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FLCスタッフエッセイ

2014.06.15 コミュニティ
「居場所とは何か」~学会発表のご報告~

                                                        仲野沙也加

 先日、コミュニティ心理学会でポスター発表を行った。学生時代に一番熱心に取り組んだ修士論文を何らかの形でまとめたいと思い、もう一度振り返る作業を行い、発表することとなった。題目は「居場所の概念の検討―「場の居心地」「人の心の拠り所」に着目して―」であった。今回のエッセイでは恥ずかしながら発表させていただいた論文の一部を紹介したい。

 

 修士論文に取り組んだきっかけは、「居場所」支援にかかわったことであった。「居場所」という言葉は、心理臨床や学校現場に関わる人たちをはじめ、私たちの間で随分と馴染みのあるものになってきている。では、そのように関心が高まってきている「居場所」とは何なのであろうか。また私たちは、どのような場所と関係を築き、そこを自らの「居場所」と定め、そこに「居る」のか問題意識を持った。

 人がある場所に「いる」ということは最も当たり前かつ自然で、だからこそ深い意味を持つのではないだろうか。人の「居場所」の選択の背景にはさまざまな要素の組み合わせで移り変わる環境のなかで、その人それぞれの思いを抱きながら、自分の居場所を選択している。しかし自ら「居場所」を選択することが困難な人は、周囲の環境をコントロールすることが難しく、自らの意思を表現する力が十分でない。

 一方で、「居場所」を選択することに困難を感じない人たちは、どのような要因を意識しながら「居場所」を定めているのだろうか。この問いに目を向けることは、「居場所」を選択することに困難を感じている人に対しての生活環境の設定・計画にあたって一定のヒントを与えうるものになるだろう。

  以上のような問いを持って大学生にインタビュー調査を行った。今回の調査から、人は心の拠り所となる・安心感のある、場所・人に対して「居場所」と感じるということが分かった。また、場所については、「自分のあるがままを受け入れてくれる人物」がおり、その人と大切にしている場所が「居場所」になることが分かった。一方で「一人でいる場」も大切であり「居場所」と感じている人が多かった。また、ある関係性(クラスメイト、部活・サークル仲間)について「居場所」と感じる人は、そこに自分が自主的に参加していること、自己肯定感を得られることが大切になってくることが分かった。そして、「居場所」を選択することに困難を感じない人は、いくつかの「居場所」を持っており、それぞれの「居場所」から力をもらい、力を与えていることが分かった。

  「居場所」を選択することに困難を感じる人にとっても一番大切なことはその場を「居心地が良い」と感じることができるかである。支援者はまずはその人にとって「居心地の良さ・安心感」を提供するためになにができるか考え、生活環境を設定する必要がある。その上で、その人が自主性を発揮でき、所属していることを感じるには、何らかの役割を持ち、認め合う関係を築くことが良いのではないかと考える。そのような「居場所」は社会において何か迷いがあった時、力を与えてくれるものになるのではないかと考える。

  発表を終えて、いろんな方から意見を頂いた。多くは「居場所」の多様性ゆえの定義の難しさであった。その人それぞれの「居場所」、「居場所」から得る効果も様々で一見定義を得ることは難しい。しかし、人は大切な場・人・関係性を求め、そこで力を得る、居たいと思う場・人関係性となる。この一番シンプルなところは、通じるものであることを再確認した。

2014.03.02 コミュニティ
支えられ、助けられて

西 順子

 先月2月22日に、DV研修の参加者を対象としたフォローアップ・グループを開催。昨年からスタートしたこのグループも、今回からNPOの「支援者 支援プロジェクト」の一つとして活動していくこととなった。被害者支援に携わる支援者同士が、息長くよりよい援助を志していくために、互いに支えあい、エ ンパワーし合えればと願い、「ここへ来れば元気になれる。また明日から頑張ろうと思える、そんな場があればいいな」と、自分たちでそんな場を創っていけれ ばと思ってのことである。

