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FLCスタッフエッセイ

2018.12.12 コミュニティ
2018年度対人援助学会第10回大会に参加して

                                                           朴 希沙

去る111718日、立命館大学にて開催された対人援助学会に参加し、ワークショップを行ってきました。

対人援助学会とは、「既存の医療・福祉・心理・教育等の学問領域を超え、広く『人を助け、エンパワメントを実現する』支援実践や臨床研究の探求を通じて、『対人援助学』(Science for Human Services)の創造という多職種の、学問と実践の『連携と融合』の舞台となること」(対人援助学会ホームページより)を目的に設立された学会です。

既存の枠組みにとらわれず様々な領域で活動をしている専門家・非専門家の方々が集まり、お互いの実践について紹介したり交流を深めたりする刺激的な学会です。

私は、現在翻訳・出版活動を行っている「マイクロアグレッション」という概念について紹介し、ワークショップを開いてきました。

今回は、旧来の明白な差別とは異なる、現在の曖昧な形態をとる差別「マイクロアグレッション」について少し紹介させていただこうと思います。

私がマイクロアグレッションに出会ったのは、在日コリアンの当事者研究グループを行っているときでした。

近年、在日外国人を始めとして、社会的弱者の人々を攻撃するヘイトスピーチが話題になっていますが、私たちはグループを行っている際、ヘイトスピーチとは異なる日本社会で経験する形容しづらいもやもや感、心理的ダメージについて説明する言葉が必要であることを感じていました。

Microaggression(マイクロアグレッション)という用語はChester Pierceによって1970年代に初めて使われました。

Pierceは論文の中で、日常的にアメリカの黒人に向けられる、形容しづらい、しばしば無意識的に行われる中傷や侮辱を言い表そうとしたのです(Pierce, Carew, Pierce-Gonzalez, & Willis, 1978)。

現在、マイクロアグレッションは①明示的に相手を傷つけることを目的として行われるMicroassault(マイクロアサルト)、②無意識的に相手を侮辱するMicroinsult(マイクロインサルト)、 ③無意識的に相手の社会的経験を無価値化するMicroinvalidation(マイクロインバリデーション)の 3 種類に分類されています。

その中でも、マイクロインバリデーションが最もネガティブな影響を被害者に与えると考えられています。

マイクロインバリデーションとは、例えば、人種差別に悩んでいる黒人の人に対して白人が「肌の色なんて関係ないじゃない。私はあなたを黒人として見たことなど一度もないわ」と言うことや、「世界にはたったひとつの人種がある。それは、人類という名の人種さ」と言う発言等が当てはまります。

これらの発言は攻撃の意図が明確にあるわけではありません。むしろ、相手を励まそうとして言った言葉かもしれません。

しかし一方で、これらの発言は、相手の人種的・社会的経験を無視し、存在しないものとしている点で、その体験や発言を無価値化することからマイクロアグレッションの一形態とされます。

どんなマイクロアグレッションも、1 度だけなら影響は小さいでしょうが、日常的な累積によって、旧来の明白な差別以上に被害者に怒りやフラストレーション、孤独感や自らのアイデンティティへのネガティブな感情を生み出し、自尊心や自信を喪失させる可能性があることが示唆されています(Sue et al.,2007)。

ワークショップでは、マイクロアグレッション概念の紹介の他、複数の事例を会場で朗読し、それについて小グループに分かれてディスカッションしました。

小グループのディスカッションでは、マイクロアグレッションという概念への戸惑いや、自分がこれまで体験してきたこと、マイクロアグレッションが起こったらどうしたらいいか、等について話し合いました。

今回のワークショップを通して、私はマイクロアグレッションが人々の言動をラベル付けしたり評価したりするためのものではなく、対話の種になればいいなと改めて感じました。

例えば、社会的に異なる立場の人が交流した際、そこで立場の弱い人が嫌な思いをして、なかなかそれを言語化しづらいことがあるかもしれません。

マイクロアグレッションは多くの場合無意識的に生じるので禁止や予防は非常に難しいと考えています。この社会で生きている以上、差別や偏見から自由な人などほとんどいないでしょう。

だとしたら、無意識的で曖昧な差別や偏見(マイクロアグレッション)を相手に向けてしまった時、それはある意味仕方がないことと一旦受け止めた上で、そのことを契機にいかに相手と対話していくことができるのかが重要になってくるのではないかと思います。

そのためには、「なぜマイクロアグレッションをしてしまったのか」ということを個人に問うよりも、「どのような関係、状況でマイクロアグレッションは生じるのか?」ということをテーマに、マイクロアグレッションという現象そのものを探求していく必要があるのではないかと考えています。

つまり、差別の被害・加害を個人の特性や心に還元するのではなく、無意識的に私たちが共有している社会的事柄として、マイクロアグレッションという現象そのものをテーマに据え、それを「研究」するという態度で話進めていくという方法です。

私は、今回の学会でのワークショップを足がかりに、今後様々なところで同様のワークショップを開いていきたいと考えています。

日常の中での小さなすれ違いや立場の違いから生じる葛藤について、どのようにすれば安全に相手と理解し合える対話が出来るのか、今後じっくりと模索していきたいと思っています。

【参考文献】

Pierce, C., Carew, J., Pierce-Gonzalez, D., & Willis, D. (1978). An experiment in racism: TV commercials. In C. Pierce (Ed.), Television and education (pp. 62- 88). Beverly Hills, CA: Sage. 

