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FLCスタッフエッセイ

2017.11.02 五感
お出かけしてみませんか? ・・・京都「国宝展」を訪ねて・・・

                                      西川 昌枝

先日、家族に誘われて国立京都博物館で開催されている「国宝展」に行ってきました。

私は日本の古物より西洋アンティークが好きで、はじめ乗り気でなかったのです。が、
「悠久の歴史と美を伝える類まれなる国の宝が集結」と紹介されていて、「これを見逃したらもう見られないかも」と考え直し、観光客のごった返す京都に向かいました。

意外と人気で、立派な博物館は混雑していました。ただその中にも、のんびりした雰囲気があったのは国宝の持つ効果でしょうか。
薄暗い場内は、見覚えのあるような仏画、絵巻物、土器、衣装、金工、美術品の数々が美しくライトアップされていました。

試験でも検定でもないから、気楽に見てただ感じるだけ。それなのに、本物の国宝には、教科書の写真からは伝わらないものが備わっているのか、眺めているとほぅと溜息が出るのもありました。

「これ、教科書で見たことあるなぁ」と思うとき、同じ言葉をつぶやかれる人の多かったこと!
むかし開いた教科書のおかげで、おぼろげでも知っている気分を味わっていると、
ふわーっと、教科書を手にしていたその当時・・小学生の頃の記憶まで思い出されてきたのでした。

それは教科書の匂いであったり、資料集の表紙、ランドセル、教室、チャイム、制服の白と紺、昼休みの運動場、ゴムとび、野花を摘み摘み帰った道、、
展示室の中で、すっかり忘れていた子どもの頃がつぎつぎと蘇ってきて、くすくす笑いが出そうでした。

そんな思い出と一緒に、千年前の暮らしを想像(妄想?)したり、国宝を「漫画みたい」「細かい」「よく残ったなぁ」と他愛ないことを言いながら回っているうちに、受身で訪れたとは思えないほど上機嫌に、やたら元気になって退場しました。

話がそれてしまいますが、京都は私にとって特別な町なのです。というのも、京都は、初めて一人暮らしを始めた町で、世間知らずだった過去の自分にふと立ち返ることできるところ。そして人生のページが次々にめくられた場所でした。

子どもの私、若かった私、今の私。それが一続き。京都でのたくさんの失敗も今は笑えるなぁと。
たまには、思い出のある場所を訪れて、ノスタルジックな思いにふけるのも楽しいものだと思いながら和菓子を買って帰りました。

ちなみに国宝展は、開催期間が四期に分けられていて、それぞれの期間で国宝が入れ替わります。それに、京都の町も年々観光都市として進化していて、興味をそそるものがたくさんありますよ。
 
次は一期にはなかった「金印」を見にいってみようかな。

2014.09.07 ライフサイクル
女性のライフサイクルと仲間

西 順子

 8月最後の日曜日、30年ぶりに大学の友達と再会を果たす。場所は京阪神と中国・四国地方に住む友達との中間地点、神戸三ノ宮。まず開口一番「変わってない~!」「声もしゃべり方も変わってないね~!」と互いに再会を喜び合った。

 ランチは友達お勧めのイタリアン・レストラン。ホテルの17階にあるレストランの窓からは神戸の山が見えてロケーションも最高。見た目も綺麗で美味しい食事を頂きながら、思い出話から近況まで話も弾む。思い出話には、私自身が覚えてなかったり、忘れていたりするエピソード、しかも面白いエピソードに思わず赤面。大笑いしながらも、自分は覚えてなくとも、友達の記憶のなかで私を覚えてくれていることに、ありがたい気持ちになる。自分が覚えている当時の記憶に、友達から聞くエピソードが加わり、当時の自分の姿が多面的になった。人生のある時期を共に過ごしてきた仲間、思い出話を語れる仲間がいることをしみじみと有り難く感じる。

