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インフォメーション

2014.04.21 活動報告-論文/執筆/学会活動等
2013年度 論文/執筆/学会発表等・活動報告(2013.4.1~2014.3.31)
【著書】
2013年7月  『対人援助学の到達点』第四章「対人援助学の学びをつくる~"reflexibility"をキーワードに」,晃洋書房,53-66(村本)
2013年7月  『対人援助学の到達点』望月昭・村本邦子・土田宣明・徳田完二・春日井敏之(編著),晃洋書房(村本)
2013年7月  『対人援助学を拓く』村本邦子・土田宣明・徳田完二・春日井敏行・望月昭(編),晃洋書房(村本)(村本)

【論文】
2013年11月  「子ども虐待予防としての子育て支援」チャイルドヘルス,16/ 11, 22-25(村本)
2013年11月  「フェミニズムはどこへ~女たちの財産を次世代に受け渡すために」
女性ライフサイクル研究,23, 5-12(村本)
2013年11月 「女性と権力~暴力の加害と被害を乗りこえるには」女性ライフサイクル研究,23,(西)
2013年12月  「周辺からの記憶1~東日本・家族応援プロジェクト立ち上がる」
対人援助学マガジン,4/ 3, 218-225(村本)
2013年12月  「日本の児童・女性政策と心理学」心理科学,34/ 2(村本)
2014年3月 「歴史・平和教育における「二次受傷」をどう考えるか~立命館大学国際平和ミュージアムにおける平和教育の現状と可能性」
村本邦子・芳賀淳子,立命館平和研究,15, 59-68(村本)

【学会活動~研究発表等】
2013年7月14日 日本コミュニティ心理学会 第16回研究大会,慶応義塾大学日吉キャンパス,「DVシェルターとNPOの協働から、組織・チームづくりを目指して-派遣プログラムの実施・継続を通して」(村本他)
2013年9月1日 日本質的心理学会 第10回大会,立命館大学衣笠キャンパス,「DV被害者への支援における協働と連携」(村本)
2013年9月21日 立命館大学大学院応用人間科学研究科、南京師範大学虐殺研究センター、米国CIIS,南京師範大学,国際シンポジウム『アジアの戦後世代の歴史平和教育をつくる』,「"Healing Wound of History" 5年の試みを振り返って」(村本)
2013年10月21日 国際表現心理術療法学会, 国際表現性心理療法シンポジウム,国立台北教育大学,「表現療法を用いた歴史のトラウマの世代間連鎖と和解修復の試み~「南京を思い起こす」5年間の試みから」(村本)

【その他研究活動】
2012年2月20日 アエラ「大震災が残したトラウマに寄り添う対人援助学」取材協力(村本)
2012年3月12日 NHK「子どもを守れキャンペーン:虐待」制作協力(村本)
2013年6月1日 「子どもの存在をありのまま喜ぶこと」インタビュー(p.34-39),チャレンジ2年生「考える力・プラス講座」はなまる教育情報(村本)
2013年8月6日 NHKあさイチ「戦争ってなに?」番組コメント(村本)
2014年3月10日 京都新聞「今も被災地と:続く支援、学ぶ視点」取材協力(村本)

【発行物】
■年報『女性ライフサイクル研究』第23号
■ニュースレター№134~145

2007.02.15 トラウマ研究
日本語版MTRR/MTRR-I導入のための予備的研究(2006年)

2006年『立命館人間科学研究』第10号『立命館人間科学研究』第10号、pp.49-60 より

日本語版MTRR/MTRR-I導入のための予備的研究
   トラウマの影響・回復・レジリエンスの多次元的査定

                      村本邦子(応用人間科学研究科)

1.MTRR/MTRR-Iの意義と日本語版MTRR/MTRR-Iの必要性
2.MTRR/MTRR-Iを支える理論的枠組み
3.日本語版MTRR-Iの作成とワークショップでの試用

4.日本語版MTRRデータの予備的分析
5.今後の課題
文献

A Preliminary Study to Introducing the Japanese Language Version of the MTRR/MTRR-I: Multidimensional Assessment of Trauma Impact, Recovery and Resilience
Kuniko Muramoto
Graduate School of Science for Human Services

Abstract:
This paper describes a recent effort to introduce Japanese clinical psychologists to the Japanese language version of the Multidimensional Trauma Recovery and Resilience measures developed in the United States by Harvey and colleagues (2003). The MTRR and MTRR-I were translated into Japanese and introduced to a group of Japanese clinical psychologists in order to gather pilot MTRR data on trauma survivors in Japan. Although the sample size limits the generalizability of the present study, the findings from a preliminary analysis of 27 cases provides promising results concerning the value of a Japanese language version of the MTRR. Future psychometric studies of the MTRR, parallel to American studies of the English language version of the measure, remain to be conducted. The current investigation opens the door to a series of multicultural studies on trauma impact and resilience. The author and her colleagues are currently awaiting more data to conduct further analyses.

keywords: Japanese language version of MTRR, trauma, assessment, recovery, resilience

本研究は、アメリカにおいてハーベイら(2003)によって開発された「トラウマの影響・回復・レジリエンスの多次元的査定:MTRR/MTRR-I」の日本語版導入の試みをまとめたものである。日本語に翻訳したMTRR/MTRR-Iを、日本の心理臨床家たちに紹介し、日本におけるトラウマ・サバイバーに関するMTRRのパイロット的データを集めた。現時点ではサンプルサイズが限定されており、一般化できない段階であるが、27ケースの予備的分析から、日本語版MTRRの価値が有望であることが導き出された。今後、英語版MTRRに関する心理測定的研究に倣って、基礎的データを集め、日本語版MTRRの標準化を試みる予定である。
キーワード: 日本語版MTRR、トラウマ、査定、回復、レジリエンス

1. MTRR/MTRR-Iの意義と日本語版MTRR/MTRR-Iの必要性

 トラウマとその影響に関する研究は、欧米において、相次ぐ2つの世界大戦とベトナム戦争を契機に発展した。1980年、PTSD(外傷後ストレス障害)の概念が、DSM-IIIに初めて現れた。虐待、レイプ、DV、インセストの被害者に見られる症状も、戦闘帰還兵に見られるものと本質的に同じであるということが次第に明らかとなり、複数のタイプのストレス反応症候群が合流したところに、トラウマ心理学という新しい分野が生まれ、急速に知識が蓄積されていった。我が国においては、1995年の阪神淡路大震災を契機に、自然災害、犯罪被害への「心のケア」という形で、また、少子化対策と連動する形での虐待問題のクローズアップ、国際的潮流を受けてのドメスティック・バイオレンスへの取り組みなど、90年代後半から、トラウマが脚光を浴びるようになり、今や、一種の流行とさえ思われるほどである。
 他方、トラウマとその影響については、未知の部分が多いことも事実である。たとえば、トラウマとなる経験が単回のものか、長期にわたって繰り返され、慢性化したものかによって、臨床像が違ってくることが指摘されている(Carlson, 1997)。慢性化したトラウマを受けた人の方が、解離やその他の自己催眠状態、気分の変動を生じやすい (Terr, 1991)、子ども時代の身体的虐待、性的虐待を経験した人々では、攻撃性の形をとった強烈な感情の再体験が観察され、解離という回避症状が現れる(Chu & Dill, 1990; Irwin, 1994; Kirby, Chu & Dill, 1993)、抑鬱、自己評価の低さ、無力感といった二次的な関連症状も、長期にわたる慢性的なトラウマと関係している(Briere, 1992; Yama, Tovey & Fogas, 1993; Finkelhor, 1990)などが指摘されている。DSMのPTSDは、再体験、麻痺・回避、過覚醒の3症状群から構成されたきわめてシンプルな診断名であり、PTSDで括りきれないこれらさまざまな症状は、トラウマ関連症状として認識されているのみである。DSM-IVにおいてPTSD概念の修正を検討したプロジェクトチームのメンバーの中には、これらの症状を記述し、複雑性PTSD (Herman, 1992)、もしくはDESNOS (Disorders of Extreme Stress Not Otherwise Specified) (van der Kolk, Pelcovitz, Roth, Mandel, McFarlane & Herman, 1996)との診断名を用いる者も出てきた。
 トラウマ研究の発展には、当然、トラウマ査定が含まれている。既存のトラウマ査定法には、さまざまなトラウマ曝露の頻度や程度に焦点をあてたもの(Briere & Runtz, 1988a, 1988b; Falsetti, Resnick, Kilpatrick, & Freedy 1994; Gallagher, Flye, Hurt, Stone, & Hull, 1992; Sanders & Becker-Lausen, 1995など)、DSM-III-R やIVによって定義されたPTSDを査定するもの(Blake, Weathers, Nagy, Kaloupek, Charney & Keane,1995; Briere, 1995; Foa, Riggs, Dancu, & Rothbaum, 1994; Keane, Mallow, & Fairbank, 1984など)の他にも、不安、うつ、解離、その他の精神症状に関する標準化された尺度を用いて、トラウマ関連症状を査定するものもある(the Beck Depression Inventory, Beck, 1988; the Dissociative Experiences Scale, Bernstein and Putnam, 1986など)。上述した広範囲にわたるトラウマ関連症状を含む症状を自己評定式尺度以外の尺度で捉えようとの試みも展開している。SIDE(The Structured Interview for Disorder of Extreme Stress)は、長期にわたるトラウマ曝露の影響と、新しい診断名であるDESNOSの妥当性を査定するために開発されたものである(Pelcovitz, van der Kolk, Roth, Mandel, Kaplan and Resick, 1997)。 
 我が国においては、トラウマ関連の査定尺度として、標準化されたIES-R (Impact of Event Scale-Revised)(Weiss and Marmar, 1997; Asukai, Kato, Kawamura, Kim, Yamamoto, Kishimoto, Miyake & Nishizono-Maher, 2002)、および、CAPS (Clinician-Administered PTSD Scale) (Blake, Weathers, Nagy, Kaloupek, Gusman, Charney, & Keane, 1995; 飛鳥井・廣幡・加藤・小西、2003)がもっぱら用いられている。IES-Rは、自己評定式の質問紙尺度であり、PTSDを構成する症状22項目について、過去1週間にこれらの症状がどの程度で経験されたかを5段階で評価し、合計得点によって症状評価を行うものである。他方、CAPSは、PTSDを構成する17症状について、調査者が構造化されたインタビューを行い、過去1ヶ月の強度と頻度を5段階評価するものである。いずれも、PTSDの症状を査定する尺度であり、上述してきたようなPTSD以外のトラウマ関連症状を測ることができないことが難点である。
 トラウマによる苦痛や心理的損傷について明らかにされつつある一方、トラウマ・サバイバーがトラウマ経験に反応する肯定的方法、治療的介入の有無を問わず、回復する力を表すレジリエンスについての研究が始まっている(Grossman, Cook, Kepkep, & Koenen, 1999; Lam & Grossman, 1997; Liem, James, O'Toole & Boudewyn, 1997; Tedeschi, Park & Calhoun, 1998)。レジリエンスとは、回復や復元力、困難をはね返す力などを意味するが、現在のところ定訳はまだなく、そのまま片仮名で使用されることが多い。たとえばアメリカ心理学会は、「APAヘルプセンター」という市民向けホームページで、レジリエンスとは、「逆境、トラウマ、悲劇、脅威、大きなストレスに直面しながらも、うまく適応していくプロセスであり、困難な経験をはね返すことを意味する」と説明している(http://helping.apa.org/featuredtopics/feature.php?id=6)。成人したトラウマ・サバイバーのレジリエンスに関する最近の研究によれば、レジリエンスの表れは多面的、かつ複雑であり(Chambers & Belicki, 1998; Grossman, Cook, Kepkep & Koenen, 1999; Lam and Grossman, 1997; Liem, James, O'Toole and Boudewyn, 1997)、トラウマ・サバイバーは、機能の異なった領域で、傷つきやすさとレジリエンスの両方を示すことが示唆されている(Waysman, Salomon, & Schwartzwald, 1998)。
 村本(2004)は、石川(2001、2002)らと実施した女性の性被害に関するコミュニティ調査のインタビュー結果を分析し、①女性の人生における性被害経験率はきわめて高い②性被害が女性の人生に与える影響は非常に大きい③性被害の長期的影響は認知されにくく、年齢の低いときの被害ほど認知されない④能動的対処の有無と、被害体験を話し受けとめてもらえたかどうかの2要因が、性被害の影響を減ずるために貢献する⑤子ども時代のトラウマは新たなトラウマを招き、トラウマの複合が生じやすい⑥性被害はほとんど専門機関で相談されない⑦性被害を受けた女性は相談機関の充実を求めていることを明らかにし、性被害に対し有効な臨床的介入をするには、生態学的視点からのコミュニティ介入が必要であると結論した。たとえば、治療を求めない大半の被害者たちに、公共教育を通じて働きかけるなどである。また、治療的介入のなかった3事例を紹介し、レジリエンスを示唆するトラウマからの回復に影響を与える要因について考察している。トラウマの影響を全般的に捉え、レジリエンスの多様な表現を含めつつ臨床的介入を可能にするためには、トラウマ・サバイバーの臨床状態を査定する体系的な方法が必要である。
 これに応えようとするのがMTRR/MTRR-I(Harvey, Westen, Lebowitz, Saunders, Avi-Yonah, & Harney, 1994; Harvey & Westen, 1996; )である。これらの尺度は、英語のほか、スペイン語、フランス語、ポルトガル語にも翻訳が試みられ、中央アメリカ、カナダのフランス語圏、オーストラリア、そしてアメリカ都心部と農村部出身のトラウマ・サバイバーの回復状態を査定するために使用され、心理測定研究やナラティブ研究においても、文化的に多様な臨床研究に用いられてきた(Harvey, Mishler, Koenen, & Harney, 2000)。その結果、MTRRは、いくつかの課題が残されているものの、臨床と臨床的研究の双方において、信頼性、妥当性、実用性の当初の基準に適っており、異なる回復段階にあるトラウマ・サバイバーたちを識別できることがわかっている(Harvey, Liang, Harney, Koenan, Tumamal-Narra & Lebowitz, 2003)。
 筆者は、おもに女性と子どもを対象とした開業臨床を15年実践してきたが、クライエントの多くは、虐待やドメスティック・バイオレンス、性被害などのトラウマ被害者であった。1999年にMTRR/MTRR-Iと出会い、2000年に日本語に翻訳し、臨床場面での導入を試みた。トラウマ・サバイバーを査定し、治療計画を立てるさい、また、治療の途中や最後の治療効果を測るさいに有用であることを経験し、この間、MTRR/MTRR-Iについて知り関心を持った日本の臨床家たちからのコンタクトを受けてきた。日本語版MTRR/MTRR-Iを正式に翻訳し、標準化して日本の臨床家に紹介する必要性を強く感じてきた。本研究は、そのための小さな第一歩である。

2. MTRR/MTRR-Iを支える理論的枠組み

 ハーベイ(1996)は、コミュニティ心理学の生態学的視点を用い、極度のストレスに対する反応を形づくる人、出来事、環境の相互作用に注目しながら、トラウマの影響に多次元的視点を与え、トラウマの影響、回復、レジリエンスは、相互に関連する8つの心理的経験領域にわたって多様に表現されることを記述した。このモデルでは、人間の心理的特性は、コミュニティという生態学的文脈で、もっともよく理解できるし、出来事への反応は、コミュニティで養われた価値、行動、技術、理解に照らすことでよく理解できると考える(Kelly, 1968, 1986; Koss & Harvey, 1991)。個人差を、人、出来事、環境の3つの要因の相互作用と考え、これら3つの要因は相互作用して、人とコミュニティの力動関係を決定し、それぞれに独自な回復の文脈をつくる。
 トラウマの生態学的モデルでは、トラウマからの回復結果を4つに分け、回復の多次元的定義を提示する。トラウマ反応に対し、治療(臨床的援助)がある場合とない場合があるが、それぞれに、回復がある場合とない場合がある。したがって、回復結果は、①臨床的援助が他の要因と作用しあい、回復を助ける ②臨床的援助が回復を妨げ、損なう ③臨床的援助なしに回復がおこる(生態システムが回復力を支え、自然なサポート体制とコミュニティ資源が豊富にあるとき) ④時宜を得た適切な介入がなく、回復できない の4つとなり、図1のように示される。

図1 トラウマの生態学的モデル(ハーベイ、1996)

 また、MTRRを構成する8つの心理機能と各領域における回復基準は以下のとおりである。
①記憶の再生への権限:回復の過程のある時点で、トラウマ・サバイバーがかつては思い出せなかったり、あるいは逆に、望みもしないのに勝手に意識に侵入してきたりした経験について、思い出す、思い出さないを自分で選択することができるようになる。
②記憶と感情の統合:記憶に伴う感情を感じることができ(もとの経験に伴った感情を現在感じる能力)、過去の記憶だけでなく、過去を思い出している現在、新たに生まれる感情を経験することができるようになる。
③感情への耐性と統制:経験できる感情の範囲と、困難な感情に持ちこたえ、扱える能力の程度を示し、トラウマ・サバイバーが幅広い感情に触れることができ、なおかつ、その感情の強烈さに耐えることができるようになる。
④症状管理:トラウマによって生じた認知と感情の混乱を予期し、管理し、収め、予防することができるようになること。この基準は、トラウマ症状が残っていることを前提にし、回復は、症状の軽減ばかりでなく、軽減しない症状を予期し、管理し、対処できれば達成されるものであると考える。
⑤自己評価:自分のことを配慮する経験(自分をケアする価値ある存在と見なす)と、自分をケアする能力(自分への配慮を行動レベルで表現できる)の両方を指す。回復のサインと治療目標は、サバイバーが健康的な仕方で自分の身の回りの世話をすることができるようになり、純粋に自分を配慮できるようになることである。
⑥自己の凝集性:思考、感情、行動の面で、自分自身を統合されたものと感じたり、断片化していると感じたりする程度を指し、かつてはひどく解離していた患者が、人生初期に極度の暴力に曝されていた結果として、自分が複雑な解離によって適応してきたことを理解し、それをコントロールできるようになったり、過去には、秘密と状況による仕切りによって人生を編成していたサバイバーが、世界にひとつの統合された自己表現をすることができるようになったりしたら、回復と考える。
⑦安全な愛着関係:他者との関係で、信頼、安全、継続的な関係を持つ能力を示し、信頼できる愛着関係を結び直したり、新たに結んだりする能力、関係のなかで自分の安全を交渉して確保できるようになる。
⑧意味づけ:トラウマを与えた過去を精算したり、棚上げしたりするのではなく、むしろ、過去のトラウマの影響について理解し、意味づけ、自分、他者、世界についての理解、希望、オプティミズムを求め続けることである。

