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トピックス by村本邦子

2013.06.29
2013年6月 女性ホームレスのこと

 女性ホームレスとDVについての勉強会の講師を頼まれ、行ってきた。最近では、あまりに忙しすぎるので、継続的に関わってきたものを除き、講師の類をすべて遠慮させてもらっているが、釜ヶ崎をフィールドに頑張っているゼミ生から頼まれたことと、前からずっと気になっていたテーマだったからだ。折しも、若手社会学者・丸山里美さんによる『女性ホームレスとして生きる〜貧困と排除の社会学』(世界思想社)が出たばかりだ。

 ずっと関わっている婦人相談員のネットワークで、女性ホームレスについて聞くことはあったが、女性ホームレスの全体像は見えにくい。一般的にホームレスは男性だと思われているし、実際、2012年の厚労省による調査では、女性ホームレスの割合は3・2%だという。私自身も女性ホームレスを見かけたことは数えるだけしかないが、たくさんの動物を飼っていたことが印象的だった。動物と一緒に暮らすことで気持が和むという側面もあるだろうが、女性にとって夜の野宿はとりわけ恐怖を伴うものだからではないかとも思った。

 丸山さんによれば、海外ではホームレスの概念は日本より広く、シェルター居住者を含んでいるという。どう考えても、女性ホームレスとDV、性暴力など暴力被害との重なりは大きいはずだ。比較的社会階層の高い家庭であっても、暴力を逃れるために、一時的に公園や車上、ファミレスやネットカフェで過ごしたというような例はいくらもあるし、ましてや、経済格差が拡大し、女性の貧困化、とくに母子家庭と単身高齢女性の貧困化が指摘されている昨今である。丸山さんの調査では、①夫の失業によって夫婦ともホームレスになる ②単身女性が本人の失業をきっかけにホームレスになる ③女性が夫や家族との関係性を失ってホームレスになるパターンがあるという。

 支援についてであるが、女性ホームレスが入所し得る施設は、おおざっぱに言って、生活保護による救護施設、更生施設、宿所提供施設、婦人保護による婦人保護施設、母子福祉による母子生活支援施設、無料低額宿泊所や民間シェルターなどがある。縦割り行政と援助者の知識や関心の違いによって、たまたまどこにたどり着いたかによって、その後の結果には大きな違いが生じる。これは個別の支援者の問題なのではなく、制度がうまく設計されていないために多くの支援の場で起きていることである。使いやすい実質的なシステムを構築するうえでも、女性ホームレスとはどういう人たちなのかという視点を持つことは意味があるだろう。

 今回の勉強会は、ホームレス支援をするなかで、たまたま暴力被害を抱える女性と出会い、支援がまずかったのではないか、もっと勉強が必要なのではないかという現場の悩みから企画されたものだった。その専門ではない男性たちが、とても親身に支援しておられることには励まされた。その女性に何がしか暖かいものが伝わって、未来の力につながってくれたらいいなと願う。こうやって、関連機関が集まって、一緒に勉強しあったり、情報交換したりしながら、ネットワークを固めていくのはとても良いことだし、地域の力になっていくだろう。今後、このような視点での支援や研究が発展していって欲しいし、自分でもできることを意識的にしていきたいものだ。

2013.05.30
2013年5月 「ドラムカフェ」とコミュニティの心理社会的支援

 今月、学会があって、山形大学の上山真知子先生による「大震災における心理社会的支援について〜東日本大震災での支援者の経験の交流から考える」に参加したが、途中、ちょっとしたサプライズで、昨年から話に聞いていた「ドラムカフェ」を体験させてもらった。映像で見て興味を持っていたが、実際にやってみる体験は、想像をはるかに超えるおもしろさだった。一流のアーティストたちによる太鼓のリズムにリードされながら、参加者それぞれがひとつずつ太鼓を持って叩き、全員が一体となってドラミングを楽しむのだ。

 「ドラムカフェ」は、アパルトヘイト政策で絶望に陥っていた南アフリカ共和国で誕生した。当時、南アフリカでは、各企業が人種の違う人々を平等に雇用し始めたものの、共に働ける職場作りや社員同士の相互理解の促進に苦心していた。創業者は、趣味で始めたドラムによって人々が互いを理解し尊重することを体感できるのではと考え、優秀なチームビルディングの専門家や南アフリカのトップドラマーとともに、世界規模でエンターテインメントを行うチームを結成した。こうして、1996年、「ドラムカフェ・インターナショナル」が誕生し、12年後、この活動は「フォーチュン」の世界トップ500企業に受け入れられ、現在、世界20ヶ国以上、20,000回以上にもおよぶパフォーマンスを行なっている。

