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FLCスタッフエッセイ

2011.02.10 トラウマ
恐怖症の克服

西 順子

 つい最近まで飛行機恐怖症だった。怖くても、飛行機に乗ることを回避することはなかったが、一人では乗れなかった。一人で乗らないといけないような状況もなかったが、家族旅行などで乗る時は、決死の覚悟を決めて乗っていた。それが、一年前から一人で乗る必然性が生じた。そして昨年ようやく一人で飛行機に乗れるようになった。

 初めて一人で乗れたのが愛媛行きの飛行機。講師の仕事のために一人で搭乗したが、ほぼ平常心を保ちつつ、無事に空港に降りたったときのしみじみとした感動は忘れない。一人でタラップを降り、地上を歩いているとき、「乗り越えられたんだ」という穏やかな喜びを味わった。いつの間にか恐怖を克服できていたことが嬉しかった。

 自分の恐怖体験とその克服の過程から、たくさんのことを学んだ。この場を借りて、自分の体験と学んだことを振り返ってみたい。

 飛行機恐怖症になったきっかけは、1995年の阪神大震災である。それまで何も思わずに普通に飛行機に乗れていたのだが、震災以降、飛行機に乗るのが怖くなった。震災直後、電車で揺れたときに一瞬恐怖を感じる、ということが数回程度あったと思うが、いつものように乗り物には乗ることができていた。でも、なぜだかわからないが、飛行機にだけとても恐怖を感じるようになってしまった。

 私自身が震災体験で直面したのは「大きな揺れ」だった。一瞬何が起こったのかわからない、15階建ての鉄筋コンクリートの建物がゆっさゆっさと揺れることは想像を絶していた。ゴジラが襲ってきたのかと錯覚するような「怖い」体験だった。だから、飛行機が怖いのは「揺れる」のが引き金になっていると理解していた。でも何も被害にはあっていないのに、「こんなに怖がるなんて変」と恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちでもあった。

 「揺れへの恐怖」が「死の恐怖」とつながっていると理解したのは、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理)のトレーニングでだった。EMDRはPTSD(外傷後ストレス障害)に効果があるとされるトラウマ治療法だが、トラウマ臨床に役立てればと、2000年に最初のトレーニングを受けた。実習では、自分自身の不安体験を扱うが、私は「震災での揺れ」を取り上げた。震災体験時の記憶をイメージして、眼球運動を行うなかで、驚いたことに震災にまつわる他の記憶も出てきた。出てきた記憶は、震災から10日後の頃、ボランティアとして被災地に出向いたときに、そこで目撃した光景だった。起こっている出来事に対して、自分はあまりにも無力であった。大阪に戻ってきた時にも神戸と大阪のギャップに茫然とした。そのいくつかの光景を思い出したとき、私にとっての震災体験には、神戸に入ったときに体験したことも重なっていると理解した。そして、「大きな揺れ」に直面したとき、一瞬「死ぬかもしれない」と感じたのだと気がついた。

 日常生活のなかでは、そのような恐怖を感じることはなかったが、飛行機に乗ったときにだけ「もしも何かあったらどうしよう」と死の恐怖に圧倒されそうになるのだと理解した。今までオブラートのように自分を守ってくれていた「世界に対する安全感、信頼感」に亀裂がはいったということだと理解することができた。

 トラウマ反応は、「いかなる状況でその出来事を体験したか」という個人の主観体験(意味づけ)が大きく影響すること、誰もが「予期できず、防衛不能」という恐怖の状況に曝されるとトラウマを被る、と言われている。人と比べずに、私にとっての恐怖体験を認めてあげてもいいのだと受け入れることができた。

 でも、原因がわかったからといって、恐怖がなくなるわけではない。恐怖モードのスイッチが入るのは、空港についてから。「怖い。嫌だ。大丈夫やんな?」と一人でぶつぶつ。家族は夫も子どもも怖がらないので、ニコニコしながら「大丈夫って!!」と励ましてくれる。

 飛行機に乗っている間は、自分を落ち着かせるために、臨床のために学んだ方法をいろいろ使ってみた。2003年頃は、木村拓哉主演のテレビドラマ「GOOD LUCK!」を毎週欠かさず見ていたが、フィクション・ドラマとはいうものの、空の安全のために日々努力している人がいることを知ることはとても役立った。飛行機に乗っているときは、テレビドラマの映像を思い出し、主題歌「RIDE ON TIME」の音楽を思い出し、肯定的なイメージを思い浮かべるようにしていた。一種のイメージトレーニングだった。また、認知行動療法を学んでからは、「もし・・したらどうしよう」等、頭に浮かぶ否定的な認知にストップをかけていた。そして、2年前からトラウマ治療法のソマティック・エクスペリエンス(SE)を学び、飛行機に乗っている間も呼吸に注意を向けて呼吸を整え、身体が落ち着いている状態で「今ここに」いられるよう意識を向けていた。

 昨年はSEトレーニングで、自然災害についても学んだが、自然とのつながり、大地とのつながりを取り戻すことが大事であると聞いて、なるほどと思った。近年、大自然と接すること、スピリチュアルなものとのつながりに心惹かれていたので、とても納得した。