Sue, D. W., Capodilupo, C. M., Torino, G. C., Bucceri, J. M., Holder, A. M. B., Nadal, K. L., & Esquilin, M. (2007). Racial microaggressions in everyday life: Implications for clinical practice. American Psychologist, 62, 271-286.

Sue, D.W.(2010). Microaggressions in Everyday Life: Race, Gender, and Sexual Orientation. Hoboken, N.J.: John Wiley & Sons.

2018.09.16 コミュニティ
フィンランド便り③ーオープンダイアローグに触れて

                              朴希沙

20186月半ば~9月頭まで、私はフィンランドの中部に位置する大学の街、ユヴァスキュラで過ごしました。3回連続のフィンランドからの便り。最終回は、フィンランド発祥の精神医療、オープンダイアローグについて紹介します。

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はじめに

オープンダイアローグという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

これは、フィンランド発祥の投薬に頼らず平等で開かれた対話によって治療を行う精神医療の実践のことで、その民主的でユニークな手法や治療実績から現在世界中から注目が集まっています。

私は8月末~9月頭にかけて、オープンダイアローグが実践されているフィンランド北部の小さな町、トルニオを訪ねました。

今回は、実際にオープンダイアローグを創ってきた人たち、そして現在実践されている人たちとの交流を通して学んだことについて書いていきたいと思います。

オープンダイアローグとは?

オープンダイアローグとは、日本語では「開かれた対話」を意味します。

その手法は、統合失調症という、従来は投薬治療が中心である心理的な病に対してさえ、対話の力によって結果的に治癒をもたらし、症状の再発をおさえることから、精神医療の世界では驚きを伴った注目が集まっています。オープンダイアローグは1980年代から着実に成果を上げ、現在はフィンランドの公的な医療サービスとして、西ラップランド地方のトルニオでは無料で治療が提供されています。

その過程は驚くほどシンプル、そして考え抜かれたものです。

*参加者に対して、オープンであること

まず、患者さんやその家族から、病院に相談の電話が入ります。

オープンダイアローグでは医師・看護師・心理士・ソーシャルワーカーといった医療に従事する人々との間での協同・対等・民主的な関係が非常に重視されています。この電話をとるのも、様々な役職の医療従事者ですが、電話をとった人が責任を持って治療チームを結成し、初回ミーティングに臨みます。そして24時間以内に、相談者が安心して話し合いを行える場所に、治療チームが出向きます。

そう、オープンダイアローグは1対1の、診察室やカウンセリングルームで行う治療とは根本的に構造が異なっているのです。それは基本的に2名以上の専門家がチームとしてミーティング(診察やカウンセリングとは呼びません)に参加し、相談者を(無理に)病院に連れて来ることなく、治療を進めていきます。重篤な急性の精神疾患であっても、この基本原則は変わりません。

そして、このミーティングには相談者本人に関わる重要な人物であれば、誰でも参加することが出来ます。家族でも、恋人でも、友人でも、学校の先生や近所の住民でも参加できるのです。まず参加者に対して、非常にオープンであるといえます。

またこの際結成された専門家による治療チームは、同じメンバーで継続的に相談者本人とその関係者を支えていきます。

*決定に対して、オープンであること

次に重要な点ですが、投薬や治療の進め方、入院等についての決定は、本人がいないところでは決して決めないし、そのことに関する話し合いも行いません。

治療に関するあらゆる決定は、本人を含む関係者全員が参加するミーティングで決められます。そこでは、ひとりひとりの意向が十分に尊重され、傾聴されます。

患者から必要な情報を聞き出し、医師が一方的に治療方針を決めたり、患者やその家族がいないところでカンファレンスを行ったりしません。代わりに、「リフレクティング」という手法を用いて、相談者やその家族の眼の前で専門家同士が話し合います。

その意味で、何かを決定することに対して、非常にオープンなのです。

*不確実であることに対して、オープンであること

オープンダイアローグは、「技法」や「治療プログラム」ではなく「哲学」や「考え方」であることが、しばしば強調されます。性急な結論や治療方針を決めるのではなく、対話それ自体が目的だからです。だから、「今後、どうなるんだろう?」という不確実さ、不安感にいつも耐えて進んでいかなくてはいけません。

それを可能にしているのが、継続的に、必要であれば毎日でも同じ専門家チームに支えられて開かれるミーティングです。

結果や今後の不確実さに対して開かれていること、これもオープンダイアローグにおいて重要な哲学です。

だからたとえ意見が対立していてもそれをすぐにひとつの意見にまとめようとしたり価値判断をしようとしたりしません。意見が異なる中で傾聴とやりとりを続けていくこと、それが重視されるのです。

そのために、1度のミーティングではなんの合意にも至らないこともあります。その場合は何も決まらなかったことが確認されます。

◎それは、どんな体験だったのか?