 星山真理子さんは、2009年5月、「ドラムカフェ」の代表と出会い、翌月、南アフリカの本社を訪ね、日本でも「ドラムカフェ」を通じて企業組織、地域社会や教育現場に絆を取り戻す事が出来ればと「ドラムカフェジャパン」を立ち上げた(http://www.drumcafe.jp/)。その後、東日本大震災を受け、「にこにこスマイルプロジェクト」を立ち上げ、2011年5月から被災地を回る活動を展開している(http://www.2525smile-p.jp/index.html)。実は、昨年、立命館でやっている「東日本・家族応援プロジェクト」で宮城県多賀城市を訪れたとき、上山先生ご夫妻とご一緒して、たまたま真理子さんと出会い、「ドラムカフェ」の話を聞いた。上山先生が真理子さんとプランジャパンをつなぎ、このプロジェクトが可能になったのだ。

 避難所のお年寄りたちが、アフリカ人のドラマーたちと一緒に全身笑顔で太鼓を叩いている映像には驚かされたが、実際にやってみると、本当に楽しくて、だんだん皆の体が開き始め、部屋全体にエネルギーが充満し、最後は一体となって親密な暖かさで包まれ、解放されるのを感じた。アーティストが大きな太鼓を叩き、私たちが自分の太鼓に手を置いて掛け合いの順番を待っていると、アーティストの叩く太鼓の振動を私たちの小さな太鼓が拾って、太鼓に置いた手から大きな太鼓の振動が私たちの体に伝わってくる。私たちの体は離れているけれど、つながっている不思議を感じた瞬間だった。トラウマは人々の心身を閉ざし、エネルギーの交流を拒否させるが、ドラムは体を開き、人々のつながりを促すのだ。この小さな太鼓「ジェンベ」という名前は、平和を意味するのだそうだ。

 上山先生によれば、災害後の心理社会的支援として、「見る・聞く・つなぐ」の3つのキーワードが重要だという。確かに、上山先生がプランジャパンと真理子さんをつなぎ、ドラムカフェが東北を巡るようになったことの意味は、とてつもなく大きい。真理子さんは多賀城の人で、「ドラムカフェ」は多賀城の貴重な社会資源だったのだ。そう考えれば、自分のやっている「東日本家族応援プロジェクト」も、「見る・聞く・つなぐ」なのだと思う。これによって、自分のいる所と被災地をつなぎ、団士郎さんの家族漫画や院生たちを現地につなげているのだ。そこからいろいろなものが生まれていく。「応援プロジェクト」と名付けているものの、本当のところ「支援」をしているつもりもなかったのだが、そう考えれば、「心理社会的支援」と言えなくもない。太鼓はパワフルなツールだが、つなぐものは、必ずしも太鼓でなくてもいい。東北にいる日常と関西にいる日常は、すでに大きく離れている。今年は、もっと意識的に「つなぐ」ことを拡げていきたいと思った。

2013.04.30
2013年4月 ナチになっていく〜ナラティブ・ネットワーク・モデル

 文化人類学者の友達小田博志さんの勧めで、同タイトルの論文を読んだ(Bearman, P. S. & Strovel, K., 2000. Becoming a Nazi: A Model for narrative networks. Poetics 27, 69-90)。ナラティブ・ネットワーク・モデルという質的研究法について例示したものだが、扱っているテーマが興味深い。

 ドイツにおいて、1919年1月に設立されたドイツ労働者党は、1920年に国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)に改称した。アドルフ・ヒトラー率いるナチスのことだが、1933年に政権を獲得し、後に独裁体制を敷くようになるまで、少なくとも1930年以前、これは標準だったわけではなかった。政権獲得後にナチのアイデンティティを持つことは実用主義的だったかもしれないが(つまり何らかの利益が得られる)、それまでは、ナチになることには代償やリスクを伴った。それにも関わらず、ナチのアイデンティティを持つ人々が増えていったからこそ、第三帝国が誕生したことになる。