 それと何より「慣れる」ということが大事なこともわかった(曝露療法とはこういうことなんだと納得した)。昨年から飛行機に乗る機会が増えることで、次第に慣れていくことができた。慣れるために、とても助けになったのは、安心できる人がそばにいてくれたことだった。家族旅行のときは夫や子ども、仕事や学会・研究活動のときはFLCスタッフが必ず一緒だった。皆「大丈夫!!」と笑顔で受けとめくれて、そして傍にいてくれた。そして、数時間の恐怖を乗りこえたあとは、旅行は楽しく、研究活動もとても楽しく有意義な時間を過ごすことができた。

 そして昨年、初めて一人で飛行機に乗る必然性がでてきたとき、冗談半分に夫を誘うと、夫は乗り気になって観光目的で同乗してくれた(現地では別行動。私は仕事)。そしてようやく、愛媛に行く時には「一人で乗れる」と思えた。そして、無事一人で乗ることができた。

 怖いけど、恐怖を避けることなく「慣れる」までこられたのには、安心できる人のおかげであると、今つくづく感謝の気持ちである。

 今年に入っては、長崎、熊本に飛行機で行ってきた。熊本から帰りの便では、窓から外の景色をしばらく眺めることができた。ドキドキしながらも、暗闇のなか、雲の上で光り輝いている月を見ることができた。とても綺麗だった。

 一人で搭乗できると言っても、怖さが全くなくなったわけではない。今、一人で搭乗するとき、私の安心の拠り所は、客室乗務員さんである。そして機長さんである。揺れると今でもちょっと怖いが、客室乗務員さんの、笑顔で落ち着いた物腰をみると、「大丈夫」と安心することができる。また機長さんの機内放送に、「安全を守ってくれているんだ」と信頼を寄せることができる。

 恐怖症の克服には、いろんな療法を取り入れることも役に立ったが、何よりも助けとなり、また今も助けられているのは、安心できる「人」がいることである。人と安心感と信頼でつながることで、「今ここ」に安全を感じられる。今ここに生きていることに感謝の気持ちである。

 カウンセリングでは、来談された方が、不安、恐怖、回避・麻痺、解離など、さまざまなトラウマ反応を乗り超えていけるよう、まずは安全な場所を作り、さまざまな療法を使いながらも、安心できる「人」として存在し、安全へとナビゲートしていけるよう心がけている。

 トラウマの回復とは「つながり」を回復することである。治癒がおこるのは本人のもつ自己治癒力であり、それは自分自身とのつながりを回復することであり、家族や友達、周りの人々など、安全で安心できる人とのつながりを回復していくことでもあると思っている。

(2011年2月)

2010.12.10 コミュニティ
2010年を振り返って~女性ライフサイクル研究所設立20周年

西 順子

 あっという間に、今年もあと一カ月。昨年年末もエッセイの順番がまわってきて、一年を振り返って思うことを書いたが、あれから一年、月日のたつのは本当に早い。年々早くなっているような気がするが、自分のエネルギーがうまく使えていることかなと思うと、有り難いことである。

 さて、今年はどんな年だったかな・・と振り返ると、やはり一番大きかったのは、今年は「女性ライフサイクル研究所・設立20周年」の節目だったこと。今年の年明けから、年報20号発行に向けての話し合いが始まったが、年報執筆の作業と並行しながら、この20年を振り返ってきた。

 特に私は、研究所の活動をまとめたいと思ったので、過去の年報を読んでみたり、当時のことを思い出したりしながらだった。ここまで来た道のりを振り返り、「今ここ」にいる地点を確認し、これから先をどう展望していくか、過去・現在・未来を行ったり来たり・・する作業だったように思う。

 秋には、無事に年報20号を発行し、設立20周年イベントも開催し、とても大きな節目となった。20周年イベントの日も、過去・現在・未来を同時に感じる場であった。イベントでも、年報20号でまとめた「研究所20年の歩み」に添って、「20年の活動報告」を発表したが、過去の歴史をたどることで、今にしっかりと根をおろせることを更に実感した。

 しかも、仲間と一緒に、歴史を積み重ね、「今ここ」にいるという有り難さと幸せを実感した。

 さて、これから先はどうしていこうか。今、私がここにいて幸せを感じられるのは、人とのサポーティブな「つながり」や、安全の基地となる「場」があるからこそである。これから先の展望についてはまだ具体化していないが、「もっとこんな場があればいいな」「安全に、人とつながれて、喜びを感じられるような、こんな場を作れたらいいな」と漠然と感じている。私の活動のテーマは「女性と子どものトラウマからの回復」。女性や子どものトラウマからの回復のために、「安全でサポートティブな場」「安全でサポーティブなコミュニティ」を創っていければいいな、拡げていければいいなと、未来への希望をゆっくりと温めていきたい。

 今年の締めくくりのエッセイを書き終えて、昨年はどんなこと書いたかなと、一年前のエッセイを読んでみた。なんと、同じようなことを書いている!思うことはあまり変わってない!? 今年は一歩進んで具体化できるといいな。

