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2014.10.30 年報バックナンバーから論文集
「年報バックナンバーから論文集」に目次を追加しました

 「年報・バックナンバーから論文集」では、売切となりました『女性ライフサイクル研究』の号より、論文をピックアップして掲載しています。
 お役立ていただければ幸いです。

【目次】

『女性ライフサイクル研究』第16号(2006年)掲載

 レジリエンス~苦境とサバイバル 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)

 想像力とレジリエンス 西順子(女性ライフサイクル研究所)


『女性ライフサイクル研究』第10号(2000年)掲載

■ 女性の自己実現と心理療法~『血と言葉』を女性の視点から読み直す
   西順子(女性ライフサイクル研究所)

 アメリカにおけるフェミニスト心理学の歴史と展望 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)

 心理療法にセックスが入ってくるとき アメリカ心理学会・心理療法における女性委員会、村本訳

 女性のトラウマに関わる臨床家の使命
 メアリー・ハーベイ(ハーバード大学臨床心理学助教授・ケンブリッジ病院暴力被害者治療プログラム主任)  村本訳

 日本におけるフェミニスト心理学の歴史と展望 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)


『女性ライフサイクル研究』第9号(1999年)掲載

 生態学的視点から見たトラウマと回復 ハーバード大学臨床心理学助教授/ケンブリッジ病院暴力被害者治療プログラム主任メアリー・ハーベイ(村本 邦子訳)

 女性のトラウマと回復 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)


『女性ライフサイクル研究』第8号(1998年)掲載

 今、子どもたちのこころと社会は・・・ 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)


『女性ライフサイクル研究』第7号(1997年)掲載

 中年期の女性の課題 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)


『女性ライフサイクル研究』第6号(1996年)掲載

 はじめに~セルフヘルプ・グループ 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)



『女性ライフサイクル研究』第5号(1995年)掲載

■ 「こころのケア」と人権と 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)



『女性ライフサイクル研究』第4号(1994年)掲載

 表現と力 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)




『女性ライフサイクル研究』第3号(1993年)掲載

 もつれ」 女性の発達における食物、性、攻撃性 ポリー・ヤング・アイゼンドラス、Ph.D.

 特集 ダイエットから摂食障害まで 特集にあたって 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)



『女性ライフサイクル研究』第2号(1992年)掲載

 サバイバーと関わる人のための手引 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)

 チャイルド・セクシャル・アビューズを子どもの様子から知る指針 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)

 チャイルド・セクシャル・アビューズとは何か? 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)



『女性ライフサイクル研究』創刊号(1991年)掲載

 女性のライフサイクルについての試論 村本邦子(女性ライフサイクル研究所)

2006.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
想像力とレジリエンス

女性ライフサイクル研究所 西 順子

1. はじめに

日頃の臨床活動では、女性が人生で出会う様々な問題や悩みについて相談に応じているが、なかでも子ども時代の逆境を生き延びてきた方と出会うことが 多い。例えば、虐待やいじめ、親からの見捨てられ、前世代から家族が受けてきたスティグマやトラウマなど、子どもにとってはただそこに生まれてきた運命と しか言いようのない状況、環境のなかで、子どもは持てる力を最大限動員させて逆境を生き延びている。なかでも、「想像力」は、子どもが「自分」という感覚 を保ち続けるうえで重要な役割を果たしているのではないかと感じてきた。例えば、絵を描くのが好きで子ども時代にいつも絵を描いていたという方、本を読む のが好きでいつも本を読んでいたという方など、想像力を使って自分の世界に入り込み、心を満たすことによって、子ども時代の虐待的な環境を生き抜いてきた 方々がいる。

しかも、「想像力」は子ども時代だけでなく、その後の新たなライフサイクルの段階を生き抜くためにも重要な力と感じてきた。例えば、虐待によって受 けた心の傷は、虐待的環境を抜け出した後もなお影響を与え、生き辛さとなって顕在化することがあるが、大人となった今、これからどう生きるのかと方向喪失 しているときにも、「想像力」が必要となる。「理想的自己の再創造にはイマジネーションとファンタジーとを積極的に練磨することも必要となる」(ハーマ ン)と言われるように、新たな自己を創造し、新たな未来を創造するとき、想像力はなくてはならないものだからである。

そこで、本稿では、想像することで子ども時代の困難を生き抜いた女性へのインタビューをもとに、想像力とレジリエンスについて考えてみたい。

2. れい子さんへのインタビュー

れい子さん(仮名)は現在大学4回生、21歳。落ち着いた穏やかな雰囲気のなかに芯の強さを感じさせる女性である。家族は、両親と妹、弟と5人家族。インタビューは2006年6月、就職が内定し、ほっと一息つかれているという時期に行った。

(1)辛かった体験

「これまでの人生で一番辛かったのは、小学校5年生からシンガポールに住んだことです」。子ども時代に困難だったこと、辛かったことは? という質問に対して、れい子さんは迷いなく即答した。れい子さんは小学校5年から中学2年の冬までシンガポールの日本人学校に通ったが、そこでは「今まで 普通にできていたことができなかった。普通に出来ると思っていたことができなかった」と言う。それは、「友人関係」である。

シンガポールの日本人学校は世界で一番大きい日本人学校で、1クラス生徒が約40人、学年で9クラス、毎年クラス替えがあった。5年生、6年生と友 人ができず、中学1、2年のときは、1人の友人ができた。れい子さんは、友人ができないため、学校では1人で過ごしたが、1人でいることより、「1人の私 を周りがどう思ってるんやろう・・」と、周りが自分をどう見ているかということが気になり、そのことが辛かったと言う。

れい子さんは、ある日突然異文化のなかに身をおくことになったと言えるが、仲間関係が重要となりつつある思春期の始まりに、学校という集団のなかで「1人」であったことは、どんなに心細く、孤独であったことであろうか。

その後、れい子さんは、中学2年の冬に小学4年までを過ごした土地に帰国、地元の中学に通うことになる。しかし、そこでも「仲良かった友人はどう思 うんやろう。帰国子女と言われたくないし・・」と、自分がどう見られるかが気になり内気になった。帰国してからの中学時代も辛かったと言う。「1人でいる ことは平気。でも、一人でいる自分を周りがどう見ているのか、1人でいることが変じゃないかと気になった。特に、体育の時や授業のなかでの班づくりが、嫌 だった。班づくりは自由に生徒達に決めさせるもので、最後に1人になるのが辛かった」。れい子さんは冷静に落ち着いてお話くださったが、「今思えば子ど もって残酷。子どもは好きではない」と言う。その言葉から、言葉では表現し得ない心の傷つきが今もなお残っているのであろうと推察された。

(2)辛かった時の心の「オアシス」

小学校5年~中学時代が一番辛かったというれい子さん。当時、れい子さんを支えていたものは何だったのか。れい子さんは、小説を読むのが好きだっ た。小学校に入学時よりいつも図書館で本を借りて読んでいた。シンガポールでは日本の本は高価だったが、自分が読みたい本は親が買ってくれていた。ある 日、家にパソコンがきた。れい子さんの母はタイプ打ちが早く、その姿に憧れて、「自分も早く打てるようになりたい」と練習したが、それが楽しかったと言 う。そして、れい子さんは小説を書き始めた。読み手は家族だったが、中学の時は1人の友達に読んでもらう。友達から「好きな子との恋愛のお話を書いて」と 頼まれて、友達を主人公にした小説を作り、友人にも喜んでもらった。

れい子さんが書いた小説を、母は「天才だ!」と喜んだ。絵を描くのが好きだった弟と妹が小説に挿絵を入れ、母が編集、製本してくれた。シンガポールでは安くて製本が出来たからとのことだが、「それもとても嬉しかった」とれい子さんは言う。

シンガポールでは、子どもが外で遊ぶのは危険なこと。近所に同年齢の子どももいなかったため、放課後帰宅してからは家のなかで過ごす。家で、小説を読んだり、描いたりして過ごすのは、「オアシス」だったとれい子さんは語られた。

れい子さんが書いていた小説って、どんなテーマだったのだろうか。「だいたいは変な話。もぐらが人間になって、またもぐらに戻るような。ファンタジーもの」とのこと。

大人になった今は、当時のことを振り返ってどう思うのだろうか。「中学時代から、『自分は変』って思っていたけど、無理に周りに馴染もうとしていた、そこまでしなくてもよかったな、悩みすぎていたなと思う。今は、変わっていると思われても、平気」と言う。

(3) 「自分らしさの発見」から「人生の選択」へ

「今は、変わっていると思われても平気」と言えるれい子さん。れい子さんは子どもの頃の辛い体験を超えて、今や「私は私」という確固としたアイデンティティを築いておられる。その後、れい子さんはどのような過程を歩まれたのだろうか。

れい子さんは、高校選択の時期、自分の意志で進路を決めていた。「高校は、地元から出たかった。中学時代の人と誰も一緒じゃないところにいきたかっ た。そのほうが、新しい生活をしていけるんじゃないか、友人ができたり、楽しく過ごせるんじゃないか」と、地元以外の高校も受験できる専門科を志望。人文 学科に入学する。

高校では演劇部に入ったが、そこでは、男子も女子も皆、個性が強かったと言う。「こんなんでもやっていけるんや」「自分を表現するのってカッコい い」「皆と同じと思わず、好きなようにしたらいいんや」と思った。また、「負けないように、自分の個性、芯というものを持ちたいと、それにエネルギーを傾 けた」。役者には関心はなかったので、脚本を書いたり舞台の裏方にまわり、照明や演出にエネルギーを傾ける。演劇部に入っているというと、「なんで、役者 しないの?」と言われることが多かったが、「私は裏方が好き」と裏方の仕事にプライドを持ってやっていた。

特に、高校2年の春、三本立てのオムニバス風の劇をすることになったが、れい子さんに演出の声がかかり、はじめて演出を担当。新入生歓迎会で発表す るも、アンケートでは、れい子さんが演出した劇に人気が集まった。れい子さんが演出した劇は、不思議系の劇。演技指導はできないので、照明や音など全体の 雰囲気を演出したという。その経験によって、れい子さんは「自分にしかできないものがある」と、自分の個性を確認すると同時に、「みんなで物をつくるのっ て好き」と、物づくりの喜びを発見されている。

その後、れい子さんは高校を卒業し、志望大学に入学。3回生から就職活動を始め、現在は総合職としてテレビ製作部門の採用内定を得ている。内定の評 価では「物づくりの大変さもわかったうえで、物づくりのおもしろさも知っている」と返ってきた。「実際、どこに配属されるかはわからないし、不安もあるけ ど、ちゃんと自分のことを見てくれているからと、信用できると思う」と嬉しそうに語られた。

就職活動での困難はなかったのだろうか。大学の就職課に求人はほとんどこないため、まずは情報収集をしたが、焦りからも、やりたいと思ったところか ら手当たり次第に申し込んだ。しかし、どれも落とされた。れい子さんは、どうして落ちるのかと考えた。就職セミナーで聞いたことがあった「自己分析」から やってみようと思い立ち、自分はどんな人間か、何がやりたいのか・・と、自分でシートを作って書いていったという。内定をもらった会社は、自己分析をした あとに申し込んだ会社であった。

れい子さんは「物づくり」という好きなことに携われる仕事を簡単に手に入れたのではない。「落とされる」という痛い経験をばねにしながら、「自分と は何か」と自分と向き合い、考え、挑戦し、決断することで、自分の人生を切り拓いていかれている。れい子さんは今度の春には、家を出て、1人暮らしの生活 をはじめるとのことであった。

(4)れい子さんのレジリエンス

れい子さんは、小学校高学年、中学校と心理的困難のさなかにありながらも、想像力によって「心のオアシス」をつくってきた。想像力はまさにれい子さ んのレジリエンスであったと言える。そして、れい子さんは想像力を使って空想の世界で心の翼を拡げるだけでなく、想像的創造によって他者とつながりを回復 し、創造の喜びを他者と共有し、よりひろい世界へとつながりを拡げてきている。

また、れい子さんは15歳の時に自分で自分の進路を決めている。しかも、人に合わせたり、人と比べたりすることなく、15歳の子どもが最善を尽くし て自分の進路、つまりは人生の第一歩を決断した勇気には感嘆する。困難を超えるために、未来に希望を見い出し、自分を信じ、世界を信じて一歩踏み出せるれ い子さんの強さは、子ども時代より育まれてきた想像力が源になっていると言えよう。想像力は自己の内的な力となっている。

このように、れい子さんの想像力は、子どもの頃の困難を超えて生き抜く力となるだけではなく、人生を切り拓く力として未来に活かされ、未来を創るレジリエンスとなってきたと言える。

3. 想像力とレジリエンス

子ども達は、小説、漫画、アニメ、映画などファンタジー物語が好きである。宮崎駿(2001)は自分の子ども時代の体験から、「現実を直視しろ、直 視しろってやたら言うけども、現実を直視したら自信をなくしてしまう人間が、とりあえずそこで自分が主人公になれる空間をもつっていうことがファンタジー の力だと思うんです」と述べているように、想像の世界のなかでは誰もが主人公になり得、自由になれる。

想像することは、子ども誰もにとって力となるのはもちろんのこと、逆境におかれた子どもにとっては、想像力があるからこそ、闇のなかを生き抜くこと ができると言っても過言ではない。なぜなら、「想像力は生の根底にある暗黒物質を変貌させることができる」(ル=グゥイン、2006)からである。ここで は、特に虐待サバイバーの想像力とレジリエンスについて考えてみたい。

(1)子ども時代を生き抜く

筆者はカウンセリングを通して子ども時代の虐待サバイバーと出会うなかで、彼女たちの生き抜く力には感嘆させられてきた。子どもは親に愛着を求める が、それが得られないばかりか、理由もなく怒られ、殴られ、あるいは見捨てられ、性的な対象と見られ、本来子どもとして与えられるべき愛情と保護を受けら れず、子どもにとっては訳がわからず理解できない、理不尽な、不条理な世界を生き抜いてきている。理解できない世界に身をおくとは、なんと不安で恐怖であ ることであろうか。しかし、それでもその世界を生き抜くために子どもは想像力を駆使する。たとえば、ある日、叔母さんから誕生日のプレゼントにもらった漫 画本に感動し、親から見捨てられ、何をやってもダメな主人公に自分を重ね、漫画の世界に自分の世界を見い出し、その世界を楽しむことで子ども時代を生き抜 いたサバイバー。絵を描くときは何時間でも没頭でき、すべてを忘れることができた、絵を描いている時間だけが幸せだったというサバイバー。孤児のファンタ ジー物語の主人公に自分をなぞらえ、「この親は本当の親ではない。どこかにきっと本当の親がいるはず。私の生きる場所はここではない」と空想することで、 外の世界に希望を見出し、家を出れる時期を待つことで生き抜いたサバイバー。他にも、音楽の世界、詩の世界、歴史の世界、植物の世界・・など、さまざまな 想像の世界に没頭したサバイバーたちがいる。

子ども時代に酷い虐待を受けながらも人生の主人公でありえた女性たちは、子どもの頃に「心のなかの神話、空想生活、想像上の友達をもっていた」と ボーレン(1991)は言う。「これらの子どもたちは、自分のことを自分で選んでいくヒロインであった。彼女らは、自分がどのように扱われているかとは別 個に、自分についての感覚を維持した。状況を評価し、現在はどのように反応したらよいかを決定し、将来に備えて計画をたててきたのである」と。子どもは環 境を選べない。しかし、子どもは、想像の力によって、想像の世界に身をおくことで、「自己の感覚」を維持することができる。

(2)人生の物語を創る

逆境を生き延びた後、トラウマを超えて生きようとするときにも、想像する行為はレジリエンスとして必要である。では、どのように必要とされるのか。筆者は臨床経験から、サバイバーが大人になって新たな物語を切り拓こうとする時について、次のようなイメージをもっている。

子ども時代は真っ暗闇のトンネルのなかを手探りで歩くようなものであった。闇の中の光を頼りにとにかく出口を求めて、生き延びてきた。トンネルから 出れば、そこには幸せが待っていると希望をもって。しかし、やっと闇から出られたという時、そこには安堵と共に新たな苦悩が待っている。闇から新しい世界 に出たが、そこはどこなのか、どういう世界なのか、何が待っているのかわからない。その世界はあまりにもまぶしくてよく見えない、見るのも怖いし恐ろし い。知っているのは、闇のなかの経験だけである。これからどの方向に向いて旅をすすめていいのかわからない。手がかりになる指針・羅針盤は手元にはない。 焦り、不安になる。一歩踏み出せば、お化けや亡霊が見えて恐怖に脅える。この世界もまた闇に包まれているのではないか・・。

サバイバーがカウンセリングを訪れる時とは、このように方向を見失い、人生の物語が行き詰ってしまった時でもあるだろう。と同時に、未来へとつなが るために、物語の再創造に向き合おうとするときでもある。方向を見失った時、必要なことは、内なる声に耳を傾け、道が見えるのをじっと待つことであるが、 その答えは無意識からイメージの形をとって現れる。イメージは無意識からのメッセージであり、それ自体に自律性がある(老松、2004)。「無意識は物語 や神話の創造に常に関わっている」(エレンベルガー、1980)と言われるように、自我が無意識からのメッセージを聞きとっていくことで物語は創られてい く。

カウンセリングとは、想像的創造の場を提供し、クライエントが人生の主人公として自分の羅針盤を見つけ、人生の舵をとっていくのを見守ることに他な らず、その物語は主人公自らが創っていくものである。物語を創る(物語を語らせる)ことについて、ル=グウィン(2006)は「いつも、絶えず、生き延び るためにこれをしているのです。世界を物語にできない人は発狂します」と言う。人生を生き抜くためには、想像力によって自己の物語を創っていくことが必要 なのである。

4. 終わりに

本稿では、想像力とレジリエンスについて、女性へのインタビューをもとに、カウンセリングでの経験を照らし合わせながら考えてきた。未来を生きる子 どもたちに私達大人ができることは、子どもの未来を決めることではなく、子どものもつ力を信頼し、子どもの内なる世界を尊重し、見守ることであると、その 思いを強くした。筆者自身は、カウンセリングの場が、物語を紡いでいく想像的創造の場となるようエネルギーを注いでいきたい。

最後になりましたが、快くインタビューに応じ、自分の言葉で語って下さったれい子さんに、心より感謝いたします。

【参考文献】

ボーレン、J.S(1991)『女はみんな女神』(村本詔司・村本邦子訳)新水社

エレンベルガー、H.(1980)『無意識の発見(上)』(木村敏・中井久夫監訳)弘文堂

ハーマン、J.L(1996)『心的外傷と回復』(中井久夫訳)みすず書房

宮崎駿(2001)「自由になれる空間」『ユリイカ』8月臨時増刊号、第33巻第10号

老松克博(2004)『無意識と出会う』トランスビュー

ル=グウィン、A・K(2006)『ファンタジーと言葉』(青木由紀子訳)岩波書店

『女性ライフサイクル研究』第16号(2006年)掲載

2006.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
レジリエンス~苦境とサバイバル

レジリエンス~苦境とサバイバル

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

1. はじめに

トラウマに関わっていると、「そんなに暗い話ばかりで、しんどくならない?」と問われることがある。しんどくならないわけではない。それでも、実際 には、サバイバーと関わることで、希望と勇気をもらうことが多いのも事実である。人はいったいどこまで残虐になり、悪をなすことができるのか、嫌というほ ど思い知らされる一方で、人は、受難を越え、どこまでも誇り高く生き抜くことが可能なのだと学ばされる。

レジリエンスという言葉に初めて出会ったのは、もうずいぶん前のことだ。気になって調べてみても、ほとんど情報がなかったが、最近になって、急激に この言葉を見かけるようになった。もともとは、生態学に由来する概念のようである。生体のホメオスタシスと同様、生態系にも環境変化に対する復元力(レジ リエンス)が備わっており、その結果、安定性や恒常性が保たれると考えられているという。化粧品業界では、早くから、レジリエンスと呼ばれる商品が出回っ ていた。加齢による変化に打ち勝つための美容液である。その他、ビジネス界でも盛んに取り上げられている。事業リスク・安全性を把握して順応性のあるメカ ニズムを創り出し、自らのリスク・危機耐性(レジリエンス)を高めていくことが企業に要求されている。回復力、復元力、危機耐性、しなやかさ、逆境をはね 返す力など、さまざまな訳語が試されているが、どうにもピンとこない。カタカナのままが良いとも言えないが、本特集では、とりあえず、レジリエンス、生き 抜く力としておく。

幼い頃の虐待体験は、後の人生に多大な影響を与えるという事実と、そんなものに人の一生が規定されてしまうほど人生の可能性は閉ざされていないとい う事実。その両方の事実を含むものとして、レジリエンスの語を使いたい。それは、「心の傷なんてたいしたことはない。子どもは、そんなもの忘れて生きてい くさ」といった言い分とは正反対のものだ。レジリエンスの本当の意味を理解するのは、トラウマによる破壊的影響について、十分に理解した後である。そろそ ろレジリエンスをテーマに据えて取り組んでも良い頃ではないか。人生に逆境は避けられない。避けられないとしたら、逆境のなかで、私たちに何ができるの か。平常時にどんな力を蓄えておけば良いのか。私たち援助者がどんな関わりをすれば、逆境にある人のレジリエンスをうまく引き出すことができるのか。本特 集で、そんなことを考えるためのヒントを見出すことができたらと思う。

2.レジリエンスを構成する要因

いったい何がレジリエンスをもたらすのか、レジリエンスを構成する要因を特定する研究は多い。たとえば、ワーナーとスミス(Werner & Smith, 1982)は、レジリエンスを示す子どもは、養育者(おもに母親)と肯定的な関係を維持している、拡大家族にも養育者がある(祖父母など)、積極的であ る、変化に適応しやすい、物事を肯定的にとらえようとするといった特徴を示すことを明らかにした。ガーマシー(Garmezy, 1983)の研究では、人から好かれやすい、親しみやすい、攻撃的であったり防御的でない、協力的で情緒的に安定している、両親や周囲の大人が子どもに関 心をもち暖かい家庭環境にあるなどの特性を持つことが示されている。

グロットバ-グ(Grotberg, 1997)は、3歳から11歳までを対象として14カ国で行った調査結果から、レジリエンス・チェックリストを作成した。レジリエンスは、①"I HAVE"要因(持っているもの) ②"I AM"要因(自分の属性) ③"I CAN"要因(できること)の3つからなる。たとえば、「私のことを愛してくれ、助けてくれる人たちがいる(I HAVE)」「私は良い子で、自分のことも、みんなのことも大切に思う(I AM)」「私は問題があっても対処できるし、自分をコントロールすることができる(I CAN)」などである。"I HAVE"要因は、安心の基盤と友情によって、"I AM"要因は、肯定的価値観と社会的能力によって、"I CAN"要因は、教育、才能、興味によって高めることができる。

レジリエンスを高める介入についての研究としては、ダニエルとワッセル(Daniel & Wassell, 2002)のものがある。彼らは、レジリエンスを、①健康 ②教育 ③情緒的・行動的発達 ④家族関係と仲間関係 ⑤セルフ・ケアとコンピテンス ⑥アイ デンティティ ⑦社会的自己表現の6領域に分け、学童前、学童期、思春期のそれぞれの時期にある子どものレジリエンスを査定し、具体的に関わっていく方法 を提示している。

日本での研究に目を向けてみると、小塩ら(2002)が、先行研究から、レジリエンスの状態にある者の心理的特性を反映する尺度を作成し、大学生を 対象に実施している。因子分析の結果、新たに作成された精神的回復力尺度は、①新奇性追求 ②感情調整 ③肯定的な未来志向の3因子で構成されることが明 らかにしている。

また、小花和(2004)は、レジリエンスの構成要因に関するさまざまな研究をレビューし、整理した(表1)。小花和の研究は、幼稚園児を対象に、 母親と保育者の認知を通じて、幼児期の心理的ストレス反応(引きこもり、攻撃的行動、対人緊張)とレジリエンス(意欲、資源、楽観)の関連を検討し、介入 を検討したものである。

■表1 レジリエンスの構成要因

環境要因 子どもの周囲から提供される要因(I HAVE Factor)
安定した家庭環境・親子関係、両親の夫婦間協和、家庭内での組織化や規則
家庭外での情緒的サポート、安定した学校環境・学業の成功
教育・福祉・医療保障の利用可能性、宗教的(道徳的)な組織
個人内要因 子どもの個人的要因(I AM Factor)
年齢・性、共感性、セルフ・エフィカシー、ローカス・オブ・コントロール
自律性・自己制御、信仰・道徳性、好ましい気質
子どもによって獲得される要因(I CAN Factor)
コンピテンス、問題解決能力、ソーシャル・スキル、衝動のコントロール
知的スキル、根気強さ、ユーモア

※小花和(2004)より一部抜粋

トラウマ・サバイバーがトラウマ経験に反応する肯定的方法、治療的介入の有無を問わず、回復する力を表すレジリエンスについての研究もある。成人し たトラウマ・サバイバーのレジリエンスに関する研究によれば、レジリエンスの表れは多面的、かつ複雑であり、トラウマ・サバイバーは、機能の異なった領域 で、傷つきやすさとレジリエンスの両方を示す(Chambers & Belicki, 1998; Grossman et al, 1999; Lam and Grossman, 1997; Liem, James, O'Toole and Boudewyn, 1997)。

ハーベイ(Harvey, 1996)は、生態学的視点から、極度のストレスに対する反応を形づくる「人×出来事×環境」の相互作用に注目し、トラウマの影響、回復、レジリエンス は、相互に関連する8つの心理的経験領域、①記憶の再生への権限 ②記憶と感情の統合 ③感情への耐性と統制 ④症状管理 ⑤自己評価 ⑥自己の凝集性  ⑦安全な愛着関係 ⑧意味づけによって記述することができるとし、これを査定する「MTRR/MTRR-I(トラウマの影響、回復、レジリエンスの多次元 尺度とインタビュー)」を開発した。トラウマが起こり、トラウマ後の条件を形成していく個人の内的・外的資源、そして生態学的環境のあり方によって、これ らの領域のそれぞれが、否定的影響を受ける場合もあれば、そうでない場合もある。ある領域が相対的に影響を受けずにすんだ場合、また、影響を受けた個人 が、影響の少なかった他の領域の力を駆使して、別の領域の影響を修正した場合、そこにレジリエンスを見ることができる。しかし、MTRR/MTRR-Iに よって査定されるのは、あくまで、トラウマ後、結果として保持された心理的機能のレジリエンスである。

3.トラウマとレジリエンス

考えてみると、トラウマ反応とは、本来、苦境を生き延びるための手段であり、それ自体、レジリエンスの表れと捉えることもできるのではないだろう か。危機状況において、人は、感情を麻痺させることで冷静にサバイバルのための行動を取り、過覚醒状態によって、小さな危険信号をキャッチし、平常以上の 力を発揮して身を守ることが可能になる。平和時の正常性を戦時下に持ち込めば、生き延びる確率は限りなく低くなるだろう。侵入的思考は、人が、トラウマ経 験を何とか人生に統合しようとするあがきのように思われる。危機状況が去り、トラウマ反応が不要になってもなお、それが続くとき、それは平和時の生活を妨 げるものとなるだろう。すなわち、症状である。

したがって、トラウマとレジリエンスを考えるとき、①プレ・トラウマ ②ミドスト・トラウマ ③ポスト・トラウマのどの時点にあるかによって、レジ リエンスを引き出す援助は違ってくるのではないか。プレ・トラウマは、いまだトラウマが起こっていない状態であり、2で紹介したようなレジリエンスを構成 する各要因を増強する働きかけが有効である。ミドスト・トラウマとは、トラウマの最中であり、虐待やDVなど長期反復型トラウマが進行中であることを示 す。この状況において、プレ・トラウマと同様、レジリエンスを構成する各要因を増強する働きかけが有効であるが、症状と見えるトラウマ反応を安易に治療し ないことが重要であろう。可能な限り、安全を提供することは言わずもがなであるが、重要なことは、その人が、その苦境を生き延びているレジリエンスの要因 を特定し、支持することである。

