1. ホーム
  2. FLCスタッフエッセイ
  3. 子ども/子育て一覧

FLCスタッフエッセイ

2014.12.24 子ども/子育て
大人と子どもをつなぐ絵本の魅力

福田 ちか子

 

 小児科で相談を受けていた時,子どもの育ちについて相談に来られた保護者の方々から,「一緒に絵本を読むように言われたんですけど,それって意味あるんですかねぇ...」と尋ねられることが幾度かあった。親子のコミュニケーションを良くするために絵本がいったいどう役に立つというのか?という心の声が聞こえてくるようなお尋ねであった。

 

 子どもは確かに絵本が好きだ,けれどもいったいどう子育てに活かされるのか?どう役立つのか?という素朴な疑問を抱くことって,実は案外多いのではないだろうか。今回は,そんな疑問に答えてくれるような俵万智さんのエッセイ,『かーかん,はあい』(2012,朝日文庫)を紹介したいと思う。

 

  この本では,章ごとに一冊の絵本が,万智さんと息子の日々のやりとりの様子を交えながら紹介されている。親子のコミュニケーションにおいて,絵本が,何ともいえず良い仕事をしている場面や,大人にとって子育てを助けてくれる心強い味方となる場面が描かれていて,絵本の魅力を再発見できる一冊だ。

  例えば,「お薬飲みなさい。飲まないと良くならないよ!」何回いっても子どもは聞かない。「苦いからやだ!」「なんで飲むの?」大人は大人で,どうしていう事を聞いてくれないのかと焦るし心配だしで,時にはイライラ。「なんで?」と聞かれても,お腹の調子を良くする薬の働きなんて説明のしようもないし,と焦りは募る。

 そういう時に効きそうなのが,"バクテロリストVS.ビオフェル民族"の章。病気になる仕組みや身体の働きが詳しく紹介された絵本(『よーするに医学えほん からだアイらんど おなか編』)を気に入って以来,薬嫌いの息子さんが,ビオフェル民族に応援してもらうんだから,と張り切ってお腹の薬を進んで飲むようになったエピソードが紹介されている。

 また,「今日は幼稚園行きたくないんだ!だって......だってなんだもん!」嫌な気持ちを,子どもは上手く言葉にできない。大人は心配したり,かけることばがみつからなかったり。そんな時には,"今日は「いやいやえん」"の章が役に立つかもしれない。どうしても今日は幼稚園に行きたくないといった息子さんがお休みしたある日のエピソード。気晴らしにと出かけた図書館で,息子さんは,その日の自分の気持ちにぴったりの絵本(『いやいやえん』)を見つけて目を輝かせる。次の日は元気に登園したとあり,万智さんが安心した気持ちも伝わってくる。

 

  日々のあるあるシーンで,子どもの気持ちにぴったりの絵本がみつかると,絵本の世界をとおして,子どもが自分の気持ちを大人に伝えることができる。また,大人が子どもにわかりやすく伝えることもできる。絵本が,まるで大人の言葉と子どもの言葉を通訳してくれるかのようである。絵本によって,子どもと大人の気持ちが通い合う瞬間が生まれることが,この本のたくさんのエピソードに共通している絵本の魅力だ。絵本の力で,子どもと大人が楽しく通じ合える瞬間が,自然と増えていく。子どもの気持ちがわからない,子どもと楽しく過ごせない,そんな時,絵本を味方につけると,心強いサポーターになってくれると思う。

2013.11.30 子ども/子育て
温かい関係性を育む~「具体的にほめる」ことの勧め

                                                                        
                                                                西 順子


 2013年11月10~14日まで、PCIT(親子相互交流療法)を学ぶトレーニングに参加しました(PCIT-Japan主催)。PCITは、子どものこころや行動の問題に対し親子の温かい相互交流を深めることを基盤にして親子に働きかける心理療法です(2013年1月号NLを参照)。 
 PCITの醍醐味は、セラピストから養育者へのライブ・コーチングです。養育者がコーチングを受けながら新しいスキルを学びますが、特に「褒められる」ことで笑顔が増えていき、と同時に親と子のアイコンタクトが増え子どもが活き活きとし、そしてまた子どもの変化に親も勇気づけられ自信をもつようになる・・等、関係性を育む方向に相互交流が起こることが印象的です。今後、必要な方に役立てていただけるようPCITの準備を整えていければと思います。
 