(2010年12月)

2010.11.12 ライフサイクル
お弁当の楽しみ

村本邦子

 子育て終了後、出張や夜遅くまで仕事をすることが日常になってしまって、どうしても外食ばかりになる。たまの外食は楽しいものだが、1日3食外食ともなれば、もううんざり。それで、最近は、できるだけお弁当を持っていくことにしている。朝、家から出勤できること、昼、座ってお弁当を食べられることが条件だが、週2~3日は決行できる。まずは、かわいいお弁当グッズを揃えた。和風の二段式弁当箱と、お揃いの組み立て式のお箸。

 メニューであるが、1段目のご飯。白ご飯は愛想がないので、ゆかり、わかめ、シャケ、野沢菜など、混ぜるだけの簡単なものを。時には、じゃこご飯や季節の炊き込みもする。2段目のおかずは野菜中心。頻繁に登場するのは、卵となす。理由は単に私が好きだから。出し巻き卵にすることが多いが、あおさ入りの卵焼きにしたり(伊勢志摩のホテルで食べて以来、気に入ってお気に入りメニューとなった)、細かく刻んだ野菜を入れてオムレツ風にすることもある。ニラやきのこの卵とじもいい。なすは油でいためてしょうが醤油、もしくはだし醤油をからめるか、もしくは甘辛く味付けてしまう。豚肉で巻いたり、ひき肉と一緒にするとまたおいしい。

 焼き野菜も多い。かぼちゃ、れんこん、しいたけ、ピーマン、きのこ、人参など、色とりどりの野菜を一切れずつフライパンで焼くだけ。もやしと細かく刻んだ小松菜とか、青梗菜とえりんぎの組み合わせで炒めたものもおいしい。だいたいはシンプルに塩・胡椒で味付けするが、時には中華風にすることもある。たまにはウィンナーやシーフードも一緒に。サラダ類はあまり多くないが、春菊とツナ、ポテトサラダ、きゅうりとソーセージ、ブロッコリーなどなど。あとは、お弁当の定番と言える焼き鮭、ほうれん草のおひたし、きゅうりと大葉の塩もみ。きゅうりと茗荷にじゃこの組み合わせもおいしいな。

 子どもたちのお弁当を作っていた頃は、必ずと言っていいほど揚げ物が登場したものだが、最近ではめっきり登場しなくなった。何しろ、外食が嫌でお弁当にするのだから、素材を活かしたシンプルなものがいい。それに、時間のない朝だから、10分以内で作れること。朝食を食べながら作るのだ。一人分しか作らないので、煮込みものはしないが、そろそろ寒くなってきたので、晩御飯の残りメニューもこれからは活躍するはず。かぼちゃを焚いたり、筑前煮とか、ロールキャベツとか。具だくさんの混ぜご飯が大好きなので、前夜も家で作れる時にはお弁当の分も作っておけるだろう。

 自分で食べるものを自分で作って食べるというのは良いものだ。自分が好きなものを好きなようにして好きなだけ食べられるのだから。どってことない当たり前のことかもしれないが、今の私にはささやかな楽しみである。

 

(2010年11月)

2010.09.10 こころとからだ
ドキドキとワクワクは、生活のスパイス

西 順子

 子どもが成長し、子育ても終わりに近づいてきていることもあり(家には受験生の娘が一人)、一日のなかで仕事の割合が増えていっている(仕事ができるというのは本当に有り難いことと感謝)。日常生活では家と職場の往復の毎日であるが、つい、生活スタイルはワンパターンになりがちである。しかし、日常生活の中で、ちょっとしたワクワクやドキドキ、つまり新たな発見や刺激といったスパイスがあると、新鮮な気持ちでエネルギーが活性化することに気がついた。

 最近のワクワクとドキドキを思い出すと・・、

 たまたま数か月前に、食材の注文を何週もしそびれていたことから(食材の宅配サービスを利用)、別の会社のサービスも利用してみた。そこでは、有機栽培や減農薬などの安全な食材を提供しているのだが、その野菜や果物、お肉の美味しさにビックリした。素材がおいしいと、凝った料理をしなくても(そもそも凝った料理はできないが)、炒めものは「塩・こしょう」、煮物は「出汁・しょう油・みりん・酒」だけで、とっても美味しく頂ける。今は、野菜ってこんなにおいしかった?という素材のおいしさに、刺激とエネルギーをもらっている。今一番のお気に入りは南瓜。美味しくご飯が食べられるとき、満足感で幸せを感じる。

