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2015.11.10 子ども/子育て
出産や子育てを語ること−子への否定的感情を語る−『たのしく、出産』を読んで

                                             金山 あき子

 

筆者は5歳の娘の子育て中。つくづく「子育てって大変だなあ。」と、思い知らされることも多い今日この頃です。そんな中、村本邦子(当研究所の顧問です)著の、『たのしく、出産』という本を読んで、自分の出産について思い出し励まされたり、「子育てとは?」ということについて改めてふりかえる機会があったので、今回はこの本について少し書いてみたいと思います。

 

この本は、まずは著者の出産体験のレポートから始まります。とても生き生きと、普段は表ではあまり語られることのない、妊娠・出産という女の「秘められた」体験が、なまなましく語られてゆくうち、読む者は思わずハッと息を飲んだり、ほろりとしたり・・。著者が、第一子を自宅で出産をすることを決心してから、自宅出産して子育てが始まり、第二子を出産するまでの軌跡が、鮮やかに、情緒豊かに描かれてゆきます。

 

読み進めるうちに、「人が自然に出産・子育てするとは?」「病院で出産することの意味は?」など、出産にまつわる「当たり前」がどんどんゆらいできて、現代の出産システムへの色々な問いも生まれてきます。

また、著者が子育てをすすめる中で、自らの子どもへの気持ちや関係の変化についても、つぶさに描写されてゆきます。その中でも、私は特にこんな語りが心に残りました。

 

著者が二人目の子どもを妊娠中、身重で思い通りに動いてくれない母に、息子がイライラしはじめた頃のこと。「子どもが産まれてから、子どもの存在を疎ましく感じるようになったのも、息子のそんな感情の変化(イライラ)に出くわしてからだ。ある母親は、産まれてすぐから、我が子を疎ましいと感じる自分に気づく。またある母親は、もっと大きくなってから、(中略)初めてそんな自分の(子が疎ましいという)感情を知る」。「とにかく、遅かれ早かれ、女たちは、母として存在しながら、母親らしからぬ部分を持っている自分に気づく。それは、周囲にどう非難されようと、否定できない事実である。」「でも私は、こう思うのだ。本当に、母親が子どもをかわいいとしか思わないとすれば、子どもは成長する必要もないじゃないかと。(中略) ところが、世間や男や心理学者はこういう。「母親とは、子どもを愛してやまない存在であるはずだ。でも、子どもの自立を阻んではいけない」と。そんなのは、あまりに虫のよすぎる話じゃないか。母親だって、ただの人間だ」。さらに、著者はこう言います。「産んだ女が今、語らねばならないのは、子どもに対する否定的感情ではないか」。と。

 

子どもが愛おしく、かけがえのない大切な存在だと思う肯定的な気持ちと、子どもが疎ましい、イライラするというような、否定的な気持ちは、本来、同じだけ存在するものでしょう。我が国では、とくに「母性愛神話」という、「母は、子どもを無償に無条件に愛する存在であるべき」願望が強いと言われます。こうした背景もあって、子への否定的な気持ちは、タブーとして、見つめにくく、より語られにくいものとなっています。しかしこの否定的な側面を、単に「良くないもの」として抑圧してしまうことは、心のバランスに偏りを起こすでしょう。子どもに対する、両価的(アンビバレント)な感情を、みつめてゆくことで、よりバランスのとれた子育てになってゆくと思われます。といっても、それはそう一朝一夕に簡単にできるものではないのかもしれません。ただ、「子が疎ましい」「子が憎い」といった、子への否定的な感情の部分も、「母なるもの」の自然な姿なのだ、と思うだけで、十分解放される部分があるかもしれません。

 

育児(子育て)=育自(自分育て)とは良く言いますが、確かに子育ては、子どもを育てると同時に、自分の心をみつめ、育ててゆく一つの機会になることができます。そのことを、日々娘との関わりに試行錯誤している自分にも言い聞かせながら、ひとまずは、この機会を大切に歩んで行こうと思いなおすこととします。

 

 

引用・参考文献:『たのしく、出産』(1992) 村本邦子編著 新水社 

 

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