DV家庭に育つ子どもたちに関するマレンダーら(Mullender, Hague, Iman, Kelly, Malos & Regan,2002)の研究は、この点で、非常に示唆的である。彼女らは、一般の子どもたちとシェルターの子どもたちに、たくさんのインタビューを行っ た結果、①DVに巻き込まれた当事者として自分の声に耳を傾けてもらい、真剣に取り扱ってもらうこと ②解決法をさがし、意志決定の援助に積極的に関われ ることが、子どものコーピングに重要であるとした。実際、子どもたちは、DVを生き延びるための短期的、および長期的コーピング・ストラテジーを持ってい る。

たとえば、短期的コーピング・ストラテジーとしては、①出来事を扱うための反応や考え方(泣く、無視する、何も起こっていないふりをする、自分のな かに引き籠もる、ふとんにもぐりこむ、どこかに隠れる、忙しくする、TVや音楽に没頭する、外に逃げ出すなど) ②安全のための戦略(助けを求める、知り 合いに電話する、警察を呼ぶなど)③きょうだい同士の助け合い(きょうだいで一緒にいる、小さい子の世話をする、上の子のところへ行くなど) ④母親を助 け、暴力的状況に介入する手段(直接暴力の間に割って入る、部屋に留まる、やめとて言う)が挙げられた。

長期的コーピング・ストラテジーとしては、ほとんどのケースで防衛的、適応的戦略をとっていた。①外界へ向けた戦略として、信頼できる誰かに話す (必ずしも事実を打ち明けない)、逃げ場をつくる(友達の家や親戚の家)、安全な自分だけの場所をさがす、助けてくれる人をさがす(警察、先生など)、母 親やきょうだいを助ける、積極的解決策を考える ②内面的な戦略としては、こっそり泣く、何も起こっていないふりをするなどが挙げられた。

レジリエンスという語は使われていないが、ミドスト・トラウマにある子どもたちのコーピング・ストラテジーは、まさにレジリエンスの存在を示すもの だろう。とくに、この研究で集められた子どもたちから子どもたちへのアドバイスには、興味深いアイディアがたくさん含まれている。

①適応するのに役立つ考え方:「座って、何が起こっているのか考えて みること。平静を保って、ちゃんと自分の頭で考える努力をすること。そうでないと、めちゃくちゃな方向に行っちゃうから」「自分の考えや気持ちを書いてみ る」「嫌なことは無視して、他のことに精を出すこと。おもちゃで遊ぶとかテレビを見るとかして、自分のことに専念する」「楽しいことを考えるようにする」 「スクラム組んで、助け合うんだ。お母さんや親戚が助けてくれるかも知れない。生活を落ち着かせて、成り行きにまかせないこと」「勇気をもって」「心を落 ち着かせること」「ヒステリックにならないこと」「心を穏やかにして、リラックスを心懸けること。ぬいぐるみを抱っこするといいよ」

②お母さんときょうだいを助けること:「お母さんが強くなれるように 助けるんだ」「お母さんはちゃんと考えられなくなっている時があるから、そんな時には、アドバイスしてあげるんだよ」「お母さんやきょうだいと抱っこし合 うこと」「きょうだいと話をすること」「心配になったら、お母さんに愛してくれているか何度でも確認するんだ」「お母さんのそばを離れないこと」

③助けてくれる人をさがすこと:「誰か話せる大人をさがすんだ」「おばあちゃんや親戚の人に相談する」「お兄ちゃんやお姉ちゃんや親戚に助けてもらう」「大人に言えば、きっと何とかしてくれる」「心細い時には誰かと一緒にいてもらうといい」

④安全計画:「家の外に逃げたっていいんだ」「庭や道路に走って出 る」「暴力が終わるまで隠れる場所を作っておくこと」「怖ければ電気をつけたらいい」「ドアのところにベッドを動かすこともできる」「きょうだいで集まっ て別の部屋に行く」「逃げる場所を決めておく」「逃げて助けを求める」

⑤暴力の中に入っていかないこと:「けんかから離れておくこと」「声や音が聞こえない部屋が必要だ。暴力があることをわかっていても、聞こえない方がましだ」「家にいるのなら、当たらない場所にいること」。

レジリエンスを構成する要因を驚くほど示しているではないか。トラウマの最中にいる子どもたちは、より良い生き方を求めて、ありとあらゆる工夫をし ている。マレンダーらは、現実には、周囲の大人や援助職者が子どもの声を無視することで子どもを無力化しているという。子どもたちの存在に関心を持ち、耳 を傾けることによって、子どもたちのレジリエンスを特定することが、ミドスト・トラウマの子どもたちのレジリエンスを高めることにつながるのだろう。

そして、ポスト・トラウマになって初めて、ハーベイの言うような、トラウマの影響とレジリエンスを査定した上での回復が問題になってくる。

4.レジリエンスへの道

レジリエンスが発揮される逆境は、トラウマに限らない。アメリカ心理学会APAセンターは、レジリエンスを、逆境、トラウマ、悲劇、脅威、重大なス トレス(家族の問題、人間関係の問題、深刻な健康問題、職場のストレス、経済的なストレスなど)に直面しても、うまく適応していくプロセスとする。そし て、レジリエンスは特別な人のものではなく、誰もが学習したり発達させたりできるものであるという。APAによって提起されている「レジリエンスの道」を 紹介しておきたい(http://www.apahelpcenter.org)。

①関係をつくる
家族、友人、その他の近しい人と良い関係をつくることが重要である。あなたのことを気にかけ、あなたの言うことに耳を傾けてくれる人々からの助けとサポー トを受け入れることがレジリエンスを強化する。市民活動、宗教組織、地域活動などに関わることで社会的サポートを得、希望を持つことができる人もあれば、 誰かが助けを必要としているときに力を貸すことが自分の役に立つかもしれない。

②危機を克服できない問題だと捉えるのを避けること
極度にストレスフルな出来事が起きるという事実を変えることはできないが、それをどのように解釈し、どう反応するかを変えることはできる。苦しい現在に囚 われないで、未来は少し良くなっているかもしれないと考えてみよう。困難な状況を少しでもうまく扱えたと思えそうな小さなことに目を向けよう。

③変化を人生の一部として受け入れよう
逆境の結果、いくつかの目標はもはや達成不可能になったかもしれないが、変化させられない環境を受け入れることで、自分が変化させることのできる環境に力を注ごう。

④目標に向けて歩むこと
実現可能な目標も持とう。小さなことでも良いから、目標に向けて進むための何かを規則正しく重ねていこう。達成不可能な課題に囚われるのでなく、「自分が向かいたい方向に進めてくれることで今日できることは何だろう?」と考えてみよう。

⑤きっぱりと行動しよう
出来る限り逆の状況に働きかけよう。問題やストレスから逃げてしまったり、なくなればいいのにと空想してばかりいるより、きっぱりと行動しよう。

⑥自己発見のチャンスをさがそう
人はしばしば、喪失との闘いの結果、ある意味で、自分について何かを学んだり、自分が成長したことを発見する。悲劇や辛苦を経験した多くの人々が、より良 い人間関係、傷つきやすいときでも強さの感覚を増すこと、自己価値の増加、スピリチュアリティの発達、人生に感謝することを得たと言っている。

⑦自分自身についての肯定的な見解を養おう
自分の問題解決能力に自信を持ち、自分の直感を信頼することがレジリエンスを築く。

⑧物事の展望を持ち続ける
苦痛な出来事に直面しても、ストレスフルな状況をより大きな文脈のなかに置いて見るようにし、長期的な展望をもちなさい。釣り合いの取れない考えを持たないように。

⑨希望に満ちた見解を保つ
楽観的な見解は人生に良いことが起こると期待することを可能にする。心配や怖れよりも自分の望むことをイメージしなさい。

⑩自分のケアをする
自分自身の欲求と感情に注意を払うこと。自分が楽しんだり、リラックスできる活動に取り組みなさい。定期的な運動をすること。自分の世話をすることで心と体がレジリエンスを要求する状況を扱えるようになる。

5.おわりに

レジリエンスについて分析することは、どうにも、その豊かさを損なうように感じられてならない。そこで、今回の特集では、それぞれにレジリエンスを 感じられる人へのインタビューによって、その表れを描き出せるよう試みた。そもそも、レジリエンスを理論化することに無理があるのではないだろうか。レジ リエンスは個性的であり、理論で捉えられない生き物のようにも思える。

個人的には、長年にわたってサバイバーの心理学を研究してきたシーバート(Siebert, 1996)の挙げる逆境に負けない条件のうち、①遊び心にあふれた好奇心を発揮し、自分から進んで学んでいくこと ②矛盾を受け入れ、多様に開かれた柔軟 性 ③場を読み、全体を見る力 ④潜在能力(五感、直感、創造性、想像力)を大事にすること ⑤苦境を受け入れ、前に向かって行動する そして、何より、 ⑥生き残るという強い意志が気に入っている。レジリエンスとは、生きようとする意志であり、命を肯定する力であると思う。

シーバートは、生まれつきサバイバーの特徴を備えた人も少ないながら存在するが、大半の人は意識してその力を伸ばしていかなければならない、逆境が その力を呼び覚ますこともあるという。大変な苦難を克服した後では、それ以前では考えられないほど高い能力を発揮できるようになり、逆説的だが、逆境が救 いになることもあるという。避けられる逆境を好んで引き受ける必要はない。しかし、避けられない逆境ならば、逆境を乗り越え、ただ単に、損なわれずに現状 を保つという以上に、新たに獲得されるものがあるという考えは魅力的ではないか。そして、私たちがトラウマ・サバイバーと関わりながら力をもらうのは、そ んな奇跡の証人となれるからに違いない。

 

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『女性ライフサイクル研究』第16号(2006年)掲載

2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
アメリカにおけるフェミニスト心理学の歴史と展望

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

1. フェミニスト心理学とは何か

 はじめに、フェミニスト心理学の定義から始めるべきだろう。フェミニスト心理学とは、フェミニズムの視点から構築した心理学と言えるが、フェミニ ズムの定義自体が一様ではない。現代のフェミニズム理論には、いくつもの種類があり、それぞれが女性の経験をそれぞれのレンズを使って分析している。当然 ながら、すべてに共通する最大公約数はあるわけで、「フェミニズムは女性に価値を置こうとすること、女性が安全で満足できる人生を送るためには、社会変革 が必要だということ」だろう。ベル・フックスの定義は単純で、「性差別と性差別による抑圧を終わらせるための運動」となる(Unger & Crawford, 1996)。フェミニスト心理学は、これらのスタンスをとる心理学と言えるだろう。
 フェミニスト心理学と女性心理学の違いはどうだろうか。女性心理学は、文字通りには、女性についての心理学を意味するにすぎず、必ずしもフェミニスト的 であるとは限らない。たとえば、女性性とマゾキズムの関係が生物学的に決定づけられていると主張した初期の女性精神分析家、マリー・ボナパルテやヘレー ネ・ドイッチュらの仕事は、当然ながら、女性心理学の領域に含まれる。わが国でも、初期に女性心理の本を書いていたのは男性心理学者であり、社会が期待す る女性の役割や特質を説くものだった。しかし、女性心理学に位置づけられている著作や論文でも、フェミニスト心理学の領域に位置づけられるものがたくさん あることも事実である。著者がフェミニズムというレッテルに否定的であったり、肯定的であっても、戦略的にそのレッテルを使わない方が有利であると判断す る場合もあろう。
 ブルマン(1998)は、女性心理学とフェミニスト心理学の名称が長いあいだ、明確に区別されず使われてきたことを認めながらも、この二つをはっきりと 区別している。前者は、男性中心だった心理学に女性という視点を持ち込み、心理学の受け手としても作り手としても、女性に焦点をあてた点で、画期的だっ た。それに比べ、フェミニスト心理学の方は、女性を心理学の「対象」(object)から「主体」(subject)へ("the psychology of women" から"feminist psychology"へ)と移し変えることによって、心理学を政治的領域に持ち込んだのである。
 クローフォード(1998)は、女性心理学は、心理学のなかの性差別的な歪みを修正し、改善することを目指してきたと評価している。専門家としても、ク ライエントとしても、学生や研究対象としても女性に焦点をあて、それを心理学が理解できる言語で語り、公正と平等に訴えることで、それなりの成果をあげて きた。セクシュアル・ハラスメント、ドメスティック・バイオレンス、摂食障害、仕事、母性神話などは、その成果の一部である。それに対して、フェミニスト 心理学の方は、そのごく一部が受け入れられたにすぎない。クロフォードの言葉では、フェミニスト心理学におけるフェミニズムと心理学の関係は、「結婚では なく人目を忍ぶ恋」であり、「友好的にプラトニックな関係」を維持したままである。つまり、フェミニスト心理学において、フェミニズムと心理学の融合、あ るいは統合はなされておらず、表面的な関係を結んでいるだけである。
 女性心理学は心理学の存在を許すが、フェミニスト心理学は、フェミニズムが心理学の存在をどこまで許すかを問う。実際、心理学の存在自体に否定的なフェミニストたちは少なくない。

2. 心理学と女性

 一番初めに、心理学と女性の関係に眼を向けておこう。まず、女性と狂気の関係について触れておくべきだろう。エレイン・ショーウォーター (1985)は、狂気が「女の病」(female malady)だったことを指摘する。イギリスでは、17世紀、女性患者の精神障害の症例が男性の2倍であるという記録が残っている。20世紀になって も、精神病院の患者の大半が女性だったという。とくに、産褥期精神病の症例を見ると、「子どもと夫への無関心、嫌悪、怒り、性的露出」が突然現れ、女らし さと母性を重視するヴィクトリア朝の理想像を打ち壊した。女性たちの症状と、ヴィクトリア朝の理想のどちらが狂気だったかは疑問だが、当時は、女性たちの 方が狂気とされた。ショーウォーターは、狂気の例として、フローレンス・ナイチンゲールの自伝的小説『カサンドラ』を取り上げている。彼女は、自分の天命 を実行するために結婚を断り、看護婦の教育を受けることを母親に反対され、神経衰弱状態に陥って、自殺願望につきまとわれる。1850年のことである。ナ イチンゲールは、『カサンドラ』を書き終えると、家を離れ、看護婦としての仕事の第一歩を踏み出した。それから1年もしないうちに、クリミア半島へ行くこ とになるのである。
 ここで、アンナOこと、ベルタ・パッペンハイム(1859-1936)のことを思い起こしておくのもいいだろう。彼女は、ブロイアーとともに "talking cure"(「談話治療」)を考え出し、抑圧された感情が精神機能に影響を及ぼすことを示唆した。彼女抜きに、精神分析の発展は語れない。ベルタは、ブロ イラーに見捨てられ入院生活を送った後、しばらく身を潜めていたが、1888年、29歳から、社会的な活動を始め、数々の重要な仕事を成し遂げた。メア リ・ウルストンクラフトの古典的名著『女性の権利擁護』をドイツ語に翻訳し、自ら『女性の権利』という戯曲も書いている。孤児院の院長を長く勤め、ドイツ のフェミニズムとソシャルワークのパイオニアとも見なされている。精神分析は彼女の治療を完遂しなかったが、ベルタは、その後、社会運動に身を捧げること で、癒され、成長したようである。狂気は、クリエイティブな女性がその能力を発揮することができないでいる状態なのかもしれない。ローゼンバウムとムロフ (1984)は、ベルタの事例の見直しによって、トラウマという心の問題と社会のつながりを再評価することを示唆している。
 1900年代初期、女性への偏見と差別は甚だしかった。精神分析の理論は、フェミニズムを「強く、しかし不完全に抑圧されたマゾキズムの補償」と意味づ けるなど、フェミニストを中傷するために利用された。APA(アメリカ心理学会)の創設者スタンレー・ホールは、「結婚よりキャリアを選んだ女性は生物学 的倫理を犯している」という言葉を残している。しかし、興味深いことに、ケスラー(1997)は、APAの歴史書『心理療法の歴史~変化の1世紀』の第一 章、APAの1年目にあたる1892年を、クリスチーヌ・ラド・フランクリン(1847-1930)という女性心理学者の書簡で始めている。彼女は、しぶ る父親から借金して大学で学んだ後、特別なはからいによってジョン・ホプキンズ大学の講義に出席し、1882年に博士課程を終えたという。女性だったため に正式な博士号はもらえなかったが、ジョン・ホプキンズ大学は、1926年、50周年の時に、彼女に正式な博士号を出している。クリスチーヌは、パメラと いう名前の女友達と文通し、慢性病だったパメラの妹のことをめぐって、ウィーンのフロイトについても話題にしている。また、1892年、ホールがAPAの 最初の集まりを持ったときのことを、「目を皿にして、彼らが女性をメンバーに加えるか見ている」と書き綴っている。彼女は、1893年の第2回大会で、 33名のメンバーに加えられている。
 心理学が始まった初期の時代、心理学と女性との関係は、女性の可能性がさまざまに制限された社会のなかで、患者という形で心理学の発展に貢献させられることが圧倒的に多かった。

3. 心理学にフェミニズムを持ちこむ

 1925年から1935年の間、精神分析運動内部で、女性のセクシュアリティ、女性の特性および心理について熱心な議論が交わされている。この議 論の立役者はドイツの精神分析家カレン・ホーナイ(1885-1952)だった。彼女は、1926年から35年の間に一連の論文を書き、女性を男性の欠陥 版と見るフロイトの仮説に異議を唱えた。マリー・ボナパルテ(1882-1962)、ヘレーネ・ドイチュ(1884-1982)などの女性分析家はフロイ トの側に立っている。しかし、1930年代、アメリカに移住したホーナイは、フロイトとの論争に終止符をうち、女性心理の主題を捨ててしまった (Russo & O'Connell, 1997)。
 1930年代のアメリカは、大恐慌の結果、女性(特に既婚女性)の雇用を制限する必要性に迫られていた。精神分析は、その根拠として利用され、「罪悪感 と葛藤を避けるためにも女性は家事に専念すべき」との主張がなされた。戦後も同様に、精神分析は、男性の優秀さと女性の従属を信奉するイデオロギーとして 使われる。第二波フェミニズム運動が起こる以前、専門職を目指して大学の門をくぐった女性たちは、かなりつらい経験をしたようだ。バーニス・ロット (1995)は、1951年、UCLAの大学院に入った初日に、教授から「成績は優秀だが、どうせ2~3年もすれば子どもができ、プロのサイコロジストと して働くことはないだろうから、教える側にもあなたの側にも無駄なことではないか。」と言われたと書いている。
 ローダ・アンガー(1998)は、60年に大学院に入り、66年にプロフェッショナルとしてのキャリアをスタートさせたが、当時、APAの大会参加者 は、9割が男性だった。学会では、「もっと深い話をしよう」と教授からホテルの部屋に誘われて、逃げ出さなければならないようなことがあったという。フィ リス・チェスラー(1995)も、大学院生だった60年代後半、「研究指導」のための食事に誘われ、レイプされかけて、もみあいになり、彼の肋骨を折っ て、病院へ運ばなければならなかったと書いている。国連の仕事を引き受けたとき、書記官からレイプされてもいる。
 1969年に臨床心理学の博士課程に入ったポーラ・カプラン(1995)は、最初の年、性差の研究を始め、論文を書いたが、感情的なコメントをもらい、 「自我境界が弱い」という理由で、追い出されている。そのため、彼女は臨床心理学でPh.Dをとることができず、心理学でとっている。他のフェミニストの 多くも似たような体験を持っているようだ。
 このような状況にあった女性サイコロジストを救ったのがフェミニズムだった。ミリアム・グリーンスパン(1995)は、「フェミニスト運動は私の命を 救ってくれた。それは、私にとって社会正義のための運動以上のものだった。感情的な意味でもスピリチュアルな意味でも、私の癒しの基盤になった。」と、記 している。
 1963年、ベティ・フリーダムの『女らしさの神話』を契機に、第二波フェミニズム運動が巻き起こる。少人数で女性としての体験を語り合うCR(意識向 上)グループは第二波フェミニズム運動の有用なツールだったが、適切な指導をしてくれるメンターもロールモデルもなく、孤立していた女性サイコロジストた ちが、CRを通じてつながった。彼女たち自身、そこで癒しと成長を経験しながら、女性のための新しい心理学を構築する必要性を痛感したのである。心理治療 は女性役割に適応させることにあるのではないという指摘がなされ、心理学の性差別による歪みをなくしていこうという目標が掲げられた。
 CRグループの延長線上に、組織としてのAWP (女性心理学会)やAPAの女性部会の設立もなされたようだ。フェミニズムに影響を受けた女性サイコロ ジストたちは、就職の厳しさ、セクシュアル・ハラスメントや孤立について語り合い、こうした非公式の会話から、1969年、AWPは設立されたという。 AWPの会合は、出席者の便宜上、APAの大会の前夜にもたれるようになり、これがAPAの女性部門の設立を推進した。実際には、フェミニズムに強く影響 を受けたこれら若手のサイコロジストと、そうではない年配の女性サイコロジストとの反目もあったようだが、協力して女性部門を設立したようだ。アンガー (1998)は、女性心理に関するプログラムは、女性解放運動の影響下で自然と飛び火したのでなく、APAの内部・外部で、組織的な活動が繰り広げられた ことを忘れてはならないことを指摘している。

4. フェミニスト心理学をつくる

 こうして、心理学の理論、研究、実践を見直していこうとする動きが生まれた。もっとも古典的な論文は、ナオミ・ワインスタイン(1968)の「心 理学が女性をつくる」だろう。ワインスタインは、心理学の実験結果が実験者の期待や社会状況の変化によって影響されることを立証し、心理学は神話から作ら れていると主張した。この論文には「科学的法則としての3K、子ども、料理、教会」の副タイトルがつけられている。
 アンガー(1998)によれば、大学でも女性心理学の講義が登場するようになり、1971年、最初の2冊の教科書『女性心理学』(バードウィック)『女 性心理について』(シャーマン)が生まれる。どちらも精神分析に批判を加えたものであるが、バードウィックはフェミニズムに対してアンビバレントなコメン トをしている。後者はアカディミックな色合いの強い出版社から出されたので、話題になることは少なかったが、平等やダブルスタンダードについての言及が多 く、フェミニズムの影響がよりはっきり見られるという。
 1972年に出版されたチェスラーの『女性と狂気』は、後に続く多くの女性サイコロジストたちに大きな影響を与えた。当時、チェスラーはわずか30歳 だったが、小説や詩、女性たちへのインタビューを素材に、女性の狂気を分析し、心理学や精神医学がいかに女性を抑圧するために利用されてきたかを論証し た。ジュリエット・ミッチェル『精神分析とフェミニズム』(1974)、ジーン・ベイカー・ミラーの『精神分析と女性』(1974)、『新しい女性心理学 へ』(1976)が続く。ミラー(1995)は、フェミニズムと『女性と狂気』の影響に言及している。ミラーは、最初、フェミニズムに盛り上がった世代よ り「年をとりすぎている」と感じたと言っているが、CRグループに加わり、運動に関わっていくなかで、それまで個人的に感じていた疑問に枠組みを与えられ たという。ミラーは、1981年に設立されたウェルスリー大学のストーン・センターの所長となり、現在まで、女性を欠陥モデルで捉えない心理学、関係性の 心理学の構築に貢献してきた。
 社会心理学出身のサイコロジストたちは、社会学習理論によってジェンダー・アイデンティティやジェンダー・タイピングを実証的に解明した。1978年に は、ナンシー・チョドロウの『母親業の再生産』が出版されている。チョドロウは、精神分析の理論を使って、幼少期の母と娘の関係から女性のジェンダーが再 生産されていく過程を明らかにした。問題意識を共有する女性たちの組織化が進むにつれ、1975年『性役割』、1977年『季刊女性心理学』など、ジェン ダーをテーマとするジャーナルも登場するようになると同時に、伝統的な心理学雑誌にも女性心理に関する投稿が増え、特集が組まれるようになった。
 エリクソンやコールバーグの同僚だったキャロル・ギリガンは、彼らの理論がいかに彼らの人生と関係しているかに気づき、自分の人生と仕事を結びつけよう と思ったと言う。そして、心理学の分野に女性の声や経験がないことに気づき、女性の声に耳を傾けることで、新たな心理学を構築しようとした。こうして書か れた最初の書物が、1982年の『もうひとつの声』である。ギリガンは、男性は自立という観点から世界を見る傾向があり、それを唯一の価値としてきたが、 女性は「つながり」という観点から世界を見る傾向があり、これにも大きな価値を与えた。ギリガンも、ストーン・センターの仲間たちと共に、「つながり」の 心理学を現在まで展開し続けている。
 目立ったものとしては、1980年から87年にかけて、スプリンガー出版より「女性フォーカス・シリーズ」が出版されている。7年間かけて、10巻が完 成されているが、タイトルの並びは、もしかすると、時代の関心や流行を反映しているかもしれない。1巻からタイトルを並べてみると、『出生率調整の安全 性』(1980)、『女性を対象としたセラピー~フェミニスト的志向を持つ治療』(1980)、『バタード・ウーマンのためのシェルターづくり』、『40 代からの女性』、『女性のステレオタイプ~精神衛生上の影響』、『バタード・ウーマン・シンドローム』(1984)、『女性の治療に関わる女性セラピスト たち~フェミニスト・セラピーの新しい理論と過程』(1984)、『女性学者のキャリア・ガイド』、『フロイトの眼の小さな欠点~精神分析から女性心理学 へ』『女性のセラピー・グループ~フェミニスト的治療パラダイム』(1987)となっている。80年代、バタード・ウーマンの問題に焦点が当てられ、シェ ルター活動やセラピーへの関心が高まったことが見て取れる。

5.フェミニスト・セラピーの発展

 フェミニストたちはフェミニズムの原理をセラピー理論に統合し、多様なアプローチを展開させた。70年代には、CR、アサーティブ・トレーニン グ、自助グループなどが発展したが、そのなかからテーマとして上がってきたものが、80年代、これまで無視されてきた女性固有の問題として研究されるよう になった。とくに、親密な関係のなかで起こる暴力、インセストを含む虐待などの問題が新たな視点から見直された。
 その中心は、何と言っても、1979年『バタード・ウーマン』に始まるレノアー・ウォーカーの一連の業績だろう。『バタード・ウーマン・シンドローム』 (1984)、『子どもの性的虐待ハンドブック』(1988、編集)、『フェミニスト心理療法』(1988、編集)『恐怖の愛~なぜバタード・ウーマンは 殺人を犯し、社会はどう反応するか』(1989)、『虐待された女性とサバイバー・セラピー』(1994)、その他であるが、ウォーカーは、90年代に入 ると、フェミニスト・セラピーとトラウマ理論を統合し、「サバイバー・セラピー」という新しいカテゴリーを作りだしている(Walker, 1996)。
 フェミニスト・セラピーの名称も登場し、スプランガー出版から『フェミニスト・セラピー・ハンドブック』(1985)が出版されている。この本は、 1982年4月にコロラド州で開催された「上級フェミニスト・セラピー研究所第1回年次大会」から生まれた。この本の序文には、フェミニスト・セラピーの 技法は1960年代後半から発展し始めたと書かれているが、草の根的なフェミニスト・セラピーの構築は、70年代半ばから始まったようだ。書物としてまと められるようになったのは80年代に入ってからである。まず、グリーンスパンが『女性とセラピーへの新しいアプローチ』(1983)を書いている。これ は、エンパワメントと関係性に焦点をあてたセラピーのモデルを提示したものだが、彼女は、ミラーの『新しい女性心理学へ』から影響を受けたと述べている。 フェミニスト心理学の裏づけがあって、フェミニスト・セラピーが発展したことがわかる。
 フェミニスト・セラピーという名称を使っていないが、メニンガー・クリニックのハリエット・レーナーは、精神分析と家族システム論にフェミニスト批判を 加え、女性のセラピーに関する著作を発表している。三部作と言われる『怒りのダンス~親密な関係のパターンを変える女性のためのガイド』(1985)、 『親密さのダンス~勇気をもって重要な関係に変化を起こす女性のためのガイド』(1989)、『ごまかしのダンス~女性の人生における嘘と真実』 (1993)と『女性と心理療法』(1988)などがある。ポーラ・カプランの一連の著作、『女と女のあいだ~バリアを低くする』(1981)、『女のマ ゾキズムという神話』(1985)、『母親を責めないで~母娘の関係を改善する』(1989)、『狂っていると言うけれど~権力者である精神科医が正常者 を決める』(1995)なども挙げてよいかもしれない。精神分析的なアプローチを取り入れたアプローチとして、ルイーズ・アイケンバウム、スージー・オー バックの『女性を理解する~フェミニスト精神分析によるアプローチ』(1983)も挙げられるだろう。著者らが1976年、ロンドンに「女性心理療法セン ター」を創設し、1981年、ニューヨークにその姉妹機関「女性心理療法センター」を設立している。
 ユング派フェミニストによる著作も登場する。ジーン・シノダ・ボーレンによる『あらゆる女性のなかに女神がいる~新しい女性心理学へ』(1984)は、 ユング心理学の概念である「元型」とフェミニズムの指摘する社会的な「ステレオタイプ」という概念を統合する形で、女性の自己理解や人生の指針を得る助け となる本だが、これは一躍ベストセラーとなり、ボーレンは雑誌の表紙を飾る時の人となった。ポリー・ヤング・アイゼンドラスによる『鬼婆と英雄~カップル と関わるユング派心理療法へのフェミニスト的アプローチ』(1985)、『女性の権威~心理療法を通じて女性をエンパワーする』(1987)などがある。
 多くの著者たちが「フェミニスト・セラピー」という語をあえて使っていないが、その理由には、心理療法家としては、フェミニストというアイデンティティ 以上に、フロイディアン、ユンギアンといったアイデンティティを重視しているからかもしれないし、あるいは、広く受け入れられるための戦略なのかもしれな い。
 エリン・カシャック(1995)は、1972年に「サンフランシスコ・女性のためのカウンセリング・サービス」を設立したメンバーでもあり、大学教育に も携わっているが、そのアイデンティティを結婚・家族セラピーとコミュニティ心理学に置いてきた。1992年に『ジェンダー化された人生~女性の経験に関 する新しい心理学』を出版したとき、彼女の訓練を受けた多くのセラピストが「自分がフェミニスト・セラピーを学んでいたなんて気づかなかった。」とコメン トしたという。カシャックによれば、1980年代、フェミニズムについて話さないことが、主流な機関で働くラディカル・フェミニスト心理学者の「奇妙な戦 略」だったそうである。
 ジュディス・ハーマンを中心とするボストンのグループも同様である。ハーマンらは、『心的外傷と回復』(1992)に見られるように、1984年より、 メアリー・ハーベイとともにケンブリッジ病院の暴力被害者支援プログラム(VOV)を発展させた。草の根的な運動を展開されていたレイプ・クライシス・セ ンターのジャネット・ヤッセンも加わり、はっきりとフェミニスト的志向を持っているが、彼女たちもフェミニスト・セラピーという語を使わない。本誌には、 メアリー・ハーベイの論文が所収されているが、編集者からの要請を受けて、フェミニズムの意義に触れてくれてあるが、ハーベイのアイデンティティは、コ ミュニティ心理学の方によりウエイトが置かれているような印象を受ける。
 フェミニスト・セラピーはそれ自体が独立してひとつの領域を形成しているというより、さまざまな心理学の領域にフェミニスト批判を加え発展させたフェミニスト心理学の実践的側面と理解するのが適切ではないかというのが、筆者の今のところの考えである。