 それから、身体を動かすことについて。身体を動かしたいと思う時は、お決まりのエアロビクス・プログラムに参加していた。先日、とっても暑い日曜日の昼過ぎ、たまたまエアロビクス・プログラムがなかったため、プール・プログラムに参加してみることにした。水泳は、水着に着替えるのが面倒だし、目や耳、鼻に水が入るのが不快と、あまり好きではなかった。でも、アクアビクスは楽しそうと参加してみたが、その流れで、初級平泳ぎ、初級クロールのレッスンも参加してしまった。水泳を習うのは、20数年ぶり。でも、先生がポイントを上手に教えてくれたおかげで、苦手だった平泳ぎが、とっても気持ちよく感じられた。スイ~スイ~と水のなかで泳ぐ心地よさをちょっとだけ体験することができた。クロールはとてもしんどかったが、シニアの方々がスイスイ泳いでいる姿に凄い~と、もっと泳ぎたくなった。水泳に適した水着がなかったので丁度バーゲン中の水着と耳せんも購入し、いつでもまた参加できるよう準備は整えた。もしも・・水泳が上手くなれば、来年はダイビング教室にも参加できたらいいなと密かに思っている(ここに書いたら密かではない?)。そう考えるだけでワクワクしてくるから不思議だ。

 それから、この夏は思い切ってボディワークも体験。臨床で身体感覚を使ったアプローチを取り入れていることから、もっと身体感覚について自分自身が学びたいし体験してみたいと、今、ボディワークの一つロルフィングを受けている。ロルフィングを体験してわかったことは、日頃自分自身の身体感覚に注意(意識)を向けるようにしていたつもりだったけれど(呼吸や五感など)、自分が注意を向けていると思っていたのは、ほんの一部に過ぎなかったということ。ロルフィングを受けて、身体感覚に注意を向けて感じられる範囲が拡がった感じがする。例えば、歩いているときに、ちょっと視野の角度を拡げてみたり、脇腹あたりにも意識を向けたり、身体の軸を感じてみることで、「この世界にいる」「この世界に立っている」という感覚がもてる(ロルフィングのコンセプトは、重力との調和だそうだ)。感覚が拡がることで、身体がもっと自由になった感じがする。ロルフィングの効果かどうかはわからないが、寝つきも更によくなった。重力にまかせて寝るのか?理屈はわからないが、とにかくよく眠れるのは有り難い。

 その他にも、読みかけの何冊かの本、好きなテレビ番組など、日々のちょっとしたドキドキとワクワクをあげると、もっとありそうだ。よりよい援助が提供できるよう、まずは生活のなかでのちょっとしたドキドキとワクワク、新しい発見と刺激を楽しみながら、心身のエネルギーを保ち続けられたらと願っている。

(2010年9月)

2010.08.12 五感
古代エジプトの香油

村本邦子

 エジプトへ旅をした。ダイビングがおもな目的だったが、せっかくの機会なので、ピラミッドやスフィンクスも見ておこうと、カイロに滞在した。そこで、エジプトの香油と出会った。エジプトの香水瓶についてはガイドブックで読んでいたが、香油についてはどこにも書かれてなかった。でも、そう言えば、昔、アロマの勉強をした時、古代エジプトの香油について書かれていたっけ。

 パピルス文書(紀元前2800年頃)には、古代エジプトにおける薬草の使用方法が記録されており、神殿で乳香(フランキンセンス)や没薬(ミルラ)を焚き、神に捧げられていた。香油は非常に貴重なものであったため、ファラオたちの墓にも納められ、後の世の盗賊たちは、宝石よりも香油を盗んだそうだ。ミイラを作る時にも香料が使われ、1922年、ツタンカーメン王の墳墓が開かれたときは、3千年以上の時間を超えてなお香りが残っていたというから驚きだ。このツタンカーメンの黄金の玉座には、王妃が王に香油を塗っている場面が描かれているし、クレオパトラがバラ風呂に入り、香油を愛用していたことは有名だ。耳にローズ、手首にジャスミン、おへそにロータスと、体の部位ごとに違う香油をつけていたと聞いた。

 香油屋さんに入ると、香油の名前のリストを渡され、希望のオイルの名前を言うと、たくさんの瓶がずらりと並んだなかから、選び出して試させてくれる。シャネルを初め、有名な香水の原料はエジプトの香油なのだそうだ。エジプトの香油は、水もアルコールも使っていない純粋なエセンシャル・オイルだから、10年は持つという。アロマの勉強では、エセンシャル・オイルの使用期限は1~2年と習ったので、「ほんまかいな?」と疑わしく感じるが、ツタンカーメン王の香油は何千年も薫っていたというのだから、まんざら嘘ではないのかもしれない。あるいは、特殊な製法なのか?ざっと調べてみた限りでは、情報は得られなかった。

 ロータス、パピルス、ライラック、ひまわり、百合・・・、普段、見かけない花のオイルがたくさん並んでいる。もちろん、ローズも。ローズのエッセンシャル・オイルを日本で買えば、倒れそうに高いが(小さな小さな小瓶で万とする)、エジプトでは普通だ。「キー・オブ・ライフ」(エジプトの古書や絵に出てくる円形の取っ手のついた十字。命を表すヒエログリフで神の標識)、「クレオパトラ」「5つの秘密」「砂漠の秘密」などのブレンドも。アロマ好きの私には、どれも魅惑的で甲乙つけがたく、結局、少しずつ12種類ものオイルを買った。

