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FLCスタッフエッセイ

2021.06.29 カウンセリング
認知からトラウマにアプローチする 〜トラウマへの認知処理療法(Cognitive Processing Therapy for PTSD : CPT)のご紹介その②〜

朴 希沙

前回の「認知からトラウマにアプローチする 〜トラウマへの認知処理療法(Cognitive Processing Therapy for PTSD : CPT)のご紹介その①〜」では、CPTにおけるトラウマに関する考え方を紹介しました。

今回は、12回という限られた回数の中でCPTがどのようにセッションを進めていくのか、架空の事例をもとにその概略をご紹介します。

〜数年前、Aさんは自動車事故に巻き込まれ、あやうく命を落とすような体験をしました。その後Aさんは道を歩くときにはいつも警戒するようになり、些細なことでもひどく驚くようになりました。恐ろしい夢を繰り返し見たり、当時の恐怖や映像がありありと蘇ってきたりします。自動車事故のニュースが流れると動悸がし、急いでチャンネルを変えます。次第にAさんは外出がおっくうになるとともに自分の未来に対しても悲観的に考えるようになりました。Aさんは現在、家にこもってしまう生活が続いています。このようなAさんを見かねた家族はトラウマに関する専門的な治療とカウンセリングを受けることをすすめました...〜

◎CPTのセッションの段階

・はじまり

 治療に訪れたAさんは、まずは医師からPTSDの症状について確認を受けました。そして、CPTができるカウンセラーを紹介されました。初回のカウンセリングでは、PTSDとは何か、なぜ回復が進まないか、回復の道に向かうためにCPTで何に取り組むかについて説明を受けました。毎回練習課題が出されるという話を聞いて、Aさんは尻込みをし、果たして自分にそんなことが出来るだろうかと不安に感じました。しかし、カウンセラーから「CPTではこれまでの"回復を妨げる考え方"から"新しい考え方"を身につけることを目指します。限られたセッションの時間内で、これまでの習慣を変えることは非常に困難です。日常的に課題に取り組み、新しい考え方を身につける練習を行うことがとても大切で、少し骨が折れる作業ですが取り組めば取り組むほどに効果があるでしょう」と聞き、もうこんな生活はうんざりだと感じていたAさんは、思い切って取り組むことを決意しました。

・初期

 まずAさんがカウンセラーとともに取り組んだのは、トラウマティックな出来事について「何が起こったか」ではなく「なぜそれが起こったのか(原因)に関する自分の考え」と、「それが自分の思考や行動にどのように影響をしたのか」をしっかりとふりかえることでした。トラウマ後に回復を妨げてきた考え方を見つけ出す試みを行うとともに、出来事・思考・感情のつながりについて、それぞれ区別をつけ、どのように関係しあっているのかも学んでいきました。

・中期

 中期では、これまでの自分の考えを問い直し、その特徴を見直すことにチャレンジしました。毎回のセッションでは宿題が出され、自分に特徴的な思考や解釈のパターンを見つけたり、考え直すことに取り組んだりすることは骨が折れましたが、取り組めば取り組むほど、トラウマに対する反応が少なくなってきたことをAさんは感じました。また、自分に特徴的な考え方について知り、その幅を広げることでトラウマとなった出来事に対してだけでなく、他のことに対しても捉え方が以前より柔軟なものに変わっていきました。

・後期

 後期では、これまで培ってきた様々な技法を土台に、いくつかのテーマについてじっくりと考えることに取り組みました。それは、「安全」「信頼」「力とコントロール」「価値と親密さ」といったものです。こういったテーマについて、トラウマティックな出来事が起こった後自分の信念がどのように変化したのか、様々な角度から考え直していきました。

 カウンセリングが始まったころ、Aさんは「なぜ他の人ではなく、私がこんな目に?」という疑問に苛まされていました。しかしCPTの過程で日常的に課題に取り組み、新しい考え方を身につける練習を行うことを通して、次第にAさんの考え方は変化していき、それに伴って感情や感覚も変わっていきました。カウンセリングが終わった今、Aさんはこれまで避け続けていたトラウマと向き合うことが出来た自分をとても誇らしく感じました。そして自然な感情を否定するのではなく十分に感じ、以前よりも現実に対する柔軟な見方を身につけることが出来た自分の成長を感じました。

 以上、架空の事例を通してCPTの全体の流れをご紹介しました。実際には一進一退を繰り返しながら少しずつ変化は訪れると思いますが、これまでCPTを知らなかった方にも少しでもご興味を持っていただければ幸いです。女性ライフサイクル研究所では、CPTを始めとしたトラウマに対するアプローチに力を入れています。今後も、一人でも多くの方のお役に立てるよう、学びと実践に尽力していきたいと思います。

【参考文献】

CPTの概略を知りたい方には↓

伊藤正哉、樫村正美、堀越勝著 『こころを癒すノート:トラウマの認知処理療法自習帳』 創元社

CPTを専門的に学びたい方には↓

PA・リーシック、CM・マンソン、KM・リチャード著 『トラウマへの認知処理療法:治療者のための包括手引き』

2021.02.02 カウンセリング
認知行動療法のワークショップに参加して

                                         西村 麻里 

 

 先日、といってももう昨年になってしまいますが、日本認知療法・認知行動療法学会のワークショップに参加しました。

 今の社会状況ですので、会場に集まっての実施ではなく、オンラインでの開催でしたが、ブレークアウトルームという、オンライン上で小グループに分かれての話し合いが多用され、家にいながらにして他の参加者の方たちとの交流もできる貴重な機会となりました。

 ワークショップのテーマは、認知行動療法の実践においてつまずきやすいポイント、というものだったのですが、私自身は認知行動療法を中心に据えたカウンセリングを行うことは滅多になく、他の技法と組み合わせて、テクニックの一つとして活用することがほとんどなので、本来認知行動療法がどういう風に行われ、何を目的として、何を大切にするのかということを改めて認識させられる思いでした。

 そこで、今回はこのワークショップを通して得た、私なりの理解や、私が実践する上で意識したり、大切だと思っていることをお伝えすることで、皆様の理解の一助となれたらと思います。

 

 私が普段行っている他の心理療法もそうなのですが、多くの場合、カウンセリングでは、お会いしているその時間の関わりに大きな焦点が当たります。

 認知行動療法ではそうではない、というわけではありませんが、しかし、それ以上に重要になってくるのが「ホームワーク」の存在です。

 ホームワーク、と言うと、つい学校の宿題のようなイメージを持たれるかもしれません。

 確かに、次に会う時までにこれを書いてきて、とワークシートを渡されることもありますし、その時の気分はまさに宿題を出された子どものようなものかもしれませんが、認知行動療法におけるホームワークの本質はそこではありません。

 

 カウンセリングの時間の中でできることには限界があります。

 例えば週1回のペースで通っていただいたとしても、残りの6日間はカウンセラーは一緒にいません。

 つまり、カウンセリングルームの中だけで何かがうまくいったり、いい状態になれたりするだけでは、実生活において生きやすさを感じることは中々できないのです。

 そこで、カウンセリングの中で話し合ったことを実際の生活の中へ持ち帰り、それでうまくいくかどうかを試してもらう、それこそが認知行動療法の重要なホームワークなのです。

 もちろん一度でうまくいくとは限りません。うまくいかないことの方が多いでしょう。

 でも、その試した結果を次のカウンセリングの時に報告してもらって、一緒に検討を重ね、よりよいやり方を見つけて、また試してきてもらう。

 それを繰り返していくことで、その方にとってのベストが段々見えてきます。

 