6. フェミニスト心理学の多様化と成熟

 80年代のこうした基礎的研究の積み重ねがあって、90年代に入ると、フェミニスト心理学の分野の出版が急増している。あまりの多さに、内容の検 討までできそうにないが、タイトルから推測するならば、フェミニスト心理学がさらに多様化し、細分化しているようだ。たとえば、1995年にAPAから出 版されている『フェミニスト心理学に文化的多様性をもちこむ~理論、調査、実践』が、その例かもしれない。これは、APAの女性部会が、それまで白人中流 階級中心の心理学だったことを反省し、人種、階層、文化の違いに眼を向け、統合していこうと、「フェミニスト心理学の文化的多様性の専門調査委員会」をつ くり、共同で取り組んだ結果を出版したものである。
 90年代の目につく出版物としては、セイジ出版「ジェンダーと心理学~フェミニスト的視点・批判的視点」のシリーズである。タイトルのみ紹介すると、 『心理学における主体性と方法論』(1989)、『フェミニストと心理学の実践』(1990)、『フェミニスト・グループワーク』(1991)、『母性~ 意味、実践、イデオロギー』(1991)、『情動とジェンダー~記憶から意味をつくりだす』(1992)、『女性とエイズ~心理学的視点』(1993)、 『レイプに対する態度~フェミニスト的、社会心理学的視点』(1995)、『差異を語る~ジェンダーと言語』(1995)、『フェミニズムと語り~心理学 的視点』(1995)、『立脚点と差異~フェミニスト心理学の実践のなかのエッセイ』(1997)、『フェミニスト理論の脱構築』(1997)、『抵抗す るジェンダー~フェミニスト心理学の25年』(1998)である。
 シリーズ最後のタイトル(シリーズが完成したのか続行中なのかは不明である)から伺えるように、90年代後半には、フェミニスト心理学をいったん総括し ようとする動きがうかがえる。この論文で何度も引用しているが、チェスラーらが編集した『女性学、心理学、精神衛生におけるフェミニストの祖先たち』 (1995)は興味深い。この本ではこの領域で先駆けとなった50人近いフェミニストが、自分の人生と仕事について、また自分とフェミニズムとの関わりに ついて個人的経験を語っている。なお、「祖先」に当たる単語として、"forefathers"の代わりに "foremothers"が使われているが、この語は、まだ辞書やコンピューターに登録されていないかもしれない。「祖先」の語が使われていても、その 大半はまだ現在も活躍中のフェミニストである。それぞれの属する時代、地域、交友関係に注意しながら読み進めるとおもしろい。(年表や系譜をつくったら もっとわかりやすいかもしれない。)
 このような著作より伺えるのは、フェミニスト心理学の発展に貢献している心理学者の多くが、相変わらずフェミニズム運動を経験した第一世代であるという ことだ。AWPやAPA女性部会は、どちらも巨大な組織となり、そのアイデンティティを変えているが、男性は少なく、若い女性の層も少ないそうである。ア ンガー(1998)も、フェミニスト・サイコロジストを自認する若い女性が少ないことを指摘している。第二波フェミニズム運動にコミットしたサイコロジス トたちは、自分たちの世代の努力が効を奏して、若手の女性がもうフェミニズムを必要としていないのか、それともフェミニズムは世代的な一過性の現象だった のかと自問しているという。80年代に育った若い女性は個人主義者で、社会正義に関心が薄いのだと解釈する者もある。
 チェスラー(1995)は、「30年間戦ったが、私をはじめラディカル・フェミニストたちは、いまだに制度的な力を持たない。私たちが知っていること は、私たちと一緒に死んでしまう。制度的な力を持たなければ、私たちの知識を次の世代に受け渡すことができない。」と嘆き、さらに『若いフェミニストへの 手紙』(1997)を出版している。彼女たちは、第一波フェミニズム運動が途切れてしまったことを憂え、第二派フェミニズム運動が同じ運命をたどるのでは ないかと怖れてもいるようだ。次の世代にそれを受け継いでもらいたいという熱い思いが伝わってくる。フェミニズムの伝統を作り上げていくこと、それが課題 なのだろう。
 最後に、『フェミニスト心理学の未来を形づくる~教育、研究、実践』(1997)を紹介しておこう。この本は、1993年、ボストン大学で開催された 「フェミニストの実践における教育と訓練を考える第1回全国大会」の結果である。この大会の運営の仕方が興味深い。この大会には、心理学の分野で博士号を 持つ77人の心理学者が集まり、フェミニスト・プロセスのモデルにのっとって、9つのグループにわかれ、4日にわたり、それぞれの結論を導き出している。 13人の院生が記録係を担い、その責務に支障をきたさない範囲でグループに参加した。おもしろいことに、最後の章に記録係を担った院生たちの批判や提案が 収録されている。フェミニスト的な方法論に基づくフェミニスト心理学のさらなる発展が期待される。

7. まとめ

 本稿では、アメリカにおけるフェミニスト心理学の歴史を概観した。これらの歴史から、日本にいる私たちは何を学ぶことができるのだろうか。日本の 心理学の状況と比べて感じることは、心理学自体の歴史が違うということと、大学院で専門的な教育を受けた女性たちが、第二次フェミニズム運動に積極的にコ ミットし、他の女性たちとつながることによって力を得、男性中心的な従来の心理学に批判を加えていった実績の重みである。次論では、日本のフェミニスト心 理学の歴史を展望し、今後の課題を考えてみたい。

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『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
女性のトラウマに関わる臨床家の使命

ハーバード大学臨床心理学助教授・ケンブリッジ病院暴力被害者治療プログラム主任
メアリー・ハーベイ (村本邦子訳)

1.はじめに

 女性の人生は、暴力の危険に満ちている。子ども時代、思春期、中年期から老年期にいたるまで、女性は、身近な信頼すべき男性による危険に晒され る。たくさんの女性がパートナーによる虐待を受け、暴力の目撃者となった子どもは脅え、傷つく。女性の人生は、暴力と虐待によって、何度も中断させられる が、女性が危険に慣れることはない。繰り返し暴力を受けていれば、暴力に慣れっこになると考える専門家は多いが、研究結果はその逆を示している。女性は暴 力に慣れることなどできない。それどころか、暴力を受けるごとに症状は増し、絶望感も増すとデータは示している。
 この論文の目的は、面接室の中からだけでは見えない女性の苦しみにも眼を向け、フェミニスト臨床家は、クライエントのために、そして、一般の女性と子ど ものために、安全な新しいコミュニティへの「エコロジカル・ブリッジ(生態学的かけはし)」となる心構えが必要だということを訴えることにある。
 初めにキャサリンの事例を紹介し、次に、この社会で女性と子どもが受ける暴力と虐待の性質と程度を見るためにいくつかのデータを示す。最後に、キャサリ ンの臨床的ケアと回復を「エコロジカル・フレームワーク(生態学的枠組み)」に当てはめ、キャサリンを初めとする女性たちが、この社会で本当に安全な避難 所を見つけるために、私たちは何をしなければならないのか考えてみたい。

2.キャサリンの事例

 キャサリンは35歳。離婚し、3人の小さな子どもがいる。受け付けの仕事をしていたが、一番上の子どもが病気で学校に行けなくなり、仕事をやめ た。それ以降は福祉手当で家計を賄っている。 キャサリンは、この5年間、トッドという男性とつきあっている。一緒に暮らしたことはない。キャサリンの子 どもたちの経済的責任を担わされることが嫌なので、トッドは同棲や結婚を拒否している。トッドの浮気が発覚した後、鬱状態になって、私たちのクリニックに 紹介されてきた。キャサリンはトッドの裏切りに怒っていたが、関係を修復したいと思っていた。
 初回面接で査定するさい、キャサリンは、トッドとの関係を詳しく話すことをしぶり、子ども時代の経験がどう自己評価に影響したのかを探りたがった。キャ サリンの両親はどちらもアルコール依存症だった。子ども時代、両親の口論から暴力沙汰になることがしばしばあり、隣の家に駆け込んだ。隣には、小さな二人 の子どもを持つ夫婦が住んでいた。キャサリンが10歳のとき、夫の方が強制猥褻を始め、この性虐待は数年続いた。この虐待関係にキャサリンを引き寄せた力 は、おもに心理的なものだった。身体的虐待が伴ったのは2回だけだった。男は、逃げようとするキャサリンを抑え込み、「暴れたら殴るぞ」と脅した。キャサ リンは、恥辱、恐れ、罪悪感、嫌悪を経験したが、虐待から逃れるための試みはほとんどしなかったと言った。
 過去を語るなかで、キャサリンは、20代の頃、同様のことを訴えて、短い期間だったが、心理療法を受けたことがあったと言った。もう一度、心理療法に戻 りたいと言った。キャサリンが、子ども時代の経験を振り返り、現在の状況を捉えなおす知力を備えていることはあきらかだった。過去と現在をつなぐことが、 最初の治療目標になった。キャサリンによれば、子ども時代に由来する自己評価の低さが、外見に気を配り、魅力的な女性としてふるまう能力を妨げているとい うことだった。こうして、彼女は、トッドの浮気を自分のせいだと考え、それ以上の浮気を避けるために自己改革をしたいと思ったのだった。また、仕事をやめ てから余計、自信がなくなったように感じるので、自己評価を高め、仕事に戻る自信をつけようと考えた。
 数回の面接の後、キャサリンは、トッドが口論になると、殴ることがあったと認めた。初めは暴力を低く見積もり、ほんの数回だけだと言っていたが、注意深 く聞いていくうちに、5年の間に、何度も深刻な怪我を負っていたことがわかった。トッドは繰り返し彼女を平手打ちし、何度か蹴り、少なくとも一回は、ひど く殴っていた。3人の子どもたちは、これらの暴力を何度も目撃していた。母親が殴られ、脅されるのを見、どの子も少なくとも一度は、暴力をやめさせようと 間に割って入ったことがあり、どの子もトッドから叩かれる経験を持っていた。
 トッドはアルコールが入ると激しやすく、過度な飲酒は頻繁だった。キャサリンは、ここ2~3年、トッドと一緒に飲むようになった。最初の頃は、トッドの 怒りが収まるのではと期待したからであり(トッドは、彼女が1杯しか呑まないことを馬鹿にしていた)、最近では、逃げ出したくなる衝動を抑えるためだっ た。キャサリンがトッドとつきあっている間、中絶を2度、流産を1度経験していたこともわかった。性関係は、トッドが強引に固執し、キャサリンは気乗りせ ず拒否しようとするのが普通だった。トッドが強引に暴力的な性関係を強いたことが1度ならずあった。トッドとの性関係についてのキャサリンの感情は、複雑 だった。一方では、もっと選択権とコントロールを得たいと望みながら、他方では、性関係を拒否すれば捨てられるのではないかと恐れていた。
 この関係の多くの要素が、子ども時代、隣人との間で経験した虐待的な関係と類似していた。アルコール依存の両親に見捨てられた時、かくまってくれた隣人 のように、キャサリンはトッドなしにはやっていけないと思っていた。また、隣人と同じく、トッドとの性関係は、とりあえずのなぐさめを見出す愛情と刺激を 与えてくれた。彼女は、本当の愛情と純粋な合意による性経験をほとんど経験したことがなかった。隣人との関係と同じく、トッドとの関係でも、キャサリン は、かなわない心理的な欲求を満たすために、性関係を引き換えにしていることに気づいていた。このことが、キャサリンに恥辱と自己嫌悪を残した。時ととも に、自己嫌悪は、自己無視と自虐的行動へと変わっていた。身体的経験を無視することができたので、病気の兆候を無視し、医療的な注意を怠り、健康な生活習 慣を保つことをしなかった。
 似たような事例を、私たちはみな、知っているはずだ。

3.女性と暴力―調査結果から

 キャサリンの事例は、女性への暴力が頻発しているという公衆衛生の問題に目を向けさせる。結局のところ、キャサリンとは、個別の問題を抱える個人 でありながら、同時に、統計値、つまり、広く多用な集団の一例でもある。刑法と暴力に関する疫学が示すところによると、個人間の暴力は、あらゆる年齢、人 種、社会経済的集団の個人に影響を及ぼす。キャサリンが子どもの頃より晒されてきた類の暴力が、かなりの頻度で起こっていることもわかっている。たとえ ば、性暴力は、アメリカ女性に馴染み深い出来事だ。頻度調査によれば、アメリカの女性の20~33%が、子ども時代に性虐待を経験し(Finkelhor et al.,1990;Russel,1986)、15~25%が成人してから性被害もしくはレイプを経験する(Koss,1993)。キャサリンのように、 成人してからレイプされる女性の多くは、見知らぬ他者からだけでなく、よく知った人(たとえば現在あるいは過去の夫やボーイフレンド)から被害を受ける (Harvey and Herman,1992)。
 子どもの虐待も、頻繁に起こっている。全国調査では、10~16才の子どもの3分の1以上が、何らかの形の身体的・性的虐待の被害経験を持つ (Boney-McCoy & Finkelhor,1995)。この調査で明らかにされた加害者は、家族、知人、見知らぬ人だった。子どもに対する両親の行動を調べた結果では、調査の 年、最低でも150万の子どもたちが蹴られ、殴られ、打ちのめされ、ナイフや銃で脅されたり傷つけられたりしていた(Wauchope & Straus,1990)。この点で、キャサリンの子ども時代も例外ではない。キャサリンは、女性として、多くの中の一人だ。子どもの時も、多くの一人に すぎなかった。今では、彼女自身の子どもたちも、家で虐待され、暴力を目撃した子どもたちの一員に加えられる。
 1998年、国立正義研究所と疾病コントロール・センターは、女性への暴力全国調査の結果を出版した。この調査は、八千人の女性と八千人の男性へのインタビューに基づいている。この調査の要点を見てみよう。

(1) 性別による被害類型 

 暴力は、あらゆる人種、性、社会経済的連続体に起こるが、ある種の暴力の頻度は、個人的特徴、人口学的要因、社会的要因によって変化する。たとえ ば、性暴力に影響を及ぼす強力な要因は、性別である。男の子も女の子も性虐待を経験し、男性も女性もレイプを経験するが、性暴力の頻度は男性や男の子よ り、女性と女の子の方がはるかに高いことがわかっている(Boney-McCoy & Finkelhor,1995;Boudewyn & Liem,1995)。

表1.女性への暴力全国調査 (NIJ/CDC、 1998)

暴行の種類女性 (N=8,000)男性 (N=8,000)
レイプ 17.6 3.0
身体的暴行 51.9 66.4
叩く 43.0 53.7
殴る 14.1 15.5
首をしめる・溺れさせる 7.7 3.9
銃で脅す 6.2 13.1
銃使用 2.6 5.1

 

 この表は、調査された女性、男性によって報告された出来事の分布である。(首を締められる、溺れさせられる以外では)さまざまな身体的虐待は一般 的に言って、男性に多い。ところが、レイプとなると、この調査では女性は男性の6倍近い頻度になっている。次の表に移る前に、次のようなことを考えてみる と良いかもしれない。キャサリンが経験したのは、これらの出来事のいくつに当てはまるだろうか?今後予期されるのはいくつあるだろうか?キャサリンの子ど もたちはどうだろう?彼らがすでに受けた被害は?今後、受けるかもしれないものは?

(2) 被害者と加害者の関係

 男性も女性もこれらの性的・身体的虐待を受けているが、被害者と加害者の関係に目を向けてみると、その分布は大きく違ってくる。図を見れば、加害 者との関係に関して、男女で大きく違うことがわかるだろう。女性は男性よりパートナーに虐待されやすく、男性は女性より見知らぬ他者に被害を受けやすい。 親戚による虐待は男女とも同じぐらい(若干、男性が少ないが統計的には有意ではないだろう)、知人による被害は女性に多い。

図1.被害者と加害者の関係 (1998)

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 キャサリンの子ども時代を考えてみると、彼女は知人によって虐待された約20%の女の子の中に入る。現在のトッドとの関係は、親密なパートナーによるレイプと殴打を報告している80%の女性に位置づけられる。

(3)親密なパートナーによる被害―性別による虐待の類型

表2.親密なパートナーによる暴行 (1998)

暴行の種類女性 (N=8,000)男性 (N=8,000)
レイプ 7.7 0.3
身体的暴行 22.1 4.4
叩く 16.0 5.5
殴る 8.5 0.6
首をしめる・溺れさせる 6.1 0.5
銃で脅す 3.5 0.4
銃使用 0.7 0.1

 

 親密なパートナーによる暴力に限って議論すると、キャサリンのように親密な関係のなかで、どの項目に関しても、女性は男性よりはるかに高い危険に 晒されている。キャサリンは世界に唯一の例ではない。キャサリンも、それ以外の何千という女性たちも、愛している、あるいは愛したいと思う男性によってレ イプされ、叩かれ、打ちのめされ、脅され、蹴られている。

(4) 最初にレイプされた年齢

図2.最初にレイプされた時の女性の年齢 (1998)

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 どの研究を見ても、子ども時代の虐待は、その後の虐待の予測因子となることがわかる。実際、成人期のレイプを予測する唯一の要因は、子ども時代の 性虐待である。この図から、どんなに幼い女の子たちが最初のレイプを受けているかがわかる。少なくとも1回のレイプを報告した1323人の女性のうち、 22%が、キャサリンのように12歳以前にレイプされている。32%が12~17歳の間である。耐えがたい状況ではないだろうか。
 キャサリンのような女性にとって、子ども時代の性的、身体的、心理的虐待経験は、成人してからの危険要因となる。子ども時代に性虐待を受けた女性は、成 人してからもレイプされやすいと調査が示しているように、子ども時代、家族内で心理的な虐待関係を経験した女性は、成人してから、心理的、身体的に虐待関 係を結びやすい。

4.暴力の痕跡―トラウマの身体的・心理的帰結

 キャサリンが子ども時代に経験したような身体的・性的虐待は、医学的・心理的健康に影響を及ぼすだろう。たとえば、家庭内における子ども時代の身 体的・性的虐待は、大人になってからの、自己破壊的行動および自殺企図と連関する(Boudewyn & Liem,1995; Briere & Runtz,1993; van der Kolk, Perry and Herman,1991)。子ども時代のインセストは、摂食障害、不安障害一般と連関し(Draijer et al)、自己規定、統合性、感情の自己統御、他者への信頼感を妨害する (Cole & Putnam,1992)。子ども時代の性虐待に共通する他の心理的帰結には、感情障害、不安障害、解離障害への危険性が高まることも含まれている (van der Kolk, Perry and Herman,1991)。
 キャサリンの状況は、子ども時代の虐待経験に続き、成人してからも被害が繰り返される多くの女性の人生と困難をも示している。どんな年齢における性被害 も、複雑な精神症状、心理社会的問題の危険率を高める。たとえば、全国調査が示すように、レイプ・サバイバーの31%がレイプ関連PTSDを発症し、アル コール依存、物質依存の危険率は高まり、レイプは、抑鬱の主要要素となっている(National VictimsCenter、1992)。レイプ被害 者は、そうでない場合より4倍も高い確率で自殺念慮を抱き、13倍もの確率で自殺を試みている(National Victims Center,1992)。被害者と加害者の関係は、レイプ後の適応に大きな影響を与える。恋人、養育者、親密なパートナーによる性被害は、見知らぬ者に よる被害よりもはるかに否定的で長期にわたる影響を及ぼすようだ (Koss et al, 1987; Roth et al, 1990; Russel, 1984; Wyatt, 1985)。

(1) 女性と暴力

(1) 20-33%のアメリカ女性が子ども時代に性虐待に遭う。
  知り合いの男性が加害者であることが多い。
(2) 15-25%のアメリカ女性が成人期、性被害もしくはレイプに遭う。
  知り合いの男性が加害者であることが多い。
(3) 女性は、子ども時代も成人期も、知り合いの男性から、身体的および性的暴力を受ける危険性が高い。
(4) 子ども時代の虐待は、成人期に暴力や虐待に遭う主要な危険因子である。
(5) 子ども時代もしくは成人期の虐待は、物質依存と心理的病の主要な危険因子である。

 この表は女性の生活における暴力の現実を示すこれまでの要約である。複数の研究によるデータから、アメリカ女性の20~30%が子ども時代に性的 虐待を経験し、15~25%が成人してからレイプもしくは性被害を経験している。5番目のポイントは、もっとも重要だろう。つまり、子ども時代の被害であ れ、成人してからの被害であれ、虐待は物質依存(アルコール依存、薬物依存、食物依存など)と精神障害の主要な要因となっている。

(2) 女性、暴力、物質依存

(1) 物質依存の治療を受けている女性の75-90%は、身体的および/もしくは性的虐待の歴史を持つ。 
(2) 言い換えると、これらの歴史を持つ女性は、物質依存に陥る危険性が高い。
(3) 物質依存に陥っている女性がトラウマに晒される危険性は55-99%である。一般女性がトラウマに晒される危険性は36%である。

 この表でとくに大事なのは、1と3である。つまり、物質依存で治療中の女性の75~90%に身体的もしくは性的虐待歴があるということ、物質依存 の女性が生涯にわたりトラウマに晒される確率は、55~99%である(一般の女性は36%)。キャサリンが気分を変え、トッドの怒りを和らげるためにアル コールに頼ったのは特別なことではない。

(3) 女性、暴力、物質依存と精神障害

(1) 物質依存の女性の30-59%が、PTSDの診断に該当する。一般女性の該当率は11%である。
(2) 子ども時代の性虐待は、成人期の再被害化の主要な危険因子である。新たな被害の影響も相まって、以下の問題の発生率が高める。抑うつ、自殺企図、摂食障害、PTSD、PTSD以外の不安障害、解離性障害、自己統制と信頼感の損傷。
(3) 精神障害とトラウマに苦しむ女性は、さらなる暴力と物質依存への危険性が高くなる。

 実際のところ、キャサリンは一人ではない。物質依存の女性の30~59%がPTSDの診断に値する。暴力と虐待の結果、キャサリンだけでなく何千 という女性がひとつ以上の情緒障害(ジュディス・ハーマンが複合型PTSDと名づけたもの)に苦しんでいる。ここで強調しておきたいことは、最後の部分で ある。精神障害とトラウマに苦しむ女性は、しばしば、さらなる暴力への危険を高める生活をしているということである。繰り返し殴打されてきた女性たちは、 暴力に慣れてしまって、それ以上苦しまないし、それ以上悪い状態にはならないと考える人々は多いが、実際にはそうではない。良くも悪くも、私たちは暴力に 慣れることはない。精神障害を持つホームレスの女性の暴力を調べた研究からは、暴力が一回増えるごとに症状は悪化し、予後は厳しくなるということが明らか にされた。ここでも、キャサリンは決して特殊な例ではなく、厳しく危険な生活を営む女性や子どもは他にもたくさんいるということを確認しておこう。

5.暴力の痕跡―社会的損失

 個人間の暴力は個人レベルでの損失ばかりでなく、社会全体にも損失を与える。子ども時代の性的虐待は、しばしば成人してからの危険な性的行動と結 びつき、数多くの性感染症がひろまる危険がある。子ども時代、成人期と被害にあった女性は、1回だけ性被害にあった女性と比べ、安全な性関係をもつことも 必要な避妊をすることも難しい(Wyatt, Guthrie & Notgrass,1992)。
 全国的にも世界的にも、レイプは望まぬ妊娠、中絶、性感染症に大きな影響を与えている(Koss & Heslet, 1992; Koss et al., 1994)。個々の被害者によって払われる身体的なつけに加え、社会的にも、かなりの医療費のつけが回ってくる。たとえば、身体的、性的被害を受けた女性 は、そうでない女性に比べ、2倍の確率で医者に通っている(Koss & Woodruff, 1991)。コスらの研究は(1994)、被害にあった女性は、そうでない女性と比べ年間2.5倍の医療費がかかると推定している。

6.フェミニスト臨床家がすべきこと

 キャサリンの人生(子ども時代、成人期、現在のトラウマ、彼女の子どもたちのトラウマ)は、女性が出会う危険を示している。私たちは、この危険を 減らし、女性たちの苦しみを減らすよう、サバイバーとともに働く責任を負っている。クライエントと治療関係を結び、癒しと変容のエンパワメントと信頼を目 指している。VOVプログラムでは、トラウマと回復の生態学的視点で、キャサリンに必要なものと環境の生態学的査定をすることから仕事が始まる。
 トラウマと回復について私が書いてきたものはすべて生態学的モデルを中心にしているが、ここでは、生態学的視点を紹介し、キャサリンを理解し治療を組み 立てるさいの枠組みを考えてみよう。そして、文脈、コミュニティ、そして新しいコミュニティへの生態学的橋渡しをする治療者の責任について議論していきた い。

(1) トラウマの生態学的視点

 ポイントはふたつある。1.キャサリンの臨床像を捉える上で欠かせない「P(人)xEV(出来事)xENV(環境)」要因。 2.キャサリンが自 分の経験をどう理解し、自分やトッドとの関係をどう捉え、どんな種類の安全がありえるのか、キャサリンと子どもの将来に何を期待できるのかを決定するコ ミュニティの役割。
 この意味で、臨床家は、子ども時代のキャサリンと家族を取り巻くコミュニティとコミュニティの価値観、現在のキャサリンが関わっているコミュニティの査 定をすることに加え、キャサリンが、安全と回復を得るために必要なコミュニティとはどんなものかを考える援助もしなければならない。(トラウマの生態学的 視点の詳細は、去年の号を参照されたし。)

