1. ホーム
  2. トピックス by村本邦子
  3. 2007年8月 バリの火葬ガベン

トピックス by村本邦子

2007.08.28
2007年8月 バリの火葬ガベン

 今年のバリ体験のなかで、もっとも興味深かったのは、火葬ガベン。以前から関心を持っていたが、なかなかチャンスがなかった。今回、たまたま話していたホテルの運転手さんジーメンが、「今日は故郷で5年に1度のガペンがあるけど、行く?」と誘ってくれた。タイミングと現地のツテが揃うのは貴重なので、予定変更して行ってきた。

 バリは、もともと、風葬、土葬だったが、バリ・ヒンドゥーの影響で、14世紀の頃より火葬が行われるようになった(今も風葬を行うバリ・アガという村がある。1度行ってみたい)。火葬には莫大な費用がかかるので、人が死ぬと、遺体をいったん墓地に埋葬し、資金を貯める。バリ人は、人生最後の儀式(葬儀)のために、一生、懸命に働くのだとも聞いた。お金が貯まると掘り起こして、あらためて荼毘にふす。火葬が済んでいない死者は生者でも祖霊でもない、中途半端で危険な存在だと考えられている。遺体は不浄なので、いつまでも村に埋めたままでは、村全体が不浄になってしまうから、最後はかならず火葬にする。火葬は浄化のための儀式である。今回見たガベンは、5年に1度の集団火葬。裕福な階層はおのおの火葬をするが、おそらく経済的な理由で、定期的に村の集団火葬をするのだろう。

 火葬は1ヶ月から準備され、バデと呼ばれる遺体を運ぶ塔が作られる。バデは、天界、人間界、地界を表す3層からなる高い塔で、人間界にあたる真ん中の部分に遺体が納められる。火葬するとき遺体を入れるプトゥラガンは、牛、獅子、象など、一族のシンボルとなる大きな動物をかたどってある。火葬の日には、バデやさまざまな供物やシンボルを担ぎ、ガムランを奏でながら、村の人々は火葬場まで練り歩く。不適切な喩えかもしれないけど、イメージ的には、祇園祭の山鉾巡行のような感じ。墓地に着くと遺体はバデからおろされ、プトラガンに納められ、聖水をかける儀式を行い、火をつける。

 今回は、火葬の部分だけを見たが、十数個のプトゥラガンで55の遺体が火葬されていると言う。ものすごい炎で、すべてが焼き尽くされるまで、2~3時間かかったのではないだろうか。空一面に炎が上がって、ものすごい迫力。熱いし、煙たいし、灰をかぶるし、見ているのも、結構大変だ。時間の経つ遺体は燃えるのも早いが、新しい遺体は時間がかかる。最後まで残ったものは、おそらく2週間以内に亡くなった人だろうと言う。たしかに、髪が焦げたような生々しいにおいがたちこめる。

 不思議な光景だ。バリ人たちにとっては、当たり前の光景なのだろう。その場にいると、当たり前のことのように感じられるが、よくよく考えてみると、怖くもある。すべての遺体が燃えるまで、村の人々は、周囲で歓談している。屋台もたくさん出て、夏祭りのよう。子どもたちもたくさんいて、ふざけている。観光客が見に来ていることも、いっこうに構わず(私たちの感覚からは、失礼なようにも思えるが、盛大な葬儀を見てもらうことはウェルカムらしい)、目が合うと、みんなニコニコしてくれる。小さな子どもは、満足そうに母親に抱かれ、風船を持っている。

 この子たち、ここの人々にとって、死は、とても身近な、日常のひとこまなのだろう。去年も書いたが(2006年8月の「魔女ランダ」を参照のこと)、生と死、光と闇が一緒に存在する。日常生活のなかから死や闇を切り離し、あたかも、それがないかのように生きている日本の子どもたちが、「人が死んだらどうなるか見たかった」などというようなことは起こりえない。日本では、宗教の扱いが難しいが、生きる力を育てるには、「死の教育」を考えてみる必要があるのかもしれない。

 火葬の後は、遺骨を拾い、また儀式をして、川に流すのだそうだ。最終的には、火葬の後も、1ヶ月、儀式が続くという。いろいろ予定があったので、今回は、川に流すところまで見ずに帰ってしまったのだけど、次の機会には全行程を経験する方がいいかな。ジーメンに、「死んだ人はこれからどうなるの?」と聞くと、輪廻転生を言っていた。「信じてる?」とヤボな質問をしてしまった。「もちろん。だって、本当のことじゃない!」。

<前の記事へ    一覧に戻る

© FLC,. All Rights Reserved.