 さらに、この作業を長くに渡って重ねていると、カウンセラーの助けがなくても、自分で認知行動療法のスキルを用いることができるようにもなってきます。

 私自身は、こちらの方がより大きな目標だと意識しています。

 ある程度のところでもう大丈夫そうだと、一時的な立て直しとして使われる方も多いですし、それももちろん有意義なことですが、何度も繰り返して最初はうまくいかなかったところから少しずつ身に着けていかれて、

「自分でこんな時はこれを使えばいい、と気づいて、落ち込まないようにすることが出来ました!」

と晴れやかな顔で報告いただいた時などは、認知行動療法の実力というものをひしひしと感じます。

 

 とはいえ、認知行動療法も万能ではありません。

 やはり人によっての向き不向きもありますし、困られていることの内容や症状によってのいわゆる「適性」もあります。

 私が認知行動療法をメインとして行わず、いくつもある技法のうちの一つ、として用いている理由もそこにあります。

(誤解を招かないためにお伝えしておくと、認知行動療法を主な専門とされている方は、認知行動療法自体をアレンジして幅広く対応できるようにされています。私にはそれができない、というだけの話です。)

 でもやはり、一つの技法として必ず持っておきたい、と思わされる、底力を感じるものでもあります。

 

 最後に、今回のワークショップの中で一番私が印象的だった、講師の先生の言葉を共有して終わりたいと思います。

「今まで生きてきている、ということは、全く適応がないということはありえない」

 どんなにしんどくても、どんなにうまくいかないと思っても、今まで生きてこられている、というそのこと自体、自分ができていることがあるという、確かな事実なのです。

2019.10.09 トラウマ
認知からトラウマにアプローチする 〜トラウマへの認知処理療法(Cognitive Processing Therapy for PTSD:CPT)のご紹介その①〜

                                                                                    朴 希沙

「話を聴いてもらうだけでよくなるんですか?」「カウンセリングに意味があるんですか?」

 カウンセリングに対する、このような疑問をしばしば耳にすることがあります。カウンセラーがクライエントの話をただ「ふんふん」と聴き、受容する。そのようなイメージが一般的に浸透しているからかもしれません。

 しかし、一口に「カウンセリング」と言っても実は様々な種類や技法、考え方、歴史的背景が存在します。またうつや不安といった特定の症状によりエビデンス(治療効果に関する検証がなされているもの)が高い技法や治療法が存在し、新たな技法やその効果についても日々研究が行われています。様々な技法の中から何が最もお話してくださる方に合うのか、カウンセラーに何ができるのかを丁寧に見極めながら進めていくことが、カウセリングでは大切な作業のひとつになります。

 私は、普段は「認知行動療法(Cognitive Behavior TherapyCBT)」の技法を取り入れながらカウンセリングを行っています。認知行動療法では、人の「内面」や「心」というものを、①「認知(考え方や捉え方や解釈、イメージ等)」②「感情」③「身体反応」④「行動」に分けます。そこでは、無理に感情を変えようとするのではなく、まず考え方や捉え方の幅を少しずつ広げることを試みます。そして、これまでとは違うパターンの行動を実験的に行ってみる等、考え方と行動のレパートリーを増やすことを通して気持ちや身体反応にも働きかけようとします。このようなCBTは、うつや不安を始めとした多くの症状や悩みの整理に活用されています。

 さて、私は半年ほど前、女性ライフサイクル研究所のカウンセラースタッフ数名とともに「トラウマへの認知処理療法(Cognitive Processing Therapy for PTSDCPT)」に関する二日間の研修を受けてきました。

CPTはアメリカで2000年前後に開発され普及された比較的新しい心理療法で、基本的には12回のセッションによってトラウマの治療を集中的に行います。PTSDに対するエビデンスも蓄積されていますが、日本ではまだ広く知られていません。今回の研修も、CPTの開発を中心的に行ってきたPA・リーシック教授が来日し、開催されました。

これからCPTのトラウマに関する考え方、12回という限られた回数の中でCPTがどのようにセッションを進めていくのかといったことを2回に分けて書いていこうと思います。

CPTにおけるトラウマの考え方

 CPTは、トラウマ体験によって生じるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に特化した心理療法です。それではまず、一体どのような症状がPTSDに当たるのか、その診断基準を以下に抜粋してご紹介します。

PTSDの症状

 PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)とい言葉は、災害や事故、事件に関連して耳にすることも多くなり、一般にも広く行き渡るようになりました。私自身も、日頃PTSD症状を抱えておられる方への対応に取り組んでいます。PTSDとは、危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力など、精神的な衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されることで生じる、ストレス症候群のことをさします(日本トラウマティック・ストレス学会より:http://www.jstss.org/topics/01/  )。

 主な症状は、①侵入症状、②回避症状、③認知と気分のネガティブな変化、④過覚醒です。「侵入症状」とは、何かがきっかけとなり生じる、自分では思い出したくない記憶のことを指します。「フラッシュバック」と呼ばれることもあります。眠っているときは、悪夢として現れるかもしれません。

次に「回避症状」とは、思い出したくない記憶を思い出させる可能性がある刺激を避けることを意味します。特定の場所や状況、人を避けたり、避けようと努力したりすることがその例です。そこには、「記憶そのもの」を避けることと、「記憶を想起させるもの」を避けることが含まれます。このような避けること(回避)は、短期的には思い出さずに済む、恐ろしい感情に巻き込まれなくて済む、という効果が得られるのですが、長期的にはPTSDの症状を長引かせてしまうのです。

また③トラウマティックな体験をした人は、恐怖や怒り、罪悪感や恥などのネガティブな気分が持続するだけでなく、自分自身や他者、世界に対する否定的な信念や予想を持つことがあります(例:「私が悪い」「だれも信用できない」等)。④過度な警戒心や集中困難の状態、ときに自己破壊的な行動を示すことも、その症状のひとつです。

・トラウマティックな出来事を経験した後のPTSD症状からの回復と未回復

 トラウマを経験すると、誰しもに一時的なPTSD症状が生じます。それは、異常な出来事に対する正常な反応なのです。しかしCPTでは、トラウマティックな出来事からのPTSD症状からの「回復」と「未回復」に注目します。

 トラウマティックな出来事を体験すると、私達は自然に恐怖や怒り、悲しみといった感情を感じます。これは、CPTでは出来事に対する「自然な感情」と呼びます。

一方、トラウマティックな出来事が生じると、多くの場合私達はその「原因」について考えるようになります。「あのとき〇〇さえしていれば」、「こんなことが起こったのは私の責任だ」...起こった出来事「そのもの」ではなく、こうした「考え」からも感情は生じます。それは、多くの場合恥や罪悪感といったものです。

実は、先に示した「自然な感情」は十分に感じ、時間がたてば自然におさまっていくことが分かっています。しかし一方で、「考え」によって生じる感情はその考えが変わらない限りいつまでも持続し、強い感情を引き起こし続けます。私達は「自然な感情」と「思考から生じる感情」とを普段区別することはないのですが、両者の違いはCPTでは非常に重要なことです。

