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トピックス by村本邦子

2014.12.29
吉里吉里国

 震災以降、毎年、東北に通うようになったが、少しずつ馴染むほどに、東北の力に魅せられている。数々の心躍るエピソードがあるが、今回は、吉里吉里国のことを書いてみたい。 

 岩手県、陸前高田から宮古へ向けて、国道45号線を走っている途中、大槌町で「吉里吉里」という案内板を見かけた。実は、「きりきり善兵衛」というレストランに入り、「きりきり」とは何のことだろうと気になっていたのだが、どうやらこのあたりの地名だったらしい。そして、井上ひさしの『吉里吉里人』のことを知った。吉里吉里村が日本から独立するというこの小説は三十年以上前に書かれ、話題を呼んで日本SF大賞を取った。ちなみに、「きりきり善兵衛」とは、江戸時代の海の豪商・前川善兵衛のことなのだそうだ。地元の人は誰でも知っているのだろう。なんだか面白くなってきて、『吉里吉里人』を読んでみることにした。分厚い三巻本らしいが、キンドルで買ったため、厚さは感じられない。それでも、通勤時間に少しずつ読んで、ひと月近くかかったので、やはりかなりの分量なのだろう。 

 吉里吉里の駅は、震災の影響で運休しているJR山田線上にあるが、小説に出てくる吉里吉里村は、宮城県と岩手県の県境、東北本線沿線上にある。物語は、主人公・古橋を含む乗客808名を乗せた夜行列車「十和田3号」が一関手前で急停車し、旅券がない者は出入国管理令違反であると、子どもたちからなる入国警備官が銃を構えて乗り込んでくるところから始まる。全体的にドタバタ劇の体裁を取っているが、その内容は、まったく時代を先取りしている。やれ増産しろ、減反しろ、合併しろと国益のことしか言わない日本政府に愛想を尽かした吉里吉里人たちが、この日の朝、日本国から独立をはかったというのだ。吉里吉里国の人口は4200人、公用語は「吉里吉里語」(ズーズー弁)、金本位制を取り、食料自給率百パーセント、地熱発電まである。国民一人一人を大切にする農業・医療・平和立国として入念に独立の準備をしてきた。

  読み進むにつれ吉里吉里人たちへの思い入れが強くなっていくので、最後の最後に独立が失敗に終わったことを知って、いくらフィクションであるとわかっていても、残念で残念でたまらず、いまだにがっかりしている。今の日本の状況を思えば、どうしても吉里吉里国独立を果たして欲しかった。そうして、調べているうちに、実は、吉里吉里人たちの独立精神はいまだ健在であることを知った。

  大槌は大震災で大きな犠牲を受けたところのひとつだが、吉里吉里の住民はどの地区よりも早く復興対策を行ったそうだ。2011414日の毎日新聞によれば、住民たちは、「行政を待っていたら、いつまでたっても復旧しない」と、吉里吉里小学校の避難所に自分たちで災害対策本部を立ち上げ、食料班、医療班などを組織して活動を開始した。住民自ら行方不明者の捜索をしつつ、重機を使って国道や町道の瓦礫を撤去し、コンビニ在庫のパンや飲料水を救援物資として配った。防災用に準備した発電機を使い、医療用の電源を確保。重傷者や透析患者を運び出すため、吉里吉里中学校の校庭にヘリポートを示す"H"のマークを書き、自衛隊のヘリが患者を搬送した。震災5日後にこの地区に入った自衛隊員は、片づけられた瓦礫の様子をみて、「ここまで自力で復旧させるとは」と感嘆したという。

  そして、NPO法人「吉里吉里国」が誕生した(http://kirikirikoku.main.jp/index.html)。「先人の知恵に学び復興計画策定には、スピードが必要で、仮にこのまま国や県の決定を一方的に押し付けるようなことがあっては、被災者のあきらめ感を助長しかねない。我々が忘れていた先人達のこの知恵を再び取り戻し、我々住民自らリスクを管理できるような街づくりを目指し、次世代に残す事業を行わなければならないと思い、吉里吉里の住民有志自らが立ち上がって、その協力者達とNPO法人化にいたった」という。「復活の森」プロジェクト、自伐林業の普及、薪文化の復活・継承、森林教室の開催を事業とすることで、津波災害復興に向けて新たな雇用の創出と、経済復興に関わる地域主体の取り組みを地元住民と一体となって地域再生に取り組んでいる。

  実に頼もしいではないか。ネット上の情報だけだが、来年度は是非、訪ねてみたいと思っている。

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