 ここでは、今回学んだPCITの関係性を育むスキルの一つ「具体的にほめる」を紹介しましょう。「嬉しいわ」「ありがとう」「素晴らしいね」・・など人から褒められると誰もが嬉しいものですが、子どもは養育者から具体的に褒められることで「私のことよく見てくれている」という実感が生まれます。子どもは養育者からの「注目」「関心」を必要としているからです。具体的に褒めるとは、「上手にブロックが積めたね、すごいね」「お片付けしてくれて、ありがとう。とっても嬉しいわ」など、子どもの態度や行動に対して前向きな評価を表すことです。具体的に褒めることで、褒められた行動が増えるだけでなく、子どもの自尊心が増し、親子間の肯定的な感情が増して関係の絆が強ります。「私のこと見てくれている!」という温かい眼差しが支えとなり、子どもは自分の内的世界を拡げ(子どもにとっては遊びの世界です)、現実生活のルールも学んでいくでしょう。
 「~してくれて、ありがとう」のワンフレーズであっても、温かい褒め言葉は褒める方も褒められる方も双方に心地よいものです。自然に双方の笑顔、アイコンタクトも増えるでしょう。
 
 子育てを支援する支援者、援助者もまた養育者に対して肯定的な関心をもって、「~を頑張っているね」「よく~しているね」など具体的に褒め言葉を伝えていきたいものです。親子の相互交流が増え、温かい関係性が育つのを応援していければと思います。

                           (2013年11月 ニュースレター:特集より)

2013.07.10 子ども/子育て
思春期の山を乗り越える

西 順子

 思春期は疾風怒濤の時代と言われる。疾風怒濤はドイツ語「シュトルム・ウント・ドランク」の和訳で「嵐と衝動」を意味するが、思春期は嵐のように感情や衝動が吹き荒れる。話しかけてもブスっとするし何を考えているかわからない、ツンケンして扱いにくい、最近やたらと反抗的・・など、思春期になった子どもの姿に、親や教師、周囲の大人は「子どもが変わってしまった」「どう関わっていいかわからない」と頭を抱えてしまうこともあるだろう。でも、思春期の子どもたちのエネルギーは生きるエネルギー。思春期に「自分とは何か」を確立していく過程で、生体に備わったエネルギーが自然に発現していくことは、すごいことだと思う。

 ただ、「思春期の危機」「思春期の心の闇」と言われるように、子ども自身も苦しみ、葛藤し、悩む時期。この時期、葛藤するさまざまな感情を理解し、どの感情をも否定することなく受けとめられるよう、声なき声に耳を傾けることが必要である。葛藤を回避すれば、感情は消化されないまま抑圧され、あるいは解離され、心の奥に閉じ込められてしまうだろう。そうなると、本当の声はますます聞こえなくなってしまう。

 危機は「機会」でもある。思春期から青年期は、子どもから大人へと脱皮して「自分らしい」アイデンティティーをつくっていく重要な時期。この大切な時期を、コミュニティにいる周囲の大人たちが互いにつながり、見守りあい、子どもたちと向き合い、子どもたちの成長を支えていくことができればと願っている。

 ・・と、日頃感じていることを書いてみた。不登校や摂食障害など思春期の子どものことに関心を持って、早25年が過ぎた。いじめ、性暴力被害、DVの目撃など、トラウマを受けた子どもとも出会うが、時代が変わって子どもたちの遊びや好きな趣味は変わっても、子どもが持っている力、レジリエンス(生き抜く力)が素晴らしいな・・と思うことには変わりはない。誰にも生き抜く力、エネルギーが備わっている。

 私自身も思春期の頃を振り返ると、自分らしさを模索して夢を見たり、親との間で自立と依存の葛藤にもがきながらも、自分の未来を切り開きたいなと七転八倒していたことが懐かしく思い出される。その頃の自分が愛おしい。

 娘もまた疾風怒濤の時代を経て、ようやく落ち着いてきたかな・・という今日この頃だが、今思えば、その時期があったからこそ、親として子どもから学び、気づかされ、成長することができた・・と子どもに感謝している。

 思春期の子どもたちに、子どもを支える周囲の大人にもエールを送りながら、子どもが思春期の山を乗り越えて、自分らしい道を発見していけるよう、これからも応援していきたい。