 話は、大学卒業後から就職、結婚、子育て、家族の生老病死・・などを経て、今取り組んでいる仕事や家族との関わり、そして更年期を迎えての体調のことや目の前に迫っている親の介護にも話が及ぶ。女性の人生30年のライフサイクルを、皆それぞれが生き抜いてきたんだなと、しみじみと愛おしい気持ちになった。そして30年を経ても、その人らしさは変わらず、その人らしく仕事をしたり、活動をしたり、子育てをしたりしていて、マトリョーシカ人形のように、当時の姿と今の姿が重なった。時空を超えて「今、ここ」に一緒にいることが不思議で、とても懐かしくも温かさに満たされた。
 
 大学時代は親許を離れて下宿し自分の人生を歩み出した過渡期、そして今、中年以降の人生をどう生きるかと歩み出す過渡期と、女性のライフサイクルの思春期後期と更年期は共通点が多いことに気づく。過渡期に迷いや悩みはつきものだが、過去・現在・未来と縦軸だったり、家族や人との関わりとの横軸だったりと、縦横に行きつ戻りつしながら時空を超えて話をしていると、普遍的なつながりを感じて、心が楽に自由になれる。それぞれの人生は違っても、女性として、ライフサイクルの段階を共に歩む仲間がいることは心強い。

 楽しいひと時の後、余韻を味わうように女性のライフサイクルについて思い巡らせた。年報創刊号「女性のライフサイクルについての試論」(1991,村本)を読み返す。結論として書かれていた「・・結局のところ、重要なのは、各々が自分の人生を全体との関係のなかでとらえていき、しかも、個人を超えた力や他者とつながりながら、自分の人生を生きていくことである」という言葉に納得。「生かされている」という謙虚な気持ちを忘れずに、他者とのつながりを大切にしながら、自分らしく歩んでいければと思う。

 女性ライフサイクル研究所は伸び伸びと自由に自分の人生を生き、自分とは違った他者をも受け入れ、社会全体がもっといきいきと活気づくことを願って設立された。これからも女性のライフサイクルに寄り添いながら、生命を信頼し、生命の声を大切にする場所であり続けたいと願う。

2014.07.02 コミュニケーション
祖母と孫―ジェネレーションギャップ編―

福田ちか子

 

 うちの祖母は、御年90歳になる。7年前に祖父が他界し、一人暮らしだ。90歳になり、これまでの人生をふりかえって、いろいろ思うところがあるご様子。そんな祖母をみていると、孫にもいろいろ思うところがでてくる。

 ◎自分の人生は人と比べて平穏だったとこぼす件。

 毎朝新聞を読むのが日課の祖母。祖母の中では、ニュース欄も、ゴシップ欄もTV欄も同じ扱い。「美智子さま(皇后陛下)も大変ねぇ...」「最近はやれ離婚離婚て多いわねぇ...」「大野君はいろんな人に人気らしいわ(90歳、嵐ファン!!)」。そんな祖母だが、TVで人様の波乱万丈の人生を見聞きするにつけ、自分は平凡な人生だったわ...世間知らずなままだわ...などとぼやく。

 ......何をおっしゃるやら。祖父の兄に気に入られて、祖父の顔を知らずに結婚が決まった祖母。当時満州にいた祖父のもとへ祖父の兄が送った≪ヨメキマル≫の電報一つで夫婦になり、そのまま満州へ。満州で終戦を迎え、ロシア兵から逃れ、夫婦で1歳の娘を抱えて引き上げのご経験ありだ。

 孫世代からみると、驚愕の結婚事情だが、当時はそれが当たりまえ。今も疑う余地なくあたりまえだったと感じている祖母の目には、現代の自由な結婚事情はとても大変なものと映るようだ。〈おばあちゃんの方が大変やったやん〉と伝えたいが、そこはなかなか伝わらず、もどかしい。

 

 ◎恐竜が現代に実在すると信じそうになる件

 いつだったか祖母とTVを観ていて、たまたまロードショーのジュラシックパークが映った時のこと。グラント博士と子どもたちがラプトル(小型の恐竜)に追いかけられるシーンを見て、「あらこわい。これって本物?」と一言。その時、CGがピンとこない祖母に、簡単に説明ができないことに気づいた。CGかどうかの区別って、私たちはどこでつけているんだろう...??? 映像がリアルになればなるほど、現実と空想の境界が曖昧になる...というのはよく耳にするが、身近に実例がいた。