 毎回、ピア・スパービジョンとセルフケアが定例になってきているが、今回もセルフケアとして、アートセラピーを行った。テーマは「サポートしてくれ る人の網の目を創る」。これまで私自身も何度かこのアートワークをしており、援助者研修やセルフケアグループでも使ってきたが、出来上がった時に作品をみ て気づく「ああ、そうかという発見」「つながりの発見」が面白くて気に入っている。

 私たちは人の助けがあって、助けられて何とか暮らしているもの。支えてくれる人、困った時に助けてくれる人など、自分のサポートシステムを振り返り ながら、サポートネット(網の目)をアートで創っていく。サポートしてくれる人を一人一人思い浮かべながら、それをアートに表現していく時間は、自分の内 面と向き合う時間だった。とても心が満たされる時間だった。
 そして、できた作品を見て、それを一緒に鑑賞してくれシェアしてくれる人がいることで、さらに温かい気持ちになった。仲間とシェアすることで、個人の体 験の内側にとどまらず、心が開かれ、人との相互交流が生まれ、心の風通しもよくなる感じがする。そして、グループ体験の醍醐味は何といっても「普遍性体 験」。私一人ではない、ということを実感ざせてくれるし、人とのつながりを感じられることである。

 次の日、できた自分の作品を更にシェアしてもらおうと人に紹介し説明していたところ、ハタと気づいた。私の「サポートの網の目」の作品はピンクを基 調にいろんな色が混じっているものとなったが、それって、自分が愛用しているマフラーとそっくり同じだ! ピンクを基調にしながらも、いろんな色と太さの毛糸が入り混じったマフラー。アートは無意識の表現であり意図して作ったものではないが、私はマフラーにも 支えてもらっているんだな~と感じながら、私自身のサポートネットに感謝し、イメージのもつ力に感じ入った。

 昨日は風邪を引いたのか身体が重く、喉も不快感で、これをほっとくとヤバいと、仕事が終わった後、予約していた鍼灸院に駆け込んだ。風邪気味という ことで、温灸もたくさん置いてくれて、芯から身体が温まる。治療が終わった後は、すっきり爽快。身体のメンテナンスは、鍼灸の先生に支えられ、助けられ、 お世話になっている。終わった後は本当に有り難いな~としみじみと身体で実感。先日はまた、今までに経験がない胃の具合悪さに、はじめて研究所近くの胃腸 科に駆け込んだ。ここでも受付の方がとても親切で、先生も親身になって念の為と「至急」で血液検査に出して下さった。検査の結果は異常はなく、また頂いた 薬もよく効いて、夕方にはすっかりよくなっていた。

 どんな時でも人の支えや助けは必要で、日常にある「不可欠」のことなのだが、それが「当たり前」になってしまい、ついつい気づかないでいることもあ る。でも、弱っているとき、めげているとき、体調不良のとき・・には、そんな「当たり前」となっていることに、どれほど助けられていることか・・と気づか される。
 日々、いろんな人の支えで自分が生きていること、生かされていることに感謝の気持ちを忘れずに、謙虚な気持ちで一日一日を大切に過ごしていきたい。

2014.02.12 コミュニティ
私の庭

村本邦子

 この世界に自分のための庭があるというのは、なんて素敵なことだろう。ある方が手作りしてくださった「邦子ガーデン」というその庭は、かわいい花の鉢植えが置かれた煉瓦で囲われ、木製のアーチの下に置かれたベンチに腰かけると、眼前に美しい海が拡がる。あと2年くらいしたら、ピンクと白の薔薇のアーチになるのだという。周囲には、オリーブ、柊、小手毬なども植えられている。遠いところにあるので、なかなか行けないが、つい最近立ち寄ったら、焚き火で焼き芋を焼いてくださった。

