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FLCスタッフエッセイ

2006.12.10 トラウマ
今年のキーワード~トラウマ心理療法、アート、選択

西 順子

 今年もあと少しで終わろうとしている。12月はこの一年を振り返り、次の一年をどう過ごそうかと、来年に向けての心の構えを調整するような時期だ。

 今年はどんな年だったかなと振り返ったとき、キーワードとなる言葉が三つ思い浮かんだ。「トラウマ心理療法」「アートによる癒し」「選択」。それぞれについて振り返ってみたい。

トラウマ心理療法
今年も、新しい知識を学び、カウンセリングの援助技術を高めたいと、いろんな研修に参加した。なかでも今年は、トラウマ心理療法について学ぶ機会に恵まれた。特に印象深かったのは、日本EMDR学会ワークショップ「EMDRによる解離性傷害・複雑性PTSDの治療」(キャロル・フォーガッシュ氏)、日本臨床催眠学会研修「自我状態療法」(ワトキンス氏)、服部雄一氏による研修「ひきこもり治療」である。いずれも解離や自我状態について学ぶ研修であり、私が学びたいと思っていたことが得られた貴重な機会であった。ただ残念ながら、実際に今どれだけ自分に消化吸収できているかというと、ほんの一部分でしかない。トラウマを受けた方に、よりよい援助が提供できるよう、来年も引き続き、こうした研修に参加して学びを深めたい(早速、2007年4月にフォーガッシュ氏が再来日し、研修が開かれると聞いた。やったぁ! 再び学べることに感謝)。

アート
今年は、何年かぶりに、トラウマ・アートセラピー・グループを実施することができた。このグループは、村本が米国のユニオン・インスティテュート博士課程に在学中、渡米した折に仕入れてきたくれたアートセラピーの本『MANAGING TRAUMATIC STRESS THROUGH ART』を元にして、組み立てたグループである。トラウマからの回復と癒しのために「想像力」は大きな力になるとして、さまざまなプログラムが用意されている。
スタッフと共に私自身もこのプログラムをやってみたことがあるが、とてもおもしろかったし、楽しかった。私自身、いろんな発見があったし、エンパワーされた。だから、このプログラムはお薦め!と、他の皆さんにもぜひ体験してもらえたらいいなと思ってきた。グループではファシリティーターをつとめているが、自分の作品ではなくても、アートに触れることで、心に何かが響き、心が潤うような気持ちになる。
また、今年の秋には、私の好きな伊藤尚美さんの展覧会が大阪で開かれたので、足を運んだ。せっかくの機会だったので、思い切って一つ作品を購入した。「線」で描かれた「つぼみ」の絵。つぼみが膨らんで、咲こうしている絵。カウンセリングの部屋に置いているが、絵を見ることで、何かが心に響いてくる。筆のタッチを見ていると、「生きている」っていう感じがするから不思議だ。
2002年に研究所が今の場所に移転したとき、部屋に飾るために心惹かれる絵を購入したが、それはChieさんという方のものだった。今年、Chieさんはアートセラピー活動をしていると知った。Chieさんは「絵画を観ることは、絵を観るのではなく、絵の先にある自分自身の心と対話すること」と言う。なるほど・・。アートが感情や感覚に働きかける力、癒しの力ってすごいな、不思議だなと思う。自分では意識できないもの、無意識に働きかけてくれるものなのかもしれない。
年末は、一年の締めくくりに、葉加瀬太郎のコンサートに行く予定。昨年はじめて行って、とてもよかったので、今年も行くことにした。絵も音楽も、アートは心を力づけてくれるし、癒してくれる。疲れたとき、弱っているとき、アートは心に潤いをもたらしてくれる。

選択
 この2年間、研究所から外に出て、新たな分野にも活動を拡げてきた。でも、今年は仕事が増えて、仕事の量や質を調整していかないと、このままではヤバイとちょっとした危機感を感じた。ついつい何でもやってみたくなるが、仕事を選んで調整していかないと体がもたない。自分の仕事について振り返ってみたとき、やはり一番好きだなと思ったのは、カウンセリング。自分の好きなことが一番自分にあっているんだろうと思う。来年は仕事を調整して、研究所でのカウンセリングの仕事をベースに少しでもいい仕事ができればと思う。研究所を訪ねてくださった方々に、少しでもいい援助が提供できるよう、臨床家としても人間としても、成長していけたらいいなと思う。

 ・・・先日、久しぶりに高校生の娘といろいろとお喋りした。学校、クラブ、友達のこと・・など、娘の話を聞いていて、「いいなぁ~。青春やなぁ~」と思わず口に出た。娘は「えっ? 自分もやん」と。「はぁ、どういうこと?」と聞くと、「自分も好きなこといっぱいしてるやん」と。そっか、そういえば、私も好きなこといっぱいしているな。仕事もそうだし、研修に参加するのもそう。音楽聴いたり、絵を見に行ったり、エアロビクス・・と、そうや自分も好きなことしてる。好きなことばっかり? これって青春してるってことか?

