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FLCスタッフエッセイ

2012.12.10 虐待
子どものトラウマ~2012年を振り返って

西 順子

 あっという間に師走、今年もあと僅かとなった。たまたま毎年12月にエッセイの順番が回ってくるので、12月は一年を振り返ってエッセイを書くことが多い。そこで今年も一年間を振り返ってみたい。

 今年の年明けはいいニュースでスタートした。このことはエッセイでも書いたが(2012年1月「トラウマと身体~SEと出会って」)、1月3日付でトラウマ療法ソマテイック・エクスペリエンス(SE)プラクティショナーとして認定されたメールが届き、後日認定証も届いた。三年間を通してSEという身体志向のトラウマ療法を学び、トラウマ、解離についてより深く理解することができるようになり、カウンセリングに来談される方々の症状の改善、軽減に役立てることができて有難く感じていた。一方で、こうして学べたこと、つまり身体のもつ自然治癒力について、もっと広く人々にも知ってもらい、心身の健康のために、あるいは予防的にも活かせてもらうことができればと願う気持ちだった。

 特に、子どものトラウマにも役立てたいという思いがあった。子どもの未来のために、子どものときによりよいケア、サポートを提供できれば・・と願うが、子どものトラウマの場合は、保護者との関わりが重要であるため、親子へのケアや働きかけをどう進めていけばよいか・・という課題を感じていた。性的被害を受けた子どもと親へのサポート、DVの状況から母子で逃れ、安全となった環境となって子どもに様々な反応や問題行動が起こるとき、子どもと母親に対するサポート、という課題であった。子どもに、保護者に、双方に、それぞれに支援が必要であるため、試行錯誤しながら取り組んできたが、もっと効果的な援助の方法を学べたら・・と思っていたところ、今年の1月半ば、子どものトラウマ治療研修についての案内が届いた。内容を見ると、SEと基礎を同じくしており(脳神経科学を基盤)、身体的な介入プログラムがいろいろ体験できるものだった。これは渡りに船?というか、ちょうどよい機会と、参加させてもらうことにした。昨年も同じ案内が届いていたが、昨年はまだSEを勉強中の身、関心はあるものの時期尚早で現実味がなかった。今年は次の課題に向けて一歩進めるときと現実的に考えることができた。

 そして6月、ボストンのトラウマセンターでの研修は、目から鱗というかとても刺激的だった。感想は日記やエッセイでも書いたが、身体に介入する方法として、トラウマ・ヨガ、子どもへの集団ゲームとドラマセラピー、自己調整セラピー、アートセラピーの演習を体験。どれもユニークで楽しみながら、自分の状態を自分で気づき、「コントロール」というより「調整」できるよう、自分自身の心身の状態とうまくつき合っていく力をつけるものであった。トラウマセンターに通う子どもは、複雑性トラウマ、つまり虐待を受けた子ども達である。子どもに応じて、さまざまな方法を組み合わせて、トラウマを乗り越えられるようエンパワメントする様子がうかがえた。また、子ども達が保護者との愛着の絆を育んでいけるよう保護者をコーチングする手法、親子相互交流療法(PCIT)についてのお話を聴くこともできた。センターでは、子どもと里親さんにPCITが行われていたことも印象的だった。虐待を受けた子ども・家族に、地域全体で関わっていることがうかがえた。施設見学もさせて頂いたが、施設では、虐待を受けて重い情緒障害をもつ子どもたち一人一人に即して目標を決め、目標に添って感情調整のスキルを学ぶなど、段階的に力をつけていけるよう体系立てて治療教育が行われていた。センターや施設のプログラム全体は、ARC理論(愛着・自己調整・能力モデル)に添って組み立てられている。10年前から、介入方法も変わってきたとのことだったが、より効果がある援助が提供できるよう新しい研究の成果が取り入れ、変化してくことは凄いことと圧倒される思いだった。