 それぞれの回復基準は、心理的機能の領域全体を表している。トラウマが起こり、トラウマ後の条件を形成していく個人の内的・外的資源、そして生態学的環境のあり方によって、これらの領域のそれぞれが、否定的影響を受ける場合もあれば、そうでない場合もある。ある領域が相対的に影響を受けずにすんだ場合、また、影響を受けた個人が、影響の少なかった他の領域の力を駆使して、別の領域の影響を修正した場合、そこにレジリエンスを見ることができる。そして、どの領域においてであっても、より望ましい状態へと変化した場合に回復を見ることができるとされる。
 MTRRは、この生態学的枠組みで明確にされたトラウマの影響、回復、そしてレジリエンスの多次元的見解を駆使して構成された99項目からなるリカート式質問紙である。単独での使用も可能であるが、MTRR-Iとセットで使用することもできる。MTRR-Iは、単独で用いることもできるし、MTRRと併用して使用することもできる半構造のインタビュー・フォーマットである。MTRR-Iでは、8領域それぞれにおける個人の機能についての情報を集める。インタビュアーは、被験者に自由な流れで人生を語るよう求め、出身家族の背景、現在の家族関係、社会的関係、職業生活について尋ね、さらに、トラウマ歴とトラウマ後の症状の経験、それに対処する力、自分や他者に対する思考や感情、症状に対処し、時とともに変化するのに役立ったもの、未来について感じていることについて尋ねる。単独で使用する場合、MTRR-Iは、質問と分析によるナラティブの手法を加えることで、質的データを生み出す。訓練された研究者がMTRR-Iを用いてMTRRを評価すれば、治療過程における特定の時点で、トラウマ患者の治療前後の状態を評価できるばかりでなく、異なる時、異なる回復段階にいるトラウマ・サバイバーの多次元的プロフィールを含む量的データを生み出すことができる。

3. 日本語版MTRR-Iの作成とワークショップでの試用

まれた(注1)。この機会を、日本語版MTRR/MTRR-Iを作成し、将来的な標準化を目指す第一歩とするべく、あらためて正式な翻訳作業を行った。まず、翻訳家と臨床家の2人がペアとなり、MTRR/MTRR-Iを日本語に訳した。それをバイリンガルの日本人が英語に戻し、オリジナルの英語との違いを吟味して、改良を加えた。できあがった日本語版MTRRを6人の臨床家が実際のクライエントにあてはめ使用を試した上で、わかりにくい部分をさらに改良した。最後に、MTRRワークショップ前日に、MTRR/MTRR-I作成者であるハーベイ氏とワークショップ協力者8名が集まり、日本語版MTRR/MTRR-Iの最終確認を行った。最終的に、表現が曖昧で誤解を生む可能性があると考えられた2項目について、話し合いの後、修正の工夫が加えられた(注2)
 ワークショップは、「トラウマの影響・回復・レジリエンシー査定のための多次元アプローチ~MTRR/MTRR-I、2つの新しい尺度の紹介」と題して開催された。30名定員の少人数による1日ワークショップであったが、シンポジウム関係者を含め、計46名の臨床家が参加した。ハーベイ氏による「MTRR/MTRR-Iの 理論的枠組みと事例紹介」の講義から始まり、「MTRR/MTRR-I記入と議論(文化差の考慮)」、「MTRR使用の実際 (アセスメント・治療計画)」のワークをはさんで、再び、ハーベイ氏による「さまざまな回復の次元・段階における治療的アプローチ」の講義を経て、「MTRR/MTRR-Iの使用可能性」について議論の時間を取った。ワークの部分では、参加者に日本語版MTRR/MTRR-Iを配布し、ワークにおいて、自分が関わっているトラウマ・サバイバーを思い浮かべ、日本語版MTRR/MTRR-Iを用いた評定を行ってもらった。
 これらの経験に基づいて、議論の部分では、ハーベイ氏の他に、甲南大学の羽下大信氏、兵庫教育大学の冨永良喜氏と筆者が加わり、フロアも交えて議論し、日本語版MTRR/MTRR-Iの可能性について検討した。日本においても、MTRRが、IES-RやCAPSでは捉えきれないトラウマが与える影響を多次元的に捉える可能性があること、複雑性PTSDを査定する有望なツールになること、トラウマによって損傷を受けた機能とそうでない機能とを明確にすることで、治療方針を立てるさいの指針となることなどが確認された。また、経験の浅い臨床家の訓練にも有効なのではないかということが示唆された。トラウマ治療の経験が浅い臨床家では評定できない空白部分が多くなり、必要な情報が聞けていないのではないかと想定されたためである。日常の臨床にMTRRを導入することで、自身が普段、十分な関心を注げていない欠損領域やレジリエンスを意識することができるようになるだろう。
 他方、翻訳の難しさや文化差についても議論された。たとえば、英語における"emotion"、"feeling"、"affect"などの使い分けは、必ずしも、日本語にうまく一対一対応していないことが指摘されたが、ハーベイ氏のコメントは、英語でもこれら3つを厳密に区別しているわけではなく、十分に重複する概念であることから、その部分に神経質にならなくても良いのではないかとのことだった。また、「恥」や「罪」という文化的価値の影響が、自己評価に違った影響を及ぼすのではないだろうかとの意見もあった。全般に外向的でボランティアや社会活動が盛んなアメリカと、どちらかと言えば内向的な日本人とでは、「意味づけ」を測る項目内容が違うのではないかとの批判もあった。その他、アジア人では、トラウマの影響が身体化される傾向が強いため、身体的な訴えをチェックする項目を増やし、とくに、自己の凝集性を表す領域に入れるのが適当ではないかとの意見もあった。ハーベイ氏からは、MTRRの基本的理解が得られたら、日本の臨床家たちの経験に基づいて、項目を削除したり、付加したりということを自由にやって欲しいと柔軟な姿勢が示された。
 なお、このワークショップにおいて、日本語版MTRR作成のための研究協力が呼びかけられた。実際のクライエントを対象に評定したデータ提供の依頼である。ハーベイ氏からは、この研究方法が、アメリカ心理学会倫理委員会の審査を経たものであること、すなわち、数値としてのデータ提供は守秘義務に反するものではなく、倫理的問題を含まないことが説明された。なお、アメリカにおいては、どんな研究も倫理委員会の審査を経ずに行われることは許されていない。これらの手続きの結果、日本語版MTRRを用いた27人分の評定データ得られた。

4. 日本語版MTRRデータの予備的分析

 評定の対象となった27人の性別構成は93%が女性、7%が男性であった。平均年齢は32歳(レンジは14-51歳)、治療平均年数は26ヶ月(レンジは1-120ヶ月)だった。ただし、5人は治療的介入を受けておらず、1人は不明であったため、治療平均年数の集計に含まれていない。治療的介入を受けていない5ケースは、評定者が治療者として関わったトラウマ・サバイバーではなく、個人的つながりのあるサバイバーを評定対象として選んだ結果であると推測される。経験されたトラウマのタイプとしては、子ども時代の身体的虐待経験者が48%、性的虐待経験者が44%、成人後のレイプ経験者が29%、配偶者・パートナーからの暴力経験者が33%、トラウマとなるような喪失体験を持つ者が30%であり、多くが複数のトラウマを経験していた。回復に関して評定者自身の評価を3段階で尋ねた結果、15%が「ほぼ完全に回復」、65%が「部分的に回復」、19%が「ほとんど回復していない」と評価され、1名のみ不明(未記入)であった。
 表1は、回復状態別にMTRRの得点を表したものである。なお、スコア平均値のあとにある括弧内の数値は、比較のために、アメリカにおける研究データ(Harvey, Liang, Harney, Koenan, Tumamal-Narra & Lebowitz, 2003)を入れたものである。現時点ではサンプル数が小さすぎるため統計処理をしていないが、表1からは、すべての領域において評定者が評価した回復の程度とMTRR得点による回復状態の相関が推測され、評定者はどの領域においても、スコアの全範囲から幅広く評定していることがうかがえる。また、回復状態の違いによるスコアの拡がりは、領域Ⅷを除けば、すべて日本のデータにおいてより大きくなっているが、全般的に類似の傾向を見ることができる。領域Ⅷの得点が日本において全般的に低くなっていることは、回復を示す「意味づけ」の領域に何か文化差が存在することを示しているかもしれない。いずれにしても、サンプル数を揃えた上での統計処理が求められる。

表1 回復状態別のMTRRスコア平均値 (N=26)

 回復状態スコアの平均値
(アメリカのデータ)
スコアレンジ
8領域の総計
1
2
3
3.94 (3.04)
3.04 (2.86)
1.94 (2.71)
3.60-4.24
2.45-3.56
1.80-2.10
領域Ⅰ
記憶の再生への権限
1
2
3
4.16 (3.12)
3.19 (3.03)
1.75 (2.90)
3.73-4.55
2.38-4.45
1.50-2.09
領域Ⅱ
記憶と感情の統合
1
2
3
3.88 (3.60)
2.77 (3.27)
1.78 (3.20)
3.20-4.50
1.60-4.00
1.40-3.20
領域Ⅲ
感情への耐性
1
2
3
4.32 (3.24)
3.00 (3.17)
1.78 (3.04)
3.93-4.27
2.13-4.13
1.60-2.00
領域Ⅳ
症状管理
1
2
3
3.62 (3.11)
3.02 (2.95)
2.25 (2.65)
2.88-4.33
2.33-3.67
1.75-2.67
領域Ⅴ
自己評価
1
2
3
4.13 (2.80)
3.29 (2.62)
2.06 (2.62)
3.27-4.60
2.50-4.20
1.38-2.43
領域Ⅵ
自己の凝集性
1
2
3
4.29 (2.44)
3.33 (2.68)
1.78 (2.62)
4.00-4.63
1.33-4.57
1.25-2.50
領域Ⅶ
安全な愛着
1
2
3
4.18 (3.13)
3.16 (2.75)
2.31 (2.67)
3.73-4.61
2.29-4.12
1.78-3.07
領域Ⅷ
意味づけ
1
2
3
2.97 (3.22)
2.53 (2.77)
1.47 (2.34)
2.33-3.40
2.00-3.20
1.07-1.83

回復状態:1=ほぼ完全に回復 2 =部分的に回復 3=ほとんど回復していない

 図2は、回復別比較の例として、回復のそれぞれの段階における8領域総計の平均にもっとも近い平均得点を得た対象を各回復段階から1人ずつ選び出し、それぞれの領域の得点を示したものである。評定者によって、「1=ほぼ完全に回復した」と評価された群から選び出されたNo.10は、トラウマとなる喪失を経験し、個人療法とグループ療法を10年にわたって受けてきた51歳女性である。「2=部分的に回復した」と評価された群から選び出されたNo.24は、子ども時代の性的虐待を経験し、7ヶ月の個人療法を受けてきた28歳の女性である。「3=ほとんど回復していない」と評価されたNo.14は、子ども時代の身体的虐待と、配偶者・パートナーからの暴力を経験し、個人療法、グループ療法、薬物療法を6ヶ月受けてきた38歳女性である。
 図2を見る限りでは、回復状態と各領域得点は全般的に相関の傾向を示しながらも、それぞれの対象者が、ある領域では高いスコアを示し、別の領域では低いスコアを示していることがわかる。ここから、これらの結果がトラウマの多次元的影響とレジリエンスを示唆するものと考えることができる。たとえば、「部分的に回復」とされたNo.24のケースでは、Ⅱ領域(記憶と感情の統合)とⅧ領域(意味づけ)において、いまだトラウマの否定的影響が見られるが、Ⅰ領域(記憶の再生への権限)とⅥ領域(自己の凝集性)においては回復、もしくはレジリエンスの存在を示唆している。なお、ここでも、Ⅷ領域(意味づけ)における落ち込みが見られ、ワークショップの議論のなかで出てきた、全般に外向的でボランティアや社会活動が盛んなアメリカと、どちらかと言えば内向的な日本人とでは、「意味づけ」を測る項目内容が違うのではないかとの批判を支持する結果と仮定することができるかもしれない。

MTRRスコア

図2 3人の評定対象者のMTRRスコア

 なお、今回、意図せず、治療を受けたことのない対象者のデータが5人分回収された。彼らの回復の状態は、1人が「ほぼ回復していない」、1人が不明であるが、3人は「部分的に回復」とされており、レジリエンスの存在を示唆するものとして興味深い。

5. 今後の課題

 今回の報告は予備的なものであり、十分なデータを集め、日本語版MTRRの信頼性と妥当性を検討することが求められる。今後、ハーベイら(Harvey, Liang, Harney, Koenan, Tumamal-Narra &Lebowitz, 2003) の研究に従って、日本語版MTRRの評価者間一致度、および、MTRR/MTRR-Iの内的一貫性と構成妥当性について検討していく予定である。その上で、MTRRは、臨床評価や治療結果を査定するためのツールとしてのみならず、トラウマからの回復とレジリエンシーについて仮説検証するツールとしても使うことができると考えられる。とくに、トラウマが与える影響の文化差比較研究や、臨床的介入を得て回復していくトラウマ・サバイバーと、臨床的介入を経ず、非公式のコミュニティ資源を利用しながら回復していくトラウマ・サバイバーを比較し、それぞれに有効なコミュニティ資源を特定していくことも重要である。最終的には、我が国の文化的土壌に即した査定ツールとしての改良も必要かもしれない。また、ハーベイらの示唆(Harvey, Liang, Harney, Koenan, Tumamal-Narra &Lebowitz, 2003)のように、MTRR-Iを使用したナラティブ・アプローチによる質的研究の道も開かれるだろう。
 MTRRが基盤としているトラウマからの回復モデルは、ハーマン(Herman, 1994)によって示された回復の三段階モデルである。これまで、エビデンスに基づくトラウマ治療は、認知行動療法とEMDRに偏っていた。これは、症状の有無を測る査定ツールしかなかったことに由来するところが大きく、MTRR/MTRR-Iの使用によって、これまでエビデンスを示しにくかった精神力動的アプローチの有効性が示されることになるだろう。他方、人格変容を含むとされる複雑性PTSDの治療モデルは、当然ながら、その社会が持つ「健全な人格」の基準と切り離せないものとなる。これは、心理療法を超える問題を提起する。今後の課題として、順を追って、取り組んでいきたい。
 

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(注1)2004年6月25~28日、立命館大学衣笠キャンパスにて、日本コミュニティ心理学会第7回大会を主催した。日本学術振興会海外研究員短期招聘助成、立命館大学国際集会助成を受け、立命館大学応用人間科学研究科の共催で、「他領域で支える暴力被害者支援を目指して」をテーマに、ボストン・ケンブリッジ病院VOV(暴力被害者支援)プログラムディレクター、コミュニティ心理学者であるメアリー・ハーベイ氏と、弁護士のオリバー・フォークス氏を招き、ワークショップ、講演、シンポジウムを開いた。うち、講演とシンポジウムの内容に関しては、日本コミュニティ心理学会の機関誌である『コミュニティ心理学研究8巻1号』に報告掲載したが、本稿は、ワークショップの報告を兼ね、日本語版MTRR/MTRR-Iの紹介をしたものである。

(注2)こうして作成された日本語版MTRR/MTRR-Iは、/info/2014/04/000153.phpから入手できる。

2006.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
心理と司法の接点をさがして~アメリカ調査から(2006年)

『立命館大学教育相談室紀要』                                    

              応用人間科学研究科教授 村本邦子

1.はじめに
2.ロースクールにおけるリーガル・クリニックについて
3.アメリカン大学ロースクール
4.ジョージタウン大学
5.ワシントンD.C.第一審裁判所
6.ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス暴力被害者支援プログラム(VOV)
7.コミュニティ・リーガル・サービス&カウンセリング・センター(CLSACC)
8.マサチューセッツ子どもへの残虐行為防止協会(MSPCC)面会センター
9.ボストン・カレッジ・ロースクール
10.おわりに

1. はじめに

 2005年度、立命館大学法科大学院には、「法律相談」、「女性と人権」という2種類のリーガル・クリニックが設置されたが、とくに、後者においては、被害女性のケアにあたって、心理的な問題が生じた場合、当心理・教育相談センターと連携することで、トータルケアを提供することが目指されている。今回、法科大学院の教育プロジェクトの一環として、アメリカにおけるリーガル・クリニックを調査する調査団の一員として、2004年2月20日から3月3日まで、アメリカへ行ってきた。おもな目的は、アメリカにおけるリーガル・クリニックの具体的な運営のあり方を調査することだったが、筆者の任務は、とくに、リーガル・クリニックにおける法と心理の連携のあり方をさぐることにあった。

 私は、もともと、女性や子どもを対象にした開業臨床という形で15年ほど臨床実践を行ってきたが、そのなかで、法と接点を持つ機会を幾度となく経験してきた。虐待や性被害など女性や子どもの被害をめぐる問題に取り組むなかで、実践の初期より弁護士とのつながりに恵まれていたので、法的判断を迷う場合に助言を求めたり、逆に、心理的観点から助言を求められたりすることがあった。裁判などの過程に関与する機会もあった。たとえば、インセストの被害女性が改氏名を家裁に申し立てするさい、弁護団の一員に加わったこともあれば、DVの被害状態や子どもの虐待状態を査定して意見書を書く、子どもの証言の信憑性について意見書を書く、弁護士会への人権救済申し立ての過程に付き添う、性犯罪事件の裁判過程に付き添い支援する、逆に、加害女性の心理について意見書を書いたり、加害女性の治療修復の過程の一部に関与したりしたこともある。こういった経験から、とくに被害問題をめぐっては、心理と法の連携が必須であることを痛感してきた。

 加えて、応用人間科学研究科と法科大学院の院生を対象に4月より新しく開講された「司法臨床」の授業を、法科大学院の段林和江弁護士と一緒に担当するという機会も与えられ、今後、日本における心理と法の連携のあり方をさぐるために、先進的なアメリカのあり方を調査するという今回の旅をとても楽しみにしていた。非常に限定された個人的体験を除けば、司法そのものについてほとんど無知に等しい状態であったが、調査に先立ち、また、調査後も、調査団のメンバーと定期的に集まり、議論を重ね、貴重な勉強の機会を与えられている。本稿では、ささやかながら私の学びをセンターの仲間や読者の皆さんと分かち合えたらと思う。


