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トピックス by村本邦子

2009.04.20
2009年4月 タラソセラピー(海洋療法)を体験して

今年の年報のテーマは「体の声を聴く」だ。毎年、この時期になると、宿泊研修を行って、皆で議論を深めながら、それぞれの研究を洗練させていく。議論の内容については、秋のお楽しみにということにして、体験的なタラソセラピーについて紹介したい。タラソセラピーは、潮風や日光を浴びながら、海水、海泥、海藻などを活用し、自然治癒力を高める自然療法として、フランスを中心に多くの人が愛用しているそうだ。海水は、人間の体液とほぼ同じ成分で、内側の細胞を活性化させ新陳代謝を良くし、リラクゼーション効果やデトックス効果がある。

いくつかのメニューから選択して、コースを作成した。初めは、ハイドロマッサージバス。海藻を加えた暖かい海水の泡と水流でマッサージして、血行促進。次は、アクアエクステンションという海水の中のストレッチ体操で、さらに血行促進。それから、ファンゴテラピーと呼ばれる海泥パウダーと海水を混ぜた泥パック。最後は、エアロゾル。暗くした部屋で、海水をマイナスイオン霧状の粒子にしたものを吸いながら、しばらく静かに横になる。メニューの合間には、休憩室で、海を眺めながらハーブティーを頂いたが、何とも気持ちいい。ところが、途中から、ザワザワとまさに体の声が聞えてきて、急に、ダイビングをしたくてたまらなくなってきた。

考えてみれば、ダイビングは、タラソセラピーそのものではないだろうか。潮風も日光も、海水も海藻も、そして、運動もある。美しい珊瑚や小さいのから大きいのまで、魚の群れ・・・。一日、海に入っていると、心地よい疲れで、お腹もすくし、夜もぐっすり眠れる。忘れられないのは、パラオのミルキーウェイ。そこの海水には、化粧品にも使われている純白で粒子の細かな泥が溶けているので、メロンソーダみたいなきれいな色をしていて、ただ浮かんでいるだけで、体が喜んでいることを感じる。

それでは、ダイビングはセラピーなのだろうか?結果としてセラピー効果があることは間違いないが、べつにセラピーを目的にしているわけではないし、それ以上のものを含んでいるような気がする。ときに、人生の修行のように感じたり、トランスに近い状態でスピリチュアルな体験だったりもするし、ひるんだり、恐怖を感じることもないわけではない。

今の私の関心は、何もかもに「セラピー」をつけて商業化していく時代は何を意味しているのか?ということ。もちろん、自分の足場であるサイコセラピー(心理療法)だって例外ではない。本来は、自然な生活のなかに、結果としてもたらされる癒しがあることが望ましいのだろう。さまざまな種類のセラピーが専門化していくのは、私たちの自然な生活のなかから、それが失われつつあるということではないだろうか。現代のアンバランスな生活が心身を歪ませ、癒しを求めさせるのだろう。歪みが大きければ大きいほど、セラピーは目的としての必要性を高めることになる。今さら原始時代に戻ることはできないけれど、それでも、できるところから、バランスの良い生活を心掛けられたらと思う。

今回のタラソセラピーの一番大きな収穫は、体の声がはっきりと聴こえ、海の中にいる体の感覚が蘇ったこと。長く潜っていないが、今年は海に帰りたいものだ。

2009.03.23
2009年3月 Healing the Wounds of History(歴史の傷を癒す)

久しぶりにサンフランシスコに行ってきた。アルマンド・ボルカス氏のワークショップHealing the Wounds of History(歴史の傷を癒す)に参加するためだ。今回のワークショップは、自分自身のためにお願いしてアレンジしてもらったもの。アルマンドとの出会 いは、2007年の春のプレイバックシアターに遡る。戦争とトラウマに関する私なりの挑戦はもっと前に遡るが、以後、村川治彦さんの始めた「こころとから だで歴史を考える」のメンバーとともに歴史のトラウマに取り組んできた。

アルマンドは、ユダヤ系アメリカ人で、レジスタンス運動家だったホロコースト・サバイバーの二世である。両親から引き継いだ過去の遺物を表現するも のとして演劇に出会い、演劇を通してユダヤ人文化を創造しようと試みていた。70年代半ば、在米のホロコースト・サバイバーの二世たちのサポートグループ に関わるなかで、だんだん、それが被害者意識を永続させているだけだと感じるようになったという。彼の興味は、被害者意識の変容だった。そんな時、若い殺 人犯のセラピーに関わり、人がどうやって、拷問、レイプ、殺人のような人間性を奪う行為に及ぶのか、ホロコーストの裏にある悪を理解したいという衝動に駆 られるようになる。そんなところから、ナチの子どもたちと一緒にワークをはじめ、パレスチナ人とイスラエル人、日本人と中国人、アフリカ系アメリカ人と ヨーロッパ系アメリカ人、ネイティブアメリカンとヨーロッパ系アメリカ人などのワークを行ってきた。

