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FLCスタッフエッセイ

2004.10.10 仕事
文化祭の季節に思う

西 順子

 10・11月は体育祭、文化祭の季節。子ども達が、体育祭や文化祭にクラスや仲間と一致団結して、一生懸命取り組んだり、笑ったり泣いたりしている姿は青春そのもので、輝かしい。私も学生時代は体育祭や文化祭が好きだったなぁと昔のことを思い出す。中学・高校時代の人形劇、お芝居、クラスの応援旗づくり、仮装行列、合唱コンクール、大学時代の定例コンサート・・、人と一緒に何かを創りあげること、目標に向かって力を合わすこと・・が結構好きだったなぁと。
 仕事のなかで、時々、そんな懐かしい感覚を思い出すときがある。
 今年前半では、6月末日の日本コミュニティ心理学会第七回大会。私は事務局長を引き受けたが、半年程前からいろんな人達と一緒に準備をすすめていった。こういう機会がなければ一緒に仕事をすることはなかったであろう方々とご一緒させていただいたことは、社会勉強にもなった。無事大会当日を迎えたが、大会の三日間はあっという間に過ぎた。三日目の最終日、盛況のうちに終ろうとしている・・とほっと安堵感と共に後片付けを始めていた時、会場を後にする名前も知らない会員の方々から「いい学会でした。ありがとうございました」「学会らしい学会でした」と暖かい一言をかけていただいた。よかったぁ、とほっと心から嬉しい気持ちになった。人に喜んでもらえたことで、全ての苦労が報われる気持ちだった。
 今年後半では、研究所の仕事として企業研修に取り組んだ。準備から実施まで何ヶ月かかけてスタッフと共に取り組む過程は刺激的であった。
 皆で協力しながら学びあえる過程、何かを創り上げる過程、目標に向う過程は面白い。ただ、学生時代と違うのは、責任が伴うということ、あるいはその責任の重さだ。最後まで責任を負うことで、より自分の体験として根付くことができるのだと思う。その過程は楽なことではないけれど、でも楽しみながら、面白がりながら、仕事をしていければと思う。

(2004年10月)