 初めて知った話だが、1934年、ナチの権力が強固になり、「最終解決」(大量虐殺)の考えが拡がる前、コロンビア大学の社会学者テオドール・アベルによる「ナチ運動支持者の最高のライフ・ストーリー」を募集するコンテストがあったのだそうだ。NSDAPとSA(結党から政権獲得までの闘争時代、反対政党に対する武闘組織としての突撃隊)がスポンサーになって賞金が出たので、600ものストーリーが集まった。そのほとんどが、まだナチ党員の少ない1930年より前からその運動に参加していた男女である。

 著者たちは、ナラティブ・ネットワーク・モデルを使って、それらのストーリーを分析することで、人々がどのようにナチになっていくのかを解き明かそうとした。彼らは、アイデンティティを「世界における行為者としての主観的自己感覚」であり、「その表現として、またそれを構成するものとして行為の根底をなすもの」とするが、通常、アイデンティティは、関係性が増幅していくなかで形成されていく。ところが、「マスター・アイデンティティ」(自分は主であるというアイデンティティ)は文脈を無視した行為をもたらす。つまり、これを身につけると、関係性と行為というペアなくして、行為のみがアイデンティティの基礎となる。

 集まったストーリーを分析していくと、「ナチになっていく」ストーリーと「ナチである」ストーリーに分けられるが、「ナチになっていく」ストーリーは、濃密に関連する物語性を帯びているのに対して、「ナチである」ストーリーは、小さく断片的で孤立していた。また、ストーリーの要素はマクロレベルの要素(外の社会や世界に関すること、たとえば大戦や暴動、経済不況など)、ローカル・イベントの要素(身近な日常で起こった出来事)、認知(本人の意味づけや結論)に分けられるが、「ナチになっていく」「ナチである」のどちらにおいても、マクロレベルの要素はほとんどないに等しく、ローカル・イベントの要素が大半を占め、残りは認知だった。

 さらに見ていくと、「ナチである」ではほとんど常に認知が先行する要因の結果であるのに対し、「ナチになっていく」では、無関係の要素をつなぐために認知が重要な役割を果たしていた。「ナチになっていく」のナラティブの特徴は関係性や伝統的なアイデンティティの基礎となるもの(親族、教会、学校、仕事など)がナラティブの進行とともに減少し、さらには拒絶されていくことである。世界の流れに流されて社会的関係をはぎ取られ、単純な認知的抽出に捉われるようになり、経験を二者択一に位置づけ、バラバラの出来事を結び付けていくことからナチという新しい自己が生まれ、流れのなかでNSDAP支持者と出会い、物語が好機や運命の色合いを強くしていく。これが初期のナチの特徴だった。反ユダヤ主義はほとんど前面に登場しない。プロセスが完了し、ナチになってしまうと自己は消える。物語を作動させるものが何もなくなり、機械的な窓口が残るだけである。何を語っても事実のレポート以上のものではない。それは物語ではなく、行為者のいない行為の陳腐な一般論であるという。

 社会の大きな流れに流されるのではなく、その正体を見定めること、身近な日常生活や関係性を手放さないように努力し続けること、単純な二者択一に捉われないことがポイントになるだろうか。「愛着からソーシャルネットワークへ」( /muramoto/2009/12/000093.php )でも書いたが、多様なネットワークのなかに生きることが重要だろう。

2013.03.23
2013年3月 東日本大震災から二年が経ち・・・

 東日本大震災から二年が経ち、続々と震災関連映画が公開されている。先月は「傍〜かたわら3.11からの旅」について書いたが、今月は、MBSが作成した「生き抜く〜南三陸町 人々の一年」を取り上げたい。これを観る一週間前、私はたまたま南三陸にいた。露天風呂から眼下に広がる瑠璃色に輝く海に感動し、夜、星空の下で白く輝いて浮かび上がる無数のウミネコが浮遊している光景にみとれた。わかめの養殖に集まってくるのだという。

 翌朝、ホテルの語り部ツアーに参加し、二年後の街を見た。そのままに残った建物、マスコミで有名になった鉄柱だけが残された防災センター、壊された建物とその瓦礫、人手のない新しい水産工場、プレハブのコンビニ、トラックの給電所、新築された家、切り倒された杉林、塩分で死んでしまった田んぼ・・・。語り部のおじさんからは、町の人口がどんどん減っていく寂しさ、助からなかった命への無念さ、生き延びた命への誇り、これまで応援してくれた人々への感謝、それでもなかなか先が見えない焦りと不安、まだまだ助けが必要だからと南三陸の体験を伝えながらも、それを生業にすることへの罪の意識や辛さなど、複雑な気持ちがひしひしと伝わってきた。観洋というこのホテルは、町が生き延びるために、こうやってお客を呼び込み、南三陸のことを訴えていこうと決意したのだ。