 何から試そうかな?今日は、ブレンド「谷の百合」を部屋に焚いてみた。意外にもオレンジ系の明るい香りだ。そして、パピルスのコロンを自分に振ってみる。甘さが混じるがどちらかと言えばスッキリした香り。古代エジプト人が紙を作っていたあのパピルスだ。巨大なカヤツリグサをイメージするといい。葉の部分が太陽に似ており(太陽というと丸を思い浮かべるかもしれないが、光線の部分。太陽の神、アテン神の姿も、赤い丸からたくさんの腕を伸ばした形をしている)、茎を切るとピラミッドの形をしているので、とても神聖な植物とされた。

 エジプト旅行の残り香を楽しみながら、また元気に働こう。

(2010年8月)

2010.03.10 子ども/子育て
巣立ちの春

西 順子

 この春、社会人になる20歳の娘が家を出ることになった。この一カ月は、娘の一人暮らしの準備を手伝いながら、物理的にも忙しかったが心も落ち着かないでいた。娘の一人暮らしを自分のことのように感じてしまっているのか、なんだかそわそわ気にかかる。頭では、娘が家を出て一人暮らしするのは喜ばしいこと、親としてはどっしりと構えて、子どもに任せ、陰でそっと自立を応援してあげたいと思うのだが、冷静になれずにあれこれ心配してしまう。でも、それが思いのほか、強い感情で自分の心がこんなに揺れるなんて・・と、自分でもびっくりした。その落ち着かなさ、じっとしていられないような衝動って何だろう・・、自分の心に聴いてみた。すると、現在と重なる過去の出来事が思い出されてきた。

 思い出されてきたのは、親からの自立と依存の間で葛藤していた自分だった。高校を卒業したら家を出たいと切望し、実際大学入学と同時に家を出ることが叶った。大学進学は何を勉強するかよりまずは家を出ることが目的だったくらいだ。新しい世界での体験はいいことばかりではないけれど、自分について気づかせくれ、私をとても成長させてくれた。

 でも、大学卒業のときに実家にまた戻ることになった。一人でやってみたい気持ちと不安な気持ちとの間で揺れながら、残念だけど一人でやれる自信をもてなかった。大学時代は学校があり、友達がいて、自分を守ってくれるものがあったが、社会という大海原に1人で出ていくことに不安を感じていた。結局、親からようやく自立できたのは結婚のときだった。

 娘の一人暮らしの準備を手伝いながら、その当時のことが走馬灯のように思い出され、思わず涙が出てきた。そして、今現在の私と過去の私が対話した。「私は今、自分がしてほしかったことを娘にしてあげているのかな・・」「でも、当時の私は親に何かしてほしいなんて全く思ってもいなかったよ。ただ、自立したくてもできない不甲斐なさ、情けなさ、なにか無力感のようなものを感じてはいたかな」「だからかな。娘には、いいスタートをきってほしい、そんな気持ちが強いよね」・・といった具合に。

 娘への感情には、私の叶わなかった思いを重ねているのかと気づくと、「誰かに自立を応援してほしかったのかな」と、無意識にあったニーズに気づくことができた。誰かが応援してくれているという安心感があれば、一歩踏み出せたのかもしれない。

 そんな私もようやく自立を実感できるようになった。それは自由と責任の感覚であり、今はたくさんの応援もある。未解決だった過去の私の気持ちを思い出して消化しながら、「娘は私とは違うのだから」と娘との間には一線を引いて、陰ながら娘の自立を応援していたいと思った。

 するとなんと今度は、親としての感情、娘との別れへの寂しさがあふれてきた。娘を引きもどしたいような気持になった。生まれたときの赤ちゃんの頃の姿から、思い出が走馬灯のように出てきて、いつまでもいてほしいような気持ちになった。産休明けに子どもを預けたときの、別れの切ない気持ちも重なって出てきた。あのときの切なさと重ねているのかなと気づくと、今の気持ちが落ち着いた。

 いろんな気持ちに大いに揺れた一カ月。あとで振り返れば、笑い話になるようにも思える。私の感情は自分で整理してちゃんと引き受けながら、娘の門出を祝ってあげたい。フレーフレー社会人一年生、陰ながら応援しているよ!

(2010年3月)

2009.12.10 トラウマ
安全でサポーティブなコミュニティを創る

西 順子

 今年もあと僅か。この一年を振り返ると、今年は「安全でサポーティブなコミュニティ」を実感する一年だったな~と、あたたかい気持ちと、新しい年に向けての希望を感じる。今年、私にとって新たな一歩となった意味深い体験が、二つあった。一つは、身体感覚をベースにしたトラウマ治療法「ソマティック・エクスペリエンス(SE)」のトレーニングに参加したこと、もう一つは、南京セミナー「戦争によるトラウマの世代間連鎖と和解修復を探る」、に参加したことである。

 SEトレーニングでは、トレーニングの場自体が、安全でサポーティブなコミュニティであった。トラウマに取り組むには、「人とのつながり」の力や仲間の支えが必要なことを再確認した。国を超えて、トラウマの回復や癒しに取り組むSEコミュニティとつながり、新たな仲間ができたことに、とてもエンパワーされる気持ちであった。