(2) 回復の環境

 どんなにうまくやったとしても、週に1時間の心理療法では、キャサリンは回復しないだろう。キャサリンが自分と子どもたちの安全を確保し、現在経 験している暴力から逃れ、自分が尊重され安全に暮らすに値すると感じるようになるためには、子ども時代に経験したコミュニティ、現在経験しているコミュニ ティとはまったく違う世界、環境、コミュニティに接近する必要がある。私たちが望むと望まないにかかわらず、私たちが満足するとしないにかかわらず、キャ サリンが知らない資源に接近する必要がある。したがって、私たちには、キャサリンに必要な資源とは何なのか、それは手に入るのか入らないのか、どうすれば 効果的に接近できるのかを考える責任がある。そして、私たち自身がそれらの資源と関係を持ち、必要な資源がまだ存在しないならば、それを創り出すことにも 力を注ぐという責任があるのだ。 
 私が資源と言うとき、キャサリンのような女性を援助できるような機関、サービス、政策についてだけでなく、コミュニティ全体によって表現されている価値 観や信念をも含めている。安全と自己決定への関心、平等で多様性を認める価値観などであるが、それらは、具体的な援助資源がどれだけ利用できるかを決定す る。つまり、女性と子どもが必要なとき、シェルターや安全な家を適切に利用できるかどうかは、そのコミュニティがどの程度まで、安全に価値を置いている か、女性と子どもを尊重しているかを示すバロメーターとなる。そのような資源がほとんどなく、基金もなく、女性たちが利用できないとすれば、それが、その コミュニティの価値観を表している。
 結局のところ、私たちはみな、コミュニティからアイデンティティと所属感を引き出し、それが、自分自身をどう捉えるか、自分の経験にどんな意味を与える かに決定的な役割を果たす。最近、私と同僚は、VOVプログラムで行ったトラウマからの回復と回復力に関する継続中の研究でインタビューした3人の性的虐 待サバイバーの語りを検討する論文を執筆した。これら3人の女性の語りが説得力を持つのは、自分の経験した虐待を、加害者側から見た物語から自分を世界の 中心においた語りへと変容させていくプロセスを垣間見せてくれるからである。彼女たちは、それぞれ、回復に不可欠なものとして治療者と治療を信頼し、過去 を語った。しかし、それぞれの女性が、自分のために行動し、社会的支援を得、コミュニティの資源に接近できるような社会的、発達的文脈において回復を創り 出したということも真実である。
 たとえば、アニーは、コミュニティのなかから、自分の望みにあったお産を援助してくれる助産婦をさがした。地域のクリニックの待合室で出会った女性から 助産婦のサービス機関を知ったのである。クリニックのトイレのポスターは、女性への暴力が法律に反することだと知らせ、アニーは、そのポスターのことを覚 えていた。後に、彼女は、アフリカのダンス・グループに加わり、30数年恥と嫌悪を感じ続けてきた自分の体をコントロールし、受け入れるようになった。こ のダンス・グループのことは、助産婦が紹介してくれたヨガのクラスにいた妊婦から聞いたのだった。アニーが心理療法を始めたのは、虐待の加害者である義父 を訴えたいという復讐心からだった。治療を終えるまでに、彼女は法的行動を起こし、義父の養子縁組を解消し、血のつながった父親とのつながりを回復した。 彼女の物語りは関与の物語であり、恥じ、怒り、孤立からエンパワメントとつながりへの移行を示している。
 ソーニャが治療にやってきたとき、父親から虐待されていたという考えが、まだ彼女を苦しめていた。彼女は、父のしたことをずっと記憶していたが、それを インセストだと理解したのは、子どもを持ってからである。彼女は、母親にも姉妹にもそれを打ち明けていなかったが、最初にしたことは、自分の経験と苦しみ を、職場の上司と人事部の女性に打ち明けるということだった。その結果、つらい時には休みを融通するよう励ましてもらった。また、保険が切れたとき、会社 が治療費を捻出してくれた。彼女は、この二人を信頼した。打ち明けることを試し、良い結果を得て、家族にも打ち明けたのである。
 今では、彼女は、自分の力を感じている。彼女は個人セラピーとグループセラピーを受け、カップルでも家族でもセッションを受けた。そして、一生懸命、治 療に取り組んだ。職場では、上司と同僚に子どもの虐待の現実を啓蒙し、彼らと一緒に、被害者、とくに、そのコミュニティに住む被害者の権利を経済的、技術 的に支援する機関を立ち上げた。
 これらの物語のポイントは、癒しと回復、変容がより広い世界で起こっているということである。女性たちに安全とつながりと行動への新しい機会を提供する コミュニティの中で、変化が生じている。キャサリン、アニー、ソーニャのような女性を治療する者の重要な責任は、新しいコミュニティへの「生態学的橋渡 し」としてサービスを提供することである。つまり、クライエントが、女性の安全と癒しを援助するようなコミュニティ資源に接近できるよう、学び、創り、助 ける責任がある。
 虐待された女性や子どもと関わる治療者は、これらの価値観を育て、これらの資源を創り、キャサリンのようなクライエントがそれらに接近できるよう援助す る方法を知っている責任がある。たとえば、バタード・ウーマンのシェルター、ホットライン、安全の家が私たちのコミュニティにあるだろうか?あるならば、 その連絡先。ないなら、今の彼女に一番役立つ、一番近くにある資源は何なのか? レイプ・クライシス・サービスやホットラインはあるか?電話番号は?被害 者の権利擁護サービスがコミュニティにあるか?電話番号は?このような女性たちの力になれる援助者の名前と連絡先。そのような人を知らないならば、どう やって探せばいいのか?どうやって訓練したらいいのか?
 キャサリンの子育てを支援してくれる機関があるか?子どもが暴力を目撃することでこうむる危険について彼女が学ぶためには何ができるだろう?女性の物質 依存へのサービス機関は?12ステップのグループで彼女が利用できそうなものがあるか?それ以上に、キャサリンのような女性に安全と安らぎの場を与えてく れるグループや機関はあるか?他の女性と話す機会があるだろうか?一人じゃないことを学ぶ機会は?
 キャサリンのような女性が回復を援助するコミュニティに接近できるよう、私たちが把握しておく必要のある生態学的資源に関するこれらの問いの陰にあるのは、フェミニスト臨床家たちは、臨床家としての役割と同時に、社会活動家としての役割を担う使命もあるということだ。

(3)フェミニスト臨床家にできること

 安全でサポーティブなコミュニティの要素とは何だろう?キャサリンのような女性がこの社会で安全であると感じるばかりでなく、自分は安全に生きる に値する存在だと感じるようになるには、耳を傾けられ理解されていると感じるばかりでなく、エンパワーされたと感じるようになるには何が必要だろう?いく つかのアイディアをあげてみよう。

(i) 個人の安全を重んじる価値観
(ii) 女性と子どもを含む人権を重んじる価値観
(iii) 違いと多様性を認めること
(iv) 葛藤の解決策としての暴力を拒否すること
(v) 人種差別、性差別、年齢差別などあらゆる差別の拒絶
(vi) 以上 (i) から (v) を具体化する資源(暴力防止プログラム、暴力と虐待の被害者の避難所、危機介入と権利擁護サービス、政策と公共教育、適切な法的・医学的・心理的資源、差別撤廃のキャンペーンなど)
 今日、女性と子どもに向けられている暴力のレベルを、臨床の仕事によって訴えることはできない。むしろ、私たちが面接室で学んだ、どれほどの暴力があ り、どれほどひどい損傷があるかをもとに、社会活動と政策の領域へとつなげていくことが必要である。これらの暴力は、おそらく、女性や子どもへの「嫌悪 (ヘイト)」、少なくとも「軽蔑」の表現と理解することができるだろう。
 フェミニズムは、女性の人生の政治的分析を可能にする。フェミニスト臨床家が、虐待や暴力に傷ついた女性や子どもの力になろうとするなら、これらの問題 を臨床的な視点からばかりでなく、政治的な視点からも分析する必要がある。女性を取り巻く社会的状況を理解したうえでの臨床的サービスであってこそ、キャ サリンのような女性の回復を助けることができるのだ。
 キャサリンが自分に向けられた暴力を理解し対処するうえで、彼女の治療者が、彼女は安全に生きるに値する存在だと教えてくれるようなコミュニティの資源 につなげることができれば幸いである。これに成功すれば、ソーニャのように、キャサリンも、自分の経験を利用して、女性や子どものために社会を変える行動 を起こすかもしれない。しかし、彼女が苦闘するあいだに、彼女がどんなに傷つき、この社会にはどんなに多くのキャサリンがいるかをよく知る私たちは、この ような社会の価値観を抜け出し、新しい社会秩序を主張していかなければならない。 

※ 本原稿は、ハーバード大学医学部主催『女性から学ぶ』カンファレンス(2000年4月28・29日)での発表原稿をもとに、修正加筆したものです。

文献

Harvey, M.R.(1966) An ecological view of psychological trauma and trauma recovery. Journal of Traumatic Stress,9(1),3-23

(メアリー・ハーベイ(1999)「生態学的視点から見たトラウマと回復」『女性ライフサイクル研究9号』女性ライフサイクル研究所)

Harney, P.A., Lebowitz, L. and Harvey, M.R.(1988) A stage by dimension model of trauma recovery: application to practice. In Session: Psychotherapy in Practice, 3(4)

Harvey, M.R., Mishler, E.G., Koene, K. and Harney, P.A.(Forthcoming). In the aftermath of sexual abuse: Making and remaking meaning in narratives of trauma and recovery. Narrative Inquiry.

Harvey, M.R. and Harney, P.A.(1977) Addressing the aftermath of interpersonal violence: the case for long-term care. Psychoanalytic Inquiry, Supplemental Issue,28-44.

Harman, J.L.(1992) Trauma and Recovery. Basic Books: New York, NY.

『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
心理療法にセックスが入ってくるとき

アメリカ心理学会女性委員会(ワシントンDC)

 この論文は、心理療法にセックスが入ってきたとき、それがどんな影響を与えるのか、どうしたらいいのかをクライエントが理解する手助けとなるよう出版されたものである。まず、以下の点を理解して欲しい。

1.心理療法をやっている治療者は、その大部分が倫理的であり、プロフェッショナルとしての基準を守り、クライエントのことを考えているが、ごく一部に、倫理に適わないことをし、クライエントにとって何が一番ためになるのかを考えない人がいる。
2.クライエントが不適切ではないかと感じた場合、ほとんどの治療者は、クライエントが心理療法の消費者サービスに相談し、助言をもらう方が、クライエントのためになると考えるものである。
3.この論文は、とくに心理療法家に関わる状況と問題を説明するためのものだが、それ以外の治療やカウンセリングを行うメンタルヘルス・ワーカー(精神科医、ソーシャルワーカー、看護婦、牧師、その他)には、すべて通用する。

 これは、1986年に書かれ、1986年までに修正加筆を繰り返し完成させたものだが、その間、たくさんのメンタルヘルスのプロたちがこれを必要とし、取り寄せた。そこで、もっとたくさんの人々が読めるように、メジャーな雑誌に公表することにしたのである。

○治療者がクライエントと性的接触を持つことは倫理に適っているか?

 答えはノーである。メンタルヘルスの分野のプロ、とくに治療者には守らなければならない倫理規定があり、それはほとんど共通したものである。とくに、ク ライエントと性的接触を持つことは、どこでも、はっきりと禁じられている(アメリカ心理学会、アメリカ精神医学会、ソーシャルワーカー協会、その他、心理 療法と関わるさまざまな職種の倫理規定)。

○性的接触を持つことがなぜ治療関係に悪いのか?

 クライエントと性的接触を持つ治療者は限られているが、それは倫理違反であり、クライエントにとって有害である。なぜなら、性的接触は、治療関係 が持つべき客観性を破壊し、クライントが治療者はもちろん、他の人を信頼することを傷つける可能性があるからだ。だから、治療法として認められていない。 あなたの問題がどんなものであれ、治療者と性的接触を持つことで解決することはない。治療関係に性的接触を持ち込もうとする治療者のほとんどは、それ以外 のクライエントとも同様の関係を持っている。治療者と性的接触を持ったことでよくなった人は、まずほとんどいない。その悪い影響はすぐさま現れることもあ るが、時間が経って初めてわかる場合もある。

○治療における性的接触とは何なのか?

 「性的接触」とは、セックスだけでなく、性的なニュアンスを持つ言葉から、意味ありげの抱擁やキス、手、口、性器での接触まで、幅広い行動を含ん でいる。暖かく思いやりのある接触はあり得るが、その場合、その行動について治療者と話し合うことのできるものでなくてはならない。また、治療のなかで、 あなたの性的な感情について話し合うことはあるかもしれない。それによって、あなたに利益があるならば、それは倫理違反ではなく必要なことだろう。
 しかし、治療者と性的接触を持つことは、あなたの利益にならない。そのような例に関するほとんどの研究で、はっきりと有害であることが報告されている。 治療者が、あなたには性的と感じられる仕方であなたに触り、治療者は性的なつもりはないと言ったとすれば、決めるのは、あなたである。それがあなたに及ぼ す影響が一番よくわかるのは、あなたである。
 倫理的な治療者は、あなたを不快にしたことについて、率直に話し合い、そのようなことはやめたいと思うだろう。あなたの治療者ならば、不快であるという あなたの感情をねじまげようとせず、尊重するはずである。あなたが不快だと言っているのに、それを続けるとすれば、それは不適切な振る舞いである。治療者 の意図をあなたが誤解している可能性もあるが、それでも、話し合いの結果、治療者が態度を変えないならば、状況を変えるために、次のステップ(これから述 べる)を取るべきである。

○治療者に恋をしてしまった場合は?

 治療の過程で、クライエントが治療者を好きになったり、愛情を感じるのは、ごく当たり前のことであり、性的魅力を感じることもある。(これはあま りにもよくあるので、それを説明する「転移」という心理学用語がある。)結局、良い治療者は、クライエントを気づかい、サポートしてくれるので、愛情を感 じるのが自然である。でも、あなたのことを考える良い治療者ならば、そのような気持ちを利用して性的関係に巻き込むことが、どんなにあなたを傷つけるか、 わかるはずだ。だから、あなたの感情について話し合い、援助したいと思うだろう。同時に、あなたの治療者なら、互いに愛し合ったり、気づかったり、育てて いける人間関係を、あなたが、あなたの生活の中で見つけていく援助をしようとするだろう。

○治療者と性的関係を持つために治療をやめることは?

 治療者と個人的な関係を持つために治療を終わらすことは、決して良い考えとは言えない。個人的関係に入るために、あなたか、あなたの治療者のどち らかが、急いで治療を終わらせてしまえば、あなたは必要な治療を得ることができなくなる。また、治療者があなたに及ぼしていた影響を完全に消し去ることは できないし、あなたは、いつも援助を求めてこの人に会ったということを思い出すだろう。あなたと、あなたの治療者が、性的関係に入ること、あるいはそれを 継続することを考えているのなら、治療者を変える必要がある。その治療者との個人的関係を終わらせなさい。治療者の方は、すぐさまスーパーバイザーか自分 の治療者に助言を求める必要がある。

○治療者の性的な行動に戸惑いを感じたら、何ができるか?

 治療上、どんなことであれ、戸惑いを感じたら、まず、治療者に伝えよう。すでに触れたように、性的な感情について話し合うことは、戸惑いを感じたとして も、治療上、有益なことがある。このような場合、治療者は、あなたの感じている問題や不快さをあなたが理解できるように援助してくれるはずだ。治療者が、 あなたに性的魅力を感じるだとか、あなたとの性関係を空想するなどというようなことを言う場合、あるいは、言葉や態度であなたを性的に誘惑しようとした場 合、性に関するあなたの問題を解決する援助をしているとは言えない。あなたが自分の問題を扱うよう励ますことをせず、治療自身の性的感情や活動について話 し、身体接触を求め、あなたが嫌な気持ちがすると伝えても態度を改めないようならば、治療者の意図を疑う十分な理由があるだろう。

○治療者が不適切な振る舞いをしたと感じたら、どんな選択肢があるか?

 治療者が不適切な行動を続け、そのことを率直に話し合おうとしないなら、あなたが取れるいくつかの選択肢がある。たとえば、別の治療者を見つける こと、申立てをすること(さまざまな種類の申立てがある)である。最終的にどの方法を選んだとしても、それによって生じるリスクと利益を知っておく必要が ある。「何もしないこと」は「間違った」行動であるが、それ以外には、ひとつの「正しい」行動があるわけではない。行動を起こすことは、時に苦しく困難な ことではあるが、ここで論じた何らかの行動を起こした人々は、行動を起こしたことで安心感が増し、一人の人間としての自信も増したと言う。重要なことは、 何をするかを決めるのはあなただし、あなた自身の欲求、感情、利益が反映される仕方で決めるべきだということである。
 まず初めに、あなたが申立てをしていることを治療者が知ったらと考えることは、辛いことかもしれない。治療者のこと、治療者の仕事や評判、結婚生活のこ とが心配になるかもしれない。しかし、クライエントと性的関係を持つ治療者は、非常にしばしば、他者を傷つけたくないというごく自然な欲求につけこんでい るのである。治療者は、あなたを信頼しているし、裏切るはずがないと思っていると言うかもしれない。このやり方は、自分のことしか考えず、自分の不適切な 行動の責任逃れのためのものである。実際、こんなふうに、治療者があなたにつけこんでいるとすれば、裏切られてきたのは、あなたの方である。また、その治 療者の倫理違反を誰も報告しなければ、その治療者は、同じようにして他のクライエントをも傷つけるだろう。
 治療者と話し合っても納得できない場合、別な方法で解決したいと思うかもしれない。いくつかの方法を以下に紹介する。

1.別の治療者のところへ行く。治療を終わらせるのは、あなたの権利であり、特権でもあるが、他の治療者のサービスを受け、必要な治療を受ける方が良いだろう。同時に、元の治療者のしたことに対して、何らかの行動を起こすことを考えることができる。

2.その治療者が雇われているのなら、そこのスーパーバイザーや責任者に会って話すこともできる。そうでなくても、ここに列記した他のどの方法も取ることができる。

3.その治療者が資格のある身分なら、資格審査委員会に報告することができる。資格審査委員会は州政府の一部でもあるから、料金を取って公衆にサービスを 提供するに値するかどうか、その信頼性をチェックする責任がある。資格審査委員会は、非合法の行為の申立てについて調査し、違法であることが証明された場 合の資格抹消を含む制裁をとる権限を持っている。
 資格審査委員会は場所によって違うが、事務所を探しコンタクトすることができるだろう。電話相談やその他の援助機関が情報をくれるかもしれない。その治 療者が、資格を持っていないのに、持っていると偽っていた場合も、審査委員会に報告すれば、不法行為として調査してもらえるだろう。

4.州の専門協会に報告することもできる。そこの会員なら、直接、調査したり、倫理委員会に紹介したりするだろう。州レベルの協会は資格に対しての権限は 持たないが、協会から追放するなどの罰則を適用できる。そうなれば、少なくとも、その州では、その治療者が仕事を続けるための資格を得たり、維持すること は難しくなるだろう。

5.国レベルの協会の会員ならば、そこの倫理委員会に訴えることができる。国レベルの主な機関は、倫理委員会を持っているはずである。

 どこの協会であれ、協会にコンタクトできたら、まず、その治療者がそこの会員であるかどうか確認する。次に、申立ての手続きについて尋ねよう。この時点 では、あなたが、なぜ、誰を訴えようとしているのか言わなくても自由だし、実際に申立てを起こすまではあなた自身のことを明かす必要はない。協会は手続き を教えてくれるだろう。あなたが、性的な不法行為について尋ねたり、訴えたりすることをためらう気持ちを理解して、真剣に耳を貸してくれるだろう。プロ フェッショナルの集団は、そのようなことが二度と起こらないよう、倫理違反の訴えを聞きたがるものだ。あなたの告発が確認されれば、次に取るステップはた くさんある。

 民事訴訟を起こしたり、刑事訴訟も考えられる。このような場合、裁判所へ行くことになる。治療者がクライエントと性的接触を持つことが、刑法に違 反する州もあるが、2、3年で時効になる州もあるので注意すること。法的な分野に関して、経験のある弁護士の助言をもらう必要があるだろう。資格審査委員 会や協会に申立てする場合でも、弁護士の助言をもらうことを考えてもよい。この場合、時間をかけて、この種のケースに経験豊かな弁護士を選ぶこと。
 裁判で精神状況が問題になった場合、治療者/クライエント間の守秘義務はなくなるので、個人的なこと、あなたの治療に関する非常に繊細な情報が裁判所に持ち込まれることになる可能性がある。さらに、裁判は公開される場合がある。

○訴える行動をとることで生じてくる感情をどう解決するか?

 治療者を訴えることは、非常に長く困難なプロセスになり、裁判の場合だと何年もかかることがしばしばである。その過程で、困難なシステムにからめ 取られているような気分になることもあろう。訴えるという行動にでた人は、共通して、意気消沈したり、圧倒されたり、怒りを感じるものである。だから、こ のプロセスを支えてくれる人を周囲に見つけ、信頼できる代弁者を持つことが重要になる。このような支援は、友人、サポート・グループ、新しい治療者や弁護 士から得られるだろう。いずれにしても、たった一人でやることは避けるように。申立てを始める前にこのような支援体制を整えておく方が、安心して、自分の 選んだ方法に確信を持つことができるだろう。

○あなたの経験したことで生じてくる感情をどう解決するか?

 行動を起こす前、最中、後、いずれの時点でも、前の治療者の倫理違反の結果、生じてくる問題を扱うために、別の治療者にかかることを考えよう。治 療者と性的な関係になってしまった人々に共通することは、自分の身に起こったことを考えると混乱したり、その治療者に愛と憎しみを同時に感じることであ る。また、そんな経験はあれば、別の治療者を見つけることは、とても怖いことかもしれない。それでも、それゆえにこそ、注意深い消費者であるように。治療 者に虐待された人の治療の経験があり、あなたをサポートし、あなたの状況を理解してくれる治療者を見つけること。州や地域の職業機関が、そのような専門家 のリストを持っているかもしれない。
 他の選択肢もある。地域によっては、治療者から虐待されたクライエントによって組織された自助グループや援助機関もある。あるいは、性被害・レイプクライシスセンターなども力になってくれるかもしれない。
  どこに行けばわからない場合は、アメリカ心理学会女性委員会に問い合わせてくれてもよいし、そのような機関のリストがみつかるかもしれない。どんな行動を取るとしても、次の点に注意して欲しい。

1.治療者/クライエント間の性関係が起こった時、クライエントにはまったく責任がない。それがあなたに起こったとしても、あなたが恥じたり、責められた りすることではない。たとえ、あなたの方が先に、治療者に愛情を感じ、それを表現した場合でも、同じである。あなたの愛情や関心から搾取しないことは、治 療者の責任である。そのような関係は搾取であるからこそ、あなたを傷つけるのである。

2.治療者/クライエント間の性関係は、あなたの問題を扱う適切で有効な方法では決してあり得ない。それどころか、しばしば、大きな苦痛と混乱の源 になる。あなたの治療者が性的関係を持つことを仄めかしたり、すでにそんなことをしているとすれば、それは、あなたに対する倫理的、職業的関心が欠如して いる証拠である。

3.アルコールや薬物の影響で、また人生の危機に直面して、そのような行動に出る治療者もいるが、だからと言って、責任は免除されない。どんな状況であっ ても、クライエントは傷つきやすく、治療者を信頼せざるを得ない立場にあるから、責任や罪悪感を感じたり、自分が性的接触に積極的に参加したように思える 場合でも、あなたには、治療者の責任を問う権利がある。また、自分の救済のために適切で必要だと思うどんな正式な行動でも起こす権利がある。

4.最後に、この複雑で苦しい問題を扱おうとしている自分自身を褒めてあげよう。このような行動を起こすことは、力と勇気がなければできないことだ。
 あなたが決心するさい、この論文が何らかの助けや励ましになることが、倫理的な心理療法家、その他のメンタルヘルス・ワーカーの願いである。 (Professional Psychology: Research and Practice, 1989, Vol.20, No.2, 112-115)

『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
日本におけるフェミニスト心理学の歴史と展望

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

1. わが国におけるフェミニスト心理学の出版状況

 わが国におけるフェミニスト心理学に関してまとめた資料がないので、和書の出版物を検索してみた。その結果、わが国では、フェミニスト心理学関係 の出版が非常に少ないことがわかった。男性心理学者による女性心理の本を除いて、女性心理学、もしくはフェミニスト心理学に分類できる最初のものは、おそ らく、しまようこの『フェミニスト・サイコロジー~女性学的心理学批判』(1985)だろう。著者は、1970年代の半ばからフェミニズム運動に参加し、 女性学の視点を得て、フェミニズムの視点から心理学の体系を再点検したいと考えるようになったと書いている。ついで、村山久美子による『女性心理学入門』 (1987)がある。村山は、1980年に入って、カプランの『女同士のバリア』(邦訳『娘と母』)に接し、女性同士の対人関係の研究に興味を持ったとい う。その他、小倉千加子らによる『性差の発達心理』(1982)、『性役割の心理』(1984)を挙げることができるだろう。
 フェミニスト心理学に分類できるかどうかはともかく、斎藤学・波田あい子編『女らしさの病~臨床精神医学と女性論』(1986)も挙げておこう。これ は、1983年、東京都精神医学総合研究所でスタートした「性差研究会」のまとめであるという。斎藤と波田の対談「性差とフェミニズム」では、話がかみあ わない部分もあるが、波田の主張がフェミニズムの視点からなされていることは明らかである。この「性差研究会」はその後、第二次メンバーで続けられるが、 斎藤(1990)によれば、40代から60代の「おじさん精神科医」は、ほとんどやめてしまったという。「自分たちは、同年輩の他の男に比べてずっと女性 を大事にしてきたし、理解もしてきたと思ってきたのに、真正面から性差別の問題を論じるとなると、考えたくないところを突かれると感じるようだ。」と斎藤 はコメントしている。男女のコミュニケーションの困難さを示唆しており、興味深い。
 80年代、フェミニスト・カウンセリングの分野からは、河野貴代美の『自立の女性学』(1983)、『女性のための自己発見学』(1985)などが出版 されている。河野(1990)は1968年にアメリカへ渡り、シナノンに関わり、大学院教育を受けた後、フェミニズムと出会ったという。帰国し、1980 年、東京に「フェミニストセラピィなかま」をスタートさせている。90年代には、『フェミニスト・カウンセリング』(1991)、『女性のためのグルー プ・トレーニング』(1995)、『自分らしさを生きる心理学』(1996)などを出版している。この他、川喜田好恵『自分でできるカウンセリング~女性 のためのメンタルトレーニング』(1995)、井上摩耶子『フェミニストカウンセリングへの招待』(1998)が続く。1998年、新水社から河野の編集 で「女性と心理」シリーズがスタートしている。『家族の現状』(1998)、『セクシュアリティをめぐって』(1998)、『女性のからだと心理』 (1999)、『フェミニストカウンセリングの未来』(1999)がすでに出版されており、本格的にフェミニスト心理学の構築が始まったことを感じさせ る。
 加えて、1995年、柏木恵子・高橋恵子編集の『発達心理学とフェミニズム』(1995)を挙げられる。この本は、1993年、日本教育心理学会のシン ポジウム「女性の視点を心理学にどう活かすか」に端を発している。シンポジウムは初日朝一番に行われたにも関わらず、部屋に入りきれないほどの盛況であっ たという。柏木・高橋は、わが国の心理学に巣くうセクシズム(性差別)を何とかできないかと考え、これを企画したと書いている。