 ちょうど甘夏がなっていたので、収穫して持ち帰り、せっかくなのでマーマレードにすることにした。皮を細かく刻み、圧力鍋で煮て水にさらし、実と一緒にグツグツ煮込む。美しい黄金色で、まるで宝石のよう。ジャムの瓶を煮沸消毒して、全部で8瓶に詰めた。まずは明朝のお楽しみ・・・のはずだったが、どうにも我慢できなくなって、夕飯後というのに、トーストをこんがり焼いて、デザート感覚で食べた。甘みと苦みのハーモニーが何とも言えない奥行を醸し出している。

 普段は狭いマンションで忙しい暮らしを送っているが、老後は、ゆったりと自然に囲まれた庭でお茶を入れたり、本を読んだり、パッチワークや編み物をしたりするのが私の夢だ。近所の子どもたちや動物たちが時々遊びに来てくれるといいな。そう思っていたら、おとぎ話の魔法みたいに、知らないうちに私の庭ができていた。写真を撮って、時折、眺めているが、目を閉じて、あのベンチに座って、陽にあたり風に吹かれている感覚を思い起こすと、何とも言えない優しさと心地よさが全身を包む。

 庭は生きている。植物は、季節を重ね、年月を経るにつれ、その土地、環境に適応しながら成長し、それに合わせ、虫や鳥の住処としてもひらかれていくだろう。庭は、森と違って、手入れする人がいてこそ生きることができる。ふだんは私のいないところに、私の庭がある。私のなかに遠い庭があり、庭のなかに遠い私がいるのだ。思いを込めて手入れしてくださる方に感謝しつつ、そのうち自分で手入れに行かなくちゃ。

(2014年2月)

2013.12.10 コミュニティ
リーダーシップ~白熱教室に学ぶ

西 順子

 好きなテレビ番組の一つにNHK白熱教室がある。といっても必ずチェックして見ているというほどでもないので、たまたま目に留まったときに途中から見ることになる。今までで面白かったのはスタンフォード大学ティナ・シーリグ先生の楽しくてワクワクするような授業と、コロンビア大学シーナ・アイエンガー先生の「選択」について考えさせられた講義。どの先生も学生たちと対話しながら講義されるのが魅力的。日本語の吹き替え付きで家にいながら素晴らしい授業が聞けるなんて、なんてお得なんだろう~と、自分も学生になった気分で楽しませてもらっている。

 先月、洗濯物を畳みながらたまたまテレビをつけたとき白熱教室が放映されていた。既に二回目の放送だったが、今回は何かな・・と途中から見るも、学生と対話しながら講義をすすめる先生の授業に釘づけになる。講師はハーバード大学ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授で「リーダーシップ」についての特別ワークショップ。ちょうど私自身「リーダーのあり方」というテーマでの研修の講師を控えていたこともあり、興味津々でその後は最終回6回目まで欠かさずにみた。

 ワークショップでは、学生の方々の経験(世界各国から国の次世代を担う方々が学ばれているとのこと)をもとにリアルな現実の問題にどう立ち向かうのか学生らと議論しながらすすめられた。貧困からくる子どもの栄養失調の問題、暴力、女性の人権、病気への差別・・など、取り上げられたテーマは大きな社会問題であるが、大きな問題もまずは自分の足元から自分自身の問題として取り組むということを学ばされた。

 教授は「多くの人がリーダーシップについて全く誤解している。リーダーシップは日々の暮らしの中で誰もが実践できる」と言う。リーダーシップとは、変化する社会、自然界の中で私たちがどう生き延びるのか・・を考えるときに不可欠のものであると考えさせられた。ハイフェッツ教授の話はとても興味深かったのでメモったが、それを元に印象に残った言葉を紹介してみたい。