 今年の私のキーワードについて書いてみたが、三つまとめると、「好きなこと」に集約できると気づいた。今も青春させてもらっていることに感謝して、またこれから一年、とにかく元気に過ごしたい。

(2006年12月)

2004.08.10 トラウマ
「戦争とトラウマ」を考えて

西 順子

 今年の年報では、「戦争とトラウマ」をテーマとして取り上げることとなった。私は「戦争体験の語り継ぎと次世代」について考えてみたいと、語り継ぎについてのインタビューを行った。6月には、広島を訪問し、平和記念資料館も見学したが、自分が知らなかった原爆の真実を知り、衝撃を受けた。その体験については年報に書いているが、もっと歴史から学ばなければと、今年の夏は戦争に関わるドキュメンタリー番組などを見ている。今回は、その中から印象に残ったことを書いてみたい。
 8月1日、『NHKアーカイブス・ヒロシマの記憶「これがヒロシマだ~原爆の絵アメリカをいく」1982年(昭和57年)』をみた。被爆により全身に大火傷を負った松原美代子さんは、「原爆の絵」を携えて、アメリカ人に原爆の絵を見てもらい、国連に軍縮を訴えるために渡米し、各地を訪問している。原爆の絵は、松原さん自身が書いた絵も含めて広島市民が書いた絵であるが、それは、人間が住む世界とは思えない光景の絵である。「体験を語るのは辛いし、私の話を聞くことは皆さんにとってもきっと辛いことだと思います。でも、過去を振り返ればよりよい未来を築け、同じ過ちを繰り返さないですみます」とゆっくりと英語で、声を絞り出すようにスピーチする松原さんの姿は印象的だった。松原さんはご自身のことを「ヒロシマ・サバイバー」と呼んだが、サバイバーとしての叫びと願いが伝わってきた。
 訪問先での、ハイスクールの学生も印象的だった。「アメリカ人がそんなことをしたの、悲しいわ」という女学生。他人事ではなく、自分の国がしたこと率直に受けとめた。「アメリカ人を憎んでないの?」という質問に「昔は憎んでました。○○さんに出会って(一緒に各地を訪問してくれている方)、アメリカ人でもこういう人がいると思ってからは、アメリカ人ではなく戦争を憎むようになりました」と答えた松原さん。一方で、地域によっては、出演したラジオ番組には抗議と非難の電話が鳴り止まなかった。「日本はアメリカの傘の下に入って、守ってもらっているくせに」「戦後日本は平和が続いてるじゃないか」・・など。それでも、「絵を見てもらえればわかってもらえずはず」と決して希望を失わない松原さんが印象的だった。現在は、70歳を超えたというが、「私に残された時間はあと少ない」と今も年に二回は海外を訪問し、平和を訴えているという。
 8月8日は、読売テレビ『ドキュメント'04「逃亡者の遺言」』をみた。渡辺さんは現在90歳、大阪に住まうが、戦争当時は沖縄の陸軍兵士だった。「もういっぺん久米島にいってね。あんなことあった、こんなことあったということを、辛い思い出、思い出したくないような思い出ですけど、一辺行って、本当に申し訳ありませんでしたということを言いたいんです」と、真実と向き合うために渡辺さんは久米島に向かった。
 沖縄戦末期、米軍が迫ってきており、このままでは殺されると思った渡辺さんは、突撃の数日前に、7人で海に逃亡した。当時は「この地獄から抜け出したい、きれいな海で死にたい」と思ったが、「逃亡した負い目が今でもある。今でも死んだ兵隊に申し訳ないと思っている」という。漂流してたどり着いたのが久米島。久米島では、住民が渡辺さんを温かく迎えてくれ、ない食料を分け、病気の手当てをしてくれた。でも、そこで渡辺さんが見たのは、海軍通信隊の住民虐殺だった。通信隊の疑心暗鬼から、スパイ容疑とみなされたものは即刻処刑されたが、それは4家族20人という。渡辺さんは、同じ時期、同じ島にいながら、通信隊の行動を止めれなかったことに後悔が残ると話す。犠牲者の遺族を尋ねた渡辺さんは、「本当に申し訳ありません。日本の兵隊の1人として、心からお詫び申し上げます」と謝罪された。また、島の高校では、当時のことを語り、若者に向かって「私の遺言として、戦争とはどういうことか、国家とはどういうことか、本当に真剣に考えていただいたら・・と思う」と話された。渡辺さんの「申し訳ない」という言葉に、今も背負う罪悪感、苦しみの重さを感じる。最後に、島の人々に温かく迎え入れられ、涙を流されたことも印象的だった。
 松原さん、渡辺さん、心に深い傷を負いながらも、戦争の被害、戦争の加害の側面に向き合い、人と向き合おうとする人がいることを知った。マスレベルで起こった戦争を、体験した一人の人間として、未来への願いを込めて、語り継いでいこうとしている人がいる。そうした人々の声にもっと耳を傾けていきたいと思う。歴史は繰り返すといわれるが、悲劇が繰り返されないように、歴史の真実から学んでいきたい。
今年11月発行予定の年報14号、ぜひ、1人でも多くの皆さんに読んでいただけたらと願っています。