Healing the Wounds of Historyが前提とするのは、①集合的トラウマは集団によって共有され、社会全体に大きな影響を与える可能性がある ②親世代が意識せず、表現されな かった悲哀というトラウマは、世代間連鎖によって、次世代に引き継がれる ③歴史のトラウマは、文化的・国家的アイデンティティと自己評価に否定的影響を 与える ④人は誰もが、潜在的に加害者となる可能性を持ち、一定の条件下にあれば、非人間的で残虐な存在になり得る ⑤私たちが人間存在のなかにある欲 求、情動、無意識的衝動を理解し、考慮できるようになるまで、国際紛争の永続的な政治的解決はない という考え方である。
 
 目指すゴールは、①文化的・国家的アイデンティティを認識し解体すること ②国際的な葛藤解決とコミュニケーションの仕方を学ぶこと ③個人的、そして 集合的悲哀と服喪を経ること ④共感の文化を創造すること ⑤苦しみから意味を創造すること だ。そのために、表現アートセラピーやドラマセラピーなどの 技法を用いたワークショップを行い、映像、パフォーマンス、アート、儀式などを媒体としたパブリックイベントを行う。アルマンドはこうした活動を、 social actionと意味づけ、同じ仲間の笠井綾さんは、コミュニティワークと呼んでいる。共感する力こそ、コミュニティの自己治癒力であり、共感的な文化を創 ることこそ平和を創ることに他ならないという。

今回、自分自身がワークし、また、理論の確認を行うなかで、ますますこの手法に魅力を感じている。いろんな視点から歴史を見直すことで、異なる立場 の人たちと共感しあうことが可能になるだろう。今は、仲間たちと、再度、南京を訪れ、中国の人たちと一緒にワークしてもらうことができたらと考えている。 少しずつでも地盤を固め、コミュニティワークを拡げていけたら。今後、ますますグルーバル化する世界のなかで生きていく次世代たちのコミュニケーション教 育としても有望な方法だと思う。

2009.02.26
2009年2月 職業を通じた社会階層の再生産

修士論文の締め切りと口頭試問が終わった。今年は、キャリア選択に関するものが2本、ひとつは、医者という職業の継承がテーマだった。「医者の子は医者になる」とは、何となく皆が感じていることかもしれないが、それにしても、医者である親が子どもに医者になって欲しいと思う割合と、医者の子どもが医者になろうと思う割合が、他の職業に比べてどれほど高いかは驚くべきものがある。医者の子が医者になろうと思う理由としては、キャリアモデルが身近にあって、病院の文化になじみがあることのほか、医者が、圧倒的に、経済的・社会的優位性を持つ職業であることが前提となった価値観が挙げられるようだ。

この学生のインタビュー調査によれば、あからさまに「医者になりなさい」とプレッシャーをかけられて育つ場合もあれば、はっきりとは言われないが、そんな期待があったことが後に明らかになる場合もある。男女問わず、「医学部に行ける成績があるのに、薬学部なんかに行って、医学部を出た子にずっと頭下げることになってもいいの?」「これだけ今まで贅沢して暮らして、OLになってサラリーマンと結婚して、それでやっていけると思ってるの?」などなど、あからさまに言うか言わないかはともかく、本音としては、医学部に行って医者になることが、どれほど特権的であるかを信じて疑わない。

正直、げっそりするが、何も医者だけではない。周囲の大人にも、学校や予備校の先生にも、医学部に行くことは学力が高いことを意味し、社会的・経済的に優位であるから、断固、良いことだという認識がある。他の職業と違い、親が医者で、子どもが医学部を受けるという選択に対して、批判の声はいっさい聞かれない。私たちの社会や教育の現場が、いかに画一的な価値観で構成されているかを思い知らされるようだ。結果、子どもたちは、学力が伴えば、消極的選択として医学部へ行く。消極的というのは、「ぜひ、こんな医者になりたい」と夢や希望を持って進路選択するのでなく、「別に嫌じゃなかったから」「他になりたいものがなかったから」などの理由で医学部へ行く。もちろん、みんながみんなというわけではないだろうけれど。

『ハマータウンの野郎ども』(ポール・ウィルス著、ちくま学芸文庫)という本がある。原題は"LEARNING TO LABOUR-How working class kids get working class jobs"で、イギリスの典型的な労働者の町ハマ-タウンの「おちこぼれ」男子中学生の日常と卒後の進路を描くことで、労働者階級の子どもたちが、学校文化に反抗し、労働者階級に憧れ、労働者になっていく過程を明らかにしたものである。彼らは、学校文化を異化し、誇りを持って、独自の価値体系を作り上げようとしているわけだが、結果的には社会構造が再生産されていく。非常に興味深く、しかし、どこか哀しさが残る本である。

