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トピックス by村本邦子

2007.08.28
2007年8月 バリの火葬ガベン

 今年のバリ体験のなかで、もっとも興味深かったのは、火葬ガベン。以前から関心を持っていたが、なかなかチャンスがなかった。今回、たまたま話していたホテルの運転手さんジーメンが、「今日は故郷で5年に1度のガペンがあるけど、行く?」と誘ってくれた。タイミングと現地のツテが揃うのは貴重なので、予定変更して行ってきた。

 バリは、もともと、風葬、土葬だったが、バリ・ヒンドゥーの影響で、14世紀の頃より火葬が行われるようになった(今も風葬を行うバリ・アガという村がある。1度行ってみたい)。火葬には莫大な費用がかかるので、人が死ぬと、遺体をいったん墓地に埋葬し、資金を貯める。バリ人は、人生最後の儀式(葬儀)のために、一生、懸命に働くのだとも聞いた。お金が貯まると掘り起こして、あらためて荼毘にふす。火葬が済んでいない死者は生者でも祖霊でもない、中途半端で危険な存在だと考えられている。遺体は不浄なので、いつまでも村に埋めたままでは、村全体が不浄になってしまうから、最後はかならず火葬にする。火葬は浄化のための儀式である。今回見たガベンは、5年に1度の集団火葬。裕福な階層はおのおの火葬をするが、おそらく経済的な理由で、定期的に村の集団火葬をするのだろう。

 火葬は1ヶ月から準備され、バデと呼ばれる遺体を運ぶ塔が作られる。バデは、天界、人間界、地界を表す3層からなる高い塔で、人間界にあたる真ん中の部分に遺体が納められる。火葬するとき遺体を入れるプトゥラガンは、牛、獅子、象など、一族のシンボルとなる大きな動物をかたどってある。火葬の日には、バデやさまざまな供物やシンボルを担ぎ、ガムランを奏でながら、村の人々は火葬場まで練り歩く。不適切な喩えかもしれないけど、イメージ的には、祇園祭の山鉾巡行のような感じ。墓地に着くと遺体はバデからおろされ、プトラガンに納められ、聖水をかける儀式を行い、火をつける。

 今回は、火葬の部分だけを見たが、十数個のプトゥラガンで55の遺体が火葬されていると言う。ものすごい炎で、すべてが焼き尽くされるまで、2~3時間かかったのではないだろうか。空一面に炎が上がって、ものすごい迫力。熱いし、煙たいし、灰をかぶるし、見ているのも、結構大変だ。時間の経つ遺体は燃えるのも早いが、新しい遺体は時間がかかる。最後まで残ったものは、おそらく2週間以内に亡くなった人だろうと言う。たしかに、髪が焦げたような生々しいにおいがたちこめる。

 不思議な光景だ。バリ人たちにとっては、当たり前の光景なのだろう。その場にいると、当たり前のことのように感じられるが、よくよく考えてみると、怖くもある。すべての遺体が燃えるまで、村の人々は、周囲で歓談している。屋台もたくさん出て、夏祭りのよう。子どもたちもたくさんいて、ふざけている。観光客が見に来ていることも、いっこうに構わず(私たちの感覚からは、失礼なようにも思えるが、盛大な葬儀を見てもらうことはウェルカムらしい)、目が合うと、みんなニコニコしてくれる。小さな子どもは、満足そうに母親に抱かれ、風船を持っている。

 この子たち、ここの人々にとって、死は、とても身近な、日常のひとこまなのだろう。去年も書いたが(2006年8月の「魔女ランダ」を参照のこと)、生と死、光と闇が一緒に存在する。日常生活のなかから死や闇を切り離し、あたかも、それがないかのように生きている日本の子どもたちが、「人が死んだらどうなるか見たかった」などというようなことは起こりえない。日本では、宗教の扱いが難しいが、生きる力を育てるには、「死の教育」を考えてみる必要があるのかもしれない。

 火葬の後は、遺骨を拾い、また儀式をして、川に流すのだそうだ。最終的には、火葬の後も、1ヶ月、儀式が続くという。いろいろ予定があったので、今回は、川に流すところまで見ずに帰ってしまったのだけど、次の機会には全行程を経験する方がいいかな。ジーメンに、「死んだ人はこれからどうなるの?」と聞くと、輪廻転生を言っていた。「信じてる?」とヤボな質問をしてしまった。「もちろん。だって、本当のことじゃない!」。

2007.07.25
2007年7月 特別支援教育

 小学校のスクールカウンセラーをしている関係で、この間、特別支援教育についてかなり勉強した。今年の4月から学校教育法に特別支援教育が位置づけられ、特別支援教育推進の通知が出されたこともあり、スクールカウンセラーは支援体制に一定の役割を果たすことが求められる。一定程度、教育行政を理解しておかなければならない。

 とは言え、私自身は、ここ数年の「発達障害ブーム」を苦々しく思っているなかの一人だ。虐待ブームの次は、発達障害ブームかと少々、げんなりしている。もちろん、それらが重要でないと思っているわけではない。物事の本質まで届かないうちに、時代時代の興味関心でうわべだけをさらって、飽きれば新しい話題を探していくという社会のあり方に違和感を持つというだけのことだ。

