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2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
日本におけるフェミニスト心理学の歴史と展望

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

1. わが国におけるフェミニスト心理学の出版状況

 わが国におけるフェミニスト心理学に関してまとめた資料がないので、和書の出版物を検索してみた。その結果、わが国では、フェミニスト心理学関係 の出版が非常に少ないことがわかった。男性心理学者による女性心理の本を除いて、女性心理学、もしくはフェミニスト心理学に分類できる最初のものは、おそ らく、しまようこの『フェミニスト・サイコロジー~女性学的心理学批判』(1985)だろう。著者は、1970年代の半ばからフェミニズム運動に参加し、 女性学の視点を得て、フェミニズムの視点から心理学の体系を再点検したいと考えるようになったと書いている。ついで、村山久美子による『女性心理学入門』 (1987)がある。村山は、1980年に入って、カプランの『女同士のバリア』(邦訳『娘と母』)に接し、女性同士の対人関係の研究に興味を持ったとい う。その他、小倉千加子らによる『性差の発達心理』(1982)、『性役割の心理』(1984)を挙げることができるだろう。
 フェミニスト心理学に分類できるかどうかはともかく、斎藤学・波田あい子編『女らしさの病~臨床精神医学と女性論』(1986)も挙げておこう。これ は、1983年、東京都精神医学総合研究所でスタートした「性差研究会」のまとめであるという。斎藤と波田の対談「性差とフェミニズム」では、話がかみあ わない部分もあるが、波田の主張がフェミニズムの視点からなされていることは明らかである。この「性差研究会」はその後、第二次メンバーで続けられるが、 斎藤(1990)によれば、40代から60代の「おじさん精神科医」は、ほとんどやめてしまったという。「自分たちは、同年輩の他の男に比べてずっと女性 を大事にしてきたし、理解もしてきたと思ってきたのに、真正面から性差別の問題を論じるとなると、考えたくないところを突かれると感じるようだ。」と斎藤 はコメントしている。男女のコミュニケーションの困難さを示唆しており、興味深い。
 80年代、フェミニスト・カウンセリングの分野からは、河野貴代美の『自立の女性学』(1983)、『女性のための自己発見学』(1985)などが出版 されている。河野(1990)は1968年にアメリカへ渡り、シナノンに関わり、大学院教育を受けた後、フェミニズムと出会ったという。帰国し、1980 年、東京に「フェミニストセラピィなかま」をスタートさせている。90年代には、『フェミニスト・カウンセリング』(1991)、『女性のためのグルー プ・トレーニング』(1995)、『自分らしさを生きる心理学』(1996)などを出版している。この他、川喜田好恵『自分でできるカウンセリング~女性 のためのメンタルトレーニング』(1995)、井上摩耶子『フェミニストカウンセリングへの招待』(1998)が続く。1998年、新水社から河野の編集 で「女性と心理」シリーズがスタートしている。『家族の現状』(1998)、『セクシュアリティをめぐって』(1998)、『女性のからだと心理』 (1999)、『フェミニストカウンセリングの未来』(1999)がすでに出版されており、本格的にフェミニスト心理学の構築が始まったことを感じさせ る。
 加えて、1995年、柏木恵子・高橋恵子編集の『発達心理学とフェミニズム』(1995)を挙げられる。この本は、1993年、日本教育心理学会のシン ポジウム「女性の視点を心理学にどう活かすか」に端を発している。シンポジウムは初日朝一番に行われたにも関わらず、部屋に入りきれないほどの盛況であっ たという。柏木・高橋は、わが国の心理学に巣くうセクシズム(性差別)を何とかできないかと考え、これを企画したと書いている。

2. 心理学関連学会での動き

 アメリカと比較して、わが国のフェミニスト心理学関係の出版物が極端に少ないことに改めて驚かされるが、日本の学会の雰囲気や信念がその発展を妨 げてきたことは想像に難くない。ここでは、心理学関連学会での、動きを見てみよう。フェミニスト心理学関係の研究動向をまとめた論文を見つけることはでき なかったが、性差研究、女性心理学、ジェンダー心理学に関してまとめた論文はあった。性差研究は、生物学的性差を強調する反フェミニスト的立場をとり得る ので、その扱いが難しい。
 伊藤裕子(1984)による「心理学における性差研究の動向とその社会的背景」は、1980年代までの性差研究の動向をまとめたものであるが、わが国で は、1950年代に性度(男らしさ・女らしさの度合い)への関心が高まり、60年代には性役割研究へと関心が移行した。男性研究者によるものだが、 1970年には津留宏編『性差心理学』、1979年には間宮武『性差心理学』が出版されている。この時代の研究は、おもに、性差という視点からの男女の比 較研究だったようだ。
 東清和(1997)の「ジェンダー心理学の研究動向~メタ分析を中心として」によれば、80年代以降、メタ分析と呼ばれる新しい統計法が開発されてか ら、性差研究は劇的に変わり、生物学的性別を被験者変数とした性差研究の限界が判明しつつあるという。裏返せば、これまでの研究が、生物学的性差を被験者 変数とした研究であったということになるだろう。東の結論は、「学校における男女平等教育の推進が強調されている現状で、男女平等教育の基礎研究としての ジェンダー心理学的研究が緊急の課題である」というものである。東は、現状では、この種の研究は皆無に等しいというが、今後、この研究分野がフェミニスト 心理学に接近してくる、あるいは入ってくる可能性はある。そもそも、「性差研究」を「ジェンダー心理学」と置き換えたところから、それが言えるだろう。
 心理学関連学会内部の女性心理学の状況に関する研究としては、田中佑子(1992)による「心理学における女性研究の動向~日本心理学会・日本教育心理 学会を中心として」がある。田中によれば、心理学における女性研究には、性差研究、性役割研究、女性を対象とした研究の3つの流れがある。1988年から 1991年までの4年間の論文を分析した結果、毎年、平均して20件ほどの口頭発表が行われているが、研究の定着や深まりを生み出すに至っていないとい う。1988年、日本教育心理学会大会で、シンポジウム「心理学と女性研究者をめぐる諸問題」が開催されたのを唯一の例外にして、女性関連のテーマが取り 上げられた講演、シンポジウム、ワークショップはない。もっとも、これは1991年までの研究なので、その後は、上述した柏木らによる93年のシンポジウ ム「女性の視点を心理学にどう活かすか」が開催されている。
 無藤清子(1995)の「心理臨床におけるジェンダーの問題」は、日本心理臨床学会による『心理臨床学研究』の1983~1994年分、および『心理臨 床ケース研究』の1983~1988年分に掲載されている論文を分析し、心理臨床における治癒像の内容と、クライエント・セラピストの性別との関係を明ら かにしたものである。結果としては、人間の中に男性性と女性性、父性と母性の両方を見出す視点からの論文は非常に少なく、女性性と母性は女性クライエント に、男性性と父性は男性クライエントに重視されていた。女性性を強調するのはほとんどが女性セラピストで、母性を強調するかなり多くが男性セラピストとい うこともわかったという。
 筆者は、1980年代から、いくつかの学会に所属しているが、ここでは、筆者の限られた体験を紹介することで、状況を推し測って頂けたらと思う。筆者が 最初に学会に「フェミニズム」という語を持ち込んだのは、1991年、第10回日本人間性心理学会大会で「現代子育て事情~フェミニズムの立場から」を発 表したときだった。この時、司会者以外、フロアには女性会員がゼロ、ごく少数の男性会員が聞きにきてくれただけで、寂しい思いをした。理由を考えていたと き、一人の男性会員が「こういう所に女性が入ると、フェミニストとレッテルを貼られるから警戒しているのではないか。」と言った。私は、フェミニストと レッテルを貼られることが悪いことなのだと、その時、初めて知った。その後、人間性心理学会では、夫である村本詔司が編集局長として学会誌でジェンダーの 特集を組んだこともあり、1993年に「人間性とジェンダー~フェミニスト・セラピーからの寄与」を書いた。96年には、「組織と女性」を書き、企業にお ける女性差別やセクシュアル・ハラスメントについて論じた。これらに対しては、数人の女性会員から共感的な反応をもらった。
 日本心理臨床学会では、1993年、第12回日本心理臨床学会大会で「早期母子サポートの試み」のタイトルで発表した。この時「フェミニズム」の語を抜 いてみたところ、学会の規模が全然違うという事情もあろうが、フロアにはたくさんの女性会員が入り、共感を示してくれた。また、日頃の臨床経験から、性虐 待の深刻な問題を臨床心理の専門家に理解してもらう必要があると考え、同大会で、佐藤紀子らと「チャイルド・セクシュアル・アビューズを考える」の自主シ ンポジウムを企画した。このシンポジウムは、毎年継続し、今年で第8回目を迎える。1年目は30人そこそこの小さなシンポジウムだったが、数年後からは、 毎年、盛況である。背後には、とくに95年の震災以降、トラウマや被害者支援に対する意識の高まりがあり、虐待に関して発言することが容易になった。
 1998年には、臨床心理士会第3回全国大会のシンポジウム「心的外傷とトラウマ」のシンポジストとして、また、1999年には、大阪府臨床心理士会シ ンポジウム「児童虐待~心的外傷」の講師として、発言する機会を得た。とくに性虐待の問題に焦点を当てて発言したが、若干の揶揄や反感を得た一方、若い女 性臨床家たちからの共感も得た。あえてフェミニズムについては語らずにきたが、その後のさまざまな反応から、自分が、十分に「フェミニストのレッテルを貼 られている」ことを知った。フェミニズムに共感しない人にも、フェミニストの何たるかは、直感的にわかるものなのだと妙に感心している。
 その他、心理臨床学会のプログラムから見る限り、女性心理に関わると思われる自主シンポジウムとしては、93年、原千恵子・倭文真智子企画の「産む性を どう生きるか~女性の内的成長」があり、95年から、上別府圭子・園田雅代企画の「心理臨床における女性の支援」が継続されている。強く印象に残っている のは、1999年の倫理に関する大会シンポジウムである。シンポジストの一人だった佐藤紀子は、大学や学会でのセクシュアル・ハラスメントについて語り、 治療者による性被害も話題に上った。フロアから女性会員たちからの声援があがり、時代の変化が感じられた。
 筆者の経験から言えば、フェミニズムにもっとも抵抗の少ない心理学会は、日本コミュニティ心理学会ではないかと思う。高畠克子は、1997年の学会誌創 刊号に「ドメスティック・バイオレンスに対するフェミニスト・セラピーからのとりくみ」を、99年「ドメスティック・バイオレンス被害者のための"シェル ター活動"~予防・危機介入・アフターケアからみた実践報告」を発表している。1999年の年次大会では、公開シンポジウム「ドメスティック・バイオレン スの現状と展望」を開き、筆者もコメンテーターとして発言した。コミュニティ心理学が社会に重きを置いていることを考えれば、当然なのかもしれない。

3. フェミニスト・カウンセリングの発展

 井上摩耶子(1998)は、著書のなかで、1990年日本臨床心理学会で持たれた分科会「フェミニズムから心理臨床をどうとらえるか」で河野貴代 美(当時は非会員だったが、発題者として招かれている)と出会い、フェミニストカウンセラーと名乗るようになったと書いている。そこで、この学会の動きを 学会誌から追ってみると、93年「女性のセクシュアリティを考える」、95年「フェミニズム視点の共有化をめぐって」の分科会が続いている。メンバーの顔 ぶれから、この分科会から、「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会」が生まれたのだろうという印象を受けた。
 1993年には、第1回「フェミニストカウンセリング全国大会」には、延べ800人近くが集まったという。この大会後、「日本フェミニストカウンセリン グ研究連絡会」が結成され、94年に、第1回「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会大会」が開催されている。これが第2回「フェミニストカウンセリ ング全国大会」とならなかったのには何か理由があるのだろうが、不明である。第1回日本フェミニストカウンセリング研究連絡会大会以降は、記録集が発行さ れており、日本におけるフェミニストカウンセリングの発展を窺うことができる。
 第1回大会では、「フェミニストカウンセリングとは何か?」のシンポジウムがもたれている。河野は14年を振り返り、「アメリカではCRの限界や大学に おける女性学といったものから、必要性が認識されて生まれているのに対して、日本のフェミカンは、十分な土壌があるのかないのか良くわからない日本に私が アメリカから直輸入して移植した。女性解放のキーコンセプトである"The personal is political."(個人的なことは政治的なことである)といった思想性が希薄だったと反省している。」といった発言をしている。第5回大会のシンポ ジウム「今、さらにフェミニストカウンセリングを!」では、井上が日本のフェミニストカウンセリングの歴史を3期に分けている。第1期は1980年代、河 野によって始められたフェミニストセラピ"なかま"の時代、第2期は1990年代、研究連絡会が結成され、フェミニストカウンセリングを開業する機関が増 え、全国的なネットワークが始まった時期、そして、第3期が1998年から、資格問題や訓練が前面にでてきたという。記録集を読むと、さまざまなテーマで 分科会が持たれ、CR的な役割も果たしながら、徐々に理論化の試みがなされているようだ。
 この組織とは別に、1994年に「女性問題相談員連絡会」が結成されている。"なかま"から独立し、1991年、東京フェミニストセラピーセンターを開 設した平川和子らが中心になっている。とくに、バタリングや子どもの虐待に焦点をあて、1996年には「FTCシェルター」を立ち上げている。上述したコ ミュニティ心理学会での高畠の発表は、このシェルターでの体験をもとにしている。平川らは、1998年、『シェルター~女が暴力から逃れるために』も出版 している。これらの活動は、AKKシェルター・斎藤学の組織とも連係しており、2000年6月には、「全国シェルターネット2000年東京フォーラム」を 開催した。
 とくに90年代になってから、実践の部分で女性問題が前面に出てきた背景には、ドメスティック・バイオレンスやセクシュアル・ハラスメントなど、女性へ の暴力とトラウマが社会の関心を集めるようになったことが関係している。そこに至るまでには、当然、女性たちの粘り強い運動があった。1983年、東京強 姦救援センター、1988年、性暴力を許さない女の会をはじめ、草の根的な女性運動によるもので、初期には、心理学関連の人はほとんど関わっていなかった のではないかと思われる。1996年、日本DV防止・情報センターができている。暴力被害女性への支援のニーズが高まり、公的な女性センターでの女性相談 事業が拡大しつつあるために、女性問題の本質を理解しつつ、専門的な対処のできる実践家の必要性が急激に高まり、その養成が緊急の課題となっている。

4. わが国におけるフェミニスト心理学の背景

 アメリカでは、1960年代後半から70年にかけて、女性心理学者たちが女性解放運動にコミットした結果、従来の心理学にフェミニスト批判を加 え、新たな心理学をつくっていこうという動きが起きた。わが国の状況に目を向けてみると、リブの運動にコミットした心理学者はきわめて少なかったと考えら れる。そもそも、心理学は個人の心を絶対視する心理主義に陥りやすく、社会運動を軽視する傾向にある。アメリカと比較して、市民運動が広がりにくい日本の 風土、より権威主義的なアカデミズムを考慮に入れるならば、この傾向は、わが国においてより強く、心理学内部の運動嫌いが根底にあったのではないか。いく ぶんか反精神医学運動の流れをひくと考えられる日本臨床心理学会とコミュニティ心理学会は例外的だが、上述したように、この2つの学会が、90年代、フェ ミニスト的志向を持つ心理学を受け入れたことは偶然ではあるまい。
 それ以上に、リブが起こった時代、心理学、とくに臨床心理学の分野では、批判を加えるだけの基盤もできていなかったのではないかというのが筆者の推論で ある。『通史~日本の心理学』(1997)によれば、日本の心理学のスタート時点は、アメリカにそれほど遅れをとっていない。しかし、戦時下および敗戦後 しばらくは、研究活動を行うための情報や基金が不足し、大きな遅れをとり、とくに、臨床心理学は、戦後15年、その紹介と吸収に明け暮れた。戦後の心理学 は、大学のカリキュラムに入り込み、量的拡大の制度的基盤を得ることに精一杯で、批判するという状況にはなかったのではないだろうか。しかも、戦前、女子 教育の最高機関であった専門学校には大学の名称も許されておらず(日本女子大学校は唯一の例外)、1947年に新しい教育制度が樹立されるまで、実質的に は、女性の心理学者はいなかったと考えられる。したがって、リブの運動が起こった頃、アカデミックな領域にいた女性心理学者は、非常に限定されていたはず だ。そんな中でフェミニズムに関心を示すことは、ほとんど不可能に近かったと想像する。
 岩堂美智子(2000)は、大阪市立大学で、1979年、13名の有志と「婦人問題論」の自主講座運動を始め、1985年、正規の講義として「婦人問題 論」を設置、その後は「女性学」として、全学対象のオムニバス形式の講義を定着させた。筆者も、1994年から2000年まで、臨床心理学の立場から、講 義の一端を担わせてもらったが、岩堂らの運動が実り、2000年後期より、女性学選任教員が着任するという。岩堂は、「女性学を大学に、という運動を始め たときは、これで一生昇格できなくとも構わないと覚悟を決めていた」と言い、「大学にそもそも女性研究者が少なく、孤立していた。彼女たちは男性的発想で 研究していたし、男性の師に認められたから生き残れたわけで、自分はラッキーだと自覚していたでしょう。やっと手に入れた職を手離したくないこと、などか ら権威に反発するような態度はとても若いうちは示せなかったのではないか。」と語っている。
 実は、つい最近、その言葉どおりの世界を垣間見た。心理学以外の非常に閉鎖的かつ権威的な学会で、若い女性である大学院生と性被害について話していたの だが、彼女の発言があまりに加害者擁護のスタンスに立っていることにまず驚かされた。しかし、これも教育と、丁寧に被害女性の立場を説明したが、彼女は、 最後に、「それでも、学会に出てくるからには、感情的にならず、中立的、客観的に考えようという自覚があるのでしょう?」と言ったのである。彼女にとって は、被害者を擁護することは、中立・客観からはずれることなのだろう。また、筆者は、性格上、ふだんから人に説教されることはまずないが、彼女が平気でこ れをやってのけたことに驚いた。後々考えて、その世界で最高峰にあたる大学院で学ぶ彼女は、背後に権威のバックアップを感じているのだろうと思った。こう して、男性の師に認められ、男性的発想で研究する女性研究者が育つことが理解できた。彼女にとって、女性の立場や被害者の立場がわかるようになることは、 プラスになのだろうか?彼女のような立場にいる女性がフェミニズムを学ぶことは、トラブルの元だろう。これこそが、心理学の世界にフェミニズムが入り込め なかった理由なのだと思った。
 早い時代に大学に所属したほとんどの女性心理学者がフェミニズムを敬遠し、軽蔑さえしてきたことも無理はないだろう。筆者自身は、大学から一定の距離を 置いてきたので、それほど葛藤を持たずにきたが、振り返れば、自分の居場所が別の所(つまりここFLC)にあったからだと思う。佐藤紀子(1990)は、 「・・・筆者のように戦後まもない頃に『社会』に出た女達にとっては、その職種が精神分析であろうとなかろうと、そのような『仕事』以前に、まず、『家父 長制的男性論理で貫かれている』社会に『ほうりこまれる』ことを意味していたことを述べたかったからであり、従ってその中で感じざるを得ない多くの痛みや 矛盾は、それを『フェミニズム』と呼ぼうと何と呼ぼうと、常に『女の視点』に立ち返ることを、私に強制してやまなかった・・・。」と書いている。私なら、 これを「フェミニズム」と名づけるが、佐藤がこのように明晰な意識を維持できたのは、奇跡のようにも思われる。佐藤自身のコメントでは(2000)、出身 校である東京女子大の影響(自由な校風と、女子大であったため大学内部での性別役割分担がなかったこと)が大きいのではないかということだったが、筆者 は、それに加えて、大学の中にどっぷり浸からず、自分の足場となる開業の場を持っていたからではないかと推測している。