 また、自分ではコントロールできないような恐ろしい記憶に押し入られ、その記憶や感情、自分の考えに耐えられないと思ったら、そこから逃げよう、避けようとするようになります。もちろん、トラウマティックな出来事に取り組むことは避けたくなることなのは当然のことです。しかし、実はそのような「回避」こそがトラウマからの回復を妨げるとCPTでは考えます。

 つまり、CPTでは思考によって「作られた感情」と出来事そのものから生じる「自然な感情」とを区別し、トラウマティックな出来事から自然に生じる感情を湧いてくるのに任せて回避せずに体験し、十分に感じることができれば、トラウマから回復していくことができる、と考えるのです。「自然な感情」は、必ずおさまっていくからです。そのためには、トラウマティックな出来事が「なぜ」起こったのか、その原因に対する自分の考えや解釈(「あの時自分が〇〇さえしていなければ」「自分が悪かったから」等)について丁寧に検証し、必要があればより現実的なものに修正していく必要があります。なぜなら、原因に対する過度な思い込みや現実とは異なる考えが、トラウマティックな出来事について思い出したり感じたりすることを妨げ、結果的に症状を長引かせていることがあるからです。

 以上、今回はCPTのトラウマに関する考え方を中心に紹介しました。次回はどのようにセッションを進めていくのかについて、その概略をご紹介できたらと思います。

                        ・・・続く

【参考文献】

CPTの概略を知りたい方には

伊藤正哉、樫村正美、堀越勝著 『こころを癒すノート:トラウマの認知処理療法自習帳』 創元社

CPTを専門的に学びたい方には

PA・リーシック、CM・マンソン、KM・リチャード著 『トラウマへの認知処理療法:治療者のための包括手引き』

2018.01.08 カウンセリング
カウンセリングの窓から~女性の心理的成長のための四つの課題   

              
                                     西 順子

今年度の女性心理学フリートークでは『女はみんな女神』の読書会を行っています。
私自身、『女はみんな女神』との出会いは27年前にさかのぼります。以後、本書は人生のバイブルともいえるような存在となってきました。自分らしさを肯定できると同時に、人生の困難を乗り越えるための知恵を授けてくれたように思います。

今回、このエッセイでは、先月12月の読書会でテーマとなった「錬金術の女神、愛と美の女神アプロディーテー」から「心理学的成長の比喩としてのプシュケーの神話」を紹介したいと思います(『女はみんな女神』326-330頁)。この神話は、「女性が発達させなければならない四つの課題」を表しています。

女性が人生の途中で道に迷い悩むとき、この「四つの課題」は普遍的なものとして、現代の女性にも通じるものがあると思います。神話をイメージするだけでも混沌から抜け出して、知恵と勇気と冷静な落ち着きを得られるように感じます。皆様にとっても、人生の困難を乗り越えて成長するヒントとして何がしか役に立てていただければ幸いです。

■プシュケーの神話とは

『女はみんな女神』の著者ボーレンは「心理学的成長の比喩としてのプシュケーの神話」と題し、女性が心理学的成長するための比喩として重要な象徴的意味を解説しています。

神話にでてくるプシュケーは、エロース(愛の女神アプロディーテーの息子)と再び結ばれることを求めている人間の女性で、何よりも人間関係を大事にして、他の人々に対して本能的あるいは感情的に反応します。プシュケーはエロースと仲直りするために女神アプロディーテに自分を差し出しますが、アプロディーテーはプシュケーを試すために四つの課題を与えました。四つの課題とは、女性が発達させなければならない能力を象徴しています。ではこの四つの能力とは何か、ボーレンの解説と共にその課題をみていきましょう。

■ 課題1~種の選り分け

プロディーテはプシュケーをある部屋に連れていき、うず高く積まれた種の山を見せた。それはトウモロコシ、大麦、キビ、エジプトマメ、レンズマメ、ソラマメの種がごちゃごちゃになったものである。そしてプシュケーに、晩までにそれらの種を種類別に分けなければならないと言いつける。プシュケーはその仕事をこなすことができないように思われたが、アリの一群が彼女を助けにやってきて、種を種類別に分け、それぞれの山に盛り上げた。

重要な決定をしなければならない女性もしばしば、互いに葛藤しあう感情や鎬を削る忠誠心を、まず一つ一つ選り分けなければなりません。「種の選り分け」は内面の仕事であり、女性が自分の内面を正直に見つめ、自分のもろもろの感情、価値観をふるいにかけ、重要でないものから真に重要であるものを選り分けることが求められるのです。

これは混乱した状況にとどまり、事態がはっきりするまで行動しないことを学ぶことであると解説されています。アリとは直観のプロセスの比喩であり、プシュケーがアリを信頼したように、「種の選り分け」のプロセスは、意識的なコントロールを超えて、自分の直観を信じることが大切となります。

例えば、やらなければならない仕事、周りとの人間関係、家族のなかで起こる様々な問題など、「問題が山積み。どこから手をつけていいか」という状況はよく起こることです。
また「やりたいことがたくさんあるけれど、どこからどういう優先順位で手をつけていいか」と思い悩むこともあるでしょう。考える時間もなく、突発的に問題が起こり、巻き込まれることもあるでしょう。あるいは、焦りから慌てて行動に移しても、空回りして消耗し、更に状況が悪化してしまうこともあります。
そんな時、まずは一度立ち止まり、自分の内面を見つめて「種の選り分け」をすることが役に立つことを教えてくれています。

■ 課題2- 黄金の羊毛の獲得

アプロディーテが次にプシュケーに与えた命令は、太陽の恐ろしい牡羊から黄金の羊毛を獲得せよということであった。太陽の牡羊たちは野原にいる巨大で攻撃手で角のあるけだものであり、互いに衝突しあっている。もしプシュケーが彼らのなかに入って、その羊毛を獲得しようとするなら、きっと踏みつぶされるであろう。その仕事ができそうもないと思われたそのとき、またしても、助けがやってきた。今度は緑色をした葦(あし)である。葦は日が沈むまで待つようにとプシュケーに忠告する。その時刻になれば牡羊は散らばって寝るからである。それで彼女は、黄金の羊毛を刈り取ることができた。

象徴的に言えば、黄金の羊毛は力を表しており、それは女性が何かを達成しようとするとき、破壊されずに獲得する必要があるものです。人間関係を大事にするため傷つきやすい女性は、他者たちが権力や地位をめぐって鎬を削っている競争の世界に入っていくとき、そこに含まれるもろもろの危険に気づかないなら、傷つけられるか幻滅し「踏みにじられ」てしまうでしょう。

これは権力を得ながら同情心に富む女性であり続けるという比喩です。プシュケーのような女性が傷つけられずに黄金の羊毛を獲得するためには、観察し、待ち、段階を追って間接的に権力を獲得するのがよいと教えてくれています。

例えば、私はこの神話から、DVから逃れた女性のことを思い浮かべました。
自分の「自由に生きる権利」を守るためには、DV男性から離れるしかないと決意したとき、女性は観察し、待ち、その時を見計らいます。もちろん、女性一人ではなく、そこには葦のように助言し、相談にのってくれるも味方の存在があります。安全に家を出るとき、安全に生きる権利を自分の手に取り戻す重要な一歩を踏み出したといえるでしょう。

■課題3--水晶のフラスコを満たすこと

三番目の課題は、小さな水晶でできたフラスコを禁じられた川の水でそれを満たすことであった。この川は、もっとも高いところに位置する崖のてっぺんにある泉から冥界のもっとも深いところへと滝のように落ち、大地をめぐって再びその泉から現れてくる。プシュケーはその川を見つめていると、フラスコをいっぱいにするという仕事はできそうにもないように思われてきた。今度は、一羽の鷲がやってきて彼女を助けた。

