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FLCスタッフエッセイ

2013.12.12 トラウマ
クリスマスカレンダー

村本邦子

 毎年、12月最初の週末に福島で「東日本・家族応援プロジェクト」をやっている。子どもの遊びワークショップのプログラムのひとつに、「クリスマスカレンダーを作ろう」という企画があって、私はこれがことのほか楽しみだ。もともとは、DVシェルター派遣プログラムのひとつとして考えたものだが、大きな画用紙にクリスマスツリーの形を貼って、1から25まで数字を書き、それぞれの数字のうえにキャンディやらチョコレートやらを貼り、全体をモールや綿やビーズでデコレーションしていく。毎日ひとつお菓子を食べながら、クリスマスを数えて待つ、いわゆる「アドベント・カレンダー」である。

 11月の終わりになると、時間を作って、一人いそいそ買い物に出かける。一番重要なグッズがクリスマスのお菓子である。サンタのチョコとか、雪だるまのキャンディとか、ポインセチアのグミだとか。案外、百貨店にはあまり種類がなくて、ロフトやソニープラザ、明治屋など輸入店に良いものが揃っている。それから、一人ひとりにお菓子を分けて配るための袋。こちらは何といっても百均が優秀で、毎年、気の利いた新商品を開発している。子どもたちの喜ぶ顔を思い浮かべながら買い物をしていると、ついつい頬が緩み高揚してしまうので、時々、我に返って、「他人からどう見られているのかしら?」と思うことがある。プログラム前夜、スタッフでワイワイ言いながらお菓子を詰める作業もワクワクものだ。

 今日はその福島でのカレンダーづくり。昨年来てくれた子どもたちが5人も来てくれた。「今年もあるかな?」と待ってくれて、ちらしを見つけて誘い合って来てくれたとのこと。みんな一年分着実に成長している。小さい子たちはダイナミックに、お姉さんたちは丁寧にかわいいカレンダーを作っている。今年は、お母さん方もお誘いして一緒に参加してもらったが、童心に戻って、それぞれ工夫を凝らした素敵なカレンダーづくりに没頭されておられたのが印象的だった。きょうだいで来られている方もあるので、3枚もカレンダーが並んで、12月はきっとお家も賑やかになることだろう。

 今年は、毎年参加してくれている修了生スタッフが、その場で写真を現像できるプリンターを持ってきてくれたので、カレンダーと一緒に写真を撮ってプレゼントした。アンケートには、クリスマスソングを一緒に歌ったりしても楽しいと思うというアイディアも書かれていて、来年はさらにバージョンアップできるかな?十年続けると決めているプロジェクトだ。先行き不安な要因が増える一方の日本だが、この子たちのためにも、これ以上おかしな方向にいかないよう私たち大人が頑張らなければ。最終年の2020年のクリスマスも変わらずワクワク迎えることができますように。

(2013年12月)

2013.12.10 コミュニティ
リーダーシップ~白熱教室に学ぶ

西 順子

 好きなテレビ番組の一つにNHK白熱教室がある。といっても必ずチェックして見ているというほどでもないので、たまたま目に留まったときに途中から見ることになる。今までで面白かったのはスタンフォード大学ティナ・シーリグ先生の楽しくてワクワクするような授業と、コロンビア大学シーナ・アイエンガー先生の「選択」について考えさせられた講義。どの先生も学生たちと対話しながら講義されるのが魅力的。日本語の吹き替え付きで家にいながら素晴らしい授業が聞けるなんて、なんてお得なんだろう~と、自分も学生になった気分で楽しませてもらっている。

 先月、洗濯物を畳みながらたまたまテレビをつけたとき白熱教室が放映されていた。既に二回目の放送だったが、今回は何かな・・と途中から見るも、学生と対話しながら講義をすすめる先生の授業に釘づけになる。講師はハーバード大学ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授で「リーダーシップ」についての特別ワークショップ。ちょうど私自身「リーダーのあり方」というテーマでの研修の講師を控えていたこともあり、興味津々でその後は最終回6回目まで欠かさずにみた。

