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FLCスタッフエッセイ

2017.11.02 五感
お出かけしてみませんか? ・・・京都「国宝展」を訪ねて・・・

                                      西川 昌枝

先日、家族に誘われて国立京都博物館で開催されている「国宝展」に行ってきました。

私は日本の古物より西洋アンティークが好きで、はじめ乗り気でなかったのです。が、
「悠久の歴史と美を伝える類まれなる国の宝が集結」と紹介されていて、「これを見逃したらもう見られないかも」と考え直し、観光客のごった返す京都に向かいました。

意外と人気で、立派な博物館は混雑していました。ただその中にも、のんびりした雰囲気があったのは国宝の持つ効果でしょうか。
薄暗い場内は、見覚えのあるような仏画、絵巻物、土器、衣装、金工、美術品の数々が美しくライトアップされていました。

試験でも検定でもないから、気楽に見てただ感じるだけ。それなのに、本物の国宝には、教科書の写真からは伝わらないものが備わっているのか、眺めているとほぅと溜息が出るのもありました。

「これ、教科書で見たことあるなぁ」と思うとき、同じ言葉をつぶやかれる人の多かったこと!
むかし開いた教科書のおかげで、おぼろげでも知っている気分を味わっていると、
ふわーっと、教科書を手にしていたその当時・・小学生の頃の記憶まで思い出されてきたのでした。

それは教科書の匂いであったり、資料集の表紙、ランドセル、教室、チャイム、制服の白と紺、昼休みの運動場、ゴムとび、野花を摘み摘み帰った道、、
展示室の中で、すっかり忘れていた子どもの頃がつぎつぎと蘇ってきて、くすくす笑いが出そうでした。

そんな思い出と一緒に、千年前の暮らしを想像(妄想?)したり、国宝を「漫画みたい」「細かい」「よく残ったなぁ」と他愛ないことを言いながら回っているうちに、受身で訪れたとは思えないほど上機嫌に、やたら元気になって退場しました。

話がそれてしまいますが、京都は私にとって特別な町なのです。というのも、京都は、初めて一人暮らしを始めた町で、世間知らずだった過去の自分にふと立ち返ることできるところ。そして人生のページが次々にめくられた場所でした。

子どもの私、若かった私、今の私。それが一続き。京都でのたくさんの失敗も今は笑えるなぁと。
たまには、思い出のある場所を訪れて、ノスタルジックな思いにふけるのも楽しいものだと思いながら和菓子を買って帰りました。

ちなみに国宝展は、開催期間が四期に分けられていて、それぞれの期間で国宝が入れ替わります。それに、京都の町も年々観光都市として進化していて、興味をそそるものがたくさんありますよ。
 
次は一期にはなかった「金印」を見にいってみようかな。

2017.09.17 コミュニケーション
ネガティブな気持ちの伝え方・断り方〜アサーション・トレーニングからヒントを得て〜

                                                                                                                        朴 希沙


ちょっとしんどいなあと思いつつ、人から頼まれるとつい引き受けたり、無理をしたりしてしまう...。
皆さんは、自分が「嫌だな」「ほんとはしたくないな」と思ったとき、相手に対して断れる方でしょうか?それとも断るのは苦手な方でしょうか?

また、相手は冗談で言ったことでも自分が傷ついてしまったとき、その気持ちを伝えるか伝えないか、これもなかなか難しい問題です。
なんて伝えたらいいか分からない、でも「また嫌なことを言われるかもしれない...」と思うと次に会うのも億劫で、親しかった友人とも距離が出来てしまうことだってありますよね。

相手と自分のしたいことが違う時、相手はそんなつもりがなくても傷つけられたとき、自分の気持ちを伝えるのはとても難しいことだと思います。
今回は、私自身の体験をふりかえりながら、断り方や気持ちの伝え方について考えてみたいと思います。