 ここは、津波で1・2階が浸水、露天風呂は壊滅状態、水道も止まり、長期休業を余儀なくされたが、残った部屋を避難所として提供し、数か月、宿泊客、従業員、地域の人々、復旧作業員が水と食べ物を分かち合い、肩を寄せ合うように暮らしていたようだ。まだ水道も使えなかった7月、常連客に呼びかけて、一部営業再開に踏み切ったが、水は給水車から支給される1日80トン、食器を洗う水もないので、紙コップや紙皿で料理を出していたという。後で知ったことだが、逞しい女将が切り盛りしていた。

 ドキュメンタリー「生き抜く」は、この街の一年目を描いていた。ああ、この一年を経て、あの二年目があったのだと、空白の隙間が少し埋められる感じがした。登場人物の一人である漁師は、防災センターで娘を失くした。避難所から仮設に移り、毎日、テレビばかり見て過ごす。テレビを見ないでいると、目の前にあの時の光景が浮かぶのだそうだ。それが、ある時から、海に出るようになる。「きっかけは?」との問いに、「もしかしたら、娘が網に引っ掛かってきてくれるかも・・と」と答える。娘さんはまだ行方不明のままだ。ああ、そうなんだと思う。船を失った漁師たちは、共同で漁を再開するという組合の提案に何度も何度も話し合い、ようやく漁が再開される。養殖のわかめや魚の向こうには、こんな1年があったのだとあらためて思う。
MBSの井上里士さんの話では、震災直後、3つの取材班を別ルートから東北へ派遣して、1つは途中で道を閉ざされ、残る2つの取材班が偶然、同じ南三陸町に入ったことから、ここで長期的な記録映像を撮ることになったという。そう言われてみると、南三陸で、その撮影隊に違いないと思われる人たちを見たことを思い出した。このドキュメンタリーの上映会は、あのホテルでやったそうだ。たまたま、「遺体〜明日への十日間」も観たのだが、二年を経て、ようやく、私たちは(それも距離のある私たちだ)、あの頃のことを振り返って捉えることができるようになりつつあるのだと思う。自分の生きる社会のできごととして、しっかりと振り返り、捉えなおし、建て直しに力を尽くさなければならない。

 3月11日、「いのちのつどい」の追悼式にたくさんの人たちが集まったことに励まされながら、しかし、集まっているのは何らかの形で被災地に関わっている人々であるということにも気づいている。これをどのように関わっていない人々にもつないでいけるのだろう。3.11の捉えなおしには、まだまだ長い時間がかかるにちがいない。

2013.02.18
2013年2月 物語が立ち上がるとき

 立命館大学朱雀キャンパスで、「シネマで学ぶ人間と社会」をやっている。シリーズ14は「1.17から3.11へ、そして・・・。〜回復(レジリエンス)する力」、3本セットで、1月に第一弾「その街の子ども」、2月に第二弾「傍〜かたわら3月11日からの旅」が上映され、3月は「生き抜く〜南三陸町 人々の一年」が予定されている。映画上映の後、トークが行われ、カフェタイムで参加者の交流ができるというちょっとお洒落な企画である(一般に開放されている)。

 「その街の子ども」は、子ども時代、阪神淡路大震災を経験し、今は東京で暮らす若い男女が、震災15年目の前日、偶然、神戸で出会い、追悼式が行われる東遊園地まで、ひと晩かけて神戸の街を共に歩き、遠ざけてきた神戸の記憶と出会い直すという物語。「ジョゼと虎と魚たち」や「カーネーション」などの脚本を手がけた渡辺あやさんによる作品である。トークのゲストであった渡辺さんによれば、これはもともとNHKからの依頼でTVドラマ用に書かれたものだそうで、まず、神戸出身の森山未來と佐藤江梨子が役者に選ばれ、それに合わせてキャラクターが作られ(いわゆる「アテ書き」)、神戸を実際に歩いてシーンが選択され・・・と、だんだん物語が出来上がっていったそうだ。TVドラマの物語がどんなふうに生み出されていくかという話は新鮮だった。

