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トピックス by村本邦子

2016.08.17
Girls Unlimited. 女の子の力は無限大!

   縁あって台湾の女性支援機関を訪問している。先日は財団法人「勵馨社會福利事業基金會」(英語名は "The Garden of Hope Foundation")というNGOで働く台中の支援者たちと交流させてもらった。性暴力の被害者や望まぬ妊娠をした女性のためのシェルターとカウンセリングサービス、面会交流支援(スーパーバイズ付き)、DV被害者の自立支援準備期間の職場であるリサイクルショップなど、知恵と工夫に富んだきめ細かなサービスが実現されていて感心した。

 そのなかでも、新しい発想だと思ったのが、1年前に立ち上がったばかりの「台中女児館」。台中市政府社会局の委託事業で、女の子たちのエンパワメントを支援する施設になっている。従来、女性は軽んじられてきたが、「女の子たちへの投資は、国の最大の投資になる」という考え方のもと、水曜から日曜の12時から21時までオープンし、女の子たちの自由な活動を支援する。とってもおしゃれな体裁のビルになっていて、展示室、マルチメディアルーム、グループカウンセリングルーム、コンピュータールーム、会議室、キッチン、ダンススタジオ、ジムなどさまざまな目的に使える部屋があり、予約すると無料で使用できる。毎日、盛況で、40人から100人が来場しているという。

 おもしろいのが、「女の子の夢をかなえるプロジェクト」。女の子のグループが自分たちの夢とその実現をプレゼンして、選ばれたグループには賞金が出る。シェルターの女の子たち(16歳から18歳まで)も応募して、旅を企画実現したのだそうだ。シェルターを訪れた際、彼女たちのプレゼンを聴かせてもらう機会にも恵まれたが、その冒険と挑戦には感動させられた。詳しい背景は知らないものの、おそらくは運命に翻弄されてきた女の子たちにとって、自分たちの夢を考え、実現に向けて具体的な計画を立て、それを社会に支援してもらいながら実現させ、成果を手にするというプロセスは、文字通りエンパワメントに違いない。

 日本だとすぐに「男の子差別だ」なんて声が上がりそうだが、"Ladies First, but for Everyone!" で、女の子が3分の2以上であれば男の子もOKだそうである。LGBTのための「ジェンダーサロン」も定例で開催されている。そして、年齢制限は設けられていないので、私だってGirlを名乗ることができるのだ。

 あちこちに、"Girls Unlimited."(女の子の力は無限大!) というポスターが貼られていて、「そうだそうだ!」と嬉しくなった。街のサイズが手頃というのもあるのだろうか、全体的にアットホームで、そこに一緒にいるだけで温かい気持ちになったし、私自身がエンパワーされた旅だった。

 

2016.06.11
歴史は私たちの足元に層を成してある~ナポリ・ソッテラネアから

 ナポリ旧市街は、歴史地区として世界遺産になっているが、その下には、古代地下都市(ナポリ・ソッテラネア)が広がっている。歴史は5千年前に遡る。古代ギリシャ人が植民都市として、碁盤の目のような都市計画のもと「ネアポリス(新しい都市という意味)」を建設した。ギリシャ人たちは、地下の石(Tufoという凝灰石)を切り出して、地上に引き上げ、城壁や劇場を築いた。空洞は、死者の埋葬や倉庫として使われた。古代ローマの支配下に入ると、ローマ人たちは、この空洞を利用して、巨大な地下水路と貯水槽を建設。ローマ法のもとで整備・拡大され、市民生活を支える貴重な水源となっていった。ところが、19世紀末から20世紀初めにかけ、コレラが大流行し、閉鎖される。第二次世界大戦中には4000人を収容する防空壕として活用され、戦後はごみ処理場として使われていたらしい。

  地上には所狭しと家が建ち並び、そんな地下世界があることなど思いも及ばない。ナポリの人たちは、その存在を封印し忘れかけていたが、1979年、地下で火災が起こった。消防士たちは住民を避難させ、数日間、地下への入り口を探したが見つからず、ある人が、子どもの頃、地下へ続く階段を収納した壁を記憶していたことから、ようやく入口が発見され、消火活動を終えることができた。この時の証言者が後にNPOを立ち上げ、ボランティアの手によって発掘と研究が進められ、今では観光客にも紹介されるようになったが、まだ謎は十分に解明されていない。

