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トピックス by村本邦子

2015.01.31
マイケル・ホワイト~ナラティブ・ポリティックス

 マイケル・ホワイトのことはずいぶん前から知っていたが、遺稿集である『ナラティヴ・プラクティス~会話を続けよう』(マイケル・ホワイト著、小森康永・奥野光訳、金剛出版、2012)を読んで、自分がその価値を十分に理解していなかったことを学んだ。「ナラティブ」とは「語り」のことであり、心理療法は、多かれ少なかれナラティブを問題にしている。それが、社会構成主義やポストモダンの影響を受け、それまで構築されてきたクライエントのドミナント・ストーリー(支配的な物語)をオールタナティブ・ストーリー(別の物語)に書き替えていくことを目指していることも理解していた。理解していなかったのは、その政治性である。

 

 たとえば、彼は、治療実践の目標のうち、ナラティブ・メタファーの取り組みにとってとくに適切なものは、①セラピストの声を脱中心化する実践と、②非規範的な精力的活動だったと言っている。良心的なセラピストは、「一番良く知っているのはセラピストである」とは考えていないかもしれないが、現代のセラピー文化にあって、クライエントはそう思わされがちである。非規範的実践とは、主流文化において価値があるとされる生活様式(たとえば「現実的」「適切」「健康」など)を単純に強化したり再生産したりしないことである。ナラティブは文化の媒体であり、クライエントによって、セラピーのなかに世界が持ち込まれる(本訳書第1章のタイトルは、「セラピーを世界に取り込むこと」となっているが、たぶん逆だと思う)。

 

 近代的権力システムは、人生とアイデンティティに関する知識を発展させることで人生の現代的規範を構成し、その規律・訓練化のためのテクノロジーを発展させることによって実践されてきた。それは、禁止、抑圧、制限、調整というメカニズムによってではなく、自己の規律・訓練を通して自らの人生を生産するよう人々を仕向ける。心理学、ソーシャルワーク、医学は、このテクノロジーの発展に力を貸してきた。役に立ち、生産的で、正当な人生とはどんなものかという規範に沿って規格化された判断は、近代的権力操作の中核的活動である。だからと言って、絶望する理由はないとマイケルは言う。近代的権力はローカルな操作、私たちの親密な人生や人間関係の中のどこにでも認められるものであり、私たちがその操作に関する説明を展開し、それを転覆させる機会は限りないということになるからだ。

 

 人々がセラピーを訪れるのは、規格品がほころびを見せる時である。権力操作に抵抗し、新しいナラティブを構築するためには、セラピストの声が脱中心化される必要がある。マイケルが言いたいことは、セラピストの役割は、近代的権力のうっかりした共犯者になることではなく、日常生活の多様性を提供すること、ひとつのストーリーに収束する人生観を促進することではなく、人生のオールタナティブ・ストーリーという感覚における複雑性を生み出すこと。それが、個人およびコミュニティの倫理の問題を最前線に据えることであるとする。

 

 これを実践するべく意識している。専門用語や理論を使って平板に語るのでなく、人生の豊かさや複雑さの発見によって語れるようになること。近代的権力へのささやかな抵抗である。

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