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FLCスタッフエッセイ

2011.12.10 性的虐待
子どもへの性的虐待を考える~臨床的援助と予防と

西 順子

 1992年、女性ライフサイクル研究所では年報2号で「チャイルド・セクシャル・アビューズ」を特集した。チャイルド・セクシュアル・アビューズとは、家庭内で起こるか家庭外で起こるかを問わず、子どもへの性的な虐待(力の濫用)を指している。当時はまだ、「それは病んだ国のことで、日本には性的虐待はない」と言われていた時代であった。

 しかし、子どもへの性的虐待は、私たち自身の問題であると認識し、社会的な働きかけを行ってきた。子どもをもつ母親として性被害から「子どもをどう守れるか」という問題と、性の対象とされてきた女性の問題としてである。

 年報2号は、各社新聞で取り上げられ、全国各地から、購読の注文が届き、あっという間に売り切れとなった。予防啓発活動として、子どもへの防止教育プログラムを開発して防止教育を実施したり、専門家への意識啓発として1990年代は、心理臨床学会で自主シンポジウムを開いたりしてきた。そして、時代は変化し、2000年には児童虐待防止が成立、子どもへの性的虐待も社会的に認知されるようになった。防止法から早10年過ぎたが、子どもの置かれている現実は変わったであろうか。

 子どもへの性的虐待はいまもなお起こっている。ただ、希望を感じるのは、性虐待を子どもが打ち明けたとき、母親がその声を否認せず、受けとめようとしていることである。親に話せないまま、被害の記憶を失っていたり、あるいは、親に話したとしても、否認され、否定されて受けとめてもらえなかったことで、トラウマ反応が大人になってから顕在化することも多いが、今、母親らがしっかりと子どもの現実と向きあおうとしている。

 日頃の臨床のなかで、子どもの性的虐待、性被害の問題と遭遇する。多くが、子どもへの性的虐待が発覚したとき、母親がどうしたらいいかと戸惑い相談に来られる。子どもが母親に被害を打ち明けてのことである。その声を受けとめた母親が、どうしたらよいのかと助言や子どもへのケアを求めている。加害者が顔見知りであることも多く、子どもも母親もその衝撃は大きい。安全感とともに、信頼感を壊される。加害者は子どもが信頼すべき大人の場合もあるし、子どもの場合もある。同じ家族、学校、地域コミュニティのなかで起こった被害に、被害にあった子どものケアはもちろんのこと、今後どう生活していけばよいのか、生活の問題や、人生の問題とも関わってくる。そのなかで、母親たちが、「子どもの安全を守る」のにどうすればよいかと、悩み、葛藤しながら、子どもをケアしようと懸命になっておられる姿を目の当たりにしてきた。

 カウンセリングでは、子どもとのプレイセラピーや面接のなかで、トラウマ反応を解放できるようにアプローチしているが、同時に母親への心理教育や母が子どもを支えるサポートを提供している。この20年のなかで、トラウマの解放に有効な様々なアプローチが我が国にも紹介されてきているので、トラウマによる心身への反応を緩和していくことが可能となった。もちろん、1人として同じ人はいないので、個々の回復の文脈に即して考えていかなければならない。回復の文脈をどうつくっていくかは、何よりも母親から学ばせて頂くことが多く、母親との協働作業となると言ってもよい。子どもが自分の自信を取り戻し、回復していくとき、そこには母親の並々ならぬ努力と支えがある。母親をエンパワメントしていくことが、子どもの回復の鍵になると実感している。子どもは安全の基地さえあれば、どんどん外へと世界を拡げていくからである。

 子どもが自分の強さ、自信をとり戻し、力強く回復する姿、そしてそれを支える母親の姿に心を打たれる。しかし、子どもが性的に濫用される現実が変わらなければと思う。

 日頃は臨床が仕事ではあるが、まだまだ予防啓発活動、社会への働きかけが必要なことを実感している。被害者はもちろん、加害者をつくらない社会のために、子どもの権利が尊重されるコミュニティでなければと思う。虐待とは、子どもの境界線の侵犯である。私たち誰もが、境界線を尊重される権利をもっている(境界線とは、自分の安全や人格やプライバシーを守るために、「私の体」「私の気持ち」「私は私」という感覚のこと)。まずは大人が子どもの身体的、性的、心理的境界線を尊重していかなければならないと思っている。 

 震災以後、Twitterを始めて、今社会のなかに、性暴力に取り組むさまざまな団体が立ちあがっていることを知った。私自身もまた、予防啓発として自分にできることからと、子どもを性的に濫用されることがなくなるよう、性的虐待は子ども達の身近で起こっていること、その問題意識を伝えていきたいと思う。

※参照: 子どもの性的虐待の予防、発見、ケアに関する文献
「チャイルド・セクシャル・アビューズとは何か」年報2号(1992)、村本著。
「チャイルド・セクシャル・アビューズを子どもの様子から知る指針」年報2号(1992)、村本著。
『子ども虐待の防止力を育てる~子どもの権利とエンパワメント』(2005)村本、西、前村著、三学出版。
『FLC子育てナビ3: 子どもが被害にあったとき』(2001)窪田、村本著、三学出版。