 

(2013年7月)

2013.01.16 子ども/子育て
子どもの行動に困ったとき~親子の相互関係を育もう

                                                                          
                                        西 順子

  癇癪をおこす、ぐずる、すねる、汚い言葉を発する・・など、子どもが親のいうことをきかないとき、親も困ってしまうものです。子どもの問題行動をやめさせようと注意して、かえってひどくなり、エスカレートしてしまうこともあります。

 子どもの問題行動が気になるとき、子どもの望ましい行動を増やし、してほしくない行動を減らすための具体的方法を学ぶことが役に立ちます。その方法には、ペアレント・トレーニングがありますが、ここでは親子相互交流療法(以下、PCIT)を紹介することで、ヒントを提供できればと思います。

  PCITは、1970年代前半にシーラ・アイバーグ博士らによって開発されたプログラムで、当初は行動障害のある2~7歳までの子どもとその養育者を対象としていましたが、現在では問題行動や抑うつ症状などさまざまな症状がみられる2~12歳の子どもに適用されています。虐待を受けた子ども、里親養育措置などでも効果が認められています。PCITは、室内で、親が子どもに直接遊戯療法を行い、セラピストは別室から親にスキルをライブでコーチするユニークな心理療法です。

 基礎となる理論は、愛着理論と行動理論で、プログラムには〈第1段階〉親が子どもへの波長合わせを学ぶこと、〈第2段階〉親として権威をもって子どもの行動に限界を与えること、の二つの柱があります。第1の段階では、親子の相互関係を深めることを目標に、養育者が子どもの肯定的な行動に注目し、「5つのやるべきこと」を学びます。5つとは、①ほめる②反復する③まねる④描写する⑤熱中する、です。また、子どもとの関係を強化するために、①命令する②質問する③批判する、の3つの行動は避けます。否定的な行動を起こしたときは無視し、暴力を起こしたり物を壊したりするときは介入します。

 第1段階が習得できると第2段階に進みます。第2段階では、養育者が適切に指示を出せるようになることが目標です。指示を出すときの三原則は、①一貫していること、②予測できること、③終わりまで続けること、です。効果的な指示の方法には、①直接的、②肯定的、③一度に一つ、④具体的に、⑤年齢に即して、⑥丁寧に・・などがあります。

PCITでは、親子の相互関係を育むために、親が温かいサポートを受けながら具体的な方法を習得し自信がもてるようになると言います。

 カウンセリングでは、子どもの困った行動のほか、子どもの心身の症状も含めて、気がかりなことについてのご相談をお受けしています。親と子どもとの相互関係づくりのお手伝いができればと願っています。お気軽にご相談ください。

※参考文献:Kristina Konnath「Parent-Child Interaction Thrrapy-Adaptation」

                            (2013年1月号 ニュースレター特集より)

2010.03.10 子ども/子育て
巣立ちの春

西 順子

 この春、社会人になる20歳の娘が家を出ることになった。この一カ月は、娘の一人暮らしの準備を手伝いながら、物理的にも忙しかったが心も落ち着かないでいた。娘の一人暮らしを自分のことのように感じてしまっているのか、なんだかそわそわ気にかかる。頭では、娘が家を出て一人暮らしするのは喜ばしいこと、親としてはどっしりと構えて、子どもに任せ、陰でそっと自立を応援してあげたいと思うのだが、冷静になれずにあれこれ心配してしまう。でも、それが思いのほか、強い感情で自分の心がこんなに揺れるなんて・・と、自分でもびっくりした。その落ち着かなさ、じっとしていられないような衝動って何だろう・・、自分の心に聴いてみた。すると、現在と重なる過去の出来事が思い出されてきた。

 思い出されてきたのは、親からの自立と依存の間で葛藤していた自分だった。高校を卒業したら家を出たいと切望し、実際大学入学と同時に家を出ることが叶った。大学進学は何を勉強するかよりまずは家を出ることが目的だったくらいだ。新しい世界での体験はいいことばかりではないけれど、自分について気づかせくれ、私をとても成長させてくれた。

