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トピックス by村本邦子

2008.02.21
2008年2月 家族万華鏡

 大学の方では、「家族クラスター」というゼミをチーム・ティーチングしている。毎年、この時期になると、学生たちの修論研究を通じて、現代家族のありようが浮かび上がって見えてくる。学生たちは、いわゆる「健康家族」(必ずしも臨床場面に上がってくるのではない一般的な家族)を研究対象にすることが多いので、専門的な援助場面で出会ってきた家族像を相対化する機会ともなる。

 まずは、「できちゃった結婚」をテーマにした学生が2人。統計によれば、10代後半から20代前半で妊娠した未婚女性の約4分の3は、中絶、シングルマザー、事実婚などの選択肢をとらずに「できちゃった結婚」を選択しているという。これにはあらためてびっくりしたが、彼女たちの研究を見ていると、なるほど、結果として、「できちゃった結婚」が多数派となるのも納得してしまう。今日、「婚前交渉」をタブーとする風潮はまずなくなった。若いカップルは、結婚していなくても、一緒に旅行することもできるし、一緒に暮らすこともできる。あえて結婚する必然性はない。妊娠してしまった時が、結婚し時なのだ。

 「できちゃった結婚」をした女性たちの多くは、妊娠に対する強い決意や選択があるわけではないが、どこかで妊娠を望んでいる。これを研究した学生は、これを「あいまいな戦略」と名づけた。一般に捉えられがちな無責任な親というイメージとは違って、よくも悪くも運命受容的な彼女たちは、妊娠・出産・子育てを人為的にコントロールしようと躍起になる層と比べ、ごく自然に子どもを受け入れ、よい母親になっていく可能性は少なくないようだ。とくに、「できちゃった結婚田舎バージョン」では、今なお昔ながらの相互扶助が生きている地域で子育てがなされ、若い母親たちは、周囲に助けられながら、どんどん母親らしく成長していく。これを研究した学生によれば、そのようなあり方に共感する女性たちが、田舎に残ったり、田舎に帰ってきたりして、それを再生産していくのだそうだ(彼女自身は、都会に出てしまった側)。

 それにしても、不思議なのは、妊娠・出産=結婚という等式だ。スエーデンに続き、フランスでも、未婚の母率は5割を越えたという。出生率を回復させた国々では、その要因として、結婚しないまま子供を産むことが社会的に認知されている点が指摘されるが、日本において、婚姻制度はまだまだ強固である。ただし、いったん結婚しさえすれば、離婚への許容度は右肩あがり。「母子家庭とひとり親家庭のあいだ」というテーマで研究した学生もいた。これも面白かった。

 その他、「良い夫婦関係を維持しながら婚外関係も維持する男性」を研究した男子学生もいた。私には、どうしても批判的な気持ちがぬぐえないが(だって、彼らは、もしも自分の配偶者が、自分と良い夫婦関係を維持しながら婚外関係を持っていたとしたら、それはやっぱり嫌なのだそうだ。一夫一婦制にこだわらない人たちというのならば、まだわかるが、それではあまりに身勝手じゃないか)、彼らは、一般の男性たちと比べ、関係重視型で、妻にも恋人にもいろいろな気遣いをするのだそうだ。

 ある統計によれば、婚外関係を持っている男性は罪悪感を持ち、女性は持たない傾向があるのだという。「なぜ!?」と不思議に思ったが、この学生によれば、男性は配偶者に不満がないのに婚外関係を持つのに対し、女性は配偶者に不満があるから婚外関係を持つのだからだそうだ。なるほど。そう考えると思いつくことは、男性は配偶者に大きな期待を抱かず、女性は配偶者に大きな期待を持つのではないか。つまり、男性は、配偶者が妻役割を果たしてくれたらそれで不満はなく(なんだかさみしい・・・)、女性は夫役割だけでは満足できないのかもしれない。

 これらの男性の場合、婚外関係の存在が、夫婦関係の維持に貢献しているという。個人的には、婚外関係の存在は、夫婦関係の現状維持に貢献しているのであって、関係の変化や成長を妨害しているのではないかと疑っているが、いずれにしても、そういうバランスが成り立っている関係があることは受け入れざるを得ない。これは来年の研究になるが、「社交ダンス」を研究テーマに選んだM1の学生がいて、どうやら、このふたつの研究は背中合わせになりそうな予感。つまり、女性は「社交ダンス」という合法的な装置を使って、直接的な性関係ではない婚外関係を持ち、これが夫婦関係の維持にも貢献するようなのだ。いずれにしても、彼らもやはり婚姻制度を重視している。