身分制度のある時代と違って、一見、職業選択は自由であると見えるが、その実、親の職業や社会階層に規定されている部分は大きい。ただし、子どもの出来が良ければ(ここでは学力を示す)、親の社会階層を越えるという選択はありだ。親が苦労したから、子は少しでも良い選択をというわけだ。こうして、社会階層が高くなるほど、職業選択の可能性の幅が小さくなる。この画一的な価値観では、医者は最高峰に位置づけられ、その上はない。明らかに、職業にはヒエラルキーがある。昔から、反発することなく、素直に開業医を継ぐ選択する人たちの存在を不思議に思っていたものだが、何も不思議なことはないということになる。

ひとつ希望が持てるのは、そうやって、なんとなく医者を選択した子どもたちも、実際に働くなかで、仕事の責任感や意味を見出していくという姿だ。もうひとつのキャリア選択の研究では、パティシエとか美容師とか資格と技術をもって働いていく若者たちを追ったが、そこでも、抽象的に選択を悩むよりも、身近なきっかけや自分なりのこだわりから、その道に入り、働くなかで、さまざまな困難を乗り越え、やりがいを見出していく。どんな職業もそこは一緒なのだろう。

今年の修士論文テーマでは、「高校生の女の子たちがなぜキャバクラでバイトしたがるのか」というものがある。キャバ嬢・ホステスは、若い女の子たちのなりたい職業9位だというデータがあるそうだ。「安定して給料のいい正社員の口はなく、安定しているが給料の安い仕事はきつい。不安定で給料の安いフリーターやニートはダメということで、行き着いた先が、不安定だが給料のいい仕事、キャバクラ嬢」なのだという。この研究成果は1年後だが、ハマータウンの女の子バージョンなのか?楽しみだ。

2009.01.13
2009年1月 子どもの巣立ちと母親のアイデンティティ変容

子どもの巣立ちについての原稿を頼まれ、ちょうど、自分自身のテーマでもあるからと、力を入れて書いた。巣立ち期の子どもを持つ方々にインタビューをお願いしたところ、5名も応募してくれたので、11月、12月にインタビュー。今回は、きちんとテープ起こしし、データ化して、年末、1週間まるまるかけて分析。お正月に、分析結果を整理し、ようやく原稿にした。

「空の巣症候群」という言葉があるが、これは、臨床の場からできたもので、実際には、必ずしも、母親たちが、子どもを手放した後、がっくりと落ち込んでしまうというわけではないらしい。むしろ、巣立ち後の母親の方が、幸福観や生活満足度、身体的健康などが高いという報告がある。その分かれ道は何なのか、ポイントがわかれば・・・と思った。

先行研究では、母親が子の巣立ちを習慣的に認識することで、そのアイデンティティが発達に向かうことが確認されていた。しかし、子の巣立ちを認めていても、密着・献身的な態度を持つ場合はアイデンティティ混乱を起こし、母親として積極・肯定的な態度を強く持つことが重要であった。別の研究では、子育て中に重篤な問題を抱えた者は、問題を乗り越えるなかで母子分離の作業を行い、すでに母子分離が進んでいるため、子の巣立ちをうまく迎えることができるのに対し、子育てに問題を感じなかった者は、巣立ちが大きな危機となる可能性が高いことが示唆されていた。

今回の研究でわかったことは、子どもを産んだ途端、いきなり母親になれるわけではなく、子どもの世話を通じて、だんだん母親になっていくのと同様、子どもの巣立ちも、徐々に進行していくプロセスだということである。母親になる前の人生経験や信念をもとに、母親は子どもとの関係を築いていくが、子の巣立ちは、実は、この世に産み落とした瞬間から始まっていて、近づいたり、離れたりを繰り返しながら、関係が模索されていく。それに伴い、子は母親との同一化と分離個体化を繰り返し経験していくのであるが、母親もまた、同一化と分離個体化を繰り返しながら、個としての自分、関係性のなかの自分というアイデンティティを成長させていく。

ポイントは、子が分離個体化を示そうとするとき、つまりは、親を頼らず自分でやると主張したり、親を批判したり、反抗的になったり、問題を起こしたり、親と距離を取るようになったとき、何かが変わろうとしていることに気づき、受け入れ、それに合わせて、親の側も何かを変えていこうと努力する必要があるということだ。それは、手出し、口出しをやめることかもしれないし、思い込みを捨て、もう少し子どもの言い分に耳を傾けることかもしれない。つねに変わっていく子どもとの関係に自分を合わせていくことと言えばよいだろうか。難しいことであるけれど、その努力の繰り返しのなかで、親も大人としてさらに成長していくことができるのである。子の成長とともに、親子は出会い直していく。幸いなことに、鳥と違って、人の子は巣立った後も戻ってくるし、関係の質を変えながら、親子関係はずっと続く。