2. 心理学関連学会での動き

 アメリカと比較して、わが国のフェミニスト心理学関係の出版物が極端に少ないことに改めて驚かされるが、日本の学会の雰囲気や信念がその発展を妨 げてきたことは想像に難くない。ここでは、心理学関連学会での、動きを見てみよう。フェミニスト心理学関係の研究動向をまとめた論文を見つけることはでき なかったが、性差研究、女性心理学、ジェンダー心理学に関してまとめた論文はあった。性差研究は、生物学的性差を強調する反フェミニスト的立場をとり得る ので、その扱いが難しい。
 伊藤裕子(1984)による「心理学における性差研究の動向とその社会的背景」は、1980年代までの性差研究の動向をまとめたものであるが、わが国で は、1950年代に性度(男らしさ・女らしさの度合い)への関心が高まり、60年代には性役割研究へと関心が移行した。男性研究者によるものだが、 1970年には津留宏編『性差心理学』、1979年には間宮武『性差心理学』が出版されている。この時代の研究は、おもに、性差という視点からの男女の比 較研究だったようだ。
 東清和(1997)の「ジェンダー心理学の研究動向~メタ分析を中心として」によれば、80年代以降、メタ分析と呼ばれる新しい統計法が開発されてか ら、性差研究は劇的に変わり、生物学的性別を被験者変数とした性差研究の限界が判明しつつあるという。裏返せば、これまでの研究が、生物学的性差を被験者 変数とした研究であったということになるだろう。東の結論は、「学校における男女平等教育の推進が強調されている現状で、男女平等教育の基礎研究としての ジェンダー心理学的研究が緊急の課題である」というものである。東は、現状では、この種の研究は皆無に等しいというが、今後、この研究分野がフェミニスト 心理学に接近してくる、あるいは入ってくる可能性はある。そもそも、「性差研究」を「ジェンダー心理学」と置き換えたところから、それが言えるだろう。
 心理学関連学会内部の女性心理学の状況に関する研究としては、田中佑子(1992)による「心理学における女性研究の動向~日本心理学会・日本教育心理 学会を中心として」がある。田中によれば、心理学における女性研究には、性差研究、性役割研究、女性を対象とした研究の3つの流れがある。1988年から 1991年までの4年間の論文を分析した結果、毎年、平均して20件ほどの口頭発表が行われているが、研究の定着や深まりを生み出すに至っていないとい う。1988年、日本教育心理学会大会で、シンポジウム「心理学と女性研究者をめぐる諸問題」が開催されたのを唯一の例外にして、女性関連のテーマが取り 上げられた講演、シンポジウム、ワークショップはない。もっとも、これは1991年までの研究なので、その後は、上述した柏木らによる93年のシンポジウ ム「女性の視点を心理学にどう活かすか」が開催されている。
 無藤清子(1995)の「心理臨床におけるジェンダーの問題」は、日本心理臨床学会による『心理臨床学研究』の1983~1994年分、および『心理臨 床ケース研究』の1983~1988年分に掲載されている論文を分析し、心理臨床における治癒像の内容と、クライエント・セラピストの性別との関係を明ら かにしたものである。結果としては、人間の中に男性性と女性性、父性と母性の両方を見出す視点からの論文は非常に少なく、女性性と母性は女性クライエント に、男性性と父性は男性クライエントに重視されていた。女性性を強調するのはほとんどが女性セラピストで、母性を強調するかなり多くが男性セラピストとい うこともわかったという。
 筆者は、1980年代から、いくつかの学会に所属しているが、ここでは、筆者の限られた体験を紹介することで、状況を推し測って頂けたらと思う。筆者が 最初に学会に「フェミニズム」という語を持ち込んだのは、1991年、第10回日本人間性心理学会大会で「現代子育て事情~フェミニズムの立場から」を発 表したときだった。この時、司会者以外、フロアには女性会員がゼロ、ごく少数の男性会員が聞きにきてくれただけで、寂しい思いをした。理由を考えていたと き、一人の男性会員が「こういう所に女性が入ると、フェミニストとレッテルを貼られるから警戒しているのではないか。」と言った。私は、フェミニストと レッテルを貼られることが悪いことなのだと、その時、初めて知った。その後、人間性心理学会では、夫である村本詔司が編集局長として学会誌でジェンダーの 特集を組んだこともあり、1993年に「人間性とジェンダー~フェミニスト・セラピーからの寄与」を書いた。96年には、「組織と女性」を書き、企業にお ける女性差別やセクシュアル・ハラスメントについて論じた。これらに対しては、数人の女性会員から共感的な反応をもらった。
 日本心理臨床学会では、1993年、第12回日本心理臨床学会大会で「早期母子サポートの試み」のタイトルで発表した。この時「フェミニズム」の語を抜 いてみたところ、学会の規模が全然違うという事情もあろうが、フロアにはたくさんの女性会員が入り、共感を示してくれた。また、日頃の臨床経験から、性虐 待の深刻な問題を臨床心理の専門家に理解してもらう必要があると考え、同大会で、佐藤紀子らと「チャイルド・セクシュアル・アビューズを考える」の自主シ ンポジウムを企画した。このシンポジウムは、毎年継続し、今年で第8回目を迎える。1年目は30人そこそこの小さなシンポジウムだったが、数年後からは、 毎年、盛況である。背後には、とくに95年の震災以降、トラウマや被害者支援に対する意識の高まりがあり、虐待に関して発言することが容易になった。
 1998年には、臨床心理士会第3回全国大会のシンポジウム「心的外傷とトラウマ」のシンポジストとして、また、1999年には、大阪府臨床心理士会シ ンポジウム「児童虐待~心的外傷」の講師として、発言する機会を得た。とくに性虐待の問題に焦点を当てて発言したが、若干の揶揄や反感を得た一方、若い女 性臨床家たちからの共感も得た。あえてフェミニズムについては語らずにきたが、その後のさまざまな反応から、自分が、十分に「フェミニストのレッテルを貼 られている」ことを知った。フェミニズムに共感しない人にも、フェミニストの何たるかは、直感的にわかるものなのだと妙に感心している。
 その他、心理臨床学会のプログラムから見る限り、女性心理に関わると思われる自主シンポジウムとしては、93年、原千恵子・倭文真智子企画の「産む性を どう生きるか~女性の内的成長」があり、95年から、上別府圭子・園田雅代企画の「心理臨床における女性の支援」が継続されている。強く印象に残っている のは、1999年の倫理に関する大会シンポジウムである。シンポジストの一人だった佐藤紀子は、大学や学会でのセクシュアル・ハラスメントについて語り、 治療者による性被害も話題に上った。フロアから女性会員たちからの声援があがり、時代の変化が感じられた。
 筆者の経験から言えば、フェミニズムにもっとも抵抗の少ない心理学会は、日本コミュニティ心理学会ではないかと思う。高畠克子は、1997年の学会誌創 刊号に「ドメスティック・バイオレンスに対するフェミニスト・セラピーからのとりくみ」を、99年「ドメスティック・バイオレンス被害者のための"シェル ター活動"~予防・危機介入・アフターケアからみた実践報告」を発表している。1999年の年次大会では、公開シンポジウム「ドメスティック・バイオレン スの現状と展望」を開き、筆者もコメンテーターとして発言した。コミュニティ心理学が社会に重きを置いていることを考えれば、当然なのかもしれない。

3. フェミニスト・カウンセリングの発展

 井上摩耶子(1998)は、著書のなかで、1990年日本臨床心理学会で持たれた分科会「フェミニズムから心理臨床をどうとらえるか」で河野貴代 美(当時は非会員だったが、発題者として招かれている)と出会い、フェミニストカウンセラーと名乗るようになったと書いている。そこで、この学会の動きを 学会誌から追ってみると、93年「女性のセクシュアリティを考える」、95年「フェミニズム視点の共有化をめぐって」の分科会が続いている。メンバーの顔 ぶれから、この分科会から、「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会」が生まれたのだろうという印象を受けた。
 1993年には、第1回「フェミニストカウンセリング全国大会」には、延べ800人近くが集まったという。この大会後、「日本フェミニストカウンセリン グ研究連絡会」が結成され、94年に、第1回「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会大会」が開催されている。これが第2回「フェミニストカウンセリ ング全国大会」とならなかったのには何か理由があるのだろうが、不明である。第1回日本フェミニストカウンセリング研究連絡会大会以降は、記録集が発行さ れており、日本におけるフェミニストカウンセリングの発展を窺うことができる。
 第1回大会では、「フェミニストカウンセリングとは何か?」のシンポジウムがもたれている。河野は14年を振り返り、「アメリカではCRの限界や大学に おける女性学といったものから、必要性が認識されて生まれているのに対して、日本のフェミカンは、十分な土壌があるのかないのか良くわからない日本に私が アメリカから直輸入して移植した。女性解放のキーコンセプトである"The personal is political."(個人的なことは政治的なことである)といった思想性が希薄だったと反省している。」といった発言をしている。第5回大会のシンポ ジウム「今、さらにフェミニストカウンセリングを!」では、井上が日本のフェミニストカウンセリングの歴史を3期に分けている。第1期は1980年代、河 野によって始められたフェミニストセラピ"なかま"の時代、第2期は1990年代、研究連絡会が結成され、フェミニストカウンセリングを開業する機関が増 え、全国的なネットワークが始まった時期、そして、第3期が1998年から、資格問題や訓練が前面にでてきたという。記録集を読むと、さまざまなテーマで 分科会が持たれ、CR的な役割も果たしながら、徐々に理論化の試みがなされているようだ。
 この組織とは別に、1994年に「女性問題相談員連絡会」が結成されている。"なかま"から独立し、1991年、東京フェミニストセラピーセンターを開 設した平川和子らが中心になっている。とくに、バタリングや子どもの虐待に焦点をあて、1996年には「FTCシェルター」を立ち上げている。上述したコ ミュニティ心理学会での高畠の発表は、このシェルターでの体験をもとにしている。平川らは、1998年、『シェルター~女が暴力から逃れるために』も出版 している。これらの活動は、AKKシェルター・斎藤学の組織とも連係しており、2000年6月には、「全国シェルターネット2000年東京フォーラム」を 開催した。
 とくに90年代になってから、実践の部分で女性問題が前面に出てきた背景には、ドメスティック・バイオレンスやセクシュアル・ハラスメントなど、女性へ の暴力とトラウマが社会の関心を集めるようになったことが関係している。そこに至るまでには、当然、女性たちの粘り強い運動があった。1983年、東京強 姦救援センター、1988年、性暴力を許さない女の会をはじめ、草の根的な女性運動によるもので、初期には、心理学関連の人はほとんど関わっていなかった のではないかと思われる。1996年、日本DV防止・情報センターができている。暴力被害女性への支援のニーズが高まり、公的な女性センターでの女性相談 事業が拡大しつつあるために、女性問題の本質を理解しつつ、専門的な対処のできる実践家の必要性が急激に高まり、その養成が緊急の課題となっている。

4. わが国におけるフェミニスト心理学の背景

 アメリカでは、1960年代後半から70年にかけて、女性心理学者たちが女性解放運動にコミットした結果、従来の心理学にフェミニスト批判を加 え、新たな心理学をつくっていこうという動きが起きた。わが国の状況に目を向けてみると、リブの運動にコミットした心理学者はきわめて少なかったと考えら れる。そもそも、心理学は個人の心を絶対視する心理主義に陥りやすく、社会運動を軽視する傾向にある。アメリカと比較して、市民運動が広がりにくい日本の 風土、より権威主義的なアカデミズムを考慮に入れるならば、この傾向は、わが国においてより強く、心理学内部の運動嫌いが根底にあったのではないか。いく ぶんか反精神医学運動の流れをひくと考えられる日本臨床心理学会とコミュニティ心理学会は例外的だが、上述したように、この2つの学会が、90年代、フェ ミニスト的志向を持つ心理学を受け入れたことは偶然ではあるまい。
 それ以上に、リブが起こった時代、心理学、とくに臨床心理学の分野では、批判を加えるだけの基盤もできていなかったのではないかというのが筆者の推論で ある。『通史~日本の心理学』(1997)によれば、日本の心理学のスタート時点は、アメリカにそれほど遅れをとっていない。しかし、戦時下および敗戦後 しばらくは、研究活動を行うための情報や基金が不足し、大きな遅れをとり、とくに、臨床心理学は、戦後15年、その紹介と吸収に明け暮れた。戦後の心理学 は、大学のカリキュラムに入り込み、量的拡大の制度的基盤を得ることに精一杯で、批判するという状況にはなかったのではないだろうか。しかも、戦前、女子 教育の最高機関であった専門学校には大学の名称も許されておらず(日本女子大学校は唯一の例外)、1947年に新しい教育制度が樹立されるまで、実質的に は、女性の心理学者はいなかったと考えられる。したがって、リブの運動が起こった頃、アカデミックな領域にいた女性心理学者は、非常に限定されていたはず だ。そんな中でフェミニズムに関心を示すことは、ほとんど不可能に近かったと想像する。
 岩堂美智子(2000)は、大阪市立大学で、1979年、13名の有志と「婦人問題論」の自主講座運動を始め、1985年、正規の講義として「婦人問題 論」を設置、その後は「女性学」として、全学対象のオムニバス形式の講義を定着させた。筆者も、1994年から2000年まで、臨床心理学の立場から、講 義の一端を担わせてもらったが、岩堂らの運動が実り、2000年後期より、女性学選任教員が着任するという。岩堂は、「女性学を大学に、という運動を始め たときは、これで一生昇格できなくとも構わないと覚悟を決めていた」と言い、「大学にそもそも女性研究者が少なく、孤立していた。彼女たちは男性的発想で 研究していたし、男性の師に認められたから生き残れたわけで、自分はラッキーだと自覚していたでしょう。やっと手に入れた職を手離したくないこと、などか ら権威に反発するような態度はとても若いうちは示せなかったのではないか。」と語っている。
 実は、つい最近、その言葉どおりの世界を垣間見た。心理学以外の非常に閉鎖的かつ権威的な学会で、若い女性である大学院生と性被害について話していたの だが、彼女の発言があまりに加害者擁護のスタンスに立っていることにまず驚かされた。しかし、これも教育と、丁寧に被害女性の立場を説明したが、彼女は、 最後に、「それでも、学会に出てくるからには、感情的にならず、中立的、客観的に考えようという自覚があるのでしょう?」と言ったのである。彼女にとって は、被害者を擁護することは、中立・客観からはずれることなのだろう。また、筆者は、性格上、ふだんから人に説教されることはまずないが、彼女が平気でこ れをやってのけたことに驚いた。後々考えて、その世界で最高峰にあたる大学院で学ぶ彼女は、背後に権威のバックアップを感じているのだろうと思った。こう して、男性の師に認められ、男性的発想で研究する女性研究者が育つことが理解できた。彼女にとって、女性の立場や被害者の立場がわかるようになることは、 プラスになのだろうか?彼女のような立場にいる女性がフェミニズムを学ぶことは、トラブルの元だろう。これこそが、心理学の世界にフェミニズムが入り込め なかった理由なのだと思った。
 早い時代に大学に所属したほとんどの女性心理学者がフェミニズムを敬遠し、軽蔑さえしてきたことも無理はないだろう。筆者自身は、大学から一定の距離を 置いてきたので、それほど葛藤を持たずにきたが、振り返れば、自分の居場所が別の所(つまりここFLC)にあったからだと思う。佐藤紀子(1990)は、 「・・・筆者のように戦後まもない頃に『社会』に出た女達にとっては、その職種が精神分析であろうとなかろうと、そのような『仕事』以前に、まず、『家父 長制的男性論理で貫かれている』社会に『ほうりこまれる』ことを意味していたことを述べたかったからであり、従ってその中で感じざるを得ない多くの痛みや 矛盾は、それを『フェミニズム』と呼ぼうと何と呼ぼうと、常に『女の視点』に立ち返ることを、私に強制してやまなかった・・・。」と書いている。私なら、 これを「フェミニズム」と名づけるが、佐藤がこのように明晰な意識を維持できたのは、奇跡のようにも思われる。佐藤自身のコメントでは(2000)、出身 校である東京女子大の影響(自由な校風と、女子大であったため大学内部での性別役割分担がなかったこと)が大きいのではないかということだったが、筆者 は、それに加えて、大学の中にどっぷり浸からず、自分の足場となる開業の場を持っていたからではないかと推測している。

5.フェミニスト心理学のこれから

 以上のことをまとめると、次のふたつのことが言えるだろう。ひとつには、大学や学会内部の心理学にフェミニズムを持ち込むことは困難だったが、 90年代になってから、わずかながら、フェミニズムの視点が芽生えつつあることが確認できた。ふたつめは、それとはまったく別のところで、河野がフェミニ スト・セラピーをアメリカから「直輸入して移植」し、とくに90年代より、社会のニーズもあって、日本のフェミニスト・カウンセリングが発展しつつあると いうことだ。新しい世紀の課題は、これらふたつの流れを合流させることだろう。つまり、伝統的な心理学にフェミニズムの視点を持ち込み、フェミニズムの視 点から、新しい心理学理論が作られていくこと、同時に、フェミニズムの視点をもって対処できる臨床家を養成していくことである。
 アメリカでは若い世代への引継ぎに問題があることがわかったが、筆者自身は、わが国の状況に関して、楽観的な部分もある。フェミニストを名乗る、名乗ら ないに関わらず、若い世代の女性たちの感覚はずいぶん変化しているように感じられるからだ。根底には相変わらず根強いセクシズムはあることも事実だが、 「そんなことは我慢ならない」と思う女性たちが一部で育ちつつあることも確かだ。15年前ならば、大学教授やその他、権力者によるレイプやセクシャルハラ スメントを訴えようとする女性がいただろうか。国際化の流れの中で、これまでのようなあからさまな女性差別が許されなくなっていくことも確かだろう。岩堂 (2000)は、「今では大学当局がもっと女性教員を大学に!という将来教育を作るなど、時代が追い風になり戸惑っているくらいだ。」と言っている。 2000年代には、大学の心理学にも、フェミニズムの視点、女性の視点が入っていくことだろう。
 そういった若い世代の女性たちが、心理学を学ぼうとするとき、十分に説得力があり、魅力を感じさせるようなフェミニスト心理学関係の出版や学会が必要だ ろう。田中(1992)は、「女性研究は現在既成の部門に分散して発表されているが、女性心理という固有の部門の確立と専門誌の発行があれば、実験心理の 伝統的な枠を越えた女性心理学研究の発展が可能なのではないか。」と述べている。カウンセリングの実践のみに留まらず、理論的な部分も含めてともに研究で きる学会組織のようなものが必要な時代にきているのではないだろか。これから、わが国のフェミニスト心理学をつくっていけたらと思うのである。

文献

波田あい子・平川和子(編)『シェルター~女が暴力から逃れるために』青木書店。

東清和・小倉千加子(1982)『性差の発達心理』大日本図書。

東清和・小倉千加子(1984)『性役割の心理』大日本図書。

東清和(1996)「ジェンダー心理学の研究動向~メタ分析を中心として」『教育心理学年報』第36集。

伊藤裕子(1984)「心理学における性差研究の動向とその社会的背景」『女性学年報』第5号。

井上摩耶子(1998)『フェミニストカウンセリングへの招待』ユック舎。

岩堂美智子(2000) 私信。

川喜多好恵(1995)『自分でできるカウンセリング~女性のためのメンタルトレーニング』創元社。

河野貴代美(1983)『自立の女性学』学陽書房。

河野貴代美(1985)『女性のための自己発見学』学陽書房。

河野貴代美(1990)「座談会・フェミニストセラピィの視点~斎藤学・平木典子・河野貴代美」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

河野貴代美(1991)『フェミニスト・カウンセリング』新水社。

河野貴代美(1996)『女性のためのグループ・トレーニング』学陽書房。

河野貴代美(1996)『自分らしさを生きる心理学』海竜社。

河野貴代美(編)(1998)『家族の現状』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『セクシュアリティをめぐって』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『女性のからだと心理』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『フェミニストカウンセリングの未来』新水社。

柏木恵子・高橋恵子(編)(1995)『発達心理学とフェミニズム』ミネルヴァ書房。

無藤清子(1995)「心理臨床におけるジェンダーの問題」『発達心理学とフェミニズム』ミネルヴァ書房。

村本邦子(1993)「人間性とジェンダー~フェミニスト・セラピーからの寄与」『人間性心理学研究』第11巻第1号。

村本邦子(1996年)「組織と女性」『人間性心理学研究』第14巻第2号。

村山久美子(1987)『女性心理学入門』誠信書房。

日本フェミニストカウンセリング研究連絡会(1994~1999)『フェミニストカウンセリング全国大会報告集』第1号~5号。

斎藤学・波田あい子編(1986)『女らしさの病い~臨床精神医学と女性論』誠信書房。

斎藤学(1990)「座談会・フェミニストセラピィの視点~斎藤学・平木典子・河野貴代美」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

佐藤紀子(1990)「精神分析の立場から」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

佐藤紀子(2000)私信。

佐野達哉・溝口元(1997)『日本の心理学』北大路書房。

しまようこ(1985)『フェミニストサイコロジー~女性学的心理学批判』垣内出版。

高畠克子(1997)「ドメスティック・バイオレンスに対するフェミニスト・セラピーからのとりくみ」『コミュニティ心理学研究』第1巻1号。

高畠克子(1999)「ドメスティック・バイオレンスの被害者のための"シェルター活動"~予防・危機介入・アフターケアからみた実践報告」『コミュニティ心理学研究』第3巻1号。

田中佑子(1992)「心理学における女性研究の動向~日本心理学会・日本教育心理学会を中心として」『女性学研究第2号』女性学研究会。

『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

2000.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
女性の自己実現と心理療法

『血と言葉』を女性の視点から読み直す  

女性ライフサイクル研究所 西 順子

1.はじめに

 女性ライフサイクル研究所は、研究機関であると同時に心理相談機関であり、女性のためのカウンセリングを行ってきている。私も、一人のカウンセ ラーとして、カウンセリングに携わっているが、それは、カウンセリングという心理療法が、女性が自分らしく生きるために何らかのお役に立つことが出来るの ではないか、と思っているからである。
 心理療法とは、一般的に「悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者 の全存在に対する配慮をもちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること」(河合、1992)を言う。「人生の過程を発見的に歩む」とは、 「自己実現の過程」とも言い換えられよう。ユングは、個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向させる努力の過程を、個性化の過程、 あるいは自己実現の過程と呼び、人生の究極の目標と考えた(河合、1967)。そして、心理療法の究極の目標も、同様とみなされている。ただし、自己実現 とは、確定した一点があってそれに到達することを意味するのではなく、つねに進む一つの過程であることに意味がある。よって、心理療法を人生の過程という 広いパースペクティブのなかで捉えながらも、症状がなくなった、当面の問題が解決したなど、実際的にはさまざまな段階での終結がある。
 こうした心理療法一般の目的と終結の意味を押さえつつ、女性の自己実現を心理療法の究極の目標と考えたとき、女性の心理療法においては、どのようなテー マが登場するであろうか。また、女性の自己実現はどのような過程を経ていくといえるのだろうか。本論では、一つの事例を女性の視点から読み直すことで、女 性の自己実現の過程とそのテーマについて検討してみたい。そして、女性が自己実現の過程を歩むのを支え、援助する心理療法、心理療法家の役割についても考 えてみたい。
 事例としては、精神分析を受けた女性の手記『血と言葉』(カルディナル、1992)をとりあげる。この本は、佐藤紀子氏(1997)が『女性ライフサイ クル研究第7号』の論文の中で「子ども時代の養育環境との相互作用によって形成された心の在りようが、場合によってはすさまじい身体症状(この場合は性器 出血)と結びつきうる」ケースとして紹介したものであるが、私もこの本を読み、著者マリ・カルディナルの回復、変容、自己実現の過程に、とても心を打たれ た。7年という月日を費やし、精神分析という心理療法を通して、著者が取り組んでいったテーマは、女性が自己実現の過程を歩むために必要な、普遍的な問題 ではないかと感じられた。特に、傷ついた女性の癒しと回復のために必要なテーマと思われる。そういうわけで、心理療法について書くのは時期尚早であるとは 思うものの、ぜひ、この本を事例として取り上げ、考察したいと思った次第である。
 以下、精神分析、カウンセリングやセラピーを総称して心理療法と、精神分析医、カウンセラー、セラピストを総称して心理療法家と呼ぶことにする。

2.『血と言葉』に見る女性の自己実現 

 この章では、女性がどのようなテーマに取り組みながら自己実現の過程を歩むのか、『血と言葉』を女性の視点から読み直して考えてみたい。
カルディナルが心理療法家を訪れてから、心理療法に終結を決意するまでに取り組んだテーマを、筆者は以下のように分けてみた。
(1)症状を受け入れる
(2)過去の見直し
(3)真の自己の発見
(4)感情と記憶の統合
(5)他者との真の出会い
(6)社会のコンテキストに開かれる

(1)のテーマは、心理療法の開始時のテーマ、(2)は心理療法の前半、(3)(4)は心理療法の後半のテーマであったといえる。(3)(4)は、 それぞれが独立した段階として存在するのではない。感情と記憶を想起していくなかで真の自己を発見し、そしてまた、真の自己の発見が感情と記憶の統合を進 めていったといえる。この連続した過程によって、カルディナル自身が言う「人格の統合」、言い換えれば「自己の統合」を成し遂げていったと考えられる。
(5)は、真の自己を発見し、統合していくなかで、面接室の外で起こった現実生活の変化でもある。(6)のテーマは、カルディナルが「全快する」ために必 要としたものであるが、これは面接室の外でカルディナル自身が発見したものである。では、それぞれのテーマについて検討しながら、カルディナルの自己実現 の過程を追ってみたい。

(1)症状を受け入れる

 カルデイナルは、どういう状況において、どのような気持ちで心理療法家を訪ねたのか、そしてそこでどんな変化が起こったのかを検討することで、心理療法の開始は何を意味し、何がテーマとなるかについて考えてみたい。

 30歳になろうとするカルディナルは、3年以上続く性器出血と、心臓の動機を早める《あれ》と闘っていた。《あれ》とは、内心の逆上、混乱、興奮 状態、破壊衝動などであり、彼女が狂気と呼ぶものであった。血を止めるために婦人科で二度の掻爬手術も受けていたが、性器出血は止まらない。叔父の病院に 入院中の彼女は、このままでは精神病院か自殺かしかないという切迫した気持ちで、「しばらく入院させられずにすむ医者の世話になりたい」と、病院を脱走 し、精神分析医を訪れた。出血と《あれ》の話をしたカルディナルに、分析医は「あなたのお役にたてると思います」と言い、治療契約について話をした。
 最初の面接を終え、次の日に2回目の面接に訪れたカルディナルは、大量の出血のために、すぐさま貧血を訴えるが、分析医から、「心身症の症状には関心が ありません。ほかの話をして下さい」と言われる。「血のほかには恐怖しかない。しかし、恐怖については話せない。考えることさえできない」と、カルディナ ルはうちのめされた。そして、泣いた。長い間泣くことがなかった彼女が、大粒の涙をこぼして泣き続けた後、緊張がほぐれ、いい気持ちになっていたという。 そして、自分の苦しみについて語り始めたのであった。
 なんと、その日以来、何年何ヶ月と際限なく続いた出血が止まったのである。出血が止まったことで、カルディナルは、《あれ》こそが根本原因であると確信 し、《あれ》を直視するようになった。「その晩、私ははじめて自分の中の狂った女を受け入れた。自分の病気をありのままに受け入れようとした。」という。 この日から、彼女は、以前と異なった立場から自分と向き合い、以前と異なった目で自分をみつめ、熱心に自分の道を追い始めたのである。

 カルディナルの場合は、身体的な症状の源となっている心理的な症状、つまり狂気を受け入れることが、新しい道、再生への第一歩となった。カルディ ナルが精神分析を受けたのは1960年代であるが、チェスラー(1984)によれば、この時代は、女性として社会で受け入れられない部分は狂気とみなさ れ、女性もまたその狂気を抑圧せざるを得ない状況にあった。そうしたなかで、カルディナルと分析医は、その狂気に直面しようとした。それが心理療法の始ま りであり、二人の出会いでもあった。以後、カルディナルは精神分析の過程で、徐々に過去の記憶を想起するなかで、狂気の意味を発見していくことになる。
 カルディナルの事例から、心理療法を求めるとき、それは、女性の人生のプロセスのある一段階といえる。心理療法を求めるきっかけは、人によってさまざま であろうが、現在生じている何らかの困難が心理的なものと関連していると、無意識的あるいは直感的に感じ取ってのことであろう。何らかの身体的な症状があ る場合は、まず医学的な検査をうけたが異常は認められないという時、症状の背景にある何らかの心の問題、心の在りよう、心の傷つきを、はっきりと意識しな いまでも、直感的に感じ取って、心理的な援助を求めるといえるだろう。
 そして、心理療法の始まりでは、症状を受け入れることが一つのテーマであるといえる。症状を押さえ込もうとしたり、逆に闘おうとしたり、否認したりする ほど、症状のなかに巻き込まれることになっていく。症状を受け入れることで、症状から距離をとることができ、症状をながめ、観察し、コントロールしていく ことが可能となる。ある意味で、女性が心理療法を求める時は、女性がこれまでのあり方に限界を感じている時でもあるだろう。自分の限界を受け入れること は、症状を受け入れるということでもあり、症状を抱えた自分を受け入れることでもあるだろう。自分の限界を受け入れることは、新たな可能性に開かれること をも意味しているといえる。

