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トピックス by村本邦子

2008.12.24
2008年12月 ライフデザイン

 昨年より、「ライフデザイン論」という授業を持っている。「愛すること、働くこと」をキーワードに、ライフサイクルに沿って、さまざまなトピックを取り上げ、理論の紹介やグループワークなど行ってきた。若い学生たちの反応にいろいろ考えさせられることが多い。たとえば、少なからぬ若者が、「仕事イコールしんどい、大人になるのは嫌」と感じているということ。おそらく、親、とくに父親から、子どもたちは、「仕事はしんどいもの」というメッセージを受け取っているのだろう。たしかに、夜遅い電車で居眠りしている会社帰りのサラリーマンたちはクタクタに疲れているように見える。日曜日、家でゴロゴロしている父親に、「家族のためにしんどい思いをして働いている」と言われれば、「大変そうで申し訳ない」という気分になるだろう。

 本当にそうなのだろうか?さまざまな職場で働く男たちを思い浮かべながら、「みんな、結構、楽しそうにやってるけど・・・」と突っ込んでみたくなる。多くの男たちは、愚痴はこぼしても、そんなに嫌々、働いているわけでなく、好き好んで働いているように見える。ひょっとすると、家族向けに、仕事のしんどさばかりをアピールしている側面があるのではないだろうか。仕事がしんどくないと言えば嘘になるが、しんどいばかりではない。仕事を通じて社会に大きく開かれ、力を合わせて何かを作り出す喜びもある。同僚たちとの関係で、支えたり、支えられたり、対立したり、悩んだり、時には、友人とも出会える。仕事を続けて初めて知る面白さは数限りない。ちょうど、学校や部活を思い浮かべたらいいのかもしれない。楽なことばかりではないけれども、そこには多様な世界と意味がある。子どもたちには、もっと仕事の面白さを伝えてもよいのではないだろうか。

 そして、ジェンダー。ベルイマン監督の「野いちご」を見せる。主人公であるイーサクは、仕事一筋に生き、医者としてたくさんの人々を救い、感謝もされ、研究面でも多くの功績を残し、名誉博士号を授与されるというのに、その日の朝、悪夢に苦しめられることになる。「働くこと」はしてきたけれど、「愛すること」を怠ってきた罪への罰は、「孤独」だというのだ。対比的に、ロザンナ・アークェット監督の「デブラ・ウィンガーを探して」を見せる。40代になった34人のハリウッド女優たちに、仕事と子育ての両立についてインタビューするという映画だ。女たちは、常に、「愛すること、働くこと」のバランスに悩み、苦しみ、もがきながら生きている。ロザンナは、愛か仕事(バレエ)かを迫られて、鉄道に身を投げる「赤い靴」で映画をスタートさせ、自分自身の豊かな才能は抑え、夫や妻を支え続けて、結果、癌で亡くなった母親のお墓で映画を締める。男たちは悩まない。だからこそ、イーサクのように、老年期になって初めて人生の喪失を知ることになるのだ。

 そのほか、レポート課題を提示し、「世界の二十歳」で、文化圏の違う若者たちがどんな生活をしているのか、「八十歳のライフコース」で、高齢者がどんな人生を生きてきたのかをインタビューさせ、個人の人生が、社会階層や文化、時代によって、どれほど大きい影響を受けるのか学ぶ。狭い世界に生き、自分の人生を早々と限定してしまいがちな学生たちにはよい刺激になる。そうして、綿密にデザインして、理想の人生を作らなければならないのではないかと思いこんでいた若い者たちが、人生いろいろ、何が良くて何が悪いのかわからない、自分自身や周囲の人を大切にしながら、その時々を精いっぱい生きていくことで人生はおのずと形成されていくのだと考えるようになっていく。やっていて面白い授業である。本当のところ、働くことこそ愛することではないのかと思っている私である。

2008.11.27
2008年11月 対人援助学のすすめ

 11月9日、立命館大学応用人間科学研究科の校友会主催による「対人援助フォーラム2008 あきらめない対人援助」と題するイベントがあった。基調講演は、兵庫県養父市公立八鹿病院近藤清彦先生による「命を支える医療と音楽療法」。ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を抱える患者さんやその家族に粘り強い支援を提供し続けてきたドクターだ。医療は、サイエンスの力によって命を救うだけでなく、アートの力によって「いのち」を支えることが重要であるという内容。理念も崇高ながら、先生ご自身の実践エピソードも感動的だった。

 アートのひとつとして、近藤先生が使っているのが音楽。院内に合唱団を組織したり、定例で院内コンサートをしたり、また、電子ハープを持って往診に行き、歌ったり。そう言えば、アメリカのPh.D時代、小さなハープを片手にターミナルケアの実践と研究をやっていた人がいたな。分科会では、卒業生で、音楽療法家として活躍中の西村ひとみさん(音楽療法士事務所音縁主催 http://www.eonet.ne.jp/~akisan-park/onen/index.htm)のセッションものぞいたが、音楽は人と人の境界を超え、つながりの空間を作り出す。音楽でなければならないことはないと思うが、誰でも手軽に入れることから、音楽が有望なツールのひとつになるのだろう。何より、自分の大好きなことを活かすという発想が人と人との出会いを可能にするのだと思う。つまり、音楽にさほど魅力を感じない人が、音楽療法を使ったとしても、あまり効果はないだろう。ドラマにしても、マッサージにしても、描画にしても同じだろう。