 トレーニングを受けた後、来談されるクライエントさんの回復に少しでも役に立つことができればと、早速カウンセリングに取り入れてきた。その体験については、年報19号「『身体感覚』に耳を傾けるトラウマ療法~ソマティック・エクスペリエンスを学ぶ」にまとめたが、SEは症状を軽減し安全を確立するために、確かで穏やかな効果があると実感している。SEと出会い、「身体の叡智」がもつ自然治癒力を発見し、回復の道すじに希望の光がみえてとても嬉しい。まだトレーニングは三分の一を終えた段階だが、来年以降もさらにトレーニングを積み、よりよいサービスを志していきたい。

 南京セミナーには、参加できるこの機会を大切にしたいと、今思えば、無意識レベルで参加する必然性を感じ、導かれるままに参加した。トラウマ臨床に関わるものとして、加害の事実と向き合う必要があるという思いと、昨年の年報18号「世代を超えて受け継ぐもの」をきっかけに、戦争のトラウマの世代間伝達について考えていきたい、という思いもあった。南京セミナーでは、アルマンド・ボルカス氏によるHWH(歴史の傷を癒す)プログラムが予定されており、それも楽しみだった。

 セミナーに参加して、参加する前と後では、自分自身がとても変化していることに気づいた。まず私に起こった変化は、日本人としてのアイデンティティを自覚したことである。今まで日本人としてのアイデンティティを自覚したことはなかったが、セミナーに参加して、日本人として責任をもつ生き方をしていきたいと強く願った。自分を歴史の文脈に位置づけることで、今ここに生きることの意味を自覚することができた。

 もう一つ気づいた変化は、涙もろくなったことである。人の優しさ、あたたかさ、悲しみ、傷みに敏感になった。中国の若者のトラウマの深さを知り、心がとても痛んだが、人に対する優しさと思いやりで私たちを受け入れて下さることに、自分自身が癒されるような気持ちとなった。言葉の壁はあるものの、ドラマセラピーや表現アートセラピーを通して、中国の方々と、心と身体で対話できたことは、かけがえのない体験となった。セミナーの場自体が、一つの「安全でサポーティブなコミュニティ」となり、ボルカス氏がいう「共感する力こそコミュニティの自己治癒力であり、共感の文化を創ることこそ平和を創ることに他ならない」という言葉を心と身体で噛みしめた。このセミナーで体験したことを決して忘れることがないよう心と身体に刻み、共感の文化を創っていきたいと強く願った。

 10月、南京セミナーから戻ってから、自分の仕事の意味がより明確になった。トラウマの世代間連鎖にストップをかけられるよう、傷つきが繰り返されないよう、トラウマの回復と癒しのために、自分にできることを大切にしていこうと、自分に与えられた責任を意識するようになった。カウンセリングだけでなく、講師の仕事にも新たな意味が生まれた。

 昨年から、たまたまDV関係の研修で講師を務めさせていただく機会が増えたが、DVや虐待を受けている子どもや女性をサポートしようという方々に、「安全でサポーティブな人とのつながりの大切さ」を伝えたいという思いが強くなった。コミュニティ支援の大切さは、メアリー・ハーベイ氏から学び(ハーベイ氏論文
生態学的視点から見たトラウマと回復女性のトラウマに関わる臨床家の使命)、
実践のなかで実感してきたが、研修の場でも、その意味をさらに感じることができるようになった。研修に参加された方々が、共感を示してくれることが、何よりも嬉しいし、未来への希望を感じて力づけられる。いろんな地域、コミュニティで頑張っている方々と出会え、人の優しさ、あたたかさに触れて、私自身が勇気づけられ、癒されている。コミュニティに備わる自然治癒力、共感する力を大切にしていってほしいと願う。

 2010年は、女性ライフサイクル研究所の設立20周年を迎える。研究所の仲間とつながりが、私にとって安全の基盤となり、コミュニティでのつながりへと拡がってきたことに改めて感謝したい。安全でサポーティブなコミュニティが創られること、共感の文化が創られていくことを願いながら、私自身もその一員となってコミュニティ創りに参加していければと思う。来年はまた、どんな新たな発見があるのか、どんな体験ができるのかなと、楽しみにしていたい。 

(2009年12月)

2009.09.12 ライフサイクル
ひとり旅

村本邦子

 この夏、娘がひとり旅に出ると言い出し、岡山から高松のあたりを巡ってきた。夜間のフェリーで行って、夜はネットカフェで過ごすというので、「心配だから、せめて宿をとったら?」と示唆したら、安い宿を見つけたようだ。結局、1万円弱で3泊4日のひとり旅を楽しんできたらしい。当然ながら、知り合いやら、知らない人やらのお世話になりながらの旅だ。はっきり言って、血筋なんだろう。考えてみれば、私にも、夫にも、放浪癖みたいなものがある。急に思い立って、フラ~と知らないところへ行ってみるというのが好きなのだ。それも、いろんな人の世話になりながら。