 この秋には、一年前から関心を持ち学びたいと願っていた子どものためのトラウマ焦点化認知行動療法(TF-CBT) の研修にも参加させて頂くことができた。TF-CBTは、子どもと保護者が一緒に取り組むプログラム。感想は日記にも書いたが、米国から来日下さった講師の先生の情熱には大変感銘をうけ、刺激を受けた。使命感をもって子どものトラウマに取り組んでおられるのが伝わる。私はたまたま、通訳付きロールプレイでお祖母ちゃんの役をすることになり、講師の先生が思春期の子どもの役(孫役)をされたが、ロールプレイでは、先生は思春期の子どもの微妙な感情を的確に表現されていた。これだけ感情移入して演技ができるのは、本当に子どものことをよく知り、理解しているからこそ・・と、先生のロールプレイには思わず涙が出そうになった。

 12月はあと、高知で行われる日本子ども虐待防止学会大会、東京で行われるPCIT(親子相互交流療法)の学術大会に参加する予定である。今年一年、学びたいと願ってきたことに、ご縁がつながって学ぶことができ、感謝の気持ちである。素晴らしい方々との出会いにも感謝。学ばせて頂いたことを消化吸収できるよう、そして子どもや子どもを見守る周囲の大人に還元できるよう、日々の臨床と向き合い、一歩一歩自分にできるところから取り組んでいければと思う。

 もうすぐ一年も終わろうとしています。皆さまがよき新年を迎えられますよう、お祈り申しあげます。

(2012年12月)

2012.11.12 コミュニティ
クリスマスの贈り物

村本邦子

 私はもともとプレゼント好きだ。毎年、お世話になっている方にクリスマス・プレゼントを贈っているので、街がクリスマス色に変わり始めると、今年は何を贈ろうかな?と考え始める。と言っても、ショッピングに行く時間的余裕はとてもないので、仕事の合間に空き時間ができたチャンスをつかまえて、眼についたものを買う。今年は、予定よりちょっと早く着いてしまった京都・烏丸で百貨店に立ち寄り、リビング・コーナーに行って、うっとりするほど素敵なキャンドルホルダーを見つけた。自分自身は、今、そんな生活をしていないので、こんなのが似合う生活をしている(と勝手に思っている)相手を思い浮かべ、大満足。

 今年は、すでに、ふたつのプレゼントを準備した。ひとつは、被災地の保育園の子どもたちだ。大学でやっている震災復興支援プロジェクトで出会ったトレーラーハウスの保育園。園長先生が本当に素晴らしい方で、小さいけれど、その空間にいるだけで、わくわく夢が拡がる保育園だった。小さな空間なので、迷惑にならず喜んでもらえそうなプレゼントができないかなと悩んでいたが、先方のご希望も聞いたうえで、長く親しくさせて頂いている東京おもちゃ美術館の館長さんを勝手に自分のおもちゃコンサルタントにして、これまた暖かくわくわくするようなキッチンコーナーのセットを選んで頂いた。

 もうひとつは母に。子どもの頃は、家族みんなにたくさんのクリスマス・プレゼントを用意したものだが(基本的に、いつも、もらうというよりは、あげる方だった)、最近は忙しくて家族にプレゼントをすることはなくなったが、おもちゃ美術館の方とやり取りしながら、前、会った時に、母から「人形が欲しい」と言われていたことを思い出したのだ。体も悪く、できることも少なくなって(本を読んでいると面白くてたまらないのに、読んだ端から何が書いてあったか忘れてしまうので嫌になるのだそうだ。「面白いんだったら、何度も新しく楽しめて、かえってお得で、いいんじゃない!?」と慰めたが、嫌になる気持ちはわかる・・・)、毎日、退屈だから、人形に服など作って、着せ替えて遊びたいのだそうだ。最初、聞いた時は、正直、ギョッとしたのだけれど、母は昔から洋裁や編み物が好きで、ビーズや刺繍を使ってかわいいデザインを考えるのが上手なので、たしかに一人遊びするのに良いアイディアかもと考え直した。