2004.08.10 トラウマ
「戦争とトラウマ」を考えて

西 順子

 今年の年報では、「戦争とトラウマ」をテーマとして取り上げることとなった。私は「戦争体験の語り継ぎと次世代」について考えてみたいと、語り継ぎについてのインタビューを行った。6月には、広島を訪問し、平和記念資料館も見学したが、自分が知らなかった原爆の真実を知り、衝撃を受けた。その体験については年報に書いているが、もっと歴史から学ばなければと、今年の夏は戦争に関わるドキュメンタリー番組などを見ている。今回は、その中から印象に残ったことを書いてみたい。
 8月1日、『NHKアーカイブス・ヒロシマの記憶「これがヒロシマだ~原爆の絵アメリカをいく」1982年(昭和57年)』をみた。被爆により全身に大火傷を負った松原美代子さんは、「原爆の絵」を携えて、アメリカ人に原爆の絵を見てもらい、国連に軍縮を訴えるために渡米し、各地を訪問している。原爆の絵は、松原さん自身が書いた絵も含めて広島市民が書いた絵であるが、それは、人間が住む世界とは思えない光景の絵である。「体験を語るのは辛いし、私の話を聞くことは皆さんにとってもきっと辛いことだと思います。でも、過去を振り返ればよりよい未来を築け、同じ過ちを繰り返さないですみます」とゆっくりと英語で、声を絞り出すようにスピーチする松原さんの姿は印象的だった。松原さんはご自身のことを「ヒロシマ・サバイバー」と呼んだが、サバイバーとしての叫びと願いが伝わってきた。
 訪問先での、ハイスクールの学生も印象的だった。「アメリカ人がそんなことをしたの、悲しいわ」という女学生。他人事ではなく、自分の国がしたこと率直に受けとめた。「アメリカ人を憎んでないの?」という質問に「昔は憎んでました。○○さんに出会って(一緒に各地を訪問してくれている方)、アメリカ人でもこういう人がいると思ってからは、アメリカ人ではなく戦争を憎むようになりました」と答えた松原さん。一方で、地域によっては、出演したラジオ番組には抗議と非難の電話が鳴り止まなかった。「日本はアメリカの傘の下に入って、守ってもらっているくせに」「戦後日本は平和が続いてるじゃないか」・・など。それでも、「絵を見てもらえればわかってもらえずはず」と決して希望を失わない松原さんが印象的だった。現在は、70歳を超えたというが、「私に残された時間はあと少ない」と今も年に二回は海外を訪問し、平和を訴えているという。
 8月8日は、読売テレビ『ドキュメント'04「逃亡者の遺言」』をみた。渡辺さんは現在90歳、大阪に住まうが、戦争当時は沖縄の陸軍兵士だった。「もういっぺん久米島にいってね。あんなことあった、こんなことあったということを、辛い思い出、思い出したくないような思い出ですけど、一辺行って、本当に申し訳ありませんでしたということを言いたいんです」と、真実と向き合うために渡辺さんは久米島に向かった。
 沖縄戦末期、米軍が迫ってきており、このままでは殺されると思った渡辺さんは、突撃の数日前に、7人で海に逃亡した。当時は「この地獄から抜け出したい、きれいな海で死にたい」と思ったが、「逃亡した負い目が今でもある。今でも死んだ兵隊に申し訳ないと思っている」という。漂流してたどり着いたのが久米島。久米島では、住民が渡辺さんを温かく迎えてくれ、ない食料を分け、病気の手当てをしてくれた。でも、そこで渡辺さんが見たのは、海軍通信隊の住民虐殺だった。通信隊の疑心暗鬼から、スパイ容疑とみなされたものは即刻処刑されたが、それは4家族20人という。渡辺さんは、同じ時期、同じ島にいながら、通信隊の行動を止めれなかったことに後悔が残ると話す。犠牲者の遺族を尋ねた渡辺さんは、「本当に申し訳ありません。日本の兵隊の1人として、心からお詫び申し上げます」と謝罪された。また、島の高校では、当時のことを語り、若者に向かって「私の遺言として、戦争とはどういうことか、国家とはどういうことか、本当に真剣に考えていただいたら・・と思う」と話された。渡辺さんの「申し訳ない」という言葉に、今も背負う罪悪感、苦しみの重さを感じる。最後に、島の人々に温かく迎え入れられ、涙を流されたことも印象的だった。
 松原さん、渡辺さん、心に深い傷を負いながらも、戦争の被害、戦争の加害の側面に向き合い、人と向き合おうとする人がいることを知った。マスレベルで起こった戦争を、体験した一人の人間として、未来への願いを込めて、語り継いでいこうとしている人がいる。そうした人々の声にもっと耳を傾けていきたいと思う。歴史は繰り返すといわれるが、悲劇が繰り返されないように、歴史の真実から学んでいきたい。
今年11月発行予定の年報14号、ぜひ、1人でも多くの皆さんに読んでいただけたらと願っています。


(2004年8月)

2004.02.10 こころとからだ
自転車は相棒

西 順子

 先日、春一番が吹き、突然の突風に出くわした。傘をさして自転車に乗っていた私は思わず自転車ごとこけてしまった。自転車を自由自在に乗りこなしているつもり?!だったので、それは結構ショックだった。
 自転車は私にとって相棒ような存在だ。毎日の生活に欠かせないものでもあることはもちろん、体に馴染んだ乗り物でもある。だから、ショックだったのかな?
振り返れば、子ども時代の記憶のなかでも、自転車にまつわるエピソードは印象的な記憶であり、時々懐かしさと共に思い出されるものである。
小学生の頃、両手をハンドルから放してどれだけ運転できるか、自分に挑戦するのを楽しんでいた。
高校生の頃は自転車通学だったが、雪が積もった日にも自転車に乗って、雪道をすべって何度もこけながら登校したこと。夏のクラブの合宿のために、布団を学校まで運ばなければならなかったが、うちには車がなかったので、自転車の後ろに布団をくくりつけて、よろけながらも学校に運んだこと・・etc。
 なぜ、自転車にまつわるこうしたエピソードをよく覚えているのかなと不思議だったが、今、自転車は私にとって自己コントロール感を高めてくれるような存在だったのかなと気づいた。確かに、自転車を自由自在に乗り回すとき、心地よい感覚、力強い感覚を味わうことができたなと。
 