 私自身、子育てを終え、旅に出る機会が増えた。純粋なひとり旅を楽しむ時間的ゆとりはないが、それでも、仕事であちこち巡り、新しい世界との出会いを楽しんでいる。最近、「自分自身に戻ったな~」という感覚があって、「これは何なんだろう!?」と考えていたのだが、どうやら、自分が自分に属するという感じ。振り返ってみると、子育て中って、どこか自分の半分は子どもに属しているような感覚があったのだと思う。自分がOKならそれでよいというだけでない責任感のようなもの。私は、こう見えても、基本的に慎重派なので、そんなに無茶をするようなことはないが、それでも、「子どものために自分を守らなければ」みたい意識があったのだろう。

 最近の私の旅の仕方は、パソコンを持ち歩いて、どこででも仕事をするというもの。本当は、すっかり仕事から離れられたらいいのだろうが、今はいろいろな責任が重すぎて、どうしても留守中、気になってしまうので、とりあえずネット接続可能な環境に限る。パソコンがあればほとんど必要なデータは取り出せるので、思いつけば、どこででも原稿が書ける。ちょっと変だが、この感覚も「自分が自分に属している」という感じにつながっている。「身ひとつあればいい」みたいな感じ?(パソコンがなければ困るわけだから矛盾してるか・・・。)

 旅先の風景を眺め、旅先の食べ物を食べ、できれば旅先の湯につかり、旅先で出会った人たちと触れ合う。違ったところには、違った世界が広がり、違った人たちが、違った人生を送っているということを知ることで、何ていうのか、自分と自分の世界をあらためて確認することができる。

 結婚したての頃、兄夫婦から「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」と書いた額を頂いたのだが、話しているうちに、どうやら、私たち2人はどちらも自分が鳥のつもりでいるらしいということが発覚して、双方、愕然とした記憶がある。「あらあら、どちらも鳥だったら、私たちはいったいどうしたらいいの?」と。結論は出ないが、今までのところ、とりあえず、まぁ、何とかなっている。老後は、一緒に放浪できたらいいのだけど。特別な計画なく、少し仕事もしながら、車で東北やら四国やらの温泉地を転々とするのが夢だ。

(2009年9月)

2009.09.10 こころとからだ
ソマティック・エクスペリエンス(SE)トレーニングに参加して

西 順子

 9月17日の夜~23日まで、東京で開催されたソマティック・エクスペリエンス(SE)トレーニングに参加した。SEとは、「身体感覚」をベースにしたトラウマ治療法であるが、5月に初級トレーニング前半を終え、今回はその後半だった。日常から離れ、講師の先生やアシスタント&スタッフの方々、参加者の皆さんと一緒に過ごした6日間はあっという間で、とても濃密だった。

 トレーニングのプロセスを通して、私自身が変化していくことを感じたが、それは「穏やかな癒し」とでもいうような、新しい体験だった。トレーニングの場での、講師によるSEセッションのデモストレーション、グループでのSE手法の実習などを通して、参加者の皆さんと共に、私自身の心と身体も共振し、共感とともに、トラウマの悲哀を悼むプロセスをたどらせて頂けた。それは、その場が安心してつながれる、安全なコミュニティであったからこそと感謝している。ここでは少し、トレーニングの合間に受けたSEの個人セッションの体験を紹介したい。

 日頃から、疲れると左側の肩と首に痛みを感じていたが、SEのグループ実習でも、身体感覚に注意を向けると、左側の目や顎が緊張し力が入り、肩首も痛く重くなった。この感覚は何を意味しているのだろうか?と以前から気になっていたが、セッションではセラピストのガイドに添って身体の感覚や動きに注意を向け、身体の「声」に耳を傾けていった。そのプロセスのなかで、「あたたかい感覚」に触れたとき、ふと涙が流れて出てきた。頭ではどうして涙が出るのかわからない、ただ目からは涙がこぼれ落ちていた。そのあと、ふと懐かしい「ある感覚」が現れた。その懐かしい感覚に気づいたとき、潜在記憶が現れたのだった。それは私の記憶の一コマである、高校生の自分だった。イメージのなかで、身体をベースにしながら、その高校生の私、今の私とが対話するなかで、イメージも動き、変化していった。そのプロセスはとても創造的で、不思議で、とても新鮮なものだった。身体とは、無意識の宝庫であるのことを実感した。そして、人間という存在に対して、畏敬の念を抱いた。セッションが終わったときは、内側から満たされる穏やかさと落ち着きを感じていた。

 講師の先生は、トラウマの癒しにとって「社会的なつながり」の感覚が大切なことを何度も言われていた。SEのセッションでは、高校生の私が今の私とつながり、トレーニングの場では、国籍や居住地や年齢を超えて、社会的なつながりを感じることができ、安心して自分を外にひらくことができたのが嬉しかった。共に学び、共感しあい、体験を共有したSE療法家の先生や仲間たちとの出会い、そこで生まれたあたたかいつながりに感謝したい。そして、自分が学び、体験させてもらったことを支えに、日常の臨床に取り組んでいければと思っている。

※SEトレーニングについては、日本ソマティック・エクスペリエンス協会サイトをご参照ください。

(2009年9月)

2009.07.10 こころとからだ
身体の声を聴く~身体感覚のリズム

西 順子

 今年の年報のテーマは「身体の声を聴く(仮題)」。今スタッフそれぞれが年報のテーマに取り組んでいる。私自身も、日常生活のなかで、また臨床活動のなかで、近年少しずつ「身体の声を聴く」ことを意識するようになってきた。