2. ロースクールにおけるリーガル・クリニックについて

 出発に先立って私がまず理解しなければならなかったのは、ロースクールにおけるリーガル・クリニックについてである。私と同じく、心理がおもなバックグランドである読者の皆さんのために、リーガル・クリニックについて簡単に紹介しておきたい。

 日本では、2004年4月から法科大学院制度が開始され、従来、最高裁判所が設置する司法研修所が統一的な実務育成を行っていたものが、司法研修所における修習期間が短縮されて、各法科大学院がそれぞれ独自の実践教育を提供することになった。アメリカのロースクールでは、さまざまな方法で実践的教育が行われているが、もっとも実践的と言えるのがクリニック教育である。臨床心理士を養成している大学付属の相談室(当センター)と類似のものを想像すると良いが、学問領域の違いにより、その中身も違っている。

 そもそも、アメリカにおいては、リーガル・クリニックの設置・運営をめぐって、さまざまな議論がなされ、ここ30~40年、現行のクリニック教育の制度が確立してきた。クリニック教育の定義は論者によりさまざまであり、ロースクールが法律事務所設立し、ロースクールの弁護士教員の監督下で学生が直接、事件を担当する「インハウス・クリニック」と呼ばれるものに限定する立場から、実際の事件を素材にしない「シミュレーション」などまで広く含む考え方まであるという。

 アメリカでも、実践家のための主要な教育は修習制だったが、19世紀終わり、大学付属のロースクールが急速に発展し、実践教育の第一次的機関としての機能を果たすようになる。1870年、ハーバード・ロースクールが導入した「ケースメソッド・スタディ」(判例を読むことで法理論を学ぶ)と「ソクラテス・メソッド」(教員と学生との対話による教授法)が普及するが、20世紀初頭から実社会で機能する法曹教育として不十分だという批判が起こり、1930年代頃より、医学部のインターンに相当する実践の場が必要であるとの議論が始まった。1960年代になると、市民権運動や反戦運動が盛んになったことから、法律は社会変革の大きな原動力になるとの認識が拡がり、これまで貧困層に十分な援助を提供してこなかったのではないかとの反省も起こる。1968年、フォード基金がロースクール教育に10年にわたって資金提供すると発表したこともあり、多数のクリニックが設置された。60年代後半には、一定の条件下で、学生が依頼者を直接代理できるような資格が必要との運動が起こり、1970年の終わりには30州においてそのような法制度が整備された。現在、多くの裁判所において、クリニック授業をとる学生が直接的な弁護活動に携わっている。

 弁護士や法学教授の監督下で学生が実際の事件に関わるクリニック教育は、その目的、活動内容から、①サービスモデル ②法制度改革モデルの2種類がある。前者は、教員指導のもとで学生が実際の事件を担当し、低所得者層の依頼者に法的サービスを提供するというモデルであり、後者は、社会正義の実現を目的に、環境訴訟、市民権訴訟、貧困問題など特定の分野に焦点を当て、目的に適った事件を選別して訴訟活動を展開するというものである(以上、おもな情報源は園田、2005)。

 日本では、法科大学院が開設されたばかりであり、リーガル・クリニックの歴史は皆無であるが、これに対する対応は、消極派と積極派の2種類に分かれるという。リーガル・クリニックに消極的な大学院は、法科大学院修了後、司法試験に合格すれば、司法研修所での実務修習の機会があるのだから、学生時代に必ずしも実務に触れる必要はないと考える立場にあり、立命館を含む積極的な大学院は、理論と実務を架橋することが法科大学院教育の理念であり、リーガル・クリニックはこの理念の実現に大きな意味を持つとする立場をとっている。さらに、日本のリーガル・クリニックの実施の仕方には2種類がある。ひとつは、法科大学院の実務家教員、協力実務家がクリニックで法律相談を受け、学生がアシスタント的役割を果たす「ロー・ファーム型」であり、もうひとつは、学生のボランティア活動の一環としての法律相談の伝統を取り入れ、法科大学院の学生が主体で市民に無料で法的アドバイスを行う「学生法律相談型」である。立命館の法科大学院は後者の実現を目指している(この部分、おもな情報源は松本、2005)。


3.アメリカン大学ロースクール

3-1 アメリカン大学ロースクールにおけるリーガル・クリニックについての概要


授業風景(模擬裁判における法心理学者の専門家証言)

 2月21(月)~23日(水)のおもな訪問先は、立命館法科大学院の提携校であるアメリカン大学ロースクールだった。20日(日)に関空を立ち、半日分の時差を経て、20日の夜にワシントン入り、翌朝、早速、アメリカン大学を訪ね、まずは、ロースクールの概要を聞いた。法学教授のミルシュタイン先生によれば、アメリカン大学では、1972年、ロースクールの法律事務所が開設された。当時、臨床教育(ロースクールの実践教育は "clinical program"と表現されており、「臨床」の語が使われていた)は、伝統的な法関係者からの攻撃に曝されたという。実務的すぎる、ロースクールに必要なのは理論であるという理由。しかし、自分たちは、理論と実践の統合が必要だと考えており、その理念を実現してきた。アメリカン大学ロースクールには、女性と法クリニック、DVクリニック、知的財産権クリニック、国際人権法クリニック、その他、計9つのクリニックがある。

 ロースクールのカリキュラムは3年のうち最初の1年が必須科目履修で、2年目からクリニック授業を選択できる。クリニック授業は2期からなっており14単位(全体の単位数の1/6)。この他に、①エクスターンシップ(法律事務所で学生が働き学校でバックアップする)②シミュレーション(ネゴシエーションやインタビュー、その他のスキルを講義で取り上げる。グループでのロールプレイや、事前にビデオ撮影したものを素材にする)③ライブ・クライエントなどがある。

 臨床プログラムのディレクターであるベネット教授によれば、クリニカル・プログラムは、学生2人をペアにして行う。大講義(16~20人)はカリキュラムに添った文献研究、ケース・ラウンド(ミーティング)、シミュレーションから成る。ケース・ラウンドでは、あらかじめ学生にアジェンダを書かせ、準備段階→決定→批判・反省を行わせる。スーパービジョンは、1人の教授とチームである2人の学生で行う。クリニックで扱う事件の選択の仕方については、さまざまな考えがあり、クリニックでインテークを行い、相談に乗っているところもあるが、アメリカンでは、NGOや弁護士会と連携し、リストを提出してもらい、教育的価値を考え、小さなケースを3~4つ選んでいるとのことだった。200人の学生がいて、8人に1人の割合でスーパーバイザーがついている。希望者が多い場合はくじ引き。インタビューをして選抜する所もあるが、クライテリアが不明確であり、教授のナルシシズムに陥るリスクがあるため避けているということだった。

 臨床プログラムの評価について質問が及ぶと、リフレクションを重視しているものの、実際には難しく、試験はないので、評価は全般的に高くなる傾向があると苦笑していた。また、適性に欠く学生への対処であるが、だからこそ、2人のペアでチームを組み、補い合うようにしているとのこと、場合によっては、教授が補うとのことだった。ドロップアウトを進めることはないわけではないが、非常に稀であるとのことだった。
 
 臨床心理士養成カリキュラムにおける教授法とも重なる話が多く、興味深く話を聴いた。応用人間のカリキュラムでも、講義や演習の他に、学内実習、学外実習を義務づけているが、理論的基礎も実践も含めて2年でやってしまうという現在のプログラムには、やはり無理があるように思えた。

3-2 ランチ・ミーティングにおける教授たちの教授法研究

 21日のお昼は、教授たちのランチ・ミーティングに同席させてもらった。本当のところ、ここで何を見ることになるのか、始まるまで、私たちには皆目見当がつかなかったのだが、毎週1回、教授たちがランチをとりながら、クリニック授業の教授法について研究を重ねているということがわかった。時間は2時間である。この日は、"Provocateurs for Justice?"というテーマで、教授たちが授業のロールプレイを行いながら、臨床プログラムのスーパーバイザーとしての役割について研究していた。

 Jane Aiken(2001)による" Provocateurs for Justice"という論文に基づき、これにクエスチョンマークを付すことで、その主旨の賛否を問いかけたもの。"provocateur"の適切な訳語がわからないが、"provocation"、すなわち、挑発したり、扇動したりする行為を動詞化し、それをする人を指しているようである。「正義のための扇動者」「正義のための挑戦者」という感じだろうか。配布されたオリジナルの論文に眼を通してみると、著者は、自分自身、正義の扇動者であることを切望しており、臨床教育には社会正義の実現を目指すという使命が含まれているという立場を取る。そして、正義の扇動者として、いかに学生たちを正義のための行動に駆り立てることができるのかという問題意識から、そのための教育方法論を展開している。

 彼女は、"Justice readiness"、すなわち、「正義への準備性」の発達的アプローチを取り、①Right-Wrong Stage(○か×の二者択一的思考段階) ②Critical Thinking(批判的思考段階) ③Justice Ready(正義への準備完了段階) という3つの発達段階に分ける。学生たちは、学習の最初の段階において、法という「事実」を学んでいると考える。第一段階であるこの二者択一的思考段階において、法学教授とは学生に「真実」を伝える権威者である。学生は、正しい答を求め、「法律家らしく思考する」ことをひとたび身につければ、万事うまくいくと考えるが、実際には、いずれ、法律の際限ない不確かさに直面しなければならない。この段階の教育において、学生たちが、現実の文脈においては正しい答などないのだという複雑さに眼を向けることが可能になるようなフィードバックが必要である。

 法律家としての知的発達の第二段階において、学生たちは、法を相対化するようになる。この批判的思考段階において、勝負をすること以外に、法律家は無力であると考えるが、実は、自分たちこそ知識と権威の源泉なのだということに気づかせることができれば、第三段階である正義への準備完了段階へ移行することができる。第三段階において、学生たちは、多様な正義のなかで自分がどんな役割をとっているのかを明確にし、その役割を通じて、自分の行動や価値観に折り合いをつけていくようになる。また、社会正義の視点を持って、法的議論をすることができるようになる。正義を尊び、正義の実践を教えることは、プロセスに焦点化することであり、この段階においては、違った役割をとる他者をも重んじることができるようになる。

 著者であるAikenは、専門家養成校の教育者として、自分たちは、エリートを育て抑圧的な社会秩序を正当化するようなイデオロギーを強化するようなことがあってはならない、むしろ、正義のための扇動者でなければならないと説く。そのためには、自分たちの持つ法的スキルと学生たちを使って、正義を求めて闘うのでは不十分であり、臨床家として、前線に立つ法律家としてではなく、教育者としての役割を通じて、正義へのコミットメントが求められるのであると結ぶ。

 ランチ・ミーティングにおいては、それぞれの発達段階にある学生と教授が、ある事例についてスーパーバイズ・セッションを持っているという状況のロールプレイをし、スーパーバイザーの役割について、また、学生を次の段階へと導くためのフィードバックのスキルについて議論していた。とくに、不法入国による麻薬取引に関する援助が失敗に終わり、がっかりしている学生を例に挙げ、第二段階から第三段階へと導くために、①whatより始め(何の前提で法的解決を取ることが有効であると考えたのか、この状況において法の役割含んでいる暗黙の前提は何か?)②howに移行し(どんなふうにして、法的救済を求める決断がなされたか、法システムは、この法的救済の欠如にどんなふうに反応するのか?) ③whyを投げかけ(この事例ではなぜ、法的救済が無効だったのか、このクライエントにとって、これがもっとも適切な解決だと信じたのはなぜか?)④行動計画と批判的自己洞察へと導く(この状況がまた起こったら、次はどうするか、法システムの有効性について持っていた前提は、どのような影響を与えたのか、この不正義の構造を打破するためにあなたが取り得る役割は何だろう?)ことが有効であるとのことだった。

 教育者としての倫理観を議論し、スーパーバイザーとしてのスキルを高めるために、互いに学び合うという熱心さは感動的だった。日本の心理臨床の教育において、これほど真摯に教育者としてのあり方を考えている人たちがいるだろうか。個別にはあっても、大学において、チームとして、毎週、ミーティングを重ね、しかも教授同士がロールプレイをし合うなどということは想像を絶するものがある。そして、うちの研究科でランチ・ミーティングをしているところを想像してみた。


3-3 心理との連携について

 心理との連携について触れられる機会がなかったため、この点について質問をすると、1980年代、クリニック内に精神科医を雇ったことがあったが、精神科医はクライエントの利益を優先しようとするのに対し、ローファームはクライエントが望むことを実現しようとするというように倫理的対立が生じるので、アメリカンでは、クリニック内に心理関係者を入れることをやめ、連携しない選択をしたとのことだった。大学によって立場はさまざまで、サイコロジストやソーシャルワーカーを入れ、院生と一緒に取り組んでいるところもあり、代表的なのはイエール大学であるとのことだった。

 クリニックの外で、サイコロジストやソーシャルワーカーと一緒に働くケースはあるが、自分たちは、あくまでも、クライエント中心主義の立場からロイヤリング(弁護活動)を行ない、クライエントが望んでいることを中心に理解することを大切にしている。たとえば、ソーシャルワーカーは、子どもにとって何が良いかを推測して判断するが、我々は、その女性が子どもにとって何が良いと思っているのかを大切にする。また、サイコロジストやソーシャルワーカーたちは、女性は被害者であり、弱く、守られなければならないと考えているが、自分たちは違う。子どもの権利を擁護するクリニックを持つロースクールもあるが、非常に複雑であるため、自分たちはやっていない。子どものためにと、学生が自分たちの考えを押しつけるのは間違っている。保護命令中、女性が子どもを連れて戻ってしまったとき、警察や検察は女性を罰するが、自分たちは、女性の選択を受け入れ、怒らない、失望しない、罰しないとの説明だった。

 各職業集団の倫理的葛藤については十分に理解できるものであったが、法律家はクライエント中心主義のスタンスを取り、他の職種は、被害者を弱い者と見なし、権威者の視点を押しつける云々の説明には疑問で、「それはディシプリンの違いによるものではなく、フィロソフィーの違いではないか」と言ってみたが、反応はなかった。これらの見解は複数の教授に共有されていた。アメリカンのロースクールでは、他職種との連携をしないという選択をしただけあって、他職種への理解は乏しいのではないかと肩すかしをくらった思いだった。その精神科医との出会いがよほど悪いものだったのだろうか。

 ちなみに、アメリカでは、サイコロジストが裁判所に提出する意見書を書くようなことはないのか尋ねてみたが、めったにないとのことで、これも意外だった。なお、心理の教授は置いていないが、ボランティアで臨床心理士や精神科医に関わってもらうことは稀にある。たとえば、過去に、二次受傷を受けた学生のケアという形でサイコロジストに関わってもらったケースがあったということだった。


3-4 女性と法クリニックとDVクリニックとの合同セミナー:法心理学の専門家証言

 最後のセッションであった23日の午後は、女性と法クリニックとDVクリニックとの合同セミナーにオブザーバーとして出席する機会を得た。このセミナーでは、期間中ずっと、ひとつのケースをさまざまな観点から学習するという方法をとっており、扱っていたのは、幼い子どもが病院に運ばれ、薬物中毒であることが判明、ニグレクト・ケースとして、2人の子どもの親権を奪われた若い母親のケースだった。このケースをめぐり、学生たちは、すでに、クライエントのインタビュー、ストラテジー・プランニングと事情聴取、カウンセリング、ネゴシエーションなどをテーマに理論やシミュレーションを学習していたが、私たちが出席したその回は、偶然、法心理学者による専門家証言がテーマであった。

 前半では、「専門家の専門性とは何か?」をめぐってのディスカッション、「○○は専門家と言えるか、その専門性は何に基づいているのか?」をさまざまな職種に当てはめて議論させていた。○○には、占い師まで登場して面白かった。「科学的で特定された知識に基づいて証明できる、意見を言える」などの条件が挙げられていた。また、専門家が意見を言えるのは、事実から結論までであって、最終的には判事が、その結論に基づいて判断するのだということも確認された。

 休憩をはさんでの後半では、教室の使い方が90度回転し、みるみるうちに模擬法廷の設定となったのには驚いた。シミュレーションという方法を使った授業についてはすでに何度も聴き、ロールプレイとどう違うのだろうかと疑問を持っていたが、「なるほど、これは、まさに、シミュレーションだ」と納得した。模擬法廷では、学生たちがそれぞれ、法廷場面での役割を演じ、これまで数百回も法廷で証言してきたという有資格のクリニカル・サイコロジストであるシュテッドマンさんが出演し、法廷における専門家証言をめぐるやり取りが演じられた後、ディスカッションがなされた。証言内容は、ケースの母親の心理査定結果だった。

 後で、シュテッドマンさんに少し話しかけてみたが、彼は、法心理学者を名乗り、毎期1度、このセミナーに呼ばれて協力しているとのことだった。「それなら、十分に心理と連携しているじゃないか」と思ったが、おそらく、ここでは、「連携・協働」の語をとても厳格に使用しているのだろう。日本では、多少なりとも接点があれば、安易に「連携」と言う傾向があるが(ひょっとすると、我が研究科においても・・・)、本当は、ひとつのケースに一緒に深く関わり、共に処遇を検討していくという違いの役割を尊重し合った対等性のようなものが不可欠なのだろう。ちなみに、専門家証言の使用は、法律家のストラテジー・プランの一要素にすぎず、いわばツールとして利用すると位置づけられているため、「連携」とは呼ばないのだろうと感じられた。

 法心理学(Forensic Psychology)についても、これまで、漠然とながら、心理と法の連携の最たるものとイメージしていたが、必ずしもそうではないことを知った。法心理学の概念は、たしかに法と接する部分の心理学を指しているが、それは、あくまでも独立した一学問領域であり、即、連携というわけではない。なお、"Psychology Information Online: Your Internet Resource for Information about Psychology" ( Practicehttp://www.psychologyinfo.com/forensic/)によれば、「法心理学とは心理学と法の共有部分であり、法的コミュニティに提供される心理学的サービスは、すべて、法心理学的サービスと言える。しかしながら、ほとんどの法心理学者は、本質的に臨床的サービス、法的サービスの両方を提供するものである。交通事故によって心理的トラウマを負った人の治療をするなら、それは、トラウマからの回復を助けるためにデザインされた臨床的サービスであるが、トラウマの程度や心理的損傷を査定するために法廷への報告を行った場合は、法的サービスなのである」。

