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2005.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
女性のライフサイクルと家族の絆(2005年)

研究レポート0501号

村本邦子

  • はじめに
  • 現代女性のライフサイクルと家族
  • 家族の絆とエリクソンのライフサイクル論
  • おわりに

はじめに

 1990年、大阪に女性ライフサイクル研究所を立ち上げ、心理学的な観点から女性と子どもにかかわる問題に取り組んできた。つい最近、初期のころからよく仕事をご一緒してきた男性と久しぶりに出会った折、「相変わらずよく頑張っていますね。あちこちで名前を見かけますよ」と、ここまではよかったが、続いて「ご主人はよく辛抱していますね。ぜんぜん構ってもらえないのでしょう」と言われて戸惑った。その直後、やはり長く仕事を一緒にした共通の知人に出会ったので、「そう言えば、○○さん、こんなひどいこと言うんですよ」と言ったところ、「みんな、そう思っているよ。あなたも偉いけど、あなたのダンナさんはもっと偉い」と、また仰天するような言葉が返ってきた。一般の男性に言われても驚かないが、彼らは共に人権問題に取り組んできた信頼する仲間なのだ。

 子どもたちが小さかったころは、私の方が仕事をセーブしながらも二人三脚でやってきた。子どもたちにそれほど手がかからなくなった今、人生において存分に仕事に精を出すことのできる時代である。泊まりの日が重ならないよう、互いにスケジュール調整するので、確かに物理的なすれ違いは多いが、それにしても、夫を「構う」とは、どういうことなのだろうか。身の回りの世話をすることなのか、関心を払うことなのか。私なりに、仕事とともに家族を大事にしてきたつもりだし、夫も同じだと思う。一方がもう一方を「構う」といった関係ではないが、週一回、ランチを共にする時間をやり繰りし、時に仕事や趣味を分かち合う。

 この夏、数年来の過労がたたって疲れが一挙に出て、私は働き方の見直しをしたばかりだ。中年期にさしかかり、無理をすると体に問題が生じるようになった。夫の方がずいぶん年上なので、彼は、すでに若いころの働き方とは違うペースをつくりつつある。まだ子どもたちにお金がかかるので、リストラを気にしてはいるが、働き手が二人いるから、彼にしても心丈夫だろう。経済的には、人生前半、彼が頑張ってくれたから、後半は、私が頑張らなければと責任を感じている。二人で一緒にやってみたいことはいろいろある。いずれは、夫婦二人、やがては一人になるだろう。家族の時代とともに、関係は変わる。


現代女性のライフサイクルと家族

 ライフサイクルは家族関係とともにあるが、現代女性のライフサイクルに関する最大の特徴は、その多様性にあるだろう。最も伝統的な形での結婚では、少子化と平均寿命が延びたことで、夫婦二人で生きる時代が長くなった。「世代別女性のライフサイクルモデルの比較」(『女性の現状と施策』総理府編 平成7年版)によれば、1950(昭和25)年に結婚した世代(モデルA)、1975(昭和50)年に結婚した世代(モデルB)、1994(平成6)年に結婚した世代の3世代(モデルC)について、平均的な女性のライフサイクルモデルを作成すると、夫が死亡してから本人が死亡するまでの期間が順に 4.0年、8.1年、8.1年となり、現代女性の方が、高齢になってから単身で過ごす期間が長い。さらに、子どもが結婚して独立したのち夫婦二人だけで過ごす期間が順に3.9年、11.9年、15.9年と大幅に伸びている。子どもたちが巣立った後、再び親密な関係を再構築しようと努力するカップルがある一方で、さっさと関係を解消してしまうカップルもある。老後は、夫たちを残して仲のよい女友達でグループホームに住もうと計画している女性たちもいる。

 晩婚化が進み、離婚率が急速に増加、女性が親権を行う割合が多くなった結果、単独世帯、子どものない夫婦のみの世帯、ひとり親と子どもの世帯の割合が上昇し、夫婦と子どもの世帯の割合は低下するなど、家族形態も多様化している。当然、家族の定義も今や多様である。民法旧規定においては、戸主の統率下にある家の構成員を家族と呼んでいたが、現代では、おおざっぱには、夫婦・親子・兄弟などからなる生活共同体を言うだろう。しかし、一人暮らしをしている学生は、実家に住む人々を家族に含めるだろうか?経済的自立を果たした後は?結婚したら?すでに結婚し独立している兄弟姉妹と、両親の元にいる兄弟姉妹とでは扱いが違うだろうか?単身赴任中の父親は?離婚した夫は?父は?再婚した夫の子どもは?祖父母は?独立した子どもは?ルームメイトは?同性のパートナーは?そう考えていくと、家族とは、婚姻関係や血縁、一緒に暮らしているかどうか、家計を共にしているかどうかのほかに、関係の深さ、親密性といった心理的要因も絡んでいることがわかる。最近では、ペットを家族に含める者も少なくない。家族の定義は人それぞれである。

