営)。そして、最近知ったのが、<ふんばろう東日本支援プロジェクト>の活動の一つ「ミシンでお仕事プロジェクト」。これも、ミシンを送って被災地の女性達に元気になってもらい、仕事を見つけてもらおうというもの。私もずいぶん昔になるが、若い頃は物づくりが好きだった。手芸、編み物、ミシンで服を作ったり、出来栄えに関係なく、自分のオリジナルを創作するのが楽しかった。なので、手づくり、物づくりの楽しさと、それが仕事になり、収入になるという喜びと、また皆で一緒につくるというコミュニティでの人とのつながり・・が生まれる、そういうシステムづくりを思いつかれ、それを仕事としてシステム化していける人々の知恵が凄いなと思う。

 一方では、表にはでにくい暴力の問題に取り組むため、被災地での女性や子どもへの暴力防止のために活動するグループもある。「震災後の女性・子ども応援プロジェクト」では、暴力防止のための安全・安心カードを作成・配布したり、女性や子ども向けの支援物資を届けてきた。災害直後の暴力予防活動は10月末で終了し、今後は、東日本大震災女性支援ネットワークのチームの一つとして活動していくと言う。

 被災者の視点、そして女性や子どもの視点にたち、市民レベルで、さまざまなプロジェクトが立ち上がり、中長期的な支援へとつなげていこうとする努力には、本当に頭が下がる思いである。

 ただ、私にできることは、1人の市民として、自分の枠内で支援物資を購入すること、ツイッターでその情報を他の人にも知らせ、知ってもらうこと。そして、被災地のことに「関心を持ち続けること」。阪神大震災の時は、当初の支援の取り組みの後、関わらなくなってしまった・・という思いが残っている。なので、まずは「関心を寄せること」は続けていきたいと思っている。刺し子で創ったコースターは、研究所の本社で使わせて頂いてるが、直接支援は何もできないけれども、刺し子のコースターを見て触れることで、作られた女性たちのことをふと身近に感じる瞬間がある。
 
 先日、ツイッターで「一度現場を見に来て下さい」と呼びかける支援者の方の声があった。その言葉に、少し心が痛んだ。今もその言葉は心に残っている。実際に見て初めてわかることがたくさんあると思うし、行かなければわからないことがあると思う(それは南京を訪問して実感したこと)。いつか行くことができればいいなと願う。何かのご縁でつながりができれば・・と思いながら、今は一市民としてできることを、細いながらも長く続けていければ・・と思う。被災地に心を寄せる人々、その声を伝えてくれる人々と、細くだけれども長く・・つながっていければと思う。
 
 市民の手で、素敵な素晴らしい取り組みがされています。私が知るのはそのほんの一部ですし、皆さんも既にご存じかもしれませんが、ご紹介させて頂ければと思います。

大槻刺し子プロジェクト http://osp2011.web.fc2.com/index.html

ミシンでお仕事プロジェクト http://fumbaro.org/about/project/machine/

※この他にも、<ふんばろう東日本支援プロジェクト>では、「ハンドメイドプロジェクト」「おたよりプロジェクト」「ふんばろうエンタメ班」など、さまざまなプロジェクトが立ち上がっています。

震災後の女性・子ども応援プロジェクトhttp://ssv311.blogspot.com/2011/10/blog-post_27.html

(2011年10月)

2011.02.10 トラウマ
恐怖症の克服

西 順子

 つい最近まで飛行機恐怖症だった。怖くても、飛行機に乗ることを回避することはなかったが、一人では乗れなかった。一人で乗らないといけないような状況もなかったが、家族旅行などで乗る時は、決死の覚悟を決めて乗っていた。それが、一年前から一人で乗る必然性が生じた。そして昨年ようやく一人で飛行機に乗れるようになった。

 初めて一人で乗れたのが愛媛行きの飛行機。講師の仕事のために一人で搭乗したが、ほぼ平常心を保ちつつ、無事に空港に降りたったときのしみじみとした感動は忘れない。一人でタラップを降り、地上を歩いているとき、「乗り越えられたんだ」という穏やかな喜びを味わった。いつの間にか恐怖を克服できていたことが嬉しかった。