 でも、大学卒業のときに実家にまた戻ることになった。一人でやってみたい気持ちと不安な気持ちとの間で揺れながら、残念だけど一人でやれる自信をもてなかった。大学時代は学校があり、友達がいて、自分を守ってくれるものがあったが、社会という大海原に1人で出ていくことに不安を感じていた。結局、親からようやく自立できたのは結婚のときだった。

 娘の一人暮らしの準備を手伝いながら、その当時のことが走馬灯のように思い出され、思わず涙が出てきた。そして、今現在の私と過去の私が対話した。「私は今、自分がしてほしかったことを娘にしてあげているのかな・・」「でも、当時の私は親に何かしてほしいなんて全く思ってもいなかったよ。ただ、自立したくてもできない不甲斐なさ、情けなさ、なにか無力感のようなものを感じてはいたかな」「だからかな。娘には、いいスタートをきってほしい、そんな気持ちが強いよね」・・といった具合に。

 娘への感情には、私の叶わなかった思いを重ねているのかと気づくと、「誰かに自立を応援してほしかったのかな」と、無意識にあったニーズに気づくことができた。誰かが応援してくれているという安心感があれば、一歩踏み出せたのかもしれない。

 そんな私もようやく自立を実感できるようになった。それは自由と責任の感覚であり、今はたくさんの応援もある。未解決だった過去の私の気持ちを思い出して消化しながら、「娘は私とは違うのだから」と娘との間には一線を引いて、陰ながら娘の自立を応援していたいと思った。

 するとなんと今度は、親としての感情、娘との別れへの寂しさがあふれてきた。娘を引きもどしたいような気持になった。生まれたときの赤ちゃんの頃の姿から、思い出が走馬灯のように出てきて、いつまでもいてほしいような気持ちになった。産休明けに子どもを預けたときの、別れの切ない気持ちも重なって出てきた。あのときの切なさと重ねているのかなと気づくと、今の気持ちが落ち着いた。

 いろんな気持ちに大いに揺れた一カ月。あとで振り返れば、笑い話になるようにも思える。私の感情は自分で整理してちゃんと引き受けながら、娘の門出を祝ってあげたい。フレーフレー社会人一年生、陰ながら応援しているよ!

(2010年3月)

2009.01.12 子ども/子育て
子どもたちの巣立ちを迎えて

村本邦子

 今年、息子が成人式を迎える。そして、この春、娘が家を出て、いよいよ夫婦2人の生活となる。あっと言う間の子育てだった。こんな親だったが、本当に良い子たちに育ってくれ、日々、感謝である。

 振り返れば、巣立ちを予感させられる出来事は、ずいぶん前からあった。親が思い込んでいる子どもの顔と違う顔を知ったとき。親をうならせるような鋭い批判をされたとき。家よりも、外の世界に関心が向いて、出て行ってしまうようになったとき。親には想像も及ばない才能やすぐれた性質に気づかされたとき・・・。そのたびに、子どもの姿をしげしげと見直し、敬意をもって見上げ、もはや親が不要になりつつあることに寂しさと安堵、そして誇らしさを感じてきた。

 年末、子育ての総まとめのような形で、『プレ思春期をうまく乗り切る!大人びてきたわが子に戸惑ったとき読む本』をPHPから出版した。ちょうど、お盆休みの頃に、急ピッチで書き上げたものだが、そこに書いた子どもたちの状況にも、大きな変化が生じた。娘の突然の進路変更と、息子が長くつきあってきた彼女との別れである。さまざまな経験をし、いろんなことを味わって、さらにグッと大人になる仕上げをしたような格好である。

 そして、年末、息子はCDデビューを果たし、娘はイベントへの初出場を果たした。2人ともラッパーである。私には馴染みのない世界だが、好きなことに一生懸命、打ち込んでいる子どもたちを応援したくて、早速、息子のCDを買い(どころか、周囲に売って回っている)、娘のイベントに行ってきた(こちらも若い人を誘って)。

 息子のCDを最初に聴いたときは、ちょっとショッキングだった。娘と違って、息子の方は、これまで一度も自分の曲を聴かせてくれなかった。その理由がよくわかった。要するに、すっかり大人の男の世界なのである。そんな顔を母親に見せることを遠慮してきたのだろうか。これまでの私には、どんなに体が大きくなっても、かわいいかわいい小さな子どもだった頃の息子の姿が重なって見えていた。ちょうど、マトリューシカ人形のように、幼かった頃の息子から、小学時代の息子、中学時代の息子・・・と入れ子のように重なっているように思えていたのだ。今回、かわいかった小さな男の子が、「ママ、バイバイ!」と笑いながら手を振って、透明になって天に消えて行ってしまったような気がした。軽い喪失体験だった。