鷲は距離をおいたパースペクティブで風景を見つめ、必要とされているものをつかむために急降下する能力を象徴しています。プシュケーのような女性は個人的なことにあまりにも関わっているために「木ばかりが見えて森が見えない」でいます。
関係を重視する女性にとって、人間関係で何らかの感情的な距離をとることは重要です。そうすることで全体のパターンが見えてきて、重要な細部を取り出し、意味のあるものをつかむことができると教えてくれています。

例をあげるとすると、親子喧嘩や夫婦喧嘩などでお互いに相手のよくないところが見えて、「どうしてそうなの?」と相手を否定したり、批判したり、問い詰めたりするコミュニケーションパターンになり、喧嘩がエスカレートしてしまうことがあります。そういう時は、まずは感情的に距離をとることが必要といえるでしょう。距離をとり、全体がみえれば、何を本当に大切したいのか、大切にしたいものがわかるものです。そして、それを得るためにどんなコミュニケーションをとればよいか見えてくるでしょう。

■課題4 ノー(NO)を言うことの学習

第四の、かつ最後の課題は、ある小さな箱をもって冥界にくだり、それを美の香油で満たしてくることであった。プシュケーはその仕事を死に等しいものと考える。今度は、遠くを見る塔が彼女に忠告を与えた。あわれな人々に出会って彼らから助けを求められても、三回「心を固くして同情心に動かされず」彼らの懇願を無視し、歩み続けなければならない。もしそうしなければ、彼女は永遠に冥界にとどまることになるであろう。

目標を設定して、助けを求められてもそれを固辞することは、人間関係を大事にする女性にとっては-特に困難です。三回ノーを言うことでプシュケーが達成する仕事は、「選択」を行うということです。

多くの女性は人から何かを押し付けられて、自分自身のために何かをすることから注意をそらされています。彼女らはノーを言えるようになるまでは、何を計画しても、また自分にとって一番よいどんなことでもそれを成し遂げることができないと言います。

例えば、もし女性がノーを言えないとどうなるでしょうか。
他者のために自分の時間とエネルギーを費やし、他者の世話したり働き続けると、心身ともに疲弊してしまい、自分のためによいことができないばかりか、心身の不調に陥ってしまうことにもなりかねません。

ここまで、『女はみんな女神』から四つの課題についてみてきました。
最後に、著者ボーレンは次のように言っています。

この四つの課題を通してプシュケーは成熟します。彼女は自分の勇気と決断力が試されるごとに、もろもろの能力と強さを発達させます。しかし、何を獲得するのであれ、彼女の根本的な性質と重要だとみなすものは変わりません。彼女は愛の関係を重視し、そのためにどんな危険をも冒し、そして勝利するのです。


■カウンセリングの窓から

女性が人生の問題について悩むとき、この四つの課題に直面していることも多いのではないでしょうか。自分自身の経験として、カウンセラーとしての経験からも実感します。

カウンセラーとしての経験では、女性がカウンセリングに初めて来談されるとき、混沌とした状況において、何をどこからどうしたらよいか、どう手を付けていいかわからないと混乱していることが多いものです。カウンセリングでは、混沌した状況を整理しながら、もろもろの感情や考え(価値観)、身体の声に耳を傾けながら、大切にしたいものを大切にできるように重要なものを「選り分ける」作業のお手伝いさせていただいています。

また、他者にノーを言うことが課題であることも多いものです。他者の気持ちがわかり愛するがゆえに、よい娘、よい母、よい妻として周囲の期待に応えようとして自分を見失ってしまい、かえって大切にしたいものを犠牲にしてしまうこともあります。
あるいはノーを言うときに、抑えていた感情がいっきに爆発したり、攻撃的になってしまい、他者に伝わらないばかりか自己嫌悪に陥ってしまうこともよくあります。

そんな時、まずは自分の感情について認めることが大切です。感情によい悪いはありません。どんな感情も認められるべきものです。感情を認めることができたなら、その次には、その感情の源(例えばトラウマとなっている過去の未解決の感情・葛藤など)にも目を向けてみることも必要です。カウンセリングでは、感情を認め、理解し、緩和したり消化するお手伝いをしています。

物事の見方、捉え方が変わることで感情が変わることもあります。感情が抱えられるようになり、本当に大切にしたいものを大切にする決意をもてれぱ、現在に焦点をあてて、自分も相手も尊重する自己主張(率直な自己表現)も可能となるでしょう。

プシュケーの神話から、女性の人生の課題は個人だけの問題だけではなく普遍的な問題でもあると知ることで、勇気づけられ、心強く感じられるのではないでしょうか。

カウンセリングでは、女性が困難を乗り越えて、自分が大切にしたいものを大切にできるように、人生のある時期を共に寄り添う伴走者となれればと願っています。


【引用文献】
『女はみんな女神』(ジーン・シノダ・ボーレン著、村本詔司+村本邦子訳)新水社。

【関連記事】
2017年9月インフォメーション「女性心理学フリートーク『女はみんな女神』読書会のご案内」
2015年1月FLCエッセイ「カウンセリングの窓から~人生の選択に迷うとき」
2014年11月FLCエッセイ「カウンセリングの窓から~私って誰? 本当の私らしさって?」



2017.03.05 カウンセリング
カウンセリングの窓から~花をいけること

                                      西順子

 女性ライフサイクル研究所の朝は、花の水替えから始まります。水あげがよくなるよう、茎の先を少し切り、枯れた葉や花を取って綺麗にして、花瓶に入れなおします。

 玄関のお花をメインに、カウンセリングの部屋に二つと、残った小さなお花は他の棚や洗面所に一輪挿しにしています。花をいける行為を通して、物理的にも、精神的にも、クライエントさんを迎える準備が整っていきます。自分自身が凛とする、精神が統一する、そんな時間でもあります。


 玄関に花を飾る習慣は、1994年に天神橋5丁目に引っ越した頃に遡ります。ワンルームから2DKに移りましたが、玄関に下駄箱が備え付けられていました。毎週月曜日に、前所長が予算1000円で新しいお花を購入してきてくれ、いけてくれていました。カウンセリングに来られるクライエントさんをお迎えするために、花をいける。カウンセリングは準備することから始まる・・という心理臨床の心を、前所長から学びました。


 研究所のスタッフとなる前、精神科クリニックに勤務していました。精神科クリニックの朝も、毎日掃除と花の水替えから始まりました。リーダーの精神科ソーシャルワーカーさんが朝からこまめに動き回り、診察室、相談室、待合室など広い場所を綺麗に整えていきます。診察室の机の上には、小さな花瓶にかわいくお花をいけておられました。私も一緒に、先輩についていこうと、見よう見まねで掃除、お花の水替えをしました。ソーシャルワーカーさんからも、患者さんを気持ちよくお迎えするために、その場を整えるという臨床の心を学びました。

 そして今、私も毎週、だいたい予算は1000円で、お花屋さんでお花を買うのを楽しみにしています。他のスタッフも一緒に、朝は花瓶の花の水替えと、鉢植えの水やりなど、場を整えることからスタートします。


 そしてカウンセリングの時間、お花は見るものに力を与えてくれます。お花の色や形、葉っぱの色や形、その自然界の色は、造花とは違う力を持っています。「生きている」という力とでもいえるでしょうか。