5.フェミニスト心理学のこれから

 以上のことをまとめると、次のふたつのことが言えるだろう。ひとつには、大学や学会内部の心理学にフェミニズムを持ち込むことは困難だったが、 90年代になってから、わずかながら、フェミニズムの視点が芽生えつつあることが確認できた。ふたつめは、それとはまったく別のところで、河野がフェミニ スト・セラピーをアメリカから「直輸入して移植」し、とくに90年代より、社会のニーズもあって、日本のフェミニスト・カウンセリングが発展しつつあると いうことだ。新しい世紀の課題は、これらふたつの流れを合流させることだろう。つまり、伝統的な心理学にフェミニズムの視点を持ち込み、フェミニズムの視 点から、新しい心理学理論が作られていくこと、同時に、フェミニズムの視点をもって対処できる臨床家を養成していくことである。
 アメリカでは若い世代への引継ぎに問題があることがわかったが、筆者自身は、わが国の状況に関して、楽観的な部分もある。フェミニストを名乗る、名乗ら ないに関わらず、若い世代の女性たちの感覚はずいぶん変化しているように感じられるからだ。根底には相変わらず根強いセクシズムはあることも事実だが、 「そんなことは我慢ならない」と思う女性たちが一部で育ちつつあることも確かだ。15年前ならば、大学教授やその他、権力者によるレイプやセクシャルハラ スメントを訴えようとする女性がいただろうか。国際化の流れの中で、これまでのようなあからさまな女性差別が許されなくなっていくことも確かだろう。岩堂 (2000)は、「今では大学当局がもっと女性教員を大学に!という将来教育を作るなど、時代が追い風になり戸惑っているくらいだ。」と言っている。 2000年代には、大学の心理学にも、フェミニズムの視点、女性の視点が入っていくことだろう。
 そういった若い世代の女性たちが、心理学を学ぼうとするとき、十分に説得力があり、魅力を感じさせるようなフェミニスト心理学関係の出版や学会が必要だ ろう。田中(1992)は、「女性研究は現在既成の部門に分散して発表されているが、女性心理という固有の部門の確立と専門誌の発行があれば、実験心理の 伝統的な枠を越えた女性心理学研究の発展が可能なのではないか。」と述べている。カウンセリングの実践のみに留まらず、理論的な部分も含めてともに研究で きる学会組織のようなものが必要な時代にきているのではないだろか。これから、わが国のフェミニスト心理学をつくっていけたらと思うのである。

文献

波田あい子・平川和子(編)『シェルター~女が暴力から逃れるために』青木書店。

東清和・小倉千加子(1982)『性差の発達心理』大日本図書。

東清和・小倉千加子(1984)『性役割の心理』大日本図書。

東清和(1996)「ジェンダー心理学の研究動向~メタ分析を中心として」『教育心理学年報』第36集。

伊藤裕子(1984)「心理学における性差研究の動向とその社会的背景」『女性学年報』第5号。

井上摩耶子(1998)『フェミニストカウンセリングへの招待』ユック舎。

岩堂美智子(2000) 私信。

川喜多好恵(1995)『自分でできるカウンセリング~女性のためのメンタルトレーニング』創元社。

河野貴代美(1983)『自立の女性学』学陽書房。

河野貴代美(1985)『女性のための自己発見学』学陽書房。

河野貴代美(1990)「座談会・フェミニストセラピィの視点~斎藤学・平木典子・河野貴代美」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

河野貴代美(1991)『フェミニスト・カウンセリング』新水社。

河野貴代美(1996)『女性のためのグループ・トレーニング』学陽書房。

河野貴代美(1996)『自分らしさを生きる心理学』海竜社。

河野貴代美(編)(1998)『家族の現状』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『セクシュアリティをめぐって』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『女性のからだと心理』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『フェミニストカウンセリングの未来』新水社。

柏木恵子・高橋恵子(編)(1995)『発達心理学とフェミニズム』ミネルヴァ書房。

無藤清子(1995)「心理臨床におけるジェンダーの問題」『発達心理学とフェミニズム』ミネルヴァ書房。

村本邦子(1993)「人間性とジェンダー~フェミニスト・セラピーからの寄与」『人間性心理学研究』第11巻第1号。

村本邦子(1996年)「組織と女性」『人間性心理学研究』第14巻第2号。

村山久美子(1987)『女性心理学入門』誠信書房。

日本フェミニストカウンセリング研究連絡会(1994~1999)『フェミニストカウンセリング全国大会報告集』第1号~5号。

斎藤学・波田あい子編(1986)『女らしさの病い~臨床精神医学と女性論』誠信書房。

斎藤学(1990)「座談会・フェミニストセラピィの視点~斎藤学・平木典子・河野貴代美」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

佐藤紀子(1990)「精神分析の立場から」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

佐藤紀子(2000)私信。

佐野達哉・溝口元(1997)『日本の心理学』北大路書房。

しまようこ(1985)『フェミニストサイコロジー~女性学的心理学批判』垣内出版。

高畠克子(1997)「ドメスティック・バイオレンスに対するフェミニスト・セラピーからのとりくみ」『コミュニティ心理学研究』第1巻1号。

高畠克子(1999)「ドメスティック・バイオレンスの被害者のための"シェルター活動"~予防・危機介入・アフターケアからみた実践報告」『コミュニティ心理学研究』第3巻1号。

田中佑子(1992)「心理学における女性研究の動向~日本心理学会・日本教育心理学会を中心として」『女性学研究第2号』女性学研究会。

『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
女性の自己実現と心理療法

『血と言葉』を女性の視点から読み直す  

女性ライフサイクル研究所 西 順子

1.はじめに

 女性ライフサイクル研究所は、研究機関であると同時に心理相談機関であり、女性のためのカウンセリングを行ってきている。私も、一人のカウンセ ラーとして、カウンセリングに携わっているが、それは、カウンセリングという心理療法が、女性が自分らしく生きるために何らかのお役に立つことが出来るの ではないか、と思っているからである。
 心理療法とは、一般的に「悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者 の全存在に対する配慮をもちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること」(河合、1992)を言う。「人生の過程を発見的に歩む」とは、 「自己実現の過程」とも言い換えられよう。ユングは、個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向させる努力の過程を、個性化の過程、 あるいは自己実現の過程と呼び、人生の究極の目標と考えた(河合、1967)。そして、心理療法の究極の目標も、同様とみなされている。ただし、自己実現 とは、確定した一点があってそれに到達することを意味するのではなく、つねに進む一つの過程であることに意味がある。よって、心理療法を人生の過程という 広いパースペクティブのなかで捉えながらも、症状がなくなった、当面の問題が解決したなど、実際的にはさまざまな段階での終結がある。
 こうした心理療法一般の目的と終結の意味を押さえつつ、女性の自己実現を心理療法の究極の目標と考えたとき、女性の心理療法においては、どのようなテー マが登場するであろうか。また、女性の自己実現はどのような過程を経ていくといえるのだろうか。本論では、一つの事例を女性の視点から読み直すことで、女 性の自己実現の過程とそのテーマについて検討してみたい。そして、女性が自己実現の過程を歩むのを支え、援助する心理療法、心理療法家の役割についても考 えてみたい。
 事例としては、精神分析を受けた女性の手記『血と言葉』(カルディナル、1992)をとりあげる。この本は、佐藤紀子氏(1997)が『女性ライフサイ クル研究第7号』の論文の中で「子ども時代の養育環境との相互作用によって形成された心の在りようが、場合によってはすさまじい身体症状(この場合は性器 出血)と結びつきうる」ケースとして紹介したものであるが、私もこの本を読み、著者マリ・カルディナルの回復、変容、自己実現の過程に、とても心を打たれ た。7年という月日を費やし、精神分析という心理療法を通して、著者が取り組んでいったテーマは、女性が自己実現の過程を歩むために必要な、普遍的な問題 ではないかと感じられた。特に、傷ついた女性の癒しと回復のために必要なテーマと思われる。そういうわけで、心理療法について書くのは時期尚早であるとは 思うものの、ぜひ、この本を事例として取り上げ、考察したいと思った次第である。
 以下、精神分析、カウンセリングやセラピーを総称して心理療法と、精神分析医、カウンセラー、セラピストを総称して心理療法家と呼ぶことにする。

2.『血と言葉』に見る女性の自己実現 

 この章では、女性がどのようなテーマに取り組みながら自己実現の過程を歩むのか、『血と言葉』を女性の視点から読み直して考えてみたい。
カルディナルが心理療法家を訪れてから、心理療法に終結を決意するまでに取り組んだテーマを、筆者は以下のように分けてみた。
(1)症状を受け入れる
(2)過去の見直し
(3)真の自己の発見
(4)感情と記憶の統合
(5)他者との真の出会い
(6)社会のコンテキストに開かれる

(1)のテーマは、心理療法の開始時のテーマ、(2)は心理療法の前半、(3)(4)は心理療法の後半のテーマであったといえる。(3)(4)は、 それぞれが独立した段階として存在するのではない。感情と記憶を想起していくなかで真の自己を発見し、そしてまた、真の自己の発見が感情と記憶の統合を進 めていったといえる。この連続した過程によって、カルディナル自身が言う「人格の統合」、言い換えれば「自己の統合」を成し遂げていったと考えられる。
(5)は、真の自己を発見し、統合していくなかで、面接室の外で起こった現実生活の変化でもある。(6)のテーマは、カルディナルが「全快する」ために必 要としたものであるが、これは面接室の外でカルディナル自身が発見したものである。では、それぞれのテーマについて検討しながら、カルディナルの自己実現 の過程を追ってみたい。

(1)症状を受け入れる

 カルデイナルは、どういう状況において、どのような気持ちで心理療法家を訪ねたのか、そしてそこでどんな変化が起こったのかを検討することで、心理療法の開始は何を意味し、何がテーマとなるかについて考えてみたい。

 30歳になろうとするカルディナルは、3年以上続く性器出血と、心臓の動機を早める《あれ》と闘っていた。《あれ》とは、内心の逆上、混乱、興奮 状態、破壊衝動などであり、彼女が狂気と呼ぶものであった。血を止めるために婦人科で二度の掻爬手術も受けていたが、性器出血は止まらない。叔父の病院に 入院中の彼女は、このままでは精神病院か自殺かしかないという切迫した気持ちで、「しばらく入院させられずにすむ医者の世話になりたい」と、病院を脱走 し、精神分析医を訪れた。出血と《あれ》の話をしたカルディナルに、分析医は「あなたのお役にたてると思います」と言い、治療契約について話をした。
 最初の面接を終え、次の日に2回目の面接に訪れたカルディナルは、大量の出血のために、すぐさま貧血を訴えるが、分析医から、「心身症の症状には関心が ありません。ほかの話をして下さい」と言われる。「血のほかには恐怖しかない。しかし、恐怖については話せない。考えることさえできない」と、カルディナ ルはうちのめされた。そして、泣いた。長い間泣くことがなかった彼女が、大粒の涙をこぼして泣き続けた後、緊張がほぐれ、いい気持ちになっていたという。 そして、自分の苦しみについて語り始めたのであった。
 なんと、その日以来、何年何ヶ月と際限なく続いた出血が止まったのである。出血が止まったことで、カルディナルは、《あれ》こそが根本原因であると確信 し、《あれ》を直視するようになった。「その晩、私ははじめて自分の中の狂った女を受け入れた。自分の病気をありのままに受け入れようとした。」という。 この日から、彼女は、以前と異なった立場から自分と向き合い、以前と異なった目で自分をみつめ、熱心に自分の道を追い始めたのである。

 カルディナルの場合は、身体的な症状の源となっている心理的な症状、つまり狂気を受け入れることが、新しい道、再生への第一歩となった。カルディ ナルが精神分析を受けたのは1960年代であるが、チェスラー(1984)によれば、この時代は、女性として社会で受け入れられない部分は狂気とみなさ れ、女性もまたその狂気を抑圧せざるを得ない状況にあった。そうしたなかで、カルディナルと分析医は、その狂気に直面しようとした。それが心理療法の始ま りであり、二人の出会いでもあった。以後、カルディナルは精神分析の過程で、徐々に過去の記憶を想起するなかで、狂気の意味を発見していくことになる。
 カルディナルの事例から、心理療法を求めるとき、それは、女性の人生のプロセスのある一段階といえる。心理療法を求めるきっかけは、人によってさまざま であろうが、現在生じている何らかの困難が心理的なものと関連していると、無意識的あるいは直感的に感じ取ってのことであろう。何らかの身体的な症状があ る場合は、まず医学的な検査をうけたが異常は認められないという時、症状の背景にある何らかの心の問題、心の在りよう、心の傷つきを、はっきりと意識しな いまでも、直感的に感じ取って、心理的な援助を求めるといえるだろう。
 そして、心理療法の始まりでは、症状を受け入れることが一つのテーマであるといえる。症状を押さえ込もうとしたり、逆に闘おうとしたり、否認したりする ほど、症状のなかに巻き込まれることになっていく。症状を受け入れることで、症状から距離をとることができ、症状をながめ、観察し、コントロールしていく ことが可能となる。ある意味で、女性が心理療法を求める時は、女性がこれまでのあり方に限界を感じている時でもあるだろう。自分の限界を受け入れること は、症状を受け入れるということでもあり、症状を抱えた自分を受け入れることでもあるだろう。自分の限界を受け入れることは、新たな可能性に開かれること をも意味しているといえる。

(2)過去の見直し

 カルディナルの場合、症状を受け入れ、症状と直面していくことは、記憶を甦らせ、過去を見直すこととなっていった。特にその主なテーマは、母との関係の見直しでもある。カルディナルが何をどう見直したかについて検討してみたい。

 面接室では、カルディナルは《あれ》との最初の出会いから語り始めた。ついで、自分の存在に占める重要な局面について話した。はじめて胸部圧迫感 の発作に襲われたのとは、19~20歳にかけての時期であったが、以後徐々に育まれていった狂気にむしばまれていった。当時はそのことに気づいてはいな かったが、次第に動いたり、自分を表現したり、行動や思考に身を投じたりする興味を失っていったという。そして、結婚し、三人の子どもが生まれた。自分が 体験したことのない幸福や暖かさや思いやり、いつも傍にいる相愛の父親、母親を、この子どもたちに与えたかった。それなのに、不条理な生の営みが《あれ》 と化したのだった。
 幼児期、思春期と再現するカルディナル。過去の見直しの作業のなかで、父の不在、非実在が自分の病気の根源であることを見いだそうとしたが、発見したの は、《あれ》は幼年期以来自分の世界に巣食っていたこと、父は《あれ》から自分を守るために何一つできなかったことである。父は「私の人生に属したことの ない、全く未知の人間だった」という。カルディナルは母を擁護するため、母の側にいたのだった。
 血は消え去ったが、なぜ《あれ》は消え去らないのか。たえず不安にさいなまれていたカルデイナル。そんなカルディナルに対して分析医が唯一授けた療法 は、「言葉一つ一つが重要であり、頭に浮かぶありとあらゆることを話すこと」だった。彼女自身も言葉こそ《あれ》に対する武器であることを見いだす。その 時、幼女の時の記憶から、すべてが氷解し、母の影響が目前にくっっきりと浮き彫りにされた。「私自身を見出すだめには、母を見出し、その仮面を剥がし、自 分の属する家族、階級の秘密に立ち入らなければならなかった」と彼女はいう。こうして、ついに母について語り始め、その話は精神分析が終わるまでやまな かった。その結果、母が望んだ女性像が明らかとなった。「母にとって完璧な人間を育成しようとした母の熱意と、その決めた道に従わせようとして、私の肉体 と思考をゆがめた母の意志の力を測らずにはいられなかった。」という。《あれ》は、「母が世に送り出したかった女」と「私」との「間」に存在していたこと を理解したのである。母を熱烈に愛し、母に愛されることを望んだ幼年期、思春期。その「むなしい努力」の結果、カルディナルは自分を否定し、自分を恥じ、 自分を罪人とみなしていたのだった。
 母はどんな女を娘に望んだのか。それは家族が生きていた社会、当時のブルジョワ階級
の価値観と、母の信仰する宗教的な価値観と一致する。母は、献身、善意、寛大、犠牲心を重んじた生活をしていたが、同じ生き方を娘に望んだともいえる。

 カルデイナルの語る母の姿と彼女自身の姿から、「父権性社会においては娘に母はいない」と言ったリッチ(1990)の言葉を思い出す。チェスラー (1984)も、女の子は、同性の大人(母親)からもらえる力と人間性の遺産、身体的暖かさに飢えていること、そして多くの女性は、母性的愛情に満たされ たことがないため、幼児性やある種の狂気に押しやられていると述べている。カルディナルの母の献身、善意、寛大、自己犠牲は、他者に向けられていた。母に とって重要なのは、他者、つまりこの女性役割を強いる社会、神に受け入れられることだったと言える。母にとって娘は同一化の対象であり、他者ではない。母 の側にしてみれば、「娘のためを思って・・」娘を愛しているというかもしれない。しかし、それは往々にして母の自己愛的満足である事が多く、「ありのまま の娘」として愛するのではない。
 カルディナルの事例にあるように、女性の心理療法では、母との関係の見直しが、一つの大きなテーマとなることが多い。チョドロウ(1981)は、母親業 の再生産過程を、対象関係理論を用いて検証したが、アイケンバウムとオーバック(1988)も、対象関係理論を基盤にして、女性の心理は、母娘関係のなか で形成されることを指摘した。母と娘はジェンダーを共有することから、母は娘に自分を投影し、同一化する。それを受けて娘は、母親と同一化したり、真の欲 求や感情は否認し、抑圧することで、母から投影される期待に適応して、子ども時代を生き延びていくといえる。しかし、母から分離独立しようとする時、どこ かでそのあり方が限界となったり破綻する時、または、様々な症状となって表現される時、母親との関係の問い直しが必要となってくる。コナートンら (1988)によれば、女性の分離独立は、中年期になってからのテーマであるという。
 カルディナルの場合は、母の期待と真の欲求との間から狂気が生まれたというように、症状は抑圧されたエネルギーが葛藤を起こして表現されたものであった といえる。その抑圧や葛藤が、結婚し子供を産んだ後、つまり中年期前期に限界に達したといえるだろう。カルディナルの事例から、症状の背景にあるものを見 極めるためには、過去を見直していくことが必要であるといえる。特に、母との過去を見直す時、母は娘である自分に何を期待し、望んだのか、そのことが自分 にどのような影響を与えたのかを検討することが必要である。

(3)真の自己の発見

 幼い頃、母に愛されないで苦しんだ話をするようになったカルデイナルであったが、無意識のうちに自分の身を守ろうとして、肝心の話は隅に追いやっ ていた。それでもある日目に見えない重要な転機が訪れた。その転機とは、真の自己の発見であったと筆者は考える。カルディナルの真の自己の発見について検 討し、その意味を考えてみたい。

 《あれ》と真向から対峙することこそ、回復するためにとるべき行動ではないかと薄々気づいてきたカルディナルであったが、いざ分析医の前で語る段 になると、表面に浮上してくるのは、そこはかとなく悲しく、いじらしい話ばかりであった。それでもある日、転機が訪れた。12、3歳の頃のある記憶、自慰 の体験が甦ったのだ。この記憶を語った後、「生まれてはじめて、自分に出会った」と感激するカルディナル。「それまではいつも他人、ことに母が主役となる ように、私は自分の過去を演出していた。自分は従順な実行者、人に操られ、それに従うおとなしい少女にすぎなかった」ことを理解する。
 その記憶は、フランス領アルジェリアでの農園生活で、農園の男の子たちとターザンごつこをしたり、秘密の空き地に入り込んだり、格闘したり・・して遊ん だ記憶とともに甦った。格闘のすえに男の子たちは素裸になったり、腰を前に突き出した格好で練り歩く。彼らのすることは何でもやってのけられると思ってい たのに、それは女の子の遊びではなかったためにできなかった。「私にも男の子のように根が生えたらどんなにいいだろう」とカルデイナルは男の子が羨まし かったという。そんなカルディナルは、洗面所で紙の筒を体にあてがい、男の子のように立ったまま、おしっこをしようと試みたが、その時、強烈な感覚、幸福 感に満たされたのだった。
 この記憶が甦った日まで、カルディナルは自慰をしたことを認めていなかったので、自慰にふける女の子は存在しなかった。彼女は今、長椅子の上で誕生した ところだという。「私は存在していたのであり、必ずしも他の意のままになっていたわけではなく、他を欺くことも、もて遊ぶことも、その手から逃れ自ら防衛 手段を講じることもできたのだ。なんたる、感激!この道を再び見出すのだ。以来、私はこの道が存在することも、自分が捕らわれの身であって、しかもその解 放の鍵を握っているのが自分自身であることを確信するに至った。」という。