 そして、クリスマス・カード。これも仕事の合間に立ち寄ったソニープラザで、それぞれに似合いそうなものを選んだ。すべて12月1日必着で手配したので、私自身が12月1日が待ち遠しくて、わくわくしている。ふと、プレゼントをもらうのと、あげるのと、どっちが幸せなんだろう?と思う。お世話になったおもちゃ美術館のスタッフさんにも感謝。

(2012年11月)

2012.09.02 DV
安全でサポーティブなコミュニティづくり~相互信頼を実感して

西 順子

 先週の土曜・日曜日の二日間、援助者向け講座「DV被害者のトラウマと回復~女性と子どもの視点から考える」を開催したが、あっという間に一週間がたった。開催の一週間前から講座本番に向けて集中力が高まり覚醒度がアップ(ハード面とソフト面と両方の準備は初めて!)、当日はピークを迎え、終了後のこの一週間はこの体験を咀嚼し消化する時間だった。と同時に、次にどうつなげていけるかと新たなアイデアが浮かんだり、それを現実に照らし合わせたりして考える時間でもあった。

 私にとって今回開催した講座は、「安全でサポーティブなコミュニティづくり」の一歩だった。生態学的視点からトラウマと回復を捉えると、トラウマを受けた人は「安全でサポーティブなコミュニテイ」に接近する必要がある(女性のトラウマに関わる臨床家の使命)。昨年、年報21号の論文「女性や子どものトラウマとコミュニティ支援-個人臨床を超えて」をまとめたことで、自分のなかで「コミュニテイづくり」がより意識されるようになった。そして今年は「自分がいいと思ったこと、やりたいと思うことで、できることは何でも思うようにやってみよう」という意思があった。そして自分の考えに賛同しチームを組んでくれた仲間がいたことで、今回の講座が実現した。なので、私にとっては行動できたこと自体が嬉しいことなのだが、この二日間で経験したことはこれまでにないくらい心に響くエンパワメントの体験となった。それは何かと考えると、今回は講座開催の動機など、大事に思っていること、価値を置くことをストレートに伝えたわけだが、心をオープンにしているせいか、そこに入ってくるものはどれも新鮮で有難く感じられるものだった。

 この体験をなんと言ったらよいだろう・・と思っていたところ、ふと読んだ昨年の年報21号のタイトル「コミュニティ・エンパワメント」がぴったりきた。コミュニティ・エンパワメントとは、コミュニテイやシステムなど「場」全体の力を引き出す、活性化することを意味する(村本、2011)。二日間の講座という一つの「場」に、参加している人々のもてる力が集まり、互いにそこから学びあい、互いにエンパワーされたこと、その相互作用が素晴らしくて刺激的だった。「場」に参加している人とは、参加者の皆様とお手伝いに参加してくれたスタッフ、主催者であり講師である私たちである。その場自体が、コミュニティ・エンパワメントだったかもしれない。

 もともと私は、相互作用のなかで互いに変化、成長する双方向性の関係性がとても好きである。だからカウンセリングという仕事が好きであるが、講師という伝える仕事においても、「場」のなかで相互作用から生まれる変化や変容を感じられることは新鮮な感動であった。世の中に、こうして女性や子ども、人々に寄り添っていこうとしている方々がいるということ、真摯に学んでいこうという方々がおられることに、人やコミュニティへの信頼を感じさせていただいた。そして、信頼を寄せる気持ちをもつことで、これから私たちも頑張っていこう~と未来へと向かう希望を感じた。

他にも、もっとこんなことも伝えたい、やってみたいと思いは色々湧いてくるが、それを現実化することを考えると現実の壁にぶつかる。何をするのにも資金、人、時間、場所・・が必要である。そこにはいつも限界がある。しかし、どれも十分にはないからこそ、また工夫も生まれるというものだ。できることはほんの小さな、ささやかなことかもしれない。でも小さな第一歩からでもスタートすると、また次につながっていくと、今回の講座を経験して実感した。できれば思いつきではなく、長期的展望をもってつなげていきたい。