 「対人援助学」とは、今年で8年目になる立命館大学応用人間科学研究科が蓄積を重ねつつある新しい学問。人の援助に関わる仕事は、連携と融合による学際的なものであるはず。そこには、実践の積み重ねと現場の知恵を集大成し、さらに広く応用可能なものとして体系化して情報発信していく。「それっていったい何?」と、8年、私自身も考え続けてきたが、ようやくその神髄が見えてきたところだ。片方にサイエンス、片方にアートを。他者や世界に向けてよいことをすることが心身の健康の条件のひとつということを先月書いたが、対人援助が人を支え、自分をも支えるような円環的なものであるだろう。苦労はあっても、他者に喜んでもらえて、自分自身も喜べて、互いに元気になるような援助の在り方。これまでだって、ずっと志してきたものである。

 
 まだまだよちよち歩きで失敗も多いが、これからの発展を期待しているし、自分自身も貢献したいと思う。来年には、いよいよ対人援助学会がスタートする。準備会を含め、誰にでもオープンな場を目指している。皆さんもどうぞご一緒に!

2008.10.27
2008年10月 体の叡智

 昨年に引き続き、「21世紀統合医療フォーラム」の第2回に参加した。最初の基調講演は、サンフランシスコ州立大学のエリック・ペッパー先生。ソマティックス(=「一人称のからだ」と訳していた)とフィードバックの役割がテーマだった。健康に役立つのは3つ、①食事 ②体を動かすこと ③他者や世界に向けてよいことをすること だそうだ。①②が③と並列して挙げられているのが新鮮だった。そして、③の効果は持続性があるとのこと。な~るほど。

 ペッパー先生のプレゼンでは、途中、パワーポイントの画面に定期的(15分おき?)に、「体を動かす時間だよ!」というコマが飛び込んできて、簡単な運動の動画が始まる。これが始まると、話の途中でも、先生含め、みんな立って、伸びをしたり、隣の人と背中を合わせてゴニョゴニョしたりしなければならない。意外で、笑えて、楽しかった。とにかく、定期的に体を動かし、ちょっとだけでもエネルギーレベルを上げるのがよいのだそう。

 そして、バイオフィードバックの実験。フロアから男女2人が前に出て、指先に電極をつけ、波の動きがスクリーンに映し出される。ちょっとした不安や安心が見事に現れる。おかしかったのは、フロアから選ばれた3番目の人が前に呼ばれ、「これから、この2人にキスしてください」と指示が出されたときのこと。フロアの私たちもギョッとしたが、前の2人はもっと驚いたに違いない。見事に波が大きく変動した。もちろん、実際にキスなどしない。なんて体は正直なんだろう。しかも、波の動きは、イベントよりちょうど2秒遅れて発生する。これが、神経から指先までに信号が届く時間なんだそうだ。

 さまざまな心身症の人々のバイオフィードバックの変化を見せてもらったが、見事と言うほかない。心と体はこんなにも密接に関係しているのだ。

 今年は、数あるワークショップのなかから、岸原千雅子さんによる「アロマセラピーとドリーミング」、藤原千枝子さんによる「ソマティック・エクスペリエンス」、藤井里佳さんによる「フェルデンクライス」を選んで参加した。どれも面白かった。体はなんて精巧にできているのか、私たちが小賢しく頭を使って、どんなに一生懸命考えたとしても、体や自然の叡智には到底及ばないのだということを痛感した。そして、さまざまなワークを通じて、すっかりリラックスした。

 もうひとつはイメージの面白さ。とくに、アロマを使ってのドリーミング体験は新鮮だった。ひとつの香りを、イメージ体験への入り口として使用するというのは、たしかにグッドアイディアだ。香りであるから、ペアで、あるいはグループで、体験を分かち合うこともできる。つい先日、音楽を使ってイメージの分かち合いをやって、興味深く思ったが、いろいろ使えそう。若いころと比べ、生き生きとした夢を見ることがめっきり減ってしまったが、久しぶりにイメージがリアルに活性化された体験だった。

 今日の午後のシンポでは、「女性のライフサイクルと統合医療」のテーマで司会をやったのだが、私自身、ライフサイクルによる自分の変化を感じる今日この頃である。更年期症状というのはあまり感じないが、めっきりエネルギーレベルが落ち、若かった時のようにたくさん眠ることができなくなった。ペッパー先生の説に反して、エネルギーレベルを上げようという気にもなっていない。今は、省エネモードで生きていけばいいんだと感じている。これも体の叡智か。

 ボティワークをやっている人たちは、さすがに若々しくエネルギッシュに見える。口を揃えて、「体から入れば簡単!」と言う。世の中には、体から簡単に入れる人とそうでない人がいるのだろう。私自身は、加齢とともに、体が解放され、簡単に入れるようになりつつあるように思う。頑張ったり、無理したり、耐えたりするのでなく、「体に気持いいことがいい」という発想もますます気に入っている。健康の①②③を心掛け、体の叡智に耳を傾け、元気に長生きできるといいな。