 実際、いろんなケースを見聞きするなかで、「それって本当に障害の問題?」と疑問に持つことは少なくない。そもそも周囲の大人の関わりが悪くて子どもがSOSを出しているのに、問題行動を脳のせいにして、子どもを薬でコントロールしようなどというやり方は、暴力以外のなにものでもないと腹立たしく思う。まずは、環境によるものか、個性によるものかを見分ける力をつけたいものだ(もちろん、重複もある)。

そもそも、個性は脳の違いで表されるという。脳に損傷を受けた後、性格がまるで変わってしまったという報告は枚挙に暇がない。同じ脳を持つ人はひとりとしていない。脳の大雑把な特徴がマジョリティに属するか、マイノリティに属するかの問題だ。逆に言えば、現社会に生きやすい脳を持つかどうかという問題だ。自分自身を振り返っても、自分の身内や友人を思い浮かべても、みんなちょっと変わったところがあるし、違った脳のでこぼこがあるんだろうと思う(年を取ってからわかったことだが、私の空間認知のおかしさは努力でカバーできる範囲を越えている)。

 正規分布からはずれた人たちをどの程度まで社会が許容するかは、社会の器の問題である。器が小さくなればなるほど、正常外とされる人は増えていく。知能指数200の人は、50の人とともに、正常外、すなわち異常に属するわけだ。知人の子どもは、ミクロネシアの小さな島で育った子ども時代、まったくのびのび適応していたそうだが、アメリカ社会に戻るやいなやADHDと診断されたそうだ。現在、とても有能で個性的な援助者である。

 社会の器が小さく狭い場合、そこからはずれてしまった個性的な子どもたちを切り捨てるのでなく、きちんと教育を保障するために、この子たちの個性は障害によるものであり、特別な教育支援をしていきましょうというのが、この特別支援教育だが、内心、本末転倒ではないのか、社会の器を広げる方が大切でしょうという気がしないでもない。いずれにしても、器の小さな社会では、暫定的であっても、ないよりあった方が良いという類のものということになるだろう。

 関連書物は驚くほどたくさんでているが、私が気に入ってるのは、ナイランド著『ADHDへのナラティブ・アプローチ~子どもと家族・支援者の新たな出発』(金剛出版)だ。原著は2000年に発刊された"Treating Huckleberry Finn"(『ハックルベリー・フィンを扱う』)で、注目していたら、いつの間にか翻訳が出ていた。タイトルの意味は、ハックが今のアメリカ社会にいれば、ADHDと診断され、リタリンを処方され、私たちは、ハックを失っていただろうという趣旨。

 繰り返すが、特別教育支援を否定することが私の意図ではない。どのような形であれ、個別の子どもたちのニーズに合った教育を提供するのは良いことだと思う。何であれ、障害という言葉なしに個性的な人たちが認められ、個別の対応をしてもらって、独創性に富む社会の有用な人材として受け入れられるようになってほしい。そもそも芸術家や専門家は、不特定多数の人とは違った関心や感性を持っているものではないだろうか。突出しているところがあれば、当然、抜けた部分もあるだろう。支援の発想としては、生きていくのに最低限、困らないように抜けた部分を補いつつ、突出を生かすということではないか。ハックを失わないために。

2007.06.21
2007年6月 タッピング・タッチ

 先日、ホリスティック心理教育研究所の中川祥子さんを迎えて、タッピング・タッチの研修をしてもらった。タッピング・タッチというのは、祥子さんのパートナーである中川一郎さんが開発したホリスティック・ケアの技法。トントントン・・・と指先で軽く相手をタッピングするというだけの簡単な方法なのだけど、これが、リラクセーションにもコミュニケーションにもなり、命のつながりを感じさせる。『タッピング・タッチ』(中川一郎著、朱鷺書房)の本には、「こころ・体・地球のためのホリスティック・ケア」というサブタイトルがついているのだが、「うん、たしかに」と納得する。

 これまで何度か経験して、「これはいいな~」と気に入ったので、さらに、本やビデオで勉強して、いろんな人に紹介してきた。祥子さんに教えてもらうのは初めてだったけど、やる人によって個性が出て、その人となりが感じられるのも面白い。やる場や相手によっても違ってくるのだろうけど、祥子さんのタッピングは、どちらかと言うと、張りがあって、呼びかけられている感じ。応答したくなる。今回はいろんなバリエーションを教えてもらったので、目的によって使い方もさまざまに広がる。そう考えると職人技に近くなっていくけれど、タッピング・タッチの神髄は、やはり、そのシンプルさ、誰でも、どこでも気軽にできるというところにあると思う。

 最近、バリダンスの準備体操のひとつとして、ペアを組んで、背中をそっとさするということをしている。背骨に添って上下にとか、肩甲骨周りとか、肩を左右にとか、本人の気持ちの良いように優しくさするだけ。やっていると、不思議と互いの体が温まり、だんだん緊張がほぐれていく。最後は前屈、そしてバリダンスの基本ポーズになる(背中をそらして、腰をぷりっとあげる)。先生がフェルデンクライスをやっているので、準備体操には、それが取り入れられている。