 この甦った自慰の記憶は忘却のなかに埋もれていたものではなく、思い出すだけで羞恥心に襲われていたものであった。それが、この面接時にその時の 感情や感覚を伴って、はっきりと意識化され、この記憶と直面した。まさにこの時、カルディナルは「真の自己」を発見したと考えられる。「幸いにも」とカル ディナルが言うように、子ども時代のアルジェリアでの農園生活では、母とは別の空間があったこと、乳母や使用人から愛し愛されたという経験、使用人の子ど もたちとの楽しい遊びの体験が、カルデイナルの「真の自己」を守ってきたと思われる。
 では、真の自己とは、何か。ウィニコットは、「本当の自己、偽りの自己」について概念化しているが、ウィニコット(1977)によれば、本当の自己は幼 児の自発的な振る舞いを価値あるものと感じうる、ほどよい母親に受容され、世話される環境のなかで発達する。この過程に干渉を加えると、幼児は真実性や主 体性を発揮できなくなり、偽りの自己の姿をとって反応する。自発的な身振りが活動中の本当の自己をあらわしており、本当の自己だけが創造的であり得、実在 感、現実感をもつ。これに対して、偽りの自己の存在は、非実在感、空虚感という結果となる。筆者は、カルディナルの記述から、そこに生き生きとした自発 性、創造性を感じ、「真の自己」をイメージした。カルディナルは、生まれて初めて自分に出会ったと言うが、そこに、他の意のままになっているのではない自 発的な存在としての自分を発見している。そしてその発見が感激をもたらしたのには、そこに「自分は生きている」という生き生きとした実在感、現実感を感じ たからではないだろうか。それは、心と体が一体となっている感覚ともいえるだろう。筆者がイメージした「真の自己」とは、「自発的、創造的な自己」「生き 生きとした実感を感じうる自己」といえる。
 筆者の考えでは、真の自己は、発達初期だけに限らず、人生のどの時期であっても、絶えず発達する可能性を秘めているのではないかと考える。ありのままの 欲求や感情は、真の自己の源泉でもある。過去に抑圧してきた内なる欲求や感情に気付いていくことで、真の自己を発見し、生きている実感を感じとることがで きるのではないだろうか。真の自己を発見していく過程は、自己の再形成の過程でもあるといえるだろう。
 また、次の面接から、母との暗い秘密であった「母の卑劣な行為について語った」ということからも、真の自己の発見が、彼女をエンパワーし、母との融合し た関係を乗り越えて、母の秘密、真実と直面していく勇気を与えたといえる。もちろん、この最初の発見以後も、記憶の想起を通して「真の自己の発見」は続い ていったといえる。傷ついた過去に直面していくためには、真の自己を発見し、力を得ることが重要であるといえるだろう。

(4)感情と記憶の統合

 では、カルディナルの外傷となっている過去の記憶とは何だったのか。また、その記憶を想起することはどんな意味をもっていたといえるのか。カルディナルの外傷性記憶(トラウマとなっている記憶)について検討してみたい。

 次の面接から、カルディナルは「母の卑劣な行為」について語った。カルディナルは思春期の頃にはすでに自殺を思い詰めるようになっていたが、その頃に起こった「母の卑劣な行為」の後、精神分析を受けるまでの間は、鮮明な記憶はほとんどないという。
 「母の卑劣な行為」とは、カルディナルが生まれたそのわけでもあった。それは、母の妊娠中絶失敗談であったが、「母の卑劣な行為」とは、母が妊娠中絶を 望んだことではなく、憎悪を胎児にぶつけ、殺人未遂を自分に語って聞かせたこと、その仕損じたことを今度は安全な状況で、自分自身の身を危険にさらすこと なく繰り返したことを指している。この記憶を語ることによって、カルディナルは、母が「娘を狂気に追いやった」真実に直面する。さらに、幼児の時から存在 していた《あれ》は、「母から禁止される」、「母から遺棄される」から生じた不安発作であったという洞察を得て以後、不安発作との闘いは容易になっていっ た。
 そして次に、カルディナルはこれを実行できる勇気を感じ、「幻視」の真実にも直面していく。幻視が起こると恐怖にかられて発作が起こり、同時に深い羞恥 心にとらわれるという。幼女の頃の記憶の甦りから、幻視の正体は、2、3歳の頃、彼女の排尿時に、父が後ろからその姿、お尻を撮影していた記憶であったこ とがわかる。幼児の彼女は途方もない怒りがわき起こるのだが、これは自分を恥、悪と感じる起源でもあったことを理解する。この記憶の統合を成し遂げた彼女 は、「生まれて初めて自分の肉体が完璧に感じられた」という。カルディナルは、自分の健康、肉体、肉体を操る力、自由に移動できる特権を発見したのだっ た。

 否認してきた秘密を白日の下にさらすことは、自己を根底から揺さぶるような体験であろう。ここで取り上げた外傷性記憶は、母からの心理的虐待、父 からの性的虐待といえよう。外傷性記憶を想起し、感情と記憶を統合することは、トラウマからの回復のために必要な作業であり、回復の第二段階として位置づ けられている(ハーマン、1996)。しかし、外傷性記憶は、抑圧、否認、解離などの防衛機制により、意識外に押しやられている事が多い。出来事として記 憶していたとしても、それは一部であったり、感情が切り離されて記憶されている。外傷性記憶を想起し、感情、身体感覚と共に語り直していくことで、外傷体 験がもたらす外傷性はその影響力を失っていく。心理療法のなかで、外傷体験を語ることは勇気のいる仕事であるが、感情と記憶を統合することで、外傷体験を 自分の人生に組み込み、人生を再構成していくといえる。
 この後も、カルディナルは、全快するために、自分のなかの恐怖、不安と直面し、感情と記憶を統合していく。ミラー(1994)が、「真実には、自然治癒 力がある」と言うように、様々な真実に直面し、それをありのまま受け止めていくことで、その後カルディナルの自己統合と回復は進んでいった。
 こうしてカルディナルは、精神分析を受けた期間の前半に、健康と自由を獲得し、以後は徐々に自分の人格の発見に努めていったという。カルディナルのいう 「人格の発見」は、「真の自己の発見」とも言い換えられる。面接室の中で、自分の激情を見出すことを通して、自分の激しい気性(それは同時に、活発、明 朗、寛大な気性である)と出会い、そしてこの気性を破壊ではなく、自己の建設のためにコントロールしていくことを学んだのである。

(5)他者との真の出会い

 カルディナルの心理療法と自己実現の過程を追っていくと、真の自己を発見していく過程から少し遅れるようにして、他者との真に出会いがあり、真の関係を築く過程が始まることがわかる。カルディナルの他者との真の出会いについて検討したい。

 カルディナルは、「精神の平衡が築かれていくにつれ、外の私の生活にも意味と形式が備わっていった」という。自分の子どもとは、現実との唯一の接 点でなくなったことから、重苦しい存在とはならず、育て方や理解の仕方も上手になり、この頃から、子どもたち一人一人との間に橋が築かれた。治療が進むに つれて、母親の伝統的な役割にも疑問をもつようにもなっていった。彼女は、産んだ責任を自覚しながらも、彼らの個性に関しては責任をおってはならないこと も学び、子どもを知る努力をしていく。
 パートナーとの関係はどうであろうか。カルディナルは、結婚し、子どもを産んでから様々な症状、狂気が表面化したことで、この原因は結婚生活にあると夫 を責めがちだった。そのため、夫から一緒には暮らせないと離婚を申し渡されたが、彼女は承諾せず、別居生活が続いていた。彼女が分析の過程で、いつしか自 分の精神をノートに書き留めるようになったが(半生最大の行為という)、それをある日夫に見せた時、二人は、再会する。いや、彼女は以前の彼女ではなかっ たので、はじめて二人は出会ったといえるだろう。ノートを読んで涙を流した夫は、「なんて君は変わったたんだ」「このノートを書いた女に恋してしまった よ」と言い、彼女も、愛し、愛され、笑い、築きたいという欲求、私は変わったということを彼に伝えたという。彼は彼女に魅せられながら、彼自身も変わって いく。その後も、それぞれがもたらす収穫物で、二人のエンジンは燃料が切れることなく、たえず迅速に回転しているという。また、カルディナルは、「書く」 という自己表現の手段を見出したことで、自分で自分を救い、独自の世界を築けるようになったのであった。

 厳密にいえば、カルディナルにとって他者との最初の真の出会いの体験は、分析家という人間との出会いであったといえるだろう。心理療法のなかで、 ありのままの感情を表現し、ありのままに受け止められる経験によって他者への信頼感を築くと同時に、それは力ともなって、統合された真の自己としてありの ままに振る舞うことができるようになったといえる。その結果、おのずと現実生活においても変化が現れたといえる。カルディナルの変化から、「ありのままの 自分を生きる」ことができるようになってくると、他者、ここでは子どもやパートナーの「ありのままを愛すること」が可能となることがわかる。今や、彼女は 他者に対してありのままの自己を表現し、他者の表現をも受け止めることができる。真の自己の発見と他者との真の出会いは、リンクしているテーマである。他 者との真の関係については、次のところで述べたい。

(6)社会的なコンテキストに開かれる

 カルディナルは、自分自身との折り合いもうまくいき、くつろいだ生活を送っていた。しかし、自分の世界の地理上に、なにかが定義されないまま残っ ていることを感じていた。彼女が全快するために必要だったもの、真の癒しのために必要だったものは何か。ここから先の答えは、面接室の外にあった。

 カルディナルは、統合された人格によって、他者に向かって歩み始めることができた。彼女は自分を信頼し、幸せを感じていた。そのころ、二つの悪夢が精神分析に終止符をうつことになった。
 一つ目の悪夢からは、10歳の時の外傷体験と恐怖が甦った。見知らぬ男による性的虐待である。男性からの恐怖を自覚したことがなかった彼女は悶々とす る。確かに、この男は怖かったが、以後男性を怖れたことは一度もなく、むしろ、体験した思いやりや愛情は唯一男性から得たものであったからだ。男性性器も 恐ろしくはなかった。男が女にもたらす死に対する恐怖、悪夢で甦った昔の恐怖、夢の中で母そしておそらく他の女性たちも経験した恐怖とは、何か。カルディ ナルは、「母、男性、わたし、母・・」という連想のなかで、母の人生にとって男とは何だったのかに、思いを巡らす。そして、女であることの意味について考 えるようになった。
 そして、彼女は、「膣」を発見した。女たちの語彙では、この部分を指し示す言葉は、醜悪、卑猥、不潔、下品、滑稽、機能的でしかなかった。彼女は、自分 の発見したものの真の意味を見出すのは、面接室の外であると確信する。女であることを意識すると、それにまつわる様々なものがみえてきた。彼女自身、これ までこの社会で果たすべき役割がなかったこと、37年間の絶対服従、そうとは知らずに不平等と不公平を受け入れてきたこと...等に気付く。どこから手をつけ たらよいのか、混乱するカルディナルに、別の悪夢が解放をもたらす。
 それは、蛇が体にまきついている夢だった。夢の中で自分の恐怖を分析した。蛇=男性性器と言われるが、現実に彼女は男性性器は怖れておらず、蛇を怖れる 理由はなかった。彼女と夫で、蛇を引き裂くと、最後には2枚のリボンになった。この夢によつて、女の身をすくませた恐怖は男根ではなく、「男性の権力に対 する恐怖」であったことを発見する。その権力を共有しさえすれば、恐怖は遠のく、と夢が意味したものを彼女は確信したのだった。「政治」という言葉と、ど れほど自分の人生が組織社会と関わっているかを理解したばかりのカルディナルは、自分だけに通用するという解決法を見いだす。

 カルディナルは、女であることの意味を問い直すことで、社会的なコンテキストに開かれていったといえる。そして、女性としてこれまで身につけざる を得なかった歪みを相対化していくことで、真の癒しがもたらされたといえる。現実の生活では、カルディナルは母とは物理的にも心理的にも距離を置いていた が、夢の体験を通して母や他の女たちと、社会的なコンテキストの中でのつながりを確認することができたといえる。女性が他の女たち(必ずしも母でなくても いいが)とのつながりや絆を感じることは、女性の「力」となるし、「癒し」ともなる。
 「膣の発見」とは、女という「性」の発見ともいえる。女は、男にとっての性的存在であることが求められると同時に、自分の性を否認するように育てられる (村本、1993)。その結果、女性には「自分の体は自分のもの」という意識や実感もなくなってしまう。心と体、心と性が解離してしまうのである。それ が、カルディナルが発見した「女のもつ男への恐怖」となって現れるのであろう。心理療法を訪ねるまで、「性器出血」という症状に苦しんでいたカルディナル が、終結を決意するときには、「膣」を発見したというのはとても意味深いことだと思われる。このことは、解離していた心、体、性が、最後にはすべてが「統 合」されたことを意味しているのではないだろうか。カサック(1992)による女性の発達理論では、女性には三段階の発達段階があり、第三段階において は、他の女性との結びつきが回復し、身体性の意味を再定義することでエロティシズムが発達するとしている。
 恐怖に対する解決法として、「その権力を共有すること」と述べているが、この文脈での意味から考えると、「権力」を「力」「権威」と言い換えた方が、筆 者にはぴったりくる。権力といっても、男社会で通用する権力(業績、金、地位、名誉・・等)のことを意味しているのではない。ボーレン(1991)によれ ば、「ヘビは、女性が自分の人生を自分で切り開けると感じ始める時にしばしば夢のなかで、夢み手が注意深く近づいていく未知の恐れ深いシンボルとして現れ る」という。そして、女性が自分自身の人生の主人公となるためには、「ヘビの力を取り戻そうとしてなければならない」という。
 そして、彼女だけに通用する解決法とは、夫、子どもたちと「真の関係」を築いていくことだった。真の関係を築くためには、まずは自分自身が真の自己とし て存在していなければならないし、自分のなかに力を感じていないとできないことでもある。彼女は、「すべてのドアが開け放たれた。これこそが、幸福だっ た」と述べている。ここでは紹介できなかったが、カルディナルは心理療法の代金を稼ぐために仕事につき、その中で「書く仕事」で自分の才能を開花させても いた。「全体性に向けての旅の結末は、能動的でありながら受容的で、自立的でありながら親密であり、仕事をしながら愛することができる。」とボーレンはい う。また、今のこの彼女の心の状態、現実の生活を、トラウマの視点から言うならば、彼女は「回復した」といえるであろう。ハーマン(1996)は、「他の 人々との共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて、憩うことができる。ここにこの人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその 人の生活のみとなる」と言う。
 しかし、彼女の自己実現は終わったわけではない。自己実現は、人生がある限り、終わりがない旅のようなものである。

3.今後、女性の自己実現を支える心理療法に求められるものは

 これまでのところでは、『血と言葉』の事例を通して、女性の視点から女性の自己実現の過程とそのテーマについて検討してきた。この章では、心理療法に焦点を当て、女性の自己実現を支える心理療法について考えてみたい。

(1)『血と言葉』から心理療法を考える

 カルディナルの事例は、臨床的援助を受け回復した人の事例といえるが、どのような援助が成功をもたらしたといえるだろうか、この分析家のどんな点 が良かったといえるだろうか。もちろん、心理療法の成功には、カルディナル自身の力、勇気があることは言うまでもないが、心理療法は、心理療法家と来談者 との相互作用によって進んでいくものであり、共同の作業といえることから、心理療法家の方もその力に応えていけるだけの力をもっていたと言えるだろう。で は、その力とは何なのか。
 ミラー(1985)は、『血と言葉』を含め、三つの被分析者の文学的作品をもとに、4人の分析家の姿勢を比較しているが、精神分析を受けた結果はまった く違うものであったという。つまり、創造的な人間として人格の統合に至ったのは、カルディナルの場合だけである。その違いについて、ミラーは、他の分析者 は衝動理論の立場から理解しようとする傾向が強いという。被分析者の体験や感情を衝動理論で解釈されれば、被分析者はそういう感情を抱く自分が悪で、破壊 的な人間と一層罪責感を強めてしまうことになる。筆者も、カルディナルの分析家が、無理な解釈をしなかったことに、敬意の気持ちをもった。例えば、カル ディナルが語った紙の筒のエピソードを「ペニス羨望」とは解釈しなかった。むしろ、彼女自身がその意味を発見していくのを見守っている。カルディナルの男 の子への羨望は、「自由」への羨望であったと考えられるが、その体験の記憶から彼女は「真の自己の発見」をしており、自分の記憶から自由に、ありのままに 感じとっていることがわかる。そして、それが彼女の力となっている。
 このことから、心理療法家には、当事者の視点にたつことができること、当事者の体験を真の体験として受け止め、尊重できることがまず必要であるといえ る。また、真の体験として、しっかりと受け止めることができる力が必要である。しっかりとありのままを受け止められることで、来談者は、自由にありのまま に感じる自分を肯定的に感じることができる。こうした心理療法家の態度は、ロジャーズのいう心理療法家の三条件「自己一致」「共感的理解」「無条件の肯定 的関心」にも一致する。こうした態度がとれるためには、心理療法家自身が自己統合している必要があるだろう。
 また、女性の心理療法を行う時、当事者の視点にたつことができるとは、女性の視点にたてるということである。カルディナルの分析家は、子どもとしての傷 つきを理解し、子どもの視点にたつことができたが、女性の置かれている立場を問題にするのには、この時代の男性分析家として限界だったといえる。ただ、こ うした限界がありながらも、カルディナルの再生を支えることができたこと、カルディナルの言葉でいうならば「新生に立ち会った」ことは、尊敬に値すること である。女性の視点にたつためには、女性の置かれている状況を社会のコンテキストから理解しておく必要がある。

(2)今後の展望

 カルディナルが精神分析を受けていたのは、フェミニズム運動が起こる以前である。その時代と比べれば、ずいぶんと時代は変化した。カルディナルが 一人で発見していったものを私たちは女たちと、仲間と共有しながら発見できる時代になったといえる。最後に、女たちの発見が、現在の心理療法にどう貢献し ているのかを振り返り、女性の心理療法の今後を展望してみたい。
 女たちが、私生活における暴虐を認識したのは、1970年代のCR(意識向上)グループに遡る。北米の第二次フェミニズム運動で草の根的に広がったCR グループでは、秘密厳守の規則と女性同志という親密さのなかで、これまでに言葉にすることがなかった体験が語り合われたが、体験や感情を共有することを通 して、女性への暴力が社会に蔓延していること、レイプ、パートナーからの暴力、子ども時代の性的虐待が明かとなっていった。グループで語るということは、 女たちにとって、どういう意味があるといえるのか。
 女性たちは、グループのなかで、「the personal is political、個人的なことは社会的なこと」であると、自分の体験を相対化していった。そして、「自分だけではなかった」と社会のコンテキストに開 かれることで、罪責感、恥辱感、孤立感などから解放されていったといえる。女性は、娘、妻、母など他者との関係で位置づけられるため、社会の中、家庭の中 で、孤立しがちであるが、いや、制度によって、孤立させられてきたともいるが、「自分だけではない」という発見が得られた時、女とのつながりを取り戻し、 真の癒しが可能となったと思われる。
 こうしたCRグループによる発見は、その後、臨床家による女性のトラウマ研究やフェミニスト心理療法に生かされていった。女性の援助の方法も開発されて いったといえる。トラウマ研究では、回復の基礎は、エンパワメントと他者との新しい結びつきを創ることにあることから(ハーマン、1996)、つながりの 取り戻しにはグループが有効であると、回復の段階に応じた様々なグループが開発されている(ハニー他、1999,ハリー他、1998)。グループのテーマ には、女であることを問い直すテーマもあり、社会のコンテキストに開かれることが回復に必要とされている。フェミニスト心理療法においても、女性に焦点を あて、テーマ中心のワークショップや自己評価を高め、コミュニケーション・スキルを習得するための様々なグループが開発されている(アイケンバウム他、 1988,ウォーカー他、1994)。
 こうして女性の視点にたつ研究が進み、グループの実践が積み重ねられるにつれて、よりたくさんの女性にサービスが届けられること、そして女性の回復や自 己実現に役立っていくことが望まれる。ハーベイ(1999)は、臨床的援助を利用しない人やそこから利益を得られない人たちは非常に多いことから、効果的 なコミュニティ介入を研究する必要があるというが、教育的なグループは、コミュニティ介入として有効であるかもしれない。また、個人の心理療法と同時に、 グループによる心理療法を並行していくことで、個人の心理療法だけを行うよりも、時間的にも、費用的にも、効果としても、来談者に利益を提供できるかもし れない。特に、女性の自己実現のために必要といえる「社会のコンテキストに開かれる」というテーマについては、グループが有効であろう。
 女性ライフサイクル研究所においても、昨年から、トラウマからの回復と癒しを目的とした女性のためのグループ・セラピーに取り組んでいる。女性のニーズ に応えると同時に、回復、癒し、成長、変容、自己実現を支えるのに有効な方法を、先人の研究と実践からまずは学びながら、検討していければと考えている。 様々な女性の努力の恩恵の上に今の私たちがあることを忘れることなく、その恩恵を生かしながら、また様々な女性にその恩恵を手渡していくことができればと 思っている。