(2)過去の見直し

 カルディナルの場合、症状を受け入れ、症状と直面していくことは、記憶を甦らせ、過去を見直すこととなっていった。特にその主なテーマは、母との関係の見直しでもある。カルディナルが何をどう見直したかについて検討してみたい。

 面接室では、カルディナルは《あれ》との最初の出会いから語り始めた。ついで、自分の存在に占める重要な局面について話した。はじめて胸部圧迫感 の発作に襲われたのとは、19~20歳にかけての時期であったが、以後徐々に育まれていった狂気にむしばまれていった。当時はそのことに気づいてはいな かったが、次第に動いたり、自分を表現したり、行動や思考に身を投じたりする興味を失っていったという。そして、結婚し、三人の子どもが生まれた。自分が 体験したことのない幸福や暖かさや思いやり、いつも傍にいる相愛の父親、母親を、この子どもたちに与えたかった。それなのに、不条理な生の営みが《あれ》 と化したのだった。
 幼児期、思春期と再現するカルディナル。過去の見直しの作業のなかで、父の不在、非実在が自分の病気の根源であることを見いだそうとしたが、発見したの は、《あれ》は幼年期以来自分の世界に巣食っていたこと、父は《あれ》から自分を守るために何一つできなかったことである。父は「私の人生に属したことの ない、全く未知の人間だった」という。カルディナルは母を擁護するため、母の側にいたのだった。
 血は消え去ったが、なぜ《あれ》は消え去らないのか。たえず不安にさいなまれていたカルデイナル。そんなカルディナルに対して分析医が唯一授けた療法 は、「言葉一つ一つが重要であり、頭に浮かぶありとあらゆることを話すこと」だった。彼女自身も言葉こそ《あれ》に対する武器であることを見いだす。その 時、幼女の時の記憶から、すべてが氷解し、母の影響が目前にくっっきりと浮き彫りにされた。「私自身を見出すだめには、母を見出し、その仮面を剥がし、自 分の属する家族、階級の秘密に立ち入らなければならなかった」と彼女はいう。こうして、ついに母について語り始め、その話は精神分析が終わるまでやまな かった。その結果、母が望んだ女性像が明らかとなった。「母にとって完璧な人間を育成しようとした母の熱意と、その決めた道に従わせようとして、私の肉体 と思考をゆがめた母の意志の力を測らずにはいられなかった。」という。《あれ》は、「母が世に送り出したかった女」と「私」との「間」に存在していたこと を理解したのである。母を熱烈に愛し、母に愛されることを望んだ幼年期、思春期。その「むなしい努力」の結果、カルディナルは自分を否定し、自分を恥じ、 自分を罪人とみなしていたのだった。
 母はどんな女を娘に望んだのか。それは家族が生きていた社会、当時のブルジョワ階級
の価値観と、母の信仰する宗教的な価値観と一致する。母は、献身、善意、寛大、犠牲心を重んじた生活をしていたが、同じ生き方を娘に望んだともいえる。

 カルデイナルの語る母の姿と彼女自身の姿から、「父権性社会においては娘に母はいない」と言ったリッチ(1990)の言葉を思い出す。チェスラー (1984)も、女の子は、同性の大人(母親)からもらえる力と人間性の遺産、身体的暖かさに飢えていること、そして多くの女性は、母性的愛情に満たされ たことがないため、幼児性やある種の狂気に押しやられていると述べている。カルディナルの母の献身、善意、寛大、自己犠牲は、他者に向けられていた。母に とって重要なのは、他者、つまりこの女性役割を強いる社会、神に受け入れられることだったと言える。母にとって娘は同一化の対象であり、他者ではない。母 の側にしてみれば、「娘のためを思って・・」娘を愛しているというかもしれない。しかし、それは往々にして母の自己愛的満足である事が多く、「ありのまま の娘」として愛するのではない。
 カルディナルの事例にあるように、女性の心理療法では、母との関係の見直しが、一つの大きなテーマとなることが多い。チョドロウ(1981)は、母親業 の再生産過程を、対象関係理論を用いて検証したが、アイケンバウムとオーバック(1988)も、対象関係理論を基盤にして、女性の心理は、母娘関係のなか で形成されることを指摘した。母と娘はジェンダーを共有することから、母は娘に自分を投影し、同一化する。それを受けて娘は、母親と同一化したり、真の欲 求や感情は否認し、抑圧することで、母から投影される期待に適応して、子ども時代を生き延びていくといえる。しかし、母から分離独立しようとする時、どこ かでそのあり方が限界となったり破綻する時、または、様々な症状となって表現される時、母親との関係の問い直しが必要となってくる。コナートンら (1988)によれば、女性の分離独立は、中年期になってからのテーマであるという。
 カルディナルの場合は、母の期待と真の欲求との間から狂気が生まれたというように、症状は抑圧されたエネルギーが葛藤を起こして表現されたものであった といえる。その抑圧や葛藤が、結婚し子供を産んだ後、つまり中年期前期に限界に達したといえるだろう。カルディナルの事例から、症状の背景にあるものを見 極めるためには、過去を見直していくことが必要であるといえる。特に、母との過去を見直す時、母は娘である自分に何を期待し、望んだのか、そのことが自分 にどのような影響を与えたのかを検討することが必要である。

(3)真の自己の発見

 幼い頃、母に愛されないで苦しんだ話をするようになったカルデイナルであったが、無意識のうちに自分の身を守ろうとして、肝心の話は隅に追いやっ ていた。それでもある日目に見えない重要な転機が訪れた。その転機とは、真の自己の発見であったと筆者は考える。カルディナルの真の自己の発見について検 討し、その意味を考えてみたい。

 《あれ》と真向から対峙することこそ、回復するためにとるべき行動ではないかと薄々気づいてきたカルディナルであったが、いざ分析医の前で語る段 になると、表面に浮上してくるのは、そこはかとなく悲しく、いじらしい話ばかりであった。それでもある日、転機が訪れた。12、3歳の頃のある記憶、自慰 の体験が甦ったのだ。この記憶を語った後、「生まれてはじめて、自分に出会った」と感激するカルディナル。「それまではいつも他人、ことに母が主役となる ように、私は自分の過去を演出していた。自分は従順な実行者、人に操られ、それに従うおとなしい少女にすぎなかった」ことを理解する。
 その記憶は、フランス領アルジェリアでの農園生活で、農園の男の子たちとターザンごつこをしたり、秘密の空き地に入り込んだり、格闘したり・・して遊ん だ記憶とともに甦った。格闘のすえに男の子たちは素裸になったり、腰を前に突き出した格好で練り歩く。彼らのすることは何でもやってのけられると思ってい たのに、それは女の子の遊びではなかったためにできなかった。「私にも男の子のように根が生えたらどんなにいいだろう」とカルデイナルは男の子が羨まし かったという。そんなカルディナルは、洗面所で紙の筒を体にあてがい、男の子のように立ったまま、おしっこをしようと試みたが、その時、強烈な感覚、幸福 感に満たされたのだった。
 この記憶が甦った日まで、カルディナルは自慰をしたことを認めていなかったので、自慰にふける女の子は存在しなかった。彼女は今、長椅子の上で誕生した ところだという。「私は存在していたのであり、必ずしも他の意のままになっていたわけではなく、他を欺くことも、もて遊ぶことも、その手から逃れ自ら防衛 手段を講じることもできたのだ。なんたる、感激!この道を再び見出すのだ。以来、私はこの道が存在することも、自分が捕らわれの身であって、しかもその解 放の鍵を握っているのが自分自身であることを確信するに至った。」という。

 この甦った自慰の記憶は忘却のなかに埋もれていたものではなく、思い出すだけで羞恥心に襲われていたものであった。それが、この面接時にその時の 感情や感覚を伴って、はっきりと意識化され、この記憶と直面した。まさにこの時、カルディナルは「真の自己」を発見したと考えられる。「幸いにも」とカル ディナルが言うように、子ども時代のアルジェリアでの農園生活では、母とは別の空間があったこと、乳母や使用人から愛し愛されたという経験、使用人の子ど もたちとの楽しい遊びの体験が、カルデイナルの「真の自己」を守ってきたと思われる。
 では、真の自己とは、何か。ウィニコットは、「本当の自己、偽りの自己」について概念化しているが、ウィニコット(1977)によれば、本当の自己は幼 児の自発的な振る舞いを価値あるものと感じうる、ほどよい母親に受容され、世話される環境のなかで発達する。この過程に干渉を加えると、幼児は真実性や主 体性を発揮できなくなり、偽りの自己の姿をとって反応する。自発的な身振りが活動中の本当の自己をあらわしており、本当の自己だけが創造的であり得、実在 感、現実感をもつ。これに対して、偽りの自己の存在は、非実在感、空虚感という結果となる。筆者は、カルディナルの記述から、そこに生き生きとした自発 性、創造性を感じ、「真の自己」をイメージした。カルディナルは、生まれて初めて自分に出会ったと言うが、そこに、他の意のままになっているのではない自 発的な存在としての自分を発見している。そしてその発見が感激をもたらしたのには、そこに「自分は生きている」という生き生きとした実在感、現実感を感じ たからではないだろうか。それは、心と体が一体となっている感覚ともいえるだろう。筆者がイメージした「真の自己」とは、「自発的、創造的な自己」「生き 生きとした実感を感じうる自己」といえる。
 筆者の考えでは、真の自己は、発達初期だけに限らず、人生のどの時期であっても、絶えず発達する可能性を秘めているのではないかと考える。ありのままの 欲求や感情は、真の自己の源泉でもある。過去に抑圧してきた内なる欲求や感情に気付いていくことで、真の自己を発見し、生きている実感を感じとることがで きるのではないだろうか。真の自己を発見していく過程は、自己の再形成の過程でもあるといえるだろう。
 また、次の面接から、母との暗い秘密であった「母の卑劣な行為について語った」ということからも、真の自己の発見が、彼女をエンパワーし、母との融合し た関係を乗り越えて、母の秘密、真実と直面していく勇気を与えたといえる。もちろん、この最初の発見以後も、記憶の想起を通して「真の自己の発見」は続い ていったといえる。傷ついた過去に直面していくためには、真の自己を発見し、力を得ることが重要であるといえるだろう。

(4)感情と記憶の統合

 では、カルディナルの外傷となっている過去の記憶とは何だったのか。また、その記憶を想起することはどんな意味をもっていたといえるのか。カルディナルの外傷性記憶(トラウマとなっている記憶)について検討してみたい。

 次の面接から、カルディナルは「母の卑劣な行為」について語った。カルディナルは思春期の頃にはすでに自殺を思い詰めるようになっていたが、その頃に起こった「母の卑劣な行為」の後、精神分析を受けるまでの間は、鮮明な記憶はほとんどないという。
 「母の卑劣な行為」とは、カルディナルが生まれたそのわけでもあった。それは、母の妊娠中絶失敗談であったが、「母の卑劣な行為」とは、母が妊娠中絶を 望んだことではなく、憎悪を胎児にぶつけ、殺人未遂を自分に語って聞かせたこと、その仕損じたことを今度は安全な状況で、自分自身の身を危険にさらすこと なく繰り返したことを指している。この記憶を語ることによって、カルディナルは、母が「娘を狂気に追いやった」真実に直面する。さらに、幼児の時から存在 していた《あれ》は、「母から禁止される」、「母から遺棄される」から生じた不安発作であったという洞察を得て以後、不安発作との闘いは容易になっていっ た。
 そして次に、カルディナルはこれを実行できる勇気を感じ、「幻視」の真実にも直面していく。幻視が起こると恐怖にかられて発作が起こり、同時に深い羞恥 心にとらわれるという。幼女の頃の記憶の甦りから、幻視の正体は、2、3歳の頃、彼女の排尿時に、父が後ろからその姿、お尻を撮影していた記憶であったこ とがわかる。幼児の彼女は途方もない怒りがわき起こるのだが、これは自分を恥、悪と感じる起源でもあったことを理解する。この記憶の統合を成し遂げた彼女 は、「生まれて初めて自分の肉体が完璧に感じられた」という。カルディナルは、自分の健康、肉体、肉体を操る力、自由に移動できる特権を発見したのだっ た。

 否認してきた秘密を白日の下にさらすことは、自己を根底から揺さぶるような体験であろう。ここで取り上げた外傷性記憶は、母からの心理的虐待、父 からの性的虐待といえよう。外傷性記憶を想起し、感情と記憶を統合することは、トラウマからの回復のために必要な作業であり、回復の第二段階として位置づ けられている(ハーマン、1996)。しかし、外傷性記憶は、抑圧、否認、解離などの防衛機制により、意識外に押しやられている事が多い。出来事として記 憶していたとしても、それは一部であったり、感情が切り離されて記憶されている。外傷性記憶を想起し、感情、身体感覚と共に語り直していくことで、外傷体 験がもたらす外傷性はその影響力を失っていく。心理療法のなかで、外傷体験を語ることは勇気のいる仕事であるが、感情と記憶を統合することで、外傷体験を 自分の人生に組み込み、人生を再構成していくといえる。
 この後も、カルディナルは、全快するために、自分のなかの恐怖、不安と直面し、感情と記憶を統合していく。ミラー(1994)が、「真実には、自然治癒 力がある」と言うように、様々な真実に直面し、それをありのまま受け止めていくことで、その後カルディナルの自己統合と回復は進んでいった。
 こうしてカルディナルは、精神分析を受けた期間の前半に、健康と自由を獲得し、以後は徐々に自分の人格の発見に努めていったという。カルディナルのいう 「人格の発見」は、「真の自己の発見」とも言い換えられる。面接室の中で、自分の激情を見出すことを通して、自分の激しい気性(それは同時に、活発、明 朗、寛大な気性である)と出会い、そしてこの気性を破壊ではなく、自己の建設のためにコントロールしていくことを学んだのである。

(5)他者との真の出会い

 カルディナルの心理療法と自己実現の過程を追っていくと、真の自己を発見していく過程から少し遅れるようにして、他者との真に出会いがあり、真の関係を築く過程が始まることがわかる。カルディナルの他者との真の出会いについて検討したい。

 カルディナルは、「精神の平衡が築かれていくにつれ、外の私の生活にも意味と形式が備わっていった」という。自分の子どもとは、現実との唯一の接 点でなくなったことから、重苦しい存在とはならず、育て方や理解の仕方も上手になり、この頃から、子どもたち一人一人との間に橋が築かれた。治療が進むに つれて、母親の伝統的な役割にも疑問をもつようにもなっていった。彼女は、産んだ責任を自覚しながらも、彼らの個性に関しては責任をおってはならないこと も学び、子どもを知る努力をしていく。
 パートナーとの関係はどうであろうか。カルディナルは、結婚し、子どもを産んでから様々な症状、狂気が表面化したことで、この原因は結婚生活にあると夫 を責めがちだった。そのため、夫から一緒には暮らせないと離婚を申し渡されたが、彼女は承諾せず、別居生活が続いていた。彼女が分析の過程で、いつしか自 分の精神をノートに書き留めるようになったが(半生最大の行為という)、それをある日夫に見せた時、二人は、再会する。いや、彼女は以前の彼女ではなかっ たので、はじめて二人は出会ったといえるだろう。ノートを読んで涙を流した夫は、「なんて君は変わったたんだ」「このノートを書いた女に恋してしまった よ」と言い、彼女も、愛し、愛され、笑い、築きたいという欲求、私は変わったということを彼に伝えたという。彼は彼女に魅せられながら、彼自身も変わって いく。その後も、それぞれがもたらす収穫物で、二人のエンジンは燃料が切れることなく、たえず迅速に回転しているという。また、カルディナルは、「書く」 という自己表現の手段を見出したことで、自分で自分を救い、独自の世界を築けるようになったのであった。

 厳密にいえば、カルディナルにとって他者との最初の真の出会いの体験は、分析家という人間との出会いであったといえるだろう。心理療法のなかで、 ありのままの感情を表現し、ありのままに受け止められる経験によって他者への信頼感を築くと同時に、それは力ともなって、統合された真の自己としてありの ままに振る舞うことができるようになったといえる。その結果、おのずと現実生活においても変化が現れたといえる。カルディナルの変化から、「ありのままの 自分を生きる」ことができるようになってくると、他者、ここでは子どもやパートナーの「ありのままを愛すること」が可能となることがわかる。今や、彼女は 他者に対してありのままの自己を表現し、他者の表現をも受け止めることができる。真の自己の発見と他者との真の出会いは、リンクしているテーマである。他 者との真の関係については、次のところで述べたい。

(6)社会的なコンテキストに開かれる

 カルディナルは、自分自身との折り合いもうまくいき、くつろいだ生活を送っていた。しかし、自分の世界の地理上に、なにかが定義されないまま残っ ていることを感じていた。彼女が全快するために必要だったもの、真の癒しのために必要だったものは何か。ここから先の答えは、面接室の外にあった。

 カルディナルは、統合された人格によって、他者に向かって歩み始めることができた。彼女は自分を信頼し、幸せを感じていた。そのころ、二つの悪夢が精神分析に終止符をうつことになった。
 一つ目の悪夢からは、10歳の時の外傷体験と恐怖が甦った。見知らぬ男による性的虐待である。男性からの恐怖を自覚したことがなかった彼女は悶々とす る。確かに、この男は怖かったが、以後男性を怖れたことは一度もなく、むしろ、体験した思いやりや愛情は唯一男性から得たものであったからだ。男性性器も 恐ろしくはなかった。男が女にもたらす死に対する恐怖、悪夢で甦った昔の恐怖、夢の中で母そしておそらく他の女性たちも経験した恐怖とは、何か。カルディ ナルは、「母、男性、わたし、母・・」という連想のなかで、母の人生にとって男とは何だったのかに、思いを巡らす。そして、女であることの意味について考 えるようになった。
 そして、彼女は、「膣」を発見した。女たちの語彙では、この部分を指し示す言葉は、醜悪、卑猥、不潔、下品、滑稽、機能的でしかなかった。彼女は、自分 の発見したものの真の意味を見出すのは、面接室の外であると確信する。女であることを意識すると、それにまつわる様々なものがみえてきた。彼女自身、これ までこの社会で果たすべき役割がなかったこと、37年間の絶対服従、そうとは知らずに不平等と不公平を受け入れてきたこと...等に気付く。どこから手をつけ たらよいのか、混乱するカルディナルに、別の悪夢が解放をもたらす。
 それは、蛇が体にまきついている夢だった。夢の中で自分の恐怖を分析した。蛇=男性性器と言われるが、現実に彼女は男性性器は怖れておらず、蛇を怖れる 理由はなかった。彼女と夫で、蛇を引き裂くと、最後には2枚のリボンになった。この夢によつて、女の身をすくませた恐怖は男根ではなく、「男性の権力に対 する恐怖」であったことを発見する。その権力を共有しさえすれば、恐怖は遠のく、と夢が意味したものを彼女は確信したのだった。「政治」という言葉と、ど れほど自分の人生が組織社会と関わっているかを理解したばかりのカルディナルは、自分だけに通用するという解決法を見いだす。

 カルディナルは、女であることの意味を問い直すことで、社会的なコンテキストに開かれていったといえる。そして、女性としてこれまで身につけざる を得なかった歪みを相対化していくことで、真の癒しがもたらされたといえる。現実の生活では、カルディナルは母とは物理的にも心理的にも距離を置いていた が、夢の体験を通して母や他の女たちと、社会的なコンテキストの中でのつながりを確認することができたといえる。女性が他の女たち(必ずしも母でなくても いいが)とのつながりや絆を感じることは、女性の「力」となるし、「癒し」ともなる。
 「膣の発見」とは、女という「性」の発見ともいえる。女は、男にとっての性的存在であることが求められると同時に、自分の性を否認するように育てられる (村本、1993)。その結果、女性には「自分の体は自分のもの」という意識や実感もなくなってしまう。心と体、心と性が解離してしまうのである。それ が、カルディナルが発見した「女のもつ男への恐怖」となって現れるのであろう。心理療法を訪ねるまで、「性器出血」という症状に苦しんでいたカルディナル が、終結を決意するときには、「膣」を発見したというのはとても意味深いことだと思われる。このことは、解離していた心、体、性が、最後にはすべてが「統 合」されたことを意味しているのではないだろうか。カサック(1992)による女性の発達理論では、女性には三段階の発達段階があり、第三段階において は、他の女性との結びつきが回復し、身体性の意味を再定義することでエロティシズムが発達するとしている。
 恐怖に対する解決法として、「その権力を共有すること」と述べているが、この文脈での意味から考えると、「権力」を「力」「権威」と言い換えた方が、筆 者にはぴったりくる。権力といっても、男社会で通用する権力(業績、金、地位、名誉・・等)のことを意味しているのではない。ボーレン(1991)によれ ば、「ヘビは、女性が自分の人生を自分で切り開けると感じ始める時にしばしば夢のなかで、夢み手が注意深く近づいていく未知の恐れ深いシンボルとして現れ る」という。そして、女性が自分自身の人生の主人公となるためには、「ヘビの力を取り戻そうとしてなければならない」という。
 そして、彼女だけに通用する解決法とは、夫、子どもたちと「真の関係」を築いていくことだった。真の関係を築くためには、まずは自分自身が真の自己とし て存在していなければならないし、自分のなかに力を感じていないとできないことでもある。彼女は、「すべてのドアが開け放たれた。これこそが、幸福だっ た」と述べている。ここでは紹介できなかったが、カルディナルは心理療法の代金を稼ぐために仕事につき、その中で「書く仕事」で自分の才能を開花させても いた。「全体性に向けての旅の結末は、能動的でありながら受容的で、自立的でありながら親密であり、仕事をしながら愛することができる。」とボーレンはい う。また、今のこの彼女の心の状態、現実の生活を、トラウマの視点から言うならば、彼女は「回復した」といえるであろう。ハーマン(1996)は、「他の 人々との共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて、憩うことができる。ここにこの人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその 人の生活のみとなる」と言う。
 しかし、彼女の自己実現は終わったわけではない。自己実現は、人生がある限り、終わりがない旅のようなものである。

3.今後、女性の自己実現を支える心理療法に求められるものは

 これまでのところでは、『血と言葉』の事例を通して、女性の視点から女性の自己実現の過程とそのテーマについて検討してきた。この章では、心理療法に焦点を当て、女性の自己実現を支える心理療法について考えてみたい。

(1)『血と言葉』から心理療法を考える

 カルディナルの事例は、臨床的援助を受け回復した人の事例といえるが、どのような援助が成功をもたらしたといえるだろうか、この分析家のどんな点 が良かったといえるだろうか。もちろん、心理療法の成功には、カルディナル自身の力、勇気があることは言うまでもないが、心理療法は、心理療法家と来談者 との相互作用によって進んでいくものであり、共同の作業といえることから、心理療法家の方もその力に応えていけるだけの力をもっていたと言えるだろう。で は、その力とは何なのか。
 ミラー(1985)は、『血と言葉』を含め、三つの被分析者の文学的作品をもとに、4人の分析家の姿勢を比較しているが、精神分析を受けた結果はまった く違うものであったという。つまり、創造的な人間として人格の統合に至ったのは、カルディナルの場合だけである。その違いについて、ミラーは、他の分析者 は衝動理論の立場から理解しようとする傾向が強いという。被分析者の体験や感情を衝動理論で解釈されれば、被分析者はそういう感情を抱く自分が悪で、破壊 的な人間と一層罪責感を強めてしまうことになる。筆者も、カルディナルの分析家が、無理な解釈をしなかったことに、敬意の気持ちをもった。例えば、カル ディナルが語った紙の筒のエピソードを「ペニス羨望」とは解釈しなかった。むしろ、彼女自身がその意味を発見していくのを見守っている。カルディナルの男 の子への羨望は、「自由」への羨望であったと考えられるが、その体験の記憶から彼女は「真の自己の発見」をしており、自分の記憶から自由に、ありのままに 感じとっていることがわかる。そして、それが彼女の力となっている。
 このことから、心理療法家には、当事者の視点にたつことができること、当事者の体験を真の体験として受け止め、尊重できることがまず必要であるといえ る。また、真の体験として、しっかりと受け止めることができる力が必要である。しっかりとありのままを受け止められることで、来談者は、自由にありのまま に感じる自分を肯定的に感じることができる。こうした心理療法家の態度は、ロジャーズのいう心理療法家の三条件「自己一致」「共感的理解」「無条件の肯定 的関心」にも一致する。こうした態度がとれるためには、心理療法家自身が自己統合している必要があるだろう。
 また、女性の心理療法を行う時、当事者の視点にたつことができるとは、女性の視点にたてるということである。カルディナルの分析家は、子どもとしての傷 つきを理解し、子どもの視点にたつことができたが、女性の置かれている立場を問題にするのには、この時代の男性分析家として限界だったといえる。ただ、こ うした限界がありながらも、カルディナルの再生を支えることができたこと、カルディナルの言葉でいうならば「新生に立ち会った」ことは、尊敬に値すること である。女性の視点にたつためには、女性の置かれている状況を社会のコンテキストから理解しておく必要がある。

(2)今後の展望

 カルディナルが精神分析を受けていたのは、フェミニズム運動が起こる以前である。その時代と比べれば、ずいぶんと時代は変化した。カルディナルが 一人で発見していったものを私たちは女たちと、仲間と共有しながら発見できる時代になったといえる。最後に、女たちの発見が、現在の心理療法にどう貢献し ているのかを振り返り、女性の心理療法の今後を展望してみたい。
 女たちが、私生活における暴虐を認識したのは、1970年代のCR(意識向上)グループに遡る。北米の第二次フェミニズム運動で草の根的に広がったCR グループでは、秘密厳守の規則と女性同志という親密さのなかで、これまでに言葉にすることがなかった体験が語り合われたが、体験や感情を共有することを通 して、女性への暴力が社会に蔓延していること、レイプ、パートナーからの暴力、子ども時代の性的虐待が明かとなっていった。グループで語るということは、 女たちにとって、どういう意味があるといえるのか。
 女性たちは、グループのなかで、「the personal is political、個人的なことは社会的なこと」であると、自分の体験を相対化していった。そして、「自分だけではなかった」と社会のコンテキストに開 かれることで、罪責感、恥辱感、孤立感などから解放されていったといえる。女性は、娘、妻、母など他者との関係で位置づけられるため、社会の中、家庭の中 で、孤立しがちであるが、いや、制度によって、孤立させられてきたともいるが、「自分だけではない」という発見が得られた時、女とのつながりを取り戻し、 真の癒しが可能となったと思われる。
 こうしたCRグループによる発見は、その後、臨床家による女性のトラウマ研究やフェミニスト心理療法に生かされていった。女性の援助の方法も開発されて いったといえる。トラウマ研究では、回復の基礎は、エンパワメントと他者との新しい結びつきを創ることにあることから(ハーマン、1996)、つながりの 取り戻しにはグループが有効であると、回復の段階に応じた様々なグループが開発されている(ハニー他、1999,ハリー他、1998)。グループのテーマ には、女であることを問い直すテーマもあり、社会のコンテキストに開かれることが回復に必要とされている。フェミニスト心理療法においても、女性に焦点を あて、テーマ中心のワークショップや自己評価を高め、コミュニケーション・スキルを習得するための様々なグループが開発されている(アイケンバウム他、 1988,ウォーカー他、1994)。
 こうして女性の視点にたつ研究が進み、グループの実践が積み重ねられるにつれて、よりたくさんの女性にサービスが届けられること、そして女性の回復や自 己実現に役立っていくことが望まれる。ハーベイ(1999)は、臨床的援助を利用しない人やそこから利益を得られない人たちは非常に多いことから、効果的 なコミュニティ介入を研究する必要があるというが、教育的なグループは、コミュニティ介入として有効であるかもしれない。また、個人の心理療法と同時に、 グループによる心理療法を並行していくことで、個人の心理療法だけを行うよりも、時間的にも、費用的にも、効果としても、来談者に利益を提供できるかもし れない。特に、女性の自己実現のために必要といえる「社会のコンテキストに開かれる」というテーマについては、グループが有効であろう。
 女性ライフサイクル研究所においても、昨年から、トラウマからの回復と癒しを目的とした女性のためのグループ・セラピーに取り組んでいる。女性のニーズ に応えると同時に、回復、癒し、成長、変容、自己実現を支えるのに有効な方法を、先人の研究と実践からまずは学びながら、検討していければと考えている。 様々な女性の努力の恩恵の上に今の私たちがあることを忘れることなく、その恩恵を生かしながら、また様々な女性にその恩恵を手渡していくことができればと 思っている。