 ワークショップでは、学生の方々の経験(世界各国から国の次世代を担う方々が学ばれているとのこと)をもとにリアルな現実の問題にどう立ち向かうのか学生らと議論しながらすすめられた。貧困からくる子どもの栄養失調の問題、暴力、女性の人権、病気への差別・・など、取り上げられたテーマは大きな社会問題であるが、大きな問題もまずは自分の足元から自分自身の問題として取り組むということを学ばされた。

 教授は「多くの人がリーダーシップについて全く誤解している。リーダーシップは日々の暮らしの中で誰もが実践できる」と言う。リーダーシップとは、変化する社会、自然界の中で私たちがどう生き延びるのか・・を考えるときに不可欠のものであると考えさせられた。ハイフェッツ教授の話はとても興味深かったのでメモったが、それを元に印象に残った言葉を紹介してみたい。

「何かを変えるときに一番重要なことは変えないものを特定すること」
「変革への原動力は多様性を求めること」
「人は違った視点に触れて学ぶもの。違いが何かを引き起こす」
「複数の人が同時にリーダーシップを発揮できる」
「自分の内側と向き合わなければならない。行動を起こすには忠誠を尽くす人と向き合わなければならない」
「今リーダーシップを発揮するときと、どうやったらわかるのか? リーダーシップは愛する人のためになることをしたい、ということから始まる」     ・・・等。  

 そして講義の最後、学生に伝えられた「数値化の神話」は、私の胸にも温かくしみわたった。「私たちは数値化の世界に住んでいる。数値化は便利なものであり数値化を真実と思ってしまうが、よい行いは数値化することはできないと信じている。一つの命を救うことは世界を救うこと。失敗は善を数値化と思うこと。実践は、人々に対して愛情を注ぐ行動にとどまる。小さな善を行うことを嬉しく思うこと・・」と語られた。リーダーシップの源は、実は愛することなのだということに目からウロコであった。

 日々の臨床のなかで、虐待やDVなど暴力のトラウマを抱えている方々の回復のお手伝いをさせて頂いているが、暴力が根深くある社会の問題に対して何とかできないか・・という思いを抱くことがある。目の前の人と向き合っていても自分にできることは限界があり、社会の問題に対して自分は無力である。でも、自分にできることを大切にしていっていいと励ましてもらえたような気持ちになった。

 リーダーシップとは私にとっては遠い言葉と思っていたが、とても身近な言葉になった。周囲の人を大切に思い、愛することの実践がリーダーシップであり、よりよく生きるということなのだ。

 今年もあと僅かで終わるが、新しい年は少しはリーダーシップを意識して、人と共によりよく生きることを志していきたい。

(2013年12月)

2013.11.30 子ども/子育て
温かい関係性を育む~「具体的にほめる」ことの勧め

                                                                        
                                                                西 順子


 2013年11月10~14日まで、PCIT(親子相互交流療法)を学ぶトレーニングに参加しました(PCIT-Japan主催)。PCITは、子どものこころや行動の問題に対し親子の温かい相互交流を深めることを基盤にして親子に働きかける心理療法です(2013年1月号NLを参照)。 
 PCITの醍醐味は、セラピストから養育者へのライブ・コーチングです。養育者がコーチングを受けながら新しいスキルを学びますが、特に「褒められる」ことで笑顔が増えていき、と同時に親と子のアイコンタクトが増え子どもが活き活きとし、そしてまた子どもの変化に親も勇気づけられ自信をもつようになる・・等、関係性を育む方向に相互交流が起こることが印象的です。今後、必要な方に役立てていただけるようPCITの準備を整えていければと思います。
 
 ここでは、今回学んだPCITの関係性を育むスキルの一つ「具体的にほめる」を紹介しましょう。「嬉しいわ」「ありがとう」「素晴らしいね」・・など人から褒められると誰もが嬉しいものですが、子どもは養育者から具体的に褒められることで「私のことよく見てくれている」という実感が生まれます。子どもは養育者からの「注目」「関心」を必要としているからです。具体的に褒めるとは、「上手にブロックが積めたね、すごいね」「お片付けしてくれて、ありがとう。とっても嬉しいわ」など、子どもの態度や行動に対して前向きな評価を表すことです。具体的に褒めることで、褒められた行動が増えるだけでなく、子どもの自尊心が増し、親子間の肯定的な感情が増して関係の絆が強ります。「私のこと見てくれている!」という温かい眼差しが支えとなり、子どもは自分の内的世界を拡げ(子どもにとっては遊びの世界です)、現実生活のルールも学んでいくでしょう。
 「~してくれて、ありがとう」のワンフレーズであっても、温かい褒め言葉は褒める方も褒められる方も双方に心地よいものです。自然に双方の笑顔、アイコンタクトも増えるでしょう。
 