 具体的には、家庭裁判所との関連では、子どもの親権評価、面会によりリスク・アセスメント、子どもに関わる両親間の葛藤仲裁、子どもの虐待評価、養子受け入れ準備性評価、家族再統合プラン作成、親権停止の評価などの法的サービスの他、家庭裁判所からリファーされてくる家族への親子カウンセリング、治療的スーパーバイズド・ビジテーション、ペアレンティング・スキル・トレーニング、アンガー・マネジメント、子どもと大人への離婚への適応カウンセリング、両親間のコミュニケーション・スキル・トレーニングなどの臨床的サービスがある。

 民事裁判所との関連では、個人的権利侵害の評価、IMEのセカンド・オピニオン評価、セクシャルハラスメント・性差別における感情的要因のアセスメント、労働者補償の評価、市民として生活できる能力の評価、心理的検死解剖(具体的にどんなことを指すのかよくわからない)などの法的サービス、PTSD、不安、鬱、トラウマ関連の恐怖症、慢性的な痛みにおける心理的要因、アンガー・マネジメント、トラウマ後の適応カウンセリング、関係性に与えたトラウマの影響についてのカップル・カウンセリング、脱感作などにまつわる臨床的サービスがある。

 そして、刑事裁判所との関連では、少年犯罪に関する犯罪行為の評価、判決前の評価、保護観察の評価、権利放棄の評価、子どもの証言の信頼性の評価、性的加害者のアセスメント、責任能力の評価、成人の判決前の評価などの法的サービスと、接近禁止命令を破った人のカウンセリング、保護観察中の少年・成人のカウンセリング、犯罪被害者の支持的カウンセリング、裁判を待っている人のカウンセリング、暴力加害者のアンガー・マネジメント・スキル・トレーニング、性犯罪加害者へのカウンセリングと心理療法などがある。

 2~3年前、「アンガーマネジメント」(日本語訳では「NY式ハッピー・セラピー」)というコメディがあったが、あれも、確か裁判所命令のアンガー・マネジメント・スキル・トレーニングだった。日本で、裁判所がカウンセリングや心理療法を示唆することはあっても、命令することはないと思う。法心理学が成立するためには、心理士の国家的認知(=資格)が前提条件なのだろう。


4.ジョージタウン大学


ジョージタウン大学のデボラ・エプシュタイン先生

 2月23日(水)の午前は、ジョージタウン大学DVクリニックを訪れ、デボラ・エプシュタイン教授のお話を聴き、その後、レストランでランチをご一緒した。エプシュタイン教授は、学生だった1980年代前半、DV被害者を支援するNGOを立ち上げ、ロースクール卒業後、弁護士になり、1993年から、ジョージタウン大学DVクリニックで教えるようになり、教授になった。ジョージタウン大学では、教員も実務家も同等の身分(テヌア)で働いているとのことだった。

 ジョージタウン大学ロースクールには、1983年、まず、6単位の性差別クリニックができたが、雇用差別の問題は時間がかかり、教育に適さないことがわかってきた。他方、1987年、D.C.第一審裁判所ではDVの保護命令(CPO's)のケースの援助を始めていたが、その緊急性と進行速度から、それが、すぐれた教育機会であることに気づいた。ほとんどのケースで、4週間以内に提訴過程を経験することができ、1セミスターに2~3ケースをこなすことができるからである。

 DVクリニックは10単位を占めるので、セミスターが始まる前の1週間(4日間)10時から5時までインテンシブなオリエンテーションがある。授業では、法手続き、訴訟のスキル、自己洞察できる実践家であること、DVの力動(複雑な心理学的、社会学的、経済学的力動)の理解を目標にしている。DVクリニックでは、保護命令など限定されたケースを扱い、2組みの学生が4人の教員(教授と実務家)と2人の卒業生に指導を受けながら、1セミスターで2~3ケースを扱う。多くの場合、まず、学生が裁判所に行き、民事の保護命令を取ろうとしているクライエントに声をかけ、できるだけパーソナルなコンタクトを保ち、プロセスに留まるよう努力するとのことだった。また、裁判所と密な関係を持っているので、裁判官や事務方などから、クライエントを紹介されることもある。広報はしていない。過去にやったが、1500も問い合わせがあり(年間引き受けられるのは60ほど)、やめた。ただし、ホームページでは告知している。ニーズの高さを感じた。

 DVクリニックの受講生は、女性が8割、男性が2割。過去は女性9割だったが、男性が増えつつある。どちらかと言えば、女性はDVというテーマに関心があり、男性は法手続きに関心を持っている。男性は、性被害などのクライエントに遠慮する傾向があるが、男性に積極的にコミットしてもらうことが重要だと考えている。雇用差別を扱っていた時と比べ、DVケースを扱うようになると、学生の仕事のリズムは変化した。学期中、いつもケースの責任が重く、危機状態にあるクライエントのために働くプレッシャーは大きい。学生が個人のコンタクト手段を与えるかどうかは、専門家としての選択をそれぞれにさせているとのことで、保護命令を取ろうとしているDV被害者に個人的コンタクトを与え、24時間体制で支援している学生がいる、そして、それを大学側もバックアップしているということに驚きを禁じ得なかった。

 ここでも、心理との連携について質問してみたところ、ジョージタウン大学には心理やソーシャルワークの学部がないので連携できず残念であると、少なくとも連携には好意的であった。学期中に1~2回、授業に心理学者を招き、DVの心理的ダイナミックスなどについて講義してもらったり、ケースを違いにリファーし合う関係はあるとのことだった。また、クリニックをオープンにし、常に心理の研究者たちが出入りして調査をしている状態であるとのことだった。なるほど、クリニックに来るクライエントの心理学的研究ということも連携のひとつのあり方として可能なのだと思った。その研究成果をまた、クリニックに還元することもできるだろう。エプシュタイン教授は、「立命館では、準備段階から心理学者が関わっていてうらやましい」と言ってくださった(実際、今後、どの程度の連携ができるのかが問題である)。

 翌日はワシントンD.C.の第一審裁判所見学をしたのだが、ジョージタウン大学ロースクールは、裁判所から徒歩10分ほどのところにある。食事中、裁判所内にあるDV受付センターのことが話題になると、エプシュタイン教授が、「マイ・ファースト・ベイビー」と愛情こめて語っていたのが印象的だった。彼女がDV受付センターの生みの親だということなのだと思うが、学生時代よりDV支援のNGOとして裁判所に出入りし、運動を通して、さまざまなシステム変革を起こし、実践の場で活躍してきたエプシュタイン教授がロースクールにいてこそ、学生が裁判所に出入りしてクライエントを見つけてきたり、裁判所で働くさまざまな職員(裁判官や事務官)が紹介たりと、裁判所とロースクールの連携が、信頼に基づいて、太いパイプでつながれていることが実感できた。教育者であるだけでなく、NGO活動家、弁護士、研究者、D.C.政府アドバイザーと幅広い活躍をしているエプシュタイン教授からは、その情熱が伝播してきて、アクディビストとしての血が騒ぐ思いだった。日程の関係で、ここでわずかの時間しか過ごせなかったことは残念だった。


5.ワシントンD.C.第一審裁判所

5-1 DVコート

 24日(木)は、大雪が予報され、裁判所が休みになるのではないかと危ぶまれたが、何とか大丈夫で、雪の中、裁判所訪問する。入り口では、まるで空港の持ち物検査のような厳重なチェックで、カメラ、ビデオなどは取り上げられた。DVコートの教育訓練センターで、コート・ビジター・プログラムというのを用意してくださり、DVユニットの概要を聞き、裁判の傍聴をして、DVインテーク・センターの視察をした。センターは、裁判官と事務官の訓練を行っている。事務官はロースクールを卒業したての人たちで、2~3年、働くが、キャリアになるので人気が高い。エプシュタイン教授が言っていたように、ここからもロースクールのDVクリニックへの紹介ケースがあるのだろう。

 DVコートは、ハワイ、フロリダ、ワシントンD.C.に先駆けて出来た。ハワイは家庭裁判所を統合して設立されたもの(子どもの監護権と刑事裁判手続き)、フロリダは刑事と民事の一部が統合(子どもの監護権、面会交渉権、養育費の管轄権なし)されたものであるのに対し、ワシントンD.C.のDVコートは、第一審裁判所の中にあり、DVに特化して、刑事の一部と家事部家族関係担当の一部を統合したものであり、もっとも包括的、総合的に事例を扱えるもので、1996年に設立された。米国では、70年代後半から20年の間にDV関連の法改正が進み、D.C.では、1982年に「家族内犯罪法」が制定された。連邦レベルでは、クリントン政権の1994年に「女性に対する暴力防止法(VAWA)」が制定され、DV対策が大きく前進した。D.C.でも、司法制度改革がなされ、DVコートができたことで、加害者からの報復の減少、殺人事件の減少、被害者の心情、DV事件のコントロール、社会へのインパクトなどの影響があったという(NMP研究会+大西、2001)。

 ワシントンD.C.では、DVを広範囲に扱う。同じ家に住む者も含むので、親子、きょうだい、ルームメートなども含み、男女を問わない。85%は女性が被害者であるが、15%は男性。その関係において、暴力、脅迫、財産侵害が発生すると提訴できる。DV法廷での民事的救済の範囲は一時保護命令(TPO)、民事保護命令(CPO)であり、違反すると民事法廷侮辱か刑事法的侮辱に問われ、さらに被害を与えると刑事訴追もある。CPOは最大12ヶ月。

 ふたつの裁判を傍聴した。ひとつは、黒人女性が子どもの親権を求めて来たが、立ち退き命令になっていて混乱している。裁判官も黒人女性、弁護士がついていないので困難が伴うケースの実例だった。大半のDVケースで弁護士がつかないが、こういったケースをロースクールの学生たちが担当している。実際には、学生たちの力量や授業期間から、学生たちが援助できるケースはかなり限定されるが、それでも、とても役立っているという評判だった。傍聴席にはアドボケイト(若い学生ボランティア)たちの姿が見られた。市民が関わることで裁判をオープンなものにする機能を果たしていること、こんなふうに学生のうちからボランティアとして被害者支援に関わることの意味を感じた。もうひとつは、保護命令を破った黒人男性のケース、原告は黒人男性だった。両者ともに男性のDVケースなので、関係を理解しにくく、最初はゲイ・カップルなのかと思ったが、片方が片方に住居を提供していたので(それ以上の関係はない)、同居関係として扱われているとのことだった。被告には他にも犯罪歴があり、たまたま法廷で出会った時、原告の子どもに話しかけたということを咎められているそうで、十分には理解できなかった。こちらは、弁護士が白人男性、検事が白人女性だった。

 裁判所内での連邦執行官のサービスの説明を受け、裁判所の留置所見学ツアーが用意されており、若い男女の保安官が案内してくれたが、まるで映画の世界に入ったようで(「羊たちの沈黙」)、ちょっと怖かった。ここでは、有罪の人たちはオレンジ色のつなぎを着せられており、「日本と違って明るいんだなぁ」と思ったが、脱走した時に目立つようにだろう。独房は、男女、少年で分けられていた。


5-2 DVインテーク・センター

 次にDVインテーク・センターの見学。インテーク・センターは、DV被害者の救済システムへのアクセスを改善することを目指して、DVコートの開設と同時に作られた。"One stop shopping intake center"として、被害者が必要とするさまざまなサービスを一ヵ所に集め、利用しやすいように、公的機関とNGOのパートナーシップで解決していこうとするものである。裁判所において、公的サービスと多種多様なボランティア団体が力を合わせて被害者支援をしていることが印象的だった。日本でも、公的機関と民間の連携が言われるが、実際には、パートナーシップとはほど遠いものがある。公的機関の方が上で、民間を体よく使おうとしている印象はぬぐえない。

 インテーク・センターには、NGO緊急家族関係プロジェクト、NGOワシントンD.C.DVコアリション、ワシントンD.C.公設弁護士事務所、警察受付センター駐在所、合衆国検察局被害者証言支援係などの窓口が入っている。インテーク・センターの最初の入り口には、担当の黒人女性とその子どもたちが座っていた。今日は大雪で学校が休みになったので、連れてきているという。アメリカでは、小学生の子どもだけで留守番させるとニグレクトとして逮捕されるため、こうして職場へ連れてくるのだろう。道理で、裁判所内に子どもの姿が多いはずだ。地下には保育室もあるという。


5-3 DCCADV

 午後は、インテーク・センターに受付が入っているDCCADV(コアリション)を訪問した。コアリションはDV問題に取り組むNGOが集まって構成された連合体、いわゆるアンブレラ組織であり、DV被害者支援提供グループ、地域啓発活動グループ、法律家などによって構成され、ジョージタウン大学のDVクリニックも関与している。お話をしてくれたのはディレクターのケン・ノイスさん、自分は全米唯一のコアリション男性幹部であると言い、視察団の中に2人の男性が含まれていること(ロースクールの二宮先生と松本先生)を喜んでおられた。

 直接的な被害者支援の他に、関連職種のトレーニングもやっており、昨年3月には「119」(D.C.では警察)担当者200人に法律やDVについての基礎的知識を教えた。子ども向けの暴力防止プログラムもやっている。始まったばかりで、賛否両論。システムへの介入もする。これまでにも、致死を防ぐための法案を通したことがある。確立されてから変えるのは難しいので、確立される前に問題を明らかにし、意見を言うことが大切だということだった。DVの子ども支援は遅れているが、D.C.には知っている限りシェルターが持っている3つの機関がやっているとのことだった。

 一番印象に残っていることは、DCCADVは現在、35万ドルの予算で動いているが(30万が連邦政府から、5万ドルが寄付)、D.C.からも助成してもらえるよう、2つの経営コンサルタント会社を入れ、5年計画で経済戦略を立てている、また、研究者と連携して学術的な成果報告もしているとのことだった。アメリカのNGOの基盤の堅さに驚くばかりだった。

 フルタイム・スタッフは、裁判所5人、サウス・イースト地区の病院3人、事務所3人、スタッフのバックグランドとしては多様で、大卒を義務づけていないが、大卒でないのはDVサバイバーのスタッフのみ。あとは、女性学、アフリカン・アメリカン・スタディ、ジェンダー・スタディなどを卒業した人、修士を持つものもいる。3人はロースクールの出身、これから医学部に行く者もいるとのことだった。スタッフはさまざまなバックグランドから成り立っているようだったので、ここでも、多職種の連携について尋ねてみた。

 連携のコツは、それぞれの領域でのミッションがあるから、連携の目的を明確にすること。たとえば、ここには、ソーシャルワーカーを入れないということだった。受付センターで、CPOの申立のさい、子どもの虐待・ニグレクトの訴えを起こされることがある。虐待があって良いということではないが、DV被害者の支援機関としてのここのポリシーは、その可能性によって女性が申し立てを躊躇するようになっては困る。DVの目撃と子どもが引き離されることによる影響の比較研究が今後、必要だと思うが、自分たちは、子どもたちに致命的な被害が及ばない限りは、むしろサポートを提示することを探るとのこと(弁護士倫理と同じで、クライエントの要求以上のことをするにはコミネント・ディスクロージャー)。自分がここにいる6年で、例外は2例のみだった。その2例では、スタッフが見守るなか、被害女性自身が通報した。子どもの安全を保証しながら、徹底した被害者中心主義を貫く彼らのポリシーを感じることができた。

 NGOの立場からリーガル・クリニックの存在がどう見えるか尋ねてみたが、その評価はきわめて高かった。年間6000人の申し立て者のうち6~7%しか弁護士つけない状況だから、とても貢献しているとのこと。クリニックの授業をまだとれないロースクールの1年生や入学前の学生は、まず、ここにボランティアとしてやってくる。心理からも来るが、先ほどと同じ理由で、ソーシャルワークーのボランティアはとらないとのことだった(ソーシャワークの学位を持つと、子どもの虐待の通告義務が発生するため)。


6.ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス暴力被害者支援プログラム(VOV)

6-1 VOVの概要と研修教育

 2月25日(金)、ロースクールの先生方と別れ、ワシントンD.C.から第二の視察地であるボストンへ移動する。ボストンは、昨年6月、「他領域で支える暴力被害者支援を目指して」をテーマに、立命館で、日本コミュニティ心理学会第七回大会を主催した折(うちの研究科が共催)、ゲストとしてお招きしたサイコロジストであるメアリー・ハーベイさんと、弁護士であるオリバー・フォークスさんが住む街である。このお二人が大歓迎してくださり、ボストンに着くなり、早速、インタビューが始まった。ただし、今回は、他の訪問先との関係で、週末のみしか時間が取れなかったため、本拠地であるケンブリッジ病院を訪問することはできなかった。その代わり、メアリーさん、VOVのアドボケーターである春海葉子さんにそれぞれからお話を伺ったうえで、26日(土)は、VOV関係者とレストランで会食、27日(日)は年1回恒例で行われているVOVスタッフの交流パーティに参加という機会に恵まれた。


VOVメアリー・ハーベイさんと

 VOVプログラムは1984年にスタート、現在は、クリニカル・サービスとコミュニティ・サービスの二本柱で地域貢献している。クリニカル・サービスには、危機介入的援助、個人治療、グループ・プログラムがある。ハーバード大学やその他の大学の精神科や臨床心理学、ソーシャルワークの学生の研修の場でもあり、博士課程、および、博士課程修了後のインターン生が10名程度、週24時間(週4日で1日は夜勤)、1年以上の研修を行う。研修終了後、ほとんどの研修生は各自、同種の機関に就職する。VOVでの研修は一種の特権と見なされており、就職にも非常に有利で世界各国から希望者が殺到するため、競争率は高いということだった。

 最初3ヶ月はスタッフと研修生が1人ずつペアになり、その後慣れてくるとクライシス・アワー(インテーク)を1人で行うようになる。研修を重視しており、毎週3時間のトラウマ・セミナーと毎週3時間のチーム・ミーティングが義務づけられている。セミナーはジュディス・ハーマンさんが主催しているが、コミュニティ・チームからもスタッフが入り、精神医学や心理学を学んできた人たちに臨床の知識だけではなく、コミュニティに関わっていく中でのアドボカシーの重要性や、臨床心理士の役割の大きさについても考えてもらうことを目的としている。ミーティングで、研修生は、自分が抱えている難しいケースを出して相談する。