4.おわりに

 カルディナルは、精神分析の完結を前にして、自分は「いかれ女」ではないことを、そう見る人々に理解させるため、そして、かつての自分のように、 現在苦しんでいる人々の助けになるために、いつか自分の体験を本に書こうと決心した。心を病んだ女性がふたたび生命を得て、長い時間をかけてこの世に幸せ な復帰を果たし、生きる喜びと自分の世界に対する感激を味わうまでに全快する、その過程を小説に描こうとした。その決心が結実したのが『血と言葉』であ る。フランスでは、1975年の刊行と同時に、一躍読書界の注目を浴び、有力新聞雑誌の書評で絶賛され、ベストセラーになったという。また、読者からの手 紙が彼女の元に何千通も届いたというが、彼女が伝えたかった思いは、多くの女たちの共感を呼び、女たちの心に届いたといえる。彼女の回復は、たくさんの女 たちへとつながり、社会へとつながっていったことに、感動を覚える。
 筆者も、本書を取り上げたのには、著者カルディナルが、身を投じて語ってくれた真実と発見を、ぜひ、もっとたくさんの人に伝えたいという気持ちが強かっ たといえる。本書が、我が国では絶版となってしまっていることは、非常に残念であるが、普遍的なテーマといえるカルディナルの発見を、そして、生きる希望 と可能性を、本論を通して、少しでも伝えることができたならば...幸いである。
 筆者自身、まだまだ学ばなければならないこと、学びたいことがたくさんある。たくさん学び、自分自身も成長していくことで、心理療法を通して、少しでも 他の女性の役に立つことができたらと、思っている。これからまた10年後、今思うことがどれだけ可能となっているのか、どれだけ実行できているのか...、楽 しみにしながら、そして気合いを入れながら、心してこれから先も歩み続けていきたい。

文献

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佐藤紀子(1997)「四捨五入すると70歳(心は少女のつもり)からの一稿」『女性ライフサイクル研究 第7号 特集:中年期の女性の課題』女性ライフサイクル研究所。

D・W・ウィニコット(1977)『情緒発達の精神分析理論』牛島定信訳、岩崎学術出版社。

L・ウォーカー&L・ローズ・ウォーター(1994)『フェミニスト心理療法ハンドブック』河野貴代美、井上摩耶子訳、ブレーン社。

『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

1999.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
女性のトラウマと回復

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 1990年の開設より、女性のトラウマは一貫して、私たちのテーマだった。もっとも、当時は、虐待という言葉を使っていた(子どもへの虐待、女性 への虐待というように)。虐待とは、権力構造を背後にした人権侵害であり、トラウマをもたらす。トラウマは、もともと外傷を指す語だが、心の外傷にも使わ れ、心的外傷と訳されたりもする。私自身は、トラウマを心的外傷と身体的外傷に分けて考えることはできないだろうと思っている。トラウマとは、存在を脅か すほどの傷つき体験であり、身体的外傷を伴う場合も、伴わない場合もあるが、心的外傷は常に存在する。よって、トラウマはあえて訳さず、片仮名表記のまま にした。トラウマをもたらすのは虐待に限らないが、本特集では、女性にたいする暴力、あるいは虐待の結果としてのトラウマにテーマを絞っている。

 常に必ずとは言わないまでも、男性中心の社会では、男性が公的領域を担い、現実(リアリティ)を構成する一方、女性と子どもは私的領域に属し、男性の空 想(ファンタジー)の登場人物となる。女性や子どもへの暴力の多くは、私的空間において行われ、仮にそれが公的な空間で起こったとしても、目撃者がそこに 介入しようとしないのは、それが現実を構成する公的空間とは別次元の空間で起こっている場面として認知されるためだ。「本来、目にすべきものでない場面を 見てしまった。これは幻だ。見て見ぬふりをしておこう。」というわけだ。つい最近まで(ひょっとすると今なお)、誰かが殺されて、戸籍の抹消という否定し がたい現実的帰結をもたらすまで、親子やカップルの暴力には警察も介入しなかったではないか。この意味において、フロイトがヒステリーの原因をトラウマに 求めたすぐ後で、これを少女たちのファンタジーであると改めたことを理解するのはたやすい。公的領域は基本的に公正でなければならないために、不正はその 柵の外へ追いやられる運命にあるからだ。

 虐待がファンタジーの一部である限り、被害者は、リアリティのなかに主体を回復、もしくは獲得することができない。多くの虐待には秘密の強要と解離が伴 うから、被害者は、それが本当に起こったことなのか、空想だったのか確信を持てないまま、生き続けなければならない。加害者とて、同じだろう。自らの行為 が白日のもとにさらされ、責任を問われない限り、半身をファンタジーの闇に埋めたままであるわけだから。第2次フェニズム運動は、「個人的なことは政治的 である(The personal is political.)」をスローガンに掲げたが、私的領域と公的領域を結びつけて初めて、女性や子どもへの暴力が現実として集りだされたのである。

 傷ついた女性たちの回復は、トラウマとなった体験がリアリティの一部に組み込まれること、それはつまり、社会から認知されることを要求する。90年代に 入って、子ども時代の性虐待を告発する講演会の多くで、サバイバーたちがカミングアウト(自分の経験を皆の前で公表する)する場面に出会ったが、それは、 まさに、自分たちの体験を公的領域に属する事実として告発し、ファンタジーをリアリティヘと転換させる意味と力を持つものだった。これらの事実は、トラウ マからの回復が、従来の面接室における個人療法だけでは不十分であることを示している。伝統的な心理療法は、「心的現実」という言葉をあてることで、ファ ンタジーをリアリティに転換する力を与えてきたが、少なくともトラウマ被害者に関する限り、これは無効である。私的領域から抜け出ることのできない出来事 が「心的現実」と呼ばれる限り、それは「嘘」と同義語だからだ。そうすれば、治療者は、自分の世界を脅かされずにすむ。しかし、それは、「社会的現実」と して認められることを求めている。

 この十年、女性のトラウマに対する認知は徐々に高まり、我が国においても、新聞やテレビで取り上げられる頻度が増え、被害者支援体制が整えられつつあ る。女性や子どもへの暴力がようやく公的領域の現実として認知され始めたことを示すが、その陰に、変化を求めて闘ってきたサバイバーおよび支援者たちの力 を感じずにはいられない。私たちが関わってきたのはこの十年だが、その前の十年、そのまた前の十年にも、この問題に取り組み続けた粘り強い先輩たちの力が あったにちがいない。歴史を構成するのは現実であり、リアリティとなり得て初めて、それは歴史に組み込まれる。トラウマからの回復は、個人史および歴史の 書き換えを要求するだろう。大量虐殺さえもファンタジーにされかねないことを思えば、私たちは歴史に敏感でなければならない。もう二度と、女性たちの闘い の歴史を抹消させてはならないと思う。

 今回の特集は、以上のようなことを心に刻み、傷ついた女性たちの現実を白日のもとにさらし、リアリティとして社会へ告発するものである。また、虐待と傷 つきのメカニズムを明らかにし、より有効な援助法を模索しようとするものである。今年は、ハーバード大学/ケンブリッジ病院暴力被害者プログラム主任のメ アリー・ハーベイ氏のご好意により、「生態学的視点から見たトラウマと回復」を所収することができた。「生態学的視点」とは、聞き慣れない概念かもしれな いが、コミュニティ心理学の用語であり、人や人の心にのみ焦点をあてるのでなく、コミュニティのなかの人、コミュニティのもろもろの資源や要因と相互関係 を見ようとする視点である。女性のトラウマと回復を社会の文脈のなかで捉えることの必要性は、すでに力説したつもりだが、「回復」を多次元的な現象とし て、7つの項目によって定義している点、重要である。

 このように多次元的な視点をもちながらも、個から社会へと視野を拡げていけるように配列した。Ⅰ章は事例中心に、Ⅱ章は理論中心にまとめてある。Ⅰ章、 佐藤紀子氏の「ひらめ」では、リアリティがファンタジーに力を与え、力をもったファンタジーが、再びリアリティヘと作用するあり様が明確に見てとれるだろ う。ハーベイ氏の分類によれば、これは臨床的治療を得た例であり、吉村薫は、インタビューによって、治療的介入なしに回復へ向かった例を描いた。窪田由紀 氏の事例は、個人療法を中心にしているが、大学教員による学生の援助と学生相談という、基本的にコミュニティ介入のベースから個人療法へつなげられている 点に着目したい。

 Ⅱ章、川喜田好恵氏と中村彰氏は、ドメスティック・バイオレンスに焦点を絞り、ジェンダー構造のなかで、いかに被害者と加害者がつくられていくかを分析 したうえで、援助の方法についても述べている。男性たちもまた動き始めていることを知って、心強い。長谷川七重氏は、ドメスティック・バイオレンスのなか でも言葉の暴力に焦点をあてた分析を行っている。子どもの虐待も同じだが、どうしても世間ははっきりと目に見える形の暴力にのみ反応しがちであるが、トラ ウマとは、存在を脅かす傷つきであることを繰り返しておきた」窪田容子は、治療者の立場から、中立性について再考した。トラウマの治療は、伝統的な治療の パラダイムの転換を迫るように見えるため、これに抵抗する治療者は少なくない。しかし、私の考えでは、中立性はじめ、従来の概念をトラウマという視点から 練り直すとき、(はやりの言葉で言えば)臨床心理学は「進化」する。

 Ⅲ章は、主に電話相談という回路で、傷ついた女性を支えようとする立場のものをまとめた。平井三鶴氏は、徳島県の「女性サポートダイヤル」を通じて関 わった女性たちの現実を紹介している。相談者の住む社会と陸続きの社会/現実を生きる援助者の姿が目に見えるようである。窪田も触れている「代理受傷」に ついて真剣に考える必要があろう。前田真比子氏らは、ある機関の電話相談での体験をもとに、性被害についてまとめてくれた。ハーベイ氏も指摘しているよう に、コミュニティのなかの危機介入的な相談電話が果たす役割を痛感させられる。周藤由美子氏は、「性暴力を許さない女の会」の紹介と支援のあり方への提起 をしてくれた。会の方々とは、個人的なおつきあいはなかったが、よく講演会などのフロアでご一緒した。ボランティア・ベースでこんなグループが息ながく活 動していること自体、頼もしく、励まされる思いである。

 IV章では、主に共生の視点での援助を紹介した。新恵里氏はアメリカでの研修の体験をまとめてくれた。さすがに、アメリカの被害者支援機関はずいぶん先 をいっているようで、地域の犯罪被害者センターが、まさに多次元的な援助を提供している様子が伺われる。アメリカならではの問題もあるようだが、「被害 者」と「加害者」の捉え方は参考になるだろう。前村よう子は、キリスト教の背景を持つ「ミカエラの家」を取材し、トラウマと宗教の関わりをまとめた。きっ かけは、前村自身の否定的な宗教体験だったが、この取材をきっかけに、彼女自身がある種の「癒し」を経験したようで嬉しい。取材を受けて頂いたシスターに あらためて感謝したい。「スピリチュアリティ」は、私自身、これから練り上げていきたいテーマである。高松里氏はセルフ・ヘルプグループについて書くと同 時に、専門家批判をしている。「トラウマは治療も回復も不可能であり、専門的援助は無力である」と主張するこの論考は、いささか挑発的であるが(なにし ろ、これはトラウマと回復の特集である)、その内容には頷ける。今一度、ハーベイ氏の論考に立ち返り、回復の定義と、回復にいたる道に専門家が寄与できる 可能性は一部にすぎないこと、専門家が関与しても回復にいたらない可能性、よけいに傷を深める可能性があることを想起すべきだろう。高松氏自身は、このセ ルフ・ヘルプ・グループのメンバーであるから、当事者であると言うことにも頷ける。ただし、私自身は、専門家としての役割を捨ててはおらず、状況に応じて 役割が変わることはあっていいと感じている。状況に応じて娘であったり、母であったり、妻であったりするように、私は、状況に応じて、専門家であったり当 事者であったりする。そのことに、あまり矛盾を感じていない。

 最後のV章は、社会とシステムに焦点をあてた。西順子は新聞記事を手掛かりに、性被害に対する社会の動きを追った。社会の変化にあらためて驚かされると ともに、西が指摘するように、子ども時代の虐待、性虐待に関しては、まだまだこれからというのが実感である。本特集においても、予定どおりに執筆できな かった事情もあり、成人女性への暴力に偏ったきらいがある。しかし、子ども時代の虐待による女性たちの生の声は、コラムの形で執筆して頂いたものの多くか ら聞こえてくるはずだ。平山真理氏は、刑事手続きにおけるとくに性犯罪被害者の扱われ方についてまとめ、イギリスの制度も参考に、問題提起を行ってくれ た。加害者への対応はもちろんだが、傷ついた被害者の回復を助けるような形で司法が機能するシステムが練り上げられていくことを望む。
 最後になりましたが、いつも暖かく応援してくださっている皆様、原稿を寄せてくださった皆様、いつも私たちのために素敵なイラストを描いてくださるJunさん、そして地水社の皆さんに感謝いたします。

『女性ライフサイクル研究』第9号(1999)掲載

1999.11.23 年報『女性ライフサイクル研究』
生態学的視点から見たトラウマと回復

ハーバード大学臨床心理学助教授/ケンブリッジ病院暴力被害者治療プログラム主任
メアリー・ハーベイ(村本 邦子訳)

1 はじめに

 トラウマにさらされた被害者は、急性もしくは遅延性の外傷後ストレス障害(PTSD)(アメリカ 精神医学会、1994)、複雑型外傷性症候群(Herman, 1992a, 1992b)、一連のトラウマ関連性精神障害(Brett, 1992)、広範囲にわたるトラウマ反応と回復のパターン(Briere, 1998; Browne & Finkelhor, 1986; Cohen & Roth, 1987)を示す可能性があることが、研究結果や臨床経験からわかっている。トラウマ反応の多様性をトラウマ以前の個人特性から理解する臨床家は多い。し かし、その一方、トラウマの程度と持続時間(Kulka et al., 1990)、トラウマとなった出来事の特徴(Herman, Russell, & Trocki, 1986; Roth, Wayland & Woolsey, 1990)、被害者の解釈(Green, Wilson, & Libowitz, 1988)、被害者を取り巻く環境(Green, Wilson, & Lindy, 1985; Koss & Harvey, 1991; Wilson, 1989)が同じように重要であることを示唆する研究も多い。
 トラウマに関する既存の文献は、トラウマ反応と回復における個人差に環境要因が関与していることを過小評価する傾向がある。とくに、臨床的な文献は、個 人の回復力(resiliency)、臨床的援助なしの回復の可能性、社会・文化・環境の影響を見過ごしがちである。「回復」の定義づけが曖昧で、トラウ マからの回復を示す基準がはっきりしていないことも多い。
 この論文では、これらの問題を取り上げるために、コミュニティ心理学の概念である生態学の視点を利用する。この視点から言えば、人間の心理的特性は、コ ミュニティという生態学的文脈で、もっともよく理解できるし、出来事への反応は、コミュニティで養われた価値、行動、技術、理解に照らせば、もっともよく 理解できる(Kelly, 1968, 1986; Koss & Harvey, 1991)。本論文では、この考え方をトラウマ現象にあてはめ、トラウマ反応と回復の個人差を理解する生態学的モデルを提示する。このモデルでは、個人差 を、人、出来事、環境の3つの要因の相互作用と考える。これら3つの要因は相互作用して、人とコミュニティの力動関係を決定し、それぞれに独自な回復の文 脈をつくる。生態学的モデルでは、トラウマからの回復結果を4つの概念に分け回復の多次元的定義を提示する。臨床的援助が回復を助けるのか、それとも損ね るのかについても取り上げ、臨床的援助とは違ったコミュニティ介入が回復力を育てることにも触れる。臨床的援助もコミュニティ介入も、それが有効に働くか どうかは、人によって違う回復の文脈に、生態学的適合(ecological fit)を果たし、その人とコミュニティの関係をうまく強化できるかどうかにかかっている。

2.生態学の視点から見たトラウマ

(1)生態学の視点とは

 生態学とは、有機体とその環境との相互関係を扱う科学である(Webster's Ninth New Collegiate Dictionary, 1985)。コミュニティ心理学は、生態学的文脈から、コミュニティに関心を向け、人とコミュニティの相互関係を扱う。人は、コミュニティからアイデン ティティ、所属感、意味を引き出す(Kelly, 1968, 1986; Koss & Harvey, 1991)。人の行動を生態学から見る時、コミュニティ心理学者は、実地生態学者が他の生命環境を調べるのとまったく同じ仕方で、コミュニティを調べる。 「生態学のアナロジー」(Kely, 1966, 1986; Trickett, 1984)は、資源と資源交換の特性という観点からコミュニティを記述する。たとえば、コミュニティのお金、サービス、価値、伝統が循環し、共有され、豊 かになったり、枯渇したりといった点に見ることができる。また、コミュニティ成員の欲求と環境に対して、適応と健康を促進したり、逆に、不適応と不健康を 促進するコミュニティの特質にも見ることができる。
 生態学のアナロジーをトラウマの領域に応用すると、トラウマとなる暴力的出来事は、人の適応能力への脅威と捉えられるばかりでなく、成員が関わり合っ て、健康と回復力を育てるというコミュニティの能力への脅威とも考えられる(Koss & Harvey, 1991; Norris & Thompson, in press)。つまり、都心部で増えつつある暴力は「酸性雨」のようなもので、成員に安全な天を提供するコミュニティの能力への生態学的脅威と見ることが 可能になる。人種差別、性差別、貧困は環境汚染、つまり、暴力を育て、人のコミュニティの健康促進資源を破壊する生態学的異常と考えられる。
 暴力的な出来事がコミュニティ資源を汚染し破壊するように、コミュニティの価値、信念、伝統はコミュニティ成員の防御壁となり、暴力に続く回復を支え る。貧困と人種差別がコミュニティを暴力に晒す危険性を高める生態学的要因だと考えられるなら、経済を安定させ、多様性を認める視点をコミュニティに流布 させることが、暴力を予防するエコロジー要因になる。同様に、女嫌い(misogyny)と家父長制が性暴力を増やし、女性の幸福を脅かす生態学的要因で あると考えられるなら、コミュニティに根ざしたレイプクライシスセンターや「夜を取り戻そう」キャンペーン、性暴力を許さないコミュニティづくりは、女性 の安全と幸福を支持する生態学的要因となろう(Koss & Harvey, 1991)。
 ほとんどの人は、多様なコミュニティに属している。たとえば、地理(市、町、近隣)、人種、民族、言語を共有するコミュニティの一員であり、また、職業 や宗教、思想を共有するコミュニティの一員でもあるだろう。ここで提示する生態学的モデルは、トラウマとなる暴力的出来事への個々の反応は、それぞれが所 属しアイデンティティを引き出す複数のコミュニティの特性の組み合わせによって変化すると仮定する。人とコミュニティの相互作用を形づくるのは、人、出来 事、環境のさまざまな組み合わせである。

(2)トラウマの生態学―「人×出来事×環境」モデル

 図1はトラウマ、治療、回復の生態学的モデルである。このモデルには3つの前提がある。第1は、 トラウマとなる出来事が同じであっても、誰もが、同じように傷ついたり、影響されるわけではないということである。被害を受けやすいか、被害への反応と回 復は、互いに影響しあう3つの要因によって多面的に決定される。3つの要因とは、巻き込まれた人や人々との関係、経験された出来事、より広い環境である。 これらの要因が一緒になって、人とコミュニティの生態システム(ecosystem)が決定される。その中で、人はトラウマとなり得る出来事を経験し、対 処し、意味づけを行っていく。
 生態学的モデルの第2の前提は、トラウマとなる出来事に晒された後、人は臨床的援助を求める場合もあれば、求めない場合もあるということである。求めな い人の方が多いだろう。トラウマを十分に理解するためには、治療を受けない大多数に目を向け、トラウマ後の状態と回復のプロセスを明らかにする調査が必要 である。
 第3の前提は第2と密接に関わっているが、臨床的援助は、必ずしも、回復の保証にはならないということである。生態学的モデルでは、回復結果に関する4 つの概念を立てている。1)臨床的援助が他の要因と作用しあい、回復を助ける。2)臨床的援助が回復を妨げ、損なう。3)臨床的援助なしに回復がおこる。 とくに、自然発生的な生態システムが回復力を支え、自然なサポート体制とコミュニティ資源が豊富にあるとき。4)時宜を得た適切な介入がなく、回復できな いまま。
 生態学の枠組みで考えると、回復の失敗は、個人の苦悩が持続することを意味するだけでなく、回復する環境の欠如、コミュニティ心理学者が生態学的適合と 呼ぶものを達成するようなトラウマへの介入の失敗をも意味する。生態学的適合を構成するのは、人と社会的文脈の関係の質と有用性であり、人と環境の結びつ きを強める必要がある。つまり、孤立感を減らし、社会的能力を高め、良い対処を促し、コミュニティへの所属感を促進しなければならない。(Levine, 1987; Maton, 1989)。
 生態学的モデルは、グリーンら(Green et al., 1985)が仮定した心理社会的枠組みと一致し、ウィルソン(Wilson, 1989)が描いた統合的個人・環境モデルとも一致する。違いは、出来事と環境要因の区別、被害化の社会・文化政治的文脈に置かれる力点、回復と復元力の 源泉としてコミュニティを強調する点である。

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図1.トラウマのエコロジー・モデル


(3)「人×出来事×環境」がトラウマ反応に与える影響

 人、出来事、環境に関するたくさんの要因がトラウマ反応と回復に影響を与えるが、なかでも、生態 学的視点からとくに重要なのは、人とコミュニティの関係に影響を及ぼす要因である。そのなかには、臨床家がクライエントのニーズを査定するとき日常的に考 慮されるものもあるが、無視されることが多いものもある。
 トラウマ反応と回復に影響を与える人の変数には、たとえば、年齢、発達段階、被害時の苦痛の程度、知性、人格、感情、認知、トラウマ以前の対処能力、ま た、もしあるとすれば、それに先立つ外傷、被害者と加害者の関係、その他もろもろの人口集団的特徴がある。経験を積んだ臨床家ならばほとんどが、これらの 変数に注意を払い、診断決定と治療計画に重要な役割を果たす。生態学的視点からは重要だが、臨床上のアセスメントではあまり注意を払われない人変数には、 トラウマを受けた人が、自分の文化のなかで、被害体験をどう理解するか、さまざまな種類の援助を抵抗なく受けられるかどうか、家族、友人、その他重要な人 が希望、粘り、回復力のモデルを提供してくれるかどうかなどがある。
 出来事変数は、一回、あるいは一連のトラウマ体験の特徴を示すものである。トラウマ反応を決定する重要な要因には、経験された出来事の頻度や強度、持続 度、身体的な暴力や性暴力が含まれていたか、恐怖や屈辱の持続度、一人だったのか、他の人と一緒だったのかなどがある。その他、出来事に付随し、その人と コミュニティが重きを置いているものと関わる部分も重要である。たとえば、強い信仰をもつ帰還兵は、敵兵の死体によって負わされた十字架に苦しみ続けるだ ろうし、恐怖のために抵抗できず、加害者に同意と喜びの言葉を強制されたレイプ被害者は、それを恥じ、苦しみ続けるだろう。トラウマそのものがもっとも傷 ついた部分であるはずだという思い込みは捨てる必要がある。そして、トラウマの解釈や記憶、感情と経験のニュアンス、その人のトラウマ反応に影響を与える 固有の社会構造など周辺部分にも耳を傾ける必要がある。
 トラウマ反応と回復に影響を及ぼす環境要因はたくさんある。トラウマが経験される生態学的文脈(家、学校、職場、その他)の特徴、自然なサポート体制、 良い適応を育てるシステムの力、トラウマ後の被害者に与えられた安全とコントロールの度合いなどである。被直後、最初の対応者がどんな態度を取ったか、家 族、友人、世話役、その他の重要な他者および集団がどう理解し行動したかは、回復のための重要な要素となる。生態学的視点からトラウマと回復を理解する上 で重要な環境要因は、コミュニティのもつ態度や価値観、人種とジェンダーについての文化的構造、被害者に向けられる政治経済的要因、コミュニティの被害者 援助とアドボカシー資源の質、量、接近しやすさ、文化的妥当性を挙げられる。英語をしゃべれない難民が災害に遭ったとき、その人を取り巻くコミュニティが 移民の増加を恐れ、あからさまに敵対的な態度を取るなら、回復する気力もなくなるだろう。コミュニティに「主流な」サービスの質と利用しやすさがどうであ ろうと、この人にとって、接近しやすさと文化的妥当性はどう見積もっても制限される。同性愛恐怖によるゲイ・バッシングの被害者は、伝統的な道筋からプロ の援助を求めるのは嫌でも、別の設定や非公式のネットワークを通じて得られる適切な援助にはつながるかもしれない。

(4)4つの回復結果

 生態学的モデルでは、トラウマを受けた被害者をグループ分けする。どこかの時点で臨床的援助を受 けた人、受けなかった人、トラウマから回復した人、していない人である。概念的に4つの回復結果が考えられるわけだが、それぞれに特有の問題と、臨床的援 助とコミュニティ介入の課題がある。

1. 臨床的援助を受け、回復したトラウマ被害者

このグループは、いちばん臨床家の興味をひくものである。臨床家の援助を受け、あきらかな効果が あった場合である。治療効果を査定し、確認する調査が必須である。トラウマ被害者にかかわる臨床的仕事で有望なのは、今のところ、安全とエンパワメントと いうふたつのテーマを強調するフェミニスト的な治療アプローチ(Harvey & Herman, 1992)、症状を管理し減らしていく認知行動療法的技術(Foa, Steketee & Rothbaum, 1989, 1991; Keane, Fairbank, Caddell, zimering & Bender, 1985; Resick, Jordan, Girelli, Hutter & Marhoefer-Dvorak, 1989)、統合的トラウマ集中治療(Wilson, 1989)、トラウマによる情動とパターンの解決を促進する力動認知アプローチ(McCann & Pearlman, 1990; Roth & Newman, 1991)、孤立感を減らし新しい愛着を形成する安全な場を提供するグループ療法(Koss & Harvey, 1991; van der Kolk, 1987)、段階別・多元的治療アプロ―チ(Herman, 1992b; Lebowitz, Harvey & Herman, 1992)が挙げられる。

2.  臨床的ケアを受けたが、効果なく、回復していないトラウマ被害者

生態学的モデルでは、2番目のグループになる。さまざまな治療アプローチの成功と効果を臨床家が共 有し、研究者が確認する一方で、治療の失敗も同じように立証し、治療を失敗させた生態学的条件を確定することが重要である。たとえば、身体的な安全と生理 的安定が得られて初めて、トラウマの記憶をさぐることが実りをもたらすこと、早すぎる時期に慌ててトラウマを探ることは、傷つきやすい患者を不安定にし、 再度トラウマに晒すことになるという厳しい事実を学んできた臨床家は少なくないだろう(Herman, 1992b; Horowitz, 1986)。同様に、患者のもつ文化・歴史的背景に鈍感だったり、患者の回復予後に関するコミュニティの信念、価値、資源の役割について誤った情報しか もっていなければ、その治療法は、生態学的視点から言って、制限され、失敗しやすい。

3. 臨床的援助なく回復したトラウマ・サバイバー

このグループは、危機と苦境にあって、内的・外的資源をうまく活用できた人々からなる。研究者も臨 床家も、このグループから学ぶことは多い。これらの人々は、ストレスへの抵抗力という内的資源を持っていたのだろうか。回復のスキルを新たに獲得したのだ ろうか。具体的なコミュニティ資源や個人的なサポート・ネットワークによって、防御できたのだろうか。回復の基盤にある資質は、遺伝子的に決定されている ようなものなのか、あるいは、後天的に獲得されたもので、他の人にも獲得することができるものなのだろうか。手短に言えば、このグループにとって、トラウ マへの予防接種の役割を果たした要因は何なのだろう。これらの要因は、臨床的技法とコミュニティ介入によって再製したり、動員したりできるものなのだろう か。