 この作品は、その後、大きな反響を呼び、あらためて劇場版として再編集され、今なお上映され続けている。私自身はTVドラマを観ないが、その大衆性が人々の集合的意識・無意識を反映するものだとすれば、この物語は、阪神淡路大震災から15年を経過した神戸を中心とした関西コミュニティの集合的無意識から浮かび上がって構築されたのだと感じられて、コミュニティのもつ回復力に鳥肌が立った。

 「傍」は宮城県亘理町を舞台にしたドキュメンタリーで、吉田浜に惹かれて亘理町に移住したシンガーソングライター苫米地サトロとその家族が、震災後、臨時災害放送局「FMあおぞら」を立ち上げ、コミュニティに情報発信するとともに、毎月、月命日に、亡くなった人々の名前を延々と読み上げるというものだ。もとはと言えば、カメラマンが友人サトロの安否を尋ねるために町に入り、一年間、カメラを回し続けたものという。町の人々が大きな喪失を経ながら、大自然の変化に包まれ少しずつ時間の流れを受け入れ、歩んでいく姿は、それ自体がひとつの回復の物語となっていく。

 大学で展開している「東日本・家族応援プロジェクト」もそうであるが、これまでさまざまなプロジェクトを立ち上げてきて、物事がうまく進展するときには、不思議な意味ある偶然が次々と起こるものだと思ってきた。「天の導きか!?」などと言ってきたが、きっとコミュニティ、あるいは社会の集合的無意識が大きく反応するときにそういうことが起きるのだろう。逆に言えば、個の意志を越えて、大きなつながりのなかの小さな一部として自分が反応させられてきたということだ。長年の謎が解けるとともに、集合的な力を信じることができて、力づけられた。人ってなんてすごいんだろう。3月の南三陸はMBS取材班によるドキュメンタリーだが、これもまた楽しみだ。

2013.01.21
2013年1月 アートの力

 国立台北教育大学の頼念華先生を招き、3日間にわたる表現アートセラピーの教育的ワークショップに参加する機会を得た。頼先生はパリで芸術を学び、美術教育に携わった後、心理学を学び、アメリカでアートセラピーの訓練を受け、現在、表現アートセラピーを教えている。2011年8月に蘇州で行われた国際表現性心理学会で出会ったのだが(「アートセラピーと文化」)、トラウマ被害者に関わるアクティビストでもあり、文化的要因への配慮があるし、知性と感性のバランスが取れている(アートセラピストとして、これはなかなか貴重なことなのだ)。

  私自身、面接に小さなアートを取り入れたり、アートセラピーのグループを実践したりということはしてきたが、必ずしも体系立てたトレーニングを受けてきたわけではないので(日本の芸術療法の教育は受けたが、実践経験は十分でなく、心理療法の枠組みを越えたところにあるアートセラピーの訓練は受けていない)、不確かな部分も多かったが、今回、基本的なことを確認させてもらった感じがする。

  一番大きなポイントは、いかに苦手感をなくし、表現のきっかけを与え、拡げていけるかである。これは、むしろ、芸術教育に関わる部分かもしれない。いきなり大きな枠を与えるのでなく、かと言って、小さな枠を使うのでなく、小さな偶然による手がかりを布石のように大きな枠の中に置いていく。これは、とくに表現がつつましやかなアジア文化に対する細やかな配慮だと思う。また、素材の特質をよく理解したうえで、素材をも手がかりとしているからであろう、何となくやっているうちに、おのずと連想が拡がり、そこから何かが生まれていく。できたものが気に入らなければ、それはそれで留めてもよいし、気に入るように変化させるチャンスもたくさん準備されている。

 アートセラピストの役割は、何かを与えたり、何かを成したりする者ではなく、むしろ、創造の場を開く者であろう。頼先生がその役割を果たすために、日常生活のなかで、周囲に眼を光らせて少しでも役立ちそうなものを探しながら、アイディアを練っていることが伝わってくる。アートセラピストの力をではなく、アートの力を信じ、同時に、それは万人に開かれているはずだという信念と言えるかもしれない。

 印象的だったのは、作った作品を写真に撮って、フレームに入れてプレゼントするというが、「どんなふうにフレームを選んでいるか」という質問に、「実は、オフィスにあらゆる素材や色のフレームを集めていて、その作品が一番美しく見えるようなフレームを自分が選んでいる」ということだった。これは、枠組みはセラピストが用意するということと同じだが、そこにはアーティストとしての手助けがあるのだと思った。アートをセラピーに閉じ込めないということである。