 これらのことを考え合わせるならば、女性の生き方は多様化し、必ずしも家族をもたずに生きることを選択したり、人生の一部を家族と共に生きても、どこかの時点で一人になったりと、家族との関係は一様ではない。これに、高齢化社会に伴う介護の問題が加わる。人生のどの時点で介護の課題が生じ、どのくらい続いて終わるのかは、まったく予測不能である。つまりは、モデルとなるようなライフサイクルなどなく、女性一人ひとりが個別に家族との関係を選択し、自分なりのライフサイクルを創り出していかなければならない時代である。家族との関係について選択を迫られる事柄には、例えば、出身家族からの独立、パートナーとの同居や結婚、別居や離婚、妊娠・出産、子育て、介護、成人した子どもとの関係、孫との関係などがあげられるだろう。これに、仕事や自分の健康・病気などの問題も加わる。まことに複雑きわまりない。


家族の絆とエリクソンのライフサイクル論


 家族がどんなに多様であっても、家族の絆を考えるとき、私は、エリクソン(Erikson E.H.ドイツの精神分析学者)のライフサイクル論、特に後期の発達課題を意識しておくのは悪くなかろうと思っている。すなわち、アイデンティティ確立後の親密性、世代性、統合性の課題である。エリクソンは文化の多様性を超えて共通する人生の発達課題を抽出したのだから、ライフサイクルがどんなに多様化したとしても、彼の理論は通用するはずである。実は、彼のモデルは男性中心のものだという批判もあるのだが、女性中心に考えたとしても、成人期の課題そのものが変わるわけではない(中心的批判としては、女性では、アイデンティティの確立より親密性の確立の方が先にくるというものがある)。

 エリクソンの生涯発達論を、ここで、大ざっぱに紹介しておこう。青春期には、他の人々や集団との関わりを通じて、自分はこういう人間であるというアイデンティティの確立が課題になる。次に、異性と親密な関係を結び、結婚が課題になる親密・連帯の課題がくる。その後、自分たちのパーソナリティとエネルギーを、共通の子孫を産み育てることに結合したいという願望を基盤に拡がっていく世代性の課題が、最後に、何らかの形でものごとや人々の世話をやり遂げ、子孫の創造者、物や思想の生産者としての避けがたい勝利や失望に自己を適応させた人間だけが7つの段階の果実を次第に実らせ、統合性という課題を成し遂げるというものである。

 家族形態が多様であっても、成人の課題として、自らが家族と考える人たちとの関係において、自己(アイデンティティ)の確立、親密性、世代性、統合性の課題を成し遂げていくことが重要なのではないだろうか。たとえ、生涯一人で暮らすとしても、仕事やボランティアなどを通じて、他者と連携して親密な関係を保ち、次世代を育成していくことにエネルギーを注ぐことは重要であると考えられる。たとえ友人が多くいて、どんなに仕事で成功を収めていたとしても、自分個人のことしか視野になく、普遍的な価値や未来への責任を果たすことができなければ、エリクソンが言うところの、次世代に希望を託し、自分の生を超えて生き続けるものがあると信じて希望を持って死んでいくための統合性を獲得することはできないだろう。

 女性はこれまで、他者のことを優先し、ケア役割を果たすという役割ばかりを強制されてきたため、一方にケア役割に埋没し自己を見失ってしまうリスクがあるが、もう一方にその反動として、ケア役割を拒否し、自己中心的な生き方のみを模索しようとするリスクもある。もちろん、伝統的な家族役割にとらわれる必要はない。結婚せず、子どもを産まず、仲間たちと互いに支え合う親密な関係を築き、子どもにかかわる仕事をするというのもよいだろう。仕事仲間と一緒に若い層を育てていくこともできるだろうし、次世代に残す芸術作品や商品開発に取り組むこともできる。シングルで出産し、親密な同性と助け合って育てることもできれば、ボランティアで次世代に残す環境問題に取り組むこともできるだろう。自分の中で、家族の定義をちょっと変えさえすればよいのだ。自分にとって家族のように思う小集団において、親密性を大切にし、次世代の育成を意識してエネルギーを注ぐことが重要なのである。

 自己を確立すること、親密な関係を築くこと、次世代を育むことという3つの課題は、与えられた人生の状況によって、それぞれウェイトは違っていても、固有のライフサイクルの中に位置づけられ、展望される必要があるだろう。そうすることで、満足して個としての生を閉じることができるのである。