 子育てを支援する支援者、援助者もまた養育者に対して肯定的な関心をもって、「~を頑張っているね」「よく~しているね」など具体的に褒め言葉を伝えていきたいものです。親子の相互交流が増え、温かい関係性が育つのを応援していければと思います。

                           (2013年11月 ニュースレター:特集より)

2013.10.10 カウンセリング
安全な場所を創る

西 順子

 カウンセリングのなかで、セルフコントロール技法として「安全な場所のイメージを創造する」というイメージを使った方法をよく使う。「その場所にいけば・・安全で穏やかに感じられる場所のイメージを思い描いてください・・」で始まり、イメージと五感で感じながら、トントントン・・とバタフライハグというタッピングをする(EMDR技法の一つ)。想像していただくその安全な場所のイメージは、お一人お一人にとって意味深い、大切なもの。かけがえのないもの。私も一緒にイメージさせて頂きながら、その方のイメージを大切にして、それを十分味わって頂けるようお手伝いしている。

 この技法はイメージだけでも有効だか、絵に描くとさらに癒しをもたらしエンパワーしてくれるものとなる。大阪本社にて月一回全五回で「女性ためのセルフケアグループ」を開催しているが、そのうちの一回が「安全な場所のイメージを創る」というテーマ。安全な場所のイメージを絵に描いていただくものだが、絵に描いているうちにイメージが変化していくのもユニーク。イメージの世界ならいつでもどこでも行ける・・そして感じられるって、イメージの力は素晴らしいなと思う。絵を描いているとき、また絵を見せて頂くときも、その「場」が、とても温かく優しい空気で包まれるように感じられる。その「場」の空気感が私自身もとても好きである。

 さらにグループに参加くださった方々が、このグループの場を「居心地がよい場所」「居場所」と言ってくださる。そのように感じていただけることが本当にありがたく、やっててよかったと安堵感が広がる。またこれからも居場所としてあり続けられるよう、この場を大切にしていこうという思いを新たにする。
 
私がカウンセリングをしている大阪本社の部屋には窓があるが、残念ながら都会の一室のため外の景色は見えない。この窓から空が見えるといいのになぁ・・と思うが、ないものねだりをしても仕方がないので、いろいろと部屋の工夫している。絵や植物を飾ったり・・(結局は自分が気に入ったものになるが)。来談して下さる皆さまが、この部屋で落ち着いて心地よく過ごせるようにと願っているが、「この部屋にくると落ち着きます」「安全に感じる」・・と言っていただくことがある。そう思ってくださり有難いな・・と私自身もほっとする。理想的な部屋ではないが、それでも「心地よい」と来談して下さる皆さまに感謝して、よりよいセッションを提供できるように努力していければと思う。
 
「安全な場所を創る」テーマは私にとってライフワークの一つと言える。カウンセリング、グループと、これからもこの場所を大切に、来談して下さる皆様にとって、安全で、心地よく、居心地のよい場所の一つとなれるよう、これからもこの場を大切にしながら努力していきたい。

(2013年10月)

2013.09.12 トラウマ
中秋の名月

村本邦子

 今年は、中秋の名月を南京で迎えた。今年の中秋節は、中国人にとって、たまたま日中戦争が始まった「国恥の日」に当たる。複雑な思いを抱えながら、セミナーで、幸存者(サバイバー)のお話を聴いた。日中の参加者でシェアリングをしているところに、中国側の受け入れ窓口となってくださっている張連紅先生が、大きな袋に入った月餅を差し入れてくださった。中国では、中秋祭には、家族で集まって月餅を食べる習わしなのだそうだ。「中秋祭に一緒に月餅を食べれば、私たちは家族になります」と。暖かく、ありがたかった。