今回、聴かせて頂いた5名の母親と、巣立っていこうとしているそれぞれの子どもたちの物語は感動的だった。問題の渦中では、苦しみや失望やあきらめや悲しみに圧倒されることもあったに違いないけれど、それぞれのやり方で、困難を乗り越え、絆を結びなおしていた。いろいろあるけど、人生って素敵だなと勇気づけられるものばかりだった。一番嬉しかったことは、インタビュー協力者たちに原稿を確認してもらった時、とても喜んでもらえたこと。協力とは言え、当人にマイナスになるようなことは絶対にしたくないが、少しでもプラスがあったとしたら、こんなに嬉しいことはない。

この原稿は、9月頃、岡本祐子さんの編集で、ナカニニシヤから、『生人発達臨床心理学~個と関係性からライフサイクルを観る』の一章として出版される予定。関心がある方はぜひご一読ください。

2008.12.24
2008年12月 ライフデザイン

 昨年より、「ライフデザイン論」という授業を持っている。「愛すること、働くこと」をキーワードに、ライフサイクルに沿って、さまざまなトピックを取り上げ、理論の紹介やグループワークなど行ってきた。若い学生たちの反応にいろいろ考えさせられることが多い。たとえば、少なからぬ若者が、「仕事イコールしんどい、大人になるのは嫌」と感じているということ。おそらく、親、とくに父親から、子どもたちは、「仕事はしんどいもの」というメッセージを受け取っているのだろう。たしかに、夜遅い電車で居眠りしている会社帰りのサラリーマンたちはクタクタに疲れているように見える。日曜日、家でゴロゴロしている父親に、「家族のためにしんどい思いをして働いている」と言われれば、「大変そうで申し訳ない」という気分になるだろう。

 本当にそうなのだろうか?さまざまな職場で働く男たちを思い浮かべながら、「みんな、結構、楽しそうにやってるけど・・・」と突っ込んでみたくなる。多くの男たちは、愚痴はこぼしても、そんなに嫌々、働いているわけでなく、好き好んで働いているように見える。ひょっとすると、家族向けに、仕事のしんどさばかりをアピールしている側面があるのではないだろうか。仕事がしんどくないと言えば嘘になるが、しんどいばかりではない。仕事を通じて社会に大きく開かれ、力を合わせて何かを作り出す喜びもある。同僚たちとの関係で、支えたり、支えられたり、対立したり、悩んだり、時には、友人とも出会える。仕事を続けて初めて知る面白さは数限りない。ちょうど、学校や部活を思い浮かべたらいいのかもしれない。楽なことばかりではないけれども、そこには多様な世界と意味がある。子どもたちには、もっと仕事の面白さを伝えてもよいのではないだろうか。

 そして、ジェンダー。ベルイマン監督の「野いちご」を見せる。主人公であるイーサクは、仕事一筋に生き、医者としてたくさんの人々を救い、感謝もされ、研究面でも多くの功績を残し、名誉博士号を授与されるというのに、その日の朝、悪夢に苦しめられることになる。「働くこと」はしてきたけれど、「愛すること」を怠ってきた罪への罰は、「孤独」だというのだ。対比的に、ロザンナ・アークェット監督の「デブラ・ウィンガーを探して」を見せる。40代になった34人のハリウッド女優たちに、仕事と子育ての両立についてインタビューするという映画だ。女たちは、常に、「愛すること、働くこと」のバランスに悩み、苦しみ、もがきながら生きている。ロザンナは、愛か仕事(バレエ)かを迫られて、鉄道に身を投げる「赤い靴」で映画をスタートさせ、自分自身の豊かな才能は抑え、夫や妻を支え続けて、結果、癌で亡くなった母親のお墓で映画を締める。男たちは悩まない。だからこそ、イーサクのように、老年期になって初めて人生の喪失を知ることになるのだ。

 そのほか、レポート課題を提示し、「世界の二十歳」で、文化圏の違う若者たちがどんな生活をしているのか、「八十歳のライフコース」で、高齢者がどんな人生を生きてきたのかをインタビューさせ、個人の人生が、社会階層や文化、時代によって、どれほど大きい影響を受けるのか学ぶ。狭い世界に生き、自分の人生を早々と限定してしまいがちな学生たちにはよい刺激になる。そうして、綿密にデザインして、理想の人生を作らなければならないのではないかと思いこんでいた若い者たちが、人生いろいろ、何が良くて何が悪いのかわからない、自分自身や周囲の人を大切にしながら、その時々を精いっぱい生きていくことで人生はおのずと形成されていくのだと考えるようになっていく。やっていて面白い授業である。本当のところ、働くことこそ愛することではないのかと思っている私である。