 癒し、慰め、和み、優しさ、あるいは、力強さ、生命力、元気、華やかさ、希望・・を、見るものに与えてくれます。部屋にお花があることで、人間はもちろん、その場に力を与えてくれるように思います。

 どんなに素敵なお花でも、最後は枯れるときがきます。それは生きているからこその自然の摂理。花に触れ、花を愛でながら、限りある命について教えてくれる「花」に感謝して、花と共に「生きる」ことを大切にしていきたい思う今日の頃です。


 花をいけるという営みとその心を研究所だけでなく家でも・・と、最近、自宅でも花をいけるようになりました。お花に感謝。

                今週のお花、メインは八重のチューリップ
IMG_2098 (2).jpg

2016.07.23 カウンセリング
もう一人の自分の声に支えられて 

                                      西川 昌枝


「カウンセラーをしています」と話すと「人の相談にのれる位なら自分のことも冷静で悩んだりしないのでは?」と何でも解決する能力があるような印象を持たれる事が、た・ま・に・あります。


私は苦笑しながら「いえいえ、、」と答えるのですが、それは謙遜でなくて、実際に自分はどちらかというと悩みの多いほうで、壁にぶつかる度に乗り越えるのに努力が要ったと感じているからなのです。


若い頃は悩みの出口を見つけられず、悪天候が過ぎるのを待つかのごとく、心の嵐が去るのを待っていた姿を思い出します。考えすぎて落ち込んだり、気持ちが苦しくなったとき、自分なりにバランスをとる方法を探し続けてきました。


そんな私に、いつの頃からかもう分かりませんが、しんどいとき、自然にもう一人の自分からのメッセージが頭に浮かぶようになりました。


悩んでいる自分とは違う考えが届き、気付くのです。「できない」「私はだめだ」と考えていれば間髪入れず、「そんなことないよ、できるよ」「どうなりたいの?」と来ます。


できない言い訳の言葉が思い浮かぶと、今度は「自分のペースでやればいいんだよ」「小さい勇気を出そう」「自分の善いところを出そう」「やり直せばいいんだよ」「やってみれば楽しめるよ」「自分で選べるよ」・・・、そして「自分を信じて、大丈夫だよ」「できるよ」「うまくいくよ」「安心して」「大丈夫、怖くないよ」と・・・。


私の頭の中には、こんな風にさりげなく、もう一人の自分から慰めや励ましのメッセージが送られて来ます。その声は、必要なときやってきて私を助けてくれているようです。


受け取るメッセージは、例えるなら「なりたい自分」から優しさが送られてきた感覚です。


それは、今までに与えてもらった助言や解決したくて読んだ本から私の心に残った言葉が、いつしか自分のものとなり、もう一人の声となって、自分で自分を支えるメッセージとして送られてくるようになったのかもしれません。


私自身は、メッセージのおかげで立ち止まれたり、気持ちが穏やかになったり、冷静さを取り戻せている気がします。もう一人の自分の声に支えられながら、日々を過ごしています。

もし、ちょっとした失敗をしてしまって嫌な気持ちになったとき、自分に肯定的な優しいメッセージを思い浮かべてみませんか? 
試してみてもらえたらいいなと思います。

2015.10.14 カウンセリング
トラウマとレジリエンス~カウンセリングで大切にしていること

西 順子

女性ライフサイクル研究所では、1990年の開設以来、虐待、DV、性暴力など女性や子どものトラウマと回復をテーマに、カウンセリングからコミュニティ支援まで取り組んでいます。

カウンセリングに来談くださる方々から、「カウンセリングって何ですか」「カウンセリングって初めてでよくわからないのですが・・」とよくお聞きします。カウンセリングってよくわからないのは当然です。カウンセラーの私には説明責任がありますので、カウンセリングでできること、今後の可能性と限界など、今できる限りの説明をさせて頂きながら、同意のもとで、カウンセリングを進めていきます。

ここでは、カウンセリングをご検討されている方から、自分の生きづらさや苦悩がどこから来るのかわからない、今どうしていいかわからない・・という方まで、自分を理解しエンパワメントすることに役立てば・・と、トラウマのカウンセリングについて、カウンセラーとして大切にしていることをまとめてみたいと思います。

■トラウマのカウンセリングで大切にしていること

カウンセラーとして、トラウマ被害にあわれた方の回復をお手伝いさせていただくとき、大切にしていることが二つあります。一つは、虐待や暴力など自由を奪われ尊厳を傷つけられる体験はどれほど破壊的な影響を与えるか、被害者の視点からトラウマの影響を理解すること、もう一つは、誰にもトラウマを越えて生き抜く力、レジリエンス(回復力)が備わっていると信じ、レジリエンスを引き出し、レジリエンスを強められるようサポートすることです。

■トラウマの影響

被害にあわれた方が自分の生きづらさ、苦悩がどこに起因するかを理解することで、様々な症状は「自分がおかしくなったのではない」「異常な事態での正常な反応」と理解することが可能となります。自分の症状の理由がわかることは、自己否定、自責感、恥意識を乗り越えて、自己の尊厳を取り戻していく第一歩となります。

回復の第一歩は、「被害者であることを受け入れること」とよく言われます。
しかし「被害者である」と受け入れることは難しいことかもしれません。また受け入れるまで、とても時間がかかるものでもあるでしょう。「もっと何とかできたはず」「人に腹を立てたり、嫌悪したりする、愚痴ったりする自分が嫌。そんなことさっさと忘れて、前を向いていきたいのに」「自分が弱いから、もっと自分が強くならないと」「自分さえ我慢すればいい」と考えることもよくあり、それも自然なことです。

しかし、身体は症状や生きづらさとしてさまざまな形で訴えてきます。トラウマ的な状況や苦境を生き抜くなかで、その「傷つき」は、さまざまな症状や対人関係上の問題となって、「もう限界だよ」「これ以上無理だよ」と、声なき声として教えてくれているのだと思います。
「被害者であること」あるいは「傷つき」を受け入れることは、無力になることではありません。逆境を生き抜いてきた自分自身に敬意を示して、労わることであると思います。

カウンセリングでは、声なき声にも耳を傾け、「傷つき」を受け入れられるよう、症状について説明し、「傷つき」への理解を深めていきます。そして、症状とうまくつき合えるよう、コントロールするためのスキルを学んで頂いたり、心身へのアプローチ法を用いながら症状や苦悩の軽減を図ります。

■レジリエンス

トラウマ体験の中核は、恐怖感、無力感、孤立無援感です。「自分にはどうすることもできない」「一人ぼっちだ」という体験です。トラウマ的出来事に晒され被害を受けることで、自己や他者、世界に対する安全感、、安心感、信頼感が奪われるという、深刻なトラウマ(傷つき)を受けます。
一方で、誰もに、逆境を生き抜いてきたレジリエンス(回復力)があり、「強み」があります。「傷つき」を認めることが大切であるのと同様に、自分自身のもつ「強み」に目を向けることも大切です。

カウンセラーとしてできることは、自分がどうやってその状況を生き抜いてきたのか、そして今、どうやって何とかしのいでいるか、自分にあるレジリエンスに気づいてもらいながら、それを支持することです。そして、レジリエンスを強めることです。
回復のプロセスは、トラウマの影響を減らして、レジリエンスを強めていくことと言えるでしょう。
では、レジリエンスにはどのようなものがあるかと言うと・・、