◎ 自分自身の体験から ~「ちょうどよく言う」って難しい!~

私自身について振り返ってみると、小さい頃は嫌なことを言われてもなかなかその場で言い返すことができず、もやもやした気持ちになっていました。
言葉でうまく表現できないときには、泣いたりだだをこねたりして解消していたような気がします。
それがいつ頃からか、「嫌なことを言われたら、絶対に言いかえそう。後で後悔したりもやもやしたりしたくない!」と思うようになりました。
そして「嫌だな」とか「これは言われたくない」と感じたら出来るだけ本人に「さっきのこと、嫌だったんだ」と言うようになりました。
いつも言えるわけではありませんが、言葉で相手に伝えられるとスッキリしたり、言えたこと自体が嬉しかったりました。

ところが、相手に「ちょうどよく伝える」のは難しいこと。言い過ぎてしまったり、伝えたいことが上手に伝わらなかったりすることがあります。
時には言った後に気まずくなってしまうことも。
言えずにもやもやするのも嫌だけれど、上手に伝えることも難しい。

誰かに何かを頼まれて、断る時も似ています。
「引き受けてばかりだとしんどいから、今度からしっかり断ろう」と思っても、なんと言っていいか分からない。
溜まっていた思いが爆発して「自分でやればいいでしょう!どうして私にばっかり頼むのよ!」と攻撃的になってしまったり、「(ほんとはやりたくないけど)...いいよ、やるよ」と結局引き受けてしまったりすることもあるかもしれません。

コミュニケーションは試行錯誤、「絶対にこれ!」という答えにはなかなかたどり着けないようです。
 


◎ アサーション・トレーニングからヒントを得る

言い過ぎてしまったり我慢し過ぎてしまったり、私たちは対人関係で様々な体験をしますが、よくみてみると特定の人との間にはどうも一定のやりとりの「パターン」が形成されやすいようなのです。
皆さんも「あの人とはいつもこうなるなあ」というやりとりが、なんとなく思い浮かんだりしませんか?
「あの人にはいつもこう言ってしまうなあ」と自分をふりかえることもあるかもしれません。

けれども、一度出来たパターンを変えるのはなかなか難しいこと。
自分も相手も大切にしたいけれど、なんだかうまくいかない...そんなときは、コミュニケーションに関する考え方や技法から、ヒントが得られるかもしれません。


そのひとつに、アサーション・トレーニングがあります。
アサーション・トレーニングとは、1970年代頃からアメリカで用いられるようになったコミュニケーション技法のひとつです。
これは当時、人種差別撤廃運動や女性達の権利獲得運動の影響を受け、社会的に弱い立場の人々が、自分も相手も大切にしながら自身の意志や気持ちを表現するために活用されました。


アサーション・トレーニングでは自己表現のパターンを、

① 自分の都合だけを優先し相手を無視する「攻撃的」、
② 自分のことを押し殺して相手に合わせる「非主張的」、
③ 自分の気持ちを伝え相手の話にも耳を傾ける「アサーティブ」と分類してみます。

そして、相手と自分の関係の在り方や、自分の表現の傾向を探ります。
そして、相手も自分も大切にしたいと思ったなら、出来るだけ「アサーティブ」な関係を目指して表現の仕方を工夫していきます。
その際には以下のようなことを大切にします。それは、

・出来るだけ落ち着いて話をすること(話し出す前に一度深呼吸)
・はっきりと、率直に自分の意志を伝えること(「今日は疲れているので出来ません、明日なら出来ます」等)。
・自分を主語にして気持ちを伝えること(「○○と言われたら、とても悲しい」等)。
・ネガティブなものもポジティブなものも両方伝えること

といったことです。

◎ 試行錯誤しながら

私の体験にアサーション・トレーニングの考え方を用いてみると、私は最初相手にネガティブな気持ちが伝えられず「非主張的」な状態だったと言えます。
それを変えたくて自分の意見を言うようにはなったのですが、なんとか伝えなくてはと「攻撃的」になってしまったり、言おうとしたものの結局うまくいかず「非主張的」になったりしていたようです。
例えば大切な相手なら、「嫌だった」と言うだけでなく「あなたのことは大好きだし、これからも仲良くしたいんだよ」とポジティブな気持ちもあわせて伝えると、話し合いはもっとうまくいくかもしれません。