今も、自転車に乗るのが好きである。自転車で30分以内の距離なら、電車より自転車を選ぶ。歩くよりも適度にスピードが出るところもいい。雨が降ろうが、多少の台風でも自転車のほうがいい。街のなかを自転車でうろうろして、時には知らない道を走ってみるのも楽しい。どの道とどの道がつながっているのか発見し、道をつなげて、頭に地図を描いていくのもおもしろい。近道を発見したときには、得した気分にもなる。素敵なお店を見つけたときも嬉しい。
最近は、自転車で寄り道したり、ぶらぶらする時間がないが、たまにはふらっと自由に走り回ってみたい。でも、自転車が体に馴染んだ乗り物だからといって、おごり高ぶってはいけないな・・と、先日自転車からこけて気を引き締めた。
暖かくなったら、サイクリングにでも出かけてみようかな・・。

(2004年2月)

2003.12.12 コミュニケーション
クリスマスのしあわせ

村本邦子

 12月に入ると、街はいっせいにクリスマスに衣替えする。いっときは、11月に入ると同時にクリスマス戦略が始まっていたが、不況のせいか、最近また、12月を待つようになったようだ。クリスマスの雰囲気は、なぜだか、しあわせな気分をもたらしてくれる。
クリスマスと言えば、家族の暖かい思い出と結びつくからだろうか。私が子どもの頃、ケーキを食べるのは、誕生日とクリスマスくらいだった。ショートケーキがなかったわけではないが、デコレーション・ケーキに火をつけ、家族で切り分けて食べるというのは、特別に楽しいイベントだった。それからクリスマス・プレゼント。誕生日は自分だけがプレゼントをもらうわけだが、クリスマスはもらうだけでなく、あげるのも楽しみのひとつだ。「今年は誰に何がいいかな~」と考えるだけで、わくわくしてくる。そういう意味で、クリスマスは、大切な人々のことを思いやり合う、愛に満ちた日でもある。これに加え、サンタクロースの物語は、もっと普遍的な愛の感動を与えてくれる。クリスチャンでなくても、そんな愛を感じることができるからこそ、なんだか、しあわせな気持ちが呼び起こされるのではないだろうか。
 裏返すと、そんな愛を感じることができない状況にある人たちにとって、クリスマスは苦痛に満ちた時期となる。自分が悪いわけではないのに家族とうまくいっていなかったり、孤独だったり、いろんな事情で、クリスマスを祝う余裕がない状況におかれている場合などだ。クリスマス商法に煽られて、クリスマスとは恋人に高価なプレゼントをあげるものだ、カップルで洒落たレストランに行かなければならないと信じ込まされている場合も、プレッシャーだろう。クリスマスが辛いという相談はたくさん聞いてきた。
 宗教心抜きにクリスマス行事に乗っかることには賛否両論あろうが、私には、身近な人、あるいは、名も知らぬ人、誰か他の人のことを思う愛の実践の日と捉えることができたら、それで十分に宗教的なんじゃないかな~と思える。クリスマスには、愛をもらうことより、誰かに愛をあげることを考えることができれば、ひょっとして、皆にしあわせが訪れないかな?プレゼントだけでなく、身近な人に暖かい言葉をかける、街で困っている人に声をかける、募金する、道行く人に笑顔を送る、一人で夜空の星に平和を祈るだけでも良いかもしれない。何でも良いから、他の誰かのことを思いやるのだ。
 暗いニュースが続く昨今、私も、クリスマスには、この美しい惑星の平和を祈って、しあわせな気分を味わえたらなと思っている。

(2003年12月)

2003.12.10 子ども/子育て
子どもに学ぶ~人とのつながり、そして平和

西 順子

 先日、子どもの友達の母親から、中学生の娘が学校で「喧嘩の仲裁にはいった」という話を小耳にはさんだ。えっ、何のこと?と、早速、家に帰って娘に聞いてみた。「学校で喧嘩をとめたって聞いたけど、何があったの?」と。

 娘から聞くところによると、教室で男子二人が殴りあいの喧嘩をしていたという。周りにいた子たちはそれを見ている状況だったらしい。喧嘩に気づいた娘は、咄嗟に「あんたら、何してんの~!」と二人の中に割って入ったと言う。同時に、他の男子も止めに入り、そこで喧嘩は終わり、あとは皆で教室を片付けたという。

 その話を聞いて、えっ、なんでそんなことができるの?と驚いた。娘に「怖くなかったん?」と聞いてみた。娘は「自分も殴られるかと思ったわ~」と、あっさり。それを聞いて、また驚く。自分が殴られると思っても、喧嘩をとめに入れるものなのか・・と。思うに、娘は頭で考えている暇もなく、咄嗟に体が動いたのだろうと。しかも、そのことを特別のことと思うのでもなく、ただ淡々と日常の出来事として話してくれたことにも驚く。そしてまた、喧嘩していた生徒はその後先生に怒られたと言うが、その生徒に対して「でも、友達やからな~」と、声をかけたと言う。それにもまた驚いた。