日本にいたころ、私はオープンダイアローグについては本や論文を通して見聞きしていて、それは実際どのようなものなのだろうかととても興味を持っていました。今回、実際にトルニオの町を訪ね、実践されている人たちとお話していく中で、次のようなことを感じました。

*不確実さに耐えることを支えているもの

日本にいた頃、私が非常に難しいと感じていたことのひとつが、「不確実であることに耐える」というオープンダイアローグの基本的なスタンスでした。

話し合うこと、対話すること、それだけがまずは目的であるという在り方には非常に惹かれるものの、「それで、どうするの?」「何も決まらなかったら、相談者も治療者も不安じゃないかな?」と思っていました。ですが、実際に実践されている方々のお話を聞いていくうちに、それは「心のもちよう」とは異なるものだと感じました。

なぜ、不確実であることに耐えられるのか。それは、継続的に同じメンバーで話し合っていけるという確信があり、そのことに対するしっかりとした安心感があるからだということに気づいたのです。

継続的に複数の人々の間で話し合っていける、ということに対する信頼感が、不確実さに耐え、結論を急がずにいることを支えています。

また、「話し合い」と「不確実なものへの耐性」というこのふたつはコインの裏表のような関係であることも分かってきました。

つまり、話し合いが継続してできるからこそ不確実さに耐えることができるし、不確実なものに開かれているからこそ多様な人々の間での話し合いを継続できるのです。

そのためには、スタッフや専門家の間の関係性が非常に重要だと思いました。そこでの信頼関係や関係性が話し合い全体を支える土台になるからです。

チームで働くことの素晴らしさやその可能性について、改めて実感し、また驚いたのでした。

100%の同意を求めないからこそ、話し合いを継続できる

次に私が驚いたのは、異なる意見、対立する意見に対して現地の方々が非常に落ち着いて反応されている、ということでした。

これは私の感覚ですが、日本では異なる意見を言うことそれ自体が難しく感じられたり、対立が避けられがちになったりすると思います。逆に対立や意見の相違が明らかになった場合、相手に対する怒りや「同じでないこと」に対する強い感情が湧いてきたりもするのではないでしょうか。これは、私は日本及びアジアの文化ではないかと感じています。

それに対して、オープンダイアローグを実践されている方々は「個人」というものが非常にしっかりと確立していると感じました。相手と自分とはそもそも異なる存在だし、100%同じ意見になることが重要でもない、という認識を根本的に持っておられると感じたからです。

皆で何かひとつのことに決めなくてはいけない時はあるでしょう。しかし、オープンダイアローグでは(事務的なことをのぞいて)話し合いの中で自然に答えがでることを待ちます。異なる意見を説得してひとつの意見に集約させなければいけない、とは考えられていません。

同じ意見になることは、重要ではないのです。それよりも重要なのは、意見が異なり、違う人間でありながらも互いに話を続けているという関係性なのです。

どんなに親しい間柄でも、互いの全てを知っているわけではなくそれぞれ大切な自分のスペースを持っていて、そうでありながらも深い関係性を持続している、ということが私には衝撃的に感じられました。これはひとつの、カルチャーショックのようなものだと思います。日本にいたころは、非常に親しい間柄といえば家族のようになんでも共有している、同じような意見である、というイメージがありましたから。

以上、非常にざっくりとですが、3つのオープンという視点からオープンダイアローグについて、そして実際にトルニオの町を訪ねて私が感じたことについて紹介させてもらいました。

またこの3ヶ月間、フィンランドでの生活で新しい価値観に触れ、多くの刺激を受けました。特にフィンランドの女性の在り方、生き方に対して驚きと憧れを感じました(これについてもまた書ける機会があれば、と思います)。

これからの問いは、この体験を今後の自分の実践にどのように活かしていけるか?とういうことです。

異なる文化や価値観に触れるということは、自分の中に新しい物の見方が生まれる、ということでもあると思います。これまで当然だと思っていたことが、実はそうではない。私達の社会で当たり前だと思われていることが、違う社会にいけば当たり前ではない。例えば私達の社会では「子どもは母親が育てるのが当たり前」と思われていますが、フィンランドではそうではないんです。むしろ「父親と母親が平等に育児を担当するのが当たり前」である社会でした。

短い期間でしたが、フィンランドで得た新しい物の見方を大切に、今後の日本での実践や生活に活かしていきたいと思っています。

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【参考文献】

斎藤環著・訳(2015) 『オープンダイアローグとは何か』 医学書院

2018.07.08 コミュニティ
フィンランド便り②-フィンランドの暮らし

                                朴 希沙


現在、私はフィンランドの中部に位置する大学の街ユヴァスキュラに来ています。6月から3ヶ月間、ここで姉・姪・甥とひと夏を過ごします。フィンランドってどんな国?実際に来てみると日本と違うところもたくさんあるようです。3回連続のフィンランドからの便り。2回目は、フィンランドの田舎の暮らしをご紹介します。

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6月後半の週末、私たち家族はユヴァスキュラから車で1時間ほどの小さな町、カンガスニエミに行きました。
ここには、姉の知り合いのペッカさん一家が暮らしています。ペッカさんは、私たちが暮らすユヴァスキュラが「都会過ぎるから」とカンガスニエミに住んでいます。でもユヴァスキュラにも森や湖があるし、歩いているとちょくちょくうさぎもみかけるので、私たちは少し不思議に思っていました。

ユヴァスキュラからカンガスニエミまでの道は、ずっと森と湖が続いています。
湖と森が織りなすフィンランドの夏の景色は爽やかでとても綺麗です。
フィンランドには有料道路はないそうで、高速道路にも乗りましたが料金をとられることはありませんでした。「パーキングエリア」と言われた一角にも小さなパン屋さんのようなものがひとつあるだけで、日本の高速道路とはかなり異なります。

そしておうちに到着してみて...びっくり!
2018年、フィンランドは世界幸福度ランキングで1位をとっていますが、今回その暮らしを少し体験させてもらい、その理由を垣間見ることができました。実際、素晴らしい生活が広がっていて、私たち家族はみな驚いたのです。今回は、ペッカさんご家族にご了承をいただき、その暮らしをご紹介します。