 今日は本社で月一回の「女性のためのセルフケア・グループ」の日だった。継続して参加くださっている方から初めて参加くださった方まで、何がしか自分を大切にしてケアするヒントを持ち帰ってくださったのなら嬉しい。アンケートには、今後希望するグループやワークショップも書いてくださっていた。女性や子どもの声に耳を傾けると、そこにはさまざまなニーズがある。

 一人でできることは限られているけれど、さらにスタッフの力も合わせていければいいな。「安全でサポーティブなコミュニティ」への架け橋となるように、コミュニテイに出向いていっての「場」づくり、研究所のなかでの「場」づくりと、小さな一歩を積み重ねていきたい。

(2012年9月)

2012.07.10 虐待
ボストン・トラウマセンター研修に参加して

西 順子

 2012年6月26日~6月29日まで、アメリカのマサチューセッツ州ボストン郊外にあるトラウマセンターでの「発達途上のトラウマを受けた子ども達への最新治療研修」に参加、7月1日に帰国したところである。帰国して2日たったが、まだ余韻を感じつつ早速臨床の仕事に戻っている。「鉄は熱いうちに打て」ではないが、学んできたことをぜひ伝えたいという思いが残る研修だったが、まずはこのエッセイで、今感じていることを書き記しておきたいと思う。

 ここ数年、戦争によるトラウマの問題に関わるなかで、中国からスタートして、韓国、インドネシア、台湾とアジアの国々に行く機会をもつようになった。日本から離れて外国に身を置くことで、日本で暮らしていては当たり前と思っていることが当たり前ではないと、自分を相対化して見る機会となり、それはとても貴重な体験となった。特に中国でのHWHワークショップに参加するなかで、日本人としてのアイデンティティについて改めて意識する機会となった。それは日本人としての責任性である。

 そしてまた、この研修でも自分を相対化して見る機会となった。私が気づいたのは、心理臨床家としての責任性である。

 今回アメリカ訪問は初めて、しかもトラウマ研究の第一人者とされるヴァン・デ・コーク博士が設立されたセンターを訪問してお話を聞けるということだったので、ドキドキワクワクした興奮と緊張、期待する気持ちでいっぱいだった。

 研修では、コーク先生のお話をトップに、センターのスタッフ6名からお話を聞かせて頂いたが、まず、コーク先生のお話を聞いて印象に残ったことは、「闘っているのだ」ということだった。私にとっては雲の上の存在のような権威ある偉い先生というイメージであったが、雲の上ではなく、トラウマ研究者として、今現実の世界で、トラウマを受けた子どもの役に立てるよう、闘っているのだと胸に響いた。現段階では、発達途上でトラウマを受けた人達の診断名がない、今の診断名では子どもにとって悪いものになっていると研究を行い、「発達途上のトラウマ障害」という診断名をDSM-5(精神疾患の分類と診断の手引き)に提案している。もちろん、この診断名は科学的に調査されたもので根拠があると言う。その研究調査に基づき、50州の賛同を得て働きかけを行っているというようなことだった。でも壁があるとのこと。また、薬に頼らない治療として、トラウマをよくするためには何が大切か、とてもわかりやすくエッセンスをお話下さった(それは治療にかからない人達にも役立つもの。ぜひまた紹介したい)。

 コーク先生だけではない、お話下さったスタッフ(サイコロジスト、ヨガの先生など)の皆さんも、それぞれが研究をなさっていた。実証的な研究をして、きちんと評価を出している。トラウマ治療の新しい枠組み(ARC理論=愛着、自己調整、能力)も2003年に出来て、改訂をくわえながら、現在ではこのARC理論に基づく治療施設(日本で言うところの情緒障害児短期治療施設)での取り組みも行われている。施設見学もさせて頂いたが、理論的枠組みに添った施設でのケアが行われ、また施設をでた後は地域へと引き継がれていく流れを作っておられる。つまり、一貫して子どもの目標に添った教育、ケアが提供されている。