2008.09.17
2008年9月 ドイツと日本~過去との向き合い方

 今年は3月、9月とドイツを2度訪れた。ドイツに行ってみてわかることは、加害行為が国内のあちこちで行われていたということ。強制収容所だった施設が、ドイツ国内にたくさんあり、今では、被害に遭った人たちのことを忘れず、過去から学ぶための記念館、博物館となっている。ナチと関わりのある施設、たとえば、絶滅計画を決定したヴァンゼー会議場、ニュルンベルグ裁判が行われた法廷、ナチの党大会会場などが資料センターとなり、街のあちこちに追悼記念碑を見つけることができる。過去を葬ってしまわずに、残しておこうという意欲あってこそだが、それだけ、人々の身近なところで加害が行われていたということでもある。その具体的内容が、当時、どの程度まで知られていたかは別にしても、後世の人々も、この国のなかで公然と怖しい犯罪が行われていたことを思い知らされ、過去を否認することなど不可能である。

 日本でも、強制労働はじめ、国内で加害行為が行われていたものの、いわゆる「従軍慰安婦」にしても、南京虐殺にしても、加害の大半は国外で行われていた。ほとんどの兵士たちは、加害を目撃していただろうが、帰還して口をつぐんでしまえば、圧倒的多数の人々にとって、過去の加害行為は努力しなければ知りようのないことになった。国外へ一歩踏み出せば(正確に言えば、沖縄でもよい)、日本軍の戦争加害の痕跡とあちこちで出会うし、知ろうとする姿勢と努力さえあれば、国内でも帰還兵の証言や手記などを通じて知るチャンスはある。それでも、努力せずに見えてくるものは、広島、長崎など被害の側面だろう。実際のところ、沖縄を除く本土の民間人の死者は、ほぼすべて空襲によるものである。

 たまたま3月に通訳をしてくれた法学を専門とする大学院生の女性のお母さんが、日独比較をしており、ホロコーストと南京虐殺を取り上げたシンポジウムをやったことがあると聞き、今回、ハレ大学に訪問した。Foljanty-Jost教授である。東大とハレ大学で、共同大学院を開講しており、毎年、日独の学生たちが共同で歴史との向き合い方の比較研究をしているということ。初めて知ったが、興味深い試みだ(私も学生になりたいくらい)。助手をしているティノ・シェルツさんという男性の院生が、「過去との断絶と連続~1945年以降のドイツと日本における過去との取り組み」(『ヨーロッパ研究第6号』、2007)という論文をくれた。さっそく読んでみたが(幸い日本語で書かれたものである)、とても面白かった。

 要するに、ドイツは過去に区切りをつけ、新しい出発をし、日本は過去と連続したまま今に至るが、どちらも過去を歪める阻害要因を抱えているのだという。ドイツの場合、「われわれ」を世代として自己規定し、後に生まれたものとして距離をとることによって、ナショナルな帰属からも、過去の拘束からも解放されてアイデンティティを構築することができる。つまり、過去と自分たちは別なものとして切り離してしまうということになる。これに対して、日本は、過去と現在は連続しており、訴追を受ける恐れがなかったゆえに、1970年代以降の自分史運動のなかで一般兵士の回想録が出され、戦争や自らの犯罪についての言及が見られ、戦争犯罪の残虐性についてもリアルに記述することができたのだという。

 必ずしもドイツを理想化することはできない、ドイツも日本もそれぞれに独自の問題を抱えているということで日本の課題を相対化してしまう気持ちにはとてもなれないが(日本の連続性は、統合に向けたものとはほど遠く、混沌としており、容易に嘘で覆いかぶせてしまえるほど脆いものだ)、それでも、戦前までの歴史の違いや戦後の外交条件の違いなどは大きく、単純に比較できないことはよくわかった。今後、ドイツと日本はどのような方向で過去と向き合っていくのだろうか。

 ホロコースト教育の先進的な研究所であるフランクフルト大学フリッツ・バウアー研究所も訪ねたが、最近になって、第二世代、第三世代が個人のルーツを知ろうとする動きが見られるという。研究所では、ネットを通じて、自分の祖父たちが具体的に何をしたのか調べることを可能にするためのサービス提供を準備しており、さらに、そういった人たちのセルフヘルプグループの支援なども考えているそうである。ドイツにおいては、世代の断絶を乗り越えようとする新しい試みがすでに始まっていると言えるのかもしれない。さて、日本社会の行方は?

2008.08.26
2008年8月 ドラマセラピー

 毎年恒例、芸術研究所主催夏の保育士研修では、いつも、ロールプレイをやる。一日目は「気になる子ども」、二日目は「困った親」への対応場面だ。ロールプレイの経験はまったく初めてという人がほとんどなので、やることの説明をすると、皆、一瞬、ギョッとした顔をする。でも、実際にやってみると、さすがは保育士さんたち。驚くほどうまい。

 何もしないのにいきなり噛み付く二歳児や、みんながお片づけしているのに一人だけ嫌がって逃げ回る子、「せっかくでんぐり返ししたのに、お母さんがお化粧に一生懸命で、見てくれなかったから、朝、大泣きしてやったんだ!」と言う子、お弁当の時間、座りたかった椅子に座れずすねてしまったから、お友達が気をきかせて譲ってくれたのに、なぜか怒り出してしまった子・・・。現場からユニークな子どもたちの姿が浮かび上がってくる。園で子どもが蚊にさされたと苦情を言ってくる母親、子どもの問題を受け入れられない母親、再婚相手の虐待を認めない母親・・・など、保護者の姿もさまざまだ。

