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トピックス by村本邦子

2009.02.26
2009年2月 職業を通じた社会階層の再生産

修士論文の締め切りと口頭試問が終わった。今年は、キャリア選択に関するものが2本、ひとつは、医者という職業の継承がテーマだった。「医者の子は医者になる」とは、何となく皆が感じていることかもしれないが、それにしても、医者である親が子どもに医者になって欲しいと思う割合と、医者の子どもが医者になろうと思う割合が、他の職業に比べてどれほど高いかは驚くべきものがある。医者の子が医者になろうと思う理由としては、キャリアモデルが身近にあって、病院の文化になじみがあることのほか、医者が、圧倒的に、経済的・社会的優位性を持つ職業であることが前提となった価値観が挙げられるようだ。

この学生のインタビュー調査によれば、あからさまに「医者になりなさい」とプレッシャーをかけられて育つ場合もあれば、はっきりとは言われないが、そんな期待があったことが後に明らかになる場合もある。男女問わず、「医学部に行ける成績があるのに、薬学部なんかに行って、医学部を出た子にずっと頭下げることになってもいいの?」「これだけ今まで贅沢して暮らして、OLになってサラリーマンと結婚して、それでやっていけると思ってるの?」などなど、あからさまに言うか言わないかはともかく、本音としては、医学部に行って医者になることが、どれほど特権的であるかを信じて疑わない。

正直、げっそりするが、何も医者だけではない。周囲の大人にも、学校や予備校の先生にも、医学部に行くことは学力が高いことを意味し、社会的・経済的に優位であるから、断固、良いことだという認識がある。他の職業と違い、親が医者で、子どもが医学部を受けるという選択に対して、批判の声はいっさい聞かれない。私たちの社会や教育の現場が、いかに画一的な価値観で構成されているかを思い知らされるようだ。結果、子どもたちは、学力が伴えば、消極的選択として医学部へ行く。消極的というのは、「ぜひ、こんな医者になりたい」と夢や希望を持って進路選択するのでなく、「別に嫌じゃなかったから」「他になりたいものがなかったから」などの理由で医学部へ行く。もちろん、みんながみんなというわけではないだろうけれど。

『ハマータウンの野郎ども』(ポール・ウィルス著、ちくま学芸文庫)という本がある。原題は"LEARNING TO LABOUR-How working class kids get working class jobs"で、イギリスの典型的な労働者の町ハマ-タウンの「おちこぼれ」男子中学生の日常と卒後の進路を描くことで、労働者階級の子どもたちが、学校文化に反抗し、労働者階級に憧れ、労働者になっていく過程を明らかにしたものである。彼らは、学校文化を異化し、誇りを持って、独自の価値体系を作り上げようとしているわけだが、結果的には社会構造が再生産されていく。非常に興味深く、しかし、どこか哀しさが残る本である。

身分制度のある時代と違って、一見、職業選択は自由であると見えるが、その実、親の職業や社会階層に規定されている部分は大きい。ただし、子どもの出来が良ければ(ここでは学力を示す)、親の社会階層を越えるという選択はありだ。親が苦労したから、子は少しでも良い選択をというわけだ。こうして、社会階層が高くなるほど、職業選択の可能性の幅が小さくなる。この画一的な価値観では、医者は最高峰に位置づけられ、その上はない。明らかに、職業にはヒエラルキーがある。昔から、反発することなく、素直に開業医を継ぐ選択する人たちの存在を不思議に思っていたものだが、何も不思議なことはないということになる。

ひとつ希望が持てるのは、そうやって、なんとなく医者を選択した子どもたちも、実際に働くなかで、仕事の責任感や意味を見出していくという姿だ。もうひとつのキャリア選択の研究では、パティシエとか美容師とか資格と技術をもって働いていく若者たちを追ったが、そこでも、抽象的に選択を悩むよりも、身近なきっかけや自分なりのこだわりから、その道に入り、働くなかで、さまざまな困難を乗り越え、やりがいを見出していく。どんな職業もそこは一緒なのだろう。