 社会、文化的背景の違いということはあるかもしれないが、まずは、トラウマに携わる臨床家の一人として、お話を聞かせて下さった皆さんのトラウマに関わる信念や姿勢、情熱、切磋琢磨する自己への厳しさ・・など、研究者、臨床家としてのプロ意識の強さを垣間見させて頂いた。

 私自身は・・というと、切磋琢磨して自己研鑽する姿勢を保ってきたつもりであったが、研究という姿勢には欠けていたように思われた。研究者ではないが、それでも自分が実践していることを客観的に検証することは大事なことであると、今回の研修で改めて考えさせられた。それは社会に対する仕事の責任性でもある。批判されることは苦手だか、例え社会の批判に晒されたとしても、それを論証できるだけの理論的根拠や依拠する考えをもつということである。

 一方で有り難いなと思うことは、私自身は研究熱心ではなかったものの、女性ライフサイクル研究所では、研究、臨床、予防啓発などコミュニティ活動が三位一体となって活動する場が与えられてきたことである。それは所長のポリシーでもあり設立当初より大事にされてきたものである。私自身は、研究が一番最後に後回しになってきたなと、そんな自分に気づくことができた。

 数年前、中国から帰ってきたときも、自分の責任性に気づいて、自分がしっかりと地に足が着く感覚があった。今すでに仕事に戻っているが、地に足をしっかりと着けて臨床に向き合える感覚がある。研究の大切さを自覚して視野にいれながらも、よりよい臨床サービスを提供できるように切磋琢磨していければと思う。また、学ばせてもらったことを、社会に還元していければ・・と思う。

(2012年7月)

2012.06.12 コミュニケーション
みやげ話

村本邦子

 みやげ話という言い方がある。私自身もあちこちに行くことが多いので、周囲の人たちに旅先の写真を見せ、おもしろかった体験を話して聞かせることは多い。楽しかったことや驚いたことなど印象深いエピソードを身近な人たちと共有したいと思うからだ。でも、最近、本当におみやげ話が嬉しい人はどのくらいいるんだろう?と考えるようになった。もしかすると、本当はあまり興味のない人や、むしろおもしろくない人だっているのかもしれない。行先や関係性にもよるだろう。年賀状の写真に似ているのかもしれない。

 娘がヨーロッパから帰ってきた。今回ほどおみやげ話を心待ちにしていたことはない。今や私がまだ行ったことのない未知の国々を経験してきた貴重な人だ。ブルガリア、オランダ、ベルギー、モロッコ、トルコ・・・。セルビアやボスニアなんて、いったいどんな国なのか想像もつかない。カミーノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ巡礼)にも興味津々。いったい何から聞けばいいのやら。

 「旅先で出会った女たちで素敵だった人たちは?」一番は、30歳のインドネシア人、カミーノで一緒だった女性だそうだ。ジャカルタで生まれ、イタリアにインターンシップに行って、そこでファッション関係の仕事を見つけ、ミラノに暮らす。休暇ごとに「カウチ・サーフィン」(要するに、ネットで旅人にソファを提供しあうサイト)であちこちの国を訪れている。バスク地方では、ブータンからの留学生で男の子2人がカウチを提供してくれてとても親切にしてもらったそうだ。さすがはブータン。

 もうひとり、アルゼンチンから来た年配の女性ともカミーノの道で一緒になったそうだ。自国には子どもがたくさんいて、毎日、家事や子育てが大変すぎるから、休みを取って、夫に家のことを任せ、一人で旅している格好いい女性。日本ではちょっと考えにくい。良くも悪くも我が強いので、時には一緒になった人たちとけんか腰になることも。