 夜、くっきりと美しい満月を見上げて、日本のことを想い、過去を想った。私が子どもの頃、地元では、まだ十五夜の祭りをやっていた。男の子たちが近所の家を回って藁を集め、縄をなう。女の子はそのプロセスに参加しないが、当時は大人のように見えた中高生のお兄さんたちの器用さに目を見張ったものだ。編みあがった縄をクルクル丸めると土俵になり、夜、相撲大会が始まる。男の子たちの相撲大会が終わると(これが公式プログラムだったのか?)、女の子たちも土俵を借りて、相撲大会をやった。それから、クイズ大会をやったり、肝試しをやったりと、この日は子どもたちだけで夜遅くまで遊ぶことが許されていた。この行事がいつ頃まであったかよく覚えていないが(私が中高の頃にはもう消えていたような気がする)、ふと懐かしく思い出すことがある。

 十数年前、海外からのゲストを連れ、下賀茂神社の観月祭に行ったこともあったっけ。篝火を焚いた舞台で豊作を祈願する舞楽を見て、一種の感動を覚えたものだ。美しい月を一緒に眺め、神秘の力を仰ぐことで、たしかに親密性が深まるような気がする。また行ってみたいなと思いながら、そう言えば行けずじまいだ。

 さて、翌日、月餅がディスカウントになるというので(クリスマスケーキのように、7割引とか8割引になるらしい。今年は、中国政府が高価な月餅を贈ってはいけないという「贅沢禁止令」を出したというほど、月餅は高価なものだ)、張連紅先生に頼んでスーパーに連れて行ってもらった。夜が遅かったためか、なんとびっくり、すべての割引月餅は売り切れていて、決してディスカウントしないという有名メーカーの高級月餅しか残っておらず、勧められるまま、大きな袋に入った高級月餅をお土産に買った。翌日、大切に手に持って空港まで帰ったが、そちらに気をとられすぎて、なんと、パソコンをバスに置き忘れてしまった。

 パソコンは、来週、留学生が持って帰ってきてくれるが、ATMでカードが戻ってこず、結局、大金を留学生の家族に借りたりと、今回は、中国人留学生たちに大変お世話になった。もともと十五夜を祝う習慣は中国に由来する。私たちは、歴史を通じて、たくさんの文化を中国から学び、共有しているのだ。中秋の名月が次に満月を迎えるのは8年後だそうだ。どうか平和が続いていきますように。

(2013年9月)

2013.07.10 子ども/子育て
思春期の山を乗り越える

西 順子

 思春期は疾風怒濤の時代と言われる。疾風怒濤はドイツ語「シュトルム・ウント・ドランク」の和訳で「嵐と衝動」を意味するが、思春期は嵐のように感情や衝動が吹き荒れる。話しかけてもブスっとするし何を考えているかわからない、ツンケンして扱いにくい、最近やたらと反抗的・・など、思春期になった子どもの姿に、親や教師、周囲の大人は「子どもが変わってしまった」「どう関わっていいかわからない」と頭を抱えてしまうこともあるだろう。でも、思春期の子どもたちのエネルギーは生きるエネルギー。思春期に「自分とは何か」を確立していく過程で、生体に備わったエネルギーが自然に発現していくことは、すごいことだと思う。

 ただ、「思春期の危機」「思春期の心の闇」と言われるように、子ども自身も苦しみ、葛藤し、悩む時期。この時期、葛藤するさまざまな感情を理解し、どの感情をも否定することなく受けとめられるよう、声なき声に耳を傾けることが必要である。葛藤を回避すれば、感情は消化されないまま抑圧され、あるいは解離され、心の奥に閉じ込められてしまうだろう。そうなると、本当の声はますます聞こえなくなってしまう。

 危機は「機会」でもある。思春期から青年期は、子どもから大人へと脱皮して「自分らしい」アイデンティティーをつくっていく重要な時期。この大切な時期を、コミュニティにいる周囲の大人たちが互いにつながり、見守りあい、子どもたちと向き合い、子どもたちの成長を支えていくことができればと願っている。

 ・・と、日頃感じていることを書いてみた。不登校や摂食障害など思春期の子どものことに関心を持って、早25年が過ぎた。いじめ、性暴力被害、DVの目撃など、トラウマを受けた子どもとも出会うが、時代が変わって子どもたちの遊びや好きな趣味は変わっても、子どもが持っている力、レジリエンス(生き抜く力)が素晴らしいな・・と思うことには変わりはない。誰にも生き抜く力、エネルギーが備わっている。