 TVを見ているとき、孫世代の私たちは、自然と現実かそうでないかを判断して映像をみているけれど、祖父母世代には全部現実のように映っているのかもしれない。そう思ってメディアの情報を見ると、祖父母世代は混乱するだろうなと思ったり、実は孫世代が現実だと思っているものもフィクションなのかもしれないと怖くなったりする。

 

 ◎曾祖母の気持ちがわかるわぁと祖母がぼやく件

 ここ20年ほどで、IT化は急速に進んだ。15年ほど前には、誰でもが電話を携帯して道を歩いてはいなかったはず。携帯電話普及の波には何とか乗った祖母だが、インターネットの波には乗らなかった(乗れなかった?)。ネット環境が前提で情報提供がなされているご時世。≪詳しくはWebで!!≫≪今日LINEでさ~≫≪facebook上のトラブルで...≫等々。《犯人はPCを遠隔操作して...》と,祖母が好きな刑事ドラマのトリックまでもがIT化だ。

 情報についていけない悔しさや、ネットが当たり前の現状への憤り、もはやついていく気力はないあきらめなど、複雑な心境がうかがわれる。そんな中、「給湯器が普及してきたときのお母さん(曾祖母)が、世の中変わるなぁ~ってぼやいてた気持ちが今わかるわ」と、繰り返しつぶやいている。孫世代が祖母世代に変わるころには何が起こっているのだろうか...

 

 こうしてみると、時代の変化の中で、祖母世代と孫世代では、ジェネレーションのギャップが大きすぎて、孫世代はもどかしい。相手が自分と同じ世界観だと思い込んで話をしようとすると、かみ合わないことこの上ない。ここまで来ると、異文化交流のような気がしてくる今日この頃だ。最近の変化が特に激しいのか、やはり昔から繰り返されてきたことなのだろうか...。祖母世代も同じ気持ちを感じているのだろうか...。

 ついつい、新しいことに対応できる方が偉いように錯覚して〈そんなことも知らんかったん?〉と上からの視線や口調になってしまうこともあるけれど、祖母の話の中には、キラリと光る生活の智慧が隠れていることがあるので、侮れない。祖母世代の経験智、大切にしたいと思う。

2014.05.28 トラウマ
女性のトラウマとライフサイクルの危機~映画『8月の家族たち』を観て考えたこと

西 順子

 「女性が人生(ライフサイクル)で出会う問題について、私たちも共に生きながら考える」、女性ライフサイクル研究所が1990年開設以来、志してきた援助の基本姿勢である。つまり、母娘関係、パートナーとの関係、子育て、暴力被害・・など、女性が人生で出会う問題は他人事ではなく、同じ土壌を生きている「私たち」にとって地続きにある問題であり、普遍的な問題であるとして取り組んできた。それは、女性を対象として見るのではなく、同じ立ち位置に身を置いて、女性の視点に立って感じてみる、ということでもある。

  この春、たまたま映画『8月の家族たち』の取材を受けさせて頂いた。この映画に登場するある家族の三世代の母と娘、それぞれが女性のライフサイクルの段階に応じた危機を経験していた。第一世代の母は老年期の危機、第二世代の娘は中年期の危機、第三世代の孫にあたる娘は思春期の危機にいる。取材では、中年期の視点からコメントさせて頂いたが、ここでは老年期の母親のことについて少し考えてみたい。というのも、メリル・ストリープが演じる母バイオレットの人生を振り返ってみたとき、それは同じ女性として、とても悲しい物語だから。私は痛みを感じ、見過ごすことはできない、いや見過ごしたくはないと思った。