 不思議すぎるのは、日本からブルガリアに一人で来ていた20代の女の子。英語もまったく話せず、おどおどと困惑しながら何でも娘に代弁を頼んでくる。将来の夢は国際NGOで働くこと。だったら英語くらいは勉強してきた方がと思うけど、それにしても、そんな状態で一人、ブルガリアに辿りついたということだけでも驚異ではある。

 「じゃあ、嫌な目に遭ったり、怖い目に遭ったりは?」何もなかったわけではないが、「でも、結局のところそれほどひどい目には遭わなかった」そうだ。世の中にはどこにでも悪い人はいるし、下心のある人たちはたくさんいるが、だいたいパターンは決まっていて(たとえばマッサージかダンス)、きっぱりとノーを言えば、ほとんど大丈夫とのこと。なるほど。なぜかイスタンブールでは、宝石屋さんで話しがはずみ、お茶をご馳走になって、アクセサリーを買おうと思ったら全部タダでくれたのだそうだ。それでおしまい。奇妙な話だ。

 そして、ほとんどの場合、出会う人たちがみんな親切にしてくれ、かわいがってくれるそうだ。それもそうだろう。好奇心で眼をキラキラ輝かせた若い女の子が一人で旅をしていれば、たぶん、誰もが親切にしたくなるだろう。そのうえ、出会ったたくさんの人たちと人生を語り合い、いつも常に素敵な言葉をもらってきたとのこと。なかなか良い人生ではないか。親としては無事に帰ってきてくれたことだけで十分だが、娘を育ててくれる世界に感謝である。私にとっては貴重なみやげ話、当分、尽きそうにない。

(2012年6月)

2012.03.12 コミュニティ
マジョルカにて・・・

村本邦子

 昨年、「雨だれ」を弾いていたこともあって、マジョルカ島に行ってみようと思った。マジョルカは、ショパンとジョルジュ・サンドが愛の逃避行を試みた地中海に浮かぶスペインの小さな島だ。と言っても、サンドは二人の子連れ、ショパンは結核で療養が必要な状態だった。当時、結核は不治の病と恐れていたため、人々の冷たい視線から逃れるように、彼らは山奥にあるバルデモサの修道院に暮らすようになる。「雨だれ」は、ショパンが、激しい嵐のなかパリから送ってもらったショパン愛用のピアノの税関手続きのために出かけたサンドを窓辺で待っているときに生まれた。1838年のことである。

 バルデモサは美しい村で、ショパンとサンドが滞在していたカルトゥハ修道院には格調高い宗教性と芸術性が漂っている。こんなところに暮らしていたら、創造性がこんこんと湧いてきそうな気がする。そこには、ショパンの使っていたピアノが残っていたが、小さなかわいいピアノ。デスマスクと手も置いてあったが、ショパンの手は、とても小さかったようだ。修道院の隣には、初代マヨルカ王が息子のために建てたという宮殿があり、ここでは、毎日数回、ショパンのミニコンサートをやっていた。わずか15分ほどの間に、次々と曲を重ねていくが、弾いているうちに段々とのっていくのが感じられるのは生ならでは。

 マジョルカには洞窟がたくさんある。なかでも、ポルト・クリストという港町の郊外にあるドラック洞窟は、全長2キロ。1時間ごとにガイドが案内してくれるのだけど、このガイドがすごい。カタラン語、スペイン語だけでなく、お客に合わせて、ドイツ語、英語、仏語、イタリア語を一人で自由に操るのである。鍾乳洞を下っていくと、地下湖として世界最大のマルテル湖がある。ここでコンサートがあるのだと聞いていたが、こんな暗闇でいったいどんなコンサートをするのだろうと訝しく思っていたら、想像を遥かに超える素晴らしさだった。