 自分の恐怖体験とその克服の過程から、たくさんのことを学んだ。この場を借りて、自分の体験と学んだことを振り返ってみたい。

 飛行機恐怖症になったきっかけは、1995年の阪神大震災である。それまで何も思わずに普通に飛行機に乗れていたのだが、震災以降、飛行機に乗るのが怖くなった。震災直後、電車で揺れたときに一瞬恐怖を感じる、ということが数回程度あったと思うが、いつものように乗り物には乗ることができていた。でも、なぜだかわからないが、飛行機にだけとても恐怖を感じるようになってしまった。

 私自身が震災体験で直面したのは「大きな揺れ」だった。一瞬何が起こったのかわからない、15階建ての鉄筋コンクリートの建物がゆっさゆっさと揺れることは想像を絶していた。ゴジラが襲ってきたのかと錯覚するような「怖い」体験だった。だから、飛行機が怖いのは「揺れる」のが引き金になっていると理解していた。でも何も被害にはあっていないのに、「こんなに怖がるなんて変」と恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちでもあった。

 「揺れへの恐怖」が「死の恐怖」とつながっていると理解したのは、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理)のトレーニングでだった。EMDRはPTSD(外傷後ストレス障害)に効果があるとされるトラウマ治療法だが、トラウマ臨床に役立てればと、2000年に最初のトレーニングを受けた。実習では、自分自身の不安体験を扱うが、私は「震災での揺れ」を取り上げた。震災体験時の記憶をイメージして、眼球運動を行うなかで、驚いたことに震災にまつわる他の記憶も出てきた。出てきた記憶は、震災から10日後の頃、ボランティアとして被災地に出向いたときに、そこで目撃した光景だった。起こっている出来事に対して、自分はあまりにも無力であった。大阪に戻ってきた時にも神戸と大阪のギャップに茫然とした。そのいくつかの光景を思い出したとき、私にとっての震災体験には、神戸に入ったときに体験したことも重なっていると理解した。そして、「大きな揺れ」に直面したとき、一瞬「死ぬかもしれない」と感じたのだと気がついた。

 日常生活のなかでは、そのような恐怖を感じることはなかったが、飛行機に乗ったときにだけ「もしも何かあったらどうしよう」と死の恐怖に圧倒されそうになるのだと理解した。今までオブラートのように自分を守ってくれていた「世界に対する安全感、信頼感」に亀裂がはいったということだと理解することができた。

 トラウマ反応は、「いかなる状況でその出来事を体験したか」という個人の主観体験(意味づけ)が大きく影響すること、誰もが「予期できず、防衛不能」という恐怖の状況に曝されるとトラウマを被る、と言われている。人と比べずに、私にとっての恐怖体験を認めてあげてもいいのだと受け入れることができた。

 でも、原因がわかったからといって、恐怖がなくなるわけではない。恐怖モードのスイッチが入るのは、空港についてから。「怖い。嫌だ。大丈夫やんな?」と一人でぶつぶつ。家族は夫も子どもも怖がらないので、ニコニコしながら「大丈夫って!!」と励ましてくれる。

 飛行機に乗っている間は、自分を落ち着かせるために、臨床のために学んだ方法をいろいろ使ってみた。2003年頃は、木村拓哉主演のテレビドラマ「GOOD LUCK!」を毎週欠かさず見ていたが、フィクション・ドラマとはいうものの、空の安全のために日々努力している人がいることを知ることはとても役立った。飛行機に乗っているときは、テレビドラマの映像を思い出し、主題歌「RIDE ON TIME」の音楽を思い出し、肯定的なイメージを思い浮かべるようにしていた。一種のイメージトレーニングだった。また、認知行動療法を学んでからは、「もし・・したらどうしよう」等、頭に浮かぶ否定的な認知にストップをかけていた。そして、2年前からトラウマ治療法のソマティック・エクスペリエンス(SE)を学び、飛行機に乗っている間も呼吸に注意を向けて呼吸を整え、身体が落ち着いている状態で「今ここに」いられるよう意識を向けていた。

 昨年はSEトレーニングで、自然災害についても学んだが、自然とのつながり、大地とのつながりを取り戻すことが大事であると聞いて、なるほどと思った。近年、大自然と接すること、スピリチュアルなものとのつながりに心惹かれていたので、とても納得した。

 それと何より「慣れる」ということが大事なこともわかった(曝露療法とはこういうことなんだと納得した)。昨年から飛行機に乗る機会が増えることで、次第に慣れていくことができた。慣れるために、とても助けになったのは、安心できる人がそばにいてくれたことだった。家族旅行のときは夫や子ども、仕事や学会・研究活動のときはFLCスタッフが必ず一緒だった。皆「大丈夫!!」と笑顔で受けとめくれて、そして傍にいてくれた。そして、数時間の恐怖を乗りこえたあとは、旅行は楽しく、研究活動もとても楽しく有意義な時間を過ごすことができた。