 表面的には毒舌家であり薬物依存症の母であるが、それは女性のトラウマの苦悩と孤立無援感の表現とも考えられた。トラウマを抱えながら自分の生きづらさがどこから来るのかわからず、苦悩の人生を生きたであろう前世代の女性たちのことに思いを馳せた。自分の傷つきを回避して、自分にケアが必要なことに気が付かなければ、前世代のトラウマは次世代へと伝達されていく。次世代が負の遺産をどう正の遺産に変えていけるかは次世代の課題、テーマであるだろうが、前世代は老年期の段階においては、何ができるのであろうか。トラウマから自由になる可能性はあるだろうか。

  以前、「心理的ケアの喪失による女性の人生の危機」(『女性ライフサイクル研究13号』より)について考えたことがあるが、女性の人生の危機は心理的ケアの喪失と関わっていること、女性が人生の危機を乗り越えるためには、その喪失を受け入れて自己をケアしなおしていくことが必要であるとまとめた。そのためには、自分のなかにある渇望(「内なる少女」と言われる他者の愛情・ケアを求める欲求)に耳を傾けて、他者からのケアを受け入れることが必要であるとした。トラウマと回復の観点から言えば、喪失を悼む喪の作業と癒しと希望が必要といえるだろう。

  「家族の物語を紡ぐ~次世代に受け継ぐために」(女性ライフサイクル研究18』より)では、ある家族、中年期の姉妹三名と母親へのインタビューとグループワークを行った。家族が「否認」してきたことと向き合い、それぞれの経験に耳を傾け共有するなかで、互いへの感謝が生まれている。それぞれの体験を持ち寄り家族の歴史を紡ぐ作業であったと言える。老年期にいる母親にとって、子ども時代からの自分の人生を語るという体験は初めてとのことで、一生懸命思い出しながら語ってくれたことが印象に残っている。

  女性ライフサイクル研究所のカウンセリングでは、中年期、青年期の女性から、思春期、学童期・幼児期の子どもまで、ライフサイクルの発達と危機を乗り越えていけるようお手伝いしているが、老年期の女性との出会いもある。老年期は「統合性 対 絶望」の発達の危機にある。統合とは全体性でもあり、自分の生涯を意味あるものとしてまとめ、人生を受け入れることである。トラウマを生き抜いてきた前世代の女性の人生に敬意を表しながら、人生の物語を紡いでいくお手伝いをさせて頂くことができたなら第二世代としても幸いである

2014.04.23 ライフサイクル
初心忘るべからず

西 順子


 2014年4月1日、新しい体制となった女性ライフサイクル研究所の新年度がスタートした。所長として新年度を迎え、心のなかで反芻している言葉が「初心忘るべからず」。女性ライフサイクル研究所の創業から24年、12年目に法人化という節目を迎え、それからまた丸12年がたった。12年というと干支も十二支を一回りして最初に戻ってくるように、今年は初心に立ち返って研鑽を積んでいければ・・と慎ましやかな気持ちでいる。

 研究所開設の「最初の志」と言えば、創業の精神「社会にひらかれた心理臨床」。「こころ」を女性が置かれている社会的・歴史的文脈から理解し、「女性の視点から女性のサポート」を掲げてスタートした。これからも創業の精神を土台に、研究所に来談くださった方、ホームページを訪問くださった方々が、人や社会と「安全に」つながり、「一人ではない」「自分だけじゃない」と安心できる場を維持し、育てていければと思っている。

 ところで「初心忘るべからず」とは600年前に能を大成した世阿弥の言葉。私が「初心」の本当の意味を知ったのは最近だが、世阿弥の言う初心とは「己の技量の未熟さ」のことだと言う(『風姿花伝』より)。 
 
生には三つの初心があり、まず24,5歳の頃の「若いときの初心」二つ目には24,5から壮年期まで、人生の各時期に「その時々における初心」、そして人生の最後の段階で「老後の初心」がある。老後においてもその年齢に似合ったことを習うのは「老後の初心」で、「老後すら初心と心得れば、以前に学んだすべての能を、後心として、これからのために新たに見直し、そこから学ぶのである」と言う。