(2011年12月)

2011.10.12 性的虐待
見知らぬ人からの手紙

村本邦子

 「未知の人間からの手紙をお許しください。ただし、先生のご所属もはっきりしないので、これが先生のもとに届くかどうかも定かではありません」と始まる手紙が、おそらくはあちこち回って、私の手元に届いた。

 大学を定年退職したという現在八十歳のフランス文学者を名乗る男性からだった。たまたま、この夏、性的虐待を扱ったNHKの番組に出演したのだが、これを、パートナーと一緒に見たのだと言う。詳しいことはわからないが、その時の状況の描写からは、何か深い思いや背景があるのだろうと感じられた。そして、「もし私がドフトエフスキーであったなら、先生に向かって、全人類の名のもとにお礼を申し上げていたことでしょう。先生がずっとご健在であられることを心から願っております」と結ばれていた。

 最近はマスコミ関係の依頼をほとんど断ってきたが、真面目に制作されている番組は、それだけ人々の胸に届く力を持っているのだろう。いささか大袈裟だという気もするが(文学者らしいというべきか)、それでも、年輩の男性が、私たちの仕事に何がしか感銘を受け、わざわざこうしてエールを送ってくださるというのはとてもありがたいことだと思う。実は、この番組には何通かのお手紙を頂いており、年輩の男性(やはり大学の先生)からのエールが他にもあった。

 戦時性暴力はじめ人道に反する罪、薬害エイズ、原発と戦後日本の建て直しの過ちを思うとき、とても哀しい気持ちになる。父や祖父、曾祖父の世代にもっとちゃんと頑張って欲しかった。女や子どもを保護しようとする男らしさが翻ると、女や子どもを凌辱する力となる。もちろん、男に強さを求める女にだって責任の一端があるし、人命より経済効率優先の価値は日本に限ったことではないけれど。

 先週、南京で行った「歴史のトラウマと和解修復」のセミナーで、祭壇に供える「思い出の品」として、家永三郎さんの写真を持ってきていた女性があった。大学の教え子だったそうである。当時は単位のためだけに授業を取っていたが、ある時、家永先生が学生たちのいい加減な態度に、顔を真っ赤にして怒ったことがあったという。彼女は、「その時はわからなかったけれど、年をとった今、先生の気持ちをこうして受け継いでいます」と語った。「そうだそうだ、心ある先達は、実はあちこちに確かにいたんだ」と思うと、泣けた。

 一方で、教育というのは、その時すぐには手応えが感じられなくても、こうして十年、二十年経ってから芽吹いていくものもあるのだと思った。自分なりには日々、頑張っているつもりでも、無力に感じることは少なくないけれど、後輩や教え子たちが頑張ってくれている姿を見ることは励みだし、たしかに感謝の気持ちに満たされる。つい、世の中の残念で情けない部分に眼が向いてしまうが、上の世代から下の世代へと確かに繋げていかなければならない希望を見失わないようにしなければ。大切なことを確認させてくれた見知らぬ方に感謝して。

(2011年10月)

2011.10.10 トラウマ
市民の力~被災地に心を寄せる人々

西 順子

 東日本大震災から7カ月が過ぎた。春、夏が過ぎ、秋も終わり、もうすぐ冬を迎えようとしている。この間、自分に何ができるのか・・自分なりに模索してきたが、結局は自分を落ち着かせ(過覚醒と無力感との間で揺れていて、やっと落ち着いてきたのが夏頃か)、自分の持ち場の責任を果たすことでやっとのことだった。日常を超えることはできず、日常のなかで「できることを」と思ってまず始めたのが、ツイッターである。

 支援者関係のメーリングリストからツイッターやfacebookを利用して情報交換をし、支援しようとしている人々がいることを知った。大阪にいながらも何かできることがあればと、ツイッターに登録してみることにした。
 ツイッターでは、新聞やテレビでは報道されていない被災地の様子や人々の生の声が聞こえてきた。そして、被災地の支援をしようとしている一般市民の方がこんなにたくさんいるんだということを知った。インターネットを利用して、支援システムができていく様子も、ITに弱い私はただ感嘆するばかりだった。例えば、被災地の経済復興のために、被災地のお店で物を購入して、被災地に届けるという、そんなシステムを作られた方々もいる。しかも、被災地で必要とされているけれど、個人1人では高価で買えないものも、「共同購入」という形で、一口3000円程度で購入できるようになっていた。また、物の支援だけではない、子ども達に遊びや遊び場を提供したりしようというグループもたくさんあった。

 女性の立場から特に印象に残ったのは、女性に<物づくり>の仕事を提供し、支援しようとする取り組みだ。2011年5月に「大槻復興刺し子プロジェクト」が立ちあがった(現在はNPOと有志で運営)。そして、最近知ったのが、<ふんばろう東日本支援プロジェクト>の活動の一つ「ミシンでお仕事プロジェクト」。これも、ミシンを送って被災地の女性達に元気になってもらい、仕事を見つけてもらおうというもの。私もずいぶん昔になるが、若い頃は物づくりが好きだった。手芸、編み物、ミシンで服を作ったり、出来栄えに関係なく、自分のオリジナルを創作するのが楽しかった。なので、手づくり、物づくりの楽しさと、それが仕事になり、収入になるという喜びと、また皆で一緒につくるというコミュニティでの人とのつながり・・が生まれる、そういうシステムづくりを思いつかれ、それを仕事としてシステム化していける人々の知恵が凄いなと思う。