また、相手との距離をとって今は気持ちを伝えないでいることも、時には必要なのかもしれません。
いつでもみんなと「アサーティブな関係」を築く必要もないのですから!
それでも、相手も自分も大切にしたいと思える関係ならば、大切に育んでいきたいものです。


コミュニケーションには答えも教科書もありませんが、活用できる考え方や技法はあるようです。
人間関係は山あり谷あり、試行錯誤の連続ですが、時にはそんな考え方や技法からヒントを得て、よりよい日々をつないでいきたいと思うのでした。

2017.09.04 こころとからだ
「やめてみる」ことで変わる,こころの休息―コミックエッセイ「もっと,やめてみた。」より―

                                                                                                                                                                                            福田ちか子

8月は、夏休みやお盆休みがありましたが,「休息」をとることはできたでしょうか。

行事ごとがあったり、中々お仕事のお休みがとれなかったり、出かける人の多さに圧倒されたり...で、「せっかくのお休みなのに休めなかったな」「アレもコレもしたかったのにできなかった...」などなど、休みのはずが休めなかった後悔が残ってしまうこともあるのではないでしょうか。

ストレス社会といわれる昨今,いつも何かをみたり,考えたりしていて,完全に「休息」をとるモードになることは,なかなか難しいことではないかと思います。

私もいつもお休みが近づくと、休みにはアレをしようコレをしようと予定が膨らんで、でも終わってみるとあんまり何もしていない、ということがお休みの度にあるように思います。このパターンは変えられたら良いな...といつも休みが終わってから思っては、また次のお休み前には同じループに入ってしまう。

自分のクセやパターンを変えるには、きっかけや「よしっ」という思い切りが大事だなとつくづく思います。でも自分のパターンやクセを変えようと思うと,結構エネルギーがいる気がして腰が重くなるついつい先伸ばしにしてしまったりします。

そんななかで、わたなべぽんさんの『やめてみた。』シリーズの中に、「よしっ」これならできそう、やってみようかな、と省エネでできそうな,ちょっとしたパターンを変えてみる工夫がたくさんあってとても素敵だなと思ったので、紹介したいと思います。

このシリーズでは、ぽんさんが日々の生活の中で、繰り返し起きるモヤモヤや、プチストレス、プチ失敗に、「ん?」と立ち止まって違和感に気づき、無意識にあたりまえになっていた習慣や考え方のクセを、「やめてみる」ことで、新しい見方や考え方をもてたり、それまでの自分のパターンやクセが変わったりする様子が紹介されています。

それは例えば、いつも出先で雨が降る度にビニール傘を買っていた自分に気づき、買うことをやめる、というルールを作って実行するうちに、前の日に天気予報をじっくりみる習慣ができて翌日の行動に余裕が生まれたり。

また,思い切ってカラーやパーマをやめてみたところ、それまで定着していた自分のイメージとは,また違った髪形やスタイルに出会い,そこから気分が変わって軽く日々の生活に運動をと取り入れる気分になったり。

とても身近なところからのチャレンジで、これならちょっとできるかも、と思えるようなヒントがたくさんありました。

もう一つ良いなと思ったのが、「一度やめてみたけどまたはじめたものたち」の紹介があったことです。
「やめてみたからってなにも一生やめつづけなくてもいいんだよね」「自分がやりたくなったらまた初めて見たって別に良いんだ」というぽんさんの気づきが、新しい考え方を取り入れる時に起きがちな、「~しないと」という思考を和らげて、肩の力が抜けるような感じをもたせてくれるようでした。