 暗闇のなか、右手側から、柔らかなオルガンと弦楽器の音がかすかに聞こえ始め、ライトをつけたボートが三艘、漕がれて近づいてくる。そのなかの一艘で、3人の演奏家たちが音楽を奏でているのだ。ライトに照らされた湖の水面は透明なグリーンでうっとり美しい。「別れの曲」をはじめ数曲を演奏しながら、ボートは左手までゆっくりと進み、再び暗闇の中へと消えていく。残るボートに乗せてもらって地上へ出たが、まるで遠い夢の世界から現実に帰ってきたような錯覚を覚える。レベルの高い、なかなかの演出だった。

 パルマからレトロな列車に乗って、通り過ぎていくアーモンド畑や小さな街々を眺めながら、1時間ほどでソジェールという小さな街へ。さらに路面電車に乗り換えて、ソジェール港まで出かけ、海辺のテラスでパエリアやカフェを楽しむのも気持がいい。最後になってしまったけれど、中心地、パルマの街もおしゃれだ。海岸沿いに大聖堂がそびえる。レコンキスタの後、1230年から370年かけて造られたというゴシック様式の大きな聖堂で、ガウディが改修に携っている。ステンドグラスが張り巡らされ、とくに直径12mもあるバラ窓から光が入り、カテドラルのあちこちに幻想的な虹色が映っている。ヨーロッパの数々のカテドラルを訪れたが、これほど美しいステンドグラスは初めて。神々しく厳粛な気持に満たされる。

 マジョルカには、さまざまな要素が組み合わさって存在しており、まるで万華鏡のよう。静かに眼を閉じて、このイメージを胸に刻み、日常に湧き出る泉にすることができたらどんなに素晴らしいことだろう。

(2012年3月)

2012.01.12 コミュニティ
スペインから「フェリース・アニョ・ヌエボ(FELIZ AÑO NUEVO)!」

村本邦子

 2012年のお正月は、スペインのマルベージャで迎えた。映画の中のような太陽がいっぱいの地中海沿岸に泊まったが、年越しを経験するために、大晦日、にぎやかな旧市街のナランホス広場へ出かけた。ステージでは陽気な二人組のおじさんバンドが音楽を奏で(毎年、ここで、35年もやってきたそうだ)、かわいい子どもたちや世代さまざまの恋人たちが楽しそうに踊っている。

 日本では「年越しそば」だが、スペインでは「年越し葡萄」。年明けを告げる午前0時の鐘の音に合わせ、1回ごとに1粒ずつ、計12粒の白葡萄を食べる。鐘は3秒ごとに鳴るので、かなり慌ただしいが、無事に12粒を食べられれば、その1年間を幸福に過ごせるそうだ。みんなには結構難しいようで、スーパーマーケットには、あらかじめ皮をむいたり、種を取ったりしてすぐに呑み込めるように準備した12粒入りの缶詰まで売っている。私には、いたって簡単。皮も種もそのまま食べちゃったらいいだけだ。おいしくはないけど、幸福には代えがたい。

 いよいよ鐘が鳴り、みんなで葡萄をほおばり、あちこちでシャンパンが音を立て、人々は、「フェリース・アニョ・ヌエボ!」と抱き合ってキスする。あちこちに花火が上がる。楽しい年越しだった。一昨年は、エッフェル塔でパリの年越しをしたっけな。フランス人の方がもっと派手などんちゃん騒ぎをしていたような気がする(と言っても、本当のところは、観光客が多いらしいが)。いろいろな国のいろいろな年越しがある。新しい年を迎えるのは、どこでも心躍る楽しいことなのだろう。

 それでも、安心して年を越せない人々はいつの時代、どこの国にもいるはずだ。それを思うと、罪悪感が頭をもたげ始める。とくに今年は、大震災の影響が大きかっただけに、具体的な人々のことを思うと、いたたまれない気持ちにもなる。そして、いつも人に言っていることを自分に言い聞かせる。罪悪感は何の役にも立たない。むしろ現在の自分のありように感謝して、自分にできることを積み重ねよう。昨年は、どうにも無理をしすぎて、調子を崩すことの多い1年だった。今年は、もっと元気に頑張れるよう、年齢相応の工夫が必要だ。そして、祈ること。

 どうか世界中の人々によい年が訪れますように!