 5年ほど前にも一度、VOVを訪れ、研修の一部に参加させてもらった経験があるが、質の高い研修システムのあり方に印象づけられる。病院という設定の中ではあるが、大学や地域の各機関と連携しながら、地域貢献と学生や若手臨床家の研修・教育を統合させたVOVの理念とシステムには学ぶべきものが多いと感じた。現在、私自身、主宰している女性ライフサイクル研究所にて、臨床心理領域の学外実習先として実習生の受け入れをしており、どのようなシステムをつくれば、クライエントや社会にとっても、実習生にとっても利益のある実習が可能なのか考え、スタッフ、実習生を含む研修システムを整える努力をしている。博士課程修了後のインターン生と修士課程2回生という差はあるが、ヒントとエネルギーを得た思いだった。


6-2 VAST(アドボケイト)の概要とその活動

 コミュニティ・サービスには、CCRT(コミュニティ危機対応チーム)、VAST(被害者アドボカシー・サポート・チーム)、CHB(殺人遺族センター)のサービスがある。今回は、そのうち、VASTについて詳しく聞いた(CCRTについては、ハーベイ、2005を参照のこと)。
 VASTは、インタビューした春海葉子さんを含む2人のアドボケイトが、担当しており、それぞれ、20時間ずつ週3日勤務している。給料は、政府のOffice of Victims of Crime(暴力被害者への助成金が支払われるオフィス)から、病院を介して支払われる。このチームは、住宅の問題、裁判、警察に関するものなど、トラウマを受けたことによって生じてくる日常的な問題に応対している。他方、被害者への直接支援の他、コミュニティ教育、政策提案もしている。臨床的サービスの提供だけでは問題解決につながらないことから、2000年に開始された。サービス対象は18歳以上の成人男女、DV(90%)、レイプ(5%)、ヘイトクライム(5%)などで、最近は、Policy Trafficking(人身売買)にも取り組み始めた。特徴的なのは、臨床プログラムが有名であるため、重症なケースが入ってくること。つまり、幼いとき虐待を受けていて、大人になってDVの状況にあるというような複合したトラウマ被害者が多い。自殺の可能性も高く、臨床チームと恊働で対応を相談している。枠組みの柔軟性を大切にしているが、同時に自分で線をひいていくのは難しい。

 法的支援との関連では、裁判所へ弁護士と一緒に行くことが多い。VOVで法律関係の人と連携しているのはアドボケイトだけ。弁護士との連携はケースを通して個人的につながっていく。アメリカのDVのプログラムで、裁判で扱うものは保護命令だけ、本当に問題に関わっていくと、保護命令はほんの一瞬であり最初の段階である。保護命令を取った後、アドボケイトは離婚や子どもの親権に関わっていく。3~4年かかるケースがたくさんある。ほとんどのケースにおいて、DVや虐待があったとしても、ある程度期間が経っていれば、面会が許可されてしまう。一般的なパターンとしては、監視つき面会が半年あって、監視なしの面会に移る。半年くらいで状況は変わらない。しかも、裁判所が面会の許可(推奨)を出しても、その後は裁判所による強制力がなく、たとえば、裁判所が推奨した加害者治療プログラムを受けなかったからと言って、罰金をとる制度もなければ、それで面会ができなくなるということもない。

 よって、法での強制が必要。DVがあっても加害者が逮捕されていないケースが半分以上である。被害女性は、加害者は子どもの父親でもあるし、子どもとの関係を築いてほしいと思っている。重度のケースでは、警察が介入し投獄されることもあるが、それでも面会はなくならない。なぜなら、子どもの虐待の証明が難しいから。たとえば、DVがあり、子どもも身体的虐待を受けているケースでは、病院から児童福祉局に通報があり、子どもと母親を被害者として認める。児童福祉局が母親と父親の両者から聞き取りを行い、その結果父親が家を出ていくことになる。児童福祉局は子どもや高齢者の虐待については警察に通報する義務があるが、母親への虐待については警察に通報する必要はない。母親も警察とは関わりたくないと思っている。多くの場合、保護命令を出して、父親に家を出ていってもらうが、このようなケースにおいて、後々裁判所へ行った場合、たとえ児童福祉局が関わっていたとしても、DVがあったと証明するのは難しい。

 児童福祉局が母親と子どもの虐待に関する報告書を出しても、裁判官によって報告書の重要性を決められてしまう。父親が子どもに会いたがっている場合、監視つき面会にするだけでも困難。一般的な面会の形式の例としては、週2回平日に3時間程度と2週間に1回の面会宿泊。DVがあっても、警察が関わっていなければ、3ヶ月くらいでこのような面会の形態になってしまう。3ヶ月の間に、裁判所のなかにあるクリニック(コート・クリニック)にケースが送られ、父親に会っても大丈夫かどうか判断がなされる。コート・クリニックでは、パートタイムの精神科医や心理士(ほとんどが女性)が心理的見解を述べるが、「父親の権利運動」の影響を受けた保守的見解が多く、被害者支援をしている側は、なるべく、コート・クリニックにケースがまわらないように努力している。アメリカでは、コート・クリニックがあるばかりに、他の臨床心理士の声は聞かれない(コート・クリニックへ回る前に、GALというシステムがあるが、ここでは省略する)。システムができているばかりに、機能しないと他の動きがとれなくなるとのことだった。日本から見ると、アメリカはシステムが整っていて羨ましいように感じられるが、理想的とは言い難い内実を見た思いだった。春海さんのお話は、ちょうど、支援体制を被害者サイドから見た感じで、アメリカの裏表が見え、興味深かった。

 アドボケイトという資格はない。アメリカでは、アドボカシーという概念が浸透しているものの、アドボケイトの仕事の内容と質はそれぞれであり、裁判所や警察等、とくに権威主義的な場所での風当たりは強い。バックグラウンドがないと、動きにくい時が多く、一人のアドボケイトはソーシャルワーカーの資格をとろうと学校に通っている。実は、ケンブリッジ病院内でも、アドボケイトの役割を理解している人は少ないのだそうだ。春海さんの働きぶりを聞きながら、これまで自分自身がやってきた被害者支援の仕事に近いものを感じた。心理にせよ、司法にせよ、システムとして固まっていないからこそ、柔軟にやれてきた側面にあらためて思い当たる。今後、日本社会がどこを目指して進んでいくべきなのか考えさせられた。


6-3 司法との連携

 上記インタビューのほか、VOV関係者との会食、および、VOV19周年パーティに参加し、さまざまな立場の援助実践家たちから話を聞く機会を得た。複数の人から繰り返し聞かされたことは、コート・クリニックが父親の権利運動の影響を受け、面会を子どもの権利としてではなく、父親の権利と位置づける風潮があるということだった。「心理士であれ弁護士であれ、中立的立場を取るならば、社会の流れ、たとえば、そういった父親の権利運動に利用されてしまう。リーガル・クリニックの学生は、社会のコンテクストを理解することの重要性を学ぶべきである」というのがハーベイさんの意見である。ボストンだけの特徴なのか、全般的にそうなのかよくわからないが、たしかに、9.11よりアメリカ全般が保守化していることとパラレルなのかもしれない。また、弁護士と臨床家との協働は、アメリカ全体から言えばごく稀であることもわかった。「弁護士は自分たちが一番偉いと思っているから、他の職種と一緒に仕事をしたいと思っていないよ」と冗談交じりのコメントを何度も聞いた。レキシコンの地域精神病院で働き、個人開業(薬物療法)もしているというコミュニティ精神科医は、弁護士と関わることは多い、アメリカでは精神病患者が拒否する時に薬物を処方するには裁判所の許可が必要だからと言っていた。危険が伴う緊急の場合、1本の鎮静剤と4日までの入院が可能だが、それ以上は不可能ということで、精神医療のあり方も、日本とはずいぶんと状況が違うことを知った。

 VOVは、ハーバード大学の医学部と提携していることから、ハーバードのロースクールとの連携についても尋ねてみたが、これまで、ずっと、公式な連携はなかったということだった。個人的なレベルでの関わりはまったくなかったわけではなさそうだった。リーガル・クリニックでDVを扱う上で、VOVスタッフを授業に招かない手はないじゃないかと意外な気がしたが、そうなのだろう。なお、最近、VOVに国際人身売買のセクションができてから、ハーバードのロースクールと共同のプログラムを持つようになり、公式の連携が始まったばかりである。ロースクールとの窓口を担当しているVOVスタッフへのインタビューをアレンジしようとしてくれたが、今回の訪問は日程が限られていたため、それが適わず、残念だった。今後の連携のあり方、そこから開けていく両者の関係に興味がわく。


7.コミュニティ・リーガル・サービス&カウンセリング・センター(CLSACC)

7-1 CLSACCについて

 2月28日(月)の午前は、Community Legal Services And Counseling Center (CLSACC)を訪問し、センター長であるレスリー・クライン弁護士、リーガル・ディレクターのエレン・ウィルバー弁護士、カウンセリング・ディレクターのポ-ル・ゴールドムンツ臨床心理士にインタビューを行った。

 CLSACCは、1970年の設立以降、低所得者層に無料のリーガルサービスと安価なメンタルヘルスカウンセリングを低所得層に提供してきた民間機関である。現在、4人の弁護士(実務にあたるのは3人)と1人の臨床心理士、6名の事務スタッフ(うち3名が非常勤)に、常時、約85~100の弁護士や資格を持ったカウンセラー、学生ボランティアが年間約1100クライアントに対してサービスを提供しているとのこと。オフィスとして、ケンブリッジ市の建物の半地下部分を利用しており、光熱費を含め使用料は無料とのことだった。


7-2 弁護士と心理士の協働、ソーシャルワーカーの役割

 このプログラムで裁判に関わるクライエントたちは、貧困や低所得の問題に加え、危機状態にあって、精神的問題を抱えている場合が多い。クライエントがどういった状況にあり、法廷でどこまでできるかといったことをセラピストが弁護士に説明したり、裁判をスムーズに運ぶために手伝ったりもする。薬物・アルコール依存、精神障害のあるクライエントへの対応、亡命者へのセカンド・トラウマの対応。DVケースでは、避難の後、問題があった関係に戻るのでなく、新しい状況で生活を立て直すためにも、セラピーが必要。

 ポールさんの元には臨床ソーシャルワーカーがいて、弁護士と心理士の間をつなぐ役割を果たしている。そもそも、弁護士とカウンセラーは、全く違う世界で教育、トレーニングを受けてきているので、コミュニケーションを図ることが難しく、1人のクライアントに対する仕事の目的・ゴールも違う。他職種でしばしば衝突が生じるのは、守秘義務の違いがある。クライアントが職種によってそれぞれ違う義務を負っていることを理解する必要がある。協働ミーティングを月1回行なっているとのことだった。

 他にも、ソーシャルワーカーの役割がある。たとえば、DVケースにおいて、本当に危険な状態にいる人で、週に1度のセラピーを受けようとする人は少ない。その日の子どもの食べ物や、どこに住んだらいいのかなど、現実的な問題が先行する。このような段階にあるクライエントに、ソーシャルワーカーが電話で対応したり、弁護が始まった最初の段階で、裁判所につきそうことが、クライエントにとても役立っている。結果的に、裁判における弁護活動の手助けともなっている。

 リーガル・クリニックでは、精神的な障害を持っている人をとりたがらない。ロースクールのリーガル・クリニックは1学期ごとに生徒が変わるので、短期で終わるケースのみを扱う。短期間では、ケースの一部しかわからないということをまず教える必要があると思っているとのことだった。

 CLSACCは、まさに、リーガルサービスとカウンセリングサービスとを共存させている場であり、バックグランドの違う専門家たちが互いに尊重し合いながら相乗効果をあげていることが実感された。ソーシャルワーカーの役割も興味深かった。ここでの臨床ソーシャルワーカーは、ちょうどVOVのアドボケイトと同じような役割を担っているように思われたが、心理と司法を繋ぐうえで、このように橋渡しをしてくれる職種が必要なのかもしれない。


8.マサチューセッツ子どもへの残虐行為防止協会(MSPCC)面会センター


MSPCC面会センターのプレイルーム

 28日の午後は、長距離バスに乗り、MSPCC面会センターを尋ねた。またもや大雪の予報で、バスがストップする確率が高いとのこと、大急ぎでのとんぼ返りとなったが、とにかく行って見てきたという感じ。MSPCCのシンシア・ジョンソンソンさん、他スタッフの方2名と、通訳として加藤曜子さんが加わってくださってのインタビューだった。

 MSPCCは、マサチューセッツ州に18ヶ所あり、親子のための様々なプログラムを提供している。面会センターは2つあり、常勤3名、非常勤12名が働いている。対象児は乳幼児から16~17歳。月25~30家族がこのセンターを使用、現在30件の待機家族がいる。裁判所からの依頼が多く、7割以上がDVケース。アルコールや薬物の問題を持つ親と子の面接や、養子縁組後の面会なども。安全第一なので、来所時間に15分の差をつけ、セキュリティ・ガードを置いている。全般的にうまくいっているが、困難を感じるのは、両親の関係が悪く、話もできないようなケースの場合。ここでの面会はうまくいっても、監督つき面会期間が終われば自分たちにはどうにもできない。

 すでに聞いてきたように、背後にDVがあって離婚した親と子の面会では、まず、スーパーバイズド・ビジテーション(監督つき面会)の形を取ることが多いため、面会センターが利用されることになるが、私の一番の関心は、子どもが暴力的な父親を怖れ、面会を嫌がるようなケースはないのかどうか、あるとすれば、どう対処するのかということだった。とにかく、面会を始める前に、一度来てもらって話をする。子どもは部屋やおもちゃを見て、目を輝かせ、次回来るのを楽しみにする場合が多い。まず、「今日ここに来たのは何のためか知ってる?」と尋ね、答えに応じて説明する。それから、「何か心配なことがある?」と聞き、「お父さんが殴らないか」などと言うようなら、「ここではそういうことが起こらないようにスタッフがいる。そんなことが起こりそうなら部屋から連れ出す」と説明する。こうして、最初に安心と信頼を作るが、なかには、DV被害のために、父親もスタッフも信頼することができない母親もいる。

 子どもが「会いたくない」と言った場合の対応は年齢によって違う。乳幼児の場合は、母親との分離不安が考えられるので、子どもが泣き出したら別室にいる母親のもとに連れ出し、落ち着いたら父親の元に戻すということを何度も繰り返す。年齢の低い子(だいたい8歳まで)の面会時間は1時間だが、3~4回に分けて面会する。年齢が上になると(だいたい16~18まで)、1時間45分。子どもが嫌だと言っても、面会センターまでは来なければならない。子どもに理由を聞き、話をして、少しでも会わせる努力をする。子どもが父親を本当に怖がっている場合には、MSPCCの方針を説明し(父親が暴力をふるったり、怒鳴りつけたりするようなことは絶対にさせないこと)、安心感を与えるようにするとのことだった。こういったことを3~4回繰り返し、それでもダメなら、ここまでの経過を裁判所に状況説明に行く。途中で子どもの気持ちが変わることはよくあるし、きょうだいのうち一人は面会し、一人は会わないというケースもある。たとえ、子どもが面会を拒否したとしても、裁判所が決めたことなので、誰かが勝手に「今日の面会はなし」とすることはできない。日本では、しばしば、アメリカのスーパーバイズド・ビジテーションについて、子どもが嫌がったら会わなくてもよいと紹介されているが、必ずしもそうではなさそうだ。なるほど、裁判所の決定を第三者が勝手に覆すことができるはずはない。たとえ、子どもの意思表示があっても、コートクリニック、その他で判定がなされた上で、決定されたことだ。

 子どもが「会いたくない」という理由としては、母親の影響もあり得るが、DVを見てきた子どもたちの多くは、親にパワーを及ぼすことを欲して、ノーと言うことがある。子どもは面会にノーを言うことでパワーを感じる。特に、DV家庭で育った子どもはパワーを持ちたくなる。それが尊重されることは重要だが、大きすぎてはいけない。枠組みが必要。子どもが怒りや攻撃性から一時的にノーを言っても、後で気持ちが変わることもある。一度ノーと言ったからといって、その状態にロックしてしまわないことが重要。MSPCCは、親子の安全な関係を経験させることを目的にしているとのことだった。パワーとコントロールの問題を抱える子どもたちの課題については、十分に理解できた。

 DVのあった親子の面会を長く支援してきたシンシアさんに、暴力が介在するケースでも、子どもにとって面会が良いかどうかという議論に対する個人的意見を尋ねると、「子どもは両親を愛しているし、とてもforgiving。父親が一緒に住んでいなければ、父親のことを心配し、愛しているから、父親が元気でやっていることを自分の目で見たい、会いたいと思っている。そして、今までとは違って、これからどのように良い関係を築くことができるかと望み、常にテストしている」との答だった。子どもたちのそういった思いには切ないほど共感できたが、続いて、「子どもたちのそんな気持ちに、父親たちは応えていると思うか?」と質問してみた。「時に、妻と会うためのチャンス、嫌がらせとして利用する父親もいるが、多くの場合、父親は子どもを愛している。暴力をふるって妻や子どもを傷つけたことを悼んでもいる。だからと言って、暴力の問題が解決するとは限らないが、その気持ちはあると思う」ということだった。

 性的虐待などがあった場合、面会ができるようになるまでにたくさんの治療と償いを必要とする。裁判所が、お金を払うこと、お金のない人にはコミュニティ・サービスを命じる。裁判所の便所掃除やホームレスのための仕事。後者はとくに有効である。自分たちでも社会の役に立っているという自己評価、償い、社会の一員であると感じることで孤立を避けることなど。父親としての責任をもたせるため。お金にしろ、労働にしろ、ペイさせることが重要とのことだった。これも、納得のいく話だった。問題は、ボストンで聞いたように、スーパーバイズド・ビジテーションが比較的短期で終了になるのだとすれば、その後どうなるのかということである。面会についての意見書を書くこともある自分の立場からは(しばしば、会わない方が良いという趣旨の)、非常に複雑な問いと課題を残した訪問だった。時間的に不十分な訪問であったが、センターの明るく楽しげで暖かい雰囲気や、スタッフの方々の歓迎的な雰囲気に、このセンターに来る親子もこのような心地よさや安心感を得るのだろうと思われた。