ペッカさん家族が暮らすお家は、とても素敵なおうちでした。
広々としていて、どこもきちんと整っています。派手だとか、ゴージャスだとかそういうことではなく、おうち全体から飾り気のない、静かな愛情が伝わってくるのです。

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このおうちはペッカさん一家が職人さんたちとで相談しながら作ったそうです。
家族で家のタイルを張ったり、サウナも作ったりしたそうで、家のあちこちにかわいい模様が入れてあります。
フィンランドではこのように家を建てる際自分たちで作る人たちも多いそうです。職人も色々な種類の人がいるらしく、例えば窓枠専門で作る職人、台所を専門で作る職人等がいるとのこと。

この日私は娘さんのお部屋に泊めてもらいました。ずいぶん居心地のよいお部屋で、私たち家族は「このお部屋からは、娘さんが大切にされていることが伝わってくる」とすっかり感動してしまいました。
例えば、娘さんのお部屋には大きなドールハウスがあります。これは、ペッカさんの親戚の一人がコツコツと手作りしてプレゼントしてくれたものだそうです。凝った作りで、中にはサウナもあります。

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その日は夏至だったので、お昼ご飯はみんなでソーセージを焼いて食べました。フィンランドでは夏至の日はソーセージを焼いて食べるそうです。

また午後にはペッカさん家族が「パイを焼きましょう」と言ってくれました。
ペッカさん家族は夏の間、「夏の家」という山小屋のようなところに行くそうです。
そこにはペッカさんの親戚の森があって、自然のコケモモやブルーベリーが一面になっている場所があるんだとか。
「ブルーベリーがたくさんあるからね」と、大きなブルーベリーパイを一緒に焼きました。

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ブルーベリーパイを焼いている間、「夜はサウナに入りましょう」と言ってもらい、一緒に準備を手伝わせてもらいました。
サウナは薪で温めます。「夏の家」からは薪もたくさんとれるそうで、お家の薪小屋にたくさん積んでありました。やり方を教えてもらったので、すぐに火をつけることができました。
お家の周りの庭や畑にはりんごの木やお花が咲き、いちごもなっているので、姪は喜んでいちごを摘んで食べていました。

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おうちの中にいると本当に静かで、鳥のなき声と風の音しか聞こえません。

夜は、スパゲティをみんなで作って食べてから、サウナに入れてもらいました。

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薪をくべて温めた石に水をかけ、その水蒸気でサウナ全体を温めます。体が熱くなったら外に出て体を冷やし、寒くなったらまたサウナに入るということを繰り返します。そうすると体が芯から温まって本当に気持ちがよいのです。私がペッカさん家族に「とても贅沢ですね」と言うと、「ああ、そうですか?贅沢、といわれたらそうなのかもしれませんね」とおっしゃっていました。とても静かで、落ち着いたご家族でした。

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夜娘さんのベッドに横になると、かわいい模様で飾られた天窓が見えました。

次の日の朝はコーヒーとヨーグルト、シリアルを食べました。
たっぷりのヨーグルトにおうちで作ったコケモモやいちごのソース、それから蜂蜜をかけます。

ペッカさんご夫婦は娘さんのことが大好きなようで、時々娘さんのことを話します。私たちも、どんな風に娘さんを育てたのか聞きました。
「いけないことはいけないといい、よくできたら褒めてあげる。でも叱るときも褒めるときもいつもひざの上に乗せて、言い聞かせる。よく聞いていましたよ」と静かにおっしゃっていました。

帰る前におうちの周りのお散歩もしましたが、どこもお庭やお花をきれいにしていて、野菜も作っています。
お隣は自宅で床屋さんをしているおうちでしたが、ペッカさんのおうちと同じくらい大きくて、子ども用のジャングルジムや滑り台、ブランコもありました。子どもがたくさんいるおうちだそうです。

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フィンランドの田舎の方は、家が広々していて、とても美しい景色が広がっていました。私はリンドグレーンという作家が好きで、特に『やかまし村の子どもたち』という作品を何度も読んでそこでの生活に憧れていたのですが、まるでその本に出てくるような場所が実際にあったので驚いてしまいました。

夏は仕事が終わったら毎日散歩、冬はスキーを楽しんでから、おうちの暖炉であたたまるそうです。
フィンランドの豊かさは華美な贅沢さやショッピング、消費の楽しみにあるのではなく、このような日常に静かな幸福が満ちているところにあると、今回実感しました。
ペッカさんご家族が日本にいらした際には、素敵な場所にぜひご案内したいと考えています。

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2018年6月FLCスタッフエッセイ「フィンランド便り①~フィンランドの保育園事情

2014.06.15 コミュニティ
「居場所とは何か」~学会発表のご報告~

                                                        仲野沙也加

 先日、コミュニティ心理学会でポスター発表を行った。学生時代に一番熱心に取り組んだ修士論文を何らかの形でまとめたいと思い、もう一度振り返る作業を行い、発表することとなった。題目は「居場所の概念の検討―「場の居心地」「人の心の拠り所」に着目して―」であった。今回のエッセイでは恥ずかしながら発表させていただいた論文の一部を紹介したい。

 

 修士論文に取り組んだきっかけは、「居場所」支援にかかわったことであった。「居場所」という言葉は、心理臨床や学校現場に関わる人たちをはじめ、私たちの間で随分と馴染みのあるものになってきている。では、そのように関心が高まってきている「居場所」とは何なのであろうか。また私たちは、どのような場所と関係を築き、そこを自らの「居場所」と定め、そこに「居る」のか問題意識を持った。

