信じがたい惨事だ。しかも、まだ進行中である。ポスト・トラウマ(トラウマ後)にはなかなかならないだろう。こんな状態を私はミドスト・トラウマ(トラウマの最中)と呼ぶが、私たちはトラウマのなかを生き続けていかなければならないのだ。長い長い時間がかかることだろう。
今回、私自身は自分のことで精いっぱいの時、揺れを京都で体験した。歩いていたので地震とは気づかず、過労でめまいがしているのだとばかり思っていたが、夕方、どうやら大変なことが起こっているらしいと知った。状況もよくわからないまま、その後すぐアメリカに旅立たなければならず、成田で津波の映像を見ながら大きな余震に耐え、飛行機に跳び乗った。日本から遠く離れて、毎日毎日、明らかになっていく惨状と、共感的なアメリカ人たちからのお見舞いとねぎらいの言葉。自分や自分の身近な人たちは大丈夫だったことに罪悪感さえ持ってしまう。しかも、今回は1日だけ帰国して、すぐにまた、休みを取って国外にいる息子を訪ねることになっていたのだ。罪悪感はさらに大きくなったが、旅行をキャンセルしたからと言ってどうなるものでもなく、とにかくまずは自分自身を取り戻さなければと旅立った。
出発するときに、ビバリー・ラファエルの『災害の襲うとき』(みすず書房)をスーツケースに入れ、読み返してみた。阪神淡路大震災の時に「なるほど」と思いながら読んだものだ。ジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)のように情動に訴えエンパワーしてくれる類いの本ではないが、深い人間理解に基づきながら、網羅的に、しかし淡々と客観的に記述してあるので、自分のいるところを位置付けるのに良いだろうと思ったのだ。いくらか紹介してみたい。
まずは「被害者化」の分類。①第1次被災者(災害自体と災害の心身両面および社会・文化的影響による損失と苦難をこうむった者) ②近接被災者(災害の結果によって直接・間接に影響を受けた者。給水の汚染・断絶など公共サービスの破綻、食糧など必需品の不足その他の影響を受けた人たちがこのカテゴリーに含まれる。被災した地域社会で対処し生活しなければならない人たちである) ③周辺被災者(被災地と強い関係をもち、その結果として影響を受けた者。被災地に家族や友人・知己が住んでいた場合などが含まれる) ④侵入被災者(非常事態の続く被災地に外部から集まってきた者。たとえばボランティア救援者、親類縁者を探しにきた者、専門的な災害救援組織のメンバーなど)(p.343)。
ラファエロの比喩によれば、ある地域社会を災害が襲うことは、ある意味では池のなかに石を投げ込むようなものである。つまりその波紋がその地域社会全体に拡がって、さまざまなところに時間的にずれて到着し影響を及ぼすのである。この波紋はすでに影響を受けている部分をさらに揺さぶったり、中心に近くてその力がまだ衰えていない場合には、大きな衝撃を生むことになる。そして池のなかでと同様、災害の波紋も収まるまでには時間がかかるだろう。地域社会という池の大きさ、それに投げ込まれた石の大きさとその衝撃度によって、池のなかの状況は最終的に変化したり、しなかったりする(p.344)。
今回の災害の場合、投げ込まれた石は巨大であり、しかも投げ込まれた場所は1ヶ所だけでない。時間差はあるが、あちこちに大きな石が投げ込まれ、ひょっとするとこれからも投げ込まれないとは言い切れない。あちこちの中心から拡がった波紋が互いに影響を及ぼし合い、増長し複雑化している。この波紋の影響下にいない人がいるのだろうか。今回の災害では①②④に該当する人々がたくさんいるし、ほとんどすべての人々が③に該当するのではないかと思う。影響を受けていない人がいるとすれば、ほとんど人づきあいをせず、マスコミの影響を完全にシャットアウトして生きている人だろう。そういう意味において、多くの人々が大きな衝撃を受けていると思われるが、①の人たちをはじめ中心部に位置する人たちの被害があまりに大きすぎて、自分たちが受けている影響を云々することなどとてもできないと考えてしまったりするだろう。