 入り口は、サン・パオロ・マッジョーレ教会の脇にある。長い階段を下り、地下40メートルほどのところから狭い迷路のような地下通路の一部を見て回ることができる。貯水槽に通じる通路はほぼ肩幅で、ろうそくの火を頼りに進んでいく。迷い込めば二度と戻れないかもしれない複雑な迷路となっているため、ツアー以外で見学することはできない。さらに、いったん地上に出て、狭い路地を入った民家へ入り、ベッドを蹴飛ばすと、秘密の通路と階段が隠れていて、下りていくと、今度はローマ劇場の遺跡の一角に行きつく。度重なる地震で崩れ、使われなくなって、そのうち埋もれていったものだ。数年前まで、この家には人が住んでいて、足元にそんな遺跡があることを知らなかったそうだ。

 今なお、たくさんの人々が暮らしているため、地下世界の全体像を見ることはできず、想像するのも困難だが、ローマ劇場の一部を地上の建物と建物のあいだに見ることができるし、グーグル・アースで見ると、ネアポリスに添って家々が立ち並んでいることがうっすらとわかるようになっている。まるでSF冒険映画のようだが、自分たちの足元に、長い人類の歴史が積み重なっているのだということを象徴的に、いやむしろ文字通り示す事実に強い衝撃を受ける。そして、その事実に目を向けることをしなければ、足元は脆い空洞が巣くっているだけかもしれないのだ。そして、歴史は一層ではない。

 昨年、私のなかで一番ヒットした言葉は、白永端さん(韓国・延世大学歴史学教授)の「核心現場」だった。東アジアにおいて、帝国主義、植民地主義、冷戦が重なりあって及ぼした影響の下で、空間的に大きく分裂され、葛藤が凝縮された「歴史の交差点」を指す。それは地理的範囲にありながらも、その範囲を越え「自らの脚で経っている大地に刻まれた傷と記憶を他人と共に共感/共苦できる場」を拓こうとすること、場を占拠する立場のパラダイムではなく、場を開き現す「現場」のパラダイムを要請することである。自分の足元にある歴史の層に眼を向けること、そしてそこから世界へと眼を転じること、そんな作業を始めたところである。

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2016.04.15
古代ハワイアンの教えに学ぶ

 どの子どもも、生まれた時から、完全な光の器を持っています。光の方を向けば、光はさらに強くなり、何でもできるようになります。さめと一緒に泳いだり、鳥と一緒に飛んだり、すべてを知り理解できるようになるでしょう。でも、他の人をうらやましがったり、妬んだりすると、器のなかに石が入ってきます。そうすると、その分だけ光は消え、弱くなってしまいます。光と石は一緒に入れないのです。光の器に石を入れ続けると、光は消え、その人は石になってしまうでしょう。石は成長せず、動きません。もしも、石でいることが嫌になったら、いつでも器をひっくり返して石を捨ててしまえばいいのです。光は戻り、再び輝き始めるでしょう。 

 これは、モロカイ島に口頭で伝承されてきた古代ハワイアンの教えのひとつで(Willis & Lee, 1986)、ハワイアンの子どもたちや若者を支援する機関で紹介されている。子どもたちに、ココナッツの殻で作った小さな器と蝋燭を渡し、羨望や嫉妬を感じたら石を入れ、石が一杯になって嫌になったら、ひっくり返して石を捨てようと言う。

 教育者・支援者たちには、石でいっぱいの器を抱えた子どもを想像してみるように呼びかける。ひとつひとつの石はその子どもの経験の一部であり、被虐待や非行や薬物から来ているかもしれない。そんな器を抱えているのではどんなに重いことか、それを隠すのはどんなに難しいことか。知らない大人から、それぞれの石を勝手に取り出され、非難されたり、説明を求められたりするのはどんな気持ちがするだろう。本当は光こそがその子どもであり、器を置き、心準備ができたものから石を取り出し、捨てていけるよう時間とサポートを与えることが重要だという。