私も、この夏のお休みには、アレもコレもと予定を考えることをあえて「やめてみ」ました。

その日の気分で自分がしたいことを,その日の気分と相談しながらやっていくことで,"○○しないとな~"と思いながら時間が過ぎていく感覚が減って,予定を考えて"あ~あれもするつもりだったのにな""~できなかったな"という気持ちで終わっていた時と比べて,ゆっくり休めた感じがありました。

また,その日の気分にまかせた方が,案外したかったことができたような実感も,もてた気がします。


引用文献:わたなべぽん 「やめてみた」 幻冬舎
     わたなべぽん 「もっと、やめてみた」幻冬舎

2017.08.01 自然
ヒヨドリの子育てから・・・

                                          西川昌枝


野鳥の中でも、スズメやツバメはかわいらしいけれども、ヒヨドリは野生的過ぎて愛しく思ったことはありませんでした。少し前までは、、、。初夏から思いがけず身近にヒヨドリがやって来たその日々をここに書かせて頂くことにします。

私は、家の玄関前に少し大振りなオリーブの鉢植えを置いてます。
5月の中頃、ナイロン紐のくずと小枝が落ちていて「おかしいなぁ」と思ったのが始まり。家の周りでピーヨピーヨという鳴き声がよく聞こえるようになり、小枝を口にくわえた灰色のヒヨドリと目が合って「これは何かある」と気付きました。

よーく見てみると、ヒヨドリのペアがたった1.5mほどのそのオリーブの中にこっそり(堂々と?)巣を作りかけていました。びっくり。

すぐ近くで人が出入りするこの落ち着かない場所での営巣は途中で諦めるだろうと思っていましたが、その後もヒヨドリは「ここに決めた」とばかりにせっせ、せっせと枝やナイロンを運んできては巣を熱心に見事に作りあげました。

5月16日巣に卵がひとつ、それから1日1個ずつ増えて4つになり、母鳥がどっかり姿を現して卵を温め始めました。ヒヨドリの度胸たいしたものです。


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この展開にちょっとワクワク。でも人が真横を通ったり(通路だし)、じっと見つめると怖がって飛んでいってしまう。結局人が母鳥の神経を刺激しないよう、静かに距離をとって配慮する生活に変えました。

それから俄然この卵がどうなるか気になり始め、朝夕、窓を細く開けて双眼鏡で巣を覗きました。抱卵するのは母鳥。父鳥は時々けたたましい鳴き声と共に姿を見せましたが、母鳥に代わって巣に入ることもなく、ただ「ちょっと顔見せに来ましたよ」って挨拶程度を済ませ、飛び去るのでした。
たぶん巣で卵の世話をするのは母鳥だけで「なんだか不平等だな」と思いました。

早朝ひとときのお出かけ以外ずっと巣に居て、無表情に見えた母鳥。疲れているように見えた日もありましたが、卵が孵るのを心待ちにしてたのかも。「お母さんは休みなしで大変だね」と労ってあげたかったです。

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6月1日夜、雷雨暴風警報、外は嵐となり細いオリーブは激しく揺れて、今にも倒れるのではないかという有様に、、。植木鉢は毎年台風で倒れる軽量品。ヒヨドリはそんなこと知らなかっただろうに。

母鳥は吹き込む雨風でびしょ濡れ、それでも巣に覆いかぶさって、健気にじっと耐えて卵を守っていました。家の中に植木鉢ごと入れて安全にしてあげたいけれど母鳥に説明できるわけもなく、飛ばされそうな巣をハラハラしながら見守り、雨風が収まるまで眠れませんでした。木も巣も卵も無事で峠を越し、本当にほっとしました。

6月4日、何かちらちら見え、母鳥のお出かけの間にのぞくと雛が4羽誕生していました。つるつるのピンク色の命になってて、とにかく嬉しい。


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雛たちは一斉に口を大きく開けてピィピィと盛んに餌をねだるので、今までお気楽だった父鳥も出番となり、日に何回も餌をくわえて飛来し、父鳥も母鳥も給餌で大忙しです。 