2008.11.27
2008年11月 対人援助学のすすめ

 11月9日、立命館大学応用人間科学研究科の校友会主催による「対人援助フォーラム2008 あきらめない対人援助」と題するイベントがあった。基調講演は、兵庫県養父市公立八鹿病院近藤清彦先生による「命を支える医療と音楽療法」。ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を抱える患者さんやその家族に粘り強い支援を提供し続けてきたドクターだ。医療は、サイエンスの力によって命を救うだけでなく、アートの力によって「いのち」を支えることが重要であるという内容。理念も崇高ながら、先生ご自身の実践エピソードも感動的だった。

 アートのひとつとして、近藤先生が使っているのが音楽。院内に合唱団を組織したり、定例で院内コンサートをしたり、また、電子ハープを持って往診に行き、歌ったり。そう言えば、アメリカのPh.D時代、小さなハープを片手にターミナルケアの実践と研究をやっていた人がいたな。分科会では、卒業生で、音楽療法家として活躍中の西村ひとみさん(音楽療法士事務所音縁主催 http://www.eonet.ne.jp/~akisan-park/onen/index.htm)のセッションものぞいたが、音楽は人と人の境界を超え、つながりの空間を作り出す。音楽でなければならないことはないと思うが、誰でも手軽に入れることから、音楽が有望なツールのひとつになるのだろう。何より、自分の大好きなことを活かすという発想が人と人との出会いを可能にするのだと思う。つまり、音楽にさほど魅力を感じない人が、音楽療法を使ったとしても、あまり効果はないだろう。ドラマにしても、マッサージにしても、描画にしても同じだろう。

 「対人援助学」とは、今年で8年目になる立命館大学応用人間科学研究科が蓄積を重ねつつある新しい学問。人の援助に関わる仕事は、連携と融合による学際的なものであるはず。そこには、実践の積み重ねと現場の知恵を集大成し、さらに広く応用可能なものとして体系化して情報発信していく。「それっていったい何?」と、8年、私自身も考え続けてきたが、ようやくその神髄が見えてきたところだ。片方にサイエンス、片方にアートを。他者や世界に向けてよいことをすることが心身の健康の条件のひとつということを先月書いたが、対人援助が人を支え、自分をも支えるような円環的なものであるだろう。苦労はあっても、他者に喜んでもらえて、自分自身も喜べて、互いに元気になるような援助の在り方。これまでだって、ずっと志してきたものである。

 
 まだまだよちよち歩きで失敗も多いが、これからの発展を期待しているし、自分自身も貢献したいと思う。来年には、いよいよ対人援助学会がスタートする。準備会を含め、誰にでもオープンな場を目指している。皆さんもどうぞご一緒に!

2008.10.27
2008年10月 体の叡智

 昨年に引き続き、「21世紀統合医療フォーラム」の第2回に参加した。最初の基調講演は、サンフランシスコ州立大学のエリック・ペッパー先生。ソマティックス(=「一人称のからだ」と訳していた)とフィードバックの役割がテーマだった。健康に役立つのは3つ、①食事 ②体を動かすこと ③他者や世界に向けてよいことをすること だそうだ。①②が③と並列して挙げられているのが新鮮だった。そして、③の効果は持続性があるとのこと。な~るほど。

 ペッパー先生のプレゼンでは、途中、パワーポイントの画面に定期的(15分おき?)に、「体を動かす時間だよ!」というコマが飛び込んできて、簡単な運動の動画が始まる。これが始まると、話の途中でも、先生含め、みんな立って、伸びをしたり、隣の人と背中を合わせてゴニョゴニョしたりしなければならない。意外で、笑えて、楽しかった。とにかく、定期的に体を動かし、ちょっとだけでもエネルギーレベルを上げるのがよいのだそう。

 そして、バイオフィードバックの実験。フロアから男女2人が前に出て、指先に電極をつけ、波の動きがスクリーンに映し出される。ちょっとした不安や安心が見事に現れる。おかしかったのは、フロアから選ばれた3番目の人が前に呼ばれ、「これから、この2人にキスしてください」と指示が出されたときのこと。フロアの私たちもギョッとしたが、前の2人はもっと驚いたに違いない。見事に波が大きく変動した。もちろん、実際にキスなどしない。なんて体は正直なんだろう。しかも、波の動きは、イベントよりちょうど2秒遅れて発生する。これが、神経から指先までに信号が届く時間なんだそうだ。

