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トピックス by村本邦子

2013.02.18
2013年2月 物語が立ち上がるとき

 立命館大学朱雀キャンパスで、「シネマで学ぶ人間と社会」をやっている。シリーズ14は「1.17から3.11へ、そして・・・。〜回復(レジリエンス)する力」、3本セットで、1月に第一弾「その街の子ども」、2月に第二弾「傍〜かたわら3月11日からの旅」が上映され、3月は「生き抜く〜南三陸町 人々の一年」が予定されている。映画上映の後、トークが行われ、カフェタイムで参加者の交流ができるというちょっとお洒落な企画である(一般に開放されている)。

 「その街の子ども」は、子ども時代、阪神淡路大震災を経験し、今は東京で暮らす若い男女が、震災15年目の前日、偶然、神戸で出会い、追悼式が行われる東遊園地まで、ひと晩かけて神戸の街を共に歩き、遠ざけてきた神戸の記憶と出会い直すという物語。「ジョゼと虎と魚たち」や「カーネーション」などの脚本を手がけた渡辺あやさんによる作品である。トークのゲストであった渡辺さんによれば、これはもともとNHKからの依頼でTVドラマ用に書かれたものだそうで、まず、神戸出身の森山未來と佐藤江梨子が役者に選ばれ、それに合わせてキャラクターが作られ(いわゆる「アテ書き」)、神戸を実際に歩いてシーンが選択され・・・と、だんだん物語が出来上がっていったそうだ。TVドラマの物語がどんなふうに生み出されていくかという話は新鮮だった。

 この作品は、その後、大きな反響を呼び、あらためて劇場版として再編集され、今なお上映され続けている。私自身はTVドラマを観ないが、その大衆性が人々の集合的意識・無意識を反映するものだとすれば、この物語は、阪神淡路大震災から15年を経過した神戸を中心とした関西コミュニティの集合的無意識から浮かび上がって構築されたのだと感じられて、コミュニティのもつ回復力に鳥肌が立った。

 「傍」は宮城県亘理町を舞台にしたドキュメンタリーで、吉田浜に惹かれて亘理町に移住したシンガーソングライター苫米地サトロとその家族が、震災後、臨時災害放送局「FMあおぞら」を立ち上げ、コミュニティに情報発信するとともに、毎月、月命日に、亡くなった人々の名前を延々と読み上げるというものだ。もとはと言えば、カメラマンが友人サトロの安否を尋ねるために町に入り、一年間、カメラを回し続けたものという。町の人々が大きな喪失を経ながら、大自然の変化に包まれ少しずつ時間の流れを受け入れ、歩んでいく姿は、それ自体がひとつの回復の物語となっていく。

 大学で展開している「東日本・家族応援プロジェクト」もそうであるが、これまでさまざまなプロジェクトを立ち上げてきて、物事がうまく進展するときには、不思議な意味ある偶然が次々と起こるものだと思ってきた。「天の導きか!?」などと言ってきたが、きっとコミュニティ、あるいは社会の集合的無意識が大きく反応するときにそういうことが起きるのだろう。逆に言えば、個の意志を越えて、大きなつながりのなかの小さな一部として自分が反応させられてきたということだ。長年の謎が解けるとともに、集合的な力を信じることができて、力づけられた。人ってなんてすごいんだろう。3月の南三陸はMBS取材班によるドキュメンタリーだが、これもまた楽しみだ。

2013.01.21
2013年1月 アートの力

 国立台北教育大学の頼念華先生を招き、3日間にわたる表現アートセラピーの教育的ワークショップに参加する機会を得た。頼先生はパリで芸術を学び、美術教育に携わった後、心理学を学び、アメリカでアートセラピーの訓練を受け、現在、表現アートセラピーを教えている。2011年8月に蘇州で行われた国際表現性心理学会で出会ったのだが(「アートセラピーと文化」)、トラウマ被害者に関わるアクティビストでもあり、文化的要因への配慮があるし、知性と感性のバランスが取れている(アートセラピストとして、これはなかなか貴重なことなのだ)。

  私自身、面接に小さなアートを取り入れたり、アートセラピーのグループを実践したりということはしてきたが、必ずしも体系立てたトレーニングを受けてきたわけではないので(日本の芸術療法の教育は受けたが、実践経験は十分でなく、心理療法の枠組みを越えたところにあるアートセラピーの訓練は受けていない)、不確かな部分も多かったが、今回、基本的なことを確認させてもらった感じがする。

  一番大きなポイントは、いかに苦手感をなくし、表現のきっかけを与え、拡げていけるかである。これは、むしろ、芸術教育に関わる部分かもしれない。いきなり大きな枠を与えるのでなく、かと言って、小さな枠を使うのでなく、小さな偶然による手がかりを布石のように大きな枠の中に置いていく。これは、とくに表現がつつましやかなアジア文化に対する細やかな配慮だと思う。また、素材の特質をよく理解したうえで、素材をも手がかりとしているからであろう、何となくやっているうちに、おのずと連想が拡がり、そこから何かが生まれていく。できたものが気に入らなければ、それはそれで留めてもよいし、気に入るように変化させるチャンスもたくさん準備されている。

 アートセラピストの役割は、何かを与えたり、何かを成したりする者ではなく、むしろ、創造の場を開く者であろう。頼先生がその役割を果たすために、日常生活のなかで、周囲に眼を光らせて少しでも役立ちそうなものを探しながら、アイディアを練っていることが伝わってくる。アートセラピストの力をではなく、アートの力を信じ、同時に、それは万人に開かれているはずだという信念と言えるかもしれない。

 印象的だったのは、作った作品を写真に撮って、フレームに入れてプレゼントするというが、「どんなふうにフレームを選んでいるか」という質問に、「実は、オフィスにあらゆる素材や色のフレームを集めていて、その作品が一番美しく見えるようなフレームを自分が選んでいる」ということだった。これは、枠組みはセラピストが用意するということと同じだが、そこにはアーティストとしての手助けがあるのだと思った。アートをセラピーに閉じ込めないということである。

 自分自身にアートのセンスがあるとも思えず、今さらアートセラピストにはなれないと思うが、でも、もっとアートと馴染み、アートを理解して、自分の生活や仕事に活かしていけるといいなと思った。自分がセラピーを受ける機会は貴重で、今回は、自分を見つめ直し、新しい自分を生み出したような感じがするし、偶然性や関係性のなかにこそ自分があるのだということを実感した機会でもあった。

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