 対応に困る親子の姿は、話だけを聞いていると、ますます困ってしまう感じがするが、「とりあえず、やってみましょう」と役を決め、演じてみると、「な~るほど。そんな気持ちだったのか~」と納得がいく。同じケースに、バージョンを変えた対応をしてみると、返す言葉で、こんなにも気持ちの動きが違ってきて、展開が変わるのだと、あらためて驚かされる。私自身が、毎回、勉強させてもらっている感じだ。それに、仮に、講師が同じ答えを言ったとしても、おそらく、実際に自分たちで体験して出した答えとは、参加者の納得度合いは違うことだろう。

 うちの研究所では、時々、スーパーバイザーとして、家族療法家の早樫一男先生をお招きし、「家族造形人間彫刻」という手法を使った研修をやっている。こちらは演技をするわけではないが、一人ひとりが粘土の塊になって、彫像として作られ、体を通じて、家族の力動を感じてみるというものだ。説明だけではわかりにくいと思うが、実際にやってみると、ロールプレイと似たような体験となる。ロールプレイのいったん停止型とでも言おうか。どちらかと言えば、体で感じるものの重きが大きい。このような技法を使うと、頭だけで想像していることをはるかに超え、皆にいろんなことがわかってしまうから不思議だ。

 先日は、私自身が、アルマンド・ボルカスさんによるドラマセラピー「過去を共有し、未来を築くワークショップ~アジアの戦後世代が継承する戦争体験」を経験した。ドラマの力を感じる感動的な体験だった。演じるということは、イメージを超え、こころとからだ、そして魂のレベルで感じることなのだろう。ウォームアップのワークもとても楽しく、グループに心を開くうえで効果的だったと思う。以前、少し自分でもやっていたことはあったのだけど、すっかり忘れていたな、この感じ。ドラマの力はすごい(エッセイ2008年7月の方も見てね)。

 人間には本来、すばらしい共感能力が備わっているのだと思う。ドラマという設定が、その力を引き出すのだろう。頭だけ、心だけ、体だけでなく、まるごと全存在を使って感じてこそ開かれる世界がある。来年は、是非、ドラマセラピーを学んでみたいと思っている。ポール・コナートンという社会学者は、集合的記憶は、文字よりも身体経験や儀式を通じて伝達されると言っている。ドラマセラピーは、戦争などの集合的トラウマを扱うもっとも優れた手法なのではないだろうか。できれば、アルマンド・ボルカスさんのところに学びに行くチャンスを作りたいなと、秘かにもくろんでいる。

2008.07.19
2008年7月 市民による和解をめざして

 7月9日、札幌で、「国際シンポジウム~市民がつくる和解と平和」が行われた。主催者たちが強調していたが、ここで言う「和解」とは「歴史和解」のこと。北海道大学の小田博志さんによれば、「歴史上の暴力、とくに植民地支配や戦争によって生じたさまざまな問題を改善する努力を通して、当事者の間の関係を修復する」ことだという。当然ながら、歴史上の出来事の記憶を点検し、責任を引き受けることが前提となる。戦後責任について勉強するにつれ、いかに自分が無知であったかを思い知らされる毎日だ。

 たとえば、今回のシンポジウムで新たに学んだことは、強制連行犠牲者のこと。ドイツの戦後責任について学ぶなかで、ドイツが2000年に「記憶・責任・未来」法という法律を作り、政府と企業とで基金を作り、ナチ時代の強制労働に対する個人補償をしてきたことを知った。当然ながら、「日本はどうだったのだろう?」と日本の強制労働に関する訴訟については少し理解したが、十分にはピンときていなかった。

 今回のシンポジウムのひとつのセッションで、「遺骨を届ける~強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラムの活動」の講演があった。2002年、本願寺札幌別院は、納骨堂に置かれてきた戦時下の強制連行犠牲者の朝鮮人、中国人の存在を公表した。101体の遺骨は、北海道、樺太などで強制労働に使役した土建会社などから預けられたものだった。講演者である殿平善彦さんというお坊さんが、「ひとつの遺体の向こうに、帰りを待ち望んでいる家族がいることを想像することはそれほど困難ではなかった」と述べたが、「そうだ、その想像力さえ持ち合わせていれば、戦時中といえども、あそこまで残虐な殺害は起こらなかったに違いない」と感じ入った。

 これをきっかけに、70年代から強制連行や強制労働の調査や遺骨発掘を続けてきた人々が、2003年、北海道フォーラムを結成し、遺骨を遺族の元に返す運動を始める。調査を進めるなかで、強制連行犠牲者の遺骨問題が日本の戦後責任として表面化した。2006年には、猿払村の共同墓地で、韓国人、中国人、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族、日本人など300人が一緒になって、旧陸軍飛行場建築で犠牲となった労働者の遺骨発掘を実施した。この取り組みは、「東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ」と名づけられて継続され、東アジアの学生や地元の高校生など多くの若者が参加しているという。まさに、市民による和解の可能性を感じさせる感動的な取り組みだと思う。