 体っていうのは本当に不思議だ。誰かにそっとタッチしてもらうと、普段は無意識だったその部位が、くっきりと意識される。その部分に意識を向け、ただ感じていると、意図的に何もしなくても、いつの間にか、その部分の緊張が緩んでいくのだ。意識を向けてやるという行為自体が、ケアリングなのだと思える瞬間だ。他者に対しても同じ。苦しんでいる人に何もしてあげることができないとき、ただただその人のことを思う(=祈る)ことで、何かが伝わるように感じることがある。

 科学で解明されることは、あらゆる事象の氷山の一角ではないか。10月20・21日、イーストウエスト対話センター主催、立命館で「心身医学と一人称のからだとの出会い」というカンファをやる。ハコミ、エサレン、アロマ、気功、その他たくさんの代替医療を紹介するワークショップもある。一般公開なので、関心のある方は是非どうぞ。

2007.05.24
2007年5月 平和のための教育

 今月は、立て続けに、戦争と平和関連のワークショップに参加した。ひとつは、トランセンド研究会(平和的手段による紛争転換NGO)主催「アリシア・カベスード教授のワークショップ」、もうひとつは、立命館主催「こころと体で歴史を考える~アジアの戦後世代が継承する戦争体験:プレイバックアシアター」だ。平和教育の歴史は決して浅くなく、敬意を表しているが、それでも、このところ急激に、感覚的にしっくりする催しが多くなってきたというのが実感である。プレイバックシアターもとっても良かったが、すでに日記に書いたので、ここでは、アリシアさんのワークショップのことを。

 アリシア・カベスードさんは、国連平和大学・エルサルバドル大学教授で、もともとは歴史学が専門。1960-1985年、アルゼンチンの独裁主義下において、高校で平和教育を行い続けたという信じがたい実践を行ってきた人だ。レジスタンスを志す教員たちが、授業中、さまざまな比喩を使って、政府を、独裁制を批判した。授業スタイルは、民主的な参加型。各学校に散らばっている教員たちの中には、管理職に呼び出され、クビを切られたものもいた。アリシアさんの勤めていた学校長は、「君たちが何をしようとしているかよくわかっているぞ。頑張れ。ただし、私がこう言ったことは決して口外しないように」と言ったという。こうして、管理職の暗黙の応援を得て独裁主義下で平和教育を続けた先生たちがいた。この運動は、ネットワークを通じて、中南米の他の国々に拡がり生き続けて、現在では国連の支援を受けているという。なんてすごい話なんだろう。

 ワークショップでは、中南米の歴史の概要もわかりやすく教えてもらったが、名づけるなら「エンパワメントの歴史学」とでも言うにふさわしいものだった。征服者による"His Story"ではなく、"Our Story"を語り直そうとしているように感じられた。たとえば、スペインやポルトガルによる植民地支配の歴史は不幸なものだったが、植民地支配という歴史を共有したことで、中南米はひとつになったという視点。あるいは、レジスタンスの歴史を中心に語ること。血なまぐさい歴史であっても、聞いている側に、正義の力がフツフツと沸いてくるような感じだ。

 フロアから質問が出た。あの頃(独裁制の終わり頃)、中南米にいた。何度かデモに出くわしたが、メキシコの「ディスアピア」(この事件は日本ではあまり知られていないが、映画「ジャスティス」を見ると、詳しい状況がわかる。私は、翻訳した『もっと上手に怒りたい~怒りとスピリチュアリティの心理学』キャスリン・フィッシャー著に出てきて初めて知った。この本にも、母たちの力強いレジスタンスの事実が記されている)など怖ろしい状況だった。生命に危険はなかったのだろうか?と。

 アリシアさんは、さらっと当たり前のように、「レジスタンスは危険なものよ。それを選ぶかどうかはそれぞれの選択。あなたの自由」と言った。たいがい腹を括って生きているつもりの私でさえ、ギョッとした。この潔さはすごい。しかも、ちっとも肩肘はっておらず、すごいことを言っているとはまったく感じさせない。かっ、かっこいい。ワークショップのなかで、最近の若い男の子たちは右翼がかっこいいと言うということが話題に上っていたが、かっこよさを言うなら、レジスタンスの方だろう。

 アリシアさんは、教育は民主主義を拡大もすれば停滞させもすると言う。多くの社会で、教育とは「学校化」(schooling)と同義であり、学校教育は権利である。それは民主主義を拡大させると考えられているが、植民地下における学校は、人々のアイデンティティを計画的に毀損させるものに他ならない。グローバル化は、バリアを取り払い、強者の価値を優勢にする傾向を持つ。教育の背後には「文化的暴力」が潜んでおり、教育自体が構造的暴力を正当化してしまう可能性があることを忘れてはならないと言う。

 また、平和学習の構成要素として参加すること自体が自由の実践であり、対話によるコミュニケーションと決定への参加に民主主義のプロセスが含まれており、これが平和教育の主たる目的のひとつである。知るということは、知識や情報やデータを積み上げることではない。日常の中にある小さな物事が、地域的なもの、地球規模のものとリンクしているという理解のもとに捉えられるものである。また、知るということは、批判的に物事を考えることを学ぶことであり、関係を築き、リンクを創り出すことであると言う。