 私自身も思春期の頃を振り返ると、自分らしさを模索して夢を見たり、親との間で自立と依存の葛藤にもがきながらも、自分の未来を切り開きたいなと七転八倒していたことが懐かしく思い出される。その頃の自分が愛おしい。

 娘もまた疾風怒濤の時代を経て、ようやく落ち着いてきたかな・・という今日この頃だが、今思えば、その時期があったからこそ、親として子どもから学び、気づかされ、成長することができた・・と子どもに感謝している。

 思春期の子どもたちに、子どもを支える周囲の大人にもエールを送りながら、子どもが思春期の山を乗り越えて、自分らしい道を発見していけるよう、これからも応援していきたい。

 

(2013年7月)

2013.05.10 トラウマ
環境とつながる~「今、ここ」にいること

西順子

 今年4月28日~5月3日まで、神戸で開催されたSE(Somatic Experiencing)トレーニングに参加させて頂いた。今回講師のHoskinson先生は、初級トレーニングから神経生理学的知識を教えて下さり、とても学び深かった。神経生理学的基礎を学ぶことで、私たちは「生きもの」であること、「生きている」ということを実感する。

 さて、今回最も印象深く残っているのは、「感覚をとおして環境とつながる」ことである。トラウマとは、「今ここに、いることを不可能にしてしまう」と言われる。なので、解離せずに「今、ここ」にいるためには、感覚を通して環境とつながれるよう、外界のものを意識したり、工夫したりすることが大切となる。特に、外界にある心地よいものとつながることが大切である。

 私自身もまた、外界の心地よいものとつながれる時間を意識したいと思っているが、まず最も心が惹かれるのは、自然である。日中は部屋の中なので、朝が一番自然と触れ合えることに気が付いた。お天気の日の朝の空を見上げるのは心地がよい。胸が拡がり、胸に空気が入る。そして心も広々と開放的な気持ちになる。公園を通ると木々の緑が美しい。最近、公園横の道を通ると、鳥の鳴き声がよく聞こえることに気づいた。鳥の鳴き声に注意を向けていると、さらによく聞こえるようになってくるから不思議だ。陽の光も明るくて、心地よい。そして、朝早くFLC本社に着くと、東側に玄関があるので、ちょうど陽の光が差し込んでいて、すがすがしい。朝少しでも早く起きると、こうして五感で心地よさを感じ、探索できる時間をもてると気づいた。

 本社の面接室のなかは、陽の光が差し込まないのは残念であるが、その代わりに様々な工夫をしている。ランプの温かいオレンジの光、観葉植物、そして絵をいくつか飾っている。好きなものを周りに置くことで私自身、居心地よく過ごすことができる。カウンセリングで来談くださった方々にも、「今、ここ」の場で、少しでも安全に感じて頂くことができればと願っているが、この部屋という環境のなかで、少しでも心地よいと思うものがあれば嬉しい。

 トラウマに圧倒されているとき、心地よいものとつながることは難しくもあるが、日頃から心地よいものと親しむようにすることでレジリエンス(回復力)を高めることができる。突然「引き金」を引いて過去の辛い記憶が出てきたとしても、辛さが少しでも緩和するように、外界に注意を向けることで「今、ここ」に戻ることも可能となる。

 そして環境とつながるために最も大切だと思うのは、安心できる人とのつながりである。人の顔を見て、話をしたり、聞いたり、笑ったり・・と、人がそこにいて、やりとりすることが、安心と信頼をもって環境につながることである。仕事の一つとして、NICU(新生児集中治療室)で赤ちゃんやお母さんと出会うが、赤ちゃんがお母さんに抱っこされるとぴったり泣き止んだり、じーっとお母さんを見る姿に、赤ちゃんはお母さんを通して、この世界(環境)がどんな世界であるかを感じているのだなということを実感している。

 心地よい感覚を探索することをもっと楽しめればいいなと思う。それは「今、ここ」に私は生きているんだという実感、生きる喜びともつながるものである。皆さんにとって、心地よい感覚の経験はどんなものでしょうか。心地よい感覚を探索してみませんか。

 

(2013年5月)