 私には出来そうにもないこと、それをいつの間にか子どもは当たり前のことように淡々とやってのけていた。喧嘩を止めたのは、勇気を出したのでも、正義感からでもなく、ただ、子どもにとって、クラスの人は「友達」、ただそれだけのことだったようである。

 この話を聞いて、子どもは親が思っている以上に親から離れて、自分と人、世界とのつながりをつくり、そのつながりの中でしっかり生きているんだなと思った。私が子どもに繰り返し伝えてきたこと、「自分を大切に、人も大切に」を、子どもは親の意図を超えて、しっかりと自分のものにして生きているんだなと思うと、子どもがまぶしい。勉強、将来のことなど、まだまだ心配なところはたくさんあるけれど、それでもきっと、周りの人と共に、この世界にコミットして、何とか生きていけるだろう、と思えた。

でも、世界の情勢は不安定である。日本のイラク派遣、今一番気になる問題である。人の命が、ないがしろにされることに、憤りを感じる。命より重いものはない。子どもたちの未来の平和と安全を守りたい。私に何ができるのか、子どものような率直な行動力が私にはあるのか・・と問われているような気がする。

(2003年12月)

2003.10.10 コミュニケーション
ほっと一息の瞬間

西 順子

 「否定的な瞬間の7倍は肯定的な瞬間があること」、それは長続きしている夫婦の共通点だという(『もっとうまく怒りたい!~怒りとスピリチュアリティの心理学』より)。初めてその言葉に出会った時、「ああ、そうか」と腑に落ちる気持ちになった。親密な関係が長続きするためには、何かすばらしいこと、大きなことをしなくてはならないのではなく、肯定的な「瞬間」をもつという、ちょっとした日々の努力とその積み重ねが大事なんだ・・と教えられた。それは否定的な瞬間をなくすことではない。否定的な瞬間があることを認めた上で、肯定的な瞬間を大事にしようとすることだ。

 それは、夫婦関係に限らないと思う。人との関係もそうだし、日々の暮らしもそうなのではないかなと。幸せとは漠然としたものではなく、肯定的な瞬間そのものにあるのかもしれない。否定的な瞬間の7倍は無理でも、せめてその倍は肯定的な瞬間を感じていたい。

月曜日から土曜日まで、私の毎日は、ほぼ研究所と家との往復。毎日、好きな仕事ができるのは幸せなことだと感謝している。でも、ついつい仕事と生活、時間に追われそうになる。だからこそ、セルフケアのためにも、ほっと一息できる肯定的な瞬間を大事したいと思っている。

 自転車に乗りながら、気持ちいい風を感じるとき・・
 ほっと一息のコーヒータイムのとき・・
 好きな音楽を聴いて心なごむとき・・
 家族とふざけて冗談をいいあうとき・・
 好きなサイトや雑誌を見て、目の保養をするとき・・
 ふらふらと好きな雑貨店に立ち寄るとき・・
 普段よりちょっと凝った料理をつくって、おいしかったとき・・
 テレビのワンシーンに思わず泣けてくるとき・・
 もちろん、大笑いするときも・・

瞬間ではなく、ほっとできる、まとまった時間もあればもちろん嬉しい。

 先日、私の誕生日に夫と一緒に半日ぶらぶらと出かけた。用事のためではなく、ぶらぶらと夫と二人で出かけるのは何年かぶりだった。ほっと一息の瞬間を人と共有できると、ほっとした気持ちも倍になるんだなと感じた。

 面接室でも、ほっと一息の瞬間を共有できたらいいなぁ・・。今これを書いていて、ふとそう思う。
そんな時間が好きだ。
これからも、そういう瞬間を大切にしていきたいと思う。

(2003年10月)