 人がある場所に「いる」ということは最も当たり前かつ自然で、だからこそ深い意味を持つのではないだろうか。人の「居場所」の選択の背景にはさまざまな要素の組み合わせで移り変わる環境のなかで、その人それぞれの思いを抱きながら、自分の居場所を選択している。しかし自ら「居場所」を選択することが困難な人は、周囲の環境をコントロールすることが難しく、自らの意思を表現する力が十分でない。

 一方で、「居場所」を選択することに困難を感じない人たちは、どのような要因を意識しながら「居場所」を定めているのだろうか。この問いに目を向けることは、「居場所」を選択することに困難を感じている人に対しての生活環境の設定・計画にあたって一定のヒントを与えうるものになるだろう。

  以上のような問いを持って大学生にインタビュー調査を行った。今回の調査から、人は心の拠り所となる・安心感のある、場所・人に対して「居場所」と感じるということが分かった。また、場所については、「自分のあるがままを受け入れてくれる人物」がおり、その人と大切にしている場所が「居場所」になることが分かった。一方で「一人でいる場」も大切であり「居場所」と感じている人が多かった。また、ある関係性(クラスメイト、部活・サークル仲間)について「居場所」と感じる人は、そこに自分が自主的に参加していること、自己肯定感を得られることが大切になってくることが分かった。そして、「居場所」を選択することに困難を感じない人は、いくつかの「居場所」を持っており、それぞれの「居場所」から力をもらい、力を与えていることが分かった。

  「居場所」を選択することに困難を感じる人にとっても一番大切なことはその場を「居心地が良い」と感じることができるかである。支援者はまずはその人にとって「居心地の良さ・安心感」を提供するためになにができるか考え、生活環境を設定する必要がある。その上で、その人が自主性を発揮でき、所属していることを感じるには、何らかの役割を持ち、認め合う関係を築くことが良いのではないかと考える。そのような「居場所」は社会において何か迷いがあった時、力を与えてくれるものになるのではないかと考える。

  発表を終えて、いろんな方から意見を頂いた。多くは「居場所」の多様性ゆえの定義の難しさであった。その人それぞれの「居場所」、「居場所」から得る効果も様々で一見定義を得ることは難しい。しかし、人は大切な場・人・関係性を求め、そこで力を得る、居たいと思う場・人関係性となる。この一番シンプルなところは、通じるものであることを再確認した。

2014.03.02 コミュニティ
支えられ、助けられて

西 順子

 先月2月22日に、DV研修の参加者を対象としたフォローアップ・グループを開催。昨年からスタートしたこのグループも、今回からNPOの「支援者 支援プロジェクト」の一つとして活動していくこととなった。被害者支援に携わる支援者同士が、息長くよりよい援助を志していくために、互いに支えあい、エ ンパワーし合えればと願い、「ここへ来れば元気になれる。また明日から頑張ろうと思える、そんな場があればいいな」と、自分たちでそんな場を創っていけれ ばと思ってのことである。

 毎回、ピア・スパービジョンとセルフケアが定例になってきているが、今回もセルフケアとして、アートセラピーを行った。テーマは「サポートしてくれ る人の網の目を創る」。これまで私自身も何度かこのアートワークをしており、援助者研修やセルフケアグループでも使ってきたが、出来上がった時に作品をみ て気づく「ああ、そうかという発見」「つながりの発見」が面白くて気に入っている。

 私たちは人の助けがあって、助けられて何とか暮らしているもの。支えてくれる人、困った時に助けてくれる人など、自分のサポートシステムを振り返り ながら、サポートネット(網の目)をアートで創っていく。サポートしてくれる人を一人一人思い浮かべながら、それをアートに表現していく時間は、自分の内 面と向き合う時間だった。とても心が満たされる時間だった。
 そして、できた作品を見て、それを一緒に鑑賞してくれシェアしてくれる人がいることで、さらに温かい気持ちになった。仲間とシェアすることで、個人の体 験の内側にとどまらず、心が開かれ、人との相互交流が生まれ、心の風通しもよくなる感じがする。そして、グループ体験の醍醐味は何といっても「普遍性体 験」。私一人ではない、ということを実感ざせてくれるし、人とのつながりを感じられることである。

 次の日、できた自分の作品を更にシェアしてもらおうと人に紹介し説明していたところ、ハタと気づいた。私の「サポートの網の目」の作品はピンクを基 調にいろんな色が混じっているものとなったが、それって、自分が愛用しているマフラーとそっくり同じだ! ピンクを基調にしながらも、いろんな色と太さの毛糸が入り混じったマフラー。アートは無意識の表現であり意図して作ったものではないが、私はマフラーにも 支えてもらっているんだな~と感じながら、私自身のサポートネットに感謝し、イメージのもつ力に感じ入った。

 昨日は風邪を引いたのか身体が重く、喉も不快感で、これをほっとくとヤバいと、仕事が終わった後、予約していた鍼灸院に駆け込んだ。風邪気味という ことで、温灸もたくさん置いてくれて、芯から身体が温まる。治療が終わった後は、すっきり爽快。身体のメンテナンスは、鍼灸の先生に支えられ、助けられ、 お世話になっている。終わった後は本当に有り難いな~としみじみと身体で実感。先日はまた、今までに経験がない胃の具合悪さに、はじめて研究所近くの胃腸 科に駆け込んだ。ここでも受付の方がとても親切で、先生も親身になって念の為と「至急」で血液検査に出して下さった。検査の結果は異常はなく、また頂いた 薬もよく効いて、夕方にはすっかりよくなっていた。