 一方では、表にはでにくい暴力の問題に取り組むため、被災地での女性や子どもへの暴力防止のために活動するグループもある。「震災後の女性・子ども応援プロジェクト」では、暴力防止のための安全・安心カードを作成・配布したり、女性や子ども向けの支援物資を届けてきた。災害直後の暴力予防活動は10月末で終了し、今後は、東日本大震災女性支援ネットワークのチームの一つとして活動していくと言う。

 被災者の視点、そして女性や子どもの視点にたち、市民レベルで、さまざまなプロジェクトが立ち上がり、中長期的な支援へとつなげていこうとする努力には、本当に頭が下がる思いである。

 ただ、私にできることは、1人の市民として、自分の枠内で支援物資を購入すること、ツイッターでその情報を他の人にも知らせ、知ってもらうこと。そして、被災地のことに「関心を持ち続けること」。阪神大震災の時は、当初の支援の取り組みの後、関わらなくなってしまった・・という思いが残っている。なので、まずは「関心を寄せること」は続けていきたいと思っている。刺し子で創ったコースターは、研究所の本社で使わせて頂いてるが、直接支援は何もできないけれども、刺し子のコースターを見て触れることで、作られた女性たちのことをふと身近に感じる瞬間がある。
 
 先日、ツイッターで「一度現場を見に来て下さい」と呼びかける支援者の方の声があった。その言葉に、少し心が痛んだ。今もその言葉は心に残っている。実際に見て初めてわかることがたくさんあると思うし、行かなければわからないことがあると思う(それは南京を訪問して実感したこと)。いつか行くことができればいいなと願う。何かのご縁でつながりができれば・・と思いながら、今は一市民としてできることを、細いながらも長く続けていければ・・と思う。被災地に心を寄せる人々、その声を伝えてくれる人々と、細くだけれども長く・・つながっていければと思う。
 
 市民の手で、素敵な素晴らしい取り組みがされています。私が知るのはそのほんの一部ですし、皆さんも既にご存じかもしれませんが、ご紹介させて頂ければと思います。

大槻刺し子プロジェクト http://osp2011.web.fc2.com/index.html

ミシンでお仕事プロジェクト http://fumbaro.org/about/project/machine/

※この他にも、<ふんばろう東日本支援プロジェクト>では、「ハンドメイドプロジェクト」「おたよりプロジェクト」「ふんばろうエンタメ班」など、さまざまなプロジェクトが立ち上がっています。

震災後の女性・子ども応援プロジェクトhttp://ssv311.blogspot.com/2011/10/blog-post_27.html

(2011年10月)

2011.08.10 五感
夏の香り

西順子

 夏本番。毎日暑い日が続いているが、この季節、自然に香り(よい匂い)を求める自分に気づく。心地いい香りをかぐと、すっきりした気分になって、暑さが和らぐような気がするから不思議だ。

  • 柑橘系、ペパーミントなど、すっきりした香り
  • ひのき、ティートリーなど、森林系の香り
  • パッションフルーツ、マンゴー、桃などフルーティーな甘い香り
  • ブルーベリー、ラズベリーなど甘酸っぱい香り
  • ラベンダー、ローズなど、フローラルな甘い香り
  • シナモン、カルダモンなど、スパイシーな香り
  • みょうが、大葉、生姜、にんにくなど、食欲がわく匂い
  • 梅干し、らっきょなど、酢っぱい匂い
  • いれたてのコーヒーの香り、甘いバニラの香り・・・・・などなど

 今、好きな香りは? とピックアップしてみると、「味覚」とつながっているものが結構多いと気づく。朝のパンにつけるジャムはベリー系、食事の合間にペパーミントのガム、生姜飴、シナモンティー、コーヒー、それからバニラアイスクリーム。晩御飯のおかずには、香味野菜を入れたり、食後のフルーツ・・など、日常生活のなかで、自然に好きな香りを選んでいるようだ。

 食べること以外の香りは・・というと、スキンケアと関わっている。蒸し暑く、じめじめして汗臭く、またべとべとなりやいこの時期、入浴剤、シャンプー、石鹸、クリームなど、好きな香りを鼻からスーッと吸い込むと、気分もさっぱり、すっきりしてくる。一日の終わり、寝る前に好きな香りを嗅ぐと、ほっと一息ついて、一日の疲れがとれるようだ。

 ちなみに、ネットで調べてみると、食べるものも、そうでないものも、「香り」には効能があることがわかる。香り(いい匂い)は、実際に、心と身体に良い効果があるようだ。

 ふと、「夏の香りっていうと、何だろう?」と考えてみた。まず、海のイメージが浮かんで、潮の香りを思い出した。今年は海に行く予定はないけれど、「砂浜に青い空に青い海」のイメージが浮かぶと、海を見に行きたくなったな。