(2012年1月)

2012.01.10 トラウマ
トラウマと身体~ソマテイック・エクスペリエンス(SE)と出会って

西 順子

 2012年1月、ソマティック・エクスペリエンス(SE)認定プラクティショナーとしての認定をいただいた。新年早々、認定の連絡がメールで届き、心から「やった~!」と嬉しく、喜びに満たされた。 

 ソマティック・エクスペリエンス(SE)に出会ったのが、2008年。『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』(P・リヴァイン著、雲母書房)の本を、そうそう・・、なるほど・・と興奮する気持ちで読んだことを今でも覚えている。子ども時代の虐待や性暴力被害など、トラウマ臨床に携わるなかで感じてきた<もっとどうすれば回復できるのか>、つまりトラウマの再現によって生じる恐怖、不安を、圧倒されずにどう緩和できるのか、という問いに答えてくれるように感じた。トラウマを「身体」の側面から理解すること、それがトラウマからの回復と癒しの鍵になるということに納得した。ぜひ、このSEを学び臨床に役立てたい・・と志して早3年半。今振り返れば、幸運な出会いに恵まれて、今ここに、辿りつけることができた。無事にここまで来れたことに、感謝の気持ちである。

 3年間のトレーニングで感じたことは、折にふれてエッセイや日記などでも書いてきた。2009年には年報19号『身体の声を聴く-肥大化した心の時代に』のなかで論文としてまとめたが、SEを学ぶなかで、私自身も変化を体験してきた。何より、以前と比べて、自然体で落ち着いていられるようになったことが有り難い。

 SEでいうところの「落ち着く」とは、自律神経系が落ち着いてバランスがとれていること、つまり、交感神経系の「楽な活性化」と、副交感神経系の「楽な解放」との継続したサイクルがあることである。それは、呼吸のリズムや深さ、心拍数、筋肉の緊張と弛緩、五感など身体感覚によって感じることができる。私自身まだまだ、活性化しすぎて過度に緊張したり、イライラしたり、動揺したり・・することも多々あるが、そのことに気づくだけでも違うように感じている。神経系が落ち着いているときは、くつろいでリラックスしつつも機敏で、他者ともつながることができ、情緒的に安定していて、さまざまな状況下で適切に対応できる・・と言うから、そんな状態に少しでも長く留まっていたいものだと思う。

 「心と身体がつながっているって、こういうことなんだ」と、自分の身体で実感することで、生きているってすごいことなんだと、生きていることそのものに、有り難く感謝するようにもなった。そして、人間の存在全体に対しても、畏敬の念をもつようになった。身体とつながることで、個の意識を超えて、スピリチュアルなものとつながれるように感じている。本能的な生命の営みによって生かされていること、生かされた命を大切にすることが、私自身にまずできることであると、地に足を着けて、自分の中心にいられるよう意識するようになった。

 身体はトラウマを覚えてはいるが、身体感覚に耳を傾けて、身体に備わる自然治癒力や回復力へとつながることで、解離したままのトラウマ記憶を消化、解放していける可能性が生まれる。それはまた、「人とのつながり」のなかで、安全に感じられてこそ可能となる。 生まれたときから、目と目を合わせるアイコンタクトが、安心してこの世界につながる始まりであるように。

 ハーマンさんの『心的外傷と回復』のなかで、私が一番好きなのは、最後のページ。最後の言葉、「他の人々と共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて憩うことができる。ここにその人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる」は、しみじみと心に響く。誰もが、人々とのつながりのなかで、安全で平和に、日常生活を暮らせるようにと願い、祈りながら、SEで学んだことを、トラウマ臨床に役立てていきたい。

(2012年1月)

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