 どんな時でも人の支えや助けは必要で、日常にある「不可欠」のことなのだが、それが「当たり前」になってしまい、ついつい気づかないでいることもあ る。でも、弱っているとき、めげているとき、体調不良のとき・・には、そんな「当たり前」となっていることに、どれほど助けられていることか・・と気づか される。
 日々、いろんな人の支えで自分が生きていること、生かされていることに感謝の気持ちを忘れずに、謙虚な気持ちで一日一日を大切に過ごしていきたい。

2014.02.12 コミュニティ
私の庭

村本邦子

 この世界に自分のための庭があるというのは、なんて素敵なことだろう。ある方が手作りしてくださった「邦子ガーデン」というその庭は、かわいい花の鉢植えが置かれた煉瓦で囲われ、木製のアーチの下に置かれたベンチに腰かけると、眼前に美しい海が拡がる。あと2年くらいしたら、ピンクと白の薔薇のアーチになるのだという。周囲には、オリーブ、柊、小手毬なども植えられている。遠いところにあるので、なかなか行けないが、つい最近立ち寄ったら、焚き火で焼き芋を焼いてくださった。

 ちょうど甘夏がなっていたので、収穫して持ち帰り、せっかくなのでマーマレードにすることにした。皮を細かく刻み、圧力鍋で煮て水にさらし、実と一緒にグツグツ煮込む。美しい黄金色で、まるで宝石のよう。ジャムの瓶を煮沸消毒して、全部で8瓶に詰めた。まずは明朝のお楽しみ・・・のはずだったが、どうにも我慢できなくなって、夕飯後というのに、トーストをこんがり焼いて、デザート感覚で食べた。甘みと苦みのハーモニーが何とも言えない奥行を醸し出している。

 普段は狭いマンションで忙しい暮らしを送っているが、老後は、ゆったりと自然に囲まれた庭でお茶を入れたり、本を読んだり、パッチワークや編み物をしたりするのが私の夢だ。近所の子どもたちや動物たちが時々遊びに来てくれるといいな。そう思っていたら、おとぎ話の魔法みたいに、知らないうちに私の庭ができていた。写真を撮って、時折、眺めているが、目を閉じて、あのベンチに座って、陽にあたり風に吹かれている感覚を思い起こすと、何とも言えない優しさと心地よさが全身を包む。

 庭は生きている。植物は、季節を重ね、年月を経るにつれ、その土地、環境に適応しながら成長し、それに合わせ、虫や鳥の住処としてもひらかれていくだろう。庭は、森と違って、手入れする人がいてこそ生きることができる。ふだんは私のいないところに、私の庭がある。私のなかに遠い庭があり、庭のなかに遠い私がいるのだ。思いを込めて手入れしてくださる方に感謝しつつ、そのうち自分で手入れに行かなくちゃ。

(2014年2月)

2013.12.10 コミュニティ
リーダーシップ~白熱教室に学ぶ

西 順子

 好きなテレビ番組の一つにNHK白熱教室がある。といっても必ずチェックして見ているというほどでもないので、たまたま目に留まったときに途中から見ることになる。今までで面白かったのはスタンフォード大学ティナ・シーリグ先生の楽しくてワクワクするような授業と、コロンビア大学シーナ・アイエンガー先生の「選択」について考えさせられた講義。どの先生も学生たちと対話しながら講義されるのが魅力的。日本語の吹き替え付きで家にいながら素晴らしい授業が聞けるなんて、なんてお得なんだろう~と、自分も学生になった気分で楽しませてもらっている。

 先月、洗濯物を畳みながらたまたまテレビをつけたとき白熱教室が放映されていた。既に二回目の放送だったが、今回は何かな・・と途中から見るも、学生と対話しながら講義をすすめる先生の授業に釘づけになる。講師はハーバード大学ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授で「リーダーシップ」についての特別ワークショップ。ちょうど私自身「リーダーのあり方」というテーマでの研修の講師を控えていたこともあり、興味津々でその後は最終回6回目まで欠かさずにみた。

 ワークショップでは、学生の方々の経験(世界各国から国の次世代を担う方々が学ばれているとのこと)をもとにリアルな現実の問題にどう立ち向かうのか学生らと議論しながらすすめられた。貧困からくる子どもの栄養失調の問題、暴力、女性の人権、病気への差別・・など、取り上げられたテーマは大きな社会問題であるが、大きな問題もまずは自分の足元から自分自身の問題として取り組むということを学ばされた。

 教授は「多くの人がリーダーシップについて全く誤解している。リーダーシップは日々の暮らしの中で誰もが実践できる」と言う。リーダーシップとは、変化する社会、自然界の中で私たちがどう生き延びるのか・・を考えるときに不可欠のものであると考えさせられた。ハイフェッツ教授の話はとても興味深かったのでメモったが、それを元に印象に残った言葉を紹介してみたい。

「何かを変えるときに一番重要なことは変えないものを特定すること」
「変革への原動力は多様性を求めること」
「人は違った視点に触れて学ぶもの。違いが何かを引き起こす」
「複数の人が同時にリーダーシップを発揮できる」
「自分の内側と向き合わなければならない。行動を起こすには忠誠を尽くす人と向き合わなければならない」
「今リーダーシップを発揮するときと、どうやったらわかるのか? リーダーシップは愛する人のためになることをしたい、ということから始まる」     ・・・等。  