 そして昨年、初めて一人で飛行機に乗る必然性がでてきたとき、冗談半分に夫を誘うと、夫は乗り気になって観光目的で同乗してくれた(現地では別行動。私は仕事)。そしてようやく、愛媛に行く時には「一人で乗れる」と思えた。そして、無事一人で乗ることができた。

 怖いけど、恐怖を避けることなく「慣れる」までこられたのには、安心できる人のおかげであると、今つくづく感謝の気持ちである。

 今年に入っては、長崎、熊本に飛行機で行ってきた。熊本から帰りの便では、窓から外の景色をしばらく眺めることができた。ドキドキしながらも、暗闇のなか、雲の上で光り輝いている月を見ることができた。とても綺麗だった。

 一人で搭乗できると言っても、怖さが全くなくなったわけではない。今、一人で搭乗するとき、私の安心の拠り所は、客室乗務員さんである。そして機長さんである。揺れると今でもちょっと怖いが、客室乗務員さんの、笑顔で落ち着いた物腰をみると、「大丈夫」と安心することができる。また機長さんの機内放送に、「安全を守ってくれているんだ」と信頼を寄せることができる。

 恐怖症の克服には、いろんな療法を取り入れることも役に立ったが、何よりも助けとなり、また今も助けられているのは、安心できる「人」がいることである。人と安心感と信頼でつながることで、「今ここ」に安全を感じられる。今ここに生きていることに感謝の気持ちである。

 カウンセリングでは、来談された方が、不安、恐怖、回避・麻痺、解離など、さまざまなトラウマ反応を乗り超えていけるよう、まずは安全な場所を作り、さまざまな療法を使いながらも、安心できる「人」として存在し、安全へとナビゲートしていけるよう心がけている。

 トラウマの回復とは「つながり」を回復することである。治癒がおこるのは本人のもつ自己治癒力であり、それは自分自身とのつながりを回復することであり、家族や友達、周りの人々など、安全で安心できる人とのつながりを回復していくことでもあると思っている。

(2011年2月)

2009.12.10 トラウマ
安全でサポーティブなコミュニティを創る

西 順子

 今年もあと僅か。この一年を振り返ると、今年は「安全でサポーティブなコミュニティ」を実感する一年だったな~と、あたたかい気持ちと、新しい年に向けての希望を感じる。今年、私にとって新たな一歩となった意味深い体験が、二つあった。一つは、身体感覚をベースにしたトラウマ治療法「ソマティック・エクスペリエンス(SE)」のトレーニングに参加したこと、もう一つは、南京セミナー「戦争によるトラウマの世代間連鎖と和解修復を探る」、に参加したことである。

 SEトレーニングでは、トレーニングの場自体が、安全でサポーティブなコミュニティであった。トラウマに取り組むには、「人とのつながり」の力や仲間の支えが必要なことを再確認した。国を超えて、トラウマの回復や癒しに取り組むSEコミュニティとつながり、新たな仲間ができたことに、とてもエンパワーされる気持ちであった。

 トレーニングを受けた後、来談されるクライエントさんの回復に少しでも役に立つことができればと、早速カウンセリングに取り入れてきた。その体験については、年報19号「『身体感覚』に耳を傾けるトラウマ療法~ソマティック・エクスペリエンスを学ぶ」にまとめたが、SEは症状を軽減し安全を確立するために、確かで穏やかな効果があると実感している。SEと出会い、「身体の叡智」がもつ自然治癒力を発見し、回復の道すじに希望の光がみえてとても嬉しい。まだトレーニングは三分の一を終えた段階だが、来年以降もさらにトレーニングを積み、よりよいサービスを志していきたい。

 南京セミナーには、参加できるこの機会を大切にしたいと、今思えば、無意識レベルで参加する必然性を感じ、導かれるままに参加した。トラウマ臨床に関わるものとして、加害の事実と向き合う必要があるという思いと、昨年の年報18号「世代を超えて受け継ぐもの」をきっかけに、戦争のトラウマの世代間伝達について考えていきたい、という思いもあった。南京セミナーでは、アルマンド・ボルカス氏によるHWH(歴史の傷を癒す)プログラムが予定されており、それも楽しみだった。