レジリエンスの一つにコーピング・ストラテジー(対処戦略)があります。
自分がどうやってここまで生き抜いてきたか、そこに目を向けていただくことで、対処方法が見えてきます。自分自身は無力ではなく、生き抜いてきた自分があるのだと気づくことは自己を発見するプロセスでもあります。

例えば、子どもの頃であれば、「絵を描くのが好きだった、絵を描いているときは忘れることができた」「先生に読書感想文を褒められて嬉しくて、それから本をよく読むようになった」「漫画やアニメが好き」「とにかく勉強を頑張った。自分で自立して仕事ができるようにと」・・などがあります。

大人になってからであれば、「水泳をしているときは気分が晴れる」「美味しいものを食べにいると、気分転換できる」「アロマオイルなど、香りが好き」「仕事が支えてくれている」・・などがあるでしょう。

対人関係に困難を抱えているときには、「あまり関わらないようにする」とその人と距離をおくことや、味方になってくれる人の助けを求める・・などの対処をとることもあるでしょう。


レジリエンスの構成要因として、環境も大切です。私たち人間は環境との相互作用のなかで生きています。人は、コミュニティからアイデンティティ、所属感、意味を引き出します。安全な環境、安全な人との何らかの「つながり」があることは、レジリエンスを強めます。子どもの頃は環境を選べませんが、大人になって、可能な範囲で、安全な環境を選ぶことができればと思いますし、その選択肢が広がればと思います。


例えば、パートナーからのDVに晒されているというとき、「パートナーが怒りを爆発させ、きれそうなときは、家を出て、友だちの家に身を寄せる」「職場で理解してくれる人がいる。その方に相談にのってもらっている。」「自分のことを話せる友達が一人いる。しんどいときは、時々、話を聞いてくれる」「主治医の先生に話を聞いてもらっている」「子どもの心配ごとについては、保育所の先生に相談している。話を聞いてもらうとほっとする」・・など、逆境にあっても、安全な人とのつながりを保つことが大切です。

■回復のプロセス

このようにトラウマのカウンセリングでは、トラウマの影響への理解を深めながら、回復への道標となるレジリエンスを発見し、強めていけるよう取り組んでいます。トラウマから回復は、トラウマの影響を減らしながら、自分のもつ力を発見し、「つながり」を回復していくプロセスでもあるのです。それは、希望を見失わず、命を肯定することであると思っています。

回復のプロセスは、お一人お一人が違い、個性的なものです。来談くださった方の希望やニーズ、意思、選択を第一に寄り添いながら、伴走者となって、回復の道を歩むお手伝いができればと思っています。


※カウンセリングについては、こちらをご覧ください。⇒カウンセリングについて

※トラウマからの回復とレジリエンスについてはこちらもご参照ください。
  ⇒「トラウマからの回復とレジリエンス・モデル~回復の3段階と8次元」


■関連記事
2015年4月FLCエッセイ「セルフケアのヒント
2014年6月FLCエッセイ「女性のトラウマとセルフケア
2009年6月FLCエッセイ「心と身体をつなぐトラウマケア
2007年7月FLCエッセイ「トラウマ反応とケア
2006年11月女性ライフサイクル研究第16号「レジリエンス~苦境とサバイバル
1999年11月女性ライフサイクル研究第9号「生態学的視点からみたトラウマと回復
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2015.08.06 子ども/子育て
思春期の子どもの成長を支える~「バケモノの子」を観て思い巡らしたこと

                                                    西 順子


先日、今公開中の映画『バケモノの子』を観ました。バケモノの世界に飛び込んだ少年、九太(きゅうた)と、師匠のバケモノ、熊徹(くまてつ)とが共に成長していく物語。未来を生きる子どもたちへの温かい眼差しと、子どもの成長を応援する深い愛を感じる映画でした。この映画を観て、思春期の子どもと親・大人との関係性について、そして「愛とは何か」を考えさせられました。子どもの視点、親の視点から思い巡らしたことについて書いてみたいと思います。

■映画を観て

少年と父親代わりの熊徹との関係性は、子どもの視点にたってみると「こんな大人がいてくれるといいよなぁ」と理想的です。子どもと一緒にとことんつき合い、向き合う熊徹は、子どもにとって頼もしい存在だろうなと羨ましく思いました。


親の視点にたってみると、思春期になった子どもが変化し反発すること(=自立していくこと)への戸惑いや寂しさ、でも最終的には子どもを認め、後ろに引いて子どもを手放そうとする熊徹に、愛するが故の切なさを感じました。物語の最後、熊徹が表現した愛は、想像を超えていましたが・・(ネタバレにならないために書けませんが、涙があふれそうになりました)。


今の時代にあっては、子どもが成長していくためには、親でなくとも、熊徹のように子どもと体験を共にし、向き合い、愛をストレートに子どもに手渡してあげられる大人の存在が必要とされているのだと思います。


一方、九太と熊徹の関係性と対照的に描かれている親子が、一郎彦(いちろうひこ)とその父親の猪王山(いおうぜん)。猪王山も一郎彦を大切に思い愛しているのですが、その関係性は全く違うものでした。一郎彦と猪王山の関係性は「心の距離感が遠く」、子どもの疎外感と孤独が伝わってきました。そして親も子も、どちらも「本音」が見えずに隠されていました。そこには現代社会における父子(特に父と息子)の関係性が象徴されているように感じました。



■思春期の子どもの成長を支える


大人は子どものためを思い、子どもを愛する気持ちで、大人がよいと思うことを与えます。そして子どもは疑問なくそれを受け取り成長します。
しかし思春期を迎えるとき、子どもは親から受け取ってきたもの(価値感)に疑問を感じ、反発し、それを壊そうとするものです。そして「自分とは何か」を探求し、試行錯誤し、自分の価値感を構築していこうとします。それは親を客観的に見れるようになるからこそできることであり、親離れであり、自立へのプロセスで、それが思春期の子どもの仕事です。


しかし、親からみると「以前はいい子だったのに、どうしてこうなってしまったの?」「今まで子どものためを思って、ここまでしてきたのに・・」と、受け入れがたい気持ちになったりします。
しかし、子どもの人生の主人公は「子ども」です。といっても、まだ子どもから大人への過渡期。子どもが思春期の課題を乗り越えていくには、成長を支えてくれる親、大人の存在が不可欠です。かといって今までと同じ関わりでは役に立ちません。


思春期を迎えた子どもが成長のために必要としているのは、「大人が誠実に、本音で、ありのままの自分と向き合ってくれること」、そして「子ども扱いせずに対等に関わってくれること」です。そのことを、『バケモノの子』を観て再確認させられました。


「思春期の子どもをごまかさない」姿勢が大切なのです。嘘、ごまかしは子どもの信頼を損ねます。子どもが大人を信頼できることが必要で、他者を信頼できることは自分を信頼することとつながるのです。

■思春期の子どもと向き合う


思春期の子どもの心に寄り添いたいとカウンセラーを志してから早30年が過ぎました。そんな私のカウンセラーとしての原点を思い出させてくれた映画でした。これからも、一人の大人として、子どもと向き合い、親や家族に寄り添うことができれば・・と思います。