 強制連行犠牲者の遺体は、北海道だけでなく、全国各地にたくさんあるに違いない。私たちの足元にも、発掘や返還の希望がないまま埋もれている遺体があるのかもしれない。知らないことがどんなにたくさんあることか。中国から来られたシンポジスト、弁護士である康健さんは、日本の人権のダブルスタンダードを指摘した。たとえば、日本のメディアは、北朝鮮の拉致問題については相当の時間と紙面を割いて報道するが、当時の日本の国策に基づいて、日本に強制連行され、強制労働させられた4万人近くの中国労働者については淡々と報道するだけだ。本当にそうだ。同じ命なのに・・・。

 ドイツでは、罪と責任をはっきり区別するという。罪は個人に属するもの、責任は集団に属するものなのだそうだ。戦争に関わっていない若者に罪はないが、その社会に属するものとして責任はある。南京でもそうだったが、自分の足元のことを考えると、なんだか罪悪感に圧倒されてしまうが、罪はないのだと言ってもらえると、少しだけホッとする。罪があると言われると、どうしていいかわからなくなるが、責任ならば背負えるかもしれないと思えるのだ。

 今回のシンポジウムは、国レベルですべきことは法律と補償、和解は市民レベルでなければ起こりえないだろうという趣旨だった。市民の力に希望を見出そうとする姿勢こそが、市民のエンパワメントだと思った。自分の知らないところで、こんな市民運動がたくさんあって、活動を続けていること、人生の先輩たちも、人生の後輩たちも、一緒になって和解を求めて取り組んでいることをしっかりと記憶に刻み、伝えていきたいと思う。そして、私も自分のいる場所で責任を果たしたい。

2008.06.23
2008年6月 記号としての父親!?

 おととし、父親のことをテーマに修論を書いた娘がいたが(2007年2月のトピック「中年男性の人間模様」を参照)、今年は、父親のことをテーマにしている息子がいる。おととしの彼女も、父親のことがわからない娘だったが、今年の彼も、父親のことがわからないという息子だ。どちらも、家庭で、ほとんど自己表現をしておらず、つかみどころのない父親だった。ゼミで、あれこれ話しているうちに、「記号としての父親」というキーワードが出てきた。

 折りしも、「象の背中」という映画を観た。相変わらずの男の夢物語に軽く失望もしたが、まさに、「これも記号としての父親パターンじゃないかしら」と思い出した。正確に言えば、記号だった父親が、不治の病、余命6ヶ月という事態を境に、グイグイと存在を主張し始めた物語なのではないか。家族の絆が結ばれ直すが、実際には、生身の出会いは適わず(誰一人、やったことがないから)、どこか「優しさごっこ」「家族ごっこ」の印象がぬぐえない。去年の修論の「家族を大切にしながら不倫をしている男性たち」(2008年2月のトピック「家族万華鏡」を参照)と同じ人種だ。私には信じられないが、これが成立する家族は一定程度あり、ある種、恵まれた社会階層とも言えるのだろう。実は、この映画に出てくる妻も、こっそり外に愛人がいたという裏物語を作ってしまったくらいだ。

 この映画でも、上記の娘が分析したとおりに、家庭においては、「自分が家族を守るという役割意識、感情表現は抑圧される」の特徴が見られる。この役割意識は、長男である息子に受け渡される。「お母さんと妹を頼んだぞ」の遺言だ。年齢的には自分自身と重なるが、大学生の息子に自分のことを託されると考えると、まったくもって侮辱だ。大学生と言えば、これから家を出て、自分の人生を築く大切な時期。父親の代わりに家族を託された息子は、役割意識(責任感と言ってもよいが)を受け継ぎ、感情表現を抑圧して生きていくのだろう。なんだか切ない。そして、健気とも言える男のナルシスティックな夢物語を成立させるために、妻も娘も、自分の役割を演じるのだ。カップルや親子が生身で出会えるはずがない。

 ところで、最近の私は、大きな組織に属し、しばしば、男ウォッチングを楽しんでいる(不謹慎だったら、ごめんなさい・・・)。先の娘の分析によれば、社会においては、「飾らず、素の自分をさらけ出せる」友達関係と、「他者は人脈、利害関係、感情表現は抑圧される」仕事関係がある。職場ではあるが、ここではなぜか、この両面を見ることができる。職場にいて、ある時、ふと、「子どもにとっては遊びが仕事、大人にとっては仕事が遊び」、あるいは、「遊び場としての仕事場」というフレーズが浮かんできたのだが、ここでは、生の男たち(セクシュアルという意味ではなく、限りなく人間的な姿)を感じることができる。相談のなかで、妻を通じて感じる男たちとは違う男たちの顔だ。