「何かを変えるときに一番重要なことは変えないものを特定すること」
「変革への原動力は多様性を求めること」
「人は違った視点に触れて学ぶもの。違いが何かを引き起こす」
「複数の人が同時にリーダーシップを発揮できる」
「自分の内側と向き合わなければならない。行動を起こすには忠誠を尽くす人と向き合わなければならない」
「今リーダーシップを発揮するときと、どうやったらわかるのか? リーダーシップは愛する人のためになることをしたい、ということから始まる」     ・・・等。  

 そして講義の最後、学生に伝えられた「数値化の神話」は、私の胸にも温かくしみわたった。「私たちは数値化の世界に住んでいる。数値化は便利なものであり数値化を真実と思ってしまうが、よい行いは数値化することはできないと信じている。一つの命を救うことは世界を救うこと。失敗は善を数値化と思うこと。実践は、人々に対して愛情を注ぐ行動にとどまる。小さな善を行うことを嬉しく思うこと・・」と語られた。リーダーシップの源は、実は愛することなのだということに目からウロコであった。

 日々の臨床のなかで、虐待やDVなど暴力のトラウマを抱えている方々の回復のお手伝いをさせて頂いているが、暴力が根深くある社会の問題に対して何とかできないか・・という思いを抱くことがある。目の前の人と向き合っていても自分にできることは限界があり、社会の問題に対して自分は無力である。でも、自分にできることを大切にしていっていいと励ましてもらえたような気持ちになった。

 リーダーシップとは私にとっては遠い言葉と思っていたが、とても身近な言葉になった。周囲の人を大切に思い、愛することの実践がリーダーシップであり、よりよく生きるということなのだ。

 今年もあと僅かで終わるが、新しい年は少しはリーダーシップを意識して、人と共によりよく生きることを志していきたい。

(2013年12月)

2013.02.12 コミュニティ
編み物をしながら・・・

村本邦子

 今年の冬は、久しぶりに編み物をしている。何があっても睡眠時間を確保する主義の私だが、やり始めたらおもしろくてつい睡眠時間を削ってやってしまうというのが編み物で、だからこそ、忙しくなった最近は手を出さないようにしてきた。そうでないと、体が持たないから。

 一番多いときは、ひと冬で十枚ものセーターを編んでプレゼントしまくっていたこともある(基本的に人のものを編みたいのだ)。一時は編み物作家になろうかな・・・なんて思いついて、自分でデザインしたセーターを写真に撮りためて、編み物関係の出版社に送ろうとしていたこともある。子どもたちが小さい頃は、クリスマスツリーやら、もこもこのクマちゃんやらを編みこんだセーターを作ったり、家族お揃いのセーターを編んだりした。娘が少し大きくなると、娘がデザインして私が仕立てるというちょっとすごいこともやっていた。最高傑作は、背中に天使の羽を編みこんだブルーのジャケット。

 今年は、のんびりした気持ちで、少しずつ編もうと決意して、ちょっと複雑な模様のものを、時々間違えては、ほどいてやり直したりしながら、本当にボツボツと少しずつ編んでいる。そして、「なんだ、やればできるじゃないの!?」と、いつの間にか「ほどほどにする」ことを覚えた自分の成長に驚いてもいる。いつも持ち歩いて、電車の待ち時間の5分とか、たまたま座れた電車やバスで少しずつ編んでいるが、それでも少しずつ出来上がっていく。

 昔は、電車で編み物をしている人がもっといたものだが(そしてほんの一時期だったが、編み物をしないでくださいと放送が流れたこともあった)、今はほとんどなく、一か月ほどで一人見かけたのみ。そして、一人だけが「私も編み物好きでね~」と話しかけてきた。なにせ、下手すると、手編みの方がずっと高くつく時代だ。ひそかに編み物好きの連帯感も生まれる。

 私にとって、編み物をすることは瞑想に近く、心を落ち着け、自分のなかにエネルギーをためていく効果がある。ひと仕事終えたら、次の仕事にとりかかる前に、少しの間、編み物をすると気持ちが穏やかになることも発見した。そして、結果的にセーターが出来上がるというモノづくりの楽しみもある。いろんな色の毛糸を見ているだけで、ハッピーな気分になれるし、編んだものを着てもらうと、やっぱりちょっと嬉しい。