 さまざまな心身症の人々のバイオフィードバックの変化を見せてもらったが、見事と言うほかない。心と体はこんなにも密接に関係しているのだ。

 今年は、数あるワークショップのなかから、岸原千雅子さんによる「アロマセラピーとドリーミング」、藤原千枝子さんによる「ソマティック・エクスペリエンス」、藤井里佳さんによる「フェルデンクライス」を選んで参加した。どれも面白かった。体はなんて精巧にできているのか、私たちが小賢しく頭を使って、どんなに一生懸命考えたとしても、体や自然の叡智には到底及ばないのだということを痛感した。そして、さまざまなワークを通じて、すっかりリラックスした。

 もうひとつはイメージの面白さ。とくに、アロマを使ってのドリーミング体験は新鮮だった。ひとつの香りを、イメージ体験への入り口として使用するというのは、たしかにグッドアイディアだ。香りであるから、ペアで、あるいはグループで、体験を分かち合うこともできる。つい先日、音楽を使ってイメージの分かち合いをやって、興味深く思ったが、いろいろ使えそう。若いころと比べ、生き生きとした夢を見ることがめっきり減ってしまったが、久しぶりにイメージがリアルに活性化された体験だった。

 今日の午後のシンポでは、「女性のライフサイクルと統合医療」のテーマで司会をやったのだが、私自身、ライフサイクルによる自分の変化を感じる今日この頃である。更年期症状というのはあまり感じないが、めっきりエネルギーレベルが落ち、若かった時のようにたくさん眠ることができなくなった。ペッパー先生の説に反して、エネルギーレベルを上げようという気にもなっていない。今は、省エネモードで生きていけばいいんだと感じている。これも体の叡智か。

 ボティワークをやっている人たちは、さすがに若々しくエネルギッシュに見える。口を揃えて、「体から入れば簡単!」と言う。世の中には、体から簡単に入れる人とそうでない人がいるのだろう。私自身は、加齢とともに、体が解放され、簡単に入れるようになりつつあるように思う。頑張ったり、無理したり、耐えたりするのでなく、「体に気持いいことがいい」という発想もますます気に入っている。健康の①②③を心掛け、体の叡智に耳を傾け、元気に長生きできるといいな。

2008.09.17
2008年9月 ドイツと日本~過去との向き合い方

 今年は3月、9月とドイツを2度訪れた。ドイツに行ってみてわかることは、加害行為が国内のあちこちで行われていたということ。強制収容所だった施設が、ドイツ国内にたくさんあり、今では、被害に遭った人たちのことを忘れず、過去から学ぶための記念館、博物館となっている。ナチと関わりのある施設、たとえば、絶滅計画を決定したヴァンゼー会議場、ニュルンベルグ裁判が行われた法廷、ナチの党大会会場などが資料センターとなり、街のあちこちに追悼記念碑を見つけることができる。過去を葬ってしまわずに、残しておこうという意欲あってこそだが、それだけ、人々の身近なところで加害が行われていたということでもある。その具体的内容が、当時、どの程度まで知られていたかは別にしても、後世の人々も、この国のなかで公然と怖しい犯罪が行われていたことを思い知らされ、過去を否認することなど不可能である。

 日本でも、強制労働はじめ、国内で加害行為が行われていたものの、いわゆる「従軍慰安婦」にしても、南京虐殺にしても、加害の大半は国外で行われていた。ほとんどの兵士たちは、加害を目撃していただろうが、帰還して口をつぐんでしまえば、圧倒的多数の人々にとって、過去の加害行為は努力しなければ知りようのないことになった。国外へ一歩踏み出せば(正確に言えば、沖縄でもよい)、日本軍の戦争加害の痕跡とあちこちで出会うし、知ろうとする姿勢と努力さえあれば、国内でも帰還兵の証言や手記などを通じて知るチャンスはある。それでも、努力せずに見えてくるものは、広島、長崎など被害の側面だろう。実際のところ、沖縄を除く本土の民間人の死者は、ほぼすべて空襲によるものである。

 たまたま3月に通訳をしてくれた法学を専門とする大学院生の女性のお母さんが、日独比較をしており、ホロコーストと南京虐殺を取り上げたシンポジウムをやったことがあると聞き、今回、ハレ大学に訪問した。Foljanty-Jost教授である。東大とハレ大学で、共同大学院を開講しており、毎年、日独の学生たちが共同で歴史との向き合い方の比較研究をしているということ。初めて知ったが、興味深い試みだ(私も学生になりたいくらい)。助手をしているティノ・シェルツさんという男性の院生が、「過去との断絶と連続~1945年以降のドイツと日本における過去との取り組み」(『ヨーロッパ研究第6号』、2007)という論文をくれた。さっそく読んでみたが(幸い日本語で書かれたものである)、とても面白かった。