 私が子どもの頃は・・?と思い浮かべると、真っ先に「蚊取り線香」を思い出した。夏の夜は、やはり蚊取り線香。今や蚊取り線香は使わないが、思い出すと、かすかにその匂いの記憶が思い出される。郷愁を誘う、懐かしい匂いだ。

 「夏の夜」から連想すると、娘たちが幼い頃、両親や妹家族、姪っ子、甥っ子らも皆一緒に、スイカ割りをした時の甘い匂い、花火の匂いを思い出した。かわいい子ども達の歓声と共に。これも懐かしいなぁ。

 この夏は、下の娘と延期になっていた卒業旅行の代わりに、夏休み旅行に行くことにした。どんな「夏の香り」の思い出ができるのか、楽しみにしていよう。

 皆さんは、夏といえばどんな香りが好きですか? 好きな香りで、心身ともにリフレッシュして、暑い夏を乗り切りたいですね。

(2011年8月)

2011.07.12 ライフサイクル
人生の折り返し地点で

村本邦子

 まもなく50歳になる。多くの人は、40歳くらいを折り返し地点と置くようだが、願わくば百年生きたいと願っている私にとっては、50歳が人生の折り返し地点である。「50歳になるのって、どんな感じ?」と娘に聞かれて、「う~ん、なんかいい感じ。円熟?味わい?」と答えたら、「へ~、それって、素敵なことやな~」と言われた。確かに。もちろん、日々いろいろあって、感情的には上がったり下がったり、笑ったり、怒ったり、不安になったり・・・と幾つになっても落ち着きなく気持ちは揺れ動いているのだが、それでも、全体的に自分を眺めてみれば、「ようやく大人になって貫禄でてきたかも!?」と思える。

 年を取って衰えたと思うことはたくさんあるけれど(最近、一番困っているのは、蚊に刺されるとなかなか治らず、2週間ほどもかゆくて、思わず引っ掻いてしまうと、それが今度は傷になって1カ月ほども治らない。虫刺され跡は増える一方で、最近では、常にムヒを携帯している)、それでも、年を取ることに納得、というか満足しているので、50代になることが全然、嫌じゃない。これまで誕生日はあまり気にしてこなかったけど、今年は、何だか格別の思いでもって、わくわく楽しみなのだ。

 一方で、いよいよ砂時計がひっくり返されるというのか、時間が逆行する予感はある。よく言われるように、人生の残り時間を数えるようになるというのに近いと思う。それだけに、残された時間を大切に使いたいという思いは強くなることだろう。人からは、「すでに十分やってきたんじゃないの!?」と言われてしまいそうだが、もっともっと自分本位に生きたいと思う。自分本位の意味は、眼先の利益ということではなくて、自分の人生にとってもっとも価値あるものを優先するということだ。一時的な情に流されたり、しがらみから何かを請け負ったり、断念したりすることなく、どんな状況にあっても、自分にとって何が一番大切なのかを見失わないということだ。

 念のため、言い添えておきたいが、百歳まで到達できなかったとしても、それはそれで、それほど悔いはないような気もする。ずいぶんといろんなことをしてきたし、少なからぬ人たちが何がしか受け取ってくれて、命の継続性のようなものを信じることができるから。前にもどこかに書いたが、昔、国語の教科書に出ていた「ゆずり葉」という詩は、子どもの頃、どうしても好きになれなかったけれど、今となっては、とても共感する。「私たちは次世代に何もかも喜んで譲っていくよ」という詩である。もっとも、原発のことを考えると、決してそんなふうに美しく言えない罪悪感で一杯になるけれども。

 そうは言っても、聖人になる予定は今のところないので、許される限り、人生を愉しむことを追求したい。自分が人生を愉しむことが誰かの何か善いことにつながっていくというような人生後半を送れたら嬉しい。

(2011年7月)

2011.05.12 カウンセリング
セルフケアのヒント~肯定的な感覚(リソース)を強める

西 順子

 新緑が美しい季節となりました。植物の生命力から、活き活きとした自然のエネルギーを感じます。一方で、連休明けのこの時期はわけもなく憂鬱になったり、焦ったり、疲れが出やすい時期でもあります。新しい環境や生活の変化に適応しようとして、一時的に強いストレス状態に陥っていると言えるでしょう。眠れない、食欲がない、頭痛や腹痛など、ストレス反応が身体に出る方もあるでしょう。強いストレスがかかると、ストレス反応が生じるのは「自然なこと」です。ストレスを何とか乗り越えようとして、心と身体が闘っているのです。ここでは、ストレス反応を和らげるためのセルフケアの一つとして、肯定的な感覚(リソース)を強める方法を紹介しましょう。

 肯定的な感覚にはどんなものがあるでしょうか。例えば、ハーブや花の匂いをかぐ、和ませる音楽や元気の出るエキサイティングな音楽を聴く、公園を散歩する、ペットと遊ぶ、熟した桃やオレンジの味を楽しむ、マッサージを受ける、美しい絵を観に美術館に行く・・等は、直接に感覚とつながり、自分を慰める行動です。