(2004年8月)

2003.09.12 トラウマ
トラウマ・キルト・プロジェクトの夢

村本邦子

 イギリス視察に先立って、アイルランド、スコットランドの友人を訪ねた。どちらも博士課程をしていた時の同級生でアメリカ人。ジニーは、現在、「フォト・セラピー」をやっていて、アイルランドの大学の先生と共同研究中、この8月から1年間、アイルランドに滞在している。「フォト・セラピー」とは、彼女が創ったグループ・セラピーの一種で、ジーナ・ケリーという女性写真家の写真(全部白黒で、少女と大人の女性のミステリアスな写真ばかり)を元にストーリー・テリングをするというものだ。一種の投影法でTATに似ているが、検査ではないので特別な分析をせず、アート、夢、箱庭のように、ストーリー・テリングをすること自体が治療的に働くという。ジニーは、もともと、ヒーリング・セレモニーをやっており、トーク・セラピーよりも、イメジネーションを使ったセラピーを好む。
 ダブリンでジニーと落ち合い、アバディーンのダンを訪ねる。ダンはインターナショナル・スクールの校長先生。ダンのパートナーであるキャロがパッチワークに凝っていて、自宅には素晴らしいキルトの数々があった。キルトとは、まさに芸術だということを思い知った。私自身、針仕事や編み物が好きで、かつてから興味あったが、いつも時間がないので小さなものしか作ったことがない。ところが、今回ばかりはすっかりキルティングの虜になってしまった。キャロの持っているキルトの本を見ているうちに、印象的なキルトの写真に眼がとまった。タイトルは「ブルー」。アメリカのキルト作家の作品で、解説を読むと、彼女は自分の夢からイマジネーションを得てキルト作品を作っていたが、あるトラウマティックな体験を機に、まったく夢を見れなくなってしまったのだという。再び夢が戻ってくることを祈って、この作品を作ったところ、本当に夢が戻ってきたのだそうだ。なるほど、そんなこともあるかもしれない。キルティングが心の傷を癒すことは容易に想像できる。チクチクと針仕事をすることは、瞑想的な意味を持っているし、さまざまな色や模様の布を組み合わせて表現すること自体が治療的に働くことだろう。トラウマの記憶は断片化し、それぞれの断片は、ひとつのものに統合されることを求めている。最後に大きな作品が出来上がることは、達成感や満足とつながるだろう。これを、トラウマを受けた女性たちの共同プロジェクトにしたらどうだろう。それぞれのキルトのピースをつなげてひとつの作品が出来ることは、女性同士のつながりや連帯を象徴するに違いない。
 話をしているうちに、ジニーも私も、このアイディアにすっかり夢中になってしまった。国境を越え、言葉の壁や文化の違いを越え、トラウマを受けた女性たちで大きな作品を作ったらどんなに素晴らしいことだろう!エイズのキルト・プロジェクトのように、作品自体が訴える力を持つことだろう。ジニーとは、このプロジェクトを近いうちに是非成功させようと誓い合って別れた。このプロジェクトに興味ある人、誰かいないかな?

(2003年9月)

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