 娘のイベントの方は、「クラブ」というところが生まれて初めてだったので、とにかく若いパワーに圧倒されっぱなしの体験だった。こんな中で、独りで歌おうというチャレンジ精神にまずは脱帽である。初々しく恰好よく、ソロを2曲歌い、最後の曲は、音楽仲間と兄が友情出演した。息子だけ大人で、さすがに迫力あったが、仲間である高校生の男の子たちも何とも素敵な子たちだった。良い仲間に恵まれ、幸せなことだと思う。素晴らしい人間関係を拡げていく力も、この子たちの力だろう。若者たちが愛おしくてたまらなくなった。みんな幸せになって欲しい。

 「いつでも潔く死ねる」と思っていた若い頃から、子どもが出来て、何があっても死ねないと思った。変な話だが、一人で飛行機に乗る時など、万が一、飛行機が落ちて死んだとしても、幽霊になってでも生き続けるぞと思ったものだ。最近、まったくそんなことを考えなくなった。親がいなくなっても、この子たちは、もう立派に生きていけるだろう。願わくば、長生きをして、大人になった子どもたちと共に過ごす機会をいつまでも楽しみたいものだけど。

(2009年1月)

2008.02.12 子ども/子育て
受験生とのつきあい方

村本邦子

 二年続けて受験生をやってる息子。「受験生がいると気を遣うでしょ~」と人から労われるが、ぜんぜん気を遣っていない私。

 その息子も、去年の今頃は、「なんかめまいがする」「心臓がドキドキする」などと身体症状を訴えたり、なんだかイライラピリピリしていたが、今年は、それほどのこともなく、「やっぱり大人になってきたな~」と内心、感心していた。

 ところが、本番の受験が始まる前夜。家に帰ると、息子が、「晩御飯食べたら、みんなで温泉行こうや」と言う。びっくり仰天した私が思わず、「みんなで温泉なんか行ってる場合なん!?一分一秒惜しんで勉強した方がいいんと違う!?」と茶化して言ってしまったところ、息子が怒り出した。「どっちみち風呂に入るんやから、一緒のことやろ。それとも、風呂にも入らんと勉強せえって言うん!?」

 なっ、何なんや、これ・・・(個人的には、温泉行きたいんだけど・・・)。受験生のストレスか!? 内心、驚きながら(息子がこんなふうにわけわからない怒り方をするのは、思春期だった中学生の一時期を除くとめったにない)、「この子は、いったい何を考えてるんだ!?」と、こっちも腹が立ってくる。余裕のある子ならともかく、志望校にギリギリ届くか届かないかというところなのに・・・(四月からずっとよく頑張ってきたが、なにしろ生まれて初めてやる勉強だから要領を得ないのか、ずっと成果が上がらなかった。それが、年末あたりから急に成果が見えてきたので、本番に間に合うかどうかといったところ)。しかし、互いに怒りをエスカレートさせても良いことはないし・・・と大人の方がググッとこらえ、黙っておく。が、息子の方は、まだ畳み掛けてくる。八つ当たりやろ!?

 「お母さん、そうやって上から目線でものを言うのやめてくれる?」「えっ、上から目線でなんか言ってへんし・・・」「言ってる。まるで、あんた馬鹿じゃない!?って言われてみたいや」。心の中に思い当たるフシなく、そんなことはない・・・とは思うが、このシチュエーションにいる息子にはそう聞こえるのかしらと思うと、ちょっとかわいそうになる。納得できない部分は残るが、「そんなつもりはないけど、そう聞こえたら、ごめんなさい」とひとまず謝っておく。

 それでも、「いったいこの子は何を考えているんだろうか。私には理解できない」と考え続けるが、ふと、試験前日で不安と緊張が高く、家族と一緒に和気藹々と温泉にでも行って、あったかい気持ちに包まれて本番を迎えたいということだったんだろうかと思いつく。たぶんそうだったんだろう。そう考えると、急に、かわいく、そして、かわいそうな気持ちになる。やっぱり悪いこと言ったかな。