2013.04.12 自然
カウアイ

村本邦子

 春休み、カウアイ島に行った。カウアイはハワイ諸島の一番北にある東京とか大阪くらいの大きさの丸い島。海底火山によって生まれ豊富な雨に恵まれて、自然による創造の奇跡を思わせる島だ。

 圧巻はワイメア渓谷。かなり頼りないドライバーではあるが、ひょんなことからジープを借りることになり(もともと日産を予約していたが、レンタカー会社の人に「同じ値段で大きなジープを使ってもいいよ」とあたかも良いことのように勧められて、つい乗ってしまったが、結構、古そうなジープで、本当のところお得な選択だったかどうかは疑問・・・)、行きはサトウキビ畑や牧場が広がるコケアロードを上り、帰りは渓谷の拡がるワイメイア・キャニオン・ドライブを下る。1000メートルほどの標高。登っていくにつれて、世界はドラマチックに変わっていく。中間点にあるワイメイア渓谷の展望台から見える光景は筆舌に尽くしがたく、私の力では描写することができないのだけれど、ちょうどグランドキャニオンの立体が間近に迫る状況を想像してもらうといい。

 そこから先は、だんだんと雲の中に入っていくような感じだ。霧が立ち昇り、カーブを曲がると、突然、晴れる・・・といったことが繰り返される。途中、三か所ほどの展望台に立ち寄りながら北上し(ずっと登っていくというよりは、平坦に広がるてっぺんを移動していく感じ)、終点のプウ・オ・キラ展望台につくと、絶壁の片側にナ・パリ・コーストの海岸線が見える。海抜1,400メートルから真下が見えるので相当に迫力があって、正直言うと怖い。もう一方には幻の湿原、ワイメア渓谷が広がる。深い深い森だ。トレッキングコースがいくらかあって、挑戦したいところだけれど、暗くなる前に山を下りないと運転に自信がないので、少しだけ湿原に入って引き返す。

 キャニオン・ドライブをワイメイアの街に向かって下っていくと、遠く海の向こうにニイハウ島が見える。この島の話がおもしろく、スコットランド出身のエリザベスさんが、「自分たちだけの島」を持ちたいという亡き夫の夢を果たすべく、1864年に、カメハメハ大王から1万ドルとピアノ一台で、島の住民300人つきで島を売ってもらったのだという。現在はロビンソンさん一家が所有している。島ではお金が不要で、150人ほどの島人たちは、ロビンソン家から支給される生活必需品を使っているそうだ。島の文化をそのままにするため、ロビンソン家は島を部外者立ち入り禁止にしていたが、1986年にヘリコプターツアー(ヘリコプターはもともと島の救急用のもの)を始めた。きっと、島の維持にお金がかかるのだろう。最初は、「1万ドルとピアノで島が買えたなんていいな~」と思ったけれど、よく考えてみると、住民つきで島を買うというのが何を意味するのかは謎である。

 もうひとつおもしろかったのは、「カウアイ・メイド」というプログラムで、カウアイ産の材料を使い、カウアイの人々によって、カウアイでつくられている製品の製造業者と小売店で成り立つ。小さな個人商店がカウアイ・メイドのものを手作りして、公認ロゴを使用するのだが、カウアイ・グラノーラ、カウアイ・ソルト、カウアイ・チョコ・・・など、お店に行くと、エプロンをつけてカウアイ・メイドを手作りしているおばちゃんたちが手をとめて売ってくれる。安くはないが、かなり上質だ。カウアイ・グラノーラはとくに気に入って、朝ごはんに食べ、おみやげにも買ってきた。ハワイみやげによくあるマカデミアンナッツ・チョコもあったが、量産のものと比べ、格段においしい。今となっては、もっと買ってきたらよかったと後悔している。

 そしてもちろん、あちこちのビーチのすばらしさ。寝そべってのんびり過ごすには明るく暖かい太陽のふり注ぐポイプビーチが一番で、海を見ながら散歩するには、ロマンチックなノースショアだ。泳ぐにはちょっと寒く(外人たちは泳いでいるけど)、結局ダイビングはしなかったけど、生まれて初めて波乗りをしてみたいと思った。いつかまた行けるといいな。 

(2013年4月)

2013.02.12 コミュニティ
編み物をしながら・・・

村本邦子

 今年の冬は、久しぶりに編み物をしている。何があっても睡眠時間を確保する主義の私だが、やり始めたらおもしろくてつい睡眠時間を削ってやってしまうというのが編み物で、だからこそ、忙しくなった最近は手を出さないようにしてきた。そうでないと、体が持たないから。