4.おわりに

 カルディナルは、精神分析の完結を前にして、自分は「いかれ女」ではないことを、そう見る人々に理解させるため、そして、かつての自分のように、 現在苦しんでいる人々の助けになるために、いつか自分の体験を本に書こうと決心した。心を病んだ女性がふたたび生命を得て、長い時間をかけてこの世に幸せ な復帰を果たし、生きる喜びと自分の世界に対する感激を味わうまでに全快する、その過程を小説に描こうとした。その決心が結実したのが『血と言葉』であ る。フランスでは、1975年の刊行と同時に、一躍読書界の注目を浴び、有力新聞雑誌の書評で絶賛され、ベストセラーになったという。また、読者からの手 紙が彼女の元に何千通も届いたというが、彼女が伝えたかった思いは、多くの女たちの共感を呼び、女たちの心に届いたといえる。彼女の回復は、たくさんの女 たちへとつながり、社会へとつながっていったことに、感動を覚える。
 筆者も、本書を取り上げたのには、著者カルディナルが、身を投じて語ってくれた真実と発見を、ぜひ、もっとたくさんの人に伝えたいという気持ちが強かっ たといえる。本書が、我が国では絶版となってしまっていることは、非常に残念であるが、普遍的なテーマといえるカルディナルの発見を、そして、生きる希望 と可能性を、本論を通して、少しでも伝えることができたならば...幸いである。
 筆者自身、まだまだ学ばなければならないこと、学びたいことがたくさんある。たくさん学び、自分自身も成長していくことで、心理療法を通して、少しでも 他の女性の役に立つことができたらと、思っている。これからまた10年後、今思うことがどれだけ可能となっているのか、どれだけ実行できているのか...、楽 しみにしながら、そして気合いを入れながら、心してこれから先も歩み続けていきたい。

文献

ジーン・シノダ・ボーレン(1991)『女はみんな女神』村本詔司、村本邦子訳、新水社。

マリ・カルディナル(1992)『血と言葉』、柴田都志子訳、リプロポート。

フィリス・チェスラー(1984)『女性と狂気』河野貴代美訳、ユック舎。

ナンシー・チョドロウ(1981)『母親業の再生産』大塚光子、大内菅子訳、新曜社。

Conarton,S.&Silverman(1988)Feminine Development Though the Life Cycle"Feminist Psychotherapies:Integration of Therapeutic and Feminist Systems"(Dutton-Douglas & Walker)

ルイーズ・アイケンバウム&スージー・オーバック(1988)『フェミニスト・セラピー』長田妙子、長田光展訳、新水社。

Harney,P.A. & Harvey,M.R.( ) Group Psychoterapy:An Overview

Harris,M.H. and The Community Connections Trauma Work Group(1998)Trauma Recovery and Empowerment : A Clinicians Guide For Working With In Groups、The Free Press。

メアリー・ハーベイ「生態学的視点から見たトラウマと回復」村本邦子訳、『女性ライフサイクル研究 第9号 特集:女性のトラウマと回復』女性ライフサイクル研究所。

ジュディス・L・ハーマン(1996)『心的外傷と回復』中井久夫訳、みすず書房。

Kaschak,E.(1992)"Engendered Lives:A New Psychology of Women's Experience"

河合隼雄(1967)『ユング心理学入門』、培風館。

河合隼雄(1992)『心理療法序説』、岩波書店。

アリス・ミラー(1985)『禁じられた知』山下公子訳、新曜社。

アリス・ミラー(1994)『沈黙の壁を打ち砕く』山下公子訳、新曜社。

村本邦子(1993)「からだと性」『女性ライフサイクル研究 第3号 特集:ダイエットから摂食障害まで』女性ライフサイクル研究所。

アドリエンヌ・リッチ(1994)『女から生まれる』高橋茅香子訳、晶文社。

佐藤紀子(1997)「四捨五入すると70歳(心は少女のつもり)からの一稿」『女性ライフサイクル研究 第7号 特集:中年期の女性の課題』女性ライフサイクル研究所。

D・W・ウィニコット(1977)『情緒発達の精神分析理論』牛島定信訳、岩崎学術出版社。

L・ウォーカー&L・ローズ・ウォーター(1994)『フェミニスト心理療法ハンドブック』河野貴代美、井上摩耶子訳、ブレーン社。

『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第10号(2000年11月発行)

※この号は売り切れました。

特集《フェミニスト心理学をつくる─癒しと成長のフェミニズム》


report10.gifフェミニスト心理学の歴史、実践の提供者側と利用者側からの考察、ジェンダー、リプロダクティブヘルス・アンド・ライツなどを取り上げています。

〈内容〉


1 フェミニスト心理学の歴史と展望
2 ジェンダー
3 リプロダクティブヘルス・アンド・ライツ
4 フェミニスト心理学の実践-提供する側から
5 フェミニスト心理学の実践-利用する側から
6 女性ライフサイクル研究所十年の活動報告

〈掲載論文〉
女性の自己実現と心理療法 西順子
日本におけるフェミニスト心理学の歴史と展望 村本邦子
心理療法にセックスが入ってくるとき
アメリカ心理学会・心理療法における女性委員会、村本訳
女性のトラウマウに関わる臨床家の使命
メアリー・ハーベイ(ハーバード大学臨床心理学助教授・ケンブリッジ病院暴力被害者治療プログラム主任)村本訳
アメリカにおけるフェミニスト心理学の歴史と展望 村本邦子

1999.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
女性のトラウマと回復

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 1990年の開設より、女性のトラウマは一貫して、私たちのテーマだった。もっとも、当時は、虐待という言葉を使っていた(子どもへの虐待、女性 への虐待というように)。虐待とは、権力構造を背後にした人権侵害であり、トラウマをもたらす。トラウマは、もともと外傷を指す語だが、心の外傷にも使わ れ、心的外傷と訳されたりもする。私自身は、トラウマを心的外傷と身体的外傷に分けて考えることはできないだろうと思っている。トラウマとは、存在を脅か すほどの傷つき体験であり、身体的外傷を伴う場合も、伴わない場合もあるが、心的外傷は常に存在する。よって、トラウマはあえて訳さず、片仮名表記のまま にした。トラウマをもたらすのは虐待に限らないが、本特集では、女性にたいする暴力、あるいは虐待の結果としてのトラウマにテーマを絞っている。

 常に必ずとは言わないまでも、男性中心の社会では、男性が公的領域を担い、現実(リアリティ)を構成する一方、女性と子どもは私的領域に属し、男性の空 想(ファンタジー)の登場人物となる。女性や子どもへの暴力の多くは、私的空間において行われ、仮にそれが公的な空間で起こったとしても、目撃者がそこに 介入しようとしないのは、それが現実を構成する公的空間とは別次元の空間で起こっている場面として認知されるためだ。「本来、目にすべきものでない場面を 見てしまった。これは幻だ。見て見ぬふりをしておこう。」というわけだ。つい最近まで(ひょっとすると今なお)、誰かが殺されて、戸籍の抹消という否定し がたい現実的帰結をもたらすまで、親子やカップルの暴力には警察も介入しなかったではないか。この意味において、フロイトがヒステリーの原因をトラウマに 求めたすぐ後で、これを少女たちのファンタジーであると改めたことを理解するのはたやすい。公的領域は基本的に公正でなければならないために、不正はその 柵の外へ追いやられる運命にあるからだ。

 虐待がファンタジーの一部である限り、被害者は、リアリティのなかに主体を回復、もしくは獲得することができない。多くの虐待には秘密の強要と解離が伴 うから、被害者は、それが本当に起こったことなのか、空想だったのか確信を持てないまま、生き続けなければならない。加害者とて、同じだろう。自らの行為 が白日のもとにさらされ、責任を問われない限り、半身をファンタジーの闇に埋めたままであるわけだから。第2次フェニズム運動は、「個人的なことは政治的 である(The personal is political.)」をスローガンに掲げたが、私的領域と公的領域を結びつけて初めて、女性や子どもへの暴力が現実として集りだされたのである。

 傷ついた女性たちの回復は、トラウマとなった体験がリアリティの一部に組み込まれること、それはつまり、社会から認知されることを要求する。90年代に 入って、子ども時代の性虐待を告発する講演会の多くで、サバイバーたちがカミングアウト(自分の経験を皆の前で公表する)する場面に出会ったが、それは、 まさに、自分たちの体験を公的領域に属する事実として告発し、ファンタジーをリアリティヘと転換させる意味と力を持つものだった。これらの事実は、トラウ マからの回復が、従来の面接室における個人療法だけでは不十分であることを示している。伝統的な心理療法は、「心的現実」という言葉をあてることで、ファ ンタジーをリアリティに転換する力を与えてきたが、少なくともトラウマ被害者に関する限り、これは無効である。私的領域から抜け出ることのできない出来事 が「心的現実」と呼ばれる限り、それは「嘘」と同義語だからだ。そうすれば、治療者は、自分の世界を脅かされずにすむ。しかし、それは、「社会的現実」と して認められることを求めている。

 この十年、女性のトラウマに対する認知は徐々に高まり、我が国においても、新聞やテレビで取り上げられる頻度が増え、被害者支援体制が整えられつつあ る。女性や子どもへの暴力がようやく公的領域の現実として認知され始めたことを示すが、その陰に、変化を求めて闘ってきたサバイバーおよび支援者たちの力 を感じずにはいられない。私たちが関わってきたのはこの十年だが、その前の十年、そのまた前の十年にも、この問題に取り組み続けた粘り強い先輩たちの力が あったにちがいない。歴史を構成するのは現実であり、リアリティとなり得て初めて、それは歴史に組み込まれる。トラウマからの回復は、個人史および歴史の 書き換えを要求するだろう。大量虐殺さえもファンタジーにされかねないことを思えば、私たちは歴史に敏感でなければならない。もう二度と、女性たちの闘い の歴史を抹消させてはならないと思う。

 今回の特集は、以上のようなことを心に刻み、傷ついた女性たちの現実を白日のもとにさらし、リアリティとして社会へ告発するものである。また、虐待と傷 つきのメカニズムを明らかにし、より有効な援助法を模索しようとするものである。今年は、ハーバード大学/ケンブリッジ病院暴力被害者プログラム主任のメ アリー・ハーベイ氏のご好意により、「生態学的視点から見たトラウマと回復」を所収することができた。「生態学的視点」とは、聞き慣れない概念かもしれな いが、コミュニティ心理学の用語であり、人や人の心にのみ焦点をあてるのでなく、コミュニティのなかの人、コミュニティのもろもろの資源や要因と相互関係 を見ようとする視点である。女性のトラウマと回復を社会の文脈のなかで捉えることの必要性は、すでに力説したつもりだが、「回復」を多次元的な現象とし て、7つの項目によって定義している点、重要である。

 このように多次元的な視点をもちながらも、個から社会へと視野を拡げていけるように配列した。Ⅰ章は事例中心に、Ⅱ章は理論中心にまとめてある。Ⅰ章、 佐藤紀子氏の「ひらめ」では、リアリティがファンタジーに力を与え、力をもったファンタジーが、再びリアリティヘと作用するあり様が明確に見てとれるだろ う。ハーベイ氏の分類によれば、これは臨床的治療を得た例であり、吉村薫は、インタビューによって、治療的介入なしに回復へ向かった例を描いた。窪田由紀 氏の事例は、個人療法を中心にしているが、大学教員による学生の援助と学生相談という、基本的にコミュニティ介入のベースから個人療法へつなげられている 点に着目したい。

 Ⅱ章、川喜田好恵氏と中村彰氏は、ドメスティック・バイオレンスに焦点を絞り、ジェンダー構造のなかで、いかに被害者と加害者がつくられていくかを分析 したうえで、援助の方法についても述べている。男性たちもまた動き始めていることを知って、心強い。長谷川七重氏は、ドメスティック・バイオレンスのなか でも言葉の暴力に焦点をあてた分析を行っている。子どもの虐待も同じだが、どうしても世間ははっきりと目に見える形の暴力にのみ反応しがちであるが、トラ ウマとは、存在を脅かす傷つきであることを繰り返しておきた」窪田容子は、治療者の立場から、中立性について再考した。トラウマの治療は、伝統的な治療の パラダイムの転換を迫るように見えるため、これに抵抗する治療者は少なくない。しかし、私の考えでは、中立性はじめ、従来の概念をトラウマという視点から 練り直すとき、(はやりの言葉で言えば)臨床心理学は「進化」する。

 Ⅲ章は、主に電話相談という回路で、傷ついた女性を支えようとする立場のものをまとめた。平井三鶴氏は、徳島県の「女性サポートダイヤル」を通じて関 わった女性たちの現実を紹介している。相談者の住む社会と陸続きの社会/現実を生きる援助者の姿が目に見えるようである。窪田も触れている「代理受傷」に ついて真剣に考える必要があろう。前田真比子氏らは、ある機関の電話相談での体験をもとに、性被害についてまとめてくれた。ハーベイ氏も指摘しているよう に、コミュニティのなかの危機介入的な相談電話が果たす役割を痛感させられる。周藤由美子氏は、「性暴力を許さない女の会」の紹介と支援のあり方への提起 をしてくれた。会の方々とは、個人的なおつきあいはなかったが、よく講演会などのフロアでご一緒した。ボランティア・ベースでこんなグループが息ながく活 動していること自体、頼もしく、励まされる思いである。

 IV章では、主に共生の視点での援助を紹介した。新恵里氏はアメリカでの研修の体験をまとめてくれた。さすがに、アメリカの被害者支援機関はずいぶん先 をいっているようで、地域の犯罪被害者センターが、まさに多次元的な援助を提供している様子が伺われる。アメリカならではの問題もあるようだが、「被害 者」と「加害者」の捉え方は参考になるだろう。前村よう子は、キリスト教の背景を持つ「ミカエラの家」を取材し、トラウマと宗教の関わりをまとめた。きっ かけは、前村自身の否定的な宗教体験だったが、この取材をきっかけに、彼女自身がある種の「癒し」を経験したようで嬉しい。取材を受けて頂いたシスターに あらためて感謝したい。「スピリチュアリティ」は、私自身、これから練り上げていきたいテーマである。高松里氏はセルフ・ヘルプグループについて書くと同 時に、専門家批判をしている。「トラウマは治療も回復も不可能であり、専門的援助は無力である」と主張するこの論考は、いささか挑発的であるが(なにし ろ、これはトラウマと回復の特集である)、その内容には頷ける。今一度、ハーベイ氏の論考に立ち返り、回復の定義と、回復にいたる道に専門家が寄与できる 可能性は一部にすぎないこと、専門家が関与しても回復にいたらない可能性、よけいに傷を深める可能性があることを想起すべきだろう。高松氏自身は、このセ ルフ・ヘルプ・グループのメンバーであるから、当事者であると言うことにも頷ける。ただし、私自身は、専門家としての役割を捨ててはおらず、状況に応じて 役割が変わることはあっていいと感じている。状況に応じて娘であったり、母であったり、妻であったりするように、私は、状況に応じて、専門家であったり当 事者であったりする。そのことに、あまり矛盾を感じていない。

 最後のV章は、社会とシステムに焦点をあてた。西順子は新聞記事を手掛かりに、性被害に対する社会の動きを追った。社会の変化にあらためて驚かされると ともに、西が指摘するように、子ども時代の虐待、性虐待に関しては、まだまだこれからというのが実感である。本特集においても、予定どおりに執筆できな かった事情もあり、成人女性への暴力に偏ったきらいがある。しかし、子ども時代の虐待による女性たちの生の声は、コラムの形で執筆して頂いたものの多くか ら聞こえてくるはずだ。平山真理氏は、刑事手続きにおけるとくに性犯罪被害者の扱われ方についてまとめ、イギリスの制度も参考に、問題提起を行ってくれ た。加害者への対応はもちろんだが、傷ついた被害者の回復を助けるような形で司法が機能するシステムが練り上げられていくことを望む。
 最後になりましたが、いつも暖かく応援してくださっている皆様、原稿を寄せてくださった皆様、いつも私たちのために素敵なイラストを描いてくださるJunさん、そして地水社の皆さんに感謝いたします。

『女性ライフサイクル研究』第9号(1999)掲載

1999.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
生態学的視点から見たトラウマと回復

ハーバード大学臨床心理学助教授/ケンブリッジ病院暴力被害者治療プログラム主任
メアリー・ハーベイ(村本 邦子訳)

1 はじめに

 トラウマにさらされた被害者は、急性もしくは遅延性の外傷後ストレス障害(PTSD)(アメリカ 精神医学会、1994)、複雑型外傷性症候群(Herman, 1992a, 1992b)、一連のトラウマ関連性精神障害(Brett, 1992)、広範囲にわたるトラウマ反応と回復のパターン(Briere, 1998; Browne & Finkelhor, 1986; Cohen & Roth, 1987)を示す可能性があることが、研究結果や臨床経験からわかっている。トラウマ反応の多様性をトラウマ以前の個人特性から理解する臨床家は多い。し かし、その一方、トラウマの程度と持続時間(Kulka et al., 1990)、トラウマとなった出来事の特徴(Herman, Russell, & Trocki, 1986; Roth, Wayland & Woolsey, 1990)、被害者の解釈(Green, Wilson, & Libowitz, 1988)、被害者を取り巻く環境(Green, Wilson, & Lindy, 1985; Koss & Harvey, 1991; Wilson, 1989)が同じように重要であることを示唆する研究も多い。
 トラウマに関する既存の文献は、トラウマ反応と回復における個人差に環境要因が関与していることを過小評価する傾向がある。とくに、臨床的な文献は、個 人の回復力(resiliency)、臨床的援助なしの回復の可能性、社会・文化・環境の影響を見過ごしがちである。「回復」の定義づけが曖昧で、トラウ マからの回復を示す基準がはっきりしていないことも多い。
 この論文では、これらの問題を取り上げるために、コミュニティ心理学の概念である生態学の視点を利用する。この視点から言えば、人間の心理的特性は、コ ミュニティという生態学的文脈で、もっともよく理解できるし、出来事への反応は、コミュニティで養われた価値、行動、技術、理解に照らせば、もっともよく 理解できる(Kelly, 1968, 1986; Koss & Harvey, 1991)。本論文では、この考え方をトラウマ現象にあてはめ、トラウマ反応と回復の個人差を理解する生態学的モデルを提示する。このモデルでは、個人差 を、人、出来事、環境の3つの要因の相互作用と考える。これら3つの要因は相互作用して、人とコミュニティの力動関係を決定し、それぞれに独自な回復の文 脈をつくる。生態学的モデルでは、トラウマからの回復結果を4つの概念に分け回復の多次元的定義を提示する。臨床的援助が回復を助けるのか、それとも損ね るのかについても取り上げ、臨床的援助とは違ったコミュニティ介入が回復力を育てることにも触れる。臨床的援助もコミュニティ介入も、それが有効に働くか どうかは、人によって違う回復の文脈に、生態学的適合(ecological fit)を果たし、その人とコミュニティの関係をうまく強化できるかどうかにかかっている。