 セミナーに参加して、参加する前と後では、自分自身がとても変化していることに気づいた。まず私に起こった変化は、日本人としてのアイデンティティを自覚したことである。今まで日本人としてのアイデンティティを自覚したことはなかったが、セミナーに参加して、日本人として責任をもつ生き方をしていきたいと強く願った。自分を歴史の文脈に位置づけることで、今ここに生きることの意味を自覚することができた。

 もう一つ気づいた変化は、涙もろくなったことである。人の優しさ、あたたかさ、悲しみ、傷みに敏感になった。中国の若者のトラウマの深さを知り、心がとても痛んだが、人に対する優しさと思いやりで私たちを受け入れて下さることに、自分自身が癒されるような気持ちとなった。言葉の壁はあるものの、ドラマセラピーや表現アートセラピーを通して、中国の方々と、心と身体で対話できたことは、かけがえのない体験となった。セミナーの場自体が、一つの「安全でサポーティブなコミュニティ」となり、ボルカス氏がいう「共感する力こそコミュニティの自己治癒力であり、共感の文化を創ることこそ平和を創ることに他ならない」という言葉を心と身体で噛みしめた。このセミナーで体験したことを決して忘れることがないよう心と身体に刻み、共感の文化を創っていきたいと強く願った。

 10月、南京セミナーから戻ってから、自分の仕事の意味がより明確になった。トラウマの世代間連鎖にストップをかけられるよう、傷つきが繰り返されないよう、トラウマの回復と癒しのために、自分にできることを大切にしていこうと、自分に与えられた責任を意識するようになった。カウンセリングだけでなく、講師の仕事にも新たな意味が生まれた。

 昨年から、たまたまDV関係の研修で講師を務めさせていただく機会が増えたが、DVや虐待を受けている子どもや女性をサポートしようという方々に、「安全でサポーティブな人とのつながりの大切さ」を伝えたいという思いが強くなった。コミュニティ支援の大切さは、メアリー・ハーベイ氏から学び(ハーベイ氏論文
生態学的視点から見たトラウマと回復女性のトラウマに関わる臨床家の使命)、
実践のなかで実感してきたが、研修の場でも、その意味をさらに感じることができるようになった。研修に参加された方々が、共感を示してくれることが、何よりも嬉しいし、未来への希望を感じて力づけられる。いろんな地域、コミュニティで頑張っている方々と出会え、人の優しさ、あたたかさに触れて、私自身が勇気づけられ、癒されている。コミュニティに備わる自然治癒力、共感する力を大切にしていってほしいと願う。

 2010年は、女性ライフサイクル研究所の設立20周年を迎える。研究所の仲間とつながりが、私にとって安全の基盤となり、コミュニティでのつながりへと拡がってきたことに改めて感謝したい。安全でサポーティブなコミュニティが創られること、共感の文化が創られていくことを願いながら、私自身もその一員となってコミュニティ創りに参加していければと思う。来年はまた、どんな新たな発見があるのか、どんな体験ができるのかなと、楽しみにしていたい。 

(2009年12月)

2009.06.01 カウンセリング
「心」と「身体」をつなぐトラウマケア

西 順子


 ひとの「心」に関心をもち、「その人らしさを大切に、人生を歩むお手伝いができれば」と心理的援助に関わるようになり20年、カウンセリングに携わるようになって約10年がたちます。特に、心の傷つき(トラウマ)のケアに取り組んできましたが、近年、「身体」のもつ力に関心をもつようになりました。PTSD、パニック障害、うつ、心身症など、心身の健康の回復を望んで来談される方のニーズに応えられるようにと、効果があるとされる新しい方法を学ぶなかで、「心」と「身体」の結びつきについて再認識するようになったからです。最近、「身体」にはそもそも自然治癒力が備わっているのだ、という思いを強くしています。

