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FLCスタッフエッセイ

2015.05.31 カウンセリング
カウンセリングの窓から~母娘の心理と癒し〈娘編〉

                                            西順子 

女性ライフサイクル研究所では、女性が抱える傷つきや生きづらさ、あるいはトラウマについて、女性の視点から取り組んでいます。女性が抱える生きづらさを考えるとき、「娘であることの傷つき」は普遍的なテーマの一つといえるでしょう。

「自分に自信がもてない」「何をやってみても自信につながらない」「人からどう思われるか気にしてしまって、人と関わるのもしんどい」・・といった生きづらさの背景には、娘としての傷つきが関係していることがあります。その背景には、親(主たる保護者)から褒められたり、認められたという実感がないということがよくあります。

今回は、母と娘の関係における娘の傷つきに焦点をあて、娘はその傷をどう癒していけるのか、そのヒントを提供できればと思います。女性は誰もが母の娘です。娘の立場からお読みいただければと思います。

●母と娘の心理

まず、母と娘との間で形成される心理について、女性の視点からその特徴を紹介しましょう。一般に女性は、ジェンダーの社会的要請を受けて、子どもの頃から人の世話をし、ケアをする役割を期待されて育てられます。それは「私は~したい」「私は~が好き」を優先するよりも、「~しなければいけない」「~すべき」と他者の欲求や要求に従い、優先することが求められます。その結果、女性は育つ過程で、自分の欲求を抑えることを学ぶことになります。自分の欲求を我慢し、抑圧することで生きてきた女性が母親となるとき、娘との関係性はどうなるでしょう・・。

オーバック、アイケンバウム(1988)は、母親であることがもたらす積極的な喜びや満足感とは別に、母親がもつもう一つの自己像について明らかにしました。自分自身の欲求や欲望を長年に渡りきり詰めてきた結果、母親は「欠乏感に悩み、十分な愛情を受けていないと感じ、しかもそれを受ける資格もなく、不十分で、自分の要求をはっきり口にだすことすらできない」という自己像をもつと言います。オーバックらは、この「愛情を求める」母親自身の一部を、「内なる少女」と呼びました。母親が娘をもつとき、この「内なる少女」が露呈すると言います。

母親は娘と性とジェンダーを共有することから、無意識的に娘と同一化します。その結果、娘が欲求をあからさまに示すのを見て戸惑い、なぜ同じように自分の欲求を抑えないのかと、娘に対して怒りと不同意を示して反応してしまいます。
例えば、息子には身の回りの世話をやいても、娘には「自分のことは自分でしなさい」と情緒的な甘えを許さないことがあります。母にとって、息子は「他者」であるのに対して、娘は自分の延長線上にあるように感じ、同一化してしまうのです。

そして母親は情緒的ケアを求める渇望や願望を娘に投影し、娘に愛情、慰め、ケアを求めると言われます。例えば、「母親の愚痴を聞かされて、自分の話は聞いてもらえなかった」という娘の声はその一つでしょう。


娘は母親からケアテーカーであることを求められ、母の自己実現を求められると、娘は自分の欲求を抑えこみ、隠しておかなければならないものとなります。母から娘へと「愛情を求める渇望や欠乏感」が再生産されていくといえるでしょう。

●情緒的ケアの喪失と女性の人生への影響

子ども時代に情緒的ケアを受けられない状況のなかで、娘は「内なる少女」や「本当の自分」を隠して、その環境に適応する自分を育てることで生き抜いていきます。


しかし、大人になり、青年期、成人期に入り、この対処法では通用しなくなってくるときがきます。子ども時代の対処法が壊れるきっかけには、20代、30代での「親密な関係のバランスの変化」があると言われます。


20代、30代では、恋愛/失恋・結婚・妊娠・出産・子育て・離婚など、パートナーや子どもとの親密な関係に変化が生じやすく、女性にとって人生の危機となることもあります。 危機にあっては、苦悩とともに、さまざまな心身の症状となって現れることもあるでしょう。


例えば、「内なる少女」の情緒的な飢餓感、空虚感は、身体的なぬくもりや一体感を求めて、性関係を求めるということもあるでしょう。しかし自己肯定感の低さから、自分を傷つけるパートナーと一緒になり、それが人生の危機となることもあります。


また、十分に情緒的なケアを受けられなかった傷つきは、女性が子どもを生み、育てるときに、抱えきれない不安となって現れることもあります。「自分も母親のようになるのではないか」あるいは「同じことをしてしまう」と不安や怖れがついてまわることがあります。

●傷つきを癒す

では、娘はどのようにして、傷つきを癒し、人生の危機を乗り越えていけるでしょうか。 まず、子ども時代の喪失を悼む作業が必要です。そして他者に助けを求め、自分自身のケアに取り組むことが必要です。

自分自身へのケアとは、自分に対して、優しさ、慰め、励まし等を提供することです。
落ち込んでいるときは慰めを、努力したときには自分を褒め、疲れているときには労わる等、自分に対して共感的に関わることです。
自分でケアするのが難しいときは、自分の気持ちに共感してくれそうな友達やパートナーに話を聴いてもらう等、他者からケアや協力、助けを受けることも大切です。ケアには、身体的なケア、情緒的なケア、スピリチュアルなケアがあるでしょう。

バソフ(1996)は、癒しのプロセスを完了させるための方法として、「母に代わる人との出会い」「自然による癒し」「創造による癒し」を挙げています。

例えば、動物や植物の力強い生命力に触れることは傷ついた心や魂を深く慰めてくれます。自然とふれあうなかで、宇宙との一体感を経験し、その一体感のなかで様々な感情を解き放つことができると言います。

母もまたかつて娘であったし、今もまた娘であるでしょう。年齢や立場を超えて、女性が自分のなかの「内なる少女」を抱きしめ、優しく接する気持ちで自分と関われることを願っています。

娘の女神ペルセポネーがそうであったように、娘が母といったん分離し、自分の傷つきを癒し成長した後には、母との関係が変容するかもしれません。

「渇望は、内なる知識と必要なことを知らせる導き」と言われます。女性が自分の内にある欲求に気づき、内なる声に従って自分の「生」を肯定して生きることができれば、娘を抑圧することはなくなるでしょう。それが可能となる環境(あるいは社会)となることを願います。


女性ライフサイクル研究所では、現在娘である方も、母親の立場にある方にも、娘としての傷つきをケアし、喪失を悼む作業をお手伝いしながら、命の肯定と未来への希望を伝えていくことができればと願っています。

 

【参考文献】
アイケンバウム、オーバック(1988)『フェミニスト・セラピー』(長田訳)新曜社。
バソフ(1996)『娘が母を拒むとき~癒しのレッスン』(村本邦子・山口知子訳)創元社。

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2014年5月メディア掲載 「母娘の「毒の吐き合い」壮絶食卓バトルから見えるものは・・映画『8月の家族』たち」
2012年4月メディア掲載 朝日新聞「お母さんキライ・下~人生つづり心取り戻す」
2000年10月年報10号「女性の自己実現と心理療法~『血と言葉』を女性の視点から読み直す」(西順子)
1999年10月「娘に女性としての自分を投影する母親たち」(村本邦子)
  『子育て情報センターKANAGAWAまいんどブックレット64号』

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