 そのほか、働き盛りで倒れ、障害を抱えた夫と妻の障害受容や、成人してからの母娘関係などもあった。家族のありようは社会とともに刻一刻と変化している。学生たちの研究を見ていると、まるで万華鏡を覗いているような気分になる。

2008.01.23
2008年1月 中国のシンドラー、ジョン・ラーベ

 昨年末、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』(同時代社)が翻訳出版された。1997年、アメリカで出版されるや否やベストセラーになり、日本でも翻訳され店頭に並ぶはずだったが、寸前のところで出版停止になった幻の名著である。原著は持っていたし、パラパラと見てはいたが、じっくりと読まないままだった。今回、訳書を読んで、いろいろな点で興味深かった。アイリスは中国系アメリカ人だが、この事件を、「羅生門的視点」から描き出そうとしたという。つまり、日本人の視点、中国人の視点、第三者としての欧米人の視点だ。日本人によって描かれたのとはまた一味違って新鮮である。

 なかでも、南京安全区国際委員会のことが詳しく知れたのは良かった。この安全区については、断片的には日本の本で知っていたし、南京で写真や胸像を見て、具体的イメージもあったが、彼・彼女らの物語を知ったのは初めてだった。南京安全区国際委員会とは、日本兵の侵略から逃れた南京市民たちを保護するために自発的に中立地帯を設置した20人あまりの欧米人たちのことである。彼らは、南京から退去するようにという警告を断り、1人でも多くの中国人を助けようと命懸けで戦い、日本軍の暴虐を記録し、世界に訴えた。

 その代表を務めていたのが、ドイツのビジネスマンであり、南京のナチ党指導者であったジョン・ラーベという男である。アイリスは、ラーベを「中国のシンドラー」だったと言う。彼は、20代で中国に移り、ジーメンス社のビジネスマンをしていたが、南京のドイツ人社会の重鎮となり、ドイツ人学校の運営をするようになった。やがてナチズムの忠実な支持者になるが(彼は、ナチ党を社会主義組織と見ており、ドイツにおけるユダヤ人や他の少数グループへの迫害を支持しなかった)、中国人の部下たちの安全への責任感から南京に残ることを決めた。アイリスは、ラーベのほか、ロバート・ウィルソン、ミニー・ヴォーリントンという3人の人生を調べて描いている。彼らの活躍ぶりについては是非、本で読んで欲しい。

 南京のことを調べていると、日本兵のなかにもごく少数ながら良心ある行為を示す者があったことを知る。ホロコーストのなかでも、ごく少数の良心ある行為を示したナチ党員がいたことが証言されている。方向を誤った大きな潮流の中でも流されず、個として賢明な行動をとることのできる力は、いったい何に裏付けられているのだろうか?いつも思うが、絶対的な悪人と絶対的な聖人というのは、いるかもしれないが、圧倒的多数は、流れによって悪人になったり聖人になったりするのではないだろうか。絶対的な聖人は、どんな状況下でも、善い行いを成すのだろうが、多くの人は、ちょっとした偶然の積み重ねによって方向づけられ、善くも悪くもなる可能性があるのではないか。

限界状況のなかで、自分は、いったいどう振舞うのか? まったく自信がないが、願わくば最後の瞬間まで人間らしさを捨てたくない。そのために、日常、どのような心がけをしたら良いのか?私にとっては、仕事を通じて、人間の光と闇を知ること、これは助けになると思う。今回、南京に行って、もうひとつわかったことがある。加害者の子孫として、存分に恥じ、悲しみ、怒り、悔いること。自分のために生きる人間は脆い。愛する者を守ろうとする力は強い。だからこそ、多くの兵士たちは、家族や祖国を守るために命を投げ打つのだ。ただし、ここで間違ってはいけない大事なことは、良心に恥じないよう生きることこそが愛する者を守ることになるのだと理解することである。限界状況で野獣と化すことが、愛する者をどこどこまでも傷つけることになるのだと理解するためには、文化的な成熟が求められるのだと思う。これは、私たちが身をもって学ぶしかない。限界状況で、自分のために正気を保つことは難しいが、愛する者のことを思い浮かべることさえできれば、正気を保つことは可能かもしれないと思えるのだ。

安全区に残った数少ない女性の1人であるミニーは、アメリカ帰国後、鬱を病み、自死している。アイリスもどのような事情からか、4冊目の著作に取り組んでいる最中に、乳児を残して、自死したと聞いた。どう考えてもやりきれない。闇の大きさに圧倒されるばかりだ。それでもなお、光を探し続けたいものだ。

なお、『ザ・レイプ・オブ・南京』は、歴史学的な過ちが含まれていることのみ大きく取り上げられ、批判されてきたが、今回、訳書と同時に、過ちの部分への解説書が同時に発売されたことを付け加えておきたい。

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