- 2017.01.20
- 「自主避難者」のこと
先日、原発事故で避難指示区域以外から福島県外に避難した「自主避難者」と支援者たちが、日本外国特派員協会で記者会見し、次々とネット・ニュースが流れてきた。http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/17/fukushima-voluntary-evacuees_n_14216350.html など。「自主避難者」の数を正確に把握することはできないが、2015年10月で約1万3000世帯、2万5000人にのぼるとされている。福島県からの避難者は、発生直後、災害救助法の適用となったため、避難指示区域内外を問わず、仮設住宅が無償提供されてきたが、福島県はこれを2017年3月末で打ち切るとした。これは大変なことだ。一方的な被害であるにも関わらず、賠償もなく、二重生活を強いられ、そのうえようやく確保してきた住居までもが奪われようとしている。福島をのぞく46都道府県のうち9道府県が、打ち切り後も住宅の無償提供や家賃などの補助策を実施すると発表しているが、避難先によって支援に格差が生まれることになる。
吉田千亜さんの『ルポ母子避難~消されゆく原発事故被害者』(岩波新書)も読んだ。そもそも「自主避難」という言葉自体がおかしい。政府が避難指示を出していない避難はあくまでも自主的なものだから、自己責任であるという論理になってしまうからだ。実際にそんな言葉を投げかける人々がいるようだ。本来、自分の家から好き好んで避難したい人はいないはずだ。危険を感じるから、さまざまな苦難を抱えながらも、避難せざるを得ないのだ。いくら安全だと言われようが、事故発生以後の経過を考えれば、自分で判断するしかない。そもそも、安全の基準値は事故前の年間1ミリシーベルトから20倍にもなっている。残ることを決めた人々だって、苦渋の選択である。
立命館大学でやっている「東日本・家族応援プロジェクト」のまとめとして、毎年、年度末にシンポジウムを開催している。今年は、2月26日(日)を予定しているが、いつもの院生による東北4県についての報告に加え、福島のジャーナリスト藍原寛子さんを招いて、「自主避難者の今」として講演してもらうことにした。藍原さんは、自主避難者たちのことを、「『棄民』から『起民』へ」と言う。国から見捨てられた存在から、立ち上がり、自分たちのことは自分で決めるという選択をした人たちだという意味だ。だとすれば、事故以前と変わない生活を続けている私たちも、立ち上がって、自分たちのことを自分で決めていくという流れに連なる必要があるのではないか。そんな問題提起ができたらと思う。是非、ご参加ください。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsshs/tirasi/20170226.pdf