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トピックス by村本邦子

2007.02.26
2007年2月 中年男性の人間模様

 今年も面白い修士論文がたくさん出来上がった。紹介したいものがたくさんあるけど、今月のトピックには、中年男性の人間模様を選ぶことにしよう(でも、ここで書いていることは、学生の修論の結果に基づいて、私が勝手に展開している部分がなきにしもあらずですので、悪しからず・・・)。

「お父さんって、いったいどういう人?さっぱりわからない!」というある娘の疑問から、この研究はスタートした。自分の父親と同じような世代の男性たちにインタビューして、その人間関係を分析した結果、男性たちの人間関係には、①家での自分と、②社会での自分の2パターンがあることがわかった。②社会での自分は、さらに2パターンに分かれ、②-1友達関係と、②-2仕事関係。それぞれのあり方には特徴がある。

①家での自分・・・自分が家族を守るという役割意識、感情表現は抑圧される
②社会での自分 ②-1友達関係・・・飾らず、素の自分をさらけ出せる
            ②-2仕事関係・・・他者は人脈、利害関係、感情表現は抑圧される

 若い時には、学生時代の仲間との関係で、素直な自分が出せるが、就職して社会へ出て行くと、だんだん、友達関係は縮小していく。もともとは仲間関係であった人でも、仕事で一緒になれば、その関係は変化する。さらに、家庭を持ち、子どもが生まれると、家族を守らなければならないという役割意識が強まり、これに比例して、ますます、社会で闘って、勝ち残らなければという使命感が強まる。だんだんと、友達関係に時間やエネルギーを割くことができなくなる。気がついてみると、素直な自分を表現できる場はなく、いつも鎧を着、仮面をかぶって生きていくことになる。娘にとって父親がいったい何者か、見えないはずだ。

 思い当たることがあった。ある時、男性の友人が、「人を見たら自分の資源と思え」と言っているのを聞いた。「えっ、私は彼の資源か!?」と一瞬、ムムムと不信感が高まったが、どう考え直しても、そんなふうには感じられなかったので、彼なりの表現なのだろうと善意の解釈をすることにした。でも、心のどこかに「人は自分の資源」という発想があることは間違いないんだろう。私自身は、仕事関係であろうと、友人関係であろうと、いまだかつて資源という発想を持ったことはない。

 それからしばらくして。夜中、なんだかお風呂場で物音がしたような気がして、「何だろう」と言いながら、夫が見に行ってくれた。「何もなかった」と戻ってきたので、「何かひそんでいたりしなかった?」と確認すると、「怖いこと言わんといてくれや。何かひそんでいたら、僕が闘わなあかんねんから」と言ったので、思わず絶句してしまった。夫が闘うなんて夢にも思わなかったが、やはり、心のどこかに僕が家族を守らなければと思ってくれているのだろうか。なんだか微笑ましく、というか愛おしくなった(こんなこと書いてることを知ったら、気を悪くするかしら?)。

 この2人は、男性のなかでも、男らしさへのこだわりから比較的自由な人たちだ。それでも、なお、根底にそういう意識があるのだとしたら、一般の男性たちはもっとそうなのだろう。男としての役割意識や責任感から、ありのままの自分を表現する場を失い、素直な自分との接触を奪われていくとしたら気の毒だ。自分が役割意識に縛られていればいるほど、相手にもそれを期待するだろう。男性の役割意識と裏表で、女性の役割意識もある。なんだかお互い不幸だなあ。男も女も役割意識から解放されて、素の自分で生きられたらいいのに・・・。

 この学生は、修論の研究を通じて、父親と出会い直しをした。素の父親を知るということは、父親の良い面、悪い面、両方を見ることだった。悪い面を見ることになってしまった結果への感想を尋ねたら、彼女は、「それでも、わからないより良かった」と言った。この言葉は嬉しかった。必ずしも理想の父に適わなくても、良い面も悪い面もある一人の人間として父親と出会うこと、本当の姿から逃げないこと、それは人生にとっても大切なことだと思う。お父さんたち、そんなに良い格好しようと頑張らなくても、娘たちは、もっと寛大ですよ!

2007.01.29
2007年1月 感情に言葉を与える

 娘は、感情に言葉を与えるのが小さい頃から上手だった。たとえば、5歳の時、不運にも大きなショック体験を経験してしまった娘は、「うち、自分のことがかわいいと思われへん・・・」とポツリと言った。親としては、辛くて胸が締め付けられる思いだったが、上手に伝えてくれるので、フォローもしてやりやすい。心理学用語に置き換えれば、トラウマ後の自己嫌悪、自己否定だ。

 人生にはいろんなことが起こる。つい最近も、ショックなことに直面した娘は、泣いて泣いて気持ちを表現し、友人達から存分に慰めと支えを得、彼女が信頼する大人にも話を聞いてもらったようだ。辛い体験を上手に乗り越える術を身につけることは、これからの人生を生き抜くうえで、どんなにか大きな力になることだろうとつくづく思う。

 「そういうとこ、すごいよね~」と感心していたら、「うち、どうしても人に言われへんことは、自分にメールすんねんな」と言う。何かを抱えて表現できない時、自分の気持をメールにして自分宛てに送って、ロックされたフォルダに入れていくんだそうだ。日記を書くためには、晩、机の前に座らなければならないけど、これなら、その場ですぐにできて、とってもすっきりするという。時々、読み返すのも精神衛生上、良いそうだ。

 なるほど。「いいアイディアだね~。すごいこと考えついたね~」と褒めちぎったら、得意気に、「なっ、そうやろ~。FLCのお客さんたちにも教えてあげたら?」と言う。「ほんまやね~、そうするわ」と、ここに紹介している(もっとも、私みたいに、携帯メールを打てなくて電報になる人には通用しないが・・・)。

 「やっぱり、誰にも言われへんことってあるねんな~。お母さんぐらいになったら、誰にも言われへんことって、もうないかも。この人にはこれ言えない、あの人にはあれ言えないっていうのはあるかもしれないけど、何でも誰かには言える気がする・・・」と言ったら、娘は、「そうか~。うちは、やっぱり、まだプライドあるって言うか、人に良く思われたいっていう気持があるねんな~」と言う。「そっか~。お母さんの場合は、もう、そういうのないかもな~。お母さんのまわりの人たちって、みんなお母さんがこんなんだって知ってくれてるし。今さらいいかっこしようもないからね~」。「いいな~」と娘。

 年を取るにつれ、良くも悪くもありのままの自分で、周囲の人たちにもそれを許してもらいながら、じたばたせずに自分を許せるようになったような気がする。思い返せば、私も、娘くらいの頃には、しんどさを一人で抱えているところあったよな。家族のいろんな事情で、思春期の頃は辛かった。それでも、生来の陽気さで乗り切っていたから、なんていうか、必ずしも嘘の自分を演じていたわけではないが、自分のなかにギャップがあったと思う。日記を書いたり、詩を書いたりはしていたけれど、もっとそこをうまく言語化して誰かに聞いてもらえていたら・・・。

 そもそも、思春期っていうのは、そういう時期なのだろうが、娘を見ていて、私の時よりずっと上手に思春期やってるなと思う。子どもに学ばされることは多いものだ。

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