黒い羽毛が生え目が開くとかわいくなり、一日一日賢くなり、雛だけのときは目立たないよう小さくなって眠る、誰に教えてもらったわけでもないのに、幼い雛の生き残る知恵に感心しました。


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ヒヨドリの巣立ちはとてもはやくて、孵化からたった9~10日。そんな短い日数で成長するの?と半信半疑ながら、巣立ちの日を見逃さないようにしたくて指折り数えていたら、その時はきっちりやってきました。


6月13日朝、雛達が巣の中で羽ばたき始め、母鳥が雛の羽繕いするのを見て「いよいよ今日だ」と思ってからほんの数分後、あっという間の巣立ちでした。


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父鳥が餌を巣のふちに置いたらそれが合図なのか雛達が次々巣から枝へ出て、ぱっと親鳥が空に飛び立つ。それを追ってすぐに3羽は頼もしく羽ばたいて飛び出しました。

1羽だけ巣でじっとしていて、もしや置き去りかと心配しましたが、親鳥は何度も戻ってきて、キーキー鳴いて呼びます。出遅れた雛はうまく飛べず落ちながら、それでも外へ飛び出していきました。

みな幼いのに、なんて勇気があるのだろう。いきなり飛び立っていけるなんて。


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翌日までは雛の声がどこか近くからしていましたが、それもなくなり、鳥の姿が消え静まり返って、あるのは空き巣だけ。急に淋しい景色となりました。

頭に浮かぶのは、献身的な母鳥の姿、毅然として飛び立った姿、雛の生命力、、、寂しいのと安心したのが半分半分。
これ、卒母の気分でしょうか。


7月になり、この数日早朝に甲高い鳴き声が聞こえてくるので、「もしかしたらあの子達?」と思えて頬が緩みます。私は「独り立ちしたら遠くまで旅するのかな」と想像して、一緒に空を飛んでいくような気分を味わっています。

ヒヨドリの子育ては、命がけの全力ですがすがしかった。
巣立ったヒヨちゃんたちの命が輝きますように。
ヒヨちゃんたちがこれからもどこかで元気に飛び回っていますように。









2017.07.16 自然
「緑の親指」にあこがれて  − 植物を育てる極意

                                   金山 あき子

 

 私は、植物が好きです。特に、植物の生き生きとした、葉っぱの緑色を見ると、こちらまで元気になるような気がしてきます。

 

ある時、外で緑を見ているだけでは物足りなくなり、猫の額ほどのうちのベランダにも緑をあふれさせたいな・・と思いたち、これまでにも、幾つか鉢植えを買ったり、プランターにお花やハーブ類などの種をたくさん蒔いたりしてきました。

 

英語では、植物を育てる事が上手かったり、園芸の才能がある人のことを「green thumb(緑の親指)を持っている」という言い回しがあるのですが、これが残念なことに、私の親指には、全く緑色がないみたいなのです。

 

実は、種を蒔いては、ある時は日照りで枯らし、ある時は、水のやりすぎで枯らし・・という事を続けてきました。この間、やっとこさ芽が出たパクチーは、「さあそろそろタイ料理ができるな!」と思った矢先、アブラムシに全て先に食べられてしまいました・・。パクチーが、アブラムシに完食されるのも、もう二年目です。悔しかったです。オーガニックで育てるのは、何と大変なことだろうと実感中。

 

今、かろうじてベランダに残っているのは、娘が育てたアサガオと、バジル、しそ、そして、もはや枯れかけのローズマリー。せめて、残ってくれている子たちは、大事に大事に育てようと、この暑い夏を一緒に超える決心しました。

 

そんな中、ふと、自分が小さいころ、近所に住んでいた、とあるおばあちゃんのことを思い出しました。そのおばあちゃんの庭には、ハーブやお花がいつもいい感じに、綺麗に育っているのです。タケノコご飯に入れる木の芽が欲しい時など、「少しわけてください〜」とよくお願いに行っていました。