2003.09.12 トラウマ
トラウマ・キルト・プロジェクトの夢

村本邦子

 イギリス視察に先立って、アイルランド、スコットランドの友人を訪ねた。どちらも博士課程をしていた時の同級生でアメリカ人。ジニーは、現在、「フォト・セラピー」をやっていて、アイルランドの大学の先生と共同研究中、この8月から1年間、アイルランドに滞在している。「フォト・セラピー」とは、彼女が創ったグループ・セラピーの一種で、ジーナ・ケリーという女性写真家の写真(全部白黒で、少女と大人の女性のミステリアスな写真ばかり)を元にストーリー・テリングをするというものだ。一種の投影法でTATに似ているが、検査ではないので特別な分析をせず、アート、夢、箱庭のように、ストーリー・テリングをすること自体が治療的に働くという。ジニーは、もともと、ヒーリング・セレモニーをやっており、トーク・セラピーよりも、イメジネーションを使ったセラピーを好む。
 ダブリンでジニーと落ち合い、アバディーンのダンを訪ねる。ダンはインターナショナル・スクールの校長先生。ダンのパートナーであるキャロがパッチワークに凝っていて、自宅には素晴らしいキルトの数々があった。キルトとは、まさに芸術だということを思い知った。私自身、針仕事や編み物が好きで、かつてから興味あったが、いつも時間がないので小さなものしか作ったことがない。ところが、今回ばかりはすっかりキルティングの虜になってしまった。キャロの持っているキルトの本を見ているうちに、印象的なキルトの写真に眼がとまった。タイトルは「ブルー」。アメリカのキルト作家の作品で、解説を読むと、彼女は自分の夢からイマジネーションを得てキルト作品を作っていたが、あるトラウマティックな体験を機に、まったく夢を見れなくなってしまったのだという。再び夢が戻ってくることを祈って、この作品を作ったところ、本当に夢が戻ってきたのだそうだ。なるほど、そんなこともあるかもしれない。キルティングが心の傷を癒すことは容易に想像できる。チクチクと針仕事をすることは、瞑想的な意味を持っているし、さまざまな色や模様の布を組み合わせて表現すること自体が治療的に働くことだろう。トラウマの記憶は断片化し、それぞれの断片は、ひとつのものに統合されることを求めている。最後に大きな作品が出来上がることは、達成感や満足とつながるだろう。これを、トラウマを受けた女性たちの共同プロジェクトにしたらどうだろう。それぞれのキルトのピースをつなげてひとつの作品が出来ることは、女性同士のつながりや連帯を象徴するに違いない。
 話をしているうちに、ジニーも私も、このアイディアにすっかり夢中になってしまった。国境を越え、言葉の壁や文化の違いを越え、トラウマを受けた女性たちで大きな作品を作ったらどんなに素晴らしいことだろう!エイズのキルト・プロジェクトのように、作品自体が訴える力を持つことだろう。ジニーとは、このプロジェクトを近いうちに是非成功させようと誓い合って別れた。このプロジェクトに興味ある人、誰かいないかな?

(2003年9月)

2003.07.12 子ども/子育て
懇談の季節に・・・

村本邦子

 1学期の終わりは、子どもたちの懇談が相次ぐ。どちらかと言えば私は優等生タイプだったので、親は鼻が高かったろうと思うが(たぶん・・・)、自分の子たちが同じとは限らない。忘れ物が多い、提出物が出ていないなど学校側の苦情が多く、いつも親は平謝りという感がある。とくに、今回は、1ヶ月も前に渡したはずの海水パンツ代をやっと今日出したとか(本人は一時行方不明になってたと言うが、使い込んでいたのではないか!?)、お便りプリントを4月からかばんの中にためこんで、整理しなさいと怒ったら、「きれいになりました」と見せたはいいけど、すべて単純にゴミ箱にいっただけだったとか(注:せっかく毎月先生が発行してくださっていた学級通信を含む。本人はまったく悪気なし。この件では、こてんぱに叱られて帰ってきて本人もめげていたので聞き及んでいたが)。受験生というのに内申書はどうなることやら・・・。
 それでも、子どものことをよく理解し、本人の課題をきっぱりとわかりやすく伝えてくれたと思う。子どもたち2人を合わせると、すでに十数人の担任を経験してきたが、概して良い先生が多かった。これまで当たった先生方も、それぞれに、子どもたちの良いところを認め(いろいろあるけど、2人ともとっても良い子たちなのだ!)、乗り越えなければならない課題を示してもらってきた。困った教師の話を身近でも耳にすることはあるが、全般的には、まだまだ子どもたちのために頑張ってくれている先生方が多いのではないだろうか。今の時代、親世代が自分たちの経験により、すでに学校や先生に対して不信感が強いため、PとTがうまくいかないと聞く。私の場合は、自分が優等生タイプで先生に酷い目にあったことがないから、単純に受け入れているだけなのだろうか?
 学校に媚びるつもりはない。どうしてもおかしなことがあったら、異議申し立てをし、闘うつもりはある。必ず学校に行かなければならないとも思っていない。それでも、子どもたちに大きな責任を負っている親と教師が信頼関係を結び、地域で子どもを育てていく覚悟が必要なのではないかと思う。悲惨な事件があるたびに、親と教師が互いをバッシングするような中では、子どもたちが健全に育とうはずもない。中におかしな教師がいることは、仕事上よく知っているが、仕事で出会う先生方のほとんどは子どもたちのためにと一生懸命だ。心ある教員たちと一緒に、子どもたちの未来を考えていきたいと思う。