2.生態学の視点から見たトラウマ

(1)生態学の視点とは

 生態学とは、有機体とその環境との相互関係を扱う科学である(Webster's Ninth New Collegiate Dictionary, 1985)。コミュニティ心理学は、生態学的文脈から、コミュニティに関心を向け、人とコミュニティの相互関係を扱う。人は、コミュニティからアイデン ティティ、所属感、意味を引き出す(Kelly, 1968, 1986; Koss & Harvey, 1991)。人の行動を生態学から見る時、コミュニティ心理学者は、実地生態学者が他の生命環境を調べるのとまったく同じ仕方で、コミュニティを調べる。 「生態学のアナロジー」(Kely, 1966, 1986; Trickett, 1984)は、資源と資源交換の特性という観点からコミュニティを記述する。たとえば、コミュニティのお金、サービス、価値、伝統が循環し、共有され、豊 かになったり、枯渇したりといった点に見ることができる。また、コミュニティ成員の欲求と環境に対して、適応と健康を促進したり、逆に、不適応と不健康を 促進するコミュニティの特質にも見ることができる。
 生態学のアナロジーをトラウマの領域に応用すると、トラウマとなる暴力的出来事は、人の適応能力への脅威と捉えられるばかりでなく、成員が関わり合っ て、健康と回復力を育てるというコミュニティの能力への脅威とも考えられる(Koss & Harvey, 1991; Norris & Thompson, in press)。つまり、都心部で増えつつある暴力は「酸性雨」のようなもので、成員に安全な天を提供するコミュニティの能力への生態学的脅威と見ることが 可能になる。人種差別、性差別、貧困は環境汚染、つまり、暴力を育て、人のコミュニティの健康促進資源を破壊する生態学的異常と考えられる。
 暴力的な出来事がコミュニティ資源を汚染し破壊するように、コミュニティの価値、信念、伝統はコミュニティ成員の防御壁となり、暴力に続く回復を支え る。貧困と人種差別がコミュニティを暴力に晒す危険性を高める生態学的要因だと考えられるなら、経済を安定させ、多様性を認める視点をコミュニティに流布 させることが、暴力を予防するエコロジー要因になる。同様に、女嫌い(misogyny)と家父長制が性暴力を増やし、女性の幸福を脅かす生態学的要因で あると考えられるなら、コミュニティに根ざしたレイプクライシスセンターや「夜を取り戻そう」キャンペーン、性暴力を許さないコミュニティづくりは、女性 の安全と幸福を支持する生態学的要因となろう(Koss & Harvey, 1991)。
 ほとんどの人は、多様なコミュニティに属している。たとえば、地理(市、町、近隣)、人種、民族、言語を共有するコミュニティの一員であり、また、職業 や宗教、思想を共有するコミュニティの一員でもあるだろう。ここで提示する生態学的モデルは、トラウマとなる暴力的出来事への個々の反応は、それぞれが所 属しアイデンティティを引き出す複数のコミュニティの特性の組み合わせによって変化すると仮定する。人とコミュニティの相互作用を形づくるのは、人、出来 事、環境のさまざまな組み合わせである。

(2)トラウマの生態学―「人×出来事×環境」モデル

 図1はトラウマ、治療、回復の生態学的モデルである。このモデルには3つの前提がある。第1は、 トラウマとなる出来事が同じであっても、誰もが、同じように傷ついたり、影響されるわけではないということである。被害を受けやすいか、被害への反応と回 復は、互いに影響しあう3つの要因によって多面的に決定される。3つの要因とは、巻き込まれた人や人々との関係、経験された出来事、より広い環境である。 これらの要因が一緒になって、人とコミュニティの生態システム(ecosystem)が決定される。その中で、人はトラウマとなり得る出来事を経験し、対 処し、意味づけを行っていく。
 生態学的モデルの第2の前提は、トラウマとなる出来事に晒された後、人は臨床的援助を求める場合もあれば、求めない場合もあるということである。求めな い人の方が多いだろう。トラウマを十分に理解するためには、治療を受けない大多数に目を向け、トラウマ後の状態と回復のプロセスを明らかにする調査が必要 である。
 第3の前提は第2と密接に関わっているが、臨床的援助は、必ずしも、回復の保証にはならないということである。生態学的モデルでは、回復結果に関する4 つの概念を立てている。1)臨床的援助が他の要因と作用しあい、回復を助ける。2)臨床的援助が回復を妨げ、損なう。3)臨床的援助なしに回復がおこる。 とくに、自然発生的な生態システムが回復力を支え、自然なサポート体制とコミュニティ資源が豊富にあるとき。4)時宜を得た適切な介入がなく、回復できな いまま。
 生態学の枠組みで考えると、回復の失敗は、個人の苦悩が持続することを意味するだけでなく、回復する環境の欠如、コミュニティ心理学者が生態学的適合と 呼ぶものを達成するようなトラウマへの介入の失敗をも意味する。生態学的適合を構成するのは、人と社会的文脈の関係の質と有用性であり、人と環境の結びつ きを強める必要がある。つまり、孤立感を減らし、社会的能力を高め、良い対処を促し、コミュニティへの所属感を促進しなければならない。(Levine, 1987; Maton, 1989)。
 生態学的モデルは、グリーンら(Green et al., 1985)が仮定した心理社会的枠組みと一致し、ウィルソン(Wilson, 1989)が描いた統合的個人・環境モデルとも一致する。違いは、出来事と環境要因の区別、被害化の社会・文化政治的文脈に置かれる力点、回復と復元力の 源泉としてコミュニティを強調する点である。

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図1.トラウマのエコロジー・モデル


(3)「人×出来事×環境」がトラウマ反応に与える影響

 人、出来事、環境に関するたくさんの要因がトラウマ反応と回復に影響を与えるが、なかでも、生態 学的視点からとくに重要なのは、人とコミュニティの関係に影響を及ぼす要因である。そのなかには、臨床家がクライエントのニーズを査定するとき日常的に考 慮されるものもあるが、無視されることが多いものもある。
 トラウマ反応と回復に影響を与える人の変数には、たとえば、年齢、発達段階、被害時の苦痛の程度、知性、人格、感情、認知、トラウマ以前の対処能力、ま た、もしあるとすれば、それに先立つ外傷、被害者と加害者の関係、その他もろもろの人口集団的特徴がある。経験を積んだ臨床家ならばほとんどが、これらの 変数に注意を払い、診断決定と治療計画に重要な役割を果たす。生態学的視点からは重要だが、臨床上のアセスメントではあまり注意を払われない人変数には、 トラウマを受けた人が、自分の文化のなかで、被害体験をどう理解するか、さまざまな種類の援助を抵抗なく受けられるかどうか、家族、友人、その他重要な人 が希望、粘り、回復力のモデルを提供してくれるかどうかなどがある。
 出来事変数は、一回、あるいは一連のトラウマ体験の特徴を示すものである。トラウマ反応を決定する重要な要因には、経験された出来事の頻度や強度、持続 度、身体的な暴力や性暴力が含まれていたか、恐怖や屈辱の持続度、一人だったのか、他の人と一緒だったのかなどがある。その他、出来事に付随し、その人と コミュニティが重きを置いているものと関わる部分も重要である。たとえば、強い信仰をもつ帰還兵は、敵兵の死体によって負わされた十字架に苦しみ続けるだ ろうし、恐怖のために抵抗できず、加害者に同意と喜びの言葉を強制されたレイプ被害者は、それを恥じ、苦しみ続けるだろう。トラウマそのものがもっとも傷 ついた部分であるはずだという思い込みは捨てる必要がある。そして、トラウマの解釈や記憶、感情と経験のニュアンス、その人のトラウマ反応に影響を与える 固有の社会構造など周辺部分にも耳を傾ける必要がある。
 トラウマ反応と回復に影響を及ぼす環境要因はたくさんある。トラウマが経験される生態学的文脈(家、学校、職場、その他)の特徴、自然なサポート体制、 良い適応を育てるシステムの力、トラウマ後の被害者に与えられた安全とコントロールの度合いなどである。被直後、最初の対応者がどんな態度を取ったか、家 族、友人、世話役、その他の重要な他者および集団がどう理解し行動したかは、回復のための重要な要素となる。生態学的視点からトラウマと回復を理解する上 で重要な環境要因は、コミュニティのもつ態度や価値観、人種とジェンダーについての文化的構造、被害者に向けられる政治経済的要因、コミュニティの被害者 援助とアドボカシー資源の質、量、接近しやすさ、文化的妥当性を挙げられる。英語をしゃべれない難民が災害に遭ったとき、その人を取り巻くコミュニティが 移民の増加を恐れ、あからさまに敵対的な態度を取るなら、回復する気力もなくなるだろう。コミュニティに「主流な」サービスの質と利用しやすさがどうであ ろうと、この人にとって、接近しやすさと文化的妥当性はどう見積もっても制限される。同性愛恐怖によるゲイ・バッシングの被害者は、伝統的な道筋からプロ の援助を求めるのは嫌でも、別の設定や非公式のネットワークを通じて得られる適切な援助にはつながるかもしれない。

(4)4つの回復結果

 生態学的モデルでは、トラウマを受けた被害者をグループ分けする。どこかの時点で臨床的援助を受 けた人、受けなかった人、トラウマから回復した人、していない人である。概念的に4つの回復結果が考えられるわけだが、それぞれに特有の問題と、臨床的援 助とコミュニティ介入の課題がある。

1. 臨床的援助を受け、回復したトラウマ被害者

このグループは、いちばん臨床家の興味をひくものである。臨床家の援助を受け、あきらかな効果が あった場合である。治療効果を査定し、確認する調査が必須である。トラウマ被害者にかかわる臨床的仕事で有望なのは、今のところ、安全とエンパワメントと いうふたつのテーマを強調するフェミニスト的な治療アプローチ(Harvey & Herman, 1992)、症状を管理し減らしていく認知行動療法的技術(Foa, Steketee & Rothbaum, 1989, 1991; Keane, Fairbank, Caddell, zimering & Bender, 1985; Resick, Jordan, Girelli, Hutter & Marhoefer-Dvorak, 1989)、統合的トラウマ集中治療(Wilson, 1989)、トラウマによる情動とパターンの解決を促進する力動認知アプローチ(McCann & Pearlman, 1990; Roth & Newman, 1991)、孤立感を減らし新しい愛着を形成する安全な場を提供するグループ療法(Koss & Harvey, 1991; van der Kolk, 1987)、段階別・多元的治療アプロ―チ(Herman, 1992b; Lebowitz, Harvey & Herman, 1992)が挙げられる。

2.  臨床的ケアを受けたが、効果なく、回復していないトラウマ被害者

生態学的モデルでは、2番目のグループになる。さまざまな治療アプローチの成功と効果を臨床家が共 有し、研究者が確認する一方で、治療の失敗も同じように立証し、治療を失敗させた生態学的条件を確定することが重要である。たとえば、身体的な安全と生理 的安定が得られて初めて、トラウマの記憶をさぐることが実りをもたらすこと、早すぎる時期に慌ててトラウマを探ることは、傷つきやすい患者を不安定にし、 再度トラウマに晒すことになるという厳しい事実を学んできた臨床家は少なくないだろう(Herman, 1992b; Horowitz, 1986)。同様に、患者のもつ文化・歴史的背景に鈍感だったり、患者の回復予後に関するコミュニティの信念、価値、資源の役割について誤った情報しか もっていなければ、その治療法は、生態学的視点から言って、制限され、失敗しやすい。

3. 臨床的援助なく回復したトラウマ・サバイバー

このグループは、危機と苦境にあって、内的・外的資源をうまく活用できた人々からなる。研究者も臨 床家も、このグループから学ぶことは多い。これらの人々は、ストレスへの抵抗力という内的資源を持っていたのだろうか。回復のスキルを新たに獲得したのだ ろうか。具体的なコミュニティ資源や個人的なサポート・ネットワークによって、防御できたのだろうか。回復の基盤にある資質は、遺伝子的に決定されている ようなものなのか、あるいは、後天的に獲得されたもので、他の人にも獲得することができるものなのだろうか。手短に言えば、このグループにとって、トラウ マへの予防接種の役割を果たした要因は何なのだろう。これらの要因は、臨床的技法とコミュニティ介入によって再製したり、動員したりできるものなのだろう か。

4. 臨床的ケアを受けず、回復していないトラウマ被害者

生態学的モデルで4番目のグループは、長い間、研究者からも臨床家からも目を向けられなかった人々 である。傷ついたまま、孤立して生きており、不適切な対処法と資源に頼っているかもしれない。いずれにせよ、臨床的ケアを受けていない。このグループにつ いて、もっと学ぶ必要があるし、彼らの孤立感を減らし、利用できる資源があることに気づいてもらえるようなコミュニティ介入を考える必要がある。たとえ ば、公共教育のキャンペーンはトラウマ反応に関する理解を促し、これらの反応が奇妙なものではないことを理解する助けとなる。アウトリーチのキャンペーン は、利用可能な臨床的資源をはっきりさせ、接近を促すだろう。これらの資源がないコミュニティでは、コンサルテーション活動と、トレーナーの養成プログラ ムによって、準プロフェッショナル、牧師、しろうとの援助者の理解と技術を促し、治療を受けていないトラウマ被害者に役立つことができるかもしれない。

3.回復の多次元的定義

(1)トラウマからの回復の定義

 回復の実践的な定義について書いた文献はあまりない。あっても2種類で、どちらも適切とは言えな い。1つ目は、包括的なもので、長期にわたる心理療法をやり遂げ、トラウマに起因するものしないものも含めて葛藤を統御し、最終的に解決することを目指 す。これらの治療目標は称賛に値するが、トラウマからの回復というより、「包括的精神衛生」と呼べるだろう。トラウマそのものについての理解を助けるもの ではないし、有効な介入計画についても、治療結果の調査に関しても方向性を与えない。2つ目は、外傷後ストレス障害に特徴的な過覚醒と侵入性の症状に限定 したものである。このアプローチは、トラウマからの回復の症状の減少と考えているようだ。たとえば、フラッシュバックや悪夢がなくなるとか、トラウマを想 起するときの反応が穏やかになるなど。この定義には、臨床介入するうえで特別の焦点をあて、症状から逃れることの重要性を強調する利点がある。しかし、そ の他のトラウマ関連性障害、ハーマン(1992a)が「複雑型PTSD」と呼んだものには役立たない。たとえば、症状がなくなっても、恥と自責の念や、い わゆる「サバイバーシップ」(Janoff-Bulman, 1985)と呼ばれる孤立感や不信感などの持続を考えるうえでは不足である。トラウマからの回復を症状の減少だと考えれば、非常に効果的な心理療法の過程 において、症状が強まる時期があることを理解できないだろう(Briere, 1989)。
 ここに提示する生態学的モデルでは、トラウマからの回復を、以下のような基準によって特徴づけられる多元的な現象として理解する。

1.  記憶の再生への権限

記憶と意識の変異はトラウマ性障害の中心である(APA, 1994)。トラウマとなった出来事は、記憶の再生と利用に混乱を与える。サバイバーはしばしば、自分が経験したことの記憶の一部がなかったり、その場面 が突然現れて、凍りついてしまったりする(van der Hart, Steele, Boon & Brown, 1993)。トラウマからの回復の最初の兆しであり、それゆえ第一の治療目標となるのは、記憶に対し、新たな権限を得ることである。回復すると、いきなり 意識に侵入してきたものを、思い出すか、思い出さないか、選択できるようになる。記憶喪失がなくなる。思い出せなかった部分が思い出され、新しい意味が記 憶に付け加えられる。記憶との力のバランスが逆転し、サバイバー自ら、まとまり連続した物語として記憶を呼び起こせるようになる。

2. 記憶と感情の統合

単発のトラウマでも、慢性化した一連のトラウマでも、記憶ははっきりとつながっているが、思い出し ても何も感じない、ほとんど感じない場合がある。逆に、特定の刺激に反応して、恐怖や不安、怒りなどが押し寄せるが、これらの感情が何と結びつくのかまっ たくわからない場合もある(Harvey & Herman, 1994)。いずれも、記憶と感情が分離しており、その結果、心理的問題が生じている。回復すると、記憶と感情が結びつき、感情を伴って過去が思い出せる ようになる。その体験をした時に起こった心と体の状態がいくぶんか再現されるだろう。悲しい記憶は再び悲しみを引き起こし、怒り、不安、その他も同じよう に記憶と結びつく。回復すると、過去についての現在の感情も区別して理解できるようになる。たとえば、回復したレイプ被害者は、その時の恐怖を思い出し感 じると同時に、それを思い出している今、新たな怒りと悲しみをも感じるだろう。

3.  感情への耐性

回復とは、トラウマと結びつく感情にもはや圧倒されたり脅かされたりしなくなることである。トラウ マと結びつく感情が、耐えがたいほどの直接性と強烈さを失う。圧倒されたり、防衛的な感覚麻痺や解離なしに、感情を受け入れ、名づけ、耐えられるようにな る。不適切な警報と危険信号から解放される。感情がさまざまに分化し、記憶に一定の反応ができるようになり、現在のストレスに対処する能力が増す。

4. 症状管理

とくに持続していた症状が弱まり、管理可能になる。たとえば、フラッシュバックを引き起こす刺激が 何か知り、避けられるようになる。回復したサバイバーでも症状が続くことはあるが、うまく対処して、症状を減らし、ストレス管理ができるようになる。たと えば、暴力的な映像など苦痛を呼び起こす刺激を避けたり、ストレス管理の技術を使ったり、なかなか消えない症状に対しては、薬を処方してもらって適切に利 用することで改善できるだろう。重要なことは、すべての症状がなくなることではなく、症状を予測し管理できるようになることである。

5. 自己評価と自己の凝集性

1回のトラウマであっても、自己感や自己の価値に対して破壊的な影響を及ぼす力を持っている (Terr, 1983)。幼少期の慢性化し繰り返された被害は、アイデンティティに深刻な影響を与え、自己を不連続で断片化したものにする。回復すると、自己評価と自 己の凝集性の面で、これを修正し制御できるようになる。自傷行為や自己破壊的な衝動がなくなり、健康で自己受容的になる。断片化していた自己は、凝集性を 持ち一貫した自己が体験される。罪の意識、恥、自責の念がなくなり、自己の価値を感じられるようになる。強迫的で自己批判的な考えがなくなり、現実的に自 分を評価し、肯定できるようになる。自分はケアされるに値することに気づき、自分で自分をなだめたり、自己実現していけるようになる。

6. 安全な愛着関係

他者から孤立し、再び被害者となりやすい傾向は、トラウマと密接に関わっている。暴力や信頼の裏切 りを伴うトラウマ体験は、悲惨にも、安全で支持的な人間関係を求め、維持していく能力を危うくする(van der Kolk, 1987)。トラウマからの回復は、対人関係能力の発達、あるいは改善と回復を含む。孤独に固執していたのが、信頼や愛着関係を持てるようになる。人との 関係で身体的、感情的な完全を求め維持できるようになり、いくぶんかの楽観主義とともに、親密な結びつきを期待できるようになる。そこまでいくには、複雑 な再交渉や、重要な人への服喪が必要だろう。ほとんどの場合、サバイバー自ら、社会的な支援のネットワークを広げていくだろう。