 一番多いときは、ひと冬で十枚ものセーターを編んでプレゼントしまくっていたこともある(基本的に人のものを編みたいのだ)。一時は編み物作家になろうかな・・・なんて思いついて、自分でデザインしたセーターを写真に撮りためて、編み物関係の出版社に送ろうとしていたこともある。子どもたちが小さい頃は、クリスマスツリーやら、もこもこのクマちゃんやらを編みこんだセーターを作ったり、家族お揃いのセーターを編んだりした。娘が少し大きくなると、娘がデザインして私が仕立てるというちょっとすごいこともやっていた。最高傑作は、背中に天使の羽を編みこんだブルーのジャケット。

 今年は、のんびりした気持ちで、少しずつ編もうと決意して、ちょっと複雑な模様のものを、時々間違えては、ほどいてやり直したりしながら、本当にボツボツと少しずつ編んでいる。そして、「なんだ、やればできるじゃないの!?」と、いつの間にか「ほどほどにする」ことを覚えた自分の成長に驚いてもいる。いつも持ち歩いて、電車の待ち時間の5分とか、たまたま座れた電車やバスで少しずつ編んでいるが、それでも少しずつ出来上がっていく。

 昔は、電車で編み物をしている人がもっといたものだが(そしてほんの一時期だったが、編み物をしないでくださいと放送が流れたこともあった)、今はほとんどなく、一か月ほどで一人見かけたのみ。そして、一人だけが「私も編み物好きでね~」と話しかけてきた。なにせ、下手すると、手編みの方がずっと高くつく時代だ。ひそかに編み物好きの連帯感も生まれる。

 私にとって、編み物をすることは瞑想に近く、心を落ち着け、自分のなかにエネルギーをためていく効果がある。ひと仕事終えたら、次の仕事にとりかかる前に、少しの間、編み物をすると気持ちが穏やかになることも発見した。そして、結果的にセーターが出来上がるというモノづくりの楽しみもある。いろんな色の毛糸を見ているだけで、ハッピーな気分になれるし、編んだものを着てもらうと、やっぱりちょっと嬉しい。

 やるかやらないかの二者択一でなく、ぼつぼつやるという姿勢を、この機会に人生にも取り入れたいものだ。なんでもかんでも一生懸命やりすぎるのが私の弱点。年齢とともに、細く長く続けていくということを覚えよう。編み物をしながら、柔らかな気持ちで年を取っていきたいものだ。

(2013年2月)

2013.02.10 こころとからだ
ヨガ入門Ⅱ

西 順子

 昨年9月からヨガ療法の講座に月一回通っている。もともと参加しようと思ったのは、心身の調子を整えるために身体に働きかけるグループもFLCでできればいいなぁ・・という思いから。あっという間に半年がたったが、結構おもしろく自分のために役立っている。

 どんなところが役立っているか・・と振り返ってみると、まず非日常の空間に身を置くことでのリフレッシュ。その場の空気、建物、受講している方々・・と、違う世界に身を置くとさまざまな新しい発見がある。例えば、参加している方々は皆さんヨガに関心があるのは共通点だが、背景は皆さまざま。ヨガや体操を教えているインストラクターさん、助産師さん、子育てまっただ中のお母さん、OLさん・・等(お若い方々が多いが)。参加者の方々と、体験・気づきをシェアしあう時間も新鮮。

 それから、一番好きな時間は、やはりヨガの実技の時間。ヨガ療法は全くむずかしくなく、簡単にできるのでなじみやすい。しかも効果も感じられる。実技のあとは心身が統一する感じですっきり。「いま、ここ」に集中する時間も心地よい。マインドフルネスってこういう感じかな。最近は堂々巡りに思考することから離れやすくなった気がする。

 また実技は理論的(生理学的)にも納得できて、心と身体についての勉強になる。

 月一回、ヨガを体験する非日常空間は、自分自身を振り返り、向き合う時間。日常を「動」とすると、「静」の時間。心静かな時間。「動」と「静」のメリハリをつけながら、心と身体の健やかさを保っていければいいな・・と思う。

(2013年2月)

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