  世阿弥の言う「老後」は50歳以後のことで、まさに今の私。「老後の初心を忘れない」という言葉は胸に響く。「生涯を通して常に初心を忘れないで過ごせば、高まる一方の芸のまま最後まで後退することはない」とのこと。これから10年先を見通しながら「己の技量の未熟さ」と向き合い、そこから学ぶ姿勢を忘れないで、日々精進していきたいと改めて思う。

 二つの意味の「初心忘れずべからず」を大切に一歩ずつ進んでいきたいと思いますので、新体制となりました女性ライフサイクル研究所に温かいご支援をいただければありがたいです。今後ともよろしくお願い申し上げます。
                                                                                                            (2014年4月)

2011.07.12 ライフサイクル
人生の折り返し地点で

村本邦子

 まもなく50歳になる。多くの人は、40歳くらいを折り返し地点と置くようだが、願わくば百年生きたいと願っている私にとっては、50歳が人生の折り返し地点である。「50歳になるのって、どんな感じ?」と娘に聞かれて、「う~ん、なんかいい感じ。円熟?味わい?」と答えたら、「へ~、それって、素敵なことやな~」と言われた。確かに。もちろん、日々いろいろあって、感情的には上がったり下がったり、笑ったり、怒ったり、不安になったり・・・と幾つになっても落ち着きなく気持ちは揺れ動いているのだが、それでも、全体的に自分を眺めてみれば、「ようやく大人になって貫禄でてきたかも!?」と思える。

 年を取って衰えたと思うことはたくさんあるけれど(最近、一番困っているのは、蚊に刺されるとなかなか治らず、2週間ほどもかゆくて、思わず引っ掻いてしまうと、それが今度は傷になって1カ月ほども治らない。虫刺され跡は増える一方で、最近では、常にムヒを携帯している)、それでも、年を取ることに納得、というか満足しているので、50代になることが全然、嫌じゃない。これまで誕生日はあまり気にしてこなかったけど、今年は、何だか格別の思いでもって、わくわく楽しみなのだ。

 一方で、いよいよ砂時計がひっくり返されるというのか、時間が逆行する予感はある。よく言われるように、人生の残り時間を数えるようになるというのに近いと思う。それだけに、残された時間を大切に使いたいという思いは強くなることだろう。人からは、「すでに十分やってきたんじゃないの!?」と言われてしまいそうだが、もっともっと自分本位に生きたいと思う。自分本位の意味は、眼先の利益ということではなくて、自分の人生にとってもっとも価値あるものを優先するということだ。一時的な情に流されたり、しがらみから何かを請け負ったり、断念したりすることなく、どんな状況にあっても、自分にとって何が一番大切なのかを見失わないということだ。

 念のため、言い添えておきたいが、百歳まで到達できなかったとしても、それはそれで、それほど悔いはないような気もする。ずいぶんといろんなことをしてきたし、少なからぬ人たちが何がしか受け取ってくれて、命の継続性のようなものを信じることができるから。前にもどこかに書いたが、昔、国語の教科書に出ていた「ゆずり葉」という詩は、子どもの頃、どうしても好きになれなかったけれど、今となっては、とても共感する。「私たちは次世代に何もかも喜んで譲っていくよ」という詩である。もっとも、原発のことを考えると、決してそんなふうに美しく言えない罪悪感で一杯になるけれども。

 そうは言っても、聖人になる予定は今のところないので、許される限り、人生を愉しむことを追求したい。自分が人生を愉しむことが誰かの何か善いことにつながっていくというような人生後半を送れたら嬉しい。

(2011年7月)

2010.11.12 ライフサイクル
お弁当の楽しみ

村本邦子

 子育て終了後、出張や夜遅くまで仕事をすることが日常になってしまって、どうしても外食ばかりになる。たまの外食は楽しいものだが、1日3食外食ともなれば、もううんざり。それで、最近は、できるだけお弁当を持っていくことにしている。朝、家から出勤できること、昼、座ってお弁当を食べられることが条件だが、週2~3日は決行できる。まずは、かわいいお弁当グッズを揃えた。和風の二段式弁当箱と、お揃いの組み立て式のお箸。