 やるかやらないかの二者択一でなく、ぼつぼつやるという姿勢を、この機会に人生にも取り入れたいものだ。なんでもかんでも一生懸命やりすぎるのが私の弱点。年齢とともに、細く長く続けていくということを覚えよう。編み物をしながら、柔らかな気持ちで年を取っていきたいものだ。

(2013年2月)

2012.11.12 コミュニティ
クリスマスの贈り物

村本邦子

 私はもともとプレゼント好きだ。毎年、お世話になっている方にクリスマス・プレゼントを贈っているので、街がクリスマス色に変わり始めると、今年は何を贈ろうかな?と考え始める。と言っても、ショッピングに行く時間的余裕はとてもないので、仕事の合間に空き時間ができたチャンスをつかまえて、眼についたものを買う。今年は、予定よりちょっと早く着いてしまった京都・烏丸で百貨店に立ち寄り、リビング・コーナーに行って、うっとりするほど素敵なキャンドルホルダーを見つけた。自分自身は、今、そんな生活をしていないので、こんなのが似合う生活をしている(と勝手に思っている)相手を思い浮かべ、大満足。

 今年は、すでに、ふたつのプレゼントを準備した。ひとつは、被災地の保育園の子どもたちだ。大学でやっている震災復興支援プロジェクトで出会ったトレーラーハウスの保育園。園長先生が本当に素晴らしい方で、小さいけれど、その空間にいるだけで、わくわく夢が拡がる保育園だった。小さな空間なので、迷惑にならず喜んでもらえそうなプレゼントができないかなと悩んでいたが、先方のご希望も聞いたうえで、長く親しくさせて頂いている東京おもちゃ美術館の館長さんを勝手に自分のおもちゃコンサルタントにして、これまた暖かくわくわくするようなキッチンコーナーのセットを選んで頂いた。

 もうひとつは母に。子どもの頃は、家族みんなにたくさんのクリスマス・プレゼントを用意したものだが(基本的に、いつも、もらうというよりは、あげる方だった)、最近は忙しくて家族にプレゼントをすることはなくなったが、おもちゃ美術館の方とやり取りしながら、前、会った時に、母から「人形が欲しい」と言われていたことを思い出したのだ。体も悪く、できることも少なくなって(本を読んでいると面白くてたまらないのに、読んだ端から何が書いてあったか忘れてしまうので嫌になるのだそうだ。「面白いんだったら、何度も新しく楽しめて、かえってお得で、いいんじゃない!?」と慰めたが、嫌になる気持ちはわかる・・・)、毎日、退屈だから、人形に服など作って、着せ替えて遊びたいのだそうだ。最初、聞いた時は、正直、ギョッとしたのだけれど、母は昔から洋裁や編み物が好きで、ビーズや刺繍を使ってかわいいデザインを考えるのが上手なので、たしかに一人遊びするのに良いアイディアかもと考え直した。

 そして、クリスマス・カード。これも仕事の合間に立ち寄ったソニープラザで、それぞれに似合いそうなものを選んだ。すべて12月1日必着で手配したので、私自身が12月1日が待ち遠しくて、わくわくしている。ふと、プレゼントをもらうのと、あげるのと、どっちが幸せなんだろう?と思う。お世話になったおもちゃ美術館のスタッフさんにも感謝。

(2012年11月)

