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トピックス by村本邦子

2011.02.05
2011年2月 街頭紙芝居と「子ども溜まり」

 今年もおもしろい修士論文がたくさん出来上がってきた。その中から、今月は街頭紙芝居の研究を紹介したい。娘が幼稚園の頃、よく楽しい手作り紙芝居を作っていた。私がではない。娘がである。紙芝居を作るのは意外と難しい。文字と絵がずれないように、そして、めくり方の工夫で場面がうまく展開するように考慮する必要がある(つまり、少しずつ抜いたり、一気に抜いたりなど、現在の場面と次の場面の関係性を考えて絵を描く)。「よくこんな高度なことができるもんだなぁ」と感心して見ていたものだ。

 大阪に暮らしていると、たまに公園でおじさんが自転車でやってきて子どもたちを集めて紙芝居をしている光景を眼にすることがある。こんな光景が公園で見られるのは、大阪だけらしい(もしも、どこかよそでもやっていることをご存知の方があればお知らください)。この学生の調査によれば、紙芝居の源流は平安時代にまで遡り、1930〜1936年、子どもたちの娯楽として大きな発展を遂げたが、1937年より戦機高揚のための「国策紙芝居」が登場し、政府は街頭紙芝居を取り締まった。戦後はGHQの取り締まり下で、非教育的な内容が排除された「民主主義紙芝居(平和紙芝居)」が復活したが、テレビの出現や教育紙芝居が主流となったことで、街頭紙芝居はほとんど見られなくなってしまったという。

 きっと皆さんの頭の中で、「教育紙芝居と街頭紙芝居ってどう違うの?」という疑問が沸いただろう。私も知らなかったが、要するに、今、私たちが幼稚園や学校の図書館で見かけるのは教育紙芝居だ。教育紙芝居は教育目的なので、人が殺されたり、人を馬鹿にしたり、下ネタ的な描写は一切ないのに対して、街頭紙芝居は、もともと「街頭」で行われていただけに、自由奔放で娯楽中心である。昭和20年代、30年代の街頭紙芝居の絵はすべて絵師による1点もので、街頭紙芝居は基本的に手書きだったが、昭和40年代以降、絵師がほとんどいなくなり、学校で教育紙芝居が利用されるようになってから、紙芝居は印刷されるようになった。手書きの紙芝居には裏書きがなかったり、あっても適当な下書きだけだったりしたようだ(自分で作ってみるとわかるけど、絵と字を合わせるのは案外、難しいのだ)。

 要するに、街頭紙芝居は観客とのやりとりが中心で、途中で野次や質問が飛び交う。そして、駄菓子つきだった。現在、街頭で子どもを集めて紙芝居をやるなんていうのは危険だし、非現実的なので(昔の子どもたちは街頭=道端で遊んでいたものだが)、東京や仙台はじめ今でも盛んに行われている街頭紙芝居は、そのほとんどがイベントや室内での公演である。その理由は、ほとんどの都道府県で「外でお菓子等を売る」ことが条例レベルで禁止されているからだそうである。また、東京ではヘブンアーチスト制度(公共空間で活動するにはアーティストのライセンスが必要)というのがあって、路上でのパフォーマンスが厳しく規制されている。というわけで、大阪で見ることができる公園紙芝居は昔の街頭紙芝居に限りなく近い形で残っている貴重な存在である。つまり、パフォーマンス型の紙芝居ではなく、駄菓子やクイズなど紙芝居師と子どもたちとの関わりあいが大きな比重を占めている。

 この学生は、公園紙芝居によって作られる空間を「子ども溜まり」と名づけた。紙芝居師の拍子木の音で子どもたちが集まり、だんだん溜まっていく。駄菓子やら、クジやら、カタヌキやら、子どもたちは頭を使いながら持っているお金を使い、おマケの交渉し、お金のない子はクイズに挑戦する。紙芝居師が子どもたちに売る駄菓子はかなり怪し気である。タコせんにソースとチョコレート、その上から天かすや練乳をかけるなどバラエィ豊かで、スーパーやコンビニ、駄菓子屋では買えないユニークなものである。買ってもいいし、買わなくてもいいし、紙芝居さえ、見てもいいし、見なくてもいい。そこでは、子どもたちが思いのままに過ごしている。格別に教育的意図を持たない大人である紙芝居師が子どもたちに暖かい眼を向けるなかで、異年齢の子どもたちが教え・教えられ、助け・助けられる関係が存在する。強制がなく守られた空間が現代の子どもたちにとって、どんなに貴重であることか。

 あらためて考えてみると、私たちは、「教育的」という名の元に子どもたちの楽しみの多くを奪ってきたのではないだろうか。生活の知恵や生きる力は、必ずしも教育的営みから得られるわけではない。子どもたちが溜まり、エネルギーが湧き出てくるそんな場がこれ以上、消えていかないことを願う。