 自分自身にアートのセンスがあるとも思えず、今さらアートセラピストにはなれないと思うが、でも、もっとアートと馴染み、アートを理解して、自分の生活や仕事に活かしていけるといいなと思った。自分がセラピーを受ける機会は貴重で、今回は、自分を見つめ直し、新しい自分を生み出したような感じがするし、偶然性や関係性のなかにこそ自分があるのだということを実感した機会でもあった。

2012.12.15
2012年12月 避難者たちのこと

 昨年、十年計画で立ち上げた「東日本・家族応援プロジェクト」も2年目となり、青森、宮城、岩手、福島と東北4県を巡った。加えて、今年は、8月に京都の避難者を対象としたプロジェクトを、今月は京都の支援者を対象としたセミナーも経験した。現地の人々との出会いには暖かく確かな手応えと力強さを感じるが、茫漠と拡がる被災地の光景には深いため息しか出てこないし、得体の知れない放射線と原発のこれからを考えると暗い雲の中にいるような気分になる。

 うわべだけを見れば、街は、これまでと変わらず、イルミネーションとクリスマス・ソングであふれている。しかし、そこには多くの避難者たちが含まれている。復興庁2012年12月12日の発表では、全国の避難者数は約32万1千人、全国47都道府県、1200以上の市区町村に散在している。たとえば、京都だと、千人以上の避難者がいて、京都府災害支援対策本部の調査によれば、7割強が福島からの避難者だが、茨城、千葉、神奈川など関東からの避難者もある。避難の理由の圧倒的多くは放射線の影響であり、うち半分近くが、それまで同居していた家族を被災地に残し、母子での避難者である。

 「内部被爆から子どもを守る会・関西疎開移住(希望)者ネットワーク」という会があって(http://kodomo-mamoru.net/index.html)、『避難移住者たちの手記』と、代表の中村純さんの詩集『3.11後の新しい人たちへ』を読んだ。「新しい人たちへ」は、次のように始まる。
 
 あなたたちに詫びなければならない
 素足で歩ける大地
 思い切り倒れ込める雪原
 せせらぎに飛沫をあげて歩く浅瀬の川
 木漏れ日にふり注ぐ森
 色とりどりの落ち葉のプール
 大地のエネルギーを蓄えた安全な作物
 それらすべてを奪ってしまったことを

子どもたちの未来のためにと、家や家族やふるさとを後にして来た避難者たちは、当然と言えば当然であるが、真剣に放射線と向き合い、闘い続けている。他方、さまざまな事情を抱えて避難できない人々は、腹を括って、被災地に日常を築こうと闘い続けている。多くの人にとって、それは見ようとしなければ、すでに見えなくなりつつある現実だ。それどころか、原発再稼働と放射能拡散に反対する市民運動家たちは逮捕されているのだ(阪南大学経済学部准教授・下地真樹さんが留置所から出した声明文を参照のことhttp://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113/e/79c68fd4e86da4ec02b2e01a5188052b)。

この二重性は、さながらジョージ・オーウェル『1984』のようではないか。見たくない人々は、正気を狂気と呼ぶ。3.11以降、日本は取り返しがたく変わってしまった。私たちの身近にいる避難者たちの声に耳を傾けながら、希望を探して生き延びていく道を模索したい。 

2012.11.30
2012年11月 心理療法は政治的か?

  エリカ・バーマンの『発達心理学の脱構築』(ミネルヴァ書房)をチームで翻訳出版した。英国において、発達心理学がどんなふうに国家政策に関与してきたかを明らかにした興味深い著書で、考え込まされた。出版を記念して、青野篤子さんが、エリカ・バーマンとパートナーのイアン・パーカーを招き、日本社会心理学会で、「社会問題・社会政策と心理学の親しき関係を問い直す〜日本と英国の比較を通して」というワークショップを企画してくれた。私は、「日本の児童・女性政策と心理学」の話題提供が担当で、「バックラッシュ、ナショナリズムと心理学」というサブタイトルをつけて発表した。正直なところ、付け焼刃で勉強したようなところがあるが、あらためて、心理学(私自身は臨床心理学)がどんなふうに政治的存在であるのかを痛感することになった。