 そして講義の最後、学生に伝えられた「数値化の神話」は、私の胸にも温かくしみわたった。「私たちは数値化の世界に住んでいる。数値化は便利なものであり数値化を真実と思ってしまうが、よい行いは数値化することはできないと信じている。一つの命を救うことは世界を救うこと。失敗は善を数値化と思うこと。実践は、人々に対して愛情を注ぐ行動にとどまる。小さな善を行うことを嬉しく思うこと・・」と語られた。リーダーシップの源は、実は愛することなのだということに目からウロコであった。

 日々の臨床のなかで、虐待やDVなど暴力のトラウマを抱えている方々の回復のお手伝いをさせて頂いているが、暴力が根深くある社会の問題に対して何とかできないか・・という思いを抱くことがある。目の前の人と向き合っていても自分にできることは限界があり、社会の問題に対して自分は無力である。でも、自分にできることを大切にしていっていいと励ましてもらえたような気持ちになった。

 リーダーシップとは私にとっては遠い言葉と思っていたが、とても身近な言葉になった。周囲の人を大切に思い、愛することの実践がリーダーシップであり、よりよく生きるということなのだ。

 今年もあと僅かで終わるが、新しい年は少しはリーダーシップを意識して、人と共によりよく生きることを志していきたい。

(2013年12月)

2013.02.12 コミュニティ
編み物をしながら・・・

村本邦子

 今年の冬は、久しぶりに編み物をしている。何があっても睡眠時間を確保する主義の私だが、やり始めたらおもしろくてつい睡眠時間を削ってやってしまうというのが編み物で、だからこそ、忙しくなった最近は手を出さないようにしてきた。そうでないと、体が持たないから。

 一番多いときは、ひと冬で十枚ものセーターを編んでプレゼントしまくっていたこともある(基本的に人のものを編みたいのだ)。一時は編み物作家になろうかな・・・なんて思いついて、自分でデザインしたセーターを写真に撮りためて、編み物関係の出版社に送ろうとしていたこともある。子どもたちが小さい頃は、クリスマスツリーやら、もこもこのクマちゃんやらを編みこんだセーターを作ったり、家族お揃いのセーターを編んだりした。娘が少し大きくなると、娘がデザインして私が仕立てるというちょっとすごいこともやっていた。最高傑作は、背中に天使の羽を編みこんだブルーのジャケット。

 今年は、のんびりした気持ちで、少しずつ編もうと決意して、ちょっと複雑な模様のものを、時々間違えては、ほどいてやり直したりしながら、本当にボツボツと少しずつ編んでいる。そして、「なんだ、やればできるじゃないの!?」と、いつの間にか「ほどほどにする」ことを覚えた自分の成長に驚いてもいる。いつも持ち歩いて、電車の待ち時間の5分とか、たまたま座れた電車やバスで少しずつ編んでいるが、それでも少しずつ出来上がっていく。

 昔は、電車で編み物をしている人がもっといたものだが(そしてほんの一時期だったが、編み物をしないでくださいと放送が流れたこともあった)、今はほとんどなく、一か月ほどで一人見かけたのみ。そして、一人だけが「私も編み物好きでね~」と話しかけてきた。なにせ、下手すると、手編みの方がずっと高くつく時代だ。ひそかに編み物好きの連帯感も生まれる。

 私にとって、編み物をすることは瞑想に近く、心を落ち着け、自分のなかにエネルギーをためていく効果がある。ひと仕事終えたら、次の仕事にとりかかる前に、少しの間、編み物をすると気持ちが穏やかになることも発見した。そして、結果的にセーターが出来上がるというモノづくりの楽しみもある。いろんな色の毛糸を見ているだけで、ハッピーな気分になれるし、編んだものを着てもらうと、やっぱりちょっと嬉しい。

 やるかやらないかの二者択一でなく、ぼつぼつやるという姿勢を、この機会に人生にも取り入れたいものだ。なんでもかんでも一生懸命やりすぎるのが私の弱点。年齢とともに、細く長く続けていくということを覚えよう。編み物をしながら、柔らかな気持ちで年を取っていきたいものだ。

(2013年2月)

2012.11.12 コミュニティ
クリスマスの贈り物

村本邦子

 私はもともとプレゼント好きだ。毎年、お世話になっている方にクリスマス・プレゼントを贈っているので、街がクリスマス色に変わり始めると、今年は何を贈ろうかな?と考え始める。と言っても、ショッピングに行く時間的余裕はとてもないので、仕事の合間に空き時間ができたチャンスをつかまえて、眼についたものを買う。今年は、予定よりちょっと早く着いてしまった京都・烏丸で百貨店に立ち寄り、リビング・コーナーに行って、うっとりするほど素敵なキャンドルホルダーを見つけた。自分自身は、今、そんな生活をしていないので、こんなのが似合う生活をしている(と勝手に思っている)相手を思い浮かべ、大満足。

 今年は、すでに、ふたつのプレゼントを準備した。ひとつは、被災地の保育園の子どもたちだ。大学でやっている震災復興支援プロジェクトで出会ったトレーラーハウスの保育園。園長先生が本当に素晴らしい方で、小さいけれど、その空間にいるだけで、わくわく夢が拡がる保育園だった。小さな空間なので、迷惑にならず喜んでもらえそうなプレゼントができないかなと悩んでいたが、先方のご希望も聞いたうえで、長く親しくさせて頂いている東京おもちゃ美術館の館長さんを勝手に自分のおもちゃコンサルタントにして、これまた暖かくわくわくするようなキッチンコーナーのセットを選んで頂いた。