 メニューであるが、1段目のご飯。白ご飯は愛想がないので、ゆかり、わかめ、シャケ、野沢菜など、混ぜるだけの簡単なものを。時には、じゃこご飯や季節の炊き込みもする。2段目のおかずは野菜中心。頻繁に登場するのは、卵となす。理由は単に私が好きだから。出し巻き卵にすることが多いが、あおさ入りの卵焼きにしたり(伊勢志摩のホテルで食べて以来、気に入ってお気に入りメニューとなった)、細かく刻んだ野菜を入れてオムレツ風にすることもある。ニラやきのこの卵とじもいい。なすは油でいためてしょうが醤油、もしくはだし醤油をからめるか、もしくは甘辛く味付けてしまう。豚肉で巻いたり、ひき肉と一緒にするとまたおいしい。

 焼き野菜も多い。かぼちゃ、れんこん、しいたけ、ピーマン、きのこ、人参など、色とりどりの野菜を一切れずつフライパンで焼くだけ。もやしと細かく刻んだ小松菜とか、青梗菜とえりんぎの組み合わせで炒めたものもおいしい。だいたいはシンプルに塩・胡椒で味付けするが、時には中華風にすることもある。たまにはウィンナーやシーフードも一緒に。サラダ類はあまり多くないが、春菊とツナ、ポテトサラダ、きゅうりとソーセージ、ブロッコリーなどなど。あとは、お弁当の定番と言える焼き鮭、ほうれん草のおひたし、きゅうりと大葉の塩もみ。きゅうりと茗荷にじゃこの組み合わせもおいしいな。

 子どもたちのお弁当を作っていた頃は、必ずと言っていいほど揚げ物が登場したものだが、最近ではめっきり登場しなくなった。何しろ、外食が嫌でお弁当にするのだから、素材を活かしたシンプルなものがいい。それに、時間のない朝だから、10分以内で作れること。朝食を食べながら作るのだ。一人分しか作らないので、煮込みものはしないが、そろそろ寒くなってきたので、晩御飯の残りメニューもこれからは活躍するはず。かぼちゃを焚いたり、筑前煮とか、ロールキャベツとか。具だくさんの混ぜご飯が大好きなので、前夜も家で作れる時にはお弁当の分も作っておけるだろう。

 自分で食べるものを自分で作って食べるというのは良いものだ。自分が好きなものを好きなようにして好きなだけ食べられるのだから。どってことない当たり前のことかもしれないが、今の私にはささやかな楽しみである。

 

(2010年11月)

2009.09.12 ライフサイクル
ひとり旅

村本邦子

 この夏、娘がひとり旅に出ると言い出し、岡山から高松のあたりを巡ってきた。夜間のフェリーで行って、夜はネットカフェで過ごすというので、「心配だから、せめて宿をとったら?」と示唆したら、安い宿を見つけたようだ。結局、1万円弱で3泊4日のひとり旅を楽しんできたらしい。当然ながら、知り合いやら、知らない人やらのお世話になりながらの旅だ。はっきり言って、血筋なんだろう。考えてみれば、私にも、夫にも、放浪癖みたいなものがある。急に思い立って、フラ~と知らないところへ行ってみるというのが好きなのだ。それも、いろんな人の世話になりながら。

 私自身、子育てを終え、旅に出る機会が増えた。純粋なひとり旅を楽しむ時間的ゆとりはないが、それでも、仕事であちこち巡り、新しい世界との出会いを楽しんでいる。最近、「自分自身に戻ったな~」という感覚があって、「これは何なんだろう!?」と考えていたのだが、どうやら、自分が自分に属するという感じ。振り返ってみると、子育て中って、どこか自分の半分は子どもに属しているような感覚があったのだと思う。自分がOKならそれでよいというだけでない責任感のようなもの。私は、こう見えても、基本的に慎重派なので、そんなに無茶をするようなことはないが、それでも、「子どものために自分を守らなければ」みたい意識があったのだろう。