終了後、イアンを経由して、英国の雑誌から「心理療法は政治的である、さもなければ心理療法ではない〜パーソン・センタード・アプローチは本質的に政治的な冒険である」(Schmid, P. F., 2012)という論文を入手した。著者の所属はウィーンの「ジクムンド・フロイト大学」となっていて、まずそんな大学があることに驚いたが、内容はロジャーズのパーソン・センタード・アプローチであることも意外だった。とは言え、前にも紹介したことがあるように(2011年7月)、ロジャーズは、世界平和のために、政府のリーダーたちをメンバーとしたエンカウンター・グループを試みているのだから、たしかに、心理療法が政治的であることを自覚していたはずである。

著者によれば、政治(politics)という言葉は、ギリシア語のポリス(都市国家)に由来し、アリストテレスは、人間は本質的に共同体に依存し成長していく社会的・政治的存在であるとした。人間は共同体においてしか十分に可能性を実現することはできないのであり、共同体の知的、文化的、法的枠組みにおいてこそ、自己実現に向かっていくことができる。人間は誰しも政治的存在であり、政治は人間存在のイメージの帰結である。だとすれば、心理療法家は政治的行動をとる倫理的責務を負っているのであり、妥協は許されない。「無条件の肯定」は、社会構造とヒエラルキーに挑戦し、抑圧、全体主義、自己満足、ナルシシズム、怠惰を打ち破らなければならない。政治に関心を持たず、社会に声をあげない心理療法家はクライエントのことを真剣に捉えておらず有害である。個性化は必然的に政治的プロセスであり、政治的なプログラムなのだ。ロジャーズは、「もっとも個人的なことは、もっとも普遍的なことである」と言ったが、それは、「もっとも政治的なことである」と。

シンポジウムのまとめで、司会をした青野さんが「心理学は社会的営みである」と言ったが、心理学に従事しながら、その社会的・政治的意味を自覚しない者は、非常に危険な立場にある。過去を振り返れば、全体主義の時代に、無自覚なままそれを積極的に支えた人々は数限りない。そんな方向に向かいつつあるかもしれない時代に生きる心理療法家として、ますます注意深くありたい。

2012.10.11
2012年10月 「人間彫刻/家族造形法」の魅力

 もう十年近くになるだろうか、早樫一男さん(同志社大学)を研究所にお招きして、「人間彫刻/家族造形法」を使ったスタッフの勉強会を続けている。言葉で説明するのは難しいが、人間を粘土の塊になぞらえ、家族の彫刻を作ることで、家族理解を深めようというものだ。このたび、早樫さんが「家族造形法の深度〜二日間家族造形法ざんまい」というワークショップの企画を立て、ゲストスピーカーを頼まれたので、自分自身も丸二日、フルで研修に参加してきた。私に与えられたテーマは、「家族造形法の魅力を語る」というものだったが、四点にまとめてみた。

 その一は、「絶対」をひっくり返す面白さだ。たとえば、「鈍感で自分勝手なDV夫」や、「男にペットのようにかわいがられて嬉しい女」など、「絶対に理解できない!」と思う人であっても、自分がひとたび粘土でその役をやれば、不思議とその気持ちがわかってしまう。一度など、DV夫の「認知の歪み」さえ経験した(自分に微笑みかけていると見えたものが、実は妻の方は恐怖を感じていたという。今なお、狐につままれたような気持ちだ)。つまりは、あらゆる人への共感性を養う訓練になるということ。とくに駆け出しの対人援助者に有用だろう。

 その二は、システム論的視点を身につけることができることだ。人は人である限り、特定の構造のなかに置かれてみれば、似たり寄ったりの反応をするものである。きょうだいの順番によってある程度まで性格が規定されるというのは、このためである。もちろん個別性は大きいが、同時に普遍性も存在する。そして、「風が吹けば桶屋がもうかる」というように、小さな変化が全体に影響を与え、一見何の関係もないように見えるところにも変化をもたらすということが実感できる。これはシステム論的視点だ。

 その三、特定の家族について援助方法を考えるうえで役立つ。基本的に粘土を置くだけなので、個人情報はいらないし、準備もいらない。チームのメンバーで力を合わせ、それぞれの家族メンバーに共感的な気持ちを寄せながら家族理解をしようと努力すること自体がその家族への暗黙の応援メッセージになる。最後に粘土の衣装を脱ぐ時、「この先、この人によりよい人生が開かれますように」と自然と心のなかで祈るものだ。同時に、援助チームの凝集性をも高める。