 皆さんは、どんな感覚の経験が好きですか? 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、五感の感覚ごとに、心地よい経験を思い出し、それを行動に移してみましょう。心地いい感覚に意識を向けて、その感覚に留まってみましょう。その感覚を呼吸と一緒に吸いこむようにして感じてみるのも効果的です。実際に行動できないときは、想像力を使うこともできます。心地いい感覚の経験をイメージし、イメージの世界のなかで感じてみましょう。

 ストレスを感じ、心身にさまざまなストレス反応が出ているとき、肯定的な感覚の経験を意識的に取り入れることで、ストレス反応を緩和し、心身の状態を落ち着かせることができます。カウンセリングでは、自分自身のストレス反応について理解し、ストレス反応を緩和させるために身体感覚を用いた方法を使っています。関心のある方はカウンセラーにお尋ねください。
                             
                            (2011年5月発行:ニュースレター特集より)

2011.05.10 こころとからだ
ヨガ入門

西 順子

 ソマティック・エクスペリエンス(SE)トレーニングも今年はいよいよ三年目の最終年。5月連休に札幌で開催されたが、テーマは「統合」。これまで学んだことを統合しながら、症候群のような、より複雑なストレス症状を理解するというものだった。そのアプローチ法はとてもシンプル。シンプルであって奥深かった。今回のトレーニングの講師はブラジルから来て下さったラエル先生。その先生がまたとても素晴らしかった。その先生の安定感と落ち着き、そして日本まで来て下さった熱い思いに胸を打たれた(一週間のトレーニングの間、どんどん日本語が上手になられたが、私たちに直接自分の言葉で伝えようとして下さる姿勢にも頭が下がる思いだった)。そして、まさに心身統合されている先生から、安定化、統合というテーマについて学べたこと、尊敬する先生に出会えたことに心から感謝だった。先生は趣味で合気道をやっているというから、日頃から心身を鍛練しておられるのだろう。今回のトレーニングで、「心身統合」が私のキーワードとなった。

 実習では更に「心と身体はつながっている」ということ、「身体から入ることでの心の変化」を実感。日頃から、自分自身が心身統合の状態を維持したり、バランスを崩したときには心身統合に戻れるようセルフケアすることが大切だということを再認識した。それはリラックス系のセルフケアというより、心身統一としてのセルフケアの必要性を感じた。それには「ヨガがいいよ」とSE仲間から耳にする。朝晩ヨガを続けていて、心身の状態がとてもよくなったと言う。確かに精神的にもいいし身体によさそう、私もやってみようと、まずは身近なところから、ジムのヨガ・プログラムに参加してみることにした。

 そう言えば今年度に入ってから、ジムのスタジオ・レッスンではヨガ・プログラムの時間が増えている。ヨガは人気があるようだ。パワーヨガ、ナチュラルヨガ、ヨガ・・と名称もいろいろ。どう違うかわからないが、とりあえず夜間の時間帯で出られるものに参加。今のところ、パワーヨガが面白くなってきた。とっても心地いい。ヨガのポーズは、ストレッチのようで気持ちいい。筋だけでなく、いろんな関節も動かすが、それがまた気持ちがよいものだ。難しいポーズもあるが、普段動かさないところを動かすと(縮こまっている筋肉を伸ばす、関節を開く等)、後ですっきりするような解放感がある。

 お手軽なものではなくて、本格的な?ヨガってどんなものかと興味をもって、友達お薦めのアイアンガーヨガ教室の体験レッスンにも行ってみた。はやり本格的! じっくり90分間、ヨガのポーズに集中する。アイアンガーヨガの特徴は、丁寧なアライメント(正しい姿勢)のアサナ(ポーズ)にあるらしい。確かに、じっくりと呼吸と共にアライメントのポーズに集中するが、まさに心身統一の、静かな時間だった。慣れないポーズは、痛かったりもしたが、終わった後は心地よい疲れ。そのあととても眠くなったのは不思議だった(ヨガで副交感神経が優位になったのか・・)。

 ヨガのなかでも、ヨガ療法とされるものは代替医療として取れ入れられつつあるから、とても心身の健康のためによいのだろう。今のところ「心地いい」「落ち着く」という実感しかないが、続けていくと心身への効果が期待できるのだろう(冷え症もなおるかも)。

 心と身体の声に耳を傾けながら、心身統一するためのセルフケアの時間をつくっていけるといいなと思う。

(2011年5月)

2011.04.12 五感
ホームベーカリー

村本邦子

 しつこいぐらいにあちこちでアピールし続けているが、今、ホームベーカリーが素晴らしい。これを発明した人はなんてすごいんだろうと惚れ惚れしてしまう(炊飯器もすごいと思うけど)。私が使っているのは、パナソニックのSD-BMS102。その日の気分で粉の調合をして、タイマーをセットしておけば、翌朝には焼き立てほやほやのパンが食べられる。準備にかかる時間はたったの5分。