2011.01.24
011年1月 アメリカにおける「赤ちゃん避難所法」

 毎年、この時期になると、学生たちの卒論と修論の指導にかかりきりになるが、学生たちの眼のつけどころはそれぞれに面白く、こちらもとても勉強になる。今年、学部生が取り上げたアメリカの「赤ちゃん避難所法」については、私もまったく知らなかったので、驚きだったし、いろいろ考えさせられた。今回は、この学生の卒論を紹介したい。

 そもそもこの学生の関心は、世間を騒がせた熊本の赤ちゃんポストから始まった。これは、ドイツの例をヒントにしたものだが、保育器の中に赤ちゃんを安全に捨てて、安全に保護するという仕組みである。多くの国で類似した制度が導入されているが、アメリカでは、赤ちゃんを預ける特別な設備を作るのでなく、子捨てを免責する法律を定めているのだという。アメリカでも乳幼児遺棄や嬰児殺が多発して社会問題となり、テキサス州が、1999年、子捨てを免責する法律"The Baby Moses Law"を制定した。当時、テキサスでは年間100人以上の赤ちゃんが捨てられ、そのうち16人は発見されたときには既に亡くなっていた。そこで、子を捨てたり殺したりするよりも、子の命を守るために安全な子捨てができるよう、つまり、一定の条件を満たした子育ては免責されるように法律を定めたのである。

 その後、他の州でも次々と同様の制度が採択され、現在ではアメリカ全州とワシントンD.C.でこの法律が制定されている。法律名は州によって異なり、"Baby Safe Haven Law"や"Infant Safe Haven Law"などが多く使われている。"Safe Haven"とは安全な場所、避難所という意味であり、この学生は、「赤ちゃん避難所法」と訳している。通常、子どもを捨てた場合は犯罪とみなされ刑罰の対象になるが、各州の「赤ちゃん避難所法」に記された通りの場所、方法で子捨てを行った場合は刑罰の対象外とされる。子を保護した機関や人は、保護した子ができるだけ早く安全な家庭で育つことができるように、養子縁組斡旋機関等に子を保護した旨を報告する義務がある。どの州においても乳幼児の保護が目的とされるが、免責の条件や関係機関の義務は州ごとに違っている。こういった情報は日本ではまだ十分に紹介されておらず、文献らしきものはほとんどない。英語が堪能なこの学生は、各州のこの法律に関する情報サイトを自分で読み込み整理したのだからたいしたものだ。

 おもな相違点としては、まず、生後いつまでなら赤ちゃんを捨てて良いかという時間制限であるが、生後日数を3日以内にしている州がもっとも多く、最大で1年以内となっている(正確に子の生後時間を知ることは不可能であるが、確認方法を定める州もある)。それから、捨てることのできる人(つまり、子どもを捨てても免責される人)について、母、母の代理人、親、親の代理人、人(つまりは誰でも)の5パターンがある。親または親の代理人としている州がもっとも多い。子の預け入れについては、法律によって指定された預け受け人に直接渡す方法と、指定された場所に預け入れる方法の2種類に大別することができる。免責の法的手続きは起訴免除か裁判かに分けられ、裁判の場合には、適法化タイプ(検察側が行為者の免責事由不存在を証明する)と抗弁タイプ(行為者が免責事由を証明する)に分けられる。その他、特記すべき州として、子捨て行為者の匿名性を保証しないジョージア、預け受け時に子と親にそれぞれ同じ識別番号が記されているブレスレットが渡されるコネチカットが挙げられる。

 今やアメリカ全州で「赤ちゃん避難所法」が制定され、国をあげて子の保護に取り組んでいるわけであるが、州によって取り組みに対する姿勢にも差異があり、新しい法律であるために改正に改正が重ねられている(実は、この学生がサイト情報をまとめ上げた後で、子の預け入れ可能な生後上限日数が大きく緩和された)。州ごとに違う法律の根拠は、子どもの存在に対する社会の捉え方を反映し、私たちに答えの出ない根源的問いを突きつけていると言えるだろう。たとえば、生後1ヵ月の赤ちゃんならば捨てられて、1歳の赤ちゃんは捨てられないという根拠はどこにあるのか。子を捨てる権利がなぜ母親に限定されるのか、あるいは親に限定されるのか。それにしてもアメリカというのは合理的で大胆な国である。これらの議論をとりあえず置いても、とにもかくにも捨てられて命を落とす赤ちゃんが救われるべきであるという宗教的精神にも支えられているのだろう("Safe Heaven" という英語そのものが宗教的背景を感じさせる)。今後、「赤ちゃん避難所法」はどこへ落ち着くのだろうか。

 それにしても、赤ちゃんポストは「ただちに違法とはいえない」として消極的に設立が許可され、ひとつしか預け入れ場所がないために、全国各地からはるばる赤ちゃんを安全に捨てるためにそこまで行くという日本の現状には苦笑するしかない。赤ちゃんポストをめぐる議論もメディアによって煽られたセンセーショナルなものに留まり、私たちの社会において尊い命が経たれないよう私たちに何ができるのか、何をすべきなのかと自らについて考える状況にもない。もっと根源的な次元で、今一度、議論できたらと願う。

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