 平和教育って、なんてパワフルなんだろう。必ずしも重苦しい戦争についての学習ばかりではない(もちろん、事実を知ることは重要だ)。そして、私が日々、努力していることも、もしかしたら、すでに十分、平和教育かも・・・と思えて、なんだかエンパワーされた一日だった。

2007.04.24
2007年4月 体のモニタリング

 この春は体調不良で辛かった。と言っても、寝込むわけでなく、普通に仕事をしていたのだけど(だから、たいした病気でもないのだけど・・・)、執拗な花粉症に始まって、キリキリと胃が痛み、肋間神経痛を経由して、背中、肩、首へと痛みが回り、最後は左後頭部のひどい偏頭痛。こんなことは初めてだった。偏頭痛が続いた3日目に、かかりつけの整骨院で治療を受けたら、驚くことにピタッと痛みが消えた。原因は、肩首の凝り、過労、ストレスだそうだ。これだけ凝っていて、これまで頭痛がなかったことの方が不思議だとも言われた。

 若い時は、自慢の肩凝り知らずだった。それが、いつの頃からか、肩凝りがひどくなって、それが高じると神経痛を発症するようになった(今は亡き藤岡喜愛先生によれば、消化器系が敏感な内胚葉型に対し、皮膚・神経に出る私は外胚葉型だ)。ここ2~3年、会社の近所の整骨院へ行くようになって、動けないほどの神経痛はなくなった。整骨院へ通っていると、自分の体の凝り具合、疲れ具合がわかるようになる。ところが、去年の秋から多忙を極め、すっかり足が遠のいていた。そうすると、いつの間にやら、自分の体の凝り具合、疲れ具合がわからなくなっていた。

 「首の左側が痛いなぁ」と思う。整骨院で押さえてもらうと、実際には、右側もかなり張っていることがわかったりする。人間の体って、一番、痛いところに気を取られ、それ以外の部位の痛みを感じなくなってしまうのだそうだ。たしかに、フロイトも、歯が痛い時はリビドー(エネルギー)が全部、歯に向かってしまうというようなことを書いていたよなぁ。痛みがひどすぎると、感覚麻痺が起こって、何も感じない。事故やレイプの被害者たちが、一日経って初めて骨折に気づくというようなことさえある。さらに、痛みが慢性化しても、感じられなくなる。「今年は整骨院に行かなくても元気だなぁ」と思っていたけど、何のことはない、単に感じなくなっていただけのことだった。怖ろしい。

 仕事柄、心については敏感だ。感覚麻痺することはまずないし、自分の細かな感情について、人一倍よく把握していると思う。でも、フロイトが言うように、一種の職業病とも言えるのだろうが、心に多くエネルギーを取られているものだから、体に回す分が枯渇しがちなのだろう。年を取ってからは、若い時のようにはいかないことを痛感して、気をつけているつもりでも、今回みたいな失敗をしてしまう。とりあえず、何はさておいても、定期的に整骨院へ行くとしよう。

 ある人が、「整骨院でマッサージしてもらうのって、体のモニタリングになるよね」と言った。たしかにそうだ。「体のモニタリング」とは、リラクセーションなどの時によく使われる方法だが、足先から頭のてっぺんまで、ほんの少しずつ意識を体の部位に向け、移動していく。「モニタリング」と言われるけど、私の感覚では、「スキャン」という方がぴったりくる。パソコンのウィルス・スキャンみたいに、意識で体の各部位をスキャンするのだ。そうすると、足の疲れ、下腹部の痛み、肩凝り、手の冷たさ、舌のしびれなど、それまで無視して気がつかずにいた体の小さな叫びがキャッチできる。普段、忙しくして、自分を欺いて体に無理を強いていたものが、通常の閾値以下で聴き取れるのだ。小さいサインを聴き取って対処すれば、大きなことにならずにすむ。心の問題については、それができているのだけど、体については、まだまだ下手だな。

 それにしても、これは不思議な現象だと思う。たとえば、意識を足先に当てた時と、胸に当てた時とでは、物理的に言って何が違うのだろう?温度がほんの少し上がっていたりするんだろうか?バリダンスの準備体操でも、「骨盤の重みを右足の裏で感じて」とか、「胸の重みを右足の裏で感じて」というのがあるんだけど、たしかに、これができるのだが、実際には、右側に重心が移動した以外の物理的差異はあるのだろうか?いつも不思議に思っていることだ。

 できれば、朝晩、寝床の中で、体のモニタリングを習慣にしたい。バリダンスの先生に教えてもらって、いっとき、寝る前に「ゆる体操」というのをやっていた時があったが、いつのまにやら忘れてしまっていた(娘によれば、これをやると、確実に翌朝の目覚めが良くなるという)。心のことにばかり気を取られるのでなく、体のことに気を向けなくちゃ。大切にして、まだまだ長く頑張ってもらわなきゃね~。そういう意味では、「動作法」は心と体を統合した優秀な技法だろう。詳細はまたいつか。