2012.03.12 コミュニティ
マジョルカにて・・・

村本邦子

 昨年、「雨だれ」を弾いていたこともあって、マジョルカ島に行ってみようと思った。マジョルカは、ショパンとジョルジュ・サンドが愛の逃避行を試みた地中海に浮かぶスペインの小さな島だ。と言っても、サンドは二人の子連れ、ショパンは結核で療養が必要な状態だった。当時、結核は不治の病と恐れていたため、人々の冷たい視線から逃れるように、彼らは山奥にあるバルデモサの修道院に暮らすようになる。「雨だれ」は、ショパンが、激しい嵐のなかパリから送ってもらったショパン愛用のピアノの税関手続きのために出かけたサンドを窓辺で待っているときに生まれた。1838年のことである。

 バルデモサは美しい村で、ショパンとサンドが滞在していたカルトゥハ修道院には格調高い宗教性と芸術性が漂っている。こんなところに暮らしていたら、創造性がこんこんと湧いてきそうな気がする。そこには、ショパンの使っていたピアノが残っていたが、小さなかわいいピアノ。デスマスクと手も置いてあったが、ショパンの手は、とても小さかったようだ。修道院の隣には、初代マヨルカ王が息子のために建てたという宮殿があり、ここでは、毎日数回、ショパンのミニコンサートをやっていた。わずか15分ほどの間に、次々と曲を重ねていくが、弾いているうちに段々とのっていくのが感じられるのは生ならでは。

 マジョルカには洞窟がたくさんある。なかでも、ポルト・クリストという港町の郊外にあるドラック洞窟は、全長2キロ。1時間ごとにガイドが案内してくれるのだけど、このガイドがすごい。カタラン語、スペイン語だけでなく、お客に合わせて、ドイツ語、英語、仏語、イタリア語を一人で自由に操るのである。鍾乳洞を下っていくと、地下湖として世界最大のマルテル湖がある。ここでコンサートがあるのだと聞いていたが、こんな暗闇でいったいどんなコンサートをするのだろうと訝しく思っていたら、想像を遥かに超える素晴らしさだった。

 暗闇のなか、右手側から、柔らかなオルガンと弦楽器の音がかすかに聞こえ始め、ライトをつけたボートが三艘、漕がれて近づいてくる。そのなかの一艘で、3人の演奏家たちが音楽を奏でているのだ。ライトに照らされた湖の水面は透明なグリーンでうっとり美しい。「別れの曲」をはじめ数曲を演奏しながら、ボートは左手までゆっくりと進み、再び暗闇の中へと消えていく。残るボートに乗せてもらって地上へ出たが、まるで遠い夢の世界から現実に帰ってきたような錯覚を覚える。レベルの高い、なかなかの演出だった。

 パルマからレトロな列車に乗って、通り過ぎていくアーモンド畑や小さな街々を眺めながら、1時間ほどでソジェールという小さな街へ。さらに路面電車に乗り換えて、ソジェール港まで出かけ、海辺のテラスでパエリアやカフェを楽しむのも気持がいい。最後になってしまったけれど、中心地、パルマの街もおしゃれだ。海岸沿いに大聖堂がそびえる。レコンキスタの後、1230年から370年かけて造られたというゴシック様式の大きな聖堂で、ガウディが改修に携っている。ステンドグラスが張り巡らされ、とくに直径12mもあるバラ窓から光が入り、カテドラルのあちこちに幻想的な虹色が映っている。ヨーロッパの数々のカテドラルを訪れたが、これほど美しいステンドグラスは初めて。神々しく厳粛な気持に満たされる。

 マジョルカには、さまざまな要素が組み合わさって存在しており、まるで万華鏡のよう。静かに眼を閉じて、このイメージを胸に刻み、日常に湧き出る泉にすることができたらどんなに素晴らしいことだろう。

(2012年3月)

2012.01.12 コミュニティ
スペインから「フェリース・アニョ・ヌエボ(FELIZ AÑO NUEVO)!」

村本邦子

 2012年のお正月は、スペインのマルベージャで迎えた。映画の中のような太陽がいっぱいの地中海沿岸に泊まったが、年越しを経験するために、大晦日、にぎやかな旧市街のナランホス広場へ出かけた。ステージでは陽気な二人組のおじさんバンドが音楽を奏で(毎年、ここで、35年もやってきたそうだ)、かわいい子どもたちや世代さまざまの恋人たちが楽しそうに踊っている。