 最近の私の旅の仕方は、パソコンを持ち歩いて、どこででも仕事をするというもの。本当は、すっかり仕事から離れられたらいいのだろうが、今はいろいろな責任が重すぎて、どうしても留守中、気になってしまうので、とりあえずネット接続可能な環境に限る。パソコンがあればほとんど必要なデータは取り出せるので、思いつけば、どこででも原稿が書ける。ちょっと変だが、この感覚も「自分が自分に属している」という感じにつながっている。「身ひとつあればいい」みたいな感じ?(パソコンがなければ困るわけだから矛盾してるか・・・。)

 旅先の風景を眺め、旅先の食べ物を食べ、できれば旅先の湯につかり、旅先で出会った人たちと触れ合う。違ったところには、違った世界が広がり、違った人たちが、違った人生を送っているということを知ることで、何ていうのか、自分と自分の世界をあらためて確認することができる。

 結婚したての頃、兄夫婦から「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」と書いた額を頂いたのだが、話しているうちに、どうやら、私たち2人はどちらも自分が鳥のつもりでいるらしいということが発覚して、双方、愕然とした記憶がある。「あらあら、どちらも鳥だったら、私たちはいったいどうしたらいいの?」と。結論は出ないが、今までのところ、とりあえず、まぁ、何とかなっている。老後は、一緒に放浪できたらいいのだけど。特別な計画なく、少し仕事もしながら、車で東北やら四国やらの温泉地を転々とするのが夢だ。

(2009年9月)

2009.06.12 ライフサイクル
おさがり

村本邦子

 娘が、私の「おさがり」を愛用してくれる。体型としては、娘の方が細長いけれど、意外に問題なく着れてしまう。そして、だんぜん、娘の方が良く似合う。基本的に、私は、かわいいもの好きだし、年齢の自覚なく、つい若向けを買ってしまうので、当たり前と言えば、当たり前であるが、同じ服を着ても、組み合わせのセンスが違うし、体型や雰囲気も違うので、まったく別物のように見えてしまう。

 私の子ども時代も、生活に余裕がなかったので、服を買ってもらうことはなく、母の手作りか、回ってきた誰かの「おさがり」ばかりだった。と言っても、母が、安いレースやビーズを見つけてきては、かわいく飾りつけしてくれたり、自分で「おさがり」の組み合わせを考えて、ファッションノートを作ったりしていたものだ。要するに、服は、単に着れたらいいというより、楽しむものだった。この姿勢は今も変わらない。

 今で言えば、リサイクルということになろうが、使い古したものに新しい命を与え、誰かから誰かへと受け継いでいくわけだ。考えてみると、子育てや教育にも似たようなことが言えるのではないだろうか。知識であったり、経験であったり、上の世代が獲得してきたものを次の世代に手渡すが、手渡された者は、必ずしも、それをそのまま使うわけではなく、時代や状況に合わせ、新しい自分なりの知恵として活用していく。

 子育てや教育が古い人のコピーになってしまうようなことがある。上の世代が、下の世代を自分の思い通りにしようと期待する場合だ。よかれと思ってには違いないが、これでは、下の世代が上の世代を超えることはできないし、時代の変化に柔軟に対応していくことはできないだろう。私も、だんだん年を取り、上の世代に属することが多くなっていくが、独りよがりにならないよう要注意だと、日々、自戒している。

 「おさがり」をそのままにでなく、新しいものを付け加えたり、組み合わせたりしながら、使う人の個性で、新鮮に蘇らせる。パッと眼には気づかれにくいが、よくよく見れば、他の誰かからもらったものを活かしていることがわかるというのが粋だな・・・と思う。

 よく、「息子しかいなければ母親はいつまでも若々しいままだが、娘がいると母親は早く老ける」と言うが、娘のファッションを見ながら、「こうして私も年を取っていくんだな~」と、それはなんだか嬉しいことのような気がしている。思えば、うちのスタッフたちも、仕事上の私のアイディアややり方の「おさがり」を拾っては、大事に生き返らせてくれているものだ。これっと、とっても幸福なことなのではないだろうか。それでは、私の人生のどの部分は誰の「おさがり」なのかしら?などと考えながら・・・。

(2009年6月)

2008.04.12 ライフサイクル
新車がやってくる!