 その四、人間彫刻は家族だけでなく、職場や組織、また構造的力関係を理解するうえでも役立つ。先月、平和ワークショップの研究会で、高さを違えた三人の人物の彫刻を置くワークをしたが、これは暴力・抑圧構造を理解するうえで驚くほど有効だった。システム論がミクロからメゾ、マクロまでつなぐものであることを示すのだろう。

 体を使った非言語情報でのコミュニケーションであることも特徴である。人は言語レベル、意識レベルとは違う次元で多くのメッセージを発しているものだ。人間彫刻/家族造形法をやるたびになんだか人間が愛しくなるからおもしろい。

2012.09.15
2012年9月 大学生のジェンダー意識と教育

今 月は、「大学教育におけるジェンダー・ファミニズム」というシンポジウムの話題提供を頼まれて、日本心理学会に初参加した。とても面白かったので紹介したい。

 上野淳子さんの報告によれば、若者の保守化傾向は高まっているそうだが(20代、30代で専業主婦志向や性別役割分業の賛成が増加している)、「保守的」の内容はこれまでとちょっと違っているという。少なからぬ女性たちが「夢ある専業主婦」を目指し、「子育てはしたいけれど、家事は手伝ってね、稼ぎはお願いね、私は好きなこともしたいから」と考え、男性の方は、将来に不安や自信のなさ、危機感をもっており、仕方なく仕事中心の生活をして、「できる範囲で家事育児を手伝いたい」と考えているらしい。ちなみに、25-34歳の男性で、年収600万以上稼ぐのは6%ほど、平均は250~500万である。

 続く松並知子さんの報告によれば、女性は男性以上に貧困化しやすく(賃金格差や高齢単身世帯増加などによる)、85%の女性が働いているにも関わらず貧困化しているという。そもそも女子大学生の金銭感覚は非現実的であり、将来のパートナーに依存する傾向がある。自分の初年度の年収と、結婚時のパートナーの年収を予測させると、自分の年収については現実的であったが、パートナーの年収についてはかなり高額に見積もっていた。とくに専業主婦希望層では600万近くを見込んでいる。上記のデータと突き合わすと、専業主婦希望層が6%の男性を奪い合うということになる。また、働くつもりの女性たちも、自分の退職年齢は46.75歳と予想しながら、パートナーの退職年齢は61.91歳と予想した。

 結局、女性たちは、若い頃は、自分に都合良く夢を見ているが、現実は厳しく、辛酸を嘗めることになるということか。松並さんの意見は、だからこそ、女性にファイナンシャル・リテラシー(お金や資産を主体的に判断し管理できる能力)が必要で、実際にこれをやってみると、女子大学生のジェンダー意識は向上したという。なるほど。若干、耳の痛い話だ。私自身は早くから自活してきたため、お金についてきわめて現実的であると思うが、貯金や資産云々の話にはアレルギーがあって、お世辞にも賢明とは言えない。

 荻野佳代子さんの話は、女子学生向けのキャリア教育についてだったが、国の施策や東京女子大の取り組みなど興味深かった。女子学生のキャリア教育は男女共同参画の組織的展開の一環として推進されることが大切であるという。私の報告は自分自身の取り組みを整理し直したものだが、今後の課題として男女協働型の組織運営とはどういうものかということを提起しておいた。20数年、女性のみの組織を運営してきて、女性ならではの関係性のあり方を含め、それなりに獲得してきたものがあったが、男女混合の大きな組織の中で、性別役割を越える男女の協働モデルの確立の難しさに、最近考え込んでいる。ジェンダー教育そのもの以上に、大学の隠れたカリキュラムとしての、男女教職員の態度・振る舞いは学生たちにジェンダーに関する何らかのメッセージを与えているはずだ。

 もうひとつ、全体を通して、経済優先主義と個人主義を乗り越えていく新しいジェンダー論が必要なのだということを考えている。決して現状が良いとは思わないが、特権主義フェミニズムになってはいけないと思う。昨年より、震災復興支援で継続的に東北に関わるようになったが、性別役割分業がある代わりに、助け合いやネットワークが生きていることを実感している。影の部分を乗り越えていかなければならないが、みんなが男になればよいというものでもない。最大の教育は良くも悪くも上世代の生き方を示すことである(悪い部分も反面教師にはなる)。心して新しい男女共生モデルを模索したい。

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