 日本では「年越しそば」だが、スペインでは「年越し葡萄」。年明けを告げる午前0時の鐘の音に合わせ、1回ごとに1粒ずつ、計12粒の白葡萄を食べる。鐘は3秒ごとに鳴るので、かなり慌ただしいが、無事に12粒を食べられれば、その1年間を幸福に過ごせるそうだ。みんなには結構難しいようで、スーパーマーケットには、あらかじめ皮をむいたり、種を取ったりしてすぐに呑み込めるように準備した12粒入りの缶詰まで売っている。私には、いたって簡単。皮も種もそのまま食べちゃったらいいだけだ。おいしくはないけど、幸福には代えがたい。

 いよいよ鐘が鳴り、みんなで葡萄をほおばり、あちこちでシャンパンが音を立て、人々は、「フェリース・アニョ・ヌエボ!」と抱き合ってキスする。あちこちに花火が上がる。楽しい年越しだった。一昨年は、エッフェル塔でパリの年越しをしたっけな。フランス人の方がもっと派手などんちゃん騒ぎをしていたような気がする(と言っても、本当のところは、観光客が多いらしいが)。いろいろな国のいろいろな年越しがある。新しい年を迎えるのは、どこでも心躍る楽しいことなのだろう。

 それでも、安心して年を越せない人々はいつの時代、どこの国にもいるはずだ。それを思うと、罪悪感が頭をもたげ始める。とくに今年は、大震災の影響が大きかっただけに、具体的な人々のことを思うと、いたたまれない気持ちにもなる。そして、いつも人に言っていることを自分に言い聞かせる。罪悪感は何の役にも立たない。むしろ現在の自分のありように感謝して、自分にできることを積み重ねよう。昨年は、どうにも無理をしすぎて、調子を崩すことの多い1年だった。今年は、もっと元気に頑張れるよう、年齢相応の工夫が必要だ。そして、祈ること。

 どうか世界中の人々によい年が訪れますように!

(2012年1月)

2010.12.10 コミュニティ
2010年を振り返って~女性ライフサイクル研究所設立20周年

西 順子

 あっという間に、今年もあと一カ月。昨年年末もエッセイの順番がまわってきて、一年を振り返って思うことを書いたが、あれから一年、月日のたつのは本当に早い。年々早くなっているような気がするが、自分のエネルギーがうまく使えていることかなと思うと、有り難いことである。

 さて、今年はどんな年だったかな・・と振り返ると、やはり一番大きかったのは、今年は「女性ライフサイクル研究所・設立20周年」の節目だったこと。今年の年明けから、年報20号発行に向けての話し合いが始まったが、年報執筆の作業と並行しながら、この20年を振り返ってきた。

 特に私は、研究所の活動をまとめたいと思ったので、過去の年報を読んでみたり、当時のことを思い出したりしながらだった。ここまで来た道のりを振り返り、「今ここ」にいる地点を確認し、これから先をどう展望していくか、過去・現在・未来を行ったり来たり・・する作業だったように思う。

 秋には、無事に年報20号を発行し、設立20周年イベントも開催し、とても大きな節目となった。20周年イベントの日も、過去・現在・未来を同時に感じる場であった。イベントでも、年報20号でまとめた「研究所20年の歩み」に添って、「20年の活動報告」を発表したが、過去の歴史をたどることで、今にしっかりと根をおろせることを更に実感した。