 要するに、ドイツは過去に区切りをつけ、新しい出発をし、日本は過去と連続したまま今に至るが、どちらも過去を歪める阻害要因を抱えているのだという。ドイツの場合、「われわれ」を世代として自己規定し、後に生まれたものとして距離をとることによって、ナショナルな帰属からも、過去の拘束からも解放されてアイデンティティを構築することができる。つまり、過去と自分たちは別なものとして切り離してしまうということになる。これに対して、日本は、過去と現在は連続しており、訴追を受ける恐れがなかったゆえに、1970年代以降の自分史運動のなかで一般兵士の回想録が出され、戦争や自らの犯罪についての言及が見られ、戦争犯罪の残虐性についてもリアルに記述することができたのだという。

 必ずしもドイツを理想化することはできない、ドイツも日本もそれぞれに独自の問題を抱えているということで日本の課題を相対化してしまう気持ちにはとてもなれないが(日本の連続性は、統合に向けたものとはほど遠く、混沌としており、容易に嘘で覆いかぶせてしまえるほど脆いものだ)、それでも、戦前までの歴史の違いや戦後の外交条件の違いなどは大きく、単純に比較できないことはよくわかった。今後、ドイツと日本はどのような方向で過去と向き合っていくのだろうか。

 ホロコースト教育の先進的な研究所であるフランクフルト大学フリッツ・バウアー研究所も訪ねたが、最近になって、第二世代、第三世代が個人のルーツを知ろうとする動きが見られるという。研究所では、ネットを通じて、自分の祖父たちが具体的に何をしたのか調べることを可能にするためのサービス提供を準備しており、さらに、そういった人たちのセルフヘルプグループの支援なども考えているそうである。ドイツにおいては、世代の断絶を乗り越えようとする新しい試みがすでに始まっていると言えるのかもしれない。さて、日本社会の行方は?

2008.08.26
2008年8月 ドラマセラピー

 毎年恒例、芸術研究所主催夏の保育士研修では、いつも、ロールプレイをやる。一日目は「気になる子ども」、二日目は「困った親」への対応場面だ。ロールプレイの経験はまったく初めてという人がほとんどなので、やることの説明をすると、皆、一瞬、ギョッとした顔をする。でも、実際にやってみると、さすがは保育士さんたち。驚くほどうまい。

 何もしないのにいきなり噛み付く二歳児や、みんながお片づけしているのに一人だけ嫌がって逃げ回る子、「せっかくでんぐり返ししたのに、お母さんがお化粧に一生懸命で、見てくれなかったから、朝、大泣きしてやったんだ!」と言う子、お弁当の時間、座りたかった椅子に座れずすねてしまったから、お友達が気をきかせて譲ってくれたのに、なぜか怒り出してしまった子・・・。現場からユニークな子どもたちの姿が浮かび上がってくる。園で子どもが蚊にさされたと苦情を言ってくる母親、子どもの問題を受け入れられない母親、再婚相手の虐待を認めない母親・・・など、保護者の姿もさまざまだ。

 対応に困る親子の姿は、話だけを聞いていると、ますます困ってしまう感じがするが、「とりあえず、やってみましょう」と役を決め、演じてみると、「な~るほど。そんな気持ちだったのか~」と納得がいく。同じケースに、バージョンを変えた対応をしてみると、返す言葉で、こんなにも気持ちの動きが違ってきて、展開が変わるのだと、あらためて驚かされる。私自身が、毎回、勉強させてもらっている感じだ。それに、仮に、講師が同じ答えを言ったとしても、おそらく、実際に自分たちで体験して出した答えとは、参加者の納得度合いは違うことだろう。

 うちの研究所では、時々、スーパーバイザーとして、家族療法家の早樫一男先生をお招きし、「家族造形人間彫刻」という手法を使った研修をやっている。こちらは演技をするわけではないが、一人ひとりが粘土の塊になって、彫像として作られ、体を通じて、家族の力動を感じてみるというものだ。説明だけではわかりにくいと思うが、実際にやってみると、ロールプレイと似たような体験となる。ロールプレイのいったん停止型とでも言おうか。どちらかと言えば、体で感じるものの重きが大きい。このような技法を使うと、頭だけで想像していることをはるかに超え、皆にいろんなことがわかってしまうから不思議だ。

 先日は、私自身が、アルマンド・ボルカスさんによるドラマセラピー「過去を共有し、未来を築くワークショップ~アジアの戦後世代が継承する戦争体験」を経験した。ドラマの力を感じる感動的な体験だった。演じるということは、イメージを超え、こころとからだ、そして魂のレベルで感じることなのだろう。ウォームアップのワークもとても楽しく、グループに心を開くうえで効果的だったと思う。以前、少し自分でもやっていたことはあったのだけど、すっかり忘れていたな、この感じ。ドラマの力はすごい(エッセイ2008年7月の方も見てね)。

