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トピックス by村本邦子

2010.08.20
2010年8月 エジプトの神々

エジプトへ行って、一番驚いたことは、古代エジプト人たちが、死後の世界にどれほど多くのエネルギーを注いで生きていたかということだ。そう言えば、バリの人たちも、一生、懸命に働いてお金を貯め、葬儀に莫大な費用をかけるのだという話を思い出した(2007年8月のトピック「バリの火葬」ガベン参照)。死後の生を信じない人々にとっては馬鹿げた話だろう。死後のことより、「今、この時」を充実させるように生きるべきだと考えるかもしれない。

現存するパピルスの中に『生活に疲れた者の魂との対話』と呼ばれる文書がある。すっかり厭世的になった男が、悪がはびこる現生には価値はない、来生だけが救いをもたらしてくれると主張するのに対して、彼自身の魂が、人間の生命力の担い手として、これに反対し、生きることの価値を主張するという内容らしい。考えてみれば、古代エジプト人たちは、死んでもまた生き返って、同じように生活できるようにと、あらゆる努力を重ねていたわけだから、必ずしも現世を否定していたわけではない。緻密なミイラの作成法は研究と試行錯誤の結果であり、それは成功して、今なお遺体が保存されているわけだが、イヌや鳥などペットまで、ミイラとして見事に保存されていることに驚く。正確に言えば、古代エジプト人たちがエネルギーを注いでいたのは、「蘇り」なのだろう。それは、神話にも見て取れる。

ヒッタイトは、「エジプトには千の神がいる」と書き残したが、ミイラの棺や神殿には多種多様な神々が描かれている。なかでも心惹かれるのは、やはり女神たちだ。オシリスの妻でホルスの母であるイシス、太陽円盤を持つ牛の女神ハトホル、ネコの頭を持つバステト、死者の守護神で翼を持つイシスの妹ネフティス、天界の女神ヌゥト、宇宙の秩序を司るマアト・・・。ここでは、イシスとヌゥトについて紹介してみたい。

原祖の神アトゥムは、空気や大気の神シュウとともに天界の女神ヌゥトと大地の神ゲブを創造した。ヌゥトとゲブの間には、オシリス、ハロエリス、セト、イシス、ネフティスが生まれ、オシリスはイシスを、セトはネフティスを娶った。オシリスは地上の王となって善政を行い、エジプトの人々に敬われていたが、それを妬んだ弟セトが陰謀を企み、オシリスを箱に閉じ込め、ナイル川に投げ込んで殺してしまう。嘆き悲しんだイシスは夫の遺体を探し当て、祈りによって彼を蘇らせた。そして、息子ホルスを産む。セトはまたしてもオシリスを14に切り刻んでナイル川にばらまく。イシスは、その断片をひとつひとつ探し出し、つなぎ合わせて、再度、オシリスを蘇らせた。以来、オシリスは冥界の王となった。この後は、王位継承を争うセトとホルスの戦いになるが、イシスは、息子をも同様に蘇らせている。

イシスの母親にあたる天界の神ヌゥトは、体が天空を形作る裸の女性の姿で表現され、この体の中を太陽が航行する。ヌゥトは、夕方、太陽を飲み込み、朝これを生み出す。ラムセス六世王墓には、天の女神ヌゥトに生み出された太陽が天空を東から西に進み、夕方、女神に飲み込まれるまでを描いた「昼の書」と、飲み込まれた太陽が女神の体内を東に向かって進み、再び生み出されるまでを描いた「夜の書」が描かれており、宇宙と一体になった当時の宗教観を表している。これがとても魅力的な図なので、「夜の書」を描いた小さいパピルスを買ってみたが、次回は、ぜひ「昼の書」も買ってみたい。女神たちの物語には、死と再生、命の循環、つまりはライフサイクルが中心的なテーマになっているように感じられる。

フロイトの最後の著作『モーセと一神教』(拙著『援助者のためのフロイト入門』三学出版参照)には、エジプトが世界帝国になる頃(紀元前14世紀)、一時的に、太陽神崇拝のアートン教が一神教として確立されたことを説明している。絶対権力を持つ若い王アメンホーテプIV世は、魔術的思考の誘惑に対抗し、伝統的な死後の生命という幻想を切り捨て、太陽光線を神の力の象徴として崇拝し、創造の歓びとマート(真理と正義)に生きることを誇りとするアートン教を国教とした。これは王の死とともに忘れ去られるが、フロイトの仮説によれば、王の身辺にいたモーセを介して、ここからユダヤ教が成立し、結果として、キリスト教も誕生したのだ(フロイトの説は歴史学的に否定されており、むしろ、彼の神話と捉えるべきだろう)。

死と再生、多神教と一神教、父権支配と女性について考えてみたいテーマがいろいろある。学生時代、ユングの著作に没頭していたが、そのなかにはこれらのテーマがふんだんに散りばめられていた。ルクソールでは、ナイル側の東岸から、死者の国である西岸(王家の谷を初め、たくさんの墓がある)に沈む夕日を眺めながら、自分も人生後半に入るにあたって、そろそろ、あの世のことを考え始めるのも悪くないだろうと思った。今のところ、まだとりとめもない次元だが、もう少し学びを深めてみたい。
 

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