女性ライフサイクル研究所では、不登校、引きこもり、摂食障害、うつ・不安、いじめ、デートDV、暴力被害・・など、思春期の子どもと親への心理的援助(カウンセリング)を提供しています。子どもが未来に希望をもって歩めるよう子どもの伴走者となりながら、親御さんには、子どもの行動の意味、コミュニケーションの取り方や関わり方を共に考えていければと思っています。


子どもと大人、子どもとコミュニティ・社会とをつなぐ「橋渡し」となれればと願って・・。

お勧め図書:
『思春期の危機と子育て』村本邦子・前村よう子著、三学出版。
『プレ思春期をうまく乗り切る!大人びてきたわが子に戸惑ったときに読む本』村本邦子著、PHP研究所。


関連記事:
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2015.05.31 カウンセリング
カウンセリングの窓から~母娘の心理と癒し〈娘編〉

                                            西順子 

女性ライフサイクル研究所では、女性が抱える傷つきや生きづらさ、あるいはトラウマについて、女性の視点から取り組んでいます。女性が抱える生きづらさを考えるとき、「娘であることの傷つき」は普遍的なテーマの一つといえるでしょう。

「自分に自信がもてない」「何をやってみても自信につながらない」「人からどう思われるか気にしてしまって、人と関わるのもしんどい」・・といった生きづらさの背景には、娘としての傷つきが関係していることがあります。その背景には、親(主たる保護者)から褒められたり、認められたという実感がないということがよくあります。

今回は、母と娘の関係における娘の傷つきに焦点をあて、娘はその傷をどう癒していけるのか、そのヒントを提供できればと思います。女性は誰もが母の娘です。娘の立場からお読みいただければと思います。

●母と娘の心理

まず、母と娘との間で形成される心理について、女性の視点からその特徴を紹介しましょう。一般に女性は、ジェンダーの社会的要請を受けて、子どもの頃から人の世話をし、ケアをする役割を期待されて育てられます。それは「私は~したい」「私は~が好き」を優先するよりも、「~しなければいけない」「~すべき」と他者の欲求や要求に従い、優先することが求められます。その結果、女性は育つ過程で、自分の欲求を抑えることを学ぶことになります。自分の欲求を我慢し、抑圧することで生きてきた女性が母親となるとき、娘との関係性はどうなるでしょう・・。

オーバック、アイケンバウム(1988)は、母親であることがもたらす積極的な喜びや満足感とは別に、母親がもつもう一つの自己像について明らかにしました。自分自身の欲求や欲望を長年に渡りきり詰めてきた結果、母親は「欠乏感に悩み、十分な愛情を受けていないと感じ、しかもそれを受ける資格もなく、不十分で、自分の要求をはっきり口にだすことすらできない」という自己像をもつと言います。オーバックらは、この「愛情を求める」母親自身の一部を、「内なる少女」と呼びました。母親が娘をもつとき、この「内なる少女」が露呈すると言います。

母親は娘と性とジェンダーを共有することから、無意識的に娘と同一化します。その結果、娘が欲求をあからさまに示すのを見て戸惑い、なぜ同じように自分の欲求を抑えないのかと、娘に対して怒りと不同意を示して反応してしまいます。
例えば、息子には身の回りの世話をやいても、娘には「自分のことは自分でしなさい」と情緒的な甘えを許さないことがあります。母にとって、息子は「他者」であるのに対して、娘は自分の延長線上にあるように感じ、同一化してしまうのです。

そして母親は情緒的ケアを求める渇望や願望を娘に投影し、娘に愛情、慰め、ケアを求めると言われます。例えば、「母親の愚痴を聞かされて、自分の話は聞いてもらえなかった」という娘の声はその一つでしょう。


娘は母親からケアテーカーであることを求められ、母の自己実現を求められると、娘は自分の欲求を抑えこみ、隠しておかなければならないものとなります。母から娘へと「愛情を求める渇望や欠乏感」が再生産されていくといえるでしょう。

●情緒的ケアの喪失と女性の人生への影響

子ども時代に情緒的ケアを受けられない状況のなかで、娘は「内なる少女」や「本当の自分」を隠して、その環境に適応する自分を育てることで生き抜いていきます。


しかし、大人になり、青年期、成人期に入り、この対処法では通用しなくなってくるときがきます。子ども時代の対処法が壊れるきっかけには、20代、30代での「親密な関係のバランスの変化」があると言われます。


20代、30代では、恋愛/失恋・結婚・妊娠・出産・子育て・離婚など、パートナーや子どもとの親密な関係に変化が生じやすく、女性にとって人生の危機となることもあります。 危機にあっては、苦悩とともに、さまざまな心身の症状となって現れることもあるでしょう。


例えば、「内なる少女」の情緒的な飢餓感、空虚感は、身体的なぬくもりや一体感を求めて、性関係を求めるということもあるでしょう。しかし自己肯定感の低さから、自分を傷つけるパートナーと一緒になり、それが人生の危機となることもあります。


また、十分に情緒的なケアを受けられなかった傷つきは、女性が子どもを生み、育てるときに、抱えきれない不安となって現れることもあります。「自分も母親のようになるのではないか」あるいは「同じことをしてしまう」と不安や怖れがついてまわることがあります。

●傷つきを癒す

では、娘はどのようにして、傷つきを癒し、人生の危機を乗り越えていけるでしょうか。 まず、子ども時代の喪失を悼む作業が必要です。そして他者に助けを求め、自分自身のケアに取り組むことが必要です。

自分自身へのケアとは、自分に対して、優しさ、慰め、励まし等を提供することです。
落ち込んでいるときは慰めを、努力したときには自分を褒め、疲れているときには労わる等、自分に対して共感的に関わることです。
自分でケアするのが難しいときは、自分の気持ちに共感してくれそうな友達やパートナーに話を聴いてもらう等、他者からケアや協力、助けを受けることも大切です。ケアには、身体的なケア、情緒的なケア、スピリチュアルなケアがあるでしょう。

バソフ(1996)は、癒しのプロセスを完了させるための方法として、「母に代わる人との出会い」「自然による癒し」「創造による癒し」を挙げています。

例えば、動物や植物の力強い生命力に触れることは傷ついた心や魂を深く慰めてくれます。自然とふれあうなかで、宇宙との一体感を経験し、その一体感のなかで様々な感情を解き放つことができると言います。

母もまたかつて娘であったし、今もまた娘であるでしょう。年齢や立場を超えて、女性が自分のなかの「内なる少女」を抱きしめ、優しく接する気持ちで自分と関われることを願っています。

娘の女神ペルセポネーがそうであったように、娘が母といったん分離し、自分の傷つきを癒し成長した後には、母との関係が変容するかもしれません。

「渇望は、内なる知識と必要なことを知らせる導き」と言われます。女性が自分の内にある欲求に気づき、内なる声に従って自分の「生」を肯定して生きることができれば、娘を抑圧することはなくなるでしょう。それが可能となる環境(あるいは社会)となることを願います。


女性ライフサイクル研究所では、現在娘である方も、母親の立場にある方にも、娘としての傷つきをケアし、喪失を悼む作業をお手伝いしながら、命の肯定と未来への希望を伝えていくことができればと願っています。

 

【参考文献】
アイケンバウム、オーバック(1988)『フェミニスト・セラピー』(長田訳)新曜社。
バソフ(1996)『娘が母を拒むとき~癒しのレッスン』(村本邦子・山口知子訳)創元社。