 しかも、仲間と一緒に、歴史を積み重ね、「今ここ」にいるという有り難さと幸せを実感した。

 さて、これから先はどうしていこうか。今、私がここにいて幸せを感じられるのは、人とのサポーティブな「つながり」や、安全の基地となる「場」があるからこそである。これから先の展望についてはまだ具体化していないが、「もっとこんな場があればいいな」「安全に、人とつながれて、喜びを感じられるような、こんな場を作れたらいいな」と漠然と感じている。私の活動のテーマは「女性と子どものトラウマからの回復」。女性や子どものトラウマからの回復のために、「安全でサポートティブな場」「安全でサポーティブなコミュニティ」を創っていければいいな、拡げていければいいなと、未来への希望をゆっくりと温めていきたい。

 今年の締めくくりのエッセイを書き終えて、昨年はどんなこと書いたかなと、一年前のエッセイを読んでみた。なんと、同じようなことを書いている!思うことはあまり変わってない!? 今年は一歩進んで具体化できるといいな。

(2010年12月)

2007.11.12 コミュニティ
「パールノート♪」をよろしくね!

村本邦子

 今日(11月4日)は、あゆちゃん(長川歩美)と私(村本邦子)のピアノ・デュオ、「パールノート♪」(真珠の音符っていう意味です。♪のマークの丸い部分には、つやのあるパールが入っているとイメージしてね!)のデビューだった。自分でも嘘みたい!

 ピアノのことは、ブログやエッセイに、これまで何度も書いてきたが、私にとっては、大人になってから始めた趣味であり、長く続けながらも(かれこれ13年ほど?)、なかなか自信が持てないでいた。それでも、毎年、子どもたちと一緒に、発表会で連弾をするのが楽しみだったが、いつの間にやら、子どもたちも成長し、いろんなことに忙しくなり、中学卒業と同時にやめてしまったので、そんな機会も失い、意気消沈していた。

 ところが、縁あって、去年、音大を出てピアノをやってきたというあゆちゃんが、研究所のスタッフに加わってくれた。「一緒に弾く機会があったら嬉しいな~」と言っていたのだけど、何となくの思いつきで、NPOの年次大会でミニコンサートをすることになった。それから、お互い、忙しいなか、かなり頑張って練習して、何度もスタジオを借りて音あわせもした。これが楽しくて楽しくて、やればやるほど、「もっとやりたい!」という気持ちが高まって、終わってしまうことが受け入れがたくなってしまった。

 「これからも続けて一緒にやって行かない~?」おずおずと提案したところ、あゆちゃんも賛成してくれて、「やった~!」。コンサートに向けて行った「認知行動療法」の成果で、今は認知の歪みがだいぶ修正されたが、そのときにはまだ、「大人になってから始めた趣味に毛が生えただけのピアノと本格的なピアノを一緒にするなんて、厚かましすぎないかな?本当は嫌なのに、気を遣ってつきあってくれてるんじゃないかな(構造的力関係があるし・・・)?」なんて疑念も拭い去れずだったけど。

 演奏の評価はともかく、「気持ちよく楽しく、聴いてくれている人たちとのつながりを感じながら、身も心も全存在をかけて・・・」など目標として掲げた細項目の平均点は92点。私にとって、今日は大きな第一歩になった。練習のプロセス、本番で緊張しすぎないための「認知行動療法」のプロセスを通じて、相棒の力を借りながら、自分自身と向き合った4ヶ月だった。

 とりあえずは、来年のミニコンサートに向けて、明日から、さっそく新しい曲に入っていくが(楽譜ももうバッチリ準備してある!)、機会があれば、今後、他のところでも演奏できたらな~と思っている。コンサートホールで聴くプロのピアニストの洗練された演奏はもちろん素晴らしいけれど、もう少し身近に、気楽に、一緒に音楽を楽しんでもらえたらいいな~と思う。うちのNPOの「安心とつながりのコミュニティづくり」のオールタナティブとしても考えられたら。まだレパートリーは少なすぎるけど、ご希望があって、スケジュールさえ合えば、ボランティアで演奏をさせてもらいに行きたいと思っていますので、どうぞよろしく!

(2007年11月)

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