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トピックス by村本邦子

2014.02.28
2014年2月 「からのゆりかご」と児童移民

 イギリスの児童福祉、とくに児童移民についての調査でイギリスに来ている。映画「オレンジと太陽」、本『からのゆりかご~大英帝国の迷い子たち』(日本図書刊行会)の話だ。イギリスで、子ども移民は17世紀以来周期的に行われてきた。1900年から30年代までは、カナダへ、第二次世界大戦後は、オーストラリア、ローデシア(ジンバブエ)、ニュージーランドなどの植民地へ、施設の子どもたちを送っていたのである。時代や受け入れ先によって違いはあるものの、子どもや親の同意なく、だますような形で子どもたちを移民させ、その多くが強制労働や虐待、性的虐待の対象となった。イギリス政府主導で、名高い慈善団体や教会がこれを行ってきたため、1970年を最後に、その歴史は闇に葬られた。ショキングな事実ではあるが、手厚い児童福祉で知られるイギリスの影と言える。

 養子に出された子どものルーツ探しに関わっていたソーシャルワーカーのマーガレット・ハンフリーズさんが、1986年、オーストラリアの女性から受け取った1通の手紙をきっかけに、この政策について知るようになり、身を危険に晒しながら事実を明るみに出した。児童移民の数は13万人を上回ると推計され、あまりに遅すぎると言えるが、2009年にオーストラリア政府が、2010年にイギリス政府が事実を認め、正式謝罪をしている。マーガレットさんは1987年、元児童移民たちの家族探しの援助をするために「児童移民トラスト」を立ち上げ、オーストラリアとイギリスを往復しながら、今なお活動を続けている。

 ノッティンガムにある「児童移民トラスト」のオフィスを訪ねた。引っ越したばかりという閑静な住宅街の一軒家で、小さいけれど美しい庭とサンルームがあり、室内には無数にと言いたくなるほどたくさんの元児童移民と家族の再会の写真が飾ってある。一枚一枚にドラマがあり、長かったであろう道のりにほんの少し思いを馳せるだけで胸が熱くなる。映画のなかでも、元児童移民であるクライエントに家族の事実を伝える部屋はどうあるべきかと、窓から見える風景や家具の配置、花の飾り方まで心を尽くしてチェックするマーガレットさんの姿が出てくるが、家庭的で暖かな雰囲気のなかで支援はなされるべきだという信念がいたるところに感じられる。ノッティンガムのオフィスは、マーガレットさんと、元ソ-シャルワーカーで今はマネージャーを務めるパートナー、2人のソーシャルワーカー、事務職員の5人でやっておられるが、その仕事たるやほとんど奇跡のように思える。

 バナードスというエリザベス・サンダーホームのモデルともなったイギリスのもっとも古く大きな慈善児童支援機関で(つまりは、児童移民にも関わっていたということになる)、これまで保護してきた子どもの情報開示サービスを行っている「メイキング・コネクション」のソーシャルワーカーたちの話も聞いたが、一人ひとりの出自を知る権利やその伝え方をどれほど大切にし、時間とエネルギーを注いでいるかには想像を絶するものがあった。児童移民のような闇があった一方で、一個の人間として子どもを尊重しようとする伝統が着実に根付いてきたことをも表している。ワーカーたちのプロ意識や社会正義感は新鮮で感動的でもあった。是非、DVDと本を観てほしい。

2014.01.09
2014年1月 心理療法は政治的である。でなければ、心理療法ではない

 同タイトルはペーター・シュミットによる論文で(Schmid, P.F., 2012)、著者はウィーンにあるジクムント・フロイト大学の所属である。そんな大学があることにも驚いたが、サブタイトルは「パーソン・センタード・アプローチは本質的に政治的な冒険である」で、内容はロジャーズなのである。しかも、結論は、第二派フェミニズム運動の主張だった"The Personal is political."(個人的なことは、政治的なことである)をもじって、"The most personal is the most political." (もっとも個人的なことは、もっとも政治的なことである)となっている。なんておもしろい。先行き怪しい日本社会と日本の心理療法界を憂える新年早々のトピックにふさわしいのではないかと思って紹介する。

 ロジャーズは、70年代後半より「静かなる革命」という言葉で、PCA(パーソン・センタード・アプローチ)の政治的側面を主張するようになる。彼は政治をパワーとコントロールの問題だと考え、セラピストを専門家の位置に置きながらクライエントの自己決定を強調する諸アプローチの一貫性のなさを批判した。彼にとって、人間存在のイメージそれ自体が政治的なものであり、人が未来を構成していく傾向から疎外されたところに苦しみが生まれると考える。PCAの歴史を通じて政治的テーマを扱った人々は少なくないが、シュミットによれば、政治的気づきだけでなく、政治的行動に結びつけることが重要である。

 マキアヴェリからウェーバーに至るまで、古典的政治理論では、政治がパワーの問題に還元され、政治は政治家の問題になってしまった。本来、"Politics"、「政治(学)」はギリシャ語の「ポリス」(都市)に由来する。アリストテレスの理解のように、人間は「本質的に市民的コミュニティに依存する」ポリスを志向する。人はコミュニティにあってこそ、その可能性を十分に実現し人間たり得、政治とはその目標達成のための秩序の創造である。政治には、政策(規範)、政治活動(過程)、政治組織(形式)の三つの次元があり、政治とは、政治組織を基盤に政治活動を通じて政策を実現することである。

 何人も政治と無関係にあることはできず、心理療法も政策、政治活動、政治組織と切り離すことはできない。心理療法の政治において、政策、すなわち、それぞれの流派が何に価値を置いているのかが問題にされることは少ない。今日、心理療法やカウンセリングで行われていることには、適応やリラクセーション、助言、危機管理、望ましい結果を得るための行動変容、コーチング、救済などが含まれているが、解放という意味における人格発達と結びついているかという点から言えば、これらは心理療法と呼ぶに値しない。全体主義なのか民主主義なのか、マインドコントロールなのか解放なのか、権力の濫用と支配なのか参加と分かち合いなのか、あるいは患者なのか人なのか。心理療法家は政治的にどちらかを選んでいかなければならないし、他の学派と議論していくべきである。政治的でない心理療法家は現状維持に加担し、クライエントに有害である。

 この論文に触発され、お正月はゆっくりとロジャーズを読んで過ごした。彼が個の尊重を徹底的に貫くなかで、各国政府要人たちのエンカウンターグループなど政治的行動へと導かれていったことがよく理解できた。海外から次々と新しい技法が紹介され、各種資格や認定は増える一方であるが、人が生きることはもっとシンプルなはずなのだ。専門家が活躍する社会は幸福ではない。政治家に政治を任せることなどできない時代だ。さしあたってなすべきことは、一人ひとりが自分の存在に含まれた政治性に目覚めることではないか。今年はその具体的方略を考えることを課題としよう。

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