7. 意味づけ

最後に、トラウマ、サバイバーとしての自己、トラウマが起きた世界に新しい意味づけがなされる (Janoff-Bulman, 1985)。トラウマの意味づけは個人的なものであり、非常に個性的なプロセスである。とくに、暴力によるトラウマで、人は残虐行為を行うという事実と直 面させられるような場合はそうである。損なわれた自己という感覚がなくなると、それまで不幸を背負ってきたと思いこんでいたものが、力と共感を得たという 新たな発見に変わる場合もある。自分の体験を創造的に表現したり、確固たる社会活動へと変容させ、サバイバー使命を抱くことが回復のプロセスの一部となる 人々もある(Herman, 1992b)。「なぜ」「なぜ私が」という問いにスピリチュアルな答えを出す人もあろう。プロセスはさまざまだが、回復したサバイバーは、トラウマに名前 をつけ、喪に服し、命を肯定し自己を肯定するような意味づけを行う。
これらの基準は、1回、あるいは一連のトラウマによって否定的な影響を受け得る心理機能の全領域を反映している。すべてを含めて、回復の多面的な定義であ り、臨床家、サバイバー、研究者に個々人の回復を査定し、臨床的介入、コミュニティ介入が目指すべき基準を与えてくれる。治療を受ける受けないにかかわら ず、サバイバーの回復と復元力を生態学的視点から多次元的に査定する概念的枠組となる(Harvey, Westen, Lebowitz, Saunders & Harney, 1994)。この枠組では、トラウマに影響を受けたどの領域でも、プラスの方向で変わったとすれば、回復が進んだということになる。あまり影響を受けな かった領域があり、その領域の力を使って、問題のある領域に対処し、回復できるとすれば、これは、復元力と呼べる。たとえば、記憶の侵入などに苦しんでい るサバイバーが、相対的に損なわれなかった領域にある対人関係能力を使って、誰かに支えてもらったり、有益な心理療法を受けることもあろう。安全な愛着関 係の領域にある強さと復元力を動員して、症状管理と記憶再生への権限の回復を得たと言える。人と会うのが怖くなった暴力被害者は、しっかりした自己感とス ピリチュアルな価値感を動員することで、信頼と結びつきの感覚を取り戻すかもしれない。この場合、自己評価と意味づけの領域の力が、安全な愛着関係の領域 の修復を助けたと言える。

(2)レイプからの回復-生態学的モデルによる事例と分析

 生態学的モデルは、トラウマ反応のさまざまを予測することができる。人・出来事・環境要因の相互作用と、トラウマ反応・回復への環境の影響力について、二人の女性を対比させながら例示しよう。どちらも近所のバーで知り合った、いわゆる「顔見知り」の男性にレイプされた。
 サラは21歳、白人の中流階級に属するボストンの大学生。どちらかと言えば平等主義の家族に育ち、両親はともに子育てに関わってきた。サラはフェミニス ト・グループの一員で、さまざまなキャンパス活動に従事している。ある夜、地域のバーで友人と別れた後、ちょっと興味のある男性と話し始めた。彼が送って くれると言うので、サラは、もっと彼を知る機会だと期待し、同意した。帰り道、サラは彼のあからさまな性的行動が嫌で、突き離した。すると、彼は怒り、暴 力でもってレイプしたのである。
 ジョアンも21歳の白人。ボストンから西へ数マイル離れた田舎にある労働者階級のコミュニティに住む、信心深い閉鎖的な大家族で育った。ジョアンは運動 が得意で、自己主張的なので、二人の兄は「おてんば」だと思ってはいたが、彼女の強さを誉めてくれた。しかし、両親は、ジョアンの「女らしくない」行動に 腹を立てることがしばしばだった。学校の成績もよかったが、高校を卒業すると同時に結婚。今は離婚し、4歳と2歳の子どもと、実家近くの小さなアパートに 暮らしている。地元のレストランでパートタイムで働き、地域のソフトボールチームの強力な選手でもある。試合に勝った夜、ジョアンは友達と近所のバーに 寄った。その夜のバーは、とくに騒々しかったが、友達と別れた後、彼女はもうしばらくそこにいた。それまでも見かけたことのある男性が、家まで送ろうと 言った。その男は、駐車場で、人気のないところまで運転するよう命令し、レイプしたあげく、行ってしまった。

1.  人×出来事×環境要因について

人の属性という観点から言えば、サラもジョアンも多くの共通点がある。どちらも白人で21歳、両親 の子育て態度と、家族の教育水準は違うが、どちらも養育が行き届き、結びつきの強い家族の育った。それぞれ違う点は、サラは未婚で、ジョアンは離婚したこ と。サラは大学生、ジョアンは働いていた。サラは中流階級、ジョアンは労働者階級に属していた。サラの生活は、金銭的に困るようなものではなかったろう し、責任も少なかった。ジョアンは、しばしば家族に経済的な援助を求めなければならなかった。サラにとって、女性も男性と同じ機会と生活様式が与えられる べきであることは明白だったが、ジョアンは、社会的な制限に反発しながらも、同時に伝統的な性役割のステレオタイプと、家族やコミュニティを特徴づけてい る信念を是認している部分もあった。

2.  出来事について

どちらも、近所のバーで出会い、知り合いになりたいと思った男性にレイプされた。どちらも身体的な 残虐性と屈辱が伴い、どちらもアルコールが一要因になっている。レイプの後は、侵入的な記憶を経験し、恐怖と苦痛を再体験した。非常に長い間、個別の特徴 が頭から離れなくなる。サラは、レイプした男性に最初にひきつけられたのは自分だったという事実を思い出して、特別恥ずかしく感じるだろう。ジョアンは、 恐怖のあまりに戦えず、自分の肉体的な力が役に立たなかったことに屈辱を感じるだろう。

3. 環境について

しかしながら、回復の予後に関する限り、生態学的視点から最も重要なのは、彼女たちの状況を特徴づ ける環境要因である。サラもジョアンも心から心配してくれる友人や家族がいたが、二人を支えるネットワークを構成する人々は、レイプに対する見方、アル コールへの態度、専門的な援助や精神科医の治療を受け入れる素地という点で大きく異なる。二人が住むコミュニティとそこでの選択肢も非常に違っている。
たとえば、サラは、フェミニスト仲間に友人がたくさんいて、その大半は、これがレイプであり、責任があるのは加害者の方だということをはっきり理解してい る。サラの友人のなかにも、「私を変だと思う人」もいるし、サラも、彼女たちの言葉を「本気でそう思っているのかしら」と疑うことはある。それでも、サラ のコミュニティには、彼女を支える人々がたくさんいるし、必要な資源も豊かにある。彼女の親友のなかには、これらの資源のことをよく知っていて、利用する よう励ましてくれる女性もいる。彼女の家族は、専門機関を利用することに慣れている。家族も「誰かに話を聞いてもらう」こと、とくに、レイプ・クライシス についてのトレーニングを受け、トラウマの知識がある人に聞いてもらうことを励ますだろう。
ジョアンの状況は違っている。彼女の故郷である田舎には、レイプ・クライシス・センターも、特別な訓練を受けた緊急医療隊も、地域警察の性被害対策部もな い。彼女の話を聞き、家族に電話した方がいいのか、するとすれば、いつ、何を話せばよいのか、決めるのを助けてくれるレイプ・クライシス・ワーカーもいな い。ジョアン自身も自分の体験をどう考えたらよいのかわからない。これはレイプだろうか?彼女の両親を含め、彼女の故郷であるコミュニティの多くの人は、 「良い娘」はレイプされないと信じていることだろう。ジョアンの町には、公的な資金によるメンタルヘルスケアの方法はほとんどないだろうし、トラウマに対 するサービスは実質的に皆無だろう。個人開業している臨床家はわずかながらいるだろうが、ジョアンやジョアンの知り合いが予約の電話をすることはないだろ う。彼女の家族でセラピーを受けたことのある人はいない。友人のなかには、十代の息子を指導カウンセラーに連れていった人、夫をつれて、夫婦カウンセリン グに行こうと考えている人はいるが、ジョアンは彼女たちに、レイプのことを話そうとは思わないだろう。

4. 臨床介入による査定と援助

サラの生活の現実は、臨床家に査定と援助を受けるにいたる生態学的条件をつくりだしている。資源が 豊富にある都会のコミュニティには、多くのメンタルヘルスの実践家や専門家がいて、そのなかから選択することができる。選択肢が広いので、サラに合う実践 家が見つかる可能性は高いだろう。また、若い白人、シングル、中流階級、教育水準が高いなど、サラと多くの共通点を持つボランティアスタッフをたくさん抱 える草の根的なフェミニスト資源も揃っている。多くの共通点を持つ人々がいることで、これらの資源の文化的妥当性は高まり、サラがそれらを効果的に利用す る可能性も高くなるだろう。これらの資源は、サラの回復を助けるコミュニティ・サポートとなるだけでなく、専門家への紹介にも結びつくかもしれない。これ らの条件が、必ずしも容易な回復や最善の臨床経験を保証するわけではないが、サラは、これらの条件のなかで回復の道を探ることができるだろう。サラの生態 系は、その伝統、信念、価値観などが有効な臨床資源の利用を促進する力を持っている。
他方、ジョアンの方は、臨床的な援助を受ける方法をさがせそうにない。その経験を誰かに話すよう励ます友人はいるかもしれないし、自分のレイプの体験を話 してくれる友人もいるかもしれない。お酒でも飲んで気持ちを紛らわしたらと言う友人もいるだろうし、教会に戻って、司祭に話すよう勧める人もいるだろう。 でも、専門的な援助を受けるよう励ます人はほとんどないだろう。もちろん、状況が変わる可能性はある。とくに、レイプの体験そのものが、ジョアンとコミュ ニティの生態学的な関係を変えることがある。たとえば、彼女が告訴を決めれば、弁護士に会うことになるが、その弁護士が、はっきりとそれはレイプであると 言い、心理的査定を受けるよう紹介するかもしれない。法廷の被害者権利擁護の人が、適切なサービスを紹介してくれることもあるだろう。彼女の体験したレイ プの状況と残虐性がコミュニティの誰かに知れて、ジョアンに援助の手が差し延べられ、そこから臨床的援助へとつながる可能性もあるだろう。しかしながら、 生態学的視点から言えば、ジョアンが臨床的援助につながる可能性、仮につながったとしてもそれが彼女の回復に役立つかどうかは、サラと比べれば、はるかに 当たりはずれのあるものになる。臨床的援助のあるなしより、ジョアンの回復は、それ以外の資源に大きくかかってくるだろう。

5.  回復への生態学的影響

レイプの直後、サラもジョアンも激しい苦痛を経験し、自己感覚や他者への信頼、世界観にひどい混乱 が生じたことだろう。生態学的視点から言えば、時間が経つにつれ、回復を支える他者や環境の違いが、多次元の回復領域における修正と復元力の程度の違い、 トラウマから回復へいたる道の違いとして現れてくる。サラは、被害にあったその夜、別の選択をすればよかったと考えては、自己感と自己評価をかき乱される 思いを経験するかもしれない。自分をレイプするような男に興味を持った自分を責め、彼が暴力的な男であると見抜けなかった自分を腹立たしく感じもするだろ う。そのうち、コミュニティのなかに、彼女が期待するほど断固として彼女の味方になってくれない人もでてくるかもしれない。たとえば、友人の少なくとも何 人かは、なぜ、なんとかしてレイプを防げなかったのかと思っていることが判明するかもしれない。家族のなかにも、学校の職員や警察のなかにも、彼女がどの くらいお酒を飲んでいて、その時の判断力が鈍っていたかを問う人がいることだろう。
サラは、ほとんど同じことを自問自答していたことに気づく。自分のことを心配してくれる人々に申し訳なくて、自分がまた前の状態に戻れるのだろうかと不安 に思うことだろう。しかし、結局のところ、サラを支えてくれる人々の多くは、彼女の経験がレイプであると理解できるので、彼女の苦痛を理解し、この一貫し た見解で支えてくれるだろう。彼女たちは、臨床的援助を受けてみるように励ますだろうし、サラもその勧めに従うことだろう。レイプ・クライシスのボラン ティアと話すことで、さまざまな医療および法的選択があることを理解し、選択の助けとするだろう。のちには、心理療法が自己感と自尊心を脅かす感情や記憶 を点検する助けとなるかもしれない。トラウマの記憶が侵入してくるのは症状のひとつであることを知り、少しずつコントロールできるよう治療を利用するだろ う。人一般、とくに男性に対して不信感と恐怖を感じるかもしれない。その場合、レイプ・サバイバーのグループに参加することで、他者を警戒したり、安全で 満足のいく人間関係を求めているのは自分一人でないことを理解するようになるだろう。心理療法の内でも外でも、このような目標をもって、肯定的な愛着と比 較的損なわれていない対人関係能力の蓄積を活かせるようになるだろう。そして、新たな人間関係をつくり直し、自分の経験を意味づけることができる。
レイプ後のジョアンの経験は、ずいぶん違うようだ。トラウマの記憶に襲われることを、ジョアンも身近な人も、レイプによって起こり得る感情的な反応として 理解できない。ジョアンは自分が傷ついたこと、怒っていることを知っているが、それがレイプだったのかどうかには確信がもてない。少なくとも、彼女の両 親、近所の人、友人たちがレイプと思わないことは確かだろう。両親は深く恥じるかもしれない。近所の人たちに知られたくないだろう。兄弟は加害者に腹を立 てるだろうが、危険な行動をとったジョアンにも腹を立てることだろう。ジョアン自身、傷つき、我が身を恥じている。
ジョアンも、サラのように損なわれた自己評価を修正し、対人関係を作り直し、自分の経験の意味づけをしなければならない。しかし、サラと違って、まずレイ プに対する新しい理解ができるようになる必要があるし、家族や近隣、教会に行き渡っているジェンダー構造に挑戦し、新しい社会的サポートと理解の資源をさ がさなければならない。そうするさい、彼女は、自分が保持している力を使って、自分がレイプされても仕方ないことをしたのだと仄めかす態度をきっぱりと拒 否する必要があるだろう。彼女の兄弟がその判断にアンビバレントではあっても、彼女の力を認め、彼女の勇気を褒めるなら、彼女の重要な資源となるだろう。 互いの関係を大事に思うチームメイトは、文化的妥当性から言えば、サラにとってフェミニストのコミュニティにあたり、これもまたはかり知れない資源の一部 となる。この仲間にレイプのことを話せれば、多くの人がそれをレイプだととらえ、彼女の苦しみに共感を示し、再び生活のコントロールができるよう励まして くれることがわかるかもしれない。さらに、チームにおける自分の地位を確認することで、ジョアンは、再び自分の肉体的力を感じ、スポーツに打ち込む力を少 しずつ取り戻していくだろう。気持ちを建て直すなかで、わずかながらあるコミュニティの資源を見つけ、公的なサポートによって回復を助けてもらえるかもし れない。たとえば、地域の弁護士事務所、法廷の被害者権利擁護プログラムなどである。こういったものがあって、活用できれば、彼女の回復が助けられるだけ でなく、その社会活動の成果や、彼女の経験をはっきりレイプと定義する州法によっても益することになる。

6.  介入と生態学的適合を構成するもの

生態学的モデルは、介入が成果をあげるためには、個々人の回復の文脈にうまく適合するものでなけれ ばならないことを示唆する。サラが利用できる臨床的援助は、この基準にうまく合うかもしれない。他方、ジョアンの回復に対する臨床的援助の適切さは、制限 されている。まず、彼女がいる地域のコミュニティに適切な資源があるかどうかわからないし、あってもその質はどんなものかわからない。さらに、ジョアンが 臨床的援助にうまく馴染めるかどうかを決定する生態学的要因も制限されている。レイプ被害から数週間、数ヶ月経てば、ジョアンのチームメイトによる援助と 法廷にある被害者権利擁護の側のアウトリーチの方が、彼女にははるかに有益で、生態学的適合を達成していることがはっきりするかもしれない。ジョアンの回 復には、文化に浸透しているジェンダー構造と個人的に対決し、あまりに馴染み深い加害者を支持するような信念の点検が、確実に必要である。ジョアンに新た な社会的サポートの道とレイプに対する新しい理解を提供するコミュニティ介入は、これを促進し、コミュニティと彼女の生態学的関係を決定的に変えるだろ う。それこそが有効な臨床的介入の唯一の道であるかもしれない。

4.臨床的介入と調査へのヒント

 生態学的モデルを念頭に置くと、ほとんどのサバイバーは複雑に入り組んだ世界に生きており、トラ ウマにいつも臨床的援助があるとは限らず、ない場合がほとんどであること、あったとしても臨床的援助はつねに有効とは限らないし、当てにならないことも多 いということを思い知らされる。サラとジョアンの事例は、多くの点で似た状況にあり、初めての単発トラウマの例である。二人の人種、民族の特徴を変えた り、あるいは子ども時代のトラウマ、大人になってからの殴打、深刻な物質依存の家族歴や差別、貧困、制度上の無視と個人間の暴力が日常的であるようなコ ミュニティに住んでいるなど、レイプされた女性の条件を変えていけば、彼女たちの回復への生態学的課題は、もっと複雑になる。どんな介入も、その有効性 は、その課題に適い、孤立感を減らし、当人になじみのある社会的文脈のなかで有効な対処法を促進できるかどうかにかかっている。

(1)生態学的視点から見て適切な臨床的介入の特質について

 有効な臨床的介入は、生態学的視点を入れた査定から始まる。トラウマからの回復の多次元的定義か ら言えば、損なわれた領域と、力として残っている領域の両方を特定する査定が重要である。回復と復元力の多次元的査定(Harvey et al., 1994)に基づいて治療計画を立て、被害者とコミュニティの関係に肯定的な影響を与える臨床的介入のデザインの基礎をつくることができる。多様な個人の 予後と回復にもっとも適した臨床的介入の特質は何なのか、はっきりさせるような研究が必要である。この特質には、介入の試みがなされるタイミング、設定、 目的と方法論が、そして、力のある部分を促進したり、損なわれた部分を修正するような特質、また、トラウマを受けた人の住む文化およびコミュニティの特徴 が含まれるはずである。生態学的枠組みでは、トラウマが生じた社会・経済・政治的環境は同じだけ重要だし、サバイバーが自分の経験を理解するうえでコミュ ニティが影響を及ぼすことに臨床家が気づいていることも重要である。有効な臨床的介入をするためには、トラウマ被害者がアイデンティティと意味づけを引き 出すより文化、人種、民族、言語的コミュニティに普及しているトラウマ理解、被害化と援助に対する理解について知っておく必要があるし、場合によっては、 それらに挑戦しなければならないだろう。

(2)社会変革とコミュニティ介入について

 臨床的援助を利用しない人、あるいはそこから利益を得られない人たちは非常に多いので、治療を受 けないサバイバーの回復の研究と復元力についてのコミュニティに根ざした研究が必要である。効果的なコミュニティ介入の努力もますます必要になってくるだ ろう。たとえば、幅広い人々に対してトラウマと暴力についての情報を与え、トラウマに続いて多くの心理的な反応が起こるが、それは正常であることを理解さ せるような公共教育活動は、臨床的介入の効果を高めるものである。ある人たちにとっては、これらの介入は、臨床的援助以上に高い効果をあげる。同様に、そ れぞれの成員の権利を擁護し、抑圧の政治的修正を目指す市民の人権グループ、子どもの権利擁護団体、フェミニスト・グループ、レズビアンとゲイの組織は、 被害化の経験の意味づけを変えるうえで、数年にわたる個人セラピーよりもずっと多くのことができるかもしれない。警察官による不適切な取扱をなくすための 法改正や、告訴弁護士、救急医療隊員も被害者の予後を助けることができる。臨床的援助という選択肢と競合する必要はないが、臨床的、コミュニティ的、社会 的介入といった幅広い範囲を捉える視点が必要である。

5.要約

 生態学的視点からトラウマを見るとき、トラウマ後の反応と回復パターンは、人・出来事・環境の3 要因が複雑に作用し合って決定されると考えられる。生態学的モデルは、サバイバーを、臨床的介入を受けた人、受けない人、さらに、それぞれについて、回復 した人、していない人の下位グループに分ける。どのグループにも、臨床調査、コミュニティ調査に固有の問題提起を行い、異なった課題がある。とくに、私た ちがふだんほとんど会うことのない人々のことを知っておく必要がある。それは、専門的援助なしに回復した人、専門的援助が必要なのに、得られず回復してい ない人である。
 生態学的モデルは、トラウマからの回復は多次元的であること、臨床的援助のない回復もあることを認め、個人の持つ復元力、環境の役割、自然な援助、適切 なコミュニティ介入などにも目を向ける。これらの介入は、現在、治療を受けておらず、おそらくは孤立したまま苦しんでいるサバイバーの回復を促進するうえ で重要だし、トラウマを引き起こす暴力的な出来事を減らすうえでも重要である。

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注)本論文は、Plenum Publishing Corporationの許可を得て、"Journal of Traumatic Stress, Vol.9, No.1"より翻訳転載しました。

『女性ライフサイクル研究』第9号(1999)掲載

1999.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第9号(1999年11月発行)

特集《女性のトラウマと回復》


report09.gifトラウマは一般に「心的外傷」と訳されます。「心のケア」が叫ばれて以来、テレビや新聞でたびたび耳にする言葉となりました。
本特集では、女性の抱える様々なトラウマに焦点を絞り、その実態とメカニズムを明らかにし、より有効な援助法を模索すべく、多方面にわたる方々に執筆頂いています。

〈内容〉



1 女性の傷つきとその回復─事例編

ひらめ-童話による外傷、童話の内容とそっくりの人生を歩んだ人
もう虐げられない-夫による精神的暴力を受けた妻の記録
暴力による心の傷とそこからの回復-Aさんの事例を通して

2 女性の傷つきとその回復─理論編
ドメスティック・バイオレンス、一体何が起こっているのか
ドメスティック・バイオレンス-「男性のための非暴力プログラム」の取り組みについて
夫婦間における言葉の暴力とトラウマ
トラウマをもつ人のカウンセリングにおける中立性の問題

3 傷ついた女性とコミュニティ─危機介入
男性から女性への暴力-「女性サポートダイヤル」の取り組み
被害者への心理的援助-電話相談の経験から
自分の限界を知って息の長いサポートを-性暴力を許さない女の会と支援のあり方


4 傷ついた女性とコミュニティ─共生
ドラッグ・アルコール依存、家庭内暴力からの解放
女性のトラウマと宗教との関わり-その明と暗
トラウマに対するセルフヘルプグループと専門家アプローチの違い

5 社会制度と被害者支援
性暴力被害者に対する社会の動き-特にこの1年を振り返って
刑事手続きにおける犯罪被害者の尊重


約170頁

〈掲載論文〉
生態学的視点から見たトラウマと回復
ハーバード大学臨床心理学助教授/ケンブリッジ病院暴力被害者治療プログラム主任メアリー・ハーベイ(村本 邦子訳)
女性のトラウマと回復 村本邦子

4冊セット販売(第4、5、8、9号):1,000円(送料サービス)
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1999.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
娘に女性としての自分を投影する母親たち(1999年)

子育て情報センターKANAGAWAまいんどブックレット64号』(1999年)より

                                            村本邦子

  • 娘は息子より貴重?
  • 母娘関係は永遠のテーマ
  • 母娘関係は生まれた時から始まる
  • 母親は娘に女性としての自分を投影する
  • 母親ばかりが子育てを担っていることから生じる問題点
  • 娘は母親のケア・テイカー(情緒的な世話役)になりやすい
  • 母親は自分の人生をあきらめ、娘に自分の代理を期待してしまう
  • より良い母娘関係のために


娘は息子より貴重?