 このお話が採取されたモロカイ島は、ハワイ先住民の人口が多く、ハワイアンの伝統的文化が今なお多く残っている島で、2月、モロカイの人々のコミュニティのなかで1週間過ごすという幸運に恵まれた。初めて知り合った人々からたくさんのアロハ(今というこの瞬間を共にし、分かち合う喜びを伝えつながること)を頂いた。どうしてこんなに人々は寛大で無欲なのだろうと感嘆したが、元々、古代ハワイアンには所有という概念がなかったのだ。神々から与えられた自然の恵みを分かち合えることに感謝しながら、土地のケアをする。

 それぞれが生まれ持ってきた光が輝きこの世が照らされるならば、どんなに暖かく優しい気持ちで生きることができるだろう。実際には、そんな寛容さに付け込まれ、ハワイは西洋植民地主義に乗っ取られてしまった。今の世界は石ころだらけだ。ハワイ王朝転覆から100年以上過ぎてしまった現在、どんな形で文化を取り戻していけるのか、彼らは苦闘している。すべてはつながっている。私たち自身も、所有と共に境界線(バウンダリー)という概念を乗り越えていかなければと思う。まずは、経済効率優先の価値観を捨てることだろう。すべてはつながっているから、人種的にも多様に広がったハワイアンたちが、どんな形で前に進んでいくのか応援しながら、私たちも学び歩んでいきたい。

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2016.01.23
米軍基地のこと

 辺野古では緊迫した状態が続いているようだ。昨年末、沖縄で平和学会があり、地元の方に辺野古を案内してもらった。日本には米軍基地が133ヶ所あり、うち33ヶ所が沖縄にある。テント村にはたくさんの人々が集まり、交互にマイクを持ってスピーチしていた。大きな声で空虚なスローガンを掲げるものではなく、地に足のついた発言ばかりで、それぞれに胸に響いた。

 福島では4年も生まれ育った故郷に帰れないと言うが、自分は基地に故郷を奪われ、70年帰れないままだ。・・・本土の人たちは「平和だ、平和だ」と言っているが、沖縄にはいまだ平和は訪れていない。・・・沖縄が占領地だということは日本が占領されているということなのだが。・・・子ども時代、父親が基地の作業夫として働いていたため、軍のお蔭で生活していると思わされていた。返還後、軍がなくてもやっていけることがわかった。・・・子どもの頃、軍機墜落事故の火消しを手伝った。友達の親が死んだ。中学時代、少女が凌辱され、ごみ焼却場に捨てられた事件が近所であった。・・・

 沖縄戦で4分1もが殺されたという沖縄の人々にとって、切り捨てられ、道具として利用されてきた戦中・戦後はそのまま現在とつながっている。必ずしも知らなかったわけではない。実は沖縄に親戚がいて、中学生の頃、本土復帰記念に開催された海洋博覧会に行き、あちこち案内してもらった記憶がある。コカコーラやバリャリスオレンジ、ステーキとともに、軍のフェンス越しに見た戦車や兵士の姿は、そこがアメリカに占領された土地であることを強烈に印象づけていた。そして、そのもっと前には薩摩藩による搾取と支配があったのだ。

 平和学会のシンポジウムで、韓国の白永端氏がが、沖縄は東アジア分断構造解体の鍵となる契機になると言った。帝国・植民地主義、そして冷戦による重畳の影響の下、空間的に大きく分断された東アジアの葛藤が凝縮された場として発見することで、沖縄を「世界性」のなかで見、沖縄に限定されない場所に「沖縄」が表れるとする。

 日中の戦争トラウマの問題に関わり、東日本大震災を経由して、日米の関係を考えないわけにはいかないことを痛感している。三沢基地からも普天間からも、アフガンやイラクにアメリカ軍は出撃を繰り返してきたことを、どれだけの人が認識しているだろう。ハワイでも同様のことが起きている。真珠湾にあるミズーリ記念館では、今、知覧特攻隊の展示をやっているのだという。お正月には、知覧を訪れた。次は真珠湾だ。ひとつの地点から重層化した支配と抑圧の構造を見る視点を持つこと、特定の地点に「世界性」を見出すこと、今年の課題でもある。

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