 日常生活で身体に注意を向けるようになったきっかけの一つは、4年前のこと。ストレスのせいか体重がどんどん増え、ついに健康診断で「肥満度1」のチェックが入ってしまった。そのころ、体調もよくなかった。身体がしんどくて、どこか悪いのではないかと疑ったが、健康診断で他の異常はない(コレステロール、中性脂肪にはチェックが入っていたが)。慢性疲労だったのか? メンタル面からくるしんどさだったのか? 老化からくる変化か? 原因はよくわからないが、身体のしんどさに不安を感じていた。健康診断の結果を機に、このままではいけないと思い立ち、肥満を解消しよう、生活習慣を変えようと(夜、家で仕事をしたりパソコンに向かっていると、やたらとお菓子を食べてしまう)、ジムに行ってみることにした。以前ジムに入会したこともあったが、その時は挫折した。ただ黙々と走るランニングマシーンがおもしろくなくて、続かなかった。だから今度は、マシーン以外のものでやってみようと、スタジオプログラムに入ってみた。そこではじめてエアロビクスに出会ったのだが、それがとても楽しくて、すっかりはまってしまった。最初の目的はどこかに行き、とにかく楽しいし、上達するのも嬉しくて、一年間は時間を見つけてせっせと通うこととなった。

 中学の頃、一年間だったがモダンバレエを少し習ったこと、20代の頃にも一年くらいジャズダンスを習ったことも思い出し、自分はダンスが好きだったんだ、と懐かしい気持ちになった。しかも、昔は振付を覚えるのが苦手で、ダンスを楽しむまでには至らなかったが、エアロビクスは覚えやすくて、楽しめる。身体を動かす方法にはいろいろあるけれど、私には、音楽のリズムに合わせて楽しく身体を動かせるのが合っているんだと気づいた。夫は、黙々と走るランニングが好きなので、人にはそれぞれ何が合っているかは違うんだ、と納得する。一時の熱は冷めたが、今も週に一回程度は、気分転換にエアロビクスをしているが、楽しくて、好きだからこそ続けられる。

 もちろん、身体を動かすことでの効果もあった。身体面での効果では、肥満が解消されただけでなく、心肺機能は高まり、筋力がついて、駅の階段も一段飛ばしでも軽々と登れるくらい健脚になって、身動きが軽くなった。身体を動かすのが苦にならなくなった。しんどくて、だるいという体調の不調もいつの間にかどこかにいっていた。そして、身体面の効果以上に、精神面での効果もあった。身体を動かすことで心・気分も変化するんだということを発見した。しかし、もし好きではないこと(ランニングなど)を、「身体のため」と嫌々していては効果はなかったのだと思う。好きだし、楽しめたからこそ、効果もあったのだろう。

 特に、何がよかったかというと「身体が喜ぶ」という「心地よさ」を十分に味わえたこと。その「心地よさ」とは、「身体のリズム」を感じることでもあった。エアロビクスでは、徐々に身体を動かして、後半で走ったり飛んだり跳ねたりするが、息が切れてもうこれ以上走るのは苦しい~というところで、ちょうどペースダウンに入る。そして最後はストレッチをしてリラックスして終わる。交換神経が徐々に覚醒し、ピークに達したところで、徐々に緩めてリラックスへと入り、弛緩する。その身体のリズムというか、覚醒からリラックスへと、身体感覚が波のように変化していくのが心地よい。身体が心地よくなると、気分もリラックスする。リラックスしてストレッチしていると、心にしまっていた感情がじわっと出てきたり、涙が出てくることもあった。身体がリラックスして解放されると、心も解放されて涙がでるとは、最初は不思議な感じだった。でも、心と身体は本来一つのものであると考えると、ごく自然なことといえる。

 年報では、トラウマ療法として、身体感覚を使う<ソマティック・エクスペリエンス>を取り上げたいと思っているが、開発者であるリヴァインは、身体感覚の「自然のリズムに同調し、尊重することはトラウマの変容のプロセスの大切な一部」であると言う(※)。

 私がエアロビクスを通して取り戻せたのは、身体のもつ自然なリズム、身体感覚のリズムだったのかもしれない。自分のリズムに気づきやすくなったのか、日常のなかでは、呼吸のリズムに注意を向けることが多くなった。呼吸のリズムを感じ、そのペースにまかせていると、気持ちも落ち着いていく。リズムが感じれないときは、エアロビクスで身体を動かすことで、覚醒から弛緩へと流れていく身体感覚の心地よさを取り戻しやすい。

 現在、ソマティック・エクスペリエンスのトレーニングを受けている最中であるが、トレーニングが受けられることに感謝して、自分自身が経験し学んだことを、来談されたクライエントさん、周りの人々に還元していければと思っている。身体感覚に気づくことで、「私は生きている」という生の肯定、実感につながるものと確信している。

※『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』
(ピーター・リヴァイン著・藤原千枝子訳、雲母書房)より

(2009年7月)

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