- 2006.10.23
- 2006年10月 言葉とコミュニケーション
今月は、両親を連れて台湾へ行く機会があった。日本語か英語が通じるかと思ったが、韓国同様、全然、通じなかった。言葉が通じない所へ行っても、日本語を話す相手がいると、地に足がついている感じがする。
辛かったのは、初めて1人でアメリカへ行った時。博士課程のエントリー・コロキアム(入学時11日間、少人数でやる泊まり込み特訓みたいなもの)で、英語の議論にまったくついて行けず、毎日、緊張の連続で、寝ることもできず、食べることもでき、5キロも痩せてしまった(こんなの生涯で後にも先にも一度きり)。ずっと雲の上を歩いているような感じで、いわば、一種の離人症状態だった。言葉を奪われるということは、存在の根っこから引き抜かれてしまうものなのだと悟った(この時は、親切なアメリカ人のクラスメイトたちに手取り足取り助けてもらって、何とかやり通した)。
台北のホテルでの朝食時。ウェイター、ウェイトレスさんたちは、オーケー、サンキュー程度の英語と、すみません、どうぞ程度の日本語を話すだけなのだが、うちの父ときたら、日本語でベラベラしゃべりかけるので、度肝を抜かれた。日本語はわからないのに、ニコニコ笑いながら、たとえば、「このカップは何とかで、何とかがどうして・・・。で、新しいのを持ってきて欲しいんだけど」などと複雑な説明をするのだ。ウェイトレスさんは、首をかしげながら、あれこれ考えて、「ウン!」という感じで閃いたポーズをして去り、なぜか、カプチーノの泡立てたミルクを持ってきたりする。う~ん、不思議な光景だ。
後で考えたことに、コミュニケーションとは、相手の反応を見ながらやり取りすることなのに、父は自己中だから、相手にお構いなく一方的に話しかけるのだ。ふつうなら、日本語が通じない相手に日本語でぺらぺら話しかけたりしないし、伝えたいことがあれば、指さしたり、手真似したりしながら、「カップ、カップ」と、シンプルにひとつの単語だけ言うだろう。相手にわかってもらえているか表情を確かめながら。「本当にこの人は、ここまで一方的で自己中の人だったんだ。こんな父に育てられて、私たち、よくまとも(じゃないかもしれないけど)に育ったもんだよね・・・」と妹とため息をつき、肩を落として悪口を言った。
翌日、私たちは基隆へ遠出した。父の生まれ故郷を訪ねるのが目的の旅だった。基隆は台北から離れ、まったく観光地ではないので、ますます言葉が通じない。漢字だけを頼りに、港町を歩いた。仙洞という洞窟の中にあるお寺でお詣りしていると、おじさんが手招きして、上の方にある見晴台に連れて行ってくれた(急な階段をたくさん上らなければならなかったので、両親を下に残し、妹と2人で)。そこで、そのおじさんは、驚くべきことに、私たちに通じるはずもない中国語で、延々、一時間も観光案内をしてくれたのだ。どうやら、あちこちの山に見える建物を指さしながら、ひとつずつ解説してくれているらしい。海や入り江を指さしながら、戦時中のことなんだか、あっちからたくさんの人が入ってきたり、閉じこめられたり(?)などの歴史物語も。どっちみち、わかりっこないのに、途中で、「や~、違う違う。今のは嘘の情報。ゴメン、ゴメン。本当は・・・」みたいな話もある(本当にそういう意味だったかどうかは不明)。「ここにも、父にそっくりな人がいるんだね~。陽気で一方的で自己中」。妹と感心しながらも、「そろそろ行きたいな~」と内心思い、「両親を待たせているからね~。パパ!ママ!」と言いながら戻ると、何となく通じたもよう。
その後、なぜか、あたりの地域の人たちと一緒に昼食をご馳走になった(いったい何だったのかよくわからないけど、仏教の慈善の精神?)。昼食には、1人だけ年輩の女性のお坊さんがいて、「ようこそ」「またおいでください」と片言の日本語をしゃべる。お礼を言い(お礼は受け取らないので、もう一度、洞窟のお寺に戻って、お賽銭箱にお札を入れる)、タクシーを拾って行こうとすると、またまた、そのおじさんが、やってきて、「タクシーはダメダメ!」と追っ払い、乗り合いバスのバス停に私たちを引っ張っていって、そこで待っていた人たちに、私たちの行き先を告げ(私たちの行き先もそのおじさんが決めたんだけど、どのみち予定のない旅だから、まあいいや)、私たちの世話を頼んで、見送ってくれる。結局、私たちを託されたお姉さんが駅で乗り換えの指示までしてくれた。
着いた先は大砲のある公園だった。時間があったので、タクシーで別の公園も回ったが、あちこち回っているうちに、不思議と、あのおじさんが説明してくれていたことが、だんだんとわかってきた。大砲の話や、大きな大きな釈迦如来像の話などを、確かにしてくれていた。実際に行って、体験すると、このことを説明してくれていたんだとわかっていく・・・。わからない言葉で1時間、説明を聞いたってと思っていたのだけど、実際には伝わったことがあれこれあったのだ。これは、とっても不思議な体験だった。そう言えば、コミュニケーション研修で、コミュニケーションの9割は非言語であると教えているではないか。言語が違っても、意味内容は伝わる可能性があるのだ。
そこで、父の捉え方を少し修正することにした(お父さん、ごめんなさい!)。漢字を見せて道を聞いて、中国語で言われているのに、「あっ、そうなんだ」と勝手に解釈して、当たっているかどうかもわからないのに、自信を持ってスタスタ歩き出す父は、自己中であることに違いないけれど、必ずしも一方的なのではないのだろう。考えてみれば、父は、昔から動物好きで、たくさんの鳥や動物を飼って、彼らとよく話をしていた。動物でも話しかけたら、意味は通じると思っている人だ。ましてや、人間同士、言語が違うことなど何でもないのだろう。
共感はそんなところから始まるのかもしれない。たとえ同じ言葉を使っていても、意味しているものにズレがあることはよくあることだ。共感は、まずは、自分の枠組みから、相手の差し出そうとしている意味内容を想像的に理解しようとすることから始まる。本当の理解は、確認と摺り合わせの作業がその後、必要になってくるのだけど。
エントリー・コロキアムで、「声を出してごらん。自分の国の言葉でいいから話してごらんよ」と励ましてくれた人がいた。その時は、そんなことしたってと思ったけれど、それができたら、もっとリラックスして、地に足をつけて11日間を過ごせていたのかも。言葉とコミュニケーションについて深く考えさせられた旅だった。