 朝食はずっとパン派だった。海外でいろんなパンを食べるチャンスがあるが、トーストは日本のが一番だと思っている(もちろん、ドイツやフランスのパンは大好きだが、基本的においしくないところが多い)。バターだけでも十分おいしいが、ジャムやサラダ(ポテトサラダや卵サラダなど)をのせると一層おいしい。仕事帰りに通りがかるあちこちのおいしいパン屋さんで食パンを買って帰るという生活を長年続けていたが、今年になってホームベーカリーを買ってからは、ほぼ百パーセントこれだ。

 基本は白パンかフランス食パンだが、ライ麦パンや全粒粉パンにしたり、くるみやレーズン、オレンジピールなどを焼き込んだりもする。分量を量って入れるだけなので、本当に5分で準備できてしまうのだ。もちろん、手のかけ用はいろいろある。途中でいろんなものを入れたり、混ぜたり、取りだして形を変えたりすることで、アンパンとかメロンパンとか、デニッシュやクロワッサンだって出来る。どこかの食べ放題みたいに、ほうれん草や人参、わかめやゴボウやゴマなど和風食パンだって自由自在だ。でも、今のところ、私は5分でタイマーセットできるものしかやっていない。それで十分なのだ。

 感動するのは、私たちが寝ているあいだに、この小さな調理機器が、5時間ほどもかけて、混ぜる、寝かす、練る、発酵させる、焼くという作業をやってくれるということだ。カタカタカタカタ、ペタンペタンと、時々、働く音が聞こえるのも何だか可愛い。まるでセンダックの真夜中の台所みたいではないか。パナソニックのHPにある「西洋の食卓に根付いた日本の技~ホームベーカリー5話」(http://panasonic.co.jp/ism/bakery/vol01/index.html)というのも、ほんわかしていてなかなか良い。ホームベーカリーを開発し、海外に売り出した人々の物語だ。今では、14か国で使用されているらしいが、何事にも数々の人知れぬ苦労があるものだ。

 焼き立てパンの香りで目覚め、おいしいパンとコーヒーで満たされて、1日が始まる(ついでながら、朝、世界各地のコーヒーを取り入れるのも楽しみだ。今のお気に入りは、練乳いりベトナムコーヒー)。毎日、朝食が楽しみというのは幸せなことだ。ホームベーカリーの素晴らしさを周囲に熱く説いて回る私だが、なぜか今のところ、自分も買ってホームベーカリーを始めたという声は一人も聞かない。別にパナソニックの回し者ではないが、この幸せを分かち合いたいのだけど・・・。みなさんにお勧めです!

(2011年4月)

2011.02.12 自然
朝のジョギング

村本邦子

 何を隠そう、ひょんなことから朝のジョギングを始めた(隠すどころか自慢してる!?)。自分がジョギングするなんて、元旦には思いつきもしなかったことで、新年の抱負にさえ入らなかった。

 1月2日、まだ読んでいない村上春樹のエッセイ集を数冊鞄に入れて、飛行機に乗った。たまたま最初に読んだのが、ランニングについてのエッセイ(春樹は相当にシリアスなランナーである)。長距離走は瞑想的であり、女神で言えばアルテミス的である。「そう言えば、昔、私も走っていたことがあったな」と、その感覚を懐かしく思い出していた。奇しくもその夜は中学時代の同窓会。私のなかで、すっかり思春期気分が高まって、「ちょっと走ってみるのもいいかもしれないな」なんて、(その時は)非現実的に思ったのだ。

 そうこうするうちに、年末年始で4キロも体重が増えたことが判明。「ちょっとやばいかなぁ~」と思いながら、周囲にブツブツ言いふらしていると、ある人から「100歳まで生きようという人にとって、中年になってから太るのは用心した方がいいよ」と厳しい指摘を受けた。たしかに・・・。体重なんて気にしないで好きなだけ食べていた若い時とは、もう体が違うのだ。何か運動でも始めた方が良いかな?スイミング、それともジョギング?

 「とりあえず、今の私にどの程度走れるのかしら?」と一度だけジョギングを試してみることにした。大人になってから、どういうわけか、ちょっと走って心拍数が上がると眼が腫れ上がるという怪奇なアレルギーにかかったりしていたので、走るのは実に30年ぶりだ。自分が走るなんて半信半疑・・・、というより九割九分は疑惑のまま走ってみた。やってみると、驚いたことに、結構走れる自分がいたのだ!この調子ならいくらでも走れそうと感じつつ、とりあえずそのくらいにして様子を見守ったが、筋肉痛さえ起こらなかった。毎日、重い荷物を持って文字通り走り回っている今の私の生活スタイルでは、それだけで相当に足腰鍛えていたのかもしれない。

 そんなわけで、平気で10キロ走れてしまう自分にすっかり気を良くして、朝、6時に起きて走っている。年をとってからは若い時のようによく眠れないので、どっちみち早くから眼ざめて、布団の中でダラダラしていたのだ。「朝から走っていたら疲れちゃってお昼、元気がなくなるんじゃないかしら?」と思っていたが、そんなことはない。むしろ、体がしゃんとして元気なくらいだ。これが、「リラクセーション」ではなく、「アクティベーション」の効果なのだろう。