 かつては、跡取りを生まなければならないというプレッシャーから、男の子が望まれたものですが、今時は、娘が望まれ、娘の方が貴重なのだそうです。「女の子は、髪をゆったり、かわいい格好させて着飾ってあげられるから楽しみ」「息子は結婚してしまえば終わりだけど、娘なら、いつまでも自分のそばにいてくれる」「息子の嫁に介護されるのは耐え難いけど、自分の娘なら安心して面倒見てもらえる」などというのが、その理由だとか。女性を貶める価値観が変化したことは喜ばしいことですが、娘が望まれる背後には、娘なら、母親の気持をわかってくれ、いつまでも自分のものでいてくれるという期待があるようです。

 親が夢を膨らませ、子どもに期待をかけることは、ごく自然でほほえましいことには違いありませんが、行過ぎた期待は、子どもにとって迷惑なもの。まだ若い独身の女性が、「娘ができたら早くから英才教育をして宝塚にいれる」と言うのを耳にしたり、まだ生まれもしない娘のために、フリルでいっぱいのドレスを何枚も買ってしまってあるという話を聞いて、人事ながら将来を心配してしまう私がいます。そもそも、娘が生まれなければどうするんだろう?仮に娘が生まれたとして、娘がそれを嫌がったらどうなるんだろう?

 それと言うのも、日々、女性のカウンセリングに携わっていて、母娘関係のこじれをテーマにした相談を聞くことが、あまりに多いからです。

母娘関係は永遠のテーマ

 「母は時々、私を傷つけた。私は、良いお母さんになりたかった。それなのに、ふと気がつくと、子どもに罵声を浴びせ、私が一番嫌だった母と同じことをしている。」「お母さんに甘えたい。お母さんに認めてもらいたい。お母さんじゃなきゃダメなんです。」「母は、ありのままの私を愛してくれなかった。母に愛してもらうために、私は一生懸命、理想の娘を演じてきました。」「仕事も夫も、お母さんの望むように選んできたのです。このままでは、私の人生ではなく、お母さんの人生になってしまう。」「お母さんが怖いんです。どこまで逃げても追いかけてくる。」

 30代、40代、時には50代になっても、女性たちの悩みの中には、母との関係が顔をのぞかせます。女性のライフサイクルに添って、女性の視点で女性をサポートしようと研究所をスタートさせて十数年。日々のカウンセリングを通じて出会う女性たちの悩みはさまざまですが、母娘関係だけは永遠のテーマと言いたくなるほど、どの世代の女性にとっても、普遍的な問題です。娘として母のことを考えると、いろんな不満を感じるけれども、母として娘のことを考えると、自分が娘の人生にどんなに大きな影響を与えているのか、怖くなる・・・。

 子育てをするとき、母たちは、母としての理想を、自分の母を基準にしてつくりあげますが、描いた理想と比較して、自分の母親ぶりに満足する母は残念ながら少数です。「母みたいなお母さんになりたい」と思っていた女性たちは、「母みたいなお母さんには到底なれない」と感じ、逆に、「母みたいなお母さんにはなりたくない」と思っていた女性たちは、「母みたいなお母さんになってしまった」と感じるのです。

 本当は、自分の母親のようなお母さんだろうと、自分の母親とは違ったお母さんだろうと、自分らしいお母さんであれば、それで良いのですが、娘がつねに、自分の母親との関係のなかで自己定義していくとところに、母娘問題のテーマがあります。

母娘関係は生まれた時から始まる


 オギャーと生れ落ち、「お嬢さんですよ」の声を聞いた瞬間から、母娘関係はスタートします。生まれる前から女の子だとわかっている場合もあるでしょうし、女の子だと決めつけている場合もあるでしょう。いずれにしても、それが現実のものと確認された時、あなたは、最初に何を思ったでしょうか?

 喜んだ人、がっかりした人、さまざまでしょう。自分の理想だったお嬢さま、奥さまコースを歩ませたいと空想する人もいれば、大きくなってから、二人でおそろいの服を着たり、交換したりする仲良し母娘を夢見る人もいます。娘が生まれた瞬間、「これで、老後の面倒を見てもらえる」と思ったという人もありましたし、「この子も自分と同じように、社会のなかで差別され、性暴力の危険に晒されて生きていかなければならないのかと苦しくなった」と言った人もいました。

 私自身のことをお話しますと、娘が生まれたとき、私は、なぜか、「この子には仕事を持ってちゃんと生きていって欲しい」と思いました。同時に、そんな自分をおかしく感じ、笑ってしまったのです。最初に息子が生まれたとき、私は、彼の将来を勝手に空想することはありませんでした。「どんな道であれ、責任を持って自分の人生を歩んで欲しい」と思っただけです。それが、娘には、仕事への期待が生まれたのです。

 ちょうどその頃、私は、自分がどんな形で仕事を続けようかと迷っていました。上の子が生まれてからは、週一日だけ非常勤のカウンセラーをしていたのですが、娘を生むときに産休がとれず、いったんやめざるを得ませんでした。子育てを中心にして、適当な非常勤の口を見つけるのがいいか、それとも、自分のペースで仕事を続けられるように、部屋を借りて開業するか悩んでいました。子育てしながら、女性がフルタイムで仕事をするのは、まだまだたいへんです。うちは核家族で、子どもが病気をしたときにあてになる人もいませんでした。

 そんな私が、娘を産み、娘には、仕事をする女性を望んだのです。これは、私自身の願望だったと思います。そんな自分に気づいて、私はしっかりと仕事を続けていく覚悟が決まりました。危ない、危ない。もしも、私が、自分自身の仕事をおろそかにして、子育て中心の生活を送るなら、仕事する女性という自分の理想を、娘に押しつけてしまったことでしょう。「自分の夢は娘に期待するのでなく、自分自身が生きなければならないのだ」と腹を括った私は、3ヶ月の娘を抱えて部屋さがしをし、女性ライフサイクル研究所を立ち上げたのです。

母親は娘に女性としての自分を投影する


 基本的に同性であるということは、同じだからよくわかるという気持を強めます。母親は、男の子については、よくわからない部分があることから、自分とは別個の他者として尊重する姿勢を持つことができます。それに対して、娘には、娘が通る道は、自分も通ってきた道だから、よくわかるという思いを抱きやすくなります。娘は同性であるがゆえに、母親は、そこに、女性としての自分を投影しやすくなるのです。それは、そんなふうに生きたかったけれど、生きられなかった自分であり、自分が生きることを早々にあきらめた人生、これまでの自分の人生をリセットして、
娘として新たに生まれ直し、再出発したいという願望かもしれません。

 父親が息子に、母親が娘に、自分の理想を託す、期待するということを、一概に否定することはできませんが、それが過剰になれば、子どもたちは、自分の人生を生きることができず、親の代理人生を生きさせられることになってしまいます。子どもが親の期待に応えられない場合、親は、やむなく、自分の理想を修正し、少しずつ、ありのままの子どもを受け入れるようになっていくでしょう。

 でも、小さな子どもは、まだ、自分自身の価値判断ができませんから、一定の年齢までは、親の言うまま、思うままに成長するかもしれません。子どもの方が、親の期待に応え続けることができてしまった場合、むしろ、後になって、母娘関係の修正が大きな課題になります。母娘関係のこじれが表面化するのは、多く、娘の思春期です。子どもは思春期になると、親から独立した自分を築くために、反発し始めます。この時期、親子関係が葛藤に満ちたものになることは、ごく自然なことですが、これをスムーズに乗り越えるためには、子どもの小さいうちから、親の方が、ちょっとした心構えをしておくことが大切なのではないかと思うのです。

 それは、娘は自分ではない、娘は自分とは別の独立した人格なのだということを認めることです。父と息子にも同じことが言えるのですが、母親ばかりが子育ての大半を担っているという現実は、母娘関係にとりわけ困難な問題を引き起こします。

母親ばかりが子育てを担っていることから生じる問題点


 人と人とが関わりあうとき、関わりの時間が長ければ長いほど、大きな影響を与えることになるのは必然です。もちろん、人生には、誰かのたった一言によって人生が大きく変わったというようなことはあるかもしれません。関わった時間と影響力がきれいに正比例するというわけではないでしょう。それでも、一般的には、長い時間をともに過ごした人から受ける影響は大きくなるはずです。ましてや、人格形成の基礎がつくられる人生初期に長い時間を一緒に過ごす人々から受ける影響力は大きくて当然です。

 子育てを母親一人が担っているという状況において、母親が子どもに絶大な影響を与えることになるのも無理はありません。子どもにとって母親が重要だから、子どもが母親から多大な影響を受けるのではなく、母親ばかりが子育ての大半を担っているという現状のために、子どもが母親から多大な影響を受けるのです。「子どもにとって母親は絶対的存在。責任を持って、しっかり子育てして」というのは、むしろ逆だと思います。母親が一人で責任を負えば負うほど、子どもにとって絶対的存在になってしまうでしょう。

 そもそも、「自分が誰かの人生に絶対的な影響を与えることができたら、その人は立派な人間になること間違いなし」と言えるほど、自分に自信を持っている人などいるでしょうか?母親であってもなくても、みんな欠点だらけの人間です。人格の土台が形成される幼少期、子どもたちがいろんな人から影響を受け、その中から、自分なりの個性を育んでいける方がよいのだと思います。

 愛着理論で有名なボウルビィは、一人の養育者より、複数の養育者が子育てに関わる方が、子どもは安定した人格を形成すると言っています。大家族での子育てや、保育所を利用した子育てでは、努力せずとも、母親以外の大人が子どもと接する時間が確保されますが、専業で母役割をこなしている場合、これには努力が必要になってきます。子育ての負担を一人で抱え込むのでなく、夫や家族、友達や近所の方々に子育ての一部を担ってもらうよう、子育ての責任を手放す必要があるのだと思います。

 現状としては、母親が子育ての大半を担い、その母親は娘に自分の理想を投影するのですから、ますます、母と娘の間の距離感はなくなっていきます。それだけに、娘は、母親と違う自分らしさを育てていくことが難しく、思春期以降の課題となる分離独立のプロセスは困難になります。

娘は母親のケア・テイカー(情緒的な世話役)になりやすい


 母娘関係が困難になる理由は他にもあります。それは、母親たちが娘に望む期待のなかにも潜んでいます。母親たちは、「娘は母親の気持をわかってくれ、いつまでも自分のものでいてくれる」と期待する傾向があります。


 最近では男女平等が進み、男の方が虐げられているという意見まで耳にするようになりましたが、少なくとも、子育ての現場で、「女の子はやさしく」という規範は、まだまだ健在です。男の子が自己主張することは奨励されますが、女の子が主張すると、わがままだとレッテルを貼られることが多いものです。男の子に対してより、女の子に対して、人の気持がわかる優しい子であって欲しいという期待が強くなるのです。

 このような規範のもとで育てられた女の子は、男の子と比べ、他者の気持に敏感で、場に対する配慮をすることが得意です。しかも、女の子は、同性である母親をモデルに成長しますから、家族の中で、ほとんどの場合、ケア・テイカーの役割を担っている母親をまね、男の子よりも感情面に敏感に反応します。こうして、母親の気持がよくわかる娘がつくられていきます。娘は、「お母さんを喜ばせてあげたい」という気持が強く、母親の良い娘になろうと努力することでしょう。

 大人になってから、子ども時代、母親のカウンセラー役をやらされていたと語る娘たちがいます。靖代さんもそうでした。父親から怒鳴られながらも、祖父母に仕え、家事をこなす母親がかわいそうで、子ども時代、ずっと、母親の愚痴を聞いてあげていたそうです。具合が悪い時でも、学校で辛いことがあった時でも、母親に心配をかけたくないばかりに、自分のことは話さず、聞き役に回って、母親を支えていたのです。

 今は思春期の娘、鏡ちゃんは、小さい頃から、母親にあちこち引っ張り回されたことが嫌だったと語ります。本当は、あちこち出歩くより、家にいて、のんびり絵を描いたり、本を読んだりして過ごす方が良かったのです。鏡さんの母親である秀子さんは、小さい頃、よその家と比べて、あまり遊びに連れていってもらえず、寂しい思いをしてきました。将来、子どもができたら、あちこち連れていってやりたいと思い、鏡ちゃんが生まれてからは、休みともなれば、張り切って、あちこちの遊園地や百貨店に連れて行き、娘が喜ぶ顔を見ることに満足を得ていたのです。鏡ちゃんは、思春期になるまで、母親の機嫌を損ねるのが怖く、また、母親を喜ばせたいがために、自分の本当の気持を抑え、母親に合わせてきたそうです。

 人の気持がわかるやさしい子であることは、決して悪いことではありませんが、過剰になると問題が生じてきます。親が子どもの世話をしなければならないのに、子どもの方が親の感情の世話をするというのでは、役割の逆転です。いつもいつも、自分の気持を抑え、他者の感情を優先してばかりいると、うまく自己を形成することができなくなってしまいます。

母親は自分の人生をあきらめ、娘に自分の代理を期待してしまう


 他にも困難があります。世間では、母親になったからには、自分のことは後回しにして、子どものことを最優先して尽くすことに喜びを見出すものだという考え方が氾濫しています。これは、誤った考え方です。いつもいつも、自分のことを後回しにする人間は、自分の主体的な人生を生きることができません。自分の人生を生きることのできない人は、誰かの奴隷として生きるか、逆に、知らず知らずのうちに、誰かを奴隷のようにして生きることになってしまいます。


 すでに見たように、母は娘と一体化し、距離感を失ってしまう傾向が強いことから、「娘のために」という大義名分を振りかざして、娘に自分の代理人生を期待してしまうかもしれません。ただひたすら子どものためにと頑張っている時の気持は純粋なものだとしても、人は、エネルギーを注いだものには、どうしても見返りを期待してしまうもの。子どもが思うような成果を見せてくれないとき、または、子どもが母親の価値観に挑戦してきたとき、「あなたのためを思えばこそ・・・」「子どものために、これだけ一生懸命やったのに・・・」の言葉で、将来、子どもを脅迫してしまわないでしょうか。

 弥生ちゃんの母親、公子さんは、ピアノをやりたかったという夢を娘に託し、弥生ちゃんが小さい時から、音楽の英才教育を施しました。弥生ちゃんは、公子さんの期待に十二分に応えて、メキメキと腕を上げ、毎年、コンクールで賞を取り続けました。公子さんの夢は膨らむばかりでしたが、弥生ちゃんは、大学を選ぶ段になって、母親に反発し始めたのです。弥生ちゃんが、「音楽は趣味にしたい。受験は勉強で勝負する」と言い切った時、公子さんは全身の力が抜けたと言います。家計を切りつめ、安くないレッスン料を繰り出し、車で送り迎えしたこれまでの苦労はどうなるのでしょう?しばらくの間、二人は大きくぶつかり、へとへとの状態が続きました。

 公子さんの話を聞いて、私が感心したのは、公子さんが、最後には、娘の言い分を認め、「これからは、娘に期待するのでなく、自分の人生を一生懸命に生きよう」と決意されたことです。公子さんは、自分が家庭に入ってしまったことを後悔し、娘には、社会で活躍して欲しいと願っていたのですが、この後、大学院に入学し、現在は専門職として働いています。

 幸か不幸か、ある程度まで、母親の期待に応えることができてしまった娘たちは、どこかで壁にぶつかります。それは、息切れしてきて、これ以上、母の期待に応え続けることはできないと自分の力に絶望したときや、これまで母親の言うとおり打ち込んできたけれど、本当は自分のしたいことではなかったと気づいたときかもしれません。子どもが小さいうち、問題は表面化しないことが多いものですが、思春期に衝突が起こります。

 すべての母親たちが、公子さんのように、最終的に娘の主張を受け入れることができれば良いのですが、「これまでこんなにしてやったのに」「この親不孝者」などと恨み言を言ったり、「あなたは間違っている。お母さんの言うことを聞かなければ、ろくなことはないよ。」などと脅したりしてしまって、関係がこじれてしまうケースは少なくありません。そこで娘の方が自己主張をあきらめ、自分の人生を生きることを放棄してしまうなら、問題を先に持ち越すだけです。逆に、娘が、本当に自分の人生を生きるためでなく、ただただ母親への反発から、母親のもっとも嫌がる選択をしていくと、娘は、自分で自分を苦況に陥れるようなことになってしまいます。

 自己犠牲というのは一見美しく見えますが、自分の人生をすっかり投げ出した自己犠牲は、問題です。ちょっと不気味なたとえですが、自分の人生を生きずして、子どもに代理人生を期待する母親とは、寄生虫や寄生植物のように、他人の生き血を吸って、自分を大きくしていくという危険性を孕んでいるのです。

より良い母娘関係のために


ここで、母娘関係の特徴と問題点を整理しておきましょう。


①母親ばかりが子育てのほとんどを担っているために、母親の影響力が絶大になる 

②同性であるがゆえに、母親は娘に女性としての自分を投影しやすい
③女性は他者の感情に敏感であるよう育てられるため、娘は母親のケア・テイカーになりやすい
④母親は自己犠牲を求められるため、自分の人生を放棄して、娘に自分の代理を期待してしまう 

最後に、それぞれの特徴から生じる問題をクリアするために、今からできる工夫をアドバイスしておきたいと思います。

① 自分だけで子育てを担うのをやめよう。


 子育てを自分以外の大人に任せる時間をつくりましょう。どんなに立派な母親だとしても、365日24時間、いつも一緒に過ごすのは過剰です。夫、家族、友人、保育ママさん、シッターさん、誰でも構いませんが、誰か他の人にすっかり子育てを任せてしまう時間を確保しましょう。近所の子育て仲間と子どもの預け合いっこしたり、育児サークル、子育て広場など、集団の場に入るのもひとつです。