 人間には本来、すばらしい共感能力が備わっているのだと思う。ドラマという設定が、その力を引き出すのだろう。頭だけ、心だけ、体だけでなく、まるごと全存在を使って感じてこそ開かれる世界がある。来年は、是非、ドラマセラピーを学んでみたいと思っている。ポール・コナートンという社会学者は、集合的記憶は、文字よりも身体経験や儀式を通じて伝達されると言っている。ドラマセラピーは、戦争などの集合的トラウマを扱うもっとも優れた手法なのではないだろうか。できれば、アルマンド・ボルカスさんのところに学びに行くチャンスを作りたいなと、秘かにもくろんでいる。

2008.07.19
2008年7月 市民による和解をめざして

 7月9日、札幌で、「国際シンポジウム~市民がつくる和解と平和」が行われた。主催者たちが強調していたが、ここで言う「和解」とは「歴史和解」のこと。北海道大学の小田博志さんによれば、「歴史上の暴力、とくに植民地支配や戦争によって生じたさまざまな問題を改善する努力を通して、当事者の間の関係を修復する」ことだという。当然ながら、歴史上の出来事の記憶を点検し、責任を引き受けることが前提となる。戦後責任について勉強するにつれ、いかに自分が無知であったかを思い知らされる毎日だ。

 たとえば、今回のシンポジウムで新たに学んだことは、強制連行犠牲者のこと。ドイツの戦後責任について学ぶなかで、ドイツが2000年に「記憶・責任・未来」法という法律を作り、政府と企業とで基金を作り、ナチ時代の強制労働に対する個人補償をしてきたことを知った。当然ながら、「日本はどうだったのだろう?」と日本の強制労働に関する訴訟については少し理解したが、十分にはピンときていなかった。

 今回のシンポジウムのひとつのセッションで、「遺骨を届ける~強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラムの活動」の講演があった。2002年、本願寺札幌別院は、納骨堂に置かれてきた戦時下の強制連行犠牲者の朝鮮人、中国人の存在を公表した。101体の遺骨は、北海道、樺太などで強制労働に使役した土建会社などから預けられたものだった。講演者である殿平善彦さんというお坊さんが、「ひとつの遺体の向こうに、帰りを待ち望んでいる家族がいることを想像することはそれほど困難ではなかった」と述べたが、「そうだ、その想像力さえ持ち合わせていれば、戦時中といえども、あそこまで残虐な殺害は起こらなかったに違いない」と感じ入った。

 これをきっかけに、70年代から強制連行や強制労働の調査や遺骨発掘を続けてきた人々が、2003年、北海道フォーラムを結成し、遺骨を遺族の元に返す運動を始める。調査を進めるなかで、強制連行犠牲者の遺骨問題が日本の戦後責任として表面化した。2006年には、猿払村の共同墓地で、韓国人、中国人、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族、日本人など300人が一緒になって、旧陸軍飛行場建築で犠牲となった労働者の遺骨発掘を実施した。この取り組みは、「東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ」と名づけられて継続され、東アジアの学生や地元の高校生など多くの若者が参加しているという。まさに、市民による和解の可能性を感じさせる感動的な取り組みだと思う。

 強制連行犠牲者の遺体は、北海道だけでなく、全国各地にたくさんあるに違いない。私たちの足元にも、発掘や返還の希望がないまま埋もれている遺体があるのかもしれない。知らないことがどんなにたくさんあることか。中国から来られたシンポジスト、弁護士である康健さんは、日本の人権のダブルスタンダードを指摘した。たとえば、日本のメディアは、北朝鮮の拉致問題については相当の時間と紙面を割いて報道するが、当時の日本の国策に基づいて、日本に強制連行され、強制労働させられた4万人近くの中国労働者については淡々と報道するだけだ。本当にそうだ。同じ命なのに・・・。

 ドイツでは、罪と責任をはっきり区別するという。罪は個人に属するもの、責任は集団に属するものなのだそうだ。戦争に関わっていない若者に罪はないが、その社会に属するものとして責任はある。南京でもそうだったが、自分の足元のことを考えると、なんだか罪悪感に圧倒されてしまうが、罪はないのだと言ってもらえると、少しだけホッとする。罪があると言われると、どうしていいかわからなくなるが、責任ならば背負えるかもしれないと思えるのだ。

 今回のシンポジウムは、国レベルですべきことは法律と補償、和解は市民レベルでなければ起こりえないだろうという趣旨だった。市民の力に希望を見出そうとする姿勢こそが、市民のエンパワメントだと思った。自分の知らないところで、こんな市民運動がたくさんあって、活動を続けていること、人生の先輩たちも、人生の後輩たちも、一緒になって和解を求めて取り組んでいることをしっかりと記憶に刻み、伝えていきたいと思う。そして、私も自分のいる場所で責任を果たしたい。

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