9.ボストン・カレッジ・ロースクール

9-1 ボストン・カレッジ・ロースクールのリーガル・クリニックの概要

 3月1日(火)の午前は、ボストン・カレッジ・ロースクールのリーガル・クリニック、リーガル・アシスタンス・ビュローを訪れ、まず初めに、民事事件担当クリニックのカウィーナ・ウェン教授にクリニックの概要を聞いた。

 リーガル・クリニックは、市民権運動が盛んだった1968年、貧困層、社会的弱者の力になりたいという学生の意識から誕生した。ロースクール側は責任上、スーパーバイザーとして弁護士を雇っていたが、80年代、臨床教育の場として変革がなされ、現在は、ロースクールの教員が学生の弁護活動の監督をしている。現在、ロースクールは4人の弁護士教授、1人のコンサルタント・教員の臨床ソーシャルワーカーがいる。民事事件担当クリニックは、一般的な法サービスを提供するもので、弁護士資格を持つ教員4人と、コンサルタントとしてソーシャルワーカーの資格を持つ教員1人がいて、学生は24人。需要が高いので1セミスターで、2~3年生の選択授業となっている。クリニックの単位は7(現場4+クラス3)。ここでは学生に2人でペアを組ますことはしていない。責任を持たせる。問題がある場合は、教員がかなりの援助をする。とくにビデオのやりとりを見て、改善のために丁寧に指導するということだった。現場の評価は、5つの領域からなる基準に従い、セミスターの中間と終わりに、学生たちに面談してフィードバックしているとのことだった。D.C.で聞いてきたのと違い、実習授業の評価の基準が明確であり、成績を一方的に言い渡すのでなく、その根拠や課題を含め、学生たちにフィードバックしているという姿勢には感銘を受けた。

 クリニックの歴史は長いので、クライエントは口コミで集まる。雇用されているインテーカーが電話でインテークし、可能性あるクライエントを選別し(収入が多い人、対象地域外の人などは他へリファー。裁判所が収入基準を決めている)、基本的な情報収集を行い、その上で、週に2回、教員たちがケースの採用を決めるとのことだった。引き取らないクライエントについては簡単な情報提供をしたり、雇っている学生(ロースクールのキャリア・サービス・センターで募集)が対処することもあるとのこと、ここでのきめ細かなフォローには共感できた。


9-2 他領域との連携


ボストン・カレッジLSのSWリン先生

 民事事件担当クリニックには、18年勤務してきたというソーシャルワーカー教員のリン・バーレンベルグ教授がいらっしゃり、クリニックにおける他領域との連携についてインタビューした。多くのクライエントが精神的困難を抱えているため、法的サービス以外のものも必要とされる。自分は、ここでは、ソーシャルワーカーとして仕事をしているのではなく、あくまでもコンサルタントであり、教員である。学生がクライエントを理解し、援助できるように助けることが仕事である。たとえば、子どもに特殊教育が必要なケースの場合、弁護士に、医者や福祉が言っている状況について説明したりもする。

 DVケースでは、暴力やレイプや精神障害について教えることがロイヤリング・スキルに必要だし、ケース戦略にも関わる。学生たちは22~23歳で、法については知っており、事実について尋ねることは得意でも、情緒的側面についての質問をすること、どういう質問をすれば良いのか、どのように聞けば良いのかを教える必要がある。弁護士がソ-シャルワーカーやカウンセラーになるわけではないが、ロイヤリングに必要である。ケース戦略にも携わる。学生は身体障害については理解できても、精神障害については理解しにくいので、障害者が政府から支援を受けるさい、サポートするのも重要な役割である。クライエントと会った時に、精神的問題があるかどうか発見させる手助けもする。カウンセリングが必要なクライエントや、子どもにケアが必要なケースもあり、そういったことも見極め、必要な情報を提供することも大切である。他の専門職(医者など)とのつきあい方、アプローチの仕方、他のプロも尊敬すること、一緒に働く時の姿勢なども教える。

 学生が自分の個人的背景を自覚し、自分の問題を客観視する援助も重要である。たとえば、ケースとして、アルコールの問題を抱えるクライエントが2回無断キャンセルをした時、学生が「何度すっぽかしたら、ケースを断っていいのか」と怒った。無断キャンセルの理由を聞いたのか尋ね(実際のところ、朝のアポイント設定には無理があった)、アルコール問題を抱えるクライエントにとって社会生活を送ることが困難であることを理解した上で弁護活動をしなければならないことを教えた。後でわかったことは、その学生の父親がアルコーリックだった。プロとしての経験とパーソナルな経験の関係、立ち止まって自分の背景を振り返ることも教えている。また、時に、学生の思いこみが援助を妨害することがある。たとえば、精神障害があると知的に低いと思いこんでいる学生は、情報をクライエントと共有しない。誤った思いこみを認識させることも重要。DV被害者だと、被害経験について話すことが辛いこともあれば、役に立つこともある。

 連携のさいの困難として、仕事のゴールや倫理が衝突するという点が挙げられていたので、私の方から、裁判を求めてやってきたクライエントの精神的状況が、専門的見地からは、裁判の過程に耐えられないのではないかというリスクを感じた場合は、どのように対処しているのかを尋ねた。確かに、こちらの持っている情報からすれば、裁判が回復の過程に傷を与えるだろうと予測される場合がある。アセスメントが難しい。クライエントがセラピストを持っている場合、クライエントと直接話し、主治医に相談するように言う。セラピストがついていない場合でも、直接、自分が話をして、安全確保など小さい一歩一歩を示唆する。自分がコントロールしているという意識が重要。それでもクライエントが先に進みたいと言う場合、弁護士がバランスを取る必要がある。弁護士がメンタルヘルス・アセスメントをどこまでできるか、専門家をどんなふうに利用するのか。授業でトラウマやDVについてある一定の知識を与えておくことができるとの返答だった。


9-3 職業によるゴールや倫理の葛藤

 このインタビューの後、相談室や受付の写真を撮らせてもらい、他のスタッフと挨拶したが、クリニックの立ち上げから、司法と心理が連携して調査をしていることをとても評価してもらった。他職種と連携してやっていくという方針をもつクリニックならではだろう。その後、法学教授のロバート・ブルーム先生も加わり、インド料理店でランチとなった。インタビューの終わり頃から合流していたブルーム先生は、リン先生の最後の部分には若干、批判的な様子だった。帰りの車の中で、「自分が若い時の失敗を話してあげよう」とあるエピソードを話してくれた。若い頃、ヘロイン中毒の非行少年のケースを扱った。警察の取り調べに不法行為があり、裁判に勝てば釈放されるが、再びヘロイン中毒に戻ることになる。裁判に負ければ治療を受けられる。自分は勝訴するように努力しなかった。ずっと後になって、少年よりクレイムを受けた。「君は私の弁護士だったはずではないか」と。後悔しているケース。人間としては正しい選択だったかもしれないが、法律家としては間違った選択をしてしまったということだった。

 「善き人間であることより、善きプロフェッショナルであることが優先されるのでしょうか?」と尋ねたかったが、考え直してやめた。これは、間違った考え方だろう。前者には明確なクライテリアがなく、時に傲慢となる。今の私が彼の立場にあるならば、きっと、状況と自分の危惧をありのままに説明し、「自分は人として、君を勝訴に導く援助をしたくはない。しかし、職業人として最善を尽くす。君の将来を祈っている」ことを伝えるだろう。たとえ、彼の人生に一文の価値をもたらさなくても。弁護士がそんなことを言うことはないのかもしれないが、状況は違えど、心理臨床家として私自身が、そんな決断を迫られることがある。

 ついでながら、リンさんの対応について、私は賛成である。ロースクールのコンサルタント、教員として働く以上、クライエントの危機に対して、状況についての最大限のインフォームド・コンセントを行い、弁護士にも伝えたうえで、最終決定をするのはクライエントであろう。弁護士がバランスを取るというのは、そういう意味だろう。そういったそれぞれの立場の違いを理解しあうことができさえすれば、目標や倫理の違いを越えて、他職種の連携は可能になるのだと考える。


10.おわりに

 アメリカでは、心理と司法との連携が進んでいると聞いて視察に加わったが、実際には、必ずしもそうではないことを知り、いったい何を調査すれば良いのか、最初、途方に暮れる思いだったが、視察予定の最後に、ボストン・カレッジでの連携の実際を学ぶことができ、安堵した。今回は、リーガル・クリニックの調査について行ったという感じだったが、次回は、是非、積極的に連携を方針としている大学を選んで、調査したいものだ。今回、強く感じたことは、資格問題をはじめとして、臨床心理学のアイデンティティが日本において、いまだ十分に確立していないことが、状況を困難にしているということである。臨床心理士の職域として、福祉、医療・保健、司法・矯正、教育の分野、労働・産業、開業などがあげられるが、それぞれの領域によって、司法との連携のあり方は違ってくるだろう。

 司法・矯正の領域における心理と司法の接点は、もっとも「法心理学」に近いものであろう。「法心理学」の実践をそのまま「司法臨床」と呼んで差し支えないのかどうか。今学期より、「司法臨床」の授業が開講したが、「司法臨床」の定義も含め、現在のところ、私自身は、保留にしている。池田(1991)は、「司法心理臨床」を、「犯罪(または非行)事案の捜査からはじまって、犯罪者等の処遇を決定し、さらに犯罪者等の更正と社会復帰を目指す一連の過程において、そこに関係する種々の機関の職員が、心理学的知識、技術、方法を用いて対象者とかかわる活動の総称」と定義し、廣井(2004)は、「司法臨床」を、「司法機関である家庭裁判所において、少年や家族に施される臨床的アプローチ」と定義している。

 今回、連携を目指しているロースクール「女性と人権」リーガル・クリニックが当研究科、もしくは当センターに期待している役割は、女性と人権をめぐる比較的新しい分野における心理臨床との関係である。上記の定義から言えば、「司法臨床」は心理学の一領域と位置づけられるが、「司法臨床」の開講目的から言えば、それは、むしろ、「司法領域を含む心理学の実践」であると同時に、「心理領域を含む司法の実践」であるものが求められているように感じられる。「司法臨床」の定義を見直すべきなのか、厳密に言えば、別の命名が必要なのか、学の定義を含め、引き続き、模索していきたい。


メアリー・ハーベイ(2005)「暴力被害者を支えるコミュニティの生態学的架け橋~ケンブリッジ病院暴力被害者支援プログラム(VOV)に学ぶ」『日本コミュニティ心理学研究』第8巻1号。
廣井亮一(2004)『司法臨床入門』日本評論社。
池田美彦(2001)「司法心理臨床とは」『司法心理臨床』(竹江、乾、飯長編)星和書店。
松本克美(2005)「日本のロースクールと立命館大学ロースクールの特徴:アメリカ視察の目的」(未刊配付資料)。
NMP研究会+大西(2001)『ドメスティック・バイオレンスと裁判:日米の比較』現代人文社。
園部直子(2005)「米国ロースクールにおけるリーガル・クリニック教育の実際」『法学セミナー』2005年2月号。

2005.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
女性のライフサイクルと家族の絆(2005年)

研究レポート0501号

村本邦子

  • はじめに
  • 現代女性のライフサイクルと家族
  • 家族の絆とエリクソンのライフサイクル論
  • おわりに

はじめに

 1990年、大阪に女性ライフサイクル研究所を立ち上げ、心理学的な観点から女性と子どもにかかわる問題に取り組んできた。つい最近、初期のころからよく仕事をご一緒してきた男性と久しぶりに出会った折、「相変わらずよく頑張っていますね。あちこちで名前を見かけますよ」と、ここまではよかったが、続いて「ご主人はよく辛抱していますね。ぜんぜん構ってもらえないのでしょう」と言われて戸惑った。その直後、やはり長く仕事を一緒にした共通の知人に出会ったので、「そう言えば、○○さん、こんなひどいこと言うんですよ」と言ったところ、「みんな、そう思っているよ。あなたも偉いけど、あなたのダンナさんはもっと偉い」と、また仰天するような言葉が返ってきた。一般の男性に言われても驚かないが、彼らは共に人権問題に取り組んできた信頼する仲間なのだ。

 子どもたちが小さかったころは、私の方が仕事をセーブしながらも二人三脚でやってきた。子どもたちにそれほど手がかからなくなった今、人生において存分に仕事に精を出すことのできる時代である。泊まりの日が重ならないよう、互いにスケジュール調整するので、確かに物理的なすれ違いは多いが、それにしても、夫を「構う」とは、どういうことなのだろうか。身の回りの世話をすることなのか、関心を払うことなのか。私なりに、仕事とともに家族を大事にしてきたつもりだし、夫も同じだと思う。一方がもう一方を「構う」といった関係ではないが、週一回、ランチを共にする時間をやり繰りし、時に仕事や趣味を分かち合う。

 この夏、数年来の過労がたたって疲れが一挙に出て、私は働き方の見直しをしたばかりだ。中年期にさしかかり、無理をすると体に問題が生じるようになった。夫の方がずいぶん年上なので、彼は、すでに若いころの働き方とは違うペースをつくりつつある。まだ子どもたちにお金がかかるので、リストラを気にしてはいるが、働き手が二人いるから、彼にしても心丈夫だろう。経済的には、人生前半、彼が頑張ってくれたから、後半は、私が頑張らなければと責任を感じている。二人で一緒にやってみたいことはいろいろある。いずれは、夫婦二人、やがては一人になるだろう。家族の時代とともに、関係は変わる。


現代女性のライフサイクルと家族

 ライフサイクルは家族関係とともにあるが、現代女性のライフサイクルに関する最大の特徴は、その多様性にあるだろう。最も伝統的な形での結婚では、少子化と平均寿命が延びたことで、夫婦二人で生きる時代が長くなった。「世代別女性のライフサイクルモデルの比較」(『女性の現状と施策』総理府編 平成7年版)によれば、1950(昭和25)年に結婚した世代(モデルA)、1975(昭和50)年に結婚した世代(モデルB)、1994(平成6)年に結婚した世代の3世代(モデルC)について、平均的な女性のライフサイクルモデルを作成すると、夫が死亡してから本人が死亡するまでの期間が順に 4.0年、8.1年、8.1年となり、現代女性の方が、高齢になってから単身で過ごす期間が長い。さらに、子どもが結婚して独立したのち夫婦二人だけで過ごす期間が順に3.9年、11.9年、15.9年と大幅に伸びている。子どもたちが巣立った後、再び親密な関係を再構築しようと努力するカップルがある一方で、さっさと関係を解消してしまうカップルもある。老後は、夫たちを残して仲のよい女友達でグループホームに住もうと計画している女性たちもいる。

 晩婚化が進み、離婚率が急速に増加、女性が親権を行う割合が多くなった結果、単独世帯、子どものない夫婦のみの世帯、ひとり親と子どもの世帯の割合が上昇し、夫婦と子どもの世帯の割合は低下するなど、家族形態も多様化している。当然、家族の定義も今や多様である。民法旧規定においては、戸主の統率下にある家の構成員を家族と呼んでいたが、現代では、おおざっぱには、夫婦・親子・兄弟などからなる生活共同体を言うだろう。しかし、一人暮らしをしている学生は、実家に住む人々を家族に含めるだろうか?経済的自立を果たした後は?結婚したら?すでに結婚し独立している兄弟姉妹と、両親の元にいる兄弟姉妹とでは扱いが違うだろうか?単身赴任中の父親は?離婚した夫は?父は?再婚した夫の子どもは?祖父母は?独立した子どもは?ルームメイトは?同性のパートナーは?そう考えていくと、家族とは、婚姻関係や血縁、一緒に暮らしているかどうか、家計を共にしているかどうかのほかに、関係の深さ、親密性といった心理的要因も絡んでいることがわかる。最近では、ペットを家族に含める者も少なくない。家族の定義は人それぞれである。

 これらのことを考え合わせるならば、女性の生き方は多様化し、必ずしも家族をもたずに生きることを選択したり、人生の一部を家族と共に生きても、どこかの時点で一人になったりと、家族との関係は一様ではない。これに、高齢化社会に伴う介護の問題が加わる。人生のどの時点で介護の課題が生じ、どのくらい続いて終わるのかは、まったく予測不能である。つまりは、モデルとなるようなライフサイクルなどなく、女性一人ひとりが個別に家族との関係を選択し、自分なりのライフサイクルを創り出していかなければならない時代である。家族との関係について選択を迫られる事柄には、例えば、出身家族からの独立、パートナーとの同居や結婚、別居や離婚、妊娠・出産、子育て、介護、成人した子どもとの関係、孫との関係などがあげられるだろう。これに、仕事や自分の健康・病気などの問題も加わる。まことに複雑きわまりない。


家族の絆とエリクソンのライフサイクル論


 家族がどんなに多様であっても、家族の絆を考えるとき、私は、エリクソン(Erikson E.H.ドイツの精神分析学者)のライフサイクル論、特に後期の発達課題を意識しておくのは悪くなかろうと思っている。すなわち、アイデンティティ確立後の親密性、世代性、統合性の課題である。エリクソンは文化の多様性を超えて共通する人生の発達課題を抽出したのだから、ライフサイクルがどんなに多様化したとしても、彼の理論は通用するはずである。実は、彼のモデルは男性中心のものだという批判もあるのだが、女性中心に考えたとしても、成人期の課題そのものが変わるわけではない(中心的批判としては、女性では、アイデンティティの確立より親密性の確立の方が先にくるというものがある)。

 エリクソンの生涯発達論を、ここで、大ざっぱに紹介しておこう。青春期には、他の人々や集団との関わりを通じて、自分はこういう人間であるというアイデンティティの確立が課題になる。次に、異性と親密な関係を結び、結婚が課題になる親密・連帯の課題がくる。その後、自分たちのパーソナリティとエネルギーを、共通の子孫を産み育てることに結合したいという願望を基盤に拡がっていく世代性の課題が、最後に、何らかの形でものごとや人々の世話をやり遂げ、子孫の創造者、物や思想の生産者としての避けがたい勝利や失望に自己を適応させた人間だけが7つの段階の果実を次第に実らせ、統合性という課題を成し遂げるというものである。

