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FLCスタッフエッセイ

2011.05.12 カウンセリング
セルフケアのヒント~肯定的な感覚(リソース)を強める

西 順子

 新緑が美しい季節となりました。植物の生命力から、活き活きとした自然のエネルギーを感じます。一方で、連休明けのこの時期はわけもなく憂鬱になったり、焦ったり、疲れが出やすい時期でもあります。新しい環境や生活の変化に適応しようとして、一時的に強いストレス状態に陥っていると言えるでしょう。眠れない、食欲がない、頭痛や腹痛など、ストレス反応が身体に出る方もあるでしょう。強いストレスがかかると、ストレス反応が生じるのは「自然なこと」です。ストレスを何とか乗り越えようとして、心と身体が闘っているのです。ここでは、ストレス反応を和らげるためのセルフケアの一つとして、肯定的な感覚(リソース)を強める方法を紹介しましょう。

 肯定的な感覚にはどんなものがあるでしょうか。例えば、ハーブや花の匂いをかぐ、和ませる音楽や元気の出るエキサイティングな音楽を聴く、公園を散歩する、ペットと遊ぶ、熟した桃やオレンジの味を楽しむ、マッサージを受ける、美しい絵を観に美術館に行く・・等は、直接に感覚とつながり、自分を慰める行動です。

 皆さんは、どんな感覚の経験が好きですか? 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、五感の感覚ごとに、心地よい経験を思い出し、それを行動に移してみましょう。心地いい感覚に意識を向けて、その感覚に留まってみましょう。その感覚を呼吸と一緒に吸いこむようにして感じてみるのも効果的です。実際に行動できないときは、想像力を使うこともできます。心地いい感覚の経験をイメージし、イメージの世界のなかで感じてみましょう。

 ストレスを感じ、心身にさまざまなストレス反応が出ているとき、肯定的な感覚の経験を意識的に取り入れることで、ストレス反応を緩和し、心身の状態を落ち着かせることができます。カウンセリングでは、自分自身のストレス反応について理解し、ストレス反応を緩和させるために身体感覚を用いた方法を使っています。関心のある方はカウンセラーにお尋ねください。
                             
                            (2011年5月発行:ニュースレター特集より)

2009.06.01 カウンセリング
「心」と「身体」をつなぐトラウマケア

西 順子


 ひとの「心」に関心をもち、「その人らしさを大切に、人生を歩むお手伝いができれば」と心理的援助に関わるようになり20年、カウンセリングに携わるようになって約10年がたちます。特に、心の傷つき(トラウマ)のケアに取り組んできましたが、近年、「身体」のもつ力に関心をもつようになりました。PTSD、パニック障害、うつ、心身症など、心身の健康の回復を望んで来談される方のニーズに応えられるようにと、効果があるとされる新しい方法を学ぶなかで、「心」と「身体」の結びつきについて再認識するようになったからです。最近、「身体」にはそもそも自然治癒力が備わっているのだ、という思いを強くしています。

 トラウマケアに効果が認められている方法には、認知行動療法、EMDRがありますが、フォーカシングや臨床動作法もトラウマケアに使われています。どの方法も、身体にアプローチする側面を含んでいます。
 今年、自然なアプローチ法を用いてトラウマ症状を解決する、新しいトラウマ療法が我が国にも導入されました。ソマティック・エクスペリエンス(身体経験)メソッドです。開発者である医学生物物理学博士・心理学博士ピーター・リヴァインは、「トラウマの癒しの鍵は、強烈な感情より、身体感覚にある」と言います。
 生命体は、脅威にさらされたときに、戦うか、逃げるか、そのどちらもできないときに、凍りつくか、の反応をします。これは生存のために自動的に起こる自然な反応ですが、「凍りつき」によって、PTSD症状のほか、さまざまな心身の症状、衝動的行動が起こります。リヴァインは、この「凍りつき」反応を解放していく方法を見出しました。「凍りつき」を解放していくことで、トラウマによって切り離された、「感覚・イメージ・情動・行動・意味」がつながるのです。
 この方法は、誰もに自然に備わっている「身体感覚への気づき」を使うということで、とても安全であり、エンパワメントの手法だと感じています。