今年の修士論文テーマでは、「高校生の女の子たちがなぜキャバクラでバイトしたがるのか」というものがある。キャバ嬢・ホステスは、若い女の子たちのなりたい職業9位だというデータがあるそうだ。「安定して給料のいい正社員の口はなく、安定しているが給料の安い仕事はきつい。不安定で給料の安いフリーターやニートはダメということで、行き着いた先が、不安定だが給料のいい仕事、キャバクラ嬢」なのだという。この研究成果は1年後だが、ハマータウンの女の子バージョンなのか?楽しみだ。

2009.01.13
2009年1月 子どもの巣立ちと母親のアイデンティティ変容

子どもの巣立ちについての原稿を頼まれ、ちょうど、自分自身のテーマでもあるからと、力を入れて書いた。巣立ち期の子どもを持つ方々にインタビューをお願いしたところ、5名も応募してくれたので、11月、12月にインタビュー。今回は、きちんとテープ起こしし、データ化して、年末、1週間まるまるかけて分析。お正月に、分析結果を整理し、ようやく原稿にした。

「空の巣症候群」という言葉があるが、これは、臨床の場からできたもので、実際には、必ずしも、母親たちが、子どもを手放した後、がっくりと落ち込んでしまうというわけではないらしい。むしろ、巣立ち後の母親の方が、幸福観や生活満足度、身体的健康などが高いという報告がある。その分かれ道は何なのか、ポイントがわかれば・・・と思った。

先行研究では、母親が子の巣立ちを習慣的に認識することで、そのアイデンティティが発達に向かうことが確認されていた。しかし、子の巣立ちを認めていても、密着・献身的な態度を持つ場合はアイデンティティ混乱を起こし、母親として積極・肯定的な態度を強く持つことが重要であった。別の研究では、子育て中に重篤な問題を抱えた者は、問題を乗り越えるなかで母子分離の作業を行い、すでに母子分離が進んでいるため、子の巣立ちをうまく迎えることができるのに対し、子育てに問題を感じなかった者は、巣立ちが大きな危機となる可能性が高いことが示唆されていた。

今回の研究でわかったことは、子どもを産んだ途端、いきなり母親になれるわけではなく、子どもの世話を通じて、だんだん母親になっていくのと同様、子どもの巣立ちも、徐々に進行していくプロセスだということである。母親になる前の人生経験や信念をもとに、母親は子どもとの関係を築いていくが、子の巣立ちは、実は、この世に産み落とした瞬間から始まっていて、近づいたり、離れたりを繰り返しながら、関係が模索されていく。それに伴い、子は母親との同一化と分離個体化を繰り返し経験していくのであるが、母親もまた、同一化と分離個体化を繰り返しながら、個としての自分、関係性のなかの自分というアイデンティティを成長させていく。

ポイントは、子が分離個体化を示そうとするとき、つまりは、親を頼らず自分でやると主張したり、親を批判したり、反抗的になったり、問題を起こしたり、親と距離を取るようになったとき、何かが変わろうとしていることに気づき、受け入れ、それに合わせて、親の側も何かを変えていこうと努力する必要があるということだ。それは、手出し、口出しをやめることかもしれないし、思い込みを捨て、もう少し子どもの言い分に耳を傾けることかもしれない。つねに変わっていく子どもとの関係に自分を合わせていくことと言えばよいだろうか。難しいことであるけれど、その努力の繰り返しのなかで、親も大人としてさらに成長していくことができるのである。子の成長とともに、親子は出会い直していく。幸いなことに、鳥と違って、人の子は巣立った後も戻ってくるし、関係の質を変えながら、親子関係はずっと続く。

今回、聴かせて頂いた5名の母親と、巣立っていこうとしているそれぞれの子どもたちの物語は感動的だった。問題の渦中では、苦しみや失望やあきらめや悲しみに圧倒されることもあったに違いないけれど、それぞれのやり方で、困難を乗り越え、絆を結びなおしていた。いろいろあるけど、人生って素敵だなと勇気づけられるものばかりだった。一番嬉しかったことは、インタビュー協力者たちに原稿を確認してもらった時、とても喜んでもらえたこと。協力とは言え、当人にマイナスになるようなことは絶対にしたくないが、少しでもプラスがあったとしたら、こんなに嬉しいことはない。

この原稿は、9月頃、岡本祐子さんの編集で、ナカニニシヤから、『生人発達臨床心理学~個と関係性からライフサイクルを観る』の一章として出版される予定。関心がある方はぜひご一読ください。

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