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2015年3月FLCエッセイ「カウンセリングの窓から~思春期の娘と母〈母編〉」
2014年5月メディア掲載 「母娘の「毒の吐き合い」壮絶食卓バトルから見えるものは・・映画『8月の家族』たち」
2012年4月メディア掲載 朝日新聞「お母さんキライ・下~人生つづり心取り戻す」
2000年10月年報10号「女性の自己実現と心理療法~『血と言葉』を女性の視点から読み直す」(西順子)
1999年10月「娘に女性としての自分を投影する母親たち」(村本邦子)
  『子育て情報センターKANAGAWAまいんどブックレット64号』

2015.03.29 カウンセリング
カウンセリングの窓から~思春期の娘と母〈母編〉

                                            西 順子

 「いったい何を考えているのか、わからないわ」「今まで、とってもいい子だったのに、どうなってしまったのかしら」・・、思春期になった娘の変化に戸惑い、どう対応したらいいのかと途方に暮れた母親から、よく相談をお受けします。
 思春期の娘の変化は、「門限を守らない」「反発する」「何も話してくれない」という行動から、摂食障害、不登校、引きこもり、親への暴力、リストカットなど心身の症状となって現れることもあります。
 母親から見て、危なっかしくて心配な思春期の娘には、まだまだ親の「助け」が必要ですが、思春期を迎えた娘への「愛」には、相手から離れることが必要になってきます。
 ここでは、母親が思春期の娘を理解し、「離れる」ことの喪失を受け入れ、母親として自分自身を成長させるヒントを提供できればと思います。

思春期の娘と母親
 思春期の娘たちにとって一番大きな仕事は、親とは違う自分だけのアイデンティティを獲得することです。そのためには、自分の信念や価値観や抱負をもち、自分らしい生き方を見つけ、家族の保護から離れて自分だけで生きていける自信を身につけることが必要です。そして、「私は誰か」という人生の根源的な問いに、自分なりの答えを出さなければなりません。

 『母は娘がわからない』の著者イブリン・バソフは、「こうした仕事を(娘が)やり遂げるためには、自分の成長を脅かす存在から離れる必要がある。そしてほとんどの場合、母親たちこそ彼女の成長を脅かす、もっとも大きな存在なのだ」と言います。母親像とは、よい意味でも悪い意味でも圧倒的な力を含んでいるものです。思春期の娘たちは、守ってほしい、という強い内的欲求と闘いながら、母親との間に精神的距離を置き、その影響から少しずつ離れていこうとしています。

 「蝶」になる前に「さなぎ」の時期があるように、娘が自分の周りに防御壁をつくり、母親を遠ざけようとすることがあっても、それは成長のために必要な時間です。内面にエネルギーを注ぐ時間です。娘が完全に大人になり自分に自信をもてるようになったとき、娘は安心して母の元に戻り、大人の女性同士として、つきあうことができるようになるでしょう。

「母親」を越えて成長する 
 娘との強い結びつきを緩め、娘との間に距離をおくことは、母親にとっては一種の喪失の体験です。母親としての役割とその関係を失うことで、「空の巣抑うつ」といわれる空虚感とうつ状態に陥いることが知られています。喪失を受け入れることには痛みを伴いますが、ライフサイクルの変化を受け入れ、喪失と向き合い、悼む作業が必要です。
 また思春期の娘との「子離れ」は母親にとって成長の機会です。バソフは、「女性の人生において、智慧や成熟や人生の意味を獲得するうえで、これほど大きなチャンスはない」と言います。

 では女性は、「子離れ」という喪失の体験をどのようにして乗り越えていくことができるでしょう。ギリシャ神話に登場する母なる女神デーメーテールの物語から、喪失を乗り越えるためのエッセンスを紹介しましょう。

母娘の物語
 母なる女神デーメーテールは穀物の女神として、および乙女ペルセポネーの母親として崇拝された女神です。もっとも有名なのは娘ペルセポネーの誘拐とデーメーテールの反応をめぐっての神話です。娘がある日突然、冥界のハーデースに誘拐されてしまいます。デーメーテールは娘を不眠不休で捜しますが見つからず、ついに失望して一切の女神の仕事をやめてしまいます。その結果、地上の穀物が育たなくなり飢饉がおそって人類が滅びそうになりました。とうとうゼウスは黙って見ておれなくなり、使者をハーデースのもとに派遣し、娘を地上に帰還させました。デーメーテールは娘と再会してから、大地に豊穣と成長を回復させました。この神話が下地となり、エリウシースの秘儀が起こりました(二千年以上にわたって古代ギリシャの神聖かつ重要な宗教的儀式)。

自分自身のよい母親になる
 子どもに注いできた世話とエネルギーを、自分自身に焦点を合わせて行うことを学ぶ必要があります。自分の母親になり、自分自身の欲求やニーズに応えてあげれるよう行動することが大切です。「これが本当に今自分がしたいこと」と自分に尋ね、自分のために時間を使いましょう。

「母であること」を越えて意識を拡大する
 自分の生活のなかに、「母親」とは違った人間関係を意識してつくる必要があります。子ども抜きで夫や友人と外食をする努力をしたり、ジョギングや瞑想、趣味といった自分だけの活動の時間をとるのもよいでしょう。また、仕事を再開したり、社会活動に参加するなど社会とつながる「意味ある何か」を見つけることもよいでしょう。


抑うつからの回復
 これまで生きがいを与えてくれていたものが無くなったとき、デーメテールは、悲しみにくれて気が滅入り、抑うつ状態に陥りました。デーメテールの物語では、抑うつからの回復と成長には、二つの解決策があります。一つは、誰か他の人を愛し育てることです。もう一つは、「若さ」の元型が戻ってくることです。
 時が過ぎ、涙と怒りの後、何かが芽生えるような感情が動き出します。もう一度生命力と慈愛にあふれる自分にかえっているのに気づきます。苦しみの時期から回復した女性は、智慧と精神的な理解力が増しています。  
                                   『女はみんな女神』より

 思春期の娘と適切な距離をとるのが難しいとき、母自身も母親との関係で適切な距離をとれずにきたということもあるでしょう。そのような場合、自分自身と母親との関係を整理し直し、過去の喪失を悼むことが必要です。母親が喪失を受け入れ成長することは、娘の自立の基盤として娘を支えることでしょう。
 

 ギリシャ神話の女神デーメーテル(母)と女神ペルセポネー(娘)の物語では、それぞれが喪失と苦しみを乗り越えて成長します。季節にはサイクルがあり、冬のあとに春が訪れるように、人も一定のパターンに従って変化していきます。
 女性が母と娘の関係に悩むとき、カウンセリングでは、それぞれが喪失と苦しみを残りこえて成長し、新しい自分と出会うお手伝いができればと思っています。女性ライフサイクル研究所では、娘と母と、それぞれにカウンセラーがついて進めていきます。なお、年齢等に応じて、娘のみ、母のみでお越しいただく場合もあります。詳しくはお尋ねください。


参考文献:
『母は娘がわからない~子離れのレッスン』イヴリン・バソフ著、村本邦子+山口知子訳、創元社。
「9章・穀物、養育者、母の女神デーメーテール」『女はみんな女神』ジーン・シノダ・ボーレン著、村本詔司+村本邦子訳、新水社。

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2014年5月メディア掲載「母娘の「毒の吐き合い」 壮絶゛食卓バトル゛から見えるものは・・映画『8月の家族たち』
2013年7月FLCエッセイ「思春期の山を乗り越える」
2010年3月FLCエッセイ「巣立ちの春」

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