② 娘は自分とは別個の存在であることを忘れないようにしよう。


 「娘のことは私が一番よく知っている」「娘の幸せは私が決める」という考えは捨てましょう。女同士でも、理解できないほど自分とはかけ離れた人たちがいたことを思い起こしましょう。わが子と言えども、自分とは性格も好みも違う別個の人間であることに目を向けましょう。

 小さな娘が自分と違う選択をしたとき、それを尊重しましょう。たとえ、娘が自分の趣味とは違う服や靴を選んだとしても、「それもステキね!」と認めてあげるのです。娘が自分には思いもつかない発想をしたとき、「○○ちゃんは、おもしろいこと考えるのね。お母さんには、そんなこと思いつかないわ!」とほめましましょう。娘が母と違った価値観を持ってもオーケーなのだというメッセージを伝えることができます。

③ 娘をケア・テイカーにしない。


 小さい娘に自分の苦労や辛さを訴えることは控えましょう。子どもはお母さんが大好きですから、ただでさえ、母親を気遣い、心配します。たとえ、現実に困難を抱えているときでも、「今、お母さんは他のことで手一杯で、あなたに十分にかまってあげられずに、ごめんなさいね。でも、心配しなくても大丈夫だから。」と、子どもの安心を保証することが大切です。

 たいへんなときには、夫、友人、家族など、支えてくる他の大人に援助を求めましょう。

④ 娘に代理人生を期待せず、自分の望みは、自分でかなえよう。


 自分がやりたかったことを娘に託すのでなく、自分のやりたかったことは、自分でやりましょう。望みがそのままの形で叶うことはまれでしょうが、現実のなかで折り合いをつけ、今の自分にできることを考えてみましょう。

 子どもがいない時間、子どもが寝ている時間に、家事を片付けてしまうのも良いでしょうが、毎日30分でも、1時間でも、自分自身のために使う時間を確保しましょう。日記をつける、本を読む、勉強する、絵を描く、ピアノをひく・・・何でも構いませんが、子どもに直接関係ない自分の好きなことのために時間を使いましょう。子どものために自分の人生を犠牲にしたなどと恨みを持たずにすむよう、たとえ家事の手抜きをしたとしても、自分のために使う時間を作ることが大切です。

 大切な娘と末永く良い関係が持てたらいいですね。

1998.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
今、子どもたちの心と社会は

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 「ムカつく」「キレる」などという言い回しが新聞紙面に登場し、理解不可解な今の子どもたちを形容する枕詞にさえなったようだ。しかし、「今時の 子どもたちは......」という言い回しは、非難のニュアンスとともに、いつの時代にもあった。いつの時代でも、子どもたちの心が見えないのは、それを見ようと しないからだし、子どもたちの声が聴こえないのは、それを聴こうとしないからではないだろうか。
 私は60年代を子どもとして過ごし、70年代に思春期を迎え、大学時代は家庭教師として子どもたちと関わった(週8軒回ったりしていたから、6年間の学 生生活で30人以上の子どもたちと関わった)。その後は、思春期外来で子どもたちと会い、子どもを産んで、我が子や周囲の子どもたちともつながっている。 とにかく、途切れることなく、つねに子どもたちと接点があったが、いつの時代も子どもは一緒というのが、私の実感である。たしかに、時代の変化とともに、 表に見える子どもたちの姿は大きく変化したが、子どもたちが感じること、考えることは、私たちの時代と、それほど大きく隔たっているようには思わない。
 本特集は、見えにくい子どもたちの心を見ようとし、聴き取りにくい子どもたちの声を聴こうとする試みである。「今時の子どもたちはわからない」という言葉が、子どもたちを理解することへの拒否でなく、わかりたい、わかろうとする謙虚さへの出発になることを願っている。
 章外だが、トップ・バッターは、アフリカから徳永瑞子さんである。徳永さんのことはご存知の読者も多いだろうが、NGO「アフリカ友の会」の代表として 中央アフリカ共和国に滞在し、エイズ患者の支援活動をしている助産婦/看護婦さんである。今回は、おもに彼女の3人の子どもたちのことが書かれてあるが、 場所が変わっても、やはり子どもは子ども、世界中一緒であることを、まず知ってもらえたらと思う。診療所を駆け回って仕事の補助をするというポールくんに 社会性がないなどとは思えないが、将来のために教育をと願う徳永さんの親心、それを解せず我が道をいく思春期の子の関係は、日本の親子とそっくり同じじゃ ないかとほほえましかった。一方で、アフリカの子どもたちのおかれている状況の厳しさは、想像を絶するものがある。世界の政治経済を私たち個人が今すぐど うにかすることはできないけれども、通信や交通の発達に伴ってアフリカが決して遠い国でなくなった今、私たちはせめて世界で起こっていることに関心を持ち 続けたいものだ。
 さて、第一章は日本の教育への疑問から始まる。服部さんの義務教育カルト論は、初めての方にはいささかショッキングかもしれないが、けっして、読者の皆 さんを混乱させようと意図しているわけではない。子どもの問題が言われだして久しく、さまざまな対策が取られながら、いっこうに変化の兆しが見られないの は、そもそも、学校が建てられている土壌に目を向けてこなかったからだと考えれば、得心するからだ。この章の書き手たちのように、学校内部で真摯に頑張っ ている先生やスクールカウンセラーがいることは重々承知しているが、彼らが子どもの心に寄り添おうとすればするほど、さまざまな矛盾や葛藤に苦しむことに なるというのが現状のように思う。「どうか自分を責めないで。学校だけに囚われず、学校の外の世界とつながることが力になる」と伝えたし、のである。こう いった新しい流れのなかで、周囲の大人たちに支えられながら、国連でプレゼンテーションを行った桂高校の荒井さんたちの答辞は生まれてきたのだと思う。こ こに、本当の教育とは何かを考えるさいのヒントが隠されているのではないだろうか。
 第二章は、日々子どもたちの声に耳を傾けているカウンセラーたちの見た子どもたちの姿であり、子どもたちの声の代弁でもある。これらを読めば、一般には 理解しにくい子どもたちの心身症、不登校、キレる、ダべる、引きこもり、性の悩みなどの現象の意味がよく見えてくるのではないだろうか。「今時の子はわか らない」という大人のぼやきは、子どもたちには、拒否と見捨てられを意味しかねない。子どもは、いや大人だって、他者から自分の生に意味を感じてもらうこ とを求めているはずだ。誰かから関心を注いでもらうこと、自分の言葉(時には言葉なき言葉)に耳を傾けてもらうこと、そして理解されることがなければ、私 たちは生きていくことはできないのである。
 ただし、ここで私の立場からは、植田先生の「哺乳類の母」と「父親の役割」への反論だけはしておかねばと思う(植田先生、ごめんなさい!)。子育てが一 人より二人で行われる方が負担は少なく、その場合、伝統的な母役割と父役割が二人の間で役割分担される方が効率はよいのだろうし、その役割を、そのまま産 みの母と父が担うということは実際、数として少なくないかもしれない。それでも、これを生物学的なものと前提してしまうことの弊害を私は嫌というほど見て きた。詳しくは拙著(『しあわせ家族という嘘』創元社)で論じたが、母性が必ずしも「母親の体内から、自然に湧き出て」くるとは限らないし、これらの前提 に従わない親たちの罪悪感を煽る。「こういう議論を聞くたびに、どうせ自分はだめなんだ、実の両親に育てられてないんだから、と少々すねた気持ちになるん ですよ」とおっしゃった方もあった。「子どもはそれぞれ違う」を延長すれば、「大人だってそれぞれ違う」に行き着くはずだ。
 第三章は、子育てを親の責任に還元していくよりは、社会に開き、コミュニティが親子支援をしていく方向性への提案である。岩堂先生のおっしゃるように、 地域共同体が崩壊し、育児において母親の責任が強調されすぎたことからくる歪みを修正するうえで、今後、コミュニティに開かれた子育ては不可欠である。 「学校カルト論」と同じく「家庭カルト論」もあり得るわけで(実際のところ、虐待が起こる家庭を知れば知るほど、それが小さなカルトであることを感じ る)、もっとも危険なのは、家庭の閉鎖度が高いことだと感じている。どんなに立派な親であってもただの人、だからこそ抱える偏りの弊害を減らすためにも、 佐藤さん、松浦さんたちが試みている保育のように、外から風が吹き込む窓があることは救いになるはずだ。こんな支えがあってこそ、親も子も(保育者も同じ らしい)成長することができる。伊藤さんの提起は、たとえどんなに親が立派でも、子どもを支えるうえで限界があるということを示唆してくれる。吃音はひと つの例だが、親がどんなに子を肯定できたとしても、子の個性を社会が認めてくれない限り、子は人生の発達課題を達成することができないのだ。親子丸抱えで 受け入れてもらえるセルフヘルプ・グループが有効なゆえんである(『女性ライフサイクル研究6号、特集セルフヘルプグループ』をご覧ください)。
 第四章では、大人の人生と子どもたちとの関係を考えてみた。子どものことを考えるさい平井さんのように「生まれなかった子ども」にまで想いを馳せるの は、女性ならではかもしれない(このような視座を共有してくれる男性があるかもしれないとほのかな期待を持ちつつ......)。この章から読み取れるのは、子ど もの命や生が、大人の選択によって決定されていく現実だろう。その責任の重さを直視しつつ、私たちはどう生きてきたかが問われ、姿勢を正さざるを得ない気 分になる。子どもとの関わりを通じて私たち大人の生きざまが問われるのだというテーマは、当研究所が一貫して抱えてきたものである。
 さて、第五章では、社会に眼を向けてみた。少年事件のたびに新聞を賑わす「少年非行の凶悪化」は、津富さん、小松さんによれば、どうやら嘘らしい。マス コミの報道に乗せられて安易な結論を出すことで、子どもたちの本当の姿を見誤らないよう注意したいものだ。子どもたちの本質は変わらない、問題は大人たち の側にあり、子どもたちは大人社会を映し出しているだけだろう。大人の過ちを子どものせいにするということを、私たちは長いこと繰り返してきたが、自分た ちの失敗を認め、子どもたちを守り育む責任を果していかなければと思う。そのさい、砂川さんが提起してくれた保護と自己決定の双方をよく考える必要がある のだろう。エクパットの活動は、その試みそのものかもしれない。子どものことを考えるうえで、私たちの身近な子どもたちだけでなく、日本の外へも眼を向け る必要性を感じる。なにしろ、わが国は、子どもの商業的性搾取にかなりの程度、加担してきたわけだし、そんな大人の姿を子どもたちはじっと見ているのだか ら。
 最後になりましたが、いつも温かく応援してくださっている皆様、原稿を寄せてくださった皆様、表紙とイラストを描いてくれるJunさん、パソコン編集のいのきえみさんに感謝したいと思います。

『女性ライフサイクル研究』第8号(1998)掲載

1998.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
『女性ライフサイクル研究』第8号(1998年11月発行)

特集《今、子どもたちの心と社会は》


report08.gif「今時の子どもたちは...」という言い回しは、非難のニュアンスとともにいつの時代にもありましたが、子どもたちの心が見えないのは、それを見ようとしないからですし、子どもたちの声が聴こえないのは、それを聴こうとしないからではないでしょうか。
本特集では、見えにくい子どもたちの心を見ようとし、聴き取りにくい子どもたちの声を聴こうと、現在、様々な立場で子どもの問題と関わっている方々にご執 筆いただき、子どもの視点から子どもの心をみつめ、子どもを取り巻く学校や社会の問題を捉え直しています。ぜひ、ご一読ください。

〈内容〉


1 学校と子どもたち
教育とマインドコントロールの違い
学校内の体罰と子ども
学校について、自分について
中学校でのスクールカウンセラーのまとめから
子ども代表として国連子ども権利委員会に報告して

2 相談に訪れる子どもたち
大好き!!お母さん~小児科相談室で出会う子ども達
思春期外来の子どもたち
子どもが引きこもるとき
思春期相談を通じて思うこと

3 コミュニティーと子どもたち
カナダで学んだ「アドボカシー」と「ピアペアレンティング」
子どもが子どもとして生きるために
保育ルームで出会う子どもたち
吃っているそのままでいい~吃音親子サマーキャンプ

4 大人の生き方と子どもたち
生まれなかった子ども
一人っ子、子どもたちに問う
現代女子高生見聞録~関係性の中で生きる彼女たちの声から
子どもの良心の発達を考える~仲間関係に対するアプローチから

5 社会と子どもたち
非行少年
すぐ「キレる」こども? おとな?~弁護士付添人から見た、少年非行をめぐる近時の状況について
保護することと個を認めること
子どもの性的虐待・搾取~日本の課題


約200頁 315円

〈掲載論文〉
今、子どもたちのこころと社会は 村本邦子

4冊セット販売(第4、5、8、9号):1,000円(送料サービス)
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1997.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
中年期の女性の課題

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 ここ数年、私自身、中年期を自覚するようになった。年齢を考えてというよりは、体の変化、子どもとの関係、夫との関係、それから仕事などが、それを感じさせる。
 体のこと。私はもともと元気なタチで、よく食べてよく眠るし、肩凝りとか腰痛とかとは無縁だった。それが、すぐ、体に出るようになった。ストレスが高ま ると、どっと白髪が増える、胃の具合が悪くなる、頭痛がする、眠りにくくなる、肩や背中が凝ってくる。どうやら、これらは私のストレスサインで、「もっと 自分を大事にして暮らしなさい」と赤信号を送ってくれるようだ。ふと、これまで、私は本当に元気だったのか、もしかすると単に鈍感だっただけではないのか とも思えてくる。病気がちの人、病気を抱えながら生きている人たちにとっては当たり前のことなのだろうが、私にとって、これらの体の変調は、老いとしてだ けでなく、年齢とともに、自分の体としっくりやれるようになったこととしても感じられる。
 子どもたちも成長し、物理的な世話はぐっと減った。まだまだ、気にかけなければならない面もあるが、それぞれに、自分の世界を持ち始めている。ある種の 一体感は失われ、子どもたちも、一人の別個の人として生き始めているような気がする。夫との関係も、10年が過ぎ、10年ひと昔と言うけれども、ひとつの 時代を共にしてきた感慨もある。互いに必死ではあったけれどわがままなぶつかりあいを経て、ようやく、少し平和で穏やかな基盤を得たようにも思う。期待、 断念、現実、そして受容と尊重と......
 おかしな話だが、ようやく、本当に仕事をしようという気持ちになったことも大きな変化だ。長いあいだ、私にとって、仕事とは、現実の生活を支える必需品 という意味と、おもしろいことという意味の二つしがなかった。私には、仕事が多分に自己中心的な動機に基づいていたように思うのだ。ところが、こうして仕 事を続けてきて、今では、自分を社会にいかすという意味が付け加えられ、エリクソンのいう「世代性」という概念を意識するようになった。「世代性」とは、 次世代を確立させ、導くことへの関心、自己愛的なあり方から、もっと人類的な次元へと関心を拡げていくことを示している。ようやく、自分が本当に大人に なったような気がする。
 さらに、自分を歴史の流れに位置づけられるようになったのも変化である。子どもの頃、両親の子ども時代や戦争の話を聞いても、それは、おとぎ話のように 現実離れした「昔々、あるところに......」の物語のようなものだった。30年も40年も生きていると、歴史的な大きな出来事もいくつか経験するし、今から 50年前、60年前が、どの位のところにあるのか、大方の見当がつく。歴史の教科書に出てくる出来事が、バラバラの断片としてでなく、自分のいるこの現在 と連続した時間軸にあるのだということが、ようやく実感できるようにもなった。
 同時に、前の世代への思いも沸いてきた。どちらかと言えば、私はこれまでずいぶんと不遜で、誰かからアドバイスをもらってうまくやるより、自分の思うよ うにやって失敗することを好んだ。自分の体で納得しなければ、どうにも満足できなかった。今は、人生の先輩たちから学び、それに連なっていきたいという気 持ちが出てきた。中年期という今回のテーマは、まさに、先輩たちに教わりたいことのひとつである。
 第1章では、各世代の中年期体験を語って頂いた。意図したわけではなかったが、この章の執筆者は、みな何らかの形でカウンセリングに関わっている方々で ある。職業上の豊富な経験に加え、洞察力、分析力などといった点で優れた才を発揮してご自身の体験を語って頂いたので、さすがに読み応えがある。「世代と 中年期」としたが、中年期を終えた人、中年期真っ最中の人、中年期に入ったばかりの人、それから中年期前の人と並べて見ることで、それぞれの中年期の背後 にある時代を感じて頂けたらと思う。個々人の生き方もさることながら、中年期を規定する時代背景は変化していく。中年期という時期ができたのも比較的最近 のことながら、各世代、モデルのないなか模索してきたのだろう。ひとことに中年期と言っても、その時代のもつ社会的、文化的背景を欠かすわけにはいかない ことがよくわかる。
 第2章では、中年期女性が出会う可能性のある個々の課題に焦点を絞ってまとめてみた。中年期も、その入口にいるのか出口に近いのかで、状況はずいぶんと 違うだろう。それでも、一般的には、子ども、夫、親など家族との関係を見直したり、性や体の変化と折り合いをつけるといったことと直面するようだ。それら は、子ども時代の親との関係、思春期や子育てといったこれまでの人生を自分自身がどう生きてきたかの問い直しでもある。
 第1章からもわかるように、中年期が決して特別な時期であるわけでなく、それまでの生の延長にあるわけだが、改めて立ち止まって、「本当にこれでいいのか」と自分に問いかけるのが中年期なのだろうか。いや、ひょっとすると、特別意識せず過ぎていく中年期もあるのだろう。
第3章では、必ずしも中年期と関わりがあるとは言えないさまざまな人生を生きる女性の中年期に焦点をあててみた。シングルにしても、夫の海外赴任にして も、震災や子ども時代のトラウマにしても、本来、決して特殊な問題ではなく、さまざまな形であらゆる女性に関わってくる問題なのだと思う。第1章で佐藤先 生からの指摘もあったが、奥田さんからも、特別中年期を言うことに対する批判が提示されている。私も、特別中年期を言うことで、個々の女性の人生を型には めてしまうことを望んではいない。女性のライフサイクル論が「女の人生表街道」や「まともな女性のあり方」の規範を示すだけなら、単に現状適応を押しつ け、個々の女性を苦しめるだけだろう。でも、これらが、苦しみや悲しみを伴いながらも、多様で柔軟な女性たちの姿として浮かび上がってくるならば、それぞ れの女性が自分のいるところを確認し、人生を選択していく上での励ましのメッセージとなり得るのではないかと思っている。
 第4章では、中年期の女性へのサポートやサービスを提供する女性たちの目に映っているものをまとめて頂いた。執筆者は、それぞれご自身も中年期にある 方々ばかりだ。電話相談、個人面接、サポート・グループ、サイコ・ドラマ、女性学学習と形はいろいろあるが、偏った社会の中にある女性の立場を尊重し、 個々の女性がその偏りに気づいていくなかで、自分自身を問い直す手助けをする、あるいは自己表現を促し、自己評価を高めるという手続きは共通している。
 中年期女性の課題は、外から押しつけられてきた規範と、しらずしらずのうちに取り込んできたそれを見直し、本当に自分にとって必要なものとそうでないも のをより分け、自分の納得いくように自分の人生を立て直すチャンスになるものだと思う。本来、人生とは、いつの時期もそういうことの繰り返しなのだろう が、これからの時代、中年期を生きる者として、ますます自分本意に、自分が何を大切にして生きていこうとしているのかを常に確認しながら選択していきたい と思う。
 最後になりましたが、原稿を頂いた皆さん、いつもFLCの活動を応援してくださる皆さんに、あらためて感謝します。8年のうちにはいろいろなことがあり ましたが、ここまで息長く活動を続け、この仕事を大切に思えることも、皆さんの支えがあってこそです。例年のように表紙とイラストを描いてくれたJunさ んと、今年はパソコン編集を手伝ってくれたいのきえみさんにもお礼を言いたいと思います。今回の年報をすべて女性の手で作り上げたことを誇らしく感じてい ることを付け加えておきます。

『女性ライフサイクル研究』第7号(1997)掲載

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