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トピックス by村本邦子

2014.08.24
学校のなかのジェンダー

 本当に久しぶりだったが、縁あって、学校の先生向けのジェンダー研修を引き受けた。スクールカウンセラーもやっているので、学校現場をまったく知らないわけではないのだが、最近の学校のなかはどうなっているのか、とくに、バックラッシュ以後、その影響はどうなったのかと思い、最近の本をいくらか読んでみた。一番、おもしろかったのが、今年の4月に出版されたばかりの『学校社会のなかのジェンダー~教師たちのエスノメソドロジー』(木村育恵著、東京学芸大学出版会)だ。 

 それによれば、既存のジェンダーを変革するような教師個人の実践が多様化する一方で、既存のジェンダーを維持・再生産するような旧来の価値観を打ち出すような動きも見られ、男女平等をめぐり錯綜した状況にあるようだ。学校教育における男女共同参画の推進は、2000年策定の第1次男女共同参画基本計画以降、とくに重点的に取り組むべき課題となっており、第2次基本計画では、2015年までにすべての教育レベルにおける男女格差を解消することを達成目標とする「ミレニアム開発目標」の実現に努めることが目指されている。私なりに整理すると、法令で男女平等が決められているので、旧来の価値観を打ち出すような動きは、「性別特性論」の形を取る。つまり、男女の特性を互いに理解し、尊重するというものである。 

 木村さんは、なぜそうなるのか、それをどうやったら克服していけるのかを探るうえで、ジェンダー論だけでなく、教師文化の分析が不可欠であるという。これはなかなかに説得力のある論だった。教師文化は重層性を持ち、制度化された文化とその対抗文化を含んでいる。ひとつは官僚化と民主化の軸である。官僚化に向かう文化は、教育行政の文化であり、フォーマルな教師教育文化である。民主化に向かう文化は、教員組合の文化であり、自主的研修やインフォーマルな研究会を基礎とした専門的文化である。官僚化に向かう文化は、管理や体制維持、形式的に皆同じといった形を取るため、「性別特性論」に向かいやすく、論理的に言っても当然だが、ジェンダー問題に取り組んできたのは民主化に向かう文化であったので、これと拮抗することになる。ジェンダー問題から、なぜ、更衣室が男女一緒になるとかいう話になるのか奇妙に思っていたが、官僚化の文化から見ればそうなるのはわからなくもない。要するに、「男女共同参画」には二つの相反する男女平等理解が混在している。 

 ここを解きほぐさなければ、先へ進めないのだなと思って話してみたが、ジェンダーフリーとバックラッシュに関する意識は必ずしも高いわけではないようだ。もうちょっとそこを丁寧に話す必要があったかなと反省しつつも、「性別特性論」は男女二分法に基づく考え方であるところに大きな問題があり、ジェンダー教育は管理主義でなく、一人ひとりを見る多様性に開かれていく民主化を目指すものであることに気づかなければならないということは伝わったかと思う。そして、そのためには、自らが埋め込まれている教師文化を相対化しなければならないこと。そこで、大学の卒業生で、背の順整列をやめた小学校の先生のことを思い出し、話してみた。私たち自身が疑うことなく受け入れてきた学校のなかの常識はまだまだたくさんあることだろう。そしてそれが知らず知らずのうちに社会へ持ち出されていくのだ。

 

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