 家族形態が多様であっても、成人の課題として、自らが家族と考える人たちとの関係において、自己(アイデンティティ)の確立、親密性、世代性、統合性の課題を成し遂げていくことが重要なのではないだろうか。たとえ、生涯一人で暮らすとしても、仕事やボランティアなどを通じて、他者と連携して親密な関係を保ち、次世代を育成していくことにエネルギーを注ぐことは重要であると考えられる。たとえ友人が多くいて、どんなに仕事で成功を収めていたとしても、自分個人のことしか視野になく、普遍的な価値や未来への責任を果たすことができなければ、エリクソンが言うところの、次世代に希望を託し、自分の生を超えて生き続けるものがあると信じて希望を持って死んでいくための統合性を獲得することはできないだろう。

 女性はこれまで、他者のことを優先し、ケア役割を果たすという役割ばかりを強制されてきたため、一方にケア役割に埋没し自己を見失ってしまうリスクがあるが、もう一方にその反動として、ケア役割を拒否し、自己中心的な生き方のみを模索しようとするリスクもある。もちろん、伝統的な家族役割にとらわれる必要はない。結婚せず、子どもを産まず、仲間たちと互いに支え合う親密な関係を築き、子どもにかかわる仕事をするというのもよいだろう。仕事仲間と一緒に若い層を育てていくこともできるだろうし、次世代に残す芸術作品や商品開発に取り組むこともできる。シングルで出産し、親密な同性と助け合って育てることもできれば、ボランティアで次世代に残す環境問題に取り組むこともできるだろう。自分の中で、家族の定義をちょっと変えさえすればよいのだ。自分にとって家族のように思う小集団において、親密性を大切にし、次世代の育成を意識してエネルギーを注ぐことが重要なのである。

 自己を確立すること、親密な関係を築くこと、次世代を育むことという3つの課題は、与えられた人生の状況によって、それぞれウェイトは違っていても、固有のライフサイクルの中に位置づけられ、展望される必要があるだろう。そうすることで、満足して個としての生を閉じることができるのである。

おわりに

 堅固な家族制度のしがらみの中で、女性の役割が固定していた時代の苦悩とは異なるが、多くの選択肢が示され、モデルのないところで個別に選び、責任を背負っていかなければならないのが、現代の生き難さであろう。伝統的な生き方を拒否する若い女性が増えた一方で、社会は「ずっと一人で幸せなの?」という根源的、脅迫的な問いを投げかける。伝統的女性役割に縛られない自由で、なおかつ他者と共存できるような新しいモデルが見えないために、一人で生きるのは寂しく、最終的には伝統的役割に戻っていくという道筋が見える。したたかに、表面的には伝統的役割を果たしながらも、内心、もっと自己中心的に生きようとする若い世代の発想が気になる。それでは、自己矛盾を抱えることになるからだ。男女の溝も埋まらない。

 最近、30歳以上で未婚、子なしの女性たちを「負け犬」と呼ぶそうだが、自由に能力を発揮し、人生を謳歌し成熟した女性たちに釣り合う年齢相応の男性たちがあまりに少ないのはやむを得ない。女性たちは努力してきた。今後は男性たちにも努力してもらうしかない。それにしても、自己の確立のみで人生を終わってしまうのは寂しいものだ。結婚するかしないか、子どもを産むか産まないかの二者択一を超え、家族の定義を柔軟に変えることで、もっと自由に、他者との絆を大切にする多様なライフサイクルを構築していくことができるのではないだろうか。確かに難しいことだろう。それでも、次世代の女性たちへ道筋をつけるためにも、挑戦してみる価値はあるだろう。自己を保ちながらも、親密性と世代性を意識し、家族の絆を重視した生き方はあると思う。それは、非常にクリエイティブな仕事になるはずだ。

 多様な選択肢に耐えうるだけの強さを育てたい。必ずしも伝統的な役割にとらわれずに、しなやかに自由に、女性たちが自己表現し、親密な他者との関係を育て、未来へ希望を託すための仕事を積み上げていくこと、そんなことが可能になる時代を夢見ている。

(女性ライフサイクル研究所所長)

2005.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
子育ての分担は誰のため?~その1(2005年)

三重県男女共同参画センター『フレンテ三重』Vol.23 より

                                               村本邦子


 子育てまっ最中の男性の話を聞いてショックを受けたという麗花さん、21歳。自分の父親は、とにかく忙しくて家にいなかったから、存在自体が無なのだそうだ。父親とは何かと問われれば、答えようがない、頭の中にクエスチョンマークが飛ぶばかりと言う。長女として、子育てに苦労してきた母親の姿を見てきて、子育てに協力してこなかった父親に怒りさえ覚えている。しかし、よくよく聞いてみると、4人の子どもを抱え、それぞれに高い教育費がかかっている麗花さんのお父さんの働きぶりには頭が下がる。一家を支えるため、身を粉にして働いてきたのだろう。

 夫婦にまつわる相談を聞くなかで、哀しい男女のすれ違いに胸が痛む。最初の子どもが生まれた時、男性は、「これで自分も父親だ。一生懸命働いて、家族のために頑張らなければ」と考え、以前にも増して仕事に励む。他方、女性の方は、産後の体で慣れない子育てに明け暮れ、夫がなかなか帰って来てくれないこと、ようやく帰ってきたと思っても、疲れ果てて、手伝いどころか、愚痴を聞いてくれさえしないと不満を溜め込む。

 子どもを持ち、親となって、男女それぞれが、自分の役割を果たすために頑張ろうと思うことと、相手に役割を果たしてもらうために頑張って欲しいと思うこととには、どうも、大きなズレがあるようだ。そして、互いに不満ばかりが膨らんでくる。ありがちなのは、女性の方が心を閉ざし、結果的に、男性は家庭に居場所を失い、子どもとの絆が結べない。互いに好きで一緒になり、家庭を大切にしたい思いは同じだったはずなのに、なかなかその思いが子どもに届かない。これは、とくに、男性にとって不幸なことではないか。

 初めて子どもを授かった時、夫と役割分担について話し合った。私のなかには、十年ほど子育てに専念するのも良いかもしれないという気持ちがあったが、夫が、「完全な役割分担をしてしまえば、それぞれの苦労は見えなくなるだろう。外で働くにも、家で働くにも、それぞれに違ったしんどさがあるだろうから、少しずつでも共有する方が良いのではないか」と言った。実際には、これは、「言うは安く、行うは難し」であったが、それでも、名言であると、今なお思う。

 こうして、分担のウェイトは違えど、子育ての役割分担をしてきたが、子どもたちが思春期に入った今、ウェイトが少しずつ逆転しつつある。前半は、おもに夫が経済的な責任を負ってくれていたが、夫はずいぶん年上で、まもなく定年が近づくので、そこから先は、子どもの教育費の責任を私が担わなければと思っている。多忙に働きながら、世の男性の苦労が身に沁みる今日この頃。出張や深夜帰りが続くと、家族サービスをしなければと焦る一方、しんどいのは、家族というより、本当は自分自身であることを痛感する。家族とともに家で過ごす時間は貴重である。そして、せっせと家事をする。

 経済的責任、家事・育児の責任は少しずつでも分担する方が良い。したことのない苦労は、想像しようもない。そして、想像力を駆使して、たがいに労うことが大事なのではないだろうか。男性を子育てに巻き込むことは、男性自身のためなのだ。

2005.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
子育ての分担は誰のため?~その2(2005年)

三重県男女共同参画センター『フレンテ三重』Vol.24 より

                                                村本邦子

 
   最近、子どもたちの声をたくさん聞く機会に恵まれた。10歳前後の子どもたちが両親についての愚痴やら希望やらを語り合っていたのだが、驚いたことに、子どもたちは、「お父さんが大好き!」だった。「お父さん、日曜日、眠ってばかりいないで、もっと遊んでよ!」子どもたちは、父親を求めている。かつて、「お父さんなんて、いない方がいい」「お父さんって何なのかよくわからない」「お父さんが家にいると、緊張して楽しくない」という声をたくさん聞いた。「子どもは親の背中を見て育つ」「お父さんの出番は思春期から」と、小さい頃に関わりを持たなかったのに、思春期になって、いきなり父親がしゃしゃり出て、子どもに軽蔑され、ひかれてしまうというようなことが目立ったものだ。


 私は希望を持った。ひょっとすると、近頃のお父さんたちは、前より子育てに関わるようになって、子どもにとって、身近な存在になりつつあるのではないだろうか。思えば、私が子育てしていた頃(かれこれ15年ほど前)、夫が1人、抱っこひもやベビーカーで赤ん坊を連れて歩いていると、人々は物珍しそうに振り返ったものだ。「お母さんはどうしたんだろう?不幸でもあったんだろうか、それとも逃げられたんだろうか?」とでも言わんばかりに。今では、お父さん1人が赤ちゃんを連れていても、それほど違和感はない。むしろ、微笑ましいと見られるだろう。

 父親不在と責められ、思春期は父親の出番と言われ、使命感に駆られた父親たちは、何かしなければといきり立って、空回りしていた。昔と違って、労働の場と生活の場が切り離されている社会で、父親の背中は何も語らない。子どもにとって、ほとんど接点のない人は他人に等しかった。思いが届かず、自信喪失し、途方に暮れている父親たちに、私は、「小さい頃から、子どもに関わろう!」「子どもにとって、大切な1人になろう!」と励まし続けてきた。父親たちは、子育てに関わりたくても、いったいどうしていいのかわからなかったのだ。だって、自分自身、父親に関わってもらった記憶がなかったのだから。母親たちも同様だった。子育てする父親像に慣れ
いなかったので、父親がオムツを替え、泣いている赤ん坊をあやす姿を見ると、罪悪感から手を出してしまうのだった。

 今、若い夫婦たちが一緒に子育てしようと模索している。若いお母さんたちも子育てに悩み、お父さんたちも悩んでいる。母親が1人で有能に子育てをこなせてしまわないことは、きっと良いことなのだ。前回は、子育てを夫婦で分担しよう、それは他ならず、男性自身のためなのだと書いた。もっと言うなら、それは子どものためなのだ。夫婦が一緒に悩み、不器用ながら、共に子育てに関わるなかで、子どもたちは、自然に、両性が子育てに関わるのが当たり前だということを学ぶだろう。もちろん、生物学的な父親と母親が揃っていなければいけないということではない。シングルであっても、父親的存在、母親的存在が身近に確保されれば良いのだ。大切なことは、両性が子育てに関われるということを子どもたちが学ぶこと。次世代は、きっと、もっと良い時代になるだろう。

2004.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
家族機能の変化と家族援助(2004年)

月刊『子ども未来』7月号  掲載

                                                        村本邦子

家族と子育ての変遷

 家族は、そこで人が生まれ、成長し、働き、老い、死んでいく共同体であり、社会の基礎的な単位をなします。当然ながら、これは、時代や文化によって変化していきます。産業革命は労働と生活の場を分離し、戦後、民法改正による家制度の解体、高度経済成長に伴う都市化はこれに拍車をかけ、大量の核家族が産み出されました。こうしてできた近代家族は、人々を親族や家のしがらみから解放し、個人主義に基づく家族構成を可能にしました。つまり、愛情によって結ばれた夫婦のもとに子どもが生まれ、父親は経済的責任を果たし、母親は家事・育児の責任を果たすという新しい形です。結果的に、性別役割分業が進み、いわゆる母性神話が強化されることになりました。極端に言えば、子育てが母親による専売特許となり、子どもの私有化が進むことになったのです。

 かつて、子どもは、家族にとって、貴重な労働源でした。「きんさん・ぎんさん」として話題になった1892年(明治25年)生まれの双子姉妹の回想によれば、「5つ、6つの頃から畑仕事、谷の井戸まで水汲み、夜なべで糸紡ぎ、眠うて手が休みよるでよう怒られた」そうです。次々生まれた妹弟の世話もあり、小学校入学は9歳時、学校は一日交替でした。母親は機織り、姉妹は糸繰りで一日働き詰め。きんさんは19歳、ぎんさんは22歳で結婚、「祝言をあげるまで、旦那さんになる人の顔なんか見たこともなかった」し、「出戻りなんかしたらもう生きとれんかった」と言います。きんさんは11人子どもを産みましたが、「栄養がようないから乳もでんかった」ので、5人が1年以内に死に、ぎんさんは5人中1人を亡くしています(総合女性史研究会編、1993)。

 ここに、わずか1世紀のあいだに、家族と子育てがどんなに大きく変化してきたかを垣間見ることができます。人々は生きるのに精一杯で、子どもが生まれ、あるいは死に、育つことは、家族の生活の些細な日常の1コマにすぎず、取り立てて、「子育て」などという発想は持たなかったのでしょう。ぎんさんをして、今は白い米が食べられ「毎日が正月」と言わしめたように、日本社会は戦後50年で急激に豊かになりましたが、その豊かな社会が産んだ弊害も大きかったのです。

現在の家族と子育て

 核家族化と少子化は、「子育て」を一大事業にし、子どもを一種の「製品」にしてしまった感があります。子育ての責任を一身に担う母親は、そこに多大なエネルギーを注がざるを得ないゆえに、自分の子育ての評価や確かさを求めるべく、「製品」としての子どもの評価を必要としました。自らもそこで育った知育偏重の社会のなかで、子どもの評価もそこで測られがちです。知育偏重の子育ては子どもたちから現実体験を奪い、情緒面での成熟を阻止し、そうやって育った世代がすでに親になっています。


 核家族で育った親たちは子育てを体験していません。「新生児を抱いたのは我が子が初めて」という母親が子育ての第一責任者となるのですから、母親たちの不安と無知にも無理からぬものがあります。マニュアルと明確に測れる評価基準とする親世代にとって、「製品」になりきれない生身の子どもは、扱いのわからないやっかいなものと映るでしょう。また、良くも悪くも「主体性」に目覚めた現代人にとって、滅私奉公を要求される子育てに無理が生じ、それをうまくやりこなそうと必死になればなるほど、その内実は歪んだものになっていくでしょう。人間関係も希薄であることから、子育ての助け合いの実践も、自分たちでは難しいものです。


 このような状況のなかで、家族は、そこで人が生まれ、成長し、働き、老い、死んでいく共同体としての機能を失いつつあります。経験のない親が隔離された実験室のような空間で子どもを育てていくということ自体が無理です。高齢化社会の問題もこれに加わります。1990年代、少子化と虐待問題がクローズアップされ、エンゼルプラン、新エンゼルプランが続けて発表され、行政が子育て支援に力を入れ始めたのも当然の流れでしょう。家族が家族として機能するために、社会が子育てをバックアップする時代が来たのです。

これからの家族援助

 子どもの権利条約によれば、子どもは、親に養育される権利をもち、親は子どもの養育と発達に対する第1次的な責任を負い、国は、親がその責任を遂行できるよう援助すべき責務があります。私たちが望んでいるのは、子育てを国が代替することではなく、各家族がより良い子育てを実践できるようなお膳立てをすることです。そのために、さまざまな取り組みが始まっています。多様な保育サービスの推進、子育て生活に配慮した働き方の改革、児童虐待防止対策、母子保健対策、母子家庭等の自立への支援など、まさに必要な援助と言えるでしょう。筆者は1990年よりずっと子育て支援に取り組んできましたが、これらハード面の変革による進歩をひしひしと感じています。


 他方、ソフト面での進歩を感じにくいのも事実です。子どもたちの生活体験の乏しさ、知育偏重の価値観、情緒面での未熟さ、すでに否定されたはずの母性神話は、相も変わらず生きています。ひとりひとりを大切にしながらも、関係性のなかで人が育ち、育てていくという人々の意識変革が求められていると感じます。これからの家族援助は、つながりをキーワードに、いかに人の心に働きかけていけるかが課題になっていくことでしょう。この時代の親子にフィットする形で援助を提供できる援助者の育成が必要です。閉ざされた家族から子育てを解放すると同時に、私たちひとりひとりが、地域のあちこちで眼にする子どもと親に関心を持ち、血縁を越えたつながりで見守っていく覚悟も必要でしょう。

総合女性史研究会編(1993)『日本女性の歴史~女のはたらき』角川選書

1999.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
娘に女性としての自分を投影する母親たち(1999年)

子育て情報センターKANAGAWAまいんどブックレット64号』(1999年)より

                                            村本邦子

  • 娘は息子より貴重?
  • 母娘関係は永遠のテーマ
  • 母娘関係は生まれた時から始まる
  • 母親は娘に女性としての自分を投影する
  • 母親ばかりが子育てを担っていることから生じる問題点
  • 娘は母親のケア・テイカー(情緒的な世話役)になりやすい
  • 母親は自分の人生をあきらめ、娘に自分の代理を期待してしまう
  • より良い母娘関係のために


娘は息子より貴重?


 かつては、跡取りを生まなければならないというプレッシャーから、男の子が望まれたものですが、今時は、娘が望まれ、娘の方が貴重なのだそうです。「女の子は、髪をゆったり、かわいい格好させて着飾ってあげられるから楽しみ」「息子は結婚してしまえば終わりだけど、娘なら、いつまでも自分のそばにいてくれる」「息子の嫁に介護されるのは耐え難いけど、自分の娘なら安心して面倒見てもらえる」などというのが、その理由だとか。女性を貶める価値観が変化したことは喜ばしいことですが、娘が望まれる背後には、娘なら、母親の気持をわかってくれ、いつまでも自分のものでいてくれるという期待があるようです。

 親が夢を膨らませ、子どもに期待をかけることは、ごく自然でほほえましいことには違いありませんが、行過ぎた期待は、子どもにとって迷惑なもの。まだ若い独身の女性が、「娘ができたら早くから英才教育をして宝塚にいれる」と言うのを耳にしたり、まだ生まれもしない娘のために、フリルでいっぱいのドレスを何枚も買ってしまってあるという話を聞いて、人事ながら将来を心配してしまう私がいます。そもそも、娘が生まれなければどうするんだろう?仮に娘が生まれたとして、娘がそれを嫌がったらどうなるんだろう?