2007.03.13
2007年3月 場面緘黙

 先日、古い友人が訪ねてきた。最近、「場面緘黙(バメンカンモク)」のことを一生懸命やっているという。場面緘黙とは、幼稚園や学校など、特定の場面で話せない子どもの症状だ。昔から事例報告などによく見かけたし、間接的には聞くこともあって、知らないわけではなかったが、直接的に関わることはなかった。それほど多くはないのだろうと思っていたが、出現率は1%弱、0.7%程度と言われているとのこと。1000人の小学校に7人いるということになるから、決して少なくない。

 にも関わらず、それほど話題に上ってこないのは、ADHD等と違って、放っておいても周囲には問題が発生しないためだろう。なにしろ、緘黙の子たちは大人しい。声を上げなければ、無視されるわけだ。本人が困っても、周囲に困ることはない。

 原因はよくわからず、社会恐怖症の診断基準に当てはまるようだ。よって、話すように求められたり、強制されたりすることは、症状を悪化させる。話すことを求めるより、その場に安心していれるようにしてあげる配慮が求められる。治療法としては、薬物療法、行動療法、認知行動療法が主のようである。適切な対応がないと、二次被害があったり、大人になっても症状が残り、生きずらさを抱える場合もあるようだ。

 場面緘黙症Journal (SMJ)というホームページに詳しい情報が満載されている。ファイルを打ち出して、幼稚園や学校の先生たちに配布して理解を求めることのできる資料や、ブログ、掲示板もあるので、関心のある方は、こちらを参照のことhttp://smjournal.sakura.ne.jp/kanmoku_kiso.html

 考えてみると、うちの娘も、小さい頃は、社会的場面での緊張が高かった。娘などは、家での振る舞いと外での振る舞いがあまりに違いすぎて(おしゃべりも少ないし、身体の動きも少ない)、驚いたことがある。あれでは疲れてしまうだろうという感じで、よくお腹が痛くなったものだ。小学校の学年が上がるにつれて、少しずつ変化し、中学生くらいになって、ようやく外でも自由に振る舞えるようになった。高校生になった今はのびのびしている。

 自分自身を思い出しても、幼稚園時代はとってもシャイだった。当時の友人たちに言わせると、あの頃からしっかりした利発な子だったということになっているけれど、これは、自己イメージと大きくギャップがある。公園で子犬と遊んでいて、男の子たちにからかわれて言い返せず、悲しくて泣いていた記憶が浮かぶ。社会的場面というか、周囲の状況が見えすぎてしまうという負担があったような気がする。

 息子は、3歳の時、LDと言われたこともあるが、ADHD系。ランドセルを忘れて学校に行く、好きなことに没頭していたら他のことは何も眼に入らない、自分がしようと思わないことをさせるのは至難のわざ、数々の忘れ物と落とし物。親の眼にはかわいくて笑えるけど、小学校時代は、先生との関係でヤキモキするようなこともなかったわけではない。時々、吃音もあったし。これは、本人が気にするようになったら、伊藤伸二さんが主催する竹内敏晴さんの親子サマーキャンプに行こうと勝手に楽しみにしていたけど、そのチャンスはなかった。その息子も、今や、すっかり好青年だ。

 自分自身のことを考えても、子どもたちのことを考えても、子ども時代って、かなりバランスの悪い偏った存在なんだと思う。それが個性とも言えるんだろうけど、それぞれがそれぞれなりの偏りを抱えて生き抜く中で、だんだんと世の中に揉まれて丸くなっていく。自分でもおかしいけど、私って、本当に何でも自分でやってみて自分で確かめなければ納得できないタチだった。そっちに行ったら絶対こけて頭をうつとわかっていても、人から事前に言われるのは絶対に嫌。人に口出しされるより、自分でこけて、やり直す方を好んだ。今は少し丸くなって、ようやく、事前にわかっていることなら、助言をもらって賢明な選択をする方が良いと思えるようになった。そんな自分の頑なさは、おかしくもあり、愛おしくもあり。

 そんな子どもの偏りに名前がついたりつかなかったり、世の注目を浴びたり、無視されたり。いずれにしても、生きにくい時代だ。特別、理解がなくても、当たり前のように受容される懐の深い社会でなくなった今だからこそ、きちんとした理解を構築していく必要があるのだろう。

 いろんな意味で、過去の自分と出会う。遠方より友来る、また楽しからずや・・・であった。

2007.02.26
2007年2月 中年男性の人間模様

 今年も面白い修士論文がたくさん出来上がった。紹介したいものがたくさんあるけど、今月のトピックには、中年男性の人間模様を選ぶことにしよう(でも、ここで書いていることは、学生の修論の結果に基づいて、私が勝手に展開している部分がなきにしもあらずですので、悪しからず・・・)。

「お父さんって、いったいどういう人?さっぱりわからない!」というある娘の疑問から、この研究はスタートした。自分の父親と同じような世代の男性たちにインタビューして、その人間関係を分析した結果、男性たちの人間関係には、①家での自分と、②社会での自分の2パターンがあることがわかった。②社会での自分は、さらに2パターンに分かれ、②-1友達関係と、②-2仕事関係。それぞれのあり方には特徴がある。

①家での自分・・・自分が家族を守るという役割意識、感情表現は抑圧される
②社会での自分 ②-1友達関係・・・飾らず、素の自分をさらけ出せる
            ②-2仕事関係・・・他者は人脈、利害関係、感情表現は抑圧される