 そんなことを考えていたら、高3の娘が「父よ、母よ」の一行詩が載ったクラス通信を持ち帰ってきた。

「父よ、おっさんだけどお父さんはメル友。母よ、尊敬とか絶対したくないけどなんかすごいと思う」「父よ、もっと家庭に関心向けてください。母よ、子どもに相談する前に、親同士で話し合って」「父よ、車を運転しましょう。母よ、犬の散歩させて申し訳ない」「父よ、あきらめないで。母よ、体を休めて」「父よ、あなたが頑張ってること、今とってもしんどいこと、こんな僕でもわかってるつもり。だからあのとき我慢して諦めたんだ。それやのにあんなひどいこと言うて傷つけたうえにやつあたりして悲しかったよ。苦しかったよ。自分は生まれて良かったのかと不安になった。母よ、進路のことだけじゃなくて、受け入れられないようなことも受けとめる努力を続けてくれてありがとう。あなたが私を産んだこと、あなたのところへ生まれたこと、そんなどうしようもないことを一番感謝しています。お弁当を作ってくれて毎日一生懸命なあなたを永遠に誇りに思います」「父よ、最近、背中小さくなったと思う。もうちょい仕事続けて。母よ、定期健診行って」「父よ、会ったことないからわからない!母よ、心から本当にいつもありがとう!」「父よ、もう少し、母を気遣ってあげてください。母よ、意味のわからない理由でキレるのやめてください」「父よ、高校生の息子にくっつかないこと。母よ、風呂上がったら服着てください」「親よ、離婚するなら結婚しなければよかったのにネ。結婚式には招待していいんですか?笑い」「親よ、大学落ちても怒らんといて」・・・などなど。

 子どもたちはなんと繊細で寛大であることか。必ずしも記号ではない父親の姿を捉えているようにも見える。そういう意味で、この企画はおもしろかったし、匿名とは言え、こんなに素直に表現できるクラスの信頼関係って素敵だなと感心もした。ちなみに、娘が書いたに違いない一行詩は、「父よ、勉強教えてくれてありがとう、尊敬してるよ。母よ、お母さんといるとめちゃ楽しいし、おちつくよ」。ふ~ん。意外なコメントだったけど、そう思ってるんだ。親たちこそ、子どもを記号にしてしまわず、生の子どもの姿を見るべきなのだろう。

2008.05.19
2008年5月 今、親に聞いておくべきこと

 今年の年報は、「世代を越えて受け継ぐもの」をテーマにしているので、研究の前段階として、それぞれ親にインタビューを行い、自分のルーツを確認する作業をしている。一度で終わらないので、電話をしたり、実家に帰ったりして、何度も繰り返しインタビューしている人もいる。私自身もまだ途中だ。

 この話を日記に書いたところで、『今、親に聞いておくべきこと』というタイトルの本が出版されていることを教えてもらい、早速、注文した。上野千鶴子監修で序文を書いているが、実際には、田島安江さん、藤原ゆきえさんという2人のライターの思いから出来上がった本のようだ。2人は身内の死をきっかけに、「今、親が亡くなってしまったら、永遠にわからないことがあるだろう。私は親のことをどれだけ知っているだろうか」と聞くべきことが次々に浮かんできて、聞き書きによって子どもが1冊の本を作り上げるという形を思いついたのだという。

 章ごとにテーマがあって、聞いたことを書けるように白紙の部分が挟み込んである。1章は「今、聞かなければ間に合わない」、2章「親の生い立ちを知る」、3章「戦争と平和を語り継ぐ」、4章「親を通して自分を知る」、5章「親の現在を知る」、6章「聞きにくくても聞いておく」、7章「聞きたくても聞かない方が良いこと」、8章「今のうちに親と和解しておきたいこと」、終章「親のためにできること」で、うまく構成されているなと思う。

 かねがね、親にインタビューをするというのは良いアイディアかもしれないと考えてきた。これまでも、(家族問題を扱っている)大学院のゼミで、自分自身の家族問題から研究テーマを設定している学生たちには、まず、自分の親にインタビューするという提案をしてきた。日本の文化には、「語らず察する」という美学があるため、大切なことを言葉にして伝え合わない傾向があるが、インタビューという形式をとることで、互いに一定の距離を得て、あらたまって語り、聴くという関係が成立する。親へのインタビューを通じて、しばしば、親子関係の修復が始まるということが起こった。昨年、学部の授業でも、祖父母世代に対してだったが、インタビューの宿題を出してみたが、あちこちで面白いことが起こった。

 もちろん、無責任に聞けばよいというものでもない。聴かせて頂くからには、きちんと向き合って、受けとめるという覚悟が必要だし、そもそも、インタビューが成立するためには、インタビューを受けてみようという語り手の決意が前提である。親世代が心を開けないこともあるだろう。7章の「聞きたくても聞かない方が良いこと」の章は、「誰にでも墓まで持っていきたいことがある」の節からのみ成っているが、他者の心の扉を力づくでこじ開けようとしたり、土足で入り込むようなことはできない。それでも、ちゃんとした聴き手と機会を得たら、外に出たがっている記憶というものは、想像以上にたくさんあるのではないかという気がする。

もうひとつ、条件が必要かもしれないとも思う。インタビューというからには、聴いて終わりではなく、聴いたことを何かにつなげていくという、何がしかの目的があるはずだ。語る/聴くという二者関係を越えて拡がっていく回路が必要なのではないか。そういう意味では、この本を個人で使うのは難しく、共有できるグループがあった方がよいのかもしれない。つくづく、人間とは、歴史的存在であり、社会的存在なのだと思う。過去を無視した現在を生きようとすれば、浮き草であるしかない。これは、真空に浮かぶ「心」という現代にありがちなモデルに近い。根を張るためには、土壌を知ることが必要だ。個の歴史も、家族の歴史も、国の歴史も、そして、世界の歴史も互いに関係しあっている。縦のつながりと横のつながりを得て、はじめて安定した足場も持てるだろう。サイコロジストとしての自戒もこめつつ。