4. 臨床的ケアを受けず、回復していないトラウマ被害者

生態学的モデルで4番目のグループは、長い間、研究者からも臨床家からも目を向けられなかった人々 である。傷ついたまま、孤立して生きており、不適切な対処法と資源に頼っているかもしれない。いずれにせよ、臨床的ケアを受けていない。このグループにつ いて、もっと学ぶ必要があるし、彼らの孤立感を減らし、利用できる資源があることに気づいてもらえるようなコミュニティ介入を考える必要がある。たとえ ば、公共教育のキャンペーンはトラウマ反応に関する理解を促し、これらの反応が奇妙なものではないことを理解する助けとなる。アウトリーチのキャンペーン は、利用可能な臨床的資源をはっきりさせ、接近を促すだろう。これらの資源がないコミュニティでは、コンサルテーション活動と、トレーナーの養成プログラ ムによって、準プロフェッショナル、牧師、しろうとの援助者の理解と技術を促し、治療を受けていないトラウマ被害者に役立つことができるかもしれない。

3.回復の多次元的定義

(1)トラウマからの回復の定義

 回復の実践的な定義について書いた文献はあまりない。あっても2種類で、どちらも適切とは言えな い。1つ目は、包括的なもので、長期にわたる心理療法をやり遂げ、トラウマに起因するものしないものも含めて葛藤を統御し、最終的に解決することを目指 す。これらの治療目標は称賛に値するが、トラウマからの回復というより、「包括的精神衛生」と呼べるだろう。トラウマそのものについての理解を助けるもの ではないし、有効な介入計画についても、治療結果の調査に関しても方向性を与えない。2つ目は、外傷後ストレス障害に特徴的な過覚醒と侵入性の症状に限定 したものである。このアプローチは、トラウマからの回復の症状の減少と考えているようだ。たとえば、フラッシュバックや悪夢がなくなるとか、トラウマを想 起するときの反応が穏やかになるなど。この定義には、臨床介入するうえで特別の焦点をあて、症状から逃れることの重要性を強調する利点がある。しかし、そ の他のトラウマ関連性障害、ハーマン(1992a)が「複雑型PTSD」と呼んだものには役立たない。たとえば、症状がなくなっても、恥と自責の念や、い わゆる「サバイバーシップ」(Janoff-Bulman, 1985)と呼ばれる孤立感や不信感などの持続を考えるうえでは不足である。トラウマからの回復を症状の減少だと考えれば、非常に効果的な心理療法の過程 において、症状が強まる時期があることを理解できないだろう(Briere, 1989)。
 ここに提示する生態学的モデルでは、トラウマからの回復を、以下のような基準によって特徴づけられる多元的な現象として理解する。

1.  記憶の再生への権限

記憶と意識の変異はトラウマ性障害の中心である(APA, 1994)。トラウマとなった出来事は、記憶の再生と利用に混乱を与える。サバイバーはしばしば、自分が経験したことの記憶の一部がなかったり、その場面 が突然現れて、凍りついてしまったりする(van der Hart, Steele, Boon & Brown, 1993)。トラウマからの回復の最初の兆しであり、それゆえ第一の治療目標となるのは、記憶に対し、新たな権限を得ることである。回復すると、いきなり 意識に侵入してきたものを、思い出すか、思い出さないか、選択できるようになる。記憶喪失がなくなる。思い出せなかった部分が思い出され、新しい意味が記 憶に付け加えられる。記憶との力のバランスが逆転し、サバイバー自ら、まとまり連続した物語として記憶を呼び起こせるようになる。

2. 記憶と感情の統合

単発のトラウマでも、慢性化した一連のトラウマでも、記憶ははっきりとつながっているが、思い出し ても何も感じない、ほとんど感じない場合がある。逆に、特定の刺激に反応して、恐怖や不安、怒りなどが押し寄せるが、これらの感情が何と結びつくのかまっ たくわからない場合もある(Harvey & Herman, 1994)。いずれも、記憶と感情が分離しており、その結果、心理的問題が生じている。回復すると、記憶と感情が結びつき、感情を伴って過去が思い出せる ようになる。その体験をした時に起こった心と体の状態がいくぶんか再現されるだろう。悲しい記憶は再び悲しみを引き起こし、怒り、不安、その他も同じよう に記憶と結びつく。回復すると、過去についての現在の感情も区別して理解できるようになる。たとえば、回復したレイプ被害者は、その時の恐怖を思い出し感 じると同時に、それを思い出している今、新たな怒りと悲しみをも感じるだろう。

3.  感情への耐性

回復とは、トラウマと結びつく感情にもはや圧倒されたり脅かされたりしなくなることである。トラウ マと結びつく感情が、耐えがたいほどの直接性と強烈さを失う。圧倒されたり、防衛的な感覚麻痺や解離なしに、感情を受け入れ、名づけ、耐えられるようにな る。不適切な警報と危険信号から解放される。感情がさまざまに分化し、記憶に一定の反応ができるようになり、現在のストレスに対処する能力が増す。

4. 症状管理

とくに持続していた症状が弱まり、管理可能になる。たとえば、フラッシュバックを引き起こす刺激が 何か知り、避けられるようになる。回復したサバイバーでも症状が続くことはあるが、うまく対処して、症状を減らし、ストレス管理ができるようになる。たと えば、暴力的な映像など苦痛を呼び起こす刺激を避けたり、ストレス管理の技術を使ったり、なかなか消えない症状に対しては、薬を処方してもらって適切に利 用することで改善できるだろう。重要なことは、すべての症状がなくなることではなく、症状を予測し管理できるようになることである。

5. 自己評価と自己の凝集性

1回のトラウマであっても、自己感や自己の価値に対して破壊的な影響を及ぼす力を持っている (Terr, 1983)。幼少期の慢性化し繰り返された被害は、アイデンティティに深刻な影響を与え、自己を不連続で断片化したものにする。回復すると、自己評価と自 己の凝集性の面で、これを修正し制御できるようになる。自傷行為や自己破壊的な衝動がなくなり、健康で自己受容的になる。断片化していた自己は、凝集性を 持ち一貫した自己が体験される。罪の意識、恥、自責の念がなくなり、自己の価値を感じられるようになる。強迫的で自己批判的な考えがなくなり、現実的に自 分を評価し、肯定できるようになる。自分はケアされるに値することに気づき、自分で自分をなだめたり、自己実現していけるようになる。

6. 安全な愛着関係

他者から孤立し、再び被害者となりやすい傾向は、トラウマと密接に関わっている。暴力や信頼の裏切 りを伴うトラウマ体験は、悲惨にも、安全で支持的な人間関係を求め、維持していく能力を危うくする(van der Kolk, 1987)。トラウマからの回復は、対人関係能力の発達、あるいは改善と回復を含む。孤独に固執していたのが、信頼や愛着関係を持てるようになる。人との 関係で身体的、感情的な完全を求め維持できるようになり、いくぶんかの楽観主義とともに、親密な結びつきを期待できるようになる。そこまでいくには、複雑 な再交渉や、重要な人への服喪が必要だろう。ほとんどの場合、サバイバー自ら、社会的な支援のネットワークを広げていくだろう。

7. 意味づけ

最後に、トラウマ、サバイバーとしての自己、トラウマが起きた世界に新しい意味づけがなされる (Janoff-Bulman, 1985)。トラウマの意味づけは個人的なものであり、非常に個性的なプロセスである。とくに、暴力によるトラウマで、人は残虐行為を行うという事実と直 面させられるような場合はそうである。損なわれた自己という感覚がなくなると、それまで不幸を背負ってきたと思いこんでいたものが、力と共感を得たという 新たな発見に変わる場合もある。自分の体験を創造的に表現したり、確固たる社会活動へと変容させ、サバイバー使命を抱くことが回復のプロセスの一部となる 人々もある(Herman, 1992b)。「なぜ」「なぜ私が」という問いにスピリチュアルな答えを出す人もあろう。プロセスはさまざまだが、回復したサバイバーは、トラウマに名前 をつけ、喪に服し、命を肯定し自己を肯定するような意味づけを行う。
これらの基準は、1回、あるいは一連のトラウマによって否定的な影響を受け得る心理機能の全領域を反映している。すべてを含めて、回復の多面的な定義であ り、臨床家、サバイバー、研究者に個々人の回復を査定し、臨床的介入、コミュニティ介入が目指すべき基準を与えてくれる。治療を受ける受けないにかかわら ず、サバイバーの回復と復元力を生態学的視点から多次元的に査定する概念的枠組となる(Harvey, Westen, Lebowitz, Saunders & Harney, 1994)。この枠組では、トラウマに影響を受けたどの領域でも、プラスの方向で変わったとすれば、回復が進んだということになる。あまり影響を受けな かった領域があり、その領域の力を使って、問題のある領域に対処し、回復できるとすれば、これは、復元力と呼べる。たとえば、記憶の侵入などに苦しんでい るサバイバーが、相対的に損なわれなかった領域にある対人関係能力を使って、誰かに支えてもらったり、有益な心理療法を受けることもあろう。安全な愛着関 係の領域にある強さと復元力を動員して、症状管理と記憶再生への権限の回復を得たと言える。人と会うのが怖くなった暴力被害者は、しっかりした自己感とス ピリチュアルな価値感を動員することで、信頼と結びつきの感覚を取り戻すかもしれない。この場合、自己評価と意味づけの領域の力が、安全な愛着関係の領域 の修復を助けたと言える。

(2)レイプからの回復-生態学的モデルによる事例と分析

 生態学的モデルは、トラウマ反応のさまざまを予測することができる。人・出来事・環境要因の相互作用と、トラウマ反応・回復への環境の影響力について、二人の女性を対比させながら例示しよう。どちらも近所のバーで知り合った、いわゆる「顔見知り」の男性にレイプされた。
 サラは21歳、白人の中流階級に属するボストンの大学生。どちらかと言えば平等主義の家族に育ち、両親はともに子育てに関わってきた。サラはフェミニス ト・グループの一員で、さまざまなキャンパス活動に従事している。ある夜、地域のバーで友人と別れた後、ちょっと興味のある男性と話し始めた。彼が送って くれると言うので、サラは、もっと彼を知る機会だと期待し、同意した。帰り道、サラは彼のあからさまな性的行動が嫌で、突き離した。すると、彼は怒り、暴 力でもってレイプしたのである。
 ジョアンも21歳の白人。ボストンから西へ数マイル離れた田舎にある労働者階級のコミュニティに住む、信心深い閉鎖的な大家族で育った。ジョアンは運動 が得意で、自己主張的なので、二人の兄は「おてんば」だと思ってはいたが、彼女の強さを誉めてくれた。しかし、両親は、ジョアンの「女らしくない」行動に 腹を立てることがしばしばだった。学校の成績もよかったが、高校を卒業すると同時に結婚。今は離婚し、4歳と2歳の子どもと、実家近くの小さなアパートに 暮らしている。地元のレストランでパートタイムで働き、地域のソフトボールチームの強力な選手でもある。試合に勝った夜、ジョアンは友達と近所のバーに 寄った。その夜のバーは、とくに騒々しかったが、友達と別れた後、彼女はもうしばらくそこにいた。それまでも見かけたことのある男性が、家まで送ろうと 言った。その男は、駐車場で、人気のないところまで運転するよう命令し、レイプしたあげく、行ってしまった。

1.  人×出来事×環境要因について

人の属性という観点から言えば、サラもジョアンも多くの共通点がある。どちらも白人で21歳、両親 の子育て態度と、家族の教育水準は違うが、どちらも養育が行き届き、結びつきの強い家族の育った。それぞれ違う点は、サラは未婚で、ジョアンは離婚したこ と。サラは大学生、ジョアンは働いていた。サラは中流階級、ジョアンは労働者階級に属していた。サラの生活は、金銭的に困るようなものではなかったろう し、責任も少なかった。ジョアンは、しばしば家族に経済的な援助を求めなければならなかった。サラにとって、女性も男性と同じ機会と生活様式が与えられる べきであることは明白だったが、ジョアンは、社会的な制限に反発しながらも、同時に伝統的な性役割のステレオタイプと、家族やコミュニティを特徴づけてい る信念を是認している部分もあった。

2.  出来事について

どちらも、近所のバーで出会い、知り合いになりたいと思った男性にレイプされた。どちらも身体的な 残虐性と屈辱が伴い、どちらもアルコールが一要因になっている。レイプの後は、侵入的な記憶を経験し、恐怖と苦痛を再体験した。非常に長い間、個別の特徴 が頭から離れなくなる。サラは、レイプした男性に最初にひきつけられたのは自分だったという事実を思い出して、特別恥ずかしく感じるだろう。ジョアンは、 恐怖のあまりに戦えず、自分の肉体的な力が役に立たなかったことに屈辱を感じるだろう。

3. 環境について

しかしながら、回復の予後に関する限り、生態学的視点から最も重要なのは、彼女たちの状況を特徴づ ける環境要因である。サラもジョアンも心から心配してくれる友人や家族がいたが、二人を支えるネットワークを構成する人々は、レイプに対する見方、アル コールへの態度、専門的な援助や精神科医の治療を受け入れる素地という点で大きく異なる。二人が住むコミュニティとそこでの選択肢も非常に違っている。
たとえば、サラは、フェミニスト仲間に友人がたくさんいて、その大半は、これがレイプであり、責任があるのは加害者の方だということをはっきり理解してい る。サラの友人のなかにも、「私を変だと思う人」もいるし、サラも、彼女たちの言葉を「本気でそう思っているのかしら」と疑うことはある。それでも、サラ のコミュニティには、彼女を支える人々がたくさんいるし、必要な資源も豊かにある。彼女の親友のなかには、これらの資源のことをよく知っていて、利用する よう励ましてくれる女性もいる。彼女の家族は、専門機関を利用することに慣れている。家族も「誰かに話を聞いてもらう」こと、とくに、レイプ・クライシス についてのトレーニングを受け、トラウマの知識がある人に聞いてもらうことを励ますだろう。
ジョアンの状況は違っている。彼女の故郷である田舎には、レイプ・クライシス・センターも、特別な訓練を受けた緊急医療隊も、地域警察の性被害対策部もな い。彼女の話を聞き、家族に電話した方がいいのか、するとすれば、いつ、何を話せばよいのか、決めるのを助けてくれるレイプ・クライシス・ワーカーもいな い。ジョアン自身も自分の体験をどう考えたらよいのかわからない。これはレイプだろうか?彼女の両親を含め、彼女の故郷であるコミュニティの多くの人は、 「良い娘」はレイプされないと信じていることだろう。ジョアンの町には、公的な資金によるメンタルヘルスケアの方法はほとんどないだろうし、トラウマに対 するサービスは実質的に皆無だろう。個人開業している臨床家はわずかながらいるだろうが、ジョアンやジョアンの知り合いが予約の電話をすることはないだろ う。彼女の家族でセラピーを受けたことのある人はいない。友人のなかには、十代の息子を指導カウンセラーに連れていった人、夫をつれて、夫婦カウンセリン グに行こうと考えている人はいるが、ジョアンは彼女たちに、レイプのことを話そうとは思わないだろう。

4. 臨床介入による査定と援助

サラの生活の現実は、臨床家に査定と援助を受けるにいたる生態学的条件をつくりだしている。資源が 豊富にある都会のコミュニティには、多くのメンタルヘルスの実践家や専門家がいて、そのなかから選択することができる。選択肢が広いので、サラに合う実践 家が見つかる可能性は高いだろう。また、若い白人、シングル、中流階級、教育水準が高いなど、サラと多くの共通点を持つボランティアスタッフをたくさん抱 える草の根的なフェミニスト資源も揃っている。多くの共通点を持つ人々がいることで、これらの資源の文化的妥当性は高まり、サラがそれらを効果的に利用す る可能性も高くなるだろう。これらの資源は、サラの回復を助けるコミュニティ・サポートとなるだけでなく、専門家への紹介にも結びつくかもしれない。これ らの条件が、必ずしも容易な回復や最善の臨床経験を保証するわけではないが、サラは、これらの条件のなかで回復の道を探ることができるだろう。サラの生態 系は、その伝統、信念、価値観などが有効な臨床資源の利用を促進する力を持っている。
他方、ジョアンの方は、臨床的な援助を受ける方法をさがせそうにない。その経験を誰かに話すよう励ます友人はいるかもしれないし、自分のレイプの体験を話 してくれる友人もいるかもしれない。お酒でも飲んで気持ちを紛らわしたらと言う友人もいるだろうし、教会に戻って、司祭に話すよう勧める人もいるだろう。 でも、専門的な援助を受けるよう励ます人はほとんどないだろう。もちろん、状況が変わる可能性はある。とくに、レイプの体験そのものが、ジョアンとコミュ ニティの生態学的な関係を変えることがある。たとえば、彼女が告訴を決めれば、弁護士に会うことになるが、その弁護士が、はっきりとそれはレイプであると 言い、心理的査定を受けるよう紹介するかもしれない。法廷の被害者権利擁護の人が、適切なサービスを紹介してくれることもあるだろう。彼女の体験したレイ プの状況と残虐性がコミュニティの誰かに知れて、ジョアンに援助の手が差し延べられ、そこから臨床的援助へとつながる可能性もあるだろう。しかしながら、 生態学的視点から言えば、ジョアンが臨床的援助につながる可能性、仮につながったとしてもそれが彼女の回復に役立つかどうかは、サラと比べれば、はるかに 当たりはずれのあるものになる。臨床的援助のあるなしより、ジョアンの回復は、それ以外の資源に大きくかかってくるだろう。

5.  回復への生態学的影響

レイプの直後、サラもジョアンも激しい苦痛を経験し、自己感覚や他者への信頼、世界観にひどい混乱 が生じたことだろう。生態学的視点から言えば、時間が経つにつれ、回復を支える他者や環境の違いが、多次元の回復領域における修正と復元力の程度の違い、 トラウマから回復へいたる道の違いとして現れてくる。サラは、被害にあったその夜、別の選択をすればよかったと考えては、自己感と自己評価をかき乱される 思いを経験するかもしれない。自分をレイプするような男に興味を持った自分を責め、彼が暴力的な男であると見抜けなかった自分を腹立たしく感じもするだろ う。そのうち、コミュニティのなかに、彼女が期待するほど断固として彼女の味方になってくれない人もでてくるかもしれない。たとえば、友人の少なくとも何 人かは、なぜ、なんとかしてレイプを防げなかったのかと思っていることが判明するかもしれない。家族のなかにも、学校の職員や警察のなかにも、彼女がどの くらいお酒を飲んでいて、その時の判断力が鈍っていたかを問う人がいることだろう。
サラは、ほとんど同じことを自問自答していたことに気づく。自分のことを心配してくれる人々に申し訳なくて、自分がまた前の状態に戻れるのだろうかと不安 に思うことだろう。しかし、結局のところ、サラを支えてくれる人々の多くは、彼女の経験がレイプであると理解できるので、彼女の苦痛を理解し、この一貫し た見解で支えてくれるだろう。彼女たちは、臨床的援助を受けてみるように励ますだろうし、サラもその勧めに従うことだろう。レイプ・クライシスのボラン ティアと話すことで、さまざまな医療および法的選択があることを理解し、選択の助けとするだろう。のちには、心理療法が自己感と自尊心を脅かす感情や記憶 を点検する助けとなるかもしれない。トラウマの記憶が侵入してくるのは症状のひとつであることを知り、少しずつコントロールできるよう治療を利用するだろ う。人一般、とくに男性に対して不信感と恐怖を感じるかもしれない。その場合、レイプ・サバイバーのグループに参加することで、他者を警戒したり、安全で 満足のいく人間関係を求めているのは自分一人でないことを理解するようになるだろう。心理療法の内でも外でも、このような目標をもって、肯定的な愛着と比 較的損なわれていない対人関係能力の蓄積を活かせるようになるだろう。そして、新たな人間関係をつくり直し、自分の経験を意味づけることができる。
レイプ後のジョアンの経験は、ずいぶん違うようだ。トラウマの記憶に襲われることを、ジョアンも身近な人も、レイプによって起こり得る感情的な反応として 理解できない。ジョアンは自分が傷ついたこと、怒っていることを知っているが、それがレイプだったのかどうかには確信がもてない。少なくとも、彼女の両 親、近所の人、友人たちがレイプと思わないことは確かだろう。両親は深く恥じるかもしれない。近所の人たちに知られたくないだろう。兄弟は加害者に腹を立 てるだろうが、危険な行動をとったジョアンにも腹を立てることだろう。ジョアン自身、傷つき、我が身を恥じている。
ジョアンも、サラのように損なわれた自己評価を修正し、対人関係を作り直し、自分の経験の意味づけをしなければならない。しかし、サラと違って、まずレイ プに対する新しい理解ができるようになる必要があるし、家族や近隣、教会に行き渡っているジェンダー構造に挑戦し、新しい社会的サポートと理解の資源をさ がさなければならない。そうするさい、彼女は、自分が保持している力を使って、自分がレイプされても仕方ないことをしたのだと仄めかす態度をきっぱりと拒 否する必要があるだろう。彼女の兄弟がその判断にアンビバレントではあっても、彼女の力を認め、彼女の勇気を褒めるなら、彼女の重要な資源となるだろう。 互いの関係を大事に思うチームメイトは、文化的妥当性から言えば、サラにとってフェミニストのコミュニティにあたり、これもまたはかり知れない資源の一部 となる。この仲間にレイプのことを話せれば、多くの人がそれをレイプだととらえ、彼女の苦しみに共感を示し、再び生活のコントロールができるよう励まして くれることがわかるかもしれない。さらに、チームにおける自分の地位を確認することで、ジョアンは、再び自分の肉体的力を感じ、スポーツに打ち込む力を少 しずつ取り戻していくだろう。気持ちを建て直すなかで、わずかながらあるコミュニティの資源を見つけ、公的なサポートによって回復を助けてもらえるかもし れない。たとえば、地域の弁護士事務所、法廷の被害者権利擁護プログラムなどである。こういったものがあって、活用できれば、彼女の回復が助けられるだけ でなく、その社会活動の成果や、彼女の経験をはっきりレイプと定義する州法によっても益することになる。

6.  介入と生態学的適合を構成するもの

生態学的モデルは、介入が成果をあげるためには、個々人の回復の文脈にうまく適合するものでなけれ ばならないことを示唆する。サラが利用できる臨床的援助は、この基準にうまく合うかもしれない。他方、ジョアンの回復に対する臨床的援助の適切さは、制限 されている。まず、彼女がいる地域のコミュニティに適切な資源があるかどうかわからないし、あってもその質はどんなものかわからない。さらに、ジョアンが 臨床的援助にうまく馴染めるかどうかを決定する生態学的要因も制限されている。レイプ被害から数週間、数ヶ月経てば、ジョアンのチームメイトによる援助と 法廷にある被害者権利擁護の側のアウトリーチの方が、彼女にははるかに有益で、生態学的適合を達成していることがはっきりするかもしれない。ジョアンの回 復には、文化に浸透しているジェンダー構造と個人的に対決し、あまりに馴染み深い加害者を支持するような信念の点検が、確実に必要である。ジョアンに新た な社会的サポートの道とレイプに対する新しい理解を提供するコミュニティ介入は、これを促進し、コミュニティと彼女の生態学的関係を決定的に変えるだろ う。それこそが有効な臨床的介入の唯一の道であるかもしれない。

4.臨床的介入と調査へのヒント

 生態学的モデルを念頭に置くと、ほとんどのサバイバーは複雑に入り組んだ世界に生きており、トラ ウマにいつも臨床的援助があるとは限らず、ない場合がほとんどであること、あったとしても臨床的援助はつねに有効とは限らないし、当てにならないことも多 いということを思い知らされる。サラとジョアンの事例は、多くの点で似た状況にあり、初めての単発トラウマの例である。二人の人種、民族の特徴を変えた り、あるいは子ども時代のトラウマ、大人になってからの殴打、深刻な物質依存の家族歴や差別、貧困、制度上の無視と個人間の暴力が日常的であるようなコ ミュニティに住んでいるなど、レイプされた女性の条件を変えていけば、彼女たちの回復への生態学的課題は、もっと複雑になる。どんな介入も、その有効性 は、その課題に適い、孤立感を減らし、当人になじみのある社会的文脈のなかで有効な対処法を促進できるかどうかにかかっている。

(1)生態学的視点から見て適切な臨床的介入の特質について

 有効な臨床的介入は、生態学的視点を入れた査定から始まる。トラウマからの回復の多次元的定義か ら言えば、損なわれた領域と、力として残っている領域の両方を特定する査定が重要である。回復と復元力の多次元的査定(Harvey et al., 1994)に基づいて治療計画を立て、被害者とコミュニティの関係に肯定的な影響を与える臨床的介入のデザインの基礎をつくることができる。多様な個人の 予後と回復にもっとも適した臨床的介入の特質は何なのか、はっきりさせるような研究が必要である。この特質には、介入の試みがなされるタイミング、設定、 目的と方法論が、そして、力のある部分を促進したり、損なわれた部分を修正するような特質、また、トラウマを受けた人の住む文化およびコミュニティの特徴 が含まれるはずである。生態学的枠組みでは、トラウマが生じた社会・経済・政治的環境は同じだけ重要だし、サバイバーが自分の経験を理解するうえでコミュ ニティが影響を及ぼすことに臨床家が気づいていることも重要である。有効な臨床的介入をするためには、トラウマ被害者がアイデンティティと意味づけを引き 出すより文化、人種、民族、言語的コミュニティに普及しているトラウマ理解、被害化と援助に対する理解について知っておく必要があるし、場合によっては、 それらに挑戦しなければならないだろう。

(2)社会変革とコミュニティ介入について

 臨床的援助を利用しない人、あるいはそこから利益を得られない人たちは非常に多いので、治療を受 けないサバイバーの回復の研究と復元力についてのコミュニティに根ざした研究が必要である。効果的なコミュニティ介入の努力もますます必要になってくるだ ろう。たとえば、幅広い人々に対してトラウマと暴力についての情報を与え、トラウマに続いて多くの心理的な反応が起こるが、それは正常であることを理解さ せるような公共教育活動は、臨床的介入の効果を高めるものである。ある人たちにとっては、これらの介入は、臨床的援助以上に高い効果をあげる。同様に、そ れぞれの成員の権利を擁護し、抑圧の政治的修正を目指す市民の人権グループ、子どもの権利擁護団体、フェミニスト・グループ、レズビアンとゲイの組織は、 被害化の経験の意味づけを変えるうえで、数年にわたる個人セラピーよりもずっと多くのことができるかもしれない。警察官による不適切な取扱をなくすための 法改正や、告訴弁護士、救急医療隊員も被害者の予後を助けることができる。臨床的援助という選択肢と競合する必要はないが、臨床的、コミュニティ的、社会 的介入といった幅広い範囲を捉える視点が必要である。

5.要約

 生態学的視点からトラウマを見るとき、トラウマ後の反応と回復パターンは、人・出来事・環境の3 要因が複雑に作用し合って決定されると考えられる。生態学的モデルは、サバイバーを、臨床的介入を受けた人、受けない人、さらに、それぞれについて、回復 した人、していない人の下位グループに分ける。どのグループにも、臨床調査、コミュニティ調査に固有の問題提起を行い、異なった課題がある。とくに、私た ちがふだんほとんど会うことのない人々のことを知っておく必要がある。それは、専門的援助なしに回復した人、専門的援助が必要なのに、得られず回復してい ない人である。
 生態学的モデルは、トラウマからの回復は多次元的であること、臨床的援助のない回復もあることを認め、個人の持つ復元力、環境の役割、自然な援助、適切 なコミュニティ介入などにも目を向ける。これらの介入は、現在、治療を受けておらず、おそらくは孤立したまま苦しんでいるサバイバーの回復を促進するうえ で重要だし、トラウマを引き起こす暴力的な出来事を減らすうえでも重要である。

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注)本論文は、Plenum Publishing Corporationの許可を得て、"Journal of Traumatic Stress, Vol.9, No.1"より翻訳転載しました。

『女性ライフサイクル研究』第9号(1999)掲載

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