 カウンセリングでは、来談された方のニーズや希望に応じて、従来の「言葉」による心理療法に加えて、「身体感覚」に働きかけるアプローチも取り入れています。「心」と「身体」とのつながりを取り戻すことで、「ありのままの存在」として自分を大切に感じ、生きることの意味を発見していけるものと、実感しています。関心のある方は、カウンセラーにおたずね下さい。

参考文献:
『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』ピーター・リヴァイン著、藤原千枝子訳、雲母書房
『PTSDとトラウマの心理療法~心身統合のアプローチの理論と実践』バベット・チャイルド著、久保隆司訳、創元社

                           (2009年6月発行ニュースレター特集より)

2007.07.01 カウンセリング
トラウマ反応とケア

西 順子

 女性ライフサイクル研究所では、設立以来、トラウマからの回復のための心理的援助に力を入れてきています。ここでは、トラウマとは何か、トラウマがもたらす心理的影響としてトラウマ反応についてお話したいと思います。

 〈トラウマとは〉一般的に、心身に不快をもたらす要因をストレスと呼んでいますが、ストレスが非常に強い心的な衝撃を与える場合には、その体験が過ぎ去った後も体験が記憶の中に残り、心理的な影響を与え続けることがあります。このようにしてもたらされた心理的な後遺症のことを、「トラウマ(心的外傷)」と言います。

 〈トラウマ反応〉トラウマが与える心理的な影響のことを、「トラウマ反応」と呼びます。トラウマ反応は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が代表的ですが、うつ、心身症としてもあらわれます。これらは、極度のストレスに対する人間の正常な反応の一つです。

 PTSDの主な症状は三つで、(1)侵入的症状、(2)回避症状、(3)過覚醒症状です。
(1)侵入症状とは、トラウマとなった記憶、イメージ、臭い、音、その感覚が、人々の生活の中に 「侵入」してくることです。フラッシュバックや悪夢など、侵入症状は極度の苦痛を引き起こします。
(2)回避症状とは、トラウマとなった記憶を思い出させる状況、人、出来事を避けることです。苦痛   を避けることで、親密な付き合いから引きこもったり、愛や喜びといった感情を経験することができなくなることもあります。
(3)過覚醒症状とは、トラウマ体験によって、世界への安全感、信頼感に亀裂が生じることによ      り、ビクビク緊張して常に警戒してしまうことによります。その結果、睡眠障害、集中困難となり、ビクビクして驚きやすくなります。

 トラウマとなるような出来事を経験すると、精神的に傷つきやすくなり恐怖感が残るため、自分はおかしくなってしまったのではないか、自分が弱いからだ・・と思ってしまう方もありますが、そうではありません。まずは、自然な反応であることを理解しましょう。

 カウンセリングでは、トラウマを受けた方が自分のトラウマ反応を理解し、症状をマネージメントし、心身のコントロールの感覚を回復していけるよう、お手伝いができればと思っています。

                                                  (2007年7月発行:ニュースレター特集より)

2007.01.10 こころとからだ
身体感覚との対話

 西 順子

 カウンセリングに来談された方から、「こんなに自分と向き合ったことはなかった」と、聞くことがある。確かに、カウンセリングのなかでクライエントさんは自分自身の心の内側と向き合い、心の内との対話がすすむなかで、自分で答えを見つけられていく。人に自然に備わっている力や可能性、そしてまた、人間の力を超えた力の働きに、敬虔な気持ちになる。カウンセラーとして、その答えを見つけるために、よりよいお手伝いができればと思っているが、そのプロセスの途中では、何らかの壁にぶつかることもある。
そんなとき、そのプロセスをすすめるための一つとして、身体感覚と向き合うことが役に立つと感じ、最近では身体感覚を取り入れたアプローチも取り入れている。特に、トラウマ(心的外傷)は身体に記憶されると言われることから、身体感覚に注目するようになってきた。