(2003年7月)

2003.05.10 いのち
自然の声に耳を傾ける

西 順子

最近、「自然」ということについて考えることが多い。一人で、「自然」についてあれこれと、いろんな思いを巡らしている。

「自然」について考えるようになったきっかけは何だろう、自然の力のすごさを実感するようになったのはいつだろう・・と振り返ってみると、思い出すのは三年前と一年前のアートセラピー体験である。三年前は大学院の授業で、一年前は芸術療法家によるワークショップであったが、いずれも自然の声に耳を傾け、自然との対話によって感じたままを絵に表現するというものであった。今から思えば、その時の自分のなかにある、言葉では言い表せない何かを表現することで、実感をもって「自己」を感じられた体験だったといえるだろうか。三年前は、桜の木と対話し、桜の花びらが散る様子に悲しみを感じながらも、大地からひこばえが育ちゆく姿に喜びを感じ、それを木の絵で表現した。それは、自分の人生のサイクルの一つが終わり、また新たなサイクルへと踏み出す、人生の節目にいる「私」を実感させてくれるものであった。新たなものとの出会いは、何かとの別れでもある。一年前は、京都鞍馬の山のなかでの体験だが、ふかふかした落ち葉の柔らかさとその下にある土の湿った暖かさ、そしてその大地のパワーを吸収している木を感じて、それを表現した。暖かいエネルギーを吸収している木のイメージによって、自分自身のなかにも暖かく、わき出るエネルギーを感じることができた。自然の声に耳を傾け、対話することで、自然は私たち人間を癒してくれるだけでなく、力を与えてくれるものであると実感した。自然とは、生命であり、エネルギーである。自然は私たちに生命のもつ力を教えてくれる。

また、自然は、私たち人間そのものでもあると、最近、実感している。カウンセラーとして仕事をするなかで、人間のもつ自然の力、生命の持つ力に感動する。自然のもつエネルギーが何らかの要因でせき止められる時、生体に何らかの弊害が生じても不思議ではない。それは症状であったり、何らかの病気であったりするかもしれない。しかし、それも自然だからこそ、である。人間のエネルギーがせき止められる時とは、ショックな出来事との遭遇であったり、ストレスが溜まりすぎていたり、「~あらねばならない」と自分を縛ったり、「自分は駄目だ」「自分が悪い」と自己否定しまうような時だったりするだろう。でも、生命のエネルギーが自然に、あるがままに流れるとき、生体はもっとも生命力を発揮する。そのためには、あるがままの流れ、自分のなかにある自然を信じ、大切にすることが必要だ。カウンセリングでは、自然な流れの回復のために、ちょっとしたお手伝いをしているにすぎない。もともと、自然がもつ力、生命がもつ力は誰もに備わっているのだから。

自然とは、循環そのものでもある。季節は巡る。木が育ち、木の葉はまた落ち葉となって、大地にもどっていく。そしてまた、その大地からエネルギーを吸収して木は育つ。自然の循環によって生態系が保たれる。人間という生体も、血液、体液、呼吸・・と循環によって生命が維持される。東洋医学では、エネルギーを「気」と呼ぶようだが、生体のなかでエネルギーも循環している。と同時に、人間と自然、人間と人間の間にも循環があるのではないだろうか。人は自然からエネルギー、パワーをもらうが、人からもエネルギーをもらうものである。私も、人からたくさんのエネルギーをもらっている。それは、生命がもつ力への感動、成長し育ちあうことの喜び・・であったりする。自然から人へ、そして人から人へ、人から自然へと、プラスのエネルギーや力が伝えられ、与えあって、よりよい循環ができれば、自然も人もあるがまま生きやすい生態系になるのではないか・・と夢想する。

あるがまま、自然の声に耳を傾けることを大切にしたいと思う今日この頃である。

(2003年5月)

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