 あっと言う間に1週間が経過し、「これなら続けられそう」と自分を信頼したところで、ジョギング用のシューズとウェア、そして、iPodとNIKE+を導入。ナイキの靴に入れたセンサーとiPodが連動して、ジョギング・データをパソコンに送ってくれるというすぐれもの(最近、ハイテクづいている私だ。と言っても、iPodの電源の入れ方がわかるまでに2週間近くかかってしまったけど)。

 実際に走ってみると、世の中には、走ったり歩いたりしている人々が案外たくさんいることがわかった。みんな、それぞれに黙々とマイペースで、抜かす人、抜かされる人がいても、とくに気にする人はいない。たぶん、選手を除けば、他者と競う人はどこにもいないだろう(あえて言うなら、自分への挑戦があるだけだ)。黙々とそれぞれが自分に向き合う姿は、まったく人生そのもののようで、なんだかすごくいい感じ。だんだんと顔見知りもできるし、しかも、人々のあいだには、なんとな~く、ある種の仲間意識、コミュニティ感覚が感じられる。

 それから自然との出会い。暗いうちに走り始めると、走っている最中に陽が昇り始め、走り終える頃には、すっかり朝が始まっている。ドラマチックな空の色の変化や川の照り返し、鳥の群れやそびえたつ橋の姿、ビルのきらめきと、自分が壮大な自然のドラマの中心にいるような錯覚を覚える。毎日、梅のつぼみが少しずつ膨らんでいく様子にさえ気づくことができることも嬉しい。なぜだかわからないけど、ジョギングしていると自分の体の様子にも敏感に気づくことができる。不思議なものだ。

 というわけで、なかなか毎日というわけには行かないが(6時より早くは起きたくないので、朝、早く家を出なければならない日はパス)、走り始めてもう3週間になるが、自分の変化としては、何と言っても自信が増した(これ以上いらんやろって気がしないでもないけど)。朝6時に起きて10キロ走る自分だと思うと、「何があっても怖くない!」と強気になれる(だって、ちょっと前まで、朝6時に起きて10キロ走れと言われても、そんな怖いこと絶対にできるはずがないと信じていたから)。それから、肩凝りが少しましになって、寒さに強くなった気がする(血流が良くなったんだと思う)。

 いろいろ調べてみると、ジョギングほど脂肪燃焼に効果的なものはないらしい。最初の3か月は変化ないらしいが、3か月を過ぎた頃からメキメキと効果が表れ、体重が減るらしい。春の私はすっかりnice bodyのはず。う~ん、楽しみ!

(2011年2月)

2011.02.10 トラウマ
恐怖症の克服

西 順子

 つい最近まで飛行機恐怖症だった。怖くても、飛行機に乗ることを回避することはなかったが、一人では乗れなかった。一人で乗らないといけないような状況もなかったが、家族旅行などで乗る時は、決死の覚悟を決めて乗っていた。それが、一年前から一人で乗る必然性が生じた。そして昨年ようやく一人で飛行機に乗れるようになった。

 初めて一人で乗れたのが愛媛行きの飛行機。講師の仕事のために一人で搭乗したが、ほぼ平常心を保ちつつ、無事に空港に降りたったときのしみじみとした感動は忘れない。一人でタラップを降り、地上を歩いているとき、「乗り越えられたんだ」という穏やかな喜びを味わった。いつの間にか恐怖を克服できていたことが嬉しかった。

 自分の恐怖体験とその克服の過程から、たくさんのことを学んだ。この場を借りて、自分の体験と学んだことを振り返ってみたい。

 飛行機恐怖症になったきっかけは、1995年の阪神大震災である。それまで何も思わずに普通に飛行機に乗れていたのだが、震災以降、飛行機に乗るのが怖くなった。震災直後、電車で揺れたときに一瞬恐怖を感じる、ということが数回程度あったと思うが、いつものように乗り物には乗ることができていた。でも、なぜだかわからないが、飛行機にだけとても恐怖を感じるようになってしまった。

 私自身が震災体験で直面したのは「大きな揺れ」だった。一瞬何が起こったのかわからない、15階建ての鉄筋コンクリートの建物がゆっさゆっさと揺れることは想像を絶していた。ゴジラが襲ってきたのかと錯覚するような「怖い」体験だった。だから、飛行機が怖いのは「揺れる」のが引き金になっていると理解していた。でも何も被害にはあっていないのに、「こんなに怖がるなんて変」と恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちでもあった。

 「揺れへの恐怖」が「死の恐怖」とつながっていると理解したのは、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理)のトレーニングでだった。EMDRはPTSD(外傷後ストレス障害)に効果があるとされるトラウマ治療法だが、トラウマ臨床に役立てればと、2000年に最初のトレーニングを受けた。実習では、自分自身の不安体験を扱うが、私は「震災での揺れ」を取り上げた。震災体験時の記憶をイメージして、眼球運動を行うなかで、驚いたことに震災にまつわる他の記憶も出てきた。出てきた記憶は、震災から10日後の頃、ボランティアとして被災地に出向いたときに、そこで目撃した光景だった。起こっている出来事に対して、自分はあまりにも無力であった。大阪に戻ってきた時にも神戸と大阪のギャップに茫然とした。そのいくつかの光景を思い出したとき、私にとっての震災体験には、神戸に入ったときに体験したことも重なっていると理解した。そして、「大きな揺れ」に直面したとき、一瞬「死ぬかもしれない」と感じたのだと気がついた。