  そもそも東洋では、心と体は一つのものとして捉えられてきたが、日本語でも、心を身体感覚で表現する言葉が多い。怒りは、「腹が立つ」「腹に据えかねる」「はらわたが煮えくりかえる」「頭にくる」「頭に血が上る」、笑いは「お腹をかかえて笑う」「笑い転げる」、感情が込み上げてきたときは「目頭が熱くなる」「胸がいっぱいになる」、苦しい時は「胸が詰まる」「喉か詰まる」、心の負担感やプレッシャーは、「重い」「軽い」・・など。ほかにも、「ムカつく」「スッとする」「ワクワクする」なども身体感覚の表現である。
  自分の本当の気持ちがわからないとき、どうしていいかわからないとき、心の内側に問いかけても答えが見えないとき、自分の体の感覚に耳を傾けてみることで、自分の気持ちに気づくことができる。私も、心が「もやもや」っとするとき(もやもや・・は胸の辺りの身体感覚)、もやもやってなんだろう・・と「もやもや」に聴く気持ちでいると、ふと「ああ、そうか」と気づきが起こることがある。意識できない気持ちも、無意識から身体感覚を通して教えてくれる。

  先日、10年ぶり?くらいに、フォーカシングを学びなおそうと思ってワークショップに出かけた。フォーカシングとは、「からだを使って、自己の気づきを促し、こころを癒していく、独特のプロセス」(アン・ワイザー・コーネル)である。「からだの気づきに対して興味深い好奇心をもって注意を向けるとき、洞察、身体的な解放、前向きの生活の変化があらわれる」と言う。
  私自身も日々の生活の中で、こまめに体の感覚に耳を傾けているが(まずは、今日は何が食べたい?とお腹にきくことにはじまり・・!)、自分はどう思うのか、どう感じるのかを大切にしたいと思っている。

(2007年1月)

2005.10.10 カウンセリング
人生の物語を紡ぐ

西 順子

 人生には、人それぞれの物語がある。一人一人のかけがえのない物語。カウンセリングをしていると、ふと、そんなことをしみじみと感じることがある。カウンセリングでの人との出会いは、人生の途中で道に迷ったり、行き詰ったり、先が真っ暗で見えなかったり、あるいは、新たなる決意をされた時に始まることが多い。そこから、カウンセリングの契約が成立すれば、人生のある時間、ある一時期を共にしていく。こんがらがった糸をほぐしたり、編み直したりしながら、その先の物語を紡いでいくのをお手伝いしていくのが私の仕事でもある。そんななかで、人間のもつ力に感銘を受けたり、人間の力を超えたもの~偶然の出来事や人との出会い等~を前にして、理不尽さや悲しみを感じ、あるいは畏敬の念を抱く。

 考えてみれば、人生は、良くも悪くも偶然に左右されていることが多い。誰の元にいつ生まれたか、ということがまず偶然である。自分で選んで生まれてきたわけではない。人生の途中で遭遇する出来事~たとえば、虐待を受けたり、見捨てられたり、大切な人を失ったり、突然の事故や病気であったり、ショックな出来事が起こったり~も、自分ではどうしようもできない出来事である。そんな偶然の出来事、しかも受け入れ難い出来事に遭遇しても、それでも人には生きる意味がある。でも、それを引き受けて生きるということはなんと重く、苦しいことであろうかと思う。

 一方で、人は偶然に助けられながら、この世に縁をつないでいくものだなとも、しみじみと感じる。それは人との出会いであったり、再会であったり、仕事との出会い、生きがいとなるものとの出会いだったりするだろう。そこには、「今、この時」という人生のタイミングというものもあるだろう。

 今日も、カウンセリングでの出会いと別れを通して、人生の物語ということについて思い巡らせた。偶然の積み重ねである人生に意味が見出され、一つの物語となり、ささやかな幸せが訪れたことに立ち会って、人と世界に対して信頼が深まるような、敬虔な気持ちにさせて頂いた。ささやかな幸せとは、自分が今のままでいいと思えること、生きてていいと思えること、生きていることが自然に感じられること、そして人と共に居る場所があり、愛する人・大切な人と一緒に泣いたり笑ったり、気持ちを分かち合えたり共有できること・・などである。

 『心的外傷と回復』の著者ハーマンは、回復を終えたときのことを次のように表現した。「他の人々と共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて、憩うことができる。ここにこの人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる」と。物語を紡ぐのは、まさに生みの苦しみである。人生の苦悩を超え、生みの苦しみを超えて、その人が主人公である物語を紡いでいく、その過程に寄り添えるよう、私自身、切磋琢磨していきたい。

(2005年10月)

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