 トラウマケアに効果が認められている方法には、認知行動療法、EMDRがありますが、フォーカシングや臨床動作法もトラウマケアに使われています。どの方法も、身体にアプローチする側面を含んでいます。
 今年、自然なアプローチ法を用いてトラウマ症状を解決する、新しいトラウマ療法が我が国にも導入されました。ソマティック・エクスペリエンス(身体経験)メソッドです。開発者である医学生物物理学博士・心理学博士ピーター・リヴァインは、「トラウマの癒しの鍵は、強烈な感情より、身体感覚にある」と言います。
 生命体は、脅威にさらされたときに、戦うか、逃げるか、そのどちらもできないときに、凍りつくか、の反応をします。これは生存のために自動的に起こる自然な反応ですが、「凍りつき」によって、PTSD症状のほか、さまざまな心身の症状、衝動的行動が起こります。リヴァインは、この「凍りつき」反応を解放していく方法を見出しました。「凍りつき」を解放していくことで、トラウマによって切り離された、「感覚・イメージ・情動・行動・意味」がつながるのです。
 この方法は、誰もに自然に備わっている「身体感覚への気づき」を使うということで、とても安全であり、エンパワメントの手法だと感じています。

 カウンセリングでは、来談された方のニーズや希望に応じて、従来の「言葉」による心理療法に加えて、「身体感覚」に働きかけるアプローチも取り入れています。「心」と「身体」とのつながりを取り戻すことで、「ありのままの存在」として自分を大切に感じ、生きることの意味を発見していけるものと、実感しています。関心のある方は、カウンセラーにおたずね下さい。

参考文献:
『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』ピーター・リヴァイン著、藤原千枝子訳、雲母書房
『PTSDとトラウマの心理療法~心身統合のアプローチの理論と実践』バベット・チャイルド著、久保隆司訳、創元社

                           (2009年6月発行ニュースレター特集より)

2008.08.10 トラウマ
非暴力と平和を願う~その2

西 順子

 前回のエッセイで書いたが、今年、研究所で取り組んできたテーマは「世代を超えて受け継ぐもの」。この7月には、IMAGIN21による「地獄のDECEMBER~哀しみの南京」を観劇し、ドラマセラピストのアルマンド・ボルカスさんによるプレイバックシアター「こころとからだで考える歴史のトラウマ」とワークショップ「アジアの若い世代が継承する戦争体験」に参加させていただいた。以前から参加するのを楽しみにしていたが(どんなふうに自分が感じるのかと)、思っていた以上に、心の奥深くに触れる、密度の濃い四日間だった。
 特に最後の二日間のワークショップが終わった時、心の奥深くが満たされたような、これまでにないものを味わっていた。これをどういう言葉で表現したらいいのかと思ったが、一番ぴったりときたのは「癒し」という言葉だった。魂が癒されるというのはこういうことをいうのだろうか。自分に対して、人に対して、人間に対して「優しい」気持ちになれる自分がいることに気づいた。癒し、それを体験できたのも、この四日間で、人間の心の闇に触れることができたからであろうか。

 これまで、研究所主催のグループも含めて、さまざまなグループに参加してきたが、グループで体験を語り合う中で、女性として、かつての子どもとして、「普遍性」を体験することができた。それは、「私だけじゃない、自分一人ではない」という体験である。しかし、今回の催しでは、私個人というより、家族として、普遍性を体験させてもらうことができた。私自身は、祖父母から戦争体験を聞くことはなく、父母からもほとんど聞くことはなかったため、戦争を身近なこととして実感することなくきてしまったが、今回の催しを通して、根っこのところでつながっているのだと感じられ、私の家族の歴史をも、全体の歴史の文脈に位置づけることができた。家族が孤立するのではなく、社会のつながりのなかに位置づけられるのだと思うと、とても安堵するような気持ちになった。
 つながりを感じることができたのには、ドラマという手法を用いて、からだ=五感を通して表現されていたからだと思う。ドイツで、アジアで、日本で、それぞれの家族が戦争による苦悩と悲しみを背負っていることを「人」を通して知ったが、それぞれの体験は違うものの、苦しみ、痛み、悲しみは、底でつながっているということを、ドラマの表現を通して感じさせてもらった。それは感情が伝わる体験だった。また、家族が背負った戦争のトラウマを自ら引き受けて、受け継ごうとしている方々の勇気と希望に向かう気持ちが、心にすっと染み渡り、敬意と尊敬の気持ちを感じさせていただいた。
 四日間での人と出会い、心とからだで感じた戦争体験を伝えて下さった方々に、感謝の気持ちである。

 もうすぐ終戦記念日を迎える。自分なりに過去の歴史と向き合い、家族とも戦争と平和について話し合う機会を持ちたい。自分が体験して感じさせてもらったことを、次世代の子ども達にも伝えていかなければと思う。 

(2008年8月)