2008.04.11
2008年4月 フラ&チャンティング

 この春、ハワイ島でフラとチャンティングのワークショップに参加してきた。おもしろい体験だったので、今月はこのことについて。映画「フラガール」ですっかりブームになったフラダンスだが、フラとは、ハワイ語で「踊り」を意味するため、フラダンスという言い方は正しくないのだと知った。ハワイでは、みんな「フラ」と呼ぶ。

 フラには2種類ある。カヒコと呼ばれる古式フラは、古代から伝わってきたフラで、シンプルな太鼓とチャントに合わせて踊るもの。万物への祈りや感謝を表し、神々に向けて踊る。素朴で力強く、かっこいい踊りだ。一方、アウアナと呼ばれるフラは、ウクレレやギターなどモダンな楽器が入り、美しい色とりどりの衣装を着て踊られるモダンフラである。「フラガール」以前に私たちが共有していたフラのイメージはこっちの方だと思う。

 もともと、文字のなかった時代、原住民たちは、物語を踊りによって伝えていた。白人がハワイに上陸すると、全裸に近い状態で踊るのはふしだらであるとフラは禁止された。その後、カラカウアが王位についてから、フラは解禁となり、白人が持ち込んだ楽器も使用して、優雅に踊るモダンフラが生まれたという。

 そして、フラにはチャントがつきものだ。チャントとは、フラを踊る歌のようなものだが、単なる歌というより、「聖なる歌」に近い(「チャント」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、お経だ)。あるクムフラ(クムとは師匠の意味で、フラの師匠を指す)は、「フラは踊りから始まるのでなく、まずは言葉だ。フラを学びたい人は、まず、ハワイ語を学び、チャントの意味を理解するように」と言っている。

 さて、今回は、友人である小田まゆみさんが師事するクム・ケアラのフラ&チャンティングのワークショップに何度かご一緒させてもらった。なにぶん初めてなので、まったくの見よう見まねだが、基本的にフラもかがみ腰で踊るようで、この姿勢はバリ舞踏とも共通するので、初めてにしては、もっともらしく踊れたような気もする(!?)。それに、どうもフラは、みんなできれいに揃えることより、それぞれが神と交わりながら踊ることが大切なようで、私には合っているのかも。自分を信じて踊ることが重要なのだそうだ。ある程度、振りを覚えた2度目には、楽しく(というか気持ちよく)踊ることができた。

 チャンティングの方は、はじめに英語でハワイ語の解説をしてくれるのだが、どうも難しい。音をまね、声を出すことはできるが(そして、これもとても気持ちがいい。ヨガの呼吸に近いのではないだろうか)、チャントの意味を理解するにはちょっと届かなかった。ハワイ語はとてもシンプルで、ひとつの言葉にたくさんの意味があり(たとえば、「アロハ」の意味を伝える子ども向きの絵本を買ったが、これだけでも20ほど違った意味がある)、おなじチャントを何重にも解釈することができるようだ。奥が深すぎる・・・。

 こうしてフラ&チャンティングを学びながら、クム・ケアラを囲む"Na Wai Iwi Ola Foundation"のファンド・レイジングのイベントに参加し、メンバーのフラを見たり、偶然にも、運よく年に1度ヒロで開かれる世界最大のフラのフェスティバルへも行くことができたので(それまでハワイ島ではほとんど日本人観光客を見かけなかったが、このイベントには、たくさんの日本人が来ていた)、結構、フラ体験を堪能した。

 クム・ケアラのチャンティングがあまりに魅惑的なので(何て言うのか、うまく表現できないが、魂に心地よいといった感じ)、無理を言ってCDを手に入れてきたが、驚いたことに家で聞くと、何かが違う。それで、ようやく理解した。きっと、フラは、海辺で、沈む夕日を背景に、ハワイの大自然に抱かれながら踊るものなのだ。何て言うのか、全体のなかに位置づけられて初めてフラなんだと思う。たまたまロミロミを習った人と一緒になったので、他のマッサージと比較してロミロミのロミロミたるゆえんは何なのか尋ねてみたが、どうも、ロミロミの講習の大半はハワイアンの哲学らしい。すべては、ハワイアンのビリーフ・システムのなかに有機的に存在するのだ。断片だけを取り出しても、その本質は見えてこないのだろう。

 それぞれの文化にはそれぞれのビリーフ・システムがあり、そこには伝統によって蓄積された知恵の宝庫がある。そんなことを改めて実感したフラ体験だった。初心者の印象を無責任に紹介しただけなので、無理解や間違いがあるかもしれません。その場合はご容赦を。なお、クム・ケアラのフラ&チャンティング・ワークショップが、近く日本にやって来る。5月21-30日、江ノ島と富士にて。日本の自然のなかにクムのワークショップがどんなふうに全体的にはまるのか興味津々。関心のある方は英語だけどHPで(www.nawaiiwiola.org )。