 日常生活のなかでは、そのような恐怖を感じることはなかったが、飛行機に乗ったときにだけ「もしも何かあったらどうしよう」と死の恐怖に圧倒されそうになるのだと理解した。今までオブラートのように自分を守ってくれていた「世界に対する安全感、信頼感」に亀裂がはいったということだと理解することができた。

 トラウマ反応は、「いかなる状況でその出来事を体験したか」という個人の主観体験(意味づけ)が大きく影響すること、誰もが「予期できず、防衛不能」という恐怖の状況に曝されるとトラウマを被る、と言われている。人と比べずに、私にとっての恐怖体験を認めてあげてもいいのだと受け入れることができた。

 でも、原因がわかったからといって、恐怖がなくなるわけではない。恐怖モードのスイッチが入るのは、空港についてから。「怖い。嫌だ。大丈夫やんな?」と一人でぶつぶつ。家族は夫も子どもも怖がらないので、ニコニコしながら「大丈夫って!!」と励ましてくれる。

 飛行機に乗っている間は、自分を落ち着かせるために、臨床のために学んだ方法をいろいろ使ってみた。2003年頃は、木村拓哉主演のテレビドラマ「GOOD LUCK!」を毎週欠かさず見ていたが、フィクション・ドラマとはいうものの、空の安全のために日々努力している人がいることを知ることはとても役立った。飛行機に乗っているときは、テレビドラマの映像を思い出し、主題歌「RIDE ON TIME」の音楽を思い出し、肯定的なイメージを思い浮かべるようにしていた。一種のイメージトレーニングだった。また、認知行動療法を学んでからは、「もし・・したらどうしよう」等、頭に浮かぶ否定的な認知にストップをかけていた。そして、2年前からトラウマ治療法のソマティック・エクスペリエンス(SE)を学び、飛行機に乗っている間も呼吸に注意を向けて呼吸を整え、身体が落ち着いている状態で「今ここに」いられるよう意識を向けていた。

 昨年はSEトレーニングで、自然災害についても学んだが、自然とのつながり、大地とのつながりを取り戻すことが大事であると聞いて、なるほどと思った。近年、大自然と接すること、スピリチュアルなものとのつながりに心惹かれていたので、とても納得した。

 それと何より「慣れる」ということが大事なこともわかった(曝露療法とはこういうことなんだと納得した)。昨年から飛行機に乗る機会が増えることで、次第に慣れていくことができた。慣れるために、とても助けになったのは、安心できる人がそばにいてくれたことだった。家族旅行のときは夫や子ども、仕事や学会・研究活動のときはFLCスタッフが必ず一緒だった。皆「大丈夫!!」と笑顔で受けとめくれて、そして傍にいてくれた。そして、数時間の恐怖を乗りこえたあとは、旅行は楽しく、研究活動もとても楽しく有意義な時間を過ごすことができた。

 そして昨年、初めて一人で飛行機に乗る必然性がでてきたとき、冗談半分に夫を誘うと、夫は乗り気になって観光目的で同乗してくれた(現地では別行動。私は仕事)。そしてようやく、愛媛に行く時には「一人で乗れる」と思えた。そして、無事一人で乗ることができた。

 怖いけど、恐怖を避けることなく「慣れる」までこられたのには、安心できる人のおかげであると、今つくづく感謝の気持ちである。

 今年に入っては、長崎、熊本に飛行機で行ってきた。熊本から帰りの便では、窓から外の景色をしばらく眺めることができた。ドキドキしながらも、暗闇のなか、雲の上で光り輝いている月を見ることができた。とても綺麗だった。

 一人で搭乗できると言っても、怖さが全くなくなったわけではない。今、一人で搭乗するとき、私の安心の拠り所は、客室乗務員さんである。そして機長さんである。揺れると今でもちょっと怖いが、客室乗務員さんの、笑顔で落ち着いた物腰をみると、「大丈夫」と安心することができる。また機長さんの機内放送に、「安全を守ってくれているんだ」と信頼を寄せることができる。

 恐怖症の克服には、いろんな療法を取り入れることも役に立ったが、何よりも助けとなり、また今も助けられているのは、安心できる「人」がいることである。人と安心感と信頼でつながることで、「今ここ」に安全を感じられる。今ここに生きていることに感謝の気持ちである。

 カウンセリングでは、来談された方が、不安、恐怖、回避・麻痺、解離など、さまざまなトラウマ反応を乗り超えていけるよう、まずは安全な場所を作り、さまざまな療法を使いながらも、安心できる「人」として存在し、安全へとナビゲートしていけるよう心がけている。

 トラウマの回復とは「つながり」を回復することである。治癒がおこるのは本人のもつ自己治癒力であり、それは自分自身とのつながりを回復することであり、家族や友達、周りの人々など、安全で安心できる人とのつながりを回復していくことでもあると思っている。

(2011年2月)

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