 もうひとつは母に。子どもの頃は、家族みんなにたくさんのクリスマス・プレゼントを用意したものだが(基本的に、いつも、もらうというよりは、あげる方だった)、最近は忙しくて家族にプレゼントをすることはなくなったが、おもちゃ美術館の方とやり取りしながら、前、会った時に、母から「人形が欲しい」と言われていたことを思い出したのだ。体も悪く、できることも少なくなって(本を読んでいると面白くてたまらないのに、読んだ端から何が書いてあったか忘れてしまうので嫌になるのだそうだ。「面白いんだったら、何度も新しく楽しめて、かえってお得で、いいんじゃない!?」と慰めたが、嫌になる気持ちはわかる・・・)、毎日、退屈だから、人形に服など作って、着せ替えて遊びたいのだそうだ。最初、聞いた時は、正直、ギョッとしたのだけれど、母は昔から洋裁や編み物が好きで、ビーズや刺繍を使ってかわいいデザインを考えるのが上手なので、たしかに一人遊びするのに良いアイディアかもと考え直した。

 そして、クリスマス・カード。これも仕事の合間に立ち寄ったソニープラザで、それぞれに似合いそうなものを選んだ。すべて12月1日必着で手配したので、私自身が12月1日が待ち遠しくて、わくわくしている。ふと、プレゼントをもらうのと、あげるのと、どっちが幸せなんだろう?と思う。お世話になったおもちゃ美術館のスタッフさんにも感謝。

(2012年11月)

2012.03.12 コミュニティ
マジョルカにて・・・

村本邦子

 昨年、「雨だれ」を弾いていたこともあって、マジョルカ島に行ってみようと思った。マジョルカは、ショパンとジョルジュ・サンドが愛の逃避行を試みた地中海に浮かぶスペインの小さな島だ。と言っても、サンドは二人の子連れ、ショパンは結核で療養が必要な状態だった。当時、結核は不治の病と恐れていたため、人々の冷たい視線から逃れるように、彼らは山奥にあるバルデモサの修道院に暮らすようになる。「雨だれ」は、ショパンが、激しい嵐のなかパリから送ってもらったショパン愛用のピアノの税関手続きのために出かけたサンドを窓辺で待っているときに生まれた。1838年のことである。

 バルデモサは美しい村で、ショパンとサンドが滞在していたカルトゥハ修道院には格調高い宗教性と芸術性が漂っている。こんなところに暮らしていたら、創造性がこんこんと湧いてきそうな気がする。そこには、ショパンの使っていたピアノが残っていたが、小さなかわいいピアノ。デスマスクと手も置いてあったが、ショパンの手は、とても小さかったようだ。修道院の隣には、初代マヨルカ王が息子のために建てたという宮殿があり、ここでは、毎日数回、ショパンのミニコンサートをやっていた。わずか15分ほどの間に、次々と曲を重ねていくが、弾いているうちに段々とのっていくのが感じられるのは生ならでは。

 マジョルカには洞窟がたくさんある。なかでも、ポルト・クリストという港町の郊外にあるドラック洞窟は、全長2キロ。1時間ごとにガイドが案内してくれるのだけど、このガイドがすごい。カタラン語、スペイン語だけでなく、お客に合わせて、ドイツ語、英語、仏語、イタリア語を一人で自由に操るのである。鍾乳洞を下っていくと、地下湖として世界最大のマルテル湖がある。ここでコンサートがあるのだと聞いていたが、こんな暗闇でいったいどんなコンサートをするのだろうと訝しく思っていたら、想像を遥かに超える素晴らしさだった。

 暗闇のなか、右手側から、柔らかなオルガンと弦楽器の音がかすかに聞こえ始め、ライトをつけたボートが三艘、漕がれて近づいてくる。そのなかの一艘で、3人の演奏家たちが音楽を奏でているのだ。ライトに照らされた湖の水面は透明なグリーンでうっとり美しい。「別れの曲」をはじめ数曲を演奏しながら、ボートは左手までゆっくりと進み、再び暗闇の中へと消えていく。残るボートに乗せてもらって地上へ出たが、まるで遠い夢の世界から現実に帰ってきたような錯覚を覚える。レベルの高い、なかなかの演出だった。

 パルマからレトロな列車に乗って、通り過ぎていくアーモンド畑や小さな街々を眺めながら、1時間ほどでソジェールという小さな街へ。さらに路面電車に乗り換えて、ソジェール港まで出かけ、海辺のテラスでパエリアやカフェを楽しむのも気持がいい。最後になってしまったけれど、中心地、パルマの街もおしゃれだ。海岸沿いに大聖堂がそびえる。レコンキスタの後、1230年から370年かけて造られたというゴシック様式の大きな聖堂で、ガウディが改修に携っている。ステンドグラスが張り巡らされ、とくに直径12mもあるバラ窓から光が入り、カテドラルのあちこちに幻想的な虹色が映っている。ヨーロッパの数々のカテドラルを訪れたが、これほど美しいステンドグラスは初めて。神々しく厳粛な気持に満たされる。

 マジョルカには、さまざまな要素が組み合わさって存在しており、まるで万華鏡のよう。静かに眼を閉じて、このイメージを胸に刻み、日常に湧き出る泉にすることができたらどんなに素晴らしいことだろう。

(2012年3月)

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