2008.07.12 トラウマ
ドラマの力

村本邦子

 「地獄のDecember~哀しみの南京」を観た。期待を裏切らない舞台だった。前半と後半の二部に分かれ、前半では、ナレーターとともに、新聞記者、ミニー・ヴォートリン、渡辺さんと横井さんの「告白」などの声によって、歴史的事実、舞台の背景が与えられる。後半では、被害者と怨霊の声が、ストーリー性を持って私たちに迫り、「もう一度、生まれ変わりがあるのなら・・・幾重にもかけて・・・この罪と罰を、魂にきざみこみ、懺悔の生を生きてゆけたらと思う・・・。罪人の私、その罪をどう償うのか。地獄こそ、我が住家」と渡辺さんがきっぱりと言い放ち、幕が閉じられる。

 渡辺さん、横井さんにとって、繰り返し舞台を演じることは、トラウマの再演なのだと思った。演劇という形で再演することで、現実の再演を避けることができるし、うまく共感を得ることができれば、トラウマのシナリオは変容していくだろう。一緒に観た人たちの多くが、「最後が重すぎる。地獄には住めない・・・」という感想を漏らしたが、渡辺さんが地獄に住まざるを得ないのは、一人で背負うしかないからだ。私たちが、少しずつでも分かち合うことさえできれば、それはもっと軽くなるはずなのだ。ふと、若者たちの自傷や次々起こるおかしな事件は、歴史のトラウマの現実的な再演なのではないだろうかと思った。舞台の上での再演をみなで分かち合うことができれば、現実の再演は避けられるのではないだろうか。

 よくできた舞台だった。「こころとからだで歴史を考える会」の企画だったが、心と体だけでなく頭も使って向き合うことが求められた。そして、さまざまなところにいるさまざまな人々の視点、絶望と希望、さまざまな感情が惜しみなく散りばめられており、ひとつの事象をたくさんの角度から見つめることのできる構成だった。演劇とは、なんてパワフルなツールだろう。

 二日目の企画は、「プレイバックシアター~こころとからだで考える歴史のトラウマ」。アルマンド・ボルカスさんをファシリテーターとするこのプレイバックシアターは、昨年も経験したが、素晴らしい手法だ。提供されたエピソードから、役者たちが、一人の人の心の中にあるさまざまな感情の声を注意深く聴きとって、それぞれに演じてくれる。あたかも、どの感情も無視されず、聴き取られる権利があるのだと言わんばかりに。人殺しとは、もしかしたら、自分の心のなかの声のどれかを殺すことから始まるのかもしれないと思った。自分の心のなかにあるすべての声を救うために、複数の他者が全身全霊で耳を傾け、共感しようと努力してくれること、そして、それをたくさんの人々に証人として見守ってもらうことは、どんなに大きな力になることか。

 折りしも、この二日の昼間の私の仕事は、毎年やっている芸術教育研究所の保育士研修で、ロールプレイを使うセッションをやった。即興でやってもらう寸劇を通して、現場から上がってきたたくさんの疑問に、私が答えるよりずっと説得力のあるだろう答えが見えてくる。同じ答えが提示されても、与えられた答えよりずっとよく身につくことだろう。
 
 三日目、四日目の企画は、「過去を共有し、未来を築くワークショップ~アジアの戦後世代が継承する戦争体験」で、少人数のクローズトグループだった。ここで初めて、見るだけでなく、自分の感情を演じてもらう、自分が相手の感情を演じてみるということを経験した。自分の体験を受け取ってくれた相手が、懸命にそれを表現しようとしてくれる体験は、これまで経験したことのない不思議な感じだった。私はいつでも自分の感情のすべてに責任を持つ努力をし続けてきたが、その責任を手放す感じ。おもしろいことに、手放すことから見えてくるものがある。逆に、相手の感情を聴き取る努力をしたあと、体が演じるままに任せるというのも面白かった。プレイバックで見たときには、どうしてそんなことができるのか不思議だったが、意外とできるかもしれないと思えた経験でもあった。

 これまでも、多少はドラマセラピーを経験している。ひとつの有効な方法だとは思ってきたが、私自身に関しては、とくにドラマの力を借りなくても、自分の気持ちを扱うのに不自由を感じてはこなかった。ただし、この歴史のトラウマ、つまり個のレベルを超えた集合的トラウマを扱うには、ドラマの力がとても役に立つのだと感じた。今さらドラマセラピストにまではなれないが、部分的にちょこちょこ取り入れることはできるかも。そして、自分ももっともっと人の助けを借りていこうと思った。

(2008年7月)

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