ある時、おばあちゃんに、「どうやっていつも植物を、うまく育てるの?」と聞いたら、

「いつも、話かけてるからかなあ。『今日も、べっぴんさんね。』とか、『きれいに咲いてくれてありがとう。』とか。そしたら、植物って、本当に声を聞いてくれていて、応えてくれるわよ」。

と、嬉しそうにお話してくれたこと、懐かしく思い出しました。

 

そういえば、近ごろ、植物とゆっくりお話することを、忘れていたなあ。植物だって、生きているいのち。最近はといえば、「そろそろ食べ頃かな〜」という目でばかり見て、自分はずいぶん、よこしまな気持ちが多かった・・と少し反省。

「緑の親指」を持っていたおばあちゃんの知恵を思い出して、反省するとともに、温かい気持ちになりました。そしてもう一度、自分の心に、この知恵を、大切に残したいと思います。緑の親指になる日も近いと信じながら。

2017.05.16 女性の生き方
女性にとって「自分らしい生き方」って?

朴 希沙

女性ライフサイクル研究所で働き始めて、2ヶ月が経ちました。
カウンセリングでは、おひとりおひとりのお話を丁寧に、真摯にうかがっていきたいと思っています。
今回は私の自己紹介と、女性の「自分らしい生き方」について、最近考えていることを書きたいと思います。

昨今、女性の生き方が様々な領域で取り上げられるようになりました。

小説、マンガ、ドラマ、お笑い...私もひとりの20代女性として、女性が男性の「添え物」ではなく「主人公」として登場する様々な物語に心躍らせ、共感し、楽しんでいます。
特に、最近は鳥飼茜作のマンガ『地獄のガールフレンド』をとても面白く読みました。自分らしい生き方・男性との付き合い方について考えたい方にぜひおすすめしたいマンガです。

また私は在住地域で6年間、在日コリアンの方々への心理社会的サポートをするグループを行ってきました。
特に性別を指定したわけではなかったのですが、そこにはなぜか女性たちが多く集まり、毎週のように皆でたくさんの話をしています。

恋愛のこと、仕事のこと、生き方のこと、子どものこと...ひとりで悩んでいたことも、みんなで話すと思わず笑ってしまう時もあり、グループが終わる頃にはいつも、今までとは違った視点で自分や仲間を見ていることに気づきます。

「こうあらねばならない」「こんな私は間違っている」といった「考え」よりも、「私たちは○○したかった、◎◎を求めていた。そのこと自体は、だれにも責められることじゃないんだなあ」という思いが、胸のあたりにじわっと広がります。

また、このグループでは「当事者研究」にも取り組んできました。
「当事者研究」とは、北海道の浦河「べてるの家」で生まれたエンパワーメントアプローチ(自分自身を励まし、助ける方法)のひとつです。
自分が「自分の専門家」となり、自らの抱える生きづらさについて、仲間と共に「研究」します。

つい繰り返してしまう悪循環や、関係のパターン等について、希望する人が自分で研究テーマを決めて、自分自身について、起こっている出来事の状況やパターンを自分なりに研究していきます。
そして各自が研究したものを持ち寄り、お互いにディスカッションしたり、新たな視点で眺めなおしたりします。

こんな風に、わいわいとおしゃべりをしたり客観的に自分自身を見つめなおしたりする活動をグループで行っている中で、気づいたことがあります。

それは多くの人が、社会からの要請(こうあらねばならない)と、自らの欲求(こうしたい!)との間で葛藤するということです。

特に女性の場合、自分の欲求や欲望を我慢することを求められる場面が多いと感じています。

例えば、「もっと他にやってみたいことがあるけれど、周りからなんて言われるか気になってしまう...」「親や親せきに会うたびに、結婚を急かされる...」といった話をよく聞きます。

こんな風に生きてみたい、こんなことをしてみたいという思いを抑えつけたままでいると、いったい自分は何のために生きているのか、何がしたいのかも分からなくなる...そんな経験をされている方がたくさんいると思うようになりました。