2008.03.24
2008年3月 ラーヘンスブリュック~女性と子どもの強制収容所

 今月は、縁あって、ドイツ視察の機会を得、日頃より関心をよせてきたホロコースト関連記念館をいくつも訪ねて歩いた。ベルリン市内にあるユダヤ博物館やユダヤ人虐殺記念館の斬新さにも驚かされたが(これらについても、ぜひ、どこかで紹介したい)、なかでも、唯一女性と子どもを対象とした強制収容所だったラーヘンスブリュックは、とくに印象深かった。

 ラーヘンスブリュック強制収容所は、ベルリンから北に80キロほど離れたあたかも避暑地かと見える湖を抱えた美しい街にあった。1938年、ザクセンハウゼン強制収容所から500名の囚人が動員され、建設されたのだという。ここは、女性解放運動家、女性の社会主義者、共産主義者、同性愛者、キリスト教者などの収容所だった。1939年5月最初に輸送されてきた囚人867人のうち、860人はドイツ人だった。こんなに多くのドイツ人女性たちが、ナチに抵抗して、強制収容所に入れられたという事実は初耳だった。まもなくポーランド侵略を開始し、第二次世界大戦が始まると、ヨーロッパ全土から女性囚人たちが集められ、1945年ソ連軍によって解放されるまでに、記録として残っているだけで13万3000人がこの門をくぐり、うち約9万2000人が飢餓、強制労働、チフスはじめさまざまな病気、拷問、ガス室送りなどで殺されたという(『母と子のナチ強制収容所~回想ラーヘンスブリュック』ショルロッテ・ミラー著、星乃治彦訳、青木書店)。ムチ打ちの刑、射殺のほか、人体実験、不妊手術も行われた。

 館内には、ラーヘンスブリュックの歴史とともに、「ラーヘンスブリュックの女たち」の展示があり、さまざまな背景で逮捕されここに収容された27名の女性の写真や経歴が紹介されていた。いろいろな女性たちがいるが、どの女性たちも、みな美しいことに驚いた。収容所に入れられる前の写真なのだが、よく見て、よく考えてみたが、その美しさの中にあるのは、まっすぐな眼なのだと気づいた。それは、彼女たちの信念や意志の強さの現われなのだと考えると合点がいく。同様に、別途、ここのサバイバーの女性たちの肖像を描くという企画が何年か前にあったようで、いくらか展示してあったが、そこに描かれている女性たちも、みなそれぞれに個性的で素敵だった。今やすっかり高齢となった女性たちではあるが、信念を貫いて生き延びた女性たちの気高さが見て取れるし、人生の酸いも甘いも味わいつくし、壮絶な人生を生き抜いてきた深みや知恵が伝わってくるようだった。同時に、サバイバーたちの肖像画を描くというのはいいアイディアだなと思った。絵を通じて、描き手のサバイバーへの敬意や愛情や示され、見るものにも影響を与えるのだ。

 他方、別棟には、SSの手下となってラーヘンスブリュックの看守側に回った(つまり拷問する側だ)女性たちに関する展示があった。強制収容された女性たちの写真とまったく対照的だった。眼が死んでいるというのか、よどんでいて、エンパワーの反対というか、主体的な力を奪われてしまった悲しく無力で受動的な存在のように感じられた(もちろん、展示の意図もあるのかもしれないとも思うが)。実際のところ、ラーフンスブリュックでは、苦境において女性たちが互いに助け合っていたという証言がたくさん残されている。十分に調べていないので明言はできないが、もしかすると、強制収容所のサバイバーたちが多くの手記を残しているのがここなのではないだろうか。ナチに抵抗し、さまざまな背景から、信念を持ってここに収容された女性たちが助け合ったということは十分に納得のいく話だ。

 もうひとつ素晴らしいなと思ったこと。数ある強制収容所のなかでも、ここは子どもたちの学校教育の実践の場として頻繁に使われているということ。多くの強制収容所は刺激が強すぎて小学生は行かないようだが、ここに来るというのはなぜ?と疑問を持って行ったのだが、展示を見て納得した。抵抗に焦点を当てた展示となっているので、人間に希望が持てるのだ。そして、ドイツの子どもたちが、このように信念を持って自分の生き方を貫いた素晴らしい女性たちのモデルをたくさん知るということは、とても良いことだと思う。多くの場合、英雄はいつも男と決まっているから。

 この女性たちの存在を是非、日本の女性や子どもたちにも伝えたいという情熱がムクムク沸いてきて、見学を終えてから本を探した。あいにく27人の女性について書かれた冊子はドイツ語しかない。それでも、二十数年ぶりのドイツ語、頑張って読むぞ!と決意するに十分すぎる感動だった。

 どの収容所記念館に行っても、ドイツ人たちが、殺された人々の歴史の掘り起こしに多大なエネルギーを注いできたことがよくわかる。ナチの究極の目的は、彼らの存在を無にすることにあったわけだから、無にしないという決意こそが、絶対主義への抵抗になり得る。体制に抵抗した人々の存在をきちんと評価し伝えるということの意味は大きい。振り返って我が国を考えてみると、抵抗者の存在は無にされているよな・・・という気がする。ドイツで感じて考えたこと、少しずつ整理して紹介していきたい。

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