 「今、ご飯、食べる気分じゃない」と言うので、夫と二人、無言で食べ始めるが(夫の作ってくれたちゃんこ鍋)、そのうち娘が帰ってきた。「一緒にご飯、食べ」と言うと、息子も気を取り戻そうと努力してか、娘と食べ始める。場を察した娘が息子の笑いを取れる話題を提供し、夫と三人、仲良く笑いを取り戻す。輪からはずれていた私が、頃合いを見計らって、「じゃあ、そろそろ温泉行こうか~」と誘うと、息子も大人らしく意地を張ることもなく、素直に「うん」と言う。こうして、受験前夜、一家で温泉へ行った。

 温泉効果がどんなふうに現れるのかよくわからないが、まっ、気分悪くて実力発揮できなかったと後々まで言われるよりは、気分よく試験を受けてもらう方が良いことは間違いない。基本的に、受験は自分のために自分でやることなんだから、受験生がいるからって、家族全員が腫れものに触るような扱いをするのには反対だが、それでも、やっぱり、ストレスフルな受験生のこと、ちょっとは気遣ってやらなきゃな・・・と反省した。さじ加減が難しい。さて、来年は、娘が受験生だ。

(2008年2月)

2007.11.10 子ども/子育て
私の原点~「つながり」の体験

西 順子

 先日、助産師さんたちの研修があった。ご縁があってその1つのコマで周産期のケアについて話をさせていただいたが、その準備の過程で関連図書を読みながら、自分自身の体験を振り返ることとなった。

・・一人目のお産は、里帰り出産で、私が生まれた病院でだった。その時のお産は、あとで振り返ると「孤独」だった。出産後、すぐに母子分離され、赤ちゃんを抱かせてもらえたのは、次の日の夕方頃だったろうか。出産後、一寝入りした後、赤ちゃんと離れている切なさに、新生児室まで這うようにして、赤ちゃんに会いに行ったことは、今もその切なさの身体感覚として思い出す。
 その後、村本が女性ライフサイクル研究所を設立したと聞き、仕事が休みの日にはグループに参加するようになった。そこでは、女性学や女性心理学の本を読みながら、妊娠・お産など、女性の体験について語り合った。自宅出産の体験、助産院での出産体験、病院での体験など、さまざまな女性の体験を聴くなかで、いろんなお産があること、女性が置かれている状況、人それぞれの女性の生き方や選択があることを知った。そんななかで、二人目は納得のいくお産がしたいと、助産院を選んだ。

 一方、赤ちゃんとの生活にも慣れ始め、いい時間を過ごせるようになったというのも束の間。当時勤めていたクリニックには育休がないため産後8週明けで職場に復帰した。それについてはいろいろ悩んだが、自分も生き生きと生きること(仕事を続けること)は、子どもも生き生きと生きることにつながるはず、と決意したのだが、実際には、子育てと仕事との間で葛藤する日々だった。そんな思いもグループのなかで語った。また、女性の体験にも耳を傾けた。そんななかで、「自分だけじゃないんや」という発見と体験があった。仕事をしている、していないに関わらず、女性が「こういうお母さんであるべき」という周りからのプレッシャーや期待を受けて苦しんでいることを知った。「自分だけじゃない」、それだったら、私は私らしく、私らしいお母さんであったらいいんだと思えた。
 当時読書会で読んでいた『女はみんな女神』の本にも発見がいっぱいあり、女性が人生を主体的に生きるということはどういうことかについて多くのことを学んだ。特に「その真の代償は、それを得るために諦めるものであり、とらなかった道である」という言葉が胸を打った。諦めた道、喪失を受け入れることで、自分の選んだ道がよりはっきりと照らし出されるということも経験した。

 女性たちと語り合い、つながる体験(個人を超えて普遍的なものとつながる体験)のなかで、自分の人生を振り返り、自分自身の過去も現在も受け入れ、これから先の人生を見通せたこと、それが今の私の原点となっている。それが、スタッフや家族、周囲の人とのつながり、そして、今の仕事へとつながってきている。私が女性たちから感じさせてもらったこの体験~自分を肯定し、力を感じ、普遍的なものとつながる体験を、他の女性達にもつなげていくことができればと思う。私が女性たちに助けられ、支えられ、力づけられてきたように、女性が自分の人生の主人公として生きていくことのお手伝いができればと思っている。

