- 2008.06.23
- 2008年6月 記号としての父親!?
おととし、父親のことをテーマに修論を書いた娘がいたが(2007年2月のトピック「中年男性の人間模様」を参照)、今年は、父親のことをテーマにしている息子がいる。おととしの彼女も、父親のことがわからない娘だったが、今年の彼も、父親のことがわからないという息子だ。どちらも、家庭で、ほとんど自己表現をしておらず、つかみどころのない父親だった。ゼミで、あれこれ話しているうちに、「記号としての父親」というキーワードが出てきた。
折りしも、「象の背中」という映画を観た。相変わらずの男の夢物語に軽く失望もしたが、まさに、「これも記号としての父親パターンじゃないかしら」と思い出した。正確に言えば、記号だった父親が、不治の病、余命6ヶ月という事態を境に、グイグイと存在を主張し始めた物語なのではないか。家族の絆が結ばれ直すが、実際には、生身の出会いは適わず(誰一人、やったことがないから)、どこか「優しさごっこ」「家族ごっこ」の印象がぬぐえない。去年の修論の「家族を大切にしながら不倫をしている男性たち」(2008年2月のトピック「家族万華鏡」を参照)と同じ人種だ。私には信じられないが、これが成立する家族は一定程度あり、ある種、恵まれた社会階層とも言えるのだろう。実は、この映画に出てくる妻も、こっそり外に愛人がいたという裏物語を作ってしまったくらいだ。
この映画でも、上記の娘が分析したとおりに、家庭においては、「自分が家族を守るという役割意識、感情表現は抑圧される」の特徴が見られる。この役割意識は、長男である息子に受け渡される。「お母さんと妹を頼んだぞ」の遺言だ。年齢的には自分自身と重なるが、大学生の息子に自分のことを託されると考えると、まったくもって侮辱だ。大学生と言えば、これから家を出て、自分の人生を築く大切な時期。父親の代わりに家族を託された息子は、役割意識(責任感と言ってもよいが)を受け継ぎ、感情表現を抑圧して生きていくのだろう。なんだか切ない。そして、健気とも言える男のナルシスティックな夢物語を成立させるために、妻も娘も、自分の役割を演じるのだ。カップルや親子が生身で出会えるはずがない。
ところで、最近の私は、大きな組織に属し、しばしば、男ウォッチングを楽しんでいる(不謹慎だったら、ごめんなさい・・・)。先の娘の分析によれば、社会においては、「飾らず、素の自分をさらけ出せる」友達関係と、「他者は人脈、利害関係、感情表現は抑圧される」仕事関係がある。職場ではあるが、ここではなぜか、この両面を見ることができる。職場にいて、ある時、ふと、「子どもにとっては遊びが仕事、大人にとっては仕事が遊び」、あるいは、「遊び場としての仕事場」というフレーズが浮かんできたのだが、ここでは、生の男たち(セクシュアルという意味ではなく、限りなく人間的な姿)を感じることができる。相談のなかで、妻を通じて感じる男たちとは違う男たちの顔だ。
そんなことを考えていたら、高3の娘が「父よ、母よ」の一行詩が載ったクラス通信を持ち帰ってきた。
「父よ、おっさんだけどお父さんはメル友。母よ、尊敬とか絶対したくないけどなんかすごいと思う」「父よ、もっと家庭に関心向けてください。母よ、子どもに相談する前に、親同士で話し合って」「父よ、車を運転しましょう。母よ、犬の散歩させて申し訳ない」「父よ、あきらめないで。母よ、体を休めて」「父よ、あなたが頑張ってること、今とってもしんどいこと、こんな僕でもわかってるつもり。だからあのとき我慢して諦めたんだ。それやのにあんなひどいこと言うて傷つけたうえにやつあたりして悲しかったよ。苦しかったよ。自分は生まれて良かったのかと不安になった。母よ、進路のことだけじゃなくて、受け入れられないようなことも受けとめる努力を続けてくれてありがとう。あなたが私を産んだこと、あなたのところへ生まれたこと、そんなどうしようもないことを一番感謝しています。お弁当を作ってくれて毎日一生懸命なあなたを永遠に誇りに思います」「父よ、最近、背中小さくなったと思う。もうちょい仕事続けて。母よ、定期健診行って」「父よ、会ったことないからわからない!母よ、心から本当にいつもありがとう!」「父よ、もう少し、母を気遣ってあげてください。母よ、意味のわからない理由でキレるのやめてください」「父よ、高校生の息子にくっつかないこと。母よ、風呂上がったら服着てください」「親よ、離婚するなら結婚しなければよかったのにネ。結婚式には招待していいんですか?笑い」「親よ、大学落ちても怒らんといて」・・・などなど。
子どもたちはなんと繊細で寛大であることか。必ずしも記号ではない父親の姿を捉えているようにも見える。そういう意味で、この企画はおもしろかったし、匿名とは言え、こんなに素直に表現できるクラスの信頼関係って素敵だなと感心もした。ちなみに、娘が書いたに違いない一行詩は、「父よ、勉強教えてくれてありがとう、尊敬してるよ。母よ、お母さんといるとめちゃ楽しいし、おちつくよ」。ふ~ん。意外なコメントだったけど、そう思ってるんだ。親たちこそ、子どもを記号にしてしまわず、生の子どもの姿を見るべきなのだろう。