村本邦子

 人の心は移ろいやすいもの。「自分は一生、絶対、やらない」と思い込んでいたのに、やるようになったってことがあるものだ。私の場合、ふたつある。ひとつは運転、ひとつはピアスだ。

 昔々、プレイセラピーでかなり長い間、おつきあいしたアスペルガーの女の子がいた。愛ちゃんというが、よく、「先生、運転しないの?運転しないと、大人になられへんで」と言われたものだ。愛ちゃんが住むところは、1人一台、車を持っているような地域だったので、大人はみんな運転していたのだと思う。なぜか、自分は一生、運転することはなかろうと思い込んでいた。

 ところが、どういうわけか、たまたま住むことになったところの駐車場が抽選で当たり、使うか使わないかという状況が訪れ、駐車場を使えるということは、かなり困難で特権的なことだということがわかったので、何を考えたのか、突然、運転免許を取ることにした。ちょうど息子が生まれたばかりで、同じく免許を持っていなかった夫と2人で、託児つきの教習所へ通い、苦労して免許を取った。

 子どもたちが小さかった頃は、よく車を使っていた。童謡をいっぱいダビングして、みんなで声を合わせ、繰り返し繰り返し歌いながら、あちこち旅行したものだ。子どもたちが学校に上がると、めっきり運転しなくなった。もともと、夫も私も運転が得意な方ではない。加えて、私は救いようのない方向音痴。迷いながら運転するので、危なっかしくて仕方がない。必要がなくなったこともあり、それから、まったく運転しなくなった。

 正確に言えば、ほんの一時期、なぜか急に運転できるような気がしてきて、運転し始めたことがあった。和歌山に二泊三日の旅行をした。帰る直前までスムーズにいって、かなり自信を持ち、「これからも時々、車で旅行することにしよう」と思ったのも束の間、環状線を降りるレーンを間違えて、あちこちからクラクションを鳴らされ、かなり恐い思いをした。それで、急に自信がしぼんで、再び運転しない状況に戻ってしまった。

 その頃、思っていたことがある。「運転できる」という感覚は、なぜか「自分が一人前の大人である」という感覚に近い。「愛ちゃんが言っていたことは、まんざら間違いでもないな」と時々、懐かしく思い出す。他の人はどうだか話したことがないので、もしかすると、これは、私だけの感覚かもしれないけど。私は、長い間、自分が大人であるという感覚を持てずに生きてきた(いまだに、とっても子どもっぽいところがある・・・)。大人の感覚は、初めて自分名義のクレジットカードを作ったとき、確定申告をするようになったとき、被扶養者でない健康保険証を持ったとき、少しずつ増えていった。運転も、明らかに、この延長線上にある。

 この春、生まれて初めて、外国でレンタカーを借り、自分で運転しながら旅をした。パックツアーでなしにハワイ島を旅しようとすれば、レンタカーを借りる以外に選択肢がないため、決死の覚悟だったが、ハワイ島は車も少なく、道もシンプルで、運転は快適だった。すっかり大人になった気分で、自信をつけて戻ってきたところ、なんと、留守中、夫が息子の引越しをしてやって、壁に当ててしまい、車は相当に悲惨な状態になっていた。修理すると50万かかるということで、いつもながら、いきなりだが、20年近く乗ってきた愛車を手放し、新車を買うことにした。

 子どもたちが大学を卒業したら、カーナビつきの新車を買って、あちこちの温泉地を旅して回るというのが私の夢だったが、なんと急な展開で、夢が実現することになった。ドキドキ・・・。新車は連休明けに来る予定だが、これからは、時々、運転して回るとしよう。今では、大人の感覚をもてないということはすっかりなくなったが、これで運転するようになったら、いよいよすっかり大人になれるような気がする。たぶん、最後のイニシエーションだ。

 「一生、やらないだろう」と思っていたはずのことが、いつのまにか当たり前のようにやることになる。人生とは不可思議なものだ。

(2008年4月)

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