 それと言うのも、日々、女性のカウンセリングに携わっていて、母娘関係のこじれをテーマにした相談を聞くことが、あまりに多いからです。

母娘関係は永遠のテーマ

 「母は時々、私を傷つけた。私は、良いお母さんになりたかった。それなのに、ふと気がつくと、子どもに罵声を浴びせ、私が一番嫌だった母と同じことをしている。」「お母さんに甘えたい。お母さんに認めてもらいたい。お母さんじゃなきゃダメなんです。」「母は、ありのままの私を愛してくれなかった。母に愛してもらうために、私は一生懸命、理想の娘を演じてきました。」「仕事も夫も、お母さんの望むように選んできたのです。このままでは、私の人生ではなく、お母さんの人生になってしまう。」「お母さんが怖いんです。どこまで逃げても追いかけてくる。」

 30代、40代、時には50代になっても、女性たちの悩みの中には、母との関係が顔をのぞかせます。女性のライフサイクルに添って、女性の視点で女性をサポートしようと研究所をスタートさせて十数年。日々のカウンセリングを通じて出会う女性たちの悩みはさまざまですが、母娘関係だけは永遠のテーマと言いたくなるほど、どの世代の女性にとっても、普遍的な問題です。娘として母のことを考えると、いろんな不満を感じるけれども、母として娘のことを考えると、自分が娘の人生にどんなに大きな影響を与えているのか、怖くなる・・・。

 子育てをするとき、母たちは、母としての理想を、自分の母を基準にしてつくりあげますが、描いた理想と比較して、自分の母親ぶりに満足する母は残念ながら少数です。「母みたいなお母さんになりたい」と思っていた女性たちは、「母みたいなお母さんには到底なれない」と感じ、逆に、「母みたいなお母さんにはなりたくない」と思っていた女性たちは、「母みたいなお母さんになってしまった」と感じるのです。

 本当は、自分の母親のようなお母さんだろうと、自分の母親とは違ったお母さんだろうと、自分らしいお母さんであれば、それで良いのですが、娘がつねに、自分の母親との関係のなかで自己定義していくとところに、母娘問題のテーマがあります。

母娘関係は生まれた時から始まる


 オギャーと生れ落ち、「お嬢さんですよ」の声を聞いた瞬間から、母娘関係はスタートします。生まれる前から女の子だとわかっている場合もあるでしょうし、女の子だと決めつけている場合もあるでしょう。いずれにしても、それが現実のものと確認された時、あなたは、最初に何を思ったでしょうか?

 喜んだ人、がっかりした人、さまざまでしょう。自分の理想だったお嬢さま、奥さまコースを歩ませたいと空想する人もいれば、大きくなってから、二人でおそろいの服を着たり、交換したりする仲良し母娘を夢見る人もいます。娘が生まれた瞬間、「これで、老後の面倒を見てもらえる」と思ったという人もありましたし、「この子も自分と同じように、社会のなかで差別され、性暴力の危険に晒されて生きていかなければならないのかと苦しくなった」と言った人もいました。

 私自身のことをお話しますと、娘が生まれたとき、私は、なぜか、「この子には仕事を持ってちゃんと生きていって欲しい」と思いました。同時に、そんな自分をおかしく感じ、笑ってしまったのです。最初に息子が生まれたとき、私は、彼の将来を勝手に空想することはありませんでした。「どんな道であれ、責任を持って自分の人生を歩んで欲しい」と思っただけです。それが、娘には、仕事への期待が生まれたのです。

 ちょうどその頃、私は、自分がどんな形で仕事を続けようかと迷っていました。上の子が生まれてからは、週一日だけ非常勤のカウンセラーをしていたのですが、娘を生むときに産休がとれず、いったんやめざるを得ませんでした。子育てを中心にして、適当な非常勤の口を見つけるのがいいか、それとも、自分のペースで仕事を続けられるように、部屋を借りて開業するか悩んでいました。子育てしながら、女性がフルタイムで仕事をするのは、まだまだたいへんです。うちは核家族で、子どもが病気をしたときにあてになる人もいませんでした。

 そんな私が、娘を産み、娘には、仕事をする女性を望んだのです。これは、私自身の願望だったと思います。そんな自分に気づいて、私はしっかりと仕事を続けていく覚悟が決まりました。危ない、危ない。もしも、私が、自分自身の仕事をおろそかにして、子育て中心の生活を送るなら、仕事する女性という自分の理想を、娘に押しつけてしまったことでしょう。「自分の夢は娘に期待するのでなく、自分自身が生きなければならないのだ」と腹を括った私は、3ヶ月の娘を抱えて部屋さがしをし、女性ライフサイクル研究所を立ち上げたのです。

母親は娘に女性としての自分を投影する


 基本的に同性であるということは、同じだからよくわかるという気持を強めます。母親は、男の子については、よくわからない部分があることから、自分とは別個の他者として尊重する姿勢を持つことができます。それに対して、娘には、娘が通る道は、自分も通ってきた道だから、よくわかるという思いを抱きやすくなります。娘は同性であるがゆえに、母親は、そこに、女性としての自分を投影しやすくなるのです。それは、そんなふうに生きたかったけれど、生きられなかった自分であり、自分が生きることを早々にあきらめた人生、これまでの自分の人生をリセットして、
娘として新たに生まれ直し、再出発したいという願望かもしれません。

 父親が息子に、母親が娘に、自分の理想を託す、期待するということを、一概に否定することはできませんが、それが過剰になれば、子どもたちは、自分の人生を生きることができず、親の代理人生を生きさせられることになってしまいます。子どもが親の期待に応えられない場合、親は、やむなく、自分の理想を修正し、少しずつ、ありのままの子どもを受け入れるようになっていくでしょう。

 でも、小さな子どもは、まだ、自分自身の価値判断ができませんから、一定の年齢までは、親の言うまま、思うままに成長するかもしれません。子どもの方が、親の期待に応え続けることができてしまった場合、むしろ、後になって、母娘関係の修正が大きな課題になります。母娘関係のこじれが表面化するのは、多く、娘の思春期です。子どもは思春期になると、親から独立した自分を築くために、反発し始めます。この時期、親子関係が葛藤に満ちたものになることは、ごく自然なことですが、これをスムーズに乗り越えるためには、子どもの小さいうちから、親の方が、ちょっとした心構えをしておくことが大切なのではないかと思うのです。

 それは、娘は自分ではない、娘は自分とは別の独立した人格なのだということを認めることです。父と息子にも同じことが言えるのですが、母親ばかりが子育ての大半を担っているという現実は、母娘関係にとりわけ困難な問題を引き起こします。

母親ばかりが子育てを担っていることから生じる問題点


 人と人とが関わりあうとき、関わりの時間が長ければ長いほど、大きな影響を与えることになるのは必然です。もちろん、人生には、誰かのたった一言によって人生が大きく変わったというようなことはあるかもしれません。関わった時間と影響力がきれいに正比例するというわけではないでしょう。それでも、一般的には、長い時間をともに過ごした人から受ける影響は大きくなるはずです。ましてや、人格形成の基礎がつくられる人生初期に長い時間を一緒に過ごす人々から受ける影響力は大きくて当然です。

 子育てを母親一人が担っているという状況において、母親が子どもに絶大な影響を与えることになるのも無理はありません。子どもにとって母親が重要だから、子どもが母親から多大な影響を受けるのではなく、母親ばかりが子育ての大半を担っているという現状のために、子どもが母親から多大な影響を受けるのです。「子どもにとって母親は絶対的存在。責任を持って、しっかり子育てして」というのは、むしろ逆だと思います。母親が一人で責任を負えば負うほど、子どもにとって絶対的存在になってしまうでしょう。

 そもそも、「自分が誰かの人生に絶対的な影響を与えることができたら、その人は立派な人間になること間違いなし」と言えるほど、自分に自信を持っている人などいるでしょうか?母親であってもなくても、みんな欠点だらけの人間です。人格の土台が形成される幼少期、子どもたちがいろんな人から影響を受け、その中から、自分なりの個性を育んでいける方がよいのだと思います。

 愛着理論で有名なボウルビィは、一人の養育者より、複数の養育者が子育てに関わる方が、子どもは安定した人格を形成すると言っています。大家族での子育てや、保育所を利用した子育てでは、努力せずとも、母親以外の大人が子どもと接する時間が確保されますが、専業で母役割をこなしている場合、これには努力が必要になってきます。子育ての負担を一人で抱え込むのでなく、夫や家族、友達や近所の方々に子育ての一部を担ってもらうよう、子育ての責任を手放す必要があるのだと思います。

 現状としては、母親が子育ての大半を担い、その母親は娘に自分の理想を投影するのですから、ますます、母と娘の間の距離感はなくなっていきます。それだけに、娘は、母親と違う自分らしさを育てていくことが難しく、思春期以降の課題となる分離独立のプロセスは困難になります。

娘は母親のケア・テイカー(情緒的な世話役)になりやすい


 母娘関係が困難になる理由は他にもあります。それは、母親たちが娘に望む期待のなかにも潜んでいます。母親たちは、「娘は母親の気持をわかってくれ、いつまでも自分のものでいてくれる」と期待する傾向があります。


 最近では男女平等が進み、男の方が虐げられているという意見まで耳にするようになりましたが、少なくとも、子育ての現場で、「女の子はやさしく」という規範は、まだまだ健在です。男の子が自己主張することは奨励されますが、女の子が主張すると、わがままだとレッテルを貼られることが多いものです。男の子に対してより、女の子に対して、人の気持がわかる優しい子であって欲しいという期待が強くなるのです。

 このような規範のもとで育てられた女の子は、男の子と比べ、他者の気持に敏感で、場に対する配慮をすることが得意です。しかも、女の子は、同性である母親をモデルに成長しますから、家族の中で、ほとんどの場合、ケア・テイカーの役割を担っている母親をまね、男の子よりも感情面に敏感に反応します。こうして、母親の気持がよくわかる娘がつくられていきます。娘は、「お母さんを喜ばせてあげたい」という気持が強く、母親の良い娘になろうと努力することでしょう。

 大人になってから、子ども時代、母親のカウンセラー役をやらされていたと語る娘たちがいます。靖代さんもそうでした。父親から怒鳴られながらも、祖父母に仕え、家事をこなす母親がかわいそうで、子ども時代、ずっと、母親の愚痴を聞いてあげていたそうです。具合が悪い時でも、学校で辛いことがあった時でも、母親に心配をかけたくないばかりに、自分のことは話さず、聞き役に回って、母親を支えていたのです。

 今は思春期の娘、鏡ちゃんは、小さい頃から、母親にあちこち引っ張り回されたことが嫌だったと語ります。本当は、あちこち出歩くより、家にいて、のんびり絵を描いたり、本を読んだりして過ごす方が良かったのです。鏡さんの母親である秀子さんは、小さい頃、よその家と比べて、あまり遊びに連れていってもらえず、寂しい思いをしてきました。将来、子どもができたら、あちこち連れていってやりたいと思い、鏡ちゃんが生まれてからは、休みともなれば、張り切って、あちこちの遊園地や百貨店に連れて行き、娘が喜ぶ顔を見ることに満足を得ていたのです。鏡ちゃんは、思春期になるまで、母親の機嫌を損ねるのが怖く、また、母親を喜ばせたいがために、自分の本当の気持を抑え、母親に合わせてきたそうです。

 人の気持がわかるやさしい子であることは、決して悪いことではありませんが、過剰になると問題が生じてきます。親が子どもの世話をしなければならないのに、子どもの方が親の感情の世話をするというのでは、役割の逆転です。いつもいつも、自分の気持を抑え、他者の感情を優先してばかりいると、うまく自己を形成することができなくなってしまいます。

母親は自分の人生をあきらめ、娘に自分の代理を期待してしまう


 他にも困難があります。世間では、母親になったからには、自分のことは後回しにして、子どものことを最優先して尽くすことに喜びを見出すものだという考え方が氾濫しています。これは、誤った考え方です。いつもいつも、自分のことを後回しにする人間は、自分の主体的な人生を生きることができません。自分の人生を生きることのできない人は、誰かの奴隷として生きるか、逆に、知らず知らずのうちに、誰かを奴隷のようにして生きることになってしまいます。


 すでに見たように、母は娘と一体化し、距離感を失ってしまう傾向が強いことから、「娘のために」という大義名分を振りかざして、娘に自分の代理人生を期待してしまうかもしれません。ただひたすら子どものためにと頑張っている時の気持は純粋なものだとしても、人は、エネルギーを注いだものには、どうしても見返りを期待してしまうもの。子どもが思うような成果を見せてくれないとき、または、子どもが母親の価値観に挑戦してきたとき、「あなたのためを思えばこそ・・・」「子どものために、これだけ一生懸命やったのに・・・」の言葉で、将来、子どもを脅迫してしまわないでしょうか。

 弥生ちゃんの母親、公子さんは、ピアノをやりたかったという夢を娘に託し、弥生ちゃんが小さい時から、音楽の英才教育を施しました。弥生ちゃんは、公子さんの期待に十二分に応えて、メキメキと腕を上げ、毎年、コンクールで賞を取り続けました。公子さんの夢は膨らむばかりでしたが、弥生ちゃんは、大学を選ぶ段になって、母親に反発し始めたのです。弥生ちゃんが、「音楽は趣味にしたい。受験は勉強で勝負する」と言い切った時、公子さんは全身の力が抜けたと言います。家計を切りつめ、安くないレッスン料を繰り出し、車で送り迎えしたこれまでの苦労はどうなるのでしょう?しばらくの間、二人は大きくぶつかり、へとへとの状態が続きました。

 公子さんの話を聞いて、私が感心したのは、公子さんが、最後には、娘の言い分を認め、「これからは、娘に期待するのでなく、自分の人生を一生懸命に生きよう」と決意されたことです。公子さんは、自分が家庭に入ってしまったことを後悔し、娘には、社会で活躍して欲しいと願っていたのですが、この後、大学院に入学し、現在は専門職として働いています。

 幸か不幸か、ある程度まで、母親の期待に応えることができてしまった娘たちは、どこかで壁にぶつかります。それは、息切れしてきて、これ以上、母の期待に応え続けることはできないと自分の力に絶望したときや、これまで母親の言うとおり打ち込んできたけれど、本当は自分のしたいことではなかったと気づいたときかもしれません。子どもが小さいうち、問題は表面化しないことが多いものですが、思春期に衝突が起こります。

 すべての母親たちが、公子さんのように、最終的に娘の主張を受け入れることができれば良いのですが、「これまでこんなにしてやったのに」「この親不孝者」などと恨み言を言ったり、「あなたは間違っている。お母さんの言うことを聞かなければ、ろくなことはないよ。」などと脅したりしてしまって、関係がこじれてしまうケースは少なくありません。そこで娘の方が自己主張をあきらめ、自分の人生を生きることを放棄してしまうなら、問題を先に持ち越すだけです。逆に、娘が、本当に自分の人生を生きるためでなく、ただただ母親への反発から、母親のもっとも嫌がる選択をしていくと、娘は、自分で自分を苦況に陥れるようなことになってしまいます。

 自己犠牲というのは一見美しく見えますが、自分の人生をすっかり投げ出した自己犠牲は、問題です。ちょっと不気味なたとえですが、自分の人生を生きずして、子どもに代理人生を期待する母親とは、寄生虫や寄生植物のように、他人の生き血を吸って、自分を大きくしていくという危険性を孕んでいるのです。

より良い母娘関係のために


ここで、母娘関係の特徴と問題点を整理しておきましょう。


①母親ばかりが子育てのほとんどを担っているために、母親の影響力が絶大になる 

②同性であるがゆえに、母親は娘に女性としての自分を投影しやすい
③女性は他者の感情に敏感であるよう育てられるため、娘は母親のケア・テイカーになりやすい
④母親は自己犠牲を求められるため、自分の人生を放棄して、娘に自分の代理を期待してしまう 

最後に、それぞれの特徴から生じる問題をクリアするために、今からできる工夫をアドバイスしておきたいと思います。

① 自分だけで子育てを担うのをやめよう。


 子育てを自分以外の大人に任せる時間をつくりましょう。どんなに立派な母親だとしても、365日24時間、いつも一緒に過ごすのは過剰です。夫、家族、友人、保育ママさん、シッターさん、誰でも構いませんが、誰か他の人にすっかり子育てを任せてしまう時間を確保しましょう。近所の子育て仲間と子どもの預け合いっこしたり、育児サークル、子育て広場など、集団の場に入るのもひとつです。

② 娘は自分とは別個の存在であることを忘れないようにしよう。


 「娘のことは私が一番よく知っている」「娘の幸せは私が決める」という考えは捨てましょう。女同士でも、理解できないほど自分とはかけ離れた人たちがいたことを思い起こしましょう。わが子と言えども、自分とは性格も好みも違う別個の人間であることに目を向けましょう。

 小さな娘が自分と違う選択をしたとき、それを尊重しましょう。たとえ、娘が自分の趣味とは違う服や靴を選んだとしても、「それもステキね!」と認めてあげるのです。娘が自分には思いもつかない発想をしたとき、「○○ちゃんは、おもしろいこと考えるのね。お母さんには、そんなこと思いつかないわ!」とほめましましょう。娘が母と違った価値観を持ってもオーケーなのだというメッセージを伝えることができます。

③ 娘をケア・テイカーにしない。


 小さい娘に自分の苦労や辛さを訴えることは控えましょう。子どもはお母さんが大好きですから、ただでさえ、母親を気遣い、心配します。たとえ、現実に困難を抱えているときでも、「今、お母さんは他のことで手一杯で、あなたに十分にかまってあげられずに、ごめんなさいね。でも、心配しなくても大丈夫だから。」と、子どもの安心を保証することが大切です。

 たいへんなときには、夫、友人、家族など、支えてくる他の大人に援助を求めましょう。

④ 娘に代理人生を期待せず、自分の望みは、自分でかなえよう。


 自分がやりたかったことを娘に託すのでなく、自分のやりたかったことは、自分でやりましょう。望みがそのままの形で叶うことはまれでしょうが、現実のなかで折り合いをつけ、今の自分にできることを考えてみましょう。

 子どもがいない時間、子どもが寝ている時間に、家事を片付けてしまうのも良いでしょうが、毎日30分でも、1時間でも、自分自身のために使う時間を確保しましょう。日記をつける、本を読む、勉強する、絵を描く、ピアノをひく・・・何でも構いませんが、子どもに直接関係ない自分の好きなことのために時間を使いましょう。子どものために自分の人生を犠牲にしたなどと恨みを持たずにすむよう、たとえ家事の手抜きをしたとしても、自分のために使う時間を作ることが大切です。

 大切な娘と末永く良い関係が持てたらいいですね。

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