災害は覚醒と興奮をもたらしサバイバルを助けると同時に、周囲の者に対しても強い吸引力(この本では「魅力的」と訳されているが、若干の違和感がある)を持って影響を及ぼす。ラファエロによれば、災害にともなう死傷と破壊は比類ないほど恐ろしいものであるが、人はこのような状況を観察し現認することによって、自らの生命と力を再確認し代償的な死の克服をしようとするし、また、身の安全を確保したままで死と破壊の現場に臨むことが攻撃性を空想という形で代償的に充たす側面もある。さらに、災害は人間の無力感を強めることから、災害に対処して行動することで、手の施しようがない事態になんとか対処することで無力感を克服しようとする(p.46)。つまり、人によってさまざまな意味を持ちながらも、災害の中心近くにいればいるほど、人は災害の吸引力に否応なく引き込まれていく。もちろん、「中心」というのは物理的距離だけでない。心理的距離をも含む。
震災数日後、アメリカ在住の日本人たちと会ったが、彼女らはずっとテレビの前に釘付けで、ボランティアで被災地に駆けつけるべきではないかと思っていた。家族や友人、大切な人々を遠くに置いて出てしまった自分に罪悪感があったり、一方的に入ってくる情報に無力感や孤立感があるのだ。自分自身が否応なく引きこまれてしまう中心近くにいると思うのなら、それはひとつの選択肢だと思う。現地に駆けつけるボランティアがたくさんいるから助けられることも多い。ただ、選択の余地のあるところにいるのなら、急性期に中心部に跳び込むだけでなく、長期戦で後方支援をすることもできる。みんなが中心部に跳び込んでしまったら、支援体制はすぐに力尽きて壊れてしまうだろう。中心部にいる人たちには選択の余地がない。中心部に跳び込むからこそ見えるものもあり、中心部に跳び込まなければ理解できないことはたくさんある。逆に、距離があればこそ見えるもの、できることがないわけではない。
そう助言しながら、今回の自分は少し遠くにいてできることをしようと考えていた。阪神淡路の時には、大阪にいながら地震の心理的体験はもっと中心近くにいたので(マンションの最上階に住んでいたため、30分ほどビルの揺れは収まらず、本棚から本が次々落ちて、まだ小さかった娘が本の下敷きになり、一応、いざという時の覚悟までしたのだ)、いても立ってもいられず、直後から毎週、神戸に通った。当時はまだ多くなかったトラウマ支援者としての使命感のようなものもあったかもしれない。地獄絵のような歪んだ世界は今も目に焼き付いて忘れられない。侵入被災者というわけだ。
人が他者の身に起こった惨事をとても人ごととは思えず、何かしたい、何かしなければ、と思うことはきわめて人間らしいことである一方で、究極的にはそれは自分のためであるし、そんなふうに思えない状況があることも事実である。単に想像力が欠如しているというだけでなく、たとえば、自分の体験は世界中の誰にも理解してもらえないと信じるだけの体験をしてしまった人たちがいる。「自分の体験に比べたら・・・」と思ってしまうのだ。原爆の影響を調査したリフトンは「死の痕跡」と名付けたが、世界から完全に疎外されてしまうほど大きなトラウマ体験を背負った人たちである。
たった1人とでも世界を共有することができれば希望のかけらを見つけることができる。さまざまな研究によって、サバイバルのための最も重要な要件のひとつは愛着(自分が大切に思う人との絆)と愛着の心象化(大切な人をイメージのなかで持ち続けること)であることがわかっている。願わくば、みなの絆がバラバラに破壊されてしまわないことを。ただし、災害後の一体化は一時的な助けになるが、ある時期を過ぎると、互いの違いに気づくようになり、孤立感や疎外感の方に振り子が向かうようになるかもしれない。物理的距離だけでなく心理的距離も含めて、ひとそれぞれの体験とその影響はみな個別であり違うものだ。できる限り自分のいるところを知り、選択の余地があるのならば、選択することだ。とりとめもなく、自分を戒めながら・・・。