 助産師さんの研修では、自分の体験も話した。その後、感想やご意見、助産師さん達の体験もお聞きしたが、立場は違うものの、助産師さん達と「つながり」を感じれたことも嬉しかった。また、助産師さん達の女性と子どもをサポートする思いにも力づけられた。講師の経験を通して、暖かいつながりを感じさせて頂いたことにも感謝したい。

(2007年11月)

2006.09.12 子ども/子育て
子どもの時間

村本邦子

 この夏、バリの小さな村で、一週間ほどホームステイをした。まだ大家族制が残っているので、近隣に住む家族(拡大親族)が、毎日のように集まってくる。お母さんやお父さんもやってくるが、一番、多いのは子どもたち。0歳から20代まで、女の子も男の子も(でも、中高生くらいの子どもたちと会わなかったな。思春期の子たちは、やはり、いったん、家族から距離を取って、仲間たちと徒党を組んでいるのだろうか?)。5~6歳の子が赤ん坊を抱き、大きい子が小さい子の面倒を見ながら、日が暮れるまで、庭で戯れる。その合間に、気が向けば、大人たちの中に入っていっては、毎日、欠かせないお供え物作り、野菜の皮むきなど食事の下ごしらえ、アイロンがけなどを手伝う。

 一週間の間、大人が子どもを大声で叱っているような場面を一度も見なかったし、ごく稀に、小さい子どもの泣き声は聞いたが、基本的に、子どもたちは皆、機嫌が良く、ニコニコしている。私の眼には、まだまだ子どものように見える20代前後の若いお母さんたちも、子どもに向けるまなざしは、暖かく、いかにも親らしい。日本の子育てといったい何が違うのだろうかと、あれこれ考えてみたが、自然な生活の流れのなかに、子どもたちがいる。ゆったりとした子どもたちのペースで生活が流れ、それに添って、日常が回っているから、子どもたちに無理をさせる必要がないのだ。大人が子どもを対象化して、あれをさせ、これをさせといった操作的意図が見られず、むしろ、子どもの主体が尊重されている。いつもが子どもの時間だ。

 私自身、田舎に育ったので、自分の子ども時代が重なって見え、ひとしきり思い出に浸った。正確に言えば、札幌、奈良、大阪と引っ越して、ちょうど7歳になる時から、鹿児島の父の実家に住むようになったのだが、幼稚園に入るまで住んでいた奈良(尼ヶ辻)も、当時は相当、田舎だった。見わたす限り田んぼ。甘く懐かしい郷愁とともに、池の上を滑るアメンボが眼に浮かぶ。私が一番小さかったけど、近所の子どもたちの後をついて回って、あれこれ世話を焼いてもらったし、ちょうど妹が生まれる頃だったが、同じ敷地にある大家さんの息子さんや娘さんたち(当時は大人に思えたけど、たぶん、中高生くらいだったろう)が可愛がってくれた。納屋に素敵なブランコを作ってくれたっけ。大阪(守口)はすでに生水を飲めない都会だったけど、それでも、近所の神社でよく遊んだな。知らない子たちとも遊んでいたと思う。

 そして、父の運転する小さな車になけなしの家財道具、両親に三人の子どもと犬一匹で、出来たばかりの関門トンネルを通って、鹿児島の家に着いた時の驚きと感動。青い空と白い雲、緑の田んぼと山に囲まれ、なぜだか自分が世界の中心にいると感じて、大はしゃぎした。家も築百年のボロ屋ではあったけれど、大きくて、ちょうど、となりのトトロみたい。まだ五右衛門風呂だったし、床下にもぐって探検すれば、先祖の宝でも見つかるんじゃないか・・・なんて感じだった。庭の草陰に石神さんを見つけたっけ。

 私も少し大きくなり、妹や、生まれたばかりの弟をおぶって遊びに行ったり、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちに構ってもらったり。竹藪の基地作りに没頭し、裏山に探検に行ったり、薪拾いや畑の手伝いも遊びの延長だった。お月見なんて行事があった。男の子たちが、各家庭を回って藁を集め、大きな長い縄をなって綱引き。それをくるくる丸め、土俵を作って、相撲大会。この日だけは、子どもたちだけで夜遅くまで外で遊ぶことが許され、肝試しやクイズ大会もやったな。