おわりに

 堅固な家族制度のしがらみの中で、女性の役割が固定していた時代の苦悩とは異なるが、多くの選択肢が示され、モデルのないところで個別に選び、責任を背負っていかなければならないのが、現代の生き難さであろう。伝統的な生き方を拒否する若い女性が増えた一方で、社会は「ずっと一人で幸せなの?」という根源的、脅迫的な問いを投げかける。伝統的女性役割に縛られない自由で、なおかつ他者と共存できるような新しいモデルが見えないために、一人で生きるのは寂しく、最終的には伝統的役割に戻っていくという道筋が見える。したたかに、表面的には伝統的役割を果たしながらも、内心、もっと自己中心的に生きようとする若い世代の発想が気になる。それでは、自己矛盾を抱えることになるからだ。男女の溝も埋まらない。

 最近、30歳以上で未婚、子なしの女性たちを「負け犬」と呼ぶそうだが、自由に能力を発揮し、人生を謳歌し成熟した女性たちに釣り合う年齢相応の男性たちがあまりに少ないのはやむを得ない。女性たちは努力してきた。今後は男性たちにも努力してもらうしかない。それにしても、自己の確立のみで人生を終わってしまうのは寂しいものだ。結婚するかしないか、子どもを産むか産まないかの二者択一を超え、家族の定義を柔軟に変えることで、もっと自由に、他者との絆を大切にする多様なライフサイクルを構築していくことができるのではないだろうか。確かに難しいことだろう。それでも、次世代の女性たちへ道筋をつけるためにも、挑戦してみる価値はあるだろう。自己を保ちながらも、親密性と世代性を意識し、家族の絆を重視した生き方はあると思う。それは、非常にクリエイティブな仕事になるはずだ。

 多様な選択肢に耐えうるだけの強さを育てたい。必ずしも伝統的な役割にとらわれずに、しなやかに自由に、女性たちが自己表現し、親密な他者との関係を育て、未来へ希望を託すための仕事を積み上げていくこと、そんなことが可能になる時代を夢見ている。

(女性ライフサイクル研究所所長)

2005.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
子育ての分担は誰のため?~その1(2005年)

三重県男女共同参画センター『フレンテ三重』Vol.23 より

                                               村本邦子


 子育てまっ最中の男性の話を聞いてショックを受けたという麗花さん、21歳。自分の父親は、とにかく忙しくて家にいなかったから、存在自体が無なのだそうだ。父親とは何かと問われれば、答えようがない、頭の中にクエスチョンマークが飛ぶばかりと言う。長女として、子育てに苦労してきた母親の姿を見てきて、子育てに協力してこなかった父親に怒りさえ覚えている。しかし、よくよく聞いてみると、4人の子どもを抱え、それぞれに高い教育費がかかっている麗花さんのお父さんの働きぶりには頭が下がる。一家を支えるため、身を粉にして働いてきたのだろう。

 夫婦にまつわる相談を聞くなかで、哀しい男女のすれ違いに胸が痛む。最初の子どもが生まれた時、男性は、「これで自分も父親だ。一生懸命働いて、家族のために頑張らなければ」と考え、以前にも増して仕事に励む。他方、女性の方は、産後の体で慣れない子育てに明け暮れ、夫がなかなか帰って来てくれないこと、ようやく帰ってきたと思っても、疲れ果てて、手伝いどころか、愚痴を聞いてくれさえしないと不満を溜め込む。

 子どもを持ち、親となって、男女それぞれが、自分の役割を果たすために頑張ろうと思うことと、相手に役割を果たしてもらうために頑張って欲しいと思うこととには、どうも、大きなズレがあるようだ。そして、互いに不満ばかりが膨らんでくる。ありがちなのは、女性の方が心を閉ざし、結果的に、男性は家庭に居場所を失い、子どもとの絆が結べない。互いに好きで一緒になり、家庭を大切にしたい思いは同じだったはずなのに、なかなかその思いが子どもに届かない。これは、とくに、男性にとって不幸なことではないか。

 初めて子どもを授かった時、夫と役割分担について話し合った。私のなかには、十年ほど子育てに専念するのも良いかもしれないという気持ちがあったが、夫が、「完全な役割分担をしてしまえば、それぞれの苦労は見えなくなるだろう。外で働くにも、家で働くにも、それぞれに違ったしんどさがあるだろうから、少しずつでも共有する方が良いのではないか」と言った。実際には、これは、「言うは安く、行うは難し」であったが、それでも、名言であると、今なお思う。

 こうして、分担のウェイトは違えど、子育ての役割分担をしてきたが、子どもたちが思春期に入った今、ウェイトが少しずつ逆転しつつある。前半は、おもに夫が経済的な責任を負ってくれていたが、夫はずいぶん年上で、まもなく定年が近づくので、そこから先は、子どもの教育費の責任を私が担わなければと思っている。多忙に働きながら、世の男性の苦労が身に沁みる今日この頃。出張や深夜帰りが続くと、家族サービスをしなければと焦る一方、しんどいのは、家族というより、本当は自分自身であることを痛感する。家族とともに家で過ごす時間は貴重である。そして、せっせと家事をする。