 若い時には、学生時代の仲間との関係で、素直な自分が出せるが、就職して社会へ出て行くと、だんだん、友達関係は縮小していく。もともとは仲間関係であった人でも、仕事で一緒になれば、その関係は変化する。さらに、家庭を持ち、子どもが生まれると、家族を守らなければならないという役割意識が強まり、これに比例して、ますます、社会で闘って、勝ち残らなければという使命感が強まる。だんだんと、友達関係に時間やエネルギーを割くことができなくなる。気がついてみると、素直な自分を表現できる場はなく、いつも鎧を着、仮面をかぶって生きていくことになる。娘にとって父親がいったい何者か、見えないはずだ。

 思い当たることがあった。ある時、男性の友人が、「人を見たら自分の資源と思え」と言っているのを聞いた。「えっ、私は彼の資源か!?」と一瞬、ムムムと不信感が高まったが、どう考え直しても、そんなふうには感じられなかったので、彼なりの表現なのだろうと善意の解釈をすることにした。でも、心のどこかに「人は自分の資源」という発想があることは間違いないんだろう。私自身は、仕事関係であろうと、友人関係であろうと、いまだかつて資源という発想を持ったことはない。

 それからしばらくして。夜中、なんだかお風呂場で物音がしたような気がして、「何だろう」と言いながら、夫が見に行ってくれた。「何もなかった」と戻ってきたので、「何かひそんでいたりしなかった?」と確認すると、「怖いこと言わんといてくれや。何かひそんでいたら、僕が闘わなあかんねんから」と言ったので、思わず絶句してしまった。夫が闘うなんて夢にも思わなかったが、やはり、心のどこかに僕が家族を守らなければと思ってくれているのだろうか。なんだか微笑ましく、というか愛おしくなった(こんなこと書いてることを知ったら、気を悪くするかしら?)。

 この2人は、男性のなかでも、男らしさへのこだわりから比較的自由な人たちだ。それでも、なお、根底にそういう意識があるのだとしたら、一般の男性たちはもっとそうなのだろう。男としての役割意識や責任感から、ありのままの自分を表現する場を失い、素直な自分との接触を奪われていくとしたら気の毒だ。自分が役割意識に縛られていればいるほど、相手にもそれを期待するだろう。男性の役割意識と裏表で、女性の役割意識もある。なんだかお互い不幸だなあ。男も女も役割意識から解放されて、素の自分で生きられたらいいのに・・・。

 この学生は、修論の研究を通じて、父親と出会い直しをした。素の父親を知るということは、父親の良い面、悪い面、両方を見ることだった。悪い面を見ることになってしまった結果への感想を尋ねたら、彼女は、「それでも、わからないより良かった」と言った。この言葉は嬉しかった。必ずしも理想の父に適わなくても、良い面も悪い面もある一人の人間として父親と出会うこと、本当の姿から逃げないこと、それは人生にとっても大切なことだと思う。お父さんたち、そんなに良い格好しようと頑張らなくても、娘たちは、もっと寛大ですよ!

2007.01.29
2007年1月 感情に言葉を与える

 娘は、感情に言葉を与えるのが小さい頃から上手だった。たとえば、5歳の時、不運にも大きなショック体験を経験してしまった娘は、「うち、自分のことがかわいいと思われへん・・・」とポツリと言った。親としては、辛くて胸が締め付けられる思いだったが、上手に伝えてくれるので、フォローもしてやりやすい。心理学用語に置き換えれば、トラウマ後の自己嫌悪、自己否定だ。

 人生にはいろんなことが起こる。つい最近も、ショックなことに直面した娘は、泣いて泣いて気持ちを表現し、友人達から存分に慰めと支えを得、彼女が信頼する大人にも話を聞いてもらったようだ。辛い体験を上手に乗り越える術を身につけることは、これからの人生を生き抜くうえで、どんなにか大きな力になることだろうとつくづく思う。

 「そういうとこ、すごいよね~」と感心していたら、「うち、どうしても人に言われへんことは、自分にメールすんねんな」と言う。何かを抱えて表現できない時、自分の気持をメールにして自分宛てに送って、ロックされたフォルダに入れていくんだそうだ。日記を書くためには、晩、机の前に座らなければならないけど、これなら、その場ですぐにできて、とってもすっきりするという。時々、読み返すのも精神衛生上、良いそうだ。

 なるほど。「いいアイディアだね~。すごいこと考えついたね~」と褒めちぎったら、得意気に、「なっ、そうやろ~。FLCのお客さんたちにも教えてあげたら?」と言う。「ほんまやね~、そうするわ」と、ここに紹介している(もっとも、私みたいに、携帯メールを打てなくて電報になる人には通用しないが・・・)。

 「やっぱり、誰にも言われへんことってあるねんな~。お母さんぐらいになったら、誰にも言われへんことって、もうないかも。この人にはこれ言えない、あの人にはあれ言えないっていうのはあるかもしれないけど、何でも誰かには言える気がする・・・」と言ったら、娘は、「そうか~。うちは、やっぱり、まだプライドあるって言うか、人に良く思われたいっていう気持があるねんな~」と言う。「そっか~。お母さんの場合は、もう、そういうのないかもな~。お母さんのまわりの人たちって、みんなお母さんがこんなんだって知ってくれてるし。今さらいいかっこしようもないからね~」。「いいな~」と娘。