 バリでも、取れたての落花生を煎って出してくれたが、うちでも、庭で作った落花生を煎って食べたし、ちょうど、お祭りで、鶏を絞めて丸焼きにしていたのだけど、そんなこともしていた(怖かったから、近所の子たちとキャーキャー言うだけで、一度も見なかったけど)。結構、何でも家で作っていたな。野菜もお茶も。椿の実を拾って油にして、髪に使っていたものだけど、今から思えば、立派な椿油だった(今は、高い値段で購入して、アロマのキャリアに使っている。椿油は、髪や日焼けに良い)。

 自然と調和しながら、時間に追われず、子どものペースで生活が流れること、遊びと仕事の境目が曖昧で、すべては生活の一部であること。子どもが育つことだってそう。子育ては大層な事業なんかではなく、ただただ、ふつうに人が生活しながら大きくなっていくことに他ならなかった。何もかもが、現代日本のあり方と違ってしまっているな~。昔が良かったばかり言っていてもしょうがないのだけど、生活の流れをもう少しゆったりできないものか。いつもを子どもの時間にして。

(2006年9月)

2006.03.12 子ども/子育て
巣立ちの予感・・・

村本邦子

 今年は娘の高校受験だった。無理せずとも、とずっとのんびり構えていたが、11月末に説明会に行った学校がとても気に入って(生徒たちがそれぞれ生き生きしてて、オーラが出ていると)、娘が、いきなり頑張りだした。年末の懇談では、「偏差値10点足りないから無理」と言われたが、とにかく挑戦すると頑張り、見事、合格。我が子ながら、なかなかの根性だ。途中、たまたまテレビに出ていた「挑戦してダメなら納得するが、挑戦せずに諦めたら後悔だけが残る」という言葉に、「ほんまにそうや」と、自分に言い聞かせるように頷いていたことが印象に残っている。本当のところ、とっても不安だったのだろう。

 合格発表の日、娘はワンワン泣きながら、出張先に電話をかけてきた。そして、「今日は、うちの人生で一番いい日」と。自分で決めて、自分で努力して、自分で手に入れた喜び。「ああ、大人への第一歩だ」、親として、頼もしく誇らしく思う一方、自分の心のなかに一抹の寂しさがあることに気づく。これまで、親として、いろんなことをしてやってきたつもりだし、一緒にたくさんの素晴らしい時間を共にしてきたつもりもある。それでも、「人生で一番いい日」は、やっぱり自分の力で獲得したものなのだ。こうやって、子どもたちは、だんだん、親を必要としなくなっていく。

 子どもは未来に眼を向けて生きていくべきだという私のポリシーから言えば、これは喜ばしいことなのだ。先日も、ミュージカルに娘を誘ったら、「うち、忙しい。お父さんと行ったら?」と断られてしまった。「それもそうだな」と思って、夫を誘うことにしたが、私も、そろそろ子離れの準備をしていかなければ。思えば、娘はダイビングのバディだったので、絆は深い(バディは互いの命を預け合うので、必然的に絆が強くなる)。ピアノの連弾も、息子とともに、十年以上、一緒にやってきた。私に頼っていた小さかった子どもたち。年月とともに成長して、だんだん、関係が逆転しつつある。親子というより、良い仲間になりつつあるかも。

 息子とも一緒に暮らすのは、あと1年だ(うちは、高校卒業したら、3匹の子ブタのように、家を出すことにしている)。「ちょっとは料理も覚えな」と台所に立つようにもなった(小さい頃はよく料理もしてくれたが、思春期になって、めっきり台所に立たなくなっていた)。娘も来年は短期留学で家を空ける。その間は夫婦2人きりだ。あと、子どもにしてやれることは、とにかく経済的なバックアップと、本当にいざと言う時の精神的応援だけだろう。最後に、もうひとつ嬉しい娘の言葉。「うち、ほんま、たくさんの人たちに支えられて頑張れたわ~」「ほんまやな。みんなに感謝して、ちゃんと生きな」「うん!」。人生に感謝しながら、しっかりと自分の人生を歩んで行って欲しい。そして、親は、子どもに心配をかけないように。

(2006年3月)

<前のページへ 1 2 3

© FLC,. All Rights Reserved.