それからというもの、私は女性の「自己実現」とは、周りから期待されている「幸せな結婚」をすることや「社会的に成功」するといったことだけではなく、自らの欲求に気づき、それを大切にし、また自分なりのやり方で社会と関わっていくことではないかと思うようになりました。

それは、お仕着せの方法にただ翻弄されるのではなく、試行錯誤しながら自らの人生の主人公になることでもあります。

そしてそのためには、こんがらがっている気持ちを少し整理して、自分の欲求や思い(内的な力)と自分が求められていること(他者からの期待)の両方に気づくことが大切かもしれないと思うようになりました。

「些細なこと」と言われるような悩みであっても、それは自分自身や他の女性、そして世界とつながっていると思います。

そんなことを考えながら、6月より読書会を企画しました。
「自分らしい生き方」って何? と私自身の人生を見つめなおすために、ユング心理学と女性心理学というふたつの視点から書かれた『女はみんな女神』を読んでいきます。ご関心のある方のご参加を、お待ちしております。

女性心理学フリートーク『女はみんな女神』読書会:ご案内ページ

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2017.03.05 カウンセリング
カウンセリングの窓から~花をいけること

                                      西順子

 女性ライフサイクル研究所の朝は、花の水替えから始まります。水あげがよくなるよう、茎の先を少し切り、枯れた葉や花を取って綺麗にして、花瓶に入れなおします。

 玄関のお花をメインに、カウンセリングの部屋に二つと、残った小さなお花は他の棚や洗面所に一輪挿しにしています。花をいける行為を通して、物理的にも、精神的にも、クライエントさんを迎える準備が整っていきます。自分自身が凛とする、精神が統一する、そんな時間でもあります。


 玄関に花を飾る習慣は、1994年に天神橋5丁目に引っ越した頃に遡ります。ワンルームから2DKに移りましたが、玄関に下駄箱が備え付けられていました。毎週月曜日に、前所長が予算1000円で新しいお花を購入してきてくれ、いけてくれていました。カウンセリングに来られるクライエントさんをお迎えするために、花をいける。カウンセリングは準備することから始まる・・という心理臨床の心を、前所長から学びました。


 研究所のスタッフとなる前、精神科クリニックに勤務していました。精神科クリニックの朝も、毎日掃除と花の水替えから始まりました。リーダーの精神科ソーシャルワーカーさんが朝からこまめに動き回り、診察室、相談室、待合室など広い場所を綺麗に整えていきます。診察室の机の上には、小さな花瓶にかわいくお花をいけておられました。私も一緒に、先輩についていこうと、見よう見まねで掃除、お花の水替えをしました。ソーシャルワーカーさんからも、患者さんを気持ちよくお迎えするために、その場を整えるという臨床の心を学びました。

 そして今、私も毎週、だいたい予算は1000円で、お花屋さんでお花を買うのを楽しみにしています。他のスタッフも一緒に、朝は花瓶の花の水替えと、鉢植えの水やりなど、場を整えることからスタートします。


 そしてカウンセリングの時間、お花は見るものに力を与えてくれます。お花の色や形、葉っぱの色や形、その自然界の色は、造花とは違う力を持っています。「生きている」という力とでもいえるでしょうか。

 癒し、慰め、和み、優しさ、あるいは、力強さ、生命力、元気、華やかさ、希望・・を、見るものに与えてくれます。部屋にお花があることで、人間はもちろん、その場に力を与えてくれるように思います。

 どんなに素敵なお花でも、最後は枯れるときがきます。それは生きているからこその自然の摂理。花に触れ、花を愛でながら、限りある命について教えてくれる「花」に感謝して、花と共に「生きる」ことを大切にしていきたい思う今日の頃です。


 花をいけるという営みとその心を研究所だけでなく家でも・・と、最近、自宅でも花をいけるようになりました。お花に感謝。

                今週のお花、メインは八重のチューリップ
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