 経済的責任、家事・育児の責任は少しずつでも分担する方が良い。したことのない苦労は、想像しようもない。そして、想像力を駆使して、たがいに労うことが大事なのではないだろうか。男性を子育てに巻き込むことは、男性自身のためなのだ。

2005.10.25 活動報告-論文/執筆/学会活動等
子育ての分担は誰のため?~その2(2005年)

三重県男女共同参画センター『フレンテ三重』Vol.24 より

                                                村本邦子

 
   最近、子どもたちの声をたくさん聞く機会に恵まれた。10歳前後の子どもたちが両親についての愚痴やら希望やらを語り合っていたのだが、驚いたことに、子どもたちは、「お父さんが大好き!」だった。「お父さん、日曜日、眠ってばかりいないで、もっと遊んでよ!」子どもたちは、父親を求めている。かつて、「お父さんなんて、いない方がいい」「お父さんって何なのかよくわからない」「お父さんが家にいると、緊張して楽しくない」という声をたくさん聞いた。「子どもは親の背中を見て育つ」「お父さんの出番は思春期から」と、小さい頃に関わりを持たなかったのに、思春期になって、いきなり父親がしゃしゃり出て、子どもに軽蔑され、ひかれてしまうというようなことが目立ったものだ。


 私は希望を持った。ひょっとすると、近頃のお父さんたちは、前より子育てに関わるようになって、子どもにとって、身近な存在になりつつあるのではないだろうか。思えば、私が子育てしていた頃(かれこれ15年ほど前)、夫が1人、抱っこひもやベビーカーで赤ん坊を連れて歩いていると、人々は物珍しそうに振り返ったものだ。「お母さんはどうしたんだろう?不幸でもあったんだろうか、それとも逃げられたんだろうか?」とでも言わんばかりに。今では、お父さん1人が赤ちゃんを連れていても、それほど違和感はない。むしろ、微笑ましいと見られるだろう。

 父親不在と責められ、思春期は父親の出番と言われ、使命感に駆られた父親たちは、何かしなければといきり立って、空回りしていた。昔と違って、労働の場と生活の場が切り離されている社会で、父親の背中は何も語らない。子どもにとって、ほとんど接点のない人は他人に等しかった。思いが届かず、自信喪失し、途方に暮れている父親たちに、私は、「小さい頃から、子どもに関わろう!」「子どもにとって、大切な1人になろう!」と励まし続けてきた。父親たちは、子育てに関わりたくても、いったいどうしていいのかわからなかったのだ。だって、自分自身、父親に関わってもらった記憶がなかったのだから。母親たちも同様だった。子育てする父親像に慣れ
いなかったので、父親がオムツを替え、泣いている赤ん坊をあやす姿を見ると、罪悪感から手を出してしまうのだった。

 今、若い夫婦たちが一緒に子育てしようと模索している。若いお母さんたちも子育てに悩み、お父さんたちも悩んでいる。母親が1人で有能に子育てをこなせてしまわないことは、きっと良いことなのだ。前回は、子育てを夫婦で分担しよう、それは他ならず、男性自身のためなのだと書いた。もっと言うなら、それは子どものためなのだ。夫婦が一緒に悩み、不器用ながら、共に子育てに関わるなかで、子どもたちは、自然に、両性が子育てに関わるのが当たり前だということを学ぶだろう。もちろん、生物学的な父親と母親が揃っていなければいけないということではない。シングルであっても、父親的存在、母親的存在が身近に確保されれば良いのだ。大切なことは、両性が子育てに関われるということを子どもたちが学ぶこと。次世代は、きっと、もっと良い時代になるだろう。

2005.10.11 関連図書
《FLC21子育てナビ10》不登校とのつきあい方 

child10.gif【村本邦子・渡邉佳代 著】

「学校に行きたくない」と子どもから言われたとき、親はどのように考え、どう対応したらよいか、不登校の子どもの理解と関わり方について考えていきます。......子どもが学校に行かなくなったとき、親はまるで出口のないトンネルに入り込んだかのように落ち込んだり、不安に押しつぶされそうになってしまいます。このままずっと学校に行かないのではないかと、先の見えない状況に戸惑い、絶望的になってしまうかもしれません。でも、一番不安を感じているのは子ども自身です。子どもに必要な対応をすれば必ず不登校の出口が見えてきます。親子で向き合い、家族で支え合いながら、自分たちなりの解決用法を見つけていってほしいと思います。出口のないトンネルはないのです。(本書「はじめに」より)


〈目次〉

第1章 どうして学校に行くの?
第2章 発達課題と不登校
第3章 不登校の状態と子どもへの関わり
第4章 親子を支えるネットワーク作りに取り組もう


三学出版 四六版 85頁 1,000円(税込)

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