 年を取るにつれ、良くも悪くもありのままの自分で、周囲の人たちにもそれを許してもらいながら、じたばたせずに自分を許せるようになったような気がする。思い返せば、私も、娘くらいの頃には、しんどさを一人で抱えているところあったよな。家族のいろんな事情で、思春期の頃は辛かった。それでも、生来の陽気さで乗り切っていたから、なんていうか、必ずしも嘘の自分を演じていたわけではないが、自分のなかにギャップがあったと思う。日記を書いたり、詩を書いたりはしていたけれど、もっとそこをうまく言語化して誰かに聞いてもらえていたら・・・。

 そもそも、思春期っていうのは、そういう時期なのだろうが、娘を見ていて、私の時よりずっと上手に思春期やってるなと思う。子どもに学ばされることは多いものだ。

2006.12.18
2006年12月 情報は力なり

 つい先日、NPOのDV子どもプロジェクト主催で、オンタリオ州カナダ・ロンドンにあるCCFJS(The Centre for Children and Families in the Justice System)より、リンダ・ベーカーさんとアリソン・カニングハムさんをお招きし、囲む会を開催した。CCFJSは、DVと子どもに関して世界最先端を行く機関であり、私自身は10年程前から注目していたところだけに、なんだか感慨深いものがあった。それを聞いてリンダさんたちは、逆に驚いておられたけど。

 ようやくインターネットが普及するかしないかの頃、まだ数少なかったこの分野について調べていて、思春期向けの非暴力プログラムがあることを知り、CCFJS(前はファミリー・コート・クリニックという名前だったけど)につながった。聞いてみると、そのプログラムは三万五千円もするというので、泣く泣くあきらめた記憶がある。4年ほど前にも、DVの影響を受けた子どものプログラムを送ってもらうために、何度か直接、電話した。

このたび、リンダさん、アリソンさんを招くにあたって、HPを中心に下調べをしていて驚いたが、おそらく私が電話した頃に大規模な組織の再編成をしていたのだろう。今や、ものすごい情報源となるHPを公開していた。最新情報満載の本がたくさん、無料でダウンロードできるようになっているのだから驚きだ。「なんと太っ腹!」と感激したが、考えてみれば、つまらない額の印税をもらうより、こうした方が、たくさんの人に情報が届き、ずっと意味のある貢献ができるだろう。

 15年ほど前、それこそインターネットもまだない時代、私にとって、性被害に関する貴重な情報源は、カリフォルニアから送られてくる"Healing Woman"という月例のニュースレターだった。そこに出ている書評など見て、洋書を注文していたものだ(当時は、紀伊国屋に注文すると、手元に届くまでに、半年かかった)。ニュースレターに「情報は力なり」というコーナーがあって、サバイバーに役立つ情報が紹介してあった。「情報は力なり」とは本当にそうだと妙に納得しながら愛読していたことを覚えている。「力/パワー」には善いものと悪いものがある。適切な情報や知識は善い力になり得る。インターネットを通じた情報提供は、いろいろな形でどこかの誰かの力の源になるかもしれない。

 しばらく一緒に仕事をしていた立命館の立岩真也さんのHPは素晴らしい。情報満載で、著作権やら何やらややこしいことをギリギリ考慮しながら、可能な限り、自分の書いたものを公表し、誰もが利用できるようになっている。偉い研究者だと思う。自分でやっているというのだから、いったい一日のどのくらいの時間をパソコンの前で過ごすのだろうと、想像するだけで途方に暮れる思いだったが、今回、CCFJSの太っ腹な情報開示を見て、立岩さんのHPを思い出した。そして、自分のところでも、そんなふうにしていければ・・・とにわかにやる気に燃えてきた。幸い、私たちのところでは、杉谷さんという心強い助っ人にHPの管理をお任せしているので、情報整理をすれば良いだけだ。著作権のことなどもあろうが、絶版となった本(とくに女神の本)を無料で公開できないかしら?・・・あれこれ知恵を絞って、もっとお役に立てるHPにしていけたらいいな~と思っている。

2006.11.22
2006年11月 失われた絆、つながりを求めて~ナイト・シャマランの世界

 ナイト・シャマランの映画は、「シックス・センス」「ビレッジ」をのぞけば、一見、無意味で馬鹿馬鹿しいものが多い。「アンブレイカブル」「サイン」など、ただの少年ものという感じ。それでも、彼の映画のメインストーリーの向こうに、いつも、もうひとつのサブストーリーが読み取れる。それは、いったん切れてしまった絆と(多くの場合、それは目に見えない物質的世界を越えたものなのだが)、もう一度、つながろうとする人間のあがき、そして、必ず、最後に希望の予感が与えられる。映画好きの同僚からは、「それはあんたの勝手な読み込みだ」と言われてしまう。そうなのかもしれないけれど、シャマランが意識的か、無意識的か、それを求め続けていることは間違いないと思う。彼の個人的背景についてはよく知らないが、インド系アメリカ人という彼の背景と関係しているのかもしれない。

 最新作「レディ・イン・ザ・ウィーター」は、シャマランが、幼い娘たちから「パパ、何かお話を聞かせて」とせがまれ、その場の思いつきでしゃべり始めたお話を元にしている(つまり、彼の個人的神話だ)。青い世界に住む水の精(ナーフ)と人間は、かつて深い絆を持っていた。ナーフの声に耳を傾けると未来が現実になり、いわば予定調和的な世界があった。けれど、愚かな人間がすべてを手に入れるために陸の奥へと進んでいき、青い世界との絆は切れてしまった。闘いをエスカレートさせるばかりの人間たちに何とかメッセージを届けようと、青い世界から、命懸けでナーフたちが送り込まれてくる。ひとりのナーフとアパートの管理人であるクリーブランドの出会いから、物語りが始まる。
 
 実は、クリーブランドには、秘密があった。彼は、強盗に入られ、妻子を殺害された過去を持つ。ひとりぼっちになったクリーブランドは、心を閉ざし、医者の仕事もやめてしまう。そして、誰も知らないところで、無口な(というか吃音もち)管理人として、住居人の生活を助ける雑用をこなしながら生活している。たしか、「サイン」に登場するのも、妻を交通事故で失ったことから、信仰を失い、牧師をやめて農場を営んでいる男だった。そして、「ビレッジ」は、理想世界の実現を求める犯罪被害者遺族の村だ。しかし、閉ざされ、絆を失った理想世界は幻に過ぎなかった。人間のコントロールを越えた次元で起こる悲劇、いわば運命というものに翻弄される人間たちが、どうやってそれを乗り越え、生きていけるのかという奇跡の探求がいつもシャマラン映画の中核にある。スピリチュアルなテーマが含まれていると思うのだ。

 ネタバレは顰蹙を買うので、詳しいあらすじは書かないが、「レディ・イン・ザ・ウォーター」で起こる奇跡を助けるのは、シンボリスト(記号論者)、ガーディアン(守護者)、ギルド(職人)、ヒーラー(治療者)、ウィトネス(証人)たちだ。しかも、これらの力を持つ当事者たちは、自分たちの力と役割を知らない。彼らは特別な人たちでなく、ごくふつうのそこらへんにいる人々、もっと言えば、周囲からは変人と思われていたり、軽蔑されているような人だったり、ただの子どもだったりするのだ。誰しもが固有の役割を持ち、いったんその意味に目覚めるならば、奇跡に欠かすことのできない重要な力の一部を担うことができる。大きなダメージを受け、いったん切れてしまった絆を結び直すためには、これらの人々の力が結集されなければならない。青い世界に住む水の精たちとの絆が切れたことは、当然のように、無意識の世界やあの世、現世を超えた次元にある世界との絆が切れていることを表している。私たちも目覚めなければいけないのではないだろうか。

 「シックス・センス」は、もっとも論理的一貫性を追求した作品だと思うが、この主人公は、困難を抱える子どもたちのために献身的に関わってきた児童精神科医。彼の功績は市長から表彰を受けるまでに到るが、たった1人、助けることのできなかった男の子がいた。それは、彼の言葉に徹底的に耳を傾ける(=つながり続ける)ことに失敗したからだ。自分の過ちを知り、過ちの理由も自分の居るところもわからないまま、主人公は、自分自身とのつながりさえ失い、さまよい、あがき続ける。彼を救うことになるのは、やはり、自分に与えられた役割(運命)によって、この世の人ともあの世の人ともつながりを結べず、苦しんでいた少年だった。彼の母親も同類である。母親はそのまた母親との絆を結べず、息子との絆を結ぶことに失敗し続けていた。さまよう二人の主人公たちの間に絆が結ばれるにつれ、二人は、他の人々との絆の回復に成功していく。

 これらのプロセスは、カウンセリングの仕事を通じて、いつも経験するものだ。本来の自分、あるいは自分に与えられた役割との絆の回復は、他者との絆の回復、目に見えない世界との絆の回復と並行する。カウンセラーの役割は、さながら、ウィットネス(証人)といったところだろうか。時に、意味を読み解くシンボリスト(記号論者)、枠組みを与えるガーディアン(守護者)、必要なスキルを教えるギルド(職人)であり得るかもしれないが、どう考えてもヒーラー(治療者)ではないような気がする。これは一般の理解に反するかもしれないけれども(他のカウンセラーたちの考えにも反するかもしれない)。自分の仕事は、むしろ、それぞれの人が自分の生活のなかに、奇跡を可能にするコンステレーション(布置)を持つことができるための助けとでも言おうか。

 シャマラン監督はまだ若いが、いずれ伝記でも書かれれば、もっといろいろなことがわかるだろう。いつもカメレオン出演するお茶目な監督は、今回、わりと重要な役割で登場している。自分を信じていないライターだが、将来、彼の作品を読んで影響を受けた人物が後に社会を変えることになることを知り、命を賭けることを惜しまず、自分の役割を引き受けていくというシナリオだ。おそらく、これは彼の願望を表しているのだけれど、シャマラン